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四柱推命の成立
四柱推命の成立は中国古来、紀元前1世紀以前よりある陰陽五行思想と、カルデアの地におきた星占いとの融合によって、隋唐帝国(西暦600年代)の時代に原型がかたち作られました。つまり、今から約五千年前のカルデアの地(シュメール・アッカド文明)におきた星占いがユーラシア大陸を横断して、中国に入って行き数百年の年月を経て、数々の先人たちの研究と努力によって完成したのです(※宋時代に「淵海子平」を書き著した徐子平、明時代に「滴天髄」を書き著した劉伯温という推命家が有名。これらが、四柱推命の理論体系の原型となっている文献です)。
ちなみに、カルデアの星占いがギリシャに渡って成立したのが西洋占星術です(※伝承によると、カルデア人神官ベロッソスによって紀元前4世紀の終わり頃に、ギリシャ人に伝えられたとの事です。ただ、実際にはそれよりかなり以前から、伝えられていたものと思われます)。ですから、四柱推命も西洋占星術も基本的な根っこの部分では、カルデア人の星占いを基盤としている関係で同じなのです。
※聖書にシュメール・アッカド文明の記述があります。
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
旧約聖書・創世記、11章1節〜9節(新共同訳聖書・日本聖書協会)
シンアルの地に…この町の名はバベルと呼ばれた。 シンアルのバベルとは、シュメールのバビロニア(カルデア)という意味になります。
先程、四柱推命も西洋占星術も基本的な根っこの部分では同じと申しました。この事について、もう少し詳しく説明したいと思います。
四柱推命も西洋占星術も人間の宿命・運勢・吉凶禍福を判断する際には、12数と10数をクロスさせて鑑定いたします。すなわち四柱推命では12支と10干をクロスさせて判断します。これと全く同じで、西洋占星術の場合では12星座と10惑星をクロスさせて判断します。東洋と西洋の二つ占いが、ほとんど同じ基本原理を用いて鑑定するという現実があり、これを専門用語で「命術」と呼びます。
日本には江戸時代に「淵海子平」が渡来し、長崎の医者である桜田虎門によって翻訳され、「推命書」を書き記しました。明治時代に入り、阿部泰山氏や高木乗氏などの活躍により日本全土に四柱推命は広がっていきました。現在、四柱推命占い師として活躍されているほとんどの方は、明治の偉人である阿部・高木両氏の弟子筋にあたる方々です。
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