【毒舌薬理学】 【無駄口薬理学】 【やさしい薬理学】 【HLA】 【レセプター】

シリーズEBMを考える    
*  シリーズEBMを考える * バイアスとは
(1)  「買ってはいけない」は買われましたか? (1) 女子大生は製薬企業が好き
(2)  推定有効から実証有効へ (2) 情報は量より質だ
(3) 幸運を呼ぶ財布 (3) 血圧の高い人は給料が高い?
(4) 平均への回帰に惑わされるな (4) 交互作用
(5) 薬が効くとはどういうことか (5) 英語は日本語だった??
(6) 人が作った定義なんて (6) だまされないために(2の法則、3の法則)
(7) EBMの誤解 (7) ランダム化
(8) クリニカル・インディケーター (8) EBMに向けて
(9) エビデンスとは グローバリゼーション 
(10) バリアンス EBMとは
 

    Selection bias(自己選択バイアス)、 lead time bias(リードタイムバイアス)、 length bias(レンクスバイアス)

シリーズ医薬品情報について

:Ca拮抗剤 パニック in USA(1)
:Ca拮抗剤 パニック in USA(2)
:メタアナリシス
:NNT / NNTH
:アカウンタビリティー
:添付文書を甘く見るな!
:添付文書を甘く見るな(2)
:添付文書を甘く見るな(3)
:添付文書を甘く見るな(解説編)
10 :副作用はどこまで説明されるべきか?
11 :患者への情報提供を考える
12 :意思決定分析とは
13  :リスクコミュニケーション

 

 


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Ca拮抗剤パニック inUSA

シリーズ:情報を考える1

 1995年3月の有る日、アメリカではちょっとしたパニックが起きました。「Ca拮抗剤を服用している患者は利尿剤またはβ遮断剤服用患者に比べて、心筋梗塞発生率が約60%高かった。」とのニュースが全米で報道されたからです。

 Ca拮抗剤を服用している患者はもちろん不安になりますし、医師たちもCa拮抗剤は安全な血圧降下剤だと信じていましたから、問い合わせの電話がかかってきてもどう返答してよいのかわかりませんでした。

 第1報はこうでした。「利尿剤単独と比べて、Ca拮抗剤併用例では利尿剤の併用の如何に拘わらず心筋梗塞を起こす調整危険比は約60%増加していた。」(心、血管障害の無かった335例の心筋梗塞群と1395例の対照群のみ。)

 第2報では「Ca拮抗剤かβ遮断剤の何れかを内服していた心筋梗塞群384例と対照群1108例に限定して調査。その結果、Ca拮抗剤内服例では、β遮断剤内服例に比べて心筋梗塞発症の調整危険比は約60%増加
 傾向分析で見ると、高用量のβ遮断剤は心筋梗塞発症の危険率を有意に減少させ、高用量のCa拮抗剤は心筋梗塞の危険を有意に増加させた。」とされています。

 確かにこのような報道が大々的になされれば、日本でもパニックになることは間違い無いでしょう。しかしその報道の中味を検討すれば、心筋梗塞発症の直接の危険率(従って絶対的危険率)は実際低いものでした。多くの初期の新聞や放送などの報道はその試験の方法やその方法の限界について何も理解していなかったのです。

 相対的比率と絶対的比率の問題はしばしば混同され、誤解されているように思われます。例えば今、100名を対照としてプラセボ(対照薬)を与え、他の100名に試験薬を与えて、ある期間観察したとします。この間に、対照群では2名死亡し、試験薬群では1名死亡したとすると、対照群の死亡率は2%、試験薬群の死亡率は1%となるので、絶対的死亡率で見たこの試験薬の効果は2%-1%=1%となり、この薬の使用によって死亡率が1%減少したということになります。しかし、相対的死亡率でこの試験薬の効果を表すと、(2-1)/2=50%となり、この試験薬の使用によって50%死亡率が低下したということになってしまうのです。

 即ち、同じ事実が表現の仕方で人々に違った印象を与えかねないことになるのです。
               

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Ca拮抗剤パニック inUSA(2)

シリーズ:情報を考える2

先週の記事は、この薬剤ニュースではどうあつかったといいますと、NO .204(1996年8月1日号)で
   

アダラート錠(Ca拮抗剤)

[禁忌] 急性心筋梗塞の患者には与薬しないこと。急激な血行動態の変化により、病態が悪化するおそれがある。

[慎重] 不安定狭心症〜症状が悪化するおそれ。

{理由} 1995年米国で発表された文献(Pasty,Fuberg,Pahor,et al)では速効性製剤の場合、高用量(1日80mg)で病態、症状の悪化を認めたとしています。
 アダラート(Lを除く)の迅速かつ強力な降圧は冠灌流圧の低下を招き、冠血流量を減少させる可能性があります。また降圧により反射性に心拍数の増加が起こり、心仕事量の増加、ひいては心筋酸素消費量の増大が起こること等から、心筋虚血の改善が期待できない場合もあります。特に速効性製剤は1日のうち何度も血圧を下げ、心拍数を上げることが危惧されます。とりわけ、急性心筋梗塞や不安定狭心症患者の病態は急激な血行動態の変化により大きく影響を受けやすくなっています。

 このように「Ca拮抗剤での心筋梗塞の危険」は日本では非常に冷静に受け止められました。

・一瞬にして降圧効果を表わす即効性のCa拮抗剤を長期使用することの危険性は既知の事実で即効型のCa拮抗剤はあくまでも緊急患者に使用するものである。
・Ca拮抗剤の安全性に初めて疑問を与えたという点で評価される。Ca拮抗剤は長期治療時の安全性が未だ確認されていないが、これには製薬会社の怠慢が指摘される。
・今回の教訓はshort-acting タイプの頻脈や、動悸を伴いやすい反射性交感神経緊張を伴うCa拮抗剤は高血圧治療には用いるべきではないということであろう。

 そして製薬メーカーの見解として、「急性心筋梗塞や不安定狭心症等の患者を対象とした1980年代の発表文献16報を再解析したメタアナリシスの報告で、無作為比較対照試験等によるものとは異なり、仮説検証の研究手法ではなく、その評価は確立したものではありません。しかし、報告内容をそのまま記載することが最も適切であるとの判断から、添付文書を改訂することにしました」このメタアナリシスとは?。

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メタアナリシス

シリーズ:情報を考える3 1997年2月15日号 No.216に掲載したものです。

「恐怖の法則」という番組があります。筆者は「何でも鑑定団」の方を見ているので、あまり知らないのですが、要するに何でもないことでも、法則化できることを証明しようとする番組です。司会の上岡竜太郎は、結構公平に結論を下しているようですが、時には強引なこじつけもみられます。

 統計をとって証明する場合、出来るだけ対象の数を多くすればより真実に近づけるのですが、そうなると大変な手間がかかります。そこで適当な対象を選んで実験するのですが、この適当な対象を選ぶ際にどうしても、実験者の意向が入ってしまうことがあります。これをバイアスが入ると言います。

 先々週、この欄で紹介しましたCa拮抗剤で心筋梗塞が60%増えたという記事も多分にこのバイアスが入っていたことが指摘されています。

 例えば、実験の期間:14日目までのデータを選んでいる。6ヵ月までのデータ(死亡は10例でプラセボ10例と差はない。)や用量・治療開始時期(タイミング)の違い〜心筋梗塞後7乃至22日に与えた試験、心筋梗塞後2、3日で与薬したなどでも、実験の結果が異なってきます。

 またメタアナリシスという言葉もあります。これは、すでに報告されたいくつかの独立した研究の結果(文献等)を同じ様な登録条件の症例を全体としてまとめて統計的な手法で整理(再解析)する方法のことです。

 個々の研究報告をまとめることにより症例数が多くなり、例えば心筋梗塞の再発や死亡など大きな事故が全体としてどのようなトレンドで起こっているのか判断できます。しかしながら「異なる条件」をベースに解析した場合、誤解を招く結論を導く可能性があることも指摘されています。

 何らかの情報に対しては、まず眉につばをつけるが態度が必要で、どのようなバイアスが入っているのかを見極めなければならないのです。

「何でも鑑定団」の方は、気楽なもので鑑定士が適当に値段をつけているようですが、本当にあんなものなのでしょうか。メタアナリシスは均一の患者集団で行われたときに最も有用ですが、メタアナリシスのために選んだバイアスのかかったデータ選択に基づいていると結果は、その論文を書いた人の主観にだいぶ左右されるのです。

2000年追加 

メタアナリシスとは

メタ解析

 すでに報告されたいくつかの独立した研究の結果(文献等)を同じ様な登録条件の症例を全体としてまとめて統計的な手法で整理(再解析)する方法。

個々の研究報告をまとめることにより症例数が多くなり、例えば心筋梗塞の再発や死亡など大きな事故が全体としてどのようなトレンドで起こっているのか判断できる。しかしながら。「異なる条件」をベースに解析した場合、誤解を招く結論を導く可能性があることも指摘されています。

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{参考文献}JJSHP 2000.2

グラースというアメリカの研究者が1969年に、教育学で初めて用いた言葉。

研究データの解析には、Primary analysis(主要解析)、Second analysis(副次解析)、そして
Meta-analysis がある。

Metaには「高尚な」とか「総合する」といった意味がある。
それぞれの研究でデータ解析した結果を、総合しながら深く解析することがメタアナリシス

例1
早期乳癌の患者に、手術の後に抗癌剤のタモキシフェンを投与すると延命効果のあることが、1988年に示された。これは、同じテーマの61個の臨床試験をメタアナリシスで併合した研究。
この波及効果で、欧米では乳癌による死亡率が急激に減少。

例2
アスピリンの血管系疾患の予防

例3
高血圧患者にカルシウム拮抗剤を用いると、心筋梗塞のリスクが上がる。(これがパニックin USA)

例4
クラスTcの薬は不整脈は抑えるが、突然死を逆に増やす。

例5
インフルエンザ
アマンタジンで63%(血清検査)、23%(臨床診断)、予防できた。

メタアナリシスというのは、「同じ様な」研究テーマを扱った複数の研究結果を統計的な手法で併合する。
「同じ様な」〜患者対象、薬物治療法、結果指標(3次元)

研究レベル
1.ランダム化比較臨床試験、2.コホート研究(追跡研究:観察研究に分類される)
3.ケースコントロール研究(症例対照研究)

単に統計的手法で併合するだけでは不十分であり、システマティック・レビューを行う必要がある。
システマティック・レビューとは、文字通り系統的な検討ということであり、系統的手順で、次のような作業を進めていく。まず、エビデンスとなる研究を集めてきて、それらの研究の質を審査し、統計的に妥当な方法で結果数値を併合し、適切に図示したり文章表現する。

論文上に上がっているデータだけで併合するのがほとんどだが、本来はそれぞれの研究の生データを入手して併合解析すべき。ただそれには研究者間の協力が必要となる。

問題点1:メタアナリシスは最高位に位置しており、しかも多数例での結果なので信用されがち。しかし研究があまり質の良くない、いい加減な研究では何もならない。がらくたをたくさん集めても、出てくる結果はがらくた。

問題点2:研究は文献検索で探してくるわけだが、いわゆるネガティブスタディは出版されないため上がってこない。これは、メタアナリシスの結果がポジティブの方向へ行きがちなことを示唆している。

問題点3:多少のデザイン上の違いは無視して併合するので、研究ごとの違いがある時には解釈を慎重にすべき。

*上記のカルシウム拮抗剤の場合、リスクが高いのは速効性のものであり、しかも高用量(パニックin USAを参照のこと)

経口避妊薬による子宮頸癌のリスク、受動喫煙による肺癌のリスクはどちらも約1.2〜1.3%
つまり20〜30%相対的に危険性を増やす程度。これらはメタアナリシスで出てきましたが、そこでは問題の性質上、併合の元になった研究はすべて観察研究で、すなわちケースコントロール研究、コホート研究。観察研究では単純な解析だけでは誤った結果を生みがちなので、そうした研究に基づくメタアナリシスであるときには、さらなる注意が必要。

メタアナリシスの結果は、治療法Aが治療法Bより平均してどれだけ勝っているかを示したに過ぎません。これは製薬会社や医療行政者には役に立ちますが、患者を眼の前にした臨床医が求めている答えではありません。これが平均としての有効性を見たメタアナリシスの課題と言えます。


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NNT(NTTではありません。)
 シリーズ:情報を考える4

 パソコン通信の隠語で「ミカカ」と言えば「NTT」=電話料金のことを意味します。このミカカというのは、ワープロやパソコンのキーボードを見て貰えば、すぐに分かります。カナで「ミ」と書いてあるキーは同時にアルファベットの「N」のキーでもあるのです。同様に「カ」のキーは「T」です。

 で、今日はそのNTTの話ではなくて、NNT
(無理していうなら「ミカカ」ではなく「ミミカ」の話です。)

 NNTとは(Number Needed to Treat)のことで、偏りの入った判断をしないように考え出されました。あるイベント(出来事)が一人に起きるためにある処置が何人必要かをあらわします。

 イベントは、風邪が治ったとういうように多い程よいこともあれば、心筋梗塞の発症のように、少ない程よいこともあります。

 NNTはイベント発生率の絶対差の逆数です。

 例えば、風邪は薬を飲まなくても治ります。が、風邪薬を飲むと体が軽くなったなどの改善症状がみられる場合もあります。

 ふつう風邪薬は改善率が60%ですが、プラセボ(偽薬)でも40%改善が見られます。この場合の改善率の絶対差は20%、つまり20%の人のみ意味があったことになります。

 1÷0.2=5 すなわち、5人にその薬を投与して、そのうちの一人に意味があったことになります。

 また、1983年から約5年かけて、米国医師会会員のうち2万2千人の男性医師を対象とした、心筋梗塞予防のためのアスピリンとプラセボの無作為比較試験では、アスピリン隔日は有効とされましたが、そのNNTは110でした。と言うことは、110人が1日おきにアスピリンを飲んで、一人が助かることになります。

 この数字をどう評価したら良いのか、筆者は今悩んでいるところです。そんなものかとガッカリしたくもなりますが、少なくとも1日1人ぐらいの命をその薬が救っているのだと考えると、素晴しい事にも思えます。
 
 パソコンでインターネットばかりやっていると「NTT」からの請求を見て驚くことになりますこのイベントのNNTは1に近いと思われます。

   {参考文献}朝日新聞1996.12.13夕刊

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Number needed to harm

(harmは、害、副作用)

出典:日本薬剤師会雑誌 2000.8

 薬剤の臨床効果を示すときに、相対リスクの指標がよく用いられました。しかし、臨床では絶対指標に基づくNNTが有用です。薬剤の副作用を示す薬剤疫学論文でも同様です。オッズ比が最もよく用いられますが、その代わりに、NNTHが勧められます。

 オッズ比などの相対リスクを用いると、治療効果があればそれは1より小さくなり、副作用があれば1より大きくなります。たとえば、オッズ比が2であると2倍副作用が増え、オッズ比1.3だと30%増えることになります。こうした言い方では誤解を招くことがあり、2倍副作用が増えるというと、2人に1人がその副作用が出ると思うことがあります。そこでここでも絶対での指標を用いることを推奨されています。

 NNTHとは、何人の人にその薬剤を使うと余計に1人、その副作用が生じるかを示す指標です。例えば、NNTH=100人であると、その薬剤を使うことにより100人当たり1人余計に、その副作用が発生することを意味します。つまり、NNTHが小さいほど薬剤は危険ということになります。

 この指標は、オッズ比のような相対指標だけでは計算できませんが、事象発生率(イベント:eventrate)のデータが分かれば算出できます。

 元々発生率の低い副作用であれば、オッズ比がかなり高くてもNNTHは小さくなりません。更に詳しくいいますと、重篤な副作用であれば、たとえNNTHが大きくても重要視しなければなりません。例えば、軽い頭痛であればNNTH=100人でもあまり問題はありませんが、生命を脅かすかもしれない血小板数減少ならNNTH=1万人でも問題にすべきといった相対的な価値判断が必要となります。


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アカウンタビリティー
シリーズ:情報を考える5

昨年もてはやされた言葉に、アカウンタビリティー(accountability)というのがあって、これは政府や行政機関は国民に分かりやすく情報や政策を説明する義務のことをさします。説明義務とでも訳したら良いのでしょうか。

 この4月から、すべての薬剤師に適切な医薬品情報提供の義務が課せられることになりました。

 つまりアカウンタビリティーが薬剤師にも課せられることになったのですが、情報の提供、特に専門知識を持たない人へ専門的な情報を提供するというのは、非常に難しいということを再認識しました。

 また、患者さんはマスコミで流される医療情報に振り回されている側面も見逃せません。

『みのもんた症候群』
 10Chでお昼にやっている思いっきりテレビ。ココアが体に良いとみのもんたが言ったとたん、ココアが市場から無くなったという。
『疾病期待症候群』
 患者の期待した病名を患者に告げないと、「なによ、あの先生!」とヤブ医者にされる。また『エブリシング・アレルギー症候群』というのもあります。

 絶食療法、環境抗原除去療法、免疫抑制剤療法
不飽和脂肪酸療法、、、<以下療法を略>、、
ワクチン、ゲルマニウム、白金パラジウム、レーザー、ニンニク入浴、PUVA、抗アレルギー剤
SOD、海水浴、アルカリイオン水と強酸性水、
イソジンゲル塗布、抗真菌剤、多糖類によるパック風呂、、、、

 以上は、何の治療法でしょうか?
 答えはアトピー性皮膚炎ですが、アトピーの場合、これに加えてほとんど無数とも思える民間療法、漢方薬、健康食品、スキンケア商品、さらになんとやら協会、なんとやら友の会推奨のアトピーグッズ、など大変に混乱した状態です。

 テレビ、雑誌、はたまたインターネットと様々な情報をあらかじめ仕入れている患者さんを相手に、薬の副作用の説明をした場合、どんな反応が現われるのか予想しながら、服薬指導を行っていかなければなりません。今度からは、心理学の勉強もしなくてはならないのかもしれません。

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添付文書を甘く見るな!
シリーズ:情報を考える6

 

1994年12月26日に福岡地方裁判所で出された判決は、医師の研鑽(けんさん)義務と注意義務を問うものでした。

 当時60歳だったAさんが、虫歯の治療にさる歯科医院を訪れました。その医院に備え付けの予診録には次の様に記入しました。「特異体質 喘息」、既往歴にも「喘息」と記入し、歯科医にもそう告げました。

 その頃(1990年)の歯科医は、アスピリン喘息の概念、NSAIDs:消炎鎮痛剤がアスピリン喘息を引き起こすこと、アスピリン喘息患者またはその既往歴のある患者には禁忌であることを知りませんでした。

 そのため歯科医は、抜糸した後Aさんに化膿止めとしてケフレックスと麻酔が切れた時の鎮痛剤としてロキソニンを処方しました。Aさんは、帰宅後喘息発作を起こしました。

 駆けつけた内科の医師が着いたときには、すでにAさんの心臓は停止していました。死因は、喘息発作による窒息死でした。で、この歯科医は訴えられ有罪となりました。

 判決では、この歯科医はアスピリン喘息に関する知識の修得という研鑽義務を怠り、患者にアスピリン喘息であるかどうかの問診することを怠り更には、患者の喘息がアスピリン喘息ではないと確定的に診断できない以上‘ロキソニンを与薬してはならない(禁忌)’という注意義務を怠って漫然とロキソニンを与薬したのであるから、注意義務違反の有無は判断するまでもないとされ、遺族らに対し、賠償義務を負うとされたのです。

 当時、アスピリン喘息に関する知識が福岡市内の開業歯科医の間で一般的に定着するに至ってないとの事実が認められたとしても、医師の研鑽義務を軽減するものではないと判断でした。

 今回は、筆者のコメントは省き判決文を掲載するに留めます。
「業務の特殊性から、医師には薬に関する知識を薬の説明書だけでなく、医学文献などあらゆる手段を使って身につける義務や患者への問診義務があり、薬が患者にとって厳禁でないことが確定できない以上、その薬剤を投与してはならない」とし、「当時、ロキソニンの添付文書にはアスピリン喘息についての記載があり、歯科医でもこの病気を知ることは容易であった」と指摘しています

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添付文書を甘く見るな(2)

 1974年9月、7歳のB少年は虫垂切除手術を受けた。この手術は、ペルカミンSを使用した腰椎麻酔によって実施された。麻酔薬の添付文書には、麻酔薬を注入前に1回、注入後は10〜15分までの間は2分間隔で血圧を測定すべきと記載されていたが、執刀医は、ナースに5分毎の血圧測定を指示していた。

 執刀医が虫垂根部をペアン鉗子で牽引した時点でB少年は悪心を訴えた。ほぼ同時に、脈拍の異常、血圧低下、自発呼吸の減少を認めた。救急蘇生の措置を行ったが、3分後心停止。蘇生を続けた結果、拍動が戻り、自発呼吸も徐々に回復したが、意識は戻らなかった。後遺症として重度の脳機能低下症が残った。

 血圧測定の間隔について、5分間隔が当時の一般開業医の常識であるから過失にならないと判断され、手術担当医の過失が否定されていた。だが上告審は、添付文書のとおり2分間隔で血圧測定しなかったのは医師の過失であるとされた。

<解説>栄法律事務所 加藤良夫

1996年1月23日、最高裁は多くの医師がやっている平均値的なものが医療水準ではなく、医療慣行に従っていれば責任は問われないというものではないことを示しました。すなわち「専門家としての相応の能力を備えた医師が研鑽義務を尽くし、到達できる水準」が医療水準であるとしました。

 薬については、医師よりも製薬会社のほうがより多くの情報量を持っていて、添付文書に反映されています。「もし医師が添付文書に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」と判決には書かれています。

従来、の医療過誤裁判では、被告の医師らが「このようなレベルで医療、実務は回っています」と弁解した場合に裁判所はそれを採用しがちでした。が、この判決がでたため、今後は違うのです。              

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添付文書を甘く見るな3

<1996年2月に出された高松高裁の判決>

・訴訟の内容:患者(女性、当時60歳)が1988年12月、中毒性表皮融解壊死症(TEN)のために死亡。この原因は髄膜腫の手術後に与薬された薬剤(アレビアチン、フェノバール)の副作用であり、担当医が注意義務および説明義務を怠ったとして、患者の実弟が損害賠償を求めた。(一審では、この訴えは退けられていた。)

判決:裁判長は、アレビアチン、フェノバールを与薬したこと、その処方量、および両剤の併用について、担当医の注意義務違反を認めることは困難とした。更にアレビアチンを与薬する際の説明義務違反は認めたものの、この義務違反とTENの発症との因果関係、および薬剤の中止義務違反についてはみとめなかった。
 
 だが、情報提供義務違反については「一時退院した後の服薬に関し、一般的な注意しかしておらず、具体的な指導があれば死亡にはいたらなかった」と担当医の過失を認め、国立の病院であったことから、国にも賠償命令を出した。

 具体的には、(1)患者さんのアレルギー体質は初診時のカルテにも記載されており、副作用の少ない抗痙攣薬を処方すべきであり、量も過剰で、併用も避けるべきであった。
(2)薬剤交付時に副作用を説明すべきで、説明を受けた患者さんは副作用のより少ない薬剤を選択したはずである。(3)患者さんは11月の上旬に喉の違和感を訴えたが、服薬の中止を指示しなかった。(4)患者さんの退院時に適切な情報提供を行わず、「何かあれば、いらっしゃい」という一般的な表現をしたにとどまり、患者さんの受診が遅れた。(5)12月初めの診察時に患者さんの薬疹に気付いたが、適切な治療をしなかった。

 裁判所の判断は、左記のうちに(4)関し、医師が処方時に患者に対し処方薬の副作用をすべて説明するのは困難であるにしても、副作用の中で重大な結果を招来するものについては説明すべきであり、患者さんには「ごくまれに副作用による皮膚の病気が起こることもあるので、かゆみや発疹があったときにはすぐに連絡するように」という程度の具体的な注意はなされるべきであったと、医師の情報提供義務違反を認めました。

 

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添付文書を甘く見るな
(解説編1)

ここで今までのおさらいをしてみましょう。

1回目:副作用(アスピリン喘息)
喘息患者へのNSAIDs

2回目:医療水準とは〜現行、慣例で行っている医療行為は必ずしも医療水準とは言えない

3回目:副作用の説明義務

 そして、3つの共通点は、添付文書に記載されていたことを守らなかったという点です。

 医師は添付文書を読まない、あるいは軽視する傾向にあるとよく言われます。しかし、医療事故が起きると、最初に裁判で検討するのは添付文書です。

 昔の添付文書の半分は宣伝文句といったものも多かったのですが、現在はそういう時代ではありません。ましてPL法施行以来、添付文書は改正されたので、事故の際に添付文書を見ても、表示欠陥は発見されないわけです。

 欠陥が無ければ、PL法の責任も民法の責任もメーカー側にはありません。けれども事故は起きたのだから、今度は医師が添付文書をよく読まなかったということが浮き彫りになります。

 皮肉なことに、PL法が導入した責任に関し、実は製薬企業はほとんど対策を講じてしまい、第2次的というか、その波及効果として、重い責任が医師に及んでいるのが現状です。更に悪いことには、医師がそのような変化を理解していないのが現状だと思われます。

 責任論、すなわち「医者は、そこまで責任は持てない」という点から批判が多く出ていますが、実際に事故が起こった場合、医師が責任を取らされる時代になってしまっているのです。

 添付文書に書かれている限り、責任は医療現場(医師、薬剤師)にある!というのが現状となってしまったのです。一度下された裁判事例は前例となり、その後の裁判に大きな影響を与えます。
添付文書は、今や法律とさえ言えるのです。

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副作用はどこまで説明されるべきか
(「添付文書甘く見るな」解説編2)


 今まで述べてきました医療訴訟問題については、薬剤師である筆者としても考えさせられました。薬剤師法の改正によって、今年の4月から薬についての情報提供が義務付けられるようになったからです副作用をきちんと患者さんに説明しなかっただけで過失責任を負わされるようになってしまったのです

 この件に関しては、言いたい事も色々あるのですが、筆者の意見などを書くよりも、時代の流れを配慮する方が有意義だと思いますので、東京都立北療育センター副院長の別府宏国先生の文章を一部引用させてもらいます。

『患者には、いたずらに不安を与えてはならないという議論をよく耳にします。例えば、「中毒性表皮融解壊死症(TEN)の発生は非常にまれであり、まれなのに重篤な副作用を患者に説明すると、必要な薬剤であっても服薬をやめてしまう可能性がある」という意見があります。

 HIVの時、「みんなが混乱するから」とか「パニックに陥るから」と、すべてを隠していましたがそれによって被害が増大しました。まれに発現する副作用は、TEN以外にもたくさんあるという反論もあります。それらをすべて説明しなければならないのでしょうか?


 答えはイエスです。一つ一つはまれであってもそれがたくさんまとまれば、かなりの頻度になる可能性があります。ですから「まれなものの集積だからそれぞれについては説明する必要が無い」というのは、飛躍しすぎなのです。最終的な受益者であり、かつ最終的なリスクを負わなければならない患者側からの視点が最も大切だからです。

「患者に服薬指導を行う時間は、現状ではまずないだろう」ということは誰にでも想像がつきますだからと言って、「そのままで走ってよいのか」と問えば、誰も肯定はしないでしょう。医師に負担がかかりすぎていることは事実です。だからといって、責任を取らなくてもよいとは言えないこともまた事実なのです。

 この問題の解決策の一つは、患者にどの範囲までを伝えるかが明確に提示されていればよいのですが日本ではそのような整備が非常に遅れています。
 「心配するから全部隠しておけ」と言うのは、「車が通るのが怖いだろうから、目隠しで歩いて下さい」と同じです。
 患者さん向けの添付文書を国が考慮中とのことですが、1日でも早く、薬品ごとの服薬指導要項を完成さす必要があります。』

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1997年6月1日号  No.223

患者への情報提供を考える

今、何が求められているのだろう?

 

医薬品の適性使用を目指した患者への医薬品情報提供では、従来から行われてきた医療従事者の裁量に患者自らの医療を委ねる(ゆだねる)という患者指導型ではなく、インフォームドコンセントの考え方をもとに医療従事者が患者に対して情報を開示する責務があると考えられるように成りました。

当院でも、以前から患者中心の服薬指導を目指しておりますが、副作用・相互作用の情報提供を検討しており、診療部との協議を前提にマニュアル作る必要があると思われます。


{参考文献}薬局 1997.5

近年さまざまな特性と強い生理活性を有した薬剤が開発されており、従来の行っていたような情報提供だけでは、患者に十分に適正使用を理解させることは難かしくなってきています。特に副作用、相互作用などネガティブ情報の患者への提供が、安全で効果的な薬物療法の実践には不可欠といえます。

ここでいう医薬品の適正な使用とは的確な診断に基づき患者の状態にかなった最適の薬剤、剤形と適切な用法・用量が決定され次いで患者に薬剤についての説明が十分理解され正確に使用された後、その効果や副作用がフィードバックされるという一連のサイクルと解釈されます。

薬剤部が患者の適性な薬物療法を確保するために行う薬品情報の提供には、大きく分けて3段階のアプローチが考えられます。

1.直接的な服薬指導ではないが、そのための環境整備としての適正な処方作成を支援するための医師への情報の提供
2.適正な処方を基にした正しい服薬のための患者への薬品情報の提供
3・患者を介して行う、医師への間接的な薬品情報提供

※相互作用回避のための情報提供

・併用禁忌および慎重投与でも起こり得る有害作用の結果が重篤である場合とその危険性の割合が高い場合の薬剤。
・トリルダン、ヒスマナール:マクロライド系、アゾール系抗真菌剤
・ニューキノロン系:NSAIDs、金属カチオン
・ セフゾン:鉄剤
・NSAIDs:ニューキノロン系抗菌剤、アゾール系抗真菌剤
・アセナリン:マクロライド系、アゾール系抗真菌剤
・ハルシオン:マクロライド系抗生物質、アゾール系抗真菌剤

※薬剤部での副作用情報の提供の問題点

・処方する医師側の意図を十分に理解する必要がある。(協議が必要)

・患者に過剰な不安を与えてコンプライアンスを悪化させる恐れがある。

厚生省副作用重篤度分類

重篤な副作用(重篤度分類グレード3)に関しては、その初発症状あるいは初期随伴症状を患者に伝達して、副作用の重篤化を回避する必要がある。
重篤でないもの(重篤度分類グレード1〜2)に関しては、ある程度発現頻度の高いもの、尿の着色や苦み(にがみ)など間隔に訴えるもの、自動車の運転など日常生活に影響を与えるものを能動的に服薬指導すべきと考えられる。

 

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1997年6月15日号 224

意思決定分析とは

QOLを考慮した臨床応用

 

意思決定は人間の知的活動の重要な部分を占めています。医学においても検査手順や治療法の選択などさまざまな局面で意思決定が必要になります。
 従来の臨床医学では、このような意思決定の問題を医療関係者の主観的、経験的判断にまかせるのが通例でした。
 近年、欧米ではEBM;evidence-based medicine
と呼ばれる新しい医学の科学的体系が行われつつあります。

 人の意思決定においては、いくつかの選択肢があって一つだけ選ばねばならない場合、それぞれにおいて期待される利得を比較考慮し、その期待利得が最大となる選択肢を選ぶことが好まれますこれは期待値最大化基準によるといわれます。

 選択可能な方策のそれぞれにおいて期待される利得を確率論を用いて算出し、得られた期待利得を期待値最大化基準に照らし合わせて比較考慮する分析法を意思決定分析といいます。

 医師側からみた平均余命10年と、患者側からみたそれとでは、同じ10年といっても必ずしも同じ意義を持つとは限りません。

 健康の状態を0から1までの間の数値で表現できるとすれば、生存年数をその数値で重みづけすることにより、患者個人の健康状態に対する価値観をある程度反映することが可能となります。

 例えば、死を0、完全な健康を1とした場合、ある患者が心臓のペースメーカーを装着した状態を0.8と考えるとして、その患者にとっての平均余命10年は10年×0.8年=8年の意義をもつことになると考えられます。

 これは、患者のQOL(クオリティーオブライフ;生活の質)を考慮するアプローチといえます。このような考え方に基づいて定義されたのが質を考慮した生存年数(quality adjusted life years;QALY)です。すなわちQALYは生存年数に健康状態を0から1までの間で表現した数値を掛けたものです。

 意思決定分析では、この健康状態を0から1までの間で表現した数値のことを患者の効用値と呼びます。ですから、QALYを用いて行われる意思決定分析は、患者のQOLを反映する側面をもった効用分析としての意義をもっています。

 上記の図1では、誰もがA法を選ぶ筈ですが、ここにA法の効用値が0.5(手術してから健康状態が0.5)、B法の効用値が0.8であるとすれば、QALYはA法が8.0、B法が9.6となって治療法Bを選ぶほうがQALYは大きくなり、単に平均余命を用いた決定分析とは逆の結論となります。

 これらの概念や方法論を広く医学としてとらえるカテゴリーとしての証拠に基づく医学をEBMと呼びます。

{参考文献}臨床と薬物治療 1997.6

図1     略

治療法A〜成功率80%  

 成功すると平均余命20年
期待される平均余命 
    20×0.8=16年

治療法B〜成功率40%  

 成功すると平均余命30年
 期待される平均余命  
    30×0.4=12年


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リスクコミュニケーション

2011年5月1日号 No.543



 副作用などのリスクは、一般的に「人間の生命や経済活動にとって望ましくない事態が発生する可能性」のことです。

 患者さん(以下患者)に対しては、医薬品ベネフィット(利益→効果)とリスク(副作用)の両方の科学的"不確実性のバランス”について重要なコミュニケーションが必要です。

 一般的に、このようなリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、患者などの利害関係者(ステーキホルダー)の間で共有しあい、相互(双方向性)に意志疎通を図っていくことを「リスクコミュニケーション(リスコミ)」といいます。

 「リスクに関する情報を専門家内にとどめず、一般公衆を含む利害関係者間において共有し、消費者が健康や安全性などのリスクに関し独立した判断ができるように、知らせる必要のある情報を供給する為に意図されたコミュニケーション」と定義されます。

<情報の共有>

*共有決定(shared decision making)

 これからの医療では、情報提供に基づくインフォームドコンセント、さらに患者・家族と医療者が協力して意思決定を行う「共有決定」が重視される場面が増えていくと思われます。

*患者と医療者が共有するもの〜情報、責任、コミュニケーション

 可能な限り正確な数字に基づくリスク情報。

 その際にはリスクだけではなく、その治療の必要性やベネフィットの情報も含むべき。

 さらに治療を行わない場合や別の治療法を行う場合のリスクとベネフィットに関して利用可能な情報があれば共有し、それらを比較できれば望ましい。

 リスク情報のみを過度に強調することは。その治療法の必要性やベネフィット、その治療を行わない場合の別の治療法によるリスクの過小評価につながる。

 同じ数字情報であっても提示の仕方で受ける印象が影響される。

 95%の生存確率=5%の死亡確率
    (フレーミング効果)

<責任の共有>

 これまでの患者は、医療における様々な選択に対して際して、必ずしも自律的な意思決定ができていませんでしたが、共有決定の普及とともに、今後増えていくものと思われます。

 患者の自己決定の拡大は、社会から好意的に受け止められていますが、同時に患者の抱える葛藤や責任は重くなることも予想されます。また医療者側は、最終決定は患者が行ったとしても、全責任を患者に預けることはできません。

 一つの意思決定に患者と医療者がともに関わり、その責任を共有していくことは共有決定(shared decision making)の大切な要件です。

 コミュニケーションは 双方向性、交互作用(interactive) があり、動的すなわち時間とともに変化しうる特性を持っています。このようなコミュニケーションに際して医療者は患者に対し、価値観の尊重、葛藤への共感、そして必要な時間を待ち、現実のリスクを受け入れる理性的判断を支援すること等が求められます。

 チーム医療の連携づくり、個別の情報提供の負荷を減じる支援ツール(リーフレット、院内掲示など)の作成、共有などリスクコミュニケーション向上への取り組みは、医療環境をよりよいものとしていく活動と多くの部分で重なります。

 リスクコミュニケーションは個人から組織レベルで、医師、薬剤師、看護師をはじめとする医療者に、力を合わせて患者に寄り添っていくという原点の確認を求めているものといえます。

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 リスクコミュニケーションと情報の不確実性

 健康や医療に関するリスク情報は不確実な部分が多く、現実は灰色といえます。そのなかで可能なことは、そのリスク情報が白に近い灰色か、黒に近い灰色か注意して見極めることです。

 しかし、意思決定は「する・しない」に2つに1つで、灰色の情報から白黒の決定へとジャンプが求められます。

 個人レベルの医師決定を行うには、得られたリスク情報を読み解き、自分の価値観と利用可能な資源を勘案して判断を下すことになります。

 社会的な意思決定、政策決定では、多様な価値観を持つ人々の利害の調整が求められます。

 利害関係者の同定と、それぞれの間での情報の共有を起点として、様々な方向、次元のコミュニケーションを積み重ねて、集団レベルの総意を形成していくことが必要とされます。

<マスメディア記者の持つ8つのバイアス>

1)先入観バイアス〜ある特定の考え方を信じて疑わない先入観 (例)有機野菜は体に良い

2)物語バイアス〜記事を矛盾無く、わかりやすく構成したいという思いが高じて、都合の良いストリーにしてしまう。

3)決め付けバイアス〜悪か善か二元論で決めつけてしまおうとする。

4)警告主義バイアス〜ジャーナリストとして社会に何かを警告したいという意思が働く。

5)期待応答バイアス〜読者の喜びそうな記事を書きたい

6)コミットメントバイアス〜自分がこれまで書いてきた記事と矛盾する事実が仮に分かったとしても、記事の論調を変更したがらない。

7)「量」軽視バイアス〜量的な程度を無視して論を進めること。例えば副作用で5人死亡という記事は、何人が服用している薬なのか、世界中で何億人も服用している薬の5人であることもある。

8)自主規制バイアス〜期待応答バイアスの逆で、読者の反発を招きそうな記事を書くのを躊躇する。

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