無 駄 口 薬 理 学  


            総合目次

【読んで楽しい薬理学】
やさしい薬理学 薬の知識のない人が読んでもわかる“くすり”はなぜ効くのか?
やさしい薬理学自律神経編 交感神経と副交感神経の解説(図入り)
毒舌薬理学 かなり辛口。医療関係者向け、でも一般の人にも知ってほしい“くすり”の話
無駄口薬理学 ちょと専門的だけど、楽しく読める“くすり”の話
                     
【シリーズもの】  
みんな社会が悪いんや 花粉症、アトピーについていろんな角度から検討してみました
スライムとMRSA MRSAをドラクエのスライムに見たてて話が進みます。
HLA(日本人はユダヤ人?) 現代医学は、個の医学についてどこまで考えているのだろう?(漢方と現代医学)
レセプターとは 薬は受容体(レセプター)とくっつくことによりその作用を発揮します。
癌の薬物治療 癌治療についての、資料を集めてみました。
薬物情報提供を考える 情報提供、根拠に基づいた医学などについて考えてみました。
 

【付録】

医学・薬学用語辞典 最新の医学・薬学の用語を解説(医療関係者なら、これだけは知っておきたい用語集)
筆者について      
トピックス ニュース記事からおもしろそうなものを選びました。2012年7月13日更新
おくすり一口メモ(Q&A集)1 薬局への問い合わせ、薬のミニ知識など
おくすり一口メモ(Q&A集)2 最新の用語、誤飲などの知識
薬剤ニュース 昭和62年から発行しているDIニュース
相互リンク 医療が中心ですが、趣味、生活に役に立つサイトが豊富です。

 私の勤めている病院薬剤部では、昭和62年6月から医師、看護師向けに医薬品ニュースを毎月1日15日に発行しています。このページはそのニュースに連載したエッセイ風薬理学を収録したものです。

*医師、薬剤師、看護師さんにお勧めです。

*一般の人でも、分かるように書いているつもりですので読んでみてください。

 
 このページは、個人のホームページでいかなる団体・施設とは直接 関係ありま
   せん。
 
*ご利用にあたってのお願い
 
引用文献などで、著作権等の問題が生じる可能性もありますので、転記なさる場合などでは慎重にお願いします。
 

   [無駄口薬理学〜エッセー風薬理学]


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女性ホルモン

1992101日号No.116に掲載

「女心と秋の空」今まで晴れていたかと思うと、いつのもにか曇っている秋の空を女性の心理になぞらえたのでしょう。男性から見て女心は複雑で理解しにくいようです。そういえば「女は弱し、されど母は強し」と言うことわざもありましたね。(もう今では、ほとんど通用しないですけどね)

 女性の心理が複雑なのは、ホルモンがつあるためではないだろうか?筆者はまたまた思い付いて調べてみました。

 卵胞ホルモン(エストラジオール)は女性性器(卵巣以外)の発育の維持が主な作用でいわゆる発情状態をもたらします。一方、黄体ホルモン(プロゲステロン)は卵の着床、成長を促し妊娠状態を維持させます。筆者は勝手に卵胞ホルモンを“女”に成るためのホルモンで、黄体ホルモンを“母”に成るためのホルモンと思い込む事にしました。

 今流行のニューハーフの人たちが密かに注射しているのは、卵胞ホルモンの方で、決して黄体ホルモンではありません。

 黄体ホルモンは、止血剤(プレマリン注:2002年製造中止)や前立腺癌の治療薬として男性にも使用されます。

 男性がいつまで経っても、子供じみた馬鹿ことばかりしているのは、男性にはテストステロンしか分泌されない性でしょう。

「男心と秋の空」と言う場合は、単に男は浮気っぽいというだけのようです。


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1992年10月15日号 No.117 に掲載    関連項目 プラセボはオズの魔法使いなのかもご覧下さい。

プラセボ

 弘法大師が、頭をなぜてくださると、今まで寝たきりの病人が起き上がって歩いたそうです。聖書にもキリストが盲目人を見えるようにしたとか足の不自由な人を立てるようにしたと書かれています。不信心なものは「見たんか〜?」といっこうに本気にする気配はありませんが、現代医学の立場から見ても、そういった奇跡は十分に起こり得ます。

 と言うのも、医学の出発点は、呪術、お祓い、シャーマニズム(神憑かりの巫女)といったようなものだったからです。中世のヨーロッパでもロイヤルタッチということが行われていました。これは、その国の王様が一般の人々を触ってあげることで、王様に触ってもらえた病人は、たちどころに良くなると信じられていたからなのです。

 この不思議な現象を説明するのに適当な言葉は”プラセボ効果”でしょう。プラセボとはラテン語で慰めるの意味ですが、現在では”偽薬”と思ってもらっても良いでしょう。例えば、ベンザリン錠のプラセボなどが当院でも置いてあります。これは形は全く本物とそっくりですが薬効はありません。それでも不眠症の人には良く効きます。水虫から火傷を含めてどんな病気でも約30%の人がプラセボで症状が改善します。もともと動物には自然治癒力が有りますし、人間の場合これに心理効果がプラスされるわけです。

 ですからプラセボが効果を現すためには、心理的に影響力を持つ概念が必要となってきます。弘法大師、キリストそれに王様、こういった権威に昔の人は素直に恐れ入ったのでしょう。現代では、医師、叉は医療に対する信頼感がそれにかわり得ると思われます。

[附記]

筆者もまさか癌まではプラセボでは治るまいと思っていましたが、先日テレビで癌患者のイメージトレーニングなるものを紹介していました。

癌細胞が、薬によって攻撃されるシーンを頭の中でイメージすることにより薬の効き目が格段に良くなるそうです。

「信ずる者は救われる」というのは嘘ではないようです。

{後記}プラセボはオズの魔法使いなのかもご覧下さい

   サイコオンコロジー(薬剤ニュースNo.191)、または癌と性格に関連事項掲載


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日和見感染症

1992年12月15日号(やさしい薬理学シリーズ)

 筆者の住んでいるマンションからは天王山が見える。羽柴秀吉と明智光秀が戦った場所である。以来、勝負の分かれ目のことを”天王山”というようになった。しかし、今ここで話題にしたいのは、洞が峠の方である。

 今回は歴史小説ふうにしてみました。「洞が峠を決め込む」という言葉が有って、辞書では「日和見」と同義となっています。筒井順慶が山崎の合戦の際、洞が峠で秀吉、光秀のいずれが勝つか見極めていたことからきた言葉です。

 元来、日和見というのは漁師が山の上から天気を見て、船を出すか出さないかを判断するということです。今では相手の態度によって自分の去就をきめるという意味になっています。

「日和見感染症」健康な人では害はないのに、体の弱った人では病原性を現す感染症の事をいいます。つまり人の弱みにつけこむ卑怯な奴というわけです。以前では、緑膿菌が、その代表でしたが、いまではMRSAがすっかり日和見感染症の主役になってしまったようです。

 MRSAは健康な人にとってはただのブドウ球菌で怖くもなんとも有りませんが、体力の落ちている人(易感染者)ではエイズに負けないくらい恐ろしい菌です。

 筒井順慶は実際には山崎の合戦の時には洞が峠にはいなかったというのが定説で、MRSAと同等の卑怯者にされて迷惑がっているかもしれない。いずれにせよ我々医療に携わるものとしてはMRSAの存在は深刻で、いかにこれを防ぎうるか考える限りの努力をなさねばならない。今が天王山である。

1998年後記:この頃、今はなき司馬遼太郎に入れ込んでいたんです。淀川の見えるマンションも引っ越してしまいました。



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投与と与薬

1992年1月15日号 (100号記号念)右ページ

 1年くらい前から、この薬剤ニュースでは、「投与」という表記をやめて「与薬」と書き換えています。

厚生省の発行する文書やメーカーの資料、添付文書、それに新聞などでも未だに「患者に投与した場合、、、、」などと書かれています。

看護学校の教科書などでは、ずいぶん前から「与薬」が用いられています。

患者中心の医療が叫ばれる中、これで良いのでしょうか?

「投与」とは“投げ与える”とういうことで、何も患者さんに薬を投げるなどとは、かなり失礼なことです。

 用語(言葉)は、きわめて大切です。用語は行動を規定するとも言います。

 知らず知らずのうちに私たちは(医療従事者)患者さんを見下していたのではないでしょうか?

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 この文に関し、メールでご批判を頂きました。

 その要点は、「投薬」の「投」は「捧げる」という意味で、「投身自殺」という言葉の「投」も神様に身(身体)を捧げる、という意味からきたものです。つまり「薬」を患者「様」!?に捧げる、という意味です。先人は、ちゃんと言葉の意味をふまえて「投与」「投薬」という言葉をつかっていたのです。

 「与薬」という言葉の方は、なんの根拠もなく、うやむやのうちに使い始められたものでむしろこちらの方が、失礼になるのではないか。

 といった内容で、私の考えの浅さを思い知らされました。この文で私が言いたかったのは、「患者中心の医療」を先ず言葉からでも正して行こうとする気持ちがあったからです。今でもその気持ちは大切にしたいと思っていますので、この文は削除しません。

 なお、医療機関で患者さんを「患者様」と呼ぶ傾向が最近になって現れており、私の勤務する病院でもお薬をお渡しするとき、○○様と呼ぶようにと上の方からいわれているのですが、そのことには私は疑問を持っています。  

 そのことをこのメールを下さった方に質問してみると下記のようなご丁寧な返事を頂きましたので、その方の許可を得て掲載いたします。

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 初めて診察を受けた新患の方は「様」でも良いのかもしれませんが、再来患者さんで何度も通院している方に「様」呼ばわりはないだろう、と思います。

 ある随筆家(誰でも知っている有名な方)が病院で「○○様」と呼ばれて気分を害した、ということを書いています。前回までは「○○さん」と呼ばれていたのに、ある日受診したら「○○様」にかわっていたのです。彼の表現を借りるなら「慇懃無礼」で「板についていない」「気持ちがこもっていない」というのです。「みんな顔見知りではないか」ということです。聞くとその病院では、銀行の接客指導責任者を呼んで講演会を開き、その話を聞いた病院の事務長が一律に変えたのだそうです。

 事務の窓口担当者が銀行の窓口と同じように「様」と呼ばせようとするのは多少理解できないわけではありませんが、外来・検査室・薬局で患者さんを呼ぶ時は、その心理的距離感は事務の方よりは遥かに近いわけですから「さん」で宜しいと思います。少なくとも私が患者の立場であれば顔見知りの看護婦から「○○様」などとは呼んで欲しくありません。薬局の場合も服薬指導などを通じて顔見知りであれば「様」は失礼でしょう。
 患者さん一人一人を個人識別できない若い未熟な事務窓口の女性(職場の花)がはるかに年齢が上(祖父・祖母以上)の受診者を呼ぶ時の尊称ぐらいに考えておきましょう。

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“患者様”は”お客様(=営利目的)”に通ず


 ”患者様”との様づけの呼称が気になっている。あくまで患者中心の医療の徹底という気持ちの発露であろうことは理解できるにしても、”患者様”は”お客様”にも通ずるということを知っておく必要があろう。(お客様は金儲けの対象)

 病院内で”患者様へ”との見出しで、院内における患者への要望事項(注意事項)を記した張り紙を目にすることがあったが、このような場合の”患者様”なる呼称には、別に不自然さを感じるようなことはない。しかし、これが通常の話し言葉や、あるいはものごとが客観的に論じられなくてはならない議論の場でのこととなると、様相を異にしてくる。

 かつての”医師中心”の独善的医療から患者中心の医療の時代になったことは誠に喜ばしいことではあるが、患者様ということにまでなってくれば、何もそこまでへりくだることはないだろうにとの思いである。また、医療担当者が卑屈になってしまうことで、医療そのものに歪みを生じることもありはしないかと怖れるものでもある。

 
 一方、このところ医療関係者の間では、”患者さん”と”さん”付けにすることが、学会などでもかなり一般的になってきている。この場合でも客観的な議論の次元においては、別に患者を”さん”付けにする必要はなく、患者さんそのものの呼称でもよいのではあるが、それでも”さん”付の場合は通常の人間同士の呼称であり、またその分だけ、より患者への親しみと人権尊重の気持ちも込められていることが聞くものに伝わってくることでもある。しかし、”患者様”とまでとなると、これはどうしても頂けない。

 もとより”患者様”の呼称の、それを口にするものにとっては、あくまで患者中心の医療の徹底という純粋な気持ちの発露であろうことは理解できるにしても、”患者様”は”お客様”にも通ずることを知っておく必要があろう。これもいってみれば、患者が”お客様”であるということが医学医療という性格上、営利に関わる製薬企業関係者ならずとも、無神経な言葉の使い方からは、どのような誤解が生じるかも知れないということである。

{参考文献}医薬ジャーナル 1999.2   医薬ジャーナル編集長 沼田 稔

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* 2002年4月追記

 日本病院薬剤師会雑誌 2002.4に掲載の「論文の書き方」(廣谷速人 島根医科大学名誉教授)には、「投薬」をやめて「与薬」とすると書かれていました。

* 2002年6月追加〜他の方から下記のようなメールを頂きました。

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 「投与と与薬」を興味を持って読ませていただきました。
 実は、小生も「投与」という言葉に疑問を持って辞書を調べたことありますが、手元にあったほとんどの辞書にはいずれも、「薬を与えること」と説明してありました。つまり、投与するものは必ず薬であって、「着物を投与する。」といった使い方はしません。
 ところが大辞林には、(1)薬を患者に与えること。の他に(2)投げ与えること。とあって、文例として「乞食に銭を投与し/学問ノススメ(諭吉)」が紹介してあります。従って少なくとも明治のころ「投与」の言葉には、目上の者が目下の者に投げ与える、といった語感が含まれていたと思われます。

 投薬には「本来は高貴な方にしか差し上げない非常に高価で貴重な薬を、庶民にも恵んでやる。」といった発想が根底にあったのかも知れません。


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No.100

1992年1月15日号

漢字に学ぶ漢方の心

===薬剤ニュース100号記念特別企画===

 薬剤ニュースもこの号で100号に達する事ができました。これも一重に皆様方のご指導、激励の賜物であると存じております。さて、常々は、最新の医薬品ニュースをお届けしていますが、今回は趣向を変え、温故知新ということで、漢方の心を探ってみたいと思います。

 漢方では、「四診」といって、「問診」の他にもあと3つ診断の基準があります。即ち、「聞診」、「切診」、「望診」です。

 「聞診」とは、患者から出る音の全てを診断の基準にします。患者の息遣い、腹の中で鳴る音、更には足音なども参考にします。漢方の名医は患者の足音を聞いただけでその患者の健康状態や性格を見抜いたそうです。

 「切診」の“切”とは切ることではなく、“接触”すること、つまり患者さんに直接手で触れる事を意味します。(切も接もセツと発音します。「親切」の意味も親を切るのではなく、他人であっても親のように接すると言う意味です。)

 治療の事を「手当て」と言うのも、実際に治療するものが、患者さんに直接手を触れたことから来ています。

 「望診」の“望”とは、遠くから見る事を意味します。遠くから患者を見ると患者の全体像が見えます。言い換えれば患者をマクロ的にとらえるということで、このことは現代医療がミクロ的(細胞レベル)に偏重してしてきているのと好対照と成っています。

“木を見て森を見ず”という言葉があるように、ややもすると現代医学は患者の病巣部にのみ気を取られて、患者の全体像(まるごとの生体)を見過ごしてしまいかねません。医学とは、“病気”を治すのではなく、“病人”を治すのが目的であるべきで、漢方の「望」意味するところを考えてみると非常に奥行きのある言葉であると思います。

「看護」の“看”の字も「目」の上に「手」をかざすと言う意味です。これも我々が遠くを見る時の仕種です。

 患者さんをヒトではなく「人」として全部を見る事の大切さをこれらの漢字は、今、現代医学の進歩に引きずり回されている私たちに教えてくれるような気がします。


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藍より青く〜サルファ剤

1993年9月1日号掲載

(やさしい薬理学シリーズ)

 忍者の七つ道具の中に真っ青な布があります。なぜ青かというと、忍者は水を飲む時一旦、この布で濾してから飲むのです。昔から青い染料には中毒を防ぐ力がある事が知られていたのです。

 西洋では20世紀の始めにエールリッヒがアゾ色素を使用して化学療法の概念を打ち立て、更にドマークもよって最初のサルファ剤プロトンジルが作り出されました。

 その後、スルファニルアミド、スルフィソキサゾール、PASなど次々に抗菌力の強いサルファ剤が開発されていきました。しかし、、、

 世界は抗生物質の時代に成ってしまったのです。ペニシリンやセファロスポリンが発見(発明ではない)されるやあっという間にサルファ剤を医療の片隅に追いやってしまいました。抗生物質とはカビなどの微生物が作り出す抗菌性の物質のことで、化学療法剤とは化学式をあれやこれやいじって人間が作り出した薬品です。いわば人間の知恵の方がが天然カビに負けてしまったのです。

 私が今の薬剤部に入った15年くらい前(執筆当時:S53年)では、サルファ剤はけっこう使用されていましたが、今ではかろうじてバクタ細粒が残っているくらいです。この薬品も抗生物質で効果の無い時のみに使用が認められています。

 サルファ剤がすたれた理由は、色々有りますが、小児、特に新生児でメトヘモグロビン血症とか溶血性貧血などの副作用があるからでしょう。(本当のところサルファ剤は抗生物質に比べて値段が安すぎるからではと私は思っています。つまり儲からないことが最大の原因です。

 で、サルファ剤は過去の薬品となってしまいましたが、サルファ剤の仲間は今でもがんばっています。というのもサルファ剤の構造式をいじくっているうちに抗菌力が無い代りに全く新しい作用が現れてきたからです。思い付くままに挙げてみますと、経口血糖降下剤(ダオニール錠等)、炭酸脱水酵素阻害剤(ダイアモックス錠)、利尿剤(フルイトラン等)、、、

 そして染料の方では、ピオクタニン(別名ゲンチアナバイオレット、塩化メチルロザリニン)がまだ現役です。そう、白衣や手につくと真っ青になってなかなか色が落ちない液体です。このピオクタニンにも抗菌作用があります。


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精神分裂病とパーキンソン病は表裏一体?!

1992年4月15日号(No.106)に掲載:やさしい薬理学シリーズ

(2003年追記)精神分裂病から統合失調症へ

 精神分裂病の概念は、約100年前に早発生痴呆として、重症・慢性進行性、予後不良をその特徴として強調したのに始まります。その後、必ずしも予後不良でなく、特異的な精神症状を示すことから、「精神分裂病」(日本では1930年代より)と命名されましたが、「精神が分裂する病」とも受けとられることから、社会の誤解や偏見が増し、患者の社会復帰に支障を来す事態となってしまいました。

 患者や家族の要望と精神科医側の認識が一致した結果、日本精神神経学会では、精神医科へのアンケート調査や一般からの疾患名公募などの活動を通して検討し、2002年8月の学会総会で「統合失調症」との新呼称に変更することになりました。

 出典:臨床と薬物治療 2002.2

 精神科の疾患と言えば、いまだに社会的に偏見を持たれているのが現状のようです。しかし、精神病も他の病気と同じで、例えば糖尿病ではインスリンの分泌に異常があるように、脳の中の伝達物質(脳内カテコールアミン)の分泌がほんの少し多いか少ないかだけの事なのです。具体的には、アセチルコリンとドパミンが問題とされています。

 したがって精神病の多くは、薬が不可欠で、実際良く効くのです。パーキンソン病は、患者さんのからだの動きがぎくしゃくする病気で精神病と言ったらお叱りを受けてしまいますが、この病気も脳内アセチルコリンとドパミンの量のアンバランスによるものです。この病気では、大脳基底核に含まれているドパミンが異常に減少しています。そのため治療薬としては、アセチルコリンを抑えるための抗コリン剤、そしてドパミンを増すためのドパミン製剤を用います。

 精神分裂病は、被害妄想、幻覚、幻聴など独特の自我意識障害を呈する病気で、放置すれば次第に感情が平板化し、人格荒廃にまで至ってしまう疾患です。この疾患は中脳辺縁系と中脳皮質系のドパミン活性が過剰な状態に成った時に発症するとされています。従って治療薬は、ドパミン受容体遮断剤が中心になっています。コントミンやセレネースなどがその代表ですが、これらの副作用はパーキンソン症候群なのです。このことによって、パーキンソン病と精神分裂病が裏表(うらおもて)の疾患である事が分かります。

 それじゃあ、ひょっとしてパーキンソン病に使うドパミン製剤(レボドパ等)の副作用は精神分裂病なのでは?とここまで書いた今、思い付きました。確かめてみると、ちゃんと「まれに精神錯乱、幻覚」と副作用の欄に記載されています。

 その他にもこういったパーキンソン症候群の治療薬であるドパミン製剤には、ジスキネジア(舌や唇をモグモグさせるといった変わった副作用もあります。)

図:大脳基底核でのドパミンとアセチルコリンのバランス(略)


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パーシャルアゴニスト〜偽札考

1993年6月15日号 No.131に掲載

(原題はパーシャルアンタゴニスト。パーシャルアゴニストとパーシャルアンタゴニストは全く同じ意味だと思うので、わざとこうしました。)

 巷では、ニセ1万円札事件の話題で賑わっていますが、その昔、旧日本陸軍は意図的に偽の中国紙幣を大量に印刷して、中国経済の混乱を図っていたそうです。

 しかし日本軍の作った偽札は良くで来ていた上に、戦乱により中国の紙幣印刷量が低下していたため、偽札は本物として通用し何の混乱も無かったとのことです。(何分にも極秘事項のため真偽のほどは定かでない。)

 ところで我々が使っている「薬」は偽札みたいなものなのです。例えばペンタジンとかレペタンですが、これらの薬品は元々モルヒネの拮抗薬として開発されたものなのです。拮抗薬とは本来の物質(この場合はモルヒネ)のレセプターにくっつく能力だけを持った物質の事です、つまり偽のモルヒネといえます。

 この偽のモルヒネ(ペンタジン、レペタン)の場合も良くで来ていたためモルヒネと同じような作用(鎮痛作用)を持ってしまったというわけです。但し偽物はやはり偽物で100%本物と同じではありません。何割か効力が低下しているのです。

 このように本物の何割かしか効力を発揮しない薬は、言い換えれば何割か本物の作用を阻害している事にもなります。同じレセプターにくっつくのですから、偽物がくっつけば本物のくっつく場所(レセプター)が減ります。これらの事をパーシャルアンタゴニスト(部分拮抗薬)と呼ぶのです。

 他の例では、β遮断剤などでISA(内因性交感神経刺激作用)を持つものがあります。これは交感神経を遮断する薬ですが、本当は弱く刺激しているのだと理解して下さい(パーシャルアゴニスト)。本物(この場合はノルアドレナリン)より作用が弱いので結果的には遮断している事に成るのです。

 モルヒネとペンタジン、レペタンを併用しても鎮痛効果は増すどころか減弱してしまう筈です。元々これらはモルヒネの拮抗薬であったのですから当然でしょう。旧日本陸軍の失敗は敵情を良く知らなかったためといわれていますが、私たちも薬の本質について知っておく必要があります。


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ある夜の出来事

 本当にあった怖い話

1993年4月1日号(No.127)に掲載

 もう15年以上前の話です。まだ新人だった私は不安な思いで当直していました。多分当直はまだ2回目か3回目だったと思います。私は重い医薬品要覧を抱きかかえて当直室に向かいました。

 真夜中の3時ころに外来処方箋が回ってきました。「ズファジラン3錠 分3」簡単な処方です。しかし当時ズファジランは採用されていなかったのです。電話で照会すると「同効薬でかまわない」とのことでした。待っていましたとばかりに私は大きな医薬品要覧を開きました。

 ズファジラン(イソクスプリン:脳・末梢決行改善剤)、そして同効薬としてヘクサニシット、ユークリダン、バスクラート等が記載されています。その中で当院で採用されているのは“カピラン”だけでした。で、私はカピランを出そうとしたのです!!

 これがどれだけ怖い話しか分かった人は、もう後は読む必要はありません。ただ付け加えておきますと、私はカピランは出しませんでした。少し考えると夜中の三時に末梢血行改善剤が救急で出るはずがないことに気づいたのです。

 その患者さんは婦人科でした。婦人科で救急といえば大抵お産でしょう。そこでもう一度医薬品要覧を読み直してみました。果たしてズファジランには切迫流・早産等の適応がありますが、カピランには一切そんな記載はありません。

 このとき当院で採用していたのは“エデレル(塩酸ピペリドレート)”でした。そしてこの薬は、医薬品要覧ではコリン遮断薬として分類されているのです。

 この薬を院内医薬品集から見つけ出すのにかなり時間がかかりました。

 患者さんをだいぶ長く待たせて迷惑をかけましたが、もう少しで全く違う薬を飲まされるところだったのです。もし、カピランを渡して後で、患者さんが流産してまったら、、、と考えると今でも背筋がぞっとします。


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抗コンフリクト作用 

No.128(1993415日号)に掲載

 まずネズミを図(略)のようなカゴに入れます。その中で、スイッチを押すと餌さが出てくることを教えます。次にブザーが鳴る時期は餌は食べられますが足元から電撃がくることを学習させます。つまりブザーが鳴っている間は、餌を食べたくても我慢しなくてはいけないのです。しかし、ネズミはものすごくお腹が空いてきました。もし歌舞伎を知っているのなら、このネズミはここで大見得をきるかもしれません。「めしは食いたし、命は惜しし、、、」

 この状態のことを葛藤(かっとう:conflict)と呼びます。この時ネズミにベンゾジアゼピン系薬剤を飲ませておくと、ネズミはブザーがなっている時でもスイッチを押して餌を出すようになります。これが抗コンフリクト作用です。

 抗コンフリクト作用が現れると動物(人間も含む)は、“ものおじしない”“負けん気”を示す行動をとるようになります。ところが更に用量を増やしますと抗葛藤作用は低下していきます。これは自発運動も抑制されてくるためだと考えられています。つまり動くのが面倒になってくるのです。

 それってもしかして・・・・?ここまで書いてきて筆者には思い当たることがあります。酒を飲んだ時とおなじではないのだろうか?筆者も時々酒を飲んで怖いもの知らずとなり、大暴れし、挙げ句の果てに所かまわず寝てしまうのです。


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「ダブルブラインドテスト」〜科学的と言うこと

この記事は、No.146 1994年2月15日号に掲載しました。

(やさしい薬理学シリーズ)

 私の知り合いで、ピラミッドパワーを信じている人がいます。曰く「俺はかみそりの刃を買ったことが無いんだ。ピラミッドの形をした容器に入れておくといつまで経っても切れ味が落ちないんだ」

 私はこの話を聞いて即座に“眉唾だ”と思いました。なぜなら私も滅多にかみそりの刃を換えないからです。但し私の場合は単にずぼらなだけですが。つまり剃刀の刃というのは結構長持ちするものなのです、そして切れ味という要素には多分に主観の入り込み余地があるのです。

 もし、ピラミッドパワーを科学的に実証しようとするならば、かみそりの刃を2枚用意し、一方をピラミッドのケースに入れ、もう一方は入れないで他は全く同じ条件で使用して比較しなくてはいけません。しかもどちらがピラミッドのケースに入っていたかは、知っていてはならないのです。この方法で、一定の期間(長ければ長い程よい)試してみればよいのです。それも最低100人くらいでやってみて統計を取らないと科学的なデータとは言えないのです。

 この方法をダブルブラインドテスト(二重盲検法)と呼んでいます。この方法は薬が実際に効くかどうか判定(実証)するときに用いられます。即ち、試す薬を飲んでもらう患者さんグループと、それに似た薬を飲んでもらう患者さんグループに分けてどちらがよく効くかを統計的に見るの実験のことです。

 何を飲んでいるのか分からないことからブラインドテスト(目隠し試験)と呼びますが、ダブルの意味はその薬を飲ませる側(医師)にも分からないようにしなくてはならないからです。科学的と言うことは、主観が少しでも入ることを排除することなのです。主観が入ると心理効果(プラセボ効果)が混入する恐れがあります。かみそりの刃の場合でも使用頻度と個人差を考慮する必要があります。私の場合は使用頻度は毎日ですし、ひげも濃い方だと思います。それが長く使えると言うことは、私の面の皮は厚いと言うことになるか・・・!

1998年追記:最近はEBMとかいうことが叫ばれています。曰く、ダブルブラインドも科学的でないとか、エビデンス(証拠)、バイアス(誤差)についてはシリーズで詳しく解説しています。


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【対症療法とクオリティオブライフ】

1993年10月15日号<<やさしい薬理学>>

何らかの理由で毒物を飲んでしまった時の救急処置を考えてみましょう。

 一般的には吐かせたり、下剤を飲ませたりして、とりあえず毒物を体の外へ出す処置をし、毛布で体を包むなど保温をした後、治療に移ります。

 私たちが風邪をひいた時、吐き気がしたり、下痢をしたり、また鼻水が出て、熱も出ますが、これは今書いた毒物を飲んだ時の救急処置と全く同じです。つまり、嘔吐、下痢、発熱などは生体の防御反応なのです。鼻水も鼻の中にあるウイルスや菌を追い出しているのです。

 ですから、むやみにこれらの症状を薬物で抑えてしまうのは問題があります。対症療法よりも、原因療法をといわれる所以です。

 ところで最近“Quality of Life”という言葉を良く耳にします。いわゆる患者中心の医療ということで、患者の苦痛を少しでも軽減するようにするという趣旨でしょう。例えば癌治療でも、抗癌剤を使っての原因療法と同等の重要さでモルヒネによる鎮痛が検討されるようになってきました。

 病人といえども、健康な人と同じように人生を楽しみたい。Quality of Lifeとは患者の率直な要求です。医療は当然それに答えるべきです。ただここで一番重要なことは、Quality of Lifeが単なる対症療法であってはならないことです。

 薬物による対症療法は、運動、食事、その他の養生療法と違って、患者みずからが努力をしようとはしません。また症状が無くなると通院しなくなったり原因療法に関心を持たない患者さんもいます。

小児科で解熱剤を出すのは、母親を安心させるためと言い切る医師もいます。

 対象療法はあくまでも“その場しのぎ”であることを患者さんに知らせる努力も必要でしょう。


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1994年10月1日号

     「私の作文技法2」     〜ときに、まれに、副詞なし〜         

 胸のすくような文章とは、こういうものをいうのだ。山本夏彦氏のエッセイを読んで思った。

 山本氏の文章は必ず<である>で終わる。であろう、ではあるまいか、と思う、といった曖昧な表現はこれを厳しく退けるのである。

「良心的という言葉は良心そのものではないが、良心に似たもの、近いものというほどの意味に使われている。良心と言いきるには勇気がいる、また恥ずかしい。だから良心的とだれが言い出したか知らないが、うまいことを言ったもので、たちまち世間に歓迎され流行するにいたった。〜中略〜

 良心的とは良心に似て非なるもの、良心に近いようで遠いもの、良心のにせもの、良心だと思いこんでいるもの、というほどのことである。〜中略〜

 客が来ても辞儀をしない社員がたいていの会社にいる。なじると、尊敬できるか否か分からぬ客にはできぬと答える。なお追求するとその根底に良心的があることが分かる。あるのが良心に似たものなら大威張りである。結局正義は自分の頭上にあって、改めるには及ばないことになる」

 以上無断で掲載させてもらったが、筆者のだらだらした文章とは、雲泥の差がある。ただ言い訳さしてもらうなら、筆者の文章は医師や看護婦さんなど自分よりも、知識も経験も豊富な方々を対象に書いている。しかも教科書には載っていないことを思いつきで書いていることが多いのでどうしても<ではないのでしょうか>とか<と思っています>とか歯切れの悪い文章になってしまうのである。

 以上は余談である。医学は科学の世界であるから文学以上に曖昧なことはゆるされない。

 薬の副作用などで<ときに>とか<まれに>とか表現されているが、あれは文学的な表記ではないのである。

 「まれに」とは、0,1%未満 (千人に一人)

 「ときに」とは、0,1〜5%未満(百人に5人以下)

 「副詞なし」は、5%以上または頻度不明のことである。(〃副詞なし〃とは、いきなり、嘔吐があらわれる。とか、脱毛が報告されているとか、<ときに>や<まれに>という副詞がついていない場合のことである。)

 医薬品の添付文書というのは、決して良心で書かれているのではない。極端なことを言えば製薬会社が責任逃れで書いているのである。

 使用上の注意に、〇〇の患者には慎重に投与することなどと記載されている場合、その薬を使用して何らかの副作用が患者さんに発現した場合、責任は使用した医師及び医療機関にあるのである。何故なら製薬会社は、ちゃんと文書で警告をしてしまっているからである。

 最近の添付文書はやたらこまごまとした注意や副作用が記載されているが、それが良心からだと誤解したら大変なことになってしまう。いまこそ良心的という意味を噛み締めてもう一度添付文書を読み直す必要がある。

2000年後記

1999年12月以降 副作用は%で表記するように厚生省から指導があり、現在は%表記になっています。


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シビリアンコントロールと免疫

〜最後の海軍大将井上成美

1993年12月1日号(No.142)に掲載

 ちょうど1年くらい前、反戦大将といわれた井上成美を題材にしたテレビドラマ(中井貴一がやっていた)がありました。彼は戦後、記者の質問に答えて次のようなことを言っています。「軍隊に必要なのは、シビリアンコントロールである」

 シビリアンコントロールつまり“市民の管理”さえしっかりしていれば、あのような悲惨な戦争になるはずはなかったと言うのです。最近免疫学の本を読んでいて、この井上成美の言葉の意味が分かってきたのです。

 免疫細胞と呼ばれるものにはT細胞とB細胞があります。T細胞の方がエリートで兵学校に入ります。この兵学校とは「胸腺」のことです。その学校を卒業したT細胞は、将校の階級章を貰います。この階級章がCD(cluster of differention)といいます。とりあえず全員がCD3を貰います。このCDにはTcR(T細胞レセプター)というアンテナがついています。

 その他にもT細胞はCD番号を貰っていて、CD8を持っているのがキラーT細胞、これは機動部隊の隊長です。CD4を持っているのはヘルパーT細胞と呼ばれています。これはB細胞連合艦隊司令長官といったところです。B細胞は胸腺という兵学校を出ていませんが、抗体という有効な武器を作ることが出来る戦士です。しかしこのB細胞は、T細胞(ヘルパーT)の命令がない限り勝手に抗体を作ったりしません。

 そしてここが肝心な点なのですが、T細胞自身は、自分で敵(攻撃の対象:抗原)を見つけることができないのです。敵(抗原)を見つけるのはB細胞やマクロファージなどです。彼らは発見した敵に印(HLA抗原の提示)を付けます。その印をT細胞はCD3に付いているTcRで感知するのです。そしてT細胞が指令(インターロイキン)を出して初めてB細胞が抗体を作ります。

 太平洋戦争が始まったきっかけは、一部の士官学校を出たての青年将校の暴走とそれを抑制できなかった幹部将校に責任があります。免疫の世界ではT細胞が暴走しないようにな仕組みになっています。自分の勝手な判断ではなく、他からの助言によってでないと指令を出すことが出来ない!これが井上が言うところのシビリアンコントロールではないでしょうか。

 キラーT細胞と同じCD8を持ちながら、B細胞に抗体を作るのを中止させる働きを持つT細胞をサプレッサーT細胞と呼んでいます。井上成美は、太平洋戦争の途中から海軍兵学校の校長をしていました。彼はその職が非常に気に入っていたのですが、終戦を画策する当時の海軍大臣米内(よない)光政によって中央に呼び戻され、戦争の終結に向けて大変な努力をしました米内光政と井上成美はサプレッサーT細胞の役割を果たしたのです。


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陸の戦い

1993年12月15日号(No.143)に掲載

 前回(No.142)で免疫の話をしましたが、兵学校とか連合艦隊とか海軍のことばかり書いていましたが、これは免疫が血管内での起こるからです。血液は海水に似ているのです。

 人の体内に侵入してくる異物が小さなものであれば、酸化還元・抱合反応といった、いわゆる解毒機構が働き、生態に影響を与えにくく(毒性を弱く)、かつ排泄されやすい代謝物にしてしまいますが、この反応で処理しきれない物質に対しては「炎症」と言う反応が始まります。

 「炎症」とは生体に有害な刺激(侵襲)に対する組織レベルでの防御戦で、免疫とはまた違った防御システムです。

第1期:血管拡張と血管透過性の亢進〜白血球が血管から組織へ出やすくなる。

第2期:炎症部分に存在する細静脈壁への白血球粘着および炎症部分への遊走

第3期:種々の細胞浸潤と線維芽細胞の増殖から肉芽形成、結合組織、血管の新生

 免疫の場合ではT細胞やB細胞間の連絡網をはっていたのは、インターロイキン(サイトカイン)でしたが、炎症の場合はヒスタミン、ブラジキニン、セロトニン、プロスタグランジンといったいわゆるオータコイド(ケミカルメディエーター)です。これらの物質は、戦時中の非常事態宣言みたいなものです。プロスタグランジンひとつを取ってみても、呼吸器、循環器、血管系、消化器、、、、などなどと非常に多岐な生理作用を持っていて、まさに国家総動員と言った観があります。さしずめ痛みは警戒警報です。

 毛細血管から炎症部分へ遊走した白血球は(大食細胞)は、兵隊(歩兵)で侵入してきた敵(抗原)と戦います。膿(うみ)はこの兵士たちの死骸です。海軍に比べて陸軍の戦いが悲惨な気がするのは、戦いが肉眼で見て取れるからでしょう。


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FBI効果〜血液型性格判断の嘘

エイプリルフール特別企画  1995年4月1日号(No,173)

 嘘にも色々有りまして、エイプリルフールなんてえのは、ご愛敬でございます。こういうのは罪が軽いというか、生活にリズムを付ける好ましい嘘です。こういう発想はやはり外国のもので、日本では思いもつかぬ事です。

 日本独自の嘘といえば例の血液型による性格判断がありますが、心理学者の詫摩武俊氏によりますと「日本文化の貧困をあらわす、国辱的な」発想なのだそうです。

 少し考えれば、性格というものはそんなに簡単に分類できる筈はないのに、多くのの日本人がこの血液型による性格判断を信じてしまったのは、あまりにもこれが簡単で分かりやすかったからでしょう。

 これは「FBI効果」で説明可能です。FBIといってもアメリカ連邦捜査局のことではありません。

F〜フリーサイズ:誰にでも着れるシャツのように誰にでも当てはまる事項

B〜ラベリング:ラベルを貼ってしまう。一旦レッテルによって世間に通用してしまうとそれが常識となる。「思い込み効果」

I〜インプリンティング効果(刷り込み効果):ラベルが心の中に刷り込まれると、その誤の行動に暗示を及ぼす効果

 どんな人でも様々な相反する性格を併せ持っています。また時と場合によっても異なります。おっとりとした人でも、イライラする時があります。仕事では厳格な人でも家に帰ればずぼらなおとうさんかもしれません。ですからどんな性格だといわれても誰もが納得する可能性があります。これがフリーサイズ効果です。

 あの人はあんな人だ、こういう人だとの評価が定着してしまうと何故か安心します。人を評価するのはとても難しい事です。A型の人はこう、B型の人はこうとラベルを貼ったら楽だし、とても安心できます。 

 一旦あの人はああいう人だとの評判が定着してしまうと、その人がその性格と異なった行動をとっても、もはやそんな事は眼に入らなくなってしまいます。これがインプリンティング効果です。

こういう嘘は、一見科学的に見えるだけに相当悪質です。

まだ血液型性格判断を信じているあなたに一言

ABO物質はBBB(血液-脳関門)によって性格を決定する脳細胞中には到達できないのですよ!!〜これはウソでは有りません。


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 <やさしい薬理学シリーズ>

   「君、臣、佐、使」   〜〜漢方と薬物相互作用〜〜                                      

 薬物相互作用というと何だか、新しい話題のように感じる方もいらっしゃらかもしれませんが、漢方つまり中国においては、二千年以上も前から知られていた事柄なのです。

 それも、相加、相乗、相使、相須、相悪、相反、相殺などというように現代薬学よりもきめ細かい分類となっています。                  

 例をあげてみますと、麻黄単独では発汗作用が認められていますが、下記のように組み合わせる薬物によって、効果が様々に変化することが知られています。

麻黄+桂皮=発汗(相加作用)、麻黄+桂皮+石膏=発汗(相乗作用)

麻黄+石膏=止汗(相反)、麻黄+朮=利尿(相須)、麻黄+杏仁=鎮咳(相使)

 現代薬学だと、βブロッカ−と気管支拡張剤(相殺)、ワ−ファリンとアスピリン(相畏)、ミノマイシンとカマグ(相悪)といったところでしょうか。   

 さらに漢方の優れているところは、これらの相互作用を知った上で処方に応用していることです。小柴胡湯とか半夏厚朴湯とかいった処方は、様々な生薬を絶妙の組合せで配合してあるのです。”君、臣、佐、使”とは漢方の処方の組み立て方です。

 君は君主、臣は大臣、佐は補佐官、使は小使さんと思っていただければいいでしょう。

 一つの処方を国にみたてると、その処方を構成している一つ一つの薬の役割が、はっきりしてきます。無論、この方法は、現代医学にも応用できます。

[例1][例2] [例3]

[君]H2ブロッカ−   [君]  ジゴシン[君]抗生物質

[臣]胃粘膜保護剤    [臣]  Ca拮抗剤[臣]消炎酵素剤

[佐]抗不安剤[佐] 利尿剤 [佐]NSAIDs

[使]緩下剤[使] ACE阻害剤 [使]胃薬

ちょと封建制度みたいですね。もちろん、どの薬も重要な役割を果たしていることには変わりありません。元々は君(きみ)とか臣(おみ)とかゆうのは姓(かばね)と言って職能による役割分担を現すものであったようです。

1994年3月15日号


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 1995年3月15日号

     「プロスタグランジン」    〜阪神大震災に思う〜                                  

 阪神大震災から2ヵ月たちました。この震災でははからずも日本の行政の無能力振りを見せ付けられてしまいました。こういった緊急時の災害についての マニュアルが整備されていなかったのが原因です。

 海外では、こういった場合のシステムが瞬時に作動するようになっています。アメリカでは普段、普通の仕事をしている人が州兵として即時に集合するようになっています。テレビでこういった解説を聞いているうちに思い出したのですが、以前このコ−ナ−でアラキドン酸カスケ−ドやプロスタグランディンについて駄文を書いたことを思い出しました。

 筆者は、プロスタグランディンを中心とする炎症反応(アラキドン酸カスケ−ド)は、生体にとっての緊急時に対応する防衛システムだとの考えを持っています。(薬剤ニュ−ス143参照)

 発熱、浮腫、発赤、痛み、腫脹、これらはプロスタグランディン、ブラジキニンなどのオ−タコイドの働きによるものです。オ−タコイドはかつて局所ホルモンと呼ばれたようにその作用する場所は、限定されています。

 炎症反応は「肺炎」「肝炎」などと臓器の名前に〜炎をつけることで疾患名を表すように、医学的には病的現象とされています。「炎症は局所を犠牲にして全身を守る反応」であるかのように古くから考えられており、積極的な治療の対象となっています。

 しかし炎症は基本的には生体防御システムとして機能しています。誤解を恐れずに言いますと、炎症を抑えることは局所を救うために全身を犠牲にするということになりかねないということです。

 サリチル酸系製剤(アスピリン等)とライ症候群の関連性を疑わせる疫学調査報告から、ウイルス性によると思われる疾患(感冒等)への与薬は避けるよう添付文書には但し書きがついています。

 また、感染症を不顕化するおそれがあるので、感染による炎症に対して用いる場合には適切な抗菌剤を併用し、観察を十分に行い慎重に与薬することとも記載されています。解熱鎮痛剤による治療は原因療法ではなく対症療法であることに留意することが必要なのです。(熱をあげることによってウイルスを殺しているという説もあります。)

 今回の地震でも、その場しのぎの対症療法が目につきますが、欧米なみ国家レベルの救急対応システムの構築がなにより必要なことを痛感します。アラキドン酸カスケ−ド:炎症はこのような緊急対応システムであるのです。

 当院に地震による直接の被害はありませんでしたが、医薬品が不足し各先生方にもご迷惑をおかけしました。その中でもプロスタグランジンの抑制剤であるボルタレン坐薬が真っ先に市場から消えたのは皮肉としか言いようがありません。


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1997年8月1日号 227 雑学薬理学 

β遮断剤の謎

β遮断剤は、すでに循環器の部門において優れた治療薬として確立した地位を占めています。しかし意外にもその薬理作用は、まだはっきりしていないのです。

β遮断剤がなぜ血圧を下げるのかは、開発以来30年経過したいま現在でも、明らかではありません。単純に考えれば、心拍出量の減少により血圧が低下するためと思えますが、β遮断剤与薬時に観察される心拍出量の低下は急性期にのみ見られ、慢性的に飲んでいる場合には見られないため、降圧作用の主なメカニズムとは考えられていません。

腎のレニン分泌を抑制するため、これも降圧作用に関与するという報告もありますが、低レニンの患者でもβ遮断剤は有効であることと、レニン分泌抑制弱いピンドロールも降圧作用を十分に有していることから、これのみで説明することは出来ません。

一部の薬剤では中枢性の降圧作用が示唆されていますが、脳内へ移行する薬剤としない薬剤どちらでも降圧作用はほぼ同じであることから中枢性の作用も主なメカニズムではないとではないと考えられています。その他の機序として、高血圧患者で存在するとされている圧受容体のリセットを修飾することが考えられますが、詳細なメカニズムはいまだに不明です。

β遮断剤は副作用に心不全がある薬剤なのですが、不思議なことに心不全や拡張期心筋症の心機能改善に有効とする報告があります、これは心拍数の減少に伴う心筋の酸素需要の減少、カテコールアミン心筋障害の防止、および抗不整脈作用を介した効果であろうと考えられています。

〜〜〜〜〜〜メモ〜〜〜〜〜〜〜

・β1受容体を遮断すると、心拍数は減少し、心拍出量は低下する。β2受容体の遮断により気管支は収縮し、血管も収縮するために降圧には拮抗的に作用する。

・リバウンド〜up regulation

受容体が増えた状態で、薬剤を中止すると交感神経系の刺激に過敏に反応し、急激な血圧の上昇や心拍数の上昇のみられる場合がある。多くは2〜3週間で起こるとされているが、数ヶ月後にみられるという報告もある。


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花粉症と排気ガス

〜みんな社会が悪いんや。

1993年3月15日号 No.126

そろそろ鼻がムズムズしてきました。また花粉症のシーズンの到来です。

 ところでこんな疑問を持たれた事はないでしょうか。花粉症は遺伝も関係していると言われていますが、昔の人、例えば、水戸黄門や大岡越前が花粉症で悩まされたという話は話は聞きません。それどころか、おじいさんやおばあさんからも聞いたことは無いはずです。杉に限らず花粉は昔からあるのにどうしてでしょう。

 それもその筈で、日本では昭和36年までは花粉症の人は一人もいなかったのです。イギリスが最も早く20世紀の始めから花粉症が出始めました。20世紀の始めといえば産業革命。そうですね、花粉症は大気汚染と関係があるのです。

 ジーゼルエンジンの普及と花粉症の患者の数をグラフにしてみると、ピッタリとと一致するという報告があります。アトピーの場合ですと、食品添加物の生産総数と患者の数が正比例になっているそうです。米を食べてもアトピーになる子供がいます。米、または牛乳や卵が人体にとって悪いものであるはずがありません。それと同じで杉も悪くありません。杉の木を切っても何の解決にもなりません。

 アレルギー、アトピーというのは免疫システムが作用しています。このシステムは元々体を守るためのものです。(1999年注〜そう考えること自体が間違っているという説もあります。口呼吸病シリーズ参照

 ヒスタミンやプロスタグランジン、セロトニン、ブラジキニンといった炎症性物質も体を守るために働いているのです。テレビのコマーシャルでヒスタミンを悪者扱いしているものがありますが、あれもおかしな話です。多抗原、多抗体時代とでも言ったら良いのでしょうか。あまりにもたくさんの異物(抗原)が入ってくるので、それに対抗して抗体を作っているうちに防御システムがおかしくなってしまったのでしょうか?薬を飲んで花粉症を治すことも必要なのでしょうが、それよりもまず地球環境を治すべきでしょう。体質は環境で変化するものなのです。

むろん、アトピー、花粉症の原因は上記以外にも色々と考えられています。

「みんな社会が悪いんやシリーズ」 にて掲載しています。

<関連記事>

DEP:diesel exhaust particulate〜ディーゼル排出微粒子

SPM:suspended partisulate matter〜浮遊粒子状物質


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フィードバック

1993年6月1日号(No.130)に掲載 (やさしい薬理学シリーズ)

エリッククラプトンがグラミー賞を貰ったと言う記事を読みました。

 私のようなオールドファンには、感慨深いものがあります。それほど彼の初期の演奏は印象的でした。エレキギターと言えば、ベンチャーズのペンペケした音と思っていた当時、オルガンともバイオリンともつかない音をクラプトンは出していました。(クリーム:ホワイトルーム、スプーンフル、、、ジミヘンも好きでした。

 それがフィードバック奏法であるというのをしばらくして知りました。

 フィードバック〜電気回路で出力の一部が入力側に戻り、それによって出力が増大または減少すること。また、一般に結果に含まれる情報が原因に反映すること。

 分かりやすく言えば、マイクのハウリングを思ってもらえばよく、スピーカーから出た音を、クラプトンはわざとギターのピックアップに共鳴させて複雑な音を作り出していたのです。

 ホルモンの分泌の調節もこのフィードバックによって制御されています。

 出力を増大させるのを正のフィードバック、減少させるのを負のフィードバックと。呼んでいます。これも最近のエアコンの温度調節を想像してしていただければ、分かりよいと思います。

 ステロイド剤などのホルモン剤が始める時よりも、やめるときの方が難しいと言われるのもこのフィードバック機構があるせいです。副腎などはさぼり屋さんで薬物でステロイドを飲んでいると自分はもう働かなくても良いのだと解釈して萎縮してしまいます。(負のフィードバック)

 働き者に突然職場をやめられたら困るように、ステロイド剤を飲むのを急に中止してしまったら、萎縮してしまった副腎ではとても体内の複雑なホルモンのコントロールなんか出来ません。ですからステロイドを飲むのをやめる時は徐々に量を減らして、体を馴らしていかなければならないのです。

 ところでクラプトンですが、彼はある日突然ギターの奏法をオーソドックスなスタイルに変えてしまいました。これからはリラックスした音楽をやっていきたいとの事でした。きっと時代の最先端を走っていた彼の頭の中でも、何かがフィードバックしたのでしょう。


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<SFナンセンスショートショート>

1994年4月1日〜エイプリルフール特別企画〜

「新薬X」

「博士やりましたね!」

「うむ、ついに人類の悲願が現実のものとなったのだ」

199X年某日、某国の製薬会社である新薬が開発された。

「従来のアセチルコチン系やドパミン系薬剤と異なり今度の薬は、セロトニン系や神経ペプチドにも作用することが確認されています。しかも副作用は軽度なものばかりです」

博士は、得意げに販売部門の重役たちに説明した。しかし彼らの反応は意外なものだった。

「我々は、今回の新薬は発売しないことで一致しているんだ」

「我々というのは、、、、?」博士は血の気の引いた青い顔で尋ねた。

「業界全体だよ。君の開発した薬は画期的だ。それは認めよう。だがあの薬は良い薬とは言えないのだよ」

「・・・・・・・・・・・・?」

「いいかね、我々の言う良い薬とは、まず副作用が少ないことだ」

博士はもっともだとうなずいた。

「そして次に値段が高いことだ。分かるね」

博士はしぶしぶうなずいた。製薬会社はボランティアではないのだ。

「それから、これが重要な点だが、効果が有りそうで無いというのが良い薬なんだ。君のは効きすぎるんだ」

「どうしてよく効く薬がいけないんですか?」博士は顔を真っ赤にして尋ねた。

「よく効く薬は飲んだら病気が治ってしまうじゃないか!病気が治ってしまったら、もう薬は売れないんだよ。飲んでも飲まなくても大して変わりなく、まあ効いているのかなあというような薬が一番いいんだ。病人は病人のままで薬は売れ続けるからなあ」

博士は次の日、辞表を叩き付けて会社を辞めた。会社の門を出る時、博士はそっとつぶやいた。

「やっぱりアホにつける薬は無いんだ」


やさしい薬理学毒舌薬理学

スライムとMRSAHLA(日本人はユダヤ人?) レセプターとは

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