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  徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い

 

    日付(25/12/27) 国家予算

学生でもサラリーマンでもないから関係ないとは思っても、12月27日から9連休と聞くと何と長い年末年始かと思ってしまう。帰郷する人、家族で旅行に出る人、規模や形式は違っても「区切りの風景」には心躍る。さて、来年度予算が発表された。122兆円とか。この辺りの数字になるとピンとこないのは、現役の時ですら周りで動いていた金が大したことは無かったということだろう。国家予算が1兆円を超えたのはS42(1967)年とか。大学生である。100兆円超えは2019年。日本が成長していったと言えば聞こえは良いが赤字国債依存度がどんどん膨れ、子供や孫達の世代にはその利子を払うためにそれだけで年々予算が膨れるという危うい時代が来る。「債の魔力」を心配する。来年度は予算収入の1/4が国債発行とか。日本国で賄える分には(広い目で見れば)問題ないのかも知れないが、これが海外に拡がると「日本売り」である。いずれ誰も買わなくなり・・・デフォルト。そんなことにはなって欲しくはないが、やはり長い歴史を考えると何とも心配である。人口は増えず、働く人は減り・・ネガティブな要素は多い。高市首相の「積極的困難突破予算」はサポートしたいが、成功するかどうかは疑問である。「国民皆が国の将来を心配して・・」などという消極的方針では選挙は戦えないのだろうから・・・でも、いつかはそんな政治家が出て来なければ。

    日付(25/12/22) AIエージェント元年

年賀状を書こうと今年を振り返っている。今年の漢字は「熊」とか。暑、米、働など、特徴ある変化も多かった。当方はAIの浸透が最も気になる。AI元年は2022年(ChatGPTリリース)と言われている様だが、今年はAIエージェント元年らしい。AIがいよいよ自分で考え、方針が出せるようになった。自分で立案できるようになったということで、「使われるAI」から「使えるAI」の時代になったということか。いよいよ人間の仕事を代わってやる、という時代か。「作る」のは容易だろうが「創る」ことさえも担当できそうである。研究技術、発明などは無理だろうと言われていたが、今や芸術・文化面ではAIの創造した作品に価値が出てきているという。漫画の世界ではもう世に出ているらしい。さてこれらの著作権などはどう扱われるのだろうか。もしかしてノーベル賞級の研究も出てくるのではないだろうか。「人間の人間たるところ」とはどこに残るのだろう。折しも先日NHKの「不老不死」の番組をみた。平均年齢115歳の時代も遠くないとか。「抗老化」というのがキーワードになりつつある。「メトホルミン」という良く知られた安価な糖尿病薬が抗老化薬として効果が高いとか・・・どうも当方としてはこの辺りが今年のトピックスとして残っていきそうである。AIと抗老化、難しい、新しいテーマである。

    日付(25/12/16) Windows10問題再び

今日、Microsoftからメールが来た。「Windows 10 のサポートは終了しました」というタイトルだが、中身は「お使いの Windows 10 PC の保護を少し延長しましょう。方法はこちらです 」とあって、ESUプログラムの使い方が説明されている。去る10月13日のXデー以降、これをかなり積極的に知らせている。当方は1年以上前から本件には敏感に対応してきて、中古のWin11導入も含め、(僅かの)投資で重要な仕事(?)用の11と、これまで使ってきたお気に入りWin10(ESU導入済み)を併用している。今の所、Win11の導入は不要だったか、と思っているが何しろ何が起こるか分からない世界なので心の安寧の為には良かったかと思っている。今日のメールを見て、よりによってだがMicrosoftのCopilot(AI検索)に本件を尋ねてみた。情報として、まだ現状50%はWin10が使われているらしい。ハードを含めバージョンアップが必要故、企業でもまだまだWin10が使われているようだ。10月にESUのアナウンスがあった時と同様、来年10月13日以降もまだまだWin10は生き残れそうである。有料でも少々なら払うよ、と云った当方の様なユーザーはまだまだいそうである。決め手はWin11ならではの高機能だろうが、今の所それ程感じない。この件は、おそらく今後何年も語り継がれる話題だろう。IT戦略、マーケティング戦略、等々色んな目が注がれ続けるだろう。当方の新(中古)システムは一応ちゃんと動いてはいるが、意外に早く疲れが出るかも知れないなと、懸念している。

    日付(25/12/14) 創造性

昔からいくら技術が進歩しても、ロボットの世の中になっても、Creativity(創造性)だけは人間のもので、コンピューターの限界となる。と考えていたし、信じてもいた。ただ、この所のAIの出現によってやや自信が無くなっている。例えばノーベル賞受賞者の初期の「発明・発見」と言われる時点でも彼らの能力が生まれ、育つ際には多くの教育がなされ、学術的には先人たちの研究や論文などがあって、それを学ぶことで創造的研究が生まれている。「ハッと思いついた」とか「突然ひらめいた」というステップはあるかも知れないが、それとてもベースには何かこれまでの歴史や知見があったはずである。そう考えるとAIだって「創造は容易」ではないだろうか。現に、芸術や文学の面など、AIを使って新しい絵画、漫画、音楽、映画、そして小説までトライされている様だし、どんどん進んでいる様だ。著作権一つとっても新しい定義が必要である。おそらく同様のことは学問・技術の面でも発展するだろう。例えば化学実験でも、人間の手でいくつかのデータを出せば、最適条件を計算機で探すのは容易である。突然変異を生み出す実験もAIで可能になるかも知れない。さて、これがどんどん進んでいくと本当に「人間でなくてはできないこと」「全く新しい何か」とは何が残るのだろうか。「何が幸せか」を含めて考えると怖くもある。野生動物の一種に戻って自然の中で「生き切る」ことを目指すようになるのかも知れない。今年の漢字は「熊」に決まったそうだが、当方は漢字ではないが「AI」が記憶に残る今年の言葉である。漢字にすると「人工知能」だろうが、「愛」「会」「合」「逢」「藍」「相」、果ては「哀」まで色んな「あい」がある。年末らしい頭の体操である。

    日付(25/12/11) CPUとGPU

コンピュータの話のスタートはいつもCPU(Central Processing Unit:中央演算処理)だった。講座でも「コンピュータの頭脳です。」と説明していた。このCPUの性能向上がPCの歴史でもあった。半導体の歴史でも10ナノレベルの回線幅で小型化も進んだ。さてCPUは論理的作業が得意で順序に忠実に計算を進める。進歩は速度であった。ここへきて半導体技術の関心がGPU(Graphics Processing Unit:描画処理)に移っている。ゲームや写真処理、そして最近はAI(人工知能)とこの所のこの分野の進展にはなくてはならない高機能半導体である。数ナノレベルの回線幅でなくてはならず、今後の業界を誰が引っ張っていくのか世界的関心事で、日本でも半導体日本復活を目指して、ラピダスへの巨大投資などが図られている。さてCPUとGPUをどう理解するか。電気的・機械的にはもうついて行けないが、作業の理解で考えると、何となくつかめて来る。CPUは一つの作業を順序良く抜けの無いように進めていく。一方、GPUはいくつかの作業を並行して進める。次のステップとしてその一つ一つを複雑化していく。従って大量のデータ・作業を同時に進めるという困難さを伴う。人間はCPU的進め方を追求しながら進歩してきたわけだが、振り返ってみると人間にもGPU的な作業の進め方が出来る人もいた。(同時にいくつもの作業・考えを進めることが出来る人。羨ましかったり、時折、ヘンナ奴!と思ったり。)こう捉えると、人間も徐々にGPU的な方向を目指すようになるのかも知れない。会話するのも大変そうだが・・・。とまあこんな形でGPUが分かったようなフリをしている。ものの考え方や生き方にまでつながる話で、酒でも飲みながらでないとついて行けないかも知れない。

    日付(25/12/4) じいちゃんサンタ

リタイア後、個人事業者登録をして、コンサルをしたり、バイト調査をしたり、PC講座を手伝ったり・・小遣い稼ぎを続けてきた。金銭的に自由になる楽しみであった。7年ほど前から、思いついて4人の孫達の「じいちゃんサンタ」を演じている。12月になるとプレゼントのリクエストをさせ、クリスマスまでに購入する。始めた当初からネットショッピングのトレーニングで出来るだけ安価に購入するトライを続けてきた。同時に、良い勉強になるのは個々の年齢世代の興味のトレンドのフォローで、初めは揃って玩具の類であった。一緒に遊ぶことの無い孫達がどんな玩具に関心があって、どんな名前のスター達がマーケットを支配しているのか、勉強にもなった。ポケモンも鬼滅の刃も色んな形で勉強させてもらった。ところがいつの間にか、小学生が中学生に、そして今や最年長は高校生。成長と共にリクエストの内容は変わってくる。玩具でも、大人も知らないハイレベル(?)なものになるし、ティーカップやバッグ、財布と言った生活用品も出てくる。今年など遂に劇団四季のチケット(これはやや予算オーバー)。かと思えば中学生なのにフェイスパウダーとかプライマーセッティングフィクサー(?!)と云った化粧品があったり。彼らの成長度合いを知るにも楽しい。いわば、孫達による「爺ちゃん教育」の舞台になっている。苦しいのは成長と共にリクエストの価格上限を上げていかねばならないことで、収入増の期待できない後期高齢者には持続可能性に限界があることである。「お返しに初任給で爺ちゃんにプレゼント!」という日まで生きていないと・・・と考える12月である。

    日付(25/11/30) 政治と経済

いつの間にか経済が政治を操る世界。本来、経済は最終的には「自由主義」で動くべきである。主役は市場である。需要があって供給が決まる。金が世の中を動かし、企業が主役で、勝ち組と負け組は必ず存在し、格差も自ずから生まれる。そこから生まれる不平等を救うのが政治の大きな役目である。負け組や、弱きものを助け、何度でも挑戦できる仕組みを与えるのが役目である。今は政治が経済を武器として使おうとし過ぎている。自由な競争に任せなければならない所まで制御しようとする。妙な所で平等を持ち出し、不要なバラマキで票を集めようとする。政治は「弱きもの」に目を向けるべきだろう。戦える能力を持つ人たちには存分に戦ってもらう。その自由をお膳立てするのも政治の役割だろう。世界で今も続く戦争も、停戦も終戦も経済、笑っているのは兵器産業。戦争の継続を目標とする国や産業が多すぎる。これでは恒久の世界平和などありえない。日中米の外交問題も、いつの間にかトランプのディールに繋がっている。何故、台湾有事がレアアース貿易に繋がらねばならないのか。日本の水産物の輸出が振り回されるのか。今、最大の関心事は日本の存在感である。いつまでも経済大国だと思っているのではないか。21世紀前に貯めたお金で何とかなると思っていたら、いずれ国債借金でデフォルトとなるのではないか。今、政治が国民に問いかけるべきは「日本人の幸福とは?」だと思うけれど。全国民の懐をリッチにすることが政治の目標だろうか?ここにきてこんな根本的問いを始めている。

    日付(25/11/26) ようやく運転免許更新

今回の更新は印象に残る。3年前にこれで最後に、と思っていたが、逆に運転の重要性(必要性)が増し、結局、返還どころか何としても更新しておかなくては、となった。前回、事前講習を受けた自動車学校が閉鎖になっていて、行ったことのない自動車学校で、認知症試験や高齢者講習も受講、何とか昨日免許センターに行けた。前回、後期高齢者は事前準備が出来ているのでセンターではあっという間に発行された記憶があって、何の下調べもしないで行った。10時半に着いたら「午前中の受付は10時で終了しました」。これはぬかった。結局、幕張でコーヒーを飲んだり、アウトレットで急ぐ必要ないウオーキングシューズを買ったり、最後はタンメンの昼食を獲ったり。時間つぶしに苦労した。いざセンターにもどってみれば、やはり凄い人。長い列でスタートしたが、費用を払った後位からは急ピッチ。終わるまで30分。視力検査、写真撮影から免許証を手にするまで、あっという間。正にハイテク。いわば自動車学校の事前講習に業務委託をしているようなもので、効率も高い。でも最も危険性の高い後期高齢者の更新がこんなスピード発行で良いのかな、と思った。まだ、ゴールドは保っているが、運転技能も視力、体力にも自信が無くなっていく。「次の更新はいよいよ80歳台か・・」、年齢を経ることに気分が落ち込んでいく。帰宅したら、連絡があった。「追跡調査、来年も協力して頂けますか?」だって。精神的に落ち込んだ時だけに、「まだ、使えるのかな?」と、妙なヤル気が蘇ってきた。はやり何か集中することがあるのが健康に生きるには重要なのか、と気づく。

    日付(25/11/22) 英国に学ばねば

高市政権の評価は高い様で、民心も株価も新政権を歓迎したかに見えた。ただ、当方の様に??でスタートした批判派は、心配がぬぐえない。行き過ぎそうなポピュリズムが心配である。英国の2022年のトラスショックに学ばねばならない。各種大盤振る舞いで結局2か月も持たなかった。財源無き減税の行く末の典型例である。各種減税、果ては現金給付迄、今政権が考えている案で、もしトリプル安が進行し過ぎたら、日本経済も破綻する。これまでの日本は(自民党は)党内バランスが何とか機能していた。これからは「ノーと言える実力者」が足らないかも知れない。誰もが国民や野党に良い顔をしようとして振る舞えば振る舞う程インフレは進み、経済も回らなくなる。自分の意見を強く通そうとする姿勢はウエルカムだが、それがポピュリズムに寄り過ぎると破綻を招く。もう一人の「女性政治家のリーダー」、片山財務大臣がどう動くか、他人ごとではない懸念が続く。

    日付(25/11/19) あっという間に冬に

家内が京都で中学校の同窓会とかで、歩くのもままならない状態ででかけた。折角の関西だからとやたら張り切って同窓会の後も、友人に会うとか、一人暮らしで老いてきた叔母さんを何人かの従妹が集まって見舞うとかかなり意欲的な計画を立てていた。こちらは久しぶりのやや長期の一人暮らし。久しぶりに台所に立ったり、掃除に励んだり。今日など結局朝から誰に会うこともなく、話すこともなく・・・こりゃ一人暮らしは辛そう・・などと今更ながら思い知った。確かにゆっくり寝られるし、好きな様に時間は使える訳だか、この間の認知症試験で一問答えが出て来なかったのが、気になる。やはり人間は何かを考えながら、誰かと語りながら呼吸をしていないと、おそらく自分の世界に埋没してしまうのだろう。やはりもう一度予定表を引っ張りだして、これからの毎日を考えなくては、と改めて思った。働いて収入を、などとはさすがにもう言えないが、せめて「生きている時間の証」が欲しい。戦禍の中にいる人達からみれば許されない位安穏としている様に見えるかも知れない。でもこれも生とのたたかいである。いよいよ北国では雪とか・・・

    日付(25/11/12) 高齢者認知機能検査

また免許証更新の時がやってきて、後期高齢者講習を受ける羽目になった。運転時はびくびくしているし、駐車は凄く下手だし、何とか免許返上をと考えているが、家内の体調が余り良くなく、病院や、駅への送り迎えなどを考えると、今こそ車が必要という時期が続いている。今回もまず認知症試験から始まった。16枚の絵を覚えるタイプで、前回の経験から、16個の項目を覚える手で臨んだ。合格基準は30%以上とのことだが、何とか100%に挑戦したい、と。ところが、15個までは容易だったが、最後の一つが出て来ず・・何だか自信喪失。何となく普段の生活でもイージーミスが増えているだけに、「歳かな?」と感じる機会が増えている。次週には実技(運転)が待っている。どんな条件が揃えば返還できるかと考えるが、交通機関の便などを考えるとまだまだだろう。やはり、心身の健康に留意するのが優先順位か。難しい社会問題である。一緒に受験したお爺さんには、ホントにこんな人達が運転しているんだ、と驚かされるような人達もいて、怖いな、と思った。多分実技は当方などよりずっと巧いのだろうけれど。

    日付(25/11/8) ゴルフで悩んで

親睦会ゴルフコンペ。4月にBBになって次回幹事を仰せつかって7月に計画、猛暑の時期に当たり開催に迷って、でも計画。ところが台風にあたり、結局延期。再度計画する羽目になり、結局昨日実施した。昨日は天気は最高、寒かったり暑かったりの毎日でやきもきしたが、嬉しいばかりの青空に感激。空気から楽しんだ。ここの所、成績は(昔から)良くないし、体力の衰えは実感するし、止めることばかり考えている。昨日もこの幹事をやって終わり宣言をしようと思っていた。午前中はいつもの58で今日も120かななんて思っていた。昼食後ミドルのパーから始まって、午後は久しぶりの快調ゴルフで50で上がった。おかげでグロスでは11人中7位。ま、良かったと思ったが、何とまたもやBB!次回の幹事が当たってしまった。夕方の反省会では、まだまだ止めちゃダメといわれるし、幹事の相棒は若くて「やりましょう!」と言ってくれるし、本人も昨日の後半の出来もマズマズだったこともあって。またもや継続を決心してしまった。何しろ天候が良く、ゴルフの楽しさを思い出させるにもってこいの日だった。この会は当方も発起人の一人で、今回が何と47回目、会長も受けている。確かに反省会で飲んでいると止めるとはなかなか言えない。クラブが振れる間はやるか!と運任せになってしまった。年2回やれば後1年半で、50回。目標としては悪くない。健康のバロメーターにするか。何とも流されやすい感じである。でも、反省の後は意外に心地良かった。

    日付(25/11/2) ドジャース今年も世界一!

今年は特にNLBにお世話になった。朝目覚めるとまず朝ドラを観る。その後、「今日のゴミ」。リサイクルゴミ、燃えるゴミ、燃えないゴミ・・・一応分別して収集場所に。新聞を持って帰って、コーヒーを淹れ、ゆっくりした時間。そして、大谷君。NLBの中継が続く。去年までは、ポストシーズンの定義も、ワールドシリーズの構成も分からぬまま応援していたが、今年は順を追って、抜かりなく応援できた。俄かNLBファンである。大谷だけでなく、山本も、そして佐々木も。いつの間にかしっかりドジャースファンを演じた。そしてワールドシリーズ。野球を知らない爺ちゃん、婆ちゃんでも目が離せない熱戦が続いた。一試合ごとに活躍するスターが日替わり。作られたわけでもなく7試合目の最終決戦。今日は、朝から市の避難訓練、当方は自治会の班長さん。避難後の家庭の様子のチェックとか、集合場所での点呼とか。でも気はそぞろ。家に帰ってNLB。しっかり延長戦を楽しんだ。今日は山本の日。ちゃんと勝ち投手で、MVP。凄い試合だった。負けたトロントのゲレーロJr.の涙をみて、やはり計画された流れではなく、一試合ごとの真剣勝負だったことを認識して、素晴らしいと思った。こんな世界一のメンバーに大谷や山本がいて、多くの野球ファンの子供たちの憧れの大スターになっているのは本当に夢があって素晴らしいけれど、またいつもの悪い癖で、一人の偉大な成功者の陰にいる多くの苦労人(ギブアップする人達)のことを考えてしまう。努力すれば必ず報われて、悪いことは起こらない、とは残念ながら言えない。機会の平等迄が原則で、結果の平等はあり得ない。でも努力は美しい。こんなことを考えさせてくれるだけでもスターの世界も悪くない。今夜はNHKの大谷特集の番組を観ながらアルコールを楽しんだ。彼は凄い!

    日付(25/10/24) 冬近し

時間の過ごし方の優先順位がどんどん変わって行く。今はTVのニュースだろうか。面白い訳でもなく楽しい訳でもない。ただ、毎日の変化にハラハラしている。世界はトランプで動いている。そこにプーチンと習近平。持てるもののみがリードする世界が動いている。民主主義も平和主義もどこに行ったのやら。日本と言えば高市政権がスタートし、動きだした。順調に、と言いたい所だが内にも外にも爆弾だらけ。いつまで強気が保てるかこの株高がいつまで続くか。来週からの外交のスタートで本当の力が見えてくる。最大の関心事は経済政策とか。今の日本は経済的には回っているというのに。ここでバラマを増やせばそのツケは将来に廻っていく。最も怖いのはポピュリズムであろう。今の世界に誇れる日本を作ったのは戦後のヨーイドンから始まった。バブル迄の一億総努力の結果が経済大国を生んだ。でももう「か弱き敗戦国」ではない。これからも甘やかしを期待し続けることは出来ないだろう。新首相の自分の意見を通すところは今の所好感が持てる。石破総理に裏切られた感をもったのはそれが無かったからである。基本姿勢は良しとして、肝心なのは中身である。今こそ米中ロでなくても世界に貢献し、世界を動かす国になって欲しい。もう「大国の一つ」ではなく「中間国の一つ」で良いのだから。まさか今から国土は広がらないし、人口も爆発的に増えたりしないのだから。仕事がちょっと一区切りついて、昨日久しぶりに庭木を整理した。あの猛暑はどこへやら、秋というより冬の寒さだった。そのせいか途中でギブアップ。腰が痛くて・・・無念!夕方にちょっと散歩したらこれまたすぐに疲労感。個人の話になると何とも情けない。共に「冬近し」である。

    日付(25/10/16) 「政治」はどこへ

7月に参院選挙があり、9月に石破退陣が決まり、ようやく高市自民党総裁が決まった。そして自公分裂。大きな変化が起こっているというのに日本社会は平和に動いている。ウクライナもイスラエルも恐ろしい変化の中で今でも戦争が継続しているというのに。普通に生きているのが申し訳ない位である。さて、今後の日本政局がますます読めなくなってきている。誰が首相になるのかさえまだ見えない。おそらく霞が関辺りでは魑魅魍魎が動いているのだろう。当方などは今こそ国政の在り方の大転換のチャンスだとある意味期待している。高市総裁の自民執行部選任が公明の離脱を生んだ。次は組閣である。新大臣が発表された時、それが自民分裂を生むのではないか。そしてそれに続く政界再編成。ガラガラポンである。誰がリードするのか誰が付いていくのか、保守とリベラルがクリアになれば、おそらく日本人の考えも一人一人クリアにならざるを得ないのではないか。政局の乱れが予想されるというのに株価は記録的高値を続けている。おそらく自民主導の見かけ上の安定に落ち着くと読んでいるのだろうけれど・・・今回は妥協点への到達は容易ではない。

    日付(25/10/11) 自公分裂

ノーベル賞に浮かれていたら国政の方で大変な変化が起こった。自民政治が一段と怪しくなった。まさかこんな形で政界再編の号砲が鳴ろうとは予想だにしなかった。石破政権が出来た時、野田立民とのガラガラポンの可能性が消えてある意味失望したが、まさか公明党の政権離脱が起ころうとは思わなかった。これは長い目で見れば再編に繋がるかも知れない。最も簡単なのはこれを機に自民党員が全員既存の党に分散することだ。保守党、参政党、公明党、維新の会、国民党、立民党、社民党、共産党、保守から順に並べれば一杯揃っている。おそらく何らかの基本概念(親米、親中、親露)(憲法改正是非)(自由と平等)などでいくつかに分ければ、最終的に2大政党制も容易になるのではないだろうか。もう戦後の後始末を終えて、新しい日本の創造へと歩み出す時ではないのだろうか。決してバラ色には見えないけれど「より良い平和」に近づけるかも知れない。「混沌」から「希望」を探したい。とりあえず斉藤公明党に拍手である。

    日付(25/10/8) ノーベル化学賞

この週になると何となくそわそわする。別に当方とは全く関係ない訳だがノーベル賞が発表され、リタイア後10年程継続してきた「追跡調査」の対象となった人が受賞候補者として名前が挙がるので気にはなる。今夜、今年の化学賞として北川進氏の受賞が発表された。これには驚きと喜び。当方は委託業務アルバイトとして国のプロジェクトの追跡調査を受けている。大きな金額で、大学の先生たちにしては重要な資金源であるが故に、終わった後の追跡も無視できないという理由もあって、誰もが丁寧にインタビューに対応して下さる。今回受賞の北川先生は文科省の大きなプロジェクトを2回実施され、当方はその追跡調査を2回とも担当した。2018年と2023年の2回インタビューの機会もあった。幸運にもノーベル賞を受賞するようなハイレベルの研究と、それを実行された先生の人となりも知る機会を得た。今日の化学賞の候補には同様にインタビューした他の先生もいたが、北川先生に白羽の矢が当たった。研究の中身についてはこんな所で議論はしないが、会った時に受けた印象や、その後の対応を振り返ると、「研究者のあるべき姿」を考えさせるに十分な人であった。調査報告は調査した企業名でされる訳だがレポートに何らかの価値が付くとすれば何となく嬉しい。嬉しいニュースであった。

    日付(25/10/5) 高市自民党新総裁

高市早苗氏が新総裁に選ばれた。叱られるかも知れないがトランプが再度大統領に選ばれた時とよく似た失望感を感じるのは何故か。石破総理誕生の時はようやく自民党も日本の政治も変化のスタートに立ったかと、少しの期待感はあった。だが、本人も認めたように「石破色」は見られなかった。何故自分が選ばれたか、何を目指すべきなのかが理解されていなかったようで失望感だけが残った。そして今回の総裁選である。この人にだけはなって欲しくなかった結果になった。別に個人的な知り合いでもないし、失望した件があるわけでもない。初の女性総裁に反対なわけでもない。ただ「逆行感」は強い。目指しているのは「安倍政治」であって、日本昭和保守であろう。いっそのこと日本保守党や参政党と組んで新党を立ち上げればそれはそれで分かりやすい。おそらくこれから、自民党保守派が勢いづき、麻生派、旧安倍派が昭和自民を目指すことになろう。それが何を意味するか。気になる。特に海外、世界との調和、民主主義の復権に関心がある。彼女の後ろ盾、頭脳、後継者などを早く知りたい。今回も強く感じたが日本史における「松下政経塾」の貢献度は高い。今の政治家たちの中で政経塾の卒業生ばかりで内閣を作ったら、どんな形になるのだろう。おそらく「混沌」だろうが、そう思わせるのはいかにこの塾が素晴らしかったかという証拠である。右派が主体なのは当然だろうが、野党議員も多い。今の世論を形成する平均的思想面はこの辺りなのではないかと思う。高市新総裁は5期生とか。この人脈で新政府が出来れば面白いのだが・・・兎に角今日からの新体制を見よう。流されるか、独自性を主張するか・・・

    日付(25/10/1) 10.14問題

暑いと言っている間に10月になった。この2年間、2025年の10月と言えばマイクロソフトのWindows11問題であった。当方は通常3台のPCを使ってきた。昔からのデスクトップ以降、ラップトップ、その後オールインワン、そして薄くて軽いノート型。それ以外にもスマホになる前のパッド型などのモバイルもあった。PCについては変遷を経ながらも3台ともWindows10であった。約2年前、2025年10月14日をもってWindows10のサポートを止めるというマイクロソフトの宣言があった。特にウイルス対策など安全面のサポートを終了する、とのことであった。PC教室の講師を続けていたこともあって、この件は気になってフォローしていた。昨年、対策第一弾として安価なWindows11の中古デスクトップを購入し、以前から持っていた大型ディスプレーに繋いだ。この時ラップトップ(Windows7)は廃棄と決めた。これで何とかWindows11対策は整ったわけだが、何しろ安価な中古なので耐久性を含め心配で、なおかつ市原市の生涯学習センターの講座でもこの種の話もするものだから、中古では格好悪いし、内容にも自信は無いし、これを機に長年続けた講師も降りることにした。そうしている内にいよいよ10月が来た。マイクロソフトの調査では今でもWindowsの5割以上はVer10であるとのことで、結局該社も一気にサポートストップとはいかないらしく、ここにきて後1年は追加プログラムを提供して延長できるようにした。今年の初めは$30払えば、だったが、結局無料でいけそうである。それだけインパクトが大きいということだったのだろう。この経過措置は1年とは言っているが、これまでの企業用の経過をみるともう1年、もう1年と、3年位は尾を引くのではというネット情報である。当方はメインの(中古)Windows11の準備は出来ているのだが、何しろこれまでのメインのオールインワンはビデオ対応で4TBもハードがある。これは捨て難い。今は何とかデータをUSBメモリーでバックアップしてその後ハードメモリーとして使っていこうと画策している。アルバイトの調査の仕事の原稿の類を消してしまったりすると致命傷である。慎重に慎重にと思っていたら、もう10日ちょっとしかなくなった。何とも人生をすら追われている様で、決してのんびりしていられない。マイクロソフトに振り回されていると感じるこの2年である。

    日付(25/9/24) 国連総会演説

今回の国連総会はトランプの演説で始まった。最近の国連はプーチンやトランプに振り回されて、何も決定できない。安保理審議事項も最後の拒否権で、何も決まらない。ウクライナ関連のロシアの拒否権、イスラエル/ガザ関連のアメリカの拒否権。今回のパレスチナ国家承認プロセスも簡単ではない。トランプ政権の云いたい放題にも辟易として来た。さて、日本は今、自民党総裁選がスタート、5人の候補がメディアで闘っている。そんな中、石破総理が国連で演説し、その後、今夜、記者会見。かなり長い、力を込めた演説だった。それをニュースで見ていて何となく空しささえ感じた。主張内容が良すぎる。当方など、文句はない。これだけの演説が出来るなら、なぜ総理就任演説でやらなかったか。今日と同じ内容であっても、空論とは捉えられなかったのではないか。世界や歴史を俯瞰した「視野の広い総理」と受け入れられたのではないか。一人20万円をバラまいたり、国を挙げて最低賃金を上げる様な方針を力説するより良かったのではないか。身近なことを話すのなら「金と政治」の問題を概念から考えさせるような演説がなぜできなかったのか。あの時点では選ばれた経緯からしても、何を言っても許されたハズだ。今夜の記者会見での話し方を続けていても何ら問題なかったように思えた。でも、おそらく、今夜は当方のように好意的にしっかり耳を傾けた国民は少ないだろう。もう「死に体」なのだから。次期総裁に誰が選ばれるのか、やはり気になってきた。総裁になれても総理にはスンナリなれないかも知れないけれど、例えそうであっても、自分の考えを主張出来る人が選ばれて欲しい。

    日付(25/9/20) 秋?

久しぶりにエアコンをかけずに一日。また今年も夏の最後に豪雨だの突風だのと異常な天候を経ているが、とにかく体温と最高気温の戦いは終わりそうである。一日中、どこかのTV局が天気予報をやっているが、これが単なる時間潰しではなく、大きなニュースである。普通の道路が急流になったり、一瞬で家屋の壁屋根が吹き飛んだり、一つ一つの事故が驚くほどメリハリがある。人類の継続性について疑いを持たない人はどんどん減って行っているだろう。もう9月も後半である。石破おろしもあって今度は総裁選挙とか。でも盛り上がりには欠ける。自民党も解党的出直しを図るというのなら、今は絶好の機会で、本当に解党するとか、党員増加運動をするとか、国民が驚くような変化をやってみれば良いのに、と思う。メディアも騒いでいるほど真剣味は感じられない。2党政治でも、多党政治でもどちらでも構わないが、国民が結果責任を感じる様な政治に変わって欲しい。中露や北朝鮮の様な専制政治の方が平和で安定した社会に感じられるようでは、「人類にとって真に平和で安定した社会」がどんな社会なのか自信が持てなくなってくる。国立競技場の陸上世界選手権を見ていると人種間の握手や競争は決して不可能とは思えない。「なぜ殺し合うのか?」、子供たちにそれが説明できる大人が果たしているのだろうか。まずは、ネタニヤフやプーチン、もしかしたらトランプもその義務を負っているとしか思えない。大荒れの中の秋である。

    日付(25/9/14) 「命ある」ことの重要性

ふとしたきっかけから万博訪問チームに空席ができ、その仲間に入れてもらった。行き先は「いのちの未来」パビリオン。阪大石黒教授のロボット/アンドロイド対象のパビリオンであった。最新のアンドロイド技術で作られたアンドロイド達が人間とは何か、とか「ロボットとの共生」とかを考えさせてくれるとのことで、最後のゾーンは「1000年後の未来」とか。何ともスケールの大きな、歴史を考えさせるパビリオンであった。  さて、テーマは「技術革新」と「生き甲斐」である。最近、最新技術を学んでいるといつも突き当たる。何のための技術開発か、これが成し遂げられた時どんな幸せが待っているか。それが容易には見えない。このロボット技術。将来何をもたらしてくれるか。どんどん人間に近づいてくるのだろうが、行く先は何だろう。おそらく「成長するアンドロイド」だろうが、その行く先には「滅び行く(死にゆく)アンドロイド」もなくてはならない。それが無ければ世界(宇宙も含め)はアンドロイドで埋め尽くされる。その時、人間達は何処に住み、何をしているか。そんな想像をしていると、人間は何を求めて生きているか、という疑問に行き着く。幸福感、満足感、達成感・・・何れも有限だからこそ得られる。もし、寿命がなくて永遠に生きられるとしたら、何を求めて生きるのか、そこまで戻ってしまう。人類は「不老不死」を目指して進歩してきたのかも知れないが、医学・医療の進歩が「完成」してそれが可能となったら、「何故生きねばならないか」に行きついてしまう。生を受けて、「這えば立て立てば歩めの親心」となり、「独り立ち」になり、伴侶を求め、家庭を築く。そしてロボットで言えば、徐々に部品が壊れ、最後は動かなくなる。それぞれのステップに新たな欲望が生まれ、そこから新しい産業も生まれてきた。 「生ある人間はやはり運命には従順であるべきではないか。」というのが今回のパビリオンから学んだことである。アンドロイドにも寿命と心が無くては人間と共生は出来ないのではないか。医学医療の技術開発についてもただただ寿命を伸ばすのが決して正しいことではないのではないか、というのがロボット技術からの命題である。やはり、技術者ももっと倫理とか哲学とかの心理面の学習を並行すべきということだろうか。 本来、新技術を学ぶべき訪問の筈だったが、結果としては「新技術開発に求められる心理学」を求められたような体験であった。これはこれで価値があったのかも知れない。

    日付(25/9/12) 大阪万博2025

当方にとって「大阪万博」と言えば、1970年の、太陽の塔とコンニチワ・コンニチワのEXPO70である。まだ学生だったがとにかく行ってみたくて千里会場まで「月の石」を見に行った。大変な混雑でアメリカ館に辿り着けても「双眼鏡を持ってくれば良かった」と思った覚えがある。戦後25年でいよいよ経済大国へと進む「イケイケドンドン」の時期だった。今年の大阪万博にはあまり関心もなく、行く準備もしていなかったが、急に「担当が体調を崩したので行きませんか」と声がかかり、「ラッキー!」とばかりに飛びついた。事前調査もなく難しいと聞いていたパビリオンや昼食場所の予約なども全てしてあって、「渡りに船」の旅であった。70年EXPOを今振り返ると多くの「夢」が現実となって、日本も期待通りの経済大国になった。おそらく今回の万博の展示も夢が現実になっていくのだろう。会場を歩いているとまるで「デジャブー(既視感)」。70年を思い出すことが多かった。違いは勿論沢山あるが、まず「スマホ」の世界。パビリオン予約から入退場、食事会場までQRコード。現金はほぼ使えない。QR決済かカード決済。確かに近未来決済の姿であろう。パビリオン巡りの時間(と体力)はなく、とにかく良かったのは木造大屋根リング、歩いているだけで大阪2025EXPOに来たぞ、と自覚できた。猛暑の夏の代表的1日と言える暑さだったが、「参加した満足感」は残った。

    日付(25/9/9) 石破政権退陣

昨年9/30の記事、「石破おろし」を防ぐためにも、を読んでみた(以下で参照)。やはりこうなったか、である。野党との妥協、党内合意、妥協、果ては米国との妥協に至るまで大変な1年だった。でも合格点はつけられない。本人も言っている如く、「石破らしさが出せなかった。」正にその通りである。選ばれた経緯を思い出しても旧自民党の党首にはなり得ない人物だった。妥協が生んだ総理なら、それらしくすれば良かった。例え一つでもエッと思わせる柱となる政策を打ち出してそれの完成の為に首を差し出せば良かった。安倍政権時代の、カネの政治の公開でも良い。森友問題の真実の公開でも良い。誰もが不思議に思っていた何かをオープンにし、石破ならどうする?という点に集中してみれば良かった。自民党内の反対を押し切れば押し切るほど国民の支持は上がったのではないだろうか。政治とはそんな甘いものではないよという声が聞こえるが、でも結果は国・国民の満足度、幸福度で測られるものだろう。ただ、そう言ってみれば、石破政権も決して大失敗で日本国をダメにした訳ではない。世界中が大荒れの中で日本はまだまだ笑顔が生きている1年だった。さて、次はどうなる? (2024年の(24/09/30)

    日付(25/9/4) 現役の若者と

一昨日はコンサル先の若者と、昨夜は以前の四国通いをした頃に送り迎えをしてくれた若者(女性)と二日続けて美味い酒を飲む。現役で活躍中の若者が何を考え、何に悩み、どう生きようとしているのか、こちらとしては何もしてあげることはないが、おそらく「聞いてあげる」ことが相談に乗ることなのかも知れないなどと言い聞かせてビールと日本酒と・・・楽しむ。勝手な想像だが昔ほど「社内の人間関係の向上」などと理由をつけて毎日のように誰かと飲んでいた、と言った時間の過ごし方はもう過去の事だろう。でも想像だが、当方のようにそんな時間をまるで仕事の一部のように楽しんで(?)いた人種もいたことも事実だと思いたい。兎に角、若者が減り、労働人口が減り、3K労働が嫌われ、皆が同じである方向を目指す。今の当方なら、「後で振り返った時に不満があるかも」なんて一言が言えるが、若者たちは皆が同じ価値観に向かって走っているように見えてならない。結局は後で振り返って「良い人生だった」と言えれば良い訳だが、その何が「良い」かの評価軸を個々人が探している。昔の友人達が、こうして「久しぶりに会って話したい」と言ってくれるのは当方の評価軸では◎なのだろう。最近の夏の天候の特徴は「海水温の上昇」らしく、熱帯低気圧も上陸寸前で台風になる。飛びまわっている若者たちが出来たての台風で足止めされないことを願って。丁度九州で台風15号が発生した。

    日付(25/9/2) グループOB会報

現役時代は出向先が米国企業マジョリティとの合弁であったために、否応なくグローバル志向で、日本の親会社の方から眼を背けていた。ただリタイア後は、合弁会社の方が企業形態が変化したりしてどうしても日本企業サイドに目が行くようになった。母体にも「グループOB会」というのがあって、年に一度だが会報も発行している。最初認識が薄く、リタイア後すぐには入会すらしていなかった。ただOB同士の会話で先輩たちの訃報が話題になることも多く、その情報源として遅ればせではあったが入会した。毎年、この時期になると今年度の会報が届く。真っ先に目が行くのは「訃報」。現在登録会員数は8500名。企業としての歴史もかなり積み重なった来たこともあって、年一回の訃報欄もますますページが増えていく。当方は名古屋5年、鎌倉5年と10年の親会社勤務実績だったが、その間に滋賀工場、三島工場や千葉県の関係会社の担当をしたこともあって、色んな工場や部署に関係者が多かった。こうしてOBの訃報リストをみると、殆どは80台、90台だが、70歳台も次第に増えていく。いつもこのリストを見ながら、知っている名前を見つけるとマークしながら、付き合いがあった頃を思い出し、冥福を祈っている。己の終活の一環としても意味があるように思える。勿論、会報であるので近況を報告する記事もあって、当方も一度原稿を依頼されたこともあったが、やはり訃報に最も時間を取られる。「振り返ってばかりいても・・・」と言われることも多いが、やはり想い出とか懐かしさというのも価値があって、終活の大切な一部である。「もう一度会って話せたら・・・」

    日付(25/8/31) 8月が終わる

「暑い、暑い」と家に籠ってばかりいたら、いつの間にか月末になった。この期に及んで関東ではこの夏最高気温なんて言っている。今年は41℃を超える場所も全国に散らばって、群馬や三重に限らなくなってきた。故郷、鳥取も高温予想の常連になってきた。田舎の山奥の婆ちゃんになってきた実姉と電話で話すと、昔の「開けっ放しで蚊帳の中で眠った」生活は夢の様で、「クーラーの嫌いな私でも何時間かは入っている。」という。さすがに60年以上の変化は想像でない程のものであったようだ。やはり子供の頃の思い出は季節性が高い。夏休みはその塊である。ラジオ体操、川遊びから始まって、昆虫採集、絵画、作文、絵日記、夜のホタル狩り、それを蚊帳に中に持ち込んで楽しんだ。一つ一つのシーンを楽しく思いだせる。明日から9月、テレビでは新学期の不登校問題を取り上げる。こんな問題も田舎でもあったのかも知れないけれど、社会問題としては取り上げられなかった。それ以上の問題がより大きかったのだと思う。家族で遊ぶこともどこかへ旅行することもそんなに多くなかった。だからこそ、数えるほどの思い出を大切にしている。人間は強欲で、小さいものはより大きく、滅多にないことはより頻繁に、辛いことはより少なく、貧しいものはより豊かに・・・キリはない。それが無理を強いるレベルになると問題になる。エントロピー増大の原理は人間をどうしようとするのか。自由民主主義がその答えなら良いけれど。石破首相どうなる?

    日付(25/8/22) 猛暑とコロナ禍

毎朝のように市の放送が流れて「熱中症アラート」、ニュースでも搬送された患者さんの数を流す。2,3年前のコロナ患者の発生を思い出させる。いよいよ終活の開始と、PC教室の講師を辞めた関係でいつもの夏と変わっている。いつもこの時期は公民館通いをしていた。今年はそれが無い。頭の中では10.13(Windows10のサポート終了)問題は気になっているが一向に対策に手がつかない。このPCでHPが続けられるのかどうか。ま、何とかなるかと思うようになった。ゴルフも何か月も行っていない。11月のコンペの幹事が気にはなっているが、これもその時まで体力だけはキープしようと、夕方のウオーキングの継続というアクションに繋いでいるだけ。コンサルも一社終了。辞表を受け取ってもらった。あとは残る一社のコンサルと、追跡調査のインタビュー位。少しづつだが変化させている。このままダラダラ進めると、正にやる気のないフレイル状態に陥るかも知れない、と改めて没頭できるSomething Newを探し始めている。まずはWindows11対策からか、次は団地自治会のHPメンテの手伝い、自分のHPの新たな挑戦、そしてステンドグラス再スタート。自分を奮い立たせる何かを探している。猛暑の中の社会はコロナ禍の社会と何となく似ている。ここの所、何人かコロナに罹ったという友人達のニュースが聞こえてきた。まだまだ「終わった時代」とは言えない様だ。減っていく子供達、増えていく外国人旅行者、減り続ける会話、何に向かって頑張っていくのか。考えなければならないことだけは一向に減らない。

    日付(25/8/16) 米ロアンカレッジ会談

何も進展は無いだろうと予想しつつ、でも何かが起こるかもと朝からニュースにチャンネルを合わせた。トランプ・プーチンの記者会見の最中に朝ドラが入った。もうこの時点で何の成果も期待できないこと、プーチンの勝利が決まった。明らかにトランプの敗北である。大騒ぎだけしておいて何もない会談だった。気の毒なのはウクライナである。会談に参加する訳でもなく頭ごなしに自分の国の命運をゆだねるなんて、考えられない。「これが戦争だ」「これが政治だ」なんて言えない。こんな世界を揺るがすような戦争の落し所がなぜ探せないのか。何とも苛立たしい。これがこれから先の世界の問題の解決策を探す方法なのだろうか。本当に日本には「出る幕など無い」のだろうか。せめて今日の記者会見は、まずトランプが先に発言して何を語り合ったか説明すべきだろう。それさえ出来なかった。完全にロシアペースで進んだ会談としか思えない。我々の様な何も分からないズブの素人たちがとやかく言える舞台では無いとは分かっているけれど、今でもウクライナは攻撃を受け続けていて犠牲者も出ている。不思議な戦争である。少なくともプーチンの方が目の前で「Kill Them!」と命じ、そのシーンに立ち会える強さを持っている様に思える。今月号の文芸春秋の「日本のいちばん長い日」の特集を読んだ。太平洋戦争がどう終わったか。何十年か先に振り返れば「何故あの時?」と反省する時が必ず来ることが分かっているのに・・・何ともすっきりしない会談。プーチンの思う通りに進んで行って良いとは思えないけれど。

    日付(25/8/15) 今年の夏休みも

関西に住む次男が、ここ数年子供たちの夏休みに関東にドライブに来る。我々を誘ってくれて年に一度のジジババとの会う機会を作ってくれる。今年は長野にドライブするので来れないかと誘いがあった。最近、運転も楽しくはなく、しかも怖くて必要最低限にしている状態なのでこちらは電車で行って合流することにした。行きは北陸新幹線で長野まで、そのあと中央線で松本、ここでレンタカーを借りて合流した。一日目は諏訪湖の温泉、夜は(短時間の)花火とアマチュア演奏を楽しんだ。翌日は長野まで北上、善光寺参りをしてその後安曇野の山中の大きなホテルへ。「若者ステイ」を楽しんだ。レンタカー運転を全てやってくれたものだからストレスはなく、助手席ドライビングを楽しんだ。義娘の協力(彼らの車の運転)があってこその話で、これまた世代交代の大きな一面であった。何しろこちらの孫達は二人共もうギャル達(高校生と中学生の女の子)。もう当方もお人形さんのように可愛がってばかりもいられない。そろそろ「レディ」として会話しなければならなくなってきた。会う度に大きくなって、話す中身も進路だとか生き方だとか、無責任な冗談ばかり言っていられなくなってくる。でも、一緒に写真を撮ったり話を聞いていると、一人の人間(女性)として成長していることが分かって、嬉しい様な、誇らしい様な、そしてチョッピリ淋しい様な・・・でもこうして一年一度の逢瀬を計画してくれるのはただただ嬉しい。「お盆だから高くつく」なんて言っていられない。昼前に分かれて自分で運転してレンタカーを返却、楽しみだった「特急あずさ」で帰ってきた。期待していた安曇野からの蝶・常念の雄姿は見られなかったけれど、心の中に登山を愛した青春が蘇ってきた。繋がりゆく「血統」に何故か感謝である。健康で生き続けなければ・・・

    日付(25/8/10) 歳月を楽しむ

歳をとることだけはどうにも闘いようがない。そもそも「闘う」という表現が悪いのだろう。だから「楽しむ」に変える必要があるのだろうが、これがなかなか難しい。健康であっても歳はとっているから。昨日、今年も新宿初台の「オペラシティーコンサートホール」にグリークラブの発表会を聴きに行った。現役時代の友人が大学時代の男声合唱団のOB会合唱団を楽しんでいる。おそらく平均年齢はもう80歳近いのでは?と思わせるが、皆さん声が出ている。現役時代はMr.サラリーマンだったのだろうなと思わせる風貌で、でも背筋はしっかり伸びて声も出ている。何しろ舞台は初台オペラシティでいかにも現役時代の成功者の集まりを思わせる。友人は近年、指揮者も務める様になり、昨日はビートルズナンバーを指揮した。いくつになっても歌唱を楽しんでいる。カラオケは勿論、年齢との闘いに声を出すことの価値は広く言われている。確かにこのお爺さん達は長生きしそう。でもみんな一年に一歳は歳をとっている。応援していて思った。「闘ってはいけない。彼らは楽しんでいるんだ。」と。途中であったテナーのソロはあのホールに響き渡った。60歳から70歳くらいだと思うが、あんなに響く。驚いた。全てが終わった後のメンバーの皆さんの満足げな表情は、大きな価値。羨ましい、と思った。社会に向けて発表する必要は必ずしもないだろうが、こんな時間を作る価値はありそうだ。「終活」を考え始めてはいるけれど。こんな時間を作る必要性もつくづく感じた。「過ぎ行く時間を楽しめる。」これを目標に次のターゲットを探したい。良い時間だった。

    日付(25/8/4) 団地自治会盆踊り

今年は班長さんが回ってきたので自治会活動にも少しは参加して・・と思っていたら広報役員は決まった時間のスナップ写真を撮ることを依頼された。丁度、前日から静岡に出張で大急ぎで帰ってきたがそれ程の出番はなかった。自治会館のテニスコートを使っての盆踊りで、狭い空間だが周りの駐車場に屋台や出店も出て、なかなか良い雰囲気のイベントだった。この地域に伝わる太鼓の演奏があって子供たちに引き継がれているのを見て、それだけで催しの価値を感じた。担当時間のスナップ写真を撮った後、フィナーレ前の会場に行くと、この団地にこんなに人がいたのかと驚くほどの賑わいで、踊りの輪も予想以上に大きかった。広い世代の人達が集まっているだけで嬉しく、やはり地域活動にも参加すべきだと認識した。まずは自治会HPのメンテ位から協力しようか、と思っている。地域と共に歳をとっていくことの必要性を感じた。その機に三男の家族がやってきて当方も「家族の盛夏」を感じる夜だった。

    日付(25/7/30) カムチャツカ地震

気象庁と天気予報については時代と共に動いていることを感じることが多い。昔は今ほど天気予報に対する信頼は無かったし、当然、当たらなくて当然だった。それが今や天気予報士が職業となり、社会全体に影響を及ぼすような重要な職業になってきた。気象庁や気象学を深めてきた歴史の成果であるように思える。勿論、その陰にITの進歩がある。過去のデータに基づくのだが、統計を駆使して知らない世界を予想する。その精度も日に日に上がっている。今朝はカムチャツカでマグニチュード8.7の大地震があり、それによる津波が日本中、世界中を揺るがした。複雑な海中の地形が影響するのか気象庁も津波予想には苦労した様だ。太平洋岸の広い領域で津波警報が続いた。東北大震災以降、国民の避難指示に対する感度も高い。おそらく警報を注意報に変えるのも大変な迷いがあったのだろう。夜の9時前だった。昼間の警報段階の影響が大きかった。住民の避難の問題と共に交通機関の影響が、特に大きかった。太平側の広い地域で交通網がストップした。何か大きな被害が出れば「良くやった」になるけれど、このまま明日になったりすると後でどんな批判が起こるか。いよいよ気象庁もこの種の試練に正面から立ち向かわねばならない。でも、「一分先を予測する力」というのは凄いことである。本来できることではない筈なのだが・・・今や近づいている。これも科学なのだろうけれど、何となく怖い。当たらなくても許してもらえる予報の方が何となく人間臭くて良いように思うけれど、これからはそれも許されないのだろう。

    日付(25/7/25) トランプ関税

アンチトランプの当方としては、今回の「合意」もどう見ても解決には見えない。内容もまだ明瞭でないが、これまで何度「朝令暮改」があったか、2度目の就任以来何を宣言してきたか、こんなにコロコロいうことが変わる国・政権に世界中が振り回されている状況はどう考えても「正常な歴史」の断面とは思えない。合意だっていつ次の合意に変わるか分からない。じゃ、世界はどう立ち向かうべきか、「米国の良心」「民主主義の米国」に期待するしかない。最近時々「まともな米国」を感じることもある。「トランプ」ブランドを利用する人達がいる、と思わせることがある。世界の知性、良心はこの共和党内部の「見えないリーダー」を使うしかない。赤沢大臣はそれに成功したのか、それとも筋書き通りに動いたのか、いずれ明らかになる。次は日本の政局だろうか。もしかしたらそれも「筋書き」に入っていそうに思える。やはり長いトレンドとしては日本の「脱米国」だろうが、それは「参政党」ではない筈だ。

    日付(25/7/22) 既存政党の敗北

「与党大敗」が昨日からの主テーマだが、勝ったのは誰?と尋ねれば、国民民主と参政党。それぞれ大した数ではない。自民は目標に3人足らなかった。一言で総括すれば多党化だろう。右とか左で分ければ(参政党を右だと数えれば)大した変化ではない。これが日本人の「バランス感覚」か。ただ政治の進め方はますます混乱していく。誰が方向を決めていくのか良く見えない。世界の中の日本の立ち位置を示すのは誰だろうか。正に欧州の各国の姿を追っているようにも思える。日本流ガラガラポンが動き出すにはチャンスのようにも思えるが糸を引く人の姿も、祀り上げて欲しい人の姿も未だ見えない。既存政党の復活を望むより「新リーダー」の登場を期待する。

    日付(25/7/20) 参議院議員選挙

政治向きの話は減らそうと思っているが、今日は参議院選挙。朝からもう一度考えている。余り話題にはならないが今日選ばれる人たちは任期6年の長期にわたり議員を務める。なぜ立候補する人達が「何故参議院なのか?」について議論しないのか。衆議院議員なら「解散」に怯えていなければならないわけで、参議院議員の参議院議員たる所にもう少し焦点が当たっても良いはずだ。ただ、「何をする人達か?」という議論さえ余りされていない。「不要論」も常に語られる。政党政治に徹するのならいっそのこと国民は政党に投票して議員は政党が選択しても構わない。現在の参議院の役割から考えれば「承認者」であれば良い訳で個人というより団体、機能に徹しても良いのかも知れない。こんな日にこそもう一度小学生・中学生に帰って政治の在り方、民主主義のありかた、幸せな人生、などについて考えてみたい。明日の新聞はやはり早く読みたい。何が起ころうとしていているのか。高投票率を期待したいし、若者たちの総意の傾向も知りたい。高齢者としてはやや恐怖感もあるが・・・

    日付(25/7/11) 久し振りの幹事

ゴルフもそろそろ終わりかなと徐々に回数を減らして、参加するコンペも終った後の反省会が楽しい昔の仕事仲間との会に絞っている。次の月曜は、前回ブービーで幹事が当たったもの。これは「暑くて無理」なんて容易には言えない。ただこの所の猛暑の梅雨期に当たってハラハラしている。雨を心配してクラブを送るかどうか、という人もいれば、熱中症対策で止めようという人もいる。これは幹事泣かせ。でも考え方を変えれば、この季節は少しの雨なら有難い位とも云えるし、暑さは今週より来週はまし、とも予報が言っているし、当方などいざとなれば途中リタイアという手もありだし、なんて考えている。幹事としても大切なのは反省会の懇親、今やそんな機会がどんどん減っているから。幹事仲間はしっかり天気予報をフォローしてくれている。リタイア組になるといよいよこの種の楽しみも慎重に、慎重を重ねて・・・である。何かのプラニングに追われるのも、又楽しみの一つである。

    日付(25/7/5) 今年もインタビュー

「追跡調査」の仕事を手伝いだしてからもう12〜13年になる。ちょこちょことお手伝いの年もあれば、多くは大きなプロジェクトを率いた(有名な)大学教授へのインタビューが、メインイベントで、その後報告書をまとめる。今年もその仕事を頼まれて、先週末京都まで出かけた。関東はまだ梅雨も明けていないけれど、朝から暑く、京都に着いたら梅雨も明けていて本当の夏。駅から近いのに初めてのキャンパス内をウロウロ。いっぱい汗をかいた。この仕事は有名な先生方も、大きなプロジェクトに大きな予算が付いたフォローなので、たいてい丁寧にインタビューに応じてもらえる。年齢で考えれば当方などより若い先生方なのだが、大物が多いのでやはり少しへりくだって丁寧に対応しなければならない。でも先生方も大きな予算を受けた手前、丁寧に対応してくれる。技術的な内容はかなり高度で理解するのは大変だが、そこはインタビュアーの強みというか、判っていなくて当たり前、的態度で臨むことはできる。そうは言ってもまたまた大汗をかいた。でも終わった後は、当方は関西に行くと必ず会う友人と約束をし、お互いの近況を報告、美味い酒を飲み食事を楽しむ。今回も京都でフレンチとワインを楽しんだ。こんな嬉しい、刺激的な時間を楽しむことができるのは何のお蔭だろうか。こんな仕事を紹介してくれた昔の上司のお蔭だろうか。冷や汗をかきながら過ごした時間の後で舌鼓を打つ。ただ、こんな時間もいつまでも続けることが出来る訳ではないだろう。もう余り自信はない。関西の場合、たいていはお墓参りも行い、亡き人の霊にも挨拶もする。歳と共に形は異なってくるが、違った形の「生きている」自覚の時である。そんな機会にあちこち寄り道もして帰るが、「できる」ことの喜びも感じる。有難いと思いつつ、この種の仕事がいつまで続けられるか、ますます自信は無くなってくる。今回は何とかこなせた。次々と追ってくる情報伝達は容易では無いのかも知れないけれど。新しい、チャレンジではある。

    日付(25/6/29) 自治会のホームページ

今年度、団地の自治会の班長さんが当たった。担当選択の会で広報担当を選んだ。何しろリタイアまでこの種の仕事は全て家内に頼っていて、本当に基礎から知識がなかった。リタイアと家内が体調を悪くしたのがきっかけで、いつの間にかゴミ処理から、公園清掃まで、色んな担当もせざるを得なくなった。広報になったものだから全く知識の無かった自治会のホームページ(HP)を覗いてみて、最近アップデートもされず、どうも団地の人達も余り頼りにも期待もしていないのでは、と思ってしまった。そこで自治会に対し、HPのアップデート位ならお手伝いできるかも、とプロポーズした。実はHPのメンテナンスは委員会のボランティア活動だとか、余りちゃんとやられていない。昨日、たった一人でメンテをやっておられる方と会って、何かお手伝いできますか、と話した。今や委員会とは言え、一人で全てを扱っているとかで、当方の申し出に喜んで頂けた。いざ話を聞くと、当方がこのHPを作っているHTMLではなく、「ホームページビルダー」という名のアプリを使っているとか。まずそこから勉強することになった。早速、アプリを自分のPCにインストールするところからスタート。これから徐々に手伝えるようになろうと思う。班長さんの最大の仕事は回覧板の回覧の面倒を見ることの様だが、できればもっとIT化してスマホやPCで情報回覧mが出来たらよいのに、と感じていたものだから、何か貢献できるかも知れない。でも最初の班長会議で後ろの席から聞こえてきた「スマホは持っていないし見もしない。誰もが同じでは無いですよ。」との声が聞こえたのも忘れられない。もう平均年齢はは相当高いだけに、回覧板に勝る情報伝達は容易では無いのかも知れないけれど。新しい、チャレンジである。

    日付(25/6/22) どうなる中東?

今朝も朝から大谷君の応援か、とTVをつけたら、アメリカがイラン核施設空襲とか、トランプは検討中とは言っていたがこんなに早く実施するとは驚いた。いよいよ中東戦争が第三次世界大戦、核戦争へと向かっている。誰もが戦争反対を叫び、誰もが核兵器を拒否しているというのに、何故人類はこんなにも非人道的な方向に向かうのか、謎である。ただ「謎」なんて言っていられるのはとりあえず衣食住が安定して、自分や、家族や、仲間のことを心配できる我々だからこそ、とも云える。今、ウクライナやアラブに住んでいたら、そんなのんきなことは云っていられないだろう。ドジャースの試合開始の11時、トランプの記者会見。「力のアメリカ」を会見で宣言した。今アメリカが参戦しなければならない理由の説明もないまま対イラン攻撃が始まった。イランが核兵器を持つことが悪というのなら、北朝鮮も今すぐ攻撃するのか、アメリカより弱い国を全て力で抑え込もうというのか・・・何とも理解しにくい大統領である。世界の警察官であることは止めた、と宣言しながら多くの紛争に口も兵器も出し、自分の力で抑え込もうとする。本当にアメリカ人の大半(民主主義のはずだから)が支持する国策なのだろうか。今日、トランプの会見にチャネルを合わせながら、原爆投下後のアメリカの世論形成の姿を想像してしまった。「この新兵器でもう日本もこれ以上闘い続けるとは言わないだろう。この兵器を生んだ科学者、使ったアメリカ軍に対し敬意を払う。」とトルーマンは言ったのだろうか。想像するだに恐ろしい歴史の繰り返しである。

    日付(25/6/19) 千葉OB会総会

今年も総会が開催された。当方は前会長だったが、コロナ騒ぎがあって、長期にわたり担当した。2年前に新役員に交代したが、いつの間にかメンバーも雰囲気も変わってきた。働き方改革や、定年延長、定年後の新規職場など、働き方が変わっていって、退職即OB会という人達が減っている。転職を重ねる人たちにとってみれば、OB会に入りたいと思うかどうかもどんどん変わって行くのかも知れない。今日の総会でもいつの間にか自分が年長から数えた方が早いほど歳をとっていることに驚いた。色んな会話をしていても世代間で価値観がどんどん変わっていることを思い知る。例え「年長者の集まり」の会と言えどもその中でも変化が進んでいることを思い知る。でも、年寄に時代に合わせた価値観を押し付けても仕方がない訳で、我々の方が若い世代に折り合いをつけていく、しかないのだろう。それが即ち「歴史の証拠」なのかも知れない。結局、同世代が集まって愚痴をこぼし合ったり、慰め合ったりする快感にも努力が必要になっていくのかも知れない。せめてOB会位は同じ仲間の・・・と思いたいけれど、やはり変わって行くのだ、と思った。老化防止の最も効果的対策は多くの人達と交流することだと言われるが、それはそれなりに「無理」を迫られることにもなっていくのかも知れない。こりゃタイヘンだ。

    日付(25/6/14) 中東戦争

歴史とはやはり戦争で構成されるものなのだろうか。ウクライナもイスラエルも一向に停戦へ向かわない。それどころかイスラエルはイランへと向かう。しかも核施設へと攻撃を向けているとか。ここで核戦争が始まれば本当に人類の破滅へと向かう。飢えに苦しみ、水もない人々にとって、一人の人間の死と、人類全体の破滅と何の差も無い。そんな中に多くの人々が巻き込まれている。日本の様な見かけ上の平穏な毎日の中にいる我々は、単に「一瞬の幸運」に恵まれているだけなのかも知れない。また「渚にて」を思いだす。当方の人生にこれ程影響を与えた小説(映画)が他にあったろうか。西暦2100年なんてすぐそこに迫っている様に思うけれど、地球は残っているのだろうか。孫達は生きている筈だけれどチャンと幸せにいるだろうか。想像するのも怖くなってくる。とにかく今日の問題としては中東が収まって欲しい。反核や反戦を叫ぶのは「勝手な利己主義」の一つなのだろうか。ついつい自分の体力や気力が衰えていっているのを忘れてしまいそうな世界情勢である。

    日付(25/6/8) 長嶋茂雄と少年サンデー

3日以降テレビは長嶋追悼が続く。丁度、我々団塊の世代が小学校の頃から大スターとなりテレビの大衆化ともタイミングが合って、プロ野球をここまでポピュラーにした大貢献者であった。選手引退後も読売ジャイアンツの監督を2度勤め、2回目には驚異の9連覇を果たした。長嶋が騒がれだした頃、我が家にはテレビもなくラジオでその活躍を聴いていた。鳥取県智頭町に「智頭ジャイアンツクラブ」というファンクラブができ、父はその会員になっていた。我々兄弟は親ジャイアンツと、アンチジャイアンツに分かれていたが、何しろ田舎で中継が聴けるのはジャイアンツ戦しかないわけで、結局は皆ジャイアンツファンだった。当方が5年生になった頃、「小学一年生、二年生・・・」といった「学年物」の月刊誌を発行していた小学館が初めて週刊誌に挑戦、「少年サンデー」が発刊された。少年マガジンも同じころに発売となり、今に至るまで日本の漫画文化を育ててきた。父が学年誌と同じだと思ったか、創刊号から買ってくれて嬉しかったのをよく覚えている。当時は「学習記事」も入っていて、「小学〇年生」と同じように「勉強にもなる」子供用週刊誌だった。この創刊号の表紙が長嶋茂雄だったようだ。数日前からテレビ番組でも紹介されている。当方もみた途端に思い出した。(ずっと持っていたら今なら価値が上がっていたかも・・・)少年サンデーもまもなく漫画週刊誌となり親が買ってくれる「ためになるホン?」ではなくなって読まなくなった。でもこうして、長嶋・少年サンデー・団塊の世代となると我々の生きた時代の明るさ、前向き志向、高度成長の世の中を思わせる。ここ数日の長嶋追悼の世論を聞いていると「あの良き時代がもう一度来れば良いのに」と叫んでいる75〜80歳の老人たちの声が聞こえる。長嶋さん、ご苦労様でした。

    日付(25/6/2) 今度はキーボード

半月前位からPCの調子が悪く、メールを打っていると数行で先に進まなくなる、とかワードで文章を打っていても突如進むのが遅くなる。これはいよいよメモリーが一杯になったのか、と色々データを消去したり、大事なものはUSBやSDカードに移したりといつもの様なトライを続けた。ところが今回は一向に改善しない。このHPの原稿を打っていても途中で進まなくなる。こりゃ何か重症だな、と色んな可能性を考えていた。ところがとうとうカーソルが進まなくなった。マウスは問題なく働いている。ここでようやくキーボードに目をつけた。考えてみれば打っていれば最初にチェックすべきなのだが段階的に進行するものだから疑いもしなかった。「そうだ、このキーボードはブルーツースだった」と気がついた。果たして電池を交換したら全く問題なし。一瞬で解決。一体何をしていたのか、大いに反省。最近、各種の機能改善が行われているものだからついつい高度なトラブルと結びつけるのが習慣になっている。PC関連ならウイルスにやられたとか「サイバー攻撃かも」とか、思いついてしまう。実際は単なる電池切れ。たまにこんなことが起こる。先のIHヒーターのトラブルは影響が大きかっただけに、ついつい難しく考えてしまう。「原点に返って・・」という発想が遅れそう。ドライバー、接着剤、そして電池。自分でチェックするための準備を怠ってはいけない・・・と教訓を大げさにして、納得。孫に直してもらった方が速い。

    日付(25/5/30) IHヒーターのトラブル

先日、以前お世話になったクライアントの元社長と久し振りに会って一杯交わしながら夕食を採っていた。そこへ家内から電話。こんな時の電話などある筈ないのに、と出てみると、「今、真っ暗。停電。ブレーカーが落ちた。」とのこと。時々過負荷でメインブレーカーが落ちることがあって、最高電流を上げていたはずなのだが、兎に角メインブレーカを入れようとしても入らないという。いますぐ困ることではないというので、そのまま寝ているように言った。暫く経ってからもう一度かかってきて、つついていたら入った という。とにかく安心して夕食を済ませて帰った。全てを切って一つづつチェックすると、台所のIHヒーターの漏電であることが、分かった。よく感電しなかったものだとヒヤリ。翌翌日、メーカーを呼んで点検した所、上部から水分が落ちて、下部の魚焼きグリルのヒーターコイルに水面が届いての漏電とか。どうも湯沸かしの時に何度も突沸させていたらしい。IH周りの回路に浸っていたら全面交換ですね・・と脅された。今日、再訪、グリル回路だけで済んだ。折しも昨日、市の連絡メールで、最近配電盤がらみのトラブルと称して過大な修理費を要求する詐欺が増えているというアラームがあって、疑心暗鬼で対応した。当方に来てくれた技術員はメーカー提携の技術者。「これ位で住んで良かったですね」で終わった。こちらの使い方が悪かったのは間違いない事実なので勿論、文句はないのだが、余計な出費ではあった。ガスコンロより安全、で選んだIHだったがこんなことになろうとは。やはり、加熱装置の使い方は要注意である。火事の心配だけは無いのだけれど。年金生活者にはこんな出費は痛い。同時にいずれ来るであろう一人暮らしの時の心配をした。どんな毎日が来るのだろうか。

    日付(25/5/24) また、お墓

毎年、この時期は人生観や死生観について考えるということなのか、今日又先輩のお墓参りをした。名古屋5年、鎌倉5年を経て千葉に来た時の直属の上司だった。3年前に亡くなった時に当時の同じ部署のメンバーとお墓参りをした。その後、毎年続けている。ぜひ、とアレンジしてくれる(当時の)若者がいてくれるおかげで恒例行事になっている。毎年、千葉駅前のバス停で待ち合わせ、バスで公園墓地に行き、お参りする。千葉駅まで帰って(昼間から)居酒屋で昼食(というより飲み会)。思い出話に花を咲かせる。いつの間にかメンバーは殆どリタイア組。当方にとっては新入社員時代から知る「若者達」なのだが。こんな楽しい嬉しい集まりをくれているのだから先輩上司には感謝しかない。こういうのを「人徳」というのだろうか。思い出話ばかりで盛り上がっていてもダメかも知れないけれど、今や「仕事帰りの一杯」なんてなくなっているらしい。それを非難するような(我々)世代は生きてはいけない仕事場なのだろう。でも最近リタイアした新人(のリタイアリ)と話していると、あの時代の良さに想いが行ってしまう。なぜか、「やはりお墓に入った方が良いのかな」なんて考えが揺らぐ。長い人類の(日本人の)歴史の僅か100年の事なのだけれど・・・

    日付(25/5/22) コメの価格

「口は災いの元」なんて政治家にとって、基本の基であろう。こともあろうに農水相が今喫緊の話題のコメの価格について「いつも支持者からもらっているので余るほどあって買ったことはない」などと言うだろうか。しかも「受けを狙っての発言」とか。受けを狙って吐く言葉か、とあきれてしまう。でもこの大臣は農水政治に熱心で、是非価格を下げる所まで続けて欲しかった。この問題は謎が多い。国策として進めてきた農政の問題点を明らかにしたから。これまで自動車輸出を代表に国の産業政策の犠牲になってきた農政だが、農業従事者のヤル気を削いできたのは間違いない。田んぼの中で育った当方など田植えから稲刈り、脱穀・精米に至るコメ生産の姿を当然の如く見てきた。ただ、今、昔の同級生に会っても「農業を続けている」というセリフを言う人が非常に少ない。特に歴史を変えたのは「減反政策」だろう。「生産しない方が得」という流れを作り、兼業が普通となり、専業従事者を減らしてしまった。日本のコメのコスト競争力はまるでない。在米の頃、米国産のコメにもお世話になったが、向こうで高価なものを選べば十分に美味しく、なぜそれでもこんなに安価なのか、と思ったものである。自由貿易が声高に言われた頃、なぜコメも自由にしないのかと思ったものである。どんなものであれ、どんなことであれ、世界での競争力が無ければ生き続けられない。それを政治が殺してきた。今、日本ブームとかで、世界中で日本物が騒がれている。農産物、水産物、酒類・・など、Made in Japanの価値が認められている分野が増えている。価格はコストと品質で決めれば良い。コメだけを例外にする必要性は下がっている筈だ。今は、主食はいくらでもある。パンもうどんもラーメンも・・海外の主食を選ぶ日本人だってどんどん増えている。我が子や孫達の食卓を見れば分かる。タイ米の輸入に頼って「焼きめしなら十分」なんて時代もあった。その時代時代に合ったものを食べるのが生き物のあるべき姿だろう。当方は主食はコメとアルコールだけれど。

    日付(25/5/16) 喜寿同期会

この季節になると毎年大阪で同期会がある。昨年後半に関東エリアの会が久しぶりに開催されて関東組の出席は少なかったが、当方はいつもこの機会に両親や長兄夫妻の墓参を計画するものだから迷うことなく参加した。毎年一人二人と参加者が減っていくのだが今年は関東組一人でも10人の参加があった。幹事の開会の辞で「健康と病気の話ばかりになるので、明るい話題、自慢話に」という声掛けがあって明るい話題の二時間だった。こんな会に出席できること自体が健康な証拠でもある。でも個々に話すとやはり家族も含め問題を抱えている人も多い。さすがに現役活躍組は減ってはいるが、毎日の刺激の為にみんな工夫しながら時間を楽しんでいる。内の一人が「医師・和田秀樹が提唱する「極上の死に方」」というコピーを配ってくれた。やや幹事の挨拶とは逸れるが、「極上の」の一言で納得、積極的に受け入れた。@極上の死を迎えるために、自分が納得のいく生き方を貫き通す。A苦しいことや煩わしいことは出来るだけやらない。B自由気ままに暮らす。我慢すると心身共に老化が加速する。C要介護になったら残された機能と介護保険をフルに使い、人生を楽しむ。D迂闊に医者の云うことを信じない。治療も薬も選ぶのは自分。E脳と体を使い続けて、認知症と足腰が弱るのを防ぐ。F死を恐れれば恐れる程人生の幸福度は下がる。G人間関係が豊かなほど老いは遠のく。人付き合いが億劫になったらボケる。H体が動かない時、意欲が出ない時は「なんとかなるさ」と呟く。I楽しいことだけを考えて、とことん遊ぶ。どうせ死ぬんだから。とあった。この人の「80歳の壁」は当方も気に入って読んだが、最近次々と同じような本を出している。ベストセラーとはこうして生まれるのだろう。何れも文句の無いメッセージである。当方はこれに「心身共に老人の健康は自然に任せる」というのを入れたい。ここまで生かされたのだから・・・さすが、喜寿の同期会である。

    日付(25/5/9) お墓参り

コロナ一段落以来、訃報が続く。最近の傾向で余り派手に葬儀をやらないものだから、暫く経ってから耳にするケースも多い。大急ぎで弔電を打ったりするが、これこそ後の祭り。お見舞いにも行けなければ「最後の一言」を聞くことも出来ないことが多い。今年になって亡くなったお世話になった大先輩のお墓に参ろうという話があって、今日お参りしてきた。千葉の街中の立派な墓地。そんな場所に準備をしておられたことから驚いた。皆さん、ちゃんと「終活」もされていたのだ、と自分の準備不足を責めている。同じくお世話になった友人と二人で行ったのだが、現役の頃を思い出しながら「ああだった」「こうだった」と話も、そして帰り道の「一杯」も弾んだ。人生を何年と仮定は出来ないが、とにかく過ぎ去った部分は速い。あの時こうして欲しかった、とかもっと議論すべきだった、とか悔やまれることも多いが、でも過ぎ去ったことは「水に流して感謝」で終わりである。後味は非常に良い墓参だがやはり自分の行き先については迷っている。お墓は逝く本人の為のものではなく、残される家族の為のものだと思っているが、子供たちはいつも「準備はしておいてよ」と声を揃えている。確かに年齢的には早くしないと後れを取ったかも知れない。でも自分で参る場所ではないし・・・今日お参りした先輩に「チャンとしておいてやらないと家族が困るよ」と言われている様で・・・

    日付(25/5/6) 爽やかなGW

何も特に計画していなかったが、今年のGWも気持ちよく終わった。時々寒い日もあったが、総じて爽やかな低湿度の春であった。横浜に住む義妹夫妻が、ヒマつぶしの「飲み相手」を探してやってきて2泊。いつの間にか嫁いだ娘夫婦とその孫に頼ってばかりはいられない、とばかりに沢山のビール缶持参で飲みに来た。新年やお盆を思わせる時間の過ごし方で、空き缶ばかりが溜まっていった。彼らが帰った翌日には、我々夫婦が寂しかろうと、3番目の息子(のみ)が一人で泊りがけでやってきた。いつも家族で来るので子供達が主役になるが、珍しく一人。教育談議に花を咲かせた。振り返ってみれば両親も教育者、2番目の兄も先生、家内の亡き弟の所も本人夫妻も子供たちも教師ばかり、周囲には先生が多い。たまにこうして息子と話すと両親や兄と話した事柄を思い出す。学生の時にもう企業の奨学金を貰うつもりでいながら、高専の教師としての可能性を追ったことなどが懐かしい。そんなことを思い出すと人生の分岐点は色んな所で訪れて、その度にエイヤっと決めていたのだ、と思う。「ふたつとない」という人生の選択が今の自分を決めてきたのだ。こうして一年の中のほんの数日だが、近い家族たちと思い出話に耽ると、「もしもあの時」というストーリーを色々楽しめる。こうして健康(?)で喜寿を迎えてこんな会話を楽しんでいるのは「ラッキーな人生だった」ということだろうか。相対的に湿度が低かったからか爽快感が強かった今年のゴールデンウイークだった。さて、来年の今ごろは?と予想するだけで恐ろしくもあるが。

    日付(25/4/30) ようやく本物の春が

いかにもゴールデンウイークらしい春の空。昨日は今年も庭木の伐採に汗を流した。最近(最も軽いタイプだが)庭木トリマーが重くなってほんのちょっと頑張っただけで右腕が痛い。でも青空の下、庭木を剪定しているとこんな「幸福感」もあるのだと改めて思う。そのためにはやはり「健康」か。来年も、再来年もこれが出来るかな、などと考えながら貴重な時間を過ごした。時を感じることは多い。トランプ革命(?)は100日になったとのこと。天変地異の事件と同じように感じるのは良くないのかも知れないけれどこんなことが自分が生きている間に起こるなんて信じられない思いである。米国の歴史を思い、住んだ時代を思い、友人達を思うとやはり当方にとっての米国は民主主義のモデル大国、「夢の国」であった。グローバル化・近代化の牽引車であった。この数年はある種の「揺り戻し」なのかも知れないけれど元の「偉大な米国」に戻って欲しい。MAGAは決して悪いキャッチフレーズではない。GREATの意味の中に世界の民主主義を率いる役割も保って欲しいというだけだ。米国人だけが幸せであればそれで良いという訳では決してない。春の日の陽ざしの中でミシガンの春を思い出している。Chapter-11下で、どうなるのかなどと思いながら、でも明るかった。今の米国もあの輝きを保っているのだろうか。

    日付(25/4/27) ゴールデンウィーク

世の中はいよいよゴールデンウイーク、今年は5月に入ってからの集中の様だ。リタイアして後のゴールデンウイークは息子たちの、孫達のスケジュールの問題であって、年寄夫婦には余り関係はない。でもコロナには一区切りつき、ようやく社会は本格的にゴールデンウィークを楽しもうという雰囲気がある。大阪万博など本当に開催できるのだろうかと思っていたが、ちゃんとかなりの混雑を見せているらしい。米やガソリンを含む物価高騰も大きな社会問題だと思うけれど、どのメディアがどの問題を取り上げて政治問題にするかによって社会も大きく揺さぶられる。今の所、日本の社会問題としての関心は次の参院選挙にあるようだが、それよりもトランプ関税を始めとして安保や為替などの方が大きな問題に思える。誰がどう採りあげるかによるけれど、一人一人の関心が問われる時代になったようだ。今日、団地の自治会の総会があった。今年は班長の当番となったので、初めて総会に出席した。これまで全て家内に任せていたことの反省からスタートした。個人の視点から自分の住む団地の評価を勝手にやっていたが、見方を変えると良い所に住んだと思えた。これこそ勝手な見方だが、工業地帯勤めの元サラリーマン主体の団地というのは、一体感がある。高齢化に対する不満ばかり言っていたけれど、良い所に住んだな、と改めて思った。問題は「今日は良いが明日はどうなる?」である。

    日付(25/4/22) どうなるトランプ?

これから米国はどうなろうとしているのか?誰かに教えて欲しい状況である。誰が牛耳っているのか分からないけれど、一人の米国大統領が彼だけで動かせる世界ではない筈だ。プーチンも習近平も、EUのリーダーたちも世界がどう動いていくのか予想できないのかも知れない。メディアの扱いも読めない。世界を、トランプを使って動かそうとしている彼らは次に何を為そうとしているのか、見えない毎日が続く。ウクライナもイスラエルも、何か好転するかと期待した国々も何も好転しない。やはり一人の人間に「打破」を期待するような世界では無いのだろう。やはり期待するのは次の世界のリーダーである。それはどこの世界の誰だろうか、今は見えない。プーチンがスターリンになったり、トランプがヒトラーになったりすることだけは避けなければならない時代である。

    日付(25/4/15) いよいよゴルフも?

昨日、沿線会のゴルフがあった。好天で途中で少し風が強かったことを除けば言うことのないコンディションでスコアさえ気にしなければ最高のゴルフ日和だった。当方としてはいつも練習は(全く)いっていないし、でも今年3回目。楽しい一日だった。グロスでいつも最下位を戦う当方としては、昨日はメーカーもブービーも免れたかなと思ったが、そこはドッコイ、ゴルフの神様は許してくれず、又もやブービーが当たって次回幹事と相成った。自由時間にはことかかないリタイリとしては次回幹事もそれ程苦ではない。夕方の反省会で色んな希望を聞いた上で、今朝早速ゴルフ場に行って次回のコンペ予約を行った。そろそろゴルフも終わりかなとタイミングを測っている当方としては、やはり幹事はきちんと終えてから終わりたい。ただこうして幹事が当たったり、反省会でワイワイ騒いだりする時間があることが、なかなか完全終了まで届かなくさせてしまう。「スポーツとしてのゴルフ」と、「おつきあい(散歩)としてのゴルフ」の根本的な違いである。多くのリタイアリが「ゴルフ命(いのち)」の状態になって集中しているのは知っているが、当方のように「散歩の延長」だと認識しているものにとっては、やや申し訳ない気もする。兎に角、次のステップとして歩けなくなったり、運転できなくなったり・・体がついて行けなくなった時の事だけは考えておかなくては、と思った次期幹事である。

    日付(25/4/12) 高校時代の同期会

故郷鳥取で医者を現役で続けている友人が学会で出てきたのをきっかけに久しぶりの同期会があった。定例的にやっていた関東同期会を終えてからすでに6年も経つとか、良い機会を作ってくれて感謝であった。久しぶりの新宿は地図があっても目的地に着くのが難しいほどの変貌と人ごみ。インバウンドも多い。もう、用なしでは歩けない。それでも元気な10人が集まり色んな話題に花が咲いた。自分が高校生の頃77歳のお爺さん、お婆さんをどんな目で見ていたかを思い出してみると、信じられない位元気な仲間が多い。話の中身も十分現役である。丁度同じ時間に故郷鳥取の小学校の校庭の桜の木の下で、向こうの同級生が花見をしているのを知り、電話で話した。これまた時代のなせる技、距離は縮まっている。やはり社会としてはこの長寿たちがどう生き甲斐をもって社会に貢献するか、が次の世代の大きなテーマだろう。その気になって帰り途を歩くと人ごみの中に我々世代が少ない。どこでどう時間を過ごしているのか、自分も含め大きな社会問題であると認識した。「何を目標として生きるか?」を「生かされている」一人一人が考え直すべき時なのかも知れない。

    日付(25/4/4) トランプショック

「ディール」の為の打ち上げ花火だとばかり思っていたが、本当にトランプ関税が動き出している。取り巻きの間でも異論があるようなので暫く経過を見る必要があるとは思うが、「大国主義の時代」が来るのかも知れない。中小の国達はどう生きて行けば良いのか、何をもって「国力」というのかどんどん心細くなってくる。「米国第一主義」は云うのは勝手だが世界の平和の均衡を何でどう計るのか見えなくなってきている。今後の平和の概念をどうみるのか、心細い。「世界が米国に甘えてきた」というのはやや言い過ぎではないかと思うが、特に日本の戦後世代は対米感覚に甘えがあったのかも知れない。でも本当の世界の平和の為には大きい国、強い国、持てる国に世界平和を作り上げる努力と責任は期待したい。4月に入ってからのトランプニュースにはやや辟易としてきている。米国新大統領として毎日メディアを揺らしているのは素晴らしいことかも知れないけれど、大国の大統領の、世界平和に対するビジョンは再度公開して欲しい。今のままではおそらく米国民も含めて人心は離れていくのではないだろうか。不快感が募っていく毎日である。

    日付(25/3/29) 街角ピアノ

ピアノを習うなんて田舎生まれの当方としてはお金持ちの子供の象徴で当方には関係ない世界と思っていたが、日本の復興・成長の証拠として我々世代以降には次第に普通の家庭の習い事の一つになってきた。我が家には結局ピアノは入らなかったが親戚も含め次第に増えて行った。孫の世代になるとどうも平均的家庭の普通の家具の一つに近づいている様で子供たちの家庭にはチャンと備わっている。先日、3男の孫娘のピアノの発表会とのことで会場にでかけた。以前、滋賀に住む次男の娘の発表会には行ったことがあったし、チョット知ったかぶりの世界になっている。家内の妹はずっとピアノの教師をしているし、3男の嫁は小学校でピアノの教師と、近い家族もいる。当方も聴く方はクラシックを含め決して嫌いではないので応援に行った。自分の子供の子供がようやく手は届くようになった大きなグランドピアノに立ち向かっているのを見るとそれだけで成長を感じる。拍手には自ずと力が入った。人前で緊張した時間に鍛えているのを見るのも楽しい。決して嫌いではない証拠に当方は「街角ピアノ」や「空港ピアノ」が好きで時々チャンネルを合わせている。何故か、何が好きなのか突き詰めたことは無かった。最近の話題の大阪南港のこの番組の話題には興味を持った。「聴く人が不快になるほど下手な人は弾かないで欲しい」「ピアノに触れる機会の無い人に楽しさを味わえる機会を」という両極端の意見の議論になっているらしい。確かに余りに下手な人の練習音は雑音でしかないだろうし、一方自分でピアノの音を出してみたい人の気持ちも分かる。これこそアレンジする人の計画つくりの問題で、誰のための何のための番組なのか、最初のミッションが大切だと思った。発表会の内容は何れも(可愛いさもあって)満点だったが、ピアノの芸術性が理解できない当方だったから良かったのかも知れない。でもこうしてピアノの音楽が広く親しまれるようになっていくのは素晴らしい文化レベルだとは言えそうである。

    日付(25/3/24) Temuでお買い物

昨年位からかネット上でTemuという通販サイトが見られるようになった。兎に角、何でも超安価。こりゃ「中国系サイトだな」と無視はしていた。ところが昨年末、喜寿祝いに子供たちが贈ってくれたステンドグラスセットで作成を再開した所、欲しいものが次々と出てくる。ステンドグラス用材料なんて近くのホームセンターでもそうそうは売っていない。そこで出てくるのが通販サイト。おそるおそるTemuに手を出した。ネットで見るとかなり話題のサイトの様で日本人も「おそるおそる」だが、使い始めている様だ。当方も材料の各種ガラス、グラインダーなど注文してみた。ま、趣味の世界だし、騙されたとしても被害は知れている程度のつもりだった。最初は小さなグラインダー、やはりというかしっかり失敗。到着したものは云わば不良品。部品とのジョイントが合わない。ネットでクレームをつけたらすぐにお詫びと返金。その上「品物はご自由に処分してください」。戻ったお金で再度ちょっと違うものを購入。これはバッチリ。こりゃ行けるかもと次はいよいよガラス材料。何しろ息子達のくれたプレゼント品はかなり高価。Temuで注文してみると10cm*10cm位の小さいものだがかなり安価。Temuのシステムは良くできていて(中国の)工場出荷、飛行場到着、日本に到着、配送業者に、という流れを逐次ネットで教えてくれる。ただ初回は飛行機に乗った後、紛失。消えてしまったらしい。これもうまくできていてちゃんと返金。次のオーダーへと移れた。ようやく小さなガラス板20枚が昨日届いた。なかなか買えない趣味のものだから耐えられたが、これなら色々購入してみようとはなかなかならない。でもサービスとフォローで勝負しようというのは頷ける。戦後日本が、復興手段として「安価・高品質」に集中して成功していった歴史を思わせた。「中国品だから・・」と言った偏見は捨てようと思う。勿論、カード情報とか、PWとか、支払い法については区別して注意はしている。経済のグローバル化にはついて行かないといけないという思いだけはある。面白い経験であった。

    日付(25/3/22) エントロピー増大の法則

何しろ「化工屋」を名乗っていた訳だから「エントロピーって何?」とか尋ねられるとちゃんと答えられなければならない筈である。お風呂のお湯に氷を放り込むといずれ溶けてお湯が冷めるでしょ、とか、なべ料理をしていると材料がいつの間にか表面にきれいにばらけていくでしょ、これがエントロピーなのよ、などと知ったかぶりをするけれど、難しい理論は何も覚えてさえいない。でも、最近とみに思うのは病気の「自然治癒」の重要性。特に高齢者になると余りに特殊な(高価な)医療は不要ではないかという感覚がある。一方、新技術開発研究でも「自己組織化」がキーワードとなって「自然に解に近づく」現象の話題も多い。飲み会の席での表現にすると「これもみんなエントロピー増大の法則かな」なんてことになる。生き方議論でも、「自然な流れに逆らって生きるのは大変」という話にも繋がる。何とか77年生きられたわけで、これから先はエントロピーに任せて・・・なんて台詞に意味があるのだろうか。

    日付(25/3/17) まさかのコンサル?

一応「個人事業者」を名乗って税金対策を始めたのはリタイアと同時。もう15年も経つ。経営・技術コンサルタントを名乗って、小・中小・大企業の相談相手の様なことを継続してきた。大企業の技術相談はかなり楽しかったが、(おそらく)謝礼が安過ぎたか、途中で終わってしまった。中小企業の四国の化学会社は10年も通って楽しませてもらった。残った2社もそろそろ終わりかと思っているけれど、こちらで辞める話を持ち出すと「辞めて欲しい時はこちらから言います」とまで言ってくれるものだから相変わらず続いている。何か貢献するのが義務だと考えているのだけれど殆ど何もできていない。メールでのやりとりや、ネット打ち合わせ、珠に顔を出して話して終わりである。こんなコンサルもあるのだろうか。その中の1社は築地に本社を移し、静岡にも支社ができた。茶畑の中に建物があって広い年代の人達が通っている。運が良いと駿河湾の上に富士山が美しい、と聞き続けてきた。当方はどうもついていない様でこれまでここで一度も富士を見たことが無かった。先週、久しぶりに顔を出してふと見たら美しい雪を被った富士が雲の上に浮かんでいた。「ヤッター」と叫んだ位の喜びであった。10人前後の社員が、ここを基盤にあちこちを相手にSomethingNewを追っている。もともとコンサル仲間の紹介で現社長に知り合ったのだが、いよいよ事業継承の時代に入っている。後継者の若者は我が息子達より若いが、それでも勉強・活躍の真っ只中、見ているだけで楽しい。この若者の話を聞くのが今の与えられたミッションなのだと勝手に理解している。私企業の成長を見ているのはそれだけで楽しい。こんなことでお小遣いを貰っていてよいのだろうか、と思っている。何も出来なくても居るだけで良いのなら・・・と継続しているが。何となく後ろめたい。こんな「コンサル」もあるのだろうか。当方としてはボケ防止には大いに役立っていると思って感謝してはいるのだが。漸く茶畑から富士が見えた!

    日付(25/3/9) 今度は山火事

能登半島の地震の後の洪水にも驚いたけれど、今度は東北の山火事。3.11の大震災で大きな被害にあった大船渡の山火事。自然の攻撃は容赦なく続く。「避難所の準備」とか「非難の心構え」というのが遠い話ではなく、いつ、誰を襲ってきてもおかしくない。こんな分野こそ「政治」の出番だろう。気になるのは「個人主義」の流れと自己主張の常識化。自分も含め現代を生きる我々は「まず自分・家族」という発想が強くなり過ぎている様に感じる。それでいて困った時は「社会が助けてくれるのが当然」といった他力本願も強い。子供の頃の地域一体、助け合い的な温かみを感じる機会は少ない。おそらく我々は一たび「避難指示」の中に入ったら、「公の助け」を期待するのだろうが、その時に「弱き者から順に」と言った基本さえ守れるかどうか、自信がない。そんな社会になって(して)しまった。おそらくこれは、もう一度戦争でも起こらない限り治らない病かも知れない。田舎にいた頃、近所付き合いや隣組、地域の活動などの価値が自分の中では低かった。今になって青年団や消防団などの活躍・貢献を素晴らしいと評価しているけれど、本来自分が活躍すべきであった年齢の頃はまるでダメだったなと振り返っている。子供の頃も山火事は頻繁にあった。消防車のサイレンの音が耳に残っている位である。近所の青年団や消防団員の人達はその度に動員されていた。今もあんな活動が続いているのだろうか・・おそらく無いよね。普通の人達がやることではないのだから・・でも本当に危機に遭遇したら・・やはり覚悟は必要だと思う。

    日付(25/3/4) 米国の友人達に

もうトランプ関連は触れたくないと思いつつ、それでも先日のゼレンスキーとの対談のニュースをみると日米関係の将来が心配になってくる。就任以来留まることなくサインを続ける大統領令には呆れて物も云えないという感じだったが、今度はホワイトハウス内での大統領同士の面談である。あんな「トップ外交」が行われること自体が信じられない。すぐに裏を知りたくなる、曰く@米国共和党の陰謀、Aウクライナの作戦、Bトランプ・ゼレンスキーの芝居・・・色んなストーリーが語られるが、現実に今でもロシアが攻撃を続け、死者も出ている小国ウクライナがあることは事実である。何かできないかと世界の良心に語り掛けている。侵攻を受けている当事者を外して、米ロで停戦を計画するなんてそもそもおかしい。政治だから色んなプレイヤーが現れて、色んな解決案を出し合うのは良いことであるが、誰と誰の戦争で、その理由は何であったか。そこには戻らざるを得ない。少々勉強した位ではロシア侵攻の正当性は見いだせない。そのロシアと、最もウクライナをサポートし続けた米国が頭ごなしに停戦を話し合うという構図は容易には理解できない。米国の知り合い一人一人の顔を思い浮かべながら、「米国民はトランプ2.0を本当にサポートしているのですか?」と毎日訊いている。

    日付(25/2/28) 2月は逃げる、3月は・・

兎に角、時間が経つのが速く感じられる。2025年が始まったと思ったらもう2月が終わる。振り回された(と感じた)確定申告だったが、まだ2月だというのにもう還付金が振り込まれた。恐るべしe-TAXである。確かに昨年は年金分が減ってそもそも収めた所得税が大きく減っていることもあっていくら控除額が増えても沢山還ってくるわけはない。今年はついに全額還ってきた。e-TAX対策で領収書の束とかデータのコピーの束とか、何か言われたらすぐにでも送れる準備をしていたのに、もう還付金が振り込まれて「空振り」感が強い。こりゃ今年はもう少し頑張って、所得税を払わねば、と思わぬプレッシャーを感じている。誰かと話しても何を読んでもどんな番組を見ても、最も感じるのは「時間だけは後戻りしない」・「残りは短くなっている」感である。世の中の変化にはついていきたいけれど、これまたどんどん離れていく。世界の動きが次第に読めなくなっている感が強い。せめて自分の体は自分でコントロール出来るようでありたいが、次第に思うようにいかなくなってきている。生物・人間というのは旨くできている。高額医療費の補助の問題が議論されている。受けている立場としては有難い制度だが、限界も感じる。大きな政治問題になりつつある。これまでの不治の病を治す技術の進歩は素晴らしいけれど、同時に高齢になっても世の中に貢献できる生き方ができないと「何のために?」になってくる。「生きる」を考える時間である。

    日付(25/2/22) ステンドグラス

息子たちが喜寿を祝って贈ってくれたステンドグラス細工のキット。30年もの間、触ったことも無かったが、ゆっくり不足していた道具やキットも買い揃えて、ようやく細工が可能となった。思い出すためにまずは直線ベースのプレートに挑戦、そのあと建物シリーズの教会にチャレンジした。でも練習が足らなかったか、まるでダメな出来栄え。曲がった塔のついた教会になってしまった。プレゼントには使えそうもない。次はやや慎重にフラワープレート、チューリップの絵にチャレンジ。やはり曲線の繋ぎが難しい。でも、こうして30年前のミシガンの地下室を思い出しながら工作をしているのは何とも嬉しい。今度はガラスとか各種型紙とか、もっと揃える必要がある。建物にも再チャレンジしたい。何であれ、次は何を作るか、考えているだけで楽しい。これぞ「本物の高齢者」の証しか。

    日付(25/2/17) バレンタインデー

先週末はバレンタインデーであった。当方にとっての2/14は決して愛の告白を受ける甘い日ではない。高校卒業年の昭和41年は父が逝った。病院に入院する暇も無かった。54歳の若さだった。その後すぐに大学受験。当方にとっては大きな試練の年だった。次の試練は平成21年、社長前任者の友人を送った。発病時から、入院時まで見舞いに通ったが、あっけなかった。義理チョコも、お返しも、バレンタインにまつわる思い出は色々あるけれど、やはり当方にとってはこの二つの年のバレンタインデーは忘れられない。今もこの日になると心で話しかけている。二人共笑いながら待ってくれている様に思えるが、本当は色々苦情を言っているようにも思える。365日の中のたった一日だけど、この日はじっくり考える。もう少し待っててよ、と語りかけながら。何という時の経つ速さか!と感嘆の声を挙げながら。

    日付(25/2/11) e-TAX

リタイア以降、「個人事業者」で登録し、PC教室の講師、中小企業の(技術・経営)コンサル、それに現役時代の親会社に属する研究所の特別研究員、等を続けている。医療費控除申請に毛の生えたようなものだが、この季節になると確定申告に追われる。会計士さんに頼むほどの事でもないので、全て自分でこなす。僅かでも所得税が還ってくるのが楽しみだが、手間だけはかかる。何しろ支払っている所得税そのものが大した額ではないので手間の方が大きいが、考え方を変えれば年に一度の身の回りの金銭関連の整理で、個人家計簿のまとめのようなものだ。もう10年以上PCの「確定申告書作成コーナー」を使って入力、印刷して、領収書の束と共に税務署に送ってきた。少しではあるが還付もあり、この季節の重要な仕事(?)の一つだった。ここ数年e-TAXという方法が勧められ、PC上で作成してデータとして送るのを勧められている。当方は領収書類を何年間か保管する、というのが厭で毎年送付してきた。でも今年はマイナンバーカード活用の流れもあって、どうもe-TAXから逃れられない感じがしてとうとうやってみた。17日からの受付だが10日にinputしてみた。おそらくデータ不足で追加送付を求められるのだろうがデータ類のPDF化なども必要らしくフォローが大変かもしれない。ただ、マイナンバーカードの有効利用も含め、やはりこれは付いて行かなくては、と思った。当方など、還付額も大したこともなく、いわば家計簿整理の様なものだが、ますますIT化が進み、年寄向きでは無くなってくる。明日以降、税務署から何を言ってくるか、当方の様な少額還付対象など、相手にしておられないか、何が起こるか楽しみにしている。でも領収書類を保管するだけでも面倒くさい。何もかもIT化されてしまえば・・・無理だろうな?

    日付(25/2/6) 寒いけど

色んな変遷で終の棲家が千葉・市原になってしまった。こうして季節が移り替わる中で「良い場所に当たった」と感じることが多い。ここの所日本列島に強い寒波が到来していて東北北海道など豪雪である。天気予報を見る度に「安全地帯」を感じる。望郷の面からは雪景色が懐かしく、あの真っ白な中で雪かきをした思い出が蘇ることが多々あるが、おそらく今そんなことは30分と出来ないだろう、と思う。「良い場所に住んだ」と思うことにしている。昨日は寒い中、のこのこ東京まで出て行って、昔の友人達と飲んだ。まるで現役時代、仕事帰りに「今日はどこ?」と言っては安価な居酒屋で交流した。当時の若者たちもみんな高齢退職者、主な話題は当然、健康・病院・訃報・サプリ・介護・・・なかなか年金・貯金・財産・株価・遺産までは届かない。最も期待すべき、仕事・教育・スポーツ・家族まで到達するには時間がかかる。当方としては、アルコール・飲み屋と続けたく、ワインの講釈をソムリエ合格者に頼んだ。一本1500円を基準に美味しいワインを探求している当方としてはソムリエの云うワインは楽しめそうにない。試験にチャレンジしたいと思っていたが、あきらめた。試飲だけでも大変そう。当方だけ飲み物を日本酒に変えて日本酒検定・きき酒師・酒ディプロマなどに話を移す。これも相当時間と金をかける必要はありそう。やはり、毎晩今夜は何を飲もうか、と考えている位が関の山か。夏のビールも美味いけれど、これだけ寒いと、日本酒が欲しくなる。なぜか冷酒を楽しんでいるけれど・・・

    日付(25/2/1) もう2月

兎に角、時間が経つのが速い。もう2025年も1/12が過ぎた、というと本当に速い気がする。イスラエルの戦争はやっと休戦状態になったが安心はできない。根本的問題は何一つ解決している訳ではないし今後の姿も見えていない。ハマスは一体何の為にイスラエルを急襲したのか、遡るとどうしてもそれが知りたくなる。トランプ2期目政権がスタートした。数字上「完勝」の大統領選挙だっただけに、世界中がその一言一言に敏感になっている。第二のヒットラーにだけはなって欲しくない。でもこれからの4年は日本政治も大きな影響を受けるだろう。「アメリカの良識、アメリカのリーダーシップ」を期待するしかない。さて、肝心の石破政権、石破に頑張って欲しいと思いながら、「自民党党首」としての石破は不要としか言えない。今だからこそ選ばれたからには全てを投げうってチャレンジはして欲しい。でもトランプ相手だから「今は良くても明日は?」になりそうで心配である。経済はどうだろう。インフレと物価上昇に追われているが、それでも日本経済がきゅうきゅうとしている感じはしない。日銀も含め、今こそ長い目で見た方針を設定すべきだろう。100%の国民が満足で幸せな社会なんてあり得ないと認識してマジョリティ主体の幸福を目指し、マイノリティは公が助けることを表面に出して「自由」と「平等」を達成したい。103万円の壁、とか高校無償化とか、これが本当に現在の日本の重大テーマなのか、と疑問に思っている。現役時代にお世話になった人の訃報が続く。今の世をどう思いながら逝かれたのか、もう一度居酒屋で語りたかった。

    日付(25/1/25) 10.14問題

「10.14問題」って知っていますか?これは今年の10月14日からWindows10が使えなくなる(サポートが無くなる)という話で、Xpの時とよく似ているが、ややこしいのはWindows11にするにはハードの条件が厳しく、自動アップグレードサービスもないのです。当方は3台のPCを使っているが何れもWinbdows10でアップグレードにはハードが耐えられないというものだから、こりゃ今年はハードごと買い替えかななんて思っていた。ただこの話をPC教室でするのもやや億劫で、昨年末にはPC教室の講師のGive-up宣言の方を先にやってしまった。これで心配なのは自分のPCのみという話になる。新しいWindows11のPCに買い替えるのなら話は簡単なのだが、当方の使用中のメインPCはオールインワンでかつTVも観られるもので、録画ができるタイプなのでなんと4TBのメモリーが付いている。これが捨て難いためいろいろ調べていた。結果として、中古のWin11PCを買うことにした。新品のミニPCの購入とか、中古でも色んなスペックのものを調べた。結局、NECの中古デスクトップを購入した。何と注文の翌日には届きビックリ。既に準備していた大型のディスプレーに繋いでみれば、心配していたOfficeも(WSPオフィスではなく)WindowsOfficeだし、繋いだ途端にチャンと動くし、驚くほどの「当たり!」。これでとりあえず10.14は乗り越えられそう。ただ現在のPCの4TBのメモリーをどう繋ぐかはこれからの検討事項。でも何とか突破できそうで嬉しい。新品のWindows11ラップトップを買えば10万円以上もかかるわけで、後期高齢者としては溜まったものではない。こうして振り落とされていくのかな、なんて思った。庶民のデジタル化はどんどんスマホに統一されていくのだろうか。あの文字は高齢者には小さいけど・・なんて思いながら。さて、確定申告のシーズンがやってきた。今年はそもそも自分で払った所得税が多くないものだから頑張っても仕方ないかも知れないけれど、一年分の家計簿のつもりでデータを整理している。この作業位は毎年継続していきたいけれど・・でも所得税を払わなければ返ってくる分は無いよな・・・なんて。税をネタにPCと向き合う季節である。

    日付(25/1/22) トランプ2.0スタート

昨日は就任演説をしっかり聞いた(読んだ)。興奮する人々も観た。でも米国の人達に訊きたい。何故、トランプを選んだのかと。特にいわゆる知識人たちに説明して欲しい。これで良いのか、と。政府の人達はどう思っているのか、いわゆる「現場」の人達は喜んでいるのか。ようやく人権を得たマイノリティーは、地球温暖化に闘おうとしている人達は・・・これほどまでに最近の「新しい常識」を否定する必要がどこにあるのか。どう見ても「自己愛」でしかない。これも自由民主主義の一つの形なのだろうか・・・(新鮮ではあったが)驚きと失望、不安の一日であった。戦争の行方、これからの経済、米国民の安心感、部分的に見れば良いこともあるかも知れないが、やはり引っ掛かるのは「独裁」の恐怖である。歴史の中で何度も起こってきたことが今、進んでいるのではないか、しかもそれが民主主義の盟主(であるはずの)米国で。色んな立場や考え方で受け止めは異なるのだろうとは思うけれど、やはり知りたいのはマジョリティ(なのだろう)である共和党・トランプ派の捉え方である。MAGAと叫んでいる人達は結局「自分たちが良くなりさえすれば」と思っているのではないか、究極の個人主義が引っ張る世の中になっていくんだろうか、という不安である。

    日付(25/1/14) 「昔の若者達」と

現役の頃、仕事帰りに「ちょっと一杯」と飲みに行ったり、年末になると中山競馬場で一日ボーっとしたり、そんな折に一緒だった(当時の)若者たちが、いつの間にか皆リタイアリの一員になって、でも、懐かしんで集まる。今回は「新年会」。競馬場はナシなのだが、何故か場所は西船橋。競馬場帰りに立ち寄って反省会をした居酒屋で、人生の反省会。何のテーマがあるわけではないが、話は弾んだ。それぞれの昔の仲間の消息や、最近の時間のつぶし方、そして世の中の動き、政治情勢等々、話題には事欠かない。このグループは何故か(?)今は一人暮らし。人生を謳歌している(?)。家族持ちとしては、やや羨ましいこともあるが、話を聞くと同情したい部分もある。我々世代だって、最後は一人になる可能性もあるわけで、一人暮らしの話題は他人ごとではない。気が付いたら、ビールをタップリ、お酒もたっぷり。良い夕方を過ごした。社会的視点では皆、一応一個人として「社会の一員として」働いてきたし、貢献(?)もしてきた(ハズ)。でもこうして高齢者として飲んでいると、若い頃の飲み会とまるでイッショ。特に成長したとは思えない。でもそれぞれは一人の人間として生きた証は垣間見える。結局、生きるとは社会に対する貢献などという高尚なものではなく、「自分を生きる」ということなのだな、なんて感じた。自分には自分の人生があるわけで、それを「生き切る」しかない。このメンバーでも20年以上、翌日にまた飲んだ友人は50年。何とも時を勘定する単位が大きくなってきている。「生き切る」のも容易ではない。これぞ新年である。

    日付(25/1/10) 世界の動き

昨年の裏目の連続(都知事、トランプ、兵庫県知事)で、もう政治向きは止めようと思ったが、世界の戦争は終わらないし、全体主義(権威主義)への動きが止まらず、どうも心配で仕方ない。「日本だけは大丈夫」なんて言ってられないから新聞や、ワールドニュースや文芸春秋の記事などから眼は離せない。自分で何かできるのなら良いけれど、80歳近い後期高齢者が何が出来るだろうか。こうして不満をタイプしているのが格好のストレス発散である。当方は元々田舎者であるだけに、一たび染まったグローバリズムからはそう簡単に離れられない。勿論、格差の拡大は許せないけれど「自由」の重要性は優先順位が高い。格差や、不平等が付いて回るがそこにこそ、政治や共助の出番があると思っている。勝者と敗者迄平等である必要はない。敗者を救う所に「公」がある。それが、「平等」の名目で「持てる者」にまで「給付」を提案している。「票」が大事だから。平等は機会にこそ与えるべきで、競争は自由からの必然であろう。トランプやマスクにもそれを大前提にして欲しい。でも、グリーンランドやパナマ運河まで自由にしたいとは、「権威欲」というものはここまで全てをコントロールしたくなるものだろうか。石破首相や政府はこれから日本をどうリードしようとするのか、じっくり語って欲しい。どうせ短期政権でおわるのだから・・と言ってしまえば何も進まない。新しい国の形から入らなければ・・・と期待してしまう。今年も世界の動きからはやはり目が離せない。

    日付(25/1/4) 年賀状

新しい年が始まった。2025年は静かに始まったようだ。何しろ昨年はいきなりの能登地震、そして羽田の事故、と不安いっぱいのスタートだったから。今年は元日には近くの姉崎神社に、翌日は成田山新勝寺へと「チャンと」初詣もした。長男と三男が新年の祝い酒にも付き合ってくれた。例年の事ではあるが、家族や将来について思いを馳せる時間である。その意味でも年賀状の存在は大きいのだが、これも歳と共に減っていく。特に今年から単価が上がり、かつここ数年のデジタル化(スマホ交流)の影響で「年賀状という風習」そのものの、終わりも近いように思える。何年か前から、「今年で終わります」というメッセージも増えて、寂しく思っていたが、今年はかなり多かった。当方のように「人間にとっての絆の重要性」にこだわるものにとっては、いかにも淋しいが、これも時代の流れかも知れない。ただ、これまででも「年賀状だけの付き合い」なんて言い方が出来る程、お互いの現状を認識する最低限の付き合い方だったが、これも無くなると「今も健在かどうか」を確認する術も無くなってくる。「せめて」と思うのは当方の、甘え・勝手だろうか。当方の住所録には年と共に年賀状を出したら〇、貰ったら◎をつけ、翌年の購入枚数のベースにしてきた。「ストップ宣言」があると■をつける。これが増えていく。年賀状のみの付き合いだった人は、健在かどうかを確認出来ない人も増えてきた。これが実は最も淋しい。年齢を経ることは拡大から縮小へのステップだと分かってはいるがせめて緩やかに進んで欲しい。今年の年賀状の一枚に記憶に残る一言があった。「郵便料金が物凄く値上がりしましたが、皆様との交流を維持するのが優先です。」そうですよね、と頷いた。

 

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