何の貢献も出来ていないコンサルだが、その一クライアントの若者が3年前の年末に我が家に来たいと希望してくれて、共に飲んだ。毎年のように今年も今年も、と希望してくれたがコロナ禍と我々夫婦の体調もあって実現しなかった。今年こそ、と準備をして昨日来訪を受けた。家中が物だらけで寝るための一部屋を準備するだけで大変。加えてここ数日好天にも恵まれたものだから、家の中より先に庭木の剪定から始まって育ち過ぎた樹木の伐採まで2日を要した。枝や葉は燃えるゴミ袋につめこめば良いのだが太い枝は50cmルールとかで短く切る必要があって、それに悪戦苦闘。一昨日家の中の整理を始めた時にはややフラフラ。ごみの部屋を作ってしまった。兎に角昨日彼を迎えることはできた。自分の息子達より若い青年だが、該社の将来のトップ候補で、何でも相談してくれる。時代の変化と若い人達の発想の違いに振り回されるけれど、当方の様なロートルと話し、耳を貸すだけでも人脈を広げることの価値を知ることが良いのかも知れない。多くのアルコールを楽しんだ。本調子ではない家内も久しぶりの来客に興奮して料理の腕を振るった。やはり人間にとって人間関係を保つ努力をすることは健康にも良いことを実感した。今朝は久しぶりの二日酔い状態だったが、それでも充実感はあった。健康寿命の延長にも効果があったのではと思う。この正月にも家族勢ぞろいとはいかない様なので、貴重な年末のプロジェクトだった。この疲労からの回復を図りながら新しい年を静かに迎えたいものである。ただ、山のように出てきたごみの類の廃棄整理には何か月かかるか・・・新らしいフォローアッププロジェクトのスタートである。
2週続けてゴルフがあった。先週はゴルフ場のクリスマスコンペ。冬の好天だが猛烈な風。上手組でも悪戦苦闘。当方の様に腕の立たないレベルにとってはフォローの時の飛距離がちょっと出るくらいで十分楽しめた。参加賞もショートケーキとシャンパンで十分満足。そして昨日は何年も続いている内房線沿いの仲間のコンペ。天候は一段と良くて、雪で苦しむ日本海側の人達にも申し訳ない様な冬のゴルフ日和。でも両コンペ共に成績は振るわず、何とか18H回れて良かったと喜ぶのがいつものパターン。当方より年長だろうが若手だろうがリタイア後の生活でゴルフの占める割合の高い人達は素晴らしく頑張っている。そして昨夜の反省会。当方はそろそろゴルフから足を洗う宣言をしようかと迷っていた。ただ3月に東京・千葉の大きなOBのコンペが計画されていて、これには出たいとまだ未練がましい。そこにもってきて昨夜の反省会で、この内房線沿いの親睦ゴルフ会の会長に選ばれてしまった。名誉職の様なものだがやはりちょっと気になる。練習場にも行かず、コンペだけ顔を出しているようでは会長なんて申し訳ない。今日一日考えて、来年は「出直し」を計ろうかと思う。勿論、今更上手くなるわけはないとは思うが、チョロチョロと転がすくらいは修正できるかもしれない。一日一万歩のウオーキングを少し削ってもう一度出直してみよう。そんな気持ちになった。本来なら今日はメールでゴルフ仲間に「ゴルフのギブアップ宣言」の日の予定だったのだが・・・さてどうなるか。76歳の出直しは可能??
最近の電化製品は殆どがICコントロールなので素人の日曜大工で修理できるものはどんどん減って、例え量販店で修理を依頼しても「制御系はチップ交換ですから」の一言、何が悪かったのかも分からないことが多い。我が家は冬の暖房はエアコンは殆ど使用せず、もっぱら石油ファンヒーターに頼ってきた。リビングで使用しているものは相当古いがずっと活躍してきた。何と2007年製。数年前、正月前に動かなくなり修理を依頼した覚えはあるがそれ以降も健在であった。昨日また効きが悪くなり、設定温度を上げたり色々触ったり・・結局運転途中で止まってしまう状況になった。前回修理した時には「もう次回は部品もありませんよ」と釘を刺されていたので、いよいよ寿命か、と思いつつ又再スタートを試みたり、説明書を探したり。もうどうせ廃棄の運命だから、とドライバーを持ち出し、順次裸にしていった。制御系は勿論、給油や点火系の故障であればもう諦めるつもりだったが、どうも給風・排気系がおかしいらしい。おそるおそる裸の状態でスイッチを入れるとファンの回転がおかしい。そこは扇風機で鍛えられた知識(?)で、羽根の周りのごみや汚れを除去周辺を掃除機で掃除して再度組み立てた。何と、ちゃんと動くではないか。久しぶりの「技術屋魂の満足感」。これでこの冬も越せるかも知れない。昔ながらの配線系、回転系などは素人でも何とかなる。単純な、いわば単なる掃除だったが、「直した」自己満足感があった。今の若者たち、子供たちはこんな時、ドライバーを持たないそうだ。「新品を買った方が簡単で安全」と言われるとその通りだが、やはりこうした「自己満足」も重要な体験だろう。でもこれがIC系の場合、当方も当然ギブアップとなるわけでまた新品を求めて量販店に走った事だろう。これから多くの自動運転系が増えてくるだろうが、何をどう制御するのか素人でも分かる様にしてくれれば有難いけれど。「IC一個がやることを電気回路でやると一部屋要る」などと言われるともう手は出ない。これからの生活家電の在り方を考える時、「修理しやすさ」が、意外なキーワードにもなりそうだ。でもPCは直せないよな・・・
ウクライナ−ロシア戦争から、ハマス−イスラエル戦争へと、常識ではついて行けない戦争が続く。偏った情報に振り回されるのは良くないと、この種のニュースには触れなかった。キーワードである「人道的」という言葉も「国連決議」という言葉も今や空しい。思いだすのは「IS(イスラミックステート)」の時である。あの時は「この人達なら殺されてもしようがない。」とまで思った。人間として会ったこともなければ言葉を交わしたことも無かったけれど・・・やはりどこからか入ってくる情報でそうなったしまったのだろう。さて、現在のロシアやハマスはどうだろう。同じように流れるのだろうか。ここの所、反イスラエルの声はますます大きくなっているようだ。どこに価値観をおいて何を正義とするのかますます分からなくなってきている。民主主義が正義と言うなら、多数決で結論を出さざるを得ない。さて、振り返って日本。パー券代金キックバック事件が一気にクローズアップされている。国としての減税や増税、防衛費の増額や少子化対策予算などに比べると対象となっている金額はせいぜい一千万円かも知れないが、今回は昔のロッキードやリクルートを思い出させる。政治は金だとか、政治は汚いものだとは分かっていても表立って法令違反を並べられるとやはり違法は違法、許されないことは罰されねばならない。日本史を動かす大事件になるのかどうか。でもどうしても世界の大問題に比べると小さく見えて「日本は平和なのだな」と思わされてしまう。やはりこんな時こそ「世界の中でこの国をどうする」と言ったビジョンを前面に出して国民を考えさせるような真の政治家に現れて欲しい。真山仁の「オペレーションZ」を思いだした。
この夏に脳梗塞で倒れて会話も不能となってリハビリ病院で闘病中だった次兄が日曜に亡くなって、大阪での葬儀に出席してきた。当方と10歳違いの86歳。陸上競技が趣味で、50歳台から60歳台では大阪府の中距離の記録を持っていた。フルマラソンにも挑戦したりもしていたことがある。中学校教師から障害者教育に転じ、最後は養護学校の校長迄務めた。学生時代にその分野の英語の専門書を渡され翻訳を頼まれて苦戦したこともあった。「教育者」のあるべき姿を追求したような男であった。兄弟の中で亡き父の遺志を継いだ生き方だった。当方が教育のあるべき姿とか「平等」について少し感度が高いのは彼の影響だろう。リタイア後は囲碁の好敵手で、会う度に「一番、もう一番」を繰り返した。兄が言い残したのか、本当の家族葬。コロナ禍以降多くの家族葬に参席したが、これ程徹底したのは珍しかった。広めの応接間の様な部屋の真ん中に棺があり、その両側のソファーに、一方は家族、もう一方に親族のみ。お通夜も告別式も10人前後の参列者で、やや寂しい様な、でもat familyで後味の良い葬儀だった。確かに声をかければ多くの卒業生とか同僚とか集まってくれたかも知れないがそれに比しても負けない位の心地よい時間だった。こうして兄弟も順番に逝って自分の番が近づいてくる。お経を聞きながら自分はこうありたいと思うが、こればかりは思うようにはいかない。「終活は完璧」なんて冗談で言ってはいたが家族に言わせるとまるで不十分だったらしい。でも故人の入った棺の周りで家族や親族が笑顔で語りあっているシーンは「こんな葬儀を望んでいたのだろうな」と思わせるに十分な時間だった。葬儀に「後味」も何も無いのかも知れないけれどすっきりした気分で帰ってきた。
今年の公民館のPC教室の2つ目が終わった。日曜日は市民大学の選択講座をやっているが昨日・今日はある公民館の部。参加者は僅か6名。コロナ以降募集人員そのものが減っているのだが何となく寂しい。参加者の顔ぶれも年々変わっていく。この講座は全員女性。しかもいつの間にかほとんどが当方より(おそらく)若い。以前は「ITに乗り遅れたお年寄りを助ける」何て言っていたが今や単なる「爺さんがやる講座」になって受講生も奥様/婆さん講座になった。メンバーも2極化、相変わらず「あいうえお」のInputの練習組から当方より明らかに速いブラインドタッチ組迄参加。前者は一つ一つの単語のインプットを練習するが、もう一つの組はちょっとした知らなかった作業を喜んでくれる。さてさてこの分野は共通の教育はいつ、どこでやられているのか。文科省の苦労が窺える。ワープロに写真を取り込む作業一つとっても、以前は「デジカメとワードは相性が良いんですよ」なんて言っていたのに今や「デジカメ」は消えていく立場。写真と言えばスマホ、いつの間にか数百(千)万画素(ピクセル)をカバーしている。人差し指で文字をゆっくり入力している人に「100万画素の写真をEメールで送ると・・・」何て話をするとスマホさえも嫌いになってくる。今やITの進歩について行きましょうねなんて迂闊に言えなくなってきた。でも講座が終わった時に「写真の取り込みは楽しかったのでこれから続けてみます」なんて感謝されると何らかの価値はあるのだなと自己満足する。高齢者が置き去りにされていく技術の中で何とか付いて行こうとする努力は続けたいと思うが・・・それも大変である。さて次は生成AIか?
昨年、後期高齢者になってちょっとした感慨があった。それがあっという間に又1年。昨日、もう76歳の誕生日を迎えた。時間が経つスピードもやけに速く感じられる。昨夕は孫たちみんながラインで繋がり、「爺ちゃん、誕生日おめでとう!」だって。もう1年が経つことの喜びなんてないのだけれど、でもこうして健康で1年が過ごせた、という表現をすれば有難いことである。昔と異なり、ディスプレー上に子供や孫たちが表れ、近況報告をしてくれるのは、やはり「生きている喜び」の一面であることには違いない。今年もちょっとした仕事をしているお蔭で、クリスマスの「じいちゃんサンタ」が務まる。4人の孫たちが欲しいプレゼントを申し込んでくれてこちらはそれらを「何とか安価に」ネット注文する。こうして「ネット購買」もついて行けている。以前は「こんなものがあるんんだ!」と驚くような玩具が主だったが、その後文具や、スポーツ用品などになり、昨年は書籍も。年末のネット購買も一年ごとに中身が変わってきている。今年は「今年もOKだよ」というのと同時に「爺ちゃんももうすぐ稼ぎがなくなるから、その後は爺ちゃんにプレゼントをよろしく!」と予告編も入れた。いつまでも「爺ちゃん、婆ちゃんは払う人」では居続けられない。でもこんな楽しみがなくなるのは淋しいな、と来年のプランも考えている。さて、どうなることやら。来年の今頃は「誰から何を貰おうか」と考えているかも知れない。
リタイアした時、市の「まちのせんせい」に登録して何かボランティでも、と思った。面談に行ったら「何ができますか」と聞かれてこれぞというものがなく、結局「それならPC教育の手伝いでも」ということになり登録したのが最初のきっかけ。「シルバーカレッジ」のお手伝いから始まっていつの間にか「市民大学の選択講座」を担当している。もう10年を突破した。この日曜から始まった。PC教室と言っても当方にはオフィスのワードやエクセルの基礎くらいしかできない。でも多くの「遅れを取りたくない」高齢者や主婦が居るのは事実の様で、毎年参加者は続いている。ワードでチラシを作ったり、写真を取り込んだり、年賀状を作ったり、エクセルで住所録や家計簿計算をやったりするだけなのだが、熱心に頑張る高齢者を見るとこちらもヤル気を貰う。でも家庭でのPCの位置づけはこの10年でも大きく変わってきた。スマホの普及が人々の対デジタルの認識をどんどん二極化させた。スマホが使えないと公的な登録や情報交換も出来なくなって、それを機にデジタルからギブアップと言う人も増えているらしい。市も公民館もスマホ教育に力を入れるが高齢者にはハードルが高いようだ。当方は昔ながらのワープロと表計算を柱に講座を組むが、人によってはそれとスマホが繋がらない。もっとデジタル社会の構成を学ぶべきだろうが日に日に変化と進歩を続けるデジタル化に全ての高齢者について来いと言うのは無理なことなのかも知れない。今年もワード教室が始まった。やはり主婦の比率が高い。「新しいものへの積極性」とか「変化についていく柔軟性」とかは本質的に女性の方が強いのかとも再認識する。この分野の新ビジネスの可能性はまだまだあると思われるが、問題はどこまで意欲をキープできるかなのだが。孫たちは平気で「写真と動画はLINEで送っておいたから」なんて言っているが、それさえもなかなか奥深くて難しい。さて、高齢者にはどんな内容の教育が最も価値があるのだろうか。
現役で千葉に赴任してきた頃、会社は正に昇り調子で、JVではあったが独自採用も開始し、何年か継続して新入社員も入社してきた。昭和が終わろうとする頃だった。採用面接や新人教育などの仕事も多かった。その当時の新人たちがいつの間にか定年退職とか、会う度に驚いている。そんな中の一人で優秀な研究者だった(当方にとっての)若者がリタイアしていて先週奥様と朝の散歩中に車にはねられ逝ってしまった。OB仲間の病死のニュースは常に続いているが、こんな事故死はそんなに多くはない。家族にとってみればさっきまで健康だった人が突然消えてしまう訳で喪失感は想像を絶するだろう。告別式に参列したがやはり信じられない思いであった。色んな形の別れ方があるがこんな逝き方は決して望ましいものではない。大阪で闘病中の次兄の姿もいつも頭で追っているが、正に何も分からず寝たきりと聞くとこれまた医学のむごさまで感じる。コロナ禍で変貌を遂げる「送りかたの変化」の中だが、当方などはやはり現役時代の活躍を思いだしながら葬りたいと思ってしまう。残されたご家族の心が早く平穏に戻ることを祈りたい。
週末は新車の試乗を兼ねてドライブした。例年、行っている三井住友VISAのマスターズの入場券が当たっていて計画したが、家内の足がまだゆっくりしかダメなので諦めて、東名・御殿場・山中湖(ペンション)・河口湖・中央高速を回って帰ってきた。ザっと500km。勿論、途中の給油はなし。オイルタンクの1/2も使用していなかった。さすがハイブリッド。色んな機能を試したかったが、危ないシーンはなし。特に新車の感動は無かった。運転感覚は古い車の方が良かったな、なんて思いながら。秋の紅葉シーズンで人出は一杯。空も好天とはいかず初日は雨。でも今年も山梨の秋を味わった。こんなドライブもいつまで出来るやらとメディアのいう「後期高齢者の危険運転」にならぬ様、気を使った。ますます神経を使う運転になっていく。
昨年末のクライアントの忘年会でジャンケンゲームがあった。途中まで勝ち進んだ時に、「どこかで従業員の人に譲らなければ」と思ったが、最後に残ったのは同年配の高齢者。これなら良いかなと結局一等賞で旅行券を貰った。今年に入って家内が体調を崩したため放っていたが、会社の方が覚えてくれていて「一応、有効期限は今年いっぱいですよ」と教えてくれて、京都洛北へ秋の旅となった。関西に行くとなると欲の出てくる当方としてはまず滋賀に居る次男の所に孫娘たちを訪ね、京都の後は家内が大阪にいる親戚を見舞いたいという。当方は関空近くに宿をとり一泊。一人なのでコンビニ弁当にアルコールを買って、ホテルでネット飲み会に出席した。翌日は岸和田で墓参り、その後二年ぶりの「百寺巡礼」。大阪で残っていた河内長野の「観心寺」にお参りした。紅葉には少し早く、ひっそりと静かな、でも大きな寺。長い石段を登るのも久しぶりのことだった。毎日が朝夕は寒い位の初冬に近い気温。でも昼間は依然として25℃に近い暑さ。着るものにも困る。洛北のリゾートホテルは「こんな生活もあったな」と昔を思い出させる贅沢な時間。有難いプレゼントであった。こうして「楽しみながら歳を取っていく」ことができれば有難い人生である。ただ、加齢だけではなく世界の動きに目をやると余りに悲惨なニュースが続く。「矛盾」が真正面から攻めて来る感じである。
昨年、免許更新の時、後期高齢者対象の予備試験まで受けて、どこかで免許証返納を考えなくては、なんて思っていたが、今年に入って家内が入院して病院通いしたりして、ここに住んでいるとやはり車が無くてはと再認識。加えて病院通いの最中に友人達とすれ違ったらしく、何かのパーティーで、「いつまであんなに古い車に乗っているのですか。早く買い換えたら、今の車の安全設備は凄いですよ」と言われ、時を逃さずディーラーに口説かれて小さな車に更新してしまった。このご時世で納期は半年。10月末の約束通りにようやく納車された。リタイヤ前に買ったカムリにもう13年も乗ったことになる。「乗りつぶす」つもりでいたのでここ数年の間にタイヤ更新、ナビ更新、トランスミッションも更新など、色々お金も掛けたのに・・2400ccから1500ccへのランクダウンだがそこは新車、やはり気持ちも新鮮になる。話題のハイブリッドなのでガソリン消費がどれ位減るのかも楽しみだが、でも話題の各種安全装置も余りにアルファベット3文字の機能が多すぎて、高齢者でもマニュアルを全部読もうとは思わない。PCS(プリクラッシュセーフティー)、LTA(レーントレーシングアシスト)、AHB(オートマティックハイビーム)、RSA(ロードサインアシスト)RCC(レーダークルーズコントロール)、BSM(ブラインドスポットモニター)等等、が多すぎて覚えられない様な言葉も並ぶ。「いちいち全てを覚えなくても車が勝手に機能してくれますから」とは言ってくれるのだが・・こちらは言われるままに従うしかない。走っていると、前の車の方が(大きかったし)走っている感があったのに・・・なんて思いながら、逆に「この車を何歳まで運転できるのかな」などと淋しいことも考えている。また新しい人生の一コマが始まったのは確かである。
関口宏のサンデーモーニングを観ていても、ますます世の中の動きについて行けなくなってきている。若い人と話す時いつも「どんなことに関しても自分の意見をもっておくこと」の重要性を説いているがどっこい最近は余りに色んな且つ重要な問題が次々と起こっているため統一した自分を納得させ得る意見を持つことが非常に困難になってきている様に思う。例えば国際情勢、ウクライナvs.ロシア、ハマス/ヒズボラ/イラン(パレスチナ)vs.イスラエル、アゼルバイジャンvs.アルメニア、APEC(フィリピン/ベトナム/インドネシアetc.)vs.中国、そしてミャンマーや台湾、北朝鮮、何処をとってみても一筋縄ではいかない。政治・国境・安保、経済・貿易・エネルギー、そして国交。多くの問題に振り回され、それらの殆どが米中ロの大国の方針で決まろうとする。こんな問題の時にこそ頼らなければならない国連も今や動きが取れない。一体、世の中の普通の人々(国民と言うか、一般人と言うか、マジョリティーというか)全てをウンと言わせるやり方と言うのはあるのだろうか。民主主義のお蔭か、少数者の意見も重視される。それは良いことだろうが、その結果は本来、多数決の結果には従うという恐ろしいものになってしまう。この矛盾を解決できる方法はない。でも、正に今現在、あちこちで人間の作った武器で人間同士が殺し合いをしている訳でそれが「常識」で止められないのは悔しい。地球温暖化で益々人類の将来は暗い、と言いながら脱炭素の掛け声に利益を追う国も企業も人も技術も踊る。こうしてイライラしながらディスプレーの前に座って人生が終わるのを待っている人間たちを数世紀先の人類はどう振り返ってくれるのだろうか。それを想像しているくらいの方が落ち着く。
月曜に東京と千葉のOB会の合同開催によるゴルフコンペがあった。前回6月の東京のコンペの後の反省会で、「一度千葉と合同でやったら楽しいでしょうね」という話題になって、あっという間に決定、こういう時には先頭に立ってアレンジしてくれる人が何人かいて、本当に実現した。健康なリタイア組にはいくつかのタイプがあり、ゴルフ組はかなりのメジャーであるが、それ以外にもテニス組、旅行組、菜園組、囲碁・将棋組、料理組、「兎に角健康」組、病院大好き組、「まだまだ仕事」組、そして当方の様な「ITと遊んでいる」組、などなど。ゴルフ組は本当に多く、今回でも「本来来て当然」の人達で来れなかった人を除いても34名の大コンペ。みんな若々しく、夜の反省会は大盛り上がり。あっという間に来春の次回迄決まった。当方はゴルフはまるでダメ、を続けていていつもブービー狙いなのだが(今回もチャンとブービー賞!)でもワイワイ言いながら自然の中を歩くのは止められない。反省会で昔の思い出話に花が咲くのがなお一層楽しい。それぞれに話したくないことや嫌な思い出もあるだろうが皆笑顔が良い。共通の話題は今の若い世代は会社員環境がギスギスしていて共通の話題も楽しくないという。自分の企業人としての過去を振り返ってみても、そうだろうな、と思うことは多いけれど、一人の人間対一人の人間の絆、一緒に何かをやった仲間、という捕らえ方をすると共通の笑顔が出てくる。残り数年の下り坂一方の人生を予測してフレイルに苦しむより、誰だって、いつだって最後は訪れる、と覚悟をして「GIVEN人生」を明るく生きる方が意味がある。「GIVEN人生」と言う考えにいつ、どう、たどり着けるか、だと感じる。久しぶりに顔を合わせたゴルフ仲間と話して「やはり上手くならなきゃだめなんだろうか」と何度目かの原点に返っている。でも、他にも、あれもあるし、あれもあるし・・前を向いて生きるには意思、覚悟、体力・・・大変なんだけど・・・
SMSにカード会社から使用確認のメールが入る。信用して良いか判らず結局電話していきさつを確認。とりあえず一度カードを使用不可にしてもらう。というのも先月半ばにカード確認のメールが入り丁度その頃AMAZONで輸入品らしきものを買って、額も大したことなかったものだからサッと確認してしまった。何事もなかったけれど今回11月の請求リストを見ると、XXXXCOMと言った会社から10回も買い物をしたことになっている。トータルすると2万円を超す。慌ててカード会社にコンタクト。すぐに使用停止にしてくれて新しいカードを送ってくれるらしい。窓口曰く、身に覚えのない請求の問題はますます増えているらしい。確かにこれを問題にし過ぎるとそのカードを使わない人が増えるから影響は大きいのだろう。電話窓口の応対も非常に良いが、でも疲れている。先日は詐欺電話、今回はカード詐欺(?)、こんな事件も歴史の必然なのだろうか。「ネットで買えば速くて安いから」と徐々に買い物が増えていくけれど、やはり何かトラブルがあると一段とじれったい。今後こんな世界が広がっていくのだろう。目に見えない人にコンプレーンをつけるのは何とも腹立たしい。だからネット上の言葉遣いはみんな荒々しいのだろう。こんな経験をしながらPC教室では「年寄りも頑張って付いて行きましょうね」なんて言っているのだけれど・・・「もう止めました!」の気持ちもわかる。
ウクライナ戦争に何の進展も見られないというのに今度は又もや中東問題。これは一層、世界戦争の危険がある。宗教、人種、そして石油・・間接的には世界中が影響を受ける。ISのテロが問題になった時、世界中がISのテロだけは許せない、となった様に思えた。今回のハマスもISと似ているけれどハマスをテロ組織と呼ぶことに反対する国は多いらしい。欧米諸国も日本もウクライナ戦争では一応反ロシアで一致しているけれどイスラエル−ハマスも一本化できるのだろうか。数年前の反ISと同じになるのかどうか。身近な平和になれてしまっている日本は、どうしても「自分の問題として」は捉えない。いわば映画か小説の世界と同じ気持ちで新聞を読み、ニュースを観ている。でも本当にこのまま世界戦争が勃発したら我々には何が出来るのだろうか。もう日本は何の戦える武器も持たない国になっているようだから。人(どんどん人口は減っている)、もの(新技術の国、と今でも言えるか)、金(他国からの借金は少ないとはいえ円はどんどん弱くなっている)、どれを取ってみてもうつむいてしまう。政治家も経済界もホントのリーダーを欠いている。そして我々マジョリテイーがどんどん年寄りになっていく。多くの先輩たちが懸念していた「暗黒の未来」が近づいているのを実感するようになった。
あまり気にはしていなかったけれどふと気がついた。今年は初詣出に行っていない。昨年末から家内が入院し、それ以降、慌ただしかった。窓際に飾っていた絵馬は毎年初詣出で更新していたが今年はずっと昨年の正月のものを飾っていたのをふと気づいて気になっていた。お宮は大抵は近所の姉崎神社、お寺は成田山新勝寺と近所の霊光寺。今日、漸く秋の好天に誘われて姉崎神社にお参りした。絵馬とお札はお返しして神前でご無沙汰を謝って、新しいものを買おうとしたら、今年の絵馬はもうありません、とか。そうか、絵馬には今年の兎が描いてあるべきで次の龍が準備されるにはやや早い。兎に角虎の絵馬をお返ししてこの一年の大変さを振り返った。「お寺巡り好き」の名には恥じない当方だが、確かに絵馬もお札も古いものに頼っていたかも知れない。でも、こうしてそんなことを思いだすようになったということはとりあえず来るべき不幸は収まったということにしよう。次兄の入院騒ぎでまだまだ続いている心配事だが、大きな変化も本来来るべき事件と捕らえる心構えの重要性も認識する。静かな神社の境内で、忘れていた祈りの気持ちを思いだした。不幸と思わずに運命だと言い聞かせることを思いだした時だった。
急に爽やかな気候になってついつい浮かれて庭木の剪定で汗を流した。休憩で家に入ったら家内が真剣に電話をしている。代われと言うものだから代わったら3番目の息子(と言うのだが)どこか違う。会社(彼は教師なんだけれど)でミスをして支払いカードを同封して送ってしまったと云う。この辺りで変だとは思ったが、いくら位の失敗かと尋ねたら、「800万円なんだけどいくら位なら助けてもらえるか?」と聞いてきた。額にはビックリ。かなり疑っていたので「何か変に聞こえるんだけど、奥さんの名前は?」と尋ねたら違う名前を答えた。そこで攻勢に出ようかと質問を考えていたらプツンと切られた。これぞ有名な「電話詐欺」。それならそれでもう少し対策が取れたのに、とやや反省。後で3男に電話して尋ねたら、「俺はそんなことがあっても電話なんかじゃ頼まないから」と馬鹿にされた。当方は最初から真剣には対応していなかったが、ちょっとビックリは声と話し方が似ていたこと。家内はまずそれで焦ったようだ。まさかホンモノを知っていて真似た訳ではないだろうが、当方も最初の一言では騙されかけた。なるほどこうして多くの人達が騙されているのだ、と実感した。後になって「こんな質問をしてやれば良かった」とか「金を取りに来させれば良かった」とかアイデアは出て来るけれど、その場ではそうはいかなかった。外で仕事をしている時は「まだまだやれそう」なんて楽しんでいたけれど、こうして詐欺事件に巻き込まれそうになってみると、「やはり狙い目の後期高齢者なんだ」と自覚した。世の中には本当に被害にあっている人が沢山いるとか。やはりそれは許せない。平和な日本の筈なんだけれど。
ちょっとした仕事を持っているということはやはり有難い。何もないと、自分の頭が一点に集中してしまう。自分や家族の健康問題、それが無ければ明日の予定、明後日の予定、身近な予定の事で頭が一杯になる。それが観光の旅の予定であったり誰かとの飲み会の予定であったりすると気持ちも明るくなって健康にも良いとは思うのだが、親しい人の見舞いであったり、友人の困りごとの相談であったりすると、喜んでばかりはいられない。一緒に悩むことも多い。一方、社会相手の何か仕事と言えるようなものがあると、そのお蔭で一瞬視野が広がって世の中の動きを相手にしているような気がして、自分の考えの視野も広くなっている気がする。当方もコンサル相手から相談を受けたり、特別研究員の仕事をしていたりすると、例え難しい仕事であっても、プライベートの世界と異なる社会を生きている実感があって、嬉しい。やはり人間は自分や家族の生活のみに縮こまってしまうと狭い世界に自分を追いやってしまうのだろう。とうとう10月になった。自身や家族の健康を気にしながら、やはり貰っている仕事のことに頭をやると自然に世界が広がる。こんな毎日がいつまで続けられるのだろうか、と心配しながら。
当方は5人兄弟で長兄と3兄は既に逝ったが、次兄と姉の3人は健在。時々連絡を取り合って無事を確認している。特に次兄は大阪に居るのだが月に一度位はメールや電話で家族の安否を気遣ってくれている。そんな兄の安否確認の1行のメールが2か月ほど届かず、念のためにと義姉に電話をしてみた。一度目は最近はすぐに寝むとかで無駄話で終わったがどうも解せないと再度確認。周りが騒ぐのを嫌がって隠していたようだが1か月以上前に倒れたとか。この夫婦は準備が良くて何かあった時のケーススタディはしっかりできていてひっそりと闘病に入っているらしい。確かに年齢も85歳で色々終活はやっていた。脳梗塞の様だが、次のステップはリハビリとか言っているので回復の余地もあるのかも知れない。当方としては何とか今のうちにもう一度会って、と思うのだがこれまた向こうの家族の考え方や病院のコロナ対応などややこしい。この2年、我々夫婦も健康問題と闘ってきたが、周りを見回すとこうして病に悩み始めている人達は多い。時間が経てば必ず訪れる高齢化の問題だが我々団塊の世代がいよいよ後期高齢者に到達して他人事では無くなってきた。いかに平常心で異常緊急事態を迎えるか、問われるのは精神力か。次兄とは囲碁を打ちながらそんな話を良くしていた。もう一度、囲碁が打てれば良いのだが。
テレビのスポーツ観戦に追われている。毎朝BSで大谷選手の活躍に興奮していたが、それ以外でもバスケ、サッカー、卓球、バレーそして今度はラグビーのワールドカップ。東京オリンピックの効果か、最近はどんなスポーツでも日本が世界レベルに達している。誰もがそのレベルになれる訳ではない筈で、いよいよ「一流」の価値は上がっているのだろう。「誰でも頑張れば」などという世界ではなくなった。大相撲は最初から素人が挑戦するスポーツではなくまさに「観戦」対象なのだが、これはこれで楽しい。しばしばTV観戦している。予想通りにはならないし、まさかと思うこともしょっちゅうで、これが又楽しい。今場所は貴景勝が何度か裏切った末に結局優勝した。若手のホープと思っていたが、またまた次々と現れる。先場所の鳥取出身の伯桜鵬はこれから闘病らしく復活までは時間がかかりそう。今場所の熱海富士とか豪の山、十両では大の里など、世代交代の気配は多い。貴景勝の新横綱を急ぎたい。テレビ観戦を楽しむのは高齢者の特権か。でも得られる教訓も多い。有難い話である。
このBBQの日。家内は東京で延びに延びていた白内障の手術だった。まだ病が完治しておらず、歩くのもよたよたしていて心配ではあったが何度も延期してもらった予定だったので翌日も検診だし、終わった後ゆっくりできるように病院の近くのホテルを予約して臨んだ。夜静岡のホテルから電話をするが一向に繋がらない。漸くつながったと思ったら、手術の後「こけた」とか。そもそも歩くのも平常では無かったところに片目を手術して眼帯の状態。フラフラとして歩道の垣根に倒れこんだらしい。翌朝帰り途に寄ってみれば、正常な眼の周りが内出血してパンダ状態。結局検診迄付き合った。病気になった時点で千葉の眼科に代わっておけば、とか、もっと体調が戻るまで手術を延ばせば良かったとか、反省することしきり。でも手術後への影響は無かったようで今日は一人で(また東京まで)検診に出かけた。今年の家内には次から次と病や事故が襲ってくる。まだ本人に「後期高齢者」の意識が足りないのかも知れない、と思ったり、この出かけたいという気持ちがなくなったら本物の老人になるだけかなと思ったり。二人で歳を取るのも大変である。
先週金曜にクライアントの静岡事務所でバーベキューパーティーがあった。何か月も前に計画されていたが台風や雨に当たって2度ばかり流れた。今回は富士山は見えなかったが、東京の本社からも含め、ほぼ全員の参加。当方も含めゲストも何人かいて明るい雰囲気のパーティー。昼頃から「全社会議」をやって2時には開宴。雨はパラッとはきたが嬉しい、楽しいパーティーーだった。この会社とコンタクトが始まったのは10年以上前。コンサルとして初めて名刺を作ってもらった。結局、何の貢献も出来ないのだが、話を聞かせてもらうのが仕事。小企業ではあるが独創性もあって、面白い企業である。社長のキャラクターも特長的で、悪く言う人は殆どいない。本質は「古い、昔の」日本人型。ただ新しいもの・こと好きで、一緒にいるだけで良い。当方は何もできないからいつ整理されても良いですよ、と言いながらこうして親しくしてもらっている。次世代の若者達とも知り合いになって遠慮なく話して貰えるのが嬉しい。駿河湾を望む茶畑の高台のベランダから今回も富士を待ったがこれだけは今回もNGだった。社員に囲まれて笑う社長と、囲む社員とを見ているとこんな企業形態の中で日常を送れるのは至福だと思ってしまう。実際は当然だが企業としての基本、売り上げと利益を出しながら成長していかねばならないだけに社長の大変さにも心を揺さぶられる。当方の様な存在も皆心地よく受け入れてくれて、それだけでも嬉しい。企業、ビジネスのスタートと成功・成長を考える良い機会でもある。どの会社にもこんな歴史があるのだろう。そんな人生の可能性もあったのだろうな、と感慨にふけった。有難い、付録の人生のヒトコマである。
千葉で現役の頃、携帯電話のPC化も進もうかとしていた頃、当方は初めての米国出張もあって刺激を受け、B5のシステムノートを使い始めた。これは何と7穴タイプ。日本ではレフィルも手に入らず出張するたびに色んなレフィルを買い集め、楽しんだ。実は今でもこの7穴システムノートは使い続けている(今は7穴パンチを買って、レフィルは自作している)。この頃「システム手帳」がブームとなり、ファイロファクスが有名で若者たちが使い始めた。そのあたりがきっかけになって「文房具同好会」を立ち上げ、集まって飲みながら文房具談義をしたり、みんなでパイロットの見学会や、文房具展示会に行ったりした。(文房具の好きな)若者たちと良い関係を持て、飲み会も楽しんだ。いつの間にか主役の製品も筆記具(万年筆、消せるボールペン、高価な鉛筆や、果ては毛筆まで)からメモ帳やペン型ハサミまで・・携帯PCや携帯電話が出てくるまでしっかり楽しんだ。本HPでも趣味の一項目として「文房具」を挙げ、当方の自慢をしているが、やはり時代と共にデジタル文房具へと移っていった。先日新聞の広告欄に、小説の案内があって、タイトルが「銀座「四宝堂」文房具店」とある(著者は上田健次)。中身を確認するより先にネットで2巻注文した。銀座・文房具店というとそれだけで思いだすのは聖地・伊東屋。今まで何度足を運んだやら。この店がモデルかどうかは分からないが、それを思いだしながら読んでいる。内容が若者向け(?)なのか、青春色が強く、それでまた昔を思い出す。文房具店(主)は脇役でしかないが、良い影の主役を演じている。一巻目が5話、続編は今読んでいるがやはり5話からなる短編集。若い頃こんな小説を書く小説家になれたら良いなと憧れた。ネタだけはいくらでもあった。四宝堂ではスマホは売らないだろうからデジタル文具の世界には行かないだろうけれど。一巻目を読んで、ペンケースを引っ張り出してモンブランの万年筆やそれ用のインクボトルをチェックしたり。久しぶりにあの頃を思い出した。あの頃のメンバー達は今どうしているだろう。久しぶりに集まって一杯飲んだら、みんなどんな文房具を自慢するだろうか。考えただけでワクワクする。面白い小説に当たった。
これだけ「異常」が続くと異常が通常になる。今夏の暑さは正に異常続きだったし、最近の台風のもたらす「線状降水帯」とやらも気象庁は予想できないと言いながら、しょっちゅう発令し、これが本当に「降り続ける」。こんな気象予報は無かったというのに。正に地球そのものが新時代に入ったのかと思わせる。今回の台風はまだまだ日本の南にある段階からその北東エリアで降水帯は生まれるし、強風も吹くし、これまた「経験したことのない」タイプ。房総半島も大荒れだった。年寄りばかりの団地になってきたとか、交通の便が悪くて、なんていつもボヤいてばかりだが、高台に位置しているお蔭で、台風の被害の心配はない。大雨が降っても前の道路が川状になって流れるが低い所には池が待っているので災害にはならない。今回も今日一日中、同じ市原市に各種避難情報が続いたが、何も心配することなくじっとしていれば良かった。この家を購入する時、家内は色々ヒアリングしたとは言うが、当方などまるでケーススタディもしなかった。床下浸水や床上浸水の心配だって経験したことはない。今頃、考えても遅いが、坂の途中、坂の上にあるものだから、年寄りには歩くのが辛くなることは見えている。雨の危険とのトレードオフなのかも知れないけれど、いずれ「この家は間違いだった」なんて反省する時が来るのかも知れない。自然災害の危険と自分達の健康と、色んな事を比較しながら「終の棲家」について考えている。
いやはやここのところ、仕事と遊びで多忙である。先週末は大阪でインタビューの仕事。大学の教授ではあるのだが、今は主にコンサルタントな様で、マンションの一部屋が事務所。そこでのインタビューだった。当方もコンサルを名乗ってはいるが、さすがに別格。幅広くやっておられる。こういう人達の共通点はやはり「自信」か。自分に自信がないとできない。自分のコンサルなんて名ばかりだな、と自覚した。その後は久しぶりなので友人と飲んだり、墓参りをしたり。ついでに楽しませてもらった。こうしてみると10年近くも高松に出張させてもらったのは当方にとっていかにメリットが大きかったか、今頃になってその価値を再認識した。年金だけの生活になると父母兄弟の墓参りさえ大変になりそうである。ただ、今回は季節としては最悪。連日30℃以上の残暑の中だった。でも「仕事だ」というインパクトは相変わらず強い。やはり「やるべきことはやらねば」という義務感にはかられる。おそらくこの緊張感が健康にも、ボケ防止にも効果があるのだろう。昨晩、家に帰り着くと、やはり疲労感はあるが、一方達成感もある。人間のヤル気とか生き甲斐とか達成感と言ったものは、いい加減と言えばいい加減である。多忙で苦しい時は「早く逃げ出したい」なんて思っていたというのに。
7月の暑さは異常だったが、8月も暑い夏。これだけ続くと異常とは言わないのかも知れない。世界の異常状態も何となく「これで普通か」とさえ思えてくる。そんな中、27日、28日と二日続けて東京まで出かけて飲み会。何れも「昔の若者達」と。27日は米国人の元若者が今の仕事で来日。元の会社で一緒の仕事した仲間3人と共に旧交を温めた。英語で飲むなんていったい何年振りか。日本人サイドもまるでダメだが、そこは昔取ったキネヅカ、通じる部分で楽しんだ。昔の仕事仲間からミシガンの状況まで話は弾んだ。我々にとっても久しぶりの機会で、時計の針を戻す働きは大きかった。昨日はもっと古く、鎌倉時代の遊び仲間達とこれまた何年振りか。会う度に同じことしか話していないように思えてしまうがやはり30年前の思い出話である。当時の「湘南ボーイ達」が若返る。当方は「昔から老けていた」との理由で(?)「最も変わらない」らしい。でも周辺から見れば「爺さん婆さんの集まり」に過ぎない。でも、こうして「青春を忘れない」時間を持つのは価値がある。おそらく「フレイル対策」には最も効果的だろう。「時がたっている」のはどうしようもない事実なのだから、でも「過ぎた時も大切にして」生きて行けば今に積極的になれる。今日は一日ネット会議が続いた。小さなことでも新しい変化の中で時間を楽しんでいる。有難う、旧交、という感じであろうか。
近くの公民館の今年のPC教室が終わった。15人位募集していた筈なのに7人となって、実際は5人だけ。確かにボランティアの様なものだけど、一行事としてやるからにはもう少し「多くの人が期待する」講座にしたいものである。でも、内実は結構難しい問題で、昨年までは中学校のPC教室を借りてやっていたのだが、今年は個人のPCの持ち込み。ようやく今年から公民館にWi-Fiが設置されて、誰でもネットに繋げる準備が整った。ただ、いざやり始めるとそれだけで大苦戦。市としてもセキュリティーの問題があって、ネットへのアクセス許可に認証システムをとっている。個々人が何らかのネット環境を持っていないと難しい。SNSを使用しているだけでも良いのだが、これも高齢者には難しい。実は講座は「ワードの基礎」なので、ネット環境は原則不要。ところが最近のワードはネットに繋がっていて初めて使える画像検索などがあって、何かデータを呼んでくるのも容易ではない。最後はSnipping Toolを使った趣味の資料作成まで考えていたが、到底無理だった。こうして慣れの無い人は徐々にPCから離れていくのだな、無理もないかな。と実感した。k,M,G,Tなどのメモリーサイズの話をしたり、USBやSDカードへのデータ移動などの話になると急に眼が輝いたりする。一人一人のレベルを合わせながらという努力も必要となる。驚くのはここ数年「意欲」は完全に女性優位。男性高齢者の意欲は大きく下がっているように思える。これは淋しい。DXを叫ぶ政府も高齢者を見捨てないようにして欲しいものだ。この分野も二極化がどんどん進んでいる。
昨日、突然、故人のお嬢さんからメールが入って一昨日お亡くなりになったと知った。色んな幹事役を務めていたものだからアドレスが見つかったらしい。急ぐべきコンタクト先があれば連絡しておいて欲しいとある。とりあえず元の会社の窓口、OB関係とか役員仲間とか思いつく人達に連絡。今夜はお通夜に出席した。直接には上下関係は無かったと思うが色んな場面でご指導・サポートして頂いた先輩だった。当方の連絡不足だったか今夜の元の会社関係の列席者は5人と少なかったが、立派なご家族の一家で、いわゆる家族葬らしいお通夜だった。親会社からの移動、異動してからの職場など多くの場面でお世話になった。企業人で研究開発の世界で生きていく上で大切なことも沢山学んだように思う。今夜、お通夜の後奥様と話したり、子供さん方と話して、流石に「まじめな家庭の構築」をされた人生だったのだ、と改めて感心した。当方にとって難しかったのは「酒もたばこもやらないマジメ」な人だったので「腹を割って」というお付き合いがなかったこと。今夜はそれが少し悔やまれた。逆にご家族は大切に育てられていて「羨ましいような家族」を残された。色んな生き方、家族の在り方など、読経の中で考えさせられた。どうしてもその次には「自分の葬儀はどんなだろう」という発想になってしまう。その時には自分はいないというのに・・・
ポストコロナで色んな動きがある。新規感染者は着実に増えているらしく個々人がどこから情報を得ているかで怖がり方にも差が出ている様子である。ただ、今頃になってワクチンの副作用についての情報も散見され、人によっては「そちらの方が怖いのでやはり打たない」という人もかなりいる様子。この人たちは相変わらず外出を控え、マスクは手放さない。当方はワクチンは4回も打ったし、先の年末には感染もしたし、引っ込んでいても同じ自分の人生の一部と考えると勿体ないように思えて、最近はよほどの状況でないとマスクさえしない。うっかり病院に行くのに忘れていて慌ててコンビニで購入したり、などとしている。社会の動きも様々なようで、あれだけ盛んになったリモートワークも欠点が明らかになっている様で、オフィスへの出勤率も上がっているらしい。一人一人の仕事の内容、形態を考えれば当然でもあろう。人が生きていくということは必ず誰かとのコンタクトが必要な訳で当然の姿ともいえる。世界中で流行した感染で国によってはワクチンなどままならなかった国もあったのに、ひとまずこうしてどこの国でも感染前の状況に近づいているということはやはりウイルスそのものが変質したり、社会環境そのものの耐性が上がっているのだろう。歴史上表れては消えて行った感染症と同じと言えなくはない。旅行客は猛烈に増えている様で日本経済の先行きを揺るがすほどの影響。インバウンドが元に戻れば観光地がパンクするのでは、とまで心配されている。おそらく最後まで残るのは一人一人の心に残る「コロナ禍時代の圧迫感」か。人の心に残るあの重ぐるしさはなかなか元には戻らない。あの3年の間に生まれた人、亡くなった人、社会に出た人、結婚した人、そしてリタイアした人。色んな状況と重なるけれど「今回だけで終わって欲しい」というのは共通だろう。科学技術の力で再発させないことができるかどうか。人類への挑戦である。誰が、どんな答えをだすか。
お盆は家族、先祖、故郷などに思いを馳せる季節ではあるのだが、今年はいっそうであった。昨日は朝からテレビに釘付け、ゆっくりの台風7号が和歌山から岡山、そして鳥取へと進んだ。線状降水帯発生とか緊急避難情報など、山陰にはめったに縁のないニュースが溢れた。田舎に住む姉に連絡を取ると、「何も起こっていないけれど怖い様な風雨。テレビは見たくない。」とメールが返ってきた。テレビ画面の川は千代川、当方はこの川の上流で育った。中流の「用瀬(もちがせ)」や河原は毎日高校に通った途中の町であった。今朝のニュースで孤立が伝えられる「佐治(さじ)」は美しい星空で全国区の田舎の村である。これほど出てくる地域名称に親しみのあるニュースはめったにない。ただ結果として千代川の崩壊もなく佐治の孤立位で終わりそうで、ホッとしている。人的被害が無かったからと忘れ去られるのかも知れないが、もっと良い意味で注目を浴びたいと願う故郷である。被害が少なくて良かった。
滋賀に住む次男の家族が孫たちの夏休みに合わせて何か計画する。昨年は伊豆の貸別荘で合流して伊豆を楽しんだ。今年は東京見物をして翌日は横浜中華街で食事を、という。義妹夫妻に中華街の予約を頼んだ所、姪とそのボーイフレンドが参加することになり、加えて我が家も、長男も、3男家族も合流、ということで計15人の大パーティーとなった。コロナ禍までは毎年新年に集まっていた訳でその集まりの復活。家内の快気祝いも兼ねて幸せな時間を過ごした。一族が揃うというのは何となく「生きた証(あかし)」の様な気がして嬉しいし、今後も頑張ろうという気にもなる。孫たちも順調に成長して、いよいよ「将来の話」もするようになった。最年長の孫娘(中3)とオセロを楽しんだ。これは嬉しかった。たった一夜の会合だったが、こうして一年が経っていく、一歳、歳を取る、世代交代のトレードオフである。また次の機会を健康で、と祈らずにはいられない。また違うパターンの記念写真が増えた。
久し振りの眼科。両眼、白内障を手術した病院に定期的に緑内障のチェックに行っている。白内障の手術が終わった後は良く見えるようになったとは感じたが、どっこいその後両目の視力のアンバランスに悩まされている。今回も視野検査を行ったが、「大きな変化はなく正常に近い」とか。安心するような、納得できない様な。おそらくこうして常にディスプレーを見ているからの症状だろうだとは予想するが、「後は加齢のせい」と言われると納得してしまう。こうして夫婦で次々と病院通いをしているが、医療の形態も変化させるべきではないかと感じる。一つは「薬を減らす医療」。今や医者の最も重要な仕事は症状に合った薬を処方すること。患者の病状を聞いてそれに合った薬を処方する。症状が増えるごとに薬の数も増えていく。新しい薬を採用するとその薬で懸念される副作用を防止するための胃薬、血圧制御剤などがまた増える。患者としては薬を勝手に減らすのはかなり勇気が要る。という訳で毎日飲む錠剤の数が増えていく。「おくすり手帳」を求められることが増えて、薬剤師のチェックが入るようにはなったが、まだまだ「これとこれは減らしても良いですね」なんて聞いたこともない。現在の医療費は薬と、測定器と人件費がメインであろう。薬を減らすわけにはいかないのかも知れない。総合病院の窓口はいつでも混雑。やはり高齢者、後期高齢者らしき人達が目立つ。(自分も含め)この人たちは家庭で何を生きがいに生活しているのだろうか、と観察している。国も自治体も「心の健康」に重心を移すべき時になっていることに気づかねばならない。
「核」の日である。ウクライナでは戦争が続き、毎日人が死に、破壊が続いているというのに我々の日常は変わりなく(と思える)続いている。78年前に広島に初めて落とされた核爆弾。すぐに続いた長崎以降、戦争で使用されたことはない。今回のロシアを見ていても「脅しの道具」としては使っているが、本当に使うかどうか見えない。数字だけで云えば、既に多くの人命が失われている訳で、「他の兵器とどこが違うのか?」と問われると回答はできない。兵器で殺される人側の基準で見れば大きな差は無いだろう。「核の傘」の問題ももっと真剣に語られるべきだし、米国が使った核爆弾の責任ももう一度議論されるべきだろう。戦後我々は「日本軍の狂気」を学んで、なぜもっと早く白旗を揚げなかったのか疑問に思った。当時の狂った軍部の記録を読むと米国の核爆弾を一言で否定することはできない。日本が先に開発に成功していたら間違いなく使用していただろうから。そう考えると、ロシアは「まだ正常な発想が残っていて、破滅を恐れている」と言えるのかもしれない。第二次世界大戦の終焉の仕方を振り返ると、ウクライナ戦争がどういう終わり方を迎えるのか、心配である。日本が核兵器禁止条約に加盟しないことをどう捉えるか、日本だけでなく世界の平和を考えるともっと一人一人が自分の問題として捉え、自分の意思表示をする社会でなくてはならないと思う。今、その方法は何だろうか。また今年も8月がやってきた。
8月になって暑さが和らぐなんて、チョット不思議な感がある。兎に角、7月は暑かったようで、日本だけでなく北半球全てで記録的だったらしい。偏西風で説明されると何となくわかるが、南半球では冬で寒いのが何とも不思議な気がする。さて、暑いとか、寒いとか、のレベルの表現にも形容詞が必要になってきたようで、最近メディアでも夏日、真夏日では足らなくて「危険な暑さ」が使われるようになってきた。気象庁も熱中症予報にWBGTという暑さ指数と呼ばれる指数を発表するようになった。ただこれも35℃以上は「危険な暑さ」と言われているが、最近の「体温を超える暑さ」は分類されていない。定義作りが間に合わない様な上昇が進んでいる。これで思いだすのは、大谷翔平選手の活躍。「凄い」「大活躍」「人間離れした」「宇宙から来た」などと世界中のメディアも表現に困っているらしい。我々も日々繰り返される大活躍のニュースに褒める言葉が見つからない。日本語は微妙な表現を沢山持っている筈なのだが、多分、こんなスーパーマンが歴史上にも無かったのかも知れない。毎朝中継されるエンジェルスの試合に癒されている(興奮させてもらっている)高齢者は多いことだろう。多分、大半はエアコンの下で。贅沢な時間である。暑さの話から、何故か大谷の活躍に・・・感謝である。
OB会の幹事を一緒にしていた仲間が「同じ団地に住む元同僚」の懇親会を計画してくれた。昨夜集まったら18人中9人の集合。決して低い参加率ではない。60数歳から80数歳まで広い年齢の仲間が集まった。未だ何らかの仕事についている人からいよいよ本当のリタイアリで毎日「さて何をしようか」と悩んでいる人まで色んな高齢者の生き方や悩みが濃縮された感じがあった。今のように次から次へと「予期せぬ」災害に見舞われる時代、ニュースを見ていると被災後数日、救助が来るまでの間に頼れるのは一緒に住む人、近所に住む人、家族など非常に限られる。こうして元一緒に仕事をした仲間が近くにいるということを認識するだけでもおそらく精神衛生上役に立つ。そんな日は来ないに越したことはないがこんな会を機に誰もが小さな安心を得られれば価値があろう。ただ当方などはまた「飲み仲間の会が増えた」と喜んでいるだけなのだが・・
昨日、今年の追跡調査のインタビューに京大まで出向いた。偶然だが5年前に他のプロジェクトでインタビューした大物。ここ数年ノーベル賞発表時には必ず名前が挙がる教授。でも、流石に立派な研究者で、偉ぶらず、一研究者として話して貰える。5年ぶりだったがその間の進歩は大きく、我々第3者がみても、なるほどと思え、今年は・・と期待もさせる。5年前は「現役バリバリ」だったが、今は公職を離れ、一研究者に戻っておられるようで、逆に親近感を感じた。でも、ノーベル賞を受賞するような著名な学者には、自己中心的で売名志向的な人も多く(と当方は感じる)政治的に動く人も多い。この人は、当方の様な小者のインタビューに対しても、熱意をもって答えて下さり、再度好感をもった。改めて見直すとこの人は当方より3歳も年下。自分の年齢を感じてしまう。そうは言っても、こんな人にインタビューしたり、最近の学問や学会についての感想を聞かせてもらうと「変化」を実感する。どんな世界も多かれ少なかれ変化しているのは確かで、やはりそれが人類にとって良い方向であることを祈らずにはいられない。こんな刺激がもらえるのは有難い高齢者のアルバイトである。
久しぶりに東京で打ち合わせ。新しい仕事のキックオフ。毎年「もう頭が付いていけなくなっている」と弱音を吐きながら、でもこれで良いから、と言われるとついつい引き受けてしまう(そして必ずどこかで反省する)。フレイル対策の重要なポイントはやはり心身の健康。心の方のキーポイントはやはり「生きがい」。その点、特別研究員としての調査のお手伝いの仕事は新しい技術を中心としたプロジェクトのフォローアップであり、自身の刺激にもなる。今日はのこのこ都内迄出て行って次のプロジェクトについての説明を聞いた。街の中はとにかく暑くて以前のように「折角だからどこかに足を延ばして」とならない。大急ぎで帰宅する。この点はやはり年齢か。明日はもう一つの仕事で京都まで。有名な先生のインタビュー。やや緊張はするが{それでも自分より若い人」と思うと、人間に対する興味も湧いてくる。何でも興味を持つようにして少しは自分のものにしなくては、なんて思っている。
先週の「体温との闘い」程ではないにしろ、やはり35℃近い夏日の中、ゴルフを楽しんだ。リタイア頃に始めた元の企業Gメンバーによる「内房線沿いの仲間」のコンペ。会を重ねて40回記念。80歳台の人も増えてきて、それでも兎に角元気。当方はいつも「完走のみを目指して」頑張る。今回もひたすら汗を流し、ひたすら水分を獲って、何とか18Hを終えた。終わった後は場所を変えて反省会。ビールが進んだ。平均年齢はおそらく70歳以上。今回は9人の出場だったが全員完走。反省会も盛り上がった。参加者は減少傾向でやはり体力勝負となる。皆さん、昔からゴルフに自信を持っていた人ばかりで、当方など「次の欠落者かな?」と心配している。ところが飲み始めると「この会を継続するには」といった話題。やはりメンバーにとってゴルフの集まりは捨てがたいようだ。今更、「スコア改善を目指して練習場通い」といったタイプではないので兎に角「ついて回れる基礎体力キープ」を目標に完走目標で出場し続けることを宣言する。元気な高齢者を肌で感じるがフレイル対策はますます重要になってくる感はある。ゴルフの後でもやはり主題は病気自慢と訃報ばかり。これでは「持続可能な社会(SDGs)」の肝心なGOALの部分が見えない。蒼い空の下、緑の中で、美味しいお酒を飲みながらのんびり過ごすと言った時間の過ごし方が最も望ましい。ゴルフを好む人たちにはそんなタイプが多い様には思える。嬉しい75歳の炎天下であった。
昨日、名古屋に日帰りした。前回は6年前、当方の入社時の上司の冠名会が再開された。前回については17/10/29に書いている。今回も25名が集まった。当方にとっては社会人として初めての上司(の上司?)。その人を尊敬する人達の集まり。今回も25人が集合した。ご本人は色々不自由はありそうだが、多くが集まったことで、御機嫌。最初の会の時に言われた「死んだ後に集まる必要はない。生きている間に会った方が嬉しい。」という言葉は今も忘れない。今回は車椅子だったが、表情だけで喜んでおられることが分かった。当方もこうありたいと思った。たった2〜3時間のパーティーの為の日帰りだったが、価値はあった。40〜50年前の仲間たちがこの大先輩を慕って集まっているだけで稀有な集まりかも知れない。何故なら、この集まりには「損得」(忖度もない)がない。参加者一人一人の「あの頃の時代に対する感謝」の気持ちがある。当方にとっては「大学の先輩」であり、「最初の上司(の上司)」であり、「仲人」であり、多分色んな転勤の{裏で糸を引いた人」の一人であったはずで、こちらの感覚一つで「感謝」の対象かも知れないし、「恨みの一つも言いたい人」の一人かも知れない。でもこうして40年前の仲間たちと集うと、やはりこの人には「何か(人を引き付ける)があったのだ」と認識する。昨年から今年にかけて当方にとっての大先輩たちと会う機会がある。この人達に育てられたのだ、と再認識する機会であった。
昨日、家内が退院した。振り回された2週間だったが、結果としてはやはり「最近の医療は凄い」という感想だった。3月のペースメーカー植え込みと関係あったかどうか、結局分からなかったが、開胸手術までして一応元には戻ったようだ。あんな大きな(と思うのはもう古い世代の証拠なのだろうが)手術をして2週間チョットでもう退院。驚く。猛暑の中を心配してくれて3男が休暇をとってドライバー。当方にとってみれば何ともラクチンな退院であった。この入院騒ぎで又もや現代の医療の現場の変遷を思い知った。まず@医療現場は若くて変化している、A医療のサービス産業化が進んでいる。兎に角DX(デジタル化)の進行故、お医者さんは「聴診器」ではなく「最新デジタル機器」を使いこなす職業になっている。だからこそか、Doctorも看護師も若年化が進んでいる。昔の年寄りの「赤ひげ先生」達はどこへ行ったのだろうか。医師も看護師も、言葉遣いも、態度も凄く親切、サービス業的自覚を感じる。旨く当たればとっても嬉しいけれど、一つ間違うと飲食店の「いらっしゃいませ」「有難うございました」になってくる。医療に関する信頼は上がってくるが、それは「いつまでも生かされる」ことに対する懸念にもなる。社会問題としては医療は即ち「老人の生き甲斐」問題に直結する。自分自身の今日明日の問題でもあり、ますますどう生きるか、死ぬかという問いに対する答えを探すことになる。とは言え家内が無事退院した。去年の当方、今年の家内と医療と入院に追いまくられた。これで一息、を期待している。
まだ梅雨も明けていないというのに凄く暑い。午前中に公民館にPC教室の打ち合わせに出向き、午後には東京の病院に見舞いに向かった。こんな暑さがこれからも続くと思うとこれから世の中がどう動いていくのか心配になる。建物の中に入るとどこでも空調は行き届いていて快適な様になっているけれど一たび外に出るとその日の天気を実感する。最近、プライベートの生活に振り回されていてついつい忘れてしまうけれど、今現在も、世界では信じられない状況が続いているというのに我々はいつの間にかこれが当たり前になってしまっている。正に残酷。目や耳から入ってくる情報の中で何もできない。「世の中」は与えられるものになってしまっている。順調に回復に向かっているように見える家内を見舞って帰る途中でついついホッとしてしまう。世の中の動きとプライベートな生活の変化のギャップを感じる。今夜も夕食の準備をして一人で飲んで、これからを考えている。多くの人が過ごしているという「何も大きな変化のない毎日」と比べて良いのかどうかわからないけれど。
6日の夕方は現役時代の同期入社の集まりがあって病院から会場に駆け付けた。これまたコロナ禍以来の集まりで久しぶりの盛り上がり。当方は7日朝早く病院に来る様に言われていてどうも心からは楽しめなかった。どうせ帰宅しても誰もいない訳で急遽神田のホテルを予約してゆっくり休んだ。翌朝病院に顔を出したら手術が決まった。心臓の周りの心膜に心嚢水(液体)が溜まっていてそれを抜かねばならないとか。悪いケースは・・と聞かされたがここはまな板の上の鯉。「よろしくお願いします」以外に言葉はない。全身麻酔の2時間の手術、午後になってICUに戻ってきたときはまだ麻酔が覚めていなかったが顔色は悪くはなかった。千葉で植え込んだペースメーカーの悪影響も無かったようで、穿刺(液抜き)だけで終わったよう。とりあえず安心して帰宅した。1年半前の当方の憩室出血から二人共の軽い脳梗塞、そして家内のペースメーカー植込、今度は「心嚢水」とか。夫婦揃って後期高齢者到達記念に病気の洗礼を受けている。平均寿命ではなく健康寿命との闘いなのだな、と自分たちの立ち位置を意識する。今日、見舞いに寄ったらもう普通病棟に移り、後は傷口の回復を待つ状態。「リハビリを兼ねて出来るだけ歩く訓練も」という状態。何とも最近の医療のレベルの高さに目を見張る。やはり医療の最前線というのは普通のサラリーマンとは違うな、との感慨を持つ。子供達や孫たちはどんな世の中を生きてどんな死に方をするようになるのだろうか、と、とんでもないことを考える。やはり、並行して生き甲斐とか高齢者の労働とかそちらの方も考えておかないと医療だけ進歩するのも怖いな、と考えてしまった。そんな余裕までくれた術後の回復である。
やはり、後期高齢者ということなのだろう。家内が、月曜に、ずっと糖尿で行き続けていた大病院で予約してあった検診を受けた所、緊急入院を言われて架電があった。彼女はこの春からペースメーカーを植え込む手術からそれ以外の検診迄、千葉の病院に頼ってきた。久しぶりの長年お世話になった病院での検診で、今度は「心臓に水が溜まる病気」とかで引っ掛かり、緊急入院となった。早速ネットで調べたが、これまた複雑で、そもそも心臓には水は溜まらないから始まって、命取りの病気だというものまでネットでも沢山の情報があった。緊急な状況なら大変な問題の様だが、昨日見舞った状況ではとりあえず「早期発見」の状況。この病院だけではそうかもしれないが、何しろ昨年末から救急車や入院にお世話になっている訳で、これだけは別、という訳にはいかない。色々調べたり昨日は主治医と電話で話したり、どうも心臓の周りの薄い膜の間に液体が溜まる病気らしい。当然因果関係で思い当たるのは3月のペースメーカーの植え込み手術。病院も担当医師も違うものだから何とも言えないが、しっかり調べてくれるよう頼んだ。我々夫婦は揃って後期高齢者、多分平均健康寿命年齢まで来ている。何とか全うしたいと思いながら、でも病と現在の治療のやれることを毎晩調べている。「覚悟を決めて落ち着いて」とはなかなかいかない。
今年前半のスポーツのトピックスはWBC(World Baseball Classic)での日本の優勝だった。頃を見計らったようにコロナ感染症が5類となり、ようやく社会が脱コロナに動き出した。身の回りでも、昔の仲間の集まりとか、一杯飲もうかと言った声が聞こえだした。まだまだ時間が短かったり、チョット集まって・・と言った感じではあるが、3年間に亙りこんな機会が無かったこともあって意外なほど集まりは良い。思い出多い集まりであるほど共通の話題は「昔は良かった」に集中する。年寄りの思い出話のように言われるけれど、どっこい、政治・社会でも言われだしているのが”WELL-BEING CONDITION”というもう一つのWBC。これは日本語で言えば幸福感重視の生き方とでも言えば良いか。個人の満足感を最重要視する生き方。「昔は良かった」組の人達が思いだす企業内での旅行、運動会、パーティーなど、昔重要視された仲間意識の向上とか集団行動とかの重視でやりがい感を向上しようという手法の一環で個人の生き甲斐の後押しにも繋げようとしたものであった。この「古い日本の企業の価値観」とまで呼ばれた考えが再び見直されようとしている。グローバル新自由主義に鍛えられた当方などの眼には「そんなことを言っていては世界の競争には勝ち抜けない」となるわけだが今のギスギスした社会の中では忘れ去られようとしている大切な人間性なのかも知れない。「水は低い方に流れる」自然の中では「無理は継続しない」という証左なのかも知れない。思い出話をしながら飲むビールはやはり美味い。これももう一つのWBCか。
前回の続きになるけれど、ロシアで何か起こっていて世界中がそれで振り回されている。親分子分の間柄のプーチンとワグネルが対立して、それを世界中がニュースにしている。彼らの本質的性格から見ればこれ程オープンにして騒ぐだろうか。わざとらしく見るのは異常だろうか。ロシア国内でどんな内紛が起きようとウクライナ戦争を終わらせるという世界の願いと繋がらないのならわざわざニュースにする必要すらない。これまでの経緯から、またプーチンの新たな作戦だと捉える方がまともだろう。今、何が起こっても世界がプーチンに乗せられているように見てしまうのは穿った見方だろうか。何となく世界のメディアが操られているように見えるのはプーチンの買いかぶり過ぎだろうか。「実はプーチンの焦りの結果」と言うような記事なら頷けるけれど。プリコジンは無事ベラルーシに到着とか。到着と共に射殺されたというのなら分かり易いけれどプリコジンとプーチンはもっと近いように思える。これから何が起こるか・・・
メディアの情報しかないけれど、我々はいつの間にか悪人を決めてしまう。大きな問題を起こす人、起こすグループ、起こす国・・・悪を決めて攻撃する。それが無いと問題が解決しないと思ってしまう。例えばIS(イスラミックステート)は許せなかった。彼らが殺されているニュースを見ても仕方ないと思うようになった。例えば現在のプーチン、彼もどう考えても許せない。一度も会ったことも無い人だけれど。なぜそう思うのか、それはやはりメディアの伝え方、ニュースの解説の仕方だろう。ロシア国民にはまだまだ彼を信じている人達も多くいるのだろうし、世界各国の中にもプーチンだけを悪者にしない人達も多くいるのだろう。今日は沖縄「慰霊の日」、大きなセレモニーは開催されているがネットではニュースにも取り上げない。韓国でも、中国でもこんな日には「反日」が一瞬盛り上がるけれど、日本では米国を攻撃する声は挙がらない。日本の平和を志向する社会性からいけばこれこそが日本の強みなのだと思うけれど、一体どうして国民はそう思えるようになったのか。考えてみると不思議である。親米や民主主義を貴ぶ心も、おそらく戦後の混乱の中で米国と日本政府の高度な歴史的政策の下で巧くコントロールされてきたのだろう。人間の命基準で云えば、戦争は止めさせなければならない。誰が考えてもそうなのだがそうならない。世界中でパワーゲームとマネーゲームが蠢いていて庶民の生命より優先されているのだろう。「本当に悪い奴に消えてもらうしかない」という時代劇の勧善懲悪に拍手するには「本当に悪い奴」さえ曖昧でなおかつ「消えてもらう」ということに反対する心があるからだろう。複雑な社会の中で100%の支持を貰える解決法などあり得ないということだろうか。
現役を終えた会社の「中興の祖」と言える大先輩が97歳で元気。ほぼ新年の挨拶だけだが交流が続いている。今年の年賀状の後で「近況報告会」をやりたいというご希望があって、アレンジした。ご家族ともコンタクトしたがとにかくお元気で、今日、近くの駅内の鮨屋まで行ってお会いできた。少し聴力に問題はあって、コミュニケーションは難しかったが、自分で歩いてやってきて(食事は通常通りして)みんなと話して、健康自慢もして、参加者の方があっけにとられる始末。こんな97歳があるのなら長寿も良いな、と思わせるひと時だった。元気付けるはずの我々の方がしっかり元気をもらって、「やっぱり健康で頑張らねば」と再認識した。自分の健康についても自信を持っておられるし、溌剌の健啖家、驚くばかりだった。思い出話になると一層力も入る。我々も現役時代を思いだして元気を貰った。この機に奥様とかお嬢様とか連絡を取ることがあったが、やはりこういう家族に囲まれていることが長寿のドライビングフォースにもなるのだなと認識した。こんな時間を持てて嬉しく思うとともに「沢山の学ぶべき事」があるのも思い知った。97歳は無理だと思うけど、あの元気さまでは生きたいと思った。最後まで(彼にとっての)若者たちと会うことを喜んでくれていることが分かって、とっても嬉しかった。こんな時間も「How to be alive」や「How to die」を考える良い機会にはなって、価値はある。人生を考える一日。
昨夕、4年ぶりのOB会総会をやった。2020年の新年会をやってから3年ぶりに集まった。さすがに3年ぶりなので、顔触れも変わってきて、コロナ禍の影響を実感した。新しく加わった人がいて体裁は保てたが、やはり3年という月日が大きく変化をもたらしたことは実感した。当方は(なんと)7年前にこのOB会の会長に任命されたが1期2年は延長、計4年、そうしてコロナ。長期にわたってこの会を率いてきた。多くの事を学んだ。リタイアリーの生き甲斐探索は自分自身も含めて大きなテーマだった。5人の幹事と共にどうすればリタイアリー仲間の集まる意味と価値を増やせるかを考えた。利益を追求して働く場を引っ張っていくのと比べると、リタイアリーのやりがい探しは全く異なるアプローチだった。でも昨夕のコロナ禍が一息ついて再会を喜ぶ人達の笑顔は、「生きていて良かった」という原点に近いものだった。新幹事団を承認し、次を依頼して何となくホッとした。これはこれで当方の人生の一時期を示す良い経験だったと思った。楽しかった、と言えるかも知れない。
これも結果としてラッキー。前後の雨予想の中で土曜に小学校の運動会。朝起きると雨の心配もあったが予定通りとの連絡で出かけた。精神的にもコロナの影響は大きく、何となく大人たちも興奮気味。日本国中がこんな感じだろうか。爺ちゃん婆ちゃんの出番は減ってきたか、観客の平均年齢は下がってきたように感じた。年齢だけは如何ともしがたく子供たちの成長分だけは間違いなく老人の年齢も上がっている。コロナの影響だけでなく最近の教師の労働時間管理についての「働き方改革」の影響か、昼食時間はなく午前中だけで終わり。物足りない感はあるが、これまた時代の変遷の表れか。いつの間にか6年生と3年生、成長を目の当たりにする。自分の、子供たちの・・小学校時代の思い出を追っているが流石に孫の今とは比較すらできない。個人の能力が目立たないように工夫はされているのだろうが、そうは言ってもTVでは毎日世界のスーパスターの実況があって、人間離れした能力に目を見張っている。大谷君にも小学校時代はあったはずだしサッカーやバレーで世界の中でも活躍している選手たちにも小学校時代はあったはずなのだが、これからそんなスーパースターへの憧れや人並外れた努力などはどう育てられていくのか、自由と平等の難しい問題に突き当たる。帰り途で子供たちとお寿司を食べて、「雨が降らなくて良かったね」。
月曜と木曜、2回もゴルフ。梅雨の合間というのに日焼けを心配するような好天。汗を流した。今日はゴルフ場主催のハーフコンペ、フルーツコンペという名で賞品にフルーツもというコンペだったが、当然参加賞だけ。それでもマスカットやフルーツジュースを貰って、良い満足感。当方の腕ではもうレギュラーティーで付いて行くのは苦しくなって、もっぱらシルバーティー。18Hが終わると、「今日も無事回れた」と喜ぶ。その後は「何歳までできるかな」となる。運転と似ている。後期高齢者になったら免許返納をと心構えをしようと思っていたのに、その時を選んだかのように運転の機会が増えた。悩ましいところである。ゴルフも何かターゲットを設けてストップを考えるべきなのだろう。車の運転も直接関係してくる。考えてはいるけれど、朝ゴルフ場について深呼吸を一つすると、「今日も付いて行かねば・・・」となる。11月に新車が届いたら、今度はゴルフの練習場通い??
昨年10月に有志で行った元上司の先輩のお墓参りをこれから定例化しようという提案があって、再びお参りした。千葉市の中でもかなり奥地の墓地公園。ぶらりとは行かないエリア。梅雨に入ろうかという時期だったが驚くほどの好天に恵まれ、仲間との再会を楽しんだ。当然、当方が最年長で「この人たちは僕の墓が出来れば来てくれるのかも知れないな」などと自分の終活に思いを馳せた。コロナ禍で色んな常識が変わりつつあって、葬儀や告別式の仕方も変わりつつあると聞く。確かに墓地についてもこれまでのように残された家族に保つのを強要するような仏事は残してはいけないのではないかとも思って、当方など「葬儀やお墓のことなどは逝く人の為ではなく残る人のためだから自由に」なんて逃げているけれど、歴史や宗教の中では「残された親族がバラバラにならないように」というシンボルの様な意味もあるのだろう。周期ごとに子供や孫たちが集まって、親しい関係を保つ柱になれるのならやはり意味があるかな、などと先輩に諭されているような気持にもなった。親族のみではなく、こうして昔の仲間の懇親のきっかけを与えることができるのなら価値あるな、などと思って手を合わせた。帰り途のランチも前回を踏襲、美味いビールを飲んだ。亡き先輩もきっと喜んでくれていると思うと、やはりこの種の慣習の価値を認めざるを得ない。今回も後味の良い墓参だった。
かの国が正々堂々と(?)失敗を認めるのはかえって気味が悪いし、おそらく次は成功する(させる)に違いない。2段ロケットの2段目の点火云々はこの間どこかでも聞いた。日本のH3ロケットの話題でもある。失敗を公表することが恥ずかしくもないレベルに達したと言えるのかも知れない。どうやって資金を工面するのかそちら方が大きな謎だが、次は成功するに違いない。東アジアの国力の顕示という意味では、このニュースの陰に隠れてはいたが中国の有人飛行の方がずっと大きい。彼らは既に宇宙センターを持ち、そこで独自の研究も行い、月面着陸も視野に入れている。もし中露朝を一つのグループとしてみれば、欧米日に比肩出来る所まで近づいているのではないか。もう北朝鮮のICBMばかりを気にしている段階は終わった様に思える。「能力を持つ」ことと「能力使う」こととのギャップは、ウクライナ戦争で、ロシアが示してくれた。やはり次の関心事は「政治力」、「話し合って妥協点を見出す力」しかない。夢のように思えても小さな頃から思っていた「世界平和は対話と妥協から」という時代がやはり来てしまった。
昨年の運転免許切り替え時に返納も考えた。高齢者の事故も多いようだし、池袋の事故など後期高齢者の上級国民(?)の死亡事故があってますます圧力も増えている。当方の愛車も13年を越し、これを乗りつぶす(?)までかな、とナビを更新したり、タイヤも新調、トランスミッションも取り替えたり、とかなり投資もして順調に乗っている。できるだけ公共交通機関を利用しようと努力もしてきた。ところが昨年末から家内の体調不安が増え、年末から入院したり、3月には再び入院。いずれもやや遠い救急病院だったものだから車でないと往復できない。毎日のように車での病院通いが続いた。それを見ていた友人たちが、「そろそろ新車では?」「後期高齢者でしょ?」などと囁きだした。今の車で問題はないし、今絶好調だし。でも家内も体調が戻れば「当然、運転する」と言うし、新たな迷いが生じた。そこに目を付けたディーラーが「とにかく一度来て乗ってみて下さい。」と言う。昨日夫婦で行って、小さめの車で、最新の安全装備のついた車に試乗して、結局そのままサイン。このご時世なので納車には半年はかかるようだが、どうも「走れば良い」が、「安全で安心な車」の魅力に負けてしまった。経済的にも遣うだけの日常だが、買えるのなら・・・となってしまった。「一たび事故ったら殺人犯ですよ・・」とまで脅された友人たちの言葉が決心させた。経済は旨くできている。
朝日新聞の朝刊に4日に亙って「定年クライシス」という記事が連載された。当方も退職と共に考え続けてきたテーマであった。夫婦関係から、夫に「どこかに行っていて欲しい」という妻、公園のベンチに毎日「出勤する」夫、暇になったらやりたいと思っていたことが山ほどあったのに何もできない夫、現役時代のやりがい、立場を忘れられないサラリーマン、などなど、身につまされる様な話がいっぱい。これが現代なのだと思う話ばかり。「生活の為に」とか「食う為に」働かなければ、という人も沢山いるというのに、何が「老人の生き甲斐だ」と言われることもありそうだが実際はこれに近い。前回にも書いたように、「生きがい」「やりがい」などと言うものはそれを見ていて評価してくれる人がいてこそ、というのも事実だろう。最後は人と人との繋がりに行き着くのだろうか。この新聞記事を読みながら自分が生きてきた10年余りのリタイア生活を思い、「予定表が詰まっている事」の幸せを再認識している。世の中の大多数の人が自分と同じことを考えながら生きていると思うと、自分が恵まれている部分にしっかり気づく。それが明日を生きさせてくれる。
「集まれる間に」という殺し文句に惹かれて大阪まで出かけた。これまたコロナ禍で空いた3年をおいて、久しぶりの同期会。毎回、少しづつ参加者が減っていたが、今回はわずか10人になった。亡くなった人、本人が闘病中の人、ご家族が闘病中の人・・淋しいけれど、何れも仕方がなく、未だ自分が参加できることを幸運と思って楽しんだ。今後も、参加者が増えることはないだろうが、出来るだけ頑張りたい。流石に出席組は健康な様で、飲んで食べて話して・・・50年以上のギャップを忘れて良い時間を過ごせた。この辺りを機にいったん中止しようかなどという意見もあったようだが、例え数人になっても続けようという元気組の意見が勝って、来年の開催も決まった。やはり生きることと人と人の絆は関係が強い様で、何らかのつながりがあると大事にしたいと思うものである。翌日は強い雨の中を墓参りしてご無沙汰を詫びた。これも関西に出かける理由があってこそのルーチンである。何があっても、誰と会っても年齢を感じつつ、残された時を大切にと思う。こうして「持つべき覚悟」の様なものが形成されていくのだと感じている。有難いと思ったひと時。
千葉エリアのOB会の会長役が転がり込んでからもう7年か。2期4年を務めて次期幹事を決めてさあ総会と言ったのが2020年6月。この時、コロナ禍の真っ只中。何もできないまま3年が経った。この種の集まりもゆっくりとではあるが戻りつつある。我々も、「今年こそ」とばかりに準備を始めている。コロナ禍の影響がいかに大きかったか、毎年利用していた会場(居酒屋)も昨年末に閉店。隣の駅近で見つけていた良い店も、昨日幹事会を開いてみればこれから店の改装に入るとか。積極策であれ消極策であれこの種の業種も「変わらざるを得ない」状況になっている様子。大慌てで昨夕にはもう一軒の候補であった(昔ながらの)ホテルに泣きついて急遽の予約をした。参加者の集計も大きな変化をもたらし、年長者の参加者が減っていき、代わりに新人(リタイアリの)が増えていく。どんどん減少していくのを心配していたが一安心。でも長期に考えるとやはり継続性の問題は大きい。次期幹事とも相談して何とかSustainableなOB会を保ちたい。久しぶりに帰ってきたこの仕事を楽しんでいる。でも目標と思っていた大先輩たちから「体が不自由になって」「今年は欠席」という連絡が届くといかにも淋しい。これは日本国のみならず人類全般の共通問題ではあるのだけれど・・・
今週からコロナ感染が5類とかで、いよいよ恐る恐るだが社会のムードも変わりつつある。昨夜は久しぶりの東京での昔の仲間内のパーティー。何のテーマという訳でもなく久し振りの顔が集まっての近況報告。いつもは当たり前の日常だったがこの3年の影響でまだ揺れが大きい。一人一人が日常の中にトピックスを貯めている。それが全て放出できれば良いのかも知れないけれど、コロナ同様、解決している訳でもなく、心配もあって、すっきりとはしない。でもつくづく思うけれど、人間って一人では生きられない。生きていてもつまらない。やはりどんな関係であれ何らかの人間関係の中に居てこその人生、と思える。「絆」なんて簡単に一言で済ませているけれど、人の何らかの繋がりがあっての日常である。働き方改革のお蔭でネットで仕事を済ませている人も増えているとか、効率という意味では上がっているかも知れないけれど、個人としてのやりがいとか満足感など「生きている自覚感」という意味ではやはり、「誰かが」「誰かと」「誰かに」と言ったつながりを求めるのではないだろうか。人間関係は煩わしい、という人達も多いけれど、それでも誰もいないと「空(くう)」を感じてしまう。そんなことを言えるのはハッピーな証拠ですよ、という人もいるけれど・・・帰宅して寝床に入って今日一日を振り返って・・やはり「誰か」が関わっていないと・・・
この季節(好天のGW)になると、庭木の手入れをしたくなる(?しなければという義務感にかられる)。今年も2日ほどかけた。電動トリマーの出番なのだが、去年まではそんなに重くも感じなかったのに、右手の親指でボタンを押し続けなければならない構造故に右手の負担が大きい。主に垣根の山茶花の剪定なのだが、素人仕事ゆえにいつの間にか高さも高くなり、幅も広がってきた。部分的に他の樹木に取って代わられたエリアもある。そんなことは気にもかけずひたすら平面化だけ心掛けるが、翌日になってみるとガタガタ。例年のことだが「ヨシ」とする。いつの間にか脚立も古くなってきて広げたり伸ばしたりが一仕事。この種のものは、長い年月に亙って使うものだから必ずと言っていいほど「もうちょっと良いものを買っておけば良かった」と思うのだが、買う時はいつも「年に何回も使う物でもなし」と安物を買っている。楽しみは終わった後のビール一杯。今年も楽しめた。毎回終わる度に、次回も出来るかな、と心配にはなるがそれよりも、今年も出来た喜びの方に主体をおく。夜になって帰ってきた長男に「今日は垣根の手入れで疲れた」と言うが、「言ってくれれば早い目に帰ったのに・・」だって。その件についての会話はそれで終わり。「次回は・・」という話にはならない。
1日に千葉の眼科に行って久しぶりの視力チェック。何となく左右のアンバランスが減ってきたように思えて喜んだ。内房線や駅で驚いたのは数人だが若者でノーマスクが見られた。以前と違い、当方など何となくホッとした。昨日は家内の検診で病院に運転手。コロナ禍になってから通い続けている病院。当方は昨年2月に入院、家内は昨年末から今年初めに入院。3月にも再び入院。兎に角、良くお世話になっている。ここでも驚くべき変化を見た。一人の患者に対し一人だけだが見舞いが許されて、希望者の列ができていた。自分の入院時を振り返ってみるとほんの少しでも家族や友人の顔を見られるだけでも精神衛生上はメリット大だろう。養護施設や高齢者施設などがどう変わっているのか知らないが、おそらく来週のコロナ5類化に伴って、徐々に方針が変わっていくのだろう。ニュースを観ていても、ここ数年の各種制限がオソルオソルではあるが解除され、もとの賑わいが戻っているようだ。これでまた9波、10波と感染が広がっていくと別だが、おそらく人々の判断基準も代わってきているだろう。誰もがマスクを外す日はまだまだ遠いかも知れないけれど、その日も遠くないかも知れない。好天が続くGWだが、まずコロナ禍からの解放のGWになれば、世の中のよどんだ空気が少しは上向きになりそうな予感がする。ただ、我々高齢者にとってみれば、この3年間はいかにも特殊だった。「これも一つの人生」と、経験できたことを喜ぶしかないのだけれど。
いつの間にか75年も経つと色んな日本にいた。読書をしたり、新聞を読んでいたりすると、珠に「今の日本が外からどう見られているか」と考えることがある。戦後の日本は「負けた国がどうなるのか」と注目されていたであろうし、その後の復興時には「経済復興、驚異の国」であったろう。経済大国になった頃は「不思議の国」と思われ、果ては「ジャパンアズNo.1」とまでもてはやされた。そして「失われた30年」が続いた。我々の世代はそれを全て自分で経験して生きてきた。そして今でもバブル崩壊前の日本を期待している。でも、世界は、とっくに当時の日本のことなど忘れているのではないか。今や再び「日本ってどこにある国?」とか「日本ってどんな国?」なんて話題になっている存在なのかも知れない。さて、そうであれば、そうであるなりの在り方があるのではないだろうか。いつまでも「ハイレベルな国」「技術力の国」「裕福な国」と誇りにしていても継続できそうにない。今こそ、これからの新しい日本を築いていく若者たちが「こんな日本にしたい」と思うようにさせるべき時だろう。先日の統一地方選挙を見ると「あの良き時代に戻すには」を志向する人達ばかりが選ばれている様に思えるがどうも「How(どのように)?」が見えない。関西で維新が何故伸びていくのか、政治家はそれから学ぶべきだろう。世界は決して昔(30年以上前)の日本に戻るとは思っていない。
昨年10月、現役の頃、大変お世話になった大先輩が逝去された。何しろコロナ禍の真っ只中で、いわゆる家族葬だったようで知らせを受けたのは11月に入ってからだった。もう93歳のご高齢ではあったが、海軍上がりできちんとした人であった。当方は親会社から呼んで頂いた立場でこの先輩がおられなかったら、あのJVで定年を迎えることはなかったと思う。それ位影響力があった。後でご子息から家族葬のお詫びと、写真、最後の闘病の様子の報告をもらって、元の同僚たちに回覧した。大変慕われた人で後日一緒に墓参りをしようという申し出を受けていた。暖かくなってからと思い、3月に予定していたが家内の入院が勃発、延期してもらって、昨日実施した。場所は埼玉県所沢で、降りたことも無い駅だったが新興の街の中の大きな公園墓地だった。現役時代埼玉から都内に通勤されていたので、ご自分の代の墓地を造られたのだと思った。声をかければ多くの墓参希望者が出るのは分かっていたので、特に当方と世代も近く、おそらく先輩との関係も深かったと思われる人たち6人と落ち合ってお参りした。やや寒さが戻った日だったがまずまずの天候で黙々と供花、供水、線香をあげた。一人一人がお別れの挨拶をしているような静かな時間だった。帰り途では所沢で降りて中国料理店で献杯をした。まるでアレンジしてもらったように、7人ピッタリの部屋が空いていて、再会と、思い出話の話が弾んだ。現役時代はよく飲んだり、話したりした仲間だったので会っただけで時間の経つのを忘れた。おそらく亡き先輩が自分を慕った部下たちがその逝去をネタに集まって親しく話しているのを喜んで聞いておられたように感じた。後味の良い一日だった。帰宅して余韻を楽しみながら自分の時はどうなるのだろうと不要な心配をしてしまった。
メディアを見たり、読んだりしているだけでそれが事実かどうかを確認する術は無い訳だが、ウクライナ戦争は止まず、ミャンマーの先は見えない。そうしている内に今度はスーダンの軍内衝突。日本人救出に自衛隊機出動とか。地球儀を舞台に紛争が継続している。「今、現在、そんなことが起こっている事」自体、自分の問題として捉えられないのだが、それだけでも罪の意識さえ感じる。今日も救出を待つスーダンのNPOの人が日本のニュースに出ていて、「今求められるのは?」と言う質問に、「このコミュニケーションが継続出来ること」と答えていた。確かに「伝わること」の価値は計り知れない。この間の月曜、仲間のゴルフコンペがあった。夏近しを感じる好天下、自然を楽しんだ。メディアを通して知っている世界の現状を意識すると、これで良いのかと思うことは多い。でも、そんなニュースも手の届かない世界で真偽の確認すらできない場所での今である。自分たちは今、どんな時間を送るのが正解なのか判らないけれど、残された人生(これだけはは自分のみの世界)を精一杯生きることのみ今の自分に出来ることなのだろう。矛盾だらけではあるが「今を生きている」。
先日もOB会の寄せ書きに、「現在地域のPC教室の講師をやっているが、相変わらずのワードとエクセルの基礎であって、進歩はない。」と書いた。最近ちょこちょこ相談があって、次に新しい講座をやるには何をやったら良いか、という話もある。「やはりネットですかね」なんて無責任なことを言っていたら、昨年は本当に「インターネットの基礎」という講座を頼まれ、苦戦した。PCとスマホに至った歴史まで話すと長くなる、が実はそこがポイント。公民館にWi-Fiが入っていなくて誤魔化したが、今年は一気に全ての公民館にWi-Fiも準備されるらしい。いよいよIoTの講座も考える必要がありそう。でも当方では無理かもしれない。次のステップとしてのAIになると、おそらくお手上げ。ますます求められることは難しくなりそう。とは言うものの、最近話題のAIプログラムの何たるかを知ろうと、Chat-GPTに挑戦してみた。丁度、今年度の追跡調査のアルバイトの内容について尋ねてみた。いやはや恐れ入った。僅か1行の(英文の)問いにたっぷりと答えをくれる。かなり専門的な内容でも概念部分はバッチリ。この答えの真偽を確認するのもかなり大変そう。大学の学生がこれをToolとして使い始めれば、先生方も迂闊な対応は出来ないだろう。開発者Open-AIのCEOが来日して総理と会談したとか。多くの議論がなされるだろうが、とにかくこの分野のスピードに社会が付いて行けるかどうかが問題である。特に行政や司法など決定プロセスが長い分野程対応が遅れることを心配する。こんな分野になってくると「PC教室」なんて言葉では表現できない。恐ろしい時代がやってきた。
8日の午前中に退院を済ませ、主夫の生活が本格化した。無理をするつもりはないが、形だけでも「出来る」ことは示したい。食事、洗濯、掃除など結局のところはできることしかできない。10日は現役時代の東京のOBのゴルフコンペがあって、何とか参加できた。コロナ禍も終わりが見えて(?)きて人々の顔も明るさを増してきた。ましてやOB仲間は、先が見えてきている訳で出来る時に楽しんでおきたい、という気持ちが強い。久しぶりの反省会もあって、盛り上がった。刹那的に過ぎるかも知れないけれど、これも生き方の一面である。集まる度に一人づつ名前が消えていくわけだが、これこそ「自然のなせる業」と思うほかはない。翌日は家内のお出かけ練習も兼ねて、病院まで支払いに。まだまだ一人でどうぞとは言えないが、どんな理由をつけてでも外で歩く機会を作らないと、寝込んでしまうことになる。早く食事の支度から・・・なんて期待している。考え方を変えれば人生で時々あった一人暮らしの卒業テストだと思えば良い。マニュアル嫌いの当方の料理は、エイヤっと決める調味料のせいで一回ごとに味は異なる。これではまだまだ「卒業」にはおぼつかないのだろうけれど・・後期高齢者になって訪れた新生活適応テスト。
家内の再手術は主治医としては成功だったようで今週中には退院も、と言う話になり、一昨日迎え入れの準備をした。3男が手伝いに来てくれて1Fにベッドの部屋を準備した。まだ様子がよく判らないので、とりあえず子供たちの使っていた2段ベッドの上段をバラバラにして2Fから1Fの和室に移動し組み立てた。何しろ2人暮らしの所帯だから、どこもかしこもゴミ(?、ガラクタ?)だらけ。掃除しても掃除しても色んなものが出てくる。たまに懐かしい想い出のある物が出てくると、それだけで時間が経ってしまう。でも、終わってみると、これならここで寝起きしてくれるかな、という部屋になった。家の歴史と考えればまた新たな変化を迎えた。おそらくいずれはこんな形で一人暮らしになるまでは介護設備を加えながら老人用世帯になっていくのだろう。仕方がないことだけれど、やはり寂しくもある。こんな仕事をしながら、それでも「積極的に生き続ける意欲」を保つ秘訣は何なのだろうと考えている。今、我々世代には二つの基本的考えがあるように思う。ひとつは「何としても積極的に社会の中で生きる。」もう一つは「やっと訪れた静かな穏やかな人生を楽しむ。」この二つを両方追求しようとすると意外に大変。欲張りだと言われそうだが、その狭間で悩むのも生き甲斐の一つなのかも知れない。家内のベッドルームを整理しながらそんなことを考えた。
明朝から朝ドラが新しく始まるとのことでNHKの予告編をみて、ややビックリ。主役は植物学者牧野富太郎がモデル。実は当方は鳥取の田舎の中学校2年生で、初めて「弁論」にトライした。今は無き南因中の講堂で真正面にバスケットボールのゴールが見えて緊張の涙を見せないようにただひたすら覚えていた内容をしゃべって終わって、最後の講評で「もう少し聴衆の顔を見ながら話せたら・・」と言われたのを昨日の事のようによく覚えている。その後弁論部に入り高校まで続けた。その中2の初めての弁論の題目が「スエコザサ」。当時教師だった父が東京に出張、その機会に練馬の牧野記念庭園に行ったのだろう。田舎の駅(土師駅)に三角乗り自転車で迎えに行った当方を荷台に乗せてその土産話として父が語ってくれたのが、牧野博士の愛妻寿衛子(スエコ)さんの話。まさか夫婦愛の話を土産話にした訳では無かったろうが、苦労をかけた愛妻の名を新しく発見した笹の名につけた。という話で、おそらく弁論では家族愛の例の様にして発表したのだろう。懐かしさで部屋の中を探したが、高校時代の弁論原稿は見つかったけれど「スエコザサ」は見つからなかった。これがどんな内容だったか判ればこれから半年間、話題として使えるのだけれど。残念。でも明日からの朝ドラのおかげで60年以上前の中学時代を思い出すことができた。高校後半くらいからあの形式の弁論大会そのものがなくなって、「・・・討論会」と言った形式に変わっていったけれど、聴衆を前に首を左右に振りながら語りかける弁論をもっと続けていれば、今頃議事堂内で政治のあるべき姿を問うていたかも知れない。新朝ドラ一つで何と多くのことが語れるか、月日は恐ろしい。
家内のペースメーカー挿入手術は再手術となり、丁度1週間後の1昨日実施された。手術以降、毎日電話しても手術後の回復を窺わせる声もなくグズグズ言っていたものだから、やや気になっていた。29日の夕方主治医から電話があり「再手術」とか。どうも電極の収まりが悪かったようで、再度取り付けるとのこと。これはいわゆる「医療ミス」ではないかと、ネットで調べたり、医療の詳しい友人に訪ねたり。その結果、どうもそんなに珍しいことではなく、たまに外れたりすることもあるとか、「その際は再度手術することになる」なんて普通の事のように書いてある。という訳で1昨日は1週間前と同じように「待機」。手術前後には「せめて顔を合わす位は」というリクエストに応えてくれて初めて病室を見たり感想を聞いたり。1週前とほぼ同じように約2時間の手術、主治医に言わせると「心配していたほどの状態では無かったが全てやり直しました」とのこと。手術室に入れる訳でもなく、何もできない当方としては「有難うございました」と言うしかない。救いは昨日、今朝とも電話の声は1週前より「ややまし」か。何となく「後は待つしかないか」と思うことにした。先のH3ロケットの打ち上げ失敗を思いだし、「最新技術にも疑いはある」との疑念はぬぐえないが、まずは一安心か。どんな分野でも技術革新は猛烈なスピードで進むが、おそらくどの分野でも技術確立の陰には多くの失敗ややり直しも潜んでいるのだろうと思わせる。考えてみれば心臓に電極を取り付け、胸に電池を埋め込んで電流を流して心臓を一定速度で動かす、なんて神や仏が聞いたら「自然に逆らうな!」とでも言いそう。10年以上前に血管側にスプリング(ステント)を入れた当方としては「あの時にペースメーカーと言う話もあったな」と思いだしているのだが。この10年間にこの分野にどれだけの進歩があったのか・・・LivingWillでできるだけ自然に逆らわないように、と考えている当方としてはこんな「人為」も今や自然の一部なのかと複雑な気持ちになっている。ちゃんと退院するまで安心はできないけれど。
先週の異常な暖かさのお蔭で日本国中桜が開花、関東はあちこちから満開の便り。ところがここ2,3日、冬の寒さと冷たい雨。その中を病院に通うが、病室には入れず頼まれたものを渡すだけ。病状を尋ねるのも帰って携帯。この3年間、病院も各種施設もみんなこんな状態だったのだと思うと、コロナ禍の社会や人々に与えた影響の大きさを実感する。高齢者施設で生活している人達は何を楽しみにどんな生活を続けたのか、自分を当てはめてみるとゾッとする。WBC優勝で沸いて、総理がウクライナを訪問して、地方選挙向けバラマキ政策を打ち出して、少し支持率が上がってきてはいるが、政治経済共に春は感じさせない。「人」として原点に戻れば、まずは戦争は終わって欲しい。終戦と言うニュースが待ち遠しい。日韓関係もまだまだ安心できない。韓国内での尹大統領の政策への支持が低いらしい。これで政権交代にでもなればまたもや裏切り韓国に戻りかねない。日本も今の内に平和へと歩みを進めるべきだろう。日米韓のような関係ですらこれだから、原則の違う中・露などとの和平は相当難しいと分かる。開花や、満開の時期は年々違うけれど、ちゃんと咲くべき時に咲いて目を和ませる。世界の政治経済社会も治まるべき所に収まって欲しいものだ。まだ判らないのはその「収まるべき所」なのだけれど。
結局、入院した家内は(おそらく)高血糖による低心拍で心臓障害となり、一昨日ペースメーカーの挿入手術を受けた。依然として(大)病院はコロナ対策を徹底しているため、配偶者ですら病室に入れず、状況は待合室での医者との会話とか、本人との電話でしか分からないが、手術は旨くいったらしい。待機させられた当方は、「終わりました」の一言で帰ってくることになった。今日も電話で様子を聞いたがそれ程順調ではないようで、グズグズ言っている。もうコロナの制約はどんどん減っているのだからせめて病室に入る位・・・と言いたいがこればかりは如何ともし難い。まさか「コロナ禍時の家族の入院」を2度も味わうことになろうとは・・・。3か月ぶりの一人暮らしである。今日は食材の買い物に行ったり、病院から求められた書類の準備に市役所に行ったり。でもこんなことがある度にその都度気持ちが異なる。以前は「待てば日常が帰ってくる」と信じていたところがあった、が、今は旨く行って次に来るであろう「安定」の姿が、輝かない。家内の病が治っても次は当方の病かな、などと明るくない将来を予想する。やはり「追いかけて来る」様な仕事があってこその日常、のように思ってしまう。「リタイアリのあるべき日常」とはどんなものだろうか。改めて考えさせられる。現役の頃なら多忙の中の静けさなら、例え入院であっても、まさに「幸せなひと時」だったと思うけれど、今はホッとして一息つくと「次は何が追ってくれるのだろう?」などと思ってしまう。こんな時間を待ち望んでいたはずなのだけれど。家内の入院で考えさせられる「これからの幸せ」。
先週末に長男や義妹夫婦が、正月に一緒に騒げなかったリベンジとのことで集まってくれてゆっくり騒いだ。とっても楽しい酒だった。が翌日から家内の元気がなくなり、寝てばかり。今日になってもソファから立ち上がれない位の状態が直らなかった。当方は、いつものことでいずれ良くなる、とタカをくくってWBCの応援に興奮していたが、一向に回復せず、夕方にはトイレで転倒、助けに行った当方も共倒れ。とうとう救急車のお世話になった。何がどうなったのか良く分からないけれど持病の糖尿病が心臓機能に悪影響を及ぼしたようで、ペースメーカーにお世話になることになっている。昨年から夫婦そろってやれ憩室炎だの脳梗塞だの、果てはコロナ感染だのと、健康問題が続いている。やはり根本原因は加齢か、そうであればもっと健康に注意した生き方をせねばと心している。「まずお酒の飲み方でしょ」と子供たちに注意され、やはりそこかな、と思ったり、そうは言ってもあの楽しみを取られると・・・と思ったり。これからいよいよHowToDieの問題は増幅してくる。今日の所はとりあえずこんなもので終わりそうではあるが。
今度の尹(ユン)大統領をどこまで信用して良いのかまだ判らないが、表面的な姿を見る限り、本当に日韓の将来を託しても良いのではないかと思うようになってきた。何しろ正常化していたと言われる時代でも韓国には「ゴールポスト」を動かされ続けてきた。日本国民が容易に信用しなくなっているのは間違いない。ただ、我々戦後世代の世になって韓国を見る目は大きく変わってきている。若い世代は猶更の様だ。おそらく当方が韓国民だとすれば、ここ数十年の間の韓国の、国としての進歩の度合いは誇らしいものであって、目標であった日本に「追いつけ、追い越せ」を十分果たしてきている。歴史をみても対等であることに問題は無いと思う。まだまだ多くの問題は残っているが、文大統領から尹大統領に変わった時点で双方が対等な立場の隣国になったと思いたい。両国民が基盤から変わる必要があるとは思うが、おそらく無理で、最も良いのは世代交代と共に変わっていく世論であろう。政治経済共によく似た感じの日韓だが、今、日本側が大きく引き離されかけていると思うのはやはり、「徴兵制」である。日本も軍隊(自衛隊)を持つ国で米国に安全保障を頼るのならやはり国民は何らかの形で「自衛の心」は保っていないと、いずれ「全国民捕虜」の時代が来るかもしれない。明日から尹大統領が訪日とか、彼は心の中では既に対日勝利の信念があるのかも知れない。心からの良い日米韓関係の構築を期待したい。一歩下がって見ることが出来るのは優位であることを日本国民は認識すべきと思うのだが。
地球の裏側では戦争が継続されて毎日殺人が行われているというのに、一方で野球の世界戦が進んでいる。昨年のサッカーWCと比べると当方の盛り上がり度は小さいが、それはおそらく日本のレベルが高いのと、野球そのものの全世界への普及度が小さいからか。でも、今週は毎日楽しませてもらっている。大谷翔平という飛んでもないビッグスターが生まれ、二刀流で出場するというのが今年のWBCの注目度をあげている。やはり準決勝・決勝戦あたりのハイレベルな試合を早く見たいとは思う。こうして同じ時間に世界で起きている全く異なる戦いを意識すると一層平和の有難さを実感するし、なぜいつまでも戦争を継続せねばならぬのかを考えてしまう。「平和のための戦争」という矛盾はやはり人種間格差が生むものであり、我々は丁度「狭間の良い瞬間」に位置しているだけ、と思えても来る。戦後日本の「朝鮮特需」がもたらした日本の急回復も実の所「戦争でもたらされた幸運」であったと考えると、誰かが命をかけて戦っている時、裏でそのお蔭で潤っている人達が必ずいる、という事であろう。いつまでもこうしてTV観戦しながらビールを飲んでいたいけれど・・・
今日のこのニュースにはやや落ち込んだ。先日の打ち上げ延期の時は、「これぞ技術力の証明」とばかりに拍手を送ったが、満を持したハズの今日の打ち上げで「失敗」を聞こうとは思わなかった。何か予期せぬ無理があったのか。技術革新には失敗はつきものであるのは誰もが認める所だが、やはりタイミングと状況がある。今回の失敗はできれば「本質的な所」であって欲しい。ただ、色んなニュースを読むとこれまでの経過からは「失敗するはずのない」部分だったとも言われている。技術的欠点ではなく、スケジューリングとか見落としなどのイージーミスだとすればショックは大きい。日本の技術力が試されているプロジェクトであることは確かであるし、これで世界からの信用を落とすのも確かだろうから。先日の延期事件の時に「失敗」と言うとか言わないとかがニュースになった。当方は「こんなのは失敗ではなく」「リスクマネージメントの素晴らしい成功例」だと思った。ただ「次の本番では何事もなく成功して欲しい」と思ったのも事実である。最近、「技術の日本」というキャッチフレーズに疑問を抱くことが多いものだから特に気になっていた。わざわざこんな所で世代論を持ち出してはいけないのだろうが、「働き方改革」の新世代の人達はどんな心持でプロジェクトに参加しているのか・・それを知りたいと思ってしまった。残念な一日。
アフターコロナの社会の変化は多く、教育面を含め多くの害も騒がれている。ただいくつかはそれによって加速された良い変化もある。その一つとしてIoT化が大きい。スマホの登場もあって、情報の流れ方は大きく変化した。当方にとって有難いのは「ネット講演会」が増えたこと。コロナ前なら登録した上でノコノコ東京まで出かける必要があったが、最近は朝新聞を開くと多くの後援会の案内がある。時間つぶしに一度参加すると、次回以降の案内も送付してくれる。何を聞きたいか、何を聞くかもこちらの自由。勿論背広は不要、パジャマのままでも大きな講演会に参加できる。面白くないと思えばいつでも退席できる。コンサルや、若者の教育にも好都合で、案内メールを転送しておいて「これを聞いてみたら?」と言っておいて後でそれを話題に話し合う。先日、養老孟司氏の『企業経営の鍵:これからの企業と経営者に必要な「学び」とは?』(〜知識の壁を越え、ビジネス成長につなげるための思考法〜)という講演を聞いた。ビジネス面が強調されるタイトルだが、内容はいつもの彼のパターン。今回は少子高齢化を主なネタにして、その実は現在の日本(世界)のあらゆる面の現実・問題は何らかの大災害でも起こらない限り解決できないという話。2038年(15年後)頃に南海トラフ大地震、東海大地震、それに富士山爆発も重なるような大震災が起こり、それを機会に日本は変わることが出来る。(それを待たねばならないがそれ迄は生きられない。)と言った話題。少子高齢化を何とかしたいとか、エネルギー問題が大きい、とか言っていてもそんなことを全て飲み込む変化が起きる。その時、歴史は好転(激変)するという。経営者たるものそれ位の広い目を持て、という事なのだろうが、我々卒業生として聞くと「そんな大変化がこの目で見れたら良いな」的第三者になってしまう。良い勉強にはなった。この種の機会を利用して何とかボケ防止を図りたいものだ。
ここ数年のコロナ禍と昨年からのロシアによるウクライナ侵攻で、自由平等と民主主義について考え直す機会が多い。我々「戦後派」は基本常識としてこれらを「是」とし、不変の「基盤」として生きてきた。でもこの歳になって、またもや改めて問い直している。まずはその内蔵する矛盾からなのだが到底解消できない。人間として当然と思える「平等」がいかに困難なことか、「自由」の重要性を意識すればするほど悩まされる。家族内、友人間、(元)同僚間、日本人内、そして世界の人類、果ては「生きとし生けるもの」全てに亙って「平等」などあり得ない。でも理性の証明として平等を志向することの価値を忘れてはならない。コロナ禍には多くを考えさせられた。そして民主主義についても。最も拒否されるべき「戦争・殺し合い」が今も進行している。いつの間にかプラス組とマイナス組に分かれて・・あえてプラスとマイナスというのは放っておけば引き合ってゼロになって欲しいから。ロシアも中国も「民主主義」を謳っている訳で「求める平和」の形が異なるだけなのかも知れないけれど、「今」が許せない。ガーシーとか言う若者(?)が参院議員になった。何も議員として義務を果たしていない。問題外だと思うけれど、これはやはり「当選させた人」に責任がある。民主主義ではやはり権利と義務のバランスが重要で権利を行使したら見合った義務を果たさねばならない。そんな「小学校での教育」の基本を思い直している。政治にクレームをつける時にもやはり政治家を選んだ責任を自覚する必要がある。我々には官僚を選ぶ権利は無いのだから、誰に行政の責任があるのか、を考えねばならない。結局今の社会の欠点の責任は自分自身にある、という事なのだろう。「改めて」「改めて」「あらためて」「あらためて」・・・考える今日である。もう遅いかな・・・
「特別研究員」という名刺迄持たせてもらって国のプロジェクトの追跡調査をする仕事を手伝ってもう10年になる。色んな調査があるが主役はネット。PCが無かったら絶対できない仕事である。毎年、少しづつではあるが稼がせてもらって、自由になる小遣いの資金にもなっている。確定申告をしたけれど、「売り上げ」はあっても「仕入れ価格」はない。コンサルやPC教室もそうだが原材料費はなくて売り上げだけはある。たまには効率向上のための投資もしなくては、とPC周りの整備にはお金をかける。かと言って、PCは1台あれば十分だし(2台目は携帯用の小型のもの)、Wi-Fi設備も一度整えてしまえば比例費も知れている。今回は小型PCのグレードアップを、と大型モニターの導入を思いついた。友人に訪ねた所、27型以上で4Kモニターにすれば見やすいとか。丁度視力も落ちつつあるし、とネットで購入した。当方の部屋は「足の踏み出し場」が無いほどの雑然ぶり。まずモニター置き場所を作るだけでも大変。設置に昨日1日かかった。古本をまとめ、掃除機をかけ、配線、視聴。いざ繋いでみれば、やはり(友人のコメント通り)、PC側に4K出力が無く、画面が大きくなっただけ。次はモニターにあったPCを買うことになる。でも仕事をするには今までの19型画面で十分で、「一体、何のための投資だったか」と、やや反省している。でも家庭用PCの歴史を振り返ると、いつもこうして2台目の準備を整えた頃に古い方にトラブルが発生するのが普通であった。そのための「リスクマネージメント」だと言い聞かせている。ま、大型の画面でネットを見ていると眼の疲れも少なそうには感じる。NHK+で朝ドラを見ていると、朝ドラに起こされることもなさそう。だんだん時間にルーズになってくる。これも「デジタル爺さん」へのステップか。今度は何を整備しようか・・・
久しぶりの東京。クライアントの新人を相手に昔話をする。自分の子供世代どころかいよいよ孫の世代に近づいていく。「私が社会人になった頃・・」なんて話しながら何年前かをはじくと、何と半世紀も前の話で、これでは教育にも何もなったものではない。あの頃、新しいと言われた学問やトレンドも、今は単なる昔話である。そんな話を聞かされる新人さんも気の毒である。当方側としては今の若者の意見や考えを聞く良い機会ではある。先日読んだ「なぜ日本は没落するか」ではこの人達が世の中を引っ張る時代、20〜30年後には日本は完全に没落していることになる。しかもその責任の一端は我々世代にある。何ができるか判らないが「座して死を待つ」のではなく、それぞれの世代がどう考えてこの時代まで引っ張ってきたのか、それを語っておきたい、とは思う。彼らの頭には、ソニーやホンダの成長物語など、日本史の一部である。知っていて当然と思う名前も「どこかで聞いたことがある名前」のようだ。戦後の日本が急成長した訳を知り、同じことを求めることは不可能であることを理解することも一人の人間として重要あるとも思う。何年たっても若い世代と話すと元気を貰う。有難いアルバイトである。
昨日はバレンタインデー。今年もアルバイト関連の窓口の女性から「義理チョコ」が届いた。こうして外部の人から届くと何となく嬉しいし、現役の頃を思い出していろいろと懐かしく思いだす。当方にとっての2月14日は決してウキウキする日ではない。57年前には父が突然逝った。大学受験の20日前の悪夢。忘れられない年である。もう一つ2009年には前任者の先輩が逝った。1歳違いの友人で公私ともに親しくしてもらった。いずれもついこの間の出来事のように思いだすがもう年表の1項目にすぎなくなっている。冷酷にも思えるが「忘れられる」というのは人間にとっていかに大切な機能かということも強く感じる。繰り返す喜怒哀楽がいつまでも行動を支配していたら、おそらく呼吸が続かない。やはりバレンタインデーにはニコニコ笑いながら甘い義理チョコを食べているのを日常と感じていなくてはならない。こうして何かを期に自分の歴史の幸せと時々あった不幸せを思いだしている。
関東から北に大雪、と連日の脅し。確かに八王子を始め、東京にも雪が降り、メディアはそれ一色。子供時代は雪の中で育った当方など、「年に一度は雪景色を見たい」と大きな声では言えないが心待ちにする。山茶花の垣根が雪に覆われる写真は実際に撮れるのは年に一度あるかないか。今週も結局降らず積もらず。天候は文化とセットにしてはダメだな、と思いつつ、せめて一日くらい積雪の日があっても良いのに・・・と雪国の人が聞いたら「雪かきをやらしてやるからスコップを持って手伝いに来い!」という声が聞こえてきそう。自然との闘いという意味では、トルコ・イラクを大地震が襲った。夜は氷点下の中で震える人達が痛ましい。それを言うならウクライナ戦争はロシアの攻撃が続き、これもどう終わるのか想像もつかない。電気やガスを思うように使えない戦場の姿は、これが現実の世界かと思わせる。単に偶然と偶然の組み合わせの中で、日本人は意外なほど静かに日常を過ごしている。これは「決して」5年以上は続かないだろう。2000年に出た本だが、「なぜ日本は没落するか」(森嶋通夫)を読んでいる。「没落する」という大前提で書かれているので内心反発しながら読んでいるが、一つ一つ反論できない。読むほどに重い内容なのだが、こんな本をまず政治家に読んで欲しい。春は近いはずなのだが・・・
民主主義、民主政治の基本は選挙だが、その基本は「集票」である。個々人が何をベースに投票するか、自分が投票用紙を前にした時を思い出すといささか心もとない。そんな時に政治からのバラマキが頭をかすめれば、「あの人に投票すれば金になる」と思えば投票する人はいるだろう。日本政治の悪い所は予算政治であることで「何に金を使うか」が主体であって、「何に金をつかったか」が大きく問われない。それが色んな問題を生んでいる。さて、少子化対策に子供手当の増額、拡大、そして所得制限の撤廃が話題になっている。どんな件でも、「ただでくれるものは厭わない」のが国民感情で、バラマキがある度に貰っているが、さて貰った理由と効果を確認しているだろうか。年収数千万円の家庭で教育費として5千円配ることが少子化の対策になるだろうか。社会が子供を育てるというのなら、まず子育ての舞台としての家庭からの脱却迄議論すべきだろう。今はリッチな若者、リッチな独身者も溢れている。この人たちが家庭や子育てに憧れる様な社会風潮になることの方が優先順位が高そうに思うけれど・・・こんなバラマキで政治が決まるようでは将来は暗い。
最近の大きな(?)政治問題は全て週刊誌が出発点、とさえ言われる。国会中継は文春記事の解説場などと。どうみてもまともな社会、まともな政治には見えないし思えない。同じ今ウクライナで起きていることや、中国情勢を始めとする東アジアの現状は日本人がもっと関心を持ちもっと真剣に考えるべき問題なのでは、と思う。ミャンマーのクーデターから2年。一向に民主化は戻りそうにない。日本は仲介に最も適した国と言われ、期待は大きかった。もしかしたら岸田政権が大ヒットを飛ばして存在感を高める可能性さえあった、と言われていたのに。あの時話題になったキーマンたちはどこで何をしているのか、知りたい。メディアはミャンマーなど忘れたのか、それともニュースにしないようコントロールされているのか。世界情勢についての「週刊文春」が欲しい。
12月に感染したが非常に軽症で助かった。それはワクチンを4回打っていたおかげだと思いたい。それがあって、今日はオミクロン対応の5回目を接種した。一度感染したら抗体がタップリできてもうワクチンは不要、という説もあったようだが、当方は12月に感染した時の症状が軽かったことを唯一の理由に接種してもらった。1回目や2回目の大騒ぎはどこへやら、今日も接種場はガラガラ、沢山の職員が手配されていて、入り口から出口まで至れり尽くせり。公務員の無駄使いとまで思わせる状態だった。でも、公に全員接種と決めて抜けの無いようにするにはこんな無駄に思えるステップも必要なのだろう。公の公平ということの難しさを感じざるを得ない。子供手当の所得制限の問題など、ある説の強さには反対論は完敗する。丸山議員のヤジは低レベルだとしても、今回のように攻撃された時、なぜその時そう思っていたのか、正々堂々言えば良いのに・・・そう思ってしまう。バラマキ政策の歯止めはいかにも難しい。せめてどれだけ役に立っているのかフォローする姿はみたい。高所得者の子供にとっての月5000円はもっと有効に使えるはず、というのは誰でも分かりそうなものだが・・・ワクチン全員無料は有難かったが・・無駄もあっただろうな、と思わせる。
鳥取の故郷では一晩で60cm以上の積雪だったとか。太平洋側(関東平野)を除き日本中が寒波、積雪に見舞われている。この時にはいつも「千葉に住んで良かった」と思う。日本という小さな国でもこの四季や災害の「不平等」はやはり大きい。それでもみんな故郷での子供時代を懐かしく思い、思い出は大切にしたいと思う。降雪なんて年に一度あるかどうかの千葉に住んで、「雪かき」さえも忘れてしまっているが、日本中で積雪というニュースを見ると、千葉の雪景色を見たくなる。年に一度くらいは・・・なんて、日本海側の人達が聞いたら叱られるようなノスタルジーを感じている。でも、温度計は正直で、ここ数日最高気温でも摂氏一桁が続く。冷たい1月である。エネルギー問題はやはり大きい様で、今日電気店で「あんか」か「座布団ヒーター」のような就寝時の小型暖房器具を探したが、みんな売り切れ。個人はそれぞれ頭をひねっている。
通常国会が開催され、岸田首相の方針演説があった。ニュースを見ても新聞を読んでも、どうにも政治が身近かでない。メディアが先走って岸田政権の支持率の低さをニュースにするものだからそちらの方が主題になってしまっているのかも知れない。実際にはウクライナあり、新型コロナあり、台湾問題あり、北朝鮮あり、とてつもない大きな社会問題が溢れているというのに、(こう言うと悪いが)人気取りバラマキ政策ばかりを吹聴しているように見える。真山仁の「オペレーションZ」で読んだような、「日本改造のために財政再建内閣で出直しを図る」ような政治家は現れないだろうか。おそらく国全体を相手にとっての大喧嘩を売ることになるだろうが、そうでもしないとひたすら減速の一途かも知れない。誰もが政治を話題にしなくても進んでいく毎日が怖い。
今年初めてのゴルフ。寒さもあって、打ちっぱなしにも行かずダイレクトにコースに。冬の好天で気分は最高。久しぶりの自然を楽しんだ。勿論、スコアは良い訳はなく、フラストレーションは溜まったけれど、でもやはりこうやって仲間とワイワイ言いながら歩く楽しみは捨て難い。これから益々歳をとって飛ばなくなるし、乗らなくなるし、入らなくなるわけで、やはり珠には練習場に行かなければ、仲間外れにされてしまうかも知れないなと、反省もした。高齢者の生き甲斐を観察すると、外での仕事も、内での仕事も、旅の楽しみも、囲碁や将棋の楽しさや、読んだり書いたり話したりの楽しみも、色々ある。幸いにも今「食うために稼がねば」という大前提から外れているだけで幸せを感じねばならない。その中に、「ゴルフさえできていれば」という人達もいる。この歳になると「エージシュートを目指す」ツワモノも多い。今の当方なら、3オーバーで達成できるわけで、ゴルフ大好き人間達には代えがたい目標なのだろう。当方はハーフでエージシュートと闘っている訳で、これではやはり仲間に迷惑をかけていることになる。今年はせめて昔のように「108をコンスタントに切る」ことを目指しながら楽しみたい。春のグリーンも近づいてくる。
彼の葬儀があった。16日夕方にお通夜、今日は告別式。OB会の会員に知らせるのも最近は難しい。コロナ禍もあって、「家族葬」が普通になっていて、余り広く知らせたり来てもらったりしないのが普通になってきた。確かに多くの人達に送ってもらうのも悲しみの分散という意味でも悪くはないし、故人だってそのつもりの事もあるかも知れない。一方、形式に捕らわれたり、仕事上の付き合いがあったというだけのような人達に参席してもらう必要も無いのかも知れず、最近のトレンドも決して悪くはない。とは言っても本当に親しかった友人が「家族葬だから」と遠慮して参席しない、というのもどこか寂しい。今回は家族葬とは言え、ちゃんと葬儀場も準備されていて、形式も整っていたのに、参列者が少なく、やや寂しい思いがあった。特にワイガヤの好きだった人だったものだからもっと誘えば良かったとさえ思った。コロナ禍が残した社会への影響の一面である。ただ、少人数で夫々が生前の思い出を追ったのも価値はあった。最近は葬儀に出るといつも自分の場合を合わせて考える。確かに家族に面倒をかけたくないという気持ちもあれば、知人たちが集まって最後のワイガヤをしてくれるのも悪くない。色んな事を考え続けた2日であった。そもそも葬儀は何のために、まで返って考えて置け、ということだろう。
当方が、千葉に移って3,4年経った頃、初めての親会社のラウンドトリップの出張があった。それまでに出張したのは米国本社のみ、それなのに一人エンジニアを連れて欧州・米国本社のラウンド、折しも真冬の寒い時、思いだす度に、知らぬが故の大きなミスがあったことを思いだし、赤面する。この時一緒だった先輩エンジニアが亡くなった。5歳先輩だったが、その後も多くの場面で世話になった。千葉も、福井もそれぞれの工場に思い出が詰まっている。リタイア後もOB会や東京・千葉交流ゴルフなど色んな交流があった。体調を壊して闘病生活が始まってからも多くの場面で教えも請うた。医者から「病気のサンプル」とまで言われ、残り短いと言われても良く顔を合わせた。おそらく数年前に予想していた寿命も根性で保ったか、医学の進歩に貢献したかも知れない。一昨日、亡くなった。お知らせメールを打ちながら、彼との密だった関係を思いだしていた。アルコールが好きで色んな場面で一緒に飲んだ。今はただ、冥福を祈りたい。これからこんなニュースが続くのかも知れないけれど、それは即ち・・・順番なのだろう。恥ずかしくないよう生きなければ、と思わせてくれる新年である。
年末に入院した家内も正に「軽い」脳梗塞で終わったようで、7日には退院、殆ど入院前と変わらない生活が帰ってきた。正に「不幸中の幸い」いや「超ラッキーな経過」であった。新年を迎え、「もう年寄りなんだよ」という自覚を促す事件であった。8日には当方のコロナ感染で延期していたPC教室も再開した。意外に良い年明けなのかも知れない。昨朝、今朝の朝のゴミ出しはやはりトピックス。リサイクルゴミ(空き缶、空き瓶、ダンボール)など、もう置けないという位の量。殆ど年寄りばかりの家庭なのに、やはり家族が集まって新年を祝ったのだと分かり、嬉しくもあった。この団地もどんどん住民が減っていく。近くにあったスーパーもコロナと共になくなった。残った1軒の(昔で言えば)八百屋さんも今年は閉めるとか。淋しいニュースである。団塊世代主体でできたこの種の住宅地が全国で抱える街の高齢化の問題に直面する。これで皆運転ができなく(しなく)なると、デリバリーしかなくなるのだろうか。メディアで騒がれる問題が自分の街にもやってきている。さて、我々は何を考え、何をすれば良いのか、第3者でばかりはいられないな、と思う正月である。
あっという間に正月が終わった。ほぼ毎日病院に通ったが単なる荷物の運搬人。コロナの感染を考えれば致し方ないと言えるかも知れないがこれは入院患者には酷な状況である。もう少しきめ細やかに対応できれば良いのにと感じた。家内の状況は悪くなく(悪化はしていない)、明日には退院とか。とりあえずホッとした。当方もそうだがこの種の病気は動けなくなったり話せなくなったりすると大変な状況になる。その点、症状が軽かったのが救いであった。今日、ようやく顔を見ることが出来たが、とにかく暇を持て余していて帰りたい一心。明日以降が思いやられる。でも、他の人達のケースと比較すれば、当方も含め、ラッキーだったと言うしかない。これからは年齢を意識して「納得できる毎日」の生き方を考えねばならない。ウクライナではプーチンが旧暦クリスマス停戦を宣言。誰が彼の宣言を正面から聞くだろう。世界中が「ウラを読んで」いる。米国ではまだ下院議長が決まらない。トランプは統一を呼びかけてはいるようだが、トランプ後遺症であることは確かだろう。民主主義の欠点をさらけだしている。さて日本の今年はどうなるのか、岸田マジックがあり得るのか。何とも心もとない2023年の幕開けである。
一人で元旦を迎えてまずは病院に差し入れをしなくてはと身の回り品を準備していた。何しろコロナ以降徹底した面会謝絶の為、何か持って行ってもインターホンで看護婦さんを呼んで「よろしく」と手渡すだけ。わずか3分で終わり。元日は帰宅すると3男家族が年始に来たが孫たちはアッという間に帰って行った。ただ、当方が一人では寂しいだろうと3男は泊まりを決め、それを聞いて長男も帰ってきた。親子3人での正月。記念写真を撮って次男家族にLINEで送ったら「サビシ!」とばかりに慰めてくれた。昨日はそれを聞きつけて義妹夫妻が訪問してくれてちょっと盛り上がった。例年全部集まれば11人の正月パーティーが、それでも5人の宴。皆が当方が淋しいだろうと思いやってくれて何とか新年の宴ができた。これを最も楽しみにしている家内はあれやこれや思いついては携帯で指示。「あれがあるから食べろ」「あれを残しても困るから分けて持って帰ろ」と病気はそっちのけで指示していた。とりあえず、笑い声にも包まれた賑やかな夜を楽しんだ。例年ほどではないにしろアルコールも消費した。こうして家族が我々夫婦を心配してくれることに、ただ感謝であった。こうして非日常が時と共に増えていくのだろうと改めて思い知った。早い目に解散して、今日も差し入れに行った。片道40分かかって、3分で終わり。運転だけの見舞いである。でも家族の思いやりのお蔭で取り敢えず心穏やかな三が日を過ごせた。
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日付(23/12/30) 年末の一大プロジェクト
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日付(23/12/17) 久し振りの自己満足
日付(23/12/11) いよいよ日本も大荒れ
日付(23/12/6) 次兄も家族葬
日付(23/11/30) PC教室も変遷
日付(23/11/26) 誕生日??
日付(23/11/22) 今年もPC教室
日付(23/11/17) こんな逝き方も
日付(23/11/13) 山梨ドライブ
日付(23/11/10) 初秋(冬)の旅
日付(23/11/04) 新車の納車
日付(23/10/29) ついていけない世の動き
日付(23/10/25) リタイアリの楽しみ
日付(23/10/20) 今度はカード
日付(23/10/13) 中東から世界へ
日付(23/10/7) 神頼み、仏頼み
日付(23/10/2) これぞ後期高齢者!
日付(23/10/1) とうとう10月に
日付(23/9/27) 今度は次兄が
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日付(23/9/18) クライアントのBBQ
日付(23/9/13) 文房具同好会
日付(23/9/8) またもや台風
日付(23/9/4) 関西でお仕事
日付(23/8/29) 残暑の中の旧交
日付(23/8/27) 夏のPC講座終わる
日付(23/8/24) また先輩が一人逝く
日付(23/8/19) ポストコロナ
日付(23/8/16) 台風7号
日付(23/8/14) 今年の夏のイベント
日付(23/8/10) 混雑している病院
日付(23/8/6) ウクライナ戦争は?
日付(23/8/3) 暑さ指数
日付(23/7/30) 同じ団地の仲間と
日付(23/7/28) 追跡調査のインタビュー
日付(23/7/26) 少しは仕事も
日付(23/7/25) 猛暑の中で
日付(23/7/22) 冠名会
日付(23/7/20) やはり感謝か
日付(23/7/14) 盛夏の下で
日付(23/7/10) 最新医療のおかげで
日付(23/7/5) もう落ち着きません
日付(23/7/2) もう一つのWBC
日付(23/6/27) ロシア内紛
日付(23/6/23) 悪いのは誰だ?
日付(23/6/20) 長寿の秘訣?
日付(23/6/16) 地域OB会
日付(23/6/12) 孫達の運動会
日付(23/6/8) 梅雨の合間の
日付(23/6/6) 再び元上司に会いに
日付(23/6/2) 北朝鮮の人工衛星打ち上げ
日付(23/5/29) やはり「安全・安心」?
日付(23/5/25) 定年クライシス
日付(23/5/20) 大学の同期会
日付(23/5/15) OB会幹事会
日付(23/5/10) 東京で
日付(23/5/5) 垣根の手入れ
日付(23/5/3) 今年のGW
日付(23/4/28) 見られている日本
日付(23/4/25) 先輩のお墓参り
日付(23/4/21) 大変な世界
日付(23/4/16) Chat GPT
日付(23/4/12) 出直し新生活
日付(23/4/7) 退院準備
日付(23/4/2) 「スエコザサ」
日付(23/4/1) 再手術
日付(23/3/26) 春だというのに
日付(23/3/24) 同じ一人暮らしでも
日付(23/3/21) 何が起こるか分かりません
日付(23/3/15) 日韓関係
日付(23/3/11) WBC観戦
日付(23/3/7) H3ロケット打ち上げ失敗
日付(23/3/3) ネット講演会
日付(23/2/27) こころもとない「民主主義」
日付(23/2/24) 大型モニター
日付(23/2/20) 若い世代と
日付(23/2/15) バレンタインデー
日付(23/2/11) 春は近いけれど
日付(23/2/8) バラマキ政治
日付(23/2/5) メディアに政治を問う
日付(23/2/2) とうとう5回目のワクチン
日付(23/1/28) 寒波到来
日付(23/1/24) 遠い政治
日付(23/1/20) 初ゴルフ
日付(23/1/17) 葬儀のありかた
日付(23/1/14) 友人がまた一人
日付(23/1/10) 年老いていく街
日付(23/1/6) 奇妙な正月
日付(23/1/3) 心穏やかな三が日
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