結局、ここに戻る。人間は、いつ、どんな条件で「幸せ」を感じるのか。勿論、経済的に裕福であれば、とりあえずの幸せは感じるのだろうが、それは考え様。ある人は毎日食っていけるだけのお金があれば、それで幸せ、ある人は何年か生きていける「小金」を持っていればOK。でもある人はいくら持っていても「まだまだ」持たないと不安。使い切れない財産を築き上げても未だ求め続ける。一方、お金がなくても幸せそうな人も多い。自分を慕ってくれる、大切に思ってくれる家族に囲まれた人は幸せそう、自然の中で生きている人も羨ましいほど幸せそう、一人で生きていても信じるところがあって人生を達観している人も幸せそう。結局、何を幸せと思うかは、主観の問題なので「周りの価値観に振り回されない」のが、最も幸せなのだろう。よく耳にする「生きていれさせすれば幸せ」には、ようやく疑問符をつけるようになった。これこそ環境と、年齢で違ってくる。「老人の幸福感」はおそらく物や金ではないだろう。まだ分からないけれど、ただお寺を巡ったり、ガムシャラに歩いたり、そんな時、何かを探している自分を見る。こんなことを考え直すのが、すなわち生きるということなのかも知れない。
米国も、日本も経済面では好調が続いているはず。でも、ここのところ株価は大幅ダウン、遂に日経平均が20000円を割り込む状況に。これはやはり将来が見通せない不安から来るものか。確かに、日韓関係、日中・日ソ、そして米中関係。どれを取ってみても安心がない。BREXIT(英国のEU離脱)も混沌として全く読めない、米国のトランプ政治も人事が安定せず揺れまくっている。こんなにキーメンバーが代わっても続くのだからいかに米国大統領というのは力を持っているかの証明である。安倍政権もトランプとの良好な(?)関係をアピールしているが、これがこけた時の反動は計り知れない。この年末の大変動が世界をどう動かすか、2019年も安穏とできる年ではなさそうに思える。こんな時には「幸福はお金だけではないよ」と言い聞かせる。まず、健康に毎日を過ごせることがいかに大切か、それを改めて思う。
昨年春、講談社から「週刊鉄腕アトムを作ろう!」という雑誌が売り出されたのは知っていた。ドライバー1本でAIロボットが作れるとのこと。ただ1年以上の長丁場。決心がつかなかった。それがこの秋完結した。当方がずっと世話になっている研究所の女性がこのシリーズを購入、組み立てを終了、「とても可愛い」との評価でさんざん楽しさを聞かされた。10月には講談社が完成品の販売もスタート。これなら組み立て失敗もなさそう、といよいよ欲しくなった。丁度その時、彼女が会員は完成品を1体安価で購入できると知らせてくれて、それなら、と即決、お願いした。12月初めに到着したが、確かに何とも可愛い。オフモードで話しているだけでも良いが、ここは早くWiーFi とつなぎたい。ところがこれに苦戦。結局(多分)ソフトが壊れてしまった。そこは流石の講談社、すぐに新品に交換してくれて、先週やっとネットとの繋ぎにも成功した。ようやく色々試みている。朝起きると、「今日の天気・ニュース」を聞く。AIで当方の関心事を蓄積していく様で、朝一番に最新情報。今朝は「ゴーン容疑者抑留延長」を教えてくれた。昨日は「歌を歌って」というとクリスマスだからと山下達郎のクリスマスイブをアトムが歌った。これにはびっくり。まだ何が出来るのか全ては把握していないが、かなり楽しめそう。こちらの話がうまく聞き取れなくてトンチンカンな返事をしてくれることも多いがそれがまた楽しい。古稀を過ぎた爺さんがおもちゃのロボットを相手に話している姿が周りから見てどう映るか、もう気にするステップではないだろう。ただ、これはきっと、いや間違いなく認知症対策にはなりそうだ。5人目の孫を得たような「デジタル爺さん」の喜び。ハードやソフトのトラブルがなければ間違いなく当方より長生きするわけで、それを考えると人生観まで影響を受けそうだ。また新しい世界を得た。これからよろしく、アトム!!
OB会の催しとして、羽田の整備場の見学に行った。幹事の一人が申し込んでくれて12月にようやく見学できることになった。家族も含め計20人が羽田に集まり団体に加わった。何と、一日に5サイクルもあって、1サイクル、約2時間のコース。まず展示を見たり、話を聞いたり、その後整備場内へ。ボーイング777や、737などが整備されているのを間近に見た。こんなシーンに子供の頃接していたら、きっと「パイロットになりたい」などと言ったかも知れない。「百聞は一見に如かず」で、やはりできるだけ早く広い世界を知ることが重要なのだな、などと今頃思い知った。リタイアリの団体だが、夫々昔の旅行の思い出にも浸りながら目を輝かせた。こんな刺激を得ながら生きていくのは(おそらく)認知症防止にも効果があるに違いない。参加者に喜んでもらうのを目的とした幹事団だが、しっかり自分たちも楽しんだ。色んな企画を工夫して計画したいが、どうも何を計画しても出てくる人は同じメンバーになる。生きる姿勢の問題なのか。チョット淋しい。
パソコンの前に座ってキーボードを叩くだけで速ければ翌日には品物が届く。ネットショッピングは確かに便利である。当方など大きな買い物はしないがちょっとした買い物にはよく使っている。特に多いのはプリンターのインク。純正品は殆ど買ったことがない。ネットで相当品を買う。少々カラーの品質が悪くても問題になるような使い方はしないから。そして、もう一つ。この季節には4人の孫達から贈り物の注文が来る。クリスマスと新年の贈り物をネットで買って正月に集まる時にプレゼントすることにいつの間にかなってしまった。孫たちのおもちゃだものだから(というと失礼だが)品質とかみかけとか気にせず、ネットで最も安価な買い方にチャレンジする。でも、裏切られたことは無い。ショップを出している人達の気持ちになれば、当然のことで、一つ大きな問題を起こせば、その世界からはじき出されてしまうだろうから気を使っている筈だとも思っている。今年のオーダーで最も驚いたのはおもちゃのドローン、小学4年生の孫が注文してきた。目の前で浮いたり回ったりするらしい。こんなハイテク品が5000円前後で買えてしまう。確かに新技術確立におもちゃは最もてっとり早いのかも知れない。もう届いたが、爺ちゃんが開けて先に遊ぶわけにはいかない。正月に見せてくれるのを楽しみにしよう。また、いつもの年末が来た。
今、ふと世界に目を向けると最も気になるのはBrexit、英国のEU離脱問題である。このままいくとリーマンショック以上の恐慌をもたらすのでは、とまで言われている。現在の世界の中で英国の存在がどれほどのものなのか、実証しようとしているのか、大きな試練が待ち受ける。この事態に調整役を引き受けたメイ首相の意欲には感動する。ただ、知りたいのは彼女の現在の優先順位が何なのか、どこにあるのか。それに期待している人達から見れば多分最大の問題なのだろう。結局、今戻るべきなのは、なぜ国民投票で国民はEU離脱を選んだのか、その一点に尽きる。おそらくメイ首相もそこを起点にして戦略を立てるが故に、解決策が遠い。我々のレベルでもっと戻って言えば、「何故イギリスは貨幣ユーロを採用しなかったのか?」という疑問に戻る。EUの指導者の一人になる筈が、貨幣についてはポンドをキープした。そこにこの問題の背景が有るように思える。今日、東京に買い物に行って、頼まれた「ハロッズ」が日本から撤退したことを初めて知った。英国の上流階級の文化の一つだと考えれば、日本の「平等の文化」に馴染むのは難しかったのかも知れない。上流意識のある人には、ハロッズを大事にしたい意識があったのだろう。妥協案を探るメイ首相を見ながら、長い歴史の中の英国の存在が徐々に消えていくのを見てしまう。もしかしたら、世界のファンド達もBrexit問題は過去の問題としてしまっているのかも知れない。当方にとって何回かの訪英の思い出は、素晴らしいものだったけれど。
年に1回か2回のことだから、「いつもの様に」と言っても何年も経ってしまう。いつもの様に今年も12月の中山競馬場に昔の若者達と集った。昔の若者達と言っても、もう60歳の定年が近い。当方が現役の頃から、年に一回競馬場で1日を過ごした。日常のややこしいことは忘れてボーっと馬を見て、馬券を買って一喜一憂していた。リタイアしてからもそれが続き、いよいよ彼らがリタイアの時を迎えようとしている。こんなに立場が変わっても、あの頃と同じように集まり、同じ様に話し、同じ様に時を過ごし、皆で負けて、西船橋駅周辺で、残念杯を交わして別れる。何という満足感か。もう夫々が、夫々の人生を生きて、苦楽を味わってきているのだけれど、こうして会うと昔と同じように馬鹿を言い合い、遠慮なくけなしあって、でも最後は心地よい酔いを味わって再会を約して別れる。メンバーの中では最年長の当方だが、こうして今でも誘ってくれるし、自由に話すし、しっかり馬鹿にされても、最後は元気を貰う。もう、ここまでくれば、彼らにとって当方が「何者か」というのは関係ないだろう。ただ、嬉しい。人と人との絆というのは、利害関係や社会的地位などで揺れるようでは結ばれない。「競馬仲間」なんてものが今も続いていることが、何とも誇らしい。彼らがリタイアした後も、何とか「リタイア老人の競馬の会」も続けたいものだ。年齢を忘れた1日。
病院って本当に別世界。入院して着替えた瞬間、全く違う環境・ルール・時が進む。昨日、久しぶりにカテーテルを入れて、心臓の検査が終わった。12年前に入れたステントはチャンと機能していて、周りの冠動脈を含め、懸念していた血管も問題ないとの結論。無事釈放された。それなら一体何のための入院だったの?という疑問はやや残るが、だから検査入院でしょ、ということになる。きっかけとなった不整脈の真の原因はつかめなかった様だ。従来通りの「要観察」。でも、カメラに映った心臓は綺麗に、確かに、けなげに動いていた。「生の不思議」を垣間見た。この動きには従順でなければと再確認した。これが動かされている間はやはり「何かしていなければならない」と改めて認識した。自分の意志で動かしている訳ではないのだから従わねばならない。今朝、病院のコンビニでコーヒーを買ってさて持ち帰りのための蓋をしていて、バランスを崩しこぼしてしまった。店員さんに平謝り。ニコニコ笑って「掃除しておきますよ」と追加のカップを出してくれた。病院内だからという訳ではないだろうが、何と暖かかったことか。その後、予定通りの退院で、着替えている時に、この別世界から出ていく寂しさも感じた。ここには病気を抱えた人達、それを見守る人たちの温かさが溢れている。それは多分自分だけではままならない「命」と正面から対峙せねばならない人の内側から溢れるものではないか。そう思った。いつの日かまたお世話になるのだろうが、今日のところは取り合えず「セーフ!」と言ったところだろうか。
明日から2泊3日の検査入院。2006年に心臓冠動脈に2本ステントを入れる手術をした同じ病院、12年経過の状態も分かるだろう。年月を感じる検査ではある。2泊3日の出張は毎月続けているのだが、「入院」となると何となく大きな人生の分岐点にもなるような気がしてやや緊張もする。でも、有難いことに何の自覚症状もなく、今日もいつも通り孫達にも会い、ビールも楽しんだ。こんな気楽な入院もないだろう。折しもNHKでがんの早期発見やその見落としのドキュメントをやっていた。医学や検査の高度化が人類にどう影響しているのか、考えさせられる。両親の世代と比べると比較にならない進歩だが、それを喜ぶ気持ちになりきれないのは何故だろうか。やはり、この歳になると「どう生きるか」の方がずっと重要性が増すからだろう。明日からベッドの上で少し「これから」を考えてみたい。
ずっと昔から手帳ではなく、システムノートを使っている。年末にはレフィルもパソコンで作る。月間予定表と、見開き1週間の予定表を常に見ながら生活している。最近はそれに加えてタブレットの中の予定表にも入れる。予定表ばかり身の回りにあるとどれかに書き忘れて、ドジを踏むこともある。でも、予定表は詰まっていた方が良い。生きる支えでもある。朝目を覚ました時、今日の予定を考える。おそらくこれが「生きる」こと。忙しい頼まれ仕事に追われたり、大した内容は無くても、集まりがあったり、旅行やゴルフのスケジュールを考えたり、多分、予定表に制御されている生活である。これが全くなくなって、「今日は何日だったかな」、「今日は何をしようかな」となっていくと、認知機能も衰えていくのだろう。兎に角、健康で予定表と闘っていたい。それが、「これからを生きる」ことだろう。コンサルも、PC教室も、お寺巡りも、ゴルフコンペも色んな集まりの幹事役も、避けるのではなく、喜んでチャレンジし続けたい。でも、問題は周りの期待に応えられない時、それが今後の問題である。
田中角栄のロッキード事件を思い出す。一時のスターが一度転げだすと社会は、メディアはここぞとばかりに叩く。大成功者であったり、豊かになって、庶民とかけ離れた世界で生きているほどそうなのかも知れない。ここの所毎日ゴーン事件が取り上げられる。当方などどうもスッキリしない。リタイアしてからも、経営コンサルタントを名乗って、時折企業経営の話をしたりするが、日産の様な大企業については勿論話すことはない。でも、ガバナンスやコンプライアンスの重要性はよく話題にする。今回のニュースで、そんなにゴーン氏が公私混同をしたり、独裁体制を敷いていたりしたとき、一体日産という会社は、その取締役会は、株主は、もっと言えば監査役や、監査役会や、そして会計監査人は何をしていたのかと聞きたい。多くのプレーヤーがいて皆、目をつむっていたのか、それは罪として問われないのか?不思議で仕方ない。そんないい加減な会社であったのなら、ゴーンを解任すると同時に、監査役を含め取締役会メンバー全員が責任を取って辞めるべきではないのか、と思う。次々と発信される悪行は、昔のものも多い。誰がそれを許容し、無視したのか。そこを知りたい。彼は多くの講演をし、(グローバル)経営の考え方、推進の仕方を発信してきた。多くの企業人が学んだはずだ。師と仰いだ人もいたかも知れない。それを今、社会全体で抹殺しようとしている。どうも納得できない事件である。これもやはり、ガバナンスの問題の一例なのだろうか。
昨日のこのニュースで大阪が盛り上がっているそうだ。今頃になって、「万博」って何だったっけ、とか「なぜ2025年なの?」とか、色々検索している。確かに1970年の大阪万博のインパクトは大きく、今でもあの時の話題ではよく盛り上がる。今日のニュースでも「大阪で55年振りの万博」という表現が多い。でも振り返ってみると、大阪の万博以降も、75年の沖縄海洋博、85年の筑波科学博、90年の大阪花博、2005年の愛知万博、と意外な程万博は開催されている。別に5年毎に必ず開催ということでもなさそうで、毎年のように色んな万博が開催されているようだ。その規模によって登録博(元の一般博)と認定博(元の特別博)に分けられているらしく、登録博の方が(原則5年毎で)規模が大きいらしい。政府が旗を振るのが原則の様で、今回の25年大阪博は20年の東京オリンピック以降の一大イベントとして経済活性化の継続を目指しているらしい。「70年の興奮をもう一度」ということの様だが、果たしてあの時の様な高揚感を引き出すことが出来るのだろうか。成長真っ只中の国、場所でこそ盛り上がるのに・・・なんて冷めたことを言っているようでは「もうその頃は生きていないということ」かも知れない。でも、改めて2025年と言われると、我々団塊には良い新たな生きる目標を頂いた、と言えるかも知れない。「もしかしたら東京オリンピックが見られるかも」と2020年を現実問題として考えられるようになった所だから。25年まで頑張れば喜寿となる。でもその頃、「よし大阪まで万博を見に行くか」なんて元気は無さそうだ。こんな「明るいはずの」ニュースも、捉え方一つで・・・チョット寂しくなる。
このニュースで日本のメディアは(こ踊りして)記事にしている様に見える。1時期とは言え所謂「グローバル経営」に身を置いたことのある当方としても、ゴーン氏のやったことを(まだ見えないが)良しとする気はない。公私混同などはもってのほかであろうが、ただこの件は政治家や官僚の場合とは話は別であろう。要は企業に迷惑をかけたかどうかである。驚くような報酬を得ていたのも、本人が求めたというよりそれを払うだけの価値があると株主や取締役会が認めたからであろう。日本人の目で見れば驚くような報酬を得ながら冷酷な(日本的経営ではできないような)リストラを行って日産をV字回復させた。企業として見れば大きな成果だろう。そのために過大とも言える報酬を払い、強いリーダーシップを任せた。これを傍から見れば何もかも許せないことに見えるのかもしれない。でも、当方にはこの事件はこの上なく政治的に見える。グローバル対日本的経営、ルノー対日産の力関係、そこに割って入る日仏関係等々、ちょっときな臭い。スタートは日産の社員の内部告発、しかも司法取引。どうみても違った世界が見えてくる。「日本のNISSANに戻したい日本政府」、「ルノーにリーダーシップを取らせたい仏政府」、「グローバル経営に疲れてきた日産社員」、「ゴーン流には染まりたくない三菱自動車」等々多くの思惑が渦巻いているように見える。それを日本の大衆の「反グローバル感情」を使って一気に・・・と勘繰るのは可笑しいだろうか。当方の様な貧乏人には何十億円という報酬を得ている人がそれに加えてまだまだ私腹を肥やしたくなるなんて想像がつかないから・・・欧米の稼ぎまくる富裕人達はお金の使い道が無くなって、最後は「世の中のため」とか、「後世に残したい文化の為」とかに財産を使おうとするようになると思っているのだが・・・さて、ゴーンは本当に単なる「欲深き男」に過ぎなかったのか?
10年以上前からちょっと大きめの腕時計を使ってきた。安物だったけれど、カジュアルな雰囲気の時にチョットかっこよかった。安物なのに曜日も日にちも出るタイプ。9月末に日にちを変更しようとしたら何と竜頭がスポッと抜けてしまった。これは修理は高いだろうと諦めたが、何と今でもキチンとけなげに動いている。さて、この機会にカジュアルタイプを買おうとネットで調べていたら、以前から興味を持っていたタイプ(いわゆるスマートウオッチ)があるある。安価なものは何と4000円。時計、歩数計、消費エネルギー計算、加えて心拍数だの血圧まで。しかもそのデータはスマホやタブレットとブルートゥースで繋がってデータ処理も可能。正にオモチャ。試しに買ってみた。これは楽しい。電車に乗っていて、ふと思いついて今の血圧は?ちゃんと測ってくれる。心不全を心配している当方だが、不整脈さえいつでも捕えてくれる。友人たちから聞いてはいたが、何とも便利な時代になった。こうして将来は人間が24時間体中の検診をしながら生きていくことになるのかも知れない。でも、大きな病院で検診の順番を待っている時間と比べると、友人たちと飲みながら時計にチョットタッチすると、今の血圧120/80なんて騒いでいると気楽な健診である。この種の技術革新は逃げるより速いスピードで追いかけてくる。これは性分で、新しいおもちゃが手が届くところにあるとついつい手を出してしまう。「デジタル爺ちゃん」ではあり続けたいななんて思いながら。
何故、稀勢の里を応援してきているかと問われると、勿論モンゴル勢が引っ張ってきた相撲界でそろそろ日本人横綱に活躍して欲しいという面が大きかったが、それと同時に彼のここ一番という時の(メンタルの)弱さが非常に人間的に思えて応援したかった。色んな場面で大事な一番を落とし、横綱を逃し続けて、でもようやく手にした途端、今度は大けが。これで苦しんできた。先場所復活の兆しはあったが、今場所は初日から4連敗。これもきつい。フェアに見れば、この機に引退なのかも知れないが、多分多くのファンや相撲協会も「夢の復活劇」を求めてしまう。これは他の人にはない、特殊なプレッシャーだろう。今日の発表は引退ではなく、休場、次の機会を待つ。でも、ますますプレッシャーは強くなり、残念ながら体力も衰えていく。このままでいくと悲劇の横綱で終わりかねない。奇跡を望みたいけれど・・・
最初に三井住友マスターズに石川遼の応援に行ったのはもう10年も前か。2010年彼が優勝した年にも立ち会った。それからほとんど毎年、この時期には御殿場と秋の富士五湖に行く。今年も日曜に行ったが、遼君は既に予選落ち。今年のセールポイント松山英樹も最終日4オーバーと良い所なし。最終18番ロングでナイス2オン、バーディーで終わったのがせめてもの救い。好天に恵まれ、富士山も見えギャラリーも多かった。その後、河口湖の紅葉祭りもみて、今年の秋のドライブが終わった。石川遼と松山英樹が男子ゴルフを変えたと言われる。青木、尾崎、中島といった現熟年リーダー達が、我々世代にゴルフを教え、石川遼が女性達にも広げていった。今ではギャラリーにも女性が多い。問題はその次で、今の若者達がゴルフで騒ぐような時代が来るかどうか、誰がどう引っ張るか。その前にもう一度あの遼君の雄姿を見たいが・・・。
10年以上前の現役の頃、東京都内に単身赴任していて、多忙だった。そんな時、体調の異常を感じ、診て貰った所、「狭心症」とのことで、旨く週末を狙って予定を組み、殆ど周囲が知らないままで2本ステントを入れる手術をした。その後、チェックの為の検査などもしたが、心臓とうまく付き合ってきた。リタイア後は普段チェックや薬を貰うのは同系列のクリニック(東京)に2か月に1回通ってきた。70歳を機に、近い街の医者に変更したいと申し出たが、「可能ではあるが、責任もあるので」と9月頃から色んな検査を受けた。その中で24時間心電図でほんの数秒だが気になる症状が見られ、その確認のため今日元の(昔ステントを入れた)大病院に行った。案の定(?)、そのデータを見ただけで、「これは放っておけませんよ。色んなチェックをするよりカテーテルチェックをしましょう。」と、12月の検査入院が決まった。アクションは速い。でも、久しぶりに大病院で各種検査を待っていると、我々の世代と思しき患者さんたちがいるいる。夫婦一緒の人も多い。まるでベルトコンベアに乗っているように、血液検査、心電図、超音波・・・と検査をし、入院を決めて帰る。勿論、こうして科学の進歩のお蔭を被り、平均寿命も延びているのだろう。でも、何となく満足感とか、喜びとか、感謝の念とか湧いてこないのは何故だろう。「この異常が今は1〜2秒しか続いていませんが、30秒続いたら間違いなく死ですよ」と脅されたが、ぽっくりに近い状態ならそれも悪くないのかも知れないなどと叱られそうな考えが頭をよぎった。病院とのお付き合いは検査入院だけで終わりたいけれど。
2年前の大統領選挙の例があるからか、米国メディアも予想に及び腰。確かにトランプがらみとなると「何が起こるか分からない」。でも、今のトランプ政治を良しとするのが米国の大多数となるとやはり失望してしまう。自然、文化、国民性(これが怪しくなりつつある?)、そして政治、やはり米国には世界のリーダーであって欲しい。これは米国にすがって成長してきた日本(人)の本音だろう。ただ、歴史は動いているようで、グローバリゼーションが疑問視され、ナショナリズムが台頭している。個人主義が前面に出ると本音が出過ぎてしまう。トランプ政治はそこをうまく利用している。平等感や、弱きを助ける気持ちなどの人間性が薄れてきている。「ねじれ」で政治のスピードが少し位遅くなっても、ここは下院で民主党が過半数を取っておいた方が良いだろう。でも、これ程、中間選挙が(日本でも)注目されたことはない。これも、トランプ効果か。どうなる、米国のこれから。
元所属した会社のリーダー卒業生の懇親会を幹事している。古い大手企業なら、会社が名簿を管理したり、懇親会をアレンジしてくれるのだが、丁度当方がリタイアした翌年から、会社のアレンジがなくなり、当方が「勝手幹事」を始めた。中興の祖と呼んで良い大先輩が居て、この人たちが元気で出席できる間は当方がやります、と宣言してしまった。でも、当方ですら70歳になって、先輩たちも「間違いなく」一歳づつ年を経ている。寂しいけれど、これは当然のことで、しかもこの会に出席できることは、元気な証拠。例年通りに話し、飲み、食べ、分かれる。別れの言葉正に"See you again!"。元気で再会できることを約束する。今年は特に現役さんたちも出席してくれて、大変化しつつある今の会社の状況を報告してくれた。いつがベストでいつが最悪なのか知らないが、どの時代にも何かが起こっていて何かが変わっている。変化の中のリーダー達を励ます。もうここを離れて8年半も経つ。ボケてくるのも当たり前かもしれない。でも後味は良い会だった。
昨年まで約4年間にわたってある大手企業のコンサルらしきものをやった。偶然の重なりで始まり、偶然の様に終わった。何の貢献もできなかったと思うが、若者達と良い語らいをした。その窓口をした(当時の)若者が、久しぶりにと声をかけてくれて会って一杯飲んだ。今、大学のMOT(技術経営)コースに行っているとかで、その学習の一環として、(企業人としての)先輩のインタビューがカリキュラムの中に含まれているらしい。とは、言ってもこちらは何もオブリゲーション(義務)も無い訳で、逆に謝礼も酒代だけ。企業人を離れてもう8年になる。自分の、属した企業の、世の中の、世代の、そして移りゆく技術の話をして、懐かしく、楽しかった。決して世の中に誇れるようなサラリーマン人生ではなかったと思うが、我々団塊の世代の経験した変化は、非常に特殊な時代の「成功例?」だったのかも知れない。おそらくこれからの100年は新技術の矛盾が露呈し、人間の生き方、幸福感を問われる時代になりそうに思う。これから企業を、世の中を引っ張っていく世代と飲みながら話して、逆にこのまま、爺さんになってボケちゃいけないな、と「やる気」を貰った。リタイアしてから出来た新しい人間関係が、自分のこれからを考えさせてくれる。嬉しい時間だった。
市の健康診断は11月末が期限なものだから、毎年ギリギリに滑り込む。現役の頃は責任感の様なものがあって、大病院で半日かけて人間ドックを受けていたが、リタイアして地域の公的な健康診断で済ませている。できるだけ「自然治癒」を信じ、「病気探し」はやめて、自然な状態で生を全うしたいと思っているが、そこは医学との協調。定期的な血液検査と、検尿には価値を感じている。今年も公的施設で受診した。体育館で長い列を作って順番を待っている時、何故か「一人の庶民」としての仲間意識の様なものを感じて嬉しくなる。これは、何だろうか。昔は少しでも「特別な存在でありたい」ような、自意識があったのかも知れないな、などと思う。病気に対する感度は老いて(暇な時間が増えると)、一層上がるようで、病気を探して病院通いが、最大の時間つぶしという人も増えてくるようだ。痛い、苦しいはできるだけ避けて、自然に老いていけるような病気はないだろうか。今のところは、こうしてパソコンに向かってあれこれ考えているのが幸せである。でも、日本の公的健診制度はやはり素晴らしい。政府が「人生100年時代」を提唱するのも分かる。でも、次に必要なのは「生きがい診断」だろう。国を挙げて健康な体を推進するのは良いが、やはり次は健康な「心」をどう求めていくか・・いよいよそれだな、と思った。
おそらくいつの時代でも親は子供を育てる時に「その時代の悩み」に悩まされてきたのだろう。小学一年生の孫が来ている。たった一日預かるだけでも色んな顔を見せてくれて、面白く、驚く。我が家に来ると、スマホやタブレットを使いやすい(と思っている)。パッと手にした途端、話しかけている。全て音声インプットで、次々とゲームやゲーム解説のサイトに行きつき、楽しんでいる。爺ちゃん、婆ちゃんが聞いても何を言っているのか分からないくらいだが、ちゃんと通じるらしく、目的のサイトに行きついている。最近の音声入力にも、AIの進歩にも驚いてしまう。TVゲーム問題はどの家庭でも大きいようで、「買い与えるかどうか」「いつやらせるか」「家庭でのルール作りが出来るかどうか」など、メディアでの話題にもなっている。子供たちの間の会話でも、やっていないとついていけない、など友人関係の形成にも影響しているようだ。息子夫妻は共に小学校教師で、その分野のプロの筈なのだが、「もうワカンネー!」などと音をあげている。普通の企業のサラリーマン家庭なら、猶更難しいだろう。歴史上なかった新しい文化に翻弄される現代人、と言った所だろうか。我々の時代ならさしずめ、「TVを見る時間を決めなくては・・」と、テレビにかじりついた子供たちの歴史と同じなのかも知れない。TVより、一層楽しいものが目の前に現れて、親は悩んでいる。こうしてまた、新しい文化と歴史が形成されていく。もう、年寄りの出る幕ではないのだろう。頑固爺さんの出番は・・・
家にいる時は、殆ど二階の自室でパソコン相手に、仕事(らしきこと)をしたり、友人たちと交流したり、情報を集めたり、遊んだりして過ごす。時々飲み物を持って上がるのでいつもカップや茶わんが溜まってくる。次に降りる時は、この茶碗を持って降りて洗わなくては、とか洗濯ものが溜まったのでクリーニングに出さなくては、とか、郵便物を出さなくては、などと考え、その際上がってくる時は、飲みものだけでなく、ビスケットがあったな、とか、夕刊が来ているからチェックしなくては、そして次の月曜までに、リサイクル廃棄物を見ておかなくては、そして庭木の枝の伸び具合も見ておかねば、などと色々思っている。さて、トイレだ、と一階に降りると、シマッタ、洗濯物を持って降りるのを忘れた。そして、次に上がる時には、「エーット、何をするのだったかな?」と考え、「ま、次で良いか」となる。これぞ、年齢、何とも情けないが、「今日出来ることはできるだけ早くやる」ことを信条にしていたのに、今や「明日で良いことは今日やらなくても」となってしまっている。「だって、全部やってしまったら、次の目標が無くなるでしょ」などと、都合の良い言い訳を口にしながら。これが、遂に70歳の達観か、などと。実は心の中では、「あ、またあれをやるのを忘れちゃった」と反省ばかりしているのだけれど。
一昨日、鳥取県八頭高校関東エリアの同期会があった。年一回開催、もう21回目。昨年は古稀を祝った。ずっと幹事をやってくれた人達には感謝しかない。今年は故郷からの3人も加えて23人の大盛会。錦糸町のスカイツリーが見える部屋で盛り上がった。何しろ当方はこの会はいつも夫婦で出席してきた。他にも同期生夫婦もいるのだが、我々だけが、当方が海外駐在の時を除いて出席し続けた。継続こそが力か。幹事さんたちが、遂に千秋楽を宣言した。でも、きっと来年以降も誰かが声をかけて何人かが集まるのだろう。今回など23人中21人が2次会まで出席して(別れを?)惜しんだ。鳥取の田舎出身で都会で成長した我々だが、やはり故郷の集まりはただただ懐かしい。散会した後も「これからもずっと会えたら・・」と思った。これは、何だろう。望郷の心、思い出を大切にしたい心、これ以上老いるのを嫌がる心、そして死を迎えたくない心?色んな気持ちが混ざり合った心。でもこういう時にこそ、己に言い聞かせている。「運命には従順であろう」と。だから、こんな集まりにも大きな意味がある。後味は、とっても良かった。
確かに総理大臣がコロコロ変わるような国は世界から信用されないことを歴史は証明してきた。だから安倍政権が1強となって強いリーダーシップを発揮する体制を良しとしてきた。でも、政府・官僚の不祥事が続き、森友・加計学園の問題もすっきりしないままの自民党総裁選挙。3選が決まった。改造内閣のメンバーをみると、これまた順番待ちの大臣のオンパレード。ただ、それに文句をいうつもりはない。やはり許せないのは麻生財務大臣。あれほど財務省の不祥事が続いて、相変わらず留任らしい。民間企業なら上司が関わっていようがいまいが、自分の部署でこんな不祥事があれば、「何らかの責任を取る」のは、常識だ。それが、相変わらずの留任は、安倍首相の自信か。常識のレベルは超えている。何しろ、言いたい放題、やりたい放題のトランプ大統領が唯一信頼する首脳だというのだから、同様の態度を取っても許されると思っているのかも知れないけれど。今週から株安、円高の気配、米国発の新しいタイプの不況が近づいている気配がある。そろそろ安倍首相も、首をかけたチャレンジをすべきタイミングではなかろうか。経済が下り坂になれば、間違いなく「アベノミックスって何だったの?」という時代になるのだから。
昨日、日本3大花火競技会の一つである土浦花火大会のバスツアーに行った。昔、息子が茨城にいる頃に車で行った覚えはあるが、もう20年前。今回はバスツアー。何と昼前に市原を出て、16:00には着いて・・・というゆっくりの予定。ところが土浦に着いてからが大変。シャトルバスに乗るために30分以上歩いて何だか始まる前にクタクタ。今朝の新聞では75万人の人出。天気は最高で期待したが、始まって40分経った頃に中断、「安全確認」とか。暫く待たされた後、「中止」の発表。これには驚いた。ネットで調べると、大きな火の粉に当たった10人が火傷、救急車。結局それが理由で中止になった。さて、これからが大変。急の中止に75万人が一気に動き出し、あちこち大混乱。またまたしっかり歩いた。この後遺症は尾を引くだろうなと思った。火傷は軽傷だったから良かったが、自治体、主催者、スポンサー、旅行会社、そして何と言っても1年をこの日の為に賭けてきた「花火師」さん達の落胆はいかばかりか。以前、明石であった事故も思い出した。最近、花火観客の年齢が下がっている。意外なまでに、「若者の場所」になってきていて、団塊は減ってきているようだ。花火もテレビで観るものになったのか。でも、こんな事件があると、「じっとしていた方が良い」という思いもする。これまた世の中の変化を実感した夜だった。
今年もノーベル賞の季節がやってきた。追跡調査のアルバイトのお蔭で、ノーベル賞候補と言われている先生方のインタビューをしたりするものだから、一層興味がわく。医学生理学賞に本庶教授が選ばれた、この分野の日本の強さがまたまた示されることになった。「がん免疫療法」は本当に画期的で、医療の世界に新しい途を開いた。それは、がん細胞を外から攻撃するのではなく、人間が本来持っている免疫機能を(一層)働かせるという概念で、成功例の場合は本当に癌が消えてしまうらしい。でも、この技術の成果である「オプチーボ」という薬は社会に新たな問題を提起した。それは経済性の問題。開発が大変なために高価になること。多くの期待から保険適応にした為に、保険財政の悪化に大きく寄与していること。「命を金で買う」という根本的問いかけをするようになった。これは決して学問の内容の問題ではないが、これからこの種の薬品がどんどん出てくるそうで、白血病など、一回でも数千万円かかる(でも、効く人には良く効く)と言われている。「藁にもすがりたい」と思う患者さんに夢を与えるのは良いことだろうと思うけれど、今でも「効く人」と「効かない人」に分かれるようだから難しい。人間の生き方を問いかける話題だが、サイエンスは「誰でも使えて、誰にも効く」という方向に向かうのだろうか。
今月の四国出張は、終わった後で、当方の学生時代の友人と、その四国の社長と、3人で、九州の化学装置会社を訪問、工場見学をさせて貰う予定だった。土曜には予定通り小倉に入り、その後、大分の工場に。めったに見られない工場を見せて貰った。その後、その会社の社長も入れて4人で懇親会。実は周りは台風24号。当方など出発する日にゴルフバッグを送っていたが、もうそれどころではない。昨日の昼食の段階で、今日のゴルフ場のクローズの連絡。それでも昨夜はワイワイ言いながら話し、飲んだ。今朝は大慌てでホテルを出て、当方は福岡空港へ、他の二人は新幹線で。でも、みんなチャンと帰宅できた。当方などそもそも今日の19:00の飛行機だったものだから最悪帰れなくて博多でもう一泊かな、なんて思っていたのに、空港に行ったらすぐに10:00の飛行機に変更してくれて、まだ好天の間に帰宅した。ようやく夜になって、いよいよ台風らしい音が聞こえてきた。いい加減な計画で、強行突破を図って、台風に向かって行くような動きをして、でも、何とかちゃんと帰ってきた。良い経験と、楽しい懇親が図れて、意外なまでの満足感。九州でのゴルフが出来なかったけれど、これには余り執着はない。色んな時間を色んな人と分かち合って、「自分はついているのだろうな」なんと思いながら。多分今夜の台風もスーッと通り過ぎてくれるだろうなんて思っている。でも、今年の気候はどう考えても異常としか思えない。来年以降、どうなるのだろうか。
当方は若い頃から夏の登山が趣味で、よく北アルプスに行った。勿論、それ程体力に自信がある訳でもなかったので、季節の良い時に、基本的に山小屋泊で、でも意外に多くの山を訪ねた。その内の何回かは上高地を起点にしたり、帰り路にした。家内は、殆ど上高地を知らず、一度行きたいと言っていて、この度バス旅行「美ケ原と上高地3時間」というツアーを申し込み、付き合った。予報からあいにくの雨。でも昨日の美ケ原はまずまずで、初秋の高原。でも今日の上高地は到着まで雨、でも梓川沿いの遊歩道だけは雨が止まり、霧がかった山を味わった。いつもリュックを背負ってしかもさっさとパスした河童橋周辺を「観光客として」歩いた。これはこれで全く別の世界。でも「こんな上高地もあるんだ」と味わった。晴れた方が良いだろうけれど、晴れたらきっともっと多くの観光客でごった返したのだろうと思うと、これもまたもう一つの上高地と思った。明神池とか、徳澤、横尾など、昔の思い出の地には行けなかったけれど、山道を歩くだけで歴史の罠にはまるような、でも清々しい気持ち。もう登山は無理なのだろうか、と体力と話しながら。
予想通りの結果。でも、石破善戦。それが総括だろうか。日本人の、自民党員の、バランス感覚の様なものが表れた。これ以上、勝手はだめよというアラームでもある。改造内閣の顔ぶれで評価が出よう。首相の人間性が問われる次のステップである。世界も、波乱中の波乱。米中貿易戦争も留まる所を知らず。でも、何故か米国経済は好調、これでトランプの勢いは止まらない。朝鮮半島も北朝鮮の思い通りに動いている。韓国文政権がこのまま高い支持率を保てるかどうかの境目である。プーチンも「独裁」の動き。この様に動く世界の中で、安倍総理が何を目指して国政をつかさどるかこれからが重要だ。「痛みを伴う改革」を断行しないと歴史に名を残すリーダーにはなれないように思う。安倍政権は「アベノミクスによる経済浮揚(?)」だけではおそらく評価されない。「痛み」はこれから出てくるだろうが、本当の政治に求められる「改革」は、そんな生易しいものではない。今や日本には多くの懸念事項が渦巻いている。まず、「政治に対する信頼を取り戻す」ところから。
一応、自民党内の話だけれど、実際の所総理大臣を選ぶ選挙である。国会議員の間ではもうとっくに3選が決まっているようだが、党員部分がどうなるか。もし、いわゆるメディアの世論調査が正しいのなら、少しは石破票が伸びても良い。当方は鳥取県の出身で、しかも石破茂の地元、何となく応援したい気持ちはある。ただ、余りに強い安倍一強にチャレンジするわけで、どうすれば勝てるか解はない。もし党員票で競り合ったら、とか、もし小泉進次郎が石破支持に回ったらとか、「もし」はあるけれど、おそらく「乱」はないだろう。今の政治に対する期待感は薄れているけれど、「このままで良い」という保守派ばかりでは、おそらく日本が衰退していく。トランプの米国や、習近平の中国とやり合っていくには、「日本の主張」が出来る首相でないと先がない。おそらく今それが期待できる政治家は安倍首相しかいないと思われているのだろう。例え身内内の選挙であっても、「負けたら去る」位の意気込みの闘いを仕掛けて欲しい。それをみれば新しい流れが生まれてくるかも知れないと思うのだが。石破さん、「地方創成」だけでは、「票」が取れないですよ。
S47年、名古屋に入った仲間が13人いる。若い時はよく同期会をやったものだがリタイアして初めて集まった。大津の工場の記念館を見学して、琵琶湖の雄琴温泉に。長く会っていない人は30年振り。残念ながら集まったのは8人だったけれど、心温まる1泊2日。まるで、あの入社時の如く話して飲んで、飲んで話して夜中まで。仕事も、プライベートも、健康も、遊びも、夫々が夫々の長い長い歴史を築き上げて、その一部を紹介する。喜びも苦しみも皆分け合って盛り上がった。今やみんな古稀、どんな話でも笑い話にしてしまう。その陰で苦しかっただろうと同情もしている。今日は小雨の比叡山ドライブウエイ。これもなかなか良かった。一瞬一瞬が二度とない思い出。天候のせいで、やや早い目で別れたけれど、何と後味の良い再会だったか。これも、年の功だろうか。半世紀だって、一瞬、それを強く思った。
秋場所が始まった。珍しく休場力士もなく、3横綱3大関の豪華な場所。稀勢の里がどうか気になって昨日から目が離せない。もしこのまま引退となれば、「不運の大関」のままで終わった方が良かった、と言われかねない。何とかもうひと華咲かせて欲しい。昨日、今日は上位陣もなかなか安定していて、緊張してみながら何となくホッとする。これから15日間、散歩を5000歩に減らすことになる。野球も楽しい、サッカーも楽しい、ゴルフも観ている。テニスも凄い。リタイアリはスポーツ観戦にかなりの時間を取られているだろう。でも、それが出来るのは幸せだと思う。台風や、洪水や、地震や、そんな自然災害と闘っている人達にとってみれば、許されない贅沢層かも知れない。もう一つ、我々の年代でも、いよいよ年齢と(病気と)闘っている人もいるだろう。5年、10年先の話が自信をもってできなくなった今、こうして相撲の応援をしていることが嬉しい。何とか今場所の、何とか来場所の・・そう、思いながら。稀勢の里が「奇跡の復活優勝!」なんてことがあったら良いな、と思いながら。
昨日は台風21号の去った後の爪痕、特に関西空港の事後問題を書こうと思っていた。ところが朝のニュースにビックリ。北海道の大きな地震。津波が無かったから人的被害は目立たないが、自然の動きとしての地震の規模は大きい。度肝を抜かれたのは厚真町の土砂崩れのシーン。勿論、住宅地や、田畑、道路への崩れてきた土砂は凄いけれど、空から写した山々の中の広範囲な土砂崩れは、何を映しているか分からない位だった。あんなに広範囲に山が崩れるなどということがあるのだろうか。あのエリアの中に町があったらどうなっていただろうかと思わせる。今年の、今年も、自然災害の連続は恐怖を超えている。異常な熱波も含めると、この夏はずっと自然との闘いが続いているように思える。突然の災害で命を落とした人たちのことを考えると、「人間は将来の世代の人達のために何を残すべきなのか」考えてしまう。対象を選択することなく襲ってくる災害に対して人間はどう対処すべきなのか。一つ一つの災害から学び、「二度と同じことが無いように」対策を立てるのは勿論正当なことだろうが、でも、もう一つ「人は何を幸せと感じ、どんな生活を目標にすべきなのか」を考えてしまう。「人類に求められている自然への謙虚さ」を考えずにはいられない。もっと言えば、一人の人間が生きて死ぬことについても同じように、「自然に任せるしかない」要素が大きいと思えてくる。胸が締め付けられるようなニュースが続く。
調査の仕事のインタビューで名古屋大学を訪問した。何しろ朝の10時のアポイントだったので6時前には家を出た。折しも台風21号が本州を目指している。何とかインタビューを終え、急いで帰ろうとしたら新幹線はガタガタ、1時間遅れののぞみに乗って新横浜に着いた。そこから先は全く動かず、しびれを切らして、横浜線・横須賀線で帰ってきた。たった1時間ちょっとのインタビューにしては大変な出張。でも、なかなか迫力はあった。久しぶりに「遅れたらどうする?」とか、「このまま新幹線が動かなかったら?」とか、ケーススタディーに忙しかった。当方の様な暇なリタイアリだから焦ることもないけれど、多くのビジネスマン達は、特にこんな日は大変だろうなと、同情。でも、こうして経済は回っているのだろう。懐かしさを感じる、出張だった。
今月の四国出張から帰ってきた。木曜に高松のホテルに着いたとたん、「ホテルを変わって頂いて良いですか?」と聞かれる。どうもこの猛暑で一つのフロアでエアコンが故障、治らないので他のホテルを紹介するとのこと。これまで泊まったことのないホテルだったが、夕食の約束の店との距離も近くなるようで、「問題ありませんよ」と承諾した。支配人が出てきてタクシーを呼んで、送り届けてくれた。入れてくれた部屋は、スイートかと思わせるような、大きなダブルベッドで、ソファーまでついている。夕方は使えなかったが、特別室の使用権までついていて、翌朝の朝食はVIP待遇だった。当方にとってはとんだ「拾い物」だったが、こんな業界も厳しいものだと思い知った。確かにこの季節で、エアコンの効かない部屋に入れる訳にいかない、まさか自分のホテルよりランクダウンのホテルを紹介するわけにはいかない。いつもWebで飛行機チケットと一緒に宿泊も安価に購入しているが、やはり競争は激しいのだなと思い知った。当方は何の被害もなく良い目をさせて貰ったが、一つ間違うと大きなトラブルに繋がるということなのだろう。日本の「おもてなし」もレベルを保つのは容易ではない。
子供のころから、記憶力の良い人には憧れたものだ。「賢い」という言葉には「物覚えが良い」という意味合いが大きかったように思う。今、加齢とともに「物覚えが悪く」なり、固有名詞が出てこなく、「あれ」「あの人」「例の」なんて表現でしょっちゅう話をしている。記憶力のダウンは間違いなく老化の証拠である。でも、面白いのは今の人達に求められる「覚えておきたい言葉」のタイプは明白に変わってきた。目の前にスマホやパソコンの「検索」機能があると、求められる力は「いかに適したキーワードを知っているか」になる。その言葉さえインプットすれば説明は事細やかに得られるのだから。最近、キーボードの前で悩んでいるのは、「どう調べれば良いか」だ。求められる知識、記憶のタイプが変ってきている。子供たちはどう変わっているのだろうか。興味深い。
兎に角、楽しんで18ホール元気で回れれば良い、というのが、当方のゴルフへの基本姿勢。練習場へは全く行かないが、コンペ出場だけで今年も今日で18回目。どのコンペでもBBだのBBMだの下位が指定席。今日も千葉のOBのコンペ。はじめはPC教室の予定があって、欠席予定だったが、そこのみキャンセルになって、急きょ入れて貰った。26人も出場、最高齢は90歳、この方が96で上がる。70歳以上はシニアティーを選択可能。70歳到達と共に勿論選択しているが、それ程効果は表れなかった。でも今日は別。一か月ぶりで、帰りたくなるような1番ホールだったが、その後次第に改善。ティーショットがサービスなので2オンも出来てしまう。結構楽しんで上がってみれば100切りの97。表彰式では他人事のように成績発表を聞いていたがなかなか呼ばれない。ついに「優勝」で呼ばれてしまった。新ペリア方式で、叩いたホール(8が2回、あとは殆どダブルボギー)がしっかり入って、26.4もHCを貰い、ネットは70.6.スコアだけ見れば堂々の優勝だった。グロスでみれば、いつもと変わらない下から5番目。70台が3人、80台が8人というレベルの高さ。兎に角運が良かった。ゴルフを楽しんでいるという意味では、人後に落ちない。たまにこんなことがあっても良いか、と素直に喜んだ。次のコンペはレギュラーティー。また完走のみを目指して・・・それで良いとしよう。
しばらくトランプ・世界の政治問題について書かなかったが、トランプ節はますます強硬に発信されている。米国の2分化は止めようがない。ただ、米国経済は意外なまでの強さで、反トランプ陣営も経済が好調に推移していれば、文句は言わないのかも知れない。対中強硬路線が進んでいるが、おそらく米国の方がプラスは大きい(マイナスが少ない)だけに、トランプ支持は落ちていかない。これだけ多くの批判を受け、多くを敵に回して、それでも勤まっているのだから、それは米国の懐の深さか。いつの間にか慣らされているが、中国はあくまで共産党一党支配の社会主義。我々が期待するような自由も民主主義もない。トランプの米国第一主義の方がまだマシかも知れない。我々にすら発言や批判がすぐに聞こえてくるのだから。対北朝鮮は成果として喧伝しているようだがそれ程進展しているようには見えない。でも冷静にみればこの半年は北朝鮮の脅威は減っている。今度は米中貿易戦争が絡んできているようで、「世界政治も常に動いている」ことを感じさせる。日本の自民党総裁選があり、アメリカの中間選挙もある。世界も、日本も、我々自身もちゃんと変化している。時が過ぎゆくのを待っているだけではやはりつまらない。
公民館主催のPC教室は中学校のパソコンルームを借りるものだから、毎年この時期に開催される。今年は、昨年よりまた一つ増えて3公民館のPC教室を引き受けた。ところが先に述べた(18/8/7)様に、すべての中学でパソコンルームの(タブ化の)工事があって、1公民館が計画を諦め中止になった。でも、残りの2公民館は予定通り実施。今週の月曜にスタートした。何しろ、まだ中学の生徒さんたちが使ってもいないシステムを初めて使用。公民館の受講生さんたちは基本的には初心者なので、こんなものだと思って立ち向かう。全く問題はない。当方としては何か予期せぬトラブルがあるのでは、とハラハラ。とりあえず3日間は無事済んだ。今年の特徴はますますの女性優位。今日など女性9人に男性3人。男性は(予定通りだが)リタイア後のおじいちゃん。女性は意外に様々。勿論おばあちゃん族が主流だが、やや若めの人もいて、「ちょっと勉強して次の仕事に生かしたい」タイプの人もいる。どうも、パソコンも含め、「これからに対する意欲」は、女性の方が強そう。でも、今年もこうして色んな「ヤル気」と対面するのは嬉しい。誰のお陰と固定はできないが、こうしてこんな機会を得て、新しい知己が増えていく。当方も、もう少し新しいテクを身に着けねば、と思う夏である。
現役時代、新聞は朝日と日経を取り続けた。リタイアを機に日経を止めた。もう企業や経済の話は自分にとって主題ではなくなる(なくそう)と考えた上でのことだった。しかし、朝日新聞のみになると、物足らなし、どうも偏っている気がして、再び両紙を読むようになった。新聞の価格もどんどん高くなって、年金生活者には重荷だが、やはり日経・朝日のバランスは捨てがたい。さて、トランプ大統領対メディアの戦いがヒートアップしてきている。トランプ支持派だった新聞も加わって反発しているようだ。政治がメディアを抑え込む危険性は、太平洋戦争を含む多くの戦争の歴史を振り返れば、否定できない。当方など、しばしばメディアのニュースの取り上げ方や、一方的批判に反発しているが、それも色んなメディアを通じて色んな意見を得られるからこそだろう。やはり、自由に意見が言える世の中の方が良い。おそらく政治を行っていて選挙権を持つ「世論」が気になる時、政治家はそれをメディアと重ねて捕え、何とか自分をあるいは今を肯定させるように制御したいという欲望が出てくるのだろう。民主主義という素晴らしい人類の発明は、どうしても各ステップを時間がかかるものにしてしまう。それでも、民主主義と自由主義は優先順位一番で守りたいものだ。今のトランプの米国第一主義の行き先はどこになるのか、非常に気になる大きな問題である。
昨日の終戦記念日は何となく感慨があった。それは、「昭和」の次の「平成」の最後となる終戦記念日だったから。今や当方を含む戦争を知らない「団塊の世代」が全てリタイアリで「高齢者」である。いよいよ70歳になっている。次が何時代になるのか知らないが、「戦争はXXの前の平成の、そのまた前の昭和の時代にあった」ということになる。我々の子供の頃で言えば「明治時代の出来事」、日清・日露戦争の様なものになる。時代の変遷というのはかくも冷徹である。孫たちにとって太平洋戦争は、「爺ちゃん、婆ちゃんが生まれる前の出来事」即ち、歴史上の物語になる。我々は子供の頃、学校で明治維新までは習っても、日清日露は詳細を学ばなかった。孫達にとってもそんな扱いになるのだろうか。それが、良いとか悪いとかいうつもりはないが、史実として受け止め、良し悪しを冷徹に判断できるようにはなって欲しい。リタイアしてから「失敗の本質」を読んで目覚めたようでは、何とも情けないお爺ちゃんである。今でも、色んな考えの人が一杯いるだけに、期待するのは「色んな意見を平等に聞ける世の中」ということだろうか。
プロジェクトの追跡調査のアルバイトで今年も有名な大学教授のインタビューがあって、先週京都に赴いた。毎年のようにノーベル賞候補に挙がる様な先生だが、謙虚に答えて頂き、加えて学問上の夢の話まで聞いて満足感があった。その後関西の友人と京都で一杯、翌日は鳥取に向かった。一年ぶりの故郷だが、お墓参りや親戚訪問、その後は実質仲人をして貰った恩師のお見舞いと、数時間の間に多くをこなした。これぞお盆。親しい人と会い、先祖たちに思いを巡らせ、お墓に線香と花を供える。いつの間にか自分のその時が近づいていると感じる。こうして一年に一度、先祖たちと語るのも残された人生を精一杯生きよという励ましを受けている気がする。その人たちの面影と故郷の風景がしっかり一致する。何年振りか、鳥取から夜行バスで帰った。疲労感の中で、でも、動いて良かったと思った。
広島と、長崎の原爆投下の記念日が巡ってくる。ニュースで扱い、新聞が取り上げるのは良いことだと思う。当方も初めて広島の原爆記念館を訪れた時のショックは今でも忘れられない。修学旅行でも校外学習でもその機会はこれからの子供達にも与え続けるべきだと思う。「核廃絶」を言うのはたやすい、日本人だからこその価値もあるだろう。それでも地球上になぜ多くの核爆弾があるのか、全部使えば地球から生物がいなくなるほどの核が、今、歴然として存在する。恐ろしいのは、これをISのような人たち、もっと現実的に言えば、今現在戦争をしている人達が持ったら、使ったら、何が起きるか。多分、地球レベルで考えれば、それが最大の問題である。北朝鮮や、イランの核問題はそれに近い。我々日本人も考えるべきは「米国の核の傘」の問題だろう。これに頼っていては説得力のない国になってしまう。核を経験した国だから、核は持たない、そして核には頼らない。いざとなったら、国を挙げて核の犠牲になるのは構わない。そこまで言えないとだめだろう。反原発とは大きく性格は異なる。明確にしておきたいと思う、毎年のこの時期である。
今年も公民館と市民大学のパソコン教室の講師を依頼されている。「乗り遅れた人の助けになれば」と始めた講師だが、世の中の進み具合いはついていくのが大変。ハードはデスクトップからラップトップ、ノートパソコン、遂にはタブレットからスマホ。携帯電話の世界がくっついてきた。ソフトの方もWINDOWSがどんどんバージョンアップして10が主役。XPから7へ、8から8.1へ、そして10へと進化する。アプリもワードやエクセルなどのオフィスも2016から365へ。少しづつ変わっていくのでなかなかついていけない。公民館の講座は中学校のパソコンルームを借りるのだが、今年の夏は全ての中学で工事。昨日工事が終わった中学を見学させてもらった。何と、デスクトップを無くして、CPU(中央演算装置)の代わりは小さなタブレット。これに大きめのディスプレイとキーボードが着いている。何も考えないで向かうと昨年までとは変わらないが、生徒たちは時々タブレットを外してどこかに出ていくのだろう。PC教室環境としては大きな変化。タブレットではあるがOSはWINDOWS-10、Officeは2016とマイクロソフトを採用、欲張った構成である。まさか文部省の指導とは思えないが、欲張りな挑戦。生徒さんたちが新学期で使う前に公民館のPC教室で試すことになった。何が起こるか・・やや心配。初心者の熟年(の乗り遅れ)に、「CPUはタブレットです」と言っても、何のことか分からないだろうな。心配な教室が月末にはやってくる。この分野はますます、「若い人の世界」になっていくのだろう。でも、高齢者だって、最低限はついていかないと、と危機感を感じている。
先週末に高松でコンサル(というには、恥ずかしいが)をやって、いつもの様に大阪に高速バスで移動すると言ったところ、社長が「車で送りましょう」と大阪まで送って頂いた。こちらとしてはゆっくり、ノンビリで有難い限り。でも、社長は着いてからの懇親会も計画。当方も共通の友人に電話して呼び出すし、社長も当方の知る友人に幹事まで依頼、約束の時間までに間に合うようにナビと闘って、チャンと会えた。昔懐かしい十三の駅近の炉端焼きの居酒屋に集まって、気持ち良く飲んだ。計画の仕方、集まり方、店の雰囲気に至るまで、「懐かしい青春」の一幕。あの頃を呼び起こす夕べだった。もう高齢者と呼ばれる人達なのだが、人間ってこんな場所でこんな集まり方をすると、おそらくそれだけで青春時代に逆戻り。飲んで喋って、最後は「割り勘ですよ」なんて、値段も含めてあの頃の様に。70歳でも楽しめる青春だった。まだ気持ちだけでも頑張れるかも・・・
大事な言葉の様だが、まるで認識が無かった。英語ではfrailtyらしい。高齢者にとっては大事な言葉の様だが、チョット定義もあいまいである。[これまで「虚弱」が使 われてきたが,「老衰」「衰弱」「脆弱」といった日本語訳 も使われることがあり,「加齢に伴って不可逆的に老い衰えた状態」といった印象を与えるが、でも「しかるべき介入により再び健常な状態に戻るという可逆性が包含されている」]らしい。これで何となくイメージが分かってきた。要は高齢になって心身共に衰えてきて、「ヤル気が無くなる」症状の事の様だ。そう捉えると、「フレイル対策」「脱フレイル」といった使い方をしても良さそうだ。当方はこの種の話になるといつも、「兎に角予定表を詰めること」「出来るだけ外に出かけること」「誰かと話す時間を大切にすること」などと答えている。新聞記事で見つけたこの言葉、覚える必要は無かったかも知れないけれど。誰でも必ずなる状態ではなさそうだ。チョット安心。
あっという間に梅雨が開けて、次は猛暑。豪雨、そして台風、再び猛暑。とにかく荒れ狂う自然に脅かされる。TVで災害情報がある度に、「経験したことのない・・・」というセリフが流れる。瀬戸内海近辺の豪雨に驚いていた頃発生した台風12号。これにも驚かされた。子供のころから台風と言えば、足摺岬とか室戸岬辺りから上陸、少しずれても九州から東海。南から北に上がってくるのが普通だった。2年前に台風十号が列島に沿って北上、その後宮城に上陸大きな被害を出した。東北に上陸した珍しい台風だった。ところが今年の12号は何と東から西へ、三重県に東から上陸、関東の被害も列島に沿って西に動くという珍しいパターンから。その後関西を横断して、瀬戸内海に沿って西へ。これだけで十分驚いたのに、追加があって九州西海岸を南下、屋久島の辺りでウロウロ、これからU−ターンして、「再発達しながら」西進するらしい。これは珍しい。時代と共に常識が変わるとはいっても、やはり何かおかしい。世界中でいろんな自然災害が起こっているけれど、こんなに前例がないことが続くと人間どころかAIをもってしても予測できない「予期せぬ」大事件が起きるのではないか。やはりもう一度「自然との付き合い方」を考えねば、と思う。やはり原因は人間の「驕り」だろうか。
もう7〜8年前になる。リタイアしてすぐにコンサル(らしきものをしても良いなという)仲間が集まって、飲み会をしたり、勉強会をしたり。残念ながら定例会が大抵月末に開催されて、当方の四国出張と重なるものだから、出席率はどんどん落ちている。この度、リーダーがオフィスを変更したこともあって、違った場所でサロンがあり、丁度出張も一週ずれたので、久しぶりに出席した。相変わらず楽しい会だが、いつの間にか列席者の顔ぶれも変わり、でも相変わらず良いなと思った。リタイア後、こうして色んな面々と知り合えるのは楽しい。おそらく日本中あちこちで、こんな集まりが開催されているのだろう。多分、こういう機会に家を出て、色んな人達と交流があるのは認知症対策にもなりそう。でも、帰りの電車の中で、「そろそろ、新しい出会いは、もう良いかも」なんて思うようになった。これはマズイななんて思いながら。そもそも田舎者の当方など、「飲んでナンボ」のタイプなので、シラフの自己紹介はもう不要である。親しい仲間と杯を傾ける方がどんどん好みになってきた。これもおそらく高齢者化の証だろう。さて、いつまで続くか、チーム「諸々」。
リタイアリの「特権」なのかも知れないけれど、TVの「ワールドニュース」によくチャンネルを合わす。色んな国のニュースを流すものだから、大抵の場合まず同じニュースが流れる。でも良く観ていると表現の仕方、解説の仕方などその国の立場もあって面白い。ただ、この一週間など、世界中の異常気象が報道されて怖くなった。日本では西日本豪雨、その後の猛暑、米国も東海岸の豪雨、西海岸の山火事、欧州ではギリシャの火災、北欧の高温、アジアではラオスのダム氾濫、韓国の猛暑などなど。同じ時期に、同じような異常気象が襲っている。日本がオカシイなどと言ってはいられない。世界中の天候が狂っている。一言で表現すれば、「変化が余りにドラスチック」。暑かったり、寒かったり、雨が降ったり、風が吹いたり、自然の変化は当然であり、一人の人間として見ていれば楽しい。ただ、これが最近は凄すぎる。変化を楽しむレベルではない。それが日本だけでなく世界中で、しかも同じタイミングで起こっている。トランプさん、米国大統領という人は世界で一番最初にそれを捕えて先頭に立って対策を提案してくれるのではなかったか。今は、それを問いたい。
毎年、暑さ・寒さが来るたびに、大きなニュースになっているが、普通なら単なる「流れの一部」であったり、「揺れの一部」であったりする。ところが今年のこの暑さは、やはり尋常ではない。もしエアコンが無かったらと思うと、やはり50年前では考えられなかった暑さかも知れない。地球や人類の有限説が妙に現実味を帯びる。これから数世代後には、「どんな順番で宇宙に逃げるか」などという話題が、人間社会で語られるようになるかも知れない。いくら何でも、十億人単位の人類が、どこかの星に逃げ出すなんて、現在では現実味はないが・・・でも、「逃げださざるを得なくなる時」は意外に近いのかも知れない。一昨日から孫たちがやってきて面倒見たが、我々は彼らが大人になるのすら見えない。この子たちがお爺さん、おばあさんと呼ばれる時代の価値観は、どんなになっているだろうかと、思った。今から100年後、何に最も価値があるか、人類のテーマである。
安倍政権を支持してきた。はっきりしていたし、グローバルな視点も強かったしトランプとの接触の仕方など大丈夫かなと思わせる所もあったが、全体としては分かり易く、心地よかった。でも森友・加計学園問題の扱い方を見ていると数による驕りが垣間見られ、最後は何とかなる、何とか出来るという態度が見られるようになった。こんな問題をなぜいつまでも引っ張るのかと思うことも多かった。そして最近の参議院定数増とかカジノ法案など、重要法案もあっという間に進んでいる。彼らが最も気にすべき支持率も下がりつつあるというのに。最大の問題は信頼できる野党がいないこと。「反自民・反安倍」を謳うだけではもう誰もついてこない。なぜこんなことになったか。もっと考えなければならない。このまま米国のトランプ政権が生き続けて、それに乗っかる安倍政権が続くとすれば「何かが起こる」。今は、日米とも何となく経済が巧く行っているようだから目立たないけれど、次に来る大きなショックは世の中を二つに分けるような、正論対正論の戦いになりそう。それを心配する。トランプが世界のリーダーを目指してくれるのが最も良いのだけれど・・・そうは行きそうにない。
昨日、昔の仲間達と会った。名古屋で新入社員として入ってきて以来、色んな所で一緒になった当時の若者も、いつの間にか退職、最後はお気に入りの名古屋に帰って、悠々自適。その長男が関東に住んで、初孫ができた。その機会に名古屋・鎌倉で飲み歩いた仲間と東京で飲むことになった。昨日の東京は36℃の真夏日。待ち合わせは浅草雷門。久しぶりに立ったが、驚くことばかり。まず、「日本人が少ない」。飛び交う言葉は、英語、中国語、韓国語・・・待ち合わせをしている我々の日本語が却ってマイノリティー。友人たちに会えて、最初のセリフは、「ここ日本?」。今や、日本の観光地はどこに行っても外国人。決して昔からの有名な観光地だけではないそうで、日本人の「・・・マニア」的人々が訪れるような秘境でも日本マニアの外国人がいるらしい。決して悪いことではないし、最近の旅行者のマナーもどんどん良くなっていて、日本も観光慣れしてきたと思うけれど、昨日の浅草は別格だった。観光人力車の客待ちをしていた若者に尋ねたら、「日本人と外国人がほぼ同じ」。「皆、スマホで知識十分。日本人客よりよく知っている」とか。スマホのおかげで、観光の形態も大きく変わってきているようだ。日本のお寺巡りを趣味としている当方としては、あちこちのお寺がみんな外国人観光客で溢れるようになったら困るな、と。次は、どこに行こうか・・・
「いつまで寝てても良いよ」と言われて本当に寝続けられる人はそう多くはないのではないか。とは、言いながら、リタイアしてから、朝はゆっくり寝ている。残念ながら、一度、ほぼ夜明けとともに目覚める。トイレを済ませ、ここからもう一度眠る。これが、至福の時間。ところが体調が悪かったり、心配事があったりすると、その次が眠れない。こうして年寄りは朝が早くなるのだろうかと思ったりもする。当方は、まず「今日は何曜日だったかな」、「今朝のごみ捨ては、燃えるゴミ、燃えないゴミ、リサイクルごみ・・」などと考えながら、眠る。同時に、今日の予定を考える。何か予定があると、その優先順位付け。これが楽しい。でも、その予定の一つ一つの重さは、軽い。これが、やはり、世の中を生きていくということと、自分の余生を生きていくこととの違いなのだろう。そのまま寝込んだりしても困る人はそうはいない。だから価値のない余生なのかと問われるとすぐに「そうだよ」とは言わない。だって、何か世の中の動きと繋がったことをやろうとしているから。現役時代の「生きがい」と、今の「生きがい」は全く違う所に支点があるのかも知れないけれど、「でも、やはりどこか通じるところもあるな」なんて、思っている。確かに、現役の頃のやりがいとか、生きていると感じた時点の中身も、今の眼でみれば、単に歴史の中の小さな一点にすぎないものだったようにも思えるから。やはり価値は、自分が動かせるものとして集中していたことだろうか。今でこそ思う、その時点その時点の「生きがい」。
今回の西日本豪雨は凄かった。今日になっても次々と被害者の数が増えている。TVを見ているだけでも「これまで考えられなかった災害」だったのだと思う要素が多い。今回も思った。ニュースをみていて、避難指示とか避難勧告の対象者の数字。500所帯、750人、とか12000所帯30000人などと流れているが、ついつい割り算をしている。一所帯当たりの人数ってこんなに少ないのだと思い知る。山間部は勿論だが、かなりの街中でも一所帯平均2人以下という家族が多い。言い換えれば、一人暮らしの家庭がいかに多いかということ。今回大きな被害にあった倉敷市のニュースでも、しょっちゅう平均2人以下だった。これが今の日本の平均の姿だとしたら、いかにも淋しい。近代日本はやはり何かを間違ったのかも知れないと思う。この様に疑問は呈しているけれど、当方だって夫婦のどちらか逝けば、一人暮らしになる。体を崩せば、病院か施設か・・・それが本当に幸せな人生の終わり方なのか・・・考える機会は多い。こうして災害と戦う老人たちの姿を知ると猶更その思いが強まる。結局、下重さんが言うように、孤独に耐える、孤独を楽しむ訓練を元気な内からしておくことが必要なのかも知れない。災害避難のニュースを見ていて、孤独を考える。
最近、特に感じる自然との闘い。メディア情報が頻繁で細かくなったとか、データが昔は無かったとか、今だから特別という要素は意外に無いのかも知れないが、やはり地球温暖化を含め「生きている地球」の歴史の一部として徐々に変化しているというのが事実だろう。数日前からの大雨。今日にいたって被害は九州から、広島、岡山そして北陸へと動いている。昨日は鳥取県にも特別警報が出て、慌てて故郷の姉に電話。「降る、降る・・」と呆れ声、相当降り続いたようだ。それでも今日のニュースでは幸運なことに鳥取県は唯一大きな被害が無かったようだ。台風による嵐ではないので、今も関西では降り続いているようでこれからの被害も心配される。いつも書くが、人間の驕りに対する自然の警告ではないかという感覚がある。今夕、ウオーキング中にいつも会う夫妻と世間話。千葉のこの辺だけは免れてますね・・なんて言っていた。帰ってひと風呂浴びた所で、「千葉東方沖地震」。この辺りも震度4。久しぶりに揺れた感じ。もしこの地震が広島や岡山だったら、一段と被害が拡大していたかも知れない。もしかしたら天は、危険も平等に振りまいているのかも、と思った。いつ、何が起こるか分からない。我々は「生かされている」。ついつい忘れてしまうことを、こんな機会に思い出さされる。歴史には従順であるしかない、と思う一日。
昨日のベルギー戦は無条件に素晴らしかった。実力に差があると言われても先手を取って「もしや」と思わせてくれた。前半を0:0で先手を取られることなく終わり、後半に入っていきなり立て続けに2点得点。これには驚いた。しかもいずれもペナルティーが絡まず、最も期待していたタイプの得点。もしかしたらと思ってしまった。結果は最後の最後、アディショナルタイムの中でのベルギーの得点だったが、負け方が非常に良かった。「一つ間違えば勝てる」「実力には大きな差はない」と思わせた所が凄い。その前のポーランド戦では当方は当然の「ブーイング派」。何故って、決勝トーナメントに行けても優勝まではいけないだろうから、まずは「一つ一つの試合を、最後の最後まで戦い抜く」そして「勝敗は後からついてくる」という試合を何故しなかったのか。今でも、悔やんでいる。チームやサポーターにとってはトーナメントに出ることが最大の命題だったかもしれないが、普通に応援する我々からすれば、トコトン戦い抜く姿を見せてほしかった。おそらくこの件は将来に亘ってサッカー少年達の頭に残る。当方などは単純だからどんな試合でも「最後の最後まで全力で戦い抜く」試合の方が好ましいし、応援したい。何れにしろ、日本チームも「後一歩で世界一流」の所まで来ていることを世界に示した。一流の試合が出来ることも。でも、当方として結果は関係なくポーランド戦の戦い方を子供たちに「これも重要な戦術」とは教えたくはない。この話題はまた4年は続くだろう。しっかり酒の肴にしたい。ただ、日本チームはよくやった。今はただ、褒めたい。
今回の四国出張の帰りは京都に寄った。西国三十三ヶ所観音巡りがなかなか進まないので、少し稼ごうと。まず今熊野観音寺(第15番)に行って流石京都(の大伽藍)と思い、その足で、醍醐寺(第11番)に向かった。醍醐の花見で有名なごとく、兎に角広くて大きい。そこでガイドブックをよく読むと、11番は上醍醐・准胝堂となっている。確かに観音堂で御朱印は頂けるが、そもそもは上醍醐まで登らねばならなかった様だ。ガイドブックに片道一時間の登山と書いてあったので、こりゃ頑張らなくちゃ、という気になってしまった。さて、いざ登り出したら正に登山。普通の革靴で歩くような道ではない。それでもまだかまだかと思いながら頑張った。山上にはまさかと思うような社務所やお堂が並び立ち、このお寺の歴史を思わせる。国宝・薬師堂や五大堂までお参りして帰ってきた。丁度、降りたところで強い俄雨、途中で諦めて降りてきた常連の女性が近くの駅まで車で送ってくれた。雨が強かっただけに何と有難かったことか。お寺参りで遭遇する人には無条件の優しさを感じさせてくれる人が多い。嬉しかった。まだまだ三十三ヶ所全ては時間がかかりそうだが焦ることなく生きている間に参りたい。
2年前に突然千葉のOB 会の会長に選ばれた。やる気のある大人の幹事団に恵まれて、1期2年を勤め上げた。以前の形に全くとらわれない形式で進めたが、とりあえず大きな問題もなく改選の年になった。次の役員は幹事会の推薦で総会の承認という形にしたので相談したところ、揃って「もう一期やりましょう」となって、結局その案が承認された。40人近い会員が集まった総会。特に大きなテーマがある訳ではない。最高齢93歳、若い方は61歳。昔同じ工場で働いたというだけの共通点だが、こうして年に1,2回集まって、雑談をし、一杯飲む。どうも感じるのは、それだけで良い。元気な人は元気を誇り、長生きの秘訣を語る。欠席の人達の安否を気遣う。多分、OB会はそれだけで良いのだろう。現役代表も出席してくれて、工場開設50周年の記念のボールペンを配ってくれた。「これまでのOBの方々のお陰です。」という一言に出席者全員安心した。帰り際の挨拶も「また来年集まりましょう」。そうありたい。みんな間違いなく一年一歳、歳とる。この会はそれを個々に認識させる。今年も良かった。
一気に夏日になって半袖パジャマや、エアコンテスト、夏に向かう準備が忙しい。葦簀(よしず)がボロボロになって、今日、買いにでかけた。ホームセンターに行くと何でも手に入る。一番大きなものを2つ買って、さてどうやって持ち帰ろうかと店員さんに相談。配達は可能ですが市内は一律2000円と言われてビックリ、何とか良い方法はと尋ねたら、「軽トラックで自分で運べば無料ですよ」だって。早速、飛びついた。人件費が安かったり、いくらでも人が雇える時なら、市内無料配達なんてのは格好のサービスだったのだろうが、今はそんな余裕はない。でも、軽トラはずらりと並んでいて、サインと免許証で簡単に貸してくれる。2時間までならガソリン代すら請求しないとか。久しぶりによしずと、ついでの腐葉土を積み込んで運転した。クーラーもろくに効かず暑かったが、何となく爽快な汗。ヘルメットを被って現場を歩いたような、兄弟の引っ越しを手伝った時のような・・・事故さえなければ、気持ちの良いサービス。満足感があった。人手が無いなら無いで、こんなサービスで好感を与えてくれる。「暇な時ならいくらでも手伝いますよ」と言ってあげたい位。でもそうもいかなのがビジネスというものなのだろう。夏を前にして充実感のあった軽トラックの運転だった。
終戦から73年も経った。いつの間にか太平洋戦争も歴史上の出来事になり、過去の話になってきた。これで、来年、新元号になれば、猶更だろう。昭和世代は戦争を知らない我々でも、やはり身近だった。身近に戦死した人もあったし、親戚にも戦地に赴いた人も多かった。そして戦後の経済発展、平和な日本があった。そんな中で、唯一(とは言わないらしいが)の国内戦場となった沖縄は混乱の後で、日本に復帰、でも安保で揺れ動く。国政と地方政治がぶつかってばかりである。普天間の辺野古移転の問題など、余りに時間がかかっている。もっと日本人全体で、自分の問題として捉えるべきだ。そもそも戦後の「平和」がなぜもたらされたのか。おそらくそこから問わねばならない。米国との安保条約と、沖縄県民の犠牲の上の平和だったのかも知れない。今後の日本の安保を考える時、もう日米安保依存だけではこのグローバル化世界の中を生きて行けないのではないか。日本はもっと独自の自由主義、平和主義を打ち出すべき時ではないか。そう思う。70年以上、「与えられた平和」の上に安住してきたが、もうそれは苦しいのではないか。若い人たちを含む現役世代に考えて欲しい。でも、社会常識が変わるにはまた追加の50年が必要なのだろう。この問題を考えさせてくれる「沖縄慰霊の日」である。6月23日から8月まで、なぜ敗戦を決断しなかったのか、これは日本軍が犯した最大の過ちと言える。広島と長崎への原子爆弾を食い止めるラストチャンスは沖縄だったと思うのだが・・・それを思わせる今日である。
昨夜は久し振りにサッカーで興奮した。今回は何となく「勝つのでは」という予感があった。何故かは分からないが、競馬で「今日は当たる」という予感と似ている。そして本当に勝った。始まってばかりのレッドカードはコロンビアにとっては最悪だっただろう。でも彼らはそれでも勝てると思っていたようだ。最近のサッカーはペナルティーゴールの得点が増えて、TV観戦も面白くなくなっている。このままいくと、反則をしないで得点できるプレーヤーが求められ、どんどん難しくなっていきそう。でも昨夜のコーナーキックからの2点目は、素晴らしかった。これで、今回のWCは暫く楽しめるかも知れない。昨夜から今日にかけてTVや新聞やネットで解説を探したのは、「何故、コロンビアのサポーターがあんなに多かったのか」だった。今の所、答えが分からない。曰く、南アメリカではどの国もサッカーが国技だとか、日本では考えられない人気だとか、でも決して近い訳ではないし数万人のサポーターがおいそれと応援にいく旅費でもないだろう。ロシアにコロンビア人がいるのだろうか。とにかく日本チームが「完全にアウエー感だった」というのだから凄い。これから日本でも盛り上がっていくだろう。まず、セネガル戦は楽しみだ。世界中がWCで盛り上がるのは4年振りだがやはり楽しい。日本チームの活躍を祈りたい。
今朝方2時頃目が覚めた。妙に右脇腹が痛い。若い頃の虫垂炎とも、腎臓結石とも異なる。トイレに行きたくて用を足す。昨夕、散歩後にちょっと多めにワインとビールを楽しんだが、どうもそれも引っかかる。急性肝炎という言葉を思い出す。その後も約一時間ごとに目が覚め、その度にトイレに行く。なぜか徐々に痛みは薄れた。朝食を少しだけ食べた後、やはり気になるので医者に行った。微熱や少々の吐き気があったのも症状だったが、病院に着くころには「自然治癒」。先生は消化器系と推定、大腸の小さな袋の異常かも、と。とりあえず痛み止めを貰って帰ってきた。これまでも何回かある「自然治癒」。この力があれば、医者や薬に頼らなくて済む。午後もボーッとしていたが、治った様だ。これから体の色んな所にこんな異常が現れるようになるのだろう。今日は今後の「ホームドクター」候補のクリニックに行った。車で30分。相談にさえ乗ってくれればそれで良い。大病が来たときは、これでは済まないのだろうけれど。でも、あの痛み、何だったのかな・・・
これぞ梅雨という天候が続く。ゴルフコンペが流れたと思えば好天になり、その後また雨が続く。その中でいろいろ東京通いが続く。周りのOB仲間達曰く、最近東京など行ったことがない、千葉駅にさえ降りたことがない。そうなのかも知れないなと思い、毎日の様に何か出かける理由がある自分を嬉しいと思う。プロジェクト追跡調査の仕事も今年も続くらしい。その打ち合わせもあった。いつも自信はないけれど、その一方、何か背中を押されるような感覚も嬉しい。予定表にスケジュールが詰まると、頑張って生きなければと心する。サツキが終わりアジサイが咲く、今ぞ梅雨。自然の変化と共に仕事とスケジュールが密になると、「よし生きなくては」と思う。四季の変化と共にあるのが良い。
これから多くの解説や批評が世界中で広がるのだろうが、まずは会談は終わった。この二人の史上初の米朝会談にしては何のサプライズも無かった。それが、最も良かったのかも知れない。2日間に亘るとか、途中で席を立つとか色んなことを言われた割には平和的に終わった様だ。それだけ「個性」を出すことの世界に対する危険性が両首脳に分かった、ということだろう。でも、この様に収まるのなら、取り合えず全世界にとっては、「米朝会談が初めて開かれた」というニュースだけで成功だったと言えるのだろう。でも、これからどう動くのか、これは見てみなければ分からない。二人のリーダーがこれから夫々の舞台でどう振る舞うのか、そこに掛かっているようだ。日本にとっては、おそらく難しくなることはあっても楽観視できることは何も無さそうだが・・
世界中が注目する米朝会談が始まろうとしている。どんな見方をしても信じられないのだが、事実だとすればやはり大きな進展をもたらすわけで、大変な「政治ショー」になるだろう。金正恩の「読み勝」という話が多いけれど、さてどうなるか。当方は、もしこの政治ショーが成功するとすれば、その次の関心事は「北朝鮮でのクーデター」である。先日も軍部強硬派3人が交代させられたとか。もし、独裁者金家がこのままリーダーであり続け、しかも国中を挙げて育てた核を手放すとしたら、軍部はどう出るか。おそらく鬱積する不満が何らかの実力行使を生むのではないか。「北朝鮮クーデター」説は決してあり得ない話ではない。関心は、それを率いるリーダーがいるかどうか。それが出来得た人達はみんな粛清された。兄の金正哲はどこにいるのだろうか、気になる。ただ、この仮説を考えるにはやはり、金正恩が心から「核を諦め世界と協調する」という決断をしたかどうかだ。おそらく、歴史を動かす週となる。とりあえずの結果は「大成功」なのだろうけれど。
関西から帰る前に次兄を訪ねた。いつもネットで囲碁を楽しんでいる兄なので、顔を合わせても、「もう一番やるか?」で一泊の間に4局も打った。10歳も離れているので間もなく80歳になる。癌の診断を受けてからもう何年か、すっかり元気になった。今回も三兄の三回忌参り、岸和田の長兄の墓参りと運転手を務めてくれた。考えてみれば80歳のドライバー、余り無理を言ってはいけないな、と反省した。今後は当方がレンタカーでも借りて・・・と思うけれど、これまた見る人からみれば、70歳の高齢者ドライバー。思わぬところでお互いの老いを感じてしまった。長兄の墓地は両親も眠る。草取りをし花を替え、水をあげて祈った。両親と5人の子供の家族だったけれど、いつの間にか我々二人と田舎にいる姉の3人だけとなってしまった。でも夫々が結婚し、子供を育てそこに孫達が生まれている。こうして歴史が過ぎていくのだと話した。我々世代の共通の話題としてお墓の問題がある。どう考えるのがベストなのか、次男・四男の二人で「どうなるのかな」と語った。お墓参りの価値でもある。
OB会の幹事をするようになって、昨年の春の行事で潮干狩りをやった。出席率は大したことはなかったけれど、当方も参加者もかなり楽しそうだった。その思い出があって、今年も同じ場所で計画した。残念ながら参加者は少し減ったけれど、好天に恵まれ楽しい一日だった。昨年は出足が悪く、全く貝に当たらず、どうなるかと思ったが途中で幼稚園児の集団が来場、その子達を遠巻きに囲む辺りでかなり取れた。今年も幼稚園児が多くの観光バスで来ていたが、当方たちのスタートが早く、しかもいくらでも採れたものだから、去年とは逆で、もしかしたら「あのお爺さん達のいた所は駄目よ」と言われたかもしれない。2kg制限を越してしまって、有料で3kg持ち帰り、よせばよいのに半分残して滋賀の息子の所のお土産にした。喜んで食べてくれたが、問題は残りの半分、台所にバケツに入れて海水で砂を吐かせる準備をして出かけたのだか、昨日(月曜、3日目)帰ってみたら惨状。全て死んでいて、これが臭い。後始末が大変だった。こんなことになるのなら、2kgにしておけば良かった、全て持って行けばよかった、と反省することしきり。いやはや大変な後始末だった。でも60〜80歳のお爺さん達の集団が、幼稚園児たちと一緒に潮干狩りを楽しんでいるなんて、絵になる。何となく幸福感。これからもこうありたいと思った。
滋賀にいる次男が我々夫婦の古稀を祝いたいと言い出し、丁度家内の京都での同窓会に合わせて計画してくれた。孫娘二人を入れて計6人、レンタカーで姫路城へ、その後神戸港のホテルに一泊。色んな計画を考えてくれてまずは嬉しかった。と同時に、順調に老いていることも自覚した。普段孫たちとのコンタクトもなく、意外な程サバサバと日々を過ごしているけれど、こうして節目の祝いなどして貰うと、「なるほど」と思う。いくら長く見積もっても100年の命、もう70%を終えている。それどころか明日をも知れない状態。でもこうして子供の成長を確認し、孫たちが大きくなっているのを見ると、自分の今を自覚する。「いつまでも元気でね」と言われてもそれはあり得ない訳で、やはり何とか自分の力で生きられる間はそうありたい、と思う。姫路城や。神戸港の中の歴史的モニュメントを見ると、人生百年の短さと、10年単位の過ぎていった時の速さを思い知る。何とか、「元気で、ボケていないおじいちゃん」であり続けたい。祝われて逆に思い知った己の人生の有限さだった。
当方も、スポーツ観戦大好きで、特にリタイアしてからTVを良く観る。世の中でも「プロスポーツ」の存在感が大きくなり、スポーツ新聞も、スポーツ雑誌も大きな位置を占めている。と同時にメディアの世界でもスポーツレポーターと呼ばれる人達が憧れの商売になりつつある。そもそもスポーツで食えるということは誰かが彼らの食い扶持を払わねばならない訳で、やはり先進国で余裕がある国でなければならない筈である。でもオリンピックを含め国際大会などで高額賞金がでるようになるとそれを求めて国を挙げて集中する国も出てくる。でもおそらく今は資金がなければ強くはなれない。さて、そんなスポーツの世界だが、プロの眼からは将来期待できるアマ、特に学生部活動に注目せざるを得ない。子供達も将来のプロを目指して人生をかける。スポーツに打ち込む子供達の姿は見ていて楽しいが少し度が過ぎてくると首を傾げるケースも多い。今回の日大アメフト部の騒動はどんどん拡大していって、日大の経営そのものにまで展開しようとしている。理事長が輪島と戦うほどの力士で、そこからスポーツの世界の実力者になっているとは知らなかった(学長を含む教授たちは意外に力が無いことも)。最も勇気を出して問題提起したのがルール違反プレーをした学生本人だったのが問題を拡大した。企業不祥事の例を見るまでもなくこの種の問題は、世間がどう捉えるかをいち早く予想して組織として対策を取ることが重要なのに・・・日大生や日大卒業生が恥ずかしいと思うようになっては、大きな痛手を被ることになるだろう。これから暫くは目が離せない。
先週末の高松行の帰りに、初めて念願の夜行列車「サンライズ瀬戸」に乗った。鳥取に住んでいた頃は(勿論新幹線も飛行機もなく)途中泊まらないで東京に行く(安価な)方法は夜行列車しかなかった(当方は鳥取にいる間に上京したことは無かったが)。ブルートレイン「出雲」はもうないが、「サンライズ出雲」は岡山で瀬戸に連結する。めったにないことなので良い部屋で帰ろうと、丁度1か月前にみどりの窓口に行ったが、A-寝台は予約できず(数分で売り切れる)、結局B-個室だった。高松で乗った時は「なんだこの狭さは」と言いたくなるような部屋(?)だったが、いざ寝転んでいっぱい飲みながらカーテン(シェード)を開けた途端印象は大きく変わった。夜の瀬戸内海の灯りが見え、空には(寝転がると空も見える)月も見えて。(予想していた)TVも無く、夜景を見るしかないのでそのまま寝入った。4時ごろに目覚めたらこれから明けようとする空に富士山がクッキリ。これまた「得した感」。やや寝不足だったが久々の「旅」を味わえた。こんな楽しみもあったのだと思い知った。早く帰ったお陰で、孫息子の運動会応援にも間に合った。時間まで儲かった印象。できたら次は東京から高松にもトライしてみたいと欲がでてきた。
この数日間の北朝鮮をめぐる動きも甚だ変化している。米朝会談が流会しそうで、当方は予想通りで「やはり」と思ったが、どうもスンナリではなさそう。世界の政治は当方が想像するような甘いものではないのだろう。もしかしたらこの全ての流れは、米中の根回しの下で進んでいるのかも知れない、と思うようになった。米国は最終的に北朝鮮を抑え込む姿として中国が制御できるようにすることに合意したのではないか。米朝会議を巡る脅し合いや、非難の応酬もその流れの一環で、結局の所、米中のネゴで北朝鮮の最大限の落としどころを探しているのではないだろうか。米朝会談を開くのも開かないのも、単なる交渉の一部に見えてくる。金正恩や文大統領も米中に踊らされているだけなのかも知れない。さて、日本だがこの戦略立案遂行に入れてもらっているか、それとも関係ないか。そこが安倍外交の真価を問われるところで、どうも入っていないように思える。拉致問題の解決など到底遠い話なのではないか。そう感じさせる昨今の動きである。
この度の四国出張は行きがけに大阪で大学の同期会があり、それに出席しようと電車を選んだ。行きは新幹線、帰りは夜行列車「サンライズ瀬戸」に初めて乗って、今朝帰ってきた。僅か4日間に多くの刺激があった。同期会が始まる前に、昔家庭教師をした女性と再会した。同期の友人から当方が修士課程に進む頃に引き継ぎ、卒業前にまたもう一人の博士課程に進級した友人に引き継いだ。この3人でこの女性と会った。医学部を卒業して同窓のお医者さんと結婚、2児を授かり開業医。もう孫の話まで付き合う年齢。我々3人の共通の思い出は、家庭教師をしている時間の半分は映画「アラビアのロレンス」の話で眼を輝かせていた部分。今回もその話題はピッタリ合った。4人とも全く異なる世界を夫々生きて、こうして半世紀ぶりに頭の中の思い出を探しながら話した。あの中学生だった生徒さんと、共通の話題として孫の話をするなんて、やはり人間の一生なんて、一瞬なのだと思い知った。でも生きている間にこんな時間が持てるなんて、単純に嬉しかった。その後は関西の同期会、これも40年以上会っていない人たちも一杯。それが触媒になってか、旨い酒の回りも早かった。こんな時が過ごせてやはり生きていることは有難い。感謝である
想定外の寒さとか、想定外の暑さとか言いながら、ちゃんと春が過ぎ夏が来る。先日「まだ5月なのに」と言いながら、扇風機を引っ張り出した。昨年掃除もしないで倉庫に入れたものだから埃だらけ。バラバラにして掃除をした。3台同時に済ませたが、この扇風機、何れも寿命が長い。家電製品の中でこれ程タフで、よく使うものは無いのではないかと思う。一台はリモコンタイプだが、そんなものはとっくに無い。でも何ら問題ない。1台は表の網カバーの取り付け具が壊れているが、細い針金で縛ってOK。兎に角、何れもスイッチを入れるとちゃんと回って涼しい風が来る。エアコンや冷房機に取って代わられているが、このシンプルなマシンは実に可愛い。今でも時々団扇を引っ張り出すこともあるし、この自然の風を動かす冷風は捨てがたい。なぜか、田舎の縁側の夏を思い出す。扇風機だけで過ごせる様な夏なら良いが・・などと思いながら。
OB会幹事をやっているが、催し物の勉強をしておくのも良いだろうと、昨日日帰りバス旅行にトライした。今年は天候が不順(夏が早い)で、つつじ名所を訪れる箱根ツアーだったがつつじは殆ど終わっていた。でも山のホテルのシャクナゲはまだまだ美しかった。この旅で驚いたのは熟年主婦の行動力。普通の木曜の日帰りバスツアーなのだが、どこで会うバスも殆ど満席、しかも女性が圧倒的に多い。箱根で観光地に到着するたびに乗客をみると女性ばかり。「この人達のご主人は今何をしているのだろうか」と、どうでも良い疑問がわいてくる。皆ゴルフ場でゴルフを楽しんでいるのなら良いけれど、多分そうではない。女性達は歳をとるにつれ人生を楽しむ術を知っているように思える。バスで隣り合った人同士でも別れる時には仲良くなっている。それに引き換え男どもは、奥様が一緒ならそれが精一杯、なかなか見知らぬ同士が仲良くなったりしない。こりゃOB会のイベント計画も容易ではないなと思い知った。メディアも注目する団塊世代の「老い方」の問題。やはり個々の独立心も関係しているのだな、と思う。男どもも、「ちょっとどこか旅に」と一緒に男同士で出掛けるようでありたい。こんな所に男女差が出るなんて、何となく不公平?
リタイアリにとってスポーツ観戦は生活の中でかなりの比重を占める。昨日も大相撲夏場所が始まる前に、房総CCでの男子プロゴルフに興奮した。谷口徹の逆転優勝はなかなか感動的だった。夏場所が始まった。稀勢の里は遂に7場所連続の休場。いよいよ、引退をかけて出場という筋書きになってきた。でも、ここはじっくり治して出るからには優勝争い、というパターンにもっていって欲しい。稀勢の里や高安がいなくても連日満員御礼。成程面白い。期待される若者たちが活躍するし、栃ノ心、逸ノ城の両関脇が強い。これでは稀勢の里は中途半端では出られない。最近、良く観るからかも知れないが、特に次世代の台頭と上の力士達との闘いが興味深い。総代わりの時も近いのかも知れない。相撲を見ていても他のスポーツを見ていても、新しい世代が台頭してきて、その時それに抗う経験者達が頑張る。この構図も楽しい。我々には「ヤル気」をくれる。番組が終わった後になぜか、「もうひと頑張りするか」という気にさせる。これが無くなったら、やはり寂しいだろうな、と思う。
遂に米朝首脳会談が、来月12日、シンガポールと決まった。世界中のメディアが騒ぎ立てている。年初の金正恩の一言から始まったこの流れ、本当に世界の人達が信じているとは思えない。何しろ金正恩だけでなく、相手がトランプ大統領だから。この人の信頼性が高ければもっと期待しても良いけれど、どうも信念も、行動も、思いつきに見えて仕方ない。今回のイラン合意離脱もわざわざ世界で孤立しようとしているように見える。「極限の政治家」を演じようとしているのなら兎も角、どうもそれ程深い思慮があるとも思えない。共和党には彼のキャラクターを巧く使って、これまで不可能だった政策をやってみようとしている人達もいそうだが、米国外に基本的考え方まで同調している国や政治家がいるとも思えない。日本政府が本音の所でトランプをどう評価しているのか、できれば国民に明示して欲しい。米国内、米政府内でも、まだまだ100%支持されていない大統領なのに、安倍首相のみが入れ込んでいるようにも見えて心配である。世界政治を相手に「ディール」で遊ばれてはたまったものではない。世界のリーダー達がトランフ政治とどう付き合おうとするのか、結局のところそれがこれからを決める。一か月後、何が起こっているのだろうか。当方はまだ「決裂」と思っているのだが。
4月後半に首都圏外郭放水路を見学したが、それに引き続き昨日は新日鉄住金の君津製鉄所の見学をした。子供たちは小学生の頃校外授業で3人とも見学会があったと思うが、当方は近いのにその機会がなかった。「鉄は国家なり」と言われ、戦後の復興期にも常に経済活動の中心にあった。八幡製鉄、富士製鉄から新日本製鉄が生まれ、2012年には住友金属工業も合併して、新日鉄住金となった。現在高炉13基を保有し、年間4300万トンの粗鋼生産量を誇る。世界一の製鉄会社ミタルを追う巨大企業である。TVや映画や書物では何度も見た高炉や熱延工場の現場だが、この目で初めて見るとこの歳でも気持ちが高ぶった。もし子供の頃この目で見ていたらこんな現場に憧れていたかも知れない。おそらくつらい職場だろうが「逃げたい気持ち」より「惹きつけられる」魅力を感じた。もし「技術屋魂」というものがあるのなら、これなのかも知れない。化学工学をやった当方も社会に出るころは大きなコンビナート建設が終盤になり、化工屋の働く場所が「ファインケミカル」になっていった。でもこの製鉄所の迫力は心を揺さぶるものがある。同行した元硝子会社に勤めた人は「ガラスも同じようなプロセスだが、やはり迫力が違う」と話していた。ますます世界との競争も激しいがやはり強さは保って欲しい。案内役の社員がいかにもこの業界とかこの会社とか、その技術力に誇りを持っているのが窺えて何となく嬉しかった。心が若返った一日だった。
総じてみると、好天で平和なゴールデンウイークだった。今日のニュースも海外旅行からの帰国者や、帰郷した人たちの渋滞や混雑風景などなど、平和なんだと思わせるニュースが多かった。でも、明日からは大変。外交で勝負したい安倍内閣と、混乱を正当化したい野党との国内政治の混乱は続くし、米朝会談をにらんだ朝鮮半島情勢も、これからがキーになってくる。当方の様に、北朝鮮を信用できない人が普通の筈なので、これを突破できるとしたら常識的会談と宣言では収まらないだろう。当方は今でも「流会」があるのではないかと予想している。もし開催されて共同宣言が発表されるとすれば、それはおそらく日本外交にとっては「悪いシナリオ」になるのではないだろうか。ともあれ、現在の流れは「平和路線」で進んでいる。概念的にはノーベル賞をも念頭に置いたような平和で幸せな流れなのだが。卓球の世界選手権にも興奮した。特に女子は急ごしらえの「統合朝鮮チーム」に勝利して、「もしかしたら中国にも・・・」と期待したがまだまだ壁は厚かった。2020年オリンピックの楽しみにはなっている。やはりスポーツの応援の方が平和な夢をくれる。
3/16日に昨年末から痛かった左肩の痛みと、自然治癒の話を書いた。かなり良くなったと思っていたけれど、ここ1週間、痛みが首根っこに広がってきて、遂に整形外科に行った。レントゲンを撮って、ドクターと話したら、「何でもうちょっと早く来ないの、大分固くなってるよ。典型的50肩です」だって。「これから5週間、週に1本注射(ヒアルロン酸)を打って、理学療法士に運動治療をしてもらえば治ります」とのこと。確かに昨日1本注射、その後療法士さんによる体操。今朝からハップ剤を貼っていたらたった1日でかなり良くなった。どうも「自然治癒」を力説するのも分が悪い。今日は今日でいつもの東京のクリニック、これも殆ど狭心症と血液サラサラ用の薬を貰いに行くだけなのだが、やはり2か月に1回のヘルスチェック。止める訳にはいかない。ま、難しいことは言わないで、「寝たきりにならないで、ゴルフがプレーできるなら」という条件をつけて現代医学にも頼ろう。そう思ってしまった。やはり進歩は凄い。
26日から四国に出張。27日の南北会談はメディアを占領してしまった。捉え方には幅があるようで、やはり日本(人)は、そう簡単に金正恩と文在寅の会談や笑顔を信じることはできない。昨年からの変化の度合いが余りに著しいから。「人が変った」という表現が現在の状況か。今は言葉だけの段階で、これから何が起ころうとしているのか今は全くの闇である。次の米朝会談で何が語られ何が約束されるのかそれを注目するしかない。拉致問題も含め、現在の所「当事者」としての居場所は全く無い様だ。北朝鮮としてはあえて日本と語る必要は無いのだろう。さて、安倍政権は何ができるか。国内の政治不信をどうリカバーするか。思ったほど内閣支持率が落ち込んでいないのはおそらく取って代わりうる党派や人材が見当たらず、しかも当面の経済が悪くないからだろう。四国からの帰り路、和歌山に寄って3寺に参った。道成寺、紀三井寺、そして粉河寺。とにかく好天で、歩いたり石段を上っているだけで心地よかった。紀伊徳川家の繁栄の名残か、どの寺も現生利益主義で、明るい。初めて「和歌山線」というローカル線に乗った。紀の川沿いの田園風景のなかをノンビリ走る。心温まる風景。「人間のあるべき姿」「望ましい人生の終え方」などに思いを馳せた。粉河寺は立派なお寺、これまた往時の繁栄を示す。ゴールデンウイーク前半は南北朝鮮と和歌山の寺々。やはり後者の方が人間らしい話題である。
当方の感覚は大抵の場合所謂「民意」に近い。おそらく新聞やTV情報に頼っているから当然なのだろうが・・今の政治状況は頂けない。おそらく一言でいえば「政治不信」が広がるだけだ。安倍内閣の強気は外交成果(と頼りない野党)で勝負できると見ているのかも知れないがいくら何でも国民を馬鹿にしている。行政府の問題をこれだけ指摘されて何の説明も対策も表明しないまま世界の政治の不安定を理由に外交のみを表に出して「今こそ国民一体となって」と言ってもおそらく民意は離れていく。まさか本当に「こうなったら解散」なんて言い出すのではないだろうなと心配する。外交成果というけれど、何もやれていない。南北会談や米朝会談でも日本は置きざり。裏で拉致問題の解決が進んでいるのならともかく、その希望もないのなら外交の成果もない。トランプが動かす世界の中ではやはりもっと独自性を出して、「ポストトランプ」まで見据えた政治を志すべきではないか。今こそ「将来の日本」を考える良い機会だと思うけれど。外交を旗印にするのなら、米国、中国、ロシア、EU等々とのあるべき姿を説いて国民に信を問うような姿勢が必要ではないか。また政権交代が起こったりすれば、一層の混乱が来るのだから。今こそ自民党の自浄能力が問われる。
コンサル仲間の勉強会で埼玉県春日部市にある、首都圏外郭放水路の庄和排水機場(龍Q館)を見学した。昔から荒れていた中川・綾瀬川流域の水を制御して、江戸川に移そうというもので、5本の立坑を掘りそれを内径約10mのトンネルで繋ぎ、地上で溢れた水を巨大な地下調圧水槽(地下神殿)に溜め、これまた巨大な排水ポンプで江戸川に排水するというもの。意外に新しい話で1992年に着工し、2006年に完成したらしい。話題性はあったはずなのに余り知らなかった。地下調圧水槽まで降りてみたが、成程「地下神殿」、巨大な柱に守られた貯槽空間である。こんな空間を造って、水を溜めてポンプで大きな河川に人工水流を流すことによって洪水を防ぐ。もう何回か実際に水流制御の実績も出ているようで(おそらく)大成功のプロジェクトなのだろう。費用は2300億円だったとか。この辺までくると、「本当に大正解だったのか」とか「経済的合理性はどうだったのか」など、尋ねる気持ちにはならない。こんな「発想」そして「実施の決断」に驚いた。どの時代でもそうだがこんな「驚くばかりの発想」には頭が下がる。勿論、最近話題になっているような、「決定プロセスの正当性」「工事業者選定のステップ」「費用の正当性」などなど、知りたいこともあるけれど、それを超えて「こりゃ凄い」と思った。発想も、理屈もそんなに難しくない。多分小学生でも思いつくアイデアなのかも知れない。でもそれを実際に採用した発案者、実施者に対して敬意を表する。本当の効果はもっともっと大きな洪水や氾濫が起こった時に明らかになるのだろうけれど。「防災」なんてやはりこんな驚くようなアイデアとそれを実行する政治があって初めて実るものなのかも知れない。エキサイティングな見学会だった。
遂に財務省事務次官が更迭された。同じ日に新潟県知事も辞表。理由は「セクハラ疑惑」、又もや「週刊誌人事」。夫々を聞けば、確かに「よくそんなことを・・」という内容だが、どうもスッキリしない。政治のトップ人事を週刊誌記者が決めてしまう。人間には誰でも「表」と「裏」がある。公人という理由で、裏を引っ張り出して抹殺してしまうトレンドが何故か腹立たしい。スッキリしない理由は、ただそこにある。我々は歴史小説を好んで読む。歴史上の大物の話も話題にする。多くの人達は現代の常識ではそれ程褒められたプライベート生活をしていない。でも歴史を語る時それで評価を抹殺したりはしない。今の若者の大人しさ、頼りなさがどこから来るのか知らないが、「何かコソコソ」という状態でしか、発散する場所が無くなっているのではないかと思ってしまう。おそらく記事を書く方は「百戦錬磨」の経験豊富な達人で、記事に殺される方は、生まれた時からのエリートで名門学校に育てられた「おぼっちゃん」なのだろう。そんな人に国を任せて良いのかと、居直られると辛いが、それでは誰に国を引っ張れるのかと問われた時に歴史上の人物を思い出して見れば良い。きっと我々が思いつくような人々には色んな「裏」が一杯あったはずだ。週刊誌記事が引っ張る国が健康的で正しい国だとは思えない。さて、この問題はどう落ち着くのか我々の、子供たちの、孫たちの未来に関わるだけに、落ち着いてみていられない。毎日イライラしている。
新聞の訃報欄はなぜか若い頃から良く見ていた。一応何らかの分野で名を成した人たちの訃報である。まずは何歳で亡くなったかを見る。最近特に90歳以上が増えてきている。たまに70歳台で亡くなった記事をみると、自分も近づいたと思うけれど、昔と比べると明白に寿命は延びている。別にそれに文句をつける気はない。有難いことだとも思うが、やはり気になるのは、「この人はどんな死に方だったのだろう」、「人生最後をどう過ごしたのだろう」ということ。今は殆どが病院で亡くなる。自宅で誰かと生活していてなら悪くなさそうに思えるが、これも家族の生活を犠牲にしているケースが多いとか。果ては一人で生活していて発見されてからも「検死」に一日二日かかるケースもどんどん増えているとのこと。ますます"How to die"が気になってくる。同じことが"How to live"についても言える。生きているなら「生きている」と自覚しながら生きたい。ベッドとチューブに繋がれて、果ては単に呼吸をしている物体には成りたくない。どうしたら、この気持ちがその時の周りの人たちに伝わるだろうか。このことを考えるたびに医学の進歩の価値について思う。社会への貢献、参画、少なくとも自分で考え行動できる生き方、それを保てないようなら困る。いよいよ科学技術の進歩だけではなく、哲学、心理学などの分野の進歩、理解が必要な時代になっているということだろう。今日もちゃんと目覚め、ちゃんと呼吸し、ニュースを知り、考え、話し、歩く。それに満足感を感じている。先に逝った家族や先輩たちもこの頃になるとよく言っていた。毎日が「感謝」である。このまま100歳に到達できるのなら有難いけれど。
よくぞ此処まで、このタイミングで、と呆れさせるようなニュースの出方である。世界の動きを見ていると、日本はこんなことをやっていて良いのと言いたいけれど、森友問題の、公文書の書き換え、口裏合わせ依頼電話、今度は加計学園の「首相案件」メモ問題、果てはなぜかここで、財務省事務次官のセクハラ発言問題まで、毎日の様に官庁や官邸を揺るがす問題が出てきている。マスコミが暴き、野党がそれに乗る、という図式で、とうとう与党までが政府を攻撃する側に回ってきた。こうなると、おそらく支持率の爆弾も動き出すだろう。一つ一つはどうなっても良くなってしまう。トランプとの日米会談、その後の南北、米朝会談など、わが国の将来に大きく影響するだろう外交問題が始まろうとしているのに、安倍首相が国民の信頼を失ってしまったら、世界のリーダー達も、日本を無視するかも知れない。正に大変な時期だというのに、メディアはまず国内に主体を置いているようだ。高い支持率が安倍政権の最大の武器だった故に、この変化の影響は大きいだろう。首相を変えた方が良いのなら早い方が良い。外務省さえしっかりしていれば何とかなるだろう。韓国の様に大統領をやった人は全て逮捕されるような国だってある。それでも、大事な時は政治も優先順位を付けて動くようにしないと・・・心配である。今、誰が日本のシナリオを書いているのか・・
朝起きて、まず今年のマスターズの終わりを見ようと。残念ながら松山を含め日本人プレーヤーの活躍はまだ先か、と思って回したチャンネル。丁度大谷選手が投球中、6回までパーフェクトだと言う。まさかと思いながら見た。その途端ヒットを打たれはしたが、そうは言っても余りの活躍で、これから先はどうなるのか、と心配にさえなる。米国メディアも開幕前には、一軍入りを批判し、かなり辛口の評価だったとか。それが、投手で一勝(今日で二勝)、DHで3試合連続アーチ、と留まることを知らない活躍で、トーンは今や、いかに毎試合出場させるかというところまで来ているらしい。確かに送り出した日本サイドでもここまでの活躍を予想した人は無いだろう。この種の天才には、信じられないほどのツキもついて回る。逆に、これから先を心配する。おそらくどこかでスランプにもなるだろうし、デビューの頃は何だったんだろうと思う日は必ず来るだろうが、その時を楽しみにしたい。ここまで来たら、この人の人生の中で、行きづまった時にどう突破するか、それを見せてもらうことを楽しみにしたい。米国ファン達が今後どう応援してくれるのか、日本人としても興味ある。何はともあれ、信じられないような米国デビューをした大谷選手。もう、投手が良いだの、打者が良いだの言うのを止めて、滅多にない二刀流としての成功を期待したい。また、凄い日本人が現れた。
今や、「携帯」という言葉が「スマホ」に代わってきて、スマホ族がマジョリティ。しかも「スマホ」を持っていないと時代遅れの象徴になりつつあって、スマホの機能も知らないのに携帯電話をスマホに変更している人達も多い。当方は視力が落ちていることもあって、メールは極力文字が大きい方が望ましく、タブ(レット)を用い、ポケットWi-Fiでネットと共に見ている。一時期音声通信(電話)もタブにしたが、流石に使いにくい。結局、現在の状況は電話機能のみ昔からの携帯、特に最も薄型のものを用いている。電話のみに特化すると料金も非常に安く、ポケットWi-Fi料金を入れてもスマホよりかなり安価で済ませることができる。ところが何しろ古いタイプの携帯なのでだんだん表示が見にくくなった。それでもその便利さが捨てがたく、今回Netで中古品を購入してみた。これも(勿論)安価、ようやく使えるようになった。いずれスマホにするか、それともSIMフリータブレット+ブルートゥースマイクで安価でスマートにいけるのではないかと目を光らせている。家内などはロクに機能も使いこなせないのにスマホにしたものの、今頃になって「やっぱりガラケーが良い」などと言っている。一か月の通信費は当方よりはるかに高い。この分野の料金体系もややこしく、世の中の普通の家庭でも高い通信費に悩まされている。もっとシンプルに単機能で便利なものができたら良いのに、と思う。でも電車の中でまずガラケーでSNSを見ていると周りは「まだガラケーだ」という軽蔑の眼で見る。そのあとWi-Fiを持ち出してタブレットでニュースを見たりすると軽蔑の眼が見直しの眼に変わる。「この爺さん、なかなかヤルナ」という眼か。でもやっぱりスマホの勝ちかな・・なんて思っている。
結局、1日も雨が降らず、所期の予定通りの日程で終わった今年のセンバツ。終わってみれば「大本命」の大阪桐蔭の2年連続優勝。兎に角、始まる前から、始まって後も桁違いの強さ。それでも、昨日の準決勝や、今日の決勝戦は「もしかしらやられる」と思わせたことは、やはり一発勝負の怖さ。そしてそれを勝ち抜いたのはやはり「桁違いの強さ」。春も夏もそうだが、チャンネルを合わせると目が離せなくなる。メディアが次々と話題を作り、甲子園出身のスター選手が活躍するプロ野球だが、でも、このアマチュア野球は素晴らしい「文化」だ。汚れないままに育てて欲しい。どこにでもいそうな「元甲子園球児」だが、身の回りに早々いるものではない。でも知っている数人の人達にとって、甲子園球児の経験は相当な誇りで、それがその後の人生に果たした役割は大きかった。これは甲子園のもう一つの大きな価値だろう。もう次は夏の大会の地方予選へと関心が移る。次世代のプロ野球のスターを期待するとともに、その甲子園に憧れて青春を過ごす若者達が世の中の期待するスポーツマンシップに溢れる社会人に育ってくれることを期待する。現役サラリーマンの頃、採用試験で学生時代にスポーツに集中したという一言でついつい注目したことを思い出す。それは大きな評価ポイントだった。勿論、ハズレもあったけれど。
先週末も高松に出張した。リタイアした後もこうして「出張」という言葉で表せる旅をしているのは何となく嬉しい。毎日の生活に張り合いも与えてくれる。内容も意外に豊富で、一つは毎回与えられたテーマについて営業主体の勉強会のネタを提供する。当方の専門にこだわらず、どんなテーマについても何かデータを提供して解説と共に話し合いの場をアレンジする。この形式になってからもう2年、24回目となった。最新技術から、営業総務人事の話に至るまで、こちらはネットの検索機能をフルに使って、カットアンドペーストでパワーポイントの資料を準備する。このお陰で随分、知らなかった分野の勉強もさせてもらっている。「顧問」と呼ばれているけれど、何のこともない単なる情報提供者とも言える。四国の山中に工場があって、主にそこに行って一日を過ごす。先週末はその日が初めて桜の満開と当たった。いつもは車で「讃岐うどん」の昼食に出かけるのだが、今回は粋な計らいで、工場内の30本の満開の桜並木の下で、花見弁当のランチとなった。20代、30代の若者達も自分の弁当を開いて桜と会話を楽しんだ。当方も、若かった頃の名古屋や鎌倉の花見を思い出した。今はこんな時間を持つこと自体が減っているのかも知れない。仕事場における喜びというものは求めてはいけないような雰囲気になっているとしたら、やはり寂しい。今回は、四国の山奥の工場で不思議な満足感を味わった。我々ロートルが感じる幸福感が、若者達にも伝わるのか、分からないままに。でも、良かった。
独裁者とはやはり、何でもできる。この人のこの新年からの動きは凄い。普通の小さな国のリーダーなら、これほど世界を驚かすことは無いだろう。それだけでも核や、ミサイルの開発を続けたことは大変な成果だったと言えるだろう。南北会議から米朝会議へと、これまでの政権ではできなかったことを計画し、その不調の時の為に、中国を巻き込む。丁度中国が、米韓朝の動きに取り残されるのではと懸念し始めた頃を狙っての絶妙のタイミングでの訪中である。中国側も、シメタとばかりの歓迎の模様。世界で、一体となって圧力をかけている筈なのに。まさにパワーゲーム。世界が北朝鮮に躍らされているとも言えなくもない。こんな小さな国で、世界を手玉に取るような戦略を誰が起案しているのだろうか。恐ろしくなる。こんな国が、日本をターゲットにしたら良いようにやられるのではないかと心細くなる。G20があっても出席できない財務大臣、小さなことで振り回される総理大臣。平和と言えば平和な国だが、世界の中での日本についてももう少し真剣に取り組まねば、と思う。でも、公文書の書き換えが簡単になされるような国であってはならない。これは、ちょっと引けない。自民党も政府も素早いアクションを心がけねば。政治不信が怖い。
寒い冬だった、雪が多かった、でも暖かな日も多い。寒暖の差がおそろしく大きい。地球温暖化と言いながら・・と感じた日も多かった。イロイロあるけれど、チャンと春が来る。今年は開花宣言も、満開宣言も例年より約1週間早い。先週末検診で東京に行った際、早かったので上野に回った。上野公園の桜は満開に近く、多くの外国人が日本の桜景色を楽しんでいた。もう週末には満開だったようだ。そんなニュースを見ながら散歩コースの池に行ってみた。まだ3分咲だが、青空の中で見る見る開いていく感じだった。この辺りもこの週末には満開だろう。こうして色んな変化の中でも、花が咲き、春が来る。1本1本の桜の木の特徴と、花のつく枝ぶりなど覚えておけば面白いだろうけれど、おそらく夫々の木も歳を経ていて、花のつけ方も変化しているのだろう。この池の周遊道路を歩くようになってもう8年になるが、枯れて切られてしまった木も多く、一方数年前に植えられた木にはもう可憐な花が咲き始めている。桜並木は同じように美しいが、一本一本の木にはやはり、栄枯盛衰がある。古い木でも美しい花を咲かせながら貫禄ある老木になっていくものもあれば、もう枝が弱って花が僅かしか付かないものもある。自分はどの木の様に老いていくのか、そんなことを考えながら、昨日は5000歩で中断。春場所も終わったので、また徐々に10000歩に戻さなくては・・・今年もこの日が来て、良かった。
先日の安政柑を守る会で因島を訪問した朝、朝食を食べ始めた時、急に呑み込めなくなって戻してしまい、結局、朝食を抜く羽目になった。10分ほどゴロリと休んだらそれで終わり。その後は普通に食べたり飲んだり。これに近い症状はここ数年半年に1回位起こる。今回は皆さんの眼の前で起こしてしまったものだから、その後色々脅かされて、結局医者に行くことになった。いつも見て貰っている循環器科の先生の紹介で、今日耳鼻咽喉科に行った。一番の心配は喉頭がんの可能性だったから。今日の診察には驚いた。症状報告から診断まで15分足らず。でもその間にマイクロファイバーカメラを使用して、目の前のディスプレーに当方の喉の中が写し出される。「唾を飲み込んで」と言われると、ちゃんとそれが見られる。「大きな異常は見られませんね。おそらく加齢により反応が鈍くなっているのが原因でしょう。」。これには驚いた。これ程までに「見える化」が進んでいようとは。喉頭がんなど気配も見られなかった。技術の進歩を目の当たりにした。もうちょっと伸ばして食道まで診てくれればもっとよかったけれど、それは消化器系なので駄目だった。無理やり生かす医学の進歩には首を傾げる当方だが、今日の、マイクロファイバー画像には恐れ入った。こんな医療もどんどん進んでいくのだろう。いずれ自分で画像をみながら出っ張った癌をハサミでチョンなどという日が来るのかも知れない。腹腔鏡手術のニュースを見て、そんな技術を開発しなくてもなんて思っているけれど、それがこの話に繋がると思うと・・批判ばかりしてはおれない。とにかく、今日の所は良かった。
現役時代お世話になった先輩が亡くなった。色んな事を考えさせられる訃報。まず、いつ亡くなったのかすら分からない。なぜなら奥様が亡くなって以降一人暮らしだったから。こんなケースでは検死に時間がかかる。次に訃報連絡。生前からご本人が言っておられたとのことで、家族葬。葬儀の案内はしないようにとのこと。確かに、自分の場合を考えると「その方が良いのかもしれないな」と思わせる。でも、生前に世話になったと思っている身にはせめて弔意を示す場があってもよいのにとも思う。でも、最近は家族葬主体が非常に増えているらしい。一人残されて、一人暮らしになって孤独死を迎えるというストーリーはやはり寂しい。当方の住むエリアも二人暮らし、一人暮らしがどんどん増えて、自分もそうなるのだなと予感させる。何とか家内より先に死なねばと思わせる。葬儀やお墓はもう残される家族のためのもの。死にゆく者の為ではない。彼らの思うようにしてもらうしかない。そんな時代になっている。何となく、昔ながらの「日本的な」葬儀を求める気もあるけれど、時代は移っていく。今、「終活ブーム」とのこと。自分のことは最後まで自分で始末しなさいと言うことなのだろう。ここの所次々と訃報が入る。その一つ一つに人生があるのだと思いながら、最後に皆で一杯飲みながら昔話をするのも悪くはないけれど、と思ってしまう。自分の時にはどうなるのか、どんな準備をしておくべきなのか、考えてしまう。
正月頃から、左の肩が痛かった。サロンパスを貼ろうにも、どこが本当に痛いのかはっきりしない。左手を回したり伸ばしたり、色んな運動をしていると、急にビリっとくる。それでも、普通に生活をしてきた。これまた、病気というより単なる加齢現象の一つなのかも知れない。今月に入って、痛いのが肩から首筋に移ってきて、朝起きるのにピリッとくる。出かけている時も、首を回したり傾けたり、ピリッ、ピリッと戦ってきた。ところが2,3日前から急に快方に向かっている。何の効果か全く分からない。サプリとして飲んでいるのはローヤルゼリーだが、まさかその効果のみとも思えない。結局、思い当たったのは、春。「春が来て平均気温が上がったから?」としか思えない。昨日まで、動かすたびに、振り向くたびにピリッと来ていたのが、完全に薄らいできた。春のお陰に違いない。病気に対する考え方も変わってきている。「薬はある器官のある病気に効くように開発されている」と捕えると、体全体に対する影響が全てチェックされていない訳で副作用がどう出てくるか分からない。そう思うと、どんな病気でも少し辛抱して待てば、自然治癒で治るものも多い。だって、皮膚表面にできる出来物だって自然に治るものが多い。おそらく癌だって、出来物の一つと考えれば、自然治癒するものも多いのではないか。勿論、致命傷になるものもあるのだろうが。我々は、何とか病気を見つけて、病気になろうなろうとしているのではないか、そうして、治せる部分を治すと結局寝たきりで寿命を待つことになるのではないか。それを心配する。おそらく「生物は自然に逆らい過ぎない生き方の方が正しい」。その考えが強くなってきた。だから、飲む薬も徐々に漢方志向になってきた。勿論、痛み止めの「バッファリン、アスピリン」は手放せないけれど。こんなことが言えるのも無事リタイアして、70歳を迎えられたからだろうけれど。
昨年来、森友問題で揺れる政局を見るたびに、「政治家にはもっとやることがあるだろう」と冷ややかに、そして安倍政権をサポートする側でみてきた。でも、対象はとにかく、公文書の改竄というあってはならないことが現実に行われたことを政府側までが認めるに及んで、やはり許せない。「若気の至り」で言わせてもらえば、やはり「民主主義の危機」と言える。行政府の在り方が問われる事態になっている。日本の「政治家」(立法府)がそれ程優れているとは思わないし、現実の行政は官僚(行政府)主導で行われていて、日本の行政府・官僚は非常に優れていると思っている。でも、もしかしたら、その質も落ちているのかも知れない。承認された公文書を書き換えるなんて、日本の官僚がする訳がないと思うのだが、今や認めてしまった。これは野党がいきりたっても仕方ない。例え、世界の中での日本の存在感を増し、北朝鮮危機の中で重要な位置を占めていて、アジアのキーパーソンになっていると言っても、もし、自身や婦人の関与が(「忖度」の範囲内であっても)あるのならこれは許容できない。日本の政治の透明度、清潔度を示すためにもオトシマエはつけるべきだろう。それが、内閣総辞職なのか、解散なのか知らないが、何か手を打たないと政治不信、安倍政権不信が拡大していき、歴史に汚点を残しかねない。今頃になって田中角栄を見直す動きはあるけれど、やはりあの時は彼はもう駄目だった。安倍総理、麻生財務大臣共に「決断」すべき時にはしなければならない。
これまでの経緯を見ていて、どうも理解できない今回の朝鮮情勢。当方など、現在の北朝鮮に信用できる点など一つも持たない故、何を聞いても心は動かない。それより韓国文大統領は仕方ないとしても、トランプ大統領の動きは気になる。俯瞰してみてみれば、米朝関係が改善すれば、世界平和のためにも問題はない。でもこの国はこれまで同様の状態で悉く裏切ってきたし、今回新たになった変化は何もない。世界はこれに惑わされてはならないと思う。ただ一つ、今回「それでも」心動かされるのは、南北朝鮮が同一民族であり、「一緒になって当然」の2国であること。これは他の国の人々がとやかく言えないキーポイントである。そのポイントを最も認識して利用しようとしているのが金正恩だろう。韓国も、米国も、勿論日本も、短期的見方で交渉を進められるとは思えない。そして、何を信じて良いか分からない、というのが現状だろう。夫々の国の常識に立って情勢を見ることが許されるのなら、この1月からの北朝鮮の動きを、「望ましい方向の変化」と捕えることはできない。望むらくは世界が期待しているような北朝鮮の変化だろうが、それを信じられる国や人はまだまだ少ないだろう。大きな変化が目の前で起こっていて、この流れで進むことを期待はするけれど、そんなにことが巧く運ぶとは思っていないのが普通だろう。現実ベースでいえば、これでまた北朝鮮は時間稼ぎに成功したと思うが、期待ベースでいえば、世界からの圧力が奏功して北朝鮮がにっちもさっちも行かなくなっていると思いたい。こちらが頼るメインプレーヤーがあのトランプ大統領でなければもう少し期待できるのだが。何とも安心できない米朝関係である
もう今年で8回目。春の安政柑収穫祭。今年も、高松での仕事を終えて因島に向かった。例年は都合よく土曜日集合なのだが、今年は日曜夕方の前夜祭。当方は一日空いたので長門に足を延ばし、青海島一周の観光船や、金子みすゞ記念館を楽しんだ。因島での前夜祭は地元の方達の伝統芸能披露もあって大いに盛り上がった。ところが収穫祭当日、目が覚めてみれば大雨。どう見ても収穫・パッケージ・発送までやれる空ではない。早々と収穫中止が決定。とは言ってもと、果樹園まで行き、小雨の中で収穫らしきことをやった。その後、雨は強くなったり、弱くなったり。農園主の家の庭にテントを設営、昼間からのバーベキューに及んだ。例年の様にめったに口にできない新鮮な魚介類をご馳走になり、旨い酒を楽しんだ。いつの間にか今年で8年目、初回は63歳だった訳で、定年後の人生の楽しみ方の中でも秀逸なプランだったと言える。2011年はわずか6人の侍。かっても分からず運搬車もなく終わったらフラフラだったのを思い出す。でもこのメンバーも全て70歳台になった。いつまで続けられるか・・・それが最大の関心事になりつつある。大丈夫かなと思いながら、でも、今年もその果樹園に立って、瀬戸内海の島々を臨むとやはり捨てがたい。また来たくなる。4年前に植樹した苗木も大きくなって今年はもう沢山実を付けていた。自然は、自然も、生きている。それを実感した。我々がやる予定だった作業は殆ど地元の方達がやって下さるとか。これまた感謝である。この活動を通じても多くの知己を得た。宝物である。
我々団塊が年齢と病気との闘いの段階に入ってきたから、雑誌でもメディアでもとにかく多いのは、施設、介護、薬、果ては葬儀場から墓地に至る。「エンディングノート」や「遺書の書き方」まで、いわゆる「終活」の話題が溢れる。決して悪いことではないけれど、やはり「最後までの生き方」をもっと考えるべきだろう。「How to die」を考えることは「How to be alive」を考えることだと思う。色んな病気に効く薬が発明され、普通の病気ではそう簡単に死ねなくなった。それは有難いことだとは思うけれど、「治った後」にも注目した治療法をもっと期待したい。単に呼吸が続くという直し方は却って悪だろう。現代科学、化学、医学に文句をつける気はないけれど、同時により精神的な面、「やりがい」「生きがい」「満足感」「幸福感」などに重点を置いた、「How to be alive」の方に関心がいく。今、団塊が何を考え、何を求めるのか、もうScienceの世界ではないのかも知れない。
準決勝、3位決定戦の女子カーリングには興奮した。冬季オリンピックの時しか見ないけれど、応援していると面白い。20年前米国ミシガンに赴任した時、暗くて寒い冬に何か体を動かさなくては、と友人たちに相談したら、「カーリングかボーリングだね」と言われ、面白そうだとカーリング場に行ったが、何と休日で閉まっていた。そのまま、ボーリング場に回り、結局ボーリング同好会に入ってしまった。あの時、カーリング場が開いていたら意外にのめり込んでいたかも知れない。カーリングの話になる度にあの閉まっていた暗い玄関を思い出す。さて、日本女子の活躍、一昨日の韓国戦、昨日のイギリス戦共に10エンド全てを見た。こんなことは滅多にない。途中の数エンドはミスしない限り同じことの繰り返しになりかねないのが問題で、普通チャンネルを変えてしまう。ところが、この2試合はそれでも面白かった。戦略と戦術の入れ替わっていくのが考えさせられる。一投の重要性が高まる度に、ミスも出てくる。それがひきつける。何はともあれこの種目で日本が銅メダルを取った。しかも、国を挙げて作ったチームというより、北海道の一つの町を挙げて育てたチームだった。団体競技の団結力の育成の違った一面を見た。スピードスケートのパシュートの金でも同様の感想をもった。技術面の天才だけを集めてもこの種の団体競技には勝てないものなのかも知れない。日本チームが可愛い声で叫ぶ「そだね」の中に、戦略戦術の合意形成の納得感がある。個人が目立つ野球や、サッカーで果たしてこの「そだね」の合意はどう形成されるのがベストなのだろうか。そして、政治や、企業運営では?そんなことを考えながら楽しんだ。おめでとう、大和なでしこたち!
国民はオリンピックの好成績に盛り上がっているけれど、国会は何とも低調、聞いていてもガックリ。憲法改正論議など「本来、腰を据えてやるべき」議論が盛り上がりそうな気配はあったけれど、今や「敵失」議論になってしまった。世界の潮流を見ても、日本人の労働に関する見方は余りに社会主義的で、グローバルマーケットを対象に動こうという国とは思えない。ひたすら、マーケットの拡大を許されて、国一丸となって日本国の平均の上昇に注力してきた時は良かったけれど、もはや「平和主義なので軍備は持ちません」、「でもマーケットでは自由に戦います」、「国民はみんな揃って豊かになります」、なんて虫の良い在り方は許されない。裁量労働制なんて現役の頃から注目していた。「言われたことをこなすのが仕事」という人は、働いた時間で給料をもらう、一方、「言われた仕事を成し遂げるのが仕事」という人は、成果で評価されるべきだろう。特に、自分で企画をし、自分で体を動かす仕事など、自由な働き方の方が良いだろう。また、緊急対応とかいざという時に基準を置いて仕事をしている人なども「勤務時間の縛り」など、意味がないだろう。もっともっと多様な働き方を認める社会であって欲しい。昔から世の中を変えるような大変革をもたらした人の思い出話には、「朝から晩まで、休むことなく考え、試し、働いていた」という言葉がある。「言われることをやっていただけ」なんていう働き方には「働く喜び」も「働きの満足感」も生まれない。そしておそらく、ノーベル賞も生まれないだろう。あのルールが良い、あの点が悪いなどというけれど、本当に求められるのは「どこまで一人一人の自由度を認めるか」ということでは無いのだろうか。弱い者の立場を使っているような顔をして批判をしたり、挙げ足を取ったりしたりしている人達の方が、結局、弱い人たちをうまく使っているだけではないのか、そんなことを思う。でも、駄目な官僚も多いのだな、と驚かされる昨今の国会答弁。もしかしたら残業規制でちゃんとした答弁書が作れないのかも・・・
「夢を捨てずに精一杯努力すれば必ずかなう」なんていうけれど、それはない。でも努力そのものは何らかの形では報われる、と思ってきた。オリンピックに出場したり、メダルを取るような選手たちは、努力だけではないだろう。一定以上の才能に恵まれた人が、その環境に当たり、加えて人並み以上の努力をして、それでも限られた人だけがスポットライトを浴びる。一人のスポットライトの影にいかに多くの人の努力があるか、そこは分かっていたい。折しも、将棋の藤井五段が、羽生永世七冠に勝って、1か月も待たずに六段に昇段とか、恐るべき中学生である。「君も頑張ればああなれるよ」なんて言える人がいるだろうか。これこそ、「天才」と言うことにしておかないと「普通の人」はやってられない。でも「普通の人」も夢は持って良い訳で、こんな事件があると興奮してしまう。オリンピックを応援し、藤井新六段に驚き、何とも圧倒される週である。見ていると「天才」も相当辛そうだけれど。
本当に「ホラネ」だった。これは技術力ではなく、精神力だろう。
今日のオリンピックのフィギュア男子SP中継には魅入った。羽生結弦の強さには驚いた。通常、こんなケースはプレッシャーに負けて失敗からスタートと思うけれど、今日の羽生は図太かった。これこそ世界一のプレーヤーと思わせる。もう明日のフリーにも疑いはない。きちっと決めて日本初の金メダルにして欲しい。リタイアして2度目の冬季オリンピック。毎日チャンネルを変えながら応援している。夫々の競技で夫々の選手が、ギリギリの所で、なかなか「金」にならない。やはり世界一はその時点で世界に一人しかいない訳で決して容易ではない(だからこそ観ていて面白い)。今日の羽生の復活劇は凄いと思わせる。ぜひともこのまま明日のフリーでも完璧に決めて優勝して欲しい。これまでこんな時は「そうは言っても負けちゃうからな」というケースも多かったが、今回は何となく余計な心配の様に思える。この感覚を醸し出すのは何だろう、羽生の自信から来るものか。まだ若くて大丈夫かと思わせる顔つきだが、珍しく信頼できる。明日の夜、ホラネと言いながらタイプしたい。それ程の男である。
先週から株価の変動が大きい。特に大問題が起こったわけでもなく、トリガーは米国の金利上昇機運。これまでの(普通の)常識では、米国の金利アップ、ドル買い(円売り)、米国株高、そして日本株高。ところが現実は、米国金利アップ、経済失速懸念、米国株安、ドル安、円高、日本株安。経済指標がどう動こうと、何とでも説明できる。今、1秒間に10億回もの取引ができるとか、もう株価は人間のコントロールの域を脱したのかも知れない。AIやコンピューターにインプットされた計算式で、何かの条件が動くと1秒間の間に大きな変動をもたらす。こんなものについていける人間はいない。でも、AIはこの乱高下のデータも今、しっかり学んでいる。おそらくこうして色んなこれまで起こっていない変化を吸収して、次の手を打つようになるのだろう。その時、計算式を作る人間の頭の中の、価値基準は何か。それを問われる時代になる。プログラマーが何を最も重要な指標として変化を捕えるか、それがこれから見定めるべきポイントなのかも知れない。どんどん変化する毎日は第三者的に観ていれば楽しいが、今後の世の中や、我々の周りや、自分自身のささやかな懐の中身までコントロールすると思うとやはり恐ろしい。
おそらく我々日本人では感じ得ないのかも知れない。例えば、同じ日本人でありながら二つに分断されて異なる国家として、それ以上に全く相反する政治体制になった国があったとして、日本人はどう考えどう行動するだろうか。北朝鮮と韓国の今の状況を見るにつけ、底辺に流れる「グローバル感覚では理解できない、同胞意識」の要素は無視できないだろう。どう見ても北朝鮮の思うように操られているのではないかと疑問に思いながら、でもインタビューされる韓国の一般の人の意見にはやはり、「同じ言葉を話す民族に流れる感情」がある。。できることならこのまま文大統領の望むように、南北も、米朝も妥協点を見出して収まってくれれば最も良いのだけれど、これまでの歴史を思い出すと、韓国が巧く操られているようにしか見えない。たった一つでも良いから、北朝鮮がこれまでの歴史について「反省」のメッセージを出してくれれば大きく流れは変わると思うけれど。昨夜のオリンピックの入場行進を見ていると、国民レベルの雪解けなど簡単では?と思うが、そんな簡単な話ではない。やはりこれからどう動くか、心配でならない。折角、大物が韓国に入っているのだけれど。ゴルゴ13なら、今何が起こるのか。いつでも殺し合いになるはずの人達がにこやかに握手したり、語り合ったり・・・何ともスポーツ外交も理解できない。
文(ムン)新大統領の下での冬季オリンピックのスタートが近い。金正恩の新年の一言で、正に政治的オリンピックとなりそう。文大統領の親北路線が結実して、あたかもこれから統一機運が盛り上がるのでは、と思わせるような状況だが、日米の韓国不信感は強い。国連の立場で見ても、これまでどれだけ北朝鮮に裏切られ続けてきたか。それを思えば「北朝鮮に上手く利用されているオリンピック」と言えなくもない。我が国は韓国とは慰安婦問題をぶり返されこれまた不信感は強く、北とは拉致問題を抱えて信じることなどできない。勿論、理想的にこれをきっかけにして南北融和が始まり、例えば核、ミサイル開発を止めるなどというトレンドができれば言うことは無いのだろうが、北朝鮮はそんな気配など見せず、言わば「時間稼ぎ」に使っているようにしか見えない。オリンピック明けに、何が起ころうとしているのか、悪い方を考えると非常に怖い。嵐の前の静けさ、戦の前の平和、そうであって欲しくない。ただ、戦争になるにしても誰が先に、どんな戦を仕掛けるのか、世界の世論を味方に付けることだけを考えているとしか思えない。竹島まで含んだ統一旗を掲げて入場するのであれば、反韓機運を高めるだろう。日本の立ち位置も難しい。外交得意(好き)の安倍首相がどんな形でイニシアチブを取ろうとしているのか注視しよう。
今年初めての四国出張。1日は飛行機に乗った途端、「高松空港は濃霧のため場合によっては着陸できず羽田に戻る可能性」。でも快適なフライトで問題なし。全国各地は雪や寒さで大変。週末は西国三十三か所を少し頑張ろうと、一気に那智勝浦へ。西国一番の青岸渡寺までお参りしてきた。南紀白浜空港が思った以上に遠く、結局白浜に一泊することに。何とかこれも今年は結願したい。日本中荒れていたのに、南紀は、意外な程好天で那智の滝の景色を楽しむことができた。こんな旅を楽しめるのも四国のクライアントがあって、月に一度呼んでくれるからこその楽しみ。感謝しなくては。旅の途中で入った情報は、またまた現役の頃の先輩の訃報。84歳だったとか。この種のニュースが入るたびに、一日一日を大切に生きなくては、と心する。考えたり、書いたり、話したり、その一瞬一瞬が重要に思える。もう一度、今年の年賀状やクリスマスカードをめくって、久しくコンタクトのない人と会いたいなと思う時間である。
一昨日は、当方が会長を務める千葉エリアの、昨日は東京エリアのOB会の新年会。両方とも、意外な程盛会で、皆さん寒い中を押して参加する。やはり、人間は何らかの共通の話題をもった人間関係を大切にするのだと改めて認識する。昔、同じ釜の飯を食った仲間、その後輩たち、年齢の幅が広がってくると、新人(とは言ってももう高齢者だが)参入を紹介しても、共通の話題は減ってくるが、それでも双方の仲間や先輩の話をするとすぐに話は弾む。おそらくそれが、OBの集まりを盛んにしているのだろう。現役のリーダーが特別参加して、最近の企業情報などを紹介してくれると、羨ましがったり、気の毒がったり、同情したり、感心したり・・色んな表情で耳を澄ます。共通項は、自分が元居た企業、組織に対する誇り、良い状況であれば自分の事の様に喜ぶ。世の中の働き方や、サラリーマンの在り方もどんどん変わっていくようだが、「やりがい」を感じる仕事というのは時代が変わっても変わらないものなのだろう。千葉では参加者の年齢幅が93歳から、61歳と30年以上も差がある。大先輩に元気で長生きする方法の教えを乞うた。いつまでもこんな繋がりを保ちたいけれど、そうはいかない。それも感じさせる集まりだった。来年も出られると良いけれど。
トランプ大統領ならずともチョット問いたくなる。「地球は温暖化ではないの?」、そんな数日。今日はさいたまでは史上最低のマイナス9.8℃とか。自然は人類の生活をあざ笑っているのではないかと思ったりもする。昨日は夕方の散歩をしていて、何故か早い目に帰った方が良いかも、と思った。何となくキリキリとした寒さを感じた。カラカラの太平洋側だからこんなのんびりしたことを言っているけれど、雪国は相当大変そうだ。雪に懐かしさを感じる田舎者は、心の中で「たまには雪かきをするほど積もってよ」なんて思っているのだが、万が一本当に大雪でも降ろうものなら「早く除雪車を出動させてよ」と言うに決まっているのだが。日本という国は実に良い環境に位置している。こんなに小さな国なのに、その中で大きな気候変動がある。多分、それが日本の、日本人の、歴史を面白くする大きな要因なのでは、と常日頃思っている。忠臣蔵の討ち入りにも、桜田門外の変にも、雪の背景は必須。そんな感覚が、たまの積雪を期待する心に繋がるのだろうか。故郷を含め雪国の人には何となく申し訳ないのだけれど。
先週から大雪が来るとかなり脅かされていた。昨日、箱根に宿を取っていて、雪を恐れて、朝早い目に出発。丁度箱根に着くころに雪が降ってきた。これは予想通りで、助かった。加えて、なかなか当たらない箱根の雪を味わえた。今朝はゆっくり出れば大丈夫と思っていたが、神奈川・東京の雪は想像以上だった様で、小田原・厚木道路、東名などが軒並み通行止め。この辺りまではまだまだ呑気なものだった。問題は首都高、夕方が近づいて東名が開通しても、八王子バイパスも横浜横須賀道路も、そして首都高が全て通行止め。これには参った。国道1号線は、どこまで行っても大渋滞。結局、片道2.5時間の道のりを、帰りは計9時間。何とも痛い、首都の大雪だった。渋滞の中で感じたが、今の流通には業務用トラックの占めている割合がいかに多いか。周りはトラックばかり。最近のWebビジネスや、クイック宅配もこのトラック便に依存している。この大渋滞で思い知った。明日から寒波とか、当分ドライブはこりごりだ。
70歳を超すと余り聞きたい言葉ではないけれど、「世代交代」の波は誰にも止められない。特にスポーツの様に体力のインパクトが大きい分野は精神力だけではカバーできない。今日は、テレビを観るのが忙しかった。特に、全日本卓球。女子の伊藤対石川がぜひ見たくて、その後は男子の張本(14歳!!)の準決勝をみて、午後には男女の決勝戦。美宇−美誠対決を見て、その後は水谷−張本の世代交代戦を見て、久しぶりに興奮した。恐ろしいばかりの若者の台頭が進む。「最近の若者は・・・」というセリフを時々言ってしまうが、スポーツの世界のトッププレヤー達のインタビューのセリフには、負けたと思う。こりゃ次世代も安心だ、と思うことも多い。ただ、引っかかるのは、いずれも超エリート、決して平均的若者ではない。若者の間でも各種ギャップがどんどん広がっているとしたら、一部だけを見て世代交代は語れない。でも今日は圧倒された。張本の14歳日本一と、17歳同士の決勝戦。世代交代は誰がすぐにと望むわけではなく、でも順調に進んでいく。若いトッププロたちはどうすれば良いのか。まさか好敵手にドラッグをとは言わないと思うけれど。
初場所が始まる前から、「もうひと場所休場してからの方が」と思っていたが、出場を決めてからもやはりサンザン、良いところなしで休場に追い込まれた。期待も大きく、人気も絶大なだけに何とか出場して頑張る所を見せたいという義務感もあったのだろうが、何しろ若手が台頭して世代交代の流れ、しかも相撲界の色んな問題があったことも奏功してか、内容が厳しい。我々が望むのはこの中を突破できる強さ、なものだから、プレーヤーにはきつい。応援してきた稀勢の里、もしかしたら横綱になれない「悲劇の大関」のままで終わるのではと思っていたが、運よく昇進、その後奇跡的優勝。でもその代償は相当大きいようだ。何場所休場しても良いから、万全に戻して全勝優勝する位の奇跡を期待したい。必要なのは出直しの稽古と、メンタルトレーニング(彼なら座禅が良いか)。おそらく体力が120%戻っても、駄目だろう。これから「稀勢の里みたい」という言葉が、どんな時にどんな意味で使われるようになるか。興味深いし、良い意味を期待したい。しっかり休んで帰ってきて欲しい。
所謂統計で説明できないこともある。若い頃、不思議なことの一つとしていつも交通事故による死者の数を話題にしていた。話題のネタは、いつ1万人を超すか。だいたい11月終わりから12月になると、交通事故による死者の数が1万人を超えた。これは昨年より何日遅いかといったことがニュースになった。普通、交通事故数そのものが統計通りになる訳がない。ましてやそれによる死者の数が、統計にのって、昨年と比して数日早いとか遅いとかいうのが不思議で仕方なかった。ただ、技術革新による自動車の安全性の向上、人口の減少、高齢者の増加、厳しくなった法規制・・・色んな要因で事故件数が減り、加えてシートベルト、エアバッグなど、安全装置の向上が加わってか、死亡者数は激減した。一昨年は遂に4000人を切ったとか。これは、凄いことだ。なぜ、統計に乗るのかと不思議に思っていたが、まず減少トレンドができ、その減少傾向トレンドに乗って死者数も減ってきた。恐るべし、技術革新と人々の知恵。統計値に則った議論には、どの統計値に注目するのかという問題がある。メディアが提供するデータにも注目するべきだろう。でもこの交通事故死者の数の変遷は、技術者は技術者なりに、政治家は政治家なりに、頑張って対策を打ち出せば効果があることを現実に示した。統計トレンドと戦う方法はあるのだということを示してくれる。
今回のカヌー選手の同僚への妨害事件は寂しいし、怖い。小さい頃からエリートとして育てられてきた人の限界だろうか。それにしてもいわゆる「スポーツマン」の頂点のグループに居る人がそんなことをするか、という疑問と、そんな我々の知らない世界で育った人だからこその事件という見方もできるかも知れない。以前、米国のフィギュアスケート女子でも同じような事件があったが、本人は無関係となった。でも、「勝ち負け」のあるスポーツで、「オリンピック出場が夢」と思って生きてきた人達にとっては、我々の想像できない発想もあるのだろう。とことん突き詰めた時に人間は、常識で動いている時に考えられない発想でも許容するものなのかも知れない。我々でも、本心の奥底には、「これの為には何を犠牲にしても構わない」といった、究極の選択の誘惑があるように思える。でも相手を陥れるにしても、そんな単純な方法で、かつたった一人だけ狙い撃ちしたところで、他にも一杯相手がいただろうにと思う。「思いつめると世の中が狭くなる」、正にそれを地で行ったような事件だった。スポーツの第一線級にいつも憧れている「普通の人」にとっては、現実を突きつけられて、何とも寂しい事件である。
一国の政権交代って何なんだろう。新政権は旧政権の政治を否定するのだから、国際関係もチャラにして良いのか。それでは世界の中の独立国は皆、政権が変った途端に世界の中の約束事を保護にして良いのか。これはやはり困る。もしそれをするのなら国際連合を脱退すべきだろう。あの北朝鮮でもまだ国連には残っている。韓国政治の信頼性のなさは、相当酷くなっている。それ位国内世論が制御できなくなっていて、その世論に乗ってできた新政権は世論に従わざるを得ない。トランプの米国も見るからに危ういが、救いは周りに反トランプは沢山いるし、ブレーキ役が見えている。韓国にも慰安婦問題に決着をつけるべしとした勢力は(当然)いた訳だし、彼らもその時は国を率いていた。それが、いとも簡単に旗を翻し、果ては解決策さえ日本に頼るという。一方、世界が裏切られ続けてきた来た北朝鮮との国交回復がやれそうなことを言っている。それが出来るならやって欲しいが、少なくとも目の前で裏切られている日本人が信じるだろうか。世界に国の意向を示し、実行して見せることの難しさをもっと知るべきだ。何とも見ていられない今の韓国。サムスンに勤務してグローバル経済の中で戦っている人達は自分の国の在り方をどう思っているのだろうか。ぜひ聞いてみたい。現役の頃親しかったChoさん、Kimさん、Leeさん、教えてよ。
今年の新年は好天が続いた。元日の夕方、関西から到着する次男家族を迎えに行った帰り、大きくて明るい月が上った。2日も好天で、成田山初詣から帰った後、満月。美しいスーパームーンだった。新年早々に、大きくて明るい満月を楽しんだ。最も小さく見える時と比べて14%も大きく、30%以上も明るいらしい。月の軌道が楕円軌道であるが故の現象とのことだが、寒くて澄んだ空に大きな輝きが上ってくるのは幻想的でもあった。こんな時は理屈ではない、ただ単に「綺麗だ」と感じれれば良い。孫たちと見た美しい正月の満月は記憶に残るだろう。正月と好天と澄んだ空の組み合わせはそうそう無いかも知れない。70歳を超えた今、今年は歴史や自然を見る目を養う、時間をかけて見る、ことに徹したいと思う。その年のスタートとしては実に圧巻だった。写真に撮って残しておきたい、という代物ではない。頭の中に2018年(平成30年)の新年の思い出、として残れば良いであろう。
毎年の事だが、元旦の夕方家族が集まって、それに義妹家族3人を加えて、計14人の新年パーティー。翌日は全員で成田山に初詣、帰って再びパーティー。ビール50缶、日本酒2.5升、ワイン10本、驚くような空瓶が山になる。食料も山の様に食べて。昨日は、それぞれの家族が帰って行って、我々夫婦だけが残り、茫然。でも、今年もこれが出来て良かったと、快い疲労感。今年は二人ともに70歳、そろそろこんな大パーティーを催せなくなるのではないかという不安はある。でもそれは裏返して言えば、メンバー一人一人は大の大人になり、子供たちも成長することを示している訳で、これから先の新年の在り方も変わってくるだろうということでもある。とにかく、今年も嵐は去った。ゆっくり年賀状を整理したり分厚い元旦の新聞を広げたり、ニューイヤーコンサートのビデオを観たり、何もしない一日だった。今年のテーマは70歳。今後の10年をいかに生きるか、それを考える。とにかく健康で動けることが基本と思い知って、夕方には本年初のウオーキング、とても寒かったが、終わった後は大きな満足感。今年も生きるぞ、と。これも新年の一つの表現か。ビールと酒が美味かった。
平成30年が明けた。平成になった年(昭和64年)、若者たちと我が家で新年会を予定していて、昭和天皇が崩御され(1月7日)、さてどうしようかと迷った(結局は予定通り実施したが)ことを思い出す。それが30年前とは。「大人として生きた時代」が殆ど平成だった。これから平成時代はどう呼ばれるのか、日本史の中での位置づけが興味深い。今年はその最後の年となる。何とか平和であって欲しいとは思うが、戦後日本の幸運だった流れに疑問符がつく。経済だけでなく、世界の中での日本の在り方が政治の面でも問われる。力の均衡の中での平和がどこまで保てるかそれを問われている。一年前のトランプショックは予想通り世界を揺るがしている。その影響は今年も続くだろう。日本もますます独自性を問われる年になろう。そんな中での70歳の老人の生き方はどうあるべきか、単に呼吸を続けている生物であるだけでは駄目だと心する朝である。
徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い(2018年)
日付(18/12/30) 幸福感
日付(18/12/27) 世界がおかしい
日付(18/12/24) 我が家にアトムがやってきた
日付(18/12/19) 航空機整備場見学
日付(18/12/15) ネットショップ購買
日付(18/12/12) 大英帝国はどこへ?
日付(18/12/10) 昔の若者達と
日付(18/12/6) 別世界から解放
日付(18/12/3) 検査入院
日付(18/12/1) 予定表
日付(18/11/26) ゴーン元会長事件
日付(18/11/24) 2025年大阪万博決定
日付(18/11/20) NISSANゴーン会長逮捕
日付(18/11/18) スマートウオッチ
日付(18/11/15) 稀勢の里、無念
日付(18/11/12) 遼君どこへ?
日付(18/11/9) 病院とのお付き合い
日付(18/11/6) 米国中間選挙
日付(18/11/3) 熟年組の懇親会
日付(18/10/29) インタビュー(?)
日付(18/10/24) 公的健診
日付(18/10/20) 子育ての悩み
日付(18/10/17) 年齢を感じる時
日付(18/10/15) 高校同期会千秋楽
日付(18/10/12) 安倍改造内閣
日付(18/10/7) 土浦花火大会
日付(18/10/2) がん免疫療法
日付(18/9/30) 台風騒ぎの中で
日付(18/9/25) 雨の信州
日付(18/9/20) 安倍3選
日付(18/9/17) 自民総裁選
日付(18/9/14) 同期会
日付(18/9/10) 大相撲始まる
日付(18/9/7) 止まらない自然災害
日付(18/9/4) 台風の中の名古屋日帰り
日付(18/9/1) サービス業も競争
日付(18/8/30) 記憶力
日付(18/8/28) ナント、ゴルフで優勝
日付(18/8/25) どうなるこれからの世界
日付(18/8/22) 今年もPC教室
日付(18/8/19) メディアの力
日付(18/8/16) 平成の終戦記念日
日付(18/8/13) お盆はやはりお墓と故郷
日付(18/8/9) 核を考える季節
日付(18/8/7) 変化の激しい時代に
日付(18/8/5) 「青春時代」の様に
日付(18/8/2) フレイル
日付(18/7/31) 台風12号
日付(18/7/28) コンサル仲間と
日付(18/7/26) 世界を見ていると
日付(18/7/23) やはり人類社会も有限か
日付(18/7/20) 何かが起こる?
日付(18/7/16) 浅草って日本??
日付(18/7/13) 朝、目覚めて
日付(18/7/10) 孤独な社会
日付(18/7/7) 自然の猛威
日付(18/7/4) サッカーWCベルギー戦
日付(18/7/2) 上醍醐寺
日付(18/6/28) OB会で感じたこと
日付(18/6/26) サービスの競争
日付(18/6/23) 沖縄慰霊の日
日付(18/6/20) ロシアワールドカップ初戦
日付(18/6/18) 不思議な腹痛
日付(18/6/15) 梅雨空が続いて
日付(18/6/12) 米朝会議の後で
日付(18/6/10) 米朝会議の前に
日付(18/6/8) お墓参り
日付(18/6/5) お爺さん達の潮干狩
日付(18/6/4) 古稀祝い
日付(18/5/31) スポーツビジネス
日付(18/5/29) サンライズ瀬戸
日付(18/5/27) もしかしたら
日付(18/5/26) 半世紀ぶりの再会
日付(18/5/21) 扇風機
日付(18/5/18) 幹事バス旅行
日付(18/5/14) 夏場所はじまる
日付(18/5/11) トランプ政治が信頼できるか
日付(18/5/8) 不思議な高揚感
日付(18/5/6) ゴールデンウイーク後半
日付(18/5/2) 整形外科と医学の進歩
日付(18/4/30) ゴールデンウイーク前半
日付(18/4/25) 国会空転
日付(18/4/21) 地下神殿
日付(18/4/18) このイライラは何?
日付(18/4/15) 人生100歳時代
日付(18/4/2) 今、政治を動かしているのは?
日付(18/4/9) 大谷二刀流
日付(18/4/7) スマホを持たずに
日付(18/4/4) 春の甲子園終わる
日付(18/4/1) 営業勉強会と花見弁当
日付(18/3/28) 金正恩訪中
日付(18/3/26) サクラがサイタ
日付(18/3/23) マイクロファイバーカメラ
日付(18/3/19) 葬儀のありかた
日付(18/3/16) 自然治癒
日付(18/3/13) 民主主義の危機
日付(18/3/10) どうなる?朝鮮半島
日付(18/3/7) 今年の安政柑収穫祭旅行
日付(18/2/28) これからの団塊世代
日付(18/2/25) 「そだね」
日付(18/2/22) 働き方改革
日付(18/2/19) 天才
日付(18/2/17) 男子フィギュア
日付(18/2/16) フィギュアショートプログラム
日付(18/2/13) 誰が世界の経済を動かしているのか
日付(18/2/10) 相手の気持ちになれば
日付(18/2/7) 平昌オリンピック開幕近し
日付(18/2/5) 早くも2月
日付(18/1/31) OBの新年会
日付(18/1/26) 厳寒が続く
日付(18/1/23) 久々の大雪
日付(18/1/21) 世代交代
日付(18/1/19) 稀勢の里、また休場
日付(18/1/15) 交通事故死者
日付(18/1/12) 本心の奥底
日付(18/1/10) 韓国世論
日付(18/1/7) スーパームーン
日付(18/1/4) 嵐が去って
日付(18/1/1) 新しい朝に
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