徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い (2016年)

 

    日付(16/12/30) システムノートのレフィル

25年以上前から、手帳は持たず、A5版の所謂「システムノート」を使い続けた。米国人に紹介してもらったこともあって、日本では少ない7穴バージョン。現役の頃は出張する度に各種レフィル(交換ページ)を買うのを楽しみ、年に一回は翌年の月毎のカレンダーと日記レフィルを買っていた。リタイアしても持ち歩きはしないが、机の上にどんと陣取り、月の予定や、日にちごとのメモをしている。日記ページは現役時代は一日一ページだったが今は一週間2ページとしている。このタイプのレフィルは米国で買って一年分約$30、日本の6穴タイプだと5000円位はかかる。そこでリタイアと共に、自分で作ることにした。エクセルを駆使するのだが、これがなかなか難しい、各ページに月を入れ、月〜水曜の3日分と木〜日曜の4日分を印刷する。それをA4の両面印刷で行い、カッターで半分に切り、最後に7穴パンチで穴を空ける。例えば来年の1月であれば、左が5〜8日右が16〜18日、裏面は左が12〜15日で右が9〜11日。この1枚で5日から18日分が揃う。これを1年分準備するのだが、毎年間違い連発。最大の理由は、祝祭日。この日の期日と曜日は赤に変える。これはエクセルに自動的にやらすのは難しい。と言う訳で、毎年パズルでもやるようなつもりでやっている。今日も昨年より間違いを減らそうとスタートしたが、何枚も失敗した。最後は「やはり老化現象が始まったのかな」とやや自己嫌悪。でも、何とか2017年レフィルができた。来年のこの頃、相変わらずこの作業をやっていたいものだと思いながら。

    日付(16/12/28) 安倍総理とオバマ大統領の真珠湾訪問

20年近く前だが米国からの帰りにハワイに寄って自由時間を過ごしたことがある。レンタカーを借りて自由に走り回った。真珠湾のアリゾナ記念館にも行って、日本人観光客の少なさに驚いた。ツアー客ももっと来ればよいのにと思った。そのまた昔のサイパン島も、バンザイ岬の辺りは観光客が少なかったことも思い出す。政治色も、戦略も、色んな要素はあるのだろうが、今回の様なイベントは無条件に賛成する。BS放送で海外諸国のニュースをみても皆トップで採り上げていた。政治はこれで良いと思う。これからトランプ大統領になっても、信念さえ変えなければ害にはならない。世界の歴史を見ても誰もが戦争をしたくてやっている訳ではない。それでも「やらねばならない」状況になって始まっている。日本の「不戦の誓い」は素晴らしいし、それをキープする術は追求し続ける必要はある。でも国連軍だって「平和のために、でも戦っている」。これまでの日本の不戦の誓いが守れた背景の米国の力は忘れてはならない。トランプ政権でその色合いが変わった時、いかに「不戦」を守るか。究極の「右の頬を打たれたら左の頬を出す」というほどの心構えになれるかどうか。おそらく、ここ1〜2年の間に突きつけられる難題かもしれない。安倍総理良くやったし良く言った。でも難題はすぐに来る。

    日付(16/12/25) 瀬戸大橋

本年最後の四国出張は三連休に当たり、余計な計画はせず高松連泊で昨日帰ってきた。とはいうものの、昨日の朝は瀬戸内海が青く輝く好天。こりゃこのまま飛行場は勿体ないと、大急ぎでネットに入り数時間の過ごし方を検討。朝食が済んだらすぐにチェックアウト。バッグだけ預けて電車で坂出に向かった。瀬戸大橋は何度も電車や車で渡ったが、じっくり見たことはなかった。坂出から東山魁夷せとうち美術館へ。ここが素晴らしい。京都の四季を描いた作品が展示されていて、近づいたり離れたり。その時の見学者は当方のみ。こんな贅沢があろうか。中には景色の美しいカフェがあってゆっくりカフェオレを味わった。ここも一人だけ。県立の美術館だが、65歳以上は入館無料とあって、申し訳ない位だった。その後は、ゆっくり歩いて瀬戸大橋記念館へ。これまた素晴らしい展示だったが、ふと見れば帰りの飛行機が危なくなる。見学は次回に残し展望台(屋上)に。ここから見た大橋は実に圧巻。自然に対する人間の挑戦の一端をみた思いだった。瀬戸内海は大小の碧の島々が蒼い海に乗っかり、それだけで自然の芸術。それを白色のアームが繋いでいる。東山魁夷の芸術を見た後だけに余計にこの建築物の美も印象に残った。僅か数時間の寄り道。実に価値があった。

    日付(16/12/20) オスプレイ不時着(墜落)

沖縄のオスプレイの事故が不時着か墜落かで揉めている。この事故に対するメディアの扱いが全く理解できない。海兵隊のリーダーのインタビューも徹底的に攻撃されている。パイロットは普天間に向かえば惨事になり得ると考え、自ら海を選んだ。機体はバラバラになったが本人は助かった。この判断は称賛されるべきだろう。それがメディア挙げての攻撃材料になっている。しかも今回は(報道だけだが)空中給油の際のホースがプロペラを壊したのが主因だとか、なぜそれがオスプレー反対になるのか。子供の頃から飛行機が滑走なしでヘリコプターの様にフワッと浮き上がってそのままスタートできたらすごい技術だと思っていた。オスプレイはそれを現実のものにした。これはどの国だって喉から手が出るほど欲しい技術だろう。歴史をさかのぼれば、海上を渡る技術、空を飛ぶ技術、宇宙に飛ぶ技術、多くの運輸技術が発明され、発展する度に人類は犠牲を払ってきた。犠牲は最小限にする努力は必要だが、ゼロにはできない。墜落の危険、大きな騒音など、まだまだ未完成なのかも知れないけれど、そんな新技術まで拒否すれば、トランプの言う「だったら自分で守れ」という声は益々大きくなるだろう。「平和憲法」さえあれば、平和は守れるのか。単純な疑問に戻ってくる。来年以降の安保問題が懸念される。

    日付(16/12/17) 駐車違反

息子夫妻に半日孫達を見て欲しいと頼まれ、久し振りに孫達と遊んだ。子供たちの成長には毎回驚く。さて、家内が余計な気を使い迎えに来る息子たちの為に表の駐車場を空け、我が家の車は裏(表か?)の道に路上駐車。後で取りに行ったら黄色のラベル。駐車違反のキップ。何と止めてから一時間半後に切られたようだ。当方、2006年の交通法改正の認識もなく駐禁は必ず一度マークされて一定時間後に再チェックがあってなどと思っていた。調べてみると今は運転手が戻れない状態であれば、数分でも駐車違反とのことだ。何故我が家の裏通りが駐車禁止なのか良く分からない。団地のメイン道路でもなく、両側に3つも歩道があって、その一つに乗り上げておけばそんなに交通の妨げにはならないのに・・・などと不満を言っても仕方ない。違法は違法。これで15000円の罰金だって。余り罪の意識はなく、「誰かが電話したのかな・・」なんて、よからぬ方向へ意識が行く。結局、これから注意するしかないか、で終わった。一度位はこの目に会うのは普通、などと慰めても後味の良くない夕方。

    日付(16/12/14) クリスマスカード

米国駐在から帰ってからも、現役の時は出さなかったが、完全リタイアして以降、この時期にはクリスマスカードとA4一枚の一年の報告(annual report)を送っている。とは言っても、ビジネスで付き合った人達の中で特に個人的にも親しかった人達と、日本人駐在員でその後もずっと残留している家族だけなので、今や20人足らず。でも駐在時代の生活を思い出しながら今の自分を紹介するのは楽しい。年に一度の英文レポートで、「通じれば良い」と居直っている。あれ程英語で痛い目に会ったのに、結局大して進歩することなく終わってしまった。もう少しあの時努力していれば、と思うけれどあとの祭り。ただ、こうして10人そこそこだが残っている外国人の友人に便りする時は、この人達は当方の言葉を理解してくれたよな、と期待している。習った訳ではないが、色んな人と付き合ったおかげで、Merry Christmasとは書かない。日本で売られているカードもちゃんとSeason's Greetingカードとなっている。帰国して20年、リタイアしてもうすぐ7年。英語からの距離もどんどん遠くなってきた。このAnnual Reportを読んで解ってくれるかなと心配しながら封をした。毎年のことで、これも一つの我が人生のレガシーである。

    日付(16/12/11) 死亡記事欄

正しくはどういうのか知らないけれど、新聞の死亡者を紹介する3面記事の下の方にある欄。昔からずっと見ていた。知っている人の名が突然出るなどということはそれほどある訳ではない、何らかの関係あった人なら、新聞に載る前に知っているし、有名人の場合などはこの欄より早くニュースになる。それでも、若い頃からこの欄は見ていた。何故か理由は良く分からない。どんな人が、何歳で、どんな理由で亡くなったのか、ついつい見てしまう。昔はまず自分の知っている有名人が生きているのかもう亡くなったのか位は知っておきたい程度の興味だったが、だんだん歳を取ってくるに従い、何歳でのみならず、どんな病気でというのも興味が出てくる。今や古稀と言っても全く稀ではない。生きていて普通の年齢。平均余命もどんどん増えている。そんなことを思いながらこの欄を見ると、やはり社会常識・平均の話と個々の人生には差がある。若くして亡くなっている人も多いし、「昔の」有名人が100歳前後まで生きているケースも多い。やはり、一人の人生は一つなのだと納得することも多い。都会で知った顔と会うことなんてほとんどないのと同じで、一人一人基準で考えれば、夫々の年齢、夫々の理由で去っていく。最後の残された(自分ではどうしようもない)個人の運命なのだなと思う。こればかりはあがけない。人間である証拠か。

    日付(16/12/7) グローバル化が止まる?

世界に保護主義の流れができてグローバリゼーション見直しの論調もある。でも、今年の訪日外国人はいよいよ2000万人を突破するとか。日本経済にとっても無くてはならない観光収入をもたらしている。大騒ぎした「爆買い」のトレンドも少しづつ変わってきて、最近は日本人も行かないような田舎を訪問し、日本文化を楽しむ外国人が増えているそうだ。当方が訪問している寺寺でも、多くの外国人を見かける。彼らに言わせれば、なぜ日本人はこんな素晴らしい日本文化をもっと誇りにして大切にしないのかという疑問もあるのだろう。どんなに世界がグローバリゼーションにブレーキをかけ、自国優先の政策を打ち出したとしても、日本は「鎖国政治」は不可能だ。米国や中国などは、やる気になれば不可能ではないだろう。日本はもっともっと国を開かねばならないし、それは即ちもう一方で、「日本の大切な物」を売りにすることでもある。資源をみても、食物をみても、人口をみても最も鎖国に適さない国なのだから。

    日付(16/12/4) 動くトランプ氏

今日の世界の政治経済を揺るがしているのは間違いなく来年以降の米国。トランプ次期大統領の一挙手一投足が報道され、株価に為替に影響している。次期政権の人事は凄い。穏やかに周囲を見ながらの新政権かと思いきや、元軍人のリーダーや、過激な発言をした人達も選任されているようだ。政治は決して経済と軍事だけではないが、この二つの影響は大きい。民主主義下の選挙で選任されたということはやはり大きな免罪符を手にしたことであって、逆に選挙中に公約したことは守らないと裏切ったことにになる。早くも政策予測でドルがどんどん強くなり、株価も上昇しているが、決して実際に何かの変化が始まったわけではない。米中関係も変化させようというのか、台湾とのコンタクトも始めたようだ。イギリス・フランス・ドイツ・韓国・中国・台湾・フィリピン・ミャンマー・インドネシア・・・多くの国々が変化の真っ只中にある。来る2017年がどんな年になるのか予想だにできない。当方が予想するに、おそらく若い世代に自分たちの将来の望ましい在り方を問う年になるのではないか。もう我々世代をマジョリティーという名で頼っていてはならなくなる。「良いとこ取り」の限界が近づいているということだろう。それをあえて考えさせるのがトランプ新大統領なのかも知れない。今でも、テレビでも新聞でも「この人を大統領にしてはいけなかった」という意見が堂々と述べられている。今回は明らかに米国メディアの大敗北だと思うのに・・・。

    日付(16/12/1) どこまで逆らうか

先日、69歳の誕生日を迎えた。出張中に孫たちが電話をくれた。「おじいちゃん、お誕生日おめでとう!」。元気な声を聞けて嬉しいのだけれど、おめでたいかなと思う。日曜には3男家族が来てくれて、これまた「祝ってくれる」、お祝いには高級ビールを貰い、孫たちと遊べてこれまた満足。でも、本心は辛い。こうして順調に年老いていくのをどう自分の中で消化していくか。徹底的に逆らって、歳をとらない、とろうとしない。老人になったら敗けと認識して何でも頑張ねばと思う。一方、歳相応に振る舞って、老いていくことを運命として受け入れる。誰だって年老い、誰だって死ぬのだから、自然の変化として受け入れるという考え方も真理だ。おそらく、科学や医学が発達するまでは、後者しかなかったのだろうが、最近は前者の「逆らう、足掻く」術が大手を振るっている。これに従ってしまうと、何もかも失っても「生かされてしまう」恐れさえある。いつの間にか視力が落ちてきた、歯医者通いも日常に、そうして物忘れも激しい。パソコンのタイプミスも多い。こんなことがある度に、「いかに逆らうか」ばかり考えている。当然なことだとは思うけれど、時々これは逆らってはいけないのでは、と思うことが増えてきた。「自然に逆らわないで生きる」という考えも、「精一杯生きる」一つの姿なのかも知れないと思う機会が多い。

    日付(16/11/28) 荒れる韓国

いよいよ大統領弾劾か。今週の韓国で何が起ころうとしているのか。朴槿恵大統領は結局大統領として訪日しないままで終わるのか。就任した時の感じは非常に良かった。プライベートも全て政治に捧げるという姿勢も好感が持てた。親中、反日の姿勢が強硬になったあたりから疑問は感じていたが、「おそらくこの人は最終的には親日」だとばかり思っていた。血統から見ても本当に金目当ての悪事を働いたとは思えないが、事実なのだろうか。でも韓国の人々の怒り、5%以下の支持率など向かい風は強烈である。心底サポートしてきた人達がこれほど少ないとは驚く。この国も大統領権限が非常に大きい。ただこれまでの大統領も任期切れの頃には不遇だった。孤独な最高司令官にはついつい宗教や、占いなどに頼りたい気持ちが出てくるのだろうか。女性だからという要素を全く取り除いても何故か理解できない疑問が残る。日本にとって重要な隣国がこれからどう動いていくのか目が離せない。

    日付(16/11/26) 思い付きの寄り道

今月も四国出張の帰りに西国三十三ヶ所巡りを一つでも、と大阪に立ち寄った。二寺お参りを考えていたが、下調べ不十分で、播州清水寺に行くバスに乗れず、中山寺のみとなった。学生時代に聞いてはいた有名な寺だったが、行ったことはなかった。今日は七五三で賑わっていた。さて、終わった後、帰りの飛行機にはまだまだ時間がある。ふと思いついたのは母校(大学)への寄り道。もう何年も降りたことのない駅に降り立ち、懐かしいキャンパスを散歩した。多くの新しい建物が建ち、当方が居た頃の40年以上前の姿を探すのも難しい。でも、若者の姿を見ながら想い出散歩をしただけで、あの時代にタイムスリップ。ことのついでに学生食堂にまで入って、370円のカレーライスを楽しんだ。こんなお爺さんが紛れ込んでいでも、学生たちは気にも留めない。座っているだけで若返った。研究に明け暮れた日々、学生運動激しき頃、機動隊導入、研究室で逆封鎖・・・色んなことがあった。住んでいた近くの下宿跡も探したが、どうも見つからず。わずか一時間の寄り道だったが、一生覚えていそうな・・・青春を呼び起こした時間だった。

    日付(16/11/23) ちょっと遅れの七五三

三男は当方にとっては初めての「共稼ぎ」夫婦。共に教師なので、おそらく世の中の共稼ぎの中でのやり易い典型だと思うが、そうは言ってもこの四月に義娘が長い産休が終わって現役に復帰してからは、毎日戦場という位に家族で頑張っている。心配していた孫たちも、いつの間にか保育園生活に慣れてきて、すくすくと成長していることを見せてくれる。今日は、上の孫の5歳と、下の孫娘の3歳の七五三のお参り。孫たちが順調に健康に成長していることを見せて貰った。息子曰く、「その分周りは歳とっているんだよね」。まさにその通り、順番で言えばこの家族にとって、次の一大イベントは我々の葬儀なのかもしれない。「順番通り」ならこれ程幸せなことは無い訳で、必要以上に足掻いてはいけないということなのだなと自分に言い聞かせる。でもこの種の「家族が集う」機会というのは、今の様な核家族の時代には本当に重要だなと思う。皆で神社にお参りしてお祓いして貰って、今日までの無事に感謝し、これからの幸せを祈るのは、心の平穏に寄与すると思う。我が家に帰って祝杯を挙げて、また一つのステップが過ぎたことに感謝する。

    日付(16/11/20) 喪中葉書

毎年、この季節になると、喪中葉書が届く。我々の世代の多くの人が親の介護をしているようで、言わばその最後の連絡か。当方の様に双方の両親を早い目に送った人はその話には積極的は乗れない。今は老人も元気で寿命も延びているが、やはりどこかで誰かの世話にならざるを得ない。流石に最後の段階は誰もが大変な様だから、喪中葉書を読むとお悔みの気持ちと共に「ご苦労様でした」と慰労の気持ちも感じる。今や、関心は自分達のことに移ってきている。さて、今年は当方も三兄が逝った。喪中葉書についても考える。いろいろ調べると、常識は2親等が亡くなった時までが服喪の常識だとか。でも、今家族関係も希薄になっているのと、年賀状を貰う立場で考えると、会ったこともなく、全く知らない人が亡くなったと聞いても余り感じることもなく、「大変だったんだろうな」と同情するのが精一杯。そんなこともあって、当方は父母が亡くなった年のみ喪中葉書を出した。それで失礼と言われたこともない。年賀状を交わすだけの関係の知人も増えてきているが、年賀状にしろ、喪中葉書にしろ、新しい年を迎える時の、捨て難い良い習慣だと思う。年に一回その人を思い出し、「どうしているかな、元気かな」と思う。何かの機会に何年振りかに会うと、やはりいつも会っているかのように心が開ける。喪中葉書を受け取っても、多くの想い出が蘇る。そして同時に「年の瀬」を感じる。こうして、また一年。

    日付(16/11/17) 誰にも見えない

トランプ次期大統領が決まって、何が起こるかと世界が身構えている。選挙中の発言を聞いていれば当然のことだが、民主主義の国米国で、「当選」したのだからそんなに無茶苦茶は無いのでは、と期待する。決まった途端円高、株安になったと思ったら、何とどんどんドル高に振れ、株も高騰し始めた。ここまでくると素人では何が起こっているのか説明がつかない。ただ、「米国経済が強くなるのでは」という期待の表れなのだろう。来年以降、米国が強くなればそれに連れて日本も、とは行かなくなるような気はするが。今日から安倍首相がトランプ会談。彼にとって最初のトップ会談になる。「様子見の日本政府」にしてみればよくぞ、と驚かされた。トランプ外交がどうなるのか、さすがに世界の眼が注がれる。これからの2〜3か月は何が起こるか予想がつかない。自分の生活にも懐にも関係ないと思ってみていれば歴史小説を読むような楽しさがあるが、どうもそうとばかりは言ってはおられないような予感がする。安倍内閣も広くて長い視野が問われる。毎日のニュースが気になる。

    日付(16/11/14) 今秋もパソコン教室

昨日から、今年も秋のパソコン教室が始まった。振り返ってみるとリタイアして間もなく、「何かできないか」と考えていた頃、市の「まちのせんせい」に応募、「初心者の先生位なら・・」とパソコンで登録して貰い、すぐに市の教室のお手伝いをすることになった。いつの間にか講師をするようになって、もう5年目。ここ3年は11月12月の日曜に実施。新たな刺激を貰っている。はじめは「乗り遅れた熟年」を対象にしていて、ローマ字入力もままならない人達が多かったけれど、今や、ワード、エクセル、そしてパワーポイントまで、多くの人達がもっともっとと向上心旺盛。こちらがついていくのが大変。でも、「昨年受講したけれどもう一回やりたい」「次のステップをやってみたい」などとリピーターも含め、見たことのある顔に会ってみると、その人達の「ヤル気」に却って圧倒される。殆どは熟年なのだが、こちらが「こう歳を取りたい」と思わせてもらう。老人でも心次第で眼が輝く、そう思う教室のスタートである。

    日付(16/11/12) 秋のゴルフ観戦

トランプ効果が気になりながら、でも自分自身の生活とは大きく関係しないこともあって、今年も御殿場の「太平洋クラブマスターズ」に合わせて山梨にドライブ。紅葉や、富士山を楽しんで来た。今日はゴルフ観戦。明日から市のPC教室が始まるものだから、最終日は見れなくなった。今日は「世界の松山」の圧巻ゴルフを見てきた。今日の段階で上位8人中、日本人はトップ松山と4位タイの宮里のみ、あとは韓国勢がズラリ。でも松山は別格の強さ、明日も問題ないだろう。この試合は何年か前に「遼君の応援」で行って、年に1回の行事になった。ハイレベルの男子プロのプレーを見ても、下手ゴルフには何の参考にもならないが、重圧と戦う若者たちを見ると誰をも応援したくなる。このスポーツは、結局自分との戦いなので一挙手一投足を見ているだけで緊張し、面白い。「ゴルフがプレー出来るだけで嬉しくて」などという遊びのプレーヤーはダメだと言われるかも知れないが、それはそれで、違った世界の話だ。観戦は楽しい。来年以降も来れるだろうか、と当方の関心はそこに移る。心地よい、運転疲れの中で・・。

    日付(16/11/9) 世界の大変化が

そうは言いながら、結局僅差でクリントンと思っていた大統領選挙。でも本当にトランプ氏が当選してしまった。これは驚き。英国のEU離脱決定の時よりショックは大きい。おそらく、どの国よりも我が国への影響が大きいのではないかと予想する。何故なら彼の最大の支持者、支持基盤である人達や地域にとって、おそらく日本はある種「許せない国」と思われているのではないかと思うから。強い米国から最初に製造業を奪ってしまったのは我が国だったから。いよいよ日本も真剣に、日米同盟依存政治だけではやって行けなくなるかも知れない。おそらくTPPも棚上げになるだろう、輸出依存の日本経済はどうなっていくのか。対露、対中をもっと真剣に考えなければならないだろうが、安保面での自立を先にやらねばならないとすれば、「経済大国の一つ」などと言ってはいられなくなるかも知れない。今後4年は大きな変化の時期になりそうに思う。どーんと重い不安を感じる新大統領の誕生である。

    日付(16/11/6) トランプ現象

アメリカの大統領選挙がいよいよ近づいてきた。誰もが、そんなこと言ってもトランプはないよね、と思っていたのに、どんな逆風が吹こうと安定して支持を集めてきた。流れを見ると先の英国の脱EUの選挙の流れに似ている。色んなテレビ番組が、トランプ現象を採り上げている。キーは白人の低所得者層にあるらしい。テレビ番組の特集を見ると、トランプ自身の良し悪しではなく、トランプ支持層の高まりは、米国の「触れたくない現実」そのものの様だ。本質的な不満層が手を挙げている。民主党の代表選挙のサンダース現象との共通点も多い。キーはナショナリズムに行き着く。反グローバリゼーションである。「豊かな米国」、「世界の警察官の米国」が消えていき、まず国内を何とかしろと求められると、米国大統領も難しい。当方など、結局は米国頼りの日本の将来、と信じ込んでいるだけに、それが無くなるかも知れないと言われると、安全保障から経済に至るまで、大前提が狂ってくるように思える。初めて訪れた時に感じた米国の圧倒的豊かさが変貌していくのだろうか。それがわずかな成功者だけに偏ってしまっているということなら、やはり少し方向転換はして欲しい。トランプ現象は、そんな所に落ち着く様に思える。あと2〜3日、何とも恐ろしい波を思わせる情勢である。

    日付(16/11/3) 勝手幹事

現役の頃は、先輩役員との懇親会に良く出席したものだったが、当方がリタイアして後、そんな催しもなくなり、逆に当方がしゃしゃり出て、OB会形式で集まっている。もう今年で6回目になった。昨夜も20人以上が集まり、今年は現役の経営陣も多く参加してくれて盛り上がった。卒業生が母校を懐かしむ心境だと表現するのだが、やはり自分たちが所属、ある時期リードした企業の状況は非常に興味ある。昨夜はその現状を聞いて、ますます厳しくなっていくのだなと同情した。メンバーも疑いなく1歳づつ年齢を加えているのだが、出席している人は余り変りもなく元気。毎年近況報告を聞くだけなのだが、嬉しく楽しい。いつまで続くのか知らないけれど、当方が元気である内はボランティアで幹事をするのも悪くないな、と例年の様に思って終わった。皆、楽しみにされている様で、喜んで貰えるだけでハッピーである。また、一年経った。

    日付(16/10/30) 急激に冬が

心地よい秋はどこへやら、ちょっと曇って小雨が降ったと思ったらもう最高気温も20℃を越さなくなり、最低も10℃前後の寒さに。ファンヒーター用灯油がどうの、床暖のスイッチがどうの、この間まで冷房に使っていたエアコンのフィルターを清掃して、今度は暖房に。いやはや気温に振り回される生活である。今年の春から在庫になっていた灯油をチェックすると、ポリタンクが相当古くなっていて、蓋がバリッと割れた。確かに10年以上も使用している。こうして季節が変わる毎に、色んな機器のライフも近づいている気がする。人間だって、ライフが近いのだろう。こうして寒くなると、眼、腰、足、歯・・・次々と要チェックが入る。マイナス思考にならないよう、紅葉を楽しみ、果物を楽しむ。「川の流れの様に」である。今年も又、チャンチャンコの出番だ。

    日付(16/10/26) 「正しい」と「人気」

フィリピンのドゥテルテ大統領が来日、ここの所の対米発言や親中発言などはどう治めるのか、と思わせる様な親日ぶり。メディアからのみの情報だが、国内の人気は凄まじい様だし、出身地域での実績も素晴らしい様で、何故そんなに人気があるのかという理由も頷ける部分が多い様だ。でも、おそらく歴史に残る独裁者の魅力というのは皆、そんなスタートだったのではないか。苦しい時ほど分かり易さを求める。自由の中の平等の難しさと同じで、多数決の矛盾ともつながる。フィリピンでは麻薬常用者が自分から進んで刑務所に入るのを希望しているとか。ある意味ではこんなリーダーでないとできないドラスティックな政治である。でもそれが正しいかと言われてすぐに頷くのはどうもできない。人気があるからと言って、正しい政治とは言えない。さて、日本はこんな扱いにくいリーダーとどう折り合いをつけるか、知恵の見せどころではある。何を「正しい」と思うかを問われているともいえる。

    日付(16/10/23) グローバリゼーションは悪か

最近グローバル化の旗色が悪い。欧米の保守主義のトレンドには何となくわかる気がする部分もある。でも、日本はどうか。戦後、日本が急速に復興し、一時期「Japan as No.1」ともてはやされるまでに至ったのは、敗戦国として甘い条件の中で、軍備にお金を使う必要もなく、実は進んだグローバリゼーションを巧く利用したからではないか。日本経済にとって世界のマーケットが無かったら、こんな「いつまでも今日でいたい」と言えるような今はあり得なかった。今、安倍政権があんなにスタートは遅かったのに、肝心の米国もあやふやなのに、TPP承認を急ぐのは、この保守の機運を止めたいからだろう。まだ分かっていない人がいるのだなと思うのは、日本経済にとって世界のマーケットが無くなったら、全国民が鎖国状態に戻って、自給自足の生活を志向せねばならなくなるということ。それでも良い、という人こそが反対運動をすべきである。残り少ない人生を考える当方などは、そんな時代に戻るのも悪くないな、とも思う気持ちもあるが、野菜一つ作れもしないのに、と言われるとぐうの音もでない。日本も良いとこどりだけでは生きていけなくなるということだ。

    日付(16/10/21) 鳥取に地震

久しぶりに「家に居て欲しくない日」とかで、またまたのんびり出かけて、まずは映画館、観たかった「ハドソン川の奇跡」で感動。そんな事件があったことはうっすらとは覚えているけれど、こんなストーリーは知らなかった。死亡者がない故のハッピーエンドで、心地よい後味だった。何となく「人間って良いな」と。車に乗った途端、「鳥取に地震」のニュース。駐車場で姉に電話、「今回はちょっと揺れた」程度の感想で安心。鳥取近辺の知人に電話しようとするが全く繋がらず。でもニュースの方が安心させてくれる。かなり広域の震度4以上。でも被害は思ったより小さい。死亡者や、重症の人がいなくて良かった。当方がいつも言う「生かされている」論は、場所を選ばない。おそらくどこに逃げてもダメだと思う。ハドソン川の奇跡の機長は自分の出来ることを精一杯やった。その裏に素晴らしい能力があった。でも助かった人々はあくまで「生かされた」。それ以外に表現のしようはない。夕方帰宅して知人達と連絡が取れ、無事に安心した。みんな生かされていて良かった。いろいろ考えさせられた日。

    日付(16/10/19) 故郷(ふるさと)の話

NHK-BSの「にっぽん縦断−こころ旅」という番組があって、火野正平が自転車で日本各地を紹介している。この番組が山陰に入り、昨日から鳥取県。昨日は「若桜町」、今日は「智頭町」。先日、東京で高校の同窓会があったこともあって、早い目に情報が入り、しっかり見た。朝は15分版、夕方は30分版、やはり出てくる景色や話題が分かるだけについつい見入る。今日の智頭町など、高3の時に一時住んだ家のあったエリアや、子供の頃父が勤務した学校のエリアなど、身近だった。緑の山々の中の田舎の景色だが、どんどん住人が減っていって・・なんだか寂しい。よし、それなら俺が帰って・・とも言えない。丁度時期を同じくして、智頭町がニュースに。町おこしで進めてきた「産業用大麻」の旗振り役が、本物の麻薬大麻の所持で逮捕された。全国的に大きく扱われている。町長は(直接関係ないのに)産業用ももうやら(せ)ないと宣言した。これまた寂しいニュースである。我々の世代で「故郷を捨てた(捨てざるを得なかった)」人間が、おそらく今こそ懐かしく思っている。こんな番組やニュースには敏感に反応している。この望郷の念は、何の力にもならないものだろうか。今夏ドライブした景色が蘇ってくる。

    日付(16/10/16) YRP(横須賀リサーチパーク)

去る金曜日、いつものコンサル仲間で、YRPを見学した。三浦半島の、久里浜よりやや南、こんな所にこんな研究都市があろうとは、全く知らなかった。そもそもは日本電信電話公社の研究所があった場所で、その後京急が力を入れて開発、今や情報通信分野のメッカになっているらしい。情報通信関係の企業や大学が研究所を持ち、研究者を派遣し、将来のICTを研究している。DoCoMoのR&Dセンターや国立の研究開発法人NICTなどの紹介を聞いた。これから何でもネットで繋がってその情報が社会を動かすようになる。もはやそれ良いとか悪いとか言っている暇さえない、必然として世の中が動いている。そのために、センサー技術、メモリー技術、情報処理技術などが猛烈な速度で進んでいる。なかなかついて行けない分野だが、将来がどんな社会になるのかを想像する楽しみは与えてくれる。乗り遅れかかっている我々世代は、「もう良いんじゃないの?自然にしたがって生きるのも大事では?」なんて居直っているけれど、最先端を走る人達はそんなことは言っていられない。日本という国が世界の中で生き抜いていくための非常に重要なキーテクノロジーだと位置づけ、一歩でも先を走らないと後れを取ってしまう。こんなリサーチパークでの仕事を夢見、世界を舞台に活躍したいと思う若者が次々と出てきてほしい。YRPという名称が、米国の「シリコンバレー」と同じように見られるようになれば大成功だと思うけれど。歴史の話は面白かったけれど、「将来の幸せ」という視点ではそんなに胸躍らなかった。それが当方の歳のせいなら良いのだけれど。

    日付(16/10/13) 秋が来た

これ程までに急激に代わって欲しくないと思わせるここ数日の気温の変化。これこそ日本の強みだとさえ思わせる天気予報は、まだ最高気温30℃を越える沖縄と、はや「雪が降る」という予報が流される北海道が、小さな国日本の中にあることでますます鍛えられている。これはそうそう無い特殊事情だと思う。大慌てで、衣類の交換を始めた。チョットお出かけ用のシャツとジャケット、ゴルフや遊び用のパンツとスポーツシャツ、ついこの間夏物に変えたのに・・・もう冬ものに。昔から日本で行われてきた「衣替え」、何という季節感か。エアコン全盛の我々の日常生活だが、こうして着るもので季節の変化を実感するのは快感。いつの間にか衣類も増えて、かつ耐久性が上がっているだけに、捨てるのが難しい。いつの間にか家中至る所に着るものが散らかっている。一つ気に入っていたものを着ると当分それを着続ける。ファッション性とか言われても着せ替え人形を演じる理由も必要もない。人類が生存する3要素、「衣」「食」「住」と言われても、いつの間にか「飽食の世代」になってしまった我々は、次に何を求めて良いか分からなくなっている。たまにはもう一度原点に帰って、「秋ならでは」の衣食住の楽しみを考え直す必要があるかなと思う。長袖スポーツシャツに代えて、たまにはガラス戸を開け放って、獲れたての野菜を味わう。そんな季節感のある生活を忘れたくないな、と思う季節の変化の真っ只中である、。

    日付(16/10/10) スポーツ観戦

世の中は三連休で秋の旅行シーズンとか。こちらはゆっくりTVでスポーツ観戦。土曜からはプロ野球のクライマックスシリーズ、特にセリーグが面白く、今日の第三戦の延長11回まで気を入れて観た。盛り上がる後楽園、初めて出場のDeNA、実は巨人と日本ハム大谷の対決を見たかったけれど、でも今日の延長でのDeNAの勝利はこれはこれで楽しく、これからも応援しようかと感じさせた。セパとも当分目が離せない。小さなころから、最も親しみがあった野球だけに、やはり見ていて楽しい。それに加えて昨日はプロゴルフ、HONMAツアーワールドカップは池田と宋のプレーオフ。今朝まで延長して、結局9ホールを戦って池田が勝ったとか。これも興奮した。プロスポーツの観戦はなぜこんなに楽しく、興奮するのか、実に興味深い。自分達では到底できない高い技術を見せてくれるのは勿論だが、それに加えて「彼らはこれで食っている」という迫力がある。究極の実力主義の世界も面白い。今やサラリーマンも「気楽な稼業」では無いとは思うが、やはりこのプロスポーツの世界には適わない。競争社会や実力主義の社会を批判する人達も「プロの世界」は認めているようだ。ということは普通のサラリーマンは「プロではない」ということなのだろう。皆が一芸のプロだけで成り立つような社会はあり得ないのだろうか。プロスポーツを応援していると、何故かそんな発想になってしまう。

    日付(16/10/7) 究極の医療

昨日、東京国際フォーラムで5つの講演を聞いた。久しぶりの勉強だったが、最後に聞いた'04年ノーベル化学賞受賞のイスラエル工科大学のA.チカノーバー教授の講演が印象に残った。演題は「人類はすべての疾患を克服できるのか、そしてその対価は?」という題で、内容は個別化医療革命の話だった。今や次々と新薬が実用化されているが、あくまで一般的に「ある個所の病気」に対する医療であって、個人の病に対する薬ではない。従って効き方にも副作用にも個人差が大きい。誰にでもパーフェクトに効く薬などないし、これしか効かないという薬もない。当方は「Mr.バッファリン(アスピリン)」で、痛み止めだけでなく、どこかが調子悪い時はまずバッファリンを飲む。これは決して悪いことではないそうで先に痛みがあるのではなく、何らかの細胞異常に対しアスピリンが効くということの様だ。今後の医薬開発は、個別化であり、「この人・この症状に効く薬」の開発であり、それがいよいよ可能となる。ただ、その際は個人の遺伝子情報を見た上で最適化される。裏返せば、全ての遺伝子情報を提供することになり、その際、医者はその人がどんな病気でいつ死ぬか迄推測できるようになる可能性がある。それは良い(正しい)ことだろうか。折しも一昨日、米国研究者から人間の限界寿命は125歳以下という推定結果がでた。いくら長生きしても人間の精密機械部分は150年は生きられないということらしい。さて、後ろを決められた時、我々はどう生きるべきか。色々考えながら聴いた。やはりここまで生きられたからには、これ以上は「余り自然に逆らわない様に」と思う。あと50年は決して生きられないのなら、医療に求めるのは「痛くないこと」「苦しくないこと」の優先順位が高くなる。タンパク質分子を切る化学のノーベル賞の先生だが、今日の話と問いかけは宗教にさえつながるような深さだった。

    日付(16/10/4) 山陰へ

今回の四国出張の帰り道は、山陰に寄った。しばらくぶりの百寺巡礼。米子でレンタカーを借りて、大山寺、清水寺、一畑薬師へ。鳥取の生まれで、良く知っているはずの地域だが、当方が子供の頃は米子や松江は遠い所で、記憶にあるのは中学生の頃の米子での弁論大会(父が連れて行ってくれた)と大山登山のみ。後は大学生の頃の松江位か。走っていても土地勘は全くない。雨で大山は見えなかったが、大神山神社の参道は記憶にあった。この辺りは神仏混淆の歴史が色濃く残る。日本人の「何でもまず受け入れてその中に価値を見つける」という特質が国造りの出雲にでも仏教を根付かせたのだろう。参道に幟(のぼり)が多く立つ、苦しさから来世に期待する阿弥陀信仰より、今日救われたい薬師信仰が強い。おそらく神道との折り合いもそこで付けたのではないか。時間があったので、出雲大社にも足を延ばした。流石に国造りの神様。特別の日でもないのに多くの参拝者。幸せそうに歩いていた。古代文化の豊饒さを感じ取る。山陰は裏ではなく表である、という議論の証明を確認に行ったような旅だった。出雲空港からの飛行機で見えた夕焼けの雲の中の富士山が妙に神々しかった。

    日付(16/10/3) 市の健康診断

先日、バリウム胃検診を受け、今日は集団検診。年間計画を見ると多くの場所で誰でも行けるように計画されている。今日位なら空いているだろうと行ってみたが、かなりの列ができている。急がないので、ゆっくり観察。現役時代は、忙しい中を高価な「人間ドック」に行っていたが、リタイアと共に、市が実施する検診に切り替えた。無料で血圧、尿・血液検査など最低限の検診はやってくれる。当方など、持病の循環器系は2か月に一度は診てもらっているし、チェックとしては十分だろう。色んな情報を見るたびに、余りに誰もが「病気探し」をしているのではないかと思うことがある。死なないで済む生き方があるのならともかく、いずれいつかは死を迎える訳で、そうであれば、わざわざ探してまで病気を発見する必要もないのでは、と思う様にもなった。70歳に近づいての人生観の変化だろう。でも、今日も思ったが、我が国の福祉政策はここまで来ていることに感動する。誰もが普通に健康チェックをして貰うのは、おそらく入院をしたり、高価な医療を施すより却って経済性も高いということなのだろう。この制度が若い人にもきちんと行き渡っていることを望みたい。食って行くために一生懸命の人達がこの種の福祉政策の対象から漏れないことを祈りたい。今日の列をみていても、何となく「ここも団塊か・・」と思ってしまった。現役の若者たちに頑張って生きて貰わないと困るのだから。

    日付(16/9/29) 専門家会議

政治に於ける「専門家会議」の比重がいかにも重い。これは不思議だ。メディアも何故か「専門家」や「知識人」と言われる人達の言葉を絶対的に扱おうとする傾向がある。「国民大多数の意見(これも誰がどう決めているのか全く不明だが)」と同じ位の力を持たせる。さて、専門家とか知識人と言われる人達は何者か。一人一人の名前や所属まで遡ると心もとないケースが多い。例えば、技術系の大学教授を思い浮かべてみよう。若い時を振り返ってみると「専門バカ」と言わるくらいの人でないと、一流の学者にはなれなかった。それが、専門家会議のメンバーになると、庶民目線で、いかにも社会性も一流であるかの如く扱われる。いわゆる人文系と言われる分野の人でも、大学に籠って、世の中の動きを良く見ている様でも、企業人の立場からみると空論を吐いている人が多い。ちなみに学者出身で起業して成功した人より、企業人から学者になった人の方が多いし、受け入れられている。いわゆる「専門家会議メンバー」にはどんな分野であれ、世の中を俯瞰してみることが出来る人に期待したい。ある小さな分野の専門家では心もとない。築地の豊洲移転の問題など、今や「なぜ専門家会議に相談しなかったのか?」という、経緯と承認システムに移ってしまいそうだ。本当に「食の安全」の議論をするのなら、なぜコンクリートの箱より盛り土が安全なのかの本質議論をすべきだろう。それは政治家やメディアや一般庶民が周りで騒ぐレベルの話ではない。小池知事の評価を上げるには格好のスタートだったかも知れないけれど本質論から去っているように思える。どうせ切り込むならもっと「政治」の部分、予算の使われ方や利権にまつわるあたりで大ナタを振るって欲しい。でも東京都の巨大さ不透明さはこんなにも凄いのだと思い知らされたことは、良かった事件である。こんな問題の「専門家」はどんな人たちなのだろう。アナウンサーや芸能人上がりの「著名人」だろうか。

    日付(16/9/28) どうなるAIの未来

人工知能(AI)が囲碁でプロ棋士に勝った時の驚きは今でも継続しているが、昨日のニュースの「日本将棋連盟が公式戦にスマホを持ち込むことを禁止」というニュースは、コンピュータ解析がプロ棋士を助けているということの証しか。オセロ、チェスの次は将棋もコンピュータの勝ということだろうか。仕方ないとは言え何か寂しい。もっとショッキングなのは先日のニュースで、「AIで新薬開発を加速」という記事。これは以前から感じていたことで、例え「コンピュータに創造力は無い」と思っていても、人間の発想だって殆どは、経験に基づいたものである。新しい技術の開発でも、とんでもない違った分野のビッグデータを組み合わせたりすると、人間よりも独創力さえ持つ可能性は十分にある。よくSFの世界に出てくる、コンピュータが支配する世界と言うのは意外に近い将来なのかも知れない。怖いのは、人間の天才は死んでいくけれど、コンピュータはいつまでも死なないで成長し続ける。こりゃ明るい将来ではないな・・・と感じる。明るくするためにはやはり、人間の側の価値基準、幸福感の基準を変えるしかなさそう。不思議な世界が近づいている。

    日付(16/9/24) 「ザ・ビートルズ」

昨日は久しぶりに「家に居てもらっては困る日」で、当てもなく外に出た。ガソリンを入れ、アルコールを買いだめし、喫茶店でゆっくりコーヒーを味わい、午後には映画館。観たかったのは「ザ・ビートルズ」。はじまったとたん、感覚が55年遡る。彼らのデビューがあと5年遅かったら、当方の青春時代の生活は大きく影響されただろう。幸か不幸か彼らは60年代初めにブレークした。日本の団塊の世代には少し早すぎた。それでもあの熱狂だった。もし、例えば60年代後半のデビューだったら、おそらく学園紛争の流れに影響したのではないか。デビューの頃、当方は、鳥取の田舎で、確かに深夜放送は楽しんではいたが、英国や米国の若者の様に狂いはしなかった。大学に入学したころは既に彼らは世界の大スターだったし、彼ら自身が「脱皮」の段階だったかも知れない。そうは言いながら、ビートルズの音楽には戸惑いながら、良く聞いた。遅まきながらあのリズムとテンポに洗脳されていった、と言えるかも知れない。昨日の映画を観て思ったのは、我々世代の音楽観は大きく慣らされ、当時はうるさく感じたロックのアップテンポでも、今聞いたら「フツー」に思える。懐かしい曲やバックの話題を楽しんだ。これで終わったと思ったあとで、Shea Stadium公演の熱狂のシーンが流れた。「これでも音楽か?」という問いかけだったのだろう。あれだけ次から次と発表して、それらが「音楽」として高い評価を受けたのだからやはり普通の「はやりもの」では無かったのだろう。やんちゃな若者たちが、ある種の「思想家」へと移り変わって行った。最初の頃はウルサイだけだった曲でも、昨日は自然に体が動いていた。音楽の力は偉大、そして我が青春のビートルズは偉大だったと思い知った。昔のレコードを引っ張り出しても・・・LPレコードだ。何とも昔なのだ。

    日付(16/9/22) 世論形成の責任

「もんじゅ廃炉」のニュースが大きく取り上げられ、何故か地元福井県、敦賀市などの失望や不満が大きく取り上げられている。事故がある度に再稼働を許さなかったのも「地元の住民」の意見だった。この種の問題がある度にメディアの責任を問いたくなる。「弱者」の意見を採り上げるのは良い、大多数が言いそうな意見を採り上げるのも良い。でもやはり「世論形成」の責任は前提として認識すべきだろう。最近特に不満なのは、ごく一部の人間とか、個人の意見を「一般市民の意見」の代表として採り上げ、それをベースに世論を作り上げようとするメディアの傾向である。我々市民はメディアの情報から、動きを知り、それに対する社会の反応を知る。そういう意味では、もっと公平に賛成と反対、プラスとマイナスを並列して知らしめるのがメディアのスタートポイントではないか、そこを飛び越して少数意見を目立たせようとするのが不信感を招く。原発エネルギーにはトレンドとして反発し、もんじゅ再稼働も認めない方向にもっていきながら、突然「地元の反発」を採り上げる。ついでに文部科学省の「核燃料サイクル」重視の姿勢にも少しだけ触れる。それは余りにも偏った、不公平な扱いではないか。世界中で原発が動いている今、科学としての核燃サイクルは人類のテーマであるし、科学技術の進展の証しである。日本がその分野で活躍しなくて、誰に頼ろうというのか、不思議で仕方ない。中国や韓国で原発事故が起こった時、空が繋がっている日本は「知りません」で済むのか。世論形成の責任の大きいメディアの人達は、もっと広い視野で核という新分野を採り上げて欲しい。余りに視野が狭すぎないか。

    日付(16/9/19) 敬老の日

敬老の日で祝日らしい。15日とばかり思っていたが、最近のころころ変わる祝日は覚えてさえいない。子供の頃から「年寄りを敬う」気持ちは強かったが、サラリーマンの競争社会がダメにしたかなと思うことが多い。しかも、本人が「高齢者」と定義されるに至って、果たして敬われるべき老人かなと疑ってみたりもする。読んだり、学んだりすると昔の老人は凄かったのだなと思うことも多いが、一方、一人の人間と言う意味ではそれ程進歩するものではないなと感じることもある。先のシンポジウムで「脳は進化していません」と聞いて頷くことが多かったが、容れ物としての脳は同じで、入れる中身が変わっているだけだ、といわれると何となく分かる。確かに、宗教者でも、哲学者でも偉人と言われる人達は、歴史上に多く残っている。ともあれ、年老いるということは少なくともより多くの経験をしている訳で、その経験に価値を見出せば、「敬われても良い」のかも知れない。平均年齢も益々伸び、街にも元気な老人が溢れている。もう一度、敬われるような老人とは、と考えたい。孫が電話をくれて、「敬老の日おめでとう」だって、そうか「おめでたい」という要素もあるのだ。今でこそ、誰もが老人になるが、歴史上は「老人になれずに逝った人達」も多かったのだから。素直に喜ばねば。

    日付(16/9/16) 「歴史」シンポジウム

日経新聞でふと目がとまって、ネットで応募して聴講した。文字・活字文化推進機構(こんな公益社団法人があるなんて驚き)と日経の共同主催、「歴史を語る言葉」というシンポジウムにわざわざ東京まで出向いた。ぜひ、と思った理由は前半のトークショーが先日読んだ「村上海賊の娘」の著者、和田竜とアナウンサーだったから。あんな小説を書く作家はどんな人だろうと興味があった。予想に違わず、なかなかカッコイイ。ファッションも決まっている。最近の作家先生はこんなものかもしれないと思った。歴史小説はできるだけ事実に沿わなければと多くの引用を採用し、それでいながらコミック的バトルシーンが売り。この本のみで4年かかって書き上げたとか。そもそも脚本家志望だったとかで、小説より脚本から書き出す、すなわち頭に「シーン」があるそうだ。二部のパネル討論は「歴史の中の女と男」と題して、ネット保険創業者、米国在住女性歴史学者、そして東大出の女性浪曲師というこれまた面白い組み合わせ。「日本史などというものはない(歴史は一つ)」と言う意見、「米国で教える日本史はやはり特徴ある日本史(誰かが教えねばない歴史)」、「歴史をリードしてきたのはどこでもいつでも女性」、「脳は進歩などしないし、していない。社会の変化に適応するだけ」などと、色んな話題に色んな意見があって、面白かった。確かに、1000年前と今でも「脳力」そのものは同じで、それを使う使い方が変わっているだけかも知れない。文字活字文化の楽しさを改めて認識した夕べだった。

    日付(16/9/13) クリントンの肺炎

クリントン対トランプの大統領選が、まさかこれ程「本気で議論する」様な戦いになろうとはおそらく誰も思っていなかったのではないか。最近の世論調査ではかなり拮抗しているらしい。日本では「まさかトランプはないだろう」という流れだが、実際はそうでもなさそう。もし「トランプ大統領」が実現すると、おそらく大変な騒ぎになる。何となく英国のEU離脱のケースと似てきた。トランプ氏も次第に主張を現実的に変えて来ているようだが、そうは言っても根本まで変えたら支持基盤が信用しなくなる。おそらく難しい選択をこれから強いられるのだろう。そんな時、クリントン氏の健康問題が浮上してきた。「大人」のトランプはそれを攻撃材料にはしないそうだが、それは当然。現代の世の中、誰に何が起こるか分からない時代、どんなに元気な人でも、明日の無事を保証されている訳ではない。健康問題を政争の具にするのは頂けない。でも一方、本当にシリアスな健康問題があるのなら立候補を降りるべきだろう。政治家の責任は重い。ポストオバマは、世界中が注目しているし、誰がなるかは、米国だけの問題ではない。ヒラリーさんには何とか頑張ってほしい。

    日付(16/9/10) 非暴力平和主義の限界

今、ISISを攻撃して殲滅させることに反対する人が何人いるだろうか。この度米露がシリア内戦を中断させてISISを一緒に攻撃することで合意した。世界で誰もISIS攻撃に反対する人はいない。いかなる反戦主義の人達であってもISISの暴力に「話し合い」で解決できるとは思わないのだろう。さて、身近な北朝鮮、これまた世界を相手にして、聞く耳を持たない。潜水艦発射ミサイル、移動式発射装置などによるミサイル発射実験を行い、遂には5度目の核実験(北朝鮮は核弾頭型と言っている)まで行った。誰が何を言おうと聞く耳は持たない。放っておくと核を積んだミサイルの発射実験でもやりかねない。さて、この国を静かにさせることは本当に可能なのだろうか。最後はISISと同じように世界中を敵に回してでも戦おうとするのだろうか。その時、我が国はどう「防衛」するのだろうか。この究極の質問で、三つの意見に分かれる。一つはあくまで不戦平和主義(これが通用するかどうか。自衛隊を持った段階で現実論ではない)、一つはこれまで同様、米国の核の傘に守ってもらう(さて、いつまで通用するか、ただでさえタダ乗り論がある)、そして三つ目は日本の一層の武装化(場合によっては核兵器を含む)。どれを取るにしても決して容易な選択ではない。ISISや北朝鮮の様な人や国に対して、「普通の常識」で話をしても進まないだろう。やはり、政治は国の将来を見据えた青写真を示して国民の合意を得る必要がある。昭和の初めの歴史を紐解きながら、さてあの時日本はどうすべきだったか、考える必要がある。日本陸軍のせいだけにして良い訳はない。北朝鮮問題はもう一度それを考えさせる。

    日付(16/9/7) 新技術説明会

お手伝いアルバイトの関係で、新技術説明会なるものに初めて顔を出した。大学を含む公的研究機関が産学連携を目指して、新技術を紹介する。何とWebでみて申し込むだけで誰でも無料で聞ける。研究機関も変わってきたのだな、と驚く。大学の先生たちも、魅力あるプレゼンができないと成果を訴えられないということか。でも、どんなことがやられているかを知るにはもってこいの機会。昔から開催されているようだが、今頃になって初めて聴講した。でも、ついていくのは大変。テーマによっては「なんのこと?」と思うものも多い。何しろ寄って立つ常識が既に大きく変化している。当方の様なロートルが顔を出す場所ではないのかも知れないけれど、たまにこんな話を聞いて脳を刺激するのも悪くない。でも、昔の学者先生の様に「学問一筋で話下手」なんて人ではだめになったのかも知れないのは、何となく「それで良いのかな」とも思わせる。確かに最近はメディアにしょっちゅう顔をだしている「売れっ子先生」も多い。時代とともに変わって行くのだろう。誰もがノーベル賞クラスの仕事をしているとも思わないのも事実だから。色んな「新技術」があるんだ、と刺激を受けた。せめて、じっくり聞けば何のことか分かるようでいたいとは思うけれど・・・。

    日付(16/9/4) 医療の進歩

新技術の進歩に於ける医療分野の占める割合が非常に高い。ニュースを見ているとこのまま行くと誰もが老衰でしか「死ねなくなる」時代が来るのではないかと心配になってくる。「死に方の選択」とか「自由に死ねる時代」という言葉が、本気で語られる時が来そうだ。今は「元気で動けるのなら何歳まででも」なんて言っているけれど、さて「何の楽しみ(生きがい)も無くなって」来たら、生きるだけでなく、「どう生きるか、生きたいか」が真剣に問われる。「仕事を生きがいにすればよい」という人もいるかも知れないが、老人ばかりの世界で、若い人に仕事を任せず老人だけが頑張っていて果たして良いのか、という問題になる。友人と話したり、自分で考えたりしてもこの問題の解決は容易ではない。特に「命や寿命も金次第」なんてことになると、ますます、情けなくなってくる。今はチョット小遣いをもらって、お寺巡りや読書を楽しみながら生きているがあと10年後は?と聞かれると答えられない。「寝たきりにだけはなりたくない」とは答えられるけれど。宗教も含め「心の問題」にもっと真剣に取り組まねばならない時代になったということだろう。医療だけのとびぬけた進歩は危険な香りがする。

    日付(16/9/1) 小池新都知事

選挙の経緯からも、この新都知事の動きは気になる。リオオリンピックの閉会式に(おそらくビジネスクラスで行って)和服で五輪旗を受け取ってきたのは順調な滑り出しに見える。安倍首相のマリオサプライズもそうだが、政治家がオリンピックで騒がれるのは決して望ましい姿ではないと思うから。さて、いよいよ本番に入るが、早速、昨日築地の11月移転の延期を発表した。「都民ファースト」の目線で安全第一だからということらしい。増田知事が選ばれていたら「不安全」な移転が実行されたのだろうが、これは引っかかる。これまでの政治を全面否定するというのなら分からないでもないが、延々と議論され、対策も打ってきている訳で「検証結果が出るまで延期」することでは無いだろう。不都合な検証結果が出ればその時に「これまで何をしていたのか」と怒って中断すれば良い。費用の検証をするのは大賛成、徹底的に膨張理由を調べれば良い。気になるのは「都民ファースト」と言う言葉。都民は1300万人いる訳で、全員を満足させる政策などあり得ない。選挙で投票してくれた人ファーストならともかく、何でもかんでも「都民ファースト」はいただけない。政府も「国民第一」といい、企業も「社員第一」というけれど、そんな政策はない。たった築地移転問題だけだが、民主党政権発足時の鳩山首相を思い出してしまう。目立たなくて良いから、これまでやってきたことにも敬意を表して、「脱金満体質」に挑戦して欲しい。期待が大きいほど、裏切られた時の失望も大きいことを民主党は見せてくれた。これに学ばない手はない。

    日付(16/8/30) 髭剃り

電気カミソリはいくつも転がっている。新品を買っても必ずしも綺麗に剃れる訳でなく、これなら古い方がましだ、と古い方も使い続ける。洗面所に一つ、部屋にも一つ、旅行用も二つ。でも、これぞというものになかなか当たらない。月に一度は出張でビジネスホテルに泊まる。そこには必ず使い捨てのカミソリがあって、長い間使いもしなかったが、先月剃ってみると、電気カミソリより綺麗に剃れている様でまた使うことにした。これなら家庭用も、と久しぶりにスーパーでチェックすると、あるわあるわ、色んなシェーバーが売られている。2枚刃、3枚刃・・・多数枚刃と材質で戦っている。5枚刃、チタン製を買って使い始めた。シェービングフォームも買ってきて毎朝鏡の前で剃る様になった。フォームの競争も激しいようで、剃った後一拭きでお肌クリームの効果もあるらしい。時間をゆっくり使える我々にはこの方が良いのかも知れない。剃った後、触れてみるが、それでもあの散髪屋に行って剃って貰った後のツルツル感には程遠い。常に伸び続けるものだから、朝剃っても夕方には・・・いやはや面倒なものである。ネットを見ていたら、電気カミソリの戦いもし烈な様で、「一度で剃りきるワンウエイハイブリッドシステム・・」次々と凄いものが発売されているようだ。これも気になる。

    日付(16/8/28) 和式トイレ

今年の夏季パソコン教室も終わった。公民館の講座は中学校のパソコン教室を借りて行われる。4〜5年続けているのでコツも覚えてきた。さて、夏休みの中学校に行くといつもトイレに注目する。和式のトイレがあると何故かホッとする。金曜に教師から公民館に来た人とか、研修で手伝ってくれた人など現・元教師の方々と話す機会があった。最近の子供たちは家庭で洋式トイレのみで育っているため、小学校に入って和式トイレがあっても使えないらしい。そのため、トイレを全て洋式化するのがトレンドらしい。それどころか、男用の立ショントイレも無くなる方向とか。ある先生は最近ある学校に行って、男子用トイレに入ったのに、全て洋式トイレで、女子トイレと間違ったと慌てて飛び出した。と笑わせてくれた。確かに、テレビなどでは、男も洋式トイレで座って小用もしましょうと言いだしている。時とともに文化が変わっていくのは仕方ないにしても、やはり和式トイレには和式トイレの良さがある。特に公衆トイレでは和式の方が非接触で、清潔感があるという人も多い。当方も、いつの間にか洋式派(かつウオッシュレット必須派)になってしまってはいるが、孫達には和式トイレが使えるようにはなっていて欲しい。日本人が初めて洋式トイレに入って使い方が分からなかった話や、訪日外国人が和式トイレに座り込んだなど、話題には事欠かないが、子供たちも和式トイレの何たるかは知っておいて欲しい。最近の学校に足を踏み入れる時、ついついトイレを覗いてしまう。これも時代の変遷か。

    日付(16/8/25) 台風10号

台風9、10、11号の三連続到来はこの秋の天候がどうなるかと心配させる。9号は北海道へ、10号は房総に上陸してこれまた北海道へ。被害を出している。もう一つの10号は、おそらく「気象庁泣かせ」。天気予報も分からないことだらけ。そもそも、本州の近くで台風になって、ひたすら「南下」している。当方の記憶にはこんな動きをした台風は覚えがない。台風と言うものは、発生したらどんなルートにしろ「北上」していくのが当たり前だと思っているから。この10号、今日の段階でようやく南下を止め、これから北上に転じるとか。しかも、今頃になって発達している。不思議な台風だ。往々にしてこの様な台風は大きな被害をもたらす。何しろ、気象庁が「読めない」のだから。もしやこれも温暖化を始めとする、地球の変化に対する自然の挑戦の一つか。「予報」が「経験」や「歴史」に基づくものなら、「経験したことのない現象」については容易には説明できないだろう。この台風にはそれを感じる。これからどう発達してどう動くのか、目が離せない。人間の知恵との闘いだろう。より広げて考えれば、AIとの闘いとも言えるかもしれない。統計的に正しく、確率的に正しい現象であれば今や完璧に読み切れるのだが、「予想外の展開」に対してはどうか。不謹慎かも知れないが、やや興味深い。今夜の天気予報では、まだまだ予想が付かない様だ。

    日付(16/8/22) 今年もパソコン教室

先週の金曜から、今夏も中学校のパソコンルームを借りて、公民館のパソコン教室を開催している。一つの公民館が明日まで、水曜から次の公民館が始まる。市の教室のお手伝いを始めたのはもう5年も前。市の教室は11、12月の日曜になったが、公民館がらみは夏休みに続けている。始めた頃は、「乗り遅れた熟年」を対象にしてきたが、ややトレンドが変わってきて、本当の初心者が少なくなってきた。「暇で時間つぶし」の熟年組と、やや若い層を含めた主婦層が多くなってきた。したがって、ローマ字入力で一字づつ、と言った忍耐力だけで済む講座は減ってきて、今や新しい手法を覚えようとする受講者も増えている。当方も、決してプロではないので、予習をせねばならない。でも、こうして講師を依頼されているお蔭で、パソコンがらみの情報や、トレンドは追う癖がついて自分自身の刺激にもなっている。今日は房総に台風が上陸、嵐の中でもほとんどの受講生は出席して、目を輝かしながらマウスを動かしている。それだけで、老化防止には役立つなと思っている。でもこうして受講生の求めるレベルが上がっていくと、もしかしたら、当方が教えて貰わねばならない日が来るかもしれない。そんなことを思っている。

    日付(16/8/20) メダル争い

クーベルタンは「参加することにこそ意義がある」と言ったかも知れないけれど、各競技のレベルがこれ程上がって、人間の能力の限界との闘いの様になってくると、もうオリンピックも正に限界との闘い。参加国も、国を挙げてサポートする。リオオリンピックでの日本人の活躍は凄かった。競泳、体操、柔道、卓球、バドミントン、テニス、レスリング、シンクロ、陸上などなど、次々とメダルを獲得、多くの逆転劇に興奮した。国を挙げてサポートして、それに応えて好成績をあげるのは大変なことだろう。プレッシャーを想像するに恐ろしくさえなる。でもやはりメダル獲得数を見ると、自由主義国の方が多い様に思える。中国やロシアも多いけれど、やはり悲壮感がある。ともあれ、世界各国の人々が一堂に会して競い合うのはやはり平和の象徴である。選手たちのスポーツを通じた交流に加えて、観客たちの交流が平和に行われれば、それこそが「平和の祭典」だろうけれど。今はどうしてメダル数を競い、「国威発揚」の場になってしまう。歴史の長い活動は、時折原点に帰ってみることが必要だと思う。でも、毎日テレビ観戦が楽しかった。日本は平和だ。

    日付(16/8/18) 中国と言う国

昨年中国を旅行して、この国の大きさ、深さを思い知った。長い目で見れば可能性も、伸びしろも計り知れない。そう思えば思うほど、現実の中国の在り方が理解できない。日本の10倍の人口を抱え、思うように制御できず、結局のところ、共産主義による政治を進めている。まず稼げる人はしっかり稼げというケ小平の方針は、中国を世界の生産の基地にし、瀑買い人民を育てた。日本経済を揺るがすほどの影響だが、中国国民全体から見れば、ほんのわずか。そして今、早くもそのトレンドは西側諸国の脱中国という形で変化しようとしている。西側より大きくなろうとする貧富の差の不満解消のために、国民の眼を、南シナ海や東シナ海の国境問題に向かせ、ナショナリズムを煽る。その手法はどうみても「世界平和」を志向しているとは見えない。国連安保理事国でありながら、国連をリードするどころか国際海洋法仲裁裁判所の決定にも逆らっている。この国はどの方向に動いていくのか、世界への影響が大きいだけに目が離せない。結局、「打倒共産党」しかないのか。もしそうであれば、近い将来大きな事件、大きなうねりが来るのだろう。それを最も良く知っているのは中国人自身かも知れない。果たしてその日は我々が生きている内に来るのだろうか・・

    日付(16/8/16) 古稀記念同窓会

まだ満では68歳だよ、と思っているのだけれど、もうすぐ誕生日が来ることもあって、実は今年は「古稀」らしい。昔は稀にしか生きられない70歳だが、今や平均年齢が女は89歳に達し、男でも80歳を越している。「稀(まれ)に」しか生きられないどころか「稀にしか死なない」70歳になっている。とは言いながら、古稀を祝う人は多い。昨日、鳥取の母校・高校の「古稀記念」の同窓会があって、帰鳥した。お盆休みの真っ只中だがそれでも155人の参加があり、大盛況。前回は還暦記念だったが、却って参加者は増えた位。70歳なんて決して稀ではないことを証明した。参加している人達は勿論元気、思い出話に花が咲いた。不思議なもので、人によっては50年振りの再会でも、名札を見た途端話が弾む。皆それぞれがそれぞれの歴史を経てきている訳で、話だしたらキリがないのだが、それぞれの人生のポイントを聞かせてもらい、夫々が今の自分の幸福度を測っている。この歳になると初恋の告白も平気な様で、笑いながら聞かせて貰う。折角の帰省だったので、前日にはレンタカーを借りてお墓参りドライブ、家族や親戚の墓を回った。いつの間にか「次は自分たちの世代だ」と思わせる話が多い。故郷、同窓会、墓参り・・・自分を見つめ直す絶好の機会。覚悟なんてできる訳は無いけれど、自分を見つめることの必要性をつくづくと感じた。今日は帰りのフライト前に恩師夫妻と昼食を共にした。86歳だが、わざわざ出かけてくれた。頭はシッカリ。記憶もシッカリ、元気付けのつもりが、逆に元気付けられた。こんな絆を再認識するのもこの季節の大切な一時だろう。忙しいけれど、心温まる3日間だった。

    日付(16/8/13) リオオリンピック折り返し

出来るかどうかさえ危ぶまれたリオオリンピック。確かに街では事件や事故も発生しているようだが、多分この国の日常レベルではないのだろうか。日本のメディアは何とか記事にしようと目を凝らしているのかも知れないけれど、少なくとも大きなテロ事件は発生していない。日本チームは好成績で前半を折り返した。何しろ、12時間の時差なものだから、意外に分かり易く、昼夜逆転だから、昼間の高校野球と組み合わせると、24時間、テレビに釘付けとなりかねない。競泳など、何と現地の深夜0時前に終わる。こちらは12時。意外な程見やすい時間。お蔭で、最初の金メダル、萩野の400mメドレーもライブで観ることが出来た。柔道も、体操も、卓球も見ていて飽きない。続いて、バドミントン、テニス、そして陸上も始まる。オリンピックとこれほど付き合うのはロンドンと同じ、やはりリタイアして時間がたっぷりあるから。ロシアのドーピング問題はあった、何と難民チームが出場した。政治もからむ色んな問題もあるけれど、やはりオリンピックは楽しい。ただ、余りに公的になり過ぎて、国家を挙げて(税金を掛けてでも)メダル争いをしている。もう、「参加することに意義がある」なんて言えない。選手も大変だろうと思う。当方のゴルフは正々堂々と「参加することに意義がある」と言えるのが、嬉しい。スポーツがまず上手くなければ参加できない様になることは、やや心配になる。

    日付(16/8/11) 「山の日」

遂に8月にも祝日ができた。年休消化率が低い日本で、皆に休ませようとすれば最も手っ取り早い方法なのかも知れない。「なぜ今日なの?」と聞かれてさっと答えられる人はそうそういない。なぜなら、確固とした理由はなさそうだから。お盆休みの前に設定すれば、そこにくっつけて長期に休暇を取る人が増えるだろうという理由。12日が本命だったそうだが日航機事故の日なので一日動かしたということらしい。昔山登り(歩き)を楽しんだ一人としてはこんな休日も悪くない。「山の日」と聞くだけで、北アルプスの山々、尾瀬の湿原など青春の日が蘇ってくる。リタイアしてから家族で登った富士山も忘れられない。汗をビッショリ掻きながら黙々と歩いて、でも、途中で一息ついた時、頂きに登りつめた時、あの心地よさ、達成感は、味わったことの無い人には人生の中で得られる大きな楽しみを損しましたねと言いたい位のものだ。今や観光地は世界からの訪日客でごった返しているようだが、おそらく登山客は、増えてもまだまだ大したことはないだろう。でも、車で行ける山はもう登山ではなく、一観光地の様だ。観光開発も難しい。「山の日」を得て、さてもう一度登るとすれば・・・などと無謀なことを考え始めている。

    日付(16/8/8) 天皇陛下お言葉

明朝の新聞がどう報道するか分からないけれど、今日の大きなニュースだった。「象徴天皇のあるべき姿」についてのご本人からの問いかけ。凄く重いと思う。老いて行く中でやるべきことをやりたいという思い、年齢を経るごとにやることに自信が無くなっていくという懸念、このまま継続すると皇太子の出る幕がなくなるという心配。誰が聞いても頷ける理由が続く。徐々に、それを肯定する世論が出来上がってくるかも知れない。でも、とあえて反対の意見を言いたい。戦後の天皇は「象徴天皇」として国民の支持、尊敬を得てきた。天皇が年齢を経て老人になれば、それはそれで「象徴」である。国事行為も、誰にでも委任できる(程のものでしかない)。今から、どんどん皇太子や秋篠宮に委任していけば良い。現天皇制の根本は、「代表的日本人の姿」を見せれば良いのではないかと思う。今回のメッセージが政治的動きとは思いたくないけれど、日本の政治はもう天皇制とは大きく隔たっていると思うから。若い頃と違い、今昭和天皇を戦犯にすべきだったとは思わないし、象徴天皇が悪いとも思わない。でも民主主義国家日本の中の天皇の位置づけを、敢えて重要視するような動きに対しては反発してしまう。間違っているのだろうか。

    日付(16/8/6) リオオリンピック開幕

通常、メディアというのはセンセーショナルなニュースに絞って伝える。だから、リオオリンピックは本当に開催できるのかとか、何が起こるか分からないなどと言われてきた。でも、今日の開会式は非常に世界での評価は高いと思う。メディアが俯瞰的な取り上げ方をすればそうそう危ないことが起こっている訳ではない。非常に平和裏に進んだ開会式だった(全て観ていないので)ようだ。スポーツと政治は別だというけれど、国民が代表としての選手にメダルや勝つことを求める限り、「参加することに意義がある」などと悠長なことは言っていられない。20年前に仕事で一度だけサンパウロを訪れた。今考えると、何故あの時に、周辺観光を計画しなかったのか、と反省するけれど、あの頃はただ仕事第一の出張で、全く寄り道もしなかった。もったいなことをしたと反省する。でも初の南米開催のオリンピックとか。テロが無く安全に終わることだけを祈る。

    日付(16/8/3) 第三次安倍内閣新防衛大臣

第三次安倍内閣が今夜スタートした。主要閣僚は留任で安心できるのかも知れないけれど、順番待ち組大臣も何人か。でも最も注目すべきは稲田防衛大臣か。女性の防衛大臣は、話題の小池さんから二人目。安倍子飼いの将来の初の女性総理の含みらしいが、今の防衛大臣が「教育機関」とはどうしても思えない。中谷防衛大臣の出番は相当だった。これを引き継いで「勉強のための大臣」がやっていけるのか、やや不安。ただ、こうしてリーダーは育てられるという向きもあるので楽しみでもある。この間の小池新都知事のスタートを見て思ったけれど、やはり「これをやる」という信念が引っ張る。以前は、新任大臣が発表されるとその日の内に記者会見があり、誰が素人で誰がプロかすぐに判ったものだが、あれは無くなった様だ。何れにしろ、政治家がプロであるなら、大臣をやるのもプロとしてやるべきだ。今回の防衛大臣には注目したい。折しも、北朝鮮のミサイルが日本海に落ちた。憲法もからめ多くの問題を抱えている。歴史を振り返ると往々にしてこんな時にクーデターの様なことが起こる。物理的力を誰が手中にするかは国の運命を決める。ここで女性大臣が、後世に残るような防衛行政をやれば、初の女性総理も現実味を増してくる。注目したい。

    日付(16/7/31) 選挙の度に

今日の東京都知事選はたった一人の知事を選ぶのだから、まさかとは思ったが、投票時間終了の午後8時になったとたん、勿論開票率0%で、小池百合子に当選確実がでた。毎回、選挙の度にTVの前で同じことをぶつぶつ言っている。これから多くの人達を使って、開票作業をするというのに、TVでは当選確実で「バンザイ」が始まる。だって、7時59分に投票した人だっているでしょう?と尋ねたい。確かにその後の開票が進むにつれ、どの市でも小池候補が優勢ではある。でも、どうもすっきりこない。これから若い人達に投票所に行けというためにも、この報道合戦には苦情を言いたい。ひっそりとした所でゆっくり正確に開票して、終わった段階で当選者を公表しないのは何故だろう。出口調査にお金をかけ、その分析・解析に手間をかけ、一分を争う。これは頂けない。選挙と言う制度そのものを否定してしまう。都知事選挙の結果は何となくホッとした。中央政界とは別に、政党政治とも関係なく支持される人が良い。美濃部都政にしても、青島都政にしても歴史に残る良い政治だったとは言えないが、国政レベルと異なる結果を見ると何故かホッとする。またこれから小池都政の動きから目を離せない。

    日付(16/7/29) Windows10にアップグレード

午後に帰宅してパソコンを開いたらWindows10への無料アップグレードの締め切りが後7時間と示された。一度、何もしないのに勝手にアップグレードが始まって信頼を無くした経験もあって、放っておいたのだが、今日中と言われるとやはり経験としてもやっておかなくては、とWindows8.1のパソコンで作業した。約1時間で終了。恐る恐るチェックしたところ、大きな問題はなさそう。立ち上げ時のタイル画面はなくなり、何となく使いやすくなった気もする。でも、エクスプローラーがなくなり、Edgeというプラウザに変わり、ポータルサイトも入れ替える必要があったり、と少しは手がかかった。最も心配していたプリンターとのつなぎとテレビ視聴も昨年の今頃はダメだったが巧くいった。これこそ、「待てばカイロ」であった。もう一台のノートはWindows7なのだが、これはこれから始まるパソコン教室が全て7であるため、更新しないでおく。またまた生徒さん達からこの件の質問がありそう。でも一年の間にマイクロソフトも周辺機器のメーカーも相当努力したのだろう。残りもこれから一つづつチェックすることになるが、なんとなくホッとした。

    日付(16/7/27) 障害者殺人事件

身の回りに障害者が居ないから、この種の問題を真剣に自分の問題として捕えたことはない。でも現在の企業経営では一定規模の会社では障害者を雇用する義務もあって無視できる問題ではない。今回の殺人事件、今後どのような世論を形成していくのだろうか、やや気になる。19人もの殺人はそれだけで大犯罪、許されるものではない。それでもニュースを見ている人達が何か心に引っかかるものがあるのは、「無差別殺人」ではない点。何となく、加害者側に説得力がありそうに思える点である。現代のある種の矛盾点を突いている所がある。だから一瞬黙らせる。世の中に問うている所があるのが重い。周到に考えたストーリーのようだが、加害者を許すという結論はない。でも、これから表ざたになっていく「闇の中の問題」については、誰もが考えなくてはならない問題なのだろう。人間は何のために生きるのか、命はどう扱うべきなのか、いわゆる弱者の幸せとは・・多くの問いが出されるだろう。自分の心の奥底まで入って答えを探そうとすると苦しい。

    日付(16/7/24) 大相撲名古屋場所

相撲協会は稀勢の里に感謝状を出さねばならない。横綱並の強さを示しながら、ここ一番で勝てず、何場所も「横綱挑戦場所」を続ける。日馬富士や鶴竜が横綱になっても、相変わらず次の「日本人横綱」という期待を背負って、でもまだ一度も優勝していない。勝手なエッセイストの中には、「このまま悲劇の大関を続けた方が面白い」という人まで現れてきている。この名古屋場所こそと期待したが、後半失速、それでも昨日の14日目は白鵬に逆転勝ち、もうダメかと思ったけれど「千秋楽逆転優勝なら・・」という話題も流れ、結局優勝は出来なかったが、今日勝って準優勝の12勝。これで来場所も「優勝すれば」の期待は続く。大相撲人気もまだまだ続くだろう。あっさり横綱になるよりどれだけ盛り上がりに貢献していることか。リタイアして相撲を毎日TV観戦するようになって、ずっと稀勢の里の横綱昇進の日を楽しみにしている。日本中の期待を集めて「本人はシンドイだろうな」と思いながら。

    日付(16/7/21) TV創世期のスター達

我々団塊の世代は実に歴史の中で大きな変化を経験してきたのだなと思うことが多い。TV文化もその一つ。小学校高学年になっても我が家にはTVは無く、父に連れられて知り合いの家にTVを見せて貰いに行ったことを思いだす。でも、そう言いながら東京オリンピックは我が家で観ることができた。そして結婚する頃にはカラーになり、ブラウン管が液晶になり・・・。この間、永六輔が亡くなったと思ったら一週間も経たない内に大橋巨泉が逝った。一台しかないTVで11PMが見たくても見えなかった思い出は強い。やはり、文化を変えた一人だったのだろう。人間の生き方の多様性を提案したリーダーだと思う。自分が楽しみ、自分の楽しみの為に生きる、と平気で言えるカルチャーを作り出した。同じ日、ザ・ピーナッツの妹伊藤ユリさんも逝った。シャボン玉ホリデーのインパクトも強い。音楽を含む人生の楽しみ方を教えてくれたとも言える。「オシャレな生活」を提案してくれた。団塊の世代はそれらを目指して、それを得るのを目指して必死に働いた。それが経済の面では「ジャパンアズNo.1」を導き出した。今、我々はあの頃目指したものを全て手に入れて、改めて失ったものを思い返している。TVのスター達が提案してくれた「FUN」が「幸せ」と言う言葉で表せるかどうか、を検証しながら。

    日付(16/7/18) 東京都知事選挙

舛添知事の問題は結局は良く分からなかったけれど、ただメディアという名の「都民の総意」で叩かれてしまったら、違法性は二の次、三の次でどうしようもなくなることを証明した。次に都知事になる人は大変だ。そこに自民・公明が分裂となった。でもこの現象は面白い。これまでも地方選挙では中央の力関係が通用しなかったことが何度もある。東京都は1300万人の住民を持ち、それは日本の総人口の一割であり、世界でも70位の大国並みで、ベルギー、ギリシャ、チェコ、ポルトガルなどよりも多い。本当かどうか知らないが、自民党都議連の「裏ボス」がいて誰も逆らえないとか。そんな現状のリーダーシップに逆らえるのかどうか知らないけれど、声高に挑戦しようとする小池さんにやらせてみたい。何ができて何ができないのか、見てみたい。何と16万人もの都職員が居るとか、周りで見ていても何が必須で、何が余剰が想像すらできない。ぜひ誰かに、ここまで大きくなった東京都と言う組織を分かり易く分析し、要否をはっきりさせて欲しい。「パーキンソンの法則」と言うのを習ったことがある。「役人の数は、仕事の量とは無関係に増え続ける」というもので、何となく当たっているように思ってきたし、大都市東京となると、だれもどれ位の役人が必要だとは言えないだろう。2020年のオリンピックを前に、そこに戻って役人に物言える人が都知事になってくれれば、と期待してしまう。パワーゲームはそんな単純なものでは無いだろうけれど。

    日付(16/7/16) 天皇譲位?

突然話題になった天皇譲位の話。色んなメディアが一斉に扱っている割に情報の出所が分からない。天皇本人が発信したという情報はなく、政府も何も言っていないと言い、果ては宮内庁ですら何も言っていないという。一体このニュース、誰が何の為に流し始めたのか、やや気になる。当方は反天皇制でもなければ、時代に合った憲法への改憲派でもある。でも、もしこの天皇譲位期待のニュースが遠巻きの改憲推進のためのニュースであるとしたら、それは許せない。天皇の心を憶測させて、それを政治に利用するのは最も汚い手法だ。憲法には、「天皇の国事は委任できる」と明記されている。多忙であるのなら、全ての国事を皇太子にでも、秋篠宮にでも委任できる。それをしないのか、誰かがさせないのか。ただいずれにしろ、健康問題も含め、現状で解決できる術はいくらでもありそうだ。それを、参院選で改憲派が2/3に達したこの時点で話題にするのに反感を感じる。実際、天皇は何も言っていないし、宮内庁からの発信も無い。ただ、いつの間にか、国民の間では「お歳だから譲位は良いのでは」的な意見が流れている。当方は、譲位が悪いとも、天皇がもっと頑張れとも言わない、でも本人たちが何も言っていない段階で、いつの間にか問題として提起する手法は頂けない。まず発信地を言わないメディアが悪いし、裏で操っている人達がいるとすれば、許せない。折角、昭和・平成天皇が努力して築いてきた「象徴としての」天皇制を政治利用するのは良くない。

    日付(16/7/14) 今年も熟年旅行

昨年も丁度同じ頃、下呂温泉に行った。今年も「チョイ悪老人修学旅行」の仲間に入れて貰った。昨日は、小布施の旅。これまで行っていなかっ岩松院を訪ねた。北斎の残した最大の天井絵「八方睨み鳳凰図」は実に素晴らしかった。江戸時代末期から手を入れていないとか。彩色がしっかり残っていて、圧倒された。北斎は90歳以上まで生きたらしいが、それでもこんな田舎町が気に入ったとか、それだけでも面白い。幹事さんの小中時代の友人がやっているという黒姫のペンションに泊まり、手作りのディナーも楽しんだ。今日は、善光寺から、松代町へ。今年の大河ドラマでは、あくまで真田幸村(信繁)が主役故、大きな話題にはなら無さそうだが兄の真田信行が関が原で徳川方について「真田家」を守ったという舞台。松代城、長國寺などを楽しんだ。昨日は雨の小布施、今日は真夏日の松代。でも、熟年6人組の旅は楽しかった。馬鹿なことを言って大笑いをしていても、実は社会人としてちゃんとコントロールできている。その安心感が、旅を楽しくさせる。今年も満足感が心に残る旅だった。

    日付(16/7/11) 自民・公明の圧勝

参議院選挙が終わった。結果は前評判通りの自民・公明の圧勝。話題の野党共闘の結果をどう評価するかは良く分からない。選挙前と比べたり、前回の参院選と比べたり。でも、政権側の圧勝に終わったことには違いない。沖縄・福島出身の現役大臣の落選は、地域の選挙民の意見は現実の苦悩が大きくなると選挙を動かすことは良く示した。さて、今後日本の政治はどう動くか、経済指標は既に国内政治の影響より、国際問題の影響の方が大きいことはとっくに示されている。勿論、政権側か勝って、円安になるという現象は屁理屈もつけにくいけれど。安倍政権の命運もこの選挙結果より国際政治の動きの方に影響されそうに思う。おそらく改憲派が2/3になったからと言って、今改憲論議を始めようということにはなるまい。米国の大統領選挙や英国のEU離脱問題、そして中国のシナ海の覇権問題などの方に振り回されるだろう。さて、一度政権を取った民進党、真の2大政党時代を求めてどう動くか。共産党と組んで、「反対政党」に戻っても何ら期待はできない。明日からの動きを見守りたい。

    日付(16/7/9) 民主主義は投票率で

明日に迫った参議院選挙。メディアの影響力が大きいだけに、事前予想を信じる訳にはいかない。英国のEU残留問題も、前日まで残留派有利だった。参院選挙も、自公圧勝、改憲派2/3到達とか、多くのニュースが流れている。この事前調査に惑わされる人が多いと、「予想に反し」とか「思いがけず」とか、一言付けるだけで何でも言える。今回は初めての18歳の投票権、どれくらい影響するか知らないけれど、是非真剣に参加して欲しい。歴史は、参政権を巡って多くの先人たちが戦ってきたことを教える。でも今は、「自信がない」とか、「知らない世界だから」とか言って、選挙権が巡ってきたことを喜ぶ風潮もない。それだけ、変えたいという意欲も無いのかも知れない。でも、と思う。本当に政治に一言、言いたい時に何の術もないのと、門戸が開かれているのは大きな違いだ。ぜひ、18歳の人達には、新たな権利が与えられたことを喜んで、大いに参加意識を持ってほしい。でも、実は当方が最も関心があるのは投票率。いくら権利を与えても、実践しなければ意味はない。一票の格差問題でも、人口比で話をしても何の意味も無くて、本当に大事なのは、実際に投票した票数。まずそこでの一票の価値を評価してほしい。少なくとも何年か前までは都会の方が投票率は低く、田舎の方が高かった。もしそうなら、人口比で田舎の代表を減らしていくのは決して合理的ではない。投票と言う義務を実行しない人に権利だけ主張することは許されない。今回も含めこれからの選挙の最大の注目点は「投票率」基準の一票の格差である。

    日付(16/7/6) OB会会長

ノルウエーでホテルに着いたら、Wi-Fiが有効で、メールをチェックすることができた。現役の頃は、出張中にいかに会社とコンタクトを取るか、このメールのやり取りは基幹作業だった。今回のノルウエーで突然入ってきたニュースは「貴方が千葉OB会の会長に選任されました」という驚くべきニュースだった。基本原則に、欠席裁判有となっていたのだが、まさか当方が(いきなり)会長を依頼されようとはさすがに予想はしていなかった。OB会と言うのは、現役の時に何をしたのかに関わらず、自分を育ててくれた会社の卒業生の仲間が集まって懇親をする場だと認識しているものだから、まさかここで色々言い訳もできない。選ばれたからにはメンバーの人達が期待するサービスを心掛けるしかない。ただ、前提条件として当方が守りたい原則もある訳で、それを堂々と言えるのも「選ばれた権利」であると思う。世の中が変わり、会社も変わり、世代も変わっている。新しい時代の、でも古きを懐かしむOB会というものはいかにあるべきか、また新しいテーマをもらった。信任されたのだから、主張と約束はしっかりさせて貰って、今後のOB会を考えて行きたい。これまた新しいチャレンジ。

    日付(16/7/3) 熟年男声合唱団

現役時代の同僚(後輩?)がリタイアして頑張っているのが男声コーラス。大学時代のグリークラブの仲間がリタイアしてまた合唱団活動をしている。平均年齢は70歳を越しているとか。毎年聴きに行っているが、今日も「東京オペラシティー」に行ってきた。こんな所で、やれること自体が凄い。おそらく現役時代に色んな社会で活躍した人達の集団だから、顔が効く人がいるのだろう。合掌の美味い下手を判定はできないが、兎に角皆さん声が出る。ハーモニーが素晴らしい。第二の人生を合唱に賭けているなんて、見ているだけで羨ましい。80歳代の指揮者も溌剌と。観客も、勿論熟年が主だが、時折若者の顔も見える。こんな舞台で、満席の観客の前で、精一杯声を張り上げるお爺さん達。例年のことだが元気をもらう。彼とはカラオケもよくやった。妙にそれを懐かしく思った。そういえば長い間歌っていない。まだ声はでるのだろうか。これも長生きの秘訣かもとマイクを持ちたくなった。そうだ「兄弟船」だったな。

    日付(16/7/1) 何故憲法を語らないのか

参議院選挙が新聞を賑わす。でも余り争点が見えない。批判しかできない野党に多くの国民は癖壁としている。対案を出すことが民主主義の正しい道だと思うけれど、対案が相手を否定することでは前に進まない。安倍政権だって、堂々と改憲を政策として打ち出せば良い。60年安保、70年安保、自衛隊反対、歴史的に憲法違反を言われた政策は多くあった。おそらく自衛隊は憲法違反だと今でも思う、が自衛隊は必要だと思う。何故いつまでも「解釈変更」で逃げ続けなければならないのか。世界の国々と同じように「時代に合った憲法」に変えられる様にすることが何故そんなに危険なことなのか。今の憲法をもっとさらけ出して国民が議論して何が悪いのか。そこが理解できない。まるで憲法を作り、合意した時代の人は神様の様な人であって、これからの人間は戦争をしたい人間ばかりだとでもいうように。改憲を訴えるならベストの選挙だと思うけれど。

    日付(16/6/30) 英国のEU離脱

今になって、多くの英国民が反省しているとか。保守党で離脱組を率いたジョンソン氏が首相にならないと言い、結局新英国のリーダーはなかなか決まりそうにない。グローバリズムとナショナリズムの戦いで、ナショナリズムの勝利と言われているが、実は経済の世界はとっくの昔にグローバル化されていて、いいとこどりのナショナリズムの入り込む余地はない。英国は取り敢えずEU離脱を決めたのだから、ある程度の経済面での犠牲は覚悟する必要がある。それが、この期に及んで、経済面のEU内での自由だけは従来通り望んでいるらしい。ただ、それは認められないだろう。だからこそ、キャメロン首相は即退陣を表明した。世界経済への影響も大きいようであれ以来、為替も株も一向に安定しない。日本経済は、そう影響は大きくなさそうだが、そうはいかない。つくづく経済面でのグローバリゼーションの進行を思い知る。我々の様な、リタイアリの小さな懐の中味まで、英国のEU離脱が影響する。マネーの世界のグローバリゼーションは遥かに先を行っている。やはり、政治は「何が幸せか」を明白にして進めるべきだ。北欧で見てきた「高負担高福祉」のような国の在り方を訴えるような政党が日本では出てこないのだろうか。金銭的な豊かさを求めるアベノミクスに対応できるのはそんな政治だと思うのだが、どの野党もアベノミクスの不成功だけを訴える。これでは、選挙を待たずとも結果は見えている。

    日付(16/6/28) ヨーロッパで考えた

デンマーク・ノルウエーの旅を終えた。途中で雨にも降られたが、優先順位一位のフィヨルドはしっかり味わった。この2か国の歴史や、建物には欧州一般で感じるような圧倒されるインパクトはない。でもその分、自然が素晴らしい。そしてあらためて感じたのは、「人間の幸せとは?」ということ。この2国はいわゆる社会民主主義、昔から「死ぬまで幸せな国」と言われた。福祉国家の成功例と言われる。世界経済の中でも競争力がそれ程強い訳でもない、でも人々は幸せだという。収入の半分近くを税金に回し、でもそれを一種の貯金とさえ考える。その代り手厚い福祉で安心できる。広大な緑の中でゆっくりした人生を過ごしていてそれも幸せだと思う。でもその限界を感じるのは、「医学の進歩」。これらの国でも「命を金で買う」ようになると、幸せ感が変わってくるのではないか、そう思った。そして24日、英国のEU離脱の結果を聞いた。もしかしたら、欧州の歴史を変える日に欧州にいるのかと思った。変わりゆく人類の歴史を感じながらの旅だった。

    日付(16/6/21) 北欧へ

個人も社会も、世界も何となく慌ただしいけれど、今夜から北欧の旅に出る。いつか新聞をみていたら、「こんな安くて本当に行けるの?」と思う様な宣伝が出ていて、思い付きで申し込んだ。詳細を見てなるほどと思ったのは、北欧とは言ってもデンマーク2日、ノルウエー2日の正味計4日程度、それでも延べ7日、4泊6日の旅。行きも帰りもカタール航空で、ドーハで乗り継ぎ。暇な人種でないと付き合ってられない、様なスケジュール。でも、初めての南回りヨーロッパ、ゆっくり時間を過ごそうと思う。第一の目的は一度訪れたかった、ノルウエーのフィヨルド、ここで晴れればもうそれ以上は何も求めない。これから何度も海外旅行が楽しめるとは思えないし、折角の機会を大切に、と思う。行ってきます。

    日付(16/6/20) 英国とEU

いよいよ迫ってきた英国のEU離脱の是非を問う国民投票。離脱派が優勢だったが残留派の議員が殺されて、やや流れが変わってきたとか。英国は通貨も依然としてポンドを使用していて決して100%EUではない。ただ、経済面で言えばロンドン市場はグローバリゼーションのシンボルとも言える場所だった。EU離脱の流れは、米国のトランプ氏のトレンドと似ていて、やはりナショナリズムの表れであろう。どこの国でもグローバルを叫ぶ時は、その前提として「自国や自国民はまず富める」方においてその上での世界という主張だ。まず自国という発想はそう捨てられるものではない。例えば日本でも、アジアの他国がどんどん豊かになって日本だけが伸びないという状況になった時に日本を犠牲にしてでもアジアと共に進展を、と言えるだろうか。英国も、米国も極言すればその「世界か自国か」という問いに突き当たっているのだろう。発展途上であった時は良いけれど、ある程度熟した国は、「これでもかこれでもか」と自国の富を追求するのではなく周りの国(世界)の成功を手助けするような政策を執るべきだろう。グローバル化が進んでいる世界経済から見れば、今回の英国の国民投票は、これから世界の人類はどのように平和を保ちながら進展していくのかを問われるステップだと思う。歴史の中で、一時期世界を制覇した「大英帝国」がもう一段縮こまってしまうのか、興味のある投票である。

    日付(16/6/18) 兄(三兄)逝く

当方は5人兄弟、兄3人と、姉1人、しかも姉が生まれてから5年も経ってから生まれた「団塊の末っ子」である。子供の頃の兄弟の付き合いの想い出も余りない。正月やお盆に田舎に帰ってきて兄弟でキャッチボールをしているの見て羨ましく思った記憶がやけに強い。大人になるに従って段々仲間に入れて貰い、社会人になって初めて本当の兄弟仲間に入れた。15年前に長兄が逝って、いよいよ我々の番になってきているなと思った。去る14日、実に突然、三兄が逝った。信じられない突然さ。朝、畑に少し出て疲れたらしく帰ってきて、ごろりと休んで、それで終わり。様子を見に行った義姉が異常に気付き救急車を呼んだが、どうもその時点で既にこと切れていたらしい。本人としてみれば常日頃思い描いていた死に方かも知れないが、周りはただただ驚き悲しむばかり。二人の息子に恵まれ、今や5人の孫、そして2か月前には(75歳にして!)初のひ孫にまで。おそらく社会的にみれば実に幸せな人生だった。仮通夜、本通夜、告別式と別れを惜しんで帰ってきた。今は、じっくり考える時間に恵まれているだけに、こんな機会があると人生を考える。この兄は医者嫌い・薬嫌いで殆ど自分の健康についての対策を講じていなかった。その一方、どんな症状があったのか分からないけれど、(おそらくこの1−2年)家族・兄弟・周りの人達に対し、「別れの言葉」を残していた。正に驚き。おそらく強靭な「自分の人生は自分でコントロールする」という意識があったとしか思えない。自分の告別式に読んでもらうメッセージまで準備していた。驚きばかりの3日間。告別式は涙は流さずにと心していたが、最後のシーンに「故人が好きだったカラオケ」ということで、最初に「兄弟船」が流れて急に涙があふれた。4人兄弟で集まる度に歌った。色んなシーンが思い出された。お葬式の間中、一部始終を見守りながら、ついつい兄の代わりに自分を置き、彼の家族の代わりに自分の家族を置いて、その日を想像していた。本当に、後は「与えられた人生を精一杯生きる」しかないなと、思い知らされた数日間だった。

    日付(16/6/14) せこい

「せこい」って子供の頃、あまり使わなかったし、親しみのない言葉だった。おそらく街言葉、しかも多分浪速言葉か。舛添都知事の批判言葉として、やけにポピュラーになってきた。どんな字を書くのかと改めて調べたが、当て字もないようだ。細かくてみみっちい、ケチ、ずるいなど、良い意味ではないし、しかもどうも小さい。こんな言い方をすると叱られるが、政治家の「悪」は時として義侠的な意味で裏面では人気があった。鼠小僧であれ、次郎長であれ、時には悪で悪を滅ぼす的な、かっこよさがあった。これをせこいという表現はしない。舛添都知事は、一週刊誌に取り上げられたのがきっかけで、次々と暴かれる。一つ一つが(額が)小さい。そのことが、却って、だから許したいでは無く、だから許せない、に繋がっている。田中角栄は最後は犯罪人だったが今頃人気が出ている。多分、ピーナッツの規模の悪事は働いたかも知れないが、何十万単位のお金で後ろ指は指されなかっただろう。時代が違うの一言で済まない寂しさがある。都知事は貧乏人の苦学生からのし上がってきたことについては非常に共感を覚える人だったのだが・・・おそらくもういけない。

    日付(16/6/12) ワイングラスの音色

久しぶりに3男の家族が孫の成長ぶりを見せに来てくれた。この4月から義娘も教職に戻り、本当の「共稼ぎ」家族に返った。孫達も初の「保育園生活」になり、家族でてんてこまいの様だ。これが現代の家族なのだと思い知ることも多い。スタートは大変だった様だが、孫達もちゃんとすくすく成長している様で、会うだけで嬉しい。昨夜、ビールからワインに替えた時に、ワイングラスに少量の水を入れて、濡らした指で口をなぞることで綺麗な音が出るという技を見せてくれた。確かにその演奏をTV番組で見たことはあったが、こうしてもうすぐ5歳の子供が楽しそうに見せてくれると、こちらもその気になって、色んな種類のワイングラスを次々に引っ張り出してその音色を楽しんだ。勿論、自慢そうに次々と音色を奏でる孫が可愛いのだが、同時に絶対音感も含め、この子の音楽センスも知りたくなる。ネットで調べると、ワイングラスやコップだけでなく、マグカップなどでもできるそうだ。そういえば昨年中国に行った時に、金属製のタライでやると噴水が立つのをやっていた。それを思いだした。科学的には単純な現象なのかも知れないが奥が深い。それを5歳の孫に再認識させられ、思わず驚いた夕べだった。

    日付(16/6/10) 6月10日

今夕のニュースで今日は「時の記念日」と聞いて、妙に懐かしく思った。ここの所余り意識したことがなかった。ゼンマイ・機械式が常識だった時計がいつの間にか電池式、そして自動巻き、ソーラーへと我々が生きてきたこの50-60年の間に大きく変わってきた。今や正確さでも電池式の方がはるかに高い。それでも、機械式を愛する人も多い様で、その技術を保つ人材を改めて育てているらしい。なんとなくゼンマイ時計を懐かしく思った。さて、もうひとつの6月10日は、何と言っても「夏のボーナス」、昭和47年のボーナスは勿論わずかな額だったが、初めてもらったボーナスで亡き母に贈り物をし、欲しかったステレオを買った。あれからしばらくは、ちゃんと封筒でもらっていたが、いつの間にか味気ない銀行振り込みに変わり、6月10日の印象も弱くなった。でも、サラリーマン初期の頃の6月10日は兎に角胸弾む日だった。あれからもう40年以上が経った。

    日付(16/6/7) 子供を育てる親

最近の常識として祖父母が孫の教育に口出ししてはならない、というのがある様だ。それが拍車をかけて、ただただ可愛がれば良いという。今回の北海道の置き去り、救出事件。結果オーライだから、メディアには余り騒がないでいて欲しいと思う。でも、自治体、政府は勿論、教育界でも大きな話題になっている。人によって評価する人そのものが異なる様だが、やはり注目は本人だ。当日に自衛隊まで行きついたのに、なぜ2日目から水だけを飲んで生き続けたのか、小学2年生なのに、泣き叫んだりしなかったのは何故か、多くのWHYが残る。この年齢で、これだけの精神力を持っているのは凄いと思うし、それを育てた両親も(今や攻撃の対象になっているようだが)凄い。この子(大和君)がこれからどういう人生を歩むのか気になる。おそらく大丈夫だとは思うが、追っかけメディアには注意すべきだろう。一つ乗せられると、親子そろって犠牲者になりかねない。つくづく親の責任、育てる際の「信念」の必要性を思う。昔は良しにつけ悪しきにつけ、同居の年寄がいろいろ言っただろう。今は、親が悩む。「こう育てれば賢くなって、スポーツ万能で、誰にでも好かれる・・・」良い子になれるなんて話はあり得ない訳で、やはり親は親として自信を持ち、且つ歴史や先輩から学ぶことも忘れないで自分流の子育てスタイルを確立する必要がある。ジジババとすれば、「もっと相談してくれれば」と思ってはいるのだが。

    日付(16/6/5) 新プロジェクト「西国三十三ヶ所巡り」スタート

亡き父母、長兄のお参りをした時に、義姉に四国八十八ヶ所巡りを終えた報告をした。その時彼女は自分も兄が亡くなってから「西国三十三ヶ所巡り」をしたのですよと、その納経帳を見せてくれた。五木寛之の「百寺巡礼」はゆっくりとしか進まないが、四国を終えたのを知って、「目標がないと逝きますよ」という人もいる。そこで、再び一念発起、その西国三十三ヶ所(観音)巡りをしようと思い立った。ネットで四国と同じような体裁の納経帳を買い、ガイドブックも買って、この週末、また高松出張の帰りを使って、巡礼を始めた。一番は和歌山那智で容易ではないので、またもやいい加減なスタイルで、奈良の四寺を回った。飛鳥からスタートしたが、何十年も前に訪れた岡寺など、全く記憶にない。今日は帰り道で興福寺の「南円堂」に立ち寄った。奈良ファンで、特に東大寺周辺は詳しいつもりなのだが、南円堂が西国三十三ヶ所に入っているとは知らなかった。さて、また新しいスタンプラリーのスタート。何かを考えながらであり、何も考えずにでもあり、でもこうして色んなお寺を巡るのは悪くない。このプロジェクトは四国の反省に基き、焦ることなく、よそ見をしながら歩きたい。でも、今日の興福寺周辺は余りの雑踏で嫌だった。たまにしか行かない人間の我が儘だとは分かっているのだが、いただけない。久しぶりの三月堂を考えていたけれど、厭になって早々に引き上げた。インパウンド効果、絶大、とも言える。

    日付(16/6/1) 消費税増税延期

遂に安倍首相が来春の増税の延期を決定した。まさに参議院選挙対策、ポピュリズムの出番だ。だって今、街行く人に「現在、消費税は何%で、来年4月に何%になろうとしているか」尋ねてみたい。多くの人が、正確にスッと答えられないのではないか。ただ「増税」と言う言葉でNoとなる。8%から10%への2%アップと認識すれば、多くの追加社会福祉政策が財源不足に陥ることを考えると「公約通り断固として所信を貫いた方が良い」と思う人も多いのではと思う。安倍首相だって、信念の強い、信頼に足る政治家に見えるのではと思うのだが。わざわざサミットで「リーマンショック前との相似」を訴え、G7のサポートを使って、結局選挙対策のポピュリズムに動いた。大平首相だって、竹下首相だって、いわば地位を犠牲にしてでも、消費税に手を付けた訳で、誰だって本当はやりたくない事だろう。政治家は誰かのせいにできれば、ポピュリズムの方が居心地が良い。それに逆らってでも長期的視野で「正しいことを実行する」ことが本当のリーダーではないか。安倍首相にはそれを期待していたのだが。おそらく我々団塊にとっては、元気でいれば今の方が良い。でもおそらく老人福祉対策はまた遅れるだろうし、ますます孫の世代を難しくしている。孫達の世代のこの国はどうなっているのか、ますます心配になってくる。

    日付(16/5/28) オバマ大統領広島訪問

初めて原爆資料館を訪れた時の印象は忘れられない。誰もが一度見て何かを感じておくべきだと思った。「核戦争の恐ろしさ、非人間的要素」、これは言うまでもない。だから「地球規模での非核運動」には心から賛成する。でも、現実の世界・国家・社会の在り方をみると、日本の「核の傘の下の平和」という面も無視できない。戦後の日本の(経済的)発展を支えてきた大きな基盤である。もし、これが無かったら、おそらくどこかの国の属国になっていただろう。核爆弾使用に対し「謝罪」を求める声もある。もし、戦争前に日本が原子爆弾の製造に成功していたら、間違いなく先に使用していただろう。その当時の日本の「狂気」さは「全国民命がけ」だったのだから。特攻隊の自爆や人間魚雷「回天」の犠牲になった人達からみれば、同じ無謀な戦争犠牲者である。今現実に起こっているISISの戦闘をみて、早く何としても終わらせたい、と思うのは普通だろう。その時、「核爆弾一つで」と思う人もいるだろう。それ程に戦争とは狂わせるものだから。オバマ演説は素晴らしい、高邁な精神に溢れている。世界の指導者はこれ位の理想を心に秘めた人であってほしい。でも、このオバマ大統領でさえ、中東の戦争は終わらせるどころか一層拡大させた。やはり、アメリカには「世界の警察官」であって欲しいと思うのだが。

    日付(16/5/26) 伊勢志摩サミット開幕

サミットが始まった。テロ対策の警備、オバマ大統領の広島訪問、現在の世界の経済状況の認識、中国の影響力の増大、あげくは直前に起こった沖縄の事件など、世界のメディア、日本政府、国民など、見る人の立場によって重点が変わるG7である。一言で言えば政治ショーなのだが、でも誰が何を言うかによって世界に影響する。安倍政権は、ここ何回かの日本開催サミットの中でも、世界の中での日本の重要性を認識させる効果はありそう。ただ、おそらく今でも、日本なんて意識もしていない人達は世界にはいくらでもいることを我々はもっと認識しなくてはならない。何とも恵まれた地理条件で救われてきた国ではあった。ただ、もうそんな時代は終わりつつある

    日付(16/5/23) 舛添知事

本当に、メディア(特に週刊文春)に狙われたら社会の中で生きていけなくなるなと思わせる。お金の額で行けば大したことがなくても、公私混同を言われるともう都民の支持はなくなり、加えて失望感を与え、政治への信頼を失わされる。誰でもあるだろうから許してやれよ、と言いたくもなるが、やはりリーダーには「けじめ」を求める。この嵐を乗り切るのは容易ではないだろう。個人としては苦学生で、努力家で、これまで魅力と思われたことさえマイナスに写る。政治家って大変な職業だなと思う。苦労人ではなく、安倍首相の様な「その筋」の人の方が政治に集中できるのかも知れない。でもあの舛添知事でもこんなに虐められるのなら、もし次の週刊文春のターゲットが安倍首相や、菅官房長官に当てられているとすれば次はどんなニュースが飛び込んでくるかも知れない。メディアは庶民を怒らせる手法を熟知している。これはこれで恐ろしい話だ。

    日付(16/5/20) スポーツ観戦

おそらく我々世代のリタイリにとって、スポーツ観戦は大きな楽しみの一つ。今年はオリンピックイヤーで、その予選をフォローするのも忙しい。女子バレーの一昨日のタイ戦は、奇跡の様な試合だった。セットを順に取り合って、15点先取の5セット目、12対6までリードされ、万事休すと思ったが、その後(レッドカードの2ポイントの助けも得て)大逆転勝ち。これは興奮した。日本が勝ったから言えるのだろうが、レッドカードの2点は気の毒だった。今夜のドミニカ戦はハラハラはしたが、3−0で結果としては楽勝。リオは近づいてきたかも知れない。もう一つ毎日興奮しているのは大相撲夏場所。何とか稀勢の里に全勝優勝して貰って誰もが文句を付けない大横綱になってもらいたいと応援しているが、今日の白鵬との全勝対決、結局勝てなかった。流石、白鵬と言うしかない。残すは明日明後日の残る2横綱のメンツに頼るしかない。でも、これまでの稀勢の里と違い信頼性が上がってきた。今日の白鵬は褒めるしかない。このように連日TVの前で興奮している。女子バレー選手の、稀勢の里の心の内を想像しながら、やはりプロというのは苦しいものだと思う。一昨日のバレーのタイ戦と今日の稀勢の里・白鵬戦は金を払ってでも見る価値がある戦いだった。リタイアリもしっかり元気を貰っている。

    日付(16/5/17) 公民館族

今夏も二つの公民館からパソコン教室の講師を依頼されているものだから、その下打ち合わせに出かけた。両方の公民館とも、駐車場は一杯、元気な熟年たちがスポーツに学習に、遊びに老春(なんて言葉があったかな?)を謳歌している。確かに、病院通いを日課にするよりも遥かに健康的なのだが、どうも引っかかる。当方自身もそうなのだが、只管「健康に死ぬ」ための準備をしているとも言える。家族構成は核家族化で、老人の出る幕はない、社会も若年層の仕事を老人が取ることを良しとしない。世界旅行をしたいと言っても、一回旅に出れば一気に蓄えが無くなってしまう。平和と言えば平和かも知れないけれど、「第二の人生の生きがい」はどこにあるのか。先日、先輩が教えてくれたTV番組、5/12のNHK・Eテレの「スーパープレゼンテーション」“What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness”をネットで観ることができた。あのアメリカで、でも結局人間の幸せは、お金でも物でもなく、「誰かとの絆」があるかどうかで決まる、というプレゼンがされていること自体が面白いと思った。公民館に通っている人達も、おそらく「何かを通じて、誰かとコンタクトしている」ということが、最も重要だと気付いた人達かも知れないと思った。今夏もそんな人達を相手にパソコン教室をやる。そのこと自体が、当方には「与えられた幸せ」の機会なのだと思い知る。今はまだ取り敢えず予定表は詰まっているけれど、70歳を越したら、おそらくもっと「予定表を埋める努力」が必要になるかも知れない。しかも、そうなれば予定表が詰まることが最もラッキーであることの証明になる。昔の、田舎の大家族主義なら、色んな忙しいことがあったのでは、と思うけれど。100年単位で考えれば、もっともっと「幸せの定義」は変化していくのだろう。

    日付(16/5/13) 過ぎし日を振り返る

もう5年以上も続いているコンサル仲間の集まりだがお互いを良く知らないままお付き合いしている。今年は、改めて自己紹介をしましょうと、個々のメンバーの持てるものを紹介することになった。今日は当方の当番。久しぶりに己を振り返った。70年近い人生を思い返すと、正に光陰矢の如し、あっという間の時間。20年、30年前のことでもついこの間の出来事の様に思える。メンバーには自慢話と、反省話とごちゃまぜに聞いてもらったが、これが我が人生。人類の歴史の時間軸の中では点にもならないが、ある部分を見てきた、過ごしてきたことだけは事実。ある年齢になると、家系図を書いてみたくなるとか、それは先祖を含めて、さて、どれ位の長さが自分の実感として参加できる歴史なのかを見直してみたくなるということか。昔の自己紹介と、今に至ってする自己紹介ではなぜか、俯瞰性が強くなってくる。今更、自分を「売り込む」必要が無いからだろうか。面白い時間だった。

    日付(16/5/10) パナマ文書

長い間、タックスヘイブン(避難所)ではなく、タックスヘブン(天国)だと思っていて、「発音が悪いな」と感じていた。税金を避難させるより、税金の天国だと思った方が分かり易かった。個人的には全く関係ない世界だが、現役時代は「グローバルカンパニーというのはこれほどまでに税金を少なくするのに一所懸命なのだ」と感じたことは多かった。今回挙げられている企業や個人も、おそらく殆どは合法的に税という出費を最低限に済ませたいという工夫の一つだろう。ただ、中にはどこにも税を払わずに済まそうと、結果としての脱税をしている人もいるだろう。企業として税金をたっぷり払って社会に貢献するのは勿論だが、出費を抑え利益を最大化して従業員を含むステーキホルダーに報いるというのも目標の一つでもある。日本の中小企業など優良会社でも法人税を払っていない会社なんていくらでもある。このニュースの扱い方を観察すると面白い。格差社会を攻撃する論調が多い。いつもの当方の説だが、個人が自分の努力で大成功を収めた人は生きている間に、寄付などの社会への貢献も含め、徹底的に贅沢をして散財すれば良い。但し、基本的に相続・譲渡は出来ない様にする。そんな世の中になれば、格差が将来にわたって継続しなくなるだろう。問題なのは「生まれながらの格差」ではないのか。もうひとつ面白いのは個人情報の流し方。当方は個人情報保護法はかなりの悪法の一つだと思っていて、災害時の「絆」が小さいだの、ご近所付き合いが減ってきているだのと言った原因の一つだと思っているが、今回のパナマ文書では膨大な個人情報が流されていて、それを攻撃する論調は(今の所)見当たらない。既に知られた富豪や、有名人だからなのだろうか。不思議な話である。

    日付(16/5/7) 米国大統領選挙

我々日本人は外野席で見ているだけだが、大統領選挙はとても気になる。あんな言いたい放題で「米国の良識」とは相いれないだろうと思っていたトランプ氏の共和党候補はほぼ決定とか。これだけで信じられない出来事。米国にも大きな変化が来ている。民主党クリントン氏はほぼ大丈夫とのことで、常識的な流れで行けばクリントン対トランプとなり、クリントンで決まる、ということなのだが、クリントンの私用メール問題はいよいよFBIが本格的に捜査、クリントン本人からも事情聴取とか。そうなればサンダース氏の逆転勝ちで、トランプ対サンダースという流れができるかもしれない。トランプ大統領と言う誰も考えもしなかった状況が日々現実味を帯びてくる。とりあえず現状ではクリントン大統領が最も現実的なのだが、今年の大統領選挙が示しているのは、国際社会の乱れと、リーダーの不在だ。米国だけに地球の将来を任せられないということだろう。トランプの言うように日本が自分の身は自分で守らなければならなくなるとすれば、国も国民も大きな変化を求められるだろう。裸の富める国、日本を世界が放っておく筈はない、政治的・経済的に「小さな国」にならねばならなくなるかも知れない。外圧で変化する国、日本だが、今度の外圧は「放り出される」圧力かも知れない。明治維新、敗戦、に続く新たな試練が、この国を襲うことになるのだろうか。今の若者たちの人生観を一変させる「維新」が来るかも知れない。歴史と言うのは時々「予想できない」何かをもたらすことがある。

    日付(16/5/4) イヤホン型ウオークマン

外出しない日は雨さえ降らなければ1万歩のウオーキングを日課にしている。継続できている理由の一つが音楽。ヘッドホンやイヤホンで「青春時代の歌」を楽しみながら歩く。最初はiPodでスタート、その後iPod-nano、いずれも良く働いた。今回、遂にnanoが動かなくなったけれど、最初のiPodの時の様に修理しようということは考えなかった。何しろ、当方が日常使用する電気製品でこれ程長時間使用したものは無いだろうから。「ご苦労さん」で、替えることにした。今度、購入したのはソニーの「デジタルミュージックプレーヤ」。ヘッドホンのイヤホンタイプで、耳に装着してボタンを押すだけ、なかなか良い音がでる。ポケットにプレーヤーやつなぎのコードなど何も要らない。以前から「あれならウオーキングに良さそう」と目をつけていた。昨日から使用し始めたが、期待通りのパーフォーマンス。何とも目的に合った良いものがあるものだ。パソコンで音楽データを入れるのだが、約2000曲とか。これも楽しめる。70歳近いお爺さんが、ジャージを着てスポーツシューズを履いて、おしゃれなイヤホンを付けて音楽を楽しみながら歩いている。意外と絵になるかも、なんて思いながら。

    日付(16/5/3)  ゴールデンウイーク

3人の子供たちがまだ小学校に入る前は、ゴールデンウイークは帰郷に決まっていた。愛知から、鎌倉からドライブで鳥取に帰っていた。流石に、小学校に上がるとそうもいかなくなり、帰郷は夏休みになった。それでもこの季節の故郷の新緑の中のドライブは今でも懐かしい。今の我々にはゴールデンウイークは騒がしいだけの一週間で、じっとしているしかない、と言いながら孫達が来てくれると嬉しい。この季節はこれからの家族関係を考える時期なのかも知れない。我々世代は子や孫に迷惑を掛けたくないと思い、子供たちも親に頼ることなく自分たちの世代を創って行こうとする。それで良いと思うのだけれど、何か喪失感があるのは何だろうか。3世代の家族が集まって食べたり、飲んだり、騒いだり・・・もうそういう時代では無くなったということだろうか。何となく寂しい感じを持つのは、単に「歳をとった」ということだけなのだろうか。こんなことを考える「ゴールデンウイーク」。

    日付(16/4/30)  こんぴらさん

先月の丸亀城に続き、今月の高松出張の帰りの寄り道は「金毘羅宮」に寄ってきた。春真っ盛りの緑の中、1368段の石段に挑戦した。ここを訪れたのは何と57年振り。小学校の修学旅行以来。勿論、その時どこまでお参りしたのかも覚えていないが、ただ石段が凄かったという印象はある。朝、高松から「琴平電鉄(ことでん)」で、のんびり琴平へ。讃岐平野の春の景色を味わった。バッグをロッカーに預けて参道へ。只管、石段を登った。大門、旭社、本堂、そこから山中の道を白峰神社、最後は奥社まで、1368段とのこと。下りは膝がガクガク。でも良い汗をかいた。ゴールデンウイークが始まって、沢山の人がお参り。帰る頃には本堂前の石段には列ができていた。ウグイスが啼き、瀬戸内海も臨め、信仰の対象と言うよりウオーキングコース。達成感のあるお参りだった。帰りには高橋由一館に寄り、金毘羅大芝居の歌舞伎小屋、金丸座も楽しんだ。良い文化が残っている。空港へのバスを待つ間、ビール一本と、ぶっかけ讃岐うどんが、美味しかった。

    日付(16/4/27)  格差拡大

生まれた時から、「頑張って這い上がる」ことばかり考えていた。負け犬の人生は過ごしたくなかった。トップにはなれなくても「後で反省する」人生にはしたくなかった。いつの間にか、そんな人生にも終わりが来そうで、でもその前に退職者になった時「第二の人生」を探したいと思った。お金のためだけではない「何か」を求めた。今、ある意味では幸せの頂点なのかも知れない。まず、健康だから。コンサルで会社を訪問するけれど技術的な話がメインで、勉強させてもらっている。ちょくちょくゴルフに行って色んな人と利害関係なく歓談できる。一昨日の(会社の)同期ゴルフ、朝話題になったのは駐車場の車、最も多いのはレクサス次はベンツだとか。客は必ずしもリタイアリばかりではない。かなり若者もいる。やはり、日本も(米国の様に)どんどん格差が広がっているのだろう。こうして(碌に持ってもいないけれど)持てる側の一人として振る舞っていると、一種の感慨がある。とにかく一所懸命に生きてきたという感慨と、精神面の満足感を求める心と。これから何ができる訳ではないけれど、経済面の格差ではなく、精神面の格差に注目する余生を送りたいと思う。こんなセリフも元気だからこそ・・・問題の健康面の格差は??

    日付(16/4/24)  旧交を

年に一度だが、鎌倉時代の仲間と会って、お互いの健康を確認し、飲む。昨日は上野まで出かけて行った。鎌倉時代と言うと、何と33年以上前の話だ。30歳代前半で社宅生活、3人の子供を抱え・・それにしては、湘南の若者(?)、よく遊んだ。自由度の高い研究所生活だったということもあろう。金曜になると麻雀をしたり飲み歩いたり・・父親としては失格だったのかも知れない。そんな時の仲間が会って語る。それぞれがそれぞれの30年を生きている。体を壊したり、家族を亡くしたり・・正に悲喜こもごも、でも一度会ってしまうと、あの頃の感覚に戻り、冗談を言い、笑い、酔う。人間って不思議なものだと思う。一人はがんとの闘病を続け、もう4回も手術をしているが、相変わらず飲んでいる。一人は早く奥様(実は当方と一緒に仕事をした)を亡くし、それでも二人の子供を育て上げ、今は良い時間を過ごしている。誰もがそれぞれの苦しみを味わい、それと闘い、今笑っている。昔と同じように安価な居酒屋に座り、二次会もショットバーで一杯飲み、再会を約して別れる。いつものことだが、笑みがこぼれる。良い酒だった。さて、いつまでこれが続けられるだろうか。「健康なら長生き競争しても良いよ」と笑って別れた。そう、決して年齢ではない。この会話ができる体と頭だ。

    日付(16/4/21)  何ができるか

3.11と同じように、我々は何をすべきか、何ができるかを考える。基本的には何もできないし、何もしなくて良い。もし親しい家族や知人がいれば別の話だが。エクアドルで同じく大地震があった。被害は熊本の10倍以上の感がある。一人の人間と言う立場で考えれば、「エクアドルはどうするの?」と思い、だから何もしないエクスキューズにもなる。おそらく我々はこんな時もできるだけ普通に生活することが世の中のためにはなる様に思う。そうは言いながら東北の時と同じように、「せめて義援金でも」と思い、自己満足のできる振込先を探す。3.11の時、いくつか振り込んだが、自己満足すら感じなかった。被害者には届かなかったり、あげくは何に使われた分からなかったり、色んな情けないニュースが流れたから。あの時、結局一番だったのは漁師さんの復興支援。今では、一人の会員顧客として時々送ってくる海産物を楽しんでいる。今回はそんなもってこいのニュースはないし、それでも何かと思い、ネットで探して、熊本市の災害義援金に振り込んだ。当方の希望としてはこんな時こそ活躍する「公」を少しでもサポートしたいから。正に自分がどう思うかだけの問題だが、納得する理由を探す。やっぱり、エクアドル地震にも何かしなければ、と思うけれど、グローバルな寄付金は一層信頼できないものだから・・・自分自身が「色んなニュースに毒されてきたな・・」と思いつつ。

    日付(16/4/19)  非日常

いわゆる「被災地」に対して我々がとやかく言う筋合いではない。只管、日常に帰られることを望むだけだ。ただ、一つだけコメントしたいのは、被災は全くの「非日常」だ.「通常では起こりえないこと」が起こった結果だ。そうであれば、ある程度の不都合は起こって当然であって、すぐに日常には戻れない。当方は、こんな大きな災害が起こるたびに自分に言い聞かせている。「結局、動物はいざという時には自分で自分の身を守るしかない」と。今、熊本地震に国を挙げて対応しているが、もし今、箱根や伊豆半島で同じレベルの地震が起こったら(絶対起こりえないという人がいるだろうか)、一体どうなるのか。救援する人達も全く足らなくなる。我々はおそらく、極限状態においては「一人で残される」のではないか。そうであれば、「期待」したり、求めたりするだけではなく、「一人放り出されたらどうするか」ということを考えておくべきではないか。熊本地震で、避難場所でトラブルが多かったり、救援物資が届かなかったり、そんなニュースを聞くと、「100年か1000年に一回の事件が起きてそんなにスムースに対応できるわけないんじゃないの」と思ってしまう。非日常を日常化する必要はないのではないかと思う。だって、本当に「めったにない」ことに対してどこまで常日頃準備するかと言うのは、そう簡単に解ける命題ではない。「被災地に於ける平等」というテーマと共に、考えさせられる。

    日付(16/4/17)  熊本の大地震(2)

一昨日の地震は前震だったとか、昨日の朝本震、阪神大震災並みのマグニチュード7.3。今回は余震が凄い、震度3超が毎時間の様に起きている。一体地下で何が起こっているのか、これで収まっていくのか不安は募る。山村地域で強かったが故に人的災害はまだまだ小さいが、建物・ライフラインなどは手が付けられないほどの被害の様だ。報道も東北大震災時に学んだのか、色んな工夫をしている。全ての局が同じ内容の放送をしたりすることもなく、ある局は地震、ある局は一般ニュース、そしてある局は通常番組などと、余りに「自粛ムード」に統一しないようにしているようだ。そうは言っても心から明るくはなれない。でもこれが「本来の姿」だろう。天災を語る時、「日本」だけで考えるのが良いとは思えない。どこの国であれ思いやる気持ちは持ちながら、でも極力普通の生活に専念する。そうは言いながら、現場で活躍する、自衛官、警官、消防士などの姿を見ると打たれる。頑張って欲しい。まずはこの人達を応援したい。

    日付(16/4/15)  熊本の大地震

マグニチュード6.4にしては最大震度7は大きい。昨夜の熊本の地震は非常に強かった様だ。建物被害の状況を見ると、よくぞ死者9人で済んだとも言える。人口が少ない地方だったとか、津波さえ来なければこれ位で、とか、いろんな解説がなされるが、被害に遭った人にとってみれば、同じことだ。誰が、いつ、こんな災害に遭遇するのか、誰も分からない。こんな遠くからニュースを見ているだけだから言えるのだが、やはり運、「生かされている」。自然を制御しようとするのは人類の驕りだろう。できるのは「防災」のみ。それは、被害を最小限にすること。自分の安全は自分で守ること。いつの間にか我々は自然災害や、受ける被害まで、誰かのせいにし、誰かが助けてくれて当たり前、と思うようになっていないだろうか。こんな災害があると、メディアの記者たちが兎に角、大きな被害地域を探して報道競争をしている。そんな予算があるのなら、他にもっと被害者の立場に立った「やるべきこと」があるのでは、と思う。今や、現場にいる一般人が撮ってYou-Tubeで流す記録が最も状況が判る。報道のあり方も問われている。まず被害者に同情し、お悔みを、それが今我々にできることだろう。9.11のあの時や、先日訪れた熊本の街を思う。

    日付(16/4/12)  G7外相の広島会議

どうでも良いことのようにも思えるけれど、やはり、G7の外相が広島で会議をし、平和公園に集い慰霊碑に花を捧げ祈る。個々がどう思っているかはともかく、戦後70年以上経って初めて連合国のリーダー達が揃ってこんな行動を取るのは、シンボリックで訴える力がある。当方も原爆記念館には2回しか訪れたことはないが、初めて回った時の衝撃は忘れられない。あれは、何だったのだろう。色んな戦争があり、色んな殺し方があって、一件一件、一人一人を取り出してみれば変わりはないのだけれど、ただ、一瞬にして10万人以上の人間が死亡したと思えばその惨さは言葉を失う。米英仏の首脳は今まで公式には訪れなかったというが、ようやく実現してまず良かった。日本軍の狂気に苦しめられた国にとってみれば、こうでもしなければ「参った」と言わないという事情、開発してきた技術者は「この機に使ってみたい」という魔の誘惑、色んな状況があったと言われるが、やはり、人間として「使ってはならない殺戮法」と言えるだろう。ますます進んでいく科学技術の中で、放っておくと一瞬にして地球を滅亡させる兵器も出てくる可能性もある。それを、狂人が持てば・・人類滅亡は仮定ではない。人種を越え国家を超え、全ての人間が偶にはそんなことを考える必要があるのではないか、そう思わせる出来事。米国のケリー長官が自ら原爆ドームを近くで見たいと言った、それはポーズではなく、一人の人間として正直な姿だと思いたい。

    日付(16/4/9)  44年の歴史

昭和47年入社だからと、4月7日に同期会をすることになっている。東京地域だけの集まりだが、それでも30名が集まった。夫々の近況報告を聞くと、正に千変万化。夫々の44年の歴史は長い。それでも、まるで入社式の後の新入社員教育の場と同じように、親しく話す。この親しさの感覚は不思議な位だ。人によっては今回初めて出席、などと言う人もいる。44年ぶりの再会となる。お互いに昔の記憶をたどり、共通の話題に花が咲く。現役の頃は会えば必ず企業内の話題だったけれど、今では、健康、家族、遊び。個人の、ゆったりした話題が多い。羨ましがられるのは、誇れる趣味。皆さん、色んなことに喜びを見出している。でも、もしかしたら、今がピークでこれからは、次々と参加者も減っていくのかも知れない。入社50年の集まりを健康で迎えたいな、と思った。こうして、色んな集まりがある毎に、目標も決まって行く。「長生きの競争」というけれど、大切なのは「健康で生き続ける」こと。そして「いかに満足できる人生を終えられるか」ということ。皆、それを考え始めている。

    日付(16/4/6)  「ぴっかり」さん後援会

特に落語のファンでもないのだけれど、妙な流れで、コンサル仲間で「春風亭ぴっかり」という若手女流落語家の後援をすることになった。昨日、その第一回総会があり、出席、受付をしたり、落語を聞いてその後、懇親会をしたり。熟年世代の老人ばかりの集団だが、何でも「ヤル気」だけは旺盛。安政柑を守ったり、球磨焼酎をサポートしたり、遂に芸能関係まで。彼女はまだ「二つ目」とかで、何とか「真打」になるまで応援したいと。ところがこの仲間が(当然)良い歳なので、果たして真打になるまで生きていられるかどうか、かなり深刻なジョークからスタートした。何でも「女流」が幅を利かし始めた世の中。もしかしたら、落語という古い世界にもブームが湧きおこるかも知れない。あまりなじみのなかった落語だが、実際に目の前で楽しみ、本人と話したりすると、「どうすれば、あんなに長い口上をあんなに流暢に話せるのか」と基本的な所で感嘆する。二つ目の彼女でも、100以上は演じられるとか。やはり、どんな世界でも「プロ」というのは素晴らしい。安価な募金程度で立ち上げた後援会だが、メンバーがそれを糧に「生きる意欲」をもてば、これもまた価値がある。肝心な「コンサル」はそっちのけで、遊びのネタばかり探している。でも、多分、病院通いをして、寿命と戦うよりずっと良い生き方では?と納得している。

    日付(16/4/3)  丸亀城の桜

今回の高松出張は、帰りに丸亀に寄った。八十八ヶ所巡りでは周辺をドライブはしていたのだが、殆ど寄り道をしなかったので。今回は香川の桜満開のタイミングに合ったので、丸亀から高松空港に行くことにした。「城巡り」を趣味にしている人も多い様で、その人達に言わせると讃岐の丸亀城は10指に入るとか、木造で現存する12の城の一つ。小さな天守閣だが60メートル以上の石垣の上に建ち、遠くから見ても美しい。桜満開の時期に当たり、朝は快晴。青空の下に尖った曲線状の石垣とソメイヨシノが映えた。多くの人達が、家族や、仲間とやってきて桜の樹の下で宴を始めていたが、上野の喧騒を知る身で感じるのは和やかな地方の、昔ながらの花見の景色だった。汗をかいて登ってゆっくり階段を降りて、田舎の穏やかさを味わった。たった、数時間の寄り道だったが、のんびりした心の洗濯だった。これからもっとこんな時間を大切にしたい。

    日付(16/3/30)  トランプ氏の対日観

多くの報道を聞いていて、万が一にでもこんな人が米国大統領になったら、世界はどうなるのだろうと心配になる。ただ最近の対日安保論はある意味本質をついているだけに、日本政府やメディアに刺激を与えている。大戦以来の日本の成長の裏にある「安保タダ乗り論」については、日本人はもっと真剣に考える必要があろう。最近の安保法制反対運動の人達には「で、日本はどうあるべきか?」という質問に対する答えはぜひ準備してほしいと思う。戦後70年、日本は「国の安全を守る」ことなど、全く考えることなく経済成長一辺倒で成長することができた。裏で機能していた「日米安保条約」のことなど、まるで「敗戦国の当然の権利」であるかの如く。でも、その成長過程を見、存在感の拡大を知って、トランプ氏の意見の様に日本の安全は日本人が守るべき、という意見が出てくるのはいかにも自然である。彼は「日本の核武装を容認」とまで言っているようだ。こんな煽動に惑わされる必要はないとは思うけれど、決してそれは特別な米国人の意見ではないことを認識すべきだろう。敗戦国からの脱却と言うことは、おそらく「いかに自分の身は自分で守る」か、自由主義陣営の中で「武力は持たなくても存在感を示す」ことの重要性を示しているのだろう。これで経済も世界第三位から転落するような事態がくれば、世界の中の日本はますます存在感が無くなってしまう。若者よ、そこまでは考えてね、と頼みたい。

    日付(16/3/26)  競馬場で

「昔の若者達」と中山競馬場で遊んだ。現役の時も、年に1回だったが、競馬場でボーッとした(熱くなった?)。公営ギャンブルという名も考えて見ればおかしな名前で。人によっては「ギャンブル」と聞くだけで眉を顰める人もいる。平等社会と競争社会の議論と似ていて、おそらく人間は皆が平等で生活できれば平和、なんて思想だけの話で、共産社会と言えども、競争があり、スポーツの勝ち負けにこだわる。人間(動物)の持って生まれた本能の中に、戦って勝ち残っていくことを志向する部分があるのだろう。射幸心も同じで「賭ける楽しみ」も同様の様に思える。相変わらず、パチンコ、麻雀なども楽しまれているし、ゴルフをやっても、仲間内で「チョコレートの取り合い(?)」も普通の楽しみ。だから、今回の野球界の賭博事件や、賞金の話などを聞いていて、どこまで社会問題にすれば良いのかやや気になる。そんなに敏感なら、公営ギャンブルだっておかしいし、プロのスポーツの莫大な賞金だって・・・それも、必要悪(?)として認めているのではないか。メディアが社会問題を提起する時にも現実感の様なものが必要だ。イヤー馬が走っているのを見るだけでも楽しいんですよ、という人もいるだろうけれど、例え100円でも馬券を買って応援すれば楽しみは倍増する。色んな「人間の性(さが)」について思いを馳せた一日だった。この昔の若者達もすでに社会の重要な構成員になってきている。一緒に飲んで語った「反省会」も格別だった。

    日付(16/3/23)  ブリュッセルテロ事件

中東や欧州で続くテロ事件。これからどうなっていくのか。もう、アメリカは勿論、アジアも知らぬ顔はできない。日本でも空港、駅、新幹線など、想像しただけでゾッとする。イスラムの顔をした人を見れば、注意はできるかも知れないが、アジア人はもう珍しくはない。いつ、誰がISISに協調して・・・心配すれば切りがない。やはり、「毎日は、生かされている毎日だ」と心して生きることが重要と思える。昨夜、ブリュッセル爆発事件を聞いて、すぐにベルギー人の友人にメールした。「家族は皆大丈夫だが、一人の義理の娘が同じ地下鉄に乗っていて、非常にショックを受けている」と知らせてきた。大きな事件も実に身近かに感じる。何を注意すれば良いのか分からないけれど、もう「日本人だけを念頭に生きる」時代で無くなってきていることは確かだ。

    日付(16/3/22)  大相撲大阪場所

こういう言い方は良くないかも知れないけれど、我々団塊の世代の生活パターンを知ると、世の中のトレンドを捕えることができる。当方は、朝、7時半に起きて、まず今日のゴミ捨てを考える。月曜はリサイクルゴミ、火、木、土は可燃ごみ、第四水曜は不燃ごみ、それを考え、出すところから一日が始まる。8時からは「朝ドラ」、これまた一日のスケジュール管理に貢献している。夕方は一万歩のウオーキングだが、これはどこかに出かけたり、雨が降るとキャンセルとなる。大相撲の季節になると、どうしても観たいものだから一万歩は7000歩になってしまう。さて、今回の大阪場所、琴奨菊の横綱昇進のチャンスの場所であったが、当方は何年間も稀勢の里を応援し、裏切られ続けてきた。でも、今場所は期待している。多分、彼自身が「何か変わった」。できれば、全勝優勝して、日本中を沸かせてほしい。これまで日馬富士、鶴竜などの横綱昇進を見てきたけれど、「日本人」のこだわりが無くても、稀勢の里の昇進を多くが楽しみにしている。後は本人の頑張りだけだ。今場所は、いよいよ目が離せない。(多分)団塊の世代は、ずっとイライラしながらその日を待っている。

    日付(16/3/19)  天気予報

春近しと思わせる天候。20℃に近いような温かさがあると思えば、マフラー・コートが欲しい天気もある。そう言いながら順調に春が近づいている。そんな中、つくづく感じるのは天気予報の信頼性の高さ。誰もが出かける前に予報をチェックし、衣類を考える。昔は急に暖かくなったり、雨に見舞われたり、思わぬ天気の変化があって、その変わり易さを季節の特徴とした。男心や、女心の変わり易さの表現にも使った。これだけ予測されると、そんな季節感が薄れて行く様で、チョット淋しい。昨日まで好天、明日からも好天。今日だけは雨、という予報に関わらずゴルフに挑んだが、昼前に強くなって敢え無く沈没、中断して帰ってきた。いよいよ、予報に逆らってはならなくなってきたか。でも、気持ちの中だけは「なかなか楽しいゴルフ」。これは決してゴルフの内容が良かったわけではないけれど、「こんな条件でも元気にプレーできる」という喜び。これで、「予報に勝った」とは言えないけれど・・

    日付(16/3/15)  民進党

民主党と(分裂した)維新の党が一緒になって、名前は民進党だとか。政党を作るというのに今の所合意事項は「反安倍」一本。そんな野党が支持されるだろうか。しかも、機会を伺う共産党の影もある。当方、決して自民党・安倍政権の積極的支持者ではないが、兎に角、世界の中の日本、しかもせめて10年、20年単位位では、先を見た政治に期待する。その点、今回の安倍政権は、かなり明確に方針を打ち出しているように見える。一般国民は、行政は政府に、司法は裁判所に、そして立法は国会議員に委嘱している。勿論、それが正しく行われているかと言うチェックは必要だが、取り敢えずは公務員に委託するわけである。議員や、与党の責任は重大で、一歩下がれば、それを選ぶ我々の責任がそこにある。その点、各議員、各政党には、とりあえず、「この国をどうしたいか」、「そのためには何を、どんな優先順位でやるべきか」という、基本的な部分を明確にしてもらわねばならない。ただ単に、「今の政治がダメ」とか、「戦争だけはして欲しくない」などという方針で議員を選んではならない。民主党による政権交代が起こった時の興奮、盛り上がり、そしてその後に続いた失望のトラウマはそう容易には消えそうにない。当面、安倍政治をクールに見守る位しか、世界の中で生き抜ける日本は見えない。

    日付(16/3/12)  次は「心も」?

グーグルの「アルファ碁」が九段のプロ棋士に3連勝した。チェス、将棋ときて、最後のステップと言われた囲碁の世界だったが、人工知能(AI)技術の進歩で、遂にプロを破ってしまった。このディープラーニングという手法を使うと、おそらく人間ならではと言われた「創る、創造する」ということも出来そうに思える。その次に我々が言うのは「人間ならではの心」。でももしかしたら、これも突破されるかも知れない。我々が「優しさ」「人間らしさ」「個性」などと呼んでいる言葉や振る舞いにしても、膨大なビッグデータを使用すれば、「好かれる」言葉、態度など容易にプログラムできそうに思える。自分の好みに応えてくれる「意志」をもったコンピューターを侍らせて、ホッとする、等と言う生活が現れそうに思える。さて、最後に残るのは何だろう。おそらく「人間の再生産」。これはまさか出来ないとは思うけれど、これが出来た暁(?)には、人工物(ロボット)だけの世界になってしまう。だって、彼らは「死なない」から。色々考えさせられる囲碁の敗北。

    日付(16/3/10)  ショックな事故

車の事故など何年間も他人事、前回免許更新でゴールドがブルーになったのも、2010年ドライブ中の一旦停止信号無視で減点された故。昨日、本当に久しぶりに交通警察のお世話になってしまった。その内容が恥ずかしい。場所は公民館の駐車場、相手は駐車中の車。当方が出ようとして左にハンドルを切った時、それが早すぎたか、左後ろを、左の車の右前にガリガリ。何とも言い訳の仕様もない単純ミス。さて、と考える。理由は何だろう。あり得ないミス。まるで免許取り立ての人(でもやらない)。どうしても、年齢に行きつく。70歳以上のドライバーが色んな事故を起こして話題を集めているが、早くもその仲間入りか・・・そうとしか考えられない。警察を呼び、保険会社に連絡し、相手のご婦人にただただ謝り・・・そんなことだけはスイスイとできるのだが。夜も反省することしきり。年齢には勝てないのか・・それが辛い事故だった。この記事を読んで下さっている方々、気を付けましょう。こんなことがあるのです。反省です。

    日付(16/3/9)  竹原を歩く

安政柑の後、帰りの飛行機を初めての広島空港にしたこともあって、三原・竹原を訪れた。四国を基地に瀬戸内海沿いには詳しくなったが、JR呉線は初めて。「マッサン」で話題になった竹原の街は呉線沿いの静かな街。街並み保存に力を入れている。確かに歩いていて、「ホッとする」何かがある。マッサンの生家のモデル「竹鶴酒造」は今でも保存エリアの中で営業している。街ではなかなか入手が難しい酒を一本買って帰った。以前、プレゼントされて味わった酒だがこうして酒造を訪れて購入すると、その価値が良く分かる。二時間もあれば十分な散歩だが穏やかな気持ちになるのが不思議。山口、広島、倉敷、姫路、岡山、高松、今治、松山そして徳島、高知・・・名前を聞くだけで穏やかな風景が思い出される。そのきっかけを作って貰っている企業には、ただ感謝である。瀬戸内をみて古い町並みを歩くと、人生観が変わってくる様に思える。

    日付(16/3/8)  今年も因島へ

今年も高松で一仕事を終えて、因島に回った。6回目の「安政柑を守る会」の収穫祭。参加者も遂に30人になった。これまで5年間好天に恵まれた収穫祭だったが、今年は早い内から天気予報が雨と言い、誰もが色んな心配をした。兎に角一瞬でも逃れたいと、作業開始は例年より一時間早くし、箱詰め作業場にもテントを準備した。ところが、このチームは不思議な程天候には恵まれていて、結局収穫作業も、箱詰め送付作業も、果ては屋内開催を覚悟していたバーベキューも全てこれまでと同じようにできた。おそらく平均年齢も70歳近いと思われる熟年Gが毎年こうして果樹園での採り入れ、それを選果場(ガレージ広場)に運び、ダンボール箱に詰め発送する。今年も果樹園の果実は全て採り入れ、約200箱の箱詰め送付を済ませた。その後は地元の皆さんが準備して下さった新鮮な材料でバーベキュー。しっかり楽しんだ。もう「青春」などという言葉は忘れてしまったけれど、でも、その場のムードは若者の青春と同じ。満腹になるまで味わい美味しい酒を楽しんだ。でも、誰かが心配して呟いた。「これが何時まで続けられるのだろうか?」と。確かに当方も初めて来たときは63歳、それがもう5年も経っている。いつまでも「青春」は無さそうに思える。皆がそれを気にしながら、それでも「まずは10周年まで」と目に見える目標を置くことにした。サミエル・ウルマンの言うように「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」と思いたい。また恒例の春の旅が終わった。

    日付(16/3/3)  世界大変化の兆し

スーパーチューズデーが終わって、米国大統領候補選びも終盤が近づいてきた。民主党のサンダースは無さそうだが、共和党のトランプはいよいよ現実味を帯びてきた。本当に共和党が最終的にこの人を候補にするのだろうか、まさかそんなことは無く、最終盤で消えて行くだろう、と思っていたが、いろんな人の意見やメディア解説を読むと、一種のポピュリズムで白人で満たされない層が熱狂しているようだ。確かに振り返って思い出すと、米国民にはアジアとはどこで、そこにどんな国があって、と言うことさえ知らない人が多くいた。上も下も「まず(豊かな)アメリカ」があって、その上での「世界の警察官」であって、余裕がそれをさせていた。どんな形にしろ、それを取り戻したいという米国民の感情がこの旋風を引き起こしているのだろう。万が一、トランプ大統領が誕生したりしたら、「安保ただ乗り」論、「円安誘導」論、「TPP反対」論、「白人・米国人優先」論など、基本的考え方の面だけでも、世界にも日本にも良いことは何も無いように思える。心配なのはこのうちのいくつかは民主党も含めた米国人の本音を表しているらしいことである。余りに本音で政治が引っ張られると社会は大きく乱れる。共和党の本流はそんなことは全てわかっているとは思うのだが。でも大きな流れができてしまうと引き戻すのは容易で無くなってくる。目が離せない米国のこれからである。

    日付(16/2/28)  アベグレンハウス再び

昨年初めて訪れて気に入った(15/4/5)ジェームスアベグレンの元別荘。今回は義姪(家内の姪)の成人祝いにと二家族で訪れた。丁度、房総も花摘みが盛りで、春そのものだった。この姪は当方が米国に駐在していた1995年の生まれ、赤ん坊の時から家族の一員の様に育ってきた。もう大学の2年生、4月以降は就活だとか。何とも時の経つ速さを実感する。余りおしゃべりもしないし、大人しい若者だけれど、若者同士の中では騒いだりリーダーシップを取ったりしているようだ。おむつをしていた頃、小学校、中学校、高校、大学と色んな変化を見せながら育ってきた。我々の子供たちの成長を並べて振り返ると、女の子ならではきらびやかさがある。夜、母親のフルートとバイオリンの合奏を聞かせてくれた。最近の子供たちは、20歳を越しても、家族と旅行したりするんだ、いやいやそれは娘だから、と考える。何となく春らしいドライブ。

    日付(16/2/25)  雪が

1月にも、2月にも関東に雪が来たけれど、今年は白い朝を見ていなかった。今朝、眼を醒ましたら、何と周りの屋根が雪で真っ白。こりゃきっと、電車はガタガタだろうとニュースを見れば、何も言わない。東京に行こうと駅まで車で出たら、もうその時点で雪はなし。どうも、この辺りの僻地だけに降った雪の様だった。でも、山茶花の垣根にうっすらと雪が積もっている景色はやはり美しい。もっと、と思うのだけれど、自然は美しさのためだけにある訳ではない。もしかしたらこの冬の雪景色はこれで終わりだろうか。鳥取の大雪を懐かしんで、相変わらず時々友人のインターネットカメラにアクセスしているけれど、いつもこの辺りと変わらない。子供の頃、雪かきをし、雪で休校になり、翌朝の雪ちょりちょり(雪が凍って、雪の上を沈むことなく歩ける)を楽しんだ景色はもうないのだろうか。田舎の家族や友人たちは怒るかも知れないけれど、でももう一度あの景色をみたい。この冬初めてのうっすらの雪景色をみてつくづくそう思った。

    日付(16/2/22)  アメリカ大統領選挙

民主党、共和党の予備選挙が進んでいる。サンダース、トランプ氏の健闘が話題になっている。世界のリーダー、米国大統領が誰になるかは目を離せない。米国民には「そうは言っても世界の警察官」的な自負があると思っているし、第二次世界大戦以降も世界中で命をかけて戦っている米国軍兵士には頭が下がる。もしそれが無かったら日本はどうなっただろうと考えると恐ろしい。オバマ大統領が「もはや世界の警察官たりえない」と宣言した結果が今の中東の不安定であり、中国の台頭、そしてロシアの再登場を呼んだのだとしたら、やはり米国にはもっと存在感を期待せざるをえない。パワーバランスの中で、日本は財布を見せるしかないのだから。そんな中の次期大統領選挙、ヒラリークリントンで決まりと思っていたけれど、少し怪しくなってきた。アメリカでもこんな政治家があり得るのだ、と驚く社会主義的サンダース上院議員、こんな言いたい放題が許されるのかと思わせるトランプ氏。豊かになり過ぎてもう政治くらいしかやることが残っていないのでは、と思うほどのトランプ氏が、政治も分からないような下層の人達の支持を得ているとか、米国は難しい。でも、サンダース、トランプが候補になって、居ても立ってもいられなくなったブルームバーグ元ニューヨーク知事が出馬するような事態になったら、外野席は面白いが、世界の政治としては大変なことになるだろう。ここはすんなり、ヒラリー氏に勝ってもらいたいと思うのは当方だけだろうか。

    日付(16/2/20)  ニュース

新聞を読んでいて、TVを見ていて、メディアの責任の大きさを思うことが多い。いかに平和な一日で、いかに何も問題なかったかをニュースにする人はいない。結局ニュースには、特殊性が求められ、滅多にないことがあって始めてニュースになる。事故や事件が常に起こっていて、ニュースには事欠かない訳だが、時々これで良いのかと思うことも多い。ひとたび殺人事件があると、どの新聞も、どの放送局も取り上げるが、特殊性がないとあっという間に消えていく。毎日毎日、新しい殺人事件が紹介され、あっという間に忘れ去られていく。自動車事故など、余程特殊でないと取り上げられることさえない。我々は、そんなニュースで世の中の動きを知っている。メディアは、もっと今日の社会を捕え得る報道をして欲しい。一つ一つの事件を取り上げる時にも、その事件がどれ位特殊性を持ち、その中にどれ位「普遍的な問題」を含んでいるのか、解説をして欲しい。さもないと、「新聞記事になるようなことはいつでも起きていて、特殊なことではない」と言った感じを与えかねない。読んだり見たりする我々も、その報道の中味を読み解く能力を求められていると思う。何となく「メディアに振り回されているだけはないか」と思うことが多い。

    日付(16/2/16)  採用面接

先日、新聞を読んでいて、「エライ時代になったな」と思ったのは、「面接でしてはならない質問」。出身地、家族構成、親の職業、等々。要は個人を面接するのだから、本人に直接関係ないことを訪ねてはならない、ということの様だ。振り返ってみると当方も多くの採用面接をやってきたし、それは即ち多くの若者の人生の岐路に関わったことを意味する。そんな時、それらの情報を気にすることはなかったかと尋ねられると間違いなくノーだ。特に出身地など普通の会話でもしょっちゅう話題にする。確かに、他国籍の人や、言いたくない人もいるだろうなとは思うが、そんなことすら知らないで、雇用をし、仕事を任せ、最後は責任を持たねばならいことをやらせられるのだろうか、と疑問に思う。事務系大卒の競争率の激しい所は、書類審査の次でも、若手の担当者が、一人数分の面談で○×をつけていくとか。もし、個人のことしか聞いてはならないようになると、まさに大学名のみで選択してしまうことにならないか、と思ってしまう。どんな家族の下で育ち、どんな環境にいるのか、それは大きな判断材料になる。こういうともう、「やはり古いな」と言われるのだろうが、責任持てる選択のためにはあらゆる情報を集めたくなるのは当然だと思う。ましてや、日本の企業では一度採用すればそうそう容易に解雇などできないのだから。大きな企業で、入れてから鍛えれば良い、とか「できることをやらせるしない」などと言えれば何とかなるのかも知れないけれど、従業員数が少なければなおさら一人の重要性が高い。「平等下の競争」という矛盾が最も大きく出る問題の一つだ。これからの日本が本当に世界と戦っていける国で居続けられるのだろうか、と心配になる。もう「卒業生のたわごと」なのだろうけれど。

    日付(16/2/13)  週刊文春

今年に入って、週刊文春のスクープ記事が止まらない。当方が思い出すだけで、ベッキーの不倫、SMAPの解散騒動、甘利大臣の口利き疑惑そして辞任、次は清原の薬物疑惑、そして今回は宮崎代議士の不倫騒動。とにかく次から次へとスクープ記事。それが、大臣を辞めさせ、代議士を辞めさせ、清原は逮捕され・・・おそるべき社会へのインパクト。何れも「正義の使者」なのだが、何故か喝采を送る気にならない。スクープ記事を発表するのは良いけれど、それが社会に与えるインパクトを考えたら、何か他の方法は無かったの?と言いたくなる。勿論、どの記事もしっかり裏がとってあるようで、文春側がミスをしている件は余りない様なのだが、この不快感はどこからくるのか。おそらく、メディアの力に対する不満か。こいつを陥れてやろうと思えば、誰でも社会から引きずりおろすことが出来ると思っているのではないかという心配。数兆円、数千億円を議論している人が10万、20万円の身内の不祥事で全てを失う、注目の人達がプライベートな問題で社会から引きずり降ろされる。どうも、すっきりこない。解説記事を読むと、文芸春秋社は「文芸春秋」でしっかり固定収入があるが故に、週刊文春はスクープ記事に投資できるとか。当方など、リタイア以降ようやく文芸春秋をゆっくり読めるようになって喜ぶことが多いが、それが週刊文春のスクープを助けているといわれると、ちょっと嫌になる。文芸春秋で、「週刊文春のスクープ」について取り上げて記事を書いて欲しいと思うようになった。

    日付(16/2/10)  日本経済どうなる?

経済に国境はないと言ってしまえばそれまでだが、今年に入ってからの株安、円高の流れは「何が起こっているの?」と言いたくなるほどの激しさだ。確かに中国経済も以前ほどではないのかもし知れないし、国自体にも信頼が置けないのかも知れない。とは言っても今週は春節、相変わらずの訪日客ラッシュと爆買い。一方の原油安、確かにガソリンスタンドを見ると以前の価格は何だったのかと思うほど安価になってきている。これも悲しむことではない。ただ、いずれにしても、日本経済全体から見れば喜ぶ人もいれば、痛い身に会っている人もいる訳で、一概に「日本経済全体が沈み行く」要因とは思えない。企業の業績を覗くと、それ程平均株価が落ちて行くほどの状態とも思えない。ただ、リーマン以降の金融政策によって、大量の使い道のないお金が世の中にはびこり、それを動かすことによって増やそうとしている人達が増えているようだ。誰かの情報一つで売ったり、買ったり、経済の実態とは言えなくなっている。これからどう動いていくのか全く予知できない。とは言いながら我々年金生活者は、物価の動向には敏感だし、いざという時のための僅かな蓄えの価値が急に上がったり下がったりするのは心配だ。さて、これからどうなるのだろうか。毎日の変化から目が離せない。

    日付(16/2/7)  ガラケー再び

タブレットが好きで、かつ持ち歩きを一台にするために音声通話可能なSIMフリータブレットを使ってきた。2台目も2年が経ち、更新がしたくなって先月更新した。安価で高機能なのだがなかなか最適化できない。最初に届いたのは不良品で返送、新品が届いたが、次は電話ができない。端末サイドはSIMの問題というし、DOCOMOに聞くと端末が悪いという。SIMフリーマシンの面倒など見る気もない。どうも単機能化したSIMカードを新しいタブが読まないようだ。そこで考えたのは引き出しにしまっておいたガラケー。これにSIMを入れ直したところ(当然だが)ちゃんと使える。これで方針変更。ポケットWi-Fiとタブレット、それにこのガラケーを持ち歩くことにした。おそらく料金的にはスマホ族と比べると相当安価に収まる筈だ。お金がかかり過ぎることが社会問題にすらなっているが、求める機能と端末を最適化すれば何とかなる。ただこの結論に至るまでに約一か月、右往左往した。久しぶりに手にした昔のガラケー。気に入っていた製品で心地よい。よくぞ復活させてくれたと喜んでいるようだ。これだけ色んな機能製品が現れると、これからは自分の欲しい機能だけ選ぶことも重要になってくる。新たな知見だった。

    日付(16/2/4)  シャープ再建策

一企業の再建に当たり、「日本の技術を守れ」と政治や世論の圧力があるのが不思議で仕方ない。シャープが台湾鴻海と共に再建しようとするのがどこが悪いのか。まるで「日本の技術」はシャープだけが持っていて、それを外に出したくないようなメディアの論調である。鴻海が6000億も7000億も出すというのならそれを有効に使って早急に回復を目指すのが正解だろう。産業のグローバル化はとっくに日本を出ているのだから。技術の分野は特に世界的視野で見なければならないし、ここ数十年はそうなってきている。ある部分だけ鎖国政策を取ってもほとんど意味はない。ディスプレーの分野でも、もう液晶から有機EL、無機ELそして量子ドットディスプレーへと進んでいる。液晶に於けるシャープの存在は大きかったが、もう「国策として守る」といったものでは無いだろう。この種の話題はナショナリズムを刺激するが、産業界はもう一国で生きる時代ではない。シャープがそちらを取るのは頷ける。特にこの会社は歴史的に反財閥のチャレンジ精神も強い。どうせ沈没するにしても世界の海で沈没する方を選ぶだろう。さて、もう一方の東芝、不正会計事件以来何が起こっているのかと思わせる不振が続く。会計問題を機に、世界で戦う会社になろうと膿を出しているようにさえ思える。やはり、企業活動も「命がけの戦争」である。

    日付(16/2/1)  関西空港で

亡き両親や長兄にもご無沙汰で最近墓参りもしていない。今回の高松出張の帰り道に岸和田にあるお墓に参ってきた。次兄が付き合ってくれて久しぶりに昔を想った。自分はどこの墓に入るのだろうか、などと考えながら・・その後の帰りはこれまた久々の関空からのフライト。岸和田から関空に行く電車で、着いてからの関空の賑わいで、またまた外国人の多さにビックリ。でも、個人で旅行しているアジアからの旅人は、大きく態度が変化している。団体客では今でも見られるが以前は周りを気にすることなく大声で騒いでいた人が多かったが、今は皆さん「日本のカルチャー」が分かった上で行動している。特に若者たちは、手にスマホを持ち、日本人より「穴場」を知っているのではないかと思う位、色んな地方都市まで訪ねている様で、おそらくこの人達は「日本旅行の注意点」などという記事を良く読んでいるのだろう。我々の様な熟年が眉を顰めるような人達が確実に減っている。もっと日本語や英語を話してくれたら、もっと楽しい交流ができるのに、と思うことも多い。中国語や、韓国語を勉強しなかったのは残念。オリンピックまでに再チャレンジするかとさえ思っている。こうして日本も否応なしにグローバル化していく。民間人の旅から始まる交流はおそらく心を繋ぐ基盤になるし、関西のカルチャーの方がよりフレキシブルに受け入れるのではと思った。久々の関空で感じ取った、「浪速のグローバル化」だった。

    日付(16/1/28)  心温まる一瞬

年初めに一人のベルギー人からメールが届き参加を依頼された。昨夜11時、彼からの電話でその会議(?)は始まった。当方の昔の上司・同僚であった友人の70歳の誕生日。彼はその息子。どこかで入手したアドレスから世界に居る父親の友人に「サプライズ電話会議」を呼びかけた。前もって貰った参加者リストには約10人の名前。中には米国の元会長、社長の名前もあり、驚いた。筋書通り、彼が父親にフランス語で電話しお祝いを言う(こちらはチンプンカンプンだが)、暫く無駄話の後、突然「この電話には他にもお祝いを言いたい人が入っているよ」と英語に代わり、当方に呼びかけ、次は米国人、次はコロンビアに住む人、ヨーロッパの面々と次々に"Congratulations!”が続く。本人は、本当にビックリ。せいぜい数分の電話会議だったが「この息子、ヤルナ」と感心した。こんな誕生日プレゼントをして貰ったら嬉しいだろう。心温まる数分だった。

    日付(16/1/27)  大雪だというから

同郷の友人で故郷に家があって暖かくなると帰郷して田舎生活を楽しんでいる人がいる。冬の間は空家なのだが、その軒下にインターネットカメラを取り付けて、家の周りが視られるようにした。みたければどうぞとアドレスを教えて貰って時々アクセスして田舎の風景を楽しむ。先週からの大雪情報で、兎に角故郷の雪景色が見たくて何度もアクセスした。ところが、あにはからんや、一向に降らない、やっと降ったと見えてもすぐに融ける位。当方はあの昔の雪かきの季節を思い出したくてチェックするのだが。でも、考えてみれば不謹慎なことかも知れないし、雪が積もらないことは良いことなのだろう。こんなことが普通にできることは凄いと思う。遠く離れた故郷の今の状態がパソコン画面上でいつでも見られる。カメラの向きも約180度回すことができる。悪用されると恐ろしい武器かも知れないけれど、これは凄いなと思う。また天気予報を見ながら「山陰に低気圧が来たら・・」と待っている。

    日付(16/1/25)  世界中豪雪の中で

長崎で大雪、奄美大島にも雪。中国・台湾・韓国も雪害。米国でも「経験したことのない」雪。暖冬と言われているのにあちこちで冷え込んでいる。地球温暖化に対し、「地球は氷河期に向かっている」という説もあるらしい。どちらでも構わないけれど、短期間の変化の度合いがやはり異常に大きい。自然の異常に関するニュースがメディアを騒がす。そんな中、我々の仲間はこの期間ならではのディスカウントゴルフを楽しんだ。こんな価格で良いの?と言いたくなるような値段で、リゾートでの1泊3食を楽しみ、澄み切った青空の下で1ラウンドプレーした。シーズンオフのウイークデーでも顧客をキープしようという苦肉の策。でも、暇なリタイアリにとっては福音だった。懐の格差がある様に世界の気候の格差も大きい。どうせなら、好天の下の安価な楽しみが最も有難い。「世界では苦しんでいる人が一杯いるのに・・」と言われるのは辛いが、でも我々世代が皆ベッドに縛り付けられて苦しみ続けるのに比べれば良い方では?と開き直る。

    日付(16/1/22)  食品廃棄物問題

「CoCo壱番屋」からの廃棄食品が再度スーパーの店頭に並んだ事件、その後も多くの事例が見つかって広がりを見せている。常識的に見れば問題外の事件で、厳しく取り締まるべきだ。ただ、何となく心にわだかまりが残るのは現代の規制と商流の中でいかに膨大な量の食品が廃棄されているかという問題である。今回のニュースの報道にもこの点に触れるものも多い。世界にまだまだ「飢え」に苦しむ人達も多く「餓死者」も出続けていることを考えると、人類の大きな矛盾である。先進国の人々は余りに「評価」を他人や、公に頼る様になり過ぎたのではないか。例えば、賞味期限や消費期限などという表示は本当に必要なのか。何故なら人類は古来から「食べられるかどうか」「美味しいかどうか」は「好き嫌い」と同様自分の舌に頼ってきた筈で、自分で採ってきた野菜や魚も「これは食べられる」と判断し、「食べてみたら腹痛になった(からもう食べない)」と言った歴史を繰り返してきた。店頭で食品を買うようになって、売る人に責任を求めるようになったことがこの種の規制を増やしていった。食品廃棄物はせめて飼料や肥料にできないか、消費期限は「短くすることの付加価値」ではなく「長くすることの貢献」を考えるべきではないか。グルメを自称する人達が、「あのかば焼きのタレは江戸時代から延々と付け足し付け足しで守られてきた秘伝のタレだ」とか、「あの店のラーメンのダシは先祖伝来の・・」とか解説しているのを聞くと不思議な感じをもつ。もっと人間は自分の舌を信じ、食料を大事にし、食品廃棄を減らす努力をすべきではないか。今回の事件はそれを思わぜる。もし、戦後の混乱期の様な状態になれば、「食べられるものなら何でも」という事態になるのだろうけれど。

    日付(16/1/20)  どうなる?今年の景気

今発表される企業業績予想とか、国内景気指標などは決して悪くはないが、株価や為替の動きは少しだが先を読んでいる。その傾向からみると、今年は非常に危なっかしい。特に国際情勢がまるで読めない。その影響が出ている。中国の景気(それでも7%近くは伸びているので強さは別格なのだが)、アラブ情勢(シリア、イラン、サウジ等々)、北朝鮮、そこに関わるロシアなど。米国が「世界の警察官ではない」宣言をして以降、安全保障面を含め心配な要素が大きく、それが景気にも影響している。経済面が牛耳ってきた世界が、政治に振り回される時代になるのかも知れない。経済面では鍛えられてきた日本だが、それに集中し甘えてきたが故に、政治の面は筋が通っていない。おそらく、中国も、ロシアも北朝鮮も、その日本の弱点を知り尽くしたうえで「力」を誇示しているのだろう。安倍政権は「安保法制」を無理やり通したが、この付け焼刃ではおそらくこれからの20年は乗り越えられないかも知れない。それだけ世界は動いている。トランプ氏では困るけれど、やはり「米国のリーダシップ再構築」を期待するしかないのかも知れない。不穏な景気動向のスタートである。

    日付(16/1/17)  スキーツアーバス事故

こんなニュースをどう書けば良いのだろうか。誰かを責めるのか、同情するのか。3.11の津波で亡くなった人達のケースと同じにしたら、叱られるかも知れない。でも、亡くなった人への哀悼と共に、感じる「我々は生かされている」という思い。どうしてこんな事故に会わねばならないのか、被害者たちが何か悪いことをしたというのか、実に理由はない。ただ、事故にあった人達が不幸だったのではなく、生きている我々がラッキーなだけ。そう思いたい。観光業を責めても、バス会社を責めても、何も帰らない。この事故から学んで、二度と同じ事故が起こらないように、という希望は積極性はあるが、それが解とも思えない。亡くなった運転手を責める気にもなれない。おそらく偶然*偶然*偶然*・・・の結果だろうから。東北の海岸に、10m以上の壁を作ろうという案があるとして、それに「自然の風景が壊れる」という理由で反対できる人はそういない。同様に、今回のバス事故をみて、バス運転手の年齢制限、とかツアー会社に対してこれでもかという大量の書類を出させるような新しい法律をつくったとしても、これまた解とは思えない。何とも、空しく、淋しい事故。

    日付(16/1/14)  平和主義

平和主義を唱える人も国も、不戦を主張する人も国も、国際的なISIS攻撃に対して文句は言わない。そこに矛盾はないのか。テロ攻撃を仕掛ける組織相手なら、力で攻撃するしかないのではないか。もし答えがYESなら、日本の言う平和主義も矛盾だらけになる。自分たちの常識内で許せないことが起きた時、どう対処するのか。もし、東京で無差別テロが起こったら、もし北朝鮮が核ミサイルの試験を日本に向けて打って来たら・・日本人はどう反応するだろう。間違いなく自衛隊に戦えというだろう。それは9条のいう戦争ではないのか。大戦後、米国の力に守られてきた日本、その間に経済面だけは先んじてグローバル化して経済大国になった。先兵となって突撃をしてきたビジネスマンは正に命がけで戦う「兵士」だった。食って食われる戦いを繰り返して、大国日本を作り上げた。今、米国と協調しないのなら大きな国策の転換を求められる。若者たちの平和主義は清々しい。でもそれを叫ぶためには日本が世界の中でどう生きて行くのか、そこまでを考えて言わねばならない。それがないのなら、単に良いとこどりの卑怯者になってしまう。イラン対サウジ、ジャカルタでのテロ、そうして北朝鮮の挑戦、我々の常識では考えられない新たな常識が育っているとしか思えない。これからどう折り合いを付ければ良いのか・・本当の平和主義は難しい。

    日付(16/1/12)  訃報

突然、田舎に嫁いでいる姉から電話があった。血のつながった伯父伯母、叔父叔母の中で唯一存命していた叔母が今朝亡くなった。93歳だった。最後に病院に見舞ったのはもう10年以上前のことで、その時には体の自由はままならないけれど、ちゃんと話はできた。それ以降、ずっと病院暮らし。鳥取県の田舎の病院は、そんな90歳代はザラで、広報の死亡欄は、90歳代は普通、100歳以上もちょこちょこ、と言っていた。元気で体が動いて、頭もしっかりしていれば、何歳まで生きても良いけれど、寝たきり、認知症の高齢者は、やはり困る。いざ、自分がそうなる時を考えると耐えられない。いよいよ真剣にどう、年齢を経るべきか、考える。自死を考えない限り、自分の選択は無いわけで、結局「何とか元気で死にたい」という、わけの分からない結論になってしまう。誰もがそれを考えるのだろうが、完全解は勿論ない。叔母さんの葬儀には行けないけれど、その周りの人達の、やはり悲しみと、寂しさと、そして少しの「安堵」を思う。そう、我々は生かされていると思えば、寿命を全うできるのは幸せなことだろう。心身の「健康」というテーマを改めて考える。

    日付(16/1/10)  ホームページの話

11、12月にやった市民講座のパソコン教室。そのフォローアップに「ホームページの作り方をやって欲しい」という希望があった。この人達はもう、当方のパソコン教室を受講するレベルを大きく超えているのだが、そうは言っても「何故、そんな希望が出るのか」と考えてみる。我々世代の熟年・老年世代が「自分を表に出したい」という欲求を持っている。自分の名前を売りたい、あわよくばそれを基盤に仕事をみつけたい、という人から、「ホームページを作って、それを通じてオークションでも始めたい」と言う人、「日記を書く代わりに何かメモして自分を表現していたい」という当方の意向に近い人まで、色んな人達が興味を持っているようだ。当方は、これを通じて、商売する気はないし、名前を売って政治家になる積りもないから、今なお実名を伏せて続けている。だからこそ5年経ってもいつもと同じ様に続いているのかも知れない。でも、思うのは、やはり人間、どんな環境になっても「周り(社会?)に向けて何か発信していたい」、「誰かが自分の意見に耳を傾けてくれているという喜びを持っていたい」と思うのではないか。熟年たちがホームページに興味を持つにはそんな理由があるのでは、と思った。当方は、これを続けているけれど、この手法を教える何のSpecialtyも持ち合わせていない。でも、確かにこの「徒然に」を書いている時に、「誰かが読んでくれている」というだけで、満足感とか、「ささやかな生きがい」のようなものを感じている。分かるような気がする、希望者たちの気持ち。

    日付(16/1/7)  北朝鮮核実験

北朝鮮問題に詳しい人も、外交問題のプロもみんな揃って「サプライズ」という。そんな新年の北朝鮮核実験。発表されたような「水爆実験」ではなさそうだが、それでも国内向けには何とでも宣伝できるし、地下振動もあったようだから、何らかの核実験をやったのは確かだろう。もう何があっても驚かないかの国の事件なのでメディアが言うほどのサプライズはないが、これからこの国がどちらの方向へ、どう動いていくのか心配である。こんなぶっそうな武器を持って、どこかの国を攻撃したとしても、これまたサプライズでは無いかも知れない。今、人道主義者を含め、いかんともし難いのはISISと北朝鮮。世界はどうすれば彼らの暴走を抑えられるのか。ISISをサポートする意見もメディアもないけれど、それでも彼らは戦おうとしている。彼らが核兵器をもてばその使用を厭わないだろう。北朝鮮も同じである。もう普通の常識で理解するのは不可能なのだが、落としどころが読めないのが辛い。「不戦」「平和主義」というけれど、さて本当に北朝鮮の核兵器が東京を向いたら、日本はどう防げるのだろう。おそらく「右の頬を打たれれば、左の頬を出す」しかないのだろうけれど。この状況で、日本と言う国に何ができるのか、無力感を感じるのは間違いか。

    日付(16/1/5)  中東情勢

中東と言えば対ISISでようやく世界がまとまりつつある、と思いきや、今度はスンニ派対シーア派の対立で、サウジとイランの国交断絶に至った。イスラム国の宗派対立は非常に分かりにくい。決して人種ではないようで、結局は宗派格差が経済格差に結び付き、それが対立に至るとか。これはイスラム教以外の人間にはますます分からない。でも、ISISはシーア派が主力だとすれば、ISIS撲滅も容易ではあるまい。例えば、日本人からみれば、キリスト教も、イスラム教も、ユダヤもプロテスタントも、宗教・宗派間の争いが戦争に繋がるなんて想像も出来ないが、現実に血が流れている。食べ物とかお金とかの上位に来る概念が原因となる争いにはおそらく日本人は入れないだろう。一方、欧州では大量の難民問題に全ての国が悩み始めた。人道主義だけではやっていけないということだろう。国境封鎖も増えている。何と日本は恵まれた立場なのか、でもそれも永遠に許されることではないだろう。一体何人の日本人が「中東から難民が押し寄せたら・・?」と考えたことがあるだろうか。今年はもっと真剣に考えねばならない状況が起きそうに思える。混乱する中東情勢を見るにつけ、日本人も急いで自分の考えを持たねば、と思う新年である。

    日付(16/1/3)  例年通りの喜び

元旦の夕方から家族と家内の妹の家族、計14人が集まって例年通りの新年の祝い。2日の成田山初詣を挟み、僅か2晩だが、大パーティー。ビール約30缶、日本酒約3升、ワイン約10本?凄い量のアルコールと、魚肉野菜料理を楽しむ。4人の孫達も、これが我が家の正月と楽しみに思うようになってきたようだ。そして今日の日曜、順番に夫々の日常に帰っていく。バス停に送り、JRの駅に送り、車にバイバイして、夕方にはこちらも元通りの2人。まるで嵐が去った後の静けさ。「例年通り」と当然のことのように思っても、実は全員1歳づつ年齢が上がっている。爺ちゃん、婆ちゃんもいつまでこうして迎えてやれるか、家族もいつまでこのように集まってくれるか、年々それが心配になってくる。でも先のことを心配するより今年も「例年」であったことを喜ばねばならない。いつ、何が起こるか分からない世の中なのにこんな時がもてるなんて、感謝しかない。数年前と違うのは彼らは多忙な毎日に戻っていくが、こちらは少しづつ後始末をしてゆっくりこれからを考える。とりあえず明朝は「リサイクルごみ」を出す。空き瓶、空き缶、ダンボール、到底持ちきれない。車で運ぶレベルの量だ。これも例年のルーチン。爺ちゃんの出番である。頑張らねば。

 

  過去の記事 : 2016年
           2015年
           2014年
           2013年
           2012年
           2011年
           2010年
 (趣味人倶楽部): 2010年以前

 
 

トップページへ

Copyright © 2010 Kobyのホームページ All rights reserved.