徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い (2011年)

 
 

  日付(11/12/29)  野田内閣の正念場  

年末になっても中国や、インドに飛んで、野田首相が頑張っているように見える。国際関係がまるで駄目だった前首相達と比べるとなかなかのものだ。ただ、政治も産業と同じで「上がってナンボ」、即ち結果で評価される。「頑張っている」だけでは駄目なのだ。国内は散々、マニフェストとは何なのかという所まで戻らねばならない。もう、民主党にも勉強してもらう、という段階ではない。これ以上ころころ首相や大臣が変わるのも見たくはないが、一度国民の信を問う段階に来たのかも知れない。消費税アップに走れば良い、でもそれを納得させるための努力が無さ過ぎる。議員定数削減、天下り対策、あれだけ受けたのだから、事業仕分けの決定内容を次々と実行していれば、もっと一体改革にも支持があるだろうに、と思う。やはり、リーダーシップか。妥協内閣ではこの危機は乗り越えられない。

  日付(11/12/27)  明治から昭和を考える  

NHKの「坂の上の雲」が終わった。3年に亘る大河ドラマで見ごたえはあったが、途中一年も空くと前を忘れてしまう。終わった後の感想は、やはり原作を読んだ方が良い。活字の勝ちか。おそらく、映像にした方が迫力ある(と思われる)場面に時間を割いたために、人間ドラマの部分がつけ足しになってしまった感があったのだろう。昨日はこの度公開された映画「山本五十六」を観た。ウィークデーの昼間にしてはまずまずの入り。これまた団塊の集まり。映画は60歳以上はいつでも1000円。懐にも優しい。この人の評価も大きくばらついているようだが、教科書に載せるとするとどうなるのだろう。昭和の歴史を振り返ると、日露戦争の勝利(?)が大きく災いしたと言える。ソ連に勝った、バルチック艦隊にだって勝てる。その自信が大きな不幸を呼んだ。さて、同様の発想で昭和と平成を見ると、今度は経済。あの惨めな敗戦から立ち直った経験が、次の不幸の元にならないか、心配になる。そのアナロジーで考えると、そう思わせる陰に「教育」がある。明治維新から日露戦争の間の教育は脱幕府。帝国主義教育。そのまま太平洋戦争へ。そして戦後は一気に変わった。今度は、自由と個人主義。はては「ゆとり教育」。この影響は、今進んでいる、「広がる格差」、「孤独な社会」へと繋がる。戦後の自信が今度はどんな「太平洋戦争」に繋がるのか。近代史、現代史が暗示するところがあるように思える。大きな変化の年の年末に考えるには良いテーマ。

  日付(11/12/25)  年末は中山?  

昨日。昔の若者のアレンジで、一年ぶりの中山競馬場。勿論、ギャンブルは負けだけれど、一日遊ばせてもらったと思えば安いもの。好天の下で、しっかり楽しんだ。競馬や競輪と聞いただけで眉をひそめる人もいる。あの人、ギャンブラーだって、というだけで嫌われている人もいる。でもね、それを許したり、禁じたり、ルールを決めている人達は誰?やったこともない人や、現状のルールも知らない人達が、良いだの悪いだのと議論をする。それって、本当に政治だろうか。(元の)若者達と一緒に、競馬場の(贅沢にも)指定席で、話したり、(馬を)見たり、馬券を買ったり。この解放感は何だろう。ここもやはり、団塊の世代の溜まり場だけれど、色んな人生が渦巻いている。当然だが、皆負けて、いつもの反省会。安価な飲み会で、でもしっかり酔って。これが又、楽しい。10年以上前から続いている、楽しい仲間。いつの間にか「若者達」も50歳前後になってしまった。すべてのしがらみをほどいて、ワイワイガヤガヤ。僕の仕事は、皆さんに、リタイアリ生活も捨てたものではないと知って貰うこと。そして今日は「有馬記念」。名馬の好勝負を期待したが、結局、三冠馬オルフェーブル、若者牡馬の勝ち。世代交代とか。ブエナビスタを応援してきたけれど、有終の美飾れず。でもホッとした。何故なら、人の世は最近とにかく雌が強いし、若者が弱い。馬の世界は、まだまだ「昔の教育が行き届いている」。

  日付(11/12/22)  年の瀬の仕事も  

年の瀬の仕事も、リタイアしてから進め方に変化がある。現役時代は年賀状ですらなかなか間に合わず、25日を過ぎないとできなかった。昨年から、X'mas Cardに入れるAnnual Reportを書くようになった。外国の人たちの真似だが、貰った時に日本の年賀状よりもっと読み物。自分や家族の一年を振り返ったレポート。季節の挨拶に写真を入れて、ちょっとした日記(年記?)調。日本語でもこんな手紙を貰えば、楽しいだろうとは思っていたが、余り定着していないようだ。日本の年賀状にはそれはそれで良い所もある。ごちゃごちゃ多くを語らないのも日本人なのだろう。今年もレポートは遅かったが、それでも昨日発送、年賀状は今日から準備を始めた。本当は、筆でも使って、一人一人に心のこもった挨拶を・・とは思うがハードルは高い。ワープロ・コンピューターで、最近はもっと横着で、宛名書きすらパソコン印刷。その為の名簿リスト作りが、意味がある。2,3年ご無沙汰であれば、出さなくなる。これから減っていくだろうなと思いながら、でも一人一人の思い出にふける。年の瀬の時間の使い方にも大きな変化が表れている。過ぎし日を思い出しながら、名簿を完成させる。ここにきて何と喪中はがきが多いことか、別に死者が増えている訳ではない、我々がその年代に達しているということだろう。親の看病をし、そして送っている。これもサイクル。そして、自分達の順番となる。年の瀬にやることは、こうして世代を意識することが多い。一年、又一年と、噛みしめて迎える年末。仕事の中味も噛みしめながら・・・これも悪くない。

  日付(11/12/19)  金正日逝く  

スティーブジョブズが亡くなった時に思った。「まだ命は金では制御できないようだ。」と。今回は、「いかなる権力を持ってしても」と言おう。キムジョンイルが逝った。これが、今後の日朝、韓朝、中朝、米朝関係を始め、国際情勢にどう影響するのか。勿論、数年前からの「想定内」の事件ではあるが、やはり独裁者の死はインパクトがあろう。狂った暴挙は無いだろうが、これまでの行動パターンからすれば、我々の「想定外」の行動はありうる。金正恩はヨーロッパに留学もした。西側の価値観も常識も判っているだろう。どう思われるか、ということを気にする感度は欲しい。国民の貧困の度合いは想像を絶すると言われる。今の我々の価値観で考えると、何故?と不思議にも思う。でも、「坂の上の雲」や太平洋戦争中の日本のことを考えると、どんな発想をする国があっても何ら不思議ではない。我々には何事も自分達の価値観で、誰もが自分達と同じ環境にあるものとして発想する癖がある。アフリカではまだまだ多くの人達が貧困に苦しみ、多くの国では独裁者が国を率い、格差は当然のように存在する。世界を見る時の個々の人が持つ世界観はどのように構築されるのか。たまには向こう側の価値観を正しいものと仮定してこちら側を見てみたい。もしかしたら、留学帰りの「判っている人」でも、狂った様に見える行動パターンに走る理由が判ってくるかも知れない。しばらく目が離せない北朝鮮。

  日付(11/12/18)  また一つ新しい喜びを得て  

大々的にやるつもりがあった訳ではないが、リタイアと共に、個人事業としてコンサルタントを名乗った。何に自信があるという訳ではないが、経験の広さだけはある程度あるので、何か社会で役立つ所があればと、名刺を作ってみたり、同じような人達の仲間に入れてもらったりと心構えだけはしてきた。この間から、先輩の紹介で2社クライアント(顧客)がついた。家計に役立つほどの収入がある訳でもないし、せいぜい一か月に数日の仕事だから負荷も小さい。でも、実社会とのコンタクトがあると言うのは刺激にはなる。リタイアすると同時に余りの時間の多さにすることがなくて鬱状態になる人が多いと聞くが、多くの趣味を楽しみ、今日を生きた記録を残し、そしてまた、何かを期待して貰える世界ができると張り合いもある。四国に「出張」した。何と自由な立場だろうと、現役時代と比較して驚く。話を聞いて議論して帰ってくる。話すことに価値がないと判断されれば契約解除で終わる。帰りに関西を回って、久し振りに兄弟に会ったり、孫に会いに行ったり、非日常の刺激も。でもやはり、何か価値がないとな・・と今度は自分の頭に刺激を与えている。老化との闘いの序章でもある。

  日付(11/12/11)  歴史と繁栄  

先月NHKスペシャルの「辛亥革命100年」を3週にわたり、気を入れて見た。我々の世代は本当に近代史に弱い。世界史を学んでも、近代・現代になると必ず時間切れ。今、振り返ってみると、教師も教えたくなかったのだろう。何故なら、明治以降の歴史には今日が関わる。お祖父さんは日露戦争で死んだ、お父さん、伯父さんは太平洋戦争で・・身近な人が戦死しているから、教える方も学ぶ方も、身近。国際関係にも感度の高い人が多い。教師が自分の思いに基づいて教育すれば必ず問題になる、だから。でも、我々はもっと近代史を学ばねばならない。司馬遼太郎の「小説」だけではだめなのだ。一昨日、映画「1911」をみた。孫文と黄興が主役。清朝が滅びるステップはドラマチックだが、リーダーが袁世凱に引き継がれて終わりになったり、その後の日本による満州国の建国など、できればNHKがやった所まで引っ張ってくれた方が良かった。今、「坂の上の雲」を見ているが、明治維新から多くの命が「新しい日本」の為に失われた。どう考えても、無駄死に思えるが、でも、中国・韓国に比しても突出した先進国になったところからみると、ありとあらゆる「無駄死」が実は無駄では無かったのでは、と思わせる。現代の日本人は歴史に対する感謝の念が薄すぎるのではないか。そう思ってしまう。辛亥革命後100年、でも、中国はまだまだ難しいし、苦しい。同じアジアで日本にいることに幸せを感じる。

  日付(11/12/8)  日本的経営のガバナンス  

久し振りに丸の内に出かけて日経のセミナーを聴講した。「経営戦略における原点回帰と2012年の展望」という題だったが、全体としての方向は良く判らず。でも、時々小説を読む弁護士作家、牛島信氏の話は面白かった。「もし貴方がカンボジア(どこの国でも良い)に住んでいて、将来を考えた時、どの国の様になりたいと思うか?」という質問に、現代なら、米国と言う人より日本と言う人の方が多いのではないかと。それほど米国の信頼が落ちてきているということと同時に、日本流の良さ、成功している部分が多い、という話。とは言いながら、大王製紙だのオリンパスだの企業のガバナンスを問われる事件は続く。彼は、「だから社外取締役」だの「だから監査役や会計監査のルールの強化」だのと言う話は間違っている、と。日本のルールは既に十分整っていて日本流のメリットは一杯ある。この2社だって、「守るべきことを守っていないだけ」なのだという。要は運営の仕方であり、実際には「監査役・監査法人」をきちんと機能させることが最良の対策だと。市場がグローバル化していく以上、経営のグローバル化は不可避だと思っているが、でも始めの問いは面白い。将来を託すなら、米国より日本という人達が、本当に増えているとすれば、根本が変わってくる。彼は結論として、「日本文化への回帰」を唱える。このままいくと、寂しい個人だけの社会になりかねない、と。やはり、幸福感を問われる時代と言うことなのだろう。

  日付(11/12/4)  再びアップルのビジネスモデル  

iPodの修理を通じてアッップルのビジネスモデルは既に述べた(11-1-29)。結局、エクササイズ用に、可愛いiPod-nanoを買った(11-7-21)。これを聞きながら、毎日歩いたり、走ったり。ところが先日このnanoの充電ができなくなった。これまた電気屋さんではだめ、インターネットと電話で相談するが、小さすぎてシリアルNoが読めない。結局銀座のアップルショップへ。今回は、失望。7月に買ったのだからまだ4カ月だというのに、理由が充電端子の錆との診断で、この場合は修理不能。新品と約50%で取り換え。捨てるわけにもいかず、自分では何もできないのだから、言われるままに。水没させたことは無いのだけどというと、「ジョッギングですか。じゃ、きっと汗ですね」とのこと。錆防止だって何か手を打つべきでは?と思うし、錆落としをやってみる位はあっても良いと思うし・・。何だか、流れ作業に乗せられて・・。今年初めに感動したビジネスモデルだが、どうも今回はマイナス。「だって新品が半額で買えたんでしょ?」なんて、喜べというんじゃないでしょうね。すっきりしないで、帰った。

  日付(11/12/1)  大学生の専門は?  

大学3年生の就活解禁、しかも例年より2カ月遅らせて。それが大きなニュースとして採り上げられる。有名企業、大手企業を目指して、一所懸命な若者達。ついでに、その親達の真剣な表情も。でも一つ尋ねたい。あなた方は大学でどんな付加価値をつけたのかと。やっとのことで入った大学、2年間は教養の教育の筈、さあ専門のスタートと言った時に、就職活動に入ってしまう。確かに、高校卒業と共に社会人になった人達に比べたら、4年間遊ぶ訳だから、遊び方には長けるかもしれないけれど。せめて「大学でXXを学びました」と言える位の専門性は欲しい。思っていたよりスピードは遅いが、グローバル化の進行と共に、労働力の流動性は間違いなく上がってくる。企業がゆっくり人を育てて、なんていう流暢なことは言っていられなくなる。それでも、日本の強みを保つためには、大学卒業生の即戦力としての価値が求められる。それなのに、専門性ももたず、「面接のHow-to」ばかり長けた新入社員は入ってからが大変だ。「とりあえず大手に入っておけば・・」なんていう考えは捨てなければ。企業の栄枯盛衰は日々の新聞記事を見ているだけで良く分かるはずなのだが。

  日付(11/11/29)  MOS試験リベンジ成功  

10月16日にWORDとEXCELを同時に受けて、EXCELを失敗したWINDOWS OFFICEのSpecialist試験。挑戦を始めたからには諦める訳にもいかず、EXCEL再挑戦。今回は一夜漬けというよりは、前回抜けていた部分の勉強だけはした。どうも甘く見る様で、今回も特に時間が冷や汗もの。何とかパスした。とにかくこれで、市の教育の手伝いをしていても、恰好はつく。今回も試験場に行ったら、若者、しかも女性が殆ど。「何でこんなおじいさんが?」と言った雰囲気。ちょっと勉強すれば誰でも通る様な試験だが、この年齢はそうはいない。マイクロソフト社がこれをビジネスにしているのは明白。でも、とりあえずこんなことはできますよ、という証明には使えるのだろう。「当日の試験レポートを履歴書に使って良いですよ。」と言われるということは、何とか一つでも自分の付加価値を上げるために受験している人も多いのだろう。こちらは遊びか頭の体操位のつもりだから、真剣味が違う。就活が大変と言われていて、多くの若者が、自分の付加価値を宣伝する。学歴だけでなく、色んな資格や特技を訴える。数年前までの「選ぶ側」を思い出してみると、なるほど第一次選抜には単純指標を使う。そこに引っかかるため、と言えば頷ける。でも、最終選抜はそんなものではないんですよ、と言っておきたい。選ぶ人、選ばれる人、それを思い出す試験の日だった。

  日付(11/11/27)  本当に耐えられるか大阪都民  

25日に誕生日を迎えたり、今日はMOS試験のリベンジに行ったりと、ちょっとした話題は色々あったが、先ほどの速報には敵わない。大阪秋の陣、ダブル選挙は松井・橋本の維新の会が勝利したらしい。これは、今の日本の政治と、民意の動きを考える上で、大きな意味を持つ。民主・自民・公明・共産・・既存政党は立つ瀬がない。無党派層が勝ったというべきか。石原都知事の応援も大きかっただろう。どこの歴史でも、庶民が現状に不満な時、「独裁でも良いから」強き物を望む。ヒットラーでも、ムッソリーニでもスターリンでも、フセインでもカストロでも、何故一時期でも圧倒的支持を得たか。強き物に引っ張ってもらいたい気持ちは必ず現れる。だからこそ、「平等な独裁がベスト」という人すらいる。橋本元知事がそれ程の独裁志向とは思わないが、大阪府民・市民は変化を選んだ。さて、どこまで「痛み」に耐えられるか。民主党の労組とか、自民党の財界(農協・医師会?)のような、強力な圧力団体がないだけに、一本筋が通った政策ができるかも知れない。どこまでやれるか、興味はつきない。上手くいくのなら、中央政界への影響も決して小さくないだろう。さて、既存政党はこの新しい波にどう対応するか。おそるおそるだが、でも興味をもって政治全体への影響を見ていきたい。(ただ、大阪人には「たまにはイチビリもオモロイヤン」というセンスもある。うっちゃりも早いかも知れないけれど。)

  日付(11/11/24)  アーチェリー再び  

4月に「団塊のアーチェリー教室」を終了してから、心に引っかかっていて、小物(防具、タブなど)を買ったり、協会に入会したりしていたのだが、練習日が土曜でなかなか行けず、そうしている間に打ち方すら忘れかけていた。この頃からメールで親しくして頂いている、(褒め上手の)キャリア豊富な方から、近場で練習できる場所ができる、との連絡を受け、先月末に行ってみた。海岸の工業地帯の中の広々とした運動公園を週に1,2回借りられることになったらしい。この方は、4月にも見て下さって、褒めて頂いた方。今回は僕には(これまでの、普通の)リカーブではなく、「コンパウンド」を勧められた。何も判っていない初心者としては、褒めて頂ける方のリコメンドを聞かない手はない、という訳で、その方のコンパウンド弓を借りて、アーチェリー再スタート。昨日、今日と2日連続で基礎コースで導入。親切にもカリキュラムまで準備して頂いて、いつどんな段階で自分の弓を買うべきかまで計画に入っている。ここまでして貰うと、ついていくしかない。欧米では殆どがコンパウンドとか。狩にも行ける代物だ。「80歳を越してもできますよ。」というのも、殺し文句。さて、さて、また新たな楽しみにはまりそう。

  日付(11/11/21)  スポーツ観戦  

自由な時間が増えて、テレビとのお付き合いも長いのだが、魅力的な番組はそう多くはない。気を入れて観るのはやはりスポーツの実況中継か。サッカー、ゴルフ、野球、バレーボール、マラソン・駅伝、フィギュアスケート、体操、大相撲、この辺りまでは普通。加えて、ラグビー、アメフト、卓球、ボクシング、カーリングに競馬まで。それだけでも、結構忙しい。世界相手の試合や、日本一を決める試合となると、いつもチャンネルを合わせる。物を作って、売ってというのが、人間の生きる基本と思い続けてきた身には、今頃になって、スポーツや芸能の「人の生き方に対する影響」の大きさを知る。これらの世界に生きている人達を支える為に、企業活動があるのだ、と仮定しても、一応理屈は成り立つ。大前提に、「人は何を幸せと感じて生きるのか」ということを置くと、一気にパラダイムが変わる。確かに、スポーツ中継を見て一喜一憂している姿は、良いものが出来て喜ぶ姿、利益が上がって喜ぶ姿と比べて、決して下に位置するものではない。音楽や美術や文学を楽しむ姿も同じだろう。今頃になって、「まず稼いで食っていかねば」と思っていた自分を反省したりもする。これも、歳か。

  日付(11/11/19)  地域の放送  

リタイアして在宅時間が増えて、多くの「昼間の住宅地」の発見がある。ご時世だとは思うが、午前中に放送が入る。「警察からお願いします。市内・・にお住まいの・・さん・・歳が今朝から行方不明になっています。身長は・・体重は・・髪は・・着物は・・お気づきのお方は警察まで」。この放送が日に日に増えていく。以前は一昨日から、とか昨日から行方不明だったが、最近は今朝から。今朝からいなくて行方不明なら、我が家など毎日だ・・なんて言っていられない。それだけ、認知症の人が増えている。もう一つショックなのは、年齢。60歳代でもいくらでもある。自分より若い年齢を聞くと、怖くなる。でも、これも現実。本人は勿論だが、面倒を見ている人達の苦労が察せられる。根本的対策はないのだろうか。「だから入院させるのですよ」と言われると、これまた気が重くなる。動けて、話せて、身の回りのことができて・・そんなことを望んではいけないのだろうか。先ほど、テレビで加山雄三の番組。74歳で今でも若大将。容姿も声も音感も司会の武田鉄也(62歳)より若い。不公平では?と叫びたくもなるが、でもこれも運命。何とか、地域放送のお世話にはなりたくないのだが。

  日付(11/11/16)  「命」の話し方  

抗がん剤「イレッサ」の副作用に対する高裁判決。国も企業も無罪。深く考えさせられる判決。裁判官も悩んだに相違ない。こんな判決は特に大変だろう。人情として、亡くなった人達の遺族の立場で考えると国や企業が悪いと言った方が気持ちは軽いかも知れない。でも、と思う。対がんは患者サイドも必死、わらをもすがる思いと言うものもあろう。良く効く薬があると聞けば、例え副作用が心配されても、それに賭けるのではないか。多くの人に効いていて、今でも処方されている状況を考えると、この種の裁判で、どんどん規制が厳しくなって、使って欲しくても使えないという状況にもなりかねない。事実、他にも海外では広く使われていても日本では規制されていて、ネットなどで購入されて使用されている医薬品もあると聞く。TPPにもからむ話だが、ここでその点を議論するつもりは無い。問題は、話し方、ニュースに採り上げるやりかた。たった一言の表現で、世論を動かす怖ろしさがある。亡くなった人とか、犠牲者などに追い打ちをかけるような表現をすると、正しいことが歪められることがある。「命」に関わる問題はメディアも我々もよくよく考えながら表現をする必要がある。その点を考えた。

  日付(11/11/14)  アマチュアの定義は?  

今年も飽きもせず御殿場までドライブして三井住友VISAオープンゴルフを観戦した。一日雨で中止にはなったが、最終日13日の御殿場は富士山もくっきり。素晴らしい天気の中で、興奮の一日。出遅れた遼君だが、ホールインワンで、もしやと思わせ、18番ではイケポチャショット。大応援団は大興奮。いつもは遼君が終わると帰るギャラリーも一向に帰らない。アマチュア松山がトップ。18番の第2打の信じられないアプローチ。最後にイーグルを決める。これが本当にアマチュア?確かにオーガスタで(世界の)ベストアマになるだけのことはある。大金の賞金も、BMWの賞品も貰えず、名誉だけ。でも、石川遼が出てきた時を彷彿とさせる。これでまた男子プロのファンが増えるだろう。周りのプロ達はこの若者達の人気で試合数が増え、賞金も増えるのを、ただ喜んでいて良いのか。勝負師としてはナニクソと思ってくれなくては。しかし、「ゴルフはメンタルなスポーツだから」とエクスキューズをつぶやいているヘタゴルファーが「最近の若者はなってない・・」なんてもう言えない。明日を支える若者達が、それぞれの世界の中でちゃんと育っているのだろう。イヤー、驚いた富士の裾野の秋の一日。

  日付(11/11/11)  国論を二分する時  

ここでTPPに参加しないなんてあり得ない、と思っている目でみていると野田総理のやりかたはじれったい。きれいな水の中ででも泥の中に潜っていて、動き出すとその周りだけ濁って、放っておくとまた透き通った水になる。そんなどじょうの生態を思い浮かべてただただじっとしていて、記者会見で一気に動いて、またじっとしていれば収まってくる、といった作戦だろうか。もし、それが成功するのならこの政権は長続きするかも知れない。そんな政治の動き。おそらく反対派にもいろんな思惑があって、多分最終的に票に繋がる実が取れれば良い、と思っている人も多いのだろう。ただ、兎に角今期待したいのは、「国民に話しかける」政治。何を考え、どう持っていこうとして、この決断をするのか、理解してもらおうとする努力。その姿勢を望む。どんな政策でも100%の支持なんてあり得ない訳で、声高に反対する人も多いし、内心で支持する人も多い。今の日本にはその種の重大テーマが多くある。重大であればあるだけ訴える、話しかける努力をすべきだろう。だって、船橋の駅前で毎朝語り続けた人なのだから。

  日付(11/11/8)  孫の七五三  

子供の成長を祝う風習というのは実に良くできている。最初の孫の三歳のお祝いに、のこのこ滋賀まででかけた。小さな地方の神社でも、多くの家族がお参りしている。子供や孫の成長を祝うのは、でも、裏返してみると自分自身の年齢の自覚と将来に対する覚悟を強いるステップと言えなくもない。人生100年は歴史の時間軸におけば、ほんの一瞬。でも、自分で振り返ると多くの変化があった。孫達のあどけない笑顔の中で、自分自身が色んな笑顔を覚えてきたことが少し情けない。純粋無垢の色が一年一年変化していく。生きると言うのが汚れることではあって欲しくはないが、一直線では生きて行けないのだろう。細い線が太くなり、広がりを持ち、時々曲がり・・・でも矢印は否応なくまた一点に向かっていく。子供の成長を喜びながら、「生きる」を考える良い機会。

  日付(11/11/2)  維新的発想が必要  

TPPについての賛否議論がかまびすしい。グローバルビジネスで洗脳された身には、反対の声がいちいち引っかかる。日本と言う国がどうやって戦後復興を成し遂げたか、言いかえると世界に対し負っている責任・義務はないのか・・最初から議論になどならない、とさえ思っている。でも、じっと冷静に聞いていると、違った考え方も判らないでもない。脱原発も同じ。この機会に一から「人間の幸福とは?」という所まで戻って議論したら、という意見には少し頷く。今の社会を形成している我々にはそんなことできる訳はないのだけれど、物質中心の生き方を、「心」中心の生き方に変えよう、そういう問題提起なら、考える価値はあろう。大震災を経た今だからこそ議論できるかも知れない。ただ、「日本の農業を守ろう」とか、「国民皆保険制度がくずれる」などという見かたでは、おそらく矛盾を生むだけだ。次世代の日本を率いる若者達が、どういう生き方をしたいのか。そこにかかってくる。今の価値観を保持するのなら、一日も早く、TPP参加を決めるべきだし、原発の輸出をしようとするなら、一日も早く、日本の新原発も新しい技術でスクラップアンドビルドを図るべきだ。票に振り回される今の政治家達に、日本や日本人のありかたを議論する余裕はなさそうだけれど。

  日付(11/10/30)  どこに行っても団塊  

日経ホールにセミナーを聴きに行った。おそらく半分以上は、リタイアした団塊の世代。知的好奇心は継続しているのに、働く場がない。帰りに百貨店に買い物に寄る。ウイークデーの昼間なのにかなりの人出。これまた、初老の夫婦が主役。見るからにちょっと気のきいたお洒落をして、のんびり買い物する団塊夫婦、でもそれ程幸せそうに見えない。金曜は上野の博物館、これまた凄い賑わい。慣れていない初老は、ソファーやベンチでうとうと。土曜は友人達とゴルフ、ここも主役は団塊の世代。ここは結構輝いている。おそらく今、日本経済の、特に消費を引っ張るのは、相変わらず団塊の世代。さて、今後どうなるか。その子供達、孫達と消費のターゲットは移っているが、おそらくかなりは団塊の懐から。でも、この集団もいよいよ年金生活者。暫くは蓄えたものを掃き出していくのだろうが、いつまでもつか。次は自分自身の最後の為に、おいておかなくては、と思うようになる。使い道もどんどん狭まっていくだろう。そうすると、今後間違いなく伸びるのは、医療(しかも延命のための)、介護、医薬、そして宗教と墓地。さて、それで日本の将来は大丈夫だろうか。多分、欠けているのは、団塊の生きがい探し。人生に終わりがあることだけは皆判っているけれど、その日まで自分を打ち込めるものがない。結局、仕事探しをする。どうも順序が違うように思える。まずは「目が輝く」リタイア生活。金儲けのための仕事だけではないだろう。経済や、政治の再活性化を考えるとともに、新しい生きがい探しの場が必要と思える。考えよう、強きマジョリティー、団塊の世代!

  日付(11/10/25)  プロとアマチュア  

日本人は平均教育レベルが高いので、何か新しいニュースがあるとこぞってその内容を知りたがり、自分の生活に結び付けようとする。非常に良いことで、おそらく日本の多くの強みをもたらしている源だと思う。でも、時々ひっかかるケースもある。例えば原子力発電所からの放射能問題。とにかく前例が少ないものだから、ついついメディアの情報に振り回される。そもそも暫定基準値にしたところで確固としたデータに基づいたものなどない。放射線の種類(α、β、γ)にも触れもしない。放射性物質もヨウ素からセシウム、そしていずれはプルトニウム。ろくに議論されもしない。それでいながら、1ミリシーベルト以下に除染しないと・・という議論が巻き起こる。病院に行けば、X線撮影のみならず、CT検査など日常化されているのにその被爆を問題にする人は限られている。一回のCTで10マイクロシーベルト以上は浴びるそうだ。広島や長崎で除染のために土を掘り起こしたのだろうか・・時々不思議に思う。アマチュアが多くのことに興味や疑問を持つのは良いことだが、実際の活動に移すための決断時は冷静なプロの判断が必要なのではないだろうか。多くの税金を使って安心だけのために動いていないか。一部の声に振り回されていないか。プロの出番が多いように思うのだが・・

  日付(11/10/21)  アラブに春は来るのか  

昨年からのいわゆる「アラブの春」の動きは止まらない。ついにカダフィも殺された。漫画の主人公にでもなりうるリビアの主役だったが、この動きには勝てなかった。チュニジアやエジプトとは違い、リビアは大産油国で、豊かな国だった。世界からみても独裁の方がやりやすかったのかも知れない。しかし、やはり民衆が立ち上がった。何と、憲法も含め、頼れる基本ルールは全くないらしい。カダフィがもう少し、本当に「大佐」と呼ばれるのを好む人間だったら、サウジアラビアより安定な国が作れたのでは、と思ってしまう。これから、どう動くのか、宗教も、思想も渾然としているし、産油国ならではの周りの圧力も大きいだろう。先は長そうに思える。でも、この「アラブの春」運動、おそらく将来の歴史の教科書には2010-2011年の大事件として残るだろう。その裏には、インターネットを初めとする止められなくなった情報の流れがある。政治のみならず、ありとあらゆる分野で、「裏」がなくなりつつあるのだろう。民主的で、平等志向なのかも知れないが、「衆目一致」とか「本当の合意形成は」はどんどん難しくなって、「多数決」しかなくなっていく。それでいながら、「少数意見の重視」が求められる訳でいよいよ社会を引っ張っていくことが難しくなっていくのだろう。でも、この間のオサマビンラディンと言い、今日のカダフィといい、一たび悪役となると、殺害されて民衆の笑顔が映し出される。やはり、人間も「戦う動物」なのだろうか。

  日付(11/10/18)  野田政権と外交問題  

大震災からの復旧復興を前面に出し、なおかつ低姿勢で妥協作戦を展開、意外に長期政権も、と思わせる野田首相が、まず取り組む重要外交問題、TPPへの参加。与野党根回しどころか、与党内で大紛糾。さて、本当のリーダーシップが打ち出せるか。ここは、一度国民に向かって、日本の将来を語ることが必要だろう。これまでどう生きてきたか(戦後、世界から守られて、世界で稼がせてもらって成長してきた)、これから少子高齢化の時代、日本がどういう国になるのか(鎖国政治ができるのか)、そこから産業育成の重要性、貿易の重要性を説くべきだろう。農業保護の問題も大きいだろうが、国内の農業漁業だけで、日本国は成り立たない。ここ何十年と農業を保護し続けてきたが果たしてこれまでの政策が正しかったか、しっかり検証すべきだろう。あれだけ保護政策を取ったのに、若者はいない、兼業農家ばかり・・・競争力は全くついていない。成長を支えてきた工業では、強き物しか残れない世界との競争があり、日々激しい戦いを続けてきた。日本が世界の中で生きていくには農業・漁業だって、その戦いに晒されざるを得ない。さて、野田首相、民主党にその国論を導いていくことができるか。目は離せない。そして次には普天間がまつ。最も強敵は弱き少数に重点をおくメディアか

  日付(11/10/16)  MOS試験  

MOS試験というのがある。Microsoft Office Professionalという資格試験。昨年から、市のシルバーカレッジでワードとエクセルの講師を手伝っているものだから、無資格じゃだめかなと一念発起、受験することにした。今日初めてのトライ。わずか10日の一夜(10日)漬け。記憶力は落ちているし、コンピューター相手で、焦ってみたがどうしようもなく、でも今日ワードだけはパスした。とにかく試験方法が流石マイクロソフト。試験の進め方から残り時間管理まで全て個々に画面にでる。終わったと思ったら、合格・不合格も画面に。IT爺さんには、結構つらい。周りは自分の子供達より若い若者達。マウスの使い方からキーボードの打ち方まで速い速い。人によっては、こちらがまだ半分過ぎた頃に、「終わりました」って出て行ってしまう。これまた新しい面白い経験。始めたからには、やはりエクセルも・・と次の機会をねらう。我々には、何でも良いから次の目標があった方が良いのかも知れない。神様もそう簡単に二兎はくれなかった。

  日付(11/10/13)  スティーブジョブズを悼む  

10月6日にアップルのカリスマ、スティーブジョブズ氏が亡くなった。56歳の若さ。お金で命を買う時代なんて言っているが、どうしようもない場合もあるようだ。この人についてはやはり"Innovation"を語らねばならない。Innovationというとまず「革新的技術」、技術の話になってしまう。ビジネスモデルが一時期騒がれたが、それほどのものではなかった。ジョブズ氏のスタートは「何が欲しいか?」「どんなものがあったら良いか?」という点からスタート。そのイメージを固めた上で、それを作るためにはどんな技術が使えるか、どんな新しい技術が要るかというステップに移る。既存の技術の組み合わせであれ、とてつもない新しい技術が必要な時であれ、具現化していく。そうしてMacがiPodが、iTuneがiPhoneがiPadが生まれてきた。私はコンピューターは日本の98からスタートし、Microsoftへと移って、Macには触ったこともない。でも、iPod/iTuneは愛用しているし、iPhone/iPadに影響されて、(Androidではあるが)スマートタブを使っている。彼がチャレンジしてきたITの庶民化には心酔している。技術者として彼の様な人の下で働きたいかと言われれば、必ずしもYesではないだろう。おそらく厳しい判らず屋のリーダーだったに違いない。ただ、多くの人は「それでもなお」彼の能力に惚れ、尽くしてきたのだろう。「新しいものは技術だけから生まれるものではない」ということを思い知らされた人だった。おそらく日本人の苦手な分野だろう。私達はどうしても「新しい技術第一」の攻め方になりがちだった。「生産と研究開発」に「販売とマーケッティング」が対応するということがまだ日本では地についていないように思う。そうは言いながら、日本初でもウオークマンやインスタントラーメンのように、まずニーズからスタートした成功例もなくはない。いずれも大会社になる前の企業から生まれた。個々人は捨てたものではない筈なのだ。"Stay hungry. Stay foolish."はこれから多くの場所で語られるだろう。

  日付(11/10/10)   ヨーロッパを見ながら  

リタイアした身には関係ないとは言いながら、妙に3連休が多いと感じる。日本が豊かになってくる過程でとにかく労働時間を押さえて「豊かな生活をするために」無理やり増えてきた休日。個人ではなかなか休まないが、皆で渡れば・・という日本的流れ。ところが今の若者達は3連休は勿論休んで、有給休暇もしっかり取る。労働時間はますます減っていく。それも豊かな国の証明なのかも知れない。だが、と思う。今の欧州経済危機はどこから来ているか。「日本が見習うべきだった?ゆっくり仕事をし、しっかり休む」国柄から深刻になってきている。ギリシャ、イタリア、スペイン。今では少ないだろうが、昼食時にもワインを楽しみ、ゆっくり昼休憩もとって、人生を楽しむ、そんなタイプの国ばかりだ。格差がしっかりあって、富裕層だけがそうしていた間は良かったのかも知れないが、全国民がその方向を志向すれば、この厳しいグローバル競争の中で戦えなくなるのはいわば当然。さて日本。このまま豊かになってきた歴史に酔ってばかりいたら、欧州化のスピードは相当速いのではと危惧する。これまた老人の悲観的将来見通しだろうか。

  日付(11/10/7)   女性の時代  

今年のノーベル平和賞は西アフリカやイエメンの3人の女性政治家・活動家に決まった。発展途上・後進国における女性の地位の低さはおそらく日本史の戦前を考えれば予想がつく。特にこれらの国々で活躍してきた人達は我々が想像できるレベルでは無いだろう。さて、日本。ここのところ話題の山ガール。昔の山男の端くれとしては何とも時代の変遷を感じざるを得ない。これからは山に行くのにも髭そりが必須、ということになりそう。今日の夕刊で驚いたのは「囲碁ガール」の増加。これまた、どうもすっきりこない。何しろ、山も囲碁も最近の若者(男達)がどうも余り興味を示していないようなのに、何故女性が??やや不思議な感がある。囲碁ガールの言葉は、客観的物の見方ができるとか、色んな人と知り合いになれるとか。こんなセリフを聞いていると、どうも全てに渡って現代は女性が広い見方をして、女性が世の中を率いているのではないかとさえ思ってしまう。それなら一度徹底して政治も経済も社会も・・と思うのはやや投げやりだろうか。一度とことんやれば、もしかしたら、婚姻率も、出生率も上がり、女性が家庭に帰ってくる・・そんなことを予想するのは「馬鹿な男の妄想??」。本当に「女の時代」なんだろうか・・・

  日付(11/10/5)   メリハリ  

メリハリって日本語だったんだ。「滅り張り」とか「乙張り」とか書くらしい。いつもカタカナで書いていたものだから。本当にメリハリの効いた天気。ほんのこの間暑くて暑くていつまで半袖で夏物のブレザーで、と思っていたら。ここ数日、平年では11月の気温とか。長袖を出したり、冬物を出したり。それどころか今日は短時間ながら、床暖やファンヒーターの試し運転まで。そのせいか、昨日から咳が出たり、鼻水が出たり。おそらく体もおろおろ。暇になったから、季節や健康に敏感になっている、と思いたいが、どうもそれ以上。何しろ日々色んな異常が続くものだから、いつのまにか異常に慣れてきたと言えないだろうか。最近「異常気象」という言葉も使われなくなった様に思う。異常な事が起こるのが平常になって来ている様な。地球温暖化かと言えば超寒波、大地震に津波、そして台風、豪雨。いずれも少しづつメリハリが効き過ぎているように思う。経済もメリハリが効き過ぎ、円高もドルからユーロへ、止まりそうもない。そんな中で政治の野田流。メリハリ色を出さずに無事乗り切れるのだろうか。心配。

  日付(11/10/2)   高校同窓会  

年齢と共に同窓会が増えていくという話がある。確かに、徐々に仕事から離れ、家庭でも子供が独立し、結果として仕事と子供に関わる人間関係から離れていくと昔の友人と会うのは楽しい。何十年も会っていないのに、話しているうちに共通の話題をみつけている。鳥取県八頭高、昭和41年卒の関東地方の同窓会。昨日はもう14回目。珍しく夫婦で出られるものだから出席率は高い。昨日は20人集まった。昨年出席しなかったものだから随分久し振りの感があった。共通の話題は故郷、そこの友人達、そして家族、中でも孫達。でも家庭問題も簡単ではない。「嫁さん募集!!」の声も多い。退職後田舎に帰って本格的に農業をやっている友人もいる。「田舎はいいぞ」と囁く。「皆で100歳まで生きよう」と健康運動を進める人もいる。この人など見かけは40代。一方、亡くなった人もいれば、出て来れない人もいる。色んな人が色んな人生を生きている。誰を恨む訳でもなく、何を悔やむわけでもない。こうして出席者の一人としてそこに居られる幸せをのみ感じる。来年も元気にあつまろうぜ、の掛け声が心に響く。ゼンマイを巻く時間。

  日付(11/9/29)   How to Die  

昨晩仲間内で話していて話題にした。今や、「いかに生きるか」と共に「いかに死ぬか」を常に考えておくべき時期にきた。大震災で一層そう思うようになった。自殺でも考えない限り、自分では選べないが、覚悟と心の準備は必要だ。突然やってくるし、思うようにはいかない。でも希望はもって良いだろう。いかに死にたいか。何も判らなくなって、意志の疎通もできなくなってからパイプだけで生かされたくない。悶々と苦しむより「眠るように」の方が良い。病院のベッドより、家で死にたい。でも、周りに苦労させたくない。皆、個々に色々考えている。死んで以降のことになると何故か一層話がはずむ。宗教は不要、散骨が良い、とか、故郷の墓地が良い、とか、やはり現在の住所の近くが良いとか。その時はもう見えないのに。こんな話を明るく、酒の肴にしている。これが熟年?でも、お金で命を買うのは・・・これも現実的次のテーマ。

  日付(11/9/24)   流されないニュース  

一か月前の8/22に取り上げた不思議なデモの話。まだまだ続いているらしい。相変わらず攻撃はフジテレビのようだが、先日は韓国ドラマのスポンサーをしている企業が的になっているとか。どうも解せないデモなのだが参加者の数が半端ではないこと、意外に若者が多いこと、そして相変わらずマスメディアが一切取り上げないのが不思議である。僕などは今でもなぜフジだけが攻撃されるのか判らない。フジだけが韓流ばかりとは思えないし、民間テレビ局の番組編成など、「厭なら見なければいい」と思っているので、ますます判らない。でも、このマスメディアの静けさだけは、気に入らないし不気味。裏に何かあるのでは、と勘繰りたくもなる。同じ人達が(フジが)国旗掲揚のシーンをわざわざ放送しないようにしている、という主張をしているようだが、いわゆる右か。でも、数千人もデモをしているのであれば、その紹介位はすべきだと思うのだが・・・何か気味が悪い。(U-Tubeのニュースではたっぷり)

  日付(11/9/22)   台風による停電  

昨日の台風15号は浜松に上陸、首都圏を直撃した。ニュースでは交通機関のマヒで帰宅できなくなった人々を報じていた。そんなに無理して大急ぎで帰らなくても職場で一服するか、居酒屋で一杯飲んでれば台風は行ってしまうのに、なんて思っていたら、突然テレビが切れた。何と、あの震災後の計画停電の時でさえ免れたのに、突然の停電。2,3回切れてはつき、切れてはつきした後、結局30分以上停電した。懐中電灯を探したり、ローソクをつけたり、遅ればせながら防災実施。近くにいる息子が計画停電の後、「一時的なら停電も悪くないよ」と言っていたが、なるほど人間に戻る時間なのかも知れない。いつもの生活がいかに「何か」に囲まれているか。明り、音、画面、情報・・皆電気を使って送られてくる。真っ暗やみの中で、ローソクの明りをみて、「人間のもう一つのあるべき姿」を考えた。全ての人がこれを快感に思えるなら、「脱原発」も実現可能なのかも知れない。なんて、仮設住宅にいる被災者の方々が聞いたら怒られるかも知れないが。

  日付(11/9/21)   三度目の孫の宮参り  

6月に生まれて弱々しかったので3カ月に遅れてしまったが、孫息子の宮参りに参列した。多くの災害に見舞わわれ、生き延びていくのさえ大変な人々が沢山いる中で、こうして元気にお参りして将来の成長を祈ることができるのは嬉しい。一人一人の人生には何が起こるか誰にも判らない。でも現実に与えれた環境で、精一杯生きてほしいし、我々もそうありたい。多くの日本人が大震災で人生観が変わったという。それは、多分、人生には努力ではどうしようもない面があるということを思い知らされたということではないか。いつも思うが、我々がやれるのは「与えられた世界でできることを精一杯やる」ことでしかない。若い世代は昔ながらの言い伝えや、神仏に祈るような祝い事は無意味に思えるかも知れない。でも、一つの新しい命の周りにその親の、その又親の幸せを祈る目があることはおそらく心の奥深く根付いてくれるだろう。百年、千年と続いてきているしきたりにはえも言われぬ価値がある。こんなセリフを吐くことはまさに年齢か。でも久し振りに息子と飲んだ酒は旨かった。

  日付(11/9/16)   メディアの横暴  

既に、古い話題になったかも知れない。鉢呂経産相の退任問題。どうも曖昧で理解できない。我々は全ての情報をいわゆるマスメディアを通して得ている。TVのニュース、新聞記事、そして最近はインターネット。残念ながら、このような問題について政治家や官僚から直接話を聞くことはない。誰の言っていることが本当で、誰がどう情報を流しているのか知るよしもない。本件についていえば、これも勿論どこかからの受け売りなのだが、この人の大臣就任について快く思わぬ人がいて裏で動いた、という話があるようだ。もともと社会党系で、原発反対派で・・云々。それを論じるつもりはない。私もこの人の支持者でもないし好きなタイプでもない。ただ、どうもマスコミの力で大臣の首の一つや二つ簡単に飛ぶ、というのは結果からみて明らか。確かにこの人の発言や態度は大臣として疑問符が付くことがあったようには思うが、こんなことで首が飛ぶのなら何も言えない。オフレコの話もできない。どこかの記者が発言や、単語でさえも注目して取り上げれば他社もすぐに飛びつく。政治記者ならもっと注目して問題提起することがあるだろうに、と思う。この種のメディア人事が大手を振ってまかり通ると、誰も本心を言わず、冗談も言えない。特に民主党のリーダー達はその経験の浅さから、ちょっと注目される地位に就くとすぐに浮かれて口を滑らせ墓穴を掘る。専門があって、実力があって選ばれた大臣なのだから、まず一仕事やらせてみてその上でゆっくり評価しても良いのでは、と思ってしまう。今やメディア業界もどんどん変化している真っ最中。まるで、自分達が何でも動かせるといったような態度を続けていると、民意はメディアから離れていく。行きつく先は政治不信かもしれないし、一億総馬鹿かも知れない。冷静で先を論じるメディアを欲する。

  日付(11/9/15)   東北旅行  

新聞広告で見た、東北方面の安価なツアー旅行。山形県の山寺(立石寺)と岩手県の中尊寺が含まれているだけの理由で後はろくに調べもせず参加した。二つの寺については趣味のコーナーに記したが、天候に恵まれたので満足。でも、旅行業界のアイデア競争は凄い。タイトルは、「人気の秘湯 乳頭温泉郷と世界遺産平泉・中尊寺・小京都角館・大正浪漫銀山温泉 2日間」。日曜朝7時に東京駅、新幹線で着くのは福島県新白河、そこからは全て観光バス、山形(山寺・銀山温泉)を巡って、泊りは秋田県田沢湖温泉、翌朝は乳頭温泉にチョット浸かり、田沢湖・角館、あとは岩手県中尊寺、帰りは再び新白河から新幹線、東京着は21時半。バス走行900km。誰がどうプランするのか。人の少ない新幹線の駅を使い、バスで高速道路を突っ走り、売りの秘湯は寄り道湯。そして安価に上げる。丁度、テレビで「大河ドラマ50年特集」とか、「5分で収める交響曲」とか、そんな番組を見ている感じ。帰ってきたら腰に疲れは感じるが、それなりの満足感。「つまみ食い」とはこのことか。でも、色んな所で、新しい情報を入手しながら、昔は考えられなかったようなプランに工夫してチャレンジしているのだな、とただただ感心してしまった。次はゆっくり湯につかりたい・・。

  日付(11/9/10)   11日がやってくる  

米国では9月11日のテロの噂があるとか。明日で丁度10年。十年一日とは良く言ったもので、あの事件は昨日のよう。あれ以降の米国は「世界のリーダー」たるために、イラク・アフガニスタンなど多くの犠牲を払い多くの努力をしてきたが、金融面の矛盾からリーマンショックを招き、如何ともし難い状況が続いている。飛行機で米国に降り立った時に感じる、「やっぱりアメリカ!」という感動は消えてはいないとは思うが、これからどうなっていくか。一方、日本。明日で大震災から早、半年。これまたあっという間に過ぎ去った。毎日流れる被災者の姿には、「頑張って!」の言葉も空しい感じ。でも、時折伝えられる復興の為の努力は、日本人の本質的「我慢強さ」と相まって、希望を与えてくれる。だからこそ、依然として円高が続くのだろう。ただ、各種統計値はいよいよ日本が本格的に苦しくなっていくことを示している。新しい奇跡を作れるかどうか。我々一人一人の過ごし方にかかっているのだろう。最もてっとり早いのは、団塊世代が消費に動くことか。その為には国民全体の将来に対する安心感が必須。おそらく、今はそこが最大のネックなのだろう。世界も日本も「マジョリティの合意」と「マジョリティに従う」ことがキーなのだろうが、そこが問題。

  日付(11/9/8)   久し振りの出張??  

どうせ確定申告を続けるのだから、と昨年4月に個人事業者登録をして、コンサルタントの名刺を作った。屋号は「スローリ」、焦らずゆっくり、何か相談をして、この経験に耳を傾けてくれる人があるなら、という程度の開業。でも、2年続けて市のコンピュータの先生、加えて同じような仲間で集まっていると、相談してくれる人も現れてきた。ついには一昨日四国に「出張」。個人事業だから、やることに差はないのだが、遊びに行くのとちょっと感覚が異なる。工場を見せてもらってコメントをして・・何だか、久し振りにビジネスマンに戻った感じ。生活の糧を得る所まではいかないが、何か社会との接点を持つという意味では、これまた「第二の人生」対策。今日は何と「出張報告書」を書いた。これまた何年ぶりだろうか。もう追いまわされるような毎日には付き合えないが、自分の言葉に耳を傾けてくれる人がいるのなら、これもまた新しい生きがい。久し振りに背広を着たら、げんこつ一個以上腹部に余裕。時は移っているのだな、と実感。

  日付(11/9/4)   アクセス数延べ5000人突破  

昨夜、延べアクセス数が5000を突破しました。昨年11月に2000を突破して、記事にして以来約10カ月。相変わらず、一日平均10人のアクセスがあります。特筆すべきは3.11以降、暫くは特に多く、20人を超えたこともありました。おそらく、多くの皆さんが自粛生活に入って、コンピューターに向かって、色々考えておられたのでしょう(と、推測しました。)。「徒然に」のコーナーも特に特別な意見を主張する訳でもなく、「アルバム」も極くありふれた写真、「趣味」も色々書いていますが、単に本を読んで、一向に上達しないゴルフをして、あえて趣味らしきは、お寺巡り、美術館巡り、そして(下手な)詩集でしょうか。自分史は2000年に到達して、意識的に頻度を落としています。どう見ても、単なる自己満足の世界ですが、それに付き合って頂いている方々に心よりお礼申し上げます。リタイア後の生活をどうすべきか、を考えてスタートしたホームページですが、まだ一度もアクセスゼロに日が無かったことだけでも嬉しいです。願わくは、「お便りを」のコーナーに迷惑メール以外のインプットがあるともっと嬉しいのでしょうが。時々スパムが入っていますが、丁寧にメンテしています。読者に迷惑がかかることはないと信じています。ぜひ、何らかのフィードバックを頂けると、もっともっとやる気になると思います。でも、読んで下さっている皆様、これからも継続を心掛けますので、今後ともよろしくお願いします。延べ、5000人を記念して、一言お礼を。有難うございます

  日付(11/9/3)   コンピュータと囲碁を打つ  

インターネットを使っていると、「こんなこともネットでOK?」と思うような価値あるサイトに当たる。囲碁についても、ネット碁盤を使って、大阪の兄と打っていたこともあった。最近は、「もってこいの」サイトを見つけた。うまくゆっくり打つと勝てるケースも多いので、初段の力もないのかも知れないが、こちらが気を抜いたり、遊んだりすると、すぐやられる。特に、局地戦、詰め碁の段階は殆ど間違わない。待ったができないので、うっかりすると「ギャッ」という羽目になる。このコンピュータとの碁をやっていて、つくづく「冷静さを失うことの多さ」を感じてしまう。何しろコンピュータはさっささっさと打ってくるので、ついつい、そのペースにはまって、大石を取られて反省。今回こそ冷静に、ゆっくりゆっくり、と思うのだが・・。今頃になって、己の弱点を思い知る。最近はゴルフのショットの時にも、「囲碁と同じ。一手、一手落ち着いて・・」と言い聞かせる。現役の時は、本当に振り返ることもなく、ひたすら突っ走ってきたのか、と反省。思わぬ効果。(参考:http://fujigoban.appspot.com/ )

  日付(11/9/1)   老い方  

曽野綾子の「老いの才覚」と「自分の始末」を読んで、いかに老いるか、いかに始末をつけるか、時々考える。彼女が「くれない族」と呼ぶ最近の老人達、すなわち「・・・してくれない」が口癖で、誰かに面倒を見て貰っていないと我慢できない人達、の仲間には入りたくない。常日頃から心していないと、そうなるかも知れないという恐れは感じる。我々団塊は勿論、その次の世代は尚更、誰かに「見てもらい」、「してもらう」ことを当然と思っている。でも、結局は一人の世界。それを自覚できるかどうか、なのだろう。「自分の始末」を読むと良く判る。いかに生きるかと同様、又はそれ以上にいかに死ぬかも考える必要がある。定年後の、時間の余裕のある時に、それを考えることが、今をちゃんと生きると言うことなのだろう。多くを考えた2冊。(趣味・読書参照)

  日付(11/8/30)   野田首相誕生  

昨日は、民主党新代表の選ばれるステップをしっかり観た。国民の声は前原待望だったようだが、結局野田代表になった。日本人のバランス感覚と言うか、結果を見てしまうと、良い落とし所と言えなくもない。問題はこれから。内政も外交も、「誰もが納得する解」はない。いかに優先順位づけをし、いかに説得するか。政党も政府も一致してやれるかどうか。それに尽きる。今朝のTV番組で、「野田は記者泣かせ」と言っていた。それは良いのではないか。情報公開と個々がベラベラ喋るのは異なる。民主党が大人の政党に脱皮できるとすれば、意外な総理も悪くない。

  日付(11/8/26)   次は民主党分裂?  

何とも、見てはいられない日本国の政治。政治の混迷ぶりが見られるほど、「やっぱり、官僚は凄いな」と思ってしまう。震災発生以降も、少なくとも各官庁はやることをやってきた。政治が混迷している間もそれぞれの省庁は動いていた。これに、政治の強いリーダーシップがあれば、国としての優先順位が国民に見えただろうに。菅政権の最もやるべき所で、最もやれなかった所と言えるだろう。さて、代表選挙。前原本命が出馬表明したが、脱小沢路線はある意味強力なアピール。これでは、誰が次期総理になっても、党内融和は遠かろう。暗澹たる気持ちになる。政界再編成が最も良い、と思うのだが。政党政治なのだから、とりあえず決めたら一矢違わず行動する。個々があーでもない、こーでもないと言っているようでは、菅さんと同じ「市民運動」でしかない。野党にはピッタリかも知れないが、与党は勤まらない。これから一週間の民主党は目が離せない。

  日付(11/8/23)   本当に日本は強いのか  

先日のNHKの番組によると、東北の被災地を舞台に、再生可能エネルギーやスマートシティーの事業の捕り合いが始まっているとか。既に米国のファンドが入り、日立Gが重点化しようとしているらしい。それはそれで良いことで、復興のモデル的案として楽しみだ。でも、そんなことが本当に旨くいくのだろうか。エネルギーコストを見ても、新しい街創りの構想をみても、要はそのための投資を誰がするのかだろう。円が安くて、兎に角輸出で稼げた時代なら、輸出で稼いだ金で、国内を豊かにすることができた。でも、今、どうやって新エネルギーやスマートシティーに必要な資金を調達するのか。それが見えない。この老人ばかりの国にどう競争力をつけるのか、その視点の議論が欲しい。次の総理に繋がる民主党代表選挙、混戦模様だが、いよいよ前原氏が手を挙げる。まず聞きたいのはいかに民主党をまとめるか、それがスタート。でも、とりあえず期待するのは党内からも野党からも「ひとまず、やらしてみよう」の一言。それがないと、またすぐに、民主党分裂か、短命総理がまた一人出て、いよいよ世界の中で日本が信用されなくなる。それでも円高が続くとしたら・・それは世界経済の破綻か。暑い8月はまだ終わらない。でも、75円代はあんまり。

  日付(11/8/22)   不思議なデモ  

昨日、お台場のフジテレビで数千人のデモがあったそうだ。不思議なのは、今朝の新聞も含め、メディアは殆ど取り上げず、ネットで知った。テーマはフジが韓国番組を流し過ぎる、という問題らしい。我が家の韓流ドラマはNHKと日テレで、フジが多いと感じたことはない。この動きの裏には何があるのだろう。そもそも、民間放送局が何を放送しようが、それをサポートしているのはスポンサーだし、チャンネル権は視聴者側にある。見たくないものを見せられているという時代でも環境でもない筈なのに、なぜ数千人も集まったのだろうか。曰く、偏向を止めろ、公共のメディアを自由にするな、と。NHKなら話が判るのだが。一方K-POPは昨日もあちこちでフィーバー。もし、ありとあらゆる分野で、存在感を増している韓国に対し、こんな形で反発している日本人が増えているとすれば、大きな問題だろう。経済も文化も、そして政治ももっと正々堂々と競争すべきだ。よしんば韓国がアンフェアな手段で争っているとしても、その具体論を攻撃すべきだと思う。往々にして日本人には自分より優れたものに対し、まず尊敬より反感を感じる人が多くないか。K-POPの追っかけをしている人達も同じ日本人なのだが。でもなぜフジ?ネットの記事をみると、これもフジのイベント、という解説もある。これが意外に最ももっともらしい??不思議なデモ。

  日付(11/8/19)   いよいよ次期総理  

久し振りに政治向きの話題。今月中には新総理誕生かも。民主党政権になって良かったことのいくつかの中に、「個々がオープンに何でも言える」というのがあるかも知れない。ただ、議会制民主主義の中では個人主義との両立は不可能。どんな議論がされてどんな結論になっても良いけれど、最終的に選んでしまったら、数の論理に従う政治であって欲しい。さもなくば、何も決まらない決められない政府になりかねないから。震災からの復興、そのための財源、福祉のあり方、そしてもしかしたら最も大切なのは、外交・世界観。わけのわからない円高。これまでの日本のように、海外に頼る比率が高いままでいけるとは思えない。一方、世界の中での存在感もどんどん落ちていきそう。鎖国政策にでも移るというのならともかく、そうでなければ「世界の中の日本がどうあるべきか」がこの国の将来を決める。近視眼的に庶民に人気のある人を選ぶ、というのは止めにして、選んだからには、しばらくじっくりやって欲しい。その間、大手メディアの世論調査も頻度ダウンで良いのではなかろうか。じっと座って、優先順位付けに長けていて雑音に惑わされないような・・・難しいんだろうな。

  日付(11/8/17)   お盆の嵐、往く  

大震災の後、家族の価値が見直され、若者の結婚願望が高まっているとか。「盆と正月」は日本の伝統的家族の季節か。我が家も、何年振りかで息子達が家族で集合した。未だ、ここには先祖の墓はなく、何れは自分の墓に参りに、こうして家族が集まってくれるようになるのだろうか、と複雑な、でも嬉しい気持ちで、孫を抱き、息子達と杯を重ねた。個々が個々の人生を歩んでいる。もう、親の出番は無いだろうが、ただ彼らも悩み、苦しみながら「自分流の生き方」を確立しようと努力している。その姿を見るだけで幸せである。社会の変化と共に、家族や、夫婦、親子、兄弟のあり方も変わっていくのだろうが、こうして例え年に一度か二度だけでも、家族が全員集まって、今の生きざまをお互いに見せるのは、良い。一番遠くに住む次男家族が一番長く滞在して、しっかり孫達と交流させてくれた。政治の混乱は収まるところを知らず、超円高も止まりそうにない。これから先に対する不安は非常に高まっている。ただ、発想を変えれば津波で一瞬にして亡くなった多くの人達に比べ、我々は生かされている。社会や人々に優しく、今の自分を精一杯生きることを誓う。人間の生きる、を考える「お盆」。誰もいなくなって、家内と二人きりになった家で。

  日付(11/8/11)   ホント、暑い!  

季節とか、気温とか、もう少しゆっくりと、人間が変化を味わい、楽しめるようなスピードで変わるものではなかったか。この所、とにかくドラスチック。季節の変化はドラスチックなほど景気には好影響、と言われたものだが、ここまでくると、地球は大丈夫かな、と思ってしまう。節電ブームにはやや斜に構えていて、「景気の為には、使用率を上げることも重要。ナンデ夜も節電するの?」なんて思っているものだから、暑い時は迷わずエアコンを使っている。(これでは、節約は不可能!!!???)。兎に角、メリハリが効き過ぎている。もう少し、徐々に、ゆっくり暑くなり、徐々にゆっくり涼しくなってくれる方が良いな。今日、外に出て少し整理の仕事をしていたら、黒っぽいT シャツに蝉が飛んできて止まった。蝉もボケたかな。

  日付(11/8/9)   世界経済崩壊?  

欧州の危ない国の救済問題が実は原因として非常に大きいと思うけれど、今回の米国の国債発行額上限の問題、続く格付け問題によって、世界中の株価の下落、そしてなぜか信じられない円高。できることなら世界に対し、「日本は今こんなに大変なんですよ!」と叫びたいのに、「消去法で円」だそうだ。確かに海外に対する借金は少ないかも知れないけれど、日本国債の格付けはとっくに低くなっている。これからもっともっと借金をしてでも東日本の復興を計らねばならないというのに。バラマキ政策は続けます、賠償は国が持ちます。お金の要る話ばかり。でも、この経済状態が続くと、税収は極端に減ってくる。庶民の収入もどんどん減って、例え消費税を上げても、思った程の税収増加は期待できないだろう。平均年齢はどんどん延び、金を持つ人はより長生きする。年寄りばかりの国だから、年金支出で公的財政はどんどん破滅していく。この仮説の確度はおそらく高い。今の日本こそ、未来の成熟国のあるべき姿を例示すべきではないか。後追い得意の国だが、いよいよ、「引っ張っていく」ことを求められる。

  日付(11/8/7)   放射能汚染  

外部にしろ内部にしろ、放射能の人間に対する影響って、本当に判っているのだろうか。広島、長崎、スリーマイル島、チェルノブイリ、福竜丸を含む各地の核実験。夫々で、きちんとしたデータが取られて公表されてはいないし、ましてや日本における暫定基準値なんてこれ以上ない位安全サイドの筈だ。なぜなら、被爆事件が起こることなど正に想定外だった筈だから。でもその基準が厳しいが故に、今は「風評被害」が強烈な影響を与えている。野菜だって、牛肉だって、全国各地で捕れる訳で、わざわざ騒がれるものを買う必要はない。この影響は計り知れない。疑わしきは全て国が買い上げる、被害があれば全て賠償する。言うのは簡単だが、その金は何処から?未来への影響を心配するが、その前に国の経済が成り立たなくなるのではないだろうか。京都の大文字焼のたいまつ問題にはあきれた。なぜ陸前高田市の松の放射能を心配するのか、測定して問題ないというのにそれでも、使用しないことになった決断はどこからきたのか。今被災地に住む人達にどう説明するのか。メディアも含め、もっと冷静な対応が求められる。これまでの生活でも人類は多量の放射能を浴びてきている。人類が核兵器や原子力に手を出した以上、ある程度の汚染は避けられまい。多くの核実験から多くの放射能が地球上に拡散されたはずだ。フクシマの影響を議論する時、余りにエキセントリックになっていないか。病院でまず「レントゲン撮影」と言いながら、その悪影響を心配している話は殆ど聞かない。自分達が手を出し、その価値を享受している限り、その反作用についても正面から受け止める必要もあろう。ガン発症の確立が何割が上がろうと、人間は何かの病で死ぬのだから・・・そう言ったら身も蓋もないか。

  日付(11/8/4)   今年もシルバーカレッジ  

8月に入って、今年も市のシルバーカレッジのお手伝いをしている。一日おきに5回、10日間のコース。パソコン教室の「ワード」と「エクセル」の、今年は講師。昨年、サポート役をしたが、今年は講師の依頼があった。別に詳しい訳でも、資格があるわけでもないが、ただ、自分自身のリタイア後の日常の中で、コンピュータと向き合う時間が長く、こうしてホームページに書き込んで自己満足に浸っている自分をみると、パソコンが生活の中に入っていることの価値を人一倍感じている。だから、何かお手伝いできたら、というのがきっかけ。60−70歳代の人達が、目を輝かせてディスプレーに向かっている。自分の打った文字が大きくなったり、形が変わったり、色も変わる。クリップアートや写真を取り込んだり、住所録がワンクリックであいうえお順に並べ変えられたり、その度に歓声があがる。この世界は正式な教育は難しい。なぜなら、ソフトもハードも日々進化しているから。自分自身が最近のソフトの機能に驚きながら楽しんでいる。やる気満々の同年の熟年組の中にいると、こちらが元気を貰っている。本当の学びとはこういう姿かも知れない。老人パワー、偉大なり!

  日付(11/7/30)   荒れ狂う自然の力  

3.11の後、「天罰」と言った人がいた。言ってはならないセリフだとは思ったが、宗教も人類愛も、どんな考え方も意味なく無差別に葬った現実を説明できる言葉はない。表現に違いはあっても自然に対する畏敬の念や、人類の驕りを口にする人は多い。今度は豪雨。京都から新潟、福島、そしてソウルでも、降るとなったら尋常な降り方ではない。一時間に80-100mm、24時間で500mm以上。あの信濃川ですら濁流。先日の台風並みまたはそれ以上の雨が梅雨前線を刺激して襲う。インタビューを受ける人が、「50年ここにいるけれど初めて」、「先祖から聞いたこともないような」と表現する豪雨。やはり、神のなせる業なのかも知れない。津波もフクシマもそうして豪雨も、自然の想定外の力が、人間の想定を嘲笑っているのかも知れない。自然と仲良く暮らすことを「最高のしあわせ」と、人類が感じるようになれるかどうか、その日まで自然の挑戦が続くのだとすれば、人間の価値観が変われるかどうかということになる。できなければ、人類滅亡だろうか。そんなことまで考えさせる止まらない災害。

  日付(11/7/26)   中国という国  

米ロの冷戦後、自由・民主主義の時代が来たかと思った。我々の世代はそれ以外の政治思想はなくなるのでは、と思った。でも、ここへ来ての中国の存在感。これが共産主義なのかと疑問に思う程の格差社会。政治家や富める層はやりたい放題。まず、経済面で世界を牛耳るためにも世界中から進んだものを導入、先進国に追いつけ追い越せの様相。でも、やはや無理があるのだろう、高速鉄道で大事故。後始末のやり方も凄い。脱線転落車両を穴を掘って埋めてしまった。一党独裁というのは、やろうと思ったことは何でもできる。あっと言う間に運転再開。さて、原発事故が中国で起こったら、どうなるか。おそらく、どこかの国が放射能を観測するまで情報が出ないかも知れない。これは、怖ろしい事態だ。日本だけが「脱原発」することの無意味さはそこにもある。その中国でもやはり時代は移る。若者達の情報ネット化。おそらく中国政府も最も警戒しているに違いないが、この分野は若者達の方が敏感でかつ能力も高い。中国が変わるとすれば、やはり若い世代による民主化運動だろう。それは何年後だろうか。技術革新のリーダーが米国→日本→韓国と移ってきて、次は中国という人も多いが、その前に一ステップは必要だろう。

  日付(11/7/23)   (元)技術屋として脱原発を考える  

脱原発議論がかまびすしい。独が決断し、菅首相が将来方針を(私見として?)宣言し、朝日新聞も明確に打ち出す。再生可能・自然エネルギーへの傾斜も良いだろう。でも、と思う。人類がそれに耐えられるか。一方、現実論としては40年以上使用されてきた原発の寿命延長論も進む。私は前提寿命の過ぎた原発については急いで新設(スクラップアンドビルド)を進めるべきだと思う。普通の化学プラントとの違いはそこにこそ示すべきだ。日本の技術力はこれまで耐用年数を過ぎたプラントでも上手く使いこなすことにも多く発揮されてきた。でも、原発プラントではそれをやるべきではないだろう。原発先進国の義務は、初期設定使用年数をきちっと守って次のプラントを作ることだ。40年の間に何の進歩も無かったのなら議論にならないが、どの世界でも40年経てば技術進歩は大きいはずだ。安全性に対する知見も山ほど溜まっているはずだ。それを使用して最新鋭のプラントに交換していくことが原発と人間が共存していく最低条件だと思う。エネルギー需給バランスと脱原発議論で古いプラントを動かし続けることは、最大の危険だ。発展途上国の新設原発は技術的には先進国の技術だ。先進国の方が危うい道を歩んでいると言えなくもない。まだ使えるのに「もったいない」という発想はここでは止めるべきだ。

  日付(11/7/21)   これもビジネスモデルだけれど  

先日(11/7/12)、最近のエクササイズについて書いた。かなり身に付いたようで、雨で歩けない日はイライラする位までになった。ここで必須なのがiPodの音楽。1月に故障した時はアップルのビジネスモデルに感動した(11/1/27)。今回また同様の現象が起こった。同様に電話でコンタクト。でも今回は、「送って頂いての修理しかなさそうですが、15000円から20000円位になります。」とのこと。前もっての調査では、新しいiPod-nanoなら13000円。これはさすがに修理には出せない。小さなnanoを買った。アップルとしてはこれはこれで大成功なのだとは思うけれど、古いiPod-Classicも間違いなく直ったはずなのだが。これまた、ビジネスモデルの限界か。せめて、「新しいのを買えば古いのは買い取ります。」というモデルも付けてあればベストだったが。ただ、いずれにしろ、このインターネットを使ったビジネスモデルはいよいよ本格化している。どんな新しいビジネスが起こってくるか・・。でも、熟年世代以上にはパソコンを諦めた人も多い。アップル製品を買ったら修理も大変だ。こうして世の中の変化の最終章が進む。ブラウン管テレビもいよいよ残り3日。

  日付(11/7/18)   凄い! なでしこジャパン  

3連休の3日目の早朝に当たって、おそらく視聴率も高かったことだろう。ただでさえ時間たっぷりのリタイアリとしては、これを応援しない訳にはいかない。3時半に起き出して本気でテレビに釘付け。スタートから手玉に取られているようで、やはり駄目かな、と。そして残り10分で追いつく。延長戦も、「ここまでこれたのだから十分」なんて思っていたら、これまた澤選手のスーパーゴール。とうとうPK戦。これは完勝。いやはや興奮し続けた試合だった。選手たちにおめでとうより、敬意と感謝を表したい。不思議に思えるのは日本の女子サッカー人口なんてホントに少数派。まだまだ、「サッカーは男の子のスポーツ」。女子サッカーは予算もなく仕事をしながら続けている選手も多いとか。それが、プロリーグもあり非常に盛んな米国に勝って世界一になるなんて。ある意味では不思議。でも裏返してみると、どんなスポーツでもハングリー精神の強い国が強いということと繋がるのかも知れない。今再建中の相撲をみても、ゴルフの世界をみても、ハングリーな人達が牛耳るようになっている。「やりたいから」、「兎に角、好きだから」、そんな真っ直ぐな強い意欲がこんな奇跡(は言い過ぎか?)を招いた。澤選手以外は皆可愛い普通の女の子、でも凄い。感動の朝。

  日付(11/7/17)   心地よい汗  

昨日のゴルフは朝から30℃以上の炎天下。ほとんど60・70歳代の熟年コンペ。あれだけ暑いと誰かが倒れるのでは、と自分のことはさておいて心配してしまう。でも、プレーしていると「こんな天気でも皆でゴルフできるなんて幸せですね」、とさすが、悟った発言。確かに幸福感を感じる。でも、捕った水分は半端ではない。ポカリ2本(1リットル)、持参水筒のお茶500ml、午後はそれに冷水を入れてまた500ml。結局2リットルの水分を捕って、トイレなし。終わってお風呂で体重を測ったら、体重は大きく減少。この水分は全て汗に。最近のウオーキング/ランニングで鍛えているはずで、耐久性はありそうなのだが、発汗量は他の人よりはるかに多い。多汗症ではと思って調べるが病的ではないようだ。「体温調節機能が優れているんですよ」と言われて嬉しいような、でもやっぱり多いな、と。終わった後のパーティーで飲むビールは美味いを通り越して、幸せ!多くの人達が、色んな苦しみを抱えて生きている中で、こんな幸せを味わっていて良いのだろうか、とも思うが、それぞれの人にそれぞれの幸福感があって良いのだろう。できるだけ周りに迷惑を掛けないように、精一杯生きていこう、と思う快い疲労感の中。

  日付(11/7/15)   もう一度「脱原発」について  

OB同志のちょっとした定例懇親会がある。お互いの日常や社会問題を話題に酒を楽しむ。一昨日の会で原発が話題に。皆さん意外なまでに菅発言を支持。「菅だから言える」「彼にやりたいだけやらせたい」・・延命策は成功しているようだ。原発解散もあるかも。以前にも書いたが、我々の世代は原発を無くし、国民が自然に戻って、という暮らしができるかも知れない。でも、終戦後から立ち直った日本の今の「豊かな(?)生活」を保つのは不可能だろう。既に、経済は滞り、投資は減り、企業は世界の競争の中で生き抜く術として海外に出ていかざるを得なくなっている。エネルギーコストがどんどん高くなっていくと、「日本という国の競争力」は地に落ちるのではないか。働く場所もどんどん減っている。私は、原発問題は一国の問題ではないと思っている。もし、フクシマと同様の事故が中国や韓国、フランスでも起きて、大量の放射能がばら撒かれれば、北半球、全地球が汚染され、死の灰に犯される。そう考えると、一国だけが脱原発を唱え、競争に負けて行くような姿は、不合理だ。今回は原発だが、核兵器だって、地球温暖化だって全く同じ。だから、人類として原発を使い続けるのなら、これでもかこれでもかの安全に向けた技術開発を継続していく必要がある。勿論、自然エネルギー開発を促進させていく努力は必要だし、これまでの様に「原発推進のために他のエネルギー源開発を停滞させる」なんてことはあってはならないが。被害者救済、原発補償、高齢化対策に、こども手当て。国は次々とバラマキ政策を広げているが、そのお金はどこから?経済が減速し、税を払える人がいなくなったら、この国は立ちいかなくなる。再浮上できるか日本。正念場だが。

  日付(11/7/12)   もくもくと  

近頃久し振りに誰かと会うと、決まって「お元気そうですね。痩せられましたね。」と言われる。確かにこの一年で体重は約6Kg減り、ベルトの穴も2つ位あけた。ゴルフのお蔭か陽にも焼けているのでガンを心配してくれる人はなさそう。理由は一重にウオーキング/ランニング。出かけるか雨天以外はほぼ毎日。一年以上続いている。60−80年代の青春の歌550曲以上を入れたi-Podを耳に、一周760mの池の周りの遊歩道を10周する。初期は歩いてばかりだったが、すぐ何周したか分からなくなる。そこでランニングも取り入れた。今は2周歩いて1周走る。これを1サイクルとして3サイクルプラス1周歩きを繰り返している。計ってみると、家からの往復も入れて丁度1万歩。時間は75分。格好のエクササイズ。現役時代ではなかなか続けられない。季節の変化を楽しんだり、考え事をしたり・・。後半は帰宅して楽しむ一風呂とビールを楽しみに。意外なまでに満足。最近は一日の目的がここにあるのではないかと感じるくらい。時間はあってもお金がないリタイアリにとって、これはお勧め。高価なアスレチッククラブに行っていると思えば、ビール代も出る。そして、最高なのはゆっくり人生を考えている。

  日付(11/7/9)   梅雨明け  

初めて大失敗。11/7/9の文章の上に12日分を書き込んで、そのままアップ。9日分はすっかり消えてしまいました。愛読者に聞いても、「たいしたこと書いてなかったかも」とのことで、結局水泡。確かに本人も余りよく覚えていないのです。まれにみる早い梅雨明け。今日と同じ明日はないこと。そして南スーダンの独立。世の中日々動いている、という話だったか。

  日付(11/7/7)   「復興への提言」  

暇に任せてというか、勉強の為にというか、政府の「東日本大震災復興構想会議」(五百旗頭議長)の答申を読んだ。次々といわゆる有識者会議を立ち上げて答申させる手法に疑問を感じざるを得ない。この提言を文章にしたのは誰なのか不明だが、内容的には「計画の為にこんなものが必要なの?」と思わせる。おそらく官僚達も、自治体も皆思っている程度のことをまとめたに過ぎない。こんなものがないと、一歩前に進めないとすれば、危機時の行政機能に欠けていると言わざるを得ない。まず、「復興構想7原則」がまとめられているが、これが具体的アクションを考える時の指針になるのだろうか。本文に入ると前文があり、各章に序文がある。これがまた何とも観念的というか、小説的というか。官僚が書いた訳ではないということを証明することはできるが。内容も毎日、新聞を読んでいれば誰でも言えそうなことばかり。批判ばかりしていても仕様がない。私がこの会議に期待した方針は、いかに現在の日本や東北地方の特性を考慮して、復興を提言するかということだった。まず、過疎化と高齢化。被災地にはなぜ高齢者が多いのか、逆にいうとこのエリアの若者達はどこにいるのか。復興と言うからにはこの若者達が帰って来たくなる様な魅力を見せる必要がある。今残っている老人達が年金でゆっくり生活できるようなユートピアの建設は観念でしかあり得ない。もう一つ、日本の農業・漁業の将来をどうするかという方針が欲しい。TPPともなれば、国際競争力を求められるようになる。兼業農家や3ちゃん農業、爺ちゃんばかりの漁業を復活するのが目的ではない筈。この機会に、大規模化や民力の導入により、生き残れる農業・漁業のモデルエリアを目指すべきだろう。細切れの不動産の統一化についても二度とない機会と捕える必要がある。何を取っても二律背反の問題を抱えるだけに、それをどう方針づけるかということを期待した。恨まれることがあっても正論を主張するような答申があっても良いのに・・と思った。それができないならこの種の会議は単なるセレモニーで復興に余計な時間がかかるだけだろう。(「復興への提言」はそのまま検索可能)

  日付(11/7/5)   「温暖化」はどこへ?  

脱原発議論が盛り上がる。それはそれで構わないが、それの意味する所がわかっていない議論が多すぎる。今、脱原発すれば日本の産業はどうなるか。自分の食いぶちが大丈夫か。この節電ブームで当面大丈夫かも知れないけれど、気になるのは代替エネルギー。おそらく天然ガス、石油、石炭の燃焼ガス発電の比率が高くなるのだろう。鳩山政権ができた時、民主党は何を目指したか、それは地球温暖化対策だったはずだ。だからこそ、原子力エネルギー依存率50%を目標として掲げた。今回の震災で、本件はもうナシだろうか。原発も何かあった時の影響は一国に留まらない(と信じる)が、地球温暖化はもっと長時間軸でもっとグローバル。これはこれで全世界が考えなければならない筈だ。人間がここまでエネルギーを多く使い、便利な生活に慣れて、またはそれを求めて生活するようになった以上、おそらく全地球的問題としては、同等の危険性だろう。両方を、人間の知恵で解決せねばならないのであれば、やはり原発を制御できるようにするしかないのではないだろうか。世界中で原発を止めて、化石燃料に走ったとしたらそれがもたらす人類への危険性はより大きいのではないだろうか。やはり人類・地球は滅亡するのだろうか。

  日付(11/7/3)   節電の夏  

節電の夏が始った。国を挙げての節電運動。日本人の特性をうまく利用して何とか凌ごうと。でも、どこか胡散臭い所はある。これまでも原発を計画する時必ず供給能力不足が話題だったが、どうも原発推進の為に、能力を小さく言ってきた。だから、定期点検とかで、何基も停止していても、そうそう停電にはならない。使用率100%超えもおそらく一日の内の数分か長くても一時間は超えないだろう。効率良い蓄電技術があれば、まだまだいくらでも、とは言える。夜の内にダムにポンプで揚水するという対策は非常に的を得ている。とにかく、節電をあおるのは良いが、「いつ」という項目をはっきりすべきだ。夜はクーラーを使っても、東京タワーのイルミネーションを点けても構わないのでは?と思ってしまう。経済活動を減速させるのが実は今、最も怖い。空洞化し仕事がなくなり、懐が淋しくなれば日本は一気に貧しくなる。いくらバラマキ政策を発表しても、その為に使う金がなくなる。経済活動を伴う積極的節電は良いが、窓を開けてじっとしていましょう、的な節電はきっとマイナスだ。縮み志向の時ではないだろう。

  日付(11/6/28)   夏来る  

まだ6月で梅雨も明けていないというのに、去年の猛暑を思い出させる暑さ。今夜のニュースでは熱中症は急に暑くなった時の方が怖いとのこと。今年は、節電、省エネと対暑さの障害も多い。この間東京で思ったが、今夏は「急がない」ということをもう一つのキャッチフレーズにする必要がある。ギリギリ間に合いそうと思うとつい走る。去年までなら電車に滑り込むと、冷房でスーッとする。この種の快感は今年は期待しない方が良さそう。交差点も青の点滅が始まったら決して入らないようにしよう。とにかく、急いだ時は汗が噴き出すから。国民全員がゆっくり、一呼吸してから動くような心構えが必要だろう。この件は実は影響大で、もしかしたら日本人の国民性さえ変えるのでは、と思う。ま、そのおかげで、日本人が田舎や農業、林業に帰って、「食っていければ良い」という生活に戻れるのなら、脱原発も現実性が出てくるかも知れない。そんなことを考える、暑さの到来。

  日付(11/6/26)   反菅宣言  

不思議なもので、どんな手を使おうが、ここまでくると「菅政権継続支持」発言が増えてきた。曰く、「他に誰がいるの?」、「菅さんが何を悪いことをしたの?」、「身を捨ててでもやろうとしているのは良いのでは?」等々。やる気のあるのは認めるけれど、どうも「表」を重視し過ぎる。危機時のリーダーのこだわりは、「見えない場所でのリーダーシップ」、「じっと考え、耐え、決断し続けるリーダーシップ」。自分がやっているんだということを訴え続けるのは、頷けない。優先順位をつけることは、嫌われることを厭わないこと。なぜならこんな危機の時に全てを満足させる解はないのだから。まず、自分の優先順位を決める根本思想を明らかにして、国民ないし議会の支持をもらっておいて、そこから先はその優先順位にしたがって実行していく。賛成できないメディアに叩かれても耐えるしかない。根本が正しければ、全てを敵に廻すことはあり得ない。今、それをすべき時なのに、普段と同じ政治手法、皆に嫌われぬ様、次の選挙に勝てる様。誰がやってもそうなるのなら、この危機時の総理は、議員以外から選出する手もある。これとこれをやる内閣、これとこれは次の内閣まで延期する内閣。半年から一年やれば、成果が出るように思えるのだが。小泉でも、石原でも、橋本でも、石破でも、前原でも、寺島でも、伊藤でも・・・。プロセスさえ踏めれば誰でも良い。何もやらずにもう三カ月。私は支持できない。

  日付(11/6/25)  OB会総会  

昨夕OB会の総会があった。昨年入会させてもらったが、総会は初めて。かなりの出席率。平均年齢は70歳とか。皆さん元気、そしてOB会が楽しみで、顔を合わせたとたんに「来年も会おうね」と。現役の時に、OB会を積極的にサポートしなかった。外の血が入ってきたり、中途で辞めたり入社したりする時代になることを認識していたから。でも、こうして一会員として参加すると、皆さんが大事に考え、楽しみにしておられるのが良く分かる。日本的経営とグローバル経営の違いと言ってしまえばそれまでだが、従業員の立場で、定年まで勤め上げた、という気持ちでみると、「大事なんだな」と思ってしまう。いずれ喜ぶ人達だけの会になるだろうし、世代交代で入会者は減っていくことになるかも知れないけれど、大切だと思う人がいる限り、「続いた方が良いな」と思う。懐かしい想い出に酔った夕べ。

  日付(11/6/24)  株主総会  

今年も元の親会社の株主総会に出る。株は僅かしか持っていないが、やはり世の中では最も気になる存在。今年は久々の好決算。さて、これから3.11の影響がどんな形で表れるか、一企業としてではなく、日本国として心配である。企業も真面目なら、株主も」真面目。時々ずれた質問があっても、きちんと真面目に答える。「荒れる総会」とは程遠い。ただ、世の中の流れに後れを取らないよう「変わる・変われ」という議論が少ない。増収増益さえ報告できればとりあえず合格というのは事実だろうけれど。日本の経営は長期的視点が重視され欧米は近視眼的、と言われるけれどそれは本当に正しいか。こういう場に出て、久しぶりに企業のありかた、あるべき姿を考えるのは、頭の体操としてだけでも意味がある。もう少し、世界の中の日本とか、労働力・人間にも関係した議論があったら良いのにと思った。来年以降どうなるか。

  日付(11/6/20)  反原発の流れ  

ドイツ、スイス、イタリア・・まずヨーロッパから反原発の動きが大きくなってきた。日本でもデモが始っている。さて、今後どうなるか。科学技術立国日本としては、脱原発は困難だろう。我々の年代はもう何とでもなるかも知れないが、現役世代は「日本いかに生くべきか」を考えて意思表示をする必要があろう。確かに、日本では原発立国を目指して政治的にも他の発電を過小視してきている面もあろう。ここ数年乗り切るのも不可能ではないかも知れない。ただ、その代わりに日本国が生きながらえないかも知れない。おそらく脱原発は日本人に国内で自活する道と、海外に働きに出る道の二者択一を迫ることになる。自然エネルギー開発も良し、節電生活も良し、でも電気が高価になれば日本の産業の競争力は間違いなく落ちる。製造業は海外に流れていくだろう。輸出で食えなくなった時、日本人はどうするか?やはりここは、原発事故を経験した最も良く知る国、を強みにするしか無かろう。我々は、田舎で戦後の生活ができるかも知れないけれど。今、問われる「この国をどうする、これからどうする?」。

  日付(11/6/19)  懐かしき人々  

昭和47年に名古屋の研究室に入社、5年間。独身寮生活、結婚、第一子誕生と正に青春。仕事も新しいことばかりで刺激的だった。その頃の室長を囲む会があった。30年以上前なのに、多くのメンバーが集う。顔を見ても誰か分からず、でも名前を聞いたとたん、何かを思い出す。後は完全にタイムスリップ。あの頃に戻って話がはずむ。新入社員で入ってきた後輩も、間もなく定年。なんという時の流れる速さ。一人一人の顔に一つ一つの人生の皺が残る。既に他界された何人かの話題にもなる。やはり間違いなく年月は経っているのだ。その主役の元上司の挨拶に「僕が死んでもひっそりと家族葬をするように言ってあります。そこには出る必要はないので、こうして会える内に会って話しましょう。」。それがいいな。僕もそうありたい、と思った。貴重な3時間の名古屋。

  日付(11/6/16)  3人目の孫  

3男の所に子供ができた。早産しそうで、5月から入院していたが、子供の成長を確認して予定より半月早く生まれた。この医学の進歩にも驚く。神の仕業と思っていたお産も人間のコントロール領域に入ってきた。息子にとっては初めての子、可哀そうなほどの緊張。でも無事生まれた時の笑顔は良い。こうして、次々と子供たちが成長し、孫も増えていく。喜びを感じるが、これまた裏を返せば自分の人生が終わりに近づいていくことの証でもある。東北の被災地の人達から見れば、羨ましがられる様な生活。被災者の中には、妊婦だって、幼児だっているし、亡くなった人も多いだろう。誰が決めるわけでもない運命のいたずら。でも、結局全ての人に限りがある訳で、一人一人が与えられた人生を精一杯生きるしかない。大震災以降、実に生と死を考える機会が多い。何がベストというわけではない、結局何に充実を感じるかで生きる意味がでてくる。宗教も、芸術も、哲学も、結局人生いかに生くべきかの指標なのだろう。小さな赤ちゃんにちゃんとあるべきものがついていて、ちゃんと動いているのを確認して、やはり誕生は神のなせる技だと認識しながら。

  日付(11/6/13)  ICTって?  

しばらく途絶えていたが、また各種セミナーが始って、今回日経新聞社の「世界ICTサミット」の受講券が約半分のみ当たった。今日は午前中のみ出席した。「情報でつなぐ日本再生の絆」というメインテーマ。日経ホールは一杯。我々世代より若い人達も多い。今日は「モバイルが支える情報社会」。そもそもICTって?この話について行けなければ、今や世の中の動きどころか、危機管理にもついていけない。答えは簡単、Information and Communication Technology。要は携帯電話から、コンピューターまで、情報機器が動かす社会の話。さて、この種の話に60歳以上(70歳以上というべきか)の何%がついていけるのだろうか。学生の頃は全くなかった分野故、教育ではあり得ない。結局社会で仕事をしながら覚えてきた、ということだろう。もし、コンピューターに触ることすらなかった人達は、結局メールもインターネットもできないままで歳をとっている。そういう私もクラウド・SNSなど新しい世界についていくのは大変。でも、世の中はどんどん進んでいて、5年前の常識ではついていけない。皆がモバイルをもって大震災に当たろうと言われて、さて何%がついていけるだろうか。「若者は大丈夫」というかも知れないが、若者の成長より、この世界の進歩は速い。この間会った大学教授の友人が言っていた。「今の学生はパソコンは使っているが、この間”えっ、パソコンってそんな計算ができるんですか?”と聞いたという。親しんでいるということと、分かっているということは根本的に違う。今はどんどんブラックボックス化しているだけに、「知る人しか知らない」という世界なのか。ICTの未来を考えながら、ついていく難しさを感じた。

  日付(11/6/11)  大震災とグローバリゼーション  

日米の合弁会社、加えてマジョリティは米側という環境にいたこともあって、グローバリゼーションは良い悪いに関わらず、将来全てのビジネスが行きつく姿だと信じ、常にそれを念頭にリタイア前の20年を過ごした。今でもそれは決して間違っていないと思うし、世の中はそのように動いていくだろう。でも、この大震災に当たって、どうしても日本人になっている。これは理屈ではない。タイの大津波にも、インドネシアの災害にも、ニュージーランドの地震にも、世界のどこで災害が起こっても心を痛めた。わずかでも義援金を心掛けてきた。日本のマスコミが現地の日本人だけを大きく取り上げるのを違和感をもってみてきた。世界的見地に立てば、今回の東北の犠牲者と、プーケットの津波の被害者も同じ人間だし、知り合いでもないという意味では同じであるはず。でも、やはり心の痛み、同情の感覚は理屈ではなく今回は大きい。人間である前に日本人なのだということかも知れない。でも原発の問題を考えるときに、日本だけの問題とはどうしても捕えられない。放射能汚染には国境はない。いずれはアジアに太平洋に、北半球に、そして全地球上に拡散していく。核兵器と同じだ。そう考えると、やはりフクシマは福島や日本だけの問題ではない。世界の問題だと捕える必要がある。日本の原発を何基止めようが動かそうが大した問題ではないと言える。人類が最終的に皆平等に、物質的文化的満足を求める限り、原発の安全性を高める方向以外には解はない。200年前の地球で、生活で良いのだ、と合意しない限り。でもそんなグローバル合意なんてありえないだろうから。

  日付(11/6/10)  孫達との時を想う  

わずか三泊とは言え、長い時を次男の家で過ごした。孫娘が二人。二歳と零歳。成長が早い時だけに、瞬間瞬間を生きている、と感じる。半年前は会話もできなかった、それが今ではおしゃべり上手、半年前は寝返りもできなかった、それが今ではしっかりお座り、伝い歩きも近い。人間の成長はゆっくり、とは言うけれど、それでも時は容赦なく過ぎて、もう「アカチャン」は終わった。ジジババは責任ないから最も甘やかす、と言われる。確かに柔らかな体と透き通った目で甘えられると、もうどうしようもない。自分の子供達を育てた時もそうだった様には思うが、やはり歳月が人を変えてもいる。時折、人生のもろさ、はかなさを感じる生活だけに、余計にそうなのだろう。この子に自分の血が流れている、と感じる時に何か胸を打つ感慨がある。孫が無い時、周りの同世代が「クラブグランパ」などと孫の話をしながら酒を酌み交わしていたのを冷たい目でみていたが、やはり同じだった。5年後、10年後、そしてこの子等が母になる時・・将来を考えると楽しみであり、やはり寂しい。それが人が生きると言うことなのだろう。

  日付(11/6/9)  小旅行を終えて  

何とも理解できない政治劇を見てのち、一週間小旅行をしてきた。その間に政治はコロコロ。野田総理になって野党協力体制で。官僚達がそれなら何とか、というような形ができるのかも知れない。政治主導を目指せば目指すほど日本が動かない。4日に卒業学部の50周年の催しがあって大阪に。久し振りにキャンパスを歩く。思い出がある部分を見つけるのが難しい程大きく変わっている。己の歳月を感じざるを得ない。卒業から39年も経っている。旧友達とも再会の機会があった。不思議なもので、何年ぶりであれ、名前を思い出せない人であれ、判ってしまうと一気にタイムスリップ。話も盛り上がる。不思議なものだ。学歴を武器にしたことは無かったと思っているし、こだわらないのを信条としてきたが、こうしてキャンパスを歩き旧友と会うと、自分の人生の中で、良い時期を過ごさせてもらったのだな、と感謝する。誰でも何でも努力すれば出来るのだという考えに戻ると、やはり学歴に助けられた部分も多いのだろう。今頃になって妙に見直すところもある。一人、教授で大学に残っている友人がいる。あとでメールをくれて堀口大学のアポリネールの翻訳詩を紹介してくれた。その中に「日も暮れよ 鐘も鳴れ、月日は流れ わたしは残る」というリフレインがあった。人生でいろんな出来事があり、社会でも(大震災のような)人知でいかんともし難いようなことが起こって、それでも我々はまだ生きている。そのことに対し「あがかない、与えられた人生」を大切に生きるしかない、という思いか。良い時間をもった。

  日付(11/6/2)  間もなく内閣不信任案採決  

採決までに書いておきたい。結局誰が日本を動かしているか。それをスムースに進めるべストの体制はどうか、ということに尽きる。ここまで政治が紛糾しているのはおそらく官僚たちの民主党に対する不満の鬱積だろう。実際に計画実行しているのが官僚たちなのに政府がブレーキをかけちゃちゃを入れる。危機の時こそ官僚に自由度を与えて欲しい。それが野党や小沢一派を動かしていると見る。菅民主党にそれを打ち破ってでも政治主導が突き切れるのか。おそらくNoだろう。本当は民主党に頑張って欲しいが、経験不足で稚拙だ。官僚を手足として動かしてリーダーシップを発揮できるのは、誰か。注目点はその一転。小沢でも田中でも野党でも良い。この危機を突破できるのは大衆迎合しない、「嫌われても、刺されても良い」、覚悟のリーダーだろう。不信任案がどちらに転んでも、このままでは済まない。一日の内に誰かにウンと言わせる。さて、誰か?

  日付(11/5/31)  こんな支援の仕方もあった  

みのもんたの「朝ズバ」を見ていて今朝は感動。早速行動に移した。東京でのサラリーマンを辞めて宮城県にUターン。漁業に入ろうとした36歳。桂島に移り住んで、なかなか漁業組合にすら入れて貰えなかった。理解者を得て入ったとたん、この大災害。先輩漁師たちが絶望する中、一口オーナー制度をスタート。あっという間に一億円を集めそれを元手に復興に努力している。義援金や、公的資金もうまく回っていない中で、「自分たちの力で何とかしよう」という姿勢が多くの人達の共感を得ている。これまで、義援金の使われ方に疑問を呈してきた身としてはこれに参加しない訳にいかない。決して復興後の海産物を期待している訳ではない。でも彼らがこうしてオーナーに何か送れるようにと目標にして努力することに対するサポートは、自分としても嬉しい。早速振り込みをすませた。メッセージも送った。こんなサポートならもっとしても良い。ただ、同様な形式をとって実態のない詐欺事件もあるというのが寂しい。頑張れ、被災地の努力する人達。(参考 http://www.urato-uminoko.jp)

  日付(11/5/26)  政治への信頼は地に落ちた?  

原発以外の話題も選びたいけれど、今の日本はやはり原発。今後のエネルギー政策の方に話題が移るのを待つが、どうもいけない。今回の55分海水注入停止問題はもうついていけない。国会でまで是非を議論して、最後は「実は停止はしなかった」。おそらく東電の所長は技術屋としてどうしても止められなかったのだろう。それはそれで理解はできるがそれを巡る周囲の騒ぎは何なのか。極論すれば、「例え政府が何と言おうと正しいと思うことはやらねばならない。」という話なのだろうが、回りには多くの人がいるし、たった一人の決断とは思えない。それならそれで、東電としては会社を挙げて所長の判断を訴えるべきだった。今頃になって「実は・・」なんていうニュースが流れるのはどう考えてもおかしい。この国のガバナンスは全く機能していない、というべきだろう。これから先、どんなニュースが流れても「ホントかな?」からスタートするようになる。パニックになるような情報があるとしても、国民はそれに耐えなければならない。津波に流された人と比べれば・・・そこまでの決心が要るのだろう。

  日付(11/5/22)  原子力はそれ程政治だった?  

元技術屋としては、最後は理屈であり、データであり、理路整然を求める。原発事故についても「想定外」を受け入れるし、自然との闘いという捕え方をする。でも、今回の東電や政府の対応を見ていると「やはり政治か」と思わせる所が随所に出てくる。情報のコントロール、発表の仕方、外国とのせめぎ合い。何しろ(信用できない)メディアを通してだけの情報だからどこまでが正しいのか分からないけれど、もしかしたら、と思わせる点も多い。パニックになりかねない情報を、保証もない時点で出すべきではない、というのも賛成、小さなことでも少しでも早く開示すべき、というのも賛成。どちらも正しいと思える時、出てくるのが「政治的判断」だろう。ただせめて「一貫性」は欲しい。どうせ責められるのであれば、「首尾一貫」の方がおそらく正解。悪いケースを前提にする方がおそらく正解。日本の国民の知識レベルは平均すればおそらく世界一。そうであれば、最悪のケースを想定してそこからスタートした方が良さそうに思う。時間と共に小出しにしていくのも政治手法かも知れないが、信頼はどんどん落ちていく。アマチュアに分からせる言葉、これこそが政治力かも知れない。

  日付(11/5/19)  カテーテル検査入院  

もう4年も前のこと。狭心症の症状が出て、念のために入院、「ステント」を2本入れた。周りの人も殆ど知らない出来事。その後も定期的にフォローも続けている。この春、負荷をかけた後の心電図でやや異常が見られ、この度念のため入院してカテーテルを入れて検査。以前入れたステントは全く問題なく、異常は年齢のせいで、薬の変更で問題なしとの結論。またしばらくは健康状態で暮らせそう。「お金で命を買う時代」を批判する本人が丁寧にチェックしている訳で、矛盾するかな、とも思うが、これで正常に生きられるのであればやっておいた方が良いのだろう。さて久しぶりの病院。兎に角老人が多い。申し訳ない位。この治療費を全て年金で面倒見るとすると今後ますます医療費ばかりとなる。自分も含め、老人が元気で無ければだめだ、と思う。米国にいた頃を思い出すと多くの老人が自宅にいて明るく生活していた。望むらくは通院治療だろう。医療費を上げてでも、病院が住み家にならぬようでありたい。救われたのは看護婦さん達、皆若い。心もとない所がちょこちょこあるが、あの明るい若さの声は老人に元気を与える。長生きの為の技術がどんどん発達し、多くの老人たちがそのお世話になり、病院が介護施設になると、その世の中は旨く回るのだろうか。動脈を切ってカテーテルを入れる訳で、昨夜は流石に痛くて眠れなかった。そんな中で将来の自分、家庭、社会、世界、そして自然を考えた。やはり何か為さなければ・・・

  日付(11/5/14)  メルトダウン(炉心溶融)  

一号機ではメルトダウンが起きていた、という衝撃のニュース。ではなぜ反応器の底が溶けなかったのか、不思議。2800℃の高温に耐えたということだろうか。最も恐れていたメルトダウンの次のステップは、水蒸気爆発で放射能が飛び散るというものだった。それは避けられたと考えて良いのだろうか。それとも未だ可能性が残っているのだろうか。メディアは色々批判・攻撃するが、おそらく何が事実で、次に何が起こるか答えられる人はいないのだろう。未知の領域に踏み込んでいるのだとつくづく思う。今でも核反応が継続していて、何らかの放射能は拡散している。それは全地球の問題になっているはず。早く国際的チームの設立と知恵の収集、そして自然との闘いに人類として挑んで欲しい。神との闘いとも言えるかもしれない。今や東電という一企業は勿論、日本と言う一国家の問題ではないだろう。

  日付(11/5/13)  季節感  

空豆(ソラマメ)の季節だ。今夜のつまみは茹でたソラマメだった。ビールが旨い。想い出を辿ると、子供の頃最初に覚えた料理(?)はソラマメの塩茹でだったかもしれない。母が不在の日、早く下校すると庭の畑でソラマメを採って茹でて食べる様に言われた。おやつのお菓子などない時代・環境。自分で作って食べたおやつだった。これしかないのか、と思いながら、でも自分でやったものだ。その頃食べ過ぎたせいか、長い間決して好きな食べ物では無かったが、大人になって酒を飲むようになると、これが旨い。特にこの初夏の季節を感じる。黒い筋(お歯黒)の上は食べるな、と言われた思い出もある。頭を爪で取って中身をプチンと押し出して食べるが、皮と一緒でも旨い。秋から春にかけてソラマメをとは思わない。でも、最近そんなつまみが好まれる。どんな野菜でもいつでもある。輸入の場合はまだしも温室栽培と冷凍技術のお陰とか。今回の震災で皆が「省エネ」を考え始めた。誰かがTVで言っていた。「なぜ、いちごのショートケーキを年がら年中食べなければいけないのか。いちご栽培に多くのエネルギーが使われている。」。確かに本来の時期と採りいれ時期をずらすことによって付加価値を上げているケースは多い。これを止めて本来の姿に戻すのも良いことのように思える。ただそのために努力して生活の糧にしている人達がいるのも確かなのだけれど。ソラマメを口に押し込みながら考えた。「自然に逆らうことの価値は、どこかでしっぺ返しを食らうのかも知れない。」と。原発にも繋がる話か。

  日付(11/5/13)  義援金(2)  

巨額の義援金が集まって、全く被災者には届いていないようだ。出した方とすれば、すぐに何かの役に立てたら、と思っていたのに・・巨額になればなるだけ実際に役に立つのは遅くなる。当方なぞは、何もできないいらだちからの自己満足なので、腹が立つところまでは行かないが、そんな筈では無かったとは思う。こんな時に必ずでてくる「平等」というくせもの。善意の「公」となるとなおさら。委員会まで作って、いかに平等に被災者に届けるか、そして最後は「犠牲者一人につき・・」、「家を完全に失ったら・・」、「半壊なら・・」といったルールができてポイントが決まる。ま、それはそれでいいんだけど、できたらすぐに困っている人の何らかの役に立って欲しいんだな。ちょっと感じる矛盾。勝手に出す義援金なんだから、使い方も選択させて欲しい。そんなシステムがあったらもっと増えるのではないだろうか。数軒の人が集まり、電気もガスも止まった山の中の避難者に、生徒の多くを失って、文房具もない小学校に、舟さえ戻れば明日からでも海に出たいという漁師さんに、原発事故の最前線で働く東電や関係会社の作業員やその家族に・・・ニュースを見ていていたたまれなくなるような人に直接支援ができるようなシステムがあったらな、と思う。多くの人が自分達は元の生活に一日も早く戻ることが優先順位一位だと判っている。でもそれに加えて何か、という時に単なる自己満足だけでなく、目的指定の何かあったら・・と思うのだが。そんなことをやろうとしても誰が、どう?と聞かれると弱ってしまう。そして果ては「義援金詐欺」の横行だって。いたたまれない。

  日付(11/5/10)  もって生まれた運  

東電の清水社長に同情なんかしていたら白い目で見られるだろう。勿論、今回の原発事故の一義的責任は私企業としての東電にあるのは議論をまたない。でも原発推進は国策であった訳だし、計画の前提を決定する時の(原子力)学会の責任も非常に大きいだろう。その「関係者で決めた想定」を超えた事故の責任はやはり関係者全員にあるというべきだろう。東電の経営陣は、この地震・津波がなければ、「親方日の丸」の楽ちん経営だったのではないだろうか。まさかこんな大問題が降って沸こうとは思ってもいなかったはずだ。この時の経営陣に当たったことは「不運」としか言いようがない。部課長・役員・社長・会長・・自治体の長・大臣・総理大臣・・どんなポジションであっても、リーダーには運がついて回る。ポジションで仕事をしている訳だから、「私は知りません」とは決して言えない。結局常日頃から、もし自分の在任中に事が起こったらいかに対処すべきか、と考えていなければならない訳だが、実際にそれに当たるかどうかは、「もって生まれた運」によるというしかない。現役の時代、色んな事件が勿論あったが、会社の存続や社会への直接の責任を問われるような事件には当たらなかった。まずまずの星の下だったのかも知れない。上を見ればキリがないが下を見てもまたキリがない。「責任あるリーダー」が持っている「星」を考えさせる今回の事件である。

  日付(11/5/8)  日経をストップ  

以前、リタイアされた先輩と一席あった時、最もリタイアを意識された出来事として聞いて印象に残った言葉が、「日経新聞を止めた」という言葉だった。この言葉の意味するところは大きい。現役の時ほどその意味が分かった様な気がした。リタイアして一年、この4月末をもって、日経の配達を止めた。朝、新聞受けに行くたびに、朝日一誌では何となく寂しい。情報源はどんどん増えて、もしかしたら新聞そのものが不要になるかも知れないな、と思いつつ、でもこんな有様。この先輩の言葉は確かにシンボリックだったな、と思う。日経を読んでいないようでは、企業人は勤まりませんよ、と言ったメッセージ。日経新聞社はやはり経済発展と共に伸びてきたシンボルではある。この度購入したスマートタブを持っていれば、各紙のニュースが読めてしまう。ただ解説記事の様に考える機会は減っていくのかも知れない。日経ビジネスは届くし、日経オンラインは読むし・・・それでも、確かに人生の一区切りが来たような気もする。これまた、面白い変化。日経偉大なり!

  日付(11/5/6)  脱原発を言う為には  

菅政権が、浜岡原発の停止を決めた。この理由がよく判らない。今回の事故が起こったから、という要素が余り無い。M8クラスの地震がきそうだから、というのは理由にならないだろう。それはとっくに「想定」されていたはずだから。福島の「想定外」の話と一緒にはできない。本当に民主党政権はこれから脱原発に突き進むのだろうか。そう決断するのなら、国民の総意が必要だろう。即ち、今のエネルギー消費レベルを落として生きることに対する合意だ。何しろ、地球温暖化解決を大きく打ち出した政権だから、代わりにCO2発生火力を増やして電気の総量はキープしますとは言えないだろう。加えて、ダム建設にも反対なのだから。私はそれでも良いと思う。我々が幼かった頃のレベルの生活に戻れば、人間性も戻ってくるかも知れない。「長寿」を求めて、寝たきりでも生かし、お金で寿命が延びるという不合理さも是正できるかも知れない。でもそれで社会はどうなる?人間は何を目指して生きていくことになるのだろう。そしてまた、一度知ってしまった物質的豊かさを諦めるという合意は容易ではないだろう。加えて容易ならざるのは、原発の事故や被害の影響は決して一国には収まらない。一国だけが全て止めても、地球上に原発がある限り、大事故が発生すればその影響は徐々に拡散してくる。そう考えてくると、今原発をストップすることは殆ど不可能と思える。結局人間は自然に対し挑み続けなくてはならないのだろう。「今回停電があって、珠には良いな、と思った。」とか、「人生観が変わってもう進歩を目指さなくても良いと思うようになった。」とか、色んな人がいる。ただ、その後に続く社会や生き方の変化も含めて決心しているとは思えない。脱原発の決断は決してエネルギー需給の問題だけではない。「人間いかに生くべきか」という人生観の問題と切っても切れない関係にある。

  日付(11/5/3)  自分で勝手に?  

今年のゴールデンウィークは大型中の大型。2日休めば10連休。でも静か。ようやく今日から例年並の渋滞。安近短だそうで、金が動かない方向。確かに、日本人全体の気持ちとして浮かれない。毎日、被災地のニュースを見、原発の影響を考え、これからの日本の社会や経済を考えれば、遊ぼうという気になれない。先日のTVである解説者が、「今の日本人は自分のもっている情報でこれからどうするか自分で判断する必要がある。」と語った。そこまでは良いだろう。でもその後、「私など悲観的に見ている。実際(海外の)友人からは早く逃げて来い、いつでも受け入れる。と言ってきている。」と言った。いつもバランスの取れた意見を言う人だっただけに、憤りを感じた。今、困っている人達、世の中・人の為に頑張っている人達、その人達がどう捕らえるか、今メディアで何かいう人達は最低限その気配りはいるのではなかろうか。だからこそ、ゴールデンウィークを心から笑顔で楽しめない人達が多いのだ。「自分で勝手にしなさい。」と放り出すのは余りに無責任で冷たすぎる。

  日付(11/4/30)  料理教室終了  

大震災で3月分が流れたために遅れてしまったが、昨年から始めた料理教室、「和風基本料理の会」、一年が終わった。12種のメインディッシュを習い、半分位は家で復習もやってみた。でもカップ、スプーンでレシピを示すレベルの料理は、実践的ではないな、と思う。普段の生活では、カップも「さじ」も殆ど使われていない。最後のレッスンで教師が言った。「お判りになりましたか、料理というのは構想を決めて、準備をし、実際に作り、提供し、最後は廃棄物の処理に至るまで、ホントに総合的で、バカではできない、凄くトータルマネージメントを要求されるのですよ」って。本当にそう思う。「もっと、母と、妻を尊敬しなさい」というのが追加のメッセージだった。確かに全ての家庭が、外食志向で、家で料理をしなくなったら、と思うと、理屈ぬきで「こりゃ大変だ」と思ってしまう。女性の社会進出をいう時は必ず、「男女共に料理はマスターしましょう」と言いたくなる。こんな色んなことを考えながらやってきたとすれば、これまで、料理を担当してきた女性達の能力を尊敬せざるを得ない。先生曰く、「それが判ってもらえるだけでも料理教室の価値があるんですよ」だって。

  日付(11/4/29)  ゴールデンウィーク  

今年も大型連休がやってきた。過剰な自粛に対する懸念、何とか経済を元に戻したい社会・政府。でも結局は「人の心」。「貴方達がお金を使って、世の中を活性化しなくては」と言われても、誰も「楽しくもない旅」や、「何が起こるか不確定の旅」など、そうそう簡単に元に戻るわけがない。「日本国を一日も早く元に戻したい」といくら主張して「地震前と同じ生活に戻りましょう」と言われても、個々の人たちは、当面「様子見」でしょう。だって先が見えないのだから。いくら東北新幹線や自動車道が開通しても、結局は人々が「今の自分の仕事は早く元の毎日に帰ること」と言っても、「心」がついていかない限り、単なるお題目に過ぎない。加えて生活の糧が地震前と同じに戻らないであろう人が一杯いる。さてどうすべきか。リタイアリにはゴールデンウィークはないけれど、ようやく周りの声が大きくなってきた。一日も早く「復興」のステップに入って欲しい。今年のゴールデンウィークは両刃の剣。是非、良い方向のきっかけになって欲しいと思うけれど、どうも政治からの声は「何でも言って下さい。保証はします。あげるものはあげます。」でも原資は「何れ日本は強くなるから、今は(赤字国債で)借金で賄いましょう。」。これで本当に救われるだろうか。やはり、「嫌われるリーダー」がいかに大切か、それをゆっくり考える今年のゴールデンウィークとなりそう。活性化には繋がらないかな。

  日付(11/4/23)  因島の安政柑  

3月上旬の旅行のもう一つのハイライトは瀬戸内海因島の安政柑。そもそもこの旅行実施の最初の理由。メンバーの一人が因島の出身で、昨年故郷の蜜柑畑で採れた安政柑なる柑橘類を食べさせて頂いた。皆初めての味で、調べてみると「幻の味」の一つ。因島産だがもう殆ど栽培もされていない。この農園の持ち主も既に98歳のおじいさん。そこで今年は皆で収穫(の手伝い)に行こうということになった。20数本の安政柑畑に7人が訪問、数時間で採りいれを終わった。その後はバーベキューパーティを楽しんで、自分の分を送って帰った。なかなか評判も良い。文旦の一種だと言われるが大き目で兎に角皮が分厚い。おそらくそれが広く出回らなかった理由かもしれない。ただ酸味は少なめで個々の果肉が分かれやすい。食べやすくベタベタしない。自然の味が良い。帰って話し合う内にこの畑を守ろうということになった。近々「守る会」を立ち上げることにした。会費でこの木を守ってまた来年収穫に行こうというだけの会。熟年の仲間の新しい楽しみ。

  日付(11/4/21)  人吉の球磨(くま)焼酎  

3.11の為に3月上旬の修学(?)旅行の話題を書き損ねた。そろそろ想い出そう。一つは熊本県人吉市の球磨焼酎の蔵元見学。この街には好印象を持った。ここ数年どこに行っても、特に歴史ある静かな街に行くと総じて気に入って住みたくなる。人吉も良い街だった。まず相良家の歴史が興味深い。拡大に意欲を持てば中央にもっと影響を与えたと思える名家。でも地元を大切にし、平和な街を目指した。球磨川沿いの田園地帯は中央から隠し、中央からの役人も入り口で止めて実際の石高を隠した。そこから米焼酎が主役になれた。平和な田園地帯の歴史。これまで焼酎と言えば「芋でなくては」なんて言っていたけれど、最も本来の姿は米で、米がままならないから、麦や芋など色んなものを使ったのだと分かるとやはり米焼酎が本来の焼酎の姿なのだと思えてくる。最近米派になってしまった。人吉で城跡に登った。小学生達が掃除に来ていた。拾うゴミがないほど綺麗。この子達の挨拶ぶりが最高、どの子も自然に挨拶する。丁度登山をした時に感じるあの快い挨拶を想い出した。先生にその話をすると「素直に嬉しいです」と、これまた爽やか。人吉という街が一気に好きになった。温泉も快い湯だった。料理も酒も人々も、川も山も・・・好感!

  日付(11/4/19)  原発の話  

おそらく人類が手に入れた最も優れたエネルギーである原発を止めることは低エネルギー生活に人類が戻れるかどうかという問いに戻るのだろう。この歳まで生きて物に囲まれた毎日でややうんざりして、本当に長生きが良いの?とか、命もお金で買うの?などと元に戻った質問をしている定年退職者は、「暗くても良いかな」、「自然の中で生きるのも良いな」なんて言えるが、世界の競争の中で生き延びることに重点をおけば、そんなことは言ってられないだろう。今の生活スタイルを保ち、より多くの人がより効率的にと考えれば、いくら太陽光発電や、風力発電がクリーンでエコであろうと、原発の効率に勝つことはできないだろう。唯一次の可能性は核融合だろうが、これとて安全を含めた技術確立には、まだまだ時間がかかりそう。常識的考えでいけば、今回の事故から極力学んで、この技術の安全性をより高めていくと言うことなのだろうけれど。多分、原発反対の人達も人類が生活スタイルを変えるというところまで考えて尚且つ反対と覚悟を決めている人は少ない。先日読んだ真山仁の「マグマ」の地熱発電の話も面白かった。これも自然の景観などとの矛盾を抱えているが、人類と自然との共存という意味では推進したくもなる。ただ原発の効率には叶わない。こうしてリタイア生活に入っていると、もっと自然の中での毎日でも良いな、という気にもなるが、さてそれでは人間は何を求めて、何に向かって進むことになるのか。違った大きな問題に突き当たる。世界で反原発の波が起きるかどうか、フクシマがどう収まるかを、世界が固唾を呑んで見ている。

  日付(11/4/17)  民主主義の中の矛盾  

大震災の津波で家を流された人の中に、兎に角避難所の生活から逃れたくて、自分で自分の土地をまず片付けて、プレハブ・バラックを建てて住み始めた人達がいる。7人家族が入れる仮設住宅なんてないので、津波で壊れた家をまず二階だけでも住めるように掃除して住み始めた家族がいる。市町村によっては、跡地に勝手に住む場所を確保することを禁止する措置を決めた所もある。「自分の家、自分の土地なのだから好きなようにできるはず。」というのも(多分)民主主義、「将来の街造りを考えて公がリードしてやるべき」というのも民主的なのだろう。原発の避難の問題、東電による補償金前払いの問題、農業・漁業の風評被害に対する補償の問題。多くの新たな問題が表面化してきている。メディアもどんどん取り上げる。一般的でなく、かなり特殊なケースでも、マスコミが記事にすれば一気に問題となる。こんな時に「全てを満足させる解」なんてあり得ないのに、リーダー達は「安請け合い」と「大盤振る舞い」を繰り返している。早く「優先順位付けの基本方針」をまず決めてそれから外れる場合は謝ってでも我慢してもらう、というルートも確立しておかないと将来矛盾の中で立ち往生しそう。民主主義に則った危機対策は大変難しい。特にスピードを求められる時は尚更である。舵取りは重要。

  日付(11/4/14)  アーチェリー入門  

現役時代の友人の紹介で先週から木曜日に「団塊のアーチェリー教室」に行っている。その前に一度だけ握らせて貰ったが、なかなか面白い。鳥や獣をしとめる猟のための弓でなく、今は100%スポーツ。高校の先生のメダルで俄然有名になった。きっと多くのプレーヤーがと思いきや全国で(たった)12000人とか。オリンピック種目とは思えないような競技人口。この友人が紹介のために送ってくれた資料をみて、またショック。曰く「アーチャー(アーチェリーをする人)の性格3条件。(1)協調性がない、(2)自分勝手、(3)わがまま」だって。「自分が中心に地球が回っていると思う性格でないと大成しません。」と書いてある。これにはビックリ。何故この友人が僕にアーチェリーを紹介してくれたのだろうか、という所から検討に入った。やってみたら、楽しそうだし、大成しなくても良いから、なんて思いながら始めた。実のところ、本当のねらいは精神修養。己との戦いに克つのに良いのではないか、と思った。色んなスポーツで、自分でやる時は勿論、例え応援であっても「ここが勝負、ここでドジると・・」と考えると本当に失敗することは多い。これを突破する方法はないだろうかと探している。上記3条件をみても意外に効果があるかも知れない。今日の教室でも、初めの2本の矢が(的は凄く近いのだが)黄色のセンター(Xと言うらしい)を捕らえた時、後ろの声が聞こえた。「凄いですよね、たった2週目で凄い上達。教え方が良いんでしょうか。」これは教官のためにももう一本。と思ったとたん3本目は大きく外れた。やはり、自分の世界に入り込む度合いがマダマダ。でも又新しい世界が。

  日付(11/4/12)  義援金  

流石に今回の大震災に対しては多くの人が「何かしなければ。何かしたい。」と考える。まずは義援金。いつも大きな災害があると、ユニセフや日本赤十字にわずかでも振り込む。今回も2回ほど。でもどちらかというと自己満足の世界で、それがどう使われたか気にしたことはなかった。今回は、規模が大きくまず数百億円をどう分配するか、というニュースがあった。そのアレンジを政府が行い、できるだけ平等に家族が亡くなった場合、家が壊れた場合・・とルール化するらしい。何か違うんだな。それなら税金を使って救済資金を出すのと変わらないように思える。寄付や義援金こそ、もっと出す人の意思が表に出るようにしたい。親を亡くした子供達にでもいいし、超山奥の数人の部落でも良い、碁盤がなくなった囲碁を打つ人、卓球台を失くしたチーム、車を失くしたタクシーの運転手に、お客が来なくなった居酒屋のオーナー、カラオケ店主に・・・どんな分野でも良いけれど寄付する人が選択できるような寄付制度が欲しい。税金が配布される時は(当然)多くの人達が平等と考える方法にすべきだが、寄付の義援金の場合は、「こういう分野の人に寄付したい。」という意図が通じるようなシステムが欲しい。考えてみれば「こんな人を助けたい」という気持ちがあってこその義援金かも知れない。

  日付(11/4/10)  統一地方選挙  

選挙の後のいつもの不愉快さ。今日はいつもに増して。投票時間の20:00を回った瞬間、石原東京都知事、当選確実。当然、一枚の投票用紙も開けられていない。これから沢山の人達が選挙管理委員会の注視の中で、一票づつ開いていく。でも、結果は一票も開く前に発表されて、開票率0%でバンザーイ!とやっている。選管に止めろというつもりはないが、メディアに一言も二言も言いたい。そんなに急いで(場合によっては不確実な)結果を発表して、一体誰が喜ぶのだろう。明日の新聞記事を書く記者、政治解説者、パーティーを計画する人・・・色々いるだろうが、それが正確に一票まで確定する明朝ではダメだというケースがどれ位あるのだろうか。選挙管理委員会だって自分の仕事の価値を感じるだろうし、投票所に行った我々も自分の投じた一票が数字として表れる方が参加意識が絶対高まると思うのだが。各報道機関が投票所に記者を配置して、一刻も早い当選確実や解説を競っても、それ程意味があるのだろうか。特に今回の選挙などそんな余裕があるのなら、メディア選挙担当でチームを組んで東北地方に後片付けのボランティアでもいけば、どんなにか多くの人に喜ばれ、メディアに対する信頼を得ることができるか。高度なコンピュータープログラムを使うのなら、放射能の拡散分布の解析の感度を上げた方がどんなに価値があるか。開票率0%の当選確実の番組を見ながら、今日も不愉快!と叫んでいる。

  日付(11/4/9)  スマートホンの世界へ  

リタイア生活で仕事上の関係は無いとは知りつつ、アップルのiPadが発売されてから気になっていた。仲間で使いこなしている人もいて、どうも仕事上だけではないようで、ますますどうしようか、と。今年になってiPad2が出るとか、これまた気になった。何しろ携帯は10年以上docomo派で、これでiPadにすると比例費も高くつくな、と悩みはつきなかった。そこで気になっていたのはdocomoのGalaxy-Tabと今回発売のOptimus-Pad。あちこちに見に行ったり触ってみたり。そうこうしている間にこの間友人と会ったら「買いましたよGalaxy-Tab」と見せてくれて、これに刺激されて遂に導入。docomo-shopで孫のようなお嬢さんが色々教えてくれて割と簡単に。やり始めると、これは凄い。これまで、「あれもできたら、これもできたら」と思っていたことが本当にできてしまう。暇に任せて、この数日こればかり。ホント、この種の技術について行くのって大変。学問体系もできている訳ではないのだから、学校で教える訳にいかないし、でもある程度ついて行けないとどんどん世の中から遅れていくし。パソコンが普及し始めた時、皆が携帯を持ち始めた時、やはりついていかざるを得ないと思った。このスマートホンの世界は一言で言うと、オフィスも机も要らない。いつでもどこにいても誰とでも電話のみならずコンタクトでき、インターネットの情報で世界が繋がる。なるほどこれなら新中東革命も起こりうる。ただ、驚き。

  日付(11/4/7)  それでも上野は桜満開  

朝のヘルスチェックや夕方の友人との会食のために東京で一日。昼間を上野の美術館で。ところが上野は花見客でいっぱい。何と満開の日にあたったようで、美術館はそこそこに桜を楽しんだ。ウィークデーだし、東京都の「自粛」もあるし、その割にかなりの人出。好天に輝く桜は、心を華やかにしてくれる。ネットや新聞で、「自粛」議論が多い。東北でもイベントをやるべきかどうかの話題が多いようだ。被災者にとっては「それどころではない」のは心から理解できるが、被災していない人達が一緒になって沈んでいても、おそらく被災者達も嬉しくはないだろう。同情と自粛だけでは何も生まない。やはり我々は一人一人が「通常の活気」を取り戻す努力をすべきなのだろう。満開の桜の下を連なる笑顔の列を見てそう思った。混乱する社会にもやはり春が来る。あの津波も自然、この桜も自然。

  日付(11/4/3)  民主主義とヒエラルキー  

現役時代外資系だったが、特に工場に居る時は例え会議でも好んで制服を着た。外人の同僚は総じて制服を嫌がった。「汚れる作業なら仕方ないけど。」そして、右手を挙げてジョークを言ったものだ「ハイル、ヒットラー!」。防災訓練などで、皆で整列したり、敬礼して報告したり・・信じられなかったようだ。こちらが判らなかったのは彼らの国の軍隊の兵士。彼らはいつも軍服を着ているし、敬礼もしている。映画でもカッコイイ役の兵士も多いし、ヒエラルキーも受け入れられているように思える。日本人でも最近の若者達にはそれを嫌がる傾向があって、他の人と同じ行動を取る、強いられることを嫌がる。でも、今回の災害で思った。やはり危機管理には絶対ヒエラルキーは必要。首相はピラミッドの頂点にいなくてはならない。誰もが「皆平等に、一人一人を第一に」なんて言っていたら、皆がどう逃げて良いのか、どうすれば生きられるのか、どこで何が起こっているか分からないまま死んでいかねばならなくなったはずだ。自衛隊、警察、消防隊、普段「敬礼・整列・回れ右!」で訓練されている人達が、危機下では最も信頼される。おそらく民主主義とヒエラルキーは相容れないものかも知れないが、民主主義の世界でも「リーダーシップ」や「規律の重要性」は声高に叫ばれている。我が子も含め、若者に甘かったか・・と反省する。命がけで頑張る彼らに、感謝。

  日付(11/4/2)  早一年  

昨年の4月1日を思い出す。サラリーマンを辞めた日。「もう会社に行かなくて良い」、「行きたくても行く所はない」。色んな思いがあった。そしてもう一年が経った。再就職のための活動もせず、ゆっくり時間が過ぎた。生きることの意味、仕事の意味、人間にとっての生き甲斐・・様々なことを考えながら。旅行もした、本も読んだ、写真も撮った、人生も振り返った、そしてそれらをこのホームページにメモした。他の人の為になんて考えてもいない。ただ自分でここに記録していく、そのことが目的化してきた。それが何かやる時のやる気に繋がる。自己満足の世界だが、のんべんだらりより良さそう。多くの第二の人生も覗いてきた。ガンガン今でも酔っている人もいる。去って行った人もいた。意外に残った力を持て余している人達も多そう。さて2年目のスタートに、又何か新たな自己満足の目標を持ちたいと思うようになった。多分それは、人の輪の拡大だろうか。

  日付(11/3/30)  いつから元気に  

被災地の悲惨な状況と、原発の先の見えない戦いを見ていると、落ち着かない。日本中がじっと佇んでいる。節電、電車の間引き運転、日本広告機構のTV宣伝、個人の予定表も遊びは全てキャンセル。義務とか礼儀とかというより心がそうさせる。でも、いつまでもこれで良いはずはない。経済が回らねば復興もできない。できる人、できることから地震前の生活パターンに戻る努力も必要だろう。全国民が落ち込んでばかりいたら、戻るものも戻らないとも云える。明後日から4月。新年度のスタート。辛い目に合っている人達を思いやる気持ちさえ持っていれば、生活を戻せる所から戻すのも、我々に「今、出来ること」の一つなのだろう。カメラを持って散歩に出た。桜は未だ蕾は固いけれど徐々にピンク色、土筆は顔を出し、花々は春を迎えようとしている。

  日付(11/3/27)  あっという間にもう半月  

3.11からずっと、大震災からみの記事を書いてきた。早、半月というのに今後の目処も立っていない。犠牲者の数も毎日増え続け、日本の将来の展望もない。と共に、今回の津波はそれに続く原発事故が大きい。まだまだ、解決の目処どころか、どこまで行くのか見通せない。明るい話題に変えて、「さあ、これからは明日のために!」という気にならない。重苦しい空気が漂う。放射能汚染騒ぎがそれに追い討ちをかける。戦後最大の事件になるのは疑いようがない。11日以降、このコーナーをかなりの密度で書き続けた。私ならではの特徴ある意見を披露しているつもりはなく、ただ思いつくまま。でも、読んで頂いている読者の数が安定して増えているのは何故だろう。おそらく多くの人がこの未曾有の大事件を自分としてどう捉え、位置づければ良いのか、悩んでおられるのでは無いのだろうか。是非、掲示板を使って、読者同志の意見交換もやって欲しい。私も時々強い意見を書いているから。読者の皆さんは、これから日本はどうなるとお思いですか?

  日付(11/3/25)  いつから笑える?  

色んな予定は皆キャンセル。テレビでようやく通常番組が始まっても面白くもない。どうしても、大震災・原発のニュースになる。いつまでもこれじゃダメなことは皆判っているが、余りにもショックが大きかった。笑顔に陰がある。生きている方に罪の意識があり、被害に合わなかった方が後ろめたい。それ程の大事件だった。さて、明日から、これから日本はどうする?被害に合わなかった我々は、一度立ち止まって、人間の命とか、生きるということとか、幸せとか・・原点について考えて見るべきだろう。自然に対する畏怖の気持ち、安価な(?)原発電気に依存する生活の見直し、生きていることの将来に対する責任、考えることは多い。知人が数人亡くなった事件と、今回のような2万人亡くなった事件の重さに余り差がない。人間って冷たい。

  日付(11/3/24)  ・・・よりマシ  

ヘンな言い方だが、日本人は自分(の今)より不幸な人(時)があると苦しさに耐えられる人種だ、と読んだことがある。江戸時代に士農工商のヒエラルキーのその又下を準備したのも徳川幕府が日本人を読みきった手段とも言われている。今回の大地震の被害者も、「亡くなった人達に比べれば」、「生きていられるだけでも」、「他の被災地は水も無いのに」、「こうして屋根があるだけでも」、テレビを見ている我々も、「被災した人達を思えば」、「皆耐えているんだから」。最不幸を犠牲者において自分を納得させる。多分、これが日本人の忍耐や、それに続く再生力を生むのだろう。他の国の人達が同じ状況でどう考えるのかは知らないが、まず「自分」ありきからスタートするのではないか。人の顔色を伺ったり、周りがどう動くかを見たり、悪く表現すれば厭な所とも云えるが、良く言えば団結力・チームワークに繋がる強さとも云える。考え方の国民性というのはやはりあるな、と思う。

  日付(11/3/22)  「想定外」の責任  

原発の事件をずっと見ていて心が重いのはどこに責任があるかという疑問だ。これから汚染の問題、補償の問題などが続くだろうが、政府の言う「一義的には事業者である東電」という言葉に引っかかる。確かに海水注入決断の遅れ、情報の流し方など初期対応に問題があったかも知れないが、全て東電とは思えない。設計は、工場レイアウトから機器設計、対地震・津波の安全対策まで全て初期の前提を満たすようになされていた筈だ。根本的問題があったとすれば、やはりどう大前提が決められたかだろう。マグニチュード9なんて仮定されていないし、10m以上の津波も想定されていない。全ての原因は「想定外」だった。極論すれば地震と共に圧力容器が破壊されて炉芯融解、水蒸気爆発、大量の放射能拡散が起こっていても不思議ではない。今まだ大事故前の段階で戦えていること自体が驚きとも云える。初期の「想定」は誰の責任か。それを考える。折りしも東電の経営者が責任を認め、避難所を訪問して謝罪している。企業責任がある限り、経営者の責任は当然ある。ただ、「彼は何を怠ったのか?」と問うている。この発電所を発案し、設計し、承認し・・・長いプロセスがあったはず。個々に関わった全ての組織の責任を思う。未だ、この種の議論をする時ではないのだろうが。

  日付(11/3/21)  リーダーシップ  

国が一丸とならねばならない時に、批判を書くのは卑怯かと思って、特に政治向きのコメントは控えてきた。でも昨夜ネットで「菅首相被災地へ」という記事を見て叫んでしまった。「何を考えてるんだ!」と。首相は自分がこの国のトップリーダーであること、自分の一刻一刻はもう個人のものではなく日本国のものであるという自覚をしているのだろうか。一睡もしないで頑張っているとか、先頭に立ってという記事があるが、危機のリーダーに最も重要なのは「正しい判断を下すこと」「優先順位を間違えないこと」だ。12日に原発に飛んだ、東電を怒鳴りつけた、自民党に入閣を求めた、次々と対策会議と人事を発表した。そして、現場に行きたがる。みていて歯がゆいというか、許せない。首相が動けば多くの人達が振り回される。まさか被災者達に「首相までが来てくれた!」と感激してもらいたい訳ではないだろう。危機時のリーダーは好かれようとしてはならない。首を差し出して、命と引き換えに厳しい決断をせねばならない。細事は周囲に任せるしかない。眼をつむり、じっと座って、耳を澄ませ、最後のYesかNoを決断する。最も辛い立場だ。首相にはそれを望む。菅さんにはそれは無理だ、なんて云えない。なぜなら彼は既にその立場だから。今朝のニュースで(雨の為)現地入り中止、と聞いてホッとした。

  日付(11/3/20)  メディアのあるべき姿  

35年前、名古屋にいる頃、がけ崩れ事故に遭遇した。泥まみれで埋もれた車内の男性の救出に協力した。その時が、記者というものに対する反感の最初だった。同乗の助かった半狂の女性にインタビューを強いていた。それ以降も、事件事故の度に「本当にこのニュースが適当なの」と感じることが多かった。現役の時、不祥事が起こった時の報道訓練を受けた。講師の記者の最も重要なメッセージは「相手を記者だと思わず、テレビの向うの視聴者だと思え。」というものだった。でも、報道が最重要、全て善ではないはずだ。今回の大震災の報道。首を捻ることが多い。津波や被災状況の実況中継を各社が実施、被災地の上を多くのヘリコプターが飛んだ。その後の報道陣も多くのレポーターが我先に現場に行く。あのヘリコプターの多くがすぐに救済に使われたら、現場に行く報道陣が例え水一本、パン一個でも持って行ったら。そもそもガソリン不足時に多くの報道陣が入る必要などないのではないか。大きな避難所に各社のTVカメラが並ぶのも違和感がある。最も情報を待っている人達には伝わっていないことも多い。原発事故は報道陣が入れない。政府や東電からの情報しか無いが、それでも不満はない。NHKのニュースだけでも現場で必死で頑張る人達を想像し涙する。被災者の声を伝え事故の大きさを伝えることも重要だろうが、悲劇的なケースを競って探しているように思えるのも反感を感じる。伝えられて喜ぶケースもあるだろうが、普通は報道陣は「うるさい、何もしてくれない、よそ者」でしかない。大きな事故、事件の時ほど、メディアが一緒になって、役割分担をして、「本当に重要なことが何なのか。誰に何を伝えるべきなのか。」を考える必要があるのではないか。一週間報道番組を見続けて、でも反メディアの気持ちは変わらない。矛盾だろうか。

  日付(11/3/18)  危機の中の優しさ  

被災地で暴動も略奪も起きない、と日本人を高く評価する声が地震の後で他国で報じられているとか。それが広く事実であれば、こんな嬉しいことは無いが、最近の社会を見ていて、本当かなと首をひねった。案の定、偽義援金だの、振り込め詐欺だの悪質なチェーンメールだのと恥ずかしい事も続出している。加えて寂しいのは、福島へのドライブ拒否。命がけで現場で戦う人達がいるというのに、炉心溶融まで行けばどこも一緒なのに、と思ってしまう。別な意味で不愉快なのは、史上最大の円高。どう考えても常識的ではなく、いわゆるファンドという人達の「思惑買い」。日本が強い証拠などと喜ぶことではない。もしこんな大災害も金儲けゲームの具としてしか見えないなら、これは寂しい。企業として不足して来るであろうものを一足先に予測して生産に走る、という活動とは基本的スタンスに差がある。日本人である無しに関わらず、世間に抗する人や考えがある。一般的な日本人は宗教観が無くても周りに優しい人種だと信じる。メディアがわざわざ感動的なシーンを探してくれなくても、危機の時ほど人間は優しくなると信じている。

  日付(11/3/17)   究極の決断  

ゲームではない。もし、自分にXというパワーがあって被災地に行くとする。Xというパワーで、500人の一般人か、50人の友人か、5人の家族しか救えないとする。自分はどうするだろうか。そんなことを考える被災地の状態。もう一つは原発現場で作業する人達。この人達の(もしかしたら)命と交換に、何百万人それ以上の健康と命が救われる。武士道的発想で言えば、男冥利に尽きる仕事・死に様で済ませるかも知れないが、今はそんな道理はない。この人達の無事を祈ると共に、でも日本国の将来を預けている。危機は究極の決断を求める。ずっと報道を見ていて思う。メディアにその認識が足らないのではないだろうか。眼に留まった一人の言葉、一つの劇的なシーンばかり追うことは危機の時には許されないのではないか。批判ばかりするのは言うまでもない。

  日付(11/3/16)   何ができるか  

ただ、じっとテレビの前に座っている。不謹慎かも知れないが、これほどのドキュメンタリーはない。映画やドラマや小説で、刺激的に仮定されたそれ以上のシーンが目の前にある。悲惨なシーンに涙を流し、時には、「それは無いだろう!」と呟き、「ちゃんと云えよ」と叫ぶ。ただ、多くの人達が経験したことのない試練に直面している。「死」を眼前に戦っている。我々の行動には「優先順位(プライオリティー)」というものが常にある。今、何が最も大切で、自分は何をすべきか、を考える。津波にも、原発にも、電力制御にも何もできないけれど、ただ一つ、今の社会の優先順位の邪魔をしてはいけない。例えば、今病気になったら、医療を一人分取ってしまう。今遠出をしたら、大事なガソリンを浪費してしまう。そう考えると、じっとTVを見、停電になったら本を読んでいる。じっとしていることが、最大の貢献だろう。次のステップとして、より普通の生活に戻り、「社会の活性化に寄与」すれば良い。順番も間違えてはいけない。義援金だけは振り込んだ。これは、単なる自己満足に過ぎないかも知れないけれど。

  日付(11/3/13)   想定外  

この東北関東大震災で学ぶことは多いが、言葉としては「想定外」の責任。我々の様な技術屋、特に工学屋(Engineer)は基本原則すらが、経験とか、過去の事実に基づいている。これまでの事象をいかにすっきり説明できる理論を打ちたて、未知の世界をも予測するか、という学問だ。そして、それに基づいた設計から外れたことが起こると、それは「想定外」となる。例えば、津波に押し破られた堤防、橋、流された家、車・・・どれを取ってみても、原因は「想定外の大きさの津波」。原発の場合も、「ありとあらゆるケースに対応する対策を取っていた」はずが、「想定外の」津波の強さで、バックアップ電源が働かず、ポンプが動かず、コントロール弁が働かず、冷却水が入らず・・・次から次と「想定外」が続く。本当に「想定外」で済まして良いのか。おそらく建設時には初期仮定について色んな議論がなされたに違いない。「あの時、俺の意見を通していたら」と思っている人達もいるのではないか。いたたまれなくなるのは、これで(日本の)Engineerに対する世界の信頼が落ちるのではないかという危惧。

  日付(11/3/12)   小説「ベイジン」  

なかなかこの間の小旅行の楽しかった話題に戻れない。昨日の東北太平洋沖大地震の被害の凄さは眼を離せない。津波が押し寄せるシーンの記録フィルムはまるで映画「日本沈没」そのもの。やはり死者も1000人超え。大惨事だ。加えて今日は福島第一原発の一号機。昨日から色々報道されていたが、ついに今日は圧力ダウンの為の放圧(放射能放出)、燃料溶融、果ては爆発音など、次々と発表される「最悪のシナリオ」通りの事故。1月に読んだ真山仁の「ベイジン」を引っ張り出して、ラストの7章「ブラックアウト」を読み直した。きっかけは、小説はオペレーションルームの火事、福島は大地震だが、起こっている現象がそっくり。本当に心配になった。夕方の菅・枝野の記者会見を見ていて、最悪シナリオは逃れたか、とホッとしたが、未だ安心はできない。著者の勉強振りに感心すると共に、原発というものの持つ本質的恐怖(人間には必ず失敗がある)を思い起こした。昨日の市原のコンビナートの赤い火も怖かったが、テレビの画面に映る、静かな止まっているはずの原発をみると、後者の方がはるかに強い恐怖を呼ぶ。安全に本当の停止に行きついて欲しいと願うだけだ。

  日付(11/3/11)   マグニチュード8.8!  

このHPを読んで頂いている皆さんは、どこにおられたでしょうか。今、現在どうしておられるのでしょうか。何しろ首都圏の交通機関は鉄道は全くマヒとか。会社が終わった後でも、帰宅ができずバスを待つ人の列をテレビが写しだしています。凄い地震でした。久し振りにテーブルの下にもぐってじっとしていました。テレビを見てビックリ。地震そのものよりもその後の津波の恐ろしさ。ヘリコプターで中継されている時に、船と車と家が同時に流され、次々と飲み込んで行く様は恐ろしかった。動いている車さえが消える様はまるで映画の特撮をみている様でした。その後は市原のコスモ石油の火事。現役時代のことを思い出しました。阪神大震災より強いそうで、今は死者数十人と云っていますが、明日になればもっともっと増えるでしょう。こうして大きな天災がくる度、運とか運命とか寿命とか感じます。誰が犠牲者を決めている訳でもないのに。今日は珍しく夫婦とも在宅でした。もし、どこか旅行していたら遭遇していたかも知れないし、例え東京や千葉に出かけていても携帯は通じない、メールもできない、帰る足は無い、と大変だったと思います。運としか言いようがないですね。やはり、「生きている」のではなくて「生かされている」のか知れません。明日からの日本の出直しに期待したいと思います。犠牲者に、合掌。

  日付(11/3/10)   政治はどうなって行くのだろうか  

小旅行をして遊んでいる間に、日本国の政治はガタガタ。菅さん、頑張り続けることが出来るのだろうか。最も期待していた明日のリーダー前原外務大臣も大チョンボ。常識論から言えば、2万、3万円で全部入れても数十万円の事件だから、見逃しても良いんじゃないの、と言いたいが、外務大臣で(禁止されている)海外からの献金問題とあっては、額の問題ではなく、基本的感度の問題と云わざるを得ない。初めての政権交代で民主党は次から次と勉強をさせて貰っているとも言えるが、一国の政治は学校ではない。やはり、出直しか。でも、その時には、現在の政党の枠を超えて、基本理念で折り合える人達の集まりを期待したい。でも、平等だけを打ち出して、かつ税金は上げません、なんて人気取り政策だけで票を集める様な集団はゴメンだ。世界の中で競争できる日本を前提、競争も民間の自由度も極力上げて、官は負け組みのサポートに注力する様な小さな政府を目指して欲しい。明治維新や、戦後の復興を振り返る時、日本は多くの良い経験を持っていると思う。歴史から学ぶことは多い。世界に通用する日本独自の幸福感を打ち出せば良いのではないか。

  日付(11/3/8)   修学(?)旅行  

リタイアしてから、ある先輩がリードされる勉強会・情報交換会に入れてもらっている。皆さん、リタイア年齢だが、自営もあれば、コンサルあり、延長勤務中もある。月一回は集まって、語り、飲む。アルコール好きも重要な入会条件。今回、その仲間でちょっと長めの修学旅行をした。まずは、熊本まで飛んで球磨焼酎(米ですよ)の蔵元の工程見学と、試飲会。めったに飲めない貴重品(例えば50年もの)まで試飲。また空いた時間に、人吉市見学。人も街も温泉も魅力タップリ。感動。続いて瀬戸内海因島に渡って、メンバーの一人の実家で、安政柑(大き目の柑橘。歴史はあるが、市場には出回っていない。)の収穫体験・手伝い。美しい島々を見ながらの汗。その後で大パーティ。手伝いどころか大きくお世話になったが、地元の方も入ってこられて、実に楽しかった。帰りについでのお寺めぐりも入れて何と4泊5日の長旅。でも楽しい人間関係、美味しい味、美しい自然、魅力ある歴史など、満足の旅だった。またこれから、アルバム・趣味などで紹介して行こうと思う。パソコンの前で大きく息をして、「良かったナ」と、これも又卒業生ならではの復習の仕方か。

  日付(11/3/3)   これも進歩?  

携帯カンニング事件。技術の進歩と共に、犯罪も遂にはカンニングも、昔では考えられなかった形のものが増えてきた。試験官の目を盗んであんなに長い文章や、数式まで携帯で打ち込めるなんて流石に親指族世代。携帯の入力でもどうしても両手を使おうとする団塊世代にはもうついていけない。でも、こんなことに高度なテクと智恵が使えるのなら、ちょっと勉強すれば自力で解けるだろうに、と思ってしまう。単なる愉快犯で、遊んでいるのなら良いけれど、受験戦争の武器だとしたら、何か寂しい。日本の大学はもっともっと、「出るを厳しく」した方が良い。全精力を注ぎ込んで入学して、無気力になって、気がついたら次は就活。新卒を雇う企業側も、「あの大学に入れるのなら、一から教育しても良いか」で採用する。大学で何を学んだかなんて関心もない。不思議な教育システム。技術の進歩と共に、人間としての成長も望まれる。その気になって周りを見渡しても、何だか寂しい。

  日付(11/2/27)   ナショナリズム?  

ニュージーランドの地震。日本人の留学生が沢山巻き込まれた様で、メディアの取り上げ方も大きい。今回も思う。各局がすぐに記者を派遣して取材競争をしているが、そんなお金があったら、日本メディア代表で2,3人の記者を送り込んでおいて、残ったお金でメディア基金でも作ってニュージーランドに送れば喜ばれるのに。他の(日本より)貧しい国からの留学生も居るだろう。母国の人達も沢山被害に合っている。報道さえされないケースだってあるはず。日本のマスコミが日本人のみの報道に奔走しているのは何となく醜い。被害者の家族の気持ちは勿論同情するが、メディアの仕事はその人達のみを追うことではないだろうに。どこの国の人達にもその傾向はあるが、なぜ多国民に亘る事件や事故があると、我々は日本人のみに関心を移すのだろうか。同情という感情は国際的にはならないものだろうか。経験から言えるのは、最も大きいのはメディアの姿勢だ。グローバリゼーションに対する風潮を作り出すのもおそらくメディアの責任が大きい。

  日付(11/2/25)   映画「太平洋の奇跡」  

久し振りに映画を見に出た。最近、話題の映画も多く、どれを見ようかと迷ったが、先日ふと見たTV番組で紹介していた太平洋戦争サイパン島の戦いの話を思い出して「太平洋の奇跡:フォックスと呼ばれた男」を観た。サイパンには一度行ったことがあり、バンザイ岬の強烈な思い出が残っている。主人公の大場栄のことも初めて聞いた気がしないのは、おそらくその頃話題になったのだろう。先ほどチェックして原作がアメリカサイドだったことを知り、感動した。だからこそと思わせるシーンが成る程多い。戦争や、死に方の議論は我々がしても、「寄って立つ所が違う」のだから意味は無いだろう。でも、日本人とは、宗教とは、武士道とは、と考えている今日この頃の精神には響く。最近やや忘れかけている、「いかに死ぬか」の視点もやはり常に胸の中に必要だと思った。主人公の大場氏は戦後は名古屋で事業を興して人生を全うした人らしい。太平洋戦争生き残りの人達の企業人としての活躍は、「それが日本をここまでにした」という功績であることだけは確かだろう。団塊の世代は、単にその人達の駒として動いてきただけかも知れない。そんな人に一度会って見たかったな。

  日付(11/2/23)   歴史の真っ只中  

菅政権の毎日を見ていて、新しい日本史の中にいることを感じるが、世界史はもっと凄い。チュニジアから始まった北アフリカからアラブの国々の騒乱は、本当にこんなことが今現在起こっているのだろうか、と信じられない位の激動。政治経済社会、全ての歴史に影響する大きな変動。カダフィ大佐のリビアで内乱状態なんて誰が想像しただろうか。インターネットを始めとする情報技術の流れが、これほど政治や思想にまで影響を及ぼすとは・・・大きな声も小さな声もすぐに市民権を得ることができる。一つの思想や、宗教で市民をマネージすることができないとなると、「民主主義というものの持つ本質的矛盾」(個々は千差万別、多数決の陰には少数意見)がいよいよ拡大されていく。中国共産党も他人事ではないだろう。そんなことを思っていたらニュージーランドの地震、日本人にも被害、何と地球も小さいことか。日本だけ、のんびり小さなテーマで足の引っ張り合いをしていて良いのか。

  日付(11/2/20)   日本への尊敬  

シンガポールで「それでも日本は尊敬に値する」という論調があったらしい。中身は「どうなっても日本人は勤勉で、仕事に誇りを持っている」ということらしい。心から嬉しい報道だが、肝心の当方が「本当だろうか」と思ってしまう。「勤勉で、仕事に誇り」は、薄れていっているのではないか。それがグローバリゼーションの影響であるとするなら問題だ。個人大事、家庭大事、残業は悪、生活を楽しもう・・・それはそれで人間らしいのかも知れないけれど、「好きな仕事にトコトン打ち込んで、徹底的にやってみる」とか「知りたいことを試みていて気がついたら朝だった」なんてのも、凄く人間らしいと思うのだけれど。折角世界で、認められている(?)日本人の長所は、やはりキープしたいものだ。同じ日本人が、若者を見ていて「オイオイ、君達、何をもって世界の競争の中を生き抜くの?」と感じている様では、本当に一度痛い目に合うことになるのかも知れない、と心配になる。

  日付(11/2/18)   もう政界再編成しかない  

豪腕小沢の最後の一手か。16人の反乱は大きい。民主党内、野党、そしてメディア、国民。今や菅政権をサポートする勢力は無くなった。このままで、「バカヤロー解散」をしても、小泉選挙の様にはいくまい。しかもその選挙でどこの党が勝っても、ねじれは続き、政治は安定しない。経済をみると良く分かる。円高だろうが、政治の不安定だろうが、グローバル経済に揉まれているが故に、なんとかショックから立ち直りつつある。その陰では、本来なら政治が救うべき小さな弱者が泣いているのだが。いくつかの大きな争点について合意できる再グルーピングが望まれる。マジョリティが取れれば、まず動けるような体制が必須。選ぶほうにも多数決の結果をまずサポートするという心構えが必要だろう。このままでは、日本の国内には道が無くなる。

  日付(11/2/16)   雪かきは懐かしいけれど  

今年は例年より大雪とか。先日訪れた北琵琶湖でも2.5mとか。蓼科では一夜にして30cm積もった。確かにニュースでも雪の話題にことかかない。自分の子供の頃を思い出しても、朝家を出て、とにかく真っ白。国道でさえ自分が最初の足跡。それはそれで嬉しくもあった。その道路の雪かきや屋根の雪下ろしは大変、手を抜くと固まって滑る、屋根がつぶれる、と言われて手伝った。あの頃、でも、周りに若者も子供もいた。最近のニュースでは、この種の問題が全て(一人暮らしの)老人問題と重なる。だったら子供達の居る街に出たら?とは安易には言えない。一人暮らしででも田舎に居ようとするタイプの人ほど今の都会の生活はつらいだろう。容易に想像できる。こうして都会の便利さの中で生きていると、田舎の生活は大変に思えるが、それでいながら故郷や昔、雪の生活も懐かしい。さて、この問題の解決策はどこにあるのだろう。今の個人主義の孤独な街の生活を見ていると、長い目でみれば、じっくり街から田舎への流れもできそうにも思うけれど、時間はかかるだろうな。住むところがあれば、食べるものがあれば、近くにお医者さんが居れば・・・若さと体力もと言われると・・・考えさせられる。

  日付(11/2/15)   スゴロクゲームのヒトコマ  

昨年末次男が新居に移ったというのに訪問もせず、ようやく今回ドライブで関西へ。丁度天候の乱れの大きい週に当たったが、運良く行きも帰りも荒天を逃れた。昨日、今日など東京にさえ雪。でも、丁度融けた後に帰ってきた。これから一生大きな借金のために生きていかねばならない。可愛そうとも言えるが、でも一方自分の人生を振り返ってみると、この様な刺激が生きる糧にもなる。我々の世代はかなりの比率の人達がギリギリの生活の中でも、家庭を持ち、家を持ち、それを何とか引っ張ってくることが、苦労であると共に、大きな生き甲斐の一つでもあった。我が子にもそれに挑戦して欲しいと思う。ただ、今や若者の価値観も、社会の価値観もどんどん変わっていく。「家庭なんて持ったってシンドイだけ」などというシングル組も多いし、「子供は社会のものだから子供手当てで育てるべき」なんていうバラマキもあるし、「家のために大きな借金をしてそれの返済のために一生を無駄にするなんて」という考えもある。でも自分の子供を育てる喜び、自分で何か成し遂げる満足感、は、いつの時代でも、どこの国でも同じだと思うのだけれど。ほっとしながら、頑張れよ、と。そんな旅だった。またこうして、己の人生ゲームのヒトコマも進む。

  日付(11/2/9)   平成の開国  

菅首相の言う平成の開国。明治維新の開国をどう位置づけているのだろうか。あの時は鎖国政策からの開国。しかも黒船の圧力。まず開国を決断したのは、維新で消えた幕府側。立役者の維新の功労者達はまずは尊王攘夷(非開国)からスタートしている。まず倒幕ありきからのスタートとはいえ、途中大きく変節した訳だ。TPPだけが開国ではないだろう。輸出主導で世界の中で存在感を上げた日本はとっくに都合の良い開国はしてきた。次なる開国は本当のグローバリゼーションへの道だろう。その時には、日本人だけに都合の良い「良い所取り」はできなくなる。多くの痛みも味わってなおかつ、世界の中でリーダーシップを取るだけの覚悟ができているのか。まずそれを国民に問う必要があろう。決して農業問題ではない、将来の「世界の中の日本の在りよう」を問われている。安易なキャッチフレーズ化に心配になる。

  日付(11/2/6)   寿命の話  

リタイアしてゆっくり過ごしているようだが、振り返るとあっという間に時間が過ぎている。病院で病気の相談をしたり、友人や同年輩の人達が亡くなっていくニュースを聞いても、否応無く生死の問題と直面せざるを得ない。同時に宗教や歴史に興味が広がる。歴史をみても、あらゆる権力を手にした人が最後は不老不死を考えてあがいている。でも、生きとし生けるもの全て有限。だからこそ新しい命が愛おしいし、今現在を大切に生きなければと思う。さて、以前にも書いたが技術革新の矛盾の話。医学も薬学も進歩し、平均年齢もどんどん上がっている。でも同時に新たな問題も増えていく。一つは平等の話。「命を買う時代」。新技術は高価、一言で言えばお金がなければ直らない病気がどんどん増えていく。これは正しい姿か。心臓移植は1.5億円だって。もう一つは「寝たきり」問題。意識も無く、ただ心臓が動いている、動かされている状態の人も増えている。周りの人達の生き甲斐、世話のし甲斐は何か。疑問は多い。おそらく生まれながらにして寿命というものがあるのだろうから、それに従順でありたい。そんなことをよく考えるのは老いていく証拠なのか。でも実際は全ての人の問題なのだ。

  日付(11/2/3)   宝くじは当たらない  

年賀状のお年玉抽選が終わって、正月が終わる。毎年約250枚出したり、貰ったり。今年も当選番号を調べるが、切手シートが2枚のみ。下2桁が2枚だから、100枚で2枚、250枚なら5枚は当たるのが統計。ところが、ここ数年いつも確率より低い。ここで暫らく我慢すればきっと下6桁が当たるのだろうと期待している。このチェックをやる度に、「宝くじは当たらないわ」と思ってしまう。250枚の宝くじを買おうと思うと、75000円もかかる。それでも、下6桁などかすりもしない。統計値を信じれば、下6桁が当たるのは100万枚に一枚。250枚買い続けて4000回に一回。3億円の場合はこれに組があるのでその100分の1・・・計算するのも無駄か。毎年、同じことを思って、又年末には「有楽町の1番の売り場だって・・・」なんて。

  日付(11/2/1)   断固主張するのか柔軟性を示すのか  

国会中継が始まった。予算委員会に全大臣が顔を連ね、国民主権を謳いながらテレビに見せ場を演出する。企業経営で言えば、全役員が揃う経営会議か取締役会。そんなに何日間も続けられるだろうか。どうみても効率の良い運営とは思えない。だからこそ、国によっては、独裁政権が続いたり国民に受け入れらたりするケースがあるのだろう。民主主義というのはいかにも時間がかかる。でも、こうして委員会をやったり、国会を開会している間に、円が70円になったり、どこかの銀行で取り付け騒ぎが起きたり、尖閣列島が占領されたり、石油タンカーや新幹線や地下鉄が爆破されたり、と大きな事件が起きたら、この国の政治はちゃんと対応できるのだろうか。心もとない。庶民の知識レベルが上がり、個々の主張をするようになればなるだけ、リードが難しくなるのだろう。民主党もやりたいと思っていたことをやれば良い。行き詰ったら、解散をすれば良い。個々の政党がそれを繰り返せば、国民も自分の一票の責任をもっと認識することになるだろう。それが厭で、何とか合意形成を図り続けたいのなら、どこかで妥協をせねばならない。子供手当ての所得制限なんてなぜやらないのか。「自分の子供位は自分で育てる」、それを生き甲斐にさえしている人も多くいる筈だ。だって、一生物としての基本・本能なのだから。また、持てる人達にとってみれば期待する額でもないだろう。伊達直人になって下さい、と言えば、喜んで弱者救済に回すだろう。不要なバラマキを止めて、謝って、それでも収支は合わないことを説明して、それで消費税を言えば良い。そんな簡単なプロセスが何故踏めないのか。このまま行ったら、国会中継も誰も見なくなる。どうみても「政治主導」なんて無理だな。

  日付(11/1/29)   アップルのビジネスモデル  

ここ1・2年、よく歩いている。歩く日は一万歩、一周750mの池の周りを徒歩とジョギングを組み合わせて10周する。出かけた日や雨の日を除いているがそれでも平均週4−5日は歩いているだろう。お蔭でベルトの穴は間違いなく一穴短くなったし、全てのズボンが拳骨一個分ゆるくなった。体重も2kgは減ったか。おそらく心配な循環器系の健康にも効果有りだろう。さて、これが続いている大きな理由は音楽にある。i-Podに約500曲を入れ、ヘッドホンで聞きながら歩く。以前購入した「青春の歌」全100枚の内の気に入ったものと、最近の曲はi-Tuneで購入する。余りに酷使したか、先日途中で聞こえなくなったり、充電の消耗が速くなってしまった。ついに終わりかと思ったが、取りあえず家電量販店に持っていった。「アップルは扱えません。ご自分でどうぞ。」と電話番号を渡された。でも、それからが凄い、電話サービスで診断、契約すると宅配便が取りに来る。一週間くらいと言っていたのに2日後にはしっかり直ってこれも宅急便で送られてきた。支払いはインターネットでカード落とし。このサービスのあり方には驚いた。i-Podもi-Padも技術的な革新というより組み合わせのアイデアと言われるが、このアフターサービスのあり方も正に新ビジネスモデルか。感心してしまった。歩いて健康を保つという昔ながらのモデルだが周りはどんどん新しくなる。

  日付(11/1/26)   プッチーニの「三部作」  

親戚、とは言っても姉の嫁ぎ先の親戚に、オペラ歌手で励んでいる娘がいる。昨年からこの時期に東京で開催される公演を観に行っている。今年は、プッチーニの「三部作」とか。オペラと言われても、何の素養もないので、いつもの俄か勉強。主役ではないが、それでもジャンニ・スキッキのネッラ役。出番も、歌もある。自分の近い人に、こんな世界で頑張る人がいるというだけで、誇らしい気持ちにさえなる。艶やかな衣装に身を包み、イタリア語で歌いながら演じる。舞台傍ののスクリーンに翻訳が映し出されるので、物語も追える。演歌やフォークなら、良い歌、上手な歌など解説すらできるが、クラッシックとなると自信はない。でも、所謂歌唱を聞くだけでなく、ストーリーを追い演技をみるので分かり易く楽しい。この「三部作」は余りに長時間かかるので全てを一気に演じるのは減って、個々に演じられるのが普通になってきているとか。でも今回はフルで3時間半。居眠りもせず、楽しんだ。原語で理解できたら良いだろうな、とまた言語コンプレックス。こんな世界もあるのだな、色んな夢を追う人たちがいるのだな、そして色んな才能があるのだな、と。頑張ってね、応援してるよ、って。また、新たな元気を貰った。

  日付(11/1/24)   スッキリしない伊達直人  

外資系にいていつの間にか身についたのかも知れないが、世界のどこかで悲惨な事件が起きると、ささやかな義援金を振り込む。ユニセフを通すことが多い。いつも気持ちだけで「寄付が身についている」とは言えない。しかもちゃんと税控除の申告もする。外資系を通じて身についた「飾らない普通の寄付」。さて今回のタイガーマスクのランドセル。日本人も機会を待っているのだ、とか、普通の義援システムが信用できないからだ、とか、色んな視点から話題になっている。善い話であって批判することは何もない。美しい話に飢えている日本のメディアにはもってこい。今回はそのメディアの採り上げ方が連鎖を生んだのかもしれない。まだ悪用されたケースも出ていないから何の文句もないのだが、どうも日本には「普通に寄付をする」というカルチャーがないのだな、この分野はまだまだ後進なのだな、と思ってしまう。ひねくれているのだろうか。でも日本人だって小学校の頃から「赤い羽根募金」があったし、「24時間テレビ」には長い列ができた。騒がれるのではなく「普通の生活の一部」に根付くことが望まれる。

  日付(11/1/20)    ダイバーシティ(多様性)の話  

最近の話題の勉強にと、「取締役のダイバーシティ」の話を聞きに行った。国や企業がどんどんグローバル化していく中で、とみに言われている問題である。一言で言えばマネージメントの中に多様な意見を取り入れる必要性の話で、独立した社外取締役、女性や外国人取締役などをもっと増やす必要がある、という主張。プレゼンターには時の人の一人、資生堂の女性代表取締役副社長の岩田氏やコーンフェリーの橘・フクシマ氏などの顔ぶれ。これからもっと女性の経営者が増えるべき、加えて社外取締役とか外国人取締役が増えていくのが日本の生きていく道、と言った内容だった。ただ、余りに欲張っていて経営の問題、男女差別の問題、グローバル化への対応などが全て含まれていた。一つ一つの検証が必要だろう。消費者と直結するような事業の場合、経営判断に広い視野が要求され、社内に限られた狭い見方では判断を誤るという意見、日本語環境から抜け出せない日本人のグローバル化への最大の壁を突破するためにも外国人が重要などの意見は非常に自然に受け入れることができた。ただその中でもう一つあるのでは、と思った重要な視点は年齢層ダイバーシティ、今や「若さ」が革新、飛躍、パワーの根源故、早く若い人がリーダーシップをとるべきという意見も多い、僕もそう思う。今の日本はまだまだ高年齢層の男性がリーダーシップを取っている。だから政治がダメになってきた(年長者の方が投票率が高く、当選者も年寄りが多い)という説もあるだろう、がただ、これからの消費動向などは、団塊の世代がしばらく引っ張るだろう。企業の業務内容にあった経営陣の分布というものも有りそう。引っ張る輝く女性陣を見ていて、引っ張る男性陣(今は未だ老人)若者が早く出てきてバランスが取れるようにならなきゃ、と感じた勉強会だった。でもダイバーシティとは言っても結局は個人個人、女性や外国人というだけで皆同じ考えではないし、余り意味はないかも・・・

  日付(11/1/16)    頑張れるか与謝野大臣  

菅改造内閣スタート。菅首相に対する見方がどんどん厳しくなり、今や無能とまで言われている。意欲は高いようで、意外なまでの執着心。これも逆効果。そんな中での内閣改造。国会対策で、不信任を突きつけられた2大臣を更迭するのが第一の目的なのだろう。これだけなら、もういい加減にしたら?としか言いようがないのだが、今回のサプライズは与謝野財務大臣。これには驚いた。多分、首相にしてみれば、禁じ手の勝負手なのだろう。色んな、政略、裏があるのだろうが、今回は応援したい。本人をテレビで観る限り、かなり思いつめての就任とみえる。格好よく言えば、「最後のご奉公」。おそらく、次期衆院選があっても立候補しない位のつもりだろう。党派がなんであれ、中枢に入って、最後にやりたいことをやらせて欲しい。あえて言えば、将来の日本の為に。それ位の志があるのではないか。今更大臣のキャリアが欲しいわけではないはず。今更時の権力(民主党)に阿る必要もないだろう。多分(願わくは)将来の日本の為に、最後の一手を打っておきたい、その気持ちを菅首相が買った、使おうとしている、ということではないか。さて、財政再建論者の与謝野さんがバラマキ指向の民主党内閣で何かできるか、どこまで現内閣がサポートするか。最初の一手をマスメディアがどう報じるか、おそらくそこにかかっているだろう。老人のでる幕ではないかも知れない。でも、藤井副官房長官、江田法務大臣を含め、今回の改造で、ロートルパワーへの期待と、価値を認識する。「年齢が若いだけが改革ではない」ことを、思い知らせる一手が欲しい。

  日付(11/1/13)    新年会  

OBの新年会。新人として初めて参加。昔一緒に仕事をした仲間、色々教えて貰った先輩。皆さん元気。でもその陰に、亡くなった人も、療養中の人も。仕方がないこととは言え、話題は健康と生き甲斐。ゴルフのエージシュートを達成している人、目標としている人、まだまだ張り切って仕事をしている人。輝いている人達も多い。さて、私はどうだったろうか。「もうリタイア?早いのでは?」という人もいれば、「次は何をやってるの?」と聞く人もいる。皆さんお互いの生き様に興味があって、「目を輝かす何か」を探している。日本人の性は、そこで常に「稼いでいるか」に繋がるが、でも絵でも書でもカラオケでも、ゴルフ、歩き、何でも良いはず。眼の輝いている人と話しているだけでこちらも輝く。来年の新年会も、是非お会いしましょう。その挨拶に心がこもる。

  日付(11/1/9)    データで勝負  

もともと技術屋なので、現役の頃はしょっちゅう「データに基づく」議論を主張していた。科学技術的な話は勿論、社会の変化やトレンドを語る時でもバックアップのデータを求めた。話をする時にはなぜそう言えるのかの理由のデータを準備した。ただ、データには怖い部分もある。信頼性の問題。実験はきちんとやられたか、条件は守られているか。データの解析の仕方、まとめ方はおかしくないか。そして次に求めたのは「再現性」。誰がやっても、何度やっても同じ結果になるか。特に統計的データなどは言いたいことに都合の良いデータを集めたり、都合よくまとめたりされることが多い。メディアに現れる統計値などはまさに結論ありき。それを導くためのデータを探すのが能力にさえなっている。やはり受け止める側のそれを見分ける能力が問われる。最近読んだ”「若者はかわいそう」論のウソ”という本は正にその点を再認識させた(”趣味/読書”参照)。疑い深い人は決して好まれないが、でも何に対しても「本当かな?」と思うことは重要で、そこから新しい発見や理論が生み出されることが多い。さて、今の若者は本当にかわいそうか?

  日付(11/1/6)    技術進歩の矛盾  

冬になる度、驚くことがある。我が家にはエアコン、石油ファンヒーター、こたつに、電熱カーペットから床暖房に至るまで多くの暖房器具があるが、何れも万一停電になるとどうしようもない。ところが一つだけ、石油ストーブがあり、毎年引っ張り出す。暖かいし、上にやかんをおけば加湿もできる。時には直接餅を置いて焼いて食べる。このストーブ、何と結婚した時に買った物、35年ものである。このあとにもストーブを買ったが何れも途中でダウン。この一台だけが何故か壊れない。実に重宝している。近い関係だが、電池で動くプラスチック製石油用ポンプも強い。これは「当たり!」としか言い様がない。これももう10年以上になろう。何故か壊れない。毎冬今年はダメだろうと使い始めるがチャンとけなげに動く。車は一昨年購入したが、前の車も捨て難く、家内用に置いている。これまた間もなく12年ものだが全く問題なく使っている。流石日本の製造技術というべきか。でも、こんなに長寿命だと新しいものが売れないな、と矛盾を感じる。またまた話が「第二の人生」に戻ってしまう。熟年パワーが頑張りすぎると・・・矛盾だな。

  日付(11/1/4)    将来帰省はどうなる?  

0歳のオチビさんまで入れると12人の家族、親戚が集まったが、わずか2,3夜で三々五々帰って行って、今夜は再び夫婦のみとなった。昨日、今日の足の混雑は相当な模様。日本国中で多くの爺さん、婆さんが「ああ疲れた。」と言いながら余韻と寂しさを味わっているのだろう。おそらくどこでも、迎える側も結構大変。爺さん、婆さんが準備できる家は良いが、これが跡取り夫婦の仕事と言われると「大変だろうな」と、同情する。定番の東京駅のホームのインタビューは、「美味しいものをいっぱい食べてゆっくりしました。」、「雪遊びをしたり、お爺ちゃん、お婆ちゃんからお年玉をもらって、嬉しかった。」。小説や、エッセイに良く出るパターン。裏には家族の問題もありそう。それとも、お嫁さんが強くなった現代ではもうそんな話は無いのだろうか。しかも少子化のトレンドは止まらない。「帰省」なんて無くなるかも知れない。それはそれで、寂しいし、子供達も「孤族」に向かってまっしぐら、ということになりそう。正月とお盆の「家族の時間」は世の中のためにも続いて欲しいな、と思う。

  日付(11/1/1)    新しい朝に  

日本って地球儀でみれば、ホントにちっぽけな国なのに、四季はクリアにあるし、ある時点での天候もすごく違う。この年末年始も、北側、西側、大雪。故郷鳥取も、大山のなだれ事件、そして国道9号線の雪による渋滞トラブル。京都に電話したら、久し振りの大雪、金閣寺辺りでも15cmの積雪とか。一方東京・千葉は真っ青な青空。典型的正月の好天。不思議な気さえする。昨夜は紅白歌合戦を観て、近所のお寺に初参り。帰って年越しソバを食べて入浴。2時過ぎに寝て、新年は8時に起きて、雑誌のような新聞、お屠蘇に雑煮(鳥取の丸餅)とおせち。その後年賀状が届いて、近所の神社に初詣で。夕方から子供達の家族や親戚が集まって、これまた例年の宴会。こちらは年々メンバーが増えていくのが嬉しい。明日は全員で成田山に。何年間も同じことを同じ時間帯に繰り返す。正月はこうありたい。これがあと何年続けられるか、そう思うほど価値がある。年賀状でこのホームページのURLを宣伝した。果たして何人の新しい読者が得られるか、少しだけ期待。

 

  過去の記事 : 2010年
 (趣味人倶楽部): 2010年以前

 
 

トップページへ

Copyright © 2010 Kobyのホームページ All rights reserved.