徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い (2012年)

 
 

  日付(12/12/31) 大晦日  

秒・分・時・日・週・月・年、時の経過を示す定義が人が生きることの価値を探させる。こうして2度とない2012年が終わろうとする。生きとし生けるもの全てに寿命があり、でも次の命を創って消えていく。そんな当然のことを不思議に感じたり、思い知ったり、大晦日はそんな時でもある。年末年始は去年と同じように過ごせることが最高の幸せ。一つでも抜くと何かトラブルが起きそうで。正月飾りを飾り、大掃除をし、ガソリンを入れ、洗車をする。紅白歌合戦を観て年越しそば、そして初参り。この日だけは、できるだけ例年と同じに「今この時」を味わいながら。そう言いながら、正月に集まる家族も増えたり、個々の家族の事情で、集まれなくなったり、そして多分いつかは自分達が動けなくなる。その有限性が判っているだけに、大切な「今この時」。病気や、災害や不慮の事故や、個々人夫々に何かが起こる。いつ来るか判らない変化を慌てないで受け入れる心の準備を。大晦日にはそれを考える。多分、とても大切な時。

  日付(12/12/28) 丸餅と切り餅  

今年も年末になって鳥取の山奥に住む姉が正月用のお餅を沢山送ってくれた。勿論、丸餅。良く言われる様に京文化・西日本の丸餅、江戸文化・東日本の切り餅。ネットにも多くの記事が載っているが、ある分布図(日本列島雑煮文化圏)で驚いた。東日本で新潟酒田と千葉市原のみ丸餅に分類されている。解説によると、酒田は北前船で、市原も廻船で京文化が入ったのだろう、とか。とは言っても新潟は切り餅だし、下田・浦賀辺りも皆切り餅。何か他に理由があっても良いと思った。ちなみに西日本で切り餅になっているのは島原と鹿児島の一部。これも理由がありそう。島原ならキリシタンかなとか。鳥取に生まれて、大阪、名古屋、鎌倉、千葉と東へ東へと転々としてきたが、今住む市原がまさか丸餅文化だったとは、新鮮で何となく嬉しい発見。この正月も丸餅・切り餅取り揃えて、雑煮を食べよう。雑煮の味付けはまたそれだけで多くの解説がある。これも楽しい。ちなみに我が家は因幡のみそ汁仕立て。

  日付(12/12/25) さてどうなる日本の政治  

未だ安倍政権ができた訳でもないのに選挙が終わったとたん、ニュースは安倍自民ばかり、ここでもし領土紛争でも勃発したら、26日までなら野田内閣が責任を負わねばならないのに、平和なものだ。今夜のニュースも既にトップは「自民党執行部に2人の女性」であって、海江田民主党新代表選出のニュースは二の次。政治の世界は厳しいし、メディアも次は次はとニュースを追う。明日は本当の自民内閣がスタートする。庶民相手にバラマク民主党政治の次は札束をバラマク自民党。溜まった借金を返そうと言う方針はない。いよいよ国債も世界に向けて売られる。財政健全化を計らないと、ギリシャ、スペイン、イタリア・・よりもっと重症な経済破綻が待っている。まるでインフレになれば、経済が再生するかのように言われているがそんなものではない筈だ。世界が日本を見捨てないよう、常に世界を見据えた政治運営を期待したい。その能力はやはり自民の方が上だと思いたいが、第一次産業を甘やかすのも自民かも知れない。さて、安倍さん、明日からどこに重点をおいてアクセルを踏むのか、期待と共に懸念する。

  日付(12/12/23) 書き順の話  

時折テレビのクイズで「正しい書き順」をやっている。これは正に冷や汗もの。小学校教師の息子に言わせると、漢字どころかひらがなだって、らしい。確かにひらがなでも驚くような書き方をする人がいる。漢字となると、まず小学校1年生レベルでも、「左」「右」「花」「田」、などはかなりバラツク、果ては「九」と「力」、正面切って聞かれるとあれっと思ってしまう。有名なのは、「必」「飛」それに「馬」、りっしんべんも縦棒を先に書いてしまうが正解カタカナのハからスタート。書き上がった字を見ても正しい書き順で書いたかどうか判らないので、こだわらないのだが、書道では重要らしい。確かに「必」などは書き順で字の形が変わってしまう。学校では先生達は新しい漢字が出てくる度に書き順を教えているのだろうが、いやはや皆さんバラバラ。「区」とか「医」は最後がLだなんて何%の人が正しく書いているだろうか。これなど実は漢字の形も変わるしそもそも画数が変わってくる。その気になって調べるとhttp://kakijun.jp/というもってこいのサイトがあって教えてくれる。小学校で習う漢字の所で、早々ギブアップ。こりゃ卒業できないわ・・・と。漢字検定では、はねをチェックされる。書き取りの正解を得るにははねる棒と止める棒がきちんと区別される。今頃になってこんなことに興味を持つのはやはり漢字文化の奥深さを感じるから。近代中国の簡略漢字への移行も果たして正解だったかどうか。日本は漢字を守らねば・・と思う。でも、書き順はタイヘン。

  日付(12/12/20) 延べアクセス数10000人  

今日はこのホームページを読んで頂いている方へのお礼です。アクセス数を見ている方はおられないでしょうが、昨日延べ10000人を突破しました。スタートが2010年4月1日、5000人突破が2011年9月でした。つまらぬ本人の自己満足のためだけの記事に多くの方がアクセスして頂いていることを大変嬉しく思います。一日平均約10人の方々がチェックして頂いているようで「飽きもせず有難うございます。嬉しいです。」とお伝えしたいと思います。「徒然に」はこの2年半の日記であると同時に社会の変化の記録です。如何に色んなことがあったか、大震災を初めとして、政治経済など世の中の変化を追いました。「アルバム」はどうみてもアマチュア写真の集積ですが、自然の変化や旅の記録です。「趣味」のコーナーは進歩が遅いですが、読書は大佛次郎の「天皇の世紀」を読み始めてから遅々として進みません。時々寄り道をするとすぐに読めるのですが。美術館・博物館もたまにしか行かないし百寺巡礼も暫く止まっています。行きたいお寺が待っています。詩集は月一つを義務にして思いつきを記していますが、自分で読んでみても「幼い」ですね。「自分史」は、今日49回目で、とりあえず今年までをカバーしました。これ以降は、新しい年の部に加えて、過去についてもトピックスを思い出して、追加していきたいと思っています。残念なのは「掲示板」で、オープンするとすぐにSPAMが入ってくるので、今は閉じています。ご意見はメールで頂ければ、徒然にで紹介したいと思います。これは、よろしくお願いします。個人的にお会いした時に「読んでるよ」と言って頂くと、「こんな所に読者が」と驚くこともあります。メールでのコンタクトを頂けると嬉しいです。当方の全く知らない方というのは少ないとは思いますが不要な攻撃をされないためにあくまで匿名という形で続けていこうと思っています。今日は、延べ10000人に達し、お礼を言いたいと思いました。一リタイアリの「第二の人生」作りへのご協力に感謝致します。これからもよろしくお願いいたします。

  日付(12/12/17) 自民圧勝  

衆議院選挙が終った。自民で過半数、自公で2/3。大変な圧勝。でもあの民主による政権交代が起こった2009年のような興奮はない。単に消去法で結局自民が残ったということか。それよりも、今回の選挙の最大のショックは60%を切ると言う低投票率。「こんなことで良いのか」という、腹立たしさを感じる。これでは、一票の格差の議論や、新しい選挙制度の話をしても意味がないのではと思ってしまう。「日本はこれで良い」と思っている人が多いと言って良いのかも知れないけれど。でももう一つの要因として選挙がある度に言っている「メディアの責任」。投票時間終了の夕方8時になったとたんに「当選確実」を発表する速報。開票する前に結果が発表されるなら投票したって意味がないと思うのは道理。もう一つは頻繁に行われる投票前の世論調査。これも責任は大きい。なぜここまで頻繁に実施の必要があるのか、結果として世論誘導になっていないか、そして、投票に行かない原因にはなっていないか。今回の結果で、また2大政党政治が遠のいた。乱立した小党の責任は大きい。後は、自民に「学習効果」に基づいた政治を望みたい。

  日付(12/12/15) 銃の問題  

米国コネティカット州の小学校での銃乱射事件。小学生20人と先生6人が死亡、と何とも傷ましい。米国ではこの種の事件が止まらない。自由の国の銃問題は今でも半々の支持らしい。「事件を起こそうとする人はどんな武器でも手に入れる」と語る人もいる。日本の2001年の池田小事件は包丁で8人、2008年の秋葉原通り魔事件がダガーナイフで7人と、銃でなくても重大な事件はこの平和な筈の日本でも起こってはいる。もし日本に銃があったらと考えてもおそらく犠牲者の数に少しは差が出るかも知れないが、規制によってこの種の事件が減る効果があるかどうか判らない。問題はこの種の事件を減らすにはどうしたら良いか、という点でそれを銃規制にもっていくことは短絡的過ぎる様にも思える。ただ、「自分の身を守る為には」と銃を離さない文化はやはり淋しい。核拡散防止を叫びながら核技術開発を進める国民性ともどこかで繋がるのかも知れない。うっかりすると「自由主義」が「利己主義」になる境界かも知れない。

  日付(12/12/14) 忘年会  

現役でもないのに、この3日、忘年会が続いた。何が良いって、何のしがらみのないので、本当に「年を忘れて」酒を楽しむ。一昨日はこの辺りのOBの仲間と、昨日は東京で元の飲み仲間と、そして今日は学生時代からの友人と。肩に力が入っていないから、正直に楽しむことができる。夫々のメンバーと夫々の共通の話題があって、時間が経つのはすごく速い。気持ち良く帰宅して、こんな友人を持つ自分を幸せだと思う。そしてその次には、来年の今頃ちゃんと同じように集まることができるだろうか、と己の健康状態も考えて心配になる。こうして一年一年が経っていくのだろう。まずは現在に「感謝」。

  日付(12/12/10) 投票日近し  

衆議院選挙投票日まで一週間を切った。多党化の影響か、解散時の熱気が去って、世論調査の「ぜひ投票に行く」という比率が落ちているとか。有権者としては唯一の国政参加の機会なのに「ここで棄権したら将来文句を言えないんですよ!」と言いたいけれど、どうも期待感そのものが薄れていっているようだ。この件については民主党の責任は大だ。あの「マニフェスト」という新兵器で政権を取ったけれど、何しろ具体的に書いた分だけ、出来なかった時の反発は強かった。今回の選挙で、誰が何を言おうと「どうせ出来やしないのだから」という感じがある。それでも、我々には選ぶ責任がある。確かに難しい選挙だ。野田首相の最後の居直りは良かったが、かといって今後ももう一期やらせてみたいとは思わない。特にここにきて「脱原発」を言わなければ票を失うとどの党もそこに力点をおいているのが不満だ。今日の世論調査では、国民の原発に対する意識はまだまだ揺れている。心ある人は、その言葉の今後の社会の在り方や、国際関係に於ける日本の立ち位置への影響が判っているのだ。それを正面切って取り上げる党が何故いないのか不思議だ。穿った予想をすれば、結局国民はとりあえずの安定を求めて自民・民主の2大政党政治、それも大連立の様な方向を選ぶのではないだろうか。さもなくば、まだまだ政治の不安定が続き、世界から取り残されていきそうだから。

  日付(12/12/6) 正に団塊  

執行猶予を貰っているので久し振りに眼科に診て貰おうとでかけた。受付をしようとしたら、「今日は余りに多くて受け付けをストップしました。5時間程度待たれますか?」だって。こちらは緊急性は全くないので「いえいえ、また出直します。」と帰ってきたが、この所、どこの病院でもどの科でも混雑が酷いらしい。予約制の所でないと診断もままならない。これまた、団塊のなせる業。リタイアしているのでウイークデーにと出かける。どうも大変な予感がする。昨日のTV番組はもっとシリアス。亡くなっても葬式ができず、火葬場の順番待ち。何と、1週間とか10日待たないと葬儀が出来ないケースが増えているとのこと。火葬は地方自治体の管理らしいが、新設を計画しても反対の住民運動が激しく能力アップが難しい様だ。火葬場によっては順番待ちの冷凍庫(カプセルホテル?)まで準備されている。これまた何とも情けない話。団塊は、死ぬのも競争に勝たないと天国にも行けない。いくら葬儀は要らないからこっそり散骨して、と言い残したとしても、「焼けないんですよ」と言われると打つ手なしだ。日本史世界史の経験したことのない、大きな集団がリタイアしてもなお世の中を引っ張る。後10年後、20年後、30年後、どこをとって見ても、大きな問題を引き起こす。その為だけに大きな対策を打っても、その次に来るのは正に人口減。火葬場だって、葬儀場だって閑古鳥となろう。いやはや難しい世代だ。まだまだやる気があれば、「そこにこそ新たなビジネスチャンス!」と張り切るのだろうが・・

  日付(12/12/3) 定命  

仏教で「定命(じょうみょう)」というらしい寿命というものが本当にあるとしても、これ程突然に大きな事故に巻き込まれて命を落とす人も寿命と言わねばならないのだろうか。一年半前に津波で亡くなった2万人近い人々の命をどう考えれば良いかと思って、結局残された人は「生きている」のではなく「生かされている」のだと理解しようとした。でも、昨日のトンネル事故に遭って亡くなった人達となるといよいよ増して傷ましい。確率論を持ち出す必要もなく、あの事故に遭って死ぬ確率は相当低い。おそらく我々が車を運転していて、対向車が間違って突っ込んでくるという事故よりももっと低いだろう。何故って、あんな起きたことのない事故で、かつ高速で走っていて3台だけが落ちてきた天井の下敷きになった。こんな事故に遭って亡くなる人がいるなんて、正に不平等。やはり人が生きると言うことは決して全ての人が平等ではないのだと思い知る。文明や技術の発達と共に、これまでみたことにない新たな危険も人間は生み出している。「自然」と「人間」の闘い、せめぎ合い。でも、やはり一つ一つひも解いて「同じことが起きない未来」を目指さねばならないのだろう。その努力の為の犠牲者、と言っても何とも納得がいかない傷ましさだ。次に出てくる言葉は「無常」だろうか。

  日付(12/12/1) 「選ぶ」難しさ  

税と福祉一体改革の国民会議が動き始めて話題に。メンバーを見ると大学教授ばかり。いつでも政府関係の第三者機関と言われると結局大学の先生。その大学は主要国立大学プラス早慶。相場が決まっている。よく考えてみると大学の先生というのは大抵何かの専門を持った人で、国民の意見を代弁できるような豊富な経験を持った人は少ない。こんなメンバーの答申が本当に「世の中の求める」条件を満たすのだろうかと思うことは多い。就活の時期になってこの話題も多い。現役の頃を思い出してみると確かに「選ぶ基準」は難しかった。最終選考の難しさを考えると、人事担当だって、「少し位間違っても大丈夫な」学校の卒業生から選びたくもなるだろう。世の中、一人一人が人間を評価する基準を持っているのだが、誰にでも何にでも当てはまる基準などありよう筈がない。さて、選挙が近い、有権者は一人を選ばねばならない。一つの政党を選ばねばならない。個人の意見が強くなるほど政党色はなくなっていき、有権者の混迷は増すばかり。政治家のブランドって何だろう。選ぶって難しい。

  日付(12/11/28) 誰も原発推進とは言えない  

今度の選挙は「原発選挙」とか。脱原発をクリアにした方が票になる。小沢一郎の最後の一手は「日本未来の党」だった。乱立する小党だが、原発推進を謳う党はない。何故だろうか。確かに「フクシマ」の現状は酷い。でも津波の被害に会っている多くの地方と変わる訳ではない。もし、核分裂まで行っていたら、その死の灰の影響は日本国を死の国にしてしまったかも知れない。そこは脱原発を言う人達と同じだろう。でも、だからこそ日本はもっと原子力に注力すべきだと言いたい。大規模な原発事故が中国や韓国で起こったらその国だけの被害では済まない。地球上の問題だ。それを防ぐのも技術力。日本がその技術開発をやらないでどうする?今在る核廃棄物は他国に処理してもらうのだろうか。もっと世界中で核燃料サイクルを確立して真の原子力の有効利用を進めるべきではないのか。日本は化石燃料を持たない。これまでの戦争もそれが原因だった。真に技術で勝負できる国にするためには今は原子力に注力すべきだろう。今の状態で優秀な若者達が原子力分野に進むだろうか。火力に頼ると言う人には聞きたい、何を燃やすのか、地球温暖化の問題は放置して良いのか。こちらの方は着実に地球全体を滅亡に導いている。自然エネルギー開発は勿論良い。でも現在の技術力はまだまだ原発レベルには程遠い。比較するのが辛い位だ。いち早く脱原発を宣言したドイツは電気代高騰が問題化している。でも彼らはいざとなればフランスからの(原発の)買電を念頭においている。人類が自然に逆らって生きていくためには、自然に逆らう技術を使うしかない。さもなくば、自然に溶け込んで原始時代に近い形に戻るしかないだろう。自分は良いけれど、子供や孫の時代の為に脱原発という人は多い。でも全くそのまま子供達の時代の為には原発が必要と言えないか。各政党にはこの辺りまで踏み込んだ議論をしてほしい。脱原発さえ言えば票になるとしたら、有権者は正に馬鹿にされているとしか言えない。太平洋戦争前に反戦を口にしたらそれだけで非国民だった。それを思い出す。これは暴論だろうか。

  日付(12/11/26) 遂に老人の入り口  

子供や孫が「おめでとう」と電話をくれるが、年齢と共に誕生日は「おめでたい日」では無くなってくる。遂に、65歳、四捨五入で70歳台に突入した。健康保険証が次々と変わる。退職者医療制度から本物の国民健康保険者となった。これからは100%社会に、若者達に「養ってもらう」世代になったと言うことだろう。それでも、何とか社会とのコンタクトをもって、一社会人として生きていきたい。折しも今日、初めて市の健康診断のお世話になった。日本って福祉も頑張っているのだな、と今更ながらの驚き。国保対象者が沢山無料の検診を受けている。これは嬉しい驚き。底辺が上がってくることは間違いなく良いことだがら。でも、今の内から、「例え500円でも1000円でも、払える人からは貰う。」というシステムにしおくべきだな、とも思った。10年、20年、50年という単位で将来を考えると、継続性のない福祉があるように思える。65歳になったからこそ余計に気になる今後の老人福祉のありかた。

  日付(12/11/23) イノベーション  

下り坂一途のシャープについて色んなことが言われている。おそらく「技術で負けた」という人は余りいないだろう。では、何が今の不況を作りだしたのか、色んな意見があろう。この事件で最も衝撃的だったのは、アップルの対シャープのやりかた。これは、これから先の時代の基本概念を覆すかも知れない。新i-Padのディスプレーにはシャープとサムスンの液晶が採用されているらしい。シャープは起死回生の技術、IGZOと呼ばれる最新鋭高解像度液晶を提供している。ところがアップルは、敢えてIGZOの解像度を落として、サムスンのレベルに合わせているとか。2社購買という、ビジネス全体の継続性を優先した方針の結果だろう。シャープの世界一の技術は無駄なのか?これは意外に新しいクエスチョンを投げかける。日本人の好きな「常に世界一」の技術でないと生き残れないという技術神話に対する挑戦の典型例だ。おそらく、ここを凌いで、サムスンがシャープに追い付けば、シャープは次の世界一の液晶技術で食っていけるのかも知れないけれど、今現在の状況はやや矛盾、もったいない。これからも益々この種の矛盾は増えていくだろう。イノベーションは、今在るものの進化と共に、やはり新しい分野を創り出さない限り価値をもたらさないのかも知れない。

  日付(12/11/20)   小党乱立・選挙後は?  

今回の解散劇のシナリオライターは誰だろうか。野田首相は、この時しかないというタイミングで最後の勝負に出た。その後の政界の動きはどう見ても政局。おそらく野田シナリオ通りに進んでいるのだろう。これで民主党の反野田Gが皆離党してくれれば、民主党は意外な結果を見せるかも知れない。小沢一派が去っても動かなかった山田元農相達も去った。残るは鳩山元首相だろう。この人達も去って、TPPや金融政策などに絞って、判り易い新民主党になれば、負けは少なく、選挙後の自公との連立も主導権が取れるかも知れない。そう思わせるここ数日の動きだ。石原・橋本維新がどうなるかだが、有権者は投票用紙に彼らの名前を書く訳ではないから、それほどのブームを起こすとは思えない。何が悪いかと言えば、今の民主党で立候補しても当選する見込みのない人の受け皿になっていること。彼らに、石原・橋本のカリスマはない。小党乱立の大変な選挙だけれど、意外に2大政党政治が日本に確立する選挙になるのではないか。甘い期待(?)だろうか。

  日付(12/11/18) 北のカナリアたち  

去る金曜に、久し振りの映画鑑賞。電車に乗ってしまってから、映画名をタブに打ちこんで、どこに行けば待ち時間なく観られるか。というチャレンジをした。結論は海浜幕張、開演スレスレに入館できた。映画は、「北のカナリアたち」、中味も知らないで、単に、「世代サユリスト」の一人として、観ておかなくては、といった程度。ミステリーとのことだが、そんな筋書きより、やはり時代背景と突きつめた先の人間対人間の関係。幸か不幸か、この件は、時代が変わろうと、背景が変わろうと、変わらない。死を意識した時の人間のありよう、考えようも変わらない。それでホッとする。65年の人生を生きてきていても、この映画を観ると涙が出る。どこが悲しい訳でもないけれど、最後のシーンの合唱を聞くと、ミステリーの内容も、演技の巧い下手も、まず置いといて、「良い映画だったな」と思わせる。おそらく、それ以上の感想はないだろう。利尻・礼文の美しい景色が、今の時代を(それでもなお)忘れさせてくれる。さて、歌を忘れたカナリアは、結局どうすれば良かったのだろうか。歴史は戻せないだけに・・・

  日付(12/11/14) 野田首相頑張れ  

昨日の党首討論をTVで見ていた。もしやと思ったその通りに野田首相の解散宣言があった。おそらく選挙では負けるだろうけれど、ここで民主党と言う党をもっと判り易くしておくことは良いことだ。もし、本当にクリアにできれば、思わぬ勝利もあるかも知れない。消費税で小沢一派が去り、おそらくTPPで山田・鹿野元農相などが去るかも知れない。鳩山元首相などなぜまだ留まっているのか不思議な位だ。この時点で、「寄せ集め」の弊害を除いて判り易くすることは良い。もしかしたら自民党の一部と同じになるかも知れないが、それが再編に繋がるだろう。党内の顔色を気にするようになって(そう見えた)、やはりこの人も一緒かと思ったけれど、「嘘つき」批判には耐えられなかったようだ。総合して振り返ってみれば、野田首相はよくやった。と、評価する。どこかと再編成してもう少しやらせてみたいとは思うが、多分その器ではないかも知れない。いよいよこれから日本は選挙一色となる。景気が悪いだの、国際関係が悪いだの言うけれど、次の選挙以降は「選んだ責任」も問われることになる。民主主義がベストな形態であるなら、やはり我々も真剣に選挙に立ち向かう必要がある。でも、まだここに任せたいという意見の政党は現れない。勿論、小異は捨てるつもりだけれど・・

  日付(12/11/13) 遼君再び  

年中行事になってしまった御殿場の三井住友マスターズ。今年も観戦に行ってきた。午前中はまずまずの天候で、一位スタートの遼君も順調にスコアを伸ばし、スムースに2年ぶりの優勝が決まるかな、と思っていたら、何と16,17番と連続ボギー、この若い怪物もプレッシャーに負けたのかとハラハラ。一打差の松村が同組で18番。土砂降りの雨でもほとんど観客は帰らない。松村の2打目は2オンのイーグルチャンス。問題は次の遼君。怖れることなく2オン狙い。見事オン。松村のイーグルパットはスレスレ入らずバーディー。石川もバーディー。迫力のある幕切れだった。この怪物少年ももう21歳。2年ぶりの優勝だった。勝てなくても多くのギャラリーを引き連れ、メディアにも追われ、大変なプレッシャーと戦っている。正に日本ゴルフ会を背負っている。大変な貢献者だ。いつもながらその精神力に感動する。アップの顔をみると、ややニキビ顔になって、美少年は卒業したようだ。一段と成長したかに見えるこの若者を今後もじっくり応援していきたい。まだまだ色んな壁が立ちはだかるだろうから。

  日付(12/11/10) 中国の時代  

2020年には中国が米国を抜いて世界一の大国になるとか。どうもイメージが湧かない。今でも、「途上国」を使い分け、先進国からの援助を求めながら、一方では未開発国に投資や援助を行っている。この国が世界のリーダーになった時、何が起こるのだろうか。やや、暗澹たる気持ちになる。国内にはまだまだ多くの問題を抱え、共産資本主義という矛盾だらけの中で、貧富の差を許容する。勝ち組はいつでも母国を捨てる準備をし、底辺には不満が蠢く。それでも先進国から見て、とにかく「大きな市場」。何とか、巧く付き合っていきたい。でも、本当にこのままこの国が世界一の経済大国になるのだろうか。想像できない。ただ振りかえってみると、日本国の二流化の速度はそれ以上に早そう。今や目も当てられない。個人も企業も国もわずか30年の間の蓄積で食っているだけだ。もう、中国も実は相手にしていないのかも知れない。

  日付(12/11/7) オバマ再選  

史上最低の大統領選挙とまで言われ、中傷選挙だったようだが、オバマの勝利で終わった。テレビで見る限り、ロムニーも人柄は良さそうだし、無理やり「共和党色」を出していた感があった。「民主主義混迷の時代」にその覇者であるべきアメリカが復活できない。それはそうだろうと思う。覇者の為には誰か敗者が必要だから。アメリカ全体が覇者であるためには、他国に多くの弱者が必要で、今はそれがない。世界の中で今期待されている国々は全てアメリカ全盛の時代の敗者達だったから。これからアメリカがどう平均化していくか、それはそのまま日本のこれからのあるべき姿の指針となる。弱者が声を上げる時、民主主義の矛盾が露呈してくる。さすがに、野田首相の再選はないだろうが・・日本の今日を考える。

  日付(12/11/4) 幕藩体制とグローバリゼーション  

明治維新前の日本は幕府が支配していたとは言うものの、庶民の世界は藩だった。藩を超えて物事を見る人はある限られた人達だけだった。豊かな藩もあれば、貧しく苦しい藩もあった。「国替」などもあったかも知れないが、あくまで支配層の話だった。今の世界の国のあり方を考える時、ナショナリズムを考える時、一国を藩に例えてみるとどうだろう。先進国もあれば後進国もあり、豊かな国もあれば貧しい国もある。同じ地球に生まれながら、どの国に生まれたかで大きく異なる人生を歩む。藩を豊かにする為に努力した人もいれば、広い日本を知りたくて日本中を旅した人もいる。今、考えの基準を世界に置き、世界を舞台に活躍しようとしている人達もいる。いわゆるグローバリゼーションを積極的な意味で捕えると、明治維新後の日本の様に、大きな変化のベースなのかも知れない。江戸の文化を大切にしたいと思った人達と同じように、日本のカルチャーを大事にしたい。でも、あの時代、それでも維新に走った。あれを成功と言うなら、今の日本はどこに足場を置くのか、あれを失敗だったというなら、今の日本は何を考えるべきなのか。小異を捨てて大同を考える時、このアナロジーは色んな可能性を見せてくれる。これが歴史と言うものの面白さか。

  日付(12/11/1) 「よい仕事おこし」フェア  

コンサルをしている一社が出展すると言うことで展示会に行った。東京ドームでたった一日だけ開催された、「日本を明るく元気にする”よい仕事おこし”フェア」。復興庁の後援もあって、東北の企業の出展や、東北特産品の展示もあったりで、ビジネス関係のみならず、多くの一般の人達もやってきた。全国の信用組合の共催とあって、多くの中小企業の出展がみられた。日本の製造業を支えている技術力や、開発販売力はこういう企業から生まれているのだ、と実感した。コンサル会社の説明役を手伝ったり、個人的興味から多くのブースを覗いてみたり、東北の弁当を食べながら福島のフラガールショーをみたり、と充実した一日。こういう中小企業が伸びて行くことが将来の日本に希望を与えることだろう。やや年配者が多いけれど、就活が大変と言われる若者達が、進んでこういった企業で働こうという時代になって欲しいと思った。

  日付(12/10/28) サービスの話  

家族も友人も誰も気づいてくれなかったけれど、春にメガネを換えた。現役の頃会社があった大手町の名店。データもあるし、近いこともあって選んだ店だった。現役の頃は余り比較することもなくそこへ行ったが、リタイア後初めての時は、なんでこんな所までなんて思いながら、でも同じ店へ。ちょっと、高価だったこともあって、あとでメガネスーパーの宣伝を見て、「しまった。年金生活者の行く所ではなかったか。」とやや反省。この間、急に鼻の頭が痛くなって、外してみたら、メガネパッドがない。いつの間にか落ちてしまっていた。仕方がないので、亡き義母の残した古いメガネのパッドを仮に取りつけて、その次の東京行きで同じメガネ屋さんに立ち寄って交換を頼んだ。これまである程度は意識していたが、成程サービスが良い。パッドを交換した上で、顔へのフィット具合を徹底的にチェックした上で、勿論洗浄も丁寧に。途中の空いた時間に、置いてある本を読むと、なかなかの苦労人の創業者で、北海道を起点にして、ようやく東京に出てきて、でもサービスで売っている。推薦人には松下幸之助や司馬遼太郎などの名前が並ぶ。東京に店が無い時でも北海道まで作りに行っていた、とか。チラ読みをしてから改めて店員をみると、態度から言葉使いまでよく教育されていてわざとらしさがない。「良い店の顧客になっていたんだ。」と自分に誇らしくなった。こんな場所に出てきた位だから、経営状態も良いのだろう。発展途上国支援などにも熱心らしい。良い気持ちになった。勿論、パッドも無料だった。顧客が喜ぶ商売の在り方とは何なのか・・・改めて考えさせられた。

  日付(12/10/26) 石原新党?  

普通80歳って言えば、もう好好爺に徹する年齢。石原都知事のこの執念とも言える「やる気」には思わず拍手する。でも、政治は一人ではできない、動かない。せめてその執念を自分の考えを共有する若者を育てる方に使えば良いのに、と思う。対人、対メディア、何を取っても怖いものなしの強硬路線。評価基準をどこに置くかだが、都知事としての実績も大きい。フラフラしている様ではこの大都市の舵は切れないだろう。問題意識も、これからやりたいことも判るが、何れも一筋縄ではいかない。この人をみると三島由紀夫を思い出す。最後を割腹自殺で終えた文化人は「憂国」の念が強かった。都知事も同様の人生の終え方を考えているのだろうか。ただ、この年齢になると「自己満足」に終わりかねない。筋が通っているだけに怖いところがある。カリスマリーダーを求める日本だが、さてまだこの老人に期待するのか・・次世代の若者達はこの叱咤をどう受け止めているのだろうか。世論がどう動くかを含め、目が離せない。

  日付(12/10/24) 秋って短い?  

あの猛暑から、やっと秋、と思いきや。今朝はもう「寒い」。あちこちの庭木や街路樹の枝葉に蜘蛛の巣が目立つ。美術的に見るとあの幾何学模様は正に芸術。朝日に輝く模様を見るとつい、綺麗と思ってしまう。でも、一たび頭や体が引っかかると、決して気持ちの良いものではない。蜘蛛ごと体に纏わりつこうものなら、ギャッと飛び退く。でもこれも季節の変遷。夫々の生き物が来るべき冬に向かってエネルギーを蓄えるための術である。まだ周りは紅葉もそれ程ではないけれど、気温と風の変化は速い。もう関東の山々も初冠雪らしい。最近の稲刈りは早いので、黄金色の稲穂に舞う赤とんぼに秋を感じると言う風情も無くなった。秋の満喫タイムが欲しいな。マツタケは無理だから柿でも食べるか。

  日付(12/10/21) 30年が一瞬に  

S52年から57年まで勤務した鎌倉の研究所の創立50周年記念OB会があって出席した。秋の好天の下、電車やバスを乗り継いで研究所についた。200人ものOBが集まって、講演を聞いたり、パーティで昔話をしたり。いつものことだが、30年が一瞬にして飛び去り、顔を見た瞬間にあの日に戻る。先輩達も、70歳、80歳代。でも元気溌剌。辞めてからも色んな舞台で活躍している。こんな素敵な環境の中で5年もいたのか、と思い出しながら、一回りした。思い出してみると20周年の時に転勤になった。「私の様なエンジニアが不要な姿の方が望ましい。」的なことを20周年記念誌に投稿したとのことで、覚えてくれている人がいたのには驚いた。儲け、儲けと言わないで、真の基礎研究を継続することの重要性を感じていたと言うことだろう。若気の至りか。でもそんな環境だった。千葉に出向・転勤が決まった時、先輩の一人が「何か(失敗を?)やったの?」と尋ねた。そんなことを思い出したパーティーだった。

  日付(12/10/17) 靴磨きの話  

先日、久し振りに黒のビジネスシューズを穿いていたら、踵に違和感を感じた。見ると以前補修をした踵の釘が抜けて剥がれてしまった。現役の頃は修理もしなければ、余り磨きもしなかったが、リタイアするとこれでもかと使いたくなる。まず時間があるので、靴磨きに行く。特に丸の内北口の露店の靴磨きが良い。うだうだ喋りながら磨いて貰う。現役の頃はそうはいかなかった。「お客さん、今の内に踵を直しておけばまだまだ行けますよ」なんて言われて、直した靴だ。こうなると今回もまだ捨てる気になれず、袋に入れて持って行った。茶色の靴を磨いて貰いながらその話をすると喜んで、釘を打ち直してくれた。「代金?要りませんよ。」とサービス。心地よい会話だった。この露店靴磨き、厳しく言えば違法らしくだんだん商売する場所さえ無くなっているらしい。やっているおじさん達もそんなにギスギスしていない。世間のことも良く判っているし、多分色んな人達と話をして話題も豊富だ。こんなカルチャーはいつまでもあっても良いのに、と思う。店舗でやっている所もあるが、どうも磨き上がりに差があるように感じる。終戦後「シューシャインボーイ」は貧しい中の明るい文化だった。子供が家族を養っていた話も多い。ピカピカに蘇った靴を履いて、直して貰った靴を持って、何だか気持ちよくなって帰ってきた。この気持ちよさは歴史と共に消えていくものなのだろうか。それは寂しい。

  日付(12/10/14) エスカレーターのルール  

関東では左に立って右が追い越し用。関西では逆。新大阪に着くとよく戸惑う。どこから発生したのか、ちょっとネットで見た位では判らない。色んな議論がされているのは面白い。さて、岡山に行って驚いた。岡山は左立ち、右追い越し。東京と同じなのだ。どうも設置された時代と車道の左右とも関係あるのかも知れない。人基準か、車基準か?米国では右立ち左追い越しらしい。(実は思い出さない)オーストラリア、ニュージーランドは逆??何とも不思議な現象だ。エッ、京都は東京と同じ??もう全く理解不能。でも、大きな問題ではないからこそ、それにちゃんと従って立っているのだから、人間と言うのは従順なものだ、とも言える。ただ、そもそもなぜ追い越しサイドが要るのという議論の方は意味がある。確かにラッシュアワーで長いエスカレーターで片側が空いているのはこれまた不思議。メーカーは追い越しは危険と言っているとか。そうは言っても、最近は、隣に階段がない場所も多いから急ぐ人対策は必要だし・・たまに関東を離れて、妙なことが気になった。日本、世界のマップを作ってみると面白そう。故郷、鳥取はどちらだったかな・・・

  日付(12/10/10) アルペンルート再び  

早いもので、もう2年以上前になるが、リタイアしてすぐ日本アルペンルートを通って雪の室堂「大谷、雪の廊下」に行った。その時、今度は紅葉の室堂が見たいと思い、今回、又ツアーで参加した。一日目は黒部下流の宇奈月温泉からトロッコ列車で鐘釣へ。でもまだ紅葉には早く緑。40年前の剣登山からの帰り途を思い出しただけだった。翌日のアルペンルートは好天。ダムの放流も迫力があったが、大観峰周辺の紅葉は正にピーク。酔った。従って、室堂はもう冬を待つ季節。いかにも高度と紅葉の度合いは比例する。火曜日だと言うのにアルペンルートは相変わらずの観光客。主流は熟年主婦、その次はリタイア組。流石に子供連れは少ない。ご時世か、中国語や韓国語も思ったより聞こえなかった。改めて、このコースを見直すと、歴史、技術レベル、乗り物の種類(トロリーバス、ケーブルカー、ロープウエイ、そしてトロッコ列車)そして高度、何れを取ってみても世界に誇れる観光地である。赤岩、針の木、鹿島槍、立山連山・・山々も素晴らしかった。かえでの紅葉も良いけれど、高山のナナカマドの赤は格別。

  日付(12/10/5) 天気予報  

今、現在に続いて何が起きるのか、絶対に判らない。地震や、雷や、自動車が飛びこんできたり、脳溢血でバッタリ倒れたり。それが人間社会だと思う。でも、ここ20−30年の天気予報の正確さには舌をまく。台風が来た時の進路予報、風雨の予想や、気温のアップダウンまで実に正確。旅行や、ゴルフなどの計画もかなり自信をもって変更できる。これは対自然の人間の技術の闘いの大きな成功例だろう。このお蔭で多くの命も救われている筈だ。さて、100年、200年単位で考えると、大地震や津波、そして火山の噴火爆発など、もっともっと正確に予報が可能となって「21世紀の初めまで人間は全く予想できなかったんだって・・」なんて言っているようになるのだろうか。人間の自然に対する挑戦は続く。でも、自分のiPS細胞で精子と卵子を創って生命を創るなんて言われると、もういいです、と言いたくなるのは、何故?自然に戻る方向の幸福感もあるけれど、そうすると僕はもうとっくに死んでいる訳で・・天気予報をネタに技術進歩の本質論になってしまった。

  日付(12/10/1) 第三次野田改造内閣  

民主党のこれまでの3人の首相の中では、野田首相がもっともマシだった。何とか「決められる内閣」に近づこうとしていた。でも、今回の改造は頂けない。またまた「党内融和」に戻った。輿石幹事長を続投させた所で、価値が変わった。何とか民主党をまとめたい。という所に力点が移った。そしてこの大臣達。何のために入れ替えたのかさっぱり理解できない。またこれで国会はアラさがしの場となる。確かに政治家に取ってみれば大臣は「死ぬまでに一度は」かも知れないけれど、(所属する党が政権を取ると言う)運もあれば、人脈の問題もあろう。でも、本当に大切なのは、国を社会をどうしたいかの意欲と熱意、そして最後はその人の持つ能力・リーダーシップだ。今回の新大臣達にそれがあるのだろうか。野党の攻撃に晒されるネタは多そうだが。世界や社会から信用される内閣にするには一内閣一大臣。それこそが、政治主導と直結する。結局国を動かすのは官僚達しかいない。そう思わせる内閣改造。これでは、誰もついてこない。溜息の出る10月のスタート。やはり解散しかないか。

  日付(12/9/30) 高倉 健  

去る金曜は「家にいて貰っては困る日」とかで、ぶらっと出かけて久し振りの映画館へ。先日TVで特集をしていた高倉健の新作「あなたへ」を観た。もう81歳だって。任狭ものから、「八甲田山」「ぽっぽや」まで色んなタイプの映画で、(古い)男、しゃべらなくても表情と、ぼそっと話す一言で、日本的映画の名優を演じてきた。この映画も決して楽しいテーマではない。晩婚の男が妻を亡くし、遺言に従って平戸の海に散骨に行く旅。山場もなく淡々と進んでいく。でもこの81歳の皺の演技は圧倒する。人間の生と死を考えさせる。こんな元気でいられるなら、81歳も悪くないな・・なんて珍しく思った。最近「男は黙って・・」なんて言われなくなったな。

  日付(12/9/26) 安倍自民党新総裁  

次の選挙では民主党も脱日教組はできそうにないし、おそらく自民党が勝つだろうとは思っている。その方が良さそうとも思っている。そして今回の総裁選び、なかなか自民党も変わりつつあることを見せてくれた。派閥の争いという意味で見ただけでも、無派閥の石破と町村と同派閥からの安倍の決選投票。最も古い人達の「世代交代の雄」石原は破れた。当方にとっては同郷(鳥取)のスター石破になれば自民党は変わったと言えたかも知れないが、話を聴いていると安倍には流石と思わせる何かがあった。時代の妥協案としては、良い所に収まったかも知れない。町村立候補の後で出馬し、勝てる確率はそれほど高くもないのに戦ったというだけでもなかなかのものだ。一度総理までやった人間がそう簡単にできることではない。さて、これから政局がどう動くか、ことは日本国の将来に直接繋がることなので注視したい。当方の本心としては、民主党も自民党も割れて、双方から野田を担ぐ人達が一緒になる様な政界再編が最も望ましいと思っていたのだが、そう簡単ではない。待ったなしの日本の選択。大変な時代は続く。

  日付(12/9/23) ナショナリズム、再び  

久し振りの雨の一日。あの汗の毎日はどこに行ったのかと思う肌寒さ。何とも変化の激しい天候が続く。プライベートゴルフを予定していたが、朝、目を覚ました瞬間に中止が決まった。おかげでのんびり。夕方のエクササイズも勿論なし。ゆっくりテレビを観た。今日のハイライトは何と言っても大相撲九州場所千秋楽。全勝の大関日馬富士と一敗の白鵬。日馬富士が勝てば二場所連続全勝優勝、無条件の横綱昇進。なかなか迫力のある相撲で、力が入った。全力を出し切った良い相撲で日馬富士が勝ち、後で問題にならない昇進が決まった。二場所連続全勝優勝の昇進は双葉山、貴乃花に次いで何と史上三人目の快挙。おめでとうと言うしかない。でも寂しいのは長い間日本人横綱が生まれないこと。解説者もアナウンサーもこれでもかと稀勢の里を応援しているが、歯がゆいばかりの負け方。何だか、最近の日本人(の男)の勝負弱さを見せつけられているようで残念。これまた、ナショナリズムか。本当にこの夏は、「日本国」「日本人」を考えることが多い。今や、グローバルに全てを考えないといけない、と言い聞かせつつ、やはり日本人横綱を期待してしまう。

  日付(12/9/19) 不思議の国、中国  

共産党一党支配と、資本主義というのはやはり根本的に相いれないのだろう、と確信させるここ数日の中国の動き。あれだけ「愛国無罪」とかなり好き放題にやらせておいて、世界の見る眼が厳しくなると見るや、今日は平穏な北京。一党独裁により、何でもコントロール出来るように見えるが、内実は抗日運動と理由づけした反政府運動になりつつあるのかも知れない。どこかで憂さ晴らしをせねばならない程、今の中国には鬱憤が蓄積しているのだろう。青島のパナソニックは松下幸之助の大英断で日本が中国の近代化に協力したシンボリックな工場だったらしいのに、そのことは何ら教育されていないとか。やはり、偏向教育の効果なのだろうか。コンサル先の希望で10月には中国に出張しようかという計画があった。さて、どうなるか。現役の時には何度も上海に行き、中国人の友人もいた私ですら、今回の事件を見ると、「やはり、中国とは上手くいかないのか・・」と思ってしまう。ましてや、一般の日本人は前にもまして中国嫌いになりかねない。そんなことは、判り切った上のことだろうが、やはり理解できない今回の事件。誰が得をするのか・・

  日付(12/9/15)  またまた新しいチャレンジ  

先週、突然、昔々の大先輩から電話があった。研究所の調査業務を手伝ってくれないか、と。大先輩の推薦だからと、碌に中味も判らないまま、「出来ることなら・・」なんて返事をしたら。昨日説明会があった。そうそうたる「学術的」メンバー。内容は、何十年も離れている正に最新科学の調査。興味はあるし、楽しそうだが、さて本当に自分にできるか、本当に受けて良いのか、と久し振りにやや尻込み。何といっても、学術専門誌など目にしなくなってから余りに久しい。何と思い出したのは、技術系新入社員の入社試験の技術面接。大学で、最先端の研究をやっていた若者を面接した時のあの刺激。自分自身が入社面接の時、先輩に「そんな研究やって、何になるの?」と質問された。あの、感覚。でも、ここ数日、予習をすると、流石に技術研究は進んでいる。特に、境界領域と言われる分野は、正に新しい世界が築かtれている。お手伝い的仕事を受けて、またまた、新しい世界の刺激を楽しんでいる。さて、問題は期待される日程で期待される仕事ができるかどうか、だが。またちょっと挑戦してみよう。

  日付(12/9/12)  文化の発展と格差の問題  

ある時代を表現する時、いつも「政治・経済・社会」を念頭におき「文化」を加える。歴史を学んだり、芸術を観たり聴いたり・・これはいかにも人間らしく、楽しい。ただ、ここに大きな矛盾が発生する。歴史的建造物も、美術館や博物館の名のある芸術作品も、心を和ませる音楽も、この種の物を育て、支えたのは富と権力。いわば人間の格差だ。世の中皆が平等を志向し、格差が無くなってくると、歴史的芸術は生まれなくなるのではないか。それを懸念する。欧州を旅しても、日本の古都を巡っても、大きな権力が残した文化が圧倒する。さて、これからはどうなるのか。やはり格差も人間的なもので、あって当たり前なのかも知れない。努力や成果に比例して報い、それで文化芸術を育てる(そして相続はゼロにする!)。これしか無いかもしれない。妙な話になったが、音楽も絵画も楽しみたい。もう一つの要素としての宗教もあるが、これは別途考えたい。宗教芸術も結局は権力が育てた。とも言えるが。

  日付(12/9/9) 再び、原発への立ち向かい方  

反原発デモも定常化してきて、大人のデモになってきているとか。政府の方針ははっきり原発ゼロとは言えない。国策と世論の間にこれ程ギャップがある例も余りない。でも、双方に問いたい。(1)原発をゼロにして、国民は今の生活が守れると思っているかも知れないけれど、代償として、「自然に帰る生き方」が待っていることを、きちんと主張して合意を得ること。(2)原発のトラブルの被害には国境がないことを認識する必要がある。脱原発は決して一国の問題ではないこと。世界の運動にしないと意味はない。中国や韓国で大規模な原発事故が起これば、風向き一つで日本に直接の被害が来る。(3)常に日本の将来像を描く必要がある。将来何で食っていくのか。それが見えない。日本の技術力に頼るのなら、今こそ先頭に立って原発技術をより発展すべきではないのか。核燃サイクルはどの国が主体となって確立するのか。日本がそれに金を使わないでどうするのか。この件は、例え脱原発を前提にしても絶対やらねばならない。現状で、果たして有為な若者達が、原子力や核燃サイクルの分野の研究をしたいと思うだろうか。世論を左右するメディアに願いたい。「今こそ原子力」という考えを広めることを。自分の国は原発ゼロと言いながら、原発技術輸出を志向しているなんて、矛盾ではないのか?これも単に過去の遺産に食わせて貰うと言うことなのか。

  日付(12/9/6) 音楽の力  

夕方のエクササイズの時は、iPod-nanoで「青春の歌」を聴く。現役の頃通販で揃えた100冊100枚のCD。’60年代後半から’80年代前半の約600曲。その殆どをiPodに入れて、加えて最近の曲もi-Tuneで追加して、ステレオイヤホーンで聴きながら歩いたり走ったり。一日1時間余りでも、全てを聴くには一か月近くかかる。何サイクル聴いたやら。でもあきない。そしてたまには部屋でクラシックに聴き入る。これまた至福の時間。大抵はモーツアルトかベートーベン。色々聴いても判らない。本人が気持ち良ければそれで良いと思っているからとても「クラシックファン」なんて言えない。でも、音楽の力は凄い。特に精神衛生上、これ以上の薬は無いのではないかとさえ思う。数年前に入院手術した時も、ずっとiPodを聴いていた。痛みさえ遠のく様な、眠れなくても眠くなるような、そんな効果がある。勿論、いっぱい飲んで、その後の演歌も悪くない。そう言えば、久しく歌っていないな・・・

  日付(12/9/4) 健康を感じる時  

歳を取って行くとともに健康は気になる。何といってもいつかは致命傷がくるわけで避けては通れない。逆に言うと、自分の健康を認識した時、若い時より一層の喜びがある。池の周りを歩きと走りで10周して汗びっしょりで帰って一風呂浴びる(そしてその後冷たいビール!)時、孫を抱き上げて天井に向けて投げ上げる時(おそらく両親はハラハラして見ているのだろうが)、難問クイズがぱっと閃いた時、色んな時に,「あ、未だ健康で生きているんだ!!」という喜びを感じる。中でも、体の健康と言う意味で最も嬉しいのは、「快便」。汚い話と言われるかも知れないが、この歳になるとそんなことは言っていられない。以前ウオッシュレットのことを書いたが、痔の痛みもなく、沢山の便が一気に出ると、これは嬉しい。今日一日の元気を保障された様な気持になる。医学的には良く判らないが、おそらく(消化器系のみならず)どこの健康が犯されても、快便は出ないのではないだろうか。体重のコントロールをバロメーターにする人もいる。毎日血圧を計る人もいる。何でも良いから健康チェックを続ければ良いのだろうが、当方は何より朝のトイレ。最も調子の良い時は、新聞に目を通す暇さえない。これが続けば良いのだけれど。

  日付(12/9/1) 決められる政治はどこへ?  

消費税増税法案の採決を機に、一種の大連立で、懸案法案をどんどん通して、解散総選挙へ、という野田首相のもくろみは、潰えた。特に身を削る法案を少しでも通しておけば、民主党(の野田一派)も何とか復権出来たかも知れないが、結局又もや政争。それを怖がる自民党の裏切りで、今国会も終わりそう。外交も、内政も、経済もこのままで良いわけはないのに、溜息ばかり。それでも、世の中は何事もないかの如く9月になった。ちゃんと円高だけは続いているのだから、世界標準で比較すれば、相変わらず日本は平和で、裕福な国なのだろう。でも、この状態がいつまでも継続はしない。今はただ、これまでの50年の成功分を吐き出しているだけだから。9月は政党の月。何か大きな流れが始まらないと、この暗く淀んだ雰囲気は変わりそうにない。

  日付(12/8/30) 公民館活動  

今夏の大プロジェクト、パソコン教室が終わった。去年までの市のシルバーカレッジに加え、今年は3つの公民館に依頼され、計120名前後の熟年組にパソコンのイロハを話した。特別に教育を受けた訳でもなく、単に「パソコンを知っていた方が世界が広がる」ということを伝えたいだけの動機。色んな初心者にインターネットやワープロ、表計算などの基礎の基礎を導入教育した。こちらも勉強しながらであり、「講師」とは面映ゆい。でも、多くの人が、続きを学びたいとか、やる気になったとか言ってくれると、何かの役に立ったかと言う達成感はある。意外と、第二の人生の一つの柱になるかも知れない。さて、今年の公民館の教室を担当して思った。ここには一つの世界がある。「公民館族」とでも言おうか。色んなイベントが計画され、多くの人達が楽しんでいる。団塊リタイアにより、徐々にメンバーは増えているようだが、どうも「族」があるようだ。色んなプログラムを同一人物が楽しんでいる。決して責めるわけではない。でも、もっと間口を広げて、多くの人達が利用すると良い。こんな世界があるとは認識が無かった。注意深い人は、広報の様なものにしっかり目を通し、興味があればどんどん参加しているとか。第二の人生の楽しみ方はこんな所にもある。

  日付(12/8/27) 喜楽亭のカレー  

コンサルタントとは名ばかりで、それほど何をする訳でもない。ただ、これまでの経験と知識に基づいて何か話すことを期待して聞いてくれる人がいるというのは幸せなことで、今、二社の相談に乗っている。そのうちの一社は三軒茶屋にあり、月に一、二回は顔を出している。。この会社の近くに喜楽亭と言う名のカレー屋さんがあり、これが滅法美味い。最初の頃に昼食を食べに行って、余りに美味くて、その次はこちらからリクエストした。そんな経緯でこのところは、当方が出る打ち合わせは必ず11時集合で、昼食のカレーが予定してある。こちらもカレーが楽しみで、出席している感さえある。辛さも選択できるのだが、最近は「中辛」というようになった。カレーの辛さは健康には良いそうだが、どうみてもカロリー過多のようにも思える。ただ、美味い、まだ飽きない。不思議な美味さ、辛さである。ライスやナンとカレーシチューが別々に出てきて、陶器のスプーンでかけて食べる。今、最もお気に入りは「きのこカレー」。既に何度か食べた。きのこのまろやかさと、ピリッと辛いカレーが良く合う。テレビ番組でも紹介されたらしく、日によって列ができる。女性客も多い。こんな店や食べ物ができるのは楽しみ。コンサルタントと同じく、「社会との接点」の一つか。いつの間にかお馴染さんの一人になれたかも知れない。

  日付(12/8/25) あえて穿った(うがった)見かたをすれば  

この所の日韓関係には驚く。なぜこれほどに感情的にならねばならぬのか、なぜ今これほど挑発せねばならぬのか、米国は何をしているのか、と。当方は李明博大統領が誕生した時、彼の(親日を含む)経歴に大きく期待した。今回の竹島訪島に至るまで、大きな疑問も抱かなかった。逆に、その間の世界における韓国の存在感の向上たるや、尊敬にも値するものだった。だから、今回の、問題は不思議でならない。そこで、大胆な推測をしてみた。日米韓とも、政権は大きな問題を抱えながら、選挙・交代の時期に入ろうとしている。ここで一気に状況を改善するためあえて領土問題を表面化し、緊張関係をつくりだす。悪者になるのは李明博。少々世界で嫌われても、韓国全体の近代化の犠牲になると考えれば、やりがいもあるだろう。とことん緊張が高まった時点で、米国が仲裁に入り、日米韓の新しい関係が生まれる。竹島の日本の領有権は認め、韓・日・米の共同基地とする。日韓共に懸案の歴史問題にも手を打つ。この最終妥協案で、三国とも政権の支持率をアップする。そんなシナリオが裏にあるとでも思わないと、どう考えても理解できない状況である。余りに親韓だろうか。

  日付(12/8/21) ナショナリズムを考える夏  

オリンピックの夏。日本選手を応援する。テレビ中継も日本人選手の競技ばかり。それ以外で注目されたのは陸上短距離のボルト位か。本来スポーツに国境がないのなら、もっと他の国の選手のプレーも見せるべきだろうが、これはそうもいかない。昨日のメダル獲得者の銀座パレードには50万人が熱狂とか。斜に構えて見ると何だか怖い。もしかしたら、この熱狂ぶりが領土問題が政治に使われる理由にも繋がる。韓国との竹島問題は、当分両国関係を悪化させる。中国との尖閣諸島問題も日に日に拡大していく。韓国の実質支配、日本の実質支配と、条件は異なるが、共通点は多い。中でもこの種の問題は「感覚的に判りやすい」ことがある。小さい頃からずっとその教育を受けてきた人達には、自国の物だと主張するしかないのだろうが、主張すればするほど、上げた拳は下せなくなってくる。国内政治に問題があればあるだけ、国民の不満を外に向ける手法は古典的であり、効果的だ。でも、どの国にももっと冷静にものを考える知性とか理性がある筈なのに、なぜ、と思わずにはいられない。歴史に於ける戦争は大半がこの領有権が引き金になっている。そこに、現実的な「食っていけるかどうか」とか、「生きるか死ぬか」が関わってくると、戦うしか無くなってくるのだろう。まだ今はこれが「戦争」の引き金になると思っている人はいないだろうが、50万人の熱狂がその問題に移れば、どんな世論が生まれるか判らない。明日が見えないだけに、この「ナショナリズムの熱狂」を怖ろしいと思う。

  日付(12/8/18) 選ばれし者の蔭に  

今年のオリンピックはメダル受賞者の数が過去最高に上ったこともあってか、帰国後のフィーバーぶりが凄い。毎日、TV番組に選手たちが現れる。来週には銀座でパレードまであるらしい。お祭りをすれば経済効果もあるのだろう。でも、ここまで騒がれるのをみると、やや気にもなる。出場はしたが、メダルに届かなかった選手、そもそもこの人達を育てた(筈の)夫々のスポーツ分野の一般の選手達。皆が皆、「我々の代表としてよくぞ世界で戦って勝ってくれた。」と思っているだろうか。蔭で黙々と努力して支えてきた人達にも、感謝の言葉を贈って欲しい。卓球女子は僅か3人、バドミントン女子は僅か2人の大活躍、その蔭に・・と思ってしまう。折しも、夏の甲子園も始まった。スタンドで必死で応援する控えの選手達はどんな気持ちで・・と思う。作新学院の野球部の学生が非行をはたらいてニュースになっている。おそらく今時の話題の「いじめ問題」とスポーツ活動にも多くの関連もあるだろう。要は選ばれし者が、どこまで周りに気を遣えるかという問題なのではないだろうか。

  日付(12/8/15) 現日本の大問題?  

お盆の真っただ中だったけれど、ヘルスチェックで東京に行った。電車の乗客もいつもとは違う。偶然三世代の女性が乗ってきた。小学生、母親、そして(多分)その母親(おばあちゃん)。二人隣りに座っていた若者がすっと立って、席を譲ろうとした(最近の若者も捨てたものではないなと、喜んだ。)。お母さんは、「良いですよ。そんな。」と言ったけれど、ここぞとばかりに飛んできて座ったのは、小学生らしき子ども。その時、お母さんも、おばあちゃんも何も言わず、ニコニコ。こちらは、(勿論、席を譲った若者も)唖然。これが普通とは言わないけれど、これに似た状況は最近非常に多い。おそらく、このおばあちゃんも、娘をこのように甘やかして育てたのだろう。まるで、子供が最も重要が如く。だから、このお母さんも、まず娘が席に座ることを不思議と思わない。ましてや、おばあちゃんも(自分は元気だと思っているから、尚のこと)不思議に思わない。日本は子供の育て方を根本的に間違っているのではないか。学校も厳しいことはできないし言えない。ただただ、事なかれ主義になっている。親は親で、自分の責任はさておき、厳しい所は全て公に頼って、家庭ではひたすら、やさしいお父さん・お母さんになろうとする。「友達親子」が将来の夢とか。本当に、それで良いのだろうか、親はもっと子供の人格形成に責任を持つべきではないだろうか。自分自身を振り返って、不十分であることを認識しつつ、「でも何か違うんだよな・・」って。やっぱり子供は、老人に席を譲るべきなのでは??

  日付(12/8/13) 領土問題  

北方領土に、尖閣諸島、そして竹島。李大統領の竹島訪問という事態を受けて、又もや領土問題がかまびすしい。民主党の外交政策の曖昧さに中韓露がつけこんでいるという批判も当を得ているかも知れない。確かに領土問題は歴史認識の問題でもあり、微妙な点も多い。折角政治的に曖昧にして来ているのに、何故ここで表面化させなければならぬのか疑問に思うことも多い。選挙対策でナショナリズムを煽るにはもってこいのテーマではある。ユーチューブを見ると、双方の主張が沢山載っている。竹島については、どう見ても日本に理はある。でも、これは政治の世界の問題。日本と違い(と言ってはいけないか)韓国・中国の怖いのは、子供の頃からの教育。小さな頃から抗日感覚を教え込んでいると聞く。それでも、ようやく、韓国人差別も目立たなくなり女性達は韓流に熱狂し、文化交流は盛んになっているというのに。韓国側の反日感情を小さくするのは容易ではない。日本も、奢ってはならない。大戦の敗戦国であることを忘れてはならない。経済大国になって、主張が強くなりすぎていないか。今一度、敗戦時の気持ちに帰って、平和的妥協を探るべきだろう。でなければ、憲法を変え、軍備を整え、米国の傘の下に安住する政策を改めるしかない。これから、それを問われる時代になるのかも知れないけれど。

  日付(12/8/11) 女性の時代?  

この度のオリンピックを見ていても、日本チームで目立つのは女性ばかり。勿論、体操の内村もいれば、フェンシングの活躍などもあるのだけれど、どうも興奮させているのは女性達。最初の金メダル、なでしこサッカー、卓球、そしてレスリング、今夜はバレーボールも銅。女性の活躍ばかり。いつも書いているように、熟年(団塊の世代)が引っ張っている社会だが、もう一つ女性が引っ張っている社会と言う気もする。主婦達の自由時間が増え、ウイークデーの昼間はスポーツからカルチャーまで、熟年で無ければ女性達。この夏のパソコン教室の生徒さんにも女性が多い。やる気もたっぷり。全てにおいて、男達は蔭に隠れてしまっているのではないか。考えてみると若い夫婦の家庭も、どうも奥様の実家が近い様に思える。そもそも、嫁に出す母親達が、いつまでも娘は自分のものだと・・・これは娘を持たなかった父親もひがみか。でもここまできたら、政治家も官僚も、全ての世界でもっと活躍して欲しい。昼間のテニスコートとカルチャーセンターだけでは、何だか不公平の様な気がしてくる。

  日付(12/8/8) ニュースの中のギャップ  

ここ数日、ニュースを見ると、まずはオリンピックの結果。金は全く増えないが、銀や銅は、連日増えていく。それだけ、広い領域で努力が続けられているということだろう。と、すぐに政局のニュース。湧き立つメダル受賞のニュースとは裏腹に、一日一日日本の政局は先の見えない方向に向かっている。もしかしたら、「命をかけた」増税法案ですら、廃案になりかねず、その後には政治の大混乱が待つ。今、オリンピックが開催中でなければ、おそらく連日どのチャンネルでもどの新聞でも永田町や霞が関の暗躍レポートで溢れかえっていることだろう。でもこうして末期的政治状況と、メダル受賞のニュースが続くと、不思議な感覚に襲われる。今、自分達はどんな時代に生きているのだろうか、と。日本選手を応援している姿と、政治を白けた顔で眺めている姿と、同じ国民だということが不思議を呼ぶ。やはり、将来のことを考えねば、これからの世界を考えねば。そういう圧力を感じる。あまりの体たらくの政治を見て、我々はオリンピックに逃げているのかも知れない。見たくないものから眼をそらすように。若者達が、深夜にサッカーの応援に熱狂する。この熱意の何分の一かを、自分達の社会の望ましい姿に向ければ・・と思う。この人達にアンケートをとれば、おそらく「増税は厭だな」、「選挙は興味ないな」、「強くて尊敬される日本でいたいけど・・」と言った言葉が出てくるのだろう。こんな時にこそ、「国民に本音で語りかける政治家」が求められる。その効果は大きいと思うのだけれど。

  日付(12/8/4) 疑い出すと  

連日猛暑。外にいても、本能的に日蔭を探す。オリンピック中継で寝不足も続く。そんな中、何となく不思議なのは去年の夏との違い。電力危機とのことで、工場が土日稼働に振り替え、地域によっては計画停電を行い、節電節電の大合唱。TVニュースでは必ず、「本日の電力使用予測」が発表され・・・そんな夏だった。電力供給事情は今年も大きくは変わっていないと思うけれど、特に東電エリアでは今年はまるで危機感がない。市民の中に節電感覚が浸透したとか、企業は国や電力会社を待っていられないので、どんどん対策を打ってきたとか、火力発電の再稼働を増やしているとか、いろいろ考えられるけれど、どうも解せない。やはり、裏に何かあるのでは?と疑ってしまう。おそらく、それが一般市民の政治に対する信頼を落としている平均的感覚ではないか。当方のように、原発を一つの新技術として日本の将来の為に進めるべきだと思っている人間からすると、もしかしたら、原発などなくてもエネルギーは大丈夫なのかも知れない、という疑問さえ感じてしまう。原発再稼働や電力料金値上げにしろ、エネルギーの将来に対する意見聴取にしろ、政治がやっていることを誰も信用しなくなったら、国は持たない。「決められる政治」に方向転換した野田首相が一気に風を変えるとすれば、「疑われない政治」を目指して、きちんと説明することだろう。民主党政権が出来た時、鳩山首相は地球温暖化阻止を掲げ、原発比率アップを謳った。大風呂敷だったが、それはそれで筋が通っていたと思う。今は、先が見えない。全て、大震災のせいと言って良いのだろうか。

  日付(12/8/1) 勝つことより大切なものが  

今日の最も寂しいニュース。オリンピック女子サッカーのなでしこの南アフリカとの試合。佐々木監督は、試合後堂々と、引き分け狙いの指示を戦略として取ったことを明言した。選手を疲れさせないため、決勝トーナメントでより強いチームと当たるのを避けるため、何れも良く判る理由だ。監督として心に留める要素であり、「金メダルを取るための戦略」としてはそれで良いのかも知れない。でも、私達はスポーツに何を期待しているのだろうか。ただ、勝ってメダルを取ることだろうか。確かにそれを見るのは嬉しいし、誇らしい。でも、マラソンで最後にゴールインするランナーに贈る熱い拍手。努力しても努力しても正選手になれない人達のドラマに感動する心。せめてこの世界は、フェアであって欲しい。子供達にはその姿・価値を見せたい。南アフリカは世界一の日本と引き分けてそれを誇っているらしい。それも踏みにじる。会場で応援していた人達も不満だろう。選手たちも満足なのだろうか。もし、これまでのなでしこ伝説が本当なら、こんな試合はしたくなかった筈だ。それより決勝トーナメント緒戦に絶対勝たねばならないというプレッシャーは相当なものだろう。ここで破れたら勿論、例え金メダルまで行けたとしても、なお、このストーリーは大きな汚点となろう。スポーツには勝つより大切なものがある。佐々木監督のキャラクターのファンだったのに。甘いな、という声は聞こえるだろうけれど、それでも残念。

  日付(12/7/30) 今年もパソコン教室  

学校が休みの夏休みを利用するパソコン教室の講師の手伝いも3年目になった。一昨年、シルバーカレッジの本当のお手伝いからスタートして、昨年は講師。今年は、シルバーカレッジのみならず、3つの公民館主催のパソコン教室を担当することになった。ほとんどは熟年の人達、加えて時間の余裕ができてきた(と思われる)女性も多い。パソコンに触ったこともないレベルの人から、かなり高度な知識を求めている人まで、色んな参加者。当方がこのお手伝いを始めたきっかけは、やはり退職者の時間の過ごし方対策としてのパソコンの価値を思い知ったから。生活が大きく変わって「時間はあるが、さて何をしようか」という人に、「パソコンに触ってみたら」と言いたかっただけ。どこの公民館でも、パソコン教室の参加希望は実に多いらしい。今日、一つの公民館の教室がスタートした。2クラス計4時間。多くの50歳代から70歳代までの人達が参加。これがまた、目が輝いている。真剣に取り組もうとしている。これが嬉しい、やりがいに繋がる。人生経験や、年齢が武器にならない世界。でもこうして多くの熟年が遅れを取るまいと取り組んでいる。そう、この活動で最も価値があるのは、この熟年の輝く眼か。

  日付(12/7/29) ロンドンオリンピック開催  

ヨーロッパとの時差に悩まされそうな夏がスタートした。ロンドンオリンピックの開会式。グローバリゼーションが叫ばれ、国境がどんどん無くなっていくように思えても、オリンピックの入場行進にはナショナリズムを感じる。どこの国の人達も、正直に愛国心を露わにする。愛国心などという言葉にいつもは批判的な人達もメディアも「日本選手団、日本のメダル、日本に勇気を・・・」と盛り上がる。歴史を動かしてきた戦争も時には「愛国心」で動かされてきた。大きな危険をはらむ心かも知れないけれど、こうしてスポーツという形で表れるのなら、素晴らしい。スポーツを通じて世界を一つに、というのは理想ではあってもその気にさせる。一つ一つの競技や、勝敗や、メダル獲得数より先に、「世界が一つに」という考えが可能かどうかのテストでもある。その試みが愛国心によって盛り上がるというのは、矛盾のようにも思えるが、それは人間の本性をつかんでいるということなのだろう。さて、睡眠不足に気をつけなければ・・

  日付(12/7/26) 孫達と  

熟年、老年になると、孫の話題が多い。直接的責任が無いこともあって、「無条件の愛」のようなものがある。昔はもっと祖父母も厳しく教育したのかも知れないけれど、今は核家族の世、たまに会って無事と成長を確認している。今日は3人の孫とその母(義娘)達とアウトレットパークへ。決して孫達は楽しい訳ではないだろうが、女性陣の楽しみ。「ジイジ」の出番もない。でも歩いていても、乳母車を押していても、この未来を生きる命を見ているだけで嬉しい。長男は未だ結婚もしていないが、やはりそれを期待する。子供の無い人、孫がない人、色んな人生のパターンはあるので、どんな生き方がベストとは言えないだけに、こんな喜びを与えられて、幸せと思う。子供達を育てた昔の懐かしい時代を思い出すのもその効果だろう。

  日付(12/7/22) 商機  

滋賀に住む息子が東北に単身赴任していて、家族と我が家で合流すると言い、「チャイルドシートの準備頼むよ」と言ってきた。さて困った。まさか僅か1,2週間のために、チャイルドシートなど買う気にはなれない。まずは、トヨタのディーラーに尋ねると「一個だけならありますが・・」、実は孫は二人。「レンタカーにでも聞いてみては?」とのアドバイス。成程と思い電話。「勿論ありますよ、何歳のお子さんですか?」と調子が良い。しばらく話してから、「車種は?」と聞いてきた。「いえ、チャイルドシートだけなんですが・・」と言ったとたん、「すみません、その商売はやっていません」と断られてしまった。何軒か当たったが、どこも「チャイルドシートだけは・・」と取り合ってくれない。そこで、困った時のインターネット。やはり、あるある。ちゃんと商売にしている。最も条件の良いものを選んでオーダーした。場所は何と山形県新庄市。成程、ネットと倉庫があれば、あとは宅急便という便利なものがある故、どこにいても商売ができる。ITが色んな所でビジネスを変えたり、新しいビジネスを創り出したりしている。団塊・孫・チャイルドシート・レンタル、と、連想ゲームをすれば、頷ける。世の中の変化を捕え、何が求められるかを考えれば、新しい商機が生まれる。ナルホド、と感心した。でも小児用のチャイルドシートの装着は、まるで組み立てパズル。しっかり遊ばせて貰った。「持ち運び可能、一発装着チャイルドシート」なんて新製品も出てくるかも知れない。

  日付(12/7/19) エネルギー政策意見聴取会  

政府の意見聴取会に東北電力や中部電力の社員が意見を述べた、と批判にさらされている。不思議な国、不思議な「世論」。色んな意見が聞きたくて開催された筈で、決して脱原発意見集約会では無い筈なのに。原発支持派の意見を聞こうとすれば電力会社の社員は持ってこいで、浅薄な感情論より遥かに有効、かつちゃんとしたルールに則って選ばれたと言うではないか。今、原発支持を訴えれば、まるで非国民だ。他の発表者はどんな人で、どんな組織に属しているか、電力会社だけをやり玉に上げることはないだろう。脱原発を支持する政党や組織に属している人はいないのか。どうもひっかかる。金曜の夕方の脱原発デモは拡大の一歩とのこと。庶民が意思表示をするのは勿論良いことなのだが、これも全体を見渡す議論に欠ける。「終着点」に対する覚悟と対策が見えない。これまでの日本がどうやって現在の地位を築いたのか、現状をキープするだけでも大変なのに、日本から産業が消えていく、働く場所はどんどん減っていく。果たして自給自足が成り立つのか。文化面を盛りたてて、海外の観光客を呼んでその収入で輸入をするというのが、サポート策だが、それではおそらく成り立たない。10年後には、失業した人達のより大きな不満がうねりになりそうに思える。福島の対策を含め、この経験を日本の武器にしなければならない。今や、日立や東芝は原発技術最先端だ。これをもっともっと進歩させて、世界のエネルギー事情を改善させるのが「資源を持たない大国・日本」の生きる術だと思う。欧米アジア、今後も原発は増えて行く。大きな原発事故が起これば、地球レベルの問題であって、一国の問題ではない。核爆弾だって、ゼロにはできない。でも、一回使われれば大国でも消滅し、最終的には地球が滅びる。そんな現状を認識した上で、「それでも必要か」を人類で議論して方針を決めるべきだ。「田舎に住んで自給自足を計るよ」と言える人は今や最高の裕福な人なのかも知れない。

  日付(12/7/17) イタリア旅行記(3)ローマとポンペイ  

フィレンツェから、またバスでローマに移動。まずは、バチカン市国へ。国民の数よりベッドの数が多いのは当然。何も無い日でも世界中からカソリック信者と観光客が集まっている。まずはバチカン宮殿(博物館)。イタリア全土、どこに行ってもそうだが、大きな美術品が並び、宮殿そのものも美術品。バチカンの美術品を観覧するだけでゆうに1週間はかかると言われている。人波をかき分けて通り過ぎる、感じ。システィーナ礼拝堂では、ミケランジェロの「最後の審判」を含む大壁画群を見る。その後はサン・ピエトロ大聖堂。世界のカソリックの中心。規模も大きいし、宗教の圧力も感じる。正に荘厳。サン・ピエトロ広場に出た時には(暑さもあって)茫然。翌日はナポリ・ポンペイ観光。長い一日。ナポリはバスの車内からのみだったが、ジプシー集落に衝撃を受ける。ポンペイも流石。約1900年前(日本では弥生時代)にベスビオ火山の大爆発によって一瞬にして死の街と化した大古代都市ポンペイ。これも教科書で何度も習ったが、一見には敵わない。今なお発掘が続いているし、発掘された部分だけでも見て回るには何日もかかる。日本は弥生式の時代だというのに、ここには神殿、円形大劇場、水道、居酒屋、浴場・・驚くばかりの文化の跡が見られる。イタリア半島の歴史の深さを思い知る。翌日は最終日。出発までの間に、大急ぎのローマ観光。それまでの数日で、あっけに取られたが、最後のローマ市内も、全く自然に古代ローマの遺跡と溶け合っている。円形闘技場コロッセオは紀元70年代のもの。どうしてこんなものが出来たのか。不思議である。東大寺の建築に圧倒されるが、エジプトのピラミッドや古代ローマの建造物など、信じられない思いである。コンスタンティヌス帝の凱旋門(これも紀元300年代)とのツーショットは、別世界である。最後は、「ローマの休日」のトレビに泉で旅は終わった。ローマももっと予習をして行って、もっとゆっくりしたら、ここだけでも十分一つの旅行として魅力的である。実に、内容の濃いイタリア旅行だった。

  日付(12/7/16) いじめ問題  

大津の中学生の自殺をきっかけにした、いじめ問題が大きな問題になっている。この件特有の異常な状況が沢山あるのだろうが、又もやメディアの扱い方に反感を覚える。各局、各番組共、誰か悪者を誇張する。簡単なのは学校であり、教育委員会であり、果ては政治である。番組のコメンテーターは「いじめられた経験を持つ」有名人。でもそれぞれの番組が、だから「どうすればこの種の問題がなくなるか」を提言しているようには思えない。被害者の親は善であり、教育機関は悪である。加害者やその親はじっと陰にいる。でも、何か腑に落ちない。自分史でも触れたが、私の経験は小学校5年生だった。教室から一斉に男の子が外に出て私一人が残された。「おーんなのなーかにおとこがひーとり、やれはずかしや」というからかいがあった。授業中に発言したり、挙手したりする度にそんな「からかいのいじめ」があった。私の成績は極度に下がり、通知表には「判っていても発言しようとしない」とコメントされた。次第にエスカレートしていき、最後は果物の盗みをさせられ、暴力事件となり、目の下に青あざを作って、遂に大人の世界の問題になった。実に子供の時代、誰がどうすれば良かったか。今でも正解は判らない。母は泣いて諭した、「なぜわが子がこんなになったのか」と。でも子供の世界の内部までは判らなかったのだろう。結局、本人しかない。いじめる方もいじめられる方も、誰かに話す、助けを求める。おそらくそれしかない。今は、話す誰かがいない、のだろう。個々の人生の大きな曲がり角が、誰にでもある。それを見つけられる社会でありたい。「ガキ大将」を称賛する会話が多い。子供にもそうあって欲しいと言う親も多い。でも、その陰にいじめられっ子がいることも忘れてはならない。今の私にとっては、甘酸っぱい幼き頃の思い出だが、この種のニュースにあうと考え込んでしまう。最後に救ってくれたのは6年生の担任だった。

  日付(12/7/14) イタリア旅行記(2)フィレンツェとピサ  

ベネチアからバスでフィレンツェに移動。ルネッサンスの都フィレンツェも街そのものが文化財。まず、ミケランジェロの丘に立つと、ドゥオーモを中心に、ベンガラ色の屋根の街が広がる。ドゥオーモはフィレンツェ共和国の中心。中では、フレスコの「最後の審判」(晩餐ではない)を見る。イタリアルネサンス美術はとにかく大きい。ドゥオーモ前の洗礼堂の金色の「天国の扉」も見る。ただ、いつものことだが、この種の美術品は、たまに1,2個見るのが良いが、まとめて次々と見ても、一つ一つの価値が薄れていく。京都や奈良で、お寺や仏像を見ている観光客も同じなのだろうと思う。ヴェッキオ宮はすぐ近く、そしてウッフィツィ美術館へ。ここは正にルネッサンス美術館。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ラファエロとビッグネームの名作が並ぶ。これこそ、東京の美術館での特別展ででも見た方が価値がありそう。ボッティチェッリの「春」や「ヴィーナスの誕生」などは、写真で見慣れているが故に、本物は「こんなに大きいんだ」と言った印象。フィレンツェはやはりメディチ家。歴史に於けるその存在の大きさを認識する。翌日はピサへ。この塔が傾いたおかげで、この街は年中世界中からの観光客で溢れる。でも洗礼堂やドゥオーモを含むドゥオーモ広場としての緑々としたバランスが好印象だった。どこもかしこも大理石建造物ばかり。だからこそいつまでも美しく、だからこそ(重すぎて)傾きもする。

  日付(12/7/13) この夏はSTETECO (すててこ)  

ステテコはおじさんファッションの代表だと思っていた。数枚の綿クレープのものをもっていて、夏の汗対策に時々着用していたが、今年は流れが変わった様だ。ユニクロが大々的に売り出したこともあって、大変なブームとか。丁度、旅行前だったので、従来のステテコを買っておかなくては、と思っていた所に、「えっ、ユニクロのステテコ?」という訳で買い込んだ。なるほど、判る。まず、履き心地が良い。シルキードライ、とやらで、ポリエステル・ウレタンで、肌触りが柔らかい。加えて、色や模様が豊富。「室内着としてもどうぞ」というのも頷ける。夏ズボンの汗対策としてはうってつけ。流石、とうなった。何と、若者の間でも売れているし、女性用ズボン下も人気らしい。「ステテコ」はおじさんのシンボルだったかも知れないが、「STETECO」は今や、若者ファッション。このマーケッティングには脱帽。やはり、良いものは良いのだ。

  日付(12/7/10) イタリア旅行記(1)ベネチア  

この度の旅行はイタリアのオーバービュー。この国の面白さは、個々の地域がずっと独立国家であって、19世紀になるまでは統一されることはなかった。なかでも、ベネチア共和国は、埋立地の海洋国家であり、ユニークな歴史を築いてきた。今でも車は走れず、交通機関は徒歩と船。今は完全に観光が主要な産業である。中心にはサン・マルコ寺院と鐘楼。特殊な共和制の歴史があるトスカーレ宮殿が囲むサン・マルコ広場が中心。ただ、この広場も沈みゆくベネチアの象徴で時折水浸しになる。果たしてこの後何年間存在しうるか。観光地としては美しいし、魅力的。迷路の様な街路を歩き、カンツオーネを聞きながらのゴンドラで町を巡る。今回は時間がゆっくりだったので、初めてブラーノ島に渡った。漁業盛んな頃、帰ってくる漁師に判りやすいようにと、町をカラフルにした。静かな、素敵な町。レース網みが古く、博物館ではおばあさんたちが実技をしていた。兎に角全てが絵になる町、ベネチア。ただ、今では、歴史と観光のみなので、町に住む人はどんどん減少している様だ。こういう都市がどうなっていくのか、いきなりスタートから、、難しいテーマ。

  日付(12/7/9) キャリア頑張る  

自由な時間がある故か、2日続けてウインブルドンの決勝戦に釘付け。一昨日の夜は女子シングル、セリーナウイリアムズ、昨夜から今朝にかけての男子シングルスはロジャーフェデラー。終わったら午前3時が近かった。セリーナは5度目、フェデラーは7度目。大舞台でのキャリア組は強い。一年一年、徐々に世代交代は起こるのだろうが、キャリア組はそう容易には主役を渡さない。普通、スポーツを観戦していると、新顔とか、弱い方とか応援するものだが、このテニスは何故かキャリア組。「もう最後だろうから」とか、「年齢が高くなっても頑張れる所を見せて欲しい」とか、複雑な理由がありそうだが、30歳代を応援する。男女とも、強烈なサーブが持ち味。一発で決まる魅力も持ち合わせている。テニスラケットに触れなくなってもう25年。下手テニスを楽しんだのは20代から35歳。色んな思い出が蘇る。ラブ、フィフティーン、サーティ、フォーティーと数えられるだけでも、良いか。30歳代のキャリアが頑張ったから、60歳代のロートルが頑張れる訳ではないのだが、何故か観ていて元気を貰った。ウインブルドンの魔力。

  日付(12/7/8) 一週間の動きをみて  

10日間もいなければ、このご時世、日本国内も大きな変化があるだろう、と思っていたのに、案の定というか、起こったのは小沢G離党のみ。こんなこと判っていた。「決められる政治」を目指す決断の割に動きは遅い。敵を作ってまで自分を通そうと言うのなら、もっと速く動いた方が良い。これも野田流なのか。悪く言われないためにも「身を削る努力」や「定数削減」に対する対策も、一気に進めるのを期待したが、そうもいかなかった。予算執行さえ未だ見えない。ジワリと気になるのは脱原発の市民運動。どうも、既存政党や既存グループのみならず、一般市民も動き始めたようだ。これは、うまく対応せねば世の動きを止める。その人達に、背景を説明し、日本国としてのエネルギー政策の基本を今こそ説明すべき時だと思うのだが。大人しい若者達がこれからどんな考えを持っていくのか。気になる。この次の一週間がまた新しい流れに繋がる。国民全体が眼を離せない、離してはいけない。

  日付(12/7/6) イタリア旅行  

リタイア後の海外旅行、第三弾として6泊8日のイタリア旅行に行ってきた。一昨年のスイス、スペインの後、昨年は大震災もあって動かず、久し振りの「ツアー旅行」。我々、団塊を狙って、色んなツアーが計画されていて選択は難しい。今回の添乗員さん曰く、訪問地が多く、忙しく、でも安価という欲張りコースが人気が高いらしい。当方は、前の2回から学んで、旅程は短く(とは、言っても結構忙しかったが)、ホテルは3か所(ベネチア、フィレンチェ、ローマ)各連泊。割と自由時間が多いツアー。正解だったか、何と、一人の添乗員で、6人(3カップル)のみ。加えて、我々以外は二組の新婚さん。ま、二組が新婚旅行なので、皆自由なもの。こんな添乗員なら楽だろうな、と思わせた、それでも「ツアー」。移動は50人乗りの大型バス。乗っているのは7−8人のみ。至れり尽くせりであった。オプションでローマから日帰りでの「ナポリ・ポンペイ」を入れたが、まずは十分。現役の頃仕事で何回か訪れたミラノを加えれば、イタリア基本コースはOK。日本で東京・京都・奈良に日帰り広島を加えたという感じだろうか。細かい現状はともかく、歴史大国イタリアを垣間見た感じはあった。第一の感想は、「こんな国がなぜ、今、国家破産が心配になるような国になったのか」。第二は「なぜここに怖ろしいばかりの、高い文化が、発展したのか。日本が弥生時代の頃に。もう都市文化があった」。そして第三は太平洋戦争につながる日独伊三国同盟と夫々の文化。現代に照らしてみたり、共通点を探してみたり、そして日本の将来を予測してみたり。日本が相当努力しないと、「歴史の一時代をリードした過去の大国」の一つになってしまうのではないかという悪い予想。今のイタリアから見えるのは、過去や歴史の素晴らしさと共に、大国の末期。50ー100年後に、日本が「これが20世紀をリードした日本と言う国だったんだ」と、観光客に憐みの眼で見られないように・・そればかり考えていた。一つ一つの事象、写真については思い出すたびに並べて行こうと思う。

  日付(12/6/28) 一人称の死  

”生と死”だの”How to die”だの、歳を取ると死ぬことしか考えてないのか、とお叱りを受けそうだが、歳を取るということが即ち死を身近に感じるようになることだから仕方がない。でも、ゆっくり、じっくり考えておいた方が人間らしい生活ができそうにも思う。今夜も、病院にずっと居られなくなった、身よりの無い末期ガン患者の、自宅での最後を放映していた。介護を担当した人が、「もしかしたらもっと生きられたかもしれない」とか「もっと良い方法があったのでは」と悩んでいる。でもそれはあくまで第三者の眼だろう。本人が「もう少し生きたかった」と思ったかどうか、それは疑問だ。一人称の死というのは今は「自殺」しかない。自殺以外は、全ての死は周りに判断される。でも、その中間はあるべきだと思う。あと一分、あと一時間、あと一日、あと一カ月、あと一年、生きて何をしたいか。そのあたりまでは、まだ自分のことの様には思えないが、あと10年、あと20年・・そしてあと50年、あと100年となると全ての人の問題となる。人の命が有限である限り、死と向き合って生きる方が時間を大切に生きる様に思う。明日から、久し振りの海外旅行、「行ける時に行かなくては・・」これ以上単純な理由はない。

  日付(12/6/26) 決められる政治  

暇なリタイアリだから、今日の午後は国会中継を見た。おそらく、平成史の一つのターニングポイントになるであろうから。一度政権を取って何がやれるか見せて欲しかった小沢一郎だけれど、もう良い。何とか次回の選挙で再選されたい一年生議員と、反増税の大衆の意見に頼る選挙作戦はもうコリゴリ。今、政界に期待したいのは、リードできる新政党、それは今の野田総理をかつぐ、自民・公明の新党。民・自・公の合同なくして世界を生き抜く日本は作れない。自民や、公明にも反対論はあったろうが、ひとたび投票となると団結する。それが政党政治だと思う。だから、合意ができやすい新党を作るしか今の日本を救う道はない。でも、野田首相には喝采を送りたい。もしかしたら、大犯罪を犯した首相と将来言われるかも知れないけれど、何とか決められる政治への道を開いた。世界と比べるとおそらく日本の平均的知識レベルは高い。困難な状況を突破する必要性の理解とか、ガマンの必要性が理解できる比率は高いのではないだろうか。民主主義は、衆愚ではないことをしっかり頭において、日本を引っ張る集団が現れることを期待したい。目が離せない日本の政治。おそらく明日は、市場も全く動かないだろう。市場が動くのはおそらく、もっと根本的変化の予兆が見えた時だろう。

  日付(12/6/24) 株主総会  

またまた、この季節になって、一昨日、元いた会社の親会社の株主総会に今年も出席してみた。このご時世だが、過去最高益を記録し、非常に好調な業績。総会も非常に平和的、刺激的な質疑応答も無かった。いよいよ日本企業も優勝劣敗の色が濃くなって来るのだろう。こんな時こそ、改革のチャンス、とは部外者だから言うことか。でも、やや伝統的日本企業と言われ保守的に見えるが、こうして高業績になればおめでたい。これからの経営陣は大変だろう。これから次々と大手企業の総会が実施される。電力は勿論、電気なども相当悪い様だ。最も問題は国民感情、会社員の意気が上がっていない。それはおそらく、日本国がこれからどう生き延びていくかが、見えてこないから。例え好調な会社にいても決して明るくはない。これを突破する術は何処にあるのだろうか。

  日付(12/6/22) パスワード(PW)の話  

文明(?)の発達と共に現れたやっかいな作業がパスワードの管理。とにかく余りに多くて管理が大変。以前はそう多くも無かったし、殆ど問題もなく、生年月日、次が家族の生年月日、ローマ字は普通家族の名前、その組み合わせ、その次はペットの名前、もっともっと凝ってくると出身地だの、好きな山の名前だの・・・会社のパソコン、個人のパソコン、クレジットカードにも全て、銀行カードや図書館カード、友人のブログを見るにもPW。最近のややこしさは、定期的に更新を求められ、加えてアルファベット+数字X桁とか。もう絶対覚えられない。そこで仕方がないものだから、パソコンにリストを作る。これも全てオープンともいかず、PWリストを見る為にまたPWを設定する。私のリストには今70以上のPWが入っている。多分漏れている物もあるだろう。こんな心配、20−30年前には殆ど無かったし、あっても生年月日のみで問題なかった。最近のプログラムを使うと普通の人が思いつくPWなんてあっという間にコンピュータがリストアップしてくれるらしい。何とも不思議な世界。現在の最高レベルはワンパイムパスワード(OTP)で、時計の様な小さな機械上に時々刻々と乱数を発生させてネットサイトと同期認証するものの様だが、一つのPWに一個必要となると容易ではない。PW以外の認証方法もこれからどんどん開発されていくだろう。私達世代と比べればおそらく若者達はこの作業には慣れているのだろう。何か良いノウハウがあったら是非教えて欲しいものだ。

  日付(12/6/19) 友情という感覚  

人間の素晴らしい、美しい感情としていつの時代にももてはやされる「友情」。子供時代から、社会人の時代、そして退職してからもいつも周りに良い人がいて、幸福にしてくれる。ただ、どれが友情か良くは判らない。青春時代に興奮した友情というのはもっと純粋で、もろくて壊れそうで、でも輝いていたのかも知れない。久し振りに大学時代の友人が「東京で、一杯やろう」と言ってくれた。長い間、多い時は年1,2回位は会っていて、互いに何が起こっているか、判っている。ただ、会えば美味い食事と酒を楽しみ、近況を語り、後は音楽を聞いたり、歌ったり。当方がリタイアしてからは、早く切り上げるのが勿体なくて、安価なビジネスホテルを予約して、結局トコトン飲む。昨夜も、ホテルに着いたら「午前様」。バタンキュー。でも今朝眼を覚ますと、散発的に食事や酒や会話を思い出す。利害も何もなく、ただ楽しかったな、と。やはりこれが友情というものだろうか。40年も続くと「友情などと軽く言って欲しくない」気持ちさえ湧いてくる。何と表現すれば良いのか。「こんな時間を有難う」とでも言おうか。合っている間中、時計の針がものすごいスピードで逆回転したり、また進んだり、人生の貴重な瞬間の集まり。有難うと言うだけで良いのだろう。

  日付(12/6/16) 生と死  

文芸春秋7月号の特集に「尊厳ある死」。この話題が特集に組まれるほど関心を持つ読者層が増えているということか。内容は期待した程では無かったけれど、団塊の世代はいよいよ常時「死」を意識すべき歳になったのだ、と思う。企業人としてガムシャラに働き、家族を養い、気が付いたらもう「退職者」。次に考えるは「How to die」。この記事の中で気に入ったのは「自然な死」という概念。人間には自然に死に至る機能が備わっていて、下手にそれに逆らうと余計な苦しみと闘うことになる。それは、成程と思わせる。さて、昨日の6歳男児の臓器提供。提供した方も、提供された方も満足感があって、Win-Winの様に思えるが、これも誰の、どこの視点に立つか、による。この機会に当たらなかった患者にはまた当分機会はない。また、義援金を募って、海外へ。この種の話題は、どうも「命」というものを、人間の力で制御しようとしているように思えて・・「自然死」と矛盾するように思えて。でも、今のこの努力によって、50年か100年後には、移植治療が誰でも受けられような時代になるのだろうか。その準備期間だと思えば、少々の試行や偶然や運も仕方ないかな、と思うが。「生きる」、「生かされる」、「生きられない」、「生かされない」、色んな「生」がある。全く同様に「死」がある。

  日付(12/6/14) 歴史のど真ん中にいる  

我々は毎日、歴史のど真ん中にいる。なぜなら、今日と同じ明日はないのだから。判ってはいるけれど、今はかなり凄い。何れも政治の世界だけれど、日本史ではいよいよ今日・明日の流れが、少なくとも民主党政権を大きく変える。野田内閣による強行突破ができるかどうか、自民党の日本の政治に対する主体性が出せるかどうか。どんな形にしろ、明日と来週以降は大きく日本の政治史に影響を残すだろう。時を同じくして欧州危機、ギリシャ選挙とスペイン経済の動向が、これはおそらく世界史を変える。ユーロ圏が保てるかどうか、大きな境目。これも一二週間で流れが決まるだろう。「市場」がじっと政治を見ている。いかにも政治の動向で市場(経済)が動くのだ、と言った風に。でも実際は市場に政治が振り回されている。金融市場がまるで政治。どこかおかしいのだろう。でも、何れも他人事ではない。他人事のような欧州経済がすぐに日本の社会生活に影響する。さて、どうなるのか、この一カ月。

  日付(12/6/10) 今こそ原発の方針を  

大飯の原発再稼働を巡って、いよいよ原発問題がかまびすしい。どれもこれも今日の話。野田首相だってすぐに再稼働はしたくなくても、止め続けた時のこの国の状態を心配してのことだろう。日本の将来には原発は必須と考える私としては、とやかく言うのならこの夏全部止めてどうなるかみたら?と言いたくなる。それで日本国がOKなら、その方向を選ぶ手もあると思うから。でも、今の日本の日常を見る限り、多分無理でしょう。混乱は何倍も大きい。国民が総意として貧困に耐えるというのなら良いけれど、今の様に東北のがれきを引き受けることすら逡巡する国民性なのに、電気が止まる、電気代が何倍にも跳ね上がると聞いて黙っているだろうか。日本の原発技術はおそらく世界最先端、だって国を挙げて推進してきたのだから。これを手放してどうするつもりか。又もや世界中から石油や天然ガスを買い続けるのか、そのお金はどこから稼ぐのか。地球温暖化対策はどこへ行ったのか。そう考えた時、フクシマは天が日本に与えた大きな試練であると共に武器とも言える。今後、原発の安全性について日本の言うことには世界中が耳を澄ますはずだから。これから日本が何で食っていくのか、それを考えれば、原発技術は絶対キープするべきだ。それに反対する人は、将来の日本や日本人のあるべき姿を同時に議論すべきだ。「国民全体が、自然派に帰って山や海を相手に自給自足を目指せばよい。」とまで主張するリーダーが出てくれば、私も投票するかも知れない。そうでないのなら、「あるべき姿」をもっと表に出すべきだ。耳触りの良いことばかり連ねて、票を集めても、「政権を取って何をするか」を言っておかないと結局民主党の二の舞になる。もう一つ、「原発問題に国境はない」。反原発・脱原発は自国だけで主張しても余り意味もないし、他から見ればエゴにさえ捕えられる。危険も犠牲も100も承知で、でも私は今でも「大至急新しい技術で新しい原発の増設」を主張したい。一時稼働とか40年の寿命を延長などという議論には全く反対である。

  日付(12/6/7) 居眠り運転とボケ防止  

最近、運転中に前の車やすれ違う車のナンバーが気になる。というのは、あるテレビ番組で渋滞中に車の中で何をして遊ぶか、という話をしていて、その中にこの「4則で10にする遊び」をやると言うのを聞いた。まず我が家の車は2525と9972、2+5−2+5=10、9/9+7+2=10(又は9+9/(7+2)、9+(9−7)/2も)。このように4桁の数字をみる度にどうすれば10になるかを考える。これはなかなか遊べる。簡単な7003(7+0+0+3)や1391((−1+3+9−1)から始まって、骨のあるケースもある。例えば5621(5*6/(2+1))とか3777((3+7)*7/7)、5802((5+8*0)*2、位になってくるとなかなか骨が折れる。居眠り運転の代わりに、考え過ぎて運転がおろそかになるかも。勿論、1001とか3020などどうしようもないのもあるけれど、意外に何とかなるのが多い。読者の皆さん、貴方のナンバーは?4則で10になりますか?これは、ボケ防止には絶対良いな、なんて思いながら運転しています。閑話休題。居眠り運転もボケも怖いですね。年齢と共に気になる話題。

  日付(12/6/5) 100円ショップ  

いくらデフレの時代とは言え、あの利幅の薄い100円ショップが好調とか。そう言われてみれば、この一年時々行っている。確かに、他の店で売っている物を安く買うだけではない。とにかく顧客サイドがアイデアの具現化にこのショップを使っている。日曜大工、包装材、プラ容器、庭いじり、文具類。丁度暇なリタイアリが時間つぶしを考える時のアイデアの材料の宝庫。確かに、団塊らしき人が、昼間にうろうろしている。地震の後は、防災グッズを買い、観音開き扉の対策。この間カメラ旅行をした後はA4の額縁。なんと、100−200円でA4写真をちょっと飾る額縁が買える。一杯買ってきて、部屋の壁を写真で埋めている。これまた楽しい。各種のプラ容器を買ってきて、部屋の整理を進める。なかなか良い。100円ショップで色んな応用を考えながら時間を過ごすと、楽しい。100円ショップの盛衰とリタイア団塊の増加に相関関係がありそうに思う。

  日付(12/6/4) 内閣改造へ  

民主党政権になっても一度小沢一郎の内閣をみたかった。素人集団と見えてしまう中で、ずっと光ってきた。おそらく、官僚やプロ政治家達が最も恐れたのは小沢民主党だったのだろう。メディアも揃って攻撃し続けた。でも、ここまでくると「もう降りたら?」と言いたくなる。あえて党内不一致を演出し、個人の力を主張する。世界からみれば、ヘンな国、ヘンな政治にしか見えないだろう。立法府が全く機能していない。これだけ政党政治の問題点を露呈しているのだから、大連立でも、大合同でもやって、合意できる法律はどんどん通して行くしかない。そして、解散。今日の内閣改造はその第一歩か。他方、企業業績はやや上向きと言いながら、株価は下がる一方。ドルやユーロは円が上がる一方。日本より、世界は一層混迷度が高いと言うことなのだろう。相変わらずの「平和の国・日本」なのだろうか。全くそうは思えないのだけれど。

  日付(12/5/31) メディアの責任は大きい  

政治家はこぞって「国民の皆様の総意」を言う。「民意」という言葉が安易に使われる。一体そんなものが一本化するだろうか。そう聞かれると「そりゃ無理よ」というのは多分総意。怖いのは現代のメディアの影響。新聞やテレビの影響は限りなく大きい。こうして退職して、家にいるとついつい新聞をじっくり読み、テレビのニュースも解説までしっかり聞く。そうして、「だから自分はこう考える」という所に到達するわけで、メディアの意見の中から自分が同意できるものを探している訳だ。そうすると、メディアが何をニュースとして取り上げるか、という点の影響は大きい。これはメディアによって大きく異なる。不快なのは、一つが取り上げるとこぞって飛びつくと言う傾向。1000億円の不正から10万円の不正まで「不正」と言う言葉と、興味を引く主人公がいれば、恰好のニュースとなる。そしてバッシングへと広がる。最近の(成功した)芸能人の家族の生活保護の問題など、なぜこんなニュースに皆飛びつくのかと不快感を感じる。生活保護の問題など本来は受領している人達も「出来れば受けたくないもの」と思っているべき問題。最底辺の人達の最低限の「生きる権利」を守るためのもの。それが最近は年金より多いのはおかしいだの、家族の扶養義務から外れてだの・・そんな話題になる。ちょっと成功した芸能人が親の扶養義務を怠っていたと攻撃されるけれど、本当に今親を扶養している子供がどれだけいるか、亡くなった親を隠してまでその年金を当てにする子供がいるというのに。この問題を取り上げるとしてもメディアの取り上げ方によって皆が何を考えるかが異なる。できれば子供の世話になりたくない、という気持ちは誰もが持っているだろうし。

  日付(12/5/29) ウオッシュレット  

恥ずかしい話(でもないと思うが)だが、20歳代からの痔病持ちである。遺伝だとか、田舎出身の証拠だとか、色んな説があるが何れにしろ、長い間悩まされてきた。若い頃は医者に診て貰って、手術寸前までいったが、高価であったのと、失敗の確率も高いとのことで薬でごまかしてきた。そして’80年代に現れたウオッシュレットの世界。このおかげで全く悩まなくなった。こんなに素晴らしい新技術はそうそう出会うものではない。社会の中にもじわじわ浸透し、最近は一般家庭普及率70%以上、公衆トイレでも見かける。東京に出かける時でもどこに行けば綺麗なウオッシュレットでゆっくりできるか、エリア別に頭に入っている。問題は海外。現役の頃も一週間海外出張すると決まって具合が悪くなった。こんな素晴らしい技術をなぜ海外は導入しないのか不思議に思ったものだった。ようやく最近、まず日本人観光客の多いところから、徐々に広まりだしたようだ。実は"Washlet"はTOTOの商標。INAXの”シャワートイレ”、PANASONCの”アラウーノ”など、競争も激化しているようだが、ウオッシュレットには敵わない。我が家はこのように関心と影響が大きいこともあって、アラウーノの全自動。ドアを開けたら蓋が開き、終わって立ち上がったら水が流れる。自慢の最新鋭。トイレやおしりの話は汚いと言われるが果たしてそうか。TOTOの海外展開を見ても、日本人の清潔好きは世界を変えている。

  日付(12/5/27) 今は亡き人達を思って  

映画「わが母の記」を観た。井上靖の自伝に基づく話。色んなテーマが網羅されていて絞り難いし、最後は母が亡くなってしまうので楽しい話でもない、が意外な程さわやかな気持ちになる。昭和から明治・大正を振り返る時代設定。伊豆の名士(医家)の家と、東京の文豪(になっていく主人公)の家。当時の所謂旧家の物語なので、実感は無いが、伊豆の自然は美しい。親子の絆が主題か。母に一時期捨てられたと思って育ってきた男が、老いていく母との交わりの中から、次第にその愛を理解していく。とにかく、この母役の樹木希林の演技に圧倒された。主人公役所光司の敵ではない。こんなにうまく年老いていけるものなのか、と。記憶が薄れて行き、痴呆症が進んで行っても、フリをしているのではないかと周りに思わせる演技力。今のご時世では難しいのかも知れないけれど、自分の家で身内に看取られていける幸せ。羨ましいと思った。おそらく、介護をしていたり親の面倒をみている人達は、自分を主人公にして真剣になっただろう。(幸いにも?)早く両親も、義理の両親も無くした身にとっては、でも、自分を「母」、老人サイドにおいて見る。一人の人生のあり方、それが終わろうとする時の、親族との絆。大きなドラマは要らない。普通の一人の人間が全て生まれて死んでいくことを感慨を持って感じた。全ての世代が観ると良いけれど。

  日付(12/5/25)   視野試験  

一年半前の人間ドックで指摘されて以来眼科にも通っている。幸いなことに巡り巡って千葉の非常に合理的なお医者さんに当たって、まだ具体的投薬治療に入っていない。緑内障の可能性が非常に高いらしい。でもその頃から歩き・走り、エキササイズに努め、且つ血圧安定用の薬も毎日6錠は飲んでいる。今日4カ月ぶりの検診。ポイントは緑内障症状発見に重要な「視野試験」。以前はどこでもできるような検査ではなかったらしいが、最近はかなり可能。今日も久し振りにやった。この検査、やや疑問。テレビゲームに慣れている世代とやったことのない世代ではおそらく大きく結果が異なる。というのは、やり方がまるでパソコンゲーム。視野の中にマークが現れるとボタンを押す。これは正にゲームの世界。多分僕はかなり応答速度が速い方。ピカッと光った時点でボタンを押している。コンマ何秒の世界。でも、こういう操作に慣れていない人の場合、何が起きるだろうか。例え、眼が認識してもそれを応答するのに時間がかかる。その結果、未だ初期の症状の緑内障患者が、本物の患者にされていないだろうか。今や高齢者の4−5人に一人は緑内障予備軍とか。勿論、早い目に検診を受けるのは良いことだが、パソコンゲームの上手い下手が、自分の健康対策に影響するのはややおかしい。確かに今日の眼科は異常に混んでいた。団塊の世代が、皆医者通いを日課にするようになると、ますます窓口は混雑する。

  日付(12/5/21)   金環日食  

昨日までの天気予報では、千葉県は観測最適に近い好条件で、南に下がるほど雲が多いとか。でも、今朝起きて見れば、雨。テレビを見ると、鹿児島、和歌山、名古屋、東京と太平洋側ではほとんど日食が観測されている。全環(金環)予定の7:30になっても、太陽は雲の中、テレビではあちこちで歓声が上がっている。「話が違うな・・」と思っていた所、7:40頃から雲間に太陽が見え始め、大慌てで準備してあった日食メガネを目にあてた。既に金環は終わっていたが、後半の部分日食が見えたり消えたり。もう15分だけ早ければと悔やまれた。でも、この自然現象。何とも神秘的。地球が太陽の周りを回り、その地球の周りを月が回る、なんて、それを考察するだけでも大変な能力なのに、こうして一直線上に並んで太陽上に月が重なるなんて。そしてまた、今やそれを地域別に分単位で予測する。科学の進歩は著しい。だからこそ思う。核燃料サイクル技術は何年かかっても何としても確立せねばならない。それができないと、地域格差も無くならず、人類の争いは終わらない。これを機会に科学技術とそれをコントロールする人間の叡智を信じたい。。

  日付(12/5/20)   節電の夏  

フェアな立場で眺めてみて、関電の経営者にやや同情を感じる。原発事故はあくまで福島第一の事故であり、関電の事故ではない。原子力発電には技術的にも色んなプロセスがあり、それぞれ競争をし、発展してきた。関電と東電の発電所も、それぞれ異なるし、当然いつ完成したかによって技術のレベルも異なるだろう。おそらく関電は「圏内の人々や産業のために」安い電力を目指し、原発依存も進めてきた。ここにきて、「国として」脱原発、減原発の方針となり、振り回されている。一時期は地球温暖化、CO2問題で、いかに石油火力への依存度を減らすかを問われていたというのに。今年の夏は、各電力会社のみならず、多くの企業が持つ自家火力発電装置がフル運転となろう。温暖化問題からみれば大変な変化だ。企業はエネルギーコストの前提を、自家発電ベースに変更することとなろうが、これは燃料価格に直接依存し、今の円高では、非常に高価となろう。(米国のオイルシェールガスは安価になりそうだが、温暖化にはもっと悪い。)そうなると、残るは節電。製造業の節電は製造原価にもろに効くため、既にかなり行われてきている。従って、これ以上は困難を伴い、結局生産そのものを海外に移転せざるを得なくなる。最も大きな節電の余地は多分消費者・家庭サイド。国民がエネルギーコストに敏感になることは非常に良いことで、おそらく節電効果は出てこようが、さてそれで国が発展し、幸せ度があがるのか。結局、「幸福感」の定義に戻る。今でも、子供の頃夏になると、広い縁側のある八畳の間に、昼間から蚊帳を吊ってその中で団扇をバタバタいわせながら本を読んでいた姿を思い出す。あの時、「不幸だったか?」と聞かれるとYesとは思わない。ただ、今の世にその生活を当てはめることができるか、と問われれば、Noだ。この夏はそれを考えるべき歴史の転換点なのかも知れない。関電の問題で、この問題が日本国の問題になってきた。さて、どう乗り越えるか。

  日付(12/5/19)   景気回復?  

円高が継続して輸出企業は大変な状況だと察するのに、そこは個々の企業の個別の努力の成果か、時折「増収増益・最高益」などという言葉が、新聞に躍る。これだけの円高なら、とっくに倒産が続出している筈なのに、一歩先を行く企業は苦しみながらでも業績を上げている。これが、税と言う払って貰うもので食う世界と、自分で稼がないと生きて行けない企業の最も大きな違いだろう。最高益を上げていてもぎりぎりまで固定費(人や設備)を減らして、競争に打ち勝っているわけで、生半可ではない。政治家や、官僚はその競争の厳しさをもっと認識する必要があろう。今の様な政治を続けていたら、国内から戦える企業が消えていく、即ち、働き場がなくなる。教育だ、医療だ、介護だ、というけれど、これらは皆、これまで蓄えたものを吐き出すだけの世界であって新しいものを生み出す力ではない。日本が世界で重視されるのもこの50年の成功と蓄えがあってこそだろう。良い話があると言いながら、株価は下がる一方。円は買われるが、それは決して日本が買われている訳ではない。この回復基調を本物にする方法は、やはり「国民が明日に夢を持つ」ことだろう。

  日付(12/5/16)   上高地はこれから春  

ゴールデンウイークの喧騒が終わった上高地に写真ツアーで行ってきた。おそらくゴールデンウイークはまだ雪と寒さの世界だったろう。今は正に狙い目。近づく春を目と耳と肌で実感できる。梓川の化粧ヤナギも一日二日の間に緑になっていくのが良く分かる。大正池や河童橋から見上げる西穂・奥穂・前穂の穂高連峰の雪解けも時間毎にその模様を変えていく。梓川の流れの音は雪解けの急流の音、木々の枝では野鳥が騒ぐ。残雪に手形を残せば冷やりと冷たく、でも紫外線は強くなって、鼻の頭から日焼け。山小屋あたりでゆっくり本でも読みながら写真を撮ろうと思っていたが、空と峰と林と花と・・余りの自然の美しさにじっとしていられなくなって、結局、横尾大橋まで歩いた。毎日のエクササイズのお蔭か、疲労もほどほどで、往復3万歩も特に問題なかった。徳沢から奥は流石に出会いも少なく、山男・山女ばかり。まだ小型ブルドーザーがあって、ようやく山道が整った段階。遠く常念岳が見え、屏風の頭が目の上。明神の岳・峰が覆いかぶさってくる感じだった。体が「大丈夫」と言ってくれる程、「もう一度、登りたい」と思う。多くの美しい写真が撮れた。カメラの技術は向上はしていないようだが、さてどうまとめようか。「アルバム」の項に3−4枚載せてもつまらない。特集を組もうか、と考えている。まずは、このホームページのタイトル写真を更新しよう。自然の中で、健康と自然の中の歴史を感じる幸せの旅だった。

  日付(12/5/11)   頭脳流出の話  

特に電気業界の業績悪化に関して、韓国への頭脳流出の話題を聞く。Globalizationを戦えなくなった日本企業がリストラをし、そこで職を失った人が韓国企業に移る。日本で年収1000万円以下だった人が、6000万円から1億円も貰うらしい(ネット情報なので真偽の程は不明だが)。ただ、大抵の場合2−3年で終わるようだ。それでもWin-Winらしい。加えて、団塊リタイアリー。年金の空白期間の問題もあって、どんどん移っているとのこと。これまた何となく判る。Samsung、Hyundaiなどは、基礎研究に投資してこなかったため、この日本からの技術流出は貴重な様だ。さて、これを責められるか?答えは間違いなくNoだ。戦後の日本のやってきたことを忘れて他国や、移る日本人を責めることはできない。日本が欧米の基礎技術を利用して技術大国になったのは事実。当時の欧米先進国は非常に甘かったと思う。今は、もっと、Globalization。技術も、ビジネスも、企業も、人も、世界を念頭におかないと生きて行けない。そんな中で、韓国が日本人を重要視し、価値を見出しているのなら、有難いと思わねばならないだろう。競争に負けるのも、流出を止められないのも、日本企業であり、日本国なのだから。ビジネスと全く同じで、次々と世界が欲しがるような技術・人材を生み続けていかねばならないのが、日本の宿命なのだろう。こういうことも含む空洞化との闘いは、結局これからの個々人の競争力の問題になっていく。

  日付(12/5/8)   Shop−Drink?  

仕事時間外に仕事の話をする時に"Shop-talk"と言う。この言葉は良く使わせて貰った。日本人的会話なのかも知れない。「ごめんね、こんな時に仕事の話なんかしちゃって」という感じで、"Sorry it's the shop talk (just between you and me)"なんて断って、実は今日の本論、なんて。よくあるケース。もっとよくあったのが、仕事(と称した)の酒。これを、Shop-drnkと言おうか。(冗談交じりに言うと理解してくれたと思うが、本当に英語でこんな言い方があるかどうか知らない)。今日、久し振りのShop-drink、懐かしい雰囲気。ついついビジネスは忘れて、drinkのみ。仕事(shop)を忘れて、drinkを楽しんでしまった。現役の頃はこればっかりだったんだ・・と妙に懐かしがったりして・・こうして酒に強くなったんだな、と。それに比べれば、最近の毎日の酒は、一人でゆっくり、黙々と、これまた美味いんだな。そんなに量は要らないし、好きな時に好きな様に。でも今夕判った、今の酒が楽しめるのは、おそらくたっぷりShop-drinkの時があったから・・。違うかな?

  日付(12/5/6)   ゴールデンウイーク往く  

リタイアリには関係ないけれど、大型連休往く。天候もニュースも実に変化に富んだ一週間だった。前半も好天があったと思えば急な風雨。昨日の5日はこの辺りはおそらく最高の天気。ところが4日も今日も、所により大荒れ。今日は関東地方は急な風雨と竜巻。大きな被害が出ている。交通事故は毎日の様に報じられ、高速バスが社会問題に。山では熟年遭難。60代、70代の(おそらく)かなりの経験者が軽装過ぎて遭難。春山は怖い。自然の力を甘く見ると容赦ない。我々の様に時間のある人間は、こんな混雑する時期は家でじっとしているわけだが、近所からは実家に戻った孫達の泣き声が聞こえる。こうして今年の春の喧騒も終わる。でも何故か社会の勢いを感じない。暇にしている私だけだろうか。それなら良いけれど。それは多分、政治経済何を取って見ても、さあ明日からあの峰に登るぞ、挑戦するぞ、といった社会のトレンドのような物が無いからだろう。日本で、動いている原発がついにゼロになったからって、何か達成感があるのだろうか。経済界はいよいよ日本を諦めて生き残りを図ろうとしているのに。週明けからの国会も妥協を求めて後ろ向きの議論が続くのだろう。それが、何となく判っているから・・・

  日付(12/5/2)   やっぱり「生かされている」のか  

昨日の金沢・東京間の終夜バス事故。まるでナイフでバスを縦に切った様な、無惨な事故。7人も死者がでて、メディアがまた騒ぐ。でも、終夜バスが、一人勤務が、過当競争が・・と一般化して問題提起されているのは、やや引っかかる。運転手個人とか、個々の事情とかが消えていく。どんなルールにしても、どんな体制にしても、確率的には差はあってもこの種の事故は無くならない。自分自身でも、長距離運転の帰り路に、「こんな時に居眠り運転をするのだろう」とか、体調が悪いと「こういう時の運転は危ないな」とか思ったことが何回かある。この種の事故を無くすには、究極的には自由に車を動かせる「運転」というものを止めるしかない。今でも年間一万人を超す人が交通事故で命を落としている。バスだけが無事故なんてあり得ない。こういう機会を使って、事故の確率を下げるきっかけにするのは賛成だけれど、新たに次々とルールを作っていくのが本当に正解なのかどうか。だって、運転している途中に心筋梗塞や脳卒中が起こることだってあるのだから。究極は新幹線の様に、運転手が居眠りしていてもちゃんと走る乗り物にすべきなのだろう。今はその為の開発期間か。事故の犠牲者はやはり運なのだろうか。ああしておけば良かったというのは無いのだから。右側の席にしていたら・・と言っても始まらない。再び「生かされている」人生、を感じる事故。

  日付(12/4/30)   変わってはいるけれど  

今年もゴールデンウイークがやってきた。格安航空が飛び、第二東名が開通、そしてスカイツリーも出来た、東京駅の顔も戻った。やはり、世の中変わっている。ただ、記事は問う、「世の中が大きく変わったとして、それが何になる?」と。やはり、社会が、日本がどっちを向いて進むのか、そこが最も大きい。従来の常識線上にある世の中か、それとも全く異なる価値観の世が来るのか。政治を、経済を、社会を見渡しても、確かに行き詰っているのかも知れない。今は、世の中の「あるべき姿」を探る時なのかも知れない。もし本当に「皆がRich」なら、文化・芸術立国もあるのかも知れないけれど、でも「文化」が育まれる時は、おそらくそれを支える富裕層が必須。今、そんな層が正々堂々とあるのだろうか。こんな時こそ考える将来の「幸せ」。

  日付(12/4/27)   もし今、企業経営者なら  

企業経営にとって最も重要なのは、持続性(Sustainability)、即ち一企業として生き続けること。それは株主に対しても社会に対しても第一の責任。その立場に立った時、(特に製造業の場合)ずっと日本に居られるか、日本だけで食っていけるか。おそらく誰もがNoと答えるだろう。終戦後の混乱期をくぐり抜けて、一時期は"Japan as No.1"と言われるまでの成長をして・・・その根源は、輸出・加工産業の発展。それで一時期は世界トップの地位を得た。この期に及んでも、世界が日本を無視できないのは、やはりその経済力。資源の無い国がここまで来た歴史は、無視できない。さて、それを前提に将来を考える。今の様に入るを考えることなく、出るばかりを計っていたら、この国はすぐに駄目になる(ただ、鎖国を前提に自分の国だけで出来ることだけをやる、そこから入るものだけで我慢(満足)する、という生活で良いと言うのなら、それで良い。この歳になった僕は多分OKだが・・)。そうでないのなら、今一度この国の持っている力を再認識したい。多分、成長を前提にするのなら世界と共に歩まざるを得ない。その原点は「付加価値を与える国」である。原発技術も、TPPも、円高対策も・・・おそらくGlobalizationを無視して進むことはできないだろう。「何もしなかったら、今の生活は保てない」ということを皆もっと認識すべきではないか。原発推進やむなし、消費税増税やむなし、TPP推進やむなし、自由競争やむなし、である。「稼げなければバラまけない」という当たり前のことを政治家はもっと認識すべきだろう。バラマキ先にありきでは、多分、急激に衰える。企業経営者は政治に期待して待ったりはしない。郵政民営化の後戻りなど世界規模で考えれば、許せないことの様に思えるのだが・・

  日付(12/4/25)   嬉しい贈り物  

昨年の今頃、大震災に対する寄付についても悩んでいた。まず大急ぎで何かしたかった。最初に出来たのはインターネット(Yahoo)壁紙(を買うことにする)寄付。それ以降もあったが、結局何れも行先は日本赤十字。ところが、その分配に当たっては、いつの間にか政治問題。総額が膨れれば膨れるほど、「平等な分配」という新たな時間のかかる問題がでてきた。そこで、TV番組でみた、宮城県浦戸の海産物通販に名を借りた復興義援金に申し込んだ。話題になったが故に、多分その後は大変だったようだが、でも間違いなく感謝された(と、思っていた)。そして、今日、全く予期せぬ贈り物。この会からカキとワカメのクール宅急便が届いた。何か、とても喜びを感じた。カキも美味しかった。かなり入っていたが、それがいくらに相当するのか全く知らない。でも、あの時振り込んだ金で、その島の漁民が一足早く再起を目指して頑張った、というストーリーは単純に嬉しい。焼いたり、蒸したり、あっという間に食べてしまった。お勧め白ワインも最高。苦労している人達を踏み台にして、贅沢をしている、と言われるかも知れないけれど、色んな協力や、サポートの仕方があって良いのでは、と思った例。それぞれのご苦労の中で、それぞれ頑張って欲しい。我々が出来るのは、それぞれの環境の中で、それぞれ精一杯生きることか。それを再認識した、カキの美味。

  日付(12/4/23)   神も仏も・・・  

東北大震災の時、2万人の死者があり、宗教の無力さ、「生かされている」という感覚を持った。今日は全く違った意味でショックだった。京都府亀山の事件。通学児童の列に18歳、無免許、居眠りの軽自動車が突っ込み、児童一人と、引率中の妊婦が亡くなった。余りに酷い事件で聞くに堪えられなかった。どうすれば良かったというのか。この少年をいくら憎んでも、死刑にしても、おそらく何をやっても許せないだろう。児童は勿論だけれど、妊婦が辛い。同時に二人の命が消えた。こんなことがあって良いのか。いくら「一人一人の人生はどうしようもない何かでコントロールされているのだ」と思おうとしても、こんなむごいことまで起こるのか、と。色んな事件が起こる毎日だが、今日の事件は空しく悲しい。

  日付(12/4/22)   三井化学で爆発事故  

リタイアしてもこの種のニュースには敏感になる。今朝がた、三井化学岩国大竹で爆発事故があったようで、1人が亡くなった。爆発はその後も続いた様だし、ネットを含むその後の情報では、かなりの規模の爆発だったようだ。何が爆発したのか、原因は何なのか、今は知る由もない。ただ爆発の前から何かトラブルがあって、工程をシャットダウンしようとしていた矢先らしい。いつでもそうだ。こういう事故は、いわゆる不定期作業の時に起こる。今の化学プロセスは規模が大きいほど相当自動化されているし、通常の特に自動運転では殆ど事故は起こらない。ただ、何か不定期の現象が起きた時が危ない。福島原発だって、地震とそれに続く津波が、かつ「想定外」の大きさで起こったからこそ起きた事故だ。この三井の工場は「レゾルシン」という化合物の工場らしい。早速ネットで調べる。ハイドロキノンと同じジヒドロキシベンゼンだが、ちょっと違う。この物が爆発したのか、周りの溶剤なのか。かなり重要な原料物質のようだ。さて、日本の発展の歴史を振り返る。このような付加価値の出る(やや危険な)物質を作って発展してきた。いわゆる原料も安価なエネルギー源も持たない国が世界に誇る発展を遂げたのは、やはり(加工する)技術力があってこそだったのだろう。多くの事故も経験して、それを一つ一つ礎にして伸びてきた。また犠牲者が出たわけだが、だから日本は化学合成を止めるべきだという議論になるのだろうか。ここでも必要だ、「それじゃどうして食っていくの?」という議論が。どんどん軍備を充実して命がけで他国を侵略していくのと、どちらが良いのか。どうも、原発論議に戻る。犠牲者と家族、そして周りの人達の混乱と多忙さを想像しながら。

  日付(12/4/20)   強いリーダー  

久し振りに映画を見た。「マーガレットサッチャー 鉄の女の涙」。色々と考えさせる今の日本にもってこいの内容だった。彼女は今でも生存中らしいが認知症で殆ど何も判らないとのこと。それ自体もドラマチックである。丁度、我々の世代が現役の時代にこの「鉄の女」が世界を動かした。あの歴史と貴族と男性の国で、しかも保守党で初の女性党首・首相となり、強硬な姿勢を貫いた。フォークランド戦争でも強硬姿勢を変えず、その勝利で絶大な支持を得た。最後は欧州のEU化の流れの中で、挫折していく。でも、現代の眼でみればEU化の件でも彼女は正しかったのかも知れない。英国がポンド体制を守ったからこそ今のユーロ問題から逃れることができたのだから。しかし、映画の中での筋の通った演説は、是非日本の政治家達に聞いて欲しい。政治家に「信念」がいかに大切か、その「信念」が国民に受け入れられないのなら、その政治家は消えていくしかない。それが逆になっているのが今。まず選挙ありき、国民の顔色を見ながら政治を実行する。それで良い政治ができる訳がない。衆愚政治を徹底的に批判したサッチャーの勇気は凄い。日本はサッチャーを求めているのかも知れない。小泉人気、橋本人気、石原人気、皆その流れにある。ただこの映画を見ても判るが、強いリーダーの下での政治はやはり危険と矛盾の中にある。フォークランド紛争が無かったら、あの時点でサッチャーは終わっていただろうし、逆にいうと英国はあそこで大きな犠牲を払った。この映画の題は単に「鉄の女(Iron Lady)」だが、日本題には「涙」が入る。何を言いたいのか、考えた。

  日付(12/4/18)   農業の将来  

久し振りの好天の下、ゴルフ場へハンドルを握る。春の碧さの中に、森の緑が映える。その中に、田植えを待つ水を張った稲田が広がる。幼い頃の我が家の周りの風景。懐かしさがこみあげる。2−3週間待てば、ここに苗の緑が並び、映る。確かに失いたくない景色だ。でも、専業農家は減り、三ちゃん農業もやっているのはまだましで、休耕田化も広がる。なぜ、日本の農業はこうなったのか。急激な工業化の進展で、都会でサラリーマンで生きる方が、楽で(本当?)、収入が多くて(本当?)、かっこよくて(本当?)、家族も幸せで(本当?)・・・そんな日本史がこの形を作った。いずれの(本当?)も、突きつめて考えると決して正しくはない。でも、現在は農業では容易に食っていけないのも事実。ビジネスとしての農業と、美しい文化としての農業は分けて考えないといけないのかも知れない。「少しくらいの田んぼを世話していても、金にはならない」、元の同僚の退職者がそう話す。でも、この人は退職後、田んぼの世話をし、少なくとも家族の分のコメを作り、親戚にも贈っているとか、これは聞いていて羨ましい。生活の糧を得るための農業ではないが、充実した人生の様にも思える。一方で徹底的に大規模化で国際競争力をつける農業を育てると共に、このような退職者が自分の食いぶちを育てる様な農業があっても良いのではないだろうか。土地を持たない我々には何もできないが。脱原発を本当に実行するには、日本人を皆全国に再配置して、第一次産業で食っていけるようにするしか・・難しいかな。でも、日本の田んぼは実に美しい。失いたくはない。

  日付(12/4/17)   もう若くないのに  

日曜に何年かぶりに、「本当に」飲み過ぎた。楽しい酒だったから良かったけれど、これ程翌日残るのはやはり年齢か。昼間は、いつものOBメンバーによる恒例(らしい)の御花見。一週間遅かったが、でも千葉公園の桜の散った後の花びらのじゅうたんの上で、しっかり楽しんだ。実は、夕方からもう一件あったので、押さえなければ、と思いつつ、楽しさにつられて。夕方の約束は、米国の友人。現役の時に一緒に仕事をした仲間。これまた誘いに乗って一席。もうかなり出来あがっているのに、またまた追打ちの楽しい酒。英語酒だから2倍酔いが回る。一日で普段のお酒のおそらく5倍以上は体に入れたか。何とか家には辿り着いたが、正にフラフラ。月曜が辛かった。リタイアリだからこその時間の使い方、とも言えるが、やはり久々の翌日の後悔。唯一救いは、どちらのグループも、楽しいパーティーだったと(皆さん、一方だけでも二日酔いとか)。春の酒は強い。やはり健康には気をつけなくては。もう若くはないのに・・・

  日付(12/4/15)   原発選挙  

政府は再稼働に前のめり、橋本維新の会はここぞとばかりに打倒民主宣言。政局は原発で揺れる。民主主義の原点に戻って原発選挙は一つの解だろう。でもその前に、それぞれの主張をする人達に、原発再稼働、脱原発の何れにしろ、それに伴って起こり得る事象と、その対策を述べて欲しい。脱原発の日本経済に対する影響、日本の競争力ダウン、産業の空洞化と失業。おそらく大変な恐慌と混乱を招く。その場合の解は、国民が「自然に帰る」ことだろう。果たして、現代の日本に生きる人々がそれに耐えられるか。一方、再稼働を謳う人達も、何故再稼働なのかを単にエネルギーバランスの問題だけではなく、技術面から解説する必要がある。どんな対策が取られて安全と判断するのか。元一技術屋として思うのは、余りに中途半端。「スクラップアンドビルド」を訴える人が何故いないのか。どんなプロセスでも、30年も40年も使わないと「モトが取れない」様では、経済性評価も間違っている。技術の進歩に対する考察も無さ過ぎる。10年あれば、技術は大幅に進歩する。そんなことは誰でも判る。早急に古い原発から順に新しくすべきだ。新しい技術を輸出することばかり考えて、自国では実用化しないなんて、情けない。このような議論を双方が進めれば、日本はどうすべきかは、自ずと明確になってくる。結論としては、原発選挙賛成だが、結果が怖い。

  日付(12/4/13)   ホントにそれがメディアの役割?  

丁度、朝食時、北朝鮮のミサイル(人工衛星?)発射のニュースに当たった。米韓からのニュースが先行し、日本政府の発表は遅れに遅れる。これは又後で問題になるな、と案じた通り、午後からのニュースはこの件で持ち切り。だってね、発射が成功せず、日本のレーダーに写る前にバラバラになったんでしょ。何で、日本政府が大急ぎで、連絡網を廻さねばならないの?テレビを見ながら呟いていた。もし米韓の情報だけでJ-Alartを流して、間違いだったら、メディアはきっとここぞとばかりに、政府を攻撃しただろう。今日の件は、日本政府の対応は全く正しいと思う。なぜ、自分達に被害が及ぶ可能性がゼロだと信じられている件まで、いちいち国民に速報しなきゃならないの?世界では色んな分野で色んな事件が起こっている。その全てを、早く知らせろ、と求めるのだろうか。早く知って、何が出来るのだろうか。ことほど左様に、メディアの寄って立つ所が、危うい。ポピュリズムがはびこるとすれば、その責任はメディアだ。国民の一人一人は、誰もが自分の寄って立つ所を持っている。同時に世の中で起こっていること知りたいとも思っている。でもそれと、何についてでも、「国民への情報の流れが遅すぎる」という批判は違うように思う。今朝の情報だって、自衛隊には数分後に伝わっていたわけで、プロの情報網と広く世間への情報の流れは決して一致させなければならないとは思わない。だって庶民は何もできないし、しなくて良いケースなのだから。さて、北朝鮮はこれからどうなる?

  日付(12/4/11)   せめて勘繰らせて欲しい  

だって、元首相でしょ?しかも世界が注視するイランでしょ?個人的か何か知らないけれど、そう会談できる相手でもないし。やはり、裏に何かあるって言って欲しい。そう思わせる鳩山元首相のイラン訪問。大統領との会見。後で予想通りイラン側に利用されて。外務省も官邸も、何をしているのか。このままなら、世界中から日本のガバナンス能力を批判されてしまう。余りにも低レベルな外交。「あくまで個人レベルなので」とか「彼は理想主義だから」とか「正直だから」とか、色々言われているけれど、今のままで終わると余りに恥ずかしい。実は陰の首相特使で日米首脳の密使だった、とか、将来この会談があったからこそ、イランは核を使わなかったのだ、とか言われる様な真実が出て欲しい。何とも、許せない、イライラさせる「お坊ちゃん」である。

  日付(12/4/8)   桜花爛漫  

この週末の天候は、やや肌寒かったけれど、最高の青空。遅れ気味だった桜も次々と満開。新聞の記事にも、「日本人とサクラ」の記事が躍る。何故日本人は桜が好きか、何故戦時中は軍事教育に利用されたか、多くの評論もある。自分に問うても良く分からない。我々世代は、その悪名高き軍事教育を全く受けていないけれど、何故か「桜の様に散りゆく」という姿に美意識も、憧れさえも感じる。特に代表的品種「ソメイヨシノ」は、葉が全くない状態で花が咲き、その寿命が短い。一斉に咲き、一斉に散る。「短い」のも、「一斉に」も、おそらく日本人好みなのだろう。色がまた良い。あの淡いピンクは決して白ではなく赤でもない。色を強調する色ではないのだけれど、心には残る。開花から僅か一二週間、あっと言う間の宴。これも、長い人類の歴史の中で、我々が生きることのできる短い人生を象徴していると思うと、なお一層愛おしく思える。毎日散歩する池の周りも今が盛り。今日はゆっくり歩こう。来週末までもつかどうか・・ドンチャン騒ぎも、庶民の楽しみとして悪くないけれど、やはり、のんびり静かに楽しむのが良い。一つ一つの花びらの個性まで探して。

  日付(12/4/5)   政治主導ということ  

政治史をひもとくと、政治家の歴史はいかにその意思を実際の政治に反映させるか、という試みの歴史だ。残念ながらというか、当然と言うか、日本のトップの頭脳は官僚に集まっている。これは決して悪いことではない、大政変が起こっても何とか社会が収まっているのは、おそらく官僚達の能力のおかげだろう。でも、どの時代でも、政治家は官僚を意のままに操ろうとし、結局は失敗してきた。今回の民主党による政権交代は、裏返してみるとこの国における官僚達の実力を再認識させたと言えなくもない。もし、官僚達がだらしなかったら、おそらく新政権が国を動かす、特に大震災の様な未曾有の危機を乗り越えることは出来なかっただろう。おそらく今、民主党のリーダー達は、官僚をコントロールすることの難しさと同時に重要性を再認識しているのではないだろうか。政治主導とは、官僚機構を「優秀な機械・コンピューター」と認識することではないか。使う側が、何をやりたいか、何のためにそれをやるのかという初期条件を明確にインプットさえすれば、正確に動くのだろう。このバランスを認識して欲しいと思う。

  日付(12/4/3)   春の嵐  

地震だ、豪雨だ、洪水だ、と同じ災害でも想定外に厳しいことが起こる。今日は春の嵐。これまた、「春一番」などと歌われるレベルではない。正に台風。しかも日本列島上で発達しながら進む。今夕は東京も電車が軒並みストップ。どうも一つ一つの減少にメリハリが付き過ぎている。四季の変化は本来、肌で感じ、詩で歌い、喜ぶものでありたい。これ程までに強烈に立ち向かってくるものであって欲しくない。観念的、宗教的な表現になるが、やはり人間が「やれば何でもできる」、「生きることは自然との闘いだ」と挑戦し続けるのが良くないのではないか、もっと自然と融和を図らねばならないのでないか、そう思わせる天候の変化だ。犠牲者も老人が多い、これは何を示すか。

  日付(12/4/1)   ホームページ2周年  

昨年の4月1日も感慨があったけれど、今年も自分で驚く。リタイア2周年。このホームページも2周年。一日一日をみれば色んな事が起こっているけれど、振り返るとあっという間だ。昨年の4月1日の朝のアクセスカウントは3403、今年は7111.大幅に増えた。自己満足に過ぎないホームページに多くの方々が眼を通して下さっているのが嬉しいし、おそらくそれが当方の毎日の生きる張り合いにさえなっている。昨年の今日と比べると大きな違いは、趣味や遊びに加え、コンサルタントとして2社とおつきあいしていることか。仕事を持っていると言う程のことではないが、何らかの形で実社会とのコンタクトがあるというのも老化のブレーキにはなっているかも知れない。五木寛之の言う「下山」の途中だとは認識しているが、滅びとか消滅への道と言う認識はない。世の中の動きを見ながら、日本人にとって、人類にとってどんな明日が良いのか考え、その中で自分自身はどうあるべきか考える。ゆっくり「積極的下山」を考えていたい。新しい価値観を求めて。読者の皆様、有難うございます。たまには、ご意見を頂けると嬉しいです。これからも、よろしくお願いします。

  日付(12/3/29)   じれったい民主主義  

消費税増税法案成立に政治生命をかけるとまで言い切った野田総理。支持率がやや上向き加減なのは、おそらく「主張する姿勢」だろう。大多数の国民はそれを待っている。民主主義とは多数決と、少数意見の尊重。この矛盾がついて回る。民主党内一本化など出来そうにない。政党政治の矛盾も浮き彫り。でもここまで来たら、動かねば。いざとなれば、小沢Gであれ、国民新党であれ、切ってでも、主張し、最後は解散だろう。それが唯一の武器なのだから。良い機会だから、ガラガラポンで、主要政策基準で組み直し。おそらくそれが今求められている。政治家が腹黒い人種でないことを主張したかったら・・民主にはその道しかないかも。でも、誰もが不満のない政治なんてない訳で、そうであれば、選挙に勝つ為に、という戦術はどうしても必須ではある。さてどうなるこれから一か月の政治。

  日付(12/3/27)   下山の思想  

最近のベストセラーの一冊とか。五木寛之のエッセーを読んだ。思想と言う程ではないだろうが、頷く所が多い。登山は下山して終結する。これまで日本は、我々は、登ることばかり考えて生きてきた。今、必要なのは積極的下山だという。こうしてリタイアして、第二の人生いかに生くべきかを考えている人間にとっては、正に「テーマ」の思想。多くの同感する部分があった。ただ、この本と考え方を、若い世代が頷いて読むとすれば、やや心配が残る。若い世代にはやはりがむしゃらに登って欲しい。まだ登ってもいないのに皆揃って下山ばかり考えていると、やはり社会は正常には成り立たない。こうして徒然なるままに書いている人間にとっては、「振り返ることも貴重」と言われるとホッとする。何しろ、「後ろを振り返っている暇のない」生き方をしてきた訳だから。「ノスタルジーのすすめ」という章があった。故郷を想い、歴史を想い、文化を想う。非生産的なものの価値を見直せ、ということだろう。確かに、心穏やかになる。

  日付(12/3/26)   不謹慎かも知れないけれど  

3.11以来、何度も書いている「死者。行方不明者2万人」という言葉、考えれば考えるほど信じられない数字。その一つ一つに人生や、哀しみのドラマがある。実に、まとめられないし、まとめるものではないのだろう。でも、もう一つの事実。調べていて意識して何度も見なおした。またインターネットで調べなおした。2004年末のスマトラ島沖地震の犠牲者、22−24万人。この時は確かに驚いて、義援金を送ったりしたが、その数の重さは全く判っていなかった。3.11が2万人と認識した上で再度知る20万人以上という数は、信じられない大きさ。何度もやはり間違いでは、と調べなおしたがやはり出てくる。この驚きは何だろう。我々の頭は、やはり日本人だからという捕え方が大きいのだろうか。世界では、多くの場所で、多くの人が毎日のように、犠牲になり死んでいる。我々は、世界のお蔭で食わせて貰いながら、実はそれに甘えているのだ、と再認識する。決して東北大震災の犠牲者を過小評価する訳ではないが、ただこれまでの自分自身のスマトラの被害の認識が東北の10倍以上とは。もう一度自然の恐怖と、人間の能力の限界を認識すべきではないだろうか。人間や、技術は決して自然を思うがままには出来ない、我々は生きているのではなく生かされているのだ、ということを。

  日付(12/3/25)   30年なんて一瞬  

鎌倉時代の悪友がいる。1,2年に一回、特に理由なく集まって、ひたすら喋り、飲む。昨日は有楽町のガード下。昼間の4時から飲み始めて延々4時間。気持ちまで若返って、最後はカラオケまで行って。あの頃、30歳前後、社宅で3人子供を抱えて、それでもよく飲み歩いた。勿論、お金は無かったけれど。それなりの中のそれなりの楽しみ。彼らは独身貴族、20代。そんな彼らもリタイア真近、病を経験したり、家族に不幸があったり、皺の数も増えている。それでも、たまに会うと30年前と同じ。駄洒落に噴き出し、口角泡を飛ばして言い合い、思い出話に花。それぞれの人生に色んなことがあったけれど、たまにはこうしてタイムマシンに乗って楽しむのは良い。誰でもがこんなマシンを持つことが出来るとは思わないだけに、感謝。それだけ人間も熟してきたのかも知れない。でも、昨夜は「あれ、あれ、あれ」が多かった。このマシンに乗ると、それで通じてしまうのがまた心地よい。至福の夕べ。

  日付(12/3/22)   Gパン  

Gパンは実に便利。まず同じものが季節に関わりなく穿ける。汚れを気にすることなくどこにでも座れ、どんな作業でも可能。流石、アメリカ生まれの作業着。(最近はGパンとは言わないらしい。昔G.I.が穿いていたからGパン、とのことで、今はジーンズらしい。)でも、我々世代には結構つらい。まず、長さと太さのバランスがなかなか合わない。ウエストも兎に角細い。股上も短い。長い間、15年以上前にアメリカで買ったものを穿いていた。(意図的にではなく、自然に)脛に穴が空いたが、それでも穿いていると、「カッコイイ」とか、「ワカーイ」とか言われて?? 穴だらけになったら、膝上で切り離して、今度はショートパンツとして、いかにも効率的。一時期、日本でブランド物のジーンズは(始めから穴が空いていても)非常に高価で、おじいさんの穿くものではなくなった。最近、話題のユニクロの「安くて品質の良い」ジーンズの話を聞いていたので、遂に行ってみた。幸いなことに、最近のエクササイズのおかげでウエストもやや縮み、穿ける物が見つかった。やっぱり、ちょっと股上は短めだが、ちゃんと穿けた。締まった感じが良い。標準品が穿けて嬉しいとは、妙な感じだが、兎に角2本購入。日常で穿いているが、穿いたとたんに一世代若くなった様な喜びがある。リタイアして外出の機会が減ると、お洒落には関心もなく、毎日同じものを着るようになる。その点、ジーンズは目的に合ったおしゃれ(?)、青と黒の2本を同時購入して、順番に穿いているが、さて今日は上は何を着ようか、と楽しめる。こういう努力も我々には必要なのだろう。男のお洒落は、ゴルウエアだけではない。

  日付(12/3/20)   彼岸の中日  

毎夕歩いたり散歩をしたりしていると、まだまだ夕方が暗く感じられて、まさか今日が昼と夜が同じ長さとは思えない。ただ、今夕歩きに出た瞬間、妙に明るく感じた。この数日間で確かに日没が遅くなっている。仏教では時間の問題ではなく、太陽の沈む方向が真西になるため、西方浄土が最も近くなると先祖にお参りをするとのことだ。御供えは、おはぎ(これは秋分の日が萩の季節だからこういうらしく、春分の日は、お萩ではなく、「ぼたもち(牡丹もち)」だそうだ。)が定番。でもそんな風習もどんどん無くなっていく。もう春分や秋分の日を彼岸と呼ばなくなる日も近いのかも知れない。一昨日、久し振りに墓参りをしてきた。お墓の前で、手を合わせれば、無条件に故人の顔が浮かんでくる。両親や兄の眠る墓は、いわゆる先祖代々の墓よりもずっと身近だ。こうして人々がお墓参りをするのは、宗教心よりもっと身近な「想う気持ち」だろう。これは、彼岸と呼ばなくても良いから、いつまでも続いて欲しい。

  日付(12/3/19)   安政柑の採り入れ再び  

昨日まで約一週間、旅をしてきた。火水曜日は高松でコンサルの仕事、その後因島に渡り、昨年スタートした「安政柑を守る会」の収穫。一年ぶりの安政柑農園だった。農園や果実をみたとたん、「やって良かった」と思った。昨年は、放置された畑の中の樹木に、小さめの果実が実っていたが、今年は守る会として育成を依頼した効果があって、農園は綺麗、果実も大きく、これぞ「安政柑」。関東から12人のメンバーが行って、収穫を楽しんだ。加えて、将来の為に、「植樹」までやった。この木に実るのを何人のメンバーが見ることができるか判らないけれど、でも夢は膨らむ。こんな活動が自然の中の安心感を生む。箱詰めや、来れなかった会員への送付をやって、その後今年もバーベキューパーティー。快い疲労感の中で、美味しい酒や料理を楽しんだ。年に一回やってきて騒ぐだけではないか、と思われているかも知れないけれど、こうして一緒に汗を流し、収穫を楽しんだのは、多分「勝手」と嫌われるより、少しくらいましな、触れ合いだったのではないか。その後、関西を回って昨日帰ってきたら、我が家にも二箱が届いていて、子供達からも「届いたよ、今年は大きいね」。こんな、「やりがい」もあるのだと、再認識。もう、来年の催しが楽しみ。関係者は皆、それなりの年齢だから、一年一年の継続そのものに意味が深い。

  日付(12/3/12)   黙祷  

昨日の3.11は追悼一色だった。天皇皇后列席の追悼式も、これまで例がないとか。何も考えることなく共に黙祷を捧げた。黙祷は良い。ただ黙って眼を閉じて首を垂れるだけで、お経もアーメンも音楽もない。僅か一分でも誰もかもが、静かに、じっと。何の意味があるのか、とか、黙祷だけなら誰でもできる、それで何が変わるのか、とか言う人もいるようだが、これは本当に自分の心の問題。誰の為と言うこともない。ただ、じっと眼を閉じているだけ。現代人は、意識して眼を閉じることが少なくなっている。眠る時以外は眼を閉じない。でも、真剣に考える時、悩む時、苦しい時も眼を閉じて、1分・2分。ひとりでに何をすべきかが見えてくる。各TV局が各新聞が、多くの悲劇を取り上げるけれど、間に合わない。何しろ、2万人の命が消えたわけで、その一つ一つが胸打つドラマだ。何か学ぼうとしたり、価値を見出そうとしたり、そんな努力は不要だ。生きている物の驕りかも知れない。ただ、黙祷。それしかできない。 。

  日付(12/3/10)   感涙  

子供の頃から泣き虫。大人になっても、どうも涙もろかった。武士道では男が泣くなど許されないことかも知れず、一時期、どうしたら涙が止められるのか色々試したこともあった。甘えが強いとか、自己愛が強いとか、感情的過ぎるとか、色んな説がある。でも、今や、もういいか、と。感動には忠実であれば良い、と開き直るようになった。読書や、映画やTVやそして他人の話や、色んなものに感動するが、今日は珍しく、音楽で感涙。ピアニスト辻井伸行のカーネギーホールの演奏。この人の人生そのものが感動させるが、今日の番組では、ベートーベンの演奏そのもので感動した。ハンディキャップを克服、などというストーリーではなく、ピアノの音そのものの迫力。直接体の中に入り込んできた感覚。こんなこともあるのだ、と驚いた。天才、というのはこういうものなのだろう。いくら努力しても、努力だけでは到達できない何か。それに感動する。これからはiPodにクラシックも入れよう。

  日付(12/3/9)   公務員志向  

不況の時の公務員志向、と言われている。最近の傾向もそうらしい。どんどん競争率は上がっているらしい。TVを見ていると、公務員の削減、給与削減と風当たりはますます強い筈なのに。世論総論として、公務員バッシングが強いのに、自分の子供の将来を聞かれて、「公務員にでもなってくれれば」と答える団塊が多いらしい。両親も、兄弟にも、家内の家族にも、そして息子やその伴侶にも、教師が多く、多分教育に対する感度も高い方だと思うが、どうも最近の職業としての教師については不満が多い。戦後しばらくまで、教師は聖職と言われた。僕の時代でも田舎では先生はやはり尊敬の対象だった。ところが、我々の(団塊世代の)成長と共に、教師に対する尊敬の念が薄れてきた。原因の一つは、父兄の学歴が上がってきて、先生達を見下す傾向が出てきたこと。それでは教師達も縮み上がって、自分が出せない。顔色ばかり覗う「頼りない先生」になってしまう。果ては、親達の会話を耳にする子どもたちが、先生を批判するようになる。こんな繰り返しだろう。もし、今本当に公務員志向のトレンドがあるなら、その理由は、「安定している」「給与や年金の条件が良い」「女性の扱いが良い」などという理由ではなく、今こそ公務員の公僕としての筋を通す所に戻してほしい。世の中の優秀な人材が、こぞって「日本の将来のために」公務員を志向する時代になって欲しい。それなら、もっともっと公務員を優遇しても構わないとまで思うのだが・・・果たして。

  日付(12/3/5)   3,11を前に  

3.11を控えて、早くもメディアは一周忌記念番組一色。こんな大震災はあえて騒いでくれなくても、一人一人が眼を閉じればあの日の光景を思い出す。あとに続いた原発騒ぎで地震・津波で犠牲になった人達の影が薄いが、実際には2万人近い人達が亡くなり、多くの人達が家を失ったままだ。原発事故では、犠牲者は(まだ労災以外は)出ていない。やはり、この日にはあの一瞬に亡くなった人々に哀悼の意を表したい。今後、日本人が、人間がこのような災害にどう立ち向かうか、勿論何が起きても対応できるようにはしたいが、自然の力をねじ伏せようとするのは傲慢ではないか。「想定外」であろうとなかろうと、人類はもう一度自然に対して「謙虚」であるべきだろう。マグニチュード10以上が来たらどういうのか、富士山が突然爆発したらどういうのか。自然を押さえこむことはできないのだから、ある部分は人類に与えられた運命・宿命として受け入れるべきではないのか。ついつい我々は自分の命はいつまでも続くように思っている。これが、最大の「傲慢」か。美しい自然を消して、10mの堤防を作るのは、どうも引っかかる。我々は生かされた方に入った。それだけのことかも知れない。一年を迎えて、一人一人が眼をつむって考える必要がありそうだ。

  日付(12/3/3)   風評被害  

日本人はいつからこれ程までに個人主義になったのか。戦後教育のせいだ、と言えばそれまでだが、見本である米国には今でも世界最強の軍隊があり、そこには屈強な若者がいる。個人主義の国とは言っても世界の警察官という誇りはかなり強い。さて、我が国日本。がれき処理の拒否、福島産品の拒否、果ては各種人種(出身地)差別まで、とにかくひどい。自分の子供が可愛いからという一言で片づけられる問題ではない。実は世界の眼でみれば、同じ感度で言えば、日本産品、日本人に対する差別がもっとあるかも知れない。それは、それほど目立たない。このFUKUSHIMA問題をどう解くのか。それぞれ国民に選択の自由はあるだけに難しい問題。でも、福島大学の志願者が大きく減るのではないかというニュースだけで、実は競争率は高かった。結局個人がどう思うかと言う所に帰るのだが、でも、がれき受け入れ自治体がこれ程少ないとは・・少数意見尊重の弊害としか思えない。こんな時はやはり、(石原都知事の様な)強い意見(リーダーシップ)に頼ることになるのだろう。基本は多数決だと思うのだが・・民主主義はじれったい。

  日付(12/3/2)   プロの政治家  

野田総理と谷垣総裁が極秘に会談、と言いながらしっかりバラして、メディアを使って民意を探る。あの手この手が使えないようでは、政治家ではないのかも知れない。今の庶民はいつの間にか、メディアに動かされて、政治と言うものを単純化し、誰にでも判るものにしようとしている。リーダーシップを求めながら、平等や、マイノリティーの権利を主張する。誰がリーダーになっても全てを満足させることは出来ないし、クレームを付けるのが仕事だと勘違いしているマスコミは何にでも不満を言い、少数意見でも大きく取り上げる。こんな状態では、国をある方向に持っていくなど出来ようはずがない。最終的には民主主義は多数決にならざるを得ない訳で、本来政党政治は個々の意見を吸収しながら、妥協点を探る術であったはずだ。今は、政党内の意見もまとまらず、それぞれが個々の意見を主張する。これでは、リーダーシップは発揮できない。大連立でも何でも良い。まずは大きな政策から、方針が一致する人達が組む以外には政治が進まない。良い機会だ。せめて財政再建の方針が一致する人達が「身を切ってでもやりぬく」態度を強硬に示して、総選挙まで走れば良い。大阪や、名古屋を見るまでもなく、「支持政党なし」の人々を捕えることができれば、出身母体の顔色を覗わなくてすむ政治ができる。野田・谷垣会談が、その種の方向性を見せるなら・・期待できるが。でも歴史を振り返ってみると、その種の発想は、正にアマチュア。プロの政治家は、世の中はそれを求めているのだ、と分析した上で、どうすれば良い方向に持っていけるか常に裏の裏を読んで・・・となる。さて、今、それが出来るのは誰で、その人はどんな集団の中にいるのか。どうも見えない。

  日付(12/3/1)   京都で葬儀  

日曜の夜に次男の義母が亡くなった。同年輩なので現代で言えば、まだまだ若い。癌の進行も早く、昨年の8月入院で、僅か半年の闘病。京都の人で、妙心寺や、竜安寺、金閣寺が庭と言っても良い様な場所。寺を巡って、生死を考え、冥福を祈った。お互いの人生の中では短いお付き合いだったが、お世話になった。京都市には火葬場が一か所しかない。非常に大規模な最新鋭の場所に見えるが、それでも最近は非常な混雑の様子。昨日も、迷うのではないかと思う程の人ごみだった。確かに季節も、人体が最も不安定になると言われる時候である。でも、やはり統計的に死亡者は増えているのだろう。団塊の世代がいよいよその年代に入ってきたことも大きい。火葬場でいつも思う。人間って、やはり形の中に心を感じるものだ。「骨あげ(遺骨拾い)」の段階になると、涙より、科学の眼になる。最近は火葬温度がどんどん上がって、遺骨になるともう殆ど形が消えうせる。その方が良いのかも知れないけれど。宗教は決して無くならないのは、こうして人間には必ず死が訪れ、形は一瞬にして無くなるから。残された人には何かが必要なのだろう。あの人にもう一度会いたいと言う人が、次々と逝く。宗教のお蔭か、死の恐怖は和らいでいく。歴史と仏教の古都で人生を考えた。

  日付(12/2/22)   日本(経済)の行く末  

昨日は銀行主催の講演会。講師は、常連の伊藤元重東大大学院教授。マスコミにも引っ張りだこで、講演会を聞くのも何度目か。いつもありきたりのことばかりでやや食傷気味だが、今回は、今後の日本(経済)がメインであり、興味深かった。珍しく、当方の主張と一致する所もあり、何となく好印象?日銀がインフレターゲットを発表した。政府共々デフレ脱却に必死。確かに、デフレ=(下値)安定=無成長=無昇給=やる気なし。おそらく我々年金生活者や老人にとってはこの低値安定は悪くないのかも知れない。インフレになれば、年金生活はどんどん厳しくなる。ただ、国家としては小さくても成長が欲しい。少しでも先に夢のある社会であって欲しい。マジョリティである我々につられて若者達が、低(無)成長に慣れてしまうのが怖い。円高から、少なくとも世界から日本を見る目は決して厳しくなくて、まだまだ期待されているというのが常識。でも、彼は3つの変化の兆しを言う。(1)日本の国債がいつまでこんなに安定して低利で買われ続けるか。どこかで、売られ、高利に転換する。(2)インフレは海外からやってくる。もう既に油の価格はどんどん。日本はこれに原発騒ぎでエネルギーコストが上がっていく。(3)日本の復興需要は大きい。国内需要は徐々に高まっていく。どれを取っても、(良い悪いとは関係なく)脱デフレの方向である。日本人の、皆で渡れば怖くない的マインドでは、あっという間にトレンドが変わる可能性がある、という。流れが変わった時、我々の周りで何が起きるか。一歩先に読んでおく必要はある。今日、久し振りに80円/ドルに戻った。さて、これは何の兆しか。

  日付(12/2/19)   世論調査  

大阪の選挙以来、世論調査、特に電話による世論調査に対する信頼性が大幅に落ちているらしい。携帯電話を主に用いる若者達の声が反映されないのが理由とか。できたらついでに選挙時の出口調査に対しても、どんどん狂ってくれたら良いのに、と思う。メディアがこんなことにお金を使うことにどうにも我慢ならない。今夜も開票率0%で、新前橋市長が万歳をしインタビューさえ受けている。どう考えても変な社会だ。世論調査の結果がばらつき出したのは嬉しい。調査する方の能力が問われる。しょっちゅうやる必要は全くないし、各メディア毎にやる必要もない。実はこれも責任は我々国民にある。「自分の意見をもたず」、「メディアに動かされやすい」日本人が求めてもいるのだろう。日本人の特徴として「ランキング好き」というのがあった。周りを気にし過ぎる日本人、皆で渡れば怖くない日本人、そして、もしかしたら「自分に直接関係ない限り、自分で考えようとしない日本人」と言えるか。NHKの番組で外国から来ている留学生達が、「周りが同じならいかにしてそれに馴染まないようにするか、というアプローチをする」と言っていた。皆がそうなれば、おそらく世論調査もそれ程価値が無くなるかも知れない。今の内閣には、世論調査の結果に一喜一憂することなく、信じる所を突っ走れ!と言いたい。

  日付(12/2/18)   やはり一番でなくちゃ?  

一昨日、有楽町で朝日復興フォーラム「明日の日本へのメッセージ」を聴講した。朝日新聞主催で、無料のフォーラム。でも、内容はあった。大震災の時に志津川病院にいて、話題になった菅野医師の講演には感動した。同じ内容をTV番組で見てはいたが。それ以外にもパネルディスカッション有り、提言あり。でも、最後の特別講演、話題の「はやぶさプロジェクトマネージャー」川口淳一郎氏の「科学技術が日本の再生や未来に果たす役割」は別格。何しろ今この人がモデルの3本目の映画が上映中の話題の人。。やはり賢いのだろう、講演は超早口。メモなど全く取れない。次から次へと名言が続く。日本人の創造性について考え直させてくれる。やればできる、やらなきゃできない。新技術の重要性、創造性の重要性、個性の重要性、色んな内容があった。映画化されたはやぶさストーリーは確かに日本人に元気をくれた。講演も実に人を引き付ける内容だった。ただ、これだけ自信をもっていて、創造性を説きながら、でも早く世代交代を、という当たりはやはり公務員かと矛盾や限界を感じさせる所もあった。重要なメッセージは「やはり一番でなくちゃ」だったが、別世界を生きている人達と言う感は否めない。ま、役所で忙しそうな振りをして引き出しを開けたり閉めたりして高給をもらっている人達より遥かに価値はあるのだろうけれど。いねむり一つしない価値ある半日だった。

  日付(12/2/15)   インテリ向け月刊誌  

毎年、芥川賞受賞作は月間文芸春秋で読むことにしている。内容が読みたいから読むのではなく、今年の受賞作だから読む。わざわざ単行本を買ってまでとは思わない。さて、最低年に一回は必ず文芸春秋を買うのだが、毎年悩む。芥川賞受賞作品を読んだあと、他の記事が読みたくなる。社会人になってから余計に、文芸春秋の「インテリ向け」の姿か気になって、「愛読者になってはいけないのではないか」と思わせる何かがあった。でも、読み始めるとついつい乗せられて、手放せなくなる。今月号の「日本の自殺」再考などは秀逸。1975年の記事の再掲なのだが、タイミングが良い。やはり良い記事を載せている本なのだな、と思ってしまう。塩野七生の巻頭言「日本人へ」もやはり良い。今回は遂に誘惑に負けて、年間定期購読を予約してしまった。昨年も同じ迷いがあったが、「読みたい記事が出た時に買えば良い」と思い留まったのに。ま、自分自身を客観的に見て、「文芸春秋を読んでいるおじ(い)さん」でも良いかなと思ったということだろう。これほど言い訳をしなければならぬほど大したことなんだろうか。例えば週刊文春を毎週読んでいる人をそれ程インテリ志向だなとは思わないのだが。メディアの正義のようなものが、まだ保たれているというのが魅力なのだろうか。申し込みを終えて何となくホッとした。日経新聞を止めた時の気持ちと裏腹なのかも知れない。

  日付(12/2/13)   懸賞の話  

子供の頃から、懸賞に応募するのが好きだった。懐に金が無いので、はがき一枚に夢を膨らませていたのかも知れない。現役で仕事をしている時は、気にはなってもそうそうは出来なかったが、ここにきて又楽しんでいる。企業で働いてみると広報宣伝活動の重要性と、例えば「社会に名前を覚えて貰う」ことの価値、その為に出費することの合理性などが判ってくる。スポーツ大会に高価な車を提供し、TV番組に大きな金をかけることも十分にペイする。そう思うと、ビールやコーヒーの缶に張ってあるシールを集めるのも意外と価値がある。S社のお気に入りビールには番号シールが貼ってあり、この番号をインターネットで打ち込む。これがまた認知症対策。一枚に14桁の数字が打ってあるので、これをパソコンで打つ。14桁は一気にはなかなか難しいが7桁2回なら何とかなる。いつまでできるか・・などと思いながら。この懸賞は良く当たる。既に2,3回ビールが当たった。TVでCMをやるビール用のコップまでたまってきた。難しい顔をしてパソコンに向かっていても、ある時はこんなことで遊んでいたり、囲碁に夢中になっていたり。もしかしたら、電車のなかでスマートフォンに夢中になっている若者も、意外に皆ゲームで遊んでいるのかも知れない。時間を無駄にしないから良い、というか、自分の考える力を衰えさせているというか、取り方は色々あるだろうが。ITじいさん志向の当方としては、まず、こんな現実もあるということを身を持って知るだけでも良いか、と。でも子供の頃に日産の新車が発売される時名前の募集があり、「ポニー」と応募した。週刊誌が「○ニーに決まりそう」と暴いた。あの時の興奮は忘れない。結果は「サニー」だったけれど。はがき一枚、アナログ(?)だったな。

  日付(12/2/12)   自分を捨てられる賢者は  

こんな混乱の時代なのに、政治は小さな穴から出られない。紅組・白組・青組、それぞれが、小さなグランドで陣取りゲームをやっている。勝者は司令塔に立って人々に「まず何をすべきか」を示さねばならないのに。人々もしっかり白けてしまって、このゲームを見ている。アラブの春や、中国のデモのように命がけで変革を求める運動も起こらない。まだまだ、日本は平和なのかも知れない。大津波が起これば、10m以上の堤防で囲んでしまおうといい、福島原発事故があれば、原発ゼロの運動がうねる。協調を言いながら、各自治体はガレキ処理を拒否する。会社がつぶれそうになっても給与を上げろといい、新しい医療も全ての人にと言う。何と、はびこる個人主義か。万人が合意する政策はあるのか。個々人は自分の意見を持っているのか。メディアに左右されすぎていないか。合意できる政策から実行することは出来ないのか。今、総選挙をしても、同じ混乱と問題が起きてくるのに総選挙が目的なのか。混乱しているように見えて実は平和なのか。一つ一つの問題が本当の危機にならないと、民意は動かない。一足早くそれを気付かせる政治家は誰なのか。石原・橋本新党?これまた、民意を言いすぎるが。確かに「支持母体」が政治家を駄目にしている。そんな気はする。我々の様な年金生活者を母体にしようとしたら、「年金増額政策」を武器にするのだろうか。明治維新を読んでいると、どのように歴史が変わっていくのか考える。やはり今求められているのは、「自分を捨てられる賢者」か。

  日付(12/2/10)   札幌雪まつり  

一度は訪れてみたいと思っていた札幌雪まつりに行った。毎年200万人以上が訪れると言う北海道最大のイベントだけあって、ウイークデーだというのに一方通行の行列の人。昼間もライトアップの夜も、好天であれ、曇天であれ、雪が降っていても何のその、途切れることのない行列。気温はずっと零下。でも、皆笑顔。分厚いコートに身をくるんで、食べたり飲んだり。いくつかの特徴がある。まず、「団塊が主役ではない」こと。気候がやや厳しいので、年寄り向きではない。勿論、増えてはいるのだろうが、どちらかというと若者が目立つ。望ましい(?)年齢分布の感。台湾では北海道の評判が高いと聞いたが、中国系の観光客が多い。ただ話し声を聞かないとそれは判らない。これまたやや年齢層が低いので、昔の様に声高な会話は少ない。観光ボランティアが多い。観光客に親切にすることを競っている感じすらある。だから心が休まる。肝心の雪像群もやはり圧巻。ここでは自衛隊の能力を見る。大規模なものは自衛隊作品。大震災復旧に、PKO活動に、そうしてこんな分野にも。文民統制で目立ち過ぎないように、でも活躍する自衛隊をみる。国の為、社会の為にという自衛隊の価値と力を認識する。一方、一緒に歩く草食系若者とのギャップに複雑な思い。小樽にも寄り道をしたが、この機に合わせて街起こしをしている。厳寒なのに多くの人で。またまた若者が多い。おそらく落とすお金は小さいだろうが、でも人を呼ぶ魅力を創り出す努力をしているのに非常に好印象。真っ白な雪の中だけに、心が温かくなるのだろう。人波ばかりなのにホッとする観光旅。

  日付(12/2/4)   歩くのベスト  

一月に一年半ぶりの人間ドックを受診した。その結果が届いた。当日、お医者さんにも褒められたが、毎日(といっても、何にもなければ、だが)の一万歩目標のウオーキングの効果は絶大。まず、体重とウエストが減少、後は良いことだらけ。(毎日の飲酒にも拘らず)γーGTPが下がり、懸案の脂肪肝が消え、これまで赤字だった数字のかなりの項目が改善した。血圧も心臓も今のままの服薬で問題なし。こんなに効果があるのならもっと昔から・・と思うがあとの祭り。「ストレスが減ったのが最も効果があったのでは?」という人もあるが、それ程ストレスで苦しんだとも思えない。これはやはり一万歩だ。加えて先日テレビで、物忘れ/認知症の特集。これまた、最も効果的予防は速歩、ランニングとか。いやはや、これでは止められない。四季の自然と親しみながら、音楽を聞きながら、それでこんなに効果があるとは。なんとか歩き続けて、「寝たきり」時間を減らしたい・・改めて思う。

  日付(12/2/1)   古事記1300年  

平城遷都1300年が一息ついたと思ったら、今度は古事記編纂1300年とか。奈良県はなかなかやり手の知事さんに恵まれて、次々とイベントを計画する。もう、2020年の日本書紀1300年まで決まっている。その、奈良県主催のシンポジウムを聞きに行った。題して「日本の原風景に出会う古事記の世界」。若い頃であれば、(内容も知らない癖に)古事記や、特に国生み伝説の話となると、ついつい戦前の教育と繋げて反感を覚え、拒否反応があった。だから、我々団塊とその親の世代の常識ギャップの最も大きいのが、このあたりの話かも知れない。でも、天皇制の徹底のために教えられたからと言って、日本史、特に思想史の一部として学ぶことさえ拒否する理由はない。いや、むしろ日本文化史とか、古代美術史、そして仏教史などを知る上で、古事記は面白い。1300年を機会に多くの日本人が記紀に興味をもったら良いのに、と思う。古事記関連地域として、福井、長野、三重、兵庫、鳥取、島根、熊本、宮崎の各県が協力していた。なるほど、各県には古事記に繋がる話がある。今の時代、それを事実と信じる人はいない訳で、でも子供たちが、人類や、日本や地球の成り立ちについて、色んな伝説を知ることは決して害ではない。宮崎の子供たちが天孫降臨の伝説を知り高千穂の逆鉾を語り、島根の人は出雲大社を崇め、鳥取は因幡の白兎の話をする。そうして奈良の大和三山・飛鳥・斑鳩では、伝説の世界と、本当の歴史の境界を語る。実に楽しいことだと思う。シンポジウムの後半は、漫画家里中満智子氏の講演「史上最強のパートナー天武天皇と持統天皇」だった。内容は面白いのに、なかなか本来の喋りがでず、最後の最後に聴衆の目を覚ます。話のテクニックかも知れないが、あーもったいない、と思ってしまった。奈良への憧れがまたまた募る。楽しいひと時。

  日付(12/1/29)   確率の話  

昨年の同じ頃(11/2/3)、「宝くじは当たらない」という記事を書いた。丁度、お年玉年賀はがきの当選番号発表の時期である。4等の切手シートの当たる確率は100枚に2枚。それなのに、例年、確率以下。昨年は250枚届いたのに2枚しか当たらなかった。下2桁でこれなのに、どうして6桁の3億円が当たろうか、という話。今年も切手シートが何枚当たるかと整理した。またまた250枚に対し3枚のみ。なぜたまにはせめて確率通り5枚当たらないか、とがっくり。ところがです。ついでに調べた1−3等賞の、3等賞が1枚あったのです。下4桁、確率は10000分の1。一年に250枚として、40年にやっと1枚当たる確率。これが今年出た。何とも、Scientificではない。でも、これだから人生は面白い、とも言える。多くの話が確率で語られるし、総論を話す時は、統計はやはり正しい。でも、各論になると、色んなことが起こる。余りにもすぐに各論に入るメディアに嫌気をさしているが、こうして一万分の一に当たってみると、百万分の一にも誰か当たっているのだな、と。各論あっての総論と言えなくもない。やはり、また「有楽町前の一番売り場」かな。

  日付(12/1/24)   積雪  

例年より遅いようだが、関東にも雪。今朝はうっすらと雪化粧。青空の下の、山茶花の葉の上にうっすらと積もった雪の白さは映える。なんて、悠長な事が言えるのは年金生活者のみか。電車のダイアは乱れ、都内では滑って転んで、骨折まで。高速道路ではスリップ事故多発。相変わらずの都会の積雪トラブル。「雪国の人が聞いたら笑われる」様な話ばかり。でも以前、海外出張の時に探したが、ビジネスシューズでも、裏に滑り止めの付いたものは意外なほど売られていない。通常のものはただでさえ滑りやすい。太平洋側の生活は、そもそも雪対策はできていない。今日はゆっくりだったが、東京に行った。街中でも日蔭では雪が凍ったまま。おそるおそる歩く姿は、少し微笑ましかった。不謹慎かも知れないが、たまにはこんなこともあった方が良い。何だが、生活が人間らしく感じられる。でも、確かに寒かった。

  日付(12/1/20)   久し振りに「脱原発」について  

昨年、何回か書いた。脱原発は言うは易し、行うは難し。人々が揃ってこの物質的に恵まれた社会を一度否定して、「のんびり自然の中で自給自足」と言った生活に戻ろうというのなら、おそらく可能だが、そうでない限り、今の生活レベルを保ちながら「脱原発」はおそらく現代の技術では無理。だからこそ、政府は国内の減原発を言いながら、原発の輸出を推進している。ここの所の原発寿命40年を20年延長の話まで聞くといたたまれなくなる。原発技術をキープするのなら、新設をストップして既存の寿命を延ばすなんて、どう考えても不合理。今、日本が海外に輸出しようとしている原発技術で建設された日本の原発はあるのか。技術と言うのは40年も経てば大昔。大きく変化している筈だ。40年前の計算機を思い出すと良い。あの頃、今1000円か2000円で買えるメモリーが一個か二個ついた計算機が10万円以上もした。工場の制御にコンピューターなど一部にしか使われていなかった。反応器を作る材料にしても、どんどん新しい技術が開発されてきた。我々技術者は「スクラップアンドビルド」という。どんな工場でも、一定期間が過ぎると新しい技術で更新しないと競争に勝てない。通常、化学の工程なら5年から10年。人類の生命を脅かすような原発技術であれば、なおさら。40年も使い続けるのではなく、新しい技術が生まれる毎にスクラップアンドビルドを続けるべきだろう。それを、20年継続延長使用など、全く理解できない。使えるのだから使わなくては、というのは、普通のプラントの話。原発だからこそ、初期に設定した寿命が来たら、すぐに止めて新しい工程に替えるべきだ。なぜ、今こそ、「原発を大至急更新しよう」と言う声が起きないのか、不思議でならない。

  日付(12/1/17)   高報酬に対する反応  

近代・現代日本人の民族的な意識、"平等が重要"、の反映だろうか。メディアも含め、日本人は高い(高すぎる)報酬を得ている人に対する反発が強いように思う。例えば、アップル社のCook社長が280億円の報酬を・・なんて記事も、裏では「何故そんなに高い報酬を?」という陰の声を含んでいる。勿論、大きな貧富の差、格差をもたらしている昨今の状況は決して褒められたものではないだろう。でも、と思う。私は、ずっと成果や努力に対する平等が一番重要だと思ってきた。だから大きな成功者にはそれなりの処遇・報酬が与えられて構わないのではないか、と思う。それよりも、子供の頃から不満だったのは、いわゆる相続、「生まれながらにして持てる者」に対する不公平感だった。どんなに高額の報酬を貰った人でも、生きている間にそれを使いきれる訳ではない。家族への相続を徹底的に(常識の範囲に)制限すれば、おそらく寄付や教育、弱者救済の為に使われる民間のお金がずっと増えていくのではないか。そう考えると、我々の持てる者に対する考え方も変わってくる。官が取れる所から取ろうとばかりに、高収入を得る人から税の形で吸い上げるのは、おそらく世の中の「やる気」をなくし、国の魅力をなくしていく。それより、一代財産、しっかり稼いで世の中の為に使って、無一文で死んでいく。そのサイクルの方がずっと魅力的だ。今、富めるもの、ちょっと小銭を持っている人が、皆使わないで、相続しようと・・。メディアも報酬の問題より、相続の問題に視点を移して欲しい。「相続税ゼロ」なんていう政策は国や、人間、やる気を損ない、おそらく「許せない貧富の差」を将来にひきずるものではないのか。我々日本のサラリーマンは余計な心配は不要なようだが、でも周りには「親から引き継いだ富」で金の使い方が判らない人もいるようだから。こちらの方にずっと不公平感を感じるのだが・・・これこそヒガミ根性か。

  日付(12/1/14)   野田改造内閣  

今、総選挙をやってもおそらく民主も自民も勝てず、より一層混乱が増すだろう。リップサービスだけで政権交代を果たした民主党もまるで信頼できないが、そんなことを言っては居られない。大震災はあったし、世界中で政治が混乱、日本の存在感も強いのは円のみ。そんな中での内閣改造、野田どじょう総理の勝負か。ここは、何と言われてもやりたい政治をやりぬいて欲しい。誰をも満足させるなんて不可能なのだから。野党政治家もここは、正しいと思う政策は協力する、という度量を示して欲しい。今回の改造の注目点はやはり岡田副総理。「やはり政治家だね」とか「政治は白黒じゃないからね」と言ったように、政治には「あいまいさ」がつきまとうが、この人は自他共に認める「原理主義者」だそうだ。これまでのリーダーには余りいないし、一つ間違うと「融通が利かない」となるかも知れない。でも、だからこそ期待したい。とにかく一度、本当に信じる信念を貫いて欲しい。その上で、民意を問えば良い。党内バランスとかで、入閣した人達が口を滑らしたり、カネの問題を暴かれたりして全てを低レベルに戻すことがないよう期待したい。とりあえず、野田・岡田頑張れ、と言おう。行政改革と消費税増税の道筋をつければ、民主党が無くなっても良い、位の心意気で。

  日付(12/1/12)   病気自慢  

リタイア組が集まると共通の話題は、健康。お互いの健康を案じると共に、病気の話。ひとたび何か患うと、一気に知識が増える。だから、話題についていくためには、一つや二つ持病が必要。それに最近多いテレビの番組も観ておく必要がある。(幸いにも)血圧が高く、心臓血管にはステントを入れて、今でも薬を常用し定期的に健診を受けている。循環器系の話題にはかなりついていける。一方の旗頭は消化器系と生殖器系(男ならではの前立腺)。こちらと戦う人も多い。医学の発達のおかげで、早期発見さえできれば、どんな病気でも治療法はある。詳しい人は薬品名でもスラスラ。確かに病院に多くの患者が集まる訳だ。でも、病気との闘いが生きがいになってはいけない。生きがいがあってこその闘病。つくづくそう思う。最近は眼科にも定期的に行っている。緑内障との診断だが、初期症状で、「寿命との闘い」だそうだ。この診断は良い。眼が見えなくなるのはつらいが、眼だけ長生きはできない。体全体が徐々に老いていく訳で、老いには勝てない。一病息災とは良く言ったものだ。何か気になる病気と闘いながら自分の健康状態を知る。それが、長生きの秘訣かも知れない。「健康診断しても、オールOKで・・」と誇らしく言う人が案外急にバッタリ。そんな例にはことかかない。リタイア組の共通話題にもちゃんとついて行かねば。でも、昨日もらった(何故か「買った」と言わない?)いつもの薬は高いな・・

  日付(12/1/9)   新年には囲碁が似合う  

昨年末に、大阪の兄を尋ねて、休憩していたパソコンを再稼働させた。そのあと、パソコン対局も再開した。何年振りだろうか。やるとなると、楽しいし、遠く離れているのに、お互いの様子伺いにもなる。昨日は、現役の友人を招いて、、一年ぶりの対局。一向に追いついていないのだが、これはこれで楽しい。杯を交わしながらの囲碁は、新年に似合う。飲んで、話してばかりだったが、2戦2敗はやはり悔しい。これまた、少し励まねば。亡き父は、ホントに真面目な教育者、酒も殆ど口にしなかったが、囲碁は好きだった。一度でいいから、父と碁を打ちたかった。何故か、正月になるとそう思う。残念ながら、子供達も打たない。

  日付(12/1/6)  自分勝手とは言えないけれど  

大震災のすぐ後、外国人だけでなくかなりの数の日本人が海外に逃げ、今でも海外に暮らす人も多い、とか。被災地の山の様なガレキ処理、手伝いを引き受けたのは東京都だけ。そして、昨日のニュース、横浜や東京の父兄達が、日光への修学旅行に際し、放射能の影響調査を依頼している。何れも、その本人達にしてみれば、真剣なのだろうけれど、何か不快感を感じる。ある所までは、「誰でもそうかも」と納得できても、行き過ぎるのは??結局、基準をどこに置くか、によって意見は異なろう。私自身も、福島の問題を聞いたとたん、妊婦の義娘をどこに送れば良いかと考えた。その条件は「メルトダウン」だった。あとで聞くとメルトダウンは実際に起こっていた。今でも、もしかしたら、反応器下の地下で核分裂が起こっているのかも知れない。そうであれば、もう福島の問題でも、日本の問題でもないだろう。放射能の問題も、どう考えても敏感すぎる。広島や長崎で除染作業はやられていない。ガレキの処理なんて、政府が音頭を取って、日本国中でやるべきではないのか。日光の放射能チェックなんて、「何でそこまで?じゃあ横浜や東京の人達は海外からの観光客のためにありとあらゆる日本の生活環境について放射能チェックをしろ、と言うの?」。民主主義というのは何を言っても自由なのかも知れないけれど、やはり限度があるし、素人は専門家の言うことを信用するしかない。市民一人一人が専門家にはなれないのだから。其々の意見には頷くことがあっても、何故かこの不快感。メディアの責任もかなり重い。私は一瞬の津波に流された人達をまず基準に考えるけれど。

  日付(12/1/4)  何が心を打つのか  

例年と同じ正月を過ごして、皆其々の生活に帰って、二人の日常に戻った。正月に必ず見るのは「箱根駅伝」。其々のランナーに其々の人生、ストーリーがあって、この欄で良く批判する「最近の若者達」が、見ているだけで感動するようなドラマを見せてくれる。これなら、将来も大丈夫かなと思わせる毎年の行事。この一瞬の為に青春の最も大事な時間をかかけて、泣き、笑う。選ばれなくて応援に回っている選手達、予選に敗れて本戦に出られなかった大学の選手達、其々のドラマに感動する。一方この時期の毎年気になるニュースは山岳遭難。このニュースも年中行事。確かに、雪山で晴れた時を想像すると、また登りたくなるのは容易に理解できるが、でも、毎年救助隊が活躍するのはどこかおかしい。やや勝手すぎないか。駅伝で、フラフラに成りながらでもたすきを繋ぎたいと頑張り、シード権を目指して必死で走る姿と相いれない。それは多分登山者は、自分の満足感だけの為に登っているから、「他には迷惑を掛けないのが当たり前」という気持ちで見てしまうからだろう。感動させるのは「誰かの為、何かの為に必死になる姿」、その度合いの差と思える。

  日付(12/1/1)  年賀状  

また、新しい年がきた。年末から、例年と同じことを繰り返して。でもその有難さを噛みしめながら。今朝、雑煮やおせちを食べていると、年賀状が届いた。めったに会えない人、住所録上だけの友人。と、いいつつも、こうして年賀状を受け取って、無事を確認するだけでも、これは本当に良い文化だと思う。現代のスマートフォンの若者達は年賀状をどう思っているのだろう。「意味ないから」と止めている人が増えていないことを祈りたい。年に一回、たった一枚の便りで、いつ知り合って、どんな思い出があって、なぜ今も交換しているか、感慨にふける。数年、来なかったから、出すのを止めようか、と思うとまた届く。大慌てで返事を書く。こうしてまた繋がっていく。昨年の漢字は「絆」だとか。確かにこうして無事を確かめあっていると、何かのきっかけで出あったり、会話の中で話題になった時にも、「年賀状だけの仲なんだけど」と言いながら話は繋がる。メールにしてしまったらという話も多い。将来はそうなるのかも知れないけれど、浅い付き合いの人とは切れてしまうだろう。効率と、スピードだけでない何かが、この文化の中には含まれている。おそらく、僕の友人の中にはメールはやっていないと言う人もかなりいそう。亡父は教師だった、元旦に山の様に届く年賀状は、教師としての勲章のようなものだったろう。社会に送り出した生徒達の成長を見守っていたようだった。だから、家族は年賀状には思い入れがあった。さて、今年の年賀状、「おめでとう」とは書かなかった。同じように考えた人もあった。謹賀新年とは書いてあっても、大震災に触れた言葉も多かった。誰もが、生きるとか、命とか、家族とか、そうして、周りとの絆とか、そんなことを考えざるを得ない去年だったのだろう。一通り目を通して、思いに耽る新しい朝である。

 

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