今年追加で引き受けたアルバイトは文科省と外務省がやっている共同プロジェクトで、日本の大学と発展途上国との共同研究の追跡調査。11月から2月の間に12件。コロナがあるのでインタビューもネット。大したことはないとは思いつつ、実際は12月・1月で12人のインタビュー、その内2人は面談。出張迄入った。他の仕事と違って途上国の状態も分かり、新鮮で面白いと言えば面白いのだが、何しろ分野・テーマがバラバラで事前の予習が大変。まるで、中学高校などで新しい科目に出会ったような感じ。この年末はそれに追いまくられた。その間に土曜は昔の若者(とはいえリタイアリ)との忘年会、日曜は元クライアントの社長とのディナーと、楽しいが慌ただしい週末だった。加えて年賀状の準備と発送。だんだんやることが無くなって無気力になっていくという年齢になっているがカレンダーに追われる毎日である。ようやく今日になって、残っている宿題と共にこれからやるべき年末の掃除を考えている。でもこんな時間が過ごせるなんて、とりあえず健康で自由に動ける体であるからこそである。夫婦どちらかが寝込めばそれで毎日は大きく変わるだろう。腰が痛い、足が痛いと言いながら、でも二人ともにやるべきスケジュールに追われている。運命に感謝すべき、と心する年末である。
大阪の街中でのビル火災、しかも心療クリニックでのニュースを見た時、またこんな事が、と思い、詳細が分かるにつれあの「京アニ事件」を思いだした。あの残酷さ、理不尽さが思いだされた。焼死した人達に何の罪があろうか、これでは正に「神も仏もない」。大震災で亡くなった1万8千人の命を思い、「人間は生きているのではなく、生かされている」と心したことと同じである。でも、天災ではなく、人災となると一段と無常観を感じる。世界中で起きているテロ事件でもそれぞれ理屈があるようだが、ISに感じた憎しみは非常に大きかった。なぜ人間がこんなことが出来るのかと思った。今回の事件の犯人はどんな理屈で「正当化」するのだろうか。メディアや評論家はどう解説し、世の中の「何が悪い」と言うのだろうか。事件がある度に、世の中が悪いから改めなければと議論するけれどそれが、本当に将来同じ事件は起きない対策になっているだろうか。疑問に思うことが多い。この憤りは何にぶつければ良いのだろう。これまた許せない事件である。
毎月四国に出張する時、袖ヶ浦バスターミナルに車を置いて羽田に行っていた。ほぼそのために軽自動車、緑のアルト、をキープしていた。この度四国出張がなくなったのを機に軽自動車を手放すことにした。まだ車検は1年以上残っているが、丁度来年の任意保険の再契約の督促が来たところだった。これから徐々に一つづつこうした手を打って行かねばならない。次の免許更新、カムリの車検と、機会ある毎に頭を悩ませなければならない。まだ夫婦共に運転はするし、とりあえずそれは継続しないと自由度は大幅に減る。でも、これから駅に出る時はバスにしようと新たな決心をしている。このセカンドカーは勿体ないくらい走行距離は少なかったけれど、いざとなればあれがあるからという安心感は与えてくれていた。最近は、車に乗ってハンドルを握る度に「さあ、安全運転で」と心するようになった。自分とは関係ないと思っていた「高齢者運転」の危険はいつもつきまとう。2台目がなくなって、いよいよバスに頼るべき年齢になったのだと自分に言い聞かせている。
時々この欄で書いているが、歴史的文化遺産と言うのは、貧富の差が大きく、権力者がいてこそ遺されてきた。庶民が全て平等で平和な社会ではなかなか文化は発達しないのではないかと思っている。あの江戸時代は庶民文化が発展したが、それも徳川幕府の権力の元で、士農工商の格差があって初めてのものだったのではないかと思う。さて、昨今の世界の格差問題だが、せめて少し位良いこともみつけたい。その点、米国のリッチマンが短時間の宇宙旅行をし、今回ZOZOタウンの前澤友作氏は、遂にISS(国際宇宙センター)まで飛んだ。彼のリッチ度合いはせいぜい日本人で30位位らしいけれど、我々では想像できない。TVを見ていると、積極的に支持するコメンテーターは決して多くはないが、リッチマンによる文化サポートを主張する当方としては、こんな民間宇宙旅行の道を拓く人は素晴らしいと思う。こんな人がいてこそ夢の様な技術は進展するのかも知れない。有名画家の絵とか、音楽家の演奏とか、歴史に残っていて欲しいものは沢山ある。そんな中の一つになるのかも知れない。リッチマンよ、生きている間に人類の為にしっかり使って下さいよ、と声を挙げたい。
バイデン大統領の呼びかけた「民主主義サミット」が終わったとか。概念だけで言えば素晴らしいサミットだし、日本がまず招待されているのは誇らしい。おそらく、米英独仏などと並び理想的民主主義国に最も近い国の一つだろうから。でも、外交関係を考えると国連や世界の常識の中に「内政不干渉」という原則がある。「政経分離」も原則だろう。それがなければ世界を相手にビジネスはできない、とりわけ日本の様に自由貿易の中で成長してきた国にとって、これらの原則は何れも非常に重要である。でも、ここにきて多くの疑問が出てきている。米中で問題視されている人権問題はやはり気になる。香港・台湾問題となると非常に身近である。世界中が経済の面では中国と自由に貿易し、人権問題では許容できないと言っている。かなり原則的な問題になりつつある。北京での冬のオリンピックもからめて決して安心できない問題だろう。日本もいよいよ「日本の考え」を表明せざるを得ない。それはある種の犠牲は避けられない結果になるかも知れない。矛盾した原則から生まれる矛盾と言える。今回のサミットだって111か国も参加して、その中には独裁に近い国も多く含まれる。どの国も政治の中に経済が大きな位置を占めているから。当方の周りにも中国は嫌いでいつ絶交しても良いという人もいれば、米国べったりの政治は耐えられない、と言う人もいる。でも本当に難しいのは「これが日本の原則だ」と言えるものを打ち出すことだろう。戦後76年それを求めてきた人達も多いだろうが、おそらくそれが最も難しい。民主主義の中で自由と平等のバランスをとるのと同じ位・・・
真珠湾攻撃から80年らしい。その気になってTV欄を見ると多くの番組が扱っている。太平洋戦争経験者ももう皆80歳以上、遠くになりにけりではある。米国駐在赴任の帰途、ハワイに立ち寄った時、アリゾナ記念館に立ち寄ったのをよく覚えている。日本人だからと言う目で嫌がられることも無かったし、周りの皆さんが親切な眼差しで日本人を迎えてくれたのに非常に好感をもった。今朝のニュースでも報じていた80年記念式典でも、攻撃て亡くなった2000名以上の兵士の遺族が、それでも日本人が憎い訳ではないと言っているのを聞いて嬉しく思った。終戦に繋がった原爆では、民間人を含む何百倍もの犠牲者が出た訳だが、やはり「戦争は悪だ」という結論以外はない。あの、アリゾナ記念館に入る時の緊張感は、きっと死ぬまで大切に覚えておくべき感覚だろう。多くのハワイ観光ツアーがあるけれど、何割の人達があの記念館を訪れているだろうか。もっと広島に、もっと長崎にと言っている我々も結局個人レベルで言えば、平和を求める反戦の意思表示をしている訳で、機会ある毎に若者たちに伝える必要があるのだろう。ハワイの旅を思いだした日だった。
きつい言い方かも知れないが、今、世の中の「敗者」は誰もかれも「コロナ禍」を理由にする。確かに大変な業界があるだろうことは良く理解できるが、この種の自然(?)現象下で生じる差別も、これまで人類は耐えてきた(こざるを得なかった)。大きくは目立たないがコロナ禍で利益を増大させている業種、企業も多い。最近の新聞記事を見ると昨年度、今年度上期に過去最高を記録している会社も多い。何しろ全体をみてもリーマンショックよりも悪影響が少ないようにさえ見える。後年、振り返れば感染したり、感染で亡くなったりした人だけが犠牲者と言われる可能性さえある。もっとドギツイケースは、コロナ救済策で「ぼろ儲け」というケースもあるとか。なるほど悪事の種類をみても、よくぞこんなアイデアが出てくるものだと驚くほどの悪知恵でだましている人もいる。こんな世の中が最も危うい。「努力してもどうしようもない」と思い込んでしまう人が生まれやすい。それを予感させる事件も増えてきた。こんな時だからこそ生きる目標の優先順位を考え直すべきなのではないかと思うことが多い。「コロナ禍を打ち破る」のは、「お互いを信じる人間」なのかも知れない。
新規感染者数が激減して、ようやく安心して新年が迎えられると思ったけれど、次は「オミクロン」とか。新たな変異でその新規さも強い様で、世界中が怯えている。特に日本はデルタ株の減り具合が非常に強烈だったが故に、オミクロン対策は難しい。おそらく世界中のトレンドの様に第6波に繋がるのだろうが、5波の収まり方が特殊だけに、次への備え方は難しい。現在は水際対策を強めているが、これで世界のやり方と大きな差が出ると、難しさは増して来る。例えば日本だけ水際作戦を続けたりすると、世界経済から取り残されかねない。コロナだけみれば、今の日本はかなり異常な状態まできている。世界中で経済面の優先順位を上げるようになってくるのが、却って心配である。岸田新内閣の動き方、米中の間合いの取り方、韓国の大統領選挙前の駆け引き。色んなグローバルな話題が渦巻く。とりあえずはオミクロンか。何が起こるか読めない毎日である。
2010年にリタイアした後、第二の人生スタートのつもりで何も継続せず、名前だけの「個人事業者・コンサルタント」を立ち上げた。2011年ふとしたきっかけで四国の企業と知り合い交流が始まった。その後2013年からは定例会議に出席するようになって、毎月高松に通い続けた。今回契約終了となり最後の出張をした。何と10年で91回も往復した。通常、木曜夕方に到着して定例の懇親会をやり、金曜は1日打ち合わせ。それが続いた。特に大きな寄与が出来たとは思わないが、伸びゆく中小企業の変貌を楽しく見せてもらった。純粋な化学企業でわくわくするような新しい合成をラボと現場で見せてもらった。中の経営陣や従業員の悩みや喜びも聞かせてもらった。こんな興奮を味合わせてもらったのは大きなプレゼントであった。最終回では10年の振り返りをプレゼンし、お別れを言い、美味しい酒を飲んだ。社員の皆さんに送ってもらって現役が終わった時の様な感動も覚えた。こうして一つづつ、継続してきた活動も終わっていくが、その度に良い「第二の人生」を過ごさせてもらったことを感謝する。何しろ、この出張があったおかげで、四国八十八か所巡りや、西国三十三か所巡りをやり、帰り途の旅も楽しんだ。感謝するしかない。ここでできた新たな絆も大切にしたいと思う。ただ、残念ながら時間だけは非情にもきちんと刻まれていく。この辺でまた、これからの人生を見直せよと言う岐路なのかも知れない。心は温かい充足感があった。
久しぶりにお声がかかって東京にでかけた。近隣の駅の駐車場も、電車の中も、途中のコーヒーショップも、昼食の親子どんぶりも・・・築地の街の風景も。全てがコロナ前に近づいている。大きく変わったままなのは外せないマスクと当方の気分。元通り明るくなれない。これはおそらく、自分自身の変化。家族や友人たちと会う機会が減り、ゴルフも飲み会も減って・・・それは決してコロナだけのせいではない。この1年2年の加齢のためだろう。あらためて、もう一度ちゃんと歳をとろう、と思った。良い機会だから誰もが「生きる」を考え直す時なのかも知れない。最近の変化や進歩を聞かせてもらって開かれた気持ちになった。ちゃんと年寄りになるのも容易ではない。
またもやファクターXか。日本の新型コロナの新規感染者数の激減ぶりには目を見張る。メディアでは色んな説が出るが、いずれも証明はできない。欧米や、東アジアでも、又もや増加傾向で、ロックダウン再開の国もある。何故、日本だけがこれ程の減少を示しているのか不思議である。ワクチン効果も、日本より接種率が高い国や地域もあるし、初期の主力仮説の「人流」も今の東京の姿を見れば到底信じられない。もう残っているのは「マスク」だけ。確かに何度か東京まで出かけたが、街の中から交通機関まで、マスクをしていない人など見られない。世界のニュースを見ると義務化に反発したデモが多く行われている。ワクチンの接種率も一定以上上がらない国もある。でもな、と捻った首は戻らない。所謂専門家にも説明できないようだ。政府も、第6波対策をいろいろ考えているようだが、意外とこの国はこのまま打ち勝つのでは、と期待させる。何年か後には「令和コロナの日本の奇跡」なんて本が発行されているかもしれない。結果オーライ程怖いものはない。自然科学現象には何年かかっても科学で付いて行きたいものである。だって、いつからマスクが外せるか、今の所予想すらできない。
2年ぶりに昔の開発時代の仲間とゴルフをした。当時新入社員として入ってきた若者が、唯一の現役。変化と多忙の中で頑張っている。後の3人にとってみると、コロナによる影響を加えた大変化は、正に別世界。社会情勢、ビジネスの状況から仕事の仕方まで大きな変化が続いているようだ。彼から見れば当方は当然老いていく高齢者であって、そろそろ「まだ大丈夫ですか?」の存在である。久しぶりに反省会。楽しかった。年寄り組の悩みは「みんなどう年をとっていくのか。何を目標に元気を保つのか。」という点。昔と違い、現代は体が健康であってもまず仕事や生き甲斐がなくなる。若者から見れば、「そんな、羨ましいことを・・・」となる。我々も若い時はそうだっただろうか。これを共通の話題とか、共通の悩みとは言えないけれど、改めて「元気はつらつ年をとる」ことの難しさを思った。やはり、色んな世代の色んな人とコンタクトを続けることは楽しいし、重要である。そう思った貴重な一日。
例年、この週末は御殿場での三井住友マスターズでの遼君も応援を兼ねて山梨をドライブする。今年は遼君は出場せず、コロナ禍の入場者上限など条件は悪かったが、いつものホテルは予約していたこともあって、例年通りの河口湖ドライブ。好天には恵まれて美しい富士を楽しんだが、やはりやや遅いのか、紅葉は下り坂であった。今年も500km以上走ったが、帰り着いた時の疲労感は毎年どんどん高くなる。車を止める、免許更新を止める、でもそのためにはゴルフも止める、色んな「止める」が続く故に、決心も難しい。車の自由度はやはり「魔物」である。我々世代がいつ、どんな理由で車社会の第一線を離れるか、今後の社会問題だろう。青空の下、紅葉の中を握るハンドルは、おそらく年齢をも若返らせることができるかも知れないけれど、それも必ず限界がくる。今回も何度も、「これで終わりかな」「いやいやまだまだいけそう」を繰り返した。何を判断基準にすべきなのだろうか。悩ましい。
岸田政権の公約とかでまず政府内で議論された給付金。18歳以下の子供のいる家庭に、生活困窮者に、そして大学生にも・・・次々と案が練られている。総額数兆円の給付だが一体後始末はどうなるのか。MMT理論で行けばどうってことないのかも知れないけれど、そんなにお金をバラまいて、世界が心配しているようにインフレになったり、他国が日本を買おうと思ったり、おそらく円は相当シンドイ。当方は子供の時から、「働かざる者食うべからず」と信じ、まずは食うために働くことを念頭に生きてきた。でも、大人になるにつけ、それだけでは駄目だとは思うようにはなった。働けない人はどうすれば良いのか、体を動かしているだけで何の生産的なこともしていない人も一杯いるし、果ては今後AIやロボットの時代になると、働きはロボットがやって人間には全員にお金を配る(ベーシックインカム)時代が来るという話もあるし・・・労働の対価としての賃金、などという分かり易い話では無くなってきた。それでも、「自分の生きた時代は分かり易い時代で良かった」と思っている。丁度良い機会だから「お金だけでは評価できない幸福」の話をして欲しい。特に教育の場でそれをやらないと人類が大切なものをみんな失ってしまうかも知れない。いよいよiPS細胞技術がガンとの戦い方を変えるかもしれないとか。何でもかんでも治さなくても良いのでは?と、また思ってしまう。
小学四年生の孫がやってきて、「爺ちゃん、SDGsクイズいくよ」ときた。手には「SDGsパズル」という本。子供達用で全てフリガナ付き。「地球上の水の何%が人間の飲める水?」だって。これは難しい。0.1%と答えたら、0.01%が正解とか。そんな問題が次々。「日本で捨てられている食料は年間プール何杯分?」「確か数百万トンだったから数万杯だね」などと頭をひねった。COP-26、ESG経営、SDGsと「環境経営」や「持続可能性」に関する話題がどんどん広がってきた。エネルギーを何に依存するか、現代人がエネルギー消費を減らせるか・・・多くの議論がなされる。科学技術関連では「脱炭素」がキーワードで研究テーマもこれに繋がれば研究費が取りやすいとか。当方など最も保守的な考えで、「CO2が悪いのではないのだから、CO2の有効利用や害のない捨て方を研究すべき」とか、「原子力エネルギーをここまで発展させてきたのだから、燃料サイクルを完成させるのが技術力」などと言っている。環境活動家から見れば最も許せない人種かも知れない。ただ、何となく嬉しいのは世界中でこの種の問題になると若い世代が声を挙げている事。ヨーロッパのニュースを見ると驚く。ぜひ、科学技術の世界でも若い世代が積極的にこのエリアの研究に入り込んで欲しい。ノーベル平和賞だけでなく、物理・化学賞の分野で次々とエネルギーや原子力に関する価値ある進歩が表れて欲しい。
選挙が終わって、日本の政治もこれから変わりそう。コロナの新規感染者の数字も驚くほど低い。でも、日本人は意外なほどおとなしい。もしかしたら、このまま第6波も来ないかも知れないと思わせる程である。一方、世界はポストコロナ時代に向けて動き始めた。まだまだ感染者が増えている国も主役は経済の復興に移り始めた。感染者が増えても、死者さえ増えなければという考えに変わりつつあるのかも知れない。ドルが強い、円安が続く、これがこのまま続くとインフレになるかも知れない。きっかけとなっているオイル価格の暴騰は、多分生産量が抑えられているからだけではなく、コロナ後遺症だろうから金利上昇迄一直線という訳にはいかないだろうが、それも心配である。何をとってみても日本人の慎重さがよく表れている毎日の変化である。岸田新政権もこれから動き出すが、世界のどの動きを見てもこれまでと同じ「様子見作戦」では許してもらえない気がしてならない。RCEPも現実になってきたようだ。米中の狭間の日本などと言っていられなくなるかも知れない。それは即ち「独立国日本」のアイデンティティーを求められることか。これを突破するには「安全保障」「米国核の傘」「日本国憲法」の問題を突破して、自分の意見で生きなければならなくなる。それをやるには今の日本は余りに心もとない。野党はダメな様だから、ここは岸田新政権に是非今後の日本を語って欲しい。
昨日の衆院選。最終結果が出た今でも、メディアは自民が減ったこと、大物議員が小選挙区で落選したことばかり大きく取り上げている。でも、投票前の予想はどうであったか、自公で過半数がとれるかどうか、とか立憲民主の大幅増とか、反政府の予想が主流だった。大方のメディアでこの結果を予想できたところは無かったようだ。特に選挙時のメディアに対して反感を持ってきた当方としては、こんな事態があった方が何となく快感を覚える。結果はどう見ても自民の大勝利である。単独過半数を取り、自公では絶対安定多数までキープして、安倍・菅政権と同レベルの強固な立場を保った。ショックを与えたベテラン議員の落選も世代交代と考えればプラスとも言える。ここは岸田総理はそれも逆手に取って自分のやりたい政治にチャレンジするチャンスだろう。それを注視したい。保守サイドから見れば維新の会の急進は予想以上であった。これから2大政党を考えるのであれば、維新と自民を足して2で割った方がおそらく投票率も上がる。野党側の最大の失敗は立民と共産の共闘で、連合の支持を失ったことだと思う。今回の選挙で「伸びなかった野党」の中心点だと思う。これから政治がどう動くのか良く見ていたい。世界中が混沌としていて、日本だけがノンビリ、なんて許してくれるはずがない。でも、俯瞰して考えると、いやはや日本国民のバランス感覚、「今のままで良い」という保守感覚は本当に強い。いつまでもそれが許されるはずはないのだけれど。
クライアントの勉強会で「MMT理論(現代貨幣理論)」を勉強した。時々Net記事や雑誌のコラム記事などで話題になっていたのは知っていたがこれ程興味深い話とは知らなかった。曰く、@自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない、A財政赤字でも国はインフレが起きない範囲で支出を行うべき、B税は財源ではなく通貨を流通させる仕組みである、という話。インフレにならない限り(これが問題なのだが)金が無ければどんどん国債を発行し、それを日銀が買い取り、お札を刷り続ければ絶対金融破綻など起きない、という説である。確かに当方も何度も金融赤字の本質を考える度に家計や、企業経理との違いを不思議に思うことはあった。その謎を解いてくれる理屈ではある。当方などグローバリゼーションと新自由主義の中で社会人生活を送ってきたわけで、そう簡単に「そうですね」とは言えない。この理論は世界の経済学者の間でも議論されいるらしく、Net上でも話題を提供している。当方は一方で目を覚まされた感はあったが納得はできない。おそらくこの議論の行きつく先は為替(円安とそれに伴う信用ダウン)、インフレ(今、企業や家庭に溜まっているお金が動き始めた時にハイパーインフレにはならない?)、海外投資家の国際購入(日本を制御する武器)、の辺りが問題にならないかどうかという点ではないだろうか。最近円安傾向が進んでいる。そのあたりを予測した人達が円を売り始めているのではないだろうか。そんなことを考えた。レベルの高い、でも面白い勉強会であった。
眞子様の結婚とか。今日もメディアは大騒ぎ。当方にはこんなに騒がれる理由が分からない。普通の若い女性の結婚と同じように「良かったね。おめでとう。」で十分な気がしてならない。でも、多くの意見を見ると、「皇室だから」「税金で賄ってきたから」から始まって、「日本の歴史の1ページだから」「黙っている訳にはいかない」まで、騒ぎ立てている。我々団塊世代にとっての皇室は、スタートは天皇戦犯論からスタートしていたはずである。それが、昭和天皇の人間宣言から美智子皇后、そして雅子皇后へと、人間天皇の流れの中で、とりあえず、象徴天皇を大切にする、という形で生き続けてきた。天皇家の努力はいかばかりだったかと思う。でも、多分、我々世代以降の日本人にとっての天皇家は英国王家を始めとする他国の王家と比して永遠に尊敬され続ける対象ではないかも知れない。昭和、平成、令和と続く中で、天皇家の意識の高さと努力に頼っているように思える。これからどう変わっていくか。当方の様にいい加減なサポーターばかりでは、心もとない。眞子様の結婚問題で、久しぶりに日本人が「皇室問題」「一人の人間の自由の問題」を考えたとしたら、大きな貢献をされたと言えるのかもしれない。
軸足を「景気回復」におく国が増えてきている。新規感染者が減っていなくてももう待てない、という状況の様だ。一方の日本は「本当に」減っている様で専門家でも説明できない新規感染者数減少が続いている。恐る恐るだが制限解除も「せざるを得ない」発表が継続されている。世界にない例なので胸を張って何故なのか説明したいところだが、まだまだメディアの主張も第6波が始まった時の対策主体である。ここで何か確定的なことが言えれば格好良いのだが、???ばかりが続いている。さてそんな中の衆院選。何が起ころうとしているのか見えない。野党は政権選択選挙と叫んでいるが、自民党勝利(とは言っても現状は維持できないだろうが)では終わるのだろう。立憲民主党と国民民主党(と維新の会)が組むような野党共闘なら興味も湧くが今の状態では望ましい2大政党政治はは望めそうにない。でも期待したいのは政治の主役交代。まずは若者が投票することによる投票率のアップ、当選者の平均年齢のダウン、そして「世界を見る日本」の新しい政治。今準備をしないと自主性のない国になってしまう。大きな変化は近づいている。団塊は「いかに消えゆくか」の準備をしなければならなくなっているが、今回はまだまだ存在感はあるかも知れない。そこが注目点の一つではある。
夜メールを開いていたら、いつものように「日経ニュースメール」が届いていて、ザっと見ていた中に、今日開かれた「景気討論会」の記事があってクリックした。何と2時間の討論会の全てがビデオで見られる。面白そうで、見ていたら翌日になってしまった。参加者の選択もバランスが良く、富士フィルムホールディングの会長、明治安田生命の社長、日本総研の理事長(女性)、日本経済研究センターの理事長だった。米国、中国、そして日本の経済の現状分析と見通しの議論で何れも変化の真っ最中のことで、この人たちがどう捕えていて、どう見通しているか興味深かった。それぞれの立場の違いもクローズアップされた。司会者の日経役員も含め、5人とも視野が広く、世界の現状に根差した議論だった。3か国ともこれからどう動くか、関心もある。コロナへの対応(日本の感染者数の激減、中国の発表の信頼性、米国が抑え込めるかどうか)、景気の見通し(本当に急回復できるのか、米国はコロナで再ブレーキ、中国は恒大問題のインパクトと習近平の「共同富裕」方針、日本は岸田政権と総選挙の行方)、身近な急激な円安傾向と、燃料価格の高騰など、この人たちの意見は面白かった。総合してみると、「大企業の景気は好調」「日本の家計は余裕。それをいつ使い始めるか。」「世界中で格差は広がる一方。対策を打つと景気は悪化。」という「かじ取りが一段と難しい世界」になっていくという事か。でも、変化に驚いたのはこのビデオそのもの。今日あった討論会を夜自分のPCで全て観ていること、これにはタマゲタ。このスピードについていけるのだろうか。
「専門家」も多くが説明できないとか。第5波の新規感染者、重傷者、死者が急激に下がって、いつの間にか制限解除の方向に動いている。不思議なのは増えている時に見られたタイムラグもなく、大都市も地方も同じタイミングで変化している。どうも「選挙目当ての意図的数値」では説明できないようだ。もう1年以上経っている訳で、ウイルスの季節性でもなさそうだし、せめてもっと各種の仮説が欲しい。増加時のキーワードはただただ「人流」「接触」、対策は「マスク」と「食事時の会話」だけで、ここ1か月をとってみても、「ワクチン」しかない。ワクチンがそんなに「何もかも」解決できたのだろうか。もしそうなら、特別令ででも、全国民ワクチン接種義務化をすべきだろうが、おそらくその証明はない。厚労省も専門家もメディアも次の第6波が来た時の対策ばかり叫んでいる。日本よりもっともっと感染者や死者が出ている国も今や経済の回復の方に力点をおいている。1年前なら恐れおののくほどの感染なのだけれど。これは国民サイドの受け取り方の気持ちの問題なのだろう。軍隊を持つ国は、あちこちで犠牲が出てもある一定以上は騒がない。「戦死も戦いの一部」と捉えられるからだろう。コロナもそれと同じように受け止められるようになったのかも知れない。人間とは冷酷なものである。ま、とにかくこのまま収まって第6波の心配もしなくて良い状態に戻りたい。「科学よ、頑張れ!」でもある。
衆議院が解散、これから選挙で騒がしくなるのだろう。4年振りのことで久しぶりの感じである。ひところ毎年のように選挙があったが、それはそれで世の中の変化を実感するには良かったように思う。でも問題は投票率、特に年寄り世代が暇なので、きっと選挙で盛り上がる。そうすると高齢者福祉を叫ばないと当選できない。先にも触れた「オペレーションZ」では、そうしている内にどんどんバラマキが進み、借金大国になっていく(実はもうなっている)。自分には苦しいがやはり、若者が自力で活力を生み出すような社会であって欲しい。まずは投票所にいくこと、自分の意見を持つこと、態度で表すこと。それがスタートだと思う。年寄りの声に負けて文句ばかり言っていてはいけない。メディアも選挙報道の在り方を考え直してて欲しい。いつの間にか事前調査で当選がわかり、出口調査で投票時間が終わったとたんに「当選確実」が出るのを見ていれば、自分の一票の価値など不要に思えてくる。当選確実発表は翌日でも何ら問題は無いのだから。小選挙区制度や選挙区割りの見直しを含め、選挙制度の見直しを期待したい。それを国会議員に求めること自体が無理なんだろうけれど。民主主義を考え直す良い機会が来たと思わねば。 文芸春秋の最新号に現役財務次官の記事が載って(当然)大きな話題になっている。岸田内閣スタート時であり、衆院選挙の直前でもある。計算しつくされた記事ではあると思うが、気にはなる。兎に角、新政権を含め、野党も選挙前の「公約」は「バラマキ競争」。財務省ならずとも疑問符はつけたくなる。確かに格差はどんどん広がり、貧は貧を呼んでいると思うが、一方の「富」は富でおそらくどんどん貯めているだろう。この問題をどう治めるか、これからの自由民主主義の最大の課題である。貧を救うための「公助」は概念としては誰も文句は言わないだろうが、線引きは容易ではない。1人当たり10万円を配るのは簡単かもしれないがお隣はもらってウチはもらえない、という問題は正に民主主義に反する。そんな難しい決断を誰ができるのだろうか。結局は税金を払っていない人とか、生活保護を受けている人とか、ちょっと違うかなと思われる所で線を引くことになる。それを嫌がると正に「バラマキ」となる。与党も野党も「困っている人達を救う為」のバラマキばかり考えている。内実は人気取りに過ぎない。なぜならコロナ給付の一人10万円でも多くが貯蓄に回っていて、消費の喚起にはつながらなかっと言われている。恥をさらすようだが当方は3人目の子供が出来た時、所得税がゼロだった。仲間と飲んだ時(皆節税の話をしていた)、「早く所得税を払えるようになりたい」という迷(名)言を吐いたらしい。いつも馬鹿にされる話題である。でも、原理原則で言えばそれが「本来の姿」ではないか。今でもそう思っている。さて、財務次官の記事に対する反論が多く発表されている様で、「バランスシート(BS)でみるべき」という意見がある。確かに日本国のBSでみれば、相変わらずの豊かさで札束をいくら印刷しても良さそうに見えるかも知れないけれど、これから(既に)日本国債を買い占める外国勢が増えてくれば、そんなことは言っていられなくなる。間違いなく日本は衰退していく。真山仁の「オペレーションZ」がお勧めである。誰もが心すべき財政破綻問題である。
日本人の受賞が続いたためにここ数年ノーベル賞に関するメディアの扱いが大きい。夏ごろから今年の日本人受賞者候補などといった記事が表れる。当方もリタイア後、国の大型研究プロジェクトの追跡調査を手伝っているものだから、特に著名な大学の教授にインタビューをする機会があったりして、現役の頃よりこの世界に通じてきた。しかも化学賞の候補にいつも上がっている先生方には面談した人もある。あの人は可能性があるかもな、とかあの人のノーベル賞は無いでしょうとか、まるで競馬の凱旋門賞の前日の様に予想を楽しませてもらっている。競馬になぞらえると不謹慎だが、これから日本の研究は可能性が下がってくると言われている。特に基礎研究の場合、国力が大きく影響する。一連の日本人受賞者ブームは日本の高度成長と関係があるだろう。米国は自由主義による大きな格差、「持てる人の投資」が必須である。貴族時代の文化・芸術の盛衰とも重なる。今の大学の先生たちに最も求められる能力は実は「研究費を集めて来る能力」である。人を集め装置に投資できないと進んだ研究はできない。実用化の遠い基礎研究にはナカナカお金が集まらない。日本は実用研究には企業が金をつぎ込めるのだから基礎研究にこそ国が・・と思うのだが、どうも国が実用化を焦るようだ。今年の化学賞は「金属を使わない触媒」、2000年以降の研究と知って己の年齢を思い知った。嬉しかったのは物理学賞か。日本人(?)が含まれるかどうかなどという事より、いつの間にか発展を遂げた天気予報の精度向上には毎日お世話になっている。量子だの格子だのという難しい物理から離れて、古典物理といえる地球物理にハイライトを当てた選考委員会にノーベル賞をあげたい。
10月になって、緊急事態宣言も終わって、岸田内閣がスタートして・・・何故か良く分からないけれど、新規感染者数も、重症者数も、死者数も急激に減って。不思議な現象である。東京都だけでなく、全国で、地方も同じ傾向で急速に改善している。当方など、この種の統計値の発表に一つ一つクレームをつけて人為的な操作を疑ってきた。一次窓口が、保健所であること、私立病院が直接関与しないこと、どの段階にもタイムラグがあること、等等疑問ばかりだったから、これは菅首相再選のためのシナリオだと疑っていた。ところがその大前提が破れても順調に下火になっている。次は総選挙。コロナ下火は間違いなく自民党に有利に働くだろうが、ここまで作戦でコントロールしている(出来ている)とは思えない。でも「専門家」の先生たちもこの急変は説明できないようだ。人流抑制と、飲食場所制御だけで説明できるのだろうか。ま、何故だかわからないけれど良い方向には動いている。この機会にやるべきはまずこの「何故?」をきちんと説明出来ること。これができないと第6波、7波など対処できない。確かに歴史を振り返ってみればこれまでのパンデミックも大きな犠牲は出しながら、どこかで消えていった。昔はワクチンも、特効薬も、おそらくマスクも無かった訳で、それでもどこかで解決した。現代の人類のレベルならこの辺りで・・・という事なのだろうか。
下町の技術力のある小さな会社を主人公にした面白い小説があって、テレビドラマ化されて大ヒット・・という話は読んだり聞いたりしていたが、余り「それは読んでみなくては」とか、「DVDで観なくては」と思ったことが無かった。この度何か調べものをしていて引っ掛かって、こりゃちょっと読んでみなくては、と思い既刊の4冊を購入、あっという間に読破した。ストーリーとしては流石直木賞を受賞しただけあって最初の下町ロケットが面白い。でもこれを読んでいても気が入ったのは前半の企業訴訟の部分。丁度、1クライアントに訴訟問題が起こっていたから。でも、全体を通じて思ったのは「大企業はそんなに偉そうにしているのか」という感想。自分が現役の時の振る舞いを一つ一つ思いだしていた。リタイアしてからの中小企業相手の付き合いの方が当方には合っていたような気がする。第3,4巻のゴーストとヤタガラスは企業問題と言うより国策としての農業問題、技術としてのロボット(無人運転)問題。純粋に面白かった。これがリタイアと同時なら何か計画していたかも知れない。故郷を思った。久しぶりの一気読みの4冊。誰かに紹介しようと思ったら、多くの人たちが「読みました」とか「ドラマは全て観ました」とか、当方だけが遅れていたようだった。でも若い人達がこんなドラマで感動しているとすれば、日本の将来も捨てたものではなさそうだ。久しぶりに若返った。
やはり予想通り岸田新総裁が決まった。どの派閥が応援したとか誰に忖度しているとかと言う下世話な裏話を無視すれば、常識的でバランスの取れた新総裁かも知れない。自民党はやはり「安定」を基軸にした党なのだろう。でも、問題はこれからで、来るべき衆院、参院の選挙で勝つには、やはり独自色、新機軸を打ち出す必要があろう。メディアが言うように「長老跋扈」の政治にしないことが重要である。当方はやはり、「世界の中の日本」に重点を置く政治を望みたい。力のある内閣を構築して大臣がポリシーを持って政府を引っ張り、総理大臣は常に世界を見ているような大局的政治を・・・その意味でも、明日からの自民党人事と、続く新内閣を注視したい。菅内閣のスタート時の学術会議のメンバーの事件の様な問題を持ち出さないことが重要である。長老に振り回されない岸田ドクトリンを期待したい。それができれば、今回の総裁選びは世紀の大逆転になり得る。
昨日の朝日の夕刊に「新田サドベリースクール」を題材にしたドキュメンタリー映画「屋根の上に吹く風は」の公開が近いとの記事が掲載された。「鳥取の学びや」と紹介されていたのでふと読むと、何と場所は我が故郷「智頭町」とある。GoogleMapで調べると、ちょっと違う谷ではあるが、正に同じ町の別の山奥。興がのって次々と検索すると、サドベリー・バレー・スクールは米国マサチューセッツ州のユニークな教育機関とか。その日本版が9校あるらしい。確かに智頭町が広く国内移住(田舎暮らし)や、古民家案内活動や、ユニークな幼稚園を誘致したりといった運動をしていて、徐々に移住してくる若い人達が増えているという話は聞いたことがあった。ただ、この国際的「フリースクール」ができたのは初耳だった。「子供が自ら学ぼうとする力を信じて全て自由にやらせる」という教育方針は理想的ではあっても、非常に勇気が要る育て方である。ひきこもり、いじめ、暴力など、現代の教育の中での問題点を解決する策の一つとして挑戦的な運動である。そんな学校が我が故郷に出来ていると知って刺激された。次回帰郷した時に訪れてみたいと思った。父はこの町で高・小・中学校の教師をして寿命を全うした。世の中の変化に驚き、興味深く見ているかも知れない、などと思いながらMapを見た。まずは映画をみなくては・・・
リタイア前に安価な会員権を買って、一応「メンバーシップ」を持っていた。周りにOBを含め多くのメンバーがいたものだから、その仲間に入れてもらうのも目的だった。OBになってからは定期的コンペに出たり、忘年会をしたり・・楽しい会だった。2年前から27Hを18Hにする改修工事の話があり、1年前には工事が始まり、とりあえず新6Hが出来上がった。今はその6Hのみで営業しているが、コロナも絡んで流石にプレイヤーは少ない。当方など、今年になってから1回プレーしただけで他のゴルフ場もしっかりご無沙汰。いつの間にか、「この機会にゴルフも止めるか」と言ったムードになりかかっていた。今日、久しぶりに昔の仲間と6H*2=12Hをプレー。楽しんだ。やはり青い空の下で緑に囲まれると、池の周りをひたすら歩くウオーキングとは違う「スポーツ感」を楽しめる。今日に限って気温がぐんぐん上がり汗ダクの半日にはなったが、やはりコースに出る楽しさは捨てがたい。11月には経営権も移り、コース名まで変わるとのことだがどう変わっていくのか楽しみではある。何もかも新しくなってインパウンド対象の高級リゾートという話まであるが不明である。こんな近い所にまで時代の変化が訪れている。新しく生まれ変わった18Hで昔の仲間とコンペが出来たら良いね、と話しながらプレーした。ロクに練習場さえ行かない遊びプレーヤだからスコアよりも何とかチャンと回ることだけに集中して。良心的クラブで、先日会員権を返却したら、11月には額面を返却してくれるとか・・・信じられない様な話である。当方の1時代がまた終わる。
敬老の日とかで夜になると孫たちから電話がかかってくる。コロナ騒ぎで顔を見る機会もどんどん減っていって、彼らにとって爺ちゃん婆ちゃんは「元気で生きて下さい」と励ますだけの対象になりつつある。確かにもし我々夫婦のどちらかが病に倒れたり、動けなくなったりすれば子供たちにとってみれば一大事ですぐに対策が必要となってくる。孫たちに「爺ちゃん、婆ちゃん元気で頑張って」と言わせるには間違いなく子らの意向がある。何とか健康でいたいと改めて思う。さて、70歳を超えて病気に対する考えが徐々に変化している。薬についてもそうだ。基本的に「より自然に年老いる」ことの重要さを意識する。若くて社会の一員として参画しているという時代なら対病も「何としても治したい」と考え、最新の医薬、最新の医療に頼りたいと思った。今は、何十年も頼っている降圧剤や血液サラサラ剤などを除けば何とか薬を減らしたいと思っている。代わりに漢方薬やサプリの方を重要視している。現代医薬は病の細胞を攻撃する。いかにそれ以外への副作用を減らすかがポイントである。一方、漢方やサプリ(当方の愛用はローヤルゼリーやアロエ等)は体全体を元気にする働きがある。口内炎とか、外傷でもローヤルゼリーは非常に効く。子供の頃からアロエも良く使った。数年前に腫物があった時、医者に行くのをためらっていたら数日間で治った。ガンの件では近藤誠先生と言う方がおられ「ガンもどきのガン」を説いておられる。当方も年齢と共にその説を信じるようになった。70歳を超せば誰でもガンの一つや二つはできる。早期発見して切り取ることにそれ程意味があるのだろうか?だんだんそう思うようになってきた。もう「自然治癒能力」に任せても良い年齢なのではないかと思う。勿論、鎮痛薬は必要だけれど。この種の考え方は年齢と共に変わっていって良いのではと思っている。何でもかんでも早期発見して治していくと高齢者は皆病院で寝たきりで死ぬのを待つことになるのではないか・・・そんなことを改めて思う敬老の日である。
今日が立候補届け出の日らしく、ニュースはこれ一色。一政党の総裁選挙で、国民が全員参加する訳でもないのに盛り上がっている。確かにここで勝利すれば日本国の総理大臣になるわけで大きな意味はあるが、どうも米国の大統領選挙と比べても何となく迫力には欠ける。ただ、今回の菅総理の不出馬宣言も含め、自民党の政党としての強さを感じる経緯ではあった。とりあえず今の状況は、4氏の内の誰が選ばれるにしろ、次の衆院選挙では、自民党の勝利は続くだろう。そう思わせる総裁選挙である。河野vs.岸田で、どの段階で決まるかによるが、結果として岸田総理の誕生になりそうではある。刺激的変化と言う意味では河野総理も面白そうではあるが、これまでの言っていること、やっていることを振り返ると、「大丈夫か」という懸念はぬぐえない。ま、誰がトップに立つにしろ、問題は次の衆議院選挙、来年の参議院選挙であり、内閣・行政府がどうなっていくかという点である。「この国をどうするか、どうしたいか」という質問にクリアに答えているのは高市候補であって、でも全面支持したくはない。せめてこのレベルで他の候補もビジョンを示して欲しいものである。当方ですらそんな興味で総裁選を見ている訳で、各候補がきちっと議論してくれれば価値はあろう。自民党得意の「ホンネを言わない長老政治」を「ホンネが流れる次世代政治」に変えていく選挙であって欲しい。世界がドラスティックに動いていく中、日本だけが昔ながらの「アウンの呼吸政治」では世界の中で立ち行かなくなるのでは、と思う。「変化は必然」と思わせる時代の流れである。
ビデオで「街道をゆく」を観ることを決め、約半年で全て見終わって、再び文庫本に戻り「街道をゆく」を読んでいる。まだまだ読んでいない著書が沢山あって、到底司馬ファンとは言えない。小説時代が終わった後、彼は「街道をゆく」だけではなく多くのエッセーを書いた。「この国のかたち」とか「風塵抄」などは読んだがもっともっとたくさん書かれている。その中に「「明治」という国家」と「「昭和」という国家」というNHK出版の本がある。前者は「太郎の国の物語」、後者は「昭和への道」というトーク番組の内容を本にしたものであった。最近になって両方を購入して読んだ。主な関心は後者の「昭和と言う国家」であった。良く言われるように司馬は明治維新と明治時代を大変評価していて、一方昭和の元年から敗戦までは、狂った時代と呼び全く評価していない。それが、「司馬史観」の柱である。当方も「司馬遼太郎の描く昭和」には大変期待していて「何故書いていないのか?」と思っていた。司馬史観によれば「書くに値しないほどの酷い時代だった」と言うことなのかも知れない。ところが実は彼はノモンハン事件については構想もあり取材もし、書き始める所まで行っていた。主人公のモデルであった須見元大佐の取材も終わっていた。ところが丁度その頃、司馬は伊藤忠の瀬島龍三(元大本営作戦参謀)と親しく面談。これで須見氏が立腹、絶交となったらしい。ということもあって「昭和と言う国家」には期待して読んだのだが、これには騙された。確かにトーク番組は「昭和への」道であって、「昭和そのもの」ではなかった。明治と言う良き時代からどう酷い昭和に移っていったのかという内容である。学校教育で近代史以降をちゃんと習った覚えのない当方としては、司馬の描く酷い「太平洋戦争史」は読みたかった。戦後生まれの我々世代にとっては次の世代に昭和がどう語り継がれるのか、気になる所である。
コロナの話題をさらってしまう自民党総裁選。投票できるのは自民党員だけだからこんなにメディアが採りあげなくても、と思うけれど色んな思惑が働いてこればかりがクローズアップされる。せめて候補者には今の世界の中で日本はいかにあるべきと思っているか、どうしたいと思っているか、出発点として示して欲しい。現実論は選ばれてからで十分である。バイデンのアクションは激しい。トランプと違った立場でドラスティックである。アフガニスタンはあっという間にタリバンの国になった。願わくはタリバンと米国の間に基本的合意はあったと思いたいが、アフガニスタンがどんな国になるのか目が離せない。日本国はこの国とどう付き合うのか。何も聞こえてこなくなったミャンマーとはどうか。そもそも米国とは、中国とは、韓国とは、北朝鮮とは、ロシアとは?貿易立国を捨てるのならともかく、グローバリゼーションをキープしてこその日本、と考えると、今の世界情勢は正に「覚悟無くして踏み出せない」状況である。小泉純一郎は郵政解散で成功したかも知れないが、そんな覚悟ではダメだろう。誰かの言葉をマネするのではなく、自分の信念を曝け出して次の衆院選を戦える人が良い。希望的に言えば、そんな考えが出来る日本国民も間違いなくいるはずだから。世界の中の日本、遅れてしまった日本、借金だらけの日本、頼ってばかりの日本・・・出てこい、根性ある政治リーダー!!
この季節には果物も豊富で毎日各種の果物を楽しむ。輸入品も多くなってだんだん季節感を失うのが何となく寂しい。毎年、果物で繋がっている知人たちに鳥取の二十世紀梨を少しだけ送っている。何となく、当方の名前を聞くと鳥取県そして二十世紀梨と連想ゲームになるらしい。実は二十世紀梨が生まれたのは千葉県、そして千葉県も多種の梨を生産出荷していて、今年など当方は鳥取の梨のみならず千葉の梨を頂いて味わった。でも、「連想ゲーム」の人達には何とか鳥取の二十世紀を送ろうと例年の知人に頼んでみたが、この不順な天候の為に今年はまるでダメとか、断られてしまった。最後の手段でWebで二十世紀梨を探し、送ることはできたが、やはりこうした季節の果物は例年と同じにはいかない。一方贈られる側の当方は、今年は鳥取の二十世紀から、甘い「新甘泉」、千葉の「豊水」など、各種の梨を楽しんだ。贈り物も思うようにはいかない。でも、こうして季節性、地域性の強い贈り物は楽しい。「当方の故郷は・・」という時に果物の姿があると嬉しい。味わう側とすればいつでも美味しいものが食べられるのは嬉しいが、でも、この季節だけ、あそこでだけ獲れるといった枕詞がついているとなぜか一段と嬉しくなる。「体で味わう」とはこういうことだろうか。季節感は大切にしたい。
一体、先週霞が関で何が起こったのか。毎日のニュースに振り回された、最終結果は菅総理再選目指さず。権力志向に思えた菅総理だが、少数派閥の悲哀か、結局打つ手は無くなったようだ。この政権を作り上げた安倍・麻生・二階の長老たちはどう責任を取るつもりなのか。混沌とした政局になってきた。2度目の安倍政権が始まった時、外交も含めサポートする気になったが、途中からほとほと厭になってきた。そのあたりの作戦を牛耳っていたのは菅官房長官だったらしいが、おそらく名官房長官だったのだろう。ただ、名参謀は概してリーダーでは成功しない。菅政権の参謀は誰だったのか。それが不明である。叩かれるのを覚悟で言いたいことが言えるリーダーが欲しい。米国の大統領を見るとやはり発信力が違う。菅総理も、もう少し発信力があったら、もう少し笑顔で話せたら・・・意外とつまらぬところに信頼を得るネタはあったのにと思う。難しい表現で言えば、「ビジョンが見えなかった」、「戦略より戦術を優先した」、「全て自分の判断と自分の力で解決しようとした」、「安倍・菅に相当する官房長官はいなかった」等等、これから大きく取り上げられるだろう。さて、今月は次期総裁選びの月になる。世間の関心は自民党に集中する。野党はどうするのか・・・結果として自民政治への反転になるのかも知れない。世界の政治やコロナは待ってくれはしないと思うけれど・・・
コロナ騒ぎでクローズアップされた日本のデジタル化の遅れ。デジタル庁が発足した。我々企業の出身者はどこかの段階でこの件は悩まされた。言うまでもなくデジタル化を促進すればするほど人間のやるべき単純繰り返し作業は減ってくる。人を減らすとか、職務を変更するなどの対策を取らざるを得なくなる。公務員も当然なのだが、公務員の場合、特に急いで対策を取らなくても企業の様に「競争に負けて生きていけなくなる」という逼迫感は急には感じない。扱うデータに「日本語」という特殊性もあって、官庁のデジタル化は遅々として進んいなかった。そこに来てのコロナ騒ぎ。全国民にお金を配るとか、色んな救済措置を施すとか、感染者の把握と統計処理、PCRやワクチン接種など、時間との勝負も大きく影響する問題が続いた。「人間がやった方が安心」などというセリフは通用しない。スピードを求められる仕事はITには勝てない。ようやくデジタル庁の発足、となった。でも箱だけ作って何ができるか、人を動かす人たちがITオンチの高齢者ばかりである。先日公民館のPC教室の付録として「ZOOMのやり方」と言う特別講座を計画したが、参加希望は少なかった。高齢者は「努力を投げている」。こうしてみると我々が続けている「ネット飲み会」も捨てたものではない。ただ、教師をしている息子たちに聞くと学校教育の世界もこの問題で振り回されているようだ。家庭環境の平等の問題、年齢の高い先生方の教育等等、容易に想像できる。さて、松下村塾の時代にこんな問題が起きたら、維新の雄達はどう立ち向かっただろうか、大河ドラマの渋沢栄一を見ながらあんな柔軟性を志士たちは皆持てただろうか、と思う。「革命」になるのかも知れない。
昨日の夏の甲子園決勝戦、何と奈良の智弁学園と和歌山の智弁和歌山の「兄弟校同士」の争い。興味深く観た。結果は和歌山の大勝。なかなか良い試合だった。TVを観ながら智弁を調べ、宗教法人を調べ、余り認識も無かったことを多く学んだ。考えてみれば、PL学園も、天理高校も、宗教法人からみの高校で強豪校は多い。でもこの智弁はユニークで面白い。宗教としては辨天宗というらしく、真言宗系とは言われているが、仏教という訳ではない。高野山の僧侶の奥さんが宗祖。その人が昭和9年に辯才天の天啓を受けたとか、かなり新しい新興宗教であるが、特に怪しいものではなさそう。現世ご利益があったのか、漢方の様なものを売って(きっと効いたのだとは思うが)薬事法で訴えられたことがあるようだが、今でも多くの信者を得ている。オーム真理教、統一教会、創価学会、天理教、世界救世教、生長の家、PL教団、霊友会、顕正会、幸福の科学、崇教眞光等等、多くの新興宗教があって、社会問題を起こすことも多いが、でもこんなに次々とと現れて、いずれも熱心な信者も得て、驚くような立派な本部があって・・・何かがあるのは間違いない。創価学会は政治を動かし、他の宗教も多くの人の心を動かしている。子供の頃から色んな話を聞かされてきたけれどやはり、人間には皆どこかで苦悩があって、何かに縋りたい時がくる。その時に宗教の存在は大きいのだろう。ついついこれらの新興宗教には眉を顰めることもあるが、考えてみれば我々も普通にお宮に参り、お寺に参り、手を合わせお賽銭をあげている。禅宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗などの仏教やキリスト教は良くて新興宗教が悪いという理由は全くない。「でも、オームはね」とは思うけれど。宗教法人には税制の大きな優遇措置があって、まずそれが現代社会の大きな疑問を作り出している。でも、この問題は人の心の中にまで入ってくる故、そう簡単ではない。高校野球の決勝戦のお蔭で久しぶりに「宗教」を考えた。
今週の公民館のPC教室も終わった。緊急事態宣言の最中だったが、今年も予定通り終われた。検温、消毒、マスク、人数制限と一応、手は打ってあったが、一番大きいのは高齢者でワクチンを接種済みであったこと。例え10%の感染危険があっても、「ワクチン接種済の人達は元の生活に戻る努力を」と言うのが当方の基本的立場。出来ることはやって、でも出来る範囲で日常に戻る努力を心掛けるのが一人一人の目標ではないかと思う。速い夏だった。暑くて、その後大雨で、その後また暑くて。天候も酷かったが、やはり社会情勢が落ち着かなかった。コロナだけではなく、ミャンマーもアフガニスタンも、香港も台湾も韓国も、イランもインドも、色んな国で色んな事件が起こって、いずれも今後の日本の行く末に大きく影響する。その日本もオリンピック、パラリンピックがあって、自民党総裁選、すぐ後には衆院選、落ち着く暇もなく政局が続く。これまた歴史に残る「熱い夏」になりそう。誰が、どんな意見が、何に重点を置いてこれからの日本を引っ張っていくことになるのか、まもなく夏が終わりそうである。
最近、政治と経済を考えることがものすごく多い。例えば中国の問題。政治の面では、新彊ウイグル、香港、台湾、尖閣など、どのニュースを見ても許せないことが多い中国だが日本経済の中国依存度はもはや引き返せない所まできている。米中関係のある時点では経済関係も一時ストップせざるを得なくなるのか、それとも韓国の様により中国寄りの発想を求められるのか。今の日韓の状況は政治が経済も殺してしまった。日米関係にしても余りに政治が繋がりすぎているが故に経済での主体性が小さく、「日本として」という発想、発言が殆どできなくなっている。さて、どうすれば良いか。強烈なリーダーが表れて日本の「独立宣言」でもして、核兵器開発宣言でもしない限り米国の51番目の州である(それで良い、という考えは勿論あるだろうが)。大戦後の経済立国の考えだけではやっていけなくなるのは見えている。さて、中東の状況は危うい。日本に本気があれば、もっと存在感は表せるだろうが、「世界の中の日本」を際立させることになる。そんな冒険ができるだろうか。そしてこの度のアフガニスタン問題。米国は多くの国に(米国だけに頼らないよう)踏み絵を迫ってきた。日本はどう動くか。移民の問題も知らん顔は出来なくなるだろう。こんなことがある度に「金で解決」してきた日本だったが、実はもうそんなにリッチな国ではない。経済だけでは渡っていけない世界になっている。政治と経済の次に自信を持っていた「研究技術開発力」があったが、今はそれも大変心もとない。それも強く感じるこの頃である。
しばらくコロナ感染について触れなかったけれど、新規感染者はますます増えている。ワクチンのお蔭だろうけれど70歳以上は確実に減っているが、感染しやすいと言われる変異株のせいか、感染は若年層に拡がっている。ヘソ曲がりの当方など「これまで若年層のPCR検査をしていなかったのでは?」などと思っているが、でも重症者の若年化を見るとやはりそうなのだろう。本当にそうなら、アピールが足らないと思う。数か月前までと状況が変わってきていること、若年層も気をつけねばならぬこと、若年層から子供たちや高齢者を危険にさらす可能性があること、それをもっと訴える必要がある。絶対数でみれば昨年より多くの感染者が出ているというのに国としてのアピールが弱い気はする。当方はこんな時のメディアの対応と責任が気になって仕方ない。各メディアはもっと確固とした訴えをして欲しいと思う。国民全体が疑心暗鬼になっている時に、「特例」を取り上げすぎるのではないかと思うことが多い。コロナがなくても多くの人が色んな病気を患い、色んな病気で死んでいる。そんな中でのコロナであることを庶民に認識させる記事であってほしい。医療関係のひっ迫度合い、自宅療養の現状、ワクチンの後遺症や、コロナの後遺症など、採りあげ方の責任を認識しているかどうかが時折気になる。自分たちの記事がどう受け止められ、どんな影響を及ぼすか、それも考えながらニュースを作って欲しい。民主主義と言うのは少数意見に耳を傾けながら、でも最終的には多数決であることを常に頭に置いておく必要がある。戦前の雰囲気と比較する論調も出始めた。どんな意見があって、どんな方針の決め方がされているのか、そこをフェアに伝えることこそ、「歴史の過ちを繰り返さない」ことではないのか。そんなことを感じるこのところのニュースである。
昨日、わざわざ東京まで心臓CT(断層撮影)検査にでかけた。10年以上前から定期的にかかっている大病院系列のお医者さんが居て、2〜3か月に1回、薬を処方してもらっている。10年以上前に狭心症になりかけ、ステントを2本入れたのがそもそものきっかけ。その後ずっとその関連のクリニックで定期的チェックを受けている。ここ数年は聴診器は勿論血圧も測らない。ちょっと話して薬を処方してもらって終わり。こちらもこの年齢だからと自宅近辺に「かかりつけ医」を持ちたいと相談するのだが、いかんせん「不整脈」が継続していて、これがある限りは・・となかなか手放してくれない。今回は何年かぶりのCT検査。半日仕事の検査だった。CT検査では最後に造影剤を入れるのだが、いわば点滴形式。初めから「血液サラサラ薬を飲んでいるので血が止まりにくいよ」と言ってあったのに、終わった後の着替えを急いだせいか、その時に力が入ったか、今日になって針の跡が青くなってきた。又もや「注射後の内出血」。今日は大きめの絆創膏を貼ってPC教室に臨んだ。良くあることではあるけれど、止められなかったことが悔しい。最も酷かったときは肘から掌まで青い筋が入った思い出もある。それに比べれば今回は大きめの絆創膏で隠せる。たったこれだけのことで、あの時、あの時を思い出している。ま、緊急の対応が必要な様な症状を言われなくて良かった、と言うことで自分に言い聞かせている。「だって、自覚症状は何もないのだけど、ナンデ?」という気持ちは持ちながら・・・
オリンピックが終わるまであんなに暑かったのに今年のお盆は停滞前線で雨。北九州から関東まで、まるで梅雨の様な前線が居座って動かない。広島、島根、長崎、佐賀、福岡、そして長野、神奈川。至る所で長雨、「経験したことのない豪雨」が続いている。ニュースを見るたびに色んな友人、知人の顔を思い浮かべている。避難指示も続く。最近変更された警戒ルールでは、避難指示はレベル4、レベル5になると、緊急安全確保とかで、優先順位は逃げることではなく、「命を守る」ことだとか。最近の自然災害のレベルが上がったことを示している。この種のニュースを見ていると、当方はいつも避難指示のXX世帯YY人が気になって、YY/XXを暗算している。地域によるのだが、3以上になることなどめったになくて、都会は独身世帯の増加で、田舎は独居老人の増加で、いずれも2以下になる。平均ではとりあえず2前後にはなるのだが、いかにも淋しい。という当方もこの家は2.0、長男は1.0、次男三男が何とか4.0。全てをくるめると11/4=2.75となる。おそらくまだましな方で、このままでいくと、どこもかしこも2を切ってしまう。これは淋しいだけでなく、国力、自治体力、家族の力、皆下げてしまう。例え人口は急には増やせないとは言っても、生活の仕方、集団の在り方など、社会の在り方から考え直す必要があるのではないだろうか。それぞれが健康で、食べるのに困らなかったら、一人、二人で楽しく生きていくのが良いのかも知れないけれど、自由に動けなくなったり、食べられなくなったりという時が来た時に「一億総反省」になるだろう。その時が怖い。8月は歴史や、戦争や、命や、家族を考える月である。これからの限られた人生の在り方を考えている。
3月に始めた新プロジェクト「街道」をとりあえず終えた。最終目標は文庫本を読むこと、実際に街道を巡ること、だが、これは両方共無理そう。ビデオ・DVDツアーもかなり難しかった。たった1枚もっていた「因幡・伯耆のみち」のDVDがきっかけ。まずはYou-TubeのNHK-スペシャルツアー。このステップは容易で4月には13回全てを終わった。その次はNHKビデオツアー。市立図書館に通って、在庫20本を全て見終わった。一回2本しか借りられないので、10回通ったことになる。さて、問題は図書館に無かった8回分。これは容易でなく、結局ネットの中古DVDマーケットで探し当て、3本購入した。(全部を購入していたら大変な出費だった。)今日、最後の42回(中国・江南のみち)と43回(中国蜀のみち)を見終わった。総計63回分観たことになる。趣味のコーナーにまとめたが、大変な旅を楽しんだことになる。行ったことが無くて行ってみたいと思ったところが何と沢山あるか、「まだまだ死ぬわけにはいかないな」と思った。読書の方もまたコツコツ再開している。コロナ自粛生活の時間の過ごし方として良いアイデアであった。
多くの事件を巻き込みながら開催された「コロナ禍の中の無観客オリンピック」が昨夜終わった。日本で開催されたことからとにかくよくTVを観た。応援する立場からでも「やって良かった」オリンピックだった。アスリート達はバブルにくるまれ、折角やってきた日本を楽しむことは出来なかったかも知れないが、とにかく世界規模での戦いを楽しませてくれた。というより、彼ら自身が世界レベルでの戦いを楽しんだだろう。ただ、政治や経済に対する影響を考えると、「何も同時に1か所でやらなくても良いかな」と思うことも多かった。今や、各種ワールドカップは開催されているし、一流プレーヤーは世界を股にかけて試合をこなしている。もう「国の威信をかけてメダル数を競う」という要素はなくなったのかも知れない。特にこの東京オリンピックの後遺症は莫大な物だろう。コロナ対策予算の陰に隠れて見えないかも知れないが、1000兆円を超す借金をどう返済していくのか、国の在り方に関わる。ポストコロナとポストオリンピックを考える。面白いのは市中にはお金が溢れ、業種によっては最高の利益を出す領域もある。結局、バラマキが理由の格差の拡大が、最大の後遺症になるのかも知れない。後世語られる「2020東京オリンピック」は「あの時を境にして・・」という使われ方になるのだろう。
今回のオリンピックでは、卓球を良く観た。スタート混合ダブルスの水谷・伊藤組の金メダルには興奮した。その後も男女シングルス、団体などしっかり応援させてもらった。そして昨夜の女子団体の決勝戦、今回こそと思った打倒中国だったが、結果としてみれば完敗。伊藤・平野・石川の天才3人をもってしても中国の壁は厚かった。男子シングルスにも張本と言う天才が表れているがまだまだ世界の壁は厚い。当方は得意と言うスポーツを持たないが子供の頃から兄たちに刺激されて部活はずっと卓球部だった。特に中学時代にはよくやった。会社に入社した時、名古屋の工場だったが「課対抗」というスポーツ大会があり、レベルの高さに驚いた。卓球では毎年選手だったが、出るたびにコロリと負けていた。当時のことだから大会前には土日に集まって練習をしたり、騒いだり、青春の一コマであった。転勤するたびに舞台を変えながらラケットは握ったし、米国駐在中は何と地下室に卓球台があり(友人から回ってきた)駐在仲間や、ビジター達と楽しんだ。なぜか、リタイアしてから機会がなくなってしまい、観るスポーツに変わってしまった。ラケット表面とピンポン玉との接触の仕方による回転の面白さ、受ける難しさなど、TVを観ていても実感として思いだす。つられて体が動くスポーツなんて他にはないかも知れない。コロナの中とは言え、日本はメダル数だけでなく政府を挙げて全力を尽くしている。今でも即中止を叫ぶ人たちもいるようだが、全中止だった場合を想像すると味気ない毎日であろうと思っている。明日は男子3位決定戦である。もう一日楽しめる。
またまたの「緊急事態宣言」だが、これまでと様子は大きく異なる。我々世代はほとんどワクチンを接種したため、感染者も、重傷者や死者も減っているようだ。ただ、「デルタ株」の世界的拡大のためにコロナ騒ぎは終わりそうにない。医療問題が今や社会、経済、政治の問題である。経済の問題も騒がれるが、企業業績は正にK字回復。どんどん良くなっている業界と、飲食の様に回復の兆しも見られない業界もあって、「コロナによる格差拡大」はますます広がっていく。どの国もそうだが、政治としては大借金をして、解決しようとしている訳で、世界経済も含めた格差問題は、コロナが終わった後、色んな形で襲って来よう。発展途上国も含めすべての国がそうである故、目立たないかも知れないが、長い目で見た時は日本は次元の違う大借金問題に直面することになろう。こうして国としての問題解決手法を見ていると、やはり将来が見えない。自由民主主義の限界ばかりが見えてくる。「共産民主主義」などと言う言葉は知らないが、中国モデルはコロナを理由に勢いづくのかも知れない。コロナが何らかの形で収まる時、次に来る嵐は政治の問題と格差の問題になるだろう。この頃特に「孫たちの時代はどうなっているのか?」と思いを馳せることが多くなった。「読み切れない」のは当然なのだが、「読める部分」だけでも無性に怖い。
四国に出張した。約9か月ぶりであった。また全国で(全世界で)感染者が増加傾向にはあるが、当方のワクチン接種が先日終わり、おそらく「関東からコロナを持ってきた」とか、「四国からコロナを関東に運んだ」と言われる可能性はかなり低くなったという仮定での出張であった。出張の最中に又もや政府の新方針が打ち出され、千葉を含む関東エリアの緊急事態宣言の再度の発出がされることになったようだ。飛行機の便はかなり減便されるし、予約したものは変更されるし、羽田はガラガラ、飛行機もガラガラ。でも全体を通してみると、言われるほどの人流増加は見られなかった。高松の木曜の居酒屋はかなりの混雑で二年前を思わせるものだった。メディアの情報だけでは分からない色んな現実があるのは確かだろう。東京の新記録(新規感染者3000人)とか、日本国中で1万人と言われても、相変わらず保健所中心のデータ整理、PCR検査などの現状があり、民間病院との一体化も余り感じられない。四国の若者と話したら、「ワクチン接種は決めかねています」と言う。その考えも分からないでも無いだけに、これまた自由主義社会の難しさを教えてくれる。ただ、どうも今回の感染拡大は事実の様なので、そうであればワクチン接種の促進を図るべきなのかも知れない。兎に角、確たる方針が示されないのが最大の問題である。菅首相も「良い時に首相になった」位の意気込みで思う所を表明した方が良い。この国の国民の総意で国政を進めるなど、こんな時には難しいのだから。感染拡大を心配しながら、ホテルではオリンピックの結果を楽しみ、応援している。これは矛盾ではないのか。我々の様にワクチンを済ませた人はより積極的に社会の活性化を図るべきではないのか・・・色んなことを考えさせてくれる出張であった。
どんどんコロナ感染者が増え、医療崩壊が再び問題になりそうだが、とりあえずワクチンの効果か、高齢者の感染者や死者は減少気味である。それもあって、我々高齢者組はTVに釘付け。チャンネルを手にころころ種目を変えて応援している。開会前からのサッカーにソフトボール、始まってから柔道、卓球に体操、そしてルールも知らなかったスケボーにサーフィン。毎日飽きることも無く番組を追っている。おそらく年長者組はワクチンも終わりオリンピックを楽しむというのが日常なのだろう。実はポストオリンピックを考えると本当にそれで良いのかと思っているのだが、義務に追われない自由人たちの特権なのかもしれない。卓球で日本がとうとう中国を破って金メダルを手にした。体操の内村があんなに早い段階で消えた。水泳の瀬戸は決勝にも出られず。予想外も続出している。それがまた目を離せない理由にもなる。我々にとっては実に貴重な時間を与えてもらっている。日本中でコロナ感染者は増えているようだから、オリンピックとコロナを結びつける考え方は主流にはならないとは思うけれど、コロナを忘れてはならないと思う。今日は東京に出た。「緊急事態宣言」の効果も減ってきているようだ。今、考えるのは「自然との共存」である。スポーツは人間が人間の限界を突き詰める挑戦であって、決して自然への挑戦ではない。だから観ていて楽しい。裏はない。いわゆる「自然への挑戦」には常に何か「??」が付いてまわる。そんなことも考えるオリンピックである。
とにかく色んなことのあったオリンピックだが、開会式にこぎつけた。無観客ではあったが、昨夜はじっくり観た。1万人を超す選手団で最後はなかなか盛り上がりもあった。前回の東京オリンピックは高校生。何とか我が家にもテレビが入った頃だった。昨夜は選手入場に注目した。200を超す国の入場があって、「同時に地図を流してくれれば・・」と思った。入場順がその国の言語順序とのことで、アイウエオ順の面白さを再認識した。いかに最近ABC順に慣らされているかを思い知った。まずアイで始まるものだからAではなく、Iで始まった。面白いケースが続出、イギリスはどうなるかと思ったら、「英国」でエイコク、エで現れた。それを見たものだからアメリカはどうなるかと楽しみに待った。ところがアメリカでは現れず、USAでもなく、米国でもない。何と、次回開催のフランス、その次の米国は特別扱いとかで、日本の前(仏)の前だった。アルファベットなら最後に近いイエメン(Yemen)がかなり前半だったし、韓国は「だいかんみんこく」でタ行、Cuba、Cyprus(キプロス)などはカ行など、楽しんだ。開会のショーの部分もお祭り色を控えめにして、コロナ犠牲者のために黙とうも入れて、考慮された式だったと思った。天皇の開会宣言の際に菅首相(と小池知事も?)の起立が遅れたのはやや恥さらしだったか。当方など、一杯やりながらの夕べだったがしっかり飲みすぎた。我々の頭は歓声慣れしているので、何かシーンを見ているだけで、歓声が聞こえる。これもまた良いものだ、なんて思いながら。とにかく選手村でクラスターが発生したり、関係者の中から死者が出たりすることなく、無事に終わってくれたらと祈るばかりである。でも「もう古い頭だ」と実感したのは「せめて日本選手団には整然と整列した入場をして欲しかった」と思ったこと・・・時代は移っている。
昨日、ワクチンの2回目を接種した。当日も、今日も特に大きな影響が出るわけでもなく、今朝「ちょっと痛いかな」程度で終わる。昨日、接種場に行って流れ作業の中に入って、いくつかとっても感じ入った。これを最終的な全国民にするとすれば凄い!そんなことができるのかと思う位に凄い国家プロジェクトである。少なくとも今の65歳以上、自治体の集団接種会場で受けた感想は日本人のすばらしさだった。アレンジ自治体も、接種してくれる医者も、そして接種に来ている人達も従順で整然としていて素晴らしい。ただ、歴史の暗部を振り返る人達は、日本人のこの部分が危ないという。共産党中国が整然とやれることを考えると、日本人の危ない部分なのかもしれない。今日も毎日第5波とかで感染者が増え続けている。重傷者とか死者は若年化して減っているということだが、そうであればなおさらオリンピックまでに「関係者から順にでも」ワクチンを打つべきではなかったのかと思う。我々年長者は接種後もマスクをしてじっとしている。当方が打ったワクチンを、ソフトボールや、サッカーの応援団に先に回してあげたかったなと思う今日である。明日が開会式だというけれど、もう既にソフトボールや、サッカーで興奮している。無観客で声援が聞こえないのが、とにかく淋しい。今からでも止めるべきという声も大きいようだけれど。
大相撲は好きで、特にリタイアしてからは毎場所TV観戦している。何とリタイアしてからずっと白鵬は横綱の地位を保ってきた。これは褒めるしかない。力士をアスリートと捉えるかどうかには異論もある。歴史的に「見世物」的な要素があって、土俵入りも、化粧まわしも、呼び出しや行司も、見ていて楽しく、芸術的でもある。こちらにこだわる人達は白鵬的な「まず勝つこと」を目指す力士には批判的な場合が多い。当方も舞台(土俵)や、所作など、スポーツとしてはどうでも良い所が好きで、自分を表に出さず、「ただ相撲道に邁進する」タイプの力士に好感をもつ。だから、これ程強い白鵬の精神面もチョットのぞいてみたい気もする。昨日の照ノ富士との決戦は相撲史に残るだろう。双方モンゴル出身なのがやや残念だが、驚異の復活を遂げた照ノ富士がどんな横綱になるか興味はある。もちろん、これからの白鵬も見ていたいけれど。娯楽の対象とし過ぎるとアスリートからは叱られるかも知れないけれど、「見ていて楽しいこと」も大相撲の魅力だと思うのだが。色んな力士が色んな人生を見せてくれる。
よくぞこれ程にギリギリのタイミングになったものだ。コロナは第5波の予兆。東京では新規感染者1000人越が続く。ワクチンの効果か、重傷者や死者の数は減少傾向を示している。ところがワクチンに間に合わない40〜50歳台の重傷者が増えているらしい。ワクチンの接種は増えてはいるようだが、次はワクチン供給問題とか。ニュースとしてどこに焦点を当てるかの問題だとは思うが、いかにもスレスレで走るオリンピックである。でも今の無観客でも何とかやろうという日本の方針は、世界の変異ウイルスとの闘いの状況をみると、「やりがいのある」挑戦の様にも思える。あとはどこまで戦えるかだろう。これだけ状況が移り行く新型コロナの中で、ひたすらジッとしている社会はおそらく冷え切ってしまう。死因の動向、医療の動向、そして人々の考え方の動向、それらを俯瞰しながらどうあるべきかを考えるべきだろう。単にこの感染症だけに注目して社会が動くのはどこか間違っているのかも知れない。当方など今でも「オリンピックには観客がいなくては」などと思ってはいるけれど、意外に今の「無観客で、観戦はテレビで」というのが結果としては正解になるのかも知れない。そんなことより終わった後がどうなるの?の方が気になって仕方ないのだけれど。でも、時計の針は容赦なく進んでいる。
3月から始めた司馬遼太郎「街道をゆく」ビデオツアー。たった1枚のDVDからスタートして、YouTubeの「NHKスペシャル」ツアー。その後は市の図書館のVHSビデオツアー。ようやくほとんど観ることができた。ビデオの日本(及びいくつかの海外も)ツアーは容易で楽しい。これまでの人生で行ったことのある所も少しはあるのだが、勿論ほとんどは知らない所で、でもできたら行きたいと思ったところも多かった。司馬の「街道をゆく」は「濃尾参州記」が最後だったようで、信長・秀吉・家康の故郷巡りの最中だったようだ。さて当方のビデオツアーだが、図書館のビデオにもいくつか欠番があって、それが悔しい。そこで、次の手段は中古のDVD。これが、なかなか大変。こうなったら、見つかれば買おうと、今日届いたのは第21回〜第24回分。ゆっくり見ている。これを終わると残るのは第17回(芸備の道)、第18回(熊野・古座街道 大和丹生川(西吉野)街道)、それに第41回(江南のみち)、第42回(蜀のみち)が残る。今の検索では、ますます入手は難しくなる。勿論、(今更だが)DVDフルセットを中古市場で買えば済むことだが、そこまではできない。何とかこの4回分を探し当てたい。これまた探し物の趣味だと思って探すつもりである。読書サイドは一向に進まないが、ビデオ・DVDによる映像はかなり頑張った。読者の方の中に、「それなら持ってるよ」という方があれば、ぜひ貸してください。やりかけるとやはり、最後までやりたくて・・・
新型コロナの第5波の予兆を捉えて、遂に東京オリンピックの無観客での開催が決まったようだ。世界を見渡せば、日本は感染者も、死者もまだまだ少なく、一方米国や英国の様に実際には多くの感染者を出しながらでも、ワクチンの接種普及を理由に多くの制約を解除しようとしている国々もある。日本も高齢者ワクチンの接種率が上がって、重傷者患者・入院患者や死者も減少傾向にあるというのに。統計を見れば、昨年のインフルエンザ患者は非常に少なく、肺炎の死者も減っているとか。日本人全体に対する病気としての悪影響はかなり小さい。皆がマスクをし、自粛生活を続けた効果は大きかったと言えるだろう。経済への悪影響も限られていて、外食産業、観光産業、交通などに限られた。それらへも多くの補助金をバラマキ、それが国全体の借金を増やしている。俯瞰してみれば、今、復活を目指さねば、いつ?と言った感じである。おそらく3か月後にはワクチンも行き渡り、国民が消費を再開するだろうが、オリンピック由来の借金はこの国の将来に禍根を残すことになるだろう。今や、毎日のように、大谷の中継を楽しみ、巨人阪神戦や大相撲を楽しみ、そんな毎日を「何とかなるじゃない」と思いながら送っているのに、オリンピックは無観客だって?この結論には正直驚いた。「民意は強い」という証拠か。それを誘導したメディアがオリンピックをどう伝えるのか、見ものである。でも、最大の関心事は世界でもダントツの「国の借金」、日本はどうなるのか・・・
一昨日の東京都の議員選挙。衆議院選挙の前哨戦と言われ、国政評価の大切な選挙と言われ・・・メディアは騒いだけれど、何と投票率は40%。またもや「民主主義」に疑問符のつく選挙。傍目で見れば、「都政なんてどうなっても良いんですね!」と大声を張りたくなる。結果は面白くて「勝者なし」とか。そんな筈はなく、誰かは笑い、誰かは泣いているはず。またもや「小池劇場」は健在で、過労入院、選挙運動なし、でも前日に退院、都民ファーストを応援。チャンとキャスティングボートは握った。知事選挙の自民公民との約束はどうなったのか、これからがややこしい。でも、この結果でしばらく存在感は継続するのだろう。自民党内のポスト菅の争いに首を突っ込むなんてことが本当にあり得るのだろうか。平和ボケ日本の行きつく先が見えない。国会議員の選び方、選挙制度そのもの、首相の選び方・・・変わったら良いのに、と思うことも多い。東京都も、まずはオリンピックだろう。主役の一角なのだから、どうする、どうしたいを明確にする必要があろう。こんな何が正しいのか見えない時に、庶民は誰の言うことが正しいと思うのか。メディアの責任が問われる時である。
昨日、ようやくワクチンを接種した。接種券を受け取って、予約騒ぎを経て、結局一か月以上かかってようやくだった。自治体も慣れてきたか、非常にスムースな流れで特に不安も不満もなく終わった。でも、何となく引っかかる点も多かった。まず世話をしてくれる人員の多さ。住民サービスの一環と言えばそれだけだが、駐車場から各ステップに至る沢山のスタッフには驚いた。公的機関がやる仕事ではこれ位が当然なのだろうか。これを日本全国で、または世界でやろうとするのか。これは大変なプロジェクトである。本人の意思で接種するのだから、欧米やニューヨークでやられたように、少々混乱があろうが、不公平が起きようが、「スピード第一」の時は優先順位は「スピード」に置くべきではないかと思った。「スムース」に実行するためにかけている金や人が無駄に思えて仕方ない。こういった平穏に進むことが国力なのかも知れないけれど・・・迷っている人や、嫌がる人などは後回しで、とにかく対人活動が主の人から急いだほうが良いように思えた。我々世代の様に「ジッとしていればすむ」タイプの人達は後回しでも良いのかも知れない。余りニュースで採りあげなくなってきたけれど、重症者や、死者の数は減ってきたようだ。社会の関心は経済活動に移る。飲食業の全経済への影響が少ないのか、経済の2極化はどんどん大きくなりそうである。オリパラやコロナ以降の世の中の動きはどうなるのか。ワクチン接種はいつまでにどこまで拡がるのか。これからの世の動きが気になってくる。ワクチンのおかげでそんな余裕が出来たということか・・・文明の進歩の恩恵を一足先に被ったと言える。
スマホを持つまでは電話用のガラケーとWi-Fi・Web用のタブレットを併用していたがとうとうスマホになった。タブレットで電子書籍を読んでいた人もいたが、何しろ昔からの文庫本派で、電子書籍とやらは無縁だった。先日、ちょっとした調べものをしていて落合信彦のエッセー(?)に興味を持った。バブルのはじける頃、1990年頃若者を中心に騒がれたことは知っていたが著書を読んだことはなかった。今回ふと読もうと思ったけれど、既に文庫本は手に入らない。代わりに電子書籍なら簡単。しかも安価、一冊300円台。試しに買ってみた。「狼たちへの伝言(1-3)」。落合が若者たちに送るメッセージで、若者向け雑誌に連載されたものらしい。話題性はあるのに話題にすらしたことがないのが恥ずかしいくらいだった。その後も、この人の人間性も含め大きな話題になったらしい。さもありなんとは思う。でも、この人は(読んではいないが)小説家でもあるわけで、フィクションがいっぱい入っていた所で、正しいことを言っていると思えば正しい。当方にとってみれば頷ける言葉が多い。表現は「オレは」を使い、若い頃の冒険話を多用し、言いたい放題ではあるけれど、今の若者たちに投げかけている言葉は熱い。当方が学生時代に読んでいたら影響されたかも知れない。彼に言わせれば当方など、もう「負け犬の」「ブタ」の一匹であろうけれど、「フムフム」とは言わせてもらった。初めての電子書籍としては読みやすく快適だった。また新しい「デジタル機器」を知ってしまった。
米国で深刻な人手不足とか。確かに業種によってはコロナ禍でも絶好調という所もあるようだが、昨年からの飲食業界の不調もあって、まさかと思った。ところが、理由を聞いてなるほどと思ったが、バイデン政権の思い切ったコロナ対策の副作用(?)らしい。次々と打った緊急対策の中に、多額の現金給付や失業保険の給付期間延長などが含まれていた為、「働かない方が収入が多い」などというケースが続出しているということの様だ。政治が作り出す矛盾の様なものを感じざるを得ない。日本でも、政治の動きに敏感な人の間では、この機会をうまく利用して給付金や、無利子貸与金を利用している人達もあるようだ。特に今回感じた「平等の矛盾」「自由民主主義の矛盾」の様なものを感じることが多い。最近のワクチン接種でも、初期の頃はなぜ政治家に早く接種したのかとか、余ったワクチンを誰かに先に接種しただけで疑問を呈したり、と色んな問題提起があった。人々の環境や人生は様々で、「何もかも、誰にも」平等で、なんてことはあり得ないのに、危機になるほど矛盾がクローズアップされる。「政治家は無償でやるべき」という説もある。「命がけで政治をやって欲しい」という期待もある。本当に尊敬される政治家というのはどんな人のことだろうか。特に日本の政治家に欠けている点が目立って仕方がない。都議選、オリパラ、衆議院選挙とこれから政治の季節となる。日本ではどんなサプライズが待っているのだろうか。
若い頃から新聞の「死亡者欄」に目が行く。最近は特に、名前を知っている人であるかどうかより、まず年齢が気になる。以前は大先輩が主だったが、最近は自分の年齢プラスマイナス5歳でも増えてきた。子供が生まれ、孫が生まれ・・入れ替わりは進んでいる訳だから自分が近づいていても当然のことなのだが時々「エッこの人がもう?」と驚くことも多い。歌手や芸能人となるといつまでも良い声を聞かせてくれ、俳優は幅広い年代を演じるから、ついつい実年齢を忘れてしまう。でも、いつの間にかちゃんとタイマーは進んでいる。そうなると又もや大きな関心は何歳まで、ではなく「健康で何歳まで」の方が問題になってくる。「生きている」のではなく「生かされている」のだと思うと覚悟は出来てくるのだが、自分で何ができるのかと考えると心もとない。先日、日経土曜版に医療費の特集があった。高齢者の医療費はますます大きな社会問題だが、最も安価な死に方は老衰と脳卒中らしい。当方は脳卒中候補だからまだましかとは思っているが、医学会も薬開発も脳卒中対策に励んでいるようだ。コロナ騒ぎで良く分かったが、本当に人間にとって求められる医療は、今集中されている医療では無いのかも知れない。ワクチン開発技術や、感染症対応医療などまさかと思うほど日本は遅れていた。「儲かるがん対策」に集中しすぎていたのではないか。そろそろ病に勝つことより「充実した人生の終わり方」に舵を切ることの方が重要ではないかと思う年齢になった。ただただ呼吸をし続ける生き方は楽しそうに思えない。一人一人がいかに「生きる(生かされる)べきか」に重心を置く時のように思える。
16日から初めての(?)PC教室が始まった。これまで地域のPC教室は公民館主催で夏休みに学校のPC教室を借りてやってきた。今度はある「コミュニティーセンター」とか。公民館のPC教室がらみの人に紹介されたとかで電話がかかってきた。週一回、5週間。場所はセンター。PCは参加者が個人のものを持ってくる。「当方で良ければ・・・」と受けて、公民館で使ってきたテキストをアレンジしてスタートした。参加者12人、男性5人、女性7人。以前公民館で見かけた人も2人いる。個人のPCはバラバラなのでどうなるかと心配したが。皆さん良いPCを持っている。Windowsも10人は10、8.1が二人。何の心配も無かった。今回はワープロ(WORD)の基礎、何度も公民館でやったパターン。一応順調に滑り出した。ふと思った。「コミュニティーセンターって何だ?公民館じゃないの?」。どうも自治体では普通の質問らしい。公民館は教育委員会の元で「生涯学習」を学ぶための組織。一方「コミュニティーセンター」はいわば自治組織で、管理委員会が運営する。あまり良く分からないが、同じ生涯学習でも誰かが「教える」のではなく、メンバーが勉強する、という違いがあるようで、全国的に公民館のコミュニティセンター化が進められているらしい。確かに建物も新しく、非常にきれい。トップダウンではなくボトムアップの雰囲気を感じた。自由度も高いようだ。でも日本のこの種の組織は実に分かりにくい。当方なんてここに35年以上住んでいるというのに全く無知だった。この年になって、基本のキを学んでいる。でも、やる気の誰かのお手伝いができればそれで良いか、なんて思いながら。
日本は放っておいて他国で起こっていることが気になってしょうがないことがある。裏返せば自国は幸せだということかも知れないけれど。日本は大戦後、輸出を糧に復興し、成長してきた。世界の色んな国と「うまく」やってきた。自由民主主義国は勿論のことだが、それ以外の多種多様な国々と言わば「政経分離」で、経済面の協力でやってきた。共産圏のソ連や中国と、また中東の色んな国々とも経済面で関わってきた。イラン、イラク、タイ、ミャンマー・・・など、問題の多い国でも経済協力では成功してきた。でもその政経分離にはやはり限界がある。最近の米中関係をみても米ソ関係をみても、「経済は別」とは言えなくなってきている。ウイグル、香港、そして台湾、民主主義の眼で見て許されない様な事件が多く、それにクレームをつけると「内政干渉」という言葉が返ってくる。ここまで情報が共有される時代に放っておくことはできない。日本人の眼で、感覚で赦されない事象にはやはり「No!」と言うべきではないか。でもそれは戦後日本が経験したことが無い国際問題を背負うことになる。いつまでも「良い所どり」は許されないということでないか。そう思うわせるニュースが続く。
G7が終わった。報道を見る限り、バイデンの「アメリカが戻ってきた」というメッセージはかなり有効であったようだ。見方によっては、トランプが酷かった分歓迎されているという面もありそうだ。政治がそれ程きれいごとで進むわけはないと思っているが、新型コロナで危機になっている分、人心は集中しやすいのかも知れない。まずは納得しやすい米国の再出発である。さて日本の菅政権、オリパラ強行作戦は支持されたようだ。変異株は怖いけれど、世界の基準でみれば何といっても、感染者・重傷者・死者などどの指標をとっても世界より被害は少ない。これで世界中のワクチンを買い占めたりしたら大変な問題になるだろう。今の進め方でオリパラが乗り切れれば意外に頑張れる政権なのかも知れない。今の自民党はマジョリティかも知れないけれど、菅総理の政治基盤は弱い。でもだからこそ「怖いものなし」の強さはありそうだ。党内でも、野党でも誰がこの難しい時世にリーダーシップが取れるか。多分、こんな難しい時だからこその政権なのだと思う。このスレスレを行く勝負に勝てれば、意外な長期政権もあり得るかも知れない。G7のニュースをみて、もう一歩仲間に入れたらな・・・と自分自身のグローバル会議デビューの頃を思い出しながら同情した。でも人によっては「コミュニケーションは難しくてもできる奴かも知れない」と思っている人はいる。そんな人達に期待すれば良い、とメッセージを送りたいと思った。ますます今は応援している。正念場である。
ようやく始まった正面切って話すG7。始まる前に共同発表の案が公表されるのだから違和感はあるが、これだけの人達が集まって、一日の話し合いで合意が出来るのがおかしい。だからかなりの所までは「担当者」で前もって合意は出来ている。それでもやはり、顔を合わせ、会話を交わし、最後は妥協点を探るステップというのはやはり重要に思える。これだけ世界で共通の話題や問題点がある時は猶更である。民主主義には「形」が重要である。握手をし、ハグをし、記念撮影を撮る。そして最後の合意事項の発表に移る。そこに参加したことの責任は大きい。合意できないのならその場ではっきりすることが重要である。どの国も政権は交代するし、合意は破られるのが普通。それでも、このステップは重要である。どの国民も、どの世代もこの種の合意の重要性をもっと認識すべきである。「世界を取り締まる法律もなければ、警察官もいない」中での「民主主義国の代表」の集まり。ネットを含むメディアもこんな時こそ色んな意見や主義主張を紹介して議論すべきだろう。今の世界にとって最も重要な情報なのだから・・・もう若者たちはこんな集まりに期待すらしなくなったか・・・そりゃ共産主義や全体主義の方がはるかに容易である。
2年ぶり、菅首相初めてとかで、見てしまった党首討論。何も期待していた訳ではないが、やはり何も残らず。どうして興奮しないのか。おそらく何も新味が無いからだろう。まず時間が短すぎる、最長枝野代表で30分、後の野党は一人5分。質問時間で持ち時間が終わってしまう。もっと討論会を面白くしてくれないと国民はどんどん政治から離れていく。おそらく若者たちもこんな討論会よりもネット上の「ルールも何もあったものではない」乱暴な意見に振り回される。トランプが米国の一時代を築いたのも頷ける。菅首相も立ち位置が難しいだけに勝手なことは言えないのだろうが、もう少し「ひきつける戦略」が必要だろう。「ワクチンでコロナを抑えて、オリンピックをやって」で行くのなら「それが何故可能か、何故マストか」訴えれば良い。トランプでも有りの世の中だから。これから日本が、世の中がどう動いていくのか分からないけれど、おそらく経済面は刷りすぎた札束に溢れて、最終的には大インフレになるだろう。その時、円は、日本はどうなるか。やはり心配になる。真山仁の「オペレーションZ」を思いだす。「政治の時」なのだけれど・・・
6/4金曜日は第三回目のワクチン予約日。第一回目は4/28、しかも電話のみ。数回の電話でギブアップした。第二回目は5/20、初めてのネット予約可能だったが、電話もネットも全く繋がらずこれもダメ。今回は予約数も3万本以上とか、朝から期待していた。朝は、繋がらないだろうと思いつつ、ネットはチャンレンジ、勿論ダメで、結局午後。午後に入って、第1画面、第2画面とこれまで繋がらなかった画面にアクセス、意外に容易に予約できた。それでも実施日は7月2日、市の大規模接種場所。7/1スタート予定とかで、いわば当たって当然。でも、とにかく予約出来てホッとした。周りの友人たちに聞いてみると、色んなケースがあって、この辺りではやはり「かかりつけのお医者さん」。場合によってはお医者さんサイドから、「予約してますか」と尋ねてくれるとか。もう1回目が終わった人もいるようだ。ニュースをみていると地域により、条件により様々、色んなパターンがあるようだ。最終的には全国民が相手で、自治体ごとにやり方の自由度もあるようだから、ある程度のばらつきも仕方ない。医療従事者、高齢者、基礎疾患を有する者、高齢者施設等の従事者などの順位が決まっているようだが、もっとフレキシブルでも良いのに、と思ってしまう。極端な言い方をすれば、「公務員優先」でも構わない。「庶民の為に働く、だから税金で養ってもらう」公務員であれば、こんな時こそ働いて欲しい、だからこそワクチンも優先して、というのは間違っているだろうか。こんな時に否応なく優先されれば、おそらく彼らの労働意欲は高まるのではないだろうか。勿論、その中には政治家も含む。地方の政治家で先行して批判されいる例があるけれど、どちらもレベルが低いなと思ってしまう。とにかく予約はできて、それだけでホッとしてしまった。実は何もしていないのだけれど。
先の土曜夜のBS番組の録画を見た。小椋佳ファイナル「もういいかい」という番組。喜寿を迎えた彼は引退を宣言とか。番組は1976年のNHKホールでの初コンサートから始まった。この日のことは良く覚えている。名古屋の研究所にいて、若者たちと仕事をしていた。彼らも「謎のフォーク歌手」の歌のファンで、何者なのかを知りたがっていた。もうこの時点で小椋佳の名は知れ渡っていたが、プロフィールについては全く分かっていなかった。それが、普通の(?)おじさん顔で、でも東大出のエリート銀行マン。顔は不要のセンスの良さが光った。多くの作詞・作曲、有名歌手への歌の提供、大ヒットを続けた。第一勧銀の浜松支店長まで2足のワラジを履き続けた。その才能の広さと深さに呆れ続けた。その後も良い曲を提供し続けた。我々世代には憧れのスーパースターだった。がんも患いいつ倒れるかという時に生前葬コンサートまでやって、その後も活躍している。それがもう77歳、いよいよ引退らしい。今回の番組での歌はもう決して「良い声で巧い」とも言えないが、この年齢でないと出せない味はあった。若い時からいつも彼の2足のワラジには憧れて羨ましく思ったものだった。最後の曲(レコーディング)は「もういいかい」、人生を振り返る曲。でも画面でも最後には孫に「もういいかい?」と尋ねれば返ってくる答えは「マーダダヨ」だって。もう一回気力が出れば・・・という宿題付きなのかも知れない。決して健康には見えないがこの人には思慮深い人間の魅力はある。1足だけでも分けて欲しかったな・・・思い出の振り返りも含め良い時間だった。
先週のクローズアップ現代で、ビオンテック社のカリコ博士とノーベル賞の山中伸弥教授の対談があった。この度の感染症対策のワクチン開発があまりに速く、誰が、どう?と関心を持っていてこの番組をみた。mRNAタイプのワクチン開発の主役だったらしい。今の主流のファイザーもモデルナもこのタイプのワクチンである。その開発の主導者と日本が誇る山中教授の対談。ワクチンに関しての日本の技術の遅さに何とも淋しい印象を持っているけれど、この番組で倍加した。カリコ氏はこの手法ならどんな変異ウイルスが現れても4〜6週間あれば、対応するワクチンができる、と明言した。遺伝子解析とタンパク質科学の勝利であると言える。世界を救った訳だから、この人のノーベル賞は間違いないだろう。救われるのは、この人はまだまだ実験が好きでラボに入り浸っているとか。また、個人的歴史もいわばハンガリーからの(米国への)亡命者だが、あくまでハンガリー人であることを誇りにしていることなどが好印象だった。山中先生はiPSで活躍中だが、この番組では単なるインタビュアーで物足りなかった。5/13の記事の内容も尾を引いているかも知れない。
どうも反メディアの気持ちが変わらない、いやますます強くなる。文芸春秋はよく読んでいる方だと思うが、なぜ同じ会社が「週刊文春」を発行しているか、解せない。その週刊文春をTVメディアがほめそやす、尊敬している。メディアへの期待が、ただ「批判する」だけなら誰でもできる(?)。でも基本は提言まで持って行くのが仕事ではないのか。最近では「反オリパラ」。世論が7〜8割「止めるべし」とか、本当だろうか。コロナ感染者をクローズアップして弱者と位置付け、メディアは緊急事態宣言や、ロックダウンをサポートする。それでいながら、コロナ倒産企業や、つぶれそうな飲食店に同情する。どんどんバラマキ政治を煽っておいて、財政が苦しくなったら政治を責めるだろう。どうみても矛盾だらけのメディアである。コロナとオリンピックと選挙と。今年は「自分が何にポイントをおいて自分の信念を明白にするか」、それを問われる年になる。フラフラしていると、来年の今頃、反省しきり、かも知れない。その点、菅政権は今は意外に筋が通っているのかも知れない。
「今」は今しかないだけに、「もし」を考えることが多い。この2年間の感染症時代を振り返るにしても、もし、日本でもロックダウンができたら(やっていたら)、とか、もし、緊急事態宣言を発出しなかったら、とか、政治がワクチンや特効薬の開発に資源を集中していたら、とか・・・。アフリカや未開発国での広がり方をみると、意外なまでに遅くて緩い。第1波、第2波、第3波、第4波の襲来カーブもどの国もそっくり。絶対値の大小はあっても、人間がいる限り同じように感染していたのではないか、とさえ思う。ミャンマーだって、アラブ・イスラエルだって、感染症は二の次で、もっと重要な生に命を懸けている。自分だけ、家族だけ何とか無事生きていれば・・・と考え、、自分だけ、家族だけ何とか生きているから・・・と考える。「もし」と「生」を考える毎日である。もし、プロ野球も、大相撲も、全日本体操も、マスターズも、テニスの三大大会もなくて、TVや新聞・雑誌などのメディアも皆ストップして・・・、企業も止まり、最後に「食」も止まったら・・・、色んな「もし」があったし、色んな「もし」がある。
一昨日のワクチンデーは、又もや電話も、今度はネットでも結局繋がらず、夕方には「予定数終了」の知らせ。敢え無くギブアップ、次は6月1日とか。次第に意欲も無くなっていく。そこで、スポーツを観る。今やオリンピックの話をすると「非人間」の様に言われるけれど、自粛生活の中、プロスポーツのTV番組は良く観ている。唯一の楽しみなのかもしれない。特に大相撲は、無観客だろうが、少観客だろうが、良くチャンネルを合わす。照ノ富士の復活劇に誰もが拍手するが、結局次の横綱もモンゴル勢かと思うと何となく寂しい。貴景勝を応援し、朝の山を応援するけれど、大事な所でコケるし、今度は不祥事。相撲ファンを裏切るようなことばかり。一昨日の照ノ富士の初黒星も可哀そうな反則負け。でも、昨日、今日の遠藤の活躍には興奮した。表情に出さない遠藤が思わず漏らした笑みは貰ってしまった。今日照ノ富士が勝って優勝が決まるのとは大違い。明日も楽しめる。懸賞金がやけに多くて、でも取られてばかりの遠藤だが、今場所はチョット違う。彼が次の大関、横綱候補になってくれれば、また熱が入るだろう。明日、何が起こるか、チョットワクワク。今や高齢者には、そんな楽しみしかない。そうしてみると本当にオリンピックが中止になると、どのように夏が過ぎていくことになるのだろうか・・・やはり、ワクチンかな・・・
こうして世の中の動きを見ていると、感染症騒ぎを見ていても、初期の勝ち組・負け組のような国があり、感染者数や死亡者数も予防策によって振り回され、でもこうして現在をみると、米国・欧州・中国がもう制限緩和に向かっている。それは結局ワクチンの製造・供給能力と関係しているようだ。国民の民意(気持ち)が解決に向かっているから。予防策を徹底して今を保てても、明日は無いと言えるのかも知れない。我が国の医療・薬学技術を信用して、初期の頃は日本製が拡がるまでは、なんて期待していた自分が恥ずかしい思いである。対コロナワクチンについては日本の研究技術屋(出身)としての自負心はもろくも崩れ去った。米国・ヨーロッパ(そして中国も)の開発力、特に新しいmRNA型の発明はそのスピード・性能共に驚くべきものであった。人類の歴史に刻まれるだろう。我が国では、創れない・製造できない、で全てを輸入に頼らざるを得ない。ガンの治癒率が少々高いことや、平均寿命の長いことを医学の勝利とみても間違っていそう。どんな医療が重要なのか、今回のパンデミックは警鐘を鳴らしている。さて、明日はワクチン予約の日、今回は申し込めるだろうか。
コロナ自粛生活に入ってから、誰かと話すこと、一緒に食べること、飲むことが本当に無くなった。リタイアした後でも、定例飲み会の様なものはあったし、後輩や旧友たちとの飲み会もあった。勿論、こちらから声をかけて東京に出て行ったり、仕事からみで四国や、大阪で飲み会があったり。それがこの1年めっきり、全くなくなった。酒は嫌いでは無いから、自宅飲みはしているのだけれど、楽しさは正に酒そのもののみ。アルコールの種類やブランドを楽しんでいるが、一人酒の楽しさは高々知れているし、酔いも早い。やはり、何だかんだと生き方や、噂話や近況報告で飲む楽しさには敵わない。そこで出てきているのがNet飲み会。いつの間にか定期開催になってきたが、毎月楽しんでいる。「注いで注がれて」という楽しさはないが、自分流で、勝手に楽しめる。今のZOOMではせいぜい5〜10人か、それ以上になると楽しさも限界がある。でも、高齢者の「デジタル爺さん」達がPC相手に飲んでいるのも、「現代」の一場面として話題性はある。暇な人ほど、それを又楽しむ方法を検討してくれていて、写真を撮ったり、背景を変えたり、眼鏡をかけたり、髭や髪を生やしたり・・ディスプレー環境も楽しんでいる。何歳になっても「世の中が変わるのならついていってやろうじゃないか」という意欲一つで、新しい生き甲斐に繋がる。「頑張る爺さん達」の一人ではありたい。婆さんたちはどうかな?
昨日の新聞のチョット気になった見出し。「iPS細胞で「若返り」研究」。多くの国民が尊敬するノーベル賞研究者の山中伸弥教授の研究方針とか。そもそも「細胞の初期化」のiPSだから問題ではないし、最後はやるべきテーマのはずなのだが、どうも気になった。只でさえ平均寿命がどんどん伸び、どんな病でも治せるようになり・・高齢化が進んでいる。一方でその対策として子供を増やしたい、子供の面倒は社会で見ましょう、と言っている。この状態が続けば何が起こるか、iPSで細胞迄若返ってしまえば「いつまでも生き続ける人間ばかり」という、これまた考えたくない世がやってくる。もう一度、人間社会のあるべき姿を議論すべきなのかも知れない。若くして逝った家族や友人たちのことを話す時、もう少し早く治療法が完成していたら、と悔やみ、自分自身の将来を考える時、(細胞迄若返って)いつまでも生きられるなら悪くないな、なんて思ったり。でも、やはり自然に逆らうのは良くないと思う。動物や植物を見ていれば分かる様に「自然の摂理」は守らねば、と思う。ノーベル賞を受賞した時から山中先生はこの種のテーマに悩んでおられた。今、どんな心境なのか聞いてみたい。新聞の採りあげ方の問題だとは思うけれど、これから議論すべきは自然との折り合いの付け方ではないか、と思ってしまう。先の「最後の未知」の話に繋がる。未知はなくてはならない。またこんな話になってしまった。
コロナがあろうとなかろうと、だとは思うが、「死」について考えることが特別ではなくなってきた。やはり、誰か、他人でも、知人でも、親族でもの死をきっかけにするのと、自分の何年(?)か後の問題として捉えるのは大きく異なる。今月号の文芸春秋に石原慎太郎が「晩説における「死」との対峙」という特別寄稿をしている。太陽族のスタートであり、若手小説家であり、「かっこよい文化」を作り、その後政治家に転じ、青嵐会で暴れ、都知事になり、言いたい放題のリーダーを演じた。特に尊敬する人という訳ではないが、その見事な生き方は目を離せない。そんな彼が、米寿を迎え、死に向き合っている。早速読んだが、面白かった。彼もまた普通の人間であることに、安心、いや失望。ただ表現は流石である。「最後の未知」とは冷静で真実の死の表現である。文章は、「いない」「しない」「るまい」・・・の連続でやや単調、いつもの石原節。わざわざ難しく言わなくても良いのに・・と思わせる。でも、最後に最近感動した「劇的挿話」として、池江璃花子の復活劇を紹介していたのは、何となくホッとさせて、人間石原を思わせた。彼の様な人間をも感動させた池江の復活は、誰をも「生かせる」力があるのかも知れない。そんな彼女を悩ませているSNSの暴力はいかにも許せない。さて、最後の未知に向かって、今日も一つでも未知を既知にしよう。そう思っている。
例えば中国で、今、何人の感染者が出ているのか、ニュースを見ている限り、人々がマスクをして生活している限り、どうみてもゼロになっているとは思えない。今、米国の感染者がどれ位で、亡くなっている人が何人いて?それも殆どニュースにならなくなった。実際には毎日、感染者もあり、死者もでているだろうけれど、もう誰もが回復のことしか見ていない。司る人(政治家)や、動かす人(企業人)達は、もう元に戻る、ないし再度成長することしか考えていないのではないか。ワクチンが浸透して、病としての対コロナの解決策が見えてきたら、その時こそ政治の出番だろう。病気と向き合えない人、生活の糧を失ってしまった人、家族を失った人・・・多くの自力で立ち直れなくなった人たちに目を向けるべきだろう。動ける人は動かねばならない。それがいつの間にか助けを求めていないか。そう感じることが多い。真の負け組を助けるべきは真の勝ち組、そうあって欲しいと思うことが多い。それがあってこその自由主義陣営、そう思いたい。菅首相の主張である、「自助、共助、公助」の考え方は攻撃されているようだが、当方はこの順番は正しいと思う。
どうもこの時期になると、庭の植木が気になる。特に爽やかな好天になるとムズムズしてきて剪定ばさみを取り出す。数か月前からチェックしていて今年は「ヘッジトリマー」という名の「庭木バリカン」を購入してみた。自動剪定はさみにも色んなタイプがあって、最初は高所対応の長い持ち手の付いたものとか、コードレス充電タイプだとか、芝生の手入れもできるものとか、気になった。価格も色々で、日本のメーカー品になると「元がとれるかな」と思う位の値段。とにかくまずは捨てたつもりでと思えるような価格のものをオーダーした。安価なものを選んだことの第一の正解はコード式(充電器なし)で軽量。充電式でパワーのあるものを購入していたらきっと重くてフラフラだったかも知れない。チャンと10mのコードがついていて、片手で操作できる重さ。昨日、ゴールデンウイークの好天の下、試運転に及んだ。「こりゃラクチン、一体この間まで何をやっていたのだ」と反省する程だった。先日庭師に古木を切ってもらった時に「山茶花の垣根は自分でやるから」と言った手前もあったが、このトリマーであっさり。後で掃除をして刃は下手に洗ってはいけないと知り、大慌てで再びネットで「替刃」を注文した。せめてもう何回か存在感を示さなければ。でも、「道具の力は凄いな」と今更ながら感じ入った。これがトレーラーの様な大型機になり、そしていずれはロボットが働くのかも知れない。「やはり剪定ばさみでなくては」、という日も来るのだろうか。このゴールデンウイークの唯一の成功物語だったか。
昨年の5月を振り返って、この1年の間に起こったことは、凄い変化だったけれど、それでも「想定外」とは言えない。毎日毎日が変化の連続であったし、こんなことが続いてよいのだろうか、と思い続けたけれど、それでも平穏に感じていたのはおそらく、変化の度合いが日本では世界と比べて相対的に小さかったからではないのか、と思う。他の国々の感染の広がりは余りに大きかったし、ワクチンをめぐる開発競争も日本以外を舞台にして進んだ。昨年の5月の緊急事態宣言の拡大と、国民全体の反応の度合いは今の日本の状態とは大きく異なる。でも、より広い視野で見ると昨年は大都市圏の周辺だった問題が、今や日本全国になっている。一方、コロナ慣れも全国的広がりを持って来た。ワクチン接種の案内も来た、まもなく全てが良い方向に動いていくのかも知れないけれど、今現在は外出もままならず、それより仲間の話し合いも思うようにはできない。こんな鬱屈した状態の中で、我々みんなが、「明日をどう生きるか」考えている。政治とか、報道とかは、取捨選択することなく「誰もが未来志向に生きていく」ための政策とか、ニュースとかを流すべきではないのか、そんなことを思っている。次の1か月を大いに期待したい。
日本国内も緊急事態宣言の都府県、まん延防止法の都市、遅々として進まぬワクチン、とコロナ対策は先が見えない。でも、世界の状況は相当酷いようだ。特にインドの状況は目に余る。どの程度正確な情報が報道されているのか不明だが、酸素が無くて死んでいく人達迄でてきているのは恐怖である。火葬されている映像には本当だろうかと目を疑う。感染症騒ぎは文明の人類に対する自然の挑戦と受け止めねば、と思っているけれど、どうも不平等(格差)を拡大しているように思える。ますます「個人主義」「孤立主義」に動いているようだ。ワクチン製造業者も、各国の政府ももっと人道主義的な動きをしないと人類滅亡に向かうのかも知れない。プラスに見える米国、ロックダウンの欧州、ここぞチャンスの中国、自分で何もできない日本・・・どの国も実は難しい。コロナの陰で、ミャンマーも香港も、そして台湾も・・・ハラハラする世界情勢である。さて、そんな中で自分はどう時を過ごせばよいのか、ボーっと考えている。目の前にある「やるべき事」のみが見えてくる。それがあるのは幸せなのだろうけれど・・・
この間「まん延防止法」とかで新たな制御法を考えるのかと思いきや、もう明日から3度目の「緊急事態宣言」。関西だけでなく東京も入った。千葉は「まん延防止法」対象の市を増やすとかで、この辺りはスレスレ対象になっていない。それが良いことなのかどうか、一向に分からないけれど。最近の政策でどうも気に入らないは、「一体、医療関係者はどのような努力をしてきたのか」ということ。日本が世界に冠たる医療大国だというのにそれを感じることが少ない。重症者の数でも、死者の数でも、日本は目立って少ないのに「医療危機」が叫ばれる。救急車の行ける病院がないとか。それを事実とはどうも認識できない。「医療」に国として取り組んでいるとはどうしても思えない。子供の頃に入院して「医者」に憧れた。命を救う高邁な精神に基づく頭の下がる職業だと思っていた。それが、進学とか、職業選択とかのステップに入った時、いつの間にか「豊かな人」の職業、「豊かであることが条件」の職業に見えてきた。そしてこのコロナ事件では「感染症対策では金にならない」と思っている医療関係者が多くいるのではないかと疑いさえ持つようになってきた。勿論、そんな環境を作ってきた政治の力もあるのだろうけれど。多くのお医者さんたちが、そもそもの原点に返って「医療が人々を救う」という原点に返ってくれれば・・・そう感じる時が多い。甘いのだろうな・・
遂に第4次感染とか、ニュースを見ていると色んな見方からの新記録が続いている。まん延防止法も大阪を見る限り効果は出ていない。緊急事態宣言も、まん延防止法も、今やニュースの扱いは「それでいくら補償してくれるか?補償の対象は誰なのか?」と、すぐに補償の話になる。これでは感染は収まらないなと思わせる。国民も「法律で変わるものではなさそうだ」と思い知ったか、「かかったらその時」的な動きが多くなった。「ワクチン」という言葉が、魔術の様に拡散して、「感染しないで頑張れればいつかはワクチンが回ってくる」というのが唯一の解決の道と思い始めたのではないか。マスクをして、3密を避けて・・・と具体的対策は1年間何も変わらないから。でも、数字を見てみると、被害の少ない日本でも既に50万人以上が感染し、死者はまもなく1万人に達する。年配者だけジッとしていれば良いという訳では無さそうだ。歴史の中では科学の発達していない時代でもいつの間にか消えていったわけで、結局は「時」を待つしかないのかも知れない。科学技術の無力さの様なものも否応なく感じる。ところが不思議なもので、経済は強い。国、企業、個人迄「コロナ勝ち組」とでも言える人達が目立ってきた。「世の中が大きく変わる」という予想だけは当たりそうだ。酒は助けてくれるけれど、いかんせんディスプレー相手にクダを巻いていても気持ちの良い酔いは訪れない。「時」か・・・
共同宣言も発表された。バイデン−菅総理の首脳会談があった。この会談の重みはしばらく尾を引くだろう。日米関係の在り方を変えたいという米国側の望みはありあり。いつの間にか日本国の存在も世界を俯瞰すればたいしたことはない。何らかの形で存在感を示さざるを得なくなってきている。日本人たるや皆、これまでの様に安保は米国にのっかり、経済は中国に頼り、「良い所どり」でやっていけると思っているが、おそらくその限界が近づいている。安保も、経済も、日本いかにあるべきかを問われている。菅政権に出来るかどうか分からないけれど、「日本の立場」「日本の方針」を示さなくては許してもらえない。対米、対中、対欧、対ロ、対韓、対朝、もうWin-Winなどと言っていられなくなってきた。だって、世界中が困っている時に何もかも「これまではこれでいけた」という理由では行けなくなってきた。この首脳会談は大きな分岐点なのかもしれない。
今は誰もが百科事典を手に毎日を過ごしている。何か知りたいことがあれば、スマホの検索に打ち込めば何でも教えてくれる。これはこの数10年の大きな変化である。だからもっとチェックして欲しい。与えられる結論ではなく、結論は自分で導いて欲しい。そう考えることの多い最近である。例えば、トリチウムの話、トリチウムは水素であること、重水素にもう一個中性子が加わっていること。半減期が12年とか、どこの原子炉でも放出し続けてきたとか、せめてそこまでは知った上で議論したい。「本当に放射線の影響は無いのか」、「トリチウム以外の放射性物質の影響は心配しなくて良いのか」、色んな疑問に冷静な考察が欲しい。例えばコロナ用ワクチンの問題。ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ、ジョンソン&ジョンソン、次々と発表され多くの国で承認されていくけれど、実は中身は大きく異なる。報道を見ていても、「ワクチン種」についての解説は殆どない。政府が隠しているのかと言えば決してそうではない。色んな情報がちゃんと発表されている。ひとえにメディアの情報コントロールである。もう「検索」機能で、相当ハイレベルの情報も庶民の所まで降りてきている。それを分かり易く解説するのもメディアの義務ではないか。センセーショナルな採りあげ方をして、煽るやり方ではなく、「何がポイントなのか」を考えさせる情報の伝え方が今ほど重要な時は無いのかも知れない。そして、我々庶民も与えられる情報を「理解する力」をどんどん求められていく。双方がその努力をしないと、誤った方向に引きずられていくのではないか、そんな心配をしている。
我々の時代は情報社会となって、多くの人たちの名を知るようになった。昔は歴史に残る有名人は少なかったと思うけれど、今は色んな分野の有名人を知っている。そうしてその人達が日々亡くなっていく。訃報のニュースが多い。特に我々は団塊の世代で猶更知っている名前の訃報が多いように思える。上野千鶴子の「おひとりさま」シリーズは愛読した。最近読んだのは「在宅ひとり死のススメ」。かなりしんどい話題だが、でも考えさせられる点が多かった。ベストセラーになっているようだ。このところ、篠田桃紅(107歳)とか橋田壽賀子(95歳)、そして今日はフィリップ殿下(99歳)など、注目していた「元気な老人」たちの訃報がある。五木寛之や瀬戸内寂聴のその日に向かう言葉も注目して読んでいる。自由と平等の中で、この「死」という問題はちゃんと平等にやってくる。生後すぐに亡くなったとしても、誤差は100年と考えれば、誰にも平等と言えるかも知れない。富や権力に恵まれてもどうしても手に入れられなかった「不老不死」というのは極限となる永遠のテーマであろう。でも、これがあるからこそ誰もが「全ての人間は平等」と言えるのかも知れない。先輩や友人たちの訃報も多いがそれこそがそれを自分の問題として捉えるよう言っているのだろう。とにかく与えられた人生を精一杯生きることしか我々にはできない。さて、「精一杯」とは何だろうか?
滋賀に住む次男の長女が十三参りとのことで、のこのこ京都まで出向いた。十三参りそのものが初めての経験で京文化の歴史を学ぶという意味で興味もあった。通常子供の成長を慶ぶのは七五三だが、京都では女の子の十三参りというのが続いてきた。最近は男の子も参るようだし、十三参りそのものも次第に全国区になって、法輪寺そのものも全国にあるようだ。ただ、やはり「本物」は京都嵯峨の虚空蔵法輪寺で多くの子供たちがお参りしていた。初めて大人サイズの着物を着て、大切にしている漢字一文字を書き、帰路渡月橋を渡り切るまでは振り向かない。色々話題性のある参詣である。庶民が皆こんなお参りをしてきたとは思えない。おそらく貴族や武家の娘たちが保ってきた風習なのだろう。これが終わればもう一人前の女性で、次は婚礼、となった訳だ。丁度小学校を卒業して中学入学と重なる時で、滋賀県に住む人たちも多く嵯峨までやってきている。孫たちがみんなこんなお祭りをやったら、爺ちゃん・婆ちゃんはたまったものではないが、2年後には二女の順番が来る。「それまで健康でいなくては」などと考えている。歴史を生き抜いてきた風習にはやはり人を「生かせる」何かがある。いつもの寺巡りとは違う感覚を味わった。
この間はじめた新プロジェクト、司馬遼太郎の「街道をゆく」ビデオツアー。読書ではじめてはいたが、何しろ文庫本でも約60冊、一向に進まない。そこでビデオツアーを思い立った。きっかけとなったNHKスペシャルのツアーは、非常に容易、YouTubeで見られることが分かって、全13回、10日間で終わった。さて、その次はいよいよ古いNHKのビデオシリーズ、と張り切ってレンタルビデオショップに。DVDでもビデオでもどちらでも良いから、と大手2店に行って尋ねたが、若い店員さんはキョトン。何も知らない。それでもちゃんとオンラインで調べてくれたが「置いていません」。2店ともNG。そうかそう簡単ではないんだ、と分かって何か他の手を。そこで思いついたのは市立図書館の視聴覚室。出かけてみたら、見つかった。ラッキーと借りることに。でも尋ねてみると「DVDはありません。VHSビデオです。」だって。とにかく2本(4回分)を借りてきた。それからが大変。ここ数年ビデオデッキなど、使ったことがない。デッキ用リモコンなど電池は薬液もれでサビサビのベトベト。使い物にならずまず廃棄。でも本体はタッチスイッチでチャント動いた。昨日3回目の借用。一回二本しか借りられないので図書館通いを続けている。かなり古いビデオで画面もキレイではないが、これまたいかにも趣味の世界らしく、気に入ってきた。新しい時間つぶしである。一回目の返却に行ったら、「これからは巻き戻してから返却を。」と注意された。「そうだった!!ビデオの返却は巻き戻してから、だった!」と、いつの間にか基本の基本を忘れていたことに驚いた。これも時代の変遷の証拠。全部で20本以上ある。色々思いだす、新しい趣味の世界である。
今日で何と丸11年。このホームページの誕生日。振り返っても信じられない速さ。良く初めた、良く続いた、それより良く生きた。62歳のリタイアリが予想した73歳の定年老人はどんなだっただろうか。2010年から起こった変化を考えるともの凄く大きいけれど、計測を代えればあっという間の出来事。73年に比べれば10年なんて。昭和・平成・令和と3つの時代を生きたけれど、ベースを2000年とすれば一瞬の点。こうして毎年、4月1日には感慨を覚えている。この「徒然に」だって、同じようなことばかり書いていて、何か変わっているの、と聞かれても答えようがない。今や変わっているのは世界や社会や周りばかり。でも、こうしてそれを観察して「何か」考えているのは幸せである。今チェックしたら、今日までの(延べの)アクセス総数は36912人。毎日10人前後の人達がアクセスして下さっている。お礼を言いたい。もし毎日アクセスがゼロだったら、流石にギブアップしていただろうから。また、ここで改めて、「いつも繋がって頂いて有難うございます。」と感謝。
今や、世界中のどんな問題についても中国との関係を議論せざるを得ない。ミャンマーのクーデターについても軍部も、スーチー氏も、どちらが中国とうまくやれるかを争った結果と言われる。新型コロナウイルスとの闘いは中国の一人勝ち、今やワクチン外交で世界の支持を集めようとしている。自国の人権問題でも香港・台湾問題でも強硬姿勢は崩さない。それが今後の世界平和に大きく影響しそうである。日韓関係もこのままいくと韓国の左翼化の終着点が中国グループ化になりかねない。どう考えても左翼的思考の行きつく先の理想郷の姿が今の中国で共産資本主義という形には思えないのだが、結局国民は「自分が豊かになれれば」、国の形は二の次ということなのかも知れない。敢えて最も理想的社会として「自由平等民主主義」をおけば、自由と平等の矛盾に行きつく。あくまで平等に重点を置けば共産主義になるのかも知れないけれど、今の中国を誰が「平等社会」と言うだろうか。大陸も、海洋もそしていずれ宇宙も、中国の覇権主義が幅を利かせそうだ。さて、自由主義国はいつまで「経済・マーケットは政治とは別で自由だ」と言い続けられるのだろうか。5年半前の中国旅行の感動を思いだす。あの「巨大さの魔力」はますます強まっているのだろう。全てを「中国はどう?」という基準で考えねばならなくなった。
まだまだマスクは取れないしコロナ感染はまたまた拡大しそう。でも、社会はこの状態に慣れてきてしまったようで人出も多くなっている。人間サイドが賢くなれば折り合いもついてくるのかも知れない。緊急事態宣言解除の反対もあったが、今再拡大しているのは東北や愛媛、沖縄などバラついている。長期戦になるのは避けられそうにない。でも、桜は一気に満開。ウオーキングしている池の周りも同時に花開いたからか今年は一段と美しい。今日、四国のクライアントとリモート会議をして昼休みに工場の桜並木を映してもらった。今年は四国も同時に満開。鬱屈したような気分が桜で晴れる。大暴れするコロナも自然なら、満開の桜も自然。穏やかに受け入れる必要もありそうだ。世の中苦しんでいるのかと思いきや、好調な企業も国もあるようだ。日本国も106兆円の史上最大の予算が通った。赤字国債発行法でいくらでも大きな予算が組める。さてこれを継続したら将来の世界や日本はどうなるのか・・桜を見ながら考える。
一都三県の緊急事態宣言が終わった。新規感染者数は下がり止め、医療危機も良く分からない。とにかく昨日から日本全体が徐々に元に戻ろうとしている。昨年や今年初めと比べて何か改善されているか、と問われても特に何もない。ただ、今の状況に慣らされてきている。毎日1500人が新たに感染し、50人前後が亡くなり、それが当然の姿になっている。どうせこんな姿に慣れるのなら、いっそのこと昨年初めから自然に任せていたら(もっと死者は増えていたとは思うけれど)自然に好転していたかも知れない。何故ならアフリカや後進国でも初期に心配されたほどの爆発的拡大は起きなかった。感染症は歴史の必然であるという捕らえ方が出来るのかも知れない。さて、世界の期待のワクチン。これも解せないことの連続。メディアが口裏を合わせているのかワクチンそのものについての記事は全くない。先頭を切ったファイザーやモデルナが初めてのmRNAタイプであることは知っているが、それに続くアストラゼネカやジョンソン&ジョンソンはウイルスベクターワクチンであるし、それ以外にも従来型の不活性ワクチンとか、DNAワクチン、組み換えタンパクワクチンもある。それぞれ全く異なるワクチンなのにどれも揃って「新型コロナワクチン」の一言で表されている。確かに一般大衆があのタイプは厭、このタイプでなくてはなどと言いだしたら大問題になりかねないから情報コントロールがされているのかも知れない。中身が分からない我々は「国が認定したのだから」と信じるしかないのだろう、けれど。さて、この状況下、オリンピックも断固として実施の方針が出た。当方は開催賛成だが、これは国民に対する大きな問いかけである。皆が感染しない、感染させないという努力をやれるかどうか。おそらくそこに日本人の「実力」がかかっている。
一昨日、クライアントの依頼で藤枝に日帰り出張した。久しぶりのことで、かつ東京駅で待ち合わせて新幹線に乗って、というスケジュールでやや緊張して一本早い通勤快速に乗った。ところが京葉線の東京駅ホーム寸前でストップ。「ホームが空くまで待って」という。新幹線迄10分はかかるので、ヒヤヒヤ。前もってメールを打ったり場所を確認したり。静岡に止まるひかりは1時間に2本。間に合わなかったら迷惑をかけると、ハラハラドキドキ。改札口前でようやく会えて切符を受け取ったのはひかり出発3分前。正に冷や汗ものだった。現役の頃なら他の手もあったかも知れないが、何しろ久しぶり。誰も助けてくれないし、京葉線から新幹線迄久しぶりに走った。結果オーライでホッと。これが数年後になるとそこでバッタリということになるかも知れない。年寄りらしく堂々と遅れる、堂々と迷惑をかけられるようにならねばと、妙な所で心した。10年前までそんな生活をしていたのだと、懐かしくさえあった。「年寄りの冷や水」とはこんなことだろうか。
21日で解除の宣言の方針とか。どうみても賛成である。各種メディアは色んな採りあげ方をしているようだが日本においては特に感染者も入院者も死者もまだまだ少数者である。これを理由に全体をコントロールしようとするのはやはり反民主主義かも知れない。「解除に反対しているのは特に稼ぐ必要もない人達」という表現があった。「高齢者たち」という表現もあるかも知れない。それでは駄目だと思う。感染症と言う現象は多分自然の歴史の流れの中では人口密度や、年齢分布や、自然の中での弱肉強食現象の一つなのかもしれないと思うから。「例え生活の糧がなくなっても、全人類がジッとして待てば感染症には勝てる」という表現もあるが、おそらく弱者はその間でも先に命を失うだろう。そう考えれば、特に人為的な緊急事態宣言とかロックダウンなどは出来るだけ避けるべきなのだろう。その中で、人間らしい知恵に基づく「自粛」でうつさない、うつらない努力をすべきなのだろう。人も来ない田舎で、営業を止めて困っている人、逆に公のサポートで潤っている人などと言う「ちょっと外れた」多数の話を聞くと、この辺りで自然に戻るのも良いのではと思ってしまう。さて来週からどうなるだろうか。
昨日は孫娘の通う保育園の発表会(学芸会)。今年は年長さんで卒園の年。家内は観に行きたくて仕方なかったのだが新型コロナの感染防止のために観客は一人のみ。両親も行けないという。ところが前日に息子から連絡があり、何とYou-Tubeを使ってリモート鑑賞ができるという。大慌てでPCとTVを繋いでしっかり成長を確認した。ライブ中継もカメラワークもハイレベルでIOTの進歩がこんな所まで広がっているのだと驚いた。顎マスクを使って園児たちも大声を張り上げて・・・保育園の挑戦をみた。子供たちにとってみれば一生に一度の発表会、何とか思い出を作ってやろうという優しさを感じて、「これで感染したら仕方ない」とまで思わせた。アップで笑う孫娘を観て喝采を送った。非常事態宣言を再再延長すべきと言うメディアも多い。でもこの発表会を見ていて精一杯の努力をした上での感染なら・・と人間を信ずべきと言う考えが固まった。一握りの不心得者のために感染が広がっているのならそれは人間の負けを意味する。感染者が減り続けない限り強制的にでも抑え込む、というのは正しい選択とは思えない。でも、記憶に残る「可愛い」発表会だった。
かの有名な森田健作知事が引退して、その後任を決める千葉県知事選挙が21日に投票予定。今、運動の真っ最中。8人の立候補者がいて激しい(?)選挙戦。メディア情報では、保守陣営の41歳の元県議、若くして千葉市長を3期務めた革新系候補、そして共産党は唯一の女性候補の3人が本命。それは重々承知しているが、ウオーキングのコースの途中の選挙ポスターをチラッとみて驚いた。大きな文字で「マスクを外そう!」「ワクチンは打つな、危険!!」という訴えをしている候補。それ以外は何の訴えもない。年齢も経歴も現職も、何も無し。これで驚いて家で公報をチェックした。他の人たちもなかなかのもの、一人は「コロナはただの風邪」という先の候補者を名指しで「私たちはただの風邪をひくのも嫌です。」というだけの訴え。もっと驚いたのは71歳の内科・精神科の医師。東工大を出た後、浜松医科大、エール大修士卒。凄いエリートなのだが、現在の夢は「千葉県知事になって小池百合子と結婚すること」ときた。ナンカ違うなと思う。あとの二人も何となく本気の政治家とは思えない。確かに自由民主主義で、誰にでも参政権はあるし、立候補して責められる筋合いではないのだけれど。これから知事を選ぼうと思う我々にとってはもう少し悩ませてくれても良いのに、とか結局政党の推薦が得られないようではダメなんだなと良く分かる。TVの訴えも同じで笑ってしまうという声も聞いた。新型コロナ騒ぎでややずっこけている民主主義だが、こんな所でこそ価値を見せつけたいものなのだが・・・習近平がこの公報を見たら何というだろうか。
身の回りの片付けをしていてふと見つけた複製DVD。NHKスペシャル「街道をゆく」の「因幡・伯耆街道」。いつどうやって入手したのか覚えてもいないのだがゆっくり観た。本でも読んだ。鳥取県因幡の国の千代川に沿って下って行くのだがそのスタートが故郷智頭町。それで持っていたのだろう。下流で国府町、鳥取砂丘、その後西に転じて伯耆の国へと移る。楽しい画像の旅である。本も進んでいて、とっくに10冊以上は読んでいて、リタイア後プロジェクトの寺巡りが終わったら、この「街道をゆく」を歩きたいと思っていた。でも、どう考えても無理に思える。何故って肝心の司馬遼太郎自身がこのシリーズが終わらなかったのだから。そこで思いついた。ちょっと調べてみるとNHKスペシャルや、DVDのシリーズで街道が巡られていて幸いにもYouTubeで見られそうだ。昨日、それを思いついて早速3本を観た。これは楽しい。コロナ自粛下にはもってこい。これまで歩いた所は思い出を探り、新しく行きたい所をメモしていく。次の旅のターゲットにもなる。趣味の欄に記していこう。また時間つぶしが一つ増えた。
新型コロナで振り回されている間も世界は大きく動いている。ミャンマーの軍事クーデターには「何故、今?」と驚かされた。その後の人々の反対運動は驚くほど激しく、軍側も慌てているようだ。そのこと自体が「民主化」の成果と言えるのだろう。日本を含めた欧米自由主義国がどう治めるか、特に日本の出番はありそうだ。この問題についても中国がどう動くのか注目される。折しも全人代が始まった。今年も6%成長を謳い、世界に対して現政権の指導力と成功を訴えるとか。香港問題には強気一辺倒、その後は対日本(尖閣問題)、対台湾にも引く気はないとか。我々が生きている間に、自由民主主義対共産全体主義の戦いが表面化するのだろうか。これだけ経済の影響が大きい時代に思想面での争いが主役になり得るのかどうか。やはり気になる。米中冷戦になるとすれば世界平和が遠くなる。当方なども、共産全体主義は平和になれば自然に自由民主主義に落ち着いていくものと信じていたけれど、今の中国を見ていると違うのかも知れない。ロシアや韓国の動きを見ていると、我々の常識とは異なる平和の形・定義があるのかも知れないと思えてくる。自由民主主義の生む「格差」をどう解決するかにかかってくるのだろう。
毎週のように続く文春砲。喝采を挙げている人もいれば、TVのニュースショーで「メディアの鏡」とばかりに褒めているキャスターもいる。政治家も官僚も芸能人も文春の記者にビクビクしているとか。実際、文春砲は今や影の国の人事部で、ここで取り上げられると辞任、辞職、離婚などは普通で、起訴、逮捕も珍しくない。正義の味方なのかも知れないが、このモヤモヤした不快感はどこからくるのだろう。のぞき見的不倫騒動などはなぜそんな記事が受けるのかと思うし、それより1回数万円の夕食接待がまるで黒い闇の様に扱われる。法律があって、それに違反しているのだから文句は言えないし「数万円だから良いのか」と言われれば、誰も良いとは言えない。でも、国会でも、政府でも上は数兆円から数億円の税金や借金を真剣に議論しているべき人達が「一食4万円は余りに高価」などと「国会で」議論している。平和な国と言うか、こんな人達でチャンと動いていく国なのかと心配になる。そんなにこの種の議論がやりたければ、国会内に「不祥事専門委員会」でもおいてそればかり議論すれば良い。せめて問題提起は週刊文春ではなく、政治家が国民の声から提起するようにならねば。同じ文春でも文芸春秋の田中角栄研究の様に、動いた金も人も大きいものは歴史的にも価値がある。でもここ数年の文春砲はとにかく見ていて情けない。どうせやるならせめて10億、100億以上の悪にしてもらわないと・・・妙に不満が続く。リタイア後文芸春秋は(日経ビジネスの代わりに)愛読しているが、週刊文春を買う気にはならない。
昨年の10月末に行って以来、四国の出張もストップ。代わりに月1回、ネット会議を続けている。世の中のトレンドそのもの。ただ、このトレンドの捉え方は二つあって、それはポストコロナの世の中についての見通しの仕方に繋がる。一つの見方は待てば必ず元通りになるのだから、それまでの間は少々効率が悪かろうが、この方法で耐えよう、というもの。他方、これは大きな世の中の大変化の予兆であって、「新しい日常」を見出しておかないと企業も個人も置いていかれてしまう、というもの。現状の社会情勢を見ると、どうも後者の方になりそう。これを機に企業や仕事そのものが大変化しそう。デジタル化のみならず、社会全体の「脱炭素化」に至るまで、自然に、または意図的に変わっていきそうである。我々の世代にとってつらいのは、遂に「浪花節」の通じる社会ではなくなるのだという点が大きい。IOTのみならず、経験がものを言うことも少なくなる。「長屋のご隠居さん」的生き方、価値が無くなっていきそうだ。仕方がないことかも知れない、若い人ほど知識が豊富な領域が普通になりつつあるのだから。リモート会議をやりながら、次は数人が同時に喋っても聞き取れるようにならなくては、などと難しい「年寄りの注文」を考えている。
このところの春の暖かさに誘われて昨日成田山に初詣で。流石に緊急事態宣言下で、駐車場はガラガラ。でも参道はまずまずの人出。境内は勿論ガラガラ。珍しく本堂の中まで入ってお参り。ようやく今年の安全運転お守りも買った。満開の梅林を楽しみ、参道の川豊のうな重も食べられた。正にいつもの正月とは違った世界。コロナはあらゆる分野に大きな変化をもたらせている。経済か命かという問いもやはり真剣だろう。ポストコロナをV字回復と言っていた時もあった。その後U字回復説になった。回復無理と言うL字経済と言う人達もいる。今、問題含みで語られているのはK字トレンド。この機を利用してどんどん拡大する経済と、ひたすら落ち続ける経済の2極化トレンドである。これが最も現実に近いかもしれない。成田山で手を合わせる人達が右肩上がり組なら良いけれど・・・困った時の神頼みなら辛い。ここに参り続けた30年を思った。
この一週間はスポーツ観戦を楽しんだ。緊急事態宣言下で「楽しんだ」なんて言うと叱られるかも知れないが、同時に主催者の努力にも感心した。スポーツ関係者がオリンピックを見据えて続けている努力は凄い。頭が下がるとさえ言える。まず全豪オープンテニス。観客数を厳しくコントロールしながらすべて開催した。TVを通してではあるが大坂なおみ選手の大活躍に声援を送った。4回戦のスペイン・ムグルサとの試合には特に興奮した。2度のマッチポイントを潜り抜けて勝利を得たのは昔の彼女では見られなかったメンタルの強さを示した。昨日の決勝は言わば楽勝。でも、「大坂時代」の到来を予想させる。そして、昨日今日はVリーグ女子の決勝戦。21戦負けなしの東レが、結局JTに優勝を奪われた。これも面白かった。チームプレーの流れ、大事な最後の場面でいかに実力を出せるか、個々の1本を見ていても分からない。精神状態も見えるわけでは無いけれど、何となく流れを察する。これが堪らなく面白い。こうして応援していると、「オリンピックは見たいな」と思い、「やれる方法はあるのかも知れないな」とも思う。高齢者組は2度とこない機会を期待してしまう。開催派に近づいた1週間だった。だって、何とか元気な73歳はもう来ないから・・・
昨日「違った顔に収まるだろう」と書いたけれど、何と本当に橋本会長になってしまった。組織論や人事と言うのは見ている分には面白いけれど、なぜ橋本さんが受けたのか理解できない。彼女は政治家としては最高の「大臣」として五輪に臨む立場なのに、組織委員会は大きいけれど単に財団法人。最終決定権のレベルは全く異なるのに。やはり、政府自民党とか、菅政権とか、今後の選挙とか、そちらの方が強かったということか。「犠牲者」にならなければ良いけれど。
先日の森会長の失言以来、この話が大きなニュース。森会長の辞任、その後の川淵新会長内定ニュース・否定宣言、会長選考委員会メンバー設定、と信じられないドタバタ騒ぎ。今日は選考委員会が橋本聖子五輪相を第一候補に挙げたというニュースで持ち切り。オリンピックで活躍した人の名や良く知れた人の名が出てくるものだから、メディアもこればかり。でも冷静に考えれば、ナンデここで橋本聖子なの?と聞きたくなる。彼女は既に政治家として五輪相をやっている訳で、それを辞めて組織委員長に?と不思議に思う。確かに組織委員長は大変な仕事かも知れないけれど、御手洗名誉会長はいるし、副会長や理事にも多くの有名人の名が並んでいる。どう見ても五輪相の方が重要な政治家としての仕事だろう。どうも、森前会長、菅総理、政府自民党にとってみれば、支持率回復のためにどんな手を使ってでも・・・という感じである。例えば今会長問題で騒いでる国民の何人が組織委員会の役割や、今のメンバーを知っているか、それも怪しい。メディアはまず、森さんの失言を採りあげ、世論を盛り上げ、果ては世界に日本のカルチャーを晒し・・・正義の味方を演じている。これがメディアのあるべき姿なのか・・またもや大きな疑問を感じている。明日は多分、違った顔に収まるのではないかと予想はしているのだが。誰のシナリオか知らないけれど、メディアと国民を納得させるのは容易ではない。まだまだコロナが主役の時なのに、平和な国である。
地震慣れしてきて震度3なら立ち上がりもしない。でも昨夜の震度4は3.11以来の揺れ。飛び起きてTVをつけた。振幅が小さかったとかで揺れ方が異なる地震だった。福島・宮城は震度6、マグニチュード7.1とのことで、工事中の福島第1,2原発を心配した。でも今夜のニュースでは100人台のけが人で、死者はなし。不幸中の幸いである。でも新幹線をはじめとする鉄道や、道路などかなり大きな被害があるようだ。丁度3.11から10年目、忘れそうになっている大地震を思い出させる。土木関連の耐震設計がいかに難しいのかが良く分かる。新幹線の架線柱が倒れるなんて、先の地震の時は?と思うが、構造によって振幅依存性が異なるとかで影響の出方が違うようだ。こうして科学は事有る毎に学んでいる訳だがおそらくキリはない。どこまでも自然に挑戦し続けることになるのだろう。避難訓練も、避難準備も自分を守るためではあるが、「想定外」を前提にするとなるようにしかならない。病との闘いと同じで一人一人状況が違うなと思う。久しぶりの震度4で、10年の歴史を振り返った。
東京五輪組織員会の森会長の舌禍が世界中の話題となり、いつの間にか日本の後進国性にまでなって、遂に明日は辞任・交代とか。確かに内容は「女性が多い会議は長くなる」とどうみても差別発言で咎められても致し方はない。でも今回の流れはどうも引っ掛かる。どんな舌禍でもそうだが、誰かが意図的に取り上げなければ話題にもならない。出席者も「あ、また来たか」程度で、例え心から不快に思った人でも許すのではないか。それをここまで大きな問題にして辞任にまで追い込むのは他の力が働いている。なぜ8万人もいるボランティアさんの中の390人の人が「ボランティアを降りる」と言い、遂にはスポンサー企業の批判を導き、最後は世界の問題にしてしまった。誰もが、「何故、そんなことを言わねば」と思うし、「公の場でそんなことを言っては」とは思うけれど、そこは舞台と中身の重さだろう。当方など、安倍前首相の忖度問題などの方がもっと大きく引っ掛かる。やはり、「世論はメディア」なのか、「メディアが世論」なのか、踊らされているような気がしてならない。「文春砲」で感じる不快感と似たものを感じるのは当方だけだろうか。別に、森元首相のファンでもなければ、女性の会議が長いとも思っていない。会議が長くなるのには、もっともっと大きな原因があるはずで、性別なんかで議論するものではないと思うけれど。(偉い人が一杯出ている会議がどう進むのか、想像してみれば分かる。どこかで結論は出ているはずだから。時間が長くなるのは・・少なくとも出席者の性別ではない。そんなことは誰でも分かっている。)何故か不快感が残る事件。
昨年の大河ドラマ「麒麟が来る」が昨夜最終回。当方など毎回「それとなく」見ていた為か、突然の「本能寺」。昨夜は少し気を入れて見入った。本当に光秀主役のドラマだったのか、と言いたくなるくらい信長主役の最終回。何度大河で描かれたか覚えていない位良く出てくる本能寺だが、著者・作者は一度は描きたい事件なのだろう。毎回面白い。最近のニュースでは光秀は本能寺には行かなかったという有力な証拠が出てきたとか。そんな歴史研究も面白い。「悪役光秀」と言われるが、当方など信長・秀吉に比べれば昔から悪役だとは思っていなかった。勝者に悪役が多いことを知ってしまったからか。今回の大河の描き方の方が頷けた。実際の所歴史的証拠も少ない人らしいので、想像を逞しくするには良い対象の様だ。戦国時代のプライオリティー(優先順位)を考えるにも良い。平和、安穏、自由、平等・・・リーダー達は何か強烈な信念と矜持を持って人生を駆け抜けた。現代日本には武力で勝負する「士」はいない(?)けれど、最後の最後には頼りたくなるものなのかも知れない。世界を見渡せば、まだまだ武力もクーデターも幅を利かせている。この75年日本は平和で良かったけれど・・・たった75年とも言える。大河が終わる毎に歴史の中の今を考える。次は渋沢栄一とか武力の次は経済。さてどんな1年になるか。
今年に入ってから打ち合わせも会議も、飲み会迄もみんなネット経由。家を出るのは夕方のウオーキングのみだった。そして2月。今日は久しぶりに東京のクライアントが呼んでくれた。年末年始を使って、オフィスを東京のど真ん中に移した。それを見学に。メディアが言っているように大手企業が7割をリモートワーク化し、極力の外出自粛のお蔭で、確かに何もかも空いている。昼食時に街中を歩いたら、非常事態宣言中のお休みばかり。良く見ると昨年からの「閉店」も一杯。これは、ポストコロナも相当大変だろう。でも言い換えるとこんな時にも(こそ)勝ち組と負け組がはっきり出ている。やはり政府の救済策も「何でもかんでも」ではなく、「本当に困っている所から・・・」。でも、言うは易く、行うは難し。どんな状況下でも自力で突破する努力をしている人こそが持続的に生き延びられるのだろう。いったん出たのだからと帰り途に美術館によって、久しぶりの外を味わった。
丁度時間が空いて、さて次は何を読もうか、と。そこに又もや「真山仁」の名前、「ハゲタカ」シリーズは読んでいるが、基本的には文庫本になってから。ところがハゲタカ5の「シンドローム(上下)」が文庫本化されたのを知って購入していた。いつものことながら、どんな内容かも知らずに読み始める。何と東電と原発。上巻では3.11とフクシマが主題となっている。この作者の原発や、エネルギー問題、そして東日本大震災を舞台にした小説は、これまででも「ベイジン」「マグマ」「そして、星の輝く夜がくる」など、興奮して読んだ。今度は「フクシマ」。2011年3月11日の大震災とその後の福島第一原発の大事件はまだまだ記憶に新しい。読みながら、この「徒然に」の2011年を開いてフォローした。あの日からその後の「何もできなかった日々」を思いだした。凄い事件だった、凄い日々だった。あれほど放心の時間を送ったのに、今ではすっかり忘れている。でもあの時を振り返ると、去年からのこの新型コロナ事件も何年か経てば忘れているのだろうかと思う。ただ、今回が異なるのは、全世界同時であること、まだまだ中心の感染症そのものが解決していないことが大きく異なる。このままワクチンで人類の勝利となって、1年前の状況に戻れるのならそれに越したことはないけれど、そうは言っても世界中でどの国も大きな借金の中に入ってしまった。よしんば感染症を抑え込んだとしても、2020年をスタートとする不況はおそらく歴史に残るだろう。でも人間って単純で冷酷である。当方が味わっただけでも戦後のドサクサ、70年紛争、ニクソンショック、阪神大震災、そして東北大震災と福島原発事故・・・多くの大変動があった。孫たちが70歳になった時、どんな歴史の振り返りをしているのだろうか。想像するだけで楽しい、いや恐ろしい。
どこかに世界史のフィクサーがいるとしたら今回の脱炭素の新トレンドは凄いアイデアである。必ず襲ってくるコロナ不況の対策として脱炭素を持ち出してきた。バイデン新大統領が就任と同時にパリ協定に復帰した。地球温暖化対策が一気に世界政治・経済の主役になろうとしている。そう言えば日本の菅総理も就任と共に2050年の温室効果ガスの排出ゼロという「グリーン社会」を打ち出した。未だに石油産業は発展しているし、ガソリン車も全盛なのに、急に「グリーン」である。おそらくフィクサーはこの機に大きく世の中を変えること、社会・経済の大転換を図ることで、全てをガラガラポンに戻すことを大前提にしたのではないかと勘ぐる。米国では早くも石油産業いじめが始まり、電気自動車ブームが来そう。おそらく世界では中東の重要性が変化してくるだろう。さて、問題は電気(発電)であり、原発である。今の発電は まだまだ火力が中心、ということは化石燃料を燃やしている訳で、これがどう変化できるか。行きつく所は、太陽光、風力、波力、地熱などの自然現象を利用する発電か、原子力発電であろう。日本と言う国が技術立国として生き抜くためには、原発は避けられないと思ってきた。東北大震災と巨大津波さえなければ、おそらくその期待通りになったであろう。でも、世界の最先端技術としてこの事件に会うことができた。これは大きな収穫である。最近のニュースで中国が全て自分の技術で原発を建設、スタートするという。おそらくどの国も脱火力の切り札は原発だろうし、原発は人類が越さねばならない大きなハードルとなろう。日本はその最先端に立つべき位置付けだった。何としても原子力発電技術を確立し、プルサーマルも完成して、核燃サイクルを世界で最初に自分のものにすべきだった。それこそが日本が技術力の最先端で、脱炭素の世界の絵が描ける国の筈だった。国として、これからのエネルギー供給をどうするか、大きな絵が欲しい。もしかしたらコロナ禍は大きな動きのトリガーになるかも知れない。
ワクチンの話が世界中で喧しい。効き目も、安全性も、生産もコストも。それにどんな種類があるかもまだまだはっきりしていないのに、世界中で救いの主として期待され、バラまかれ、接種されている。デリバリーも問題で、どのタイプを、どこで生産して、どう配るのか、何もかも「ヤミクモ」の中にある。mRNA型が先頭を切って、ファイザーとかモデルナが世界中に納入しているようだが、色んなトラブルを生んでいる。ロシアも中国も異なるタイプを発明、多くの国で接種が始まったようだ。歴史を紐解けば、ワクチン開発には長い時間がかかり、場合によっては多くの犠牲もあった。今回のコロナは最初の患者からまだ1年、実は何も分かっていない。mRNA型は人類史上初のワクチンである。原理的に言えば、安全性も高いようだがロクにデータもない。でも、早くも世界中で取り合いが始まっている。それにしても、全人類を対象に一気に接種しようというのだから、考えてみれば恐ろしい実験である。日本政府の認可が遅いのは頷ける。多くの薬害で痛い目に会っている訳で、将来の問題の可能性を考えれば安易に決断は出来ないだろう。現在の世界中での「人体実験」の結果を待っている訳だが、それも考え方によっては「卑怯な方針」かも知れない。日本の研究者たちも遊んでいる訳ではなく、国産品の開発、安全性の確認等等、大変な努力をしていると思う。我々庶民は、結局は公の方針を信じ、従うしかない。1人1人が「〜型のワクチンでなくては接種しません」などと言えば、何も進まなくなる。ただ、自分が接種する時には、「どんな種類で、誰が開発して、どこで生産した物か?」位は知っていたいとは思うけれど。河野大臣がどれだけ「指導力」が示せるか、大きな試練である。これは応援したい。
こんな苦しい時に誰がなってもリーダーは苦しいだろう。「頑張れば解決する」という問題ではないし、「何を頑張れば良いか」すら分からないのだから。でも、おそらく何年か後には成功したと言われる指導者と失敗したと言われる指導者に分類されるだろう。菅首相は、バイデン大統領はどうだろうか。おそらく今の一挙手一投足が国の将来に大きく影響する。その基本は何か。おそらくそれは「信じる所があるか」のように思える。現実論に強いと言われる菅総理が支持を落としているとか。その点、バイデンは堂々と理想論を語ることで支持を集めているように思える。菅さんには「タナボタで転がり込んだトップの座」なのだから失うものはないとでも心して、堂々と振舞って欲しい。まず、コロナは大臣と自治体にもっと権限を委譲して、自分は国全体の方向を示して欲しい。対米、対中、対韓、対欧など、世界との協調を最も考えなければならない時ではないか。言うべきことを言わないで黙っているようではこの苦難の時代を突破できない。どう生き抜くか、何に耐えねばならないのか、国民に訴え頼むのは「自粛」だけではないように思える。「国の本心」と言えるような考えが求められている。
アメリカ大統領が代わった。早速、バイデンの就任演説をYouTubeでみた。流石、老練の政治家、聴衆を引き付ける演説であった。特異な意見を訴えるわけでもなく、大声や涙で訴える訳でもないが、巧い演説で引き込まれた。理想主義と言ってしまえばそれまでだし、高邁な理想に向かって何をどこまでやれるか、予想は出来ないが、トランプの大声に振り回されてきた世界の受け取りは、おそらく好意的だろう。ブルー(民主)でもなく、レッド(共和)でもなく、アメリカ人として統合していく。そして再び世界をリードする。そのメッセージが嬉しい。おそらく日本にとっては、トランプの方が「やり易い」かも知れないが、人類として捉えればやはり、バイデンの方が「まとも」である。これから何が起ころうとしているのか、世界の誰もが「主体的に」考える必要のある世の中になりそうである。まずは協力を約束したい。
世の中で何が起ころうと、起こるまいと時間の経過だけは容赦ない。コロナ騒ぎが無くても、おそらく医療の問題はどんどん大きくなっていただろう。特に予定のない高齢者の重要な予定は「医者通い」。内科(レントゲン、がん検診、胃カメラ・・)、整形外科(足腰痛、五十肩)、眼科に歯科・・・行き先はいくらでもある。医療費の自己負担は、3割、2割、1割、とおそらく、お出かけの中では安価に済ませられる。これがショッピングとなると、俄然財布の問題となる。さて、このところ自宅や生活関連が、大変。庭木を切ってもらったり、車が動かなくなったり、果てはトイレの排水のトラブル。先日はメーカーに来てもらって分解掃除をしてもらったのだが、トイレから先の排水管もおかしい様で、次回はそちらを頼まねばならない。昨年はエアコンも交換、今度はファンヒーターも怪しい。確かに現役の頃、どんな部品でも、基本の耐久性は「10年」。パッキンから電子部品に至るまで、「まず10年」。ところが10年位あっという間。リタイアしてからもう10年以上。自宅から、電気製品、自家用車に至るまで、あちこちが「定年」。年金生活で食ってはいけても、この種の定年対策はどうしろと言うのだろうか。生活レベルを落とさずに生きていくのは苦しい。コロナの影響を考えるまでもなく、団塊世代の老化対策は日本の大きな課題だったのだから。自粛でジッとしているけれど、何とも不安な毎日である。救いはディスプレーを見ながらの「仲間とアルコールいっぱい」。これが意外と飲みすぎる。食費に占めるアルコール代の比率を何係数と言うのか知らないけれど、この比率は順調に上昇している。「外で飲むより・・・」なんてのは、単なる言い訳にしかならない。でも上記したのはいずれも「健康であればこそ」。その次のステップはベッドで寝た切りか。その時、何を目指しているか・・教えて下さい。
再びの自粛で、特に高齢者は出かける所もなく、とにかくジッとしていることが、自分の為だけでなく、世の中のため、という状況で、自ずと、文字を追ったり、テレビを見たり、の毎日である。その点、無観客で盛り上がりに欠けるとは言えスポーツ中継は面白い。休場力士は多いけれど、大相撲初場所は楽しんでいる。大栄翔の「平幕で、上位を全て破って、全勝優勝」という記録を期待している。さて、今日の全日本卓球の女子シングルの決勝には引き込まれた。午前中の伊藤−早田の準決勝も興奮したが、午後の伊藤−石川の決勝戦は目が離せなかった。二人ともオリンピック代表、世界ランキングも3位と9位。ハイレベルの戦いだった。3-1で伊藤がリードした時点で、「やはり」と思ったが、その後、3-3のイーブン。7ゲーム目も9-9。手に汗握る大接戦だった。結果は石川の大逆転勝ち。ハイレベルの勝利。27歳で既にベテランで次々と現れる10代の若手を蹴散らした。技術のレベルも精神面の強さも驚くべきもので、「何としてもオリンピックを見たい」と思った。年末のバドミントンの女子シングル決勝も凄かったが、共に女子シングルが非常にハイレベルである。我々世代が見てきた女性が強くなった時代の成果であろう。そうは言っても勝っても負けても女性の笑顔を可愛いと思い、負けた涙にはもらい泣きする。これをも女性差別だとは言わないで欲しい。可愛さを求める男心は普遍のものだと思うけれど。今日の試合は楽しんだ。
世界中はコロナ、夜間外出禁止、ウイズコロナの難問、米国は大統領就任までの不穏な動向、トランプ弾劾訴追下院議決、韓国の慰安婦・徴用工問題のますますの悪化、中国の香港・台湾への強硬姿勢、などなど国内のみならず世界から目が離せない。その全てが大きく日本の政治・経済・社会問題と直接結びついている。40〜50年前と比較すると世界を意識せざるを得ないし、その努力が必要である。でも、国内のニュースを見ていると新聞もTVも右に倣えの大合唱。俯瞰的議論が少なすぎる。「日々が大変なんだから」と言いながら、実はノンビリした日々を過ごしている。ただ、この時代は格差を大きく拡大していることは確かな様だ。業界も、個人レベルでもどんどん苦しくなっている業種、その陰で実は笑いが止まらない業種、そのどこに属しているかで、結局苦しんでいる人達も多いようだ。我々はそんな情報を何処から得ているか、と考えるとやはりメディアの責任は大きい。何を取り上げ、何を問題提起するか、その姿勢により世論調査も、内閣支持率も動かされている。確かにネット情報と言う、新しい世界が広がっている。これは受取り方の責任が大きい訳だが、もっと怖いとも言える。仲間や友人との日常の会話と言う、意外なまでに考え方を左右する重要な交流がどんどん減っているだけに、さて何をどう考えるべきか、意外に大きな社会問題だろう。せめてネット飲み会の数でも増やして、みんなどうしているのか、聞いてみなくては。
再びの非常事態宣言。政府サイドはもう少し様子を見たかった様だが、「医療崩壊」を背負った一都三県の知事の要請が勝った。続いて関西も、という話。この綱引きも結局は予算・金の話。自治体にある程度の予算を割り振って、個々に政策を取らせる手もあるのではと思ってしまう。国としてどこまで予算が増やせるかにかかっているのだが、実はもうとっくに国としての懐は破裂してしまっているだろう。宣言は即ち休業・時短補償に直結している訳で、それを当てにしている人達もいるのだろう。疑いだすときりがないのが所謂公金である。世界中でこれだけ経済に影響が出始めているのだから、誰をも救える政策などあろうはずがない。それを考えたうえでの「自助・共助・そして公助」のスローガンでは無かったのか。なぜ、総理就任時にその点を訴えなかったのか。国民を前に正直ベースの語り掛けをすれば良かった。菅総理はそれをやるに適した立場だったと思うけれど(自民党はやらせないだろうけれど)。これからますます経済面のマイナスが表面化してくるだろう。社会全体が公助を求めるようになる。今日の衣食住は知事さん達にもっと任せて、より長期的な外交関係(米国議事堂乱入事件に首相は何も発さなかった。新しい日米欧や日韓関係はどうなる?)や、コロナ後の日本がどうなるかなどの見通し、方針などを考察し、国民に話しかける様な政治は出来ないのだろうか。さて、年金生活者の我々は何を、どこを、誰を見て「自粛生活」を進めるのか。世の中にバラまきまくった金はきっと吹き溜まりになっているようにも思えるけれど。
もう、トランプ大統領には開いた口が塞がらない。日本的言い方をすれば「ヤクザ」と同じ。世界一(と誰もが認識していた)の自由民主主義国米国の大統領とは思えない行動。選挙(その正当性だって最終責任は自分自身の筈なのに)に疑問を呈し、結果を受け入れず、果ては議会承認の当日に支持者を集め、煽動して議会乱入。残り2週間の任期中に何をしでかそうと言うのか。普通のリーダーとは思えない。国の将来を思い、自由や民主主義を良しとするなら、潔く平和で紳士的に「次に引き継ぐ」べきだろう。4人の死者まで出した乱入事件。世界平和への将来が暗い。知りたいのはトランプを強烈に支持してきた共和党の議員や、党員がこの事件をどう捉え、今後どう動くのか。メディアが言うように「新トランプ党」を立ち上げて次期大統領を狙うのか。それともバイデンの言う、「ブルーでもレッドでもない、アメリカ人なのだ」という発想になれるのかどうか。子供の頃から憧れた「夢の国、アメリカ」はどこに行ってしまったのか。我々日本人も、「良い所どり」だけではやっていけなくなる。バイデン政権を機に、「日本、いかに生きるべきか」を真剣に考える必要があろう。そういえば、今朝の乱入事件のニュースについて、大国の指導者はみんな批判のメッセージを発していたのに、菅首相や(ぜひ聞きたい)安倍元総理は未だ何も発していない。これこそ大至急一言発すべき事態である。「コロナは大臣と自治体に任せる、責任は私が取る」と一言いえばよい。
約1年闘いが続いて、いよいよワクチンも現実的になってきて、でも、コロナ側も次は「変異種」で拡大を図る。自然対人類の闘いと言うけれど、この自然は生命力が強いようだ。生き続けようと自分自身が変化していく。人類サイドで出来ることは、彼らの拡大機会を無くす、すなわち人類側が極力接触機会を減らして、ウイルスが拡がらないようにするしか無さそうだ。「ファクターX(日本での感染規模が低い要素)」があるのか、あったらそれは何なのか、そもそも単に感染スピードが遅いだけで、結局は欧米並みになるのか、分からないことだらけの感染症であるが、年を明けてもまだまだ強いようだ。米国の感染の勢いは止まらないし、欧州のロックダウンも広がっている。日本も今週から再びの「非常事態宣言」に戻りそうだ。新年の新聞を読んでも、TVの解説を聞いていても、やはり完全に闘いが終わるには4〜5年かかるということの様だ。しかも終わった状態は社会が大きく変わってしまうと思われる。でも、それも考え方で、一人一人にとってみれば誰もが昨日と違う今日を生き、今日と違う明日を生きている訳で、その時の環境の違いが「コロナ禍」であると思えば、台風や地震などの自然災害や、インフレやデフレと言った人為的変化など、毎日の変化の一つだと思えば良いのだろう。なぜなら周りの人的環境は、昨年の正月と比べれば大きく変わってきているし、自分自身の体力もどんどん変化している。「自分」を除いて、人類が同じように続いていくと仮定すれば、大事件かも知れないけれど、「自分」の人生の一時期だと思えば、この変化する毎日をしっかり味わえばよい。楽しいことも、苦しいことも、二度とない自分の今日なのだから。
新しい年になった。でも、今年は社会も我が家も様変わり。新型コロナも変異型が出回っている様で、欧州、アフリカから世界へと、感染しやすい変異型が拡大している。日本にも変異型が入ってきている様で、感染者数も止まらない。そんな世の中なので、例年の正月の家族パーティーもなし。長男だけが帰宅して大晦日に近所の寺に初詣。元日は近くの神社に。元日の夜のパーティーも無し。3男の家族が昼に顔を出しただけで終わった。ただ、彼らにとっても恒例の正月なので淋しいのだろう。次男が言い出して、代わりにネット新年会をやることになった。それぞれの家庭からパソコンやスマホを使って、ZOOM飲み会。見えない、聞こえない、遅い等等、他のネット飲み会で味わったトラブルを経由して、でも最終的には我が家族と義妹家族、計14人が何らかの形で繋がって、おしゃべりができた。孫たちもちゃんと会話できて大はしゃぎ。世の中で起こっている現象をこの小社会でも実行した。ZOOMも大サービスで、40分限定もなく、結局2時間くらいのパーティーとなった。例年とは大きく異なるが、将来、コロナの正月として振り返る時には思い出にはなるだろう。感染者の増大と共に経済の方も次第に破綻の気配が出てきて、この年越し期間では年末助け合いの希望が増えているらしい。これからどう動くのか見えてはこないが、再度緊急事態宣言が発出されるようにでもなれば、2021年の先行きも怪しい。我々年金生活者はとりあえず食っては行けそうだが、病にでもかかれば病院も大変そうである。これから1〜2か月、世界も含めた動きから目が離せない。騒乱の中の新年である。
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