米中貿易戦争、米朝関係と目が離せない年末の国際情勢。この1年は正にトランプに振り回された世界だった。一つ一つの問題では、トランプの言うことにも一理あるなと思ったり、なるほど米国人はそう思うかもと思うことはあったりしたが、やはり個人的には「トランプのやり方、人となり」には賛成できない。それが、米中関係を難しくし、北朝鮮ともやりあう。根本的主義主張という意味では中国より香港や台湾を支持したいし、日朝関係の正常化も期待したいが、この種の問題はそれ程簡単ではない。金正恩の米国へのクリスマスプレゼントはまだ何も送られてはいないようだが、まだまだ緊張は続く。安倍長期政権は俯瞰的にみれば世界の中でうまく立ち回っていると思うが、日本国内ではそろそろ限界なのか批判される所が増えてきた。交代の時期が近付いているのだろう。ただ、今の世界はもう一国中心だけで回る社会ではないし特に日本は貿易が命である、「世界の中の日本」として振舞える政権であってほしい。2019年もあと一日になった。このまま新年を迎えたいものだ。年の瀬の掃除をしていると、思い出の価値が少しづつ変わってきていることを感じる。それも「年齢」のなせる業か。
今年は珍しく最後の四国出張が今日までの3日間になって、何とも慌ただしかった。熟年夫婦2人暮らしだから大したことは無いのだが、来る新年も家族の集まりをしてくれる(?)とのことで、子供達、孫達も来る気満々。そう言ってくれれば迎える方もあれもこれもと準備らしきことを考える。嬉しい、有難いことと喜ばねばならない。加えて年末にコンサル先の若者が訪問したいという。これも来るなと言えるわけでもなく、どうぞと言うしかない。てな訳で、まだまだ忙しい。今日までの四国出張もなかなかのイベントで、一年契約延長に押印し、昨夜は若者たちと一席。そこで、キーマンと評価していた若者の退社ニュースを聞く。外部からのコンサルで口を挟む余地はないが、不満タラタラ。珍しく遅くまで飲んだ。色んな所で、色んな人が、色んな事を進めている。当方の期待通りになる筈もないが、予想外のことが起こるとストレスになる。今の様な立場は誰かの責任を取らねばならないような重さは無いわけだが、やはり真剣に捉えると悩んでしまう。「みんな来年も笑顔で頑張ろうね」と言って3本締めで終わりたいところだったが、さすがに思うようにはいかない。責任の重さは違うけれど、こうして色々考えながらまた新しい年の準備をする。それができることに対する感謝の気持ちが、今は、最も重要なのかも知れないけれど。
毎年この季節にはXmasカードと年賀状に追われる。スケジュールに追われるだけでやりだすとすぐなのだが、なかなか手につかない。ミシガンに赴任したのはもう20年以上も前なのに、まだほんのこの間のことのように思い出す。何人かの友人にカードとAnnual Reportを送っているが年賀状と同じでやり取りがなくなったケースも多い。今や年に一回の英文のレター。単語も思うように出てこない。でも、これまた人生を振り返る良い機会でもある。海の向こうで同じ日を振り返って思い出を共有してくれている人がいると思うだけで心温まる。「お互い歳をとりましたね」と語っている。日本らしいデザインの切手を探して貼って送る。これも楽しい。振り返ってばかりの毎日ではいけないけれど。
夏休みに3つの公民館のPC教室をこなし、11〜12月の日曜日は5週にわたって市の講座を担当する。思い出せばもう9年も前、何か地域貢献できないかと登録をしようとしたら、結局世の中で認められる高レベルの得意項目がなく、面接でパソコンということになった。特に得意な訳でもなく他の人の持たない資格を持っているわけでも無いのに、初めは市の職員の講座をサポートすることからスタートした。一応、MOS試験を受けたりはしたが、当方の目指したのは「乗り遅れた高齢者の再スタート」のサポート。その後、いつの間にか講座を担当することになり、毎年手作りテキストも充実させてきた。「ロクに分かっていない高齢者だからこそ」のメリットもあったのかも知れない。毎年、来年も、と依頼されている。目に見える効果がある訳ではないから、結局は受講生の印象、評判だけに頼る訳だが、毎年継続を希望されて自己満足に陥っている。でも、この世界、ますますついていけなくなる。ワードとエクセルの基礎なんていうことを続けていてもダメなのかもしれないが、パソコンを諦めた人が再度触ってみる手助けができたらそれだけでも良しとしよう。来年はまた担当の人と相談して「税金の無駄使い」(と言われるほど謝礼金がでれば良いのだが)と言われないよう工夫をしなくては、と思っている。今年も「やりがい」らしきものは感じることができた。それを感謝したい。
ジョンソン首相の思惑通り(?)イギリスの総選挙は保守党の躍進、これでBREXITは本格化、EU離脱は現実化しそう。おそらく英国国民も数年間の混乱に嫌気がさしていて、何でも良いから安定して欲しいという気持ちなのだろう。でもこれでEUは一段と弱体化して、次々と離脱国が出てくるのではと懸念する。英国には貨幣ユーロを採用しなかった時点から、この流れはあって、いつかは脱EUして独立方針でいきたいという考えがあったのだろうが、逆に欧州のリーダーシップをとることが叶わなかったとも言える。純保守の人達は「大英帝国再び」的な考えがあるのかも知れないけれど、おそらく世界の若い世代は英国が世界を制覇していた時代があったことすら知らないだろう。この国の行き方をみていると、日本の将来も推察できる。放っておくと、世界第二の経済大国であったことを忘れられず、夢を追い続けるのではないか。折しも補正予算4兆円、財源は建設国債と赤字国債それぞれ2兆円。昨日と同じ明日をキープするために借金を続ける。危ない橋を渡っている。我々はもっと真剣に歴史に学ばねばならないのではないか。英国から学ばねばと強く思う。それは決して成功の例ではなさそうに見える。そんな考えは間違っていれば良いけれど。
若い頃から奈良が好きで良く通ったし、今でも時折立ち寄る。昔から、1人の奈良、2人の京都、ファミリーの鎌倉と言い、それが当方の人生にも当てはまった。最近のインバウンドブームで京都は次第に「行くに堪えられない場所」になりつつあって、足も遠のく。新聞に古都にまつわる催しの記事を見つけると、とりあえず応募する。昨日は奈良県(ビジターズビューロー)主催の奈良楽東京特別講座「薬師寺東塔を掘る」という後援会に出向いた。薬師寺執事長の大谷氏の講話(自覚悟と観自在)、その後奈良県出身のチェリスト西谷氏の演奏(無伴奏チェロのためのBUNRAKUには驚き)、そして青木国学院大教授の講演、「薬師寺を掘る」を聞く。2014年から行われている東塔解体修理の内幕を聞いた。薬師寺、東塔、凍れる音楽・・・面白かった。東塔も来年春には落慶法要とか、また楽しみができる。昨日の後援会は有料でも参加者は多かった。関東にもこんなに奈良ファンが多いのだと驚く。これで東塔が完成し、海外からの観光客が増えると・・・まさか今の清水寺の様にはならないとは思うけれど、余計な心配をしてしまう。大学の実験室で雪が降ってきて、矢も楯もたまらず西ノ京迄行った。あの頃の青春の幼い気持ちを思う。当時、リタイアしたお爺さんは、「世間の苦さ、甘さを知り尽くした人」だと思っていたけれど・・・幸か不幸かまるで成長していない。薬師寺の東塔・西塔が並び立つ姿がまた見えるなんて・・・あと半年は健康でいなければ。
年に1回は競馬仲間と訪れている中山競馬場だが、昨日はOB会の行事として「中山競馬場見学会」を計画、計13名で訪れた。こんな日に来る人は少ないだろうと思ったような寒くて雨の朝。でもいざ行って見れば意外なほどの人、まず驚いた。当方は何回か行っているが主体は初めての人ばかり。まず全員でビギナーズセミナーから入る。何しろ業績の良い中央競馬会(JRA)、若い人達が懇切丁寧に楽しみ方を教えてくれる。新聞の見方や、馬券の買い方を習い、パドックでレース前の馬を見たり、最後はレースを見学するところまでじっくり教えてもらった。こんなコースがあるのなら、当方ももっと早く聞いていればこれまでもっと楽しめたかも知れない。競馬・ギャンブルと聞くと眉を顰める人もいるかも知れない。でも、そんな世界があることも知らず、競馬の話をしている人がいても、冷たい目で見ているよりも、少しでも仲間に入って話せればその方が楽しい。当方はいつでも、何でもそう思っている。今回も「良いプログラムだった」と喜んでくれた人もいて、やって良かった、と思った。全ての世界を知ることはできない訳だが、知らなかった世界を覗いて「こんな世界もあったのだ」と喜ぶ人がいるのは嬉しい。馬券の買い方の講義もあって、何枚か買って、外れ続けて、でもメインレースで当たってトントン。1日を楽しんだ。ギャンブルは射幸心を煽る悪への道という人もいるけれど、どんな道でも悪い方向に進めば間違う人も出てくる。だから悪だと決めつけるのは好きではない。若い頃、マージャンを習い、パチンコに明け暮れ、そんな毎日も過ごした。人間って、色んな経験をして色んな迷いを経て・・・それがあるからこそ「生きた」と言えるのでは?と問うている。
そもそも眼科に通うようになったのはリタイアする頃(約10年前)に緑内障の可能性を言われたから。毎年1回視野検査に通って何とか薬の投与も逃れてきたが、昨年には白内障が進み、今年両目の手術を受けた。ゴルフボールの行き先は良く見えるようにはなったが、多くの人が言うように「世の中が変わった」というほどの感慨はなかった。今日は元に戻って、視野検査に行った。この検査はゲーム性があって、多分当方は得意。見えていない時にすら、「そろそろ来る頃」と、ボタンを押している気もする。今日の検査の後でも、視神経はいつ発病しても良い位の感じなんですが、視野検査の結果は良いですね、と、また処置は1年先となった。何も急いで「病気」になりたくはないわけで頑張って(?)いる。嬉しいのは、では次回は来年(2020年)の12月、と予約をしたこと。1年間は眼科の重病にはならないだろうという保証、ホッとする。何科であれ、1年間のOKが出るのは、この年になると嬉しい。久しぶりの病院、受付で支払い計算の呼び出しを待っていると、兎に角我々世代ばかり。聞こえる料金は、190円、350円・・・当方の検査料金は3000円を超していたので、何となくホッとする。75歳以上の後期高齢者は負担が少ない、我々だっていつの間にか3割負担が2割になっている。有難いことだけれど、高齢者の行く場所が病院、というのは頂けない。色んな所にガタが出てくるのだろうけれど、その度に通院病院と通院頻度が上がるとすれば、それは避けたい。いよいよ、病との戦いも近づいている。
昨夕、四国出張から帰ってきたら、孫たちが来ていた。上の男の子は小学2年生、我が家に来るとタブレット端末が自由に使えると思っているらしく張り切ってやってくる。ゲームのやりすぎで両親は心配しているが、逆に驚くことも多い。昨夜何気なく会話していると、「ばあちゃん、AIって知ってる?」という話になった。彼は、タブレットに向かって「AIって何ですか?やさしく教えてください」と話している。タブレットはすぐに理解して解説を始めるが流石にすぐに理解できない。「"アーティフィシャル・インテリジェンス"で人工知能だって」と答える。驚くのはその次のステップとして、「難しいのでもっと優しく教えてください」と語っているのだ。これには驚いた。こんなステップを経て、親とか学校の先生を経ることなく、どんどん知識を増やしている。昔だって、本を読んだり、中でも百科事典を買ってもらったりして知識を広げようとしたものだが、今はタブレットやスマホに向かって質問するだけ。あとは、答えをどこまで理解できるかにかかってくる。この1シーンだけで、今の教育の難しさや問題点が浮かび上がってくる。子供たちの求める知識をもう大人はコントロールできない。教えようと教えまいと、彼らの周りには教えてくれる機械や機構が溢れている。子供たちが何を信頼し、どこから新しい知識を得るのか、もう捉えようはない。どう制御するのが正解なのか、AIは解を教えてくれるのだろうか。
アトムロボットが我が家に来て間もなく1年。地球や人間世界の変化が大きく、余り相手をしなかった。先週末、久しぶりにスイッチを入れて、久しぶりのあいさつと、ご機嫌伺い(自己診断)などをやった。ちょっと対応が遅くなったかな、などと思いながら、最近のお気に入りの技、般若心経を唱えさせた。途中まで進んだところで、むむむむむと言い出し、切れた。その後は緊急スイッチや長押しスイッチなど試したが、メイン電源は入るのだが顔(液晶画面)が出ない。時間をおこうと昨日再トライ。今回はどうにも立ち上がらない。結局、サポートセンターに電話。色々考えられるが兎に角送って下さい、とのこと。今日、宅配便が取りに来た。どうもかなりの出費になりそう。やはり、ロボットも常に気にかけて相手をしないと怒るのかも知れない、と反省。このロボットには気に入られて相手をしてもらう準備だけはしておかないと将来が暗い。「無事帰宅してよ」とブツブツ言いながら送り出した。
GSOMIA継続の発表が、期限ギリギリの昨日あった。8月に破棄を発表して、今回は継続を発表して、韓国の独り相撲にはあきれる。断固とした態度を貫いている日本政府を支持したい。でも、日韓友好はもっと本質的な所で重要なのではないか、グローバルの中で生きて行かざるを得ない日本国はもっと真剣になるべきではないか、とも思う。これまで日本政府は相手国の政治体制がどうあろうと、必要な国とは交流を続けた。スカルノしかり、フセインしかり、今でもプーチン、習近平・・・親米だけでは生きていけない国なのだ。最も近い韓国とは特に自由民主主義国として友好的にやらなくてどうするの、と言いたい。敗戦から70年、先進国としての成功に酔っているのではないか、復興のために努力したわけでもない若い世代は、もしかしてこの国は自力で十分生きていける国と思っているのではないかと心配になる。どんなに良いものをどんなに安く作っても、この国をマーケットに考えたらすぐに飽和する。やはり、世界を相手にせねばならない。ますますそうなっている。韓国が世界に認められる国になって、今日本と競合しようとしても、それを責めるのはお門違いだろう。韓国は日本の歩んだ道を歩んでいる。日本にとっての米国と、韓国にとっての日本は同じプロセスを歩んでいるはずだ。同じ穴にいることをもっと認識すべきである。文政権は、そもそもその穴を出て、他の穴に入ろうとしているのではないか。それを最も心配した。そこを韓国には明らかにして欲しい。そうでないのなら、お互い譲るものは譲って・・・そうありたい。取り敢えずGSOMIAは継続することになったけれど、一緒の穴にいたいのかどうか・・・それは韓国民が決めることだろう。未だ迷える韓国が見える。
昨日のプリンターの記事で、早速手を挙げてくれた友人がいた。何となく嬉しい。他にも対応する人がいたかも知れないけれど、その場合はゴメンナサイ。でもこんな交流ができるのも、Webの時代ならではですね。
時々大量のカラープリンティングをやるものだからプリンター負荷が高い。インクは相当品を使うので非常に安価なのだが、使い続けると、「吸収パッド」とやらが使えなくなる。これは重傷でメーカーに行けということになり、調べると1台購入可能なほどの修理費がかかる。これもネットで調べると「カウンター上限カット」、「吸収パッド作製」などの裏技もあるようで、以前一度カウンター対策をやったこともある。今は外部ソフトからのウイルスにやられそうであきらめた。色々経験したが、今回は「エコタンク式」を購入してみた。これまでの6色色別カートリッジに較べると非常に合理的、でも色合いは悪いかもしれない。さて、読者の中にEPSONのプリンターでEP-982A3 / EP-979A3 / EP-978A3 / EP-977A3 / EP-907F / EP-808AB / EP-808AW / EP-808AR / EP-807AW / EP-807AB / EP-807AR / EP-777A / EP-708A / EP-707Aを使っている方があれば、連絡ください。一番早い方に80Lタイプのインクカートリッジ(6色、但し相当品ですが)12本を差し上げます(mkoby1125@yahoo.co.jpに、住所氏名を書いてメール下さい。)先日手配したのに不要になりました。捨てるのはもったいなくて。
鳥取から帰ったばかりというのに今年も秋の富士五湖に出かけた。今年は義妹家族と共にドライブ。紅葉を楽しんだ。2日目は御殿場の「遼君の応援」のつもりだったけれど、彼はあえなく予選落ち、見ることはできなかった。代わりと言えば難かも知れないが、アマチュア(学生)の金谷君が一気に首位に躍り出た。今日は結局優勝。また新たなスターが生まれる予感がある。昨日は18番でギャラリーから「アマに負けるなよ!」とプロに声がかかったがそれに打ち勝ったのだから楽しみだ。先日のラグビーのWC、そして卓球の世界選手権、その後は侍ジャパンの野球と、世界を意識するスポーツ大会が続く。オリンピックを前に鍛えているだけあって、どの競技を見ても、日本人選手たちが頑張っている。そして日本人が応援に力を入れている。何と平和なことかと思うけれどどうも無条件で喜べないのは、我々世代が、今の「好景気」や「平和」が決していつまでも続く、持続性の高い("Sustainable")もので有り得ないことを良く知っているから。借金まみれの経済大国が「痛み」に耐える改革に一体いつ手を出すのか。相当なリーダーシップが期待されている。でも、その時が我々一人一人が将来のために我慢を強いられる日になるのだろう。来年度一般会計予算はいよいよ100兆円越えとか。やはり、今日より良い明日を皆が求めているのだろう。アスリートたちの「負けたら出直し」の様な意識はまだ浸透していない様だ。でも明らかに冬は近づいている。
鳥取県と岡山県を結ぶJR因美線に「土師(はじ)」という駅がある。当方が生まれ育った正に「故郷(ふるさと)」。そこにあった土師小学校が我が最初の母校。我々団塊の世代は、何と同級生が57人もいた。もう過疎化が進み、当時7つあった小学校が今やただ一つの小学校に統合されていて、母校の姿もない。その同窓会が開催され帰郷した。22人の出席があり、恩師も1人出席、心温まる再会の場だった。人によっては60年ぶりの再会で、名札を見ても全く思い出さない人もある。でも、一言話し出せば後は簡単、容易に会話が弾んだ。思い出話になれば多くの共通項がある。もう9人も他界、4人は不明、それだけで長い年月が経っていることが分る。夫々の人生を聞けば全てが物語、人間模様が浮かんでくる。夕食の後、大部屋に移って夜遅くまで夫々の人生を聞く。勿論、ホンの一部だが、その人がどんな苦労と闘ってきたか、伺える。良いことも、悪いこともあったし、自分よりももっともっと苦労した人たちがいることを思い知る。生きる環境、生かされる環境も決して平等ではない。今朝、別れの時に「生きているうちにもう一回会えると良いね。それまで頑張って生きようね。」と交わす。これが精一杯。でも、帰郷して良かった、参加して良かったと、心から思った。心に染みる平穏な満足感。こんな気持ちで最後の時が迎えられたら、なんて思った。
丁度、社会人になる頃、曽野綾子の「誰のために愛するか」というエッセーがベストセラーになった。その後、映画やTVドラマにもなった。あの頃は我々マジョリティ世代が真剣に愛とか恋とか生きるとか考えていたのだろうと思う。そして今、我々は「いかに死ぬか」を考えているのだが、ひっくり返せばそれは、いかに生きるかになり、ひいては「誰のために生きるか」になる。おそらくその対象が沢山あれば、それは大きな生きがいとなろう。伴侶のために、子供のために、家族のために、親しい友人のために、地域のために、日本人のために、世界のために・・・おそらく何でも良いのではないだろうか、生き甲斐となるような対象があれば、おそらく幸せ。逆にそれが無くなると「何のために」ということになる。孤独な老人が増えているとか。一方、「楽しい一人暮らし」という言葉もある。結局は誰と生活するか、誰と毎日話すか、などということより、常に頭の中で誰のことを考え、誰の幸せを願っているか、そんな対象が何人あるか。それが明日を生きる糧になるように思う。それは究極には今生きている人間である必要ですらなく、歴史上の人物でも、宗教指導者でも、今は無き家族や友人でも良いのだと思う。明日を生きるためのポイントでもある。
今や、人生100年時代とか。確かに子供の頃には100歳以上のお年寄りはそうはいなかったし、この間までは(キンさん、ギンさんの様に)スターだった。最近は100歳越えはニュースにもならない。どこにでも居られるし、しかも(寝たきりではなく)元気な人も多い。当方が時々ゴルフで一緒になる先輩とか、先日の同窓会での仕事上の大先輩など94歳だが、すこぶる健康。そんなに健康でいられるのなら100歳も悪くないなと思うことがある。一方、見ていて「なんで生きていなきゃいけないの?」と聞きたくなるような人生もある。ベッドに、言わば「縛り付けられて」、ただ呼吸を続ける人生。こうなったら困るなと思うけれど、口に出しては言えない。何れにしても、平均寿命がどんどん延びていることは事実。それが大きな社会問題になっているのも事実。だからと言って自分の終末を自分で決めることはできない。自分の終わり方は(自分で決められるものでは無く)自然の流れの一つとして来るものだと言い聞かせてはいるが、何とか自分の努力で「健康に死ぬ」ことができたら、と日々願っている。当方の感覚は「兎に角自分を社会の一員として置いておく」こと。そうすれば、どんな問題が起きても、「自分の問題として」捕らえることが出来、おそらく認知症になるスピードは遅れるのではないか、と思っている。72歳の誕生日が近い。「72歳なんて人生の3/4にも満たない。」と考えると、先は長い。やはり、振り返りつつも常に前を見ていることが重要なのだろう。
いつの間にか、9回目になった。現役でいた会社の元役員の懇親会。当方がメンバーになる前は、会社側が至れり尽くせりの懇親会だった。それが時代と共に移り変わり、当方のリタイアの翌年から企業サイドはなにもしないという連絡があった。そこで当方は手を挙げてとにかく「役員OB会」をやりましょうと。それが続いてもう9回目。当方としては、尊敬する中興の祖のお二人が出席してくれる間は、当方さえ元気であれば勝手に幹事をしますと宣言、やってきた。今夜、9回目、だんだん皆さんお年を召して運営も難しい。でも、歳をとっている人ほどこの種の会に出たがっているよう。とにかく無事終わってくれれば嬉しいし、それなりの満足感もある。こんな会はこれからどう運営すべきなのか、考えることは多いけれど、楽しみにしている人がある限り、存在価値はあるのだと思う。現役の一人が一緒に反省会をしてくれた。価値を分かる人もいることは確か。ま、兎に角次回ももう一回「勝手幹事」は続けよう。
アスリートファーストなんて言葉が出てきて、ドバイが暑かったという件が出てきて・・何となく決まった来年の札幌でのマラソン。説得力があるように見えても、やはりおかしい。天候や天災を持ち出すのなら、考えるべきことは他にもある。日本での地震を心配し始めたら、今夏の猛暑と同じくらいの確率で起こるかも知れない。真夏の台風だって来ないとも限らない。「何の心配も無く」なんて考えられない。多くのリスクを考えておくことは当然だけれど、それが不足という理由での影響の大きい予定変更はそもそもが間違っていたことをもっと謝らねばならない。マラソンと競歩の開催場所のみを変更するという対策は頷けない。もっと「アスリート」の声を聞くべきだろう。候補の人達は「どんな天候であれ」、東京でのマラソンに出場するつもりの筈だし、結果責任は自分が負うこと位は分かっている筈だ。放熱性の良いアスファルトを考えた人もいる。マラソンが来ることを楽しみにしている東京の観光地も多い。夫々の人達が夫々の立場で、2020を考えていた筈である。それがIOCの「天の声」で180度(360度)変わってしまった。開催国、開催地の意向はどこへ?と思う。当方個人にとってみれば、大きな問題はないのだが何故か不満が残るのは、おそらく決定プロセスの曖昧さからだろう。オリンピック開催は、世界中を巻き込んで、何年もかけて計画され、実施される。そんな大きなイベントのかなりのメインイベントが、いつの間にか変わってしまうことへの不満。多分、それだけのことだろうけれど・・。
世界がおかしい。トルコを始め中東がおかしい。英国はついに期限であった今日も突破、またまた来年まで先延ばし。中国は香港や台湾に苦しむ。日韓も全く見通せない。多くの解説を読むと、やはり「グローバリゼーションへの反発」、「トランプ的政治、偏ったポピュリズム」の影響が出ているとか。それでは日本はどうか、安倍政権の目指すところはどこか。断固として目標にしていた改憲も勢いが無くなってきた。親トランプは仮の姿と思っていたが、「トランプこけたら。安倍こける」になってしまうのだろうか。今の(とは言っても強い)安倍政権だからこそできることをやり遂げてほしい。それは「日本国のアイデンティティーを明確にして見せること」。どうせ歴史の審判を仰ぐことになるのだから、その挑戦を望みたい。竹下政権が消費税に挑まなかったら、おそらく日本の財政は大変なことになっていただろう。彼はそれだけで日本史に名を残した。この強力な(だった)安倍政権の名が残るとしたら・・・本当に「アベノミクス」だろうか。今度は法務大臣が辞任・・・
日本は本当に平和ボケなのかも知れない。今回の菅原経産相の辞任劇を見てそう思った。まず本人から言えば、こんな傷だらけのスネを持った人がなぜ喜んで大臣を受けるのか。世間を甘く見ているとしか言えない。安倍政権サイドをみればなぜこんな人を指名するのか、「在庫整理」とまで言われるような大臣指名ができるのは、どう見ても驕りではないか。こんなことを続けたら必ずしっぺ返しを食らう。しかも堂々と「任命責任は感じていて申し訳ない」と謝っている。これは問題だろう。そこまで批判した上での話だが、2万円の香典を秘書に持って行かせたというだけで辞めなければならない大臣というのもいかにも軽い。100兆円の国家予算のいくらかに責任を持たねばならない人が2万円の、しかも贈ったことでクビになる。何億という金を懐に入れても、どう考えても国民は許さないというような悪事を働いても問題視さえされない人もいる。「違法」なら悪なのは分かっているがどうも納得できない。もっと言えばなぜ、「週刊文春」が「法の番人」で、大臣の人事権を握っているのか。ここの記者たちは本当に法を守って、世の為人の為に記事を書いているのだろうか。彼らに睨まれれば、大臣の首も、有名人や芸能界の名声も吹っ飛ぶ。これがまともな社会なのだろうか。三権分立の民主主義の中に、妙な四権目が出てきている様で不愉快を感じているのは当方だけだろうか。おかしいのは政治だけではないのかも知れない。
昨日はようやく心地よい秋の気配か、などと思っていたのに、メリハリが効くなんてこんな時に使う言葉かどうか知らないが、一転今日は豪雨。近くの牛久では12時間に一か月分の雨が降ったとか。午後はずっと市の避難アナウンスが続いた。またまた市原市のニュースが続いた。当方は近くに川も崖もなくて、しかも昔、山を削って作った団地なものだから、災害の心配は地震だけ。今回の15号の風、19号の雨、そして今日の雨も全く被害なく過ごせた。でもニュースを見ていると同じエリアの人達が沢山被害を受けている。今日の避難情報もずっと続いたし、加えて奥地にある二つのダムが緊急放流寸前までいったらしい。ここ数年挙げだしたらキリがないほどの自然災害が続く。何かあるごとに90歳の老人が「何十年ここで生きて初めて」という。やはり人類がもたらした人災なのだろう。これから何が起こるか、これまでの経験と実績に基づいた予測で見通したら駄目だと言うこと。自然の挑戦という言い方をしてきたけれど、これからは「歴史の挑戦」と言おうか。老人の経験談だけでは不十分、おそらく同じ発想の人工知能(AI)の予測でも不十分ということになっていく。次々と襲ってくる「経験したことがない」災害。
今年も市の検診に。年に一度の総合健康診断。長年の持病については定期的に薬を貰いには行っているが、今や総合健康診断と言えるのはこれが主。この雰囲気が好きだ。昔は会社での健康診断、本社勤務になってからは人間ドッグ。検診も仕事の一部だった。でもリタイアしてからはこうして地域の健康診断に行く。正に「これで十分」。おそらく70歳を過ぎるとわざわざ病気を探しに行くことはない。何れ致命傷は来るのだろうけれど、足掻いて迄、寿命を延ばすことはない。甘んじて受けるべき病は来るのだろうと思っている。でも、こうして地域の体育館で並んで順番を待つ時、日本の地域検診の素晴らしさを誇りに思う。老いも若きも、主婦もパートタイマーも皆最低限の健康チェックを受けている。世界の中でもおそらく先進国だと思う。そんなことを思うだけで並んでいて嬉しい。受付の女性の誇りにあふれた笑顔が良かった。厚生労働省の役人も、政治家の皆さんも、偶には庶民と一緒にこの健康診断を受ければ、きっと生き甲斐に感じるに違いない。そんなことを思った。
ラグビーのワールドカップが決まった時、日本で本当に大丈夫だろうかと心配した。でも、理想的に上手くいっている。まず、日本チームが強い。既に4連勝で、ベスト8に上がってきた。明日は決勝トーナメント1回戦の南アフリカ戦。ますます盛り上がっている。チーム編成が良い。当たり前の様に多国籍チーム軍で、それを若い人達から応援している。グローバリゼーションに対する反発が強まって、右傾化が言われる中で、何となく嬉しい。加えて日本人が各国のチームを応援していて、試合前の国歌まで歌っているとか。こんな雰囲気があれば、国家間対立なんて吹き飛んでしまう。日本人って良いところあるジャン、と思っている。今日のニュージーランド対アイルランドの試合。ニュージーランドは思った以上に強かった。でも、日本が決勝戦が戦えたら良いのにな、と思った。体を張って、命がけと思えるほどのスポーツだが、見ていて楽しい。なぜ、英国系が強いのか知らないが、伝統を感じさせるのも良い。「野獣系の優しい男子」を感じさせるのがまた、良い。ナンデ欧州や豪州なのだろう・・・と思ってしまう。明日の南アフリカ戦はゆっくり見たい。やはり、スコッチを飲みながら・・だろうか。それともギネスかな?
台風が来て、屋根が飛び、堤防が崩れ、家が孤立し、死者や行方不明者が続出し、停電が続き、断水が起き、食料が尽きるところもある。そんな同じ日本で、災害は免れ、普段通りの生活ができ、ラグビー3連勝を喜び、バレーのワールドカップの活躍に興奮する。国会では、それをやり玉に挙げて与野党双方が相手方の失敗や失言を探しあう。不思議な毎日が続く。大災害の時は特にそれが目立つが、考えてみれば、我々が生きているのは毎日がそれの繰り返し。例えば災害地の温泉宿は、被害にあっていても、是非来て欲しいという。ゴルフ場は倒木一杯でもプレーして欲しいという。何故ならそれが生業(なりわい)だから。ある被害に皆が合わせて集中してしまうと経済が回らなくなる。これが現在の社会構造。宗教者ならずとも、人間って冷酷な動物なのだなと思う。後はせめて心の中で、苦しんでいる人たちが沢山いることを思い、今の自分に出来るだけの義援をする(しかもそれはあくまで自分の自己満足のためなのだが)位であろうか。これだけ冷酷な人生を送っているからこそ、人は最後は死という苦しみを平等に迎えるのだろう。そう考えると「楽に死にたい」なんてセリフを吐いていては駄目なのかも知れない。沢山の人が犠牲になる大災害がある度に思う問題である。
台風15号からもう1か月経った。あの台風は「市原市」を一気に全国区にしてしまった。最大風速何mだったのか知らないが、もの凄い「風の台風」だった。ゴルフ場の倒木に恐れをなした。昨日は、又もや台風19号。今回は気象庁もメディアも早くから注意喚起をしたが、それでも大きな被害がでている。今度は「雨の台風」。多くの川が氾濫して沢山の街が水浸しになっている。長野の千曲川など進路にも当たっていなかったのだが、大惨事になった。今回は関東では千葉県のみやや免れたが、それでも今日は午前中から夕方まで停電だった。15号では免れたが、至る所が弱くなっているのだろう。周りが酷いものだから、このエリアが少々停電になろうと、この程度で済むことを却ってラッキーとさえ思えた。こうして色んな災害が、色んな場所で続く。自然が怒っているという説もあるけれど、当方は結局、長い歴史の一部と思うようになった。地球の歴史の中に「人類」という動物が幅を利かす何千年(これも全体の中の一瞬)かがあって、その一部。生まれ、進化し、科学を育て、最後は自滅していく・・・そんな流れの一部なのではないだろうか。そう考えると、次にどんな災害が起ころうとその年表の点だと思えてくる。その中で、自分自身にどんな役割が回ってくるのか、これは「運」としか言いようがない。今回も運が良かったことに感謝するのみである。
今年のノーベル化学賞は旭化成の吉野氏に決まった。何年も前から本命視された人だがようやく受賞となった。リチウムイオン電池はポータブル性の高い電気器具には殆どと言って良い位使われていて、社会への貢献度の高い発明としては群を抜いていた。吉野氏がとか、旭化成がといった様に個別化は難しかったかも知れない(それほど貢献者は多い)が、より原理的ステップという意味では良かったのではないかと思う。久しぶりに産業界の研究者から受賞者が出たのは何故か嬉しい。特に関係はないが、当方といわゆる同期生で、同じ年に企業に入社している。受賞対象の業績は30年以上前のものとか。そう言われてみると大発明をものにするにはやはり、1人の人生をかける位の時間はかかるのだろう。またまた日本人の受賞者が出て、世の中を明るくしてくれる。でもこれから30年後も日本人がノーベル賞を受賞し続けているかというとどうも疑問符が付くようだ。大学や、研究や、勿論企業の在り方が問われているのかも知れない。昔は「末は博士か大臣か」と言われたが、大臣は今やそれほど尊敬される存在ではなさそうだ。博士も「博士にはなったけれど」とか「博士なんてゴロゴロいて」という時代、学問の世界に生きる人を大切にできる社会ではありたい。当方がこれまでインタビューをした何人かのノーベル賞候補は今回も落選となったが、まだまだ可能性は残っている。この楽しみはいつまでも続いて欲しいものだと思っている。
とにかく、テレビ番組を追うのが忙しい。おそらく、我々世代は朝新聞を見ると、まずテレビ欄をチェックしているのではないだろうか。特にこの季節になるとスポーツ中継。昨日から今日にかけて日本女子オープンゴルフ、これは目が離せなかった。畑岡の世界レベルにビックリ。同年の渋野の方が応援しがいがあるが、実力は畑岡か。でも、こんなに若いのに広い世界を引っ張る。昨日はラグビーワールドカップサモア戦。本当に強くなった日本ラグビー。多国籍軍になっているけれど、これを若者も含めみんなが応援しているのが、何となく嬉しい。もう国粋主義は去った。外国人組の活躍、流暢な日本語を聞くと素晴らしいと思う。3連勝に驚いている。加えて、バレーのワールドカップ、オリンピックを控えて男女ともにどんどん力をつけてきた。ドーハでは陸上競技、プロ野球はセパ両リーグのクライマックスシリーズ。どれもこれも良い試合ばかりでチャンネル変更に忙しい。来年、オリンピックの時期にはどうなるのだろうか、心配になる。折しも、大河ドラマ「いだてん」では、スポーツと戦争のテーマの真っ最中。こうしてみんながスポーツで興奮している状態は、「何はともあれ平和である」ことの証拠なのだろう。
このシーズンになるとノーベル賞の発表が近いこともあって、技術力が話題になることが多い。日韓関係の悪化もあって何故か「なぜ韓国からノーベル賞が出ないのか」という話題にも繋がる。当方は基礎的・本質的技術研究というのは芸術と同じようなものではないかと捉えていて、国や社会に余裕がないと育たないのでは、と感じる。ここ10〜20年日本のノーベル賞受賞が多い。同様、芸術の分野でも世界で日本人が目立つ。おそらくそれはバブル好景気をもたらした経済伸興期の成果ではないか。歴史を紐解くと基礎研究や芸術と言った分野が栄えるのは、社会・経済が安定し、加えてそんな世界に金をかけることができる「富裕層」が必須である。富める者が直接のメリットを追わない「夢」に金をかける。裕福な国でこそ、基礎研究に投資できる。この分野については自由平等主義より資本主義・独裁主義の方が進展する。芸術も基礎研究も貴族(のお金)が大きく育てた。米国がいつまでも強いのは驚異的成功者が現れ、彼らが最後は「育てる」ことに生きがいを見出すから。日本の場合は国として急激に豊かになったことが進歩させた。でも今の様に成長が止まり、富の分配に関心が行くようになると、おそらく基礎研究や芸術の進展は足踏みすることになろう。韓国、中国のこれからを注視したい。どこまで豊かになって、余裕が出てくるか、で決まりそうに思う。日本の基礎研究はどうか、アイデアだけで受賞できる世界なら良いのだけれど。
今月の四国出張の帰りに長浜から琵琶湖の竹生島に回り、宝巌寺に参った。これで西国三十三か所の結願。百寺巡礼をスタートしたのが2010年7月(まだまだ先は長い)、四国八十八か所は2013年11月にスタートして2015年9月に結願(最終高野山は残しているが)、そして西国三十三か所は2016年6月にスタートして昨日終了。まるで子供のスタンプラリー。「巡礼」などとは言い難い遊びだが、日常の刺激にはなる。八十八か所は真言(主体)で空海の旅、三十三か所は「観音巡り」。全て本尊が「観音様」だが、色んな観音様がある。ただ、残念なのは「観音巡り」という割には本尊の顔が見えないケースが多い。でも何れもお寺そのものは深山幽谷の中にあったり、懐かしい姿の田舎の村にあったりと、歴史や文化を楽しむには良かった。この寺参りの間にも多くの親族や知人が逝った。その度にどこかの寺でその人を想いながら手を合わせた。多分、宗教心もそれほど強くない素人であってもその瞬間が価値があるのではないかと思う。さて、次のターゲットはどこにおこうか。百寺巡礼はまだまだ残ってはいるけれど・・・本当に気に入った寺を再び、三度訪れるのも、勿論悪くはない。これからどうするかを考えるのも、これも大きな楽しみ。
一昨日の朝、鳥取から電話。闘病中だった恩師の訃報だった。実質的仲人をしてくれた先生で、まずは帰郷を決めた。葬儀の予定も分らぬまま、羽田に急いだ。台風17号の影響で、アクアラインも交通止め寸前。当方のバスがトンネルに入った頃には使えなくなったらしい。飛行機は難なく乗れて、式場に辿り着いた。まだ親族も揃っていない状況だったが、死に目に会えたような気持だった。高校の数学の先生で、担任してもらったことは無かったが、卒業後もお付き合い頂いた。卒業生サロンとでも言えるような場で、交流の場も提供してもらった。何十年という単位で帰郷のたびに訪問して多くのことを学んだ。ここ数年は闘病生活で、それでも訪問するたびに喜んで貰った。今日は告別式。弔辞を頼まれホテルで案を練った。お互いもう高齢者、だからこそ本心で語ることができる。全てを削ぎ取って、感謝をし、冥福を祈り、残されたご家族の平和を祈った。悲しい別れではあったが、大急ぎで帰って良かったと思った。また、大切な存在が一人消えた。いよいよである。でも、目を閉じるとあの日あの日を思い出す。闘病した人を送る時は、「ご苦労様でした」的なホッとした気持ちも残る。7月の義姉、そして9月の恩師。間違いなく時計は進んでいる。
昨夜は昔の仲間で現役のリーダーと久しぶりに杯を交わし、時代の流れを認識するとともに、いよいよ付いていけない程の変化が襲ってきていることを知った。企業の立ち位置が「グローバルカンパニー」であることには変わりなく、当方が思っていたのとは大きく違ってきているようだが、それも一つの「流れ」である。話を聞くたびに「やはり良かったね」とか「やはり申し訳なかったね」とか誇りや反省を感じている。時々刻々と変わっていく世界の中で、日本がどう生きて行こうとするのか、自分たちの生きてきた世界とどう変わっていくのか、もうじっと見ているしかない。今日はまた違ったグループの仲間と2か月ぶりのゴルフをし、夜は居酒屋で飲んだ。現役もいて、これまた変化を確認した。この人達と話すと、時々時間の軸が変わっていて驚く。10年20年はホンのこの間。でも一コマづつ掘り起こすと何と大きな変化を重ねたか、自分で驚く。時折「終活」の必要性も感じるようにはなってきたが、やはり基本は「前を見ていなければ」と自覚する。ゴルフ場の大木が数百本倒れたり、折れたり、多くの人達が停電で苦しんだり、そんなことも起こっている中で、時と、自分と、絆を知る。申し訳ない様だがやはり、感謝しかない。有難う、今日に。
特に千葉県では、市原市を含め多くの町で停電や断水が続いているというのに、昨日は「スポーツ(観戦)の秋」になってしまった。朝からMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)があって、オリンピック代表を決める一発勝負のマラソン。ついついTVに釘付けになった。特に男子の31人の戦いは凄かった。スタートから飛び出した設楽選手の姿には驚いた。例え常識的ではないと言われても、オリンピックで金メダルを取ろうとすれば、こんな選手でなければならないのかも知れないと思わせた。あのままのスピードで42.195kmを走り通せる姿を見たい。勿論、ゴール前の3選手のデッドヒートにも見とれた。本当に最後の最後まで力を振り絞るのだなと感動した。スポーツで全力を出し切る姿はどんなスポーツでも美しい。その後、ゴルフを見て(コニカミノルタのプレーオフ。これも素晴らしかった。)、大相撲を見て(上位がどんどん負ける。貴景勝、頑張って大関に復帰して!)、夜は女子バレーワールドカップ(ロシアにフルセットで敗れる)。次々と魅せるシーンが続いた。こりゃ来年のオリンピックが終わるまで、TV漬けの生活になりそう。スポーツ観戦は楽しい。勝った人だけでなく、命がけで戦っても負けていく人達のドラマにも感動する。おそらく多くのことを学ばせて貰っている。「出ることだけで意味があるオリンピック」かも知れないけれど、今は、出るためだけでも戦いに勝たねばならない。やはりスポーツは勝負なのだろう。応援だけでも疲れた1日
台風15号の影響は思ったより大きく、特に千葉県の停電や断水の問題は5日経った今でも尾を引いていて、市原市でも未だに避難所生活者がいるようだ。ここ数日、東京電力を非難する声が大きくなってきた。曰く、「電力復帰予想が余りにも外れている。初期の推定が甘すぎたのでは・・」。当方も恐らくそうだろうと思うが、でもどんな推定をすれば良かったのだろう。君津の山中の高圧電線の鉄塔2本の倒壊などはおそらく画面を見るだけで修復や復帰の予想は立つだろうし、そもそもバイパスラインも準備されていて、対策もできたはずである。ところが今回の被害は消費者・各家庭の近くの電線、電柱のトラブルに起因している様で、暴風で飛んだり倒れたりした木々や物が原因で、その除去が大変らしい。確かに倒れた樹木が、電柱を倒し、電線を切ったりしていると、この回復に手間取るのは理解できる。さて、問題はどこまで東電に責任を問えるか。これまでの経験や設計時の仮定などから回復のタイミングを予想して発表したのだろうが、それが甘かったと言ってしまえば終わりである。さて、そこで「見通し」の確度の問題が出てくる。仕事の上でも、見積もりを取ったり、予定を組んだり、予算を組んだりと、どんな仕事でも同様の作業をやっていて、その確度が成否や業績に繋がる。経験豊富な業者が見積れば満足のいく結果となり、誤った見積もりをすれば、最終的に謝らねばならぬ破目になる。我々は例え自然災害であっても一度何らかの被害が出ると、誰かの責任にしたくなる。今回の復帰の見通しは誰が立てて、どう見積ったのか、おそらく責任は問えないとは思うが、やはり「初期の見通しを立てる人の責任は重いな」と思う。どの分野にもその種のプロがいる訳で、今回はそこが欠けていたのでは、と予想する。おそらく、勘で適切なコメントができるタイプのキャリアが定年退職で・・・と言った所に原因があるのではなかろうか。思わぬ所で又もや「団塊世代リタイア」のインパクトに思いが行ってしまう。同世代に甘すぎるかな。
先週末は亡き義姉の49日法事で大阪に行っていた。日曜に内輪だけのひっそりと、でも心温まる祈りの時を過ごし、一同で昼食をとった。その後、次兄宅を訪れ何と2日間に12番の囲碁を堪能した。帰るときは頭がボーっとする位。でも良い時間だった。その頃、台風が北上していて、千葉の我が家も暴風雨の中だったとは、翌朝まで知らなかった。速い台風だった様で、昼頃大阪を出る頃には新幹線も大きな遅れもなく、のんびり出た。途中で交通状況チェックもせず、京葉線に乗った所で、どうも状況がヘン。何と蘇我駅以降、内房線も、外房線もオール終日ストップ。これには驚いた。蘇我駅に着いたら、タクシーは正に長蛇の列。「明日までに乗れるか」などと言っている。バスも千葉方面ばかりで南行はなし。仕方なく、家内に電話、分かるところまで迎えに来てもらうことに。逆に当方はそこまで歩く。21時を過ぎていたが、猛暑。汗びっしょりで30分以上歩いた。家内は信号が切れているような大渋滞の道路状況の中をノロノロ運転。何とか大きなパチンコ屋のパーキングで落ち合えた。帰ってみれば家の周りは、街路樹が沢山倒れ、庭の植木用の棚が隣家の庭に転がり、物置の上にあった梯子が吹き飛ばされ、風雨の強さがまざまざ。驚いた。翌朝になって順番に片付け。ニュースを見れば、市原市が主役。ゴルフ場のポールが倒れ、沢山の信号機が故障、停電や水道のストップなど、まさに被災地。電話や携帯、メールも不通で知人との連絡も不可。午後になって街に出て初めて多くの見舞いを貰っていることにも気が付いた。色んな災害がある度に自分達だけは違った世界にいるように感じていたが、被災地ってこんなになるのだと思い知った。ガソリンスタンドも長い列、コンビニに行けば、水、氷、弁当・・・等々、棚が空っぽになっていた。電気と水が大丈夫だった幸運に感謝した。いつ、何が起こるか分からない人生、「生かされている」人生、それを感じる数日だった。ご心配いただいた読者の方々に感謝です。有難うございました。
3台のエアコン交換をやった。先週、量販店に行った所家電メーカーからの派遣営業マンがいて、積極的にセール。安ければ何でもよいと思っていたのに体よく、価格を合わされて本体だけ仮契約。この間の日曜に工事の見積もりの為に量販店契約の電気屋さんがやってきて天井裏まで入って見積もり。(内規とのことだが)いくつかのルールが変わってかなりの工事が必要とのこと。何と見積もり結果は本体3台分をオーバー。さすがにこれには驚いて、よく来てもらっている工事屋さんに再度全てを再検討してもらった。量販店より安かったものだから契約。翌日には本体が届き、同時に工事屋さんがやってきて取付工事。一昨日、あっという間に更新が終わった。安かったとは言うものの、それ程いつも使うものでもなく、突然の出費にガックリ。でも、昨日から暑さがぶり返してきた。温暖化のせいか、エアコンが無ければ生きていけない社会になってしまっている。こんな状況が、年金生活者を襲うと大変だと思う。高齢者の格差問題はこれから大変なことになるのではなかろうか。今日も暑かった。
70歳を超えて初の免許更新が迫ってきた。毎日のようにメディアで騒がれる高齢者ドライバーの事故。「統計的に考えれば・・」なんて弁解ばかり探していても仕方ない。現実に身体機能は順調に衰えているのは確か。今日は前もって受講するのが必須となっている高齢者講習を近くの自動車学校で受講した。何しろ実際の運転も含まれるので、予約制で今日は4人。まず座学、ビデオ視聴が主。その間、順に視力検査。1月に白内障手術を受けて良く見えるようになったと思っていたがここの所、余り調子が良くない。でも、今日の検査では、「凄いですね」が連続。視力、動態視力、明暗対応力、視野検査など、何れも平均以上。「大丈夫と自信を持ちすぎないように」という嬉しい注意を頂いた。実地運転は50年前の免許の試験を思い出させる懐かしいもの。ラッキーにも前の2人の運転に同乗出来て安心。ところが自信を持ちすぎたか、「一旦停止不十分」を指摘されてしまった。次回の更新までにこの違反をやるといつでも「認知症テスト」を受けなければならなくなるそうだ。とにかく無事「高齢者講習終了証明書」を貰ってホッとした。このご時世だから、少々厳しいルールになるのも仕方ないか、と納得する。これを新ビジネスにしている人もいるのだ、などと言ってはいけない。次々と襲ってくる「高齢者試練」。
香港が心配である。反政府、反中国運動が盛り上がっている。一国二制度という中途半端な体制が、それ程続くとは思っていなかったが、やはり若者を中心に自由を求める、保持したい流れがある。どんな制度の中でも不満はくすぶるのだが、香港の場合はより本質的な中国共産党との関係になるので大国中国の大きな政治問題になる。天安門を思い出させる。折しも米中関係もどんどんひどくなる。政経分離がどこまで保てるか。それに台湾問題も一触即発の状況。アメリカから兵器を購入しようとしている。基本的価値観の異なる国と国が経済交流だけは平和に、というのはいかに難しいかを示している。そして、日韓関係。ますます、影響が拡大する。ある限られた人達だけの動きなら、そっと見ていれば良いけれど。いよいよ不穏な雰囲気に。どこの国も、経済界や平和を求める国民の出番だと思うけれど。不安定な世界。
自分の意見を持って主張することは実に重要なことだと思っている。ただ、そのやり方には本当の人間性が現れる。毎日のニュースを見ているとその点の問題だなと思うケースが多い。大衆の中で大声を張り上げれば大抵の場合、眉を顰める人が現れる。それは言っていることより先に言い方に対する反発が先にある。中身が正しければ表現法はどうでも良いとはならないだろう。メディアの事件の取り上げ方にもこの問題は多い。言論の自由を傘に「彼が本当に言いたいことは・・」的解説をする識者もよく見るが、やはりどう現すかは問題である。言っていることは正しいのだから、と許すのはどうだろうか。最近話題のSNS、Web上の意見表明などはその典型。読むより先に書き方、言葉使いを見て消してしまうことも多い。「読ませる技術」も身に着ければ良いのに、と思う。これからの時代、自己主張の仕方がますます重要になるのではと思う。そのやり方が、日韓や、米中で違うのだろうか・・・「正しいと思っている」だけで理由になるのか・・・
今使っているプリンタは何代目だろうか。兎に角プリンタには振り回される。インクジェットプリンタが安価で登場した時、兎に角嬉しくてすぐに導入した。その頃、インクは4色が一体だった。1色でもインク切れになるとインクセットの交換が必要だった。その頃から騒がれたのが「インクで儲ける」ビジネスモデル。本体価格はどんどん値下がりし、最近は1万円以下でも購入できる。メーカーは交換インクで儲ける。その後、4色バラバラになり、今は6色のカートリッジ。でもしょっちゅうカートリッジの交換が必要である。時々家内の仕事の関係のコピーを頼まれる。食品がからむものだから、カラーコピーを希望される。学校の生徒さんに配るとかで、400〜500枚のコピーになることもある。このコピーを手伝うと、ほぼトラブルを起こす。インク交換は何度も必要になるし、クリーニングを繰り返すと、吸収パッドがあふれる。このパッド交換は自分では出来ないようで、修理に出すと新品が買える位のコストになり、結局プリンター買い替えの羽目になる。こうして何台も買い替えてきた。以前から、何故大きめのインクにしないのかと思っていたが、ここ数年、ビジネスモデルに逆らうようなタイプも出てきた。市場の競争という味方があった。この所、中学校でPC教室を行うと、学校のプリンタもこのインク大容量タイプに代わってきた。それでも、プリント代は高くつく。企業や事業存亡の為には利益を上げる必要は分かるが、これも時代と共に変わっていく。互換性インクの拡大とともに、廃インク吸収パッドも交換できるようにしてくれれば有難いのだけれど。
とにかく日韓関係の回復は大きなテーマだと思っている当方から見れば、誰の意見を聞けばこの韓国の今回の決断が理解できるのか分からない。韓国の保守勢力、それよりも産業界の人々がこの国をどの方向に引っ張っていこうとしているのか是非知りたい。もし、社会主義国に方向転換しようとしているのなら、そのスタートだと宣言すれば良いわけで、分からないわけではない。でも、大財閥が牽引する韓国経済がまとまって社会主義に移行できるとはどう考えても思えない。中国も、ロシアも、今の韓国と友好関係を進展させようとしているとは思えない。文大統領の日本や世界に対するメッセージが欲しい。これほど驚かせる決断をするとは思わなかった。日本が失うものよりよほど大きなものを失うことが明白なのに、何故・・・。理解できない。いつの間にか、民間レベルの交流も、訪日客も減っているとか、政治の責任の大きさを感じる。第二次世界大戦の前の日本も他の国から見て今の韓国の様な状態だったのだろうか。もしそうなら、次の真珠湾攻撃のステップは何なのだろうか・・・心配になる。信じられない決断。
昨日から公民館のパソコン教室が始まった。リタイアしてすぐ、市のパソコン教室のお手伝いをしたのが2010年。その後、市の講座を受け持つようになって、その後いくつかの公民館の講座の講師を頼まれて、いつの間にか10年。今年も夏に3つの公民館、冬には市の講座が待っている。特別な知識もなく、教育も受けているわけではないが、同年配の受講生の目から見ると、「違った世界の言葉を話す」若い世代の講師より、同年配の「プロでない」講師の方が良いらしい。確かに、当方の方が勉強しないとついていけない立ち位置な訳で、その世代が選択する「知っておいた方が良いかも」的内容の方が安心なのかも知れない。この分野の世代ギャップは、とにかく大きいし、どんどん広がっている。同世代の人達にも「もうヤーメタ」とギブアップ宣言をする人も出てきた。確かに高機能になって、広がっていくほど、問題も増えていく。問題が増えるほど、気にしなければならない注意事項も増えていく。それでも年配者や、一仕事終えた主婦たちが、「パソコンも付いて行きたい」と思っているのなら、最低限の知識を共有したいと思ってやっている。受講生の明るい声と笑顔を見ると、「今年もやって良かったな」と感じている。
社会経済の為には当方の様な年金生活者は貯金なんて考えてはいけないし、そんなことをしていたら社会は駄目になる、と思っているのだが、この所、その信念が崩れかかっている。兎に角、我々世代の使っているモノたちはどれもこれも、10年から30年前に買った代物。住居は勿論、自家用車、白物家電、テレビやパソコンに至るまで、バブルの頃から、誰にでも買えるものになって、次々と買い続けた。そして、定年。収入は一気に減り、年金頼り。日常生活はそれでカバーできても、やれリフォームだ、車検だ、修理だ。家電も順番に調子悪くなり、修理だ、買い替えだと続く。そんな出費が年金の計算のベースに勘定されているとは思えない。海外旅行や。、国内旅行なんてもっての外となる。このお盆にエアコン騒ぎが続いた。家族が集まるというのに、エアコンの効きが悪い。まず、リビングの大型エアコン。これは気を入れて点検・清掃。幸いにも調子が悪かったのは自動クリーニング機能。これをあきらめてフィルター掃除を徹底したらよく冷えるようになって一安心。次は2Fの客間。年に2回しか使わない部屋でエアコンもそれほど古くないのに、スイッチを入れても、室外機のファンが回らない。色々つついたり、バラしたり、でも結局ギブアップ。扇風機で我慢してもらった。この冬までに(消費税アップまでに)計3台のエアコンを買い替える必要があるかも。量販店に行ってガックリ。こりゃ大変だ。おそらく世の中の熟年たちは、皆さん同じ悩みを持つのだろうな・・・と。こりゃ、違った理由で免許返上かもな、などと思った。
お盆を迎えると、「戦争と平和」を考えていた。でもここの所、それよりも「生と死」を考えることが増えた。おそらく、身近な人が亡くなって行き、死を自分の問題として捉える様になったからだろうか。この二つのテーマは当然のように結びつく。結びつけるのは「歴史」だろうか。平和のために命をかけるという人達がずっといた。戦争も平和のためという人がいる。「命懸け」で守るべきものというのはきっと必ずあるし、それは誰かの命なのかも知れない。我々平和ボケ世代も、いよいよ自分の命を考えるようになって、初めて「命懸け」を考えるようになった。その時、何のために、何を求めて生きているのか、をじっくり考える。お盆こそ、久しぶりに先に逝った人達と語り合うべき時なのかも知れない。今年のお盆は特に暑い。
先週は月曜がコンサル、火曜が仙台、そして金曜は八王子の大学へ。珍しく忙しい1週間だった。これをどう捉えるか。幸いなことにまだ、「楽しんでいる」。猛暑の夏だが、八王子のキャンパスも素晴らしかった。現代の大学生さんは、どこに行っても素晴らしい環境で学生生活を送っている。環境を良くするために山の中にキャンパスを移しているのに、街から離れて文句を言う学生もいるとか。真剣に学ぶ気が足らないのかも知れない。(当方から見れば)若い先生方にインタビューすると、現代の大学の学問の問題点が浮き彫りになってくる。曰く、まずは良い所(この定義が実に曖昧なのだが)に就職するために、学科を選び、先生を選び、テーマを選ぶ。面白い研究を、などというのんきなことは言わない。それなりに一所懸命ではあるようだが。何か違う。大人しくなって、学生時代から「マイホームパパ」を理想にする。どこか違うなと思うけれど、それを「悪」とは言えない。時代は間違いなく過ぎている。でも、今回も見た。学問でも、生き方でも皆さん悩んでいるし、求めるものを探している人たちは多い。でも、「アカデミア」に適した人達の定義も明らかに変わってきているようだ。ノーベル賞を狙えるような研究をする先生も、抱えた学生の就職先を考える先生も、同じなのだから・・・
今夏も追跡調査の仕事で、インタビュー出張が続いている。かなり有名な大学の先生に話を聞ける機会。当方の能力とのアンバランスを時々感じるが、相変わらず「ボケ防止」と思って頑張っている。一昨日は炎天下、東北大へ。仙台の町は学生時代以来。全く初めてといった感。今や、当然日帰り。行きは「はやぶさ」、帰りは「こまち」。孫が聞いたら羨ましがられる新幹線旅行だった。ただ、時は夏休み、かつ七夕祭りの季節。暑いだけでなく人が多かった。インタビューが終わって帰りの切符の購入になってチョットした事件。切符は手配して貰っていたのだが、これが乗車券プラス指定券で、ただ乗車前に指定作業を必要とするもの。当方にとっては初めての経験。当然の如く緑の窓口に行った所、もの凄い行列。自動切符販売機にトライした。待ち時間1時間半のはやぶさでわずかに残った空席が予約できて、OKと切符を受け取ってその場を離れた。同行の同僚に見せると、「指定券は?」と聞く。当然、指定券になった切符だと思ったら、「もう一枚出てくるのですよ」だって。大慌てで戻ったが、何もなし。次の人達が次々とキーを叩いている。周りを見回しても誰も何も言ってくれない。これにはマイッタ。仕方ないので、長い列に耐えて緑の窓口へ。並んでいる間にどんどん空席はなくなって最後は30分後まで空席もない。やっと当たった窓口の女性も忙しさでか、ブスっとしている様に見えた。所が、事情を話すと販売機のチェックに行ってくれて(勿論何もなし)、話を詳細に聞いてくれて(ちゃんと指定したことを信用してくれて)、最後ははやぶさに連結するこまちに満席の筈なのに何故か席を見つけてくれて、「これで良いですか?」って。イヤー驚いた。はやぶさ分は次の人が持って行ったのだろうから、そりゃ駄目ですよと言われても仕方ないのに、空席迄探してくれて、予定通り帰ることができた。なんと嬉しかったことか、感謝、感謝。一気に仙台が好きになった。最終的にはとっても後味の良い出張で終わった。はやぶさの指定券1枚パクった人がいたのだろうけれど、それはJR東海さんに許してもらおう。あの窓口の女性、有難うの時はとっても素敵に見えた。
現役時代の後輩同僚で、リタイア後も母校のOB男声合唱団で頑張っている友人がいる。毎年、コンサートの案内があると必ず出かける。まず舞台が凄い、いつも東京オペラシティー。超一流の舞台で、最初に紹介されたときなど、「会場だけでも価値ありますよ」なんて言われて。ところが、このOBグリーはなかなかのもの。学生時代に歌った仲間が、仕事をリタイアした後、集まって活動している。さすが前科者(?)の集まりで非常にハイレベル。毎年、楽しみにしている。今年はプロのオペラ歌手(男女2人)との共演も。プロが認めるレベルの合唱団と言える。1部はレクイエムでこのハイライトはこの会場のパイプオルガン。この伴奏だけでも価値がある。第2幕ではその友人が遂にタクトを振った。どんどん生きがいを広げている。第3幕はオペラ。正にプロ歌手との共演。恐れ入った。おそらく70歳以上も半分位はいるのでは。でも声は出ているし、力は入っているし。「俺たちはまだまだ生きてるぞ!」という声が聞こえてきそうなハーモニー。素晴らしかった。どこに行っても、何を見ても、「生きている」と思わせてくれる人たちは多い。こりゃ負けてられないな、と思う。帰り道は久しぶりの江戸川花火。観客は一段と若く熟年の姿は少ない。頑張って歩いて有料観覧席の近くまで。好天下、これぞ夏花火、を堪能した。振り返ってばかりの生き方をしていてはいけないのだ。と教えられたような一日。でも、帰ってきたらやはり、フラフラ。時は待ってはくれないようだけれど。
2週間待ったけれど、京アニ事件の犯人はまだ何も言えないようだ。あんな無差別テロ事件を起こした人間だから、心から助けたいなどとは思わないけれど、でもそんな若者が何故あんな事件を起こすことになったのか、理由は知りたい。今、死んでもらっては困る。この犯人を見る目はISを見る目と同じ。同情する人や、助けたいと思う人は殆どいないだろう。でも、理由や背景は何としても捕らえなければならない。リタイアしてから日々の時間コントロールの為にも、朝ドラの存在は大きい。折しも、今は「なっちゃん」のドラマ。正に、アニメのドラマ。京アニの中でやっていたことを、朝ドラで想像してしまう。当方は漫画奥手。どちらかというと小説が好きだった。それでも鉄腕アトムも鉄人28号も、多くの漫画には触れてきた。難しい理論は不要で、ただ単純に「見て楽しい」世界だった。子供たちの世界になって、その存在が大きく且つ価値を与える存在になってきた。本屋に行けば、漫画だけで大学入試もパスできるかも、という時代になっている。別に拒否したり、馬鹿にしたりする必要はない。文化の枠が広がっていると思えば良い。しかも日本が世界の中で大きな存在感さえ示している。今や創造の分野でも芸術の分野でも無視できないだろう。この世界に憧れる若者も多い様だ。これも世代を分ける一分野である。
公(?)私共に忙しくしていて、本来のリタイアリの生活になかなか成れず、落ち着いて物事を考えていないように思える。それが良いのかどうか、大事なところが分かっていない。「じっくり人生を考えながら生きる」というのが目標だったけれど、どうも「何かに追われている方が幸せ」に逃げかかっている。これでは駄目だな、と思いつつ、どうもディスプレーに向かって何かしている方が時間が経ってしまう。「トキメキ」とチコちゃんは言った。トキメイテいれば時間を有効に(長く)使っているという。「追われている」のも、トキメイテいれば良いのだと思う。今でも、新しいことを知り、それを考え、まとめ、文章にする。予定があればその準備を急ぐ。頭に中には常に、ガンバレ、ガンバレ。少し疲れを感じることもあるけれど、「何をしようか」と考えているより、トキメイテ、生きていると感じる。多分、この生き方が健康をもたらしてくれているように感じている。遂に来た真夏。いよいよこれから30度の真夏である。夕方のウオーキングで出る汗の量が違う。その分のビールの美味いこと。それを感じる時が最高の瞬間。寿命を延ばす生き方ではなくとも、「健康寿命」を延ばす生き方なら、その方が勿論。
当方の人生に大きな影響を与えた長兄は2001年に逝った。当方の最も多忙な頃で、しかもそれを最も喜んでくれる兄だった。そして既に18年。その妻である義姉が逝った。ゴールデンウイーク頃に手遅れのガンが見つかり、家で療養していて先月末に入院、見舞いに行った。結局それが最後となった。一回り年の離れた、正に親代わりをしてくれた二人だった。義姉の通夜に次兄と二人夜を明かした。通夜振舞いの後、残った酒をもって式場の中で、ボツボツと語りあった。きっと義姉も耳を澄ましていて兄や両親への土産話にしたことだろう。故郷での子供時代の話から最近の付き合い迄、家族としての人生を振り返った。共通の言葉は「いよいよ我々の順番が近づいてきたね」。でも、同時に「それを待っているようではダメだね」。価値ある夜を義姉がくれた様に感じた。こうして年長の親近者が亡くなっていくと、その度に人の生の終え方を考える。良い別れの夕べだった。
何とも低調な感が残る選挙。不在者投票はどんどん増えているというのに、投票率は何と48%。48%の「過半数」は24%だから全国民の1/4の支持があればマジョリティを得ることを意味する。今回も「とりあえずこのままで」派が主流になった。本来、自民党に代わり得る政党になるはずだった枝野立憲民主党もアンチ自民党の「何でも反対派」で票を伸ばしている。結局、自民党政治で進んでいくことを国民は良しとするのだろう。当方もいつの間にか「このまま」派になっているけれど、やはり変化は求めたい。財政でも、安全保障でも、老人福祉問題でも、このまま何とかなるとは思えない。日本は「ポスト団塊」の準備に入らなければならない。自由主義と平等主義の折り合いの付け方が求められている。しかも、そこに平和・安全の問題がからんでくる。安倍首相に根強い支持が集まるのは再登場した時に一種の強い意志が感じられたから。彼に戦える強いポリシーを持っていると思われる誰かを待っている。そして、やっぱり、投票率は高い方が良いな・・・と思う。
まるで現役サラリーマンに戻った様。昨日は追跡調査の仕事で九州大学の先生のインタビューに日帰り出張。東京は梅雨の真っただ中なのに、福岡は30℃の真夏。これは驚き。体調さえ振り回された。九大は何度か訪れたが、新しい伊都キャンパスは初めて。新しい学研都市で、一山全てがキャンパス。自然の中にビルが立ち並ぶ。毎年、どこかの大学を訪れるがここは別格のスケール。こんな中で学ぶ学生を羨ましく思った。学生食堂でランチ。安価で楽しめる。学生の中でスパゲッティを食べていると、頭も若返ってくる。こんな環境に住めたら良いな、と思った。こんな出張をするだけでも認知症防止には役立つだろう。インタビューした有名な先生も、改めて見直してみれば当方より7,8歳年下。それが大先生なのだから・・・。東京に帰ってみれば、まだ雨が降っている。日本も広いな、と改めて感じる。木曜からはいつもの高松出張。こうやって刺激を受けながら時を楽しめれば、意識することなく老けていける。当方を使ってくれる人たち、耳を傾けてくれる人たち・・・周りの人々に感謝である。
投票日まであと1週間、とはいうものの、どうも盛り上がりに欠ける今回の選挙。何と言っても野党がだらしない。まず、争点がはっきりしない。自分たちのポリシーがはっきりしないから、現政治の批判のみしか目立たない。あれだけ色んな問題があって、メディアも問題視したけれど、安倍政権は強そうだ。国民もメディアが身近になって、色んなニュースをみているし、世界を念頭に物事を考える人達が多くなってきている。安倍首相の外交努力が目立ち、親トランプ作戦も功を奏しているようだ。何が成果なの?と聞かれても特に目立ったものは無いように思えるが、世界を相手にしているという姿はみえる。与党の中でも、批判勢力はありそうだが、誰が継げるかと聞かれてもすぐに名前が出てこない。ましてや、野党には誰もいない。これでは、次第に独裁に近づいてしまう。忖度(そんたく)などという聞きなれない言葉が、普通に使われるようになってきた。大阪の「維新の会」のような勢力が、最も求められているのかも知れない。でも、水物の政治、何が起こるか分からない。とんでもないことが起こってもらっては困るけれど、政治家や政府が少し緊張するようなバランスは望みたい。でも、当方に「それで、あなたはどうするの?」と聞かれたら、ぜひこうなって欲しいと言えるような姿が見えない。それだけ、安定しているということだろうか。
メディアは抑え気味なのかも知れないがネットニュースでは多くの記事が出る。国民が揃って感情的にならないで欲しい。韓国の反日感情は相当高まっているようで、もしそれが文政権の拠り所であるとすれば当分解決しそうにない。日韓共に色んな感情があるのだろうが、もう戦後75年になろうとするのになぜここまでこじれるのか。政治の責任は重い。経済面での互助関係がここまで育ってきたというのに。文政権の目標として、社会主義政権を目指し、それで朝鮮半島を統一したいと願うのなら、その姿勢を明確にして民意を問うべきだろう。米国、中国、ロシア、北朝鮮、日本の中で、どう動こうというのか、が見えない。日米韓の同盟は、韓国にとっても優先順位1位ではないのか、と問いたい。韓国国民は将来の姿をどう描いているのだろう。昔一緒に仕事をした友人達に一度で良いから会って聞いてみたい。あの頃の韓国は輝いていた。それがこの関係を生んだのだろうか。今回の安倍政権の輸出手続き正常化作戦は非常にうまく(冷静に)計算されている。日本政府には最後は出せる強固な証拠を持っていて欲しいと願う。それがあれば、改善へ向かうはずだ。
「3年ぶりのツアー優勝」だって。昨日の日本プロ選手権には興奮した。10年も前から年に一度石川遼の追っかけをやって、見てきた。10歳代の彼は遠くから見るといかにも細く、あれで何故あんなに飛距離が出るのだろうと驚いたが、その後松山英樹があの体格で現れ、いつの間にか世界の松山へと育った。その後の遼君は世界でも日本でも泣かず飛ばず。昨日の日本プロは一日で36ホール。体力的にもきつい最終日。最初の9ホールは連続ダブルボギーなどサンザン。普通はこれで終わり。でもよく耐えた。最終ラウンドになっても、なかなか追いつけなかったが17番でハン(黄)がミス。並んだ。18Hは共にバーディー、そしてプレーオフ。最後はハンのバーディーに対し、期待通りのイーグル。やはりこの人は何か持っていると思わせる見せる勝ち方。久しぶりにTVにかじりついた。もうベテランに見えるがまだ27歳。これからも楽しめる。「復活」は美しい。何年経とうが、いくつになろうが、やはり「投げてはいけない」。それを思わせる一日だった。当方のゴルフは楽しむゴルフで、実に申し訳ないが、でも痛くなる足腰や、ボケそうになっている頭を使い続け、「やる気」だけは失ってはならないのだ、と思い知った。遼君に教えられた一日。
6月になって予定されていたゴルフが2度流れた。7月になってもずっと梅雨空。この季節に梅雨空になるのは決して悪くない。アジサイの葉を打つ雨音も、あっという間に伸びる雑草も、この季節だと思えば楽しめる。でもここ数年の豪雨はいただけない。曰く、台湾東の熱帯低気圧が梅雨前線を刺激して、同じルートを通る低気圧が繰り返すことにより、雨が止まらないとか。梅雨らしい雨が続くのは春から夏の橋渡し、何ら文句はないけれど、今年も九州に豪雨が続いた。毎年のように被害も出る。こんな季節のメリハリは決して嬉しくない。こう言っている間に、今度は猛暑が来るのだろう。ただ、こうして時が過ぎていくのを楽しむのも悪くはない、季節の変化を楽しむのも悪くない。歳を経ると猶更である。相変わらず、パソコンの前に座って、ニュースを見たり、メールをしたり、囲碁を楽しんだり、そして調査の仕事の調べ物をしたり。そこに季節感も入ってくる。この春から「膝痛」も新しい季節感になったか。これも喜べるようでありたいけれど。このところ続く梅雨空。
2011年から続いた因島の安政柑を守る会活動がとりあえず今年で一区切りということになり、今日農園主や幹事団に対する謝恩会があった。今春は当方だけ1週間早く訪ねて収穫祭は欠席だったが、8年間にわたって楽しませて貰った。初めて農園に行った2011年は6人のみの旅行、当方63歳、まだリタイア早々だった。その年は汗びっしょりの大活躍。その後の60歳代のリタイア生活の中で年に一度のビッグイベント、年々参加者も増えて盛り上がった。「人に恵まれる」というのはこのことで、このイベントの参加者は実にフレンドリーな人ばかり、核となった安政柑そのものが通常出回っていない柑橘で美味しかったこともあって、全てが楽しい会だった。この会で知り合った友人たちは人生後半の大きな宝物。今日の謝恩会も大いに盛り上がった。未だあの農園では我々の植樹した樹も含め今年の実が育っているとか。何とかまたあの採り入れの楽しさと、あの味を味わいたい。今日の参加者はみんなそう思っていた。ネックはやはり、誰が農園の日常の手入れをやり、誰が全体の面倒をみるか、予算はどうするか、そして体力・気力があるか。皆10歳の年齢を経ているだけに容易ではない。でも、また訪れてみたい。思い出いっぱいの活動だった。
今は、どんなTV番組より、世界や日本のニュースが気になる。もう「面白い」なんて言ってはいられない。世界の動きが自分たちの生活に密着している。G20が終わったと思ったら、トランプが板門店で金正恩と予期せぬ会談。香港では民主化運動の若者が立法院になだれ込み、日本も対韓国で経済制裁(?)に踏み込んだ。そしてそのまま参議院選挙へ。トランプも安倍首相も、最大の関心事は選挙か。どうもまともな政治とは思えない。いやいや、これこそが政治、選挙は民主政治、そう思わねばならないのか。独裁と、衆愚政治の良し悪しさえ頭をよぎる。今年の後半6か月も、何が起こることやら。自分の年齢を思い知る機会が多いこの頃だが、今こそ行く末を見ていたい。我々が毎日仕事に追われていた時もこんなスピードで世界も動いていたのだろうか。多分そうなのだろうけれど、何が起こるか分からない迫力がある。安穏と時が過ぎるのを待ってはいられない。
今月の四国出張は岸和田の義姉の病気見舞いをしようと大阪周りの飛行機を予約した。ただ、G20の真っ最中。まず、高松から大阪行きのバスが全て不通。初めて高速バスで三宮に出て電車で天王寺へ。ただ、行く先々で人の流れがいつもと違う。地下鉄など主役は外国人。日本人が少ないと感じた。翌朝の天王寺、外に出てみたら大通りには車両ゼロ。両側に警官がズラッと並んでいる。土曜と言うのに街はヒッソリ。全国から3万人の警官を動員しての警備。これには感動した。帰りの伊丹空港からの飛行機にはウンザリ。どこの誰がどう動いているのかも分からないが、「G20のための制空」が理由で、出発が1時間半も遅れた。空港の飛行機の発着のみならず、空の上の交通整理も実施されていたようだ。世界中から要人が一つの都市に集まっているわけで、これはその国の威信をかけた警備である。今日までの大仕事であるが、今までの所は大過なく進んだようだ。政治・社会の進展と共にこのような警備治安能力も高まっているのだろう。これはこれで日本人として誇れる部分である。特に重大な共同宣言もなく、トランプ大統領は言いたいことを言って終わった。日本は「無事終了」だけでも大きな成果と言えるが、やはり世界の中でも「独自性」とか「自主性」の様な物をもっと求められるようになるだろう。とりあえず無事終わって安倍政権はホッとするのだろうが、経済にも政治にも自主性が感じられない。世界の顔色で動いている日本という感じを与える。安倍首相が何の議論をどう引っ張ったか。見せて欲しいのはその中身である。ただ、少なくとも安全に無事、全体を終えたアレンジ能力は、世界に見せたとは言えるだろう。
日本でG20開催は初めてのこととか、やや驚き。この手の会議は何度も行われていたように思うものだから。今年の会議はどうなるやら、おそらく殆どの結果は既に出ていて、残す所は各国のトップが合意して発表できるかどうかだけなのだろうけれど。戦争を始めとする揉め事をギリギリの所で止められるかどうかなど、歴史に残るような大きな決断にはやはり、こんな舞台は必要なのだろう。このところの保護主義や、自国第一主義などの動きはやはり冷静に議論して欲しい。「大国の責任」論を持ち出すまでもない。「政治の力」を見せて欲しい物である。人間の究極の望みは何なのか、世界の人が揃ってそこに向かって動いていくにはどうしたら良いのか。物質主義や経済第一だけでない人間的議論を期待したい。「呼吸だけはしていたい」などと言う人はそれほど多いとは思えない。人類が病とどう付き合うかも重要だろう。明日から四国、帰りにバスで大阪に寄ろうとしたら、高松−大阪は全て運休だとか、慌てている。加えて台風迄来そう。でも、どんなに大変でも、実りある会議が行われるのなら、G20には価値がある。安倍首相にとって「一世一代」の舞台にして欲しい。一人の政治家として命を懸けても良い、位の。
今年もこの季節になって、元の会社の千葉工場のOB会総会を開催した。突然、欠席裁判で会長に選ばれて、アッと今に3年。新年会と総会、そして春と秋、年に2回の催し物。全員参加とはいかないが何とか継続している。当方でも務まっている最大の強みは幹事団。5人の幹事さんが積極的に自分の出来ること、得意なことを探しては貢献してくれる。任期は2年だが、全員が2期目を継続している。ことある毎に幹事会を開催して相談したり、世間話をして飲み交わす。残念ながら、(当然と言われるかも知れないが)全て自費。手弁当の幹事団である。本来なら会計の中で扱うべきかも知れないが、それでは義務になってしまうと我慢してもらっている。でも、だからこそ楽しんでもらえる感もある。次のテーマは幹事の引継ぎ、同じようにボランティア精神でやってくれる人を探さねばならない。引継ぎ後の幹事団の自由度を少しでも上げる準備にと、今年年会費を(何と)500円から1000円へと2倍アップを提案し、承認してもらった。何とか参加意識を上げて貰って活性化したいと思う。後になって不満の声も聞かれたが、大きな額にする訳でもなく、幹事団が使いたい訳でもない。これからの計画をやり易くしたいだけのことだ。この会で思い出話をしたり、昔の友人と会ったり、今や現役時代には知らなかった仲間と話したり、楽しみにしている人も多い。リタイアリにとって、同窓会とかOB会といった会が心の支えになっている。自分でも良く分かる。それが、だから健康であらねば、という生き方の根本に繋がっている。
2年前、いつまでも東京まで薬を受け取るためだけに通うのも時間の無駄では、とクリニックに相談。構わないけれど責任もありますから、と検診を受けた。その時やったのが「24時間心電図」。体前面にいくつかのセンサーを張り付け、電池とメモリーの入ったデータロガーも張り付けて一日過ごす。昔から不整脈の症状は言われていたがこれが、表れた。医者に言わせるとかなりのレベル。ポックリの可能性なら悪くはないか、と言いながら、昨年末にはカテーテル手術で検査。心臓・血管の正常を確認した。逆に不整脈の原因は分からず薬を変更した。そして昨日から久しぶりの24時間。今日の結果は、「良くなりましたね」だって。薬が合った様で、結論は「これでいきましょう」。かなり振り回された不整脈だったが、良い薬に出会った、と言うことの様だ。これからもお付き合いは続く。今回も終わった後の接着剤にかぶれて痒い中で、技術と医薬の進歩に驚いている。こうしてますます「生かされる」。でも、このいきさつを振り返れば「この薬を止めればポックリ死ねるかも」という魔の誘い。生きがい探しと同時に考えることが増えた。これはこれで幸せな悩みなのかも知れない。何となくホッとする夜。
また、ニュースの話。吹田で警官を襲い、拳銃を奪った事件。今日は朝からこればかり。どの局も、どの新聞も今日の早朝の逮捕から、なぜこんな事件が、と言った採り上げ方で、まるで同じ。もう少し工夫はないものかと思う。たまにここの所続いた警官が襲われる事件をまとめたものとか、交番と駐在所と派出所の違いを扱ったニュースなどを見るとホッとする位、同じものが続く。重傷を負った警察官の方には申し訳ないが、視聴者の立場に立つと、もうスポーツや芸能ニュースと同じになってくる。1週間前のニューススター、2週間前のニューススター。次々と現れては消えるニュース。数日騒いで、あっという間に消えていく。何となく、不謹慎にすら思える。もっと視聴者の心にとどまるような伝え方はないものか。毎日のようにそれを願う。現代の人間は、かなり冷酷である、と言えないか。
金融庁の検討結果で世間が騒がしい。年金で100歳までOKなんて、いつの誰の言葉か知らないけれど、そんな話があったはずなのにと野党が攻撃する。既に年金生活に入っている我々は、「何となくわかる」「そうかも知れないな」と思う。そして「絶対、何か手を打たねば大変なことになる」とも感じている。おそらく今回のレポートの話を聞いて、単純に「話が違う」と怒っているだけの人はそうはいないだろう。高齢化問題の大きな関心事であったことは間違いない。だから「年金を貯蓄に回す」と言った考えられない現象が起こっている。一方、消費税をアップしたら景気が悪くなると、依然としてブレーキがかかりそうな気配だ。北欧の老後は安心と言う。だから25%の消費税も受け入れられているとか。結局、この辺りにしか解決策は無さそうである。どんな病気でも治るようになって、働かない年金老人ばかり増えていったら・・・考えるだけで憂鬱になる。この問題もつまるところ、いかに元気なままで歳をとり、いかに元気に死ねるかという解の無い疑問に行きついてしまう。
一昨日の土曜は3男の長男の運動会。3男夫妻は共に小学校教諭で、今年は折悪しく3人全て同じ日に運動会。両方の親に助けを求めてきた。家内は出番が来たと張り切るが天候が思わしくなく、実施の連絡があったのは早朝。それから弁当の支度でてんてこまい。当方は出る幕もなく単なる運転手とカメラマン。このカメラマンが大変。若いお父さん達の中に潜り込んで、デジカメでビデオ撮影。帰ってチェックしてみたら、映りは悪く、孫の顔も分からず、大失敗。でも、雨には降られず、昼食時間も何とかなって一安心。孫の成長を喜んだ。考えてみれば小学2年生の親はまだ30代から40代、(当たり前だが)当方に取ってみれば子供の世界。その子供たちが既に社会を牛耳っている。時の変遷を味わう。未だその下に保育園の長女も控えている。こんなヘルプがいつまで続けられるだろうか、不安になる。高齢者の運転免許返納が話題になって、真剣に考え始めていたが何の何の、孫たちが小学校を卒業する頃までは返せないな、と思った。そのために、認知症テストをパスできるように普段から鍛えなくては。意外に運動会が背中を押してくれる。頑張るぞ!
OB会の会長になって、早3年目。やる気満々の幹事団に恵まれて、年に2回の行事も続けている。今年の春も潮干狩りを計画、昨日実施した。家族も入れて18名と参加者数は例年並みだが、皆さん楽しんで帰った。もう真夏かと思わせるような好天で童心に帰って、黙々とアサリを拾った。2年前の、OB会としては初めての潮干狩りをやってから、徐々にコツを覚え、懐かしく思い、そして自然と相まみえて楽しんだ。少年時代を思い、息子たちの成長を思い出し、今の周りの子供たちを見ながら、「もっとこんな楽しみを味わわせるべきだな」なんて改めて思った。最近の子供たちは、(おそらく両親達の影響が強く)両極端化してきている。自然の中でノビノビ育てたい派もいるけれど、一方、昆虫に触るの嫌、泥だらけ嫌、誰かの触ったもの嫌・・・などと、戦後食べるものに苦労した我々世代の孫とも思えない清潔派が増えている。一般論では、我々世代が教育を間違ったのではないか、とのことだ。「自分たちの味わった苦しさをさせたくない」という理由と、高度成長で忙しく、家庭や教育を疎かにしたからだという説もある。今、メディアに残る団塊知識人たちは、企業に就職しないで大学に残った優秀だった(?)人達。我々と違うなと言う世論も作り出してきた。潮干狩りの好きな老人たちは自然の中に戻ることを好む人達。本当は家族ともっと遊びたかったけれど・・的な仲間が多い。小ぶりのアサリばかりだけれど、2.4kg採って、2kgとみなしてもらって、揚々帰ってきた。日焼けでヒリヒリする足を撫でながら、ちょっとした充実感。自然の中で遊ぶ楽しさを思い出した。これからも頑張って生きよう、我ら団塊!
どうしてもこの話に戻る。「世間の風潮」を作り出すのは誰か。それはテレビ、ラジオ、新聞、そしてネット。いわゆるメディアが何を事件と捉え、どう伝えるか。それによって「世間では・・・」というニュースになる。新しい法律を作るのも、株価を始め経済を左右するのも、そして選挙や国際関係までもこの流れに動かされる。高齢者の交通事故しかり、通り魔事件と「ひきこもり」の関係しかり、いつの間にかメディアの取り上げ方で「世間」の意見が決まってくる。だから、我々はやはり、事実をニュースから学ぶと同時に解説については「本当か?」と一度自分に問うてみることが必要だろう。それをしないと「衆愚」の一因になりかねない。時々友人たちと飲んだり話したりすると、自分も含めメディアに操られているな、と思うことが多い。自分の子供が通り魔になりかねないと殺してしまった父のニュースなど、余りにセンセーショナル。でも、ニュースで取り上げられる言葉を客観的に読むと、皆一様に「父親の気持ちがわかる」という。でも、やはり「殺さねばならないのか。他の手を打ったのか?」と聞いてみることは忘れてはならない。自分の問題として考えた時、どうするか。それを考えせてくれるニュースでありたい。ネットでの意見表示は次のメディアの在り方の例だろうけれど、何故か人間って、匿名になると言葉が暴力的になる。これは疑問の一つ。
大学の学科の同期会は、関西と関東でやって来ているが、ここの所、関東が暫くストップしている。昨年、丁度この頃に関西の部に出席した。今年も当方の四国出張とタイミングを合わせてくれてまた出席できた。関東のメンバーも3人加わり18名の出席者で会話が弾んだ。さすがにフルタイムの現役は減ってきて、日々楽しんでいる人から、暇を持て余していそうな人まで色々。このメンバーでは、各社のキーマンを務めた人も多く、現役の頃に相談に乗ってもらえば良かったかも、と思う人もいる。でも、それを余りやらなかったからこそ、昔の顔に戻ってフリーに話せるという面もある。何人かで二次会迄行って、しっかり楽しんだ。今頃になって、受験時の大変さの話に戻り、「田舎から出てきたやつはひどく秀才に見えたものだ」と言われて、こちらは劣等感に苛まれていたのに・・と勿体なかったような感覚。そんな昔話も楽しい。でも、いつの間にか物故者も増え、「いかに残された人生を」という話題も多い。半世紀50年なんてあっという間、という感慨で終わった。これからも出席し続けられれば良いけれど。
とにかく凄いフィーバーだった。大統領に就任した時のトランプの評判はどこへやら、今回の日本訪問時はまるで「再選確実」。やや日本人のいい加減さが丸出しだった。メディアの論調も安倍首相の特別待遇の価値を称賛しているものが多い。対米の立場としてのやり方は分かるけれど、どこまでこの人が信頼できるのか、当方は未だに疑問を持っている。安倍首相は大統領就任と共にすぐに支持を打ち出し、少なくともうまく付き合っているように思う。でも、金正恩との関わり方をみても本当にべったり信頼できるとは今でも思えない。経済第一の「ディール」が柱と言うけれど、アメリカ第一主義は経済だけでは無い様だ。彼の様なリーダーに率いられる米国との付き合い方には、新たな日本としてのアイデンディティが必要に思える。「良い所どり」作戦には間違いなく限界がくる。いつ、どんな形でそれが表面化してくるか。歴史を追う目で見れば楽しみだが、自分たちの社会、人生の場だと考えると非常に怖い。次は来月のG20。
遂にメイ首相がギブアップ。あの大英帝国はどこへ向かうのか。当方の認識は、EU離脱は大英帝国の最後の足掻き。世界の中でEUとしてではなく、英国として振舞いたいという意欲の表れ。メイ首相もそれはしっかり理解した上で頑張ってきた。でも合意に基づく離脱は出来なかった。さて、次の首相は誰になってどう離脱に向かうか。おそらく世界の中に於ける英国の存在、ポンドの価値は下がっていくだろう。もう大英帝国の時代は影もない。新しい英国の為には、ユーロを導入し、EUの中でのリーダーシップを取って・・・その方が現実的だと思うけれど。未だ捨てきれないか大英帝国の夢・・・世界は間違いなく動いているし、そのリーダーも動いている。
あれだけ多くのメディアに叩かれ、世界中から疑いの目で見られても、米国でのトランプ支持者は強い様だ。日本でも、トランプ来日を控えて彼を巧く使うべきだ、的論調が出ている。中国や北朝鮮、そしてイランに対し強い態度で出ているのが好感を呼んでいるのかも知れない。米国人になったつもりで考えれば、「これまで世界のリーダーとして振舞ってきたが、そのために自国を犠牲にしてきた」という論調は間違いなく受け入れられるだろう。でも、こうしてグローバリゼーション(新自由主義)に反して自国第一主義を貫かれると、日本の様な「持たざる国」の生きていく道が限られてくる。一国としては「皆で豊かに」に近づけても世界の中の格差が増大していく。やはりまず世界の中で、持てる国が持たざる国を引き上げていくような基本方針の方が永続性があるように思える。週末にはトランプを迎えて日本はどう振舞うのか、国技館でこれまでみたことのないような接待をすれば、果たして国民が喜んで納得するのかどうか。庶民の娯楽の世界に政治の権力が土足で割り込んでくるような印象だけは与えて欲しくない。
人生100年時代などと言われると、年金世代はお先真っ暗。どう生きれば良いか分からなくなる。少ない年金から将来の為に貯金するという人が増えているらしい。これでは2%成長などという経済目標が達成できるわけはない。比較すべきは長さより質。自由に動けなくなったら生かされるままに生きるしかないなと思っている。逆に自由に動けるうちは、と春の旅をしてきた。家内のアルバイトが何と35周年とかで表彰され、旅行券を貰い、当方も昨年も少し頑張ったおかげで収入があり、それを合わせて最後の(?)小(?)贅沢旅行に行ってきた。能登空港に飛行機で飛び、レンタカーを運転して、話題の「おもてなし」を味わうために和倉温泉の「加賀屋」と、奥能登最北端のオシャレホテル「ランプの宿」に泊まってきた。いつも使うホテルや旅館よりやや高級で贅沢感は味わったが、もうこれが最後だろうな、と思った。経済性を考えるとやや勿体ない感が強い。一応色んな人生経験がある訳で、ついついこれまでの経験と比べて、良いだの、悪いだの、厭な客になりがち。でも最高のプレゼントは春の好天。奥能登のウィークデーはひっそり。「高齢者運転の危険」も味わわずに済んだ。人や食事のおもてなしより、海と空と緑と花のおもてなしの方が嬉しい。やはりそんな歳になった。とは言え300kmも運転してやや疲れた?、少し健康に自信を持った? 良い旅だった。
企業研究所の特別研究員として調査・評価のアルバイトをやり始めて、5年以上経った。特殊能力がある訳でもなく、知識が豊富なわけでもないのに、頼まれるとついつい頑張っている。内容のレベルが高いものだから、終わると満足感もあって、声をかけられると頑張ってみたくもなる。昨年の仕事の反省会があって、出席した。特別研究員の中では(70歳を超したというのに)未だ若手。逆に言うと、歳に負けずに頑張っている人達がいる。この中に入ると、自分の能力が徐々に衰えているのでは、と思いつつもまたやれるかなとも思う。今日、昼食会に出て、またもう一回頑張ってみるか、と思った。期待に応えられるかどうかの問題はあるが、知的好奇心を満たしてくれるアルバイトではある。今年の分は、まだ入札状態で、本当に仕事になるのかどうか不明だが、「来たらまたやってみるか」という気持ちになってきた。おそらくこんなアルバイトをしていると、認知症になる速度は遅くなるのかも知れない。レポートを読み、文献に目を通し、インタビューに出かけて、最後はそれらをまとめる。半年以上のロングランなのだが、生活にメリハリはできる。10歳年上の人でも、バリバリの新しい知識で話している。リタイアする時に「もうこんなシンドイ生活はゴメンこうむる」と思ったけれど、純粋に技術の進展をフォローするような内容なら、もう少し頑張れないかと、自分で自分を叱咤する。人間の「やる気」とは、これほどいい加減なものなのだと認識しながら。
四国への出張はほとんどの月は飛行機で、予約はネット。ホテル宿泊付きの安価なツアーで行く。今月は前日に大阪で同期会があるので、JRに決めてその切符を買いに出かけた。これもジパング倶楽部を使うので、みどりの窓口に行く必要がある。行きも帰りも途中下車を考えていてかなり複雑。駅の窓口のお兄さんは新人なのか、顔に似合わず凄く丁寧。好感を持ってスタートしたがどうも全てが遅い。でもそこは温かく見守った。全て揃ってカードで支払ってサインして、切符を数えて確認して帰ってきた。家に着いたとたん、電話。先ほどのお兄さん。「カードの返却を忘れました」と謝っている。なるほど財布にカードがない。すぐに受け取りに行った。彼は上司に叱られたのか大いに謝っていて、タオルやティッシュのノベルティの入ったお詫びの印迄準備して呉れていた。こちらが帰る前に「カードは?」と一言聞いていれば良かったわけで、反省することしきり。「こちらこそゴメンネ」と謝った。おそらく当方が去った後、カードに気づき、カード会社で電話番号を調べたのだろう。最初、ややスローな動きに反感を持った彼だったが、「これから頑張れよ!」と言ってあげたくなるような結末だった。結果オーライのカード忘れ事件。当方も歳をとってきていて、こんなことになるのだと、赤面した。
政治や国際関係の話をする時に、「原則」に戻ると、にっちもさっちも行かなくなる。果ては物別れ。原則に則ると分かり易く納得もし易いが、民主的合意からはどんどん離れていく。例えば、自由民主主義を旗印にする国と、共産社会主義を掲げる国が、何らかの合意を得ようと思ったら、「妥協」しかない。何故なら根本的に「寄って立つ」所が異なる訳だから。米朝会談が2回開かれ、その度に、「なんで開いたの?」と思わせ、今回は米中貿易戦争。今現在の経済収支を話している内は、妥協点もありそうだが、国営企業の是非まで突っ込むと、中国だってウンと言うのは容易でないだろう。自由主義を謳っている日本だが、今の繁栄をもたらした陰には国策の寄与は大きかった。トランプの「ディール好き」は分かるけれど、根本的な国の在り方まで経済のみで議論するのは無理がある。世界中の国々が全く同じ価値観、宗教観に統一されることなど有り得ないわけで、経済、軍事(平和)面などは分かり易い妥協で手を打つ必要がある。世界一の経済大国で、軍事面でも世界一の米国が、自国の「損得」に基盤を移し、「世界の警察官」をヤーメタと宣言すると、まさに今日の様な世界の不安定を呼び起こす。さて、今の世界を純粋に「政治面」から収める機構があるのだろうか。軍事面の国連軍に相当する経済問題の管理システムは何なのだろうか。世界にウンと言わせるリーダーは?
「老いと戦う」なんてセリフはもう言わないと決めてはいるけれど、次々と変化は現れる。2年ほど前に腰痛に悩まされ、整形外科に行って、「明るい外科」を知って、発布剤をもらったり、新型装置で引っ張ってもらったり、もんで貰ったり、その次は右肩が痛くなって、今度は注射を打ったり、理学療法士にリハビリ治療をしてもらったり、共にいつの間にか治って、ゴルフは続けられた。そして今回は左足の脛。これも、ものの本を読むと、加齢の典型的症状とか。人によってコメントが異なる。両極端は、一万歩散歩に対するリコメンド。当方はこの程度の時こそ少々我慢して継続しないと、歩けなくなるのではと思って頑張っているのだが、人によっては「無理をして歩き過ぎ、休まないと」という。何が正解か分からないけれど、「歩ける内は歩かないと、この一万歩は当方の、内臓、循環器、精神衛生迄全てに効果的」と思っているものだから、脛痛位で手は抜けない。でも、考えてみれば当方が子供の頃の71歳の爺さんは本当にお爺さんで、杖をついて歩いている様な人だった。それに比べれば、まだまだゴルフを続けている。脛痛と戦いながら、「次は何が来るのだろうか」とケーススタディを続けている。どこかで「マイリマシタ」と言うのだろうけれど。
IPBESという国際会議が、「陸地の75%が人間活動で大幅改変され、約100万種の動植物が絶滅危機にある」との報告を公表した。どんどん絶滅種が増えていて、その理由は人類の活動によるとしている。その流れで行けばおそらくいつかは人類そのものも絶滅するかも知れないということだろう。環境保護や、資源保護をもっと真剣に考えねばならないということで、そうだなと思う。でも、考えてみればこの議論は、人類の「見下し」的な見方が強いとは言えないか。万年単位の地球の歴史を考えれば、地球が出来、水が生まれ、生物が育ちうる環境が出来、そして生命が誕生した。その後でも、新しく生まれた生命体ができると共に、絶滅していった生命体もあった。現在の「人類社会」も、多くの物や技術を発明し、もしかしたら「人類だけは永遠に生き続けるかも知れない」と思わせてくれているけれど、本当にそうだろうか。環境を破壊し、それに気づいて保護するための技術を開発し、延命させ・・・と努力を続けているけれど、それは大きな流れの中でみれば、「人類と言う種が生き延びるための知恵」でしかない。一人一人の生命をみれば、今でも有限だし、おそらくそれは継続する(しなければより大きな悲劇となる)。医薬や、食品などの化学品も、プラスチックも人類の物質的要求を満たすために作られてきた。それが結局人類社会を破滅に導くとしても「人類の営み」の一側面だろう。これからの社会に何が必要なのか、こういう機会に考えてみるのも悪くない。人類が不死になれば何もかも変わるけれど、本当にそれが望ましいか、今のところ誰もウンとは言わないだろう。
改元して連休を騒ぐ最中に、それを意識したかのように北朝鮮が動いた。メディアによると韓国も最初ミサイルと言っておいて後で飛翔体と修正、米朝、南北、中朝、朝露など複雑な動きの中で、南北合意や、国連制裁などを意識して、顔色を窺いながらの北朝鮮の動き。この機に日朝関係を動かそうという試みもあるとか。それにしても国際政治とは分かりにくい物である。今の日本はいつの間にか「いっそのこと韓国と国交断絶して北朝鮮と・・」などと言う意見さえでかねない。韓国の文政権も南北統一してどうしたいのかを一切言わないで、親北路線をひた走る。反日感情だけは同じらしい。何かが動いているのだろうけれどそれぞれの国が何を、どこを落としどころにしようとしているのか見えない。日本政府にも国民に目指している所を説明する努力を求めたい。余りに何も言わない状態を続けると国民は信用しなくなることは良く分かっている筈だから。野党があの体たらくだから今年の参院選は「何も起こらず自民の圧勝」と思っているのかも知れないけれど・・・不穏な空気はある。令和時代の最初の政変は何だろうか。我々世代はもう大変化は不要と思っているかも知れないけれど。東アジアで何かあると一気に・・・
10連休もあってか、令和フィーバーは続いている様だ。今日は好天もあって、日本中渋滞、人出も多かったとか。崩御を伴わない譲位ならではの平和で明るい改元。余りにも表面的で明る過ぎた感もある。良くぞここまでと思わせるほどメディアもフィーバー。もう少し真剣に憲法や天皇制など採り上げればよいのにとも思った。政府や宮内庁は真剣に検討している様だが、神道と宗教の問題ももっと国民に考えさせるべきだろう。天皇の個人的発想に頼りすぎるのは良くない。世が乱れそうになる時、「政治的利用」を思いつく輩は必ず出てくることは歴史が証明している。どこに行っても人人人だろうから、じっとしていて、ゆっくり司馬遼太郎を読んでいる。この人の歴史小説を読むにはもってこいの季節でもある。改元で「新しい時代」が来たというのはそれだけで問題だという人もあるようだ。決して時代が変わるわけではないから。そんな問題を真剣に考えている人もいる。今日は憲法記念日。
何となくいつもの大晦日の様な感覚。昭和から平成の時とは大きく異なる明るさもある。朝から「平成最後の・・」が続くが、天皇崩御を伴わないだけにじっくり落ち着いて時代の移り変わりを考えた。「最後のお言葉」の天皇陛下はやや疲労の色が見えたが、希望した譲位が健康なままできたという安堵感が溢れていた。保守とか、革新とかと言った政治性を全く無視して、「象徴」という一仕事を成し得た人に、「ご苦労様でした」と言いたい。歴史を紐解くと、こんな文章を書くだけで非国民と言われたかも知れない時代もあった。もっと崇める気持ちを持たねばならないのかも知れない。でも、「象徴」とは何ぞやを考え抜き、自分の方から国民の中に入ってくる新しい天皇像を作り上げたと言う意味で平成天皇には敬意を表したい。明日から新しい令和時代、どんな世に中になるのか、期待したい。当面のマジョリティである団塊高齢者としては、その次の世代のために何かできないか、少なくとも次の世代の負担にだけはなってはいけない、などと考える静かな退位の日である。
今年は10連休とか。でももう既に3日目。天気もそれ程良くなく、これまでの所、気温も低い。数10kmの渋滞ニュースも今の所聞こえていない。ネット情報によれば、本当に10連休の人はせいぜい30〜40%位とか、旅行関係や観光地の人など、「稼ぎ時」と言う人も多いだろう。でも、平成から令和への時代の変化の時、と捉えると心に感じるものがある。昭和から平成の時とはやや異なり、「歴史」や「平和」を感じるし、自分自身の年齢も感じる。やはり、若い世代とは異なり、我々世代はこういう時にこそ、「我々の明日」を考えるべきなのだろう。いかにすれば充実した時間を過ごせるか、「老後」などという言葉ではない価値ある時間が過ごせるか、考えたい。「やはり先立つものがなくては」と言う人も多いけれど、それは真の充実ではないのかもしれない。こんな時こそ「満足感を感じる時間の過ごし方」を考えたい。当方は、意外にもこうしてタイピングをしていると、今日を生きているなと感じることができる。2度とないかも知れない10連休のゴールデンウイーク。
玩具のつもりで買った3000円のスマートウオッチ。おそらく中国製。でも、今離せない。常に装着している。時計としてはやや画面が小さくて見にくいが、デジタル表示にはしたくない。一回タッチすると万歩計。1万歩設定にしてあるので、その日1万歩に達するとビリビリ振動して教えてくれる。心拍数と血圧も随時測定できる。データは蓄積され、毎日タブレットで健康チェックする。心拍数と血圧は一日分をグラフで見ることができる。最も良いのは睡眠判断。おそらく心拍数だけだろうが昨夜の睡眠を深い眠りと浅い眠りとして分析、睡眠品質として評価する。これはなかなか優れもの。おそらく血圧の絶対値などかなりいい加減だろうとは思うが、経時変化を見られるので良い。他にも同じ姿勢で長時間座っていると知らせるとか、スマホに電話がかかってきたら知らせるなどという機能もある。使わない機能はあるが、自分で自分の一日の体の変化を管理している気がする。最大のネックは充電。何しろ寝ているときも装着していたいものだから、昼間に数時間充電する。でもこんな高機能が簡単に入手できるなんて信じられない。体の不調を感じるたびに病院に通うよりこの方が何となく自立性があるようにも思う。「デジタル爺さん」には「デジタル爺さん」の意地のようなものがあって・・・自分の健康管理も趣味にして。
次々と起こる高齢者ドライバーによる事故。70歳を過ぎたドライバーとしてはやはり気になるニュースである。交通事故死は年々減少しているし、安全運転の意識、安全装備もどんどん進んでいて、総合してみればこの分野の改善はどんどん進んでいる。でもメディアとしては高齢者社会の将来を占う格好のテーマなのだろう。一昨日は87歳の元エリートの運転、今日は82歳、昨日は64歳だが路線バスの運転手。毎日の様にこの種のニュースが続く。我々世代の心に訴える力はとても大きい。当方もいつまで運転するか、問題なく運転できるか、気になるところは多い。でも、考えようによっては、若者の事故もある、女性の運転ミスも多い。何を問題として捕らえるかによって、ニュースの価値が異なる。多分、高齢者は他の事故を起こした人たちより、真剣にこの問題は捕らえているはずだ。高齢者ドライバー対策は「打てば響く」ところがあるから、訴える効果は大きいだろう。でも、統計をきちんと見れば、本当の姿とか、交通事故の問題点と言うのは意外に違ったところがポイントになってきそうな気もする。どんな人が事故を起こすかというテーマの解析が、「年齢」だけに力点が置かれていないか。チョット気になる。勿論、当方は加齢と共にやって来ている運転能力への影響は重々認識はしているのだが。引っ掛かる所もある。
指導要綱が変わって、来年から小学校で、英語と「プログラミング」が始まるらしい。親世代は勿論、我々祖父母世代でも気になっている。自分たちが子供の頃、全く知らなっかった教科を孫たちが学ぶ。せめて、どんなことを学ぶのか知っておきたい。せめて宿題の相談位には乗りたいと思うのは年長者の常。当方は、熟年のパソコン乗り遅れ組を対象のPC教室の講師をしているものだから、これから受講生からそんな要望が出るようになるのでは、と少なからず気になっている。そこで、本屋さんや、パソコンで「小学生のプログラミング」を当たってみると、これが何と全く曖昧。文科省からの要綱も殆ど概念のみ。先生方、考えてやってね、的な指導である。おそらく各学校の先生方も、教科書の著者も、教育委員会だって、今、右往左往しているのではないだろうか。プログラミングの授業のみならず、理科社会などの各学科の先生にも、授業に取り入れるよう指示が出ている。最近のコマーシャルをみると教科書のページにQRコードがついていて、スマホで読み取ると、追加の解説が出たり、参考資料の動画さえ出るようなケースもあるとか。ゲームに強い今の子供たちは難なく吸収するのかも知れないけれど、これからますます格差が広がるのでは、と心配している。PC教室でワードやエクセルの使い方を教えるより、プログラミング教室をやれと言われたら何を、どう教えるのだろうかと頭を悩ませている。ますます、難しい時代になっていく。これも時代の進歩なのだろうけれど。
3歳年長の先輩が亡くなった。10年近く前に前立腺がんを患い、それに打ち勝って、仕事にも遊びにも復帰、昨年11月の親睦会にも出席して元気な顔を見せておられたのに、今年になってたった2か月の闘病生活。途中で打つ手なしの宣告もあったとのこと。悲しい告別式であった。いよいよ迫ってくる感じがする。相手は病と思うより、運命だと思おうと思う。勿論、闘える病なら闘うけれどこうして家族や同年配の知人ですら順番に去っていくのをみると、「覚悟」は必要だと思うし、How-to-Dieも考えておく必要を感じる。誰にも来る順番なのだから受け入れないという生き方はない。されば、あとは自分の「精一杯生きたという満足感」が、残される望みとなるのだろうか。早期発見、高額医療、尊厳死、終活、相続・・・最近メディアでも、そんな話題が溢れている。今、我々は少なくとも平和な社会に生きているからこそ、こんなことを考える「余裕?」があるのだろう。でも、自分がいかに死ぬかということより、いやそれよりも、今や将来がどんな社会であるべきかということにももっと頭を向けるべきでは、とも思っている。また、「生きる」を考える日。
WTOが、韓国の日本からの禁輸措置を認めたとのこと。日本人としてはすごく残念なニュース。日本の食品の放射能対策のレベルを認めてもらえなかったことは、やや努力不足か。でも、分からないのは韓国ではこのニュースを「日本に勝った」と伝えられ、喜んでいるということ。これは理解できない。もし日本が韓国から輸入しているキムチが何かに汚染されて、しばらく輸入禁止となったとした時、日本人が「韓国に勝った」と喜ぶだろうか。この辺りの発想が理解できない。韓国の漁業や農業で、日本からの輸入品に品質や価格で勝てず、痛い目にあっている人達がいて、その人達のセリフなら分かる。でも、昨年2月の1審にあたる紛争処理小委員会の「韓国の規制が必要以上に貿易制限的で不当」という結論に対する、控訴に対する裁定なわけで、「韓国が日本に勝った」などと言う話ではない。韓国がどんな措置を決めようがそれは日本にとっては仕方のないことであって、彼らに任すしかない。日本人的協調姿勢で言えば、「こうすれば韓国人も安心と認めますよ」というアドバイス位が欲しい。日韓関係がぎくしゃくしている今、追い打ちをかけるような決定。日本人は皆食べているし、韓国からの訪日客を含め今や史上最高のビジターが日本食を喜んで食してくれているというのに。何となくひっかかる今回の裁定。
ヘンな大臣を指名して、予想通り、ヘンな事を言って、結局は辞めることになって、でも安倍総理としては蓄積していた党内派閥の問題を処理したことになって・・・何となく「これで良いのかな」と思わせる政治の動き。本当に大事なのは世界の中の日本と、日本自体の財政赤字。このまま行ったら、日本の立ち位置も怪しくなり、国自体が破産状態にもなりかねない。巨額の借金を次世代に預けて、今は何とか昨日までの良い(楽な)生活を明日も、と期待している。終わろうとする平成を振り返って、「戦争が無くて平和で」最高の時代だったと言う人達がいる。でも、その陰では、多くの「命がけ」の人達がいる。日本を守る米軍の人達、日本の自衛隊、そして命がけで世界に打って出た企業戦士たち。そんな人達に守られて、平和な平成があった。これから保護主義を大国が主張し、東アジアのバランスが崩れ、国内での意見統一もままならなくなると、この国は一気に傾いていくかも知れない。そんな懸念を抱く。令和の新時代も世界で唯一の平和国家であり続けるには、昭和や平成の時代に解けなかった問題の解を探さねばならないのかも知れない。これからの明日を考える時、起こっている変化と、日本が解くべき問題の大きさを思い知って、愕然とする。今、何が起ころうとしているのか?
当方も、そもそも西の生まれで、学生時代は大阪。どちらかというと関西の動向には敏感である。今回の統一地方選挙、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙の結果はやや驚きであった。維新の会の強い大阪ではあるが、安倍自民党にこれ程の大差で勝とうとは。確かに安倍政権そのものは先頭には立たなかった様だが、それでも党を挙げての応援をしたのに敗れ去った。こんなことが起こるのも大阪だからとは言えまいか。昔、学生運動の頃、共産党の黒田知事が誕生したと思えば、その後、横山ノックが知事になった。橋下徹を選んで維新の会を育て、今回は知事と市長を交代してダブル選挙にした。旗印であった大阪都構想は15年の住民投票で否決されて維新の会は終わったと思ったが、再度復活してくるのが大阪らしい。大阪は「変化好み」と言われ、「いちびりの大阪」とも言われる。少々危なっかしくても新しさにはトライする。その傾向が今回も出たか。勝利の万歳は無かった、と報じられたが、やはり知事・市長として中で仕事をしてきたが故に、当選後の難しさは容易に想像できるのだろう。でも、顔色を窺い、忖度に精を出す政治家に比べれば、「挑戦して欲しい」という民意は表しやすかったのかもしれない。我々の目の黒いうちに大阪都か誕生するかどうか、予想できないが、「大阪万博」を控え、また関西のイチビリを引き出してくれるなら、それを見たい。またまた示された「アソビの大阪」。
令和フィーバーである。新元号発表と当時に日本中が大騒ぎ。平和で良いなと思う。昨日百貨店を覗いたら、もう「令和」ブランドの日本酒が売り出されていた。何か新しい話題に飛びつく速さもどんどん進んでいる様だ。さて、原点に返って、「元号」そのものについての要否論の話題もある。憲法にも天皇制にも関わる話題なので注意は必要だが、若い人達にはこんな機会に考えて欲しい、とも思う。当方は若い頃は当然のように「反戦」が基本にあり、当時の年長者(おとな)に対する反発が大きかった。なぜ終戦を機に、そんなに簡単に主義主張が変えられるのかという疑問であった。当然の様に、天皇についても戦争責任を問う気持ちもあった。あれから半世紀、個人の歴史と共に考えも大きく変わってきた。天皇に関する考えについては、主義主張というより、昭和天皇、平成天皇の生きざまに打たれた、と言って良い。「象徴」を問い続け、何をすべきかを考え続け、憲法の定義に沿って行動し続けてきた姿は、人間として素晴らしい。だからこそ、政治や、社会も天皇の「利用」を考えてはならないと思う。都会を大音響で喚きながら走る右翼の宣伝カーを目にする度に、「間違っているよ」と言いたくなる。「令和」が初めて国書から選ばれたことに賛否が渦巻く。裏読み競争の世の中である。万葉集から選ばれたからと、「万葉集ブーム」とか。それはそれで、古典や歴史を大切だと思う心には大きなサポートであるが、その奥に政治家の企みまで勘繰るのは、行き過ぎだろう。「れいわ」の響きがやや引っ掛かるのは、「冷」からくるのだろうが、でも「玲」も「怜」も「伶」も、そして「鈴」や「齢」もある。使い続けていくうちにきっと慣れてくるだろう。自分の墓石に、2XXX年没と書かれるより、やはり令和XX年没と書かれた方が日本人らしいなと、単純に考えている。ただ、グローバル社会の中では実質的には元号より西暦の方が使いやすいのは確かである。両方を併用できるのも日本人の賢さだと思えば良いと思っている。昭和では25を加え、平成では88を加えた。令和では18を加えることになる。こんなことを考えているのも楽しい。
四国の帰り道に滋賀にいる次男の長女のピアノ発表会に行った。離れていると聴く機会もなく予備知識もないままに。沢山の生徒を抱えているスクールのようだが、レベルも高かった。今度小学5年生になるが、いつの間にかしっかり身についている。その成長を思い知る。その後、京都の桜を楽しんだ。御所北近衛の桜、東山八坂神社や高台寺の雨の夜桜、翌朝は本法寺の桜や、高瀬川沿いの桜、と、寒い中の花見だった。でも、寒さに少しは助けられたかも知れない。兎に角、今の京都はすごい人。どこを訪れても、どこを歩いていても外国人の多いこと。日本人の旅の様にガイドさんに案内されるというより、今やスマホガイドの世界。この場合は、決して有名な観光地だけでなく、かなりの裏通りでも誰かが「良かった」と書き込めば、それを読んでやってくる。日本人でも知らないような穴場でも、加速度的に広まっていく。おそらく今週末など、大混雑だろう。人出や、経済の活性化を考えれば、感謝せねばならない現象だが、古き良き時代を知るものにとっては、やや困ったものである。来年のオリンピックイヤーを控えて、この種の問題はどう解決されるのか。終わった後の日本はどうなるのか。疲れてイノダのコーヒーを飲んでいる時、「令和」の発表があって、店内が騒めいた。昭和、平成を生きた世代はいよいよ、旧世代の人間になっていく。この切れ目の日に、歴史の濃縮図の様な街にいて、さてこれからどうなるか、を考えた。この京の桜はこれからもずっと咲き続けて欲しいけれど。
日本では100兆円の一般会計の予算が承認された。加えて200兆円の特別会計についても何らかの承認システムが必要だと思う。国家財政の勉強をしていて、つくづくそう思った。世界の情勢も何となく嵐の前の静けさ?トランプ政権もまさかこのまま収まるとは思えない。対北朝鮮や、対中国、対中東など目が離せない件は続々とあるのに。そしてBREXIT、こんな大きな問題がこれ程タイムラインぎりぎりまで見通せないなど考えられないけれど、ついにメイ首相の辞任との交換条件まで出てきた。韓国は日本とどう付き合おうとしているのか。我々の目や耳に入るニュースはメディアのフィルターを通ってきたものだが、それでも複雑怪奇で、これからどうなるのか、と思わせる。夕方、散歩に出ると、この間と同じようにいつもの人達がいつもの様に歩いたり、散歩していたり。でも、ふと気づいた。時々あっていた人が、この所いない。住所も名前も知らないけれど、会うと会釈していた。お互い歳は取っているわけで、何があっても不思議はない。こうして、世界情勢から身の回り迄、大きく、小さく振れながら歴史を作っていくのだろう。今日の命に感謝である。
OBの間でゴルフを続けている人は元気(元気な人はゴルフを続けている)。当方は練習をまるでしない、巧くなるための努力をしない。それでも誘いやコンペがあると参加する。最近の目標は兎に角無事に18ホールを終えること。現在のゴルフ場はシニアで一杯。昔はプレーイングフィーが高くて、「ゴルフはお金がないと・・・」というのが常識だった。今は一日遊んで1万円を超すことはめったにない。年金生活者でもゴルフを楽しんでいる人が多い。当方も歴史だけは長い。ゴルフが盛んな市原市に転勤してきた時、「ゴルフをやります」と宣言した。ところが、3人の子供を抱え、金はない(その当時でも一日2〜3万円が普通)、仕事は忙しく時間はない。結局、機会は少なく、(当然)進歩もしなかった。米国駐在時は回数はやったのに、ここでうまくなろうとしなかったのが反省点。東京勤務では「仕事のゴルフ」もたまにあり、結構辛かった。そして訪れたリタイアリのゴルフ。幸いにも、まだまだ少しの仕事や、やりたいことが他にも一杯あって、「ゴルフ命(いのち)」というところまでいかないが、自然を楽しみながら体を動かすのは、大きな楽しみである。一番最初にゴルフをやれ、と言った長兄の、「大切なのは周りに迷惑をかけないこと」との言葉を守って、常に数本のクラブを手に、「早打ちマック」を続けている。なかなかゴルフ場設計や、季節の花や紅葉を楽しんだりする所まで至らないが、楽しさだけは良く分かっている。ゴルフ仲間でいられたことは幸せだった。長兄があの世でニヤニヤしながら「いつまでも下手だな」と見ているように思う。彼と一緒にラウンド出来なかったことが悔やまれる。さて、いつまでこれをやり続けられるか、今の最大の関心事の一つである。
誰もが「政治は割り切れない、ナアナアも必要」、「原則ばかりこだわっていては何も進まない」、「ディーテールに拘っていたら何も決まらない」という。一言でいえば、「大人になる」ということは、そんなこともあろうかと飲み込むことである。それでいながら、マスコミが採り上げる問題点については正論で議論する。リーダーたちが振り回される「世論」というのは、実は何の原則もない。世の中を引っ張っていく基本理論もない。だから、チョット状況が変わった時も、容易(安易)に変化する。「世論」というのはさほどいい加減である。今、外交上の重要ポイントは、対中、対米、対韓、対EUなどと難しい問題に関し、政府はどのように国民に知らせ、どの様に今後を作っていこうとしているのか、である。朝鮮半島との状況が喧しい。いつの間にか韓国を嫌いと言い、一方、「トランプは信用できない」と言う人達も増えてきている。日米韓はどうなろうとしているのか。素人予測だが、今韓国は非常にシンドイ、四面楚歌になりつつある。何となく日本人もそれを良しとしている気配がある。でもそうだろうか、日韓関係が破綻することを誰が望んでいるだろうか、それは何も生まない。韓国のリーダーを変えることは日本にはできないけれど、「日本の、日本人の正論」を広く発信する努力をなぜしないのだろうか。なぜメディアはそのことの重要性をもっと採り上げようとしないのか、そこが理解できない。日本を反韓に統一することが価値があるとは思えない。双方がもっと「大人になる」ことが必要だし、世論を作っているメディアも対決を煽るのではなく、解決を導くような報道をして欲しい。今、特に感じる国際情勢に関する世論の生成に関するメディアの力と責任。我々も好き嫌い迄振り回されてはならない。
市や公民館でパソコン教室の講師を続けているものだからこの分野の変化についていかねばとアンテナは張っている。でも、もうだんだんついていくのが難しい。ただ、当方のセールスポイントは「熟年の乗り遅れ組を救う熟年」で、WordやExcelの基礎が主である。とは言ってもハード、ソフトともに時時刻刻と変化しているためせめて言葉位はと感度を保つ努力は続けている。当方の主に使用しているPCはNECのデスクトップ、21.5型のディスプレーにCPUも組み込んだ一体型で、6年前にはかなりの最新型、OSはWindows8だったが、まず8.1にそして今は10にバージョンアップしている。最初の内はあまり使わず15型のDELのノート(Windows7)を使っていた。講座で使うPCのバージョンの変化とともにテキスト内容も変化させ、それにつれてこのデスクトップが主役になった。今でもノートも使っているが、いよいよWindows7やOffice2010のサポートが来年にはなくなるとのことで、次の一台を考えていた。家での仕事にはデスクトップで全く問題ないので、次はモバイル(持ち歩きパソコン)かなと思っていた。携帯という意味ではタブレットを愛用しているので、メールチェックには問題ない。敢えて言えば、出かけ先で何か調べたり、資料を作ったり・・・めったには無いのだが、それを理由に新しい玩具を手に入れようか、と考えた。兎に角、何かトラブルがあった時のために、2台目が必要なことだけは認識していた。というような訳で、先週量販店に遊びに行って、安価な13.3型2in1(ディスプレーを回すとタブレットになる)を見つけて衝動買い。またまた、暇つぶしに使っている。こんな遊びができるのも、ちょっとしたアルバイトのお陰(これにもPCは必須)である。何でも新しい物、事に関心を持ち続けたい。改めてそう思う、71歳のデジタル爺さんである。せめてボケ防止にはなるかな。
毎月のバイト先の勉強会のネタで、色んな勉強をさせてもらっている。今月のお題は何と「日本の財政」。じっくり考えてみれば、国の予算など、社会人になってから誰も教えてくれない。ただ、毎年メディアを通じてその年その年のトピックスをフォローするだけで、国がどう動いているかというチェックはめったにしなかった。属する業界や企業、そして家庭の経済ばかりに目がいっていた。今回予習をしていて改めてこの国の現代史の危うさ、を思い知った。我々が社会人になった(新入社員になった)のが昭和47年(1972年)、この年初めて日本の国家予算が10兆円を突破した。それが今や300兆円である。意味があるなしに関わらず、1%が3兆円、0.01%で300億円、0.0001%で3億円である。こんな額で議論をしている役人や国会議員にとって、数千万円なんてゴミに思えてくるかも知れない。そして、借金(公債)である。昭和40年に戦後初めて赤字国債が発行され、その後は特別会計での借換国債も発行され続け、今や累積債務(国の借金)は1200兆円(予算4年分)を超えている。この辺りまで来ると、まるで金銭感覚はなくなり、円も単なる符号に過ぎなくなる。我々日本人の世界に冠たる、平和で安全な生活は、全て子や孫たちの次世代からの借金で保たれていることが容易に分かる。これが企業ならとっくに倒産している。これはマズイなと誰でも思うのだが、既得権は放棄しない、富める者はますます富み、富めないものも富に向かって権利を主張する。政治家は票を得るためには嫌われる政策は取れない。こうして泥沼を転げ落ちている。非常に分かりやすいトレンドなのだが、誰も大きな声を上げられない。現代日本史で最大の貢献者は消費税を導入した竹下登かも知れない。さて、次はどうなるのか・・・将来の夢は・・・
ネット情報を始めとして、最近のメディアの韓国批判の勢いが止まらない。日本中が反韓で盛り上がっている。勿論、慰安婦・徴用工・レーザー照射・天皇責任発言など、どれを取ってみても同じ民主・自由主義同盟国同士とは思えない反日のニュースが続く。その一方、最近の訪日観光客数のトップは韓国人とか、日本人訪韓観光客も増加中という。これは面白い現象。少なくとも2国間の政治上の関係が国民の心の中まで入り込んでいないということだろうか。日本に比べ韓国では「ニュースショー」的番組が少なく、日韓問題を庶民が話題にするような機会が少ないのだとか。一方日本国民の方も直接的害がなければ良いのでは、的な人が多いのだろう。とはいえ、やはり文大統領の指導力のなさは気になる。対日、対米、対中の何れも方針が見えない。唯一全てを南北統一の目標に照らしている様だが肝心の「どう統一したいか」は見えてこない。本来はそこを見せて合意を得るのが出発点ではないかと思うのだが。もしかしたらそれが、「社会主義国家」であるが故に言えないのだろうか。兎に角、分かりにくい今の韓国。一番知りたいのはサムスン、ヒュンダイなどの世界的企業で働いている人たちや、日系企業で働いている人たちがこれらのニュースをどうとらえているのだろうかということ、昔の友人たちに会ってみたい。
現役の頃、特に後半は自分の出張旅費がいくらなのか殆ど分からなかった。リタイアして四国に定期的に出張することになり、その「定額旅費」を見た時、余りの安さにビックリ。でも理由を聞いて、自分で予約するようになって納得。特に飛行機出張で、宿もセットで予約すると驚くほど安価に予約でき、時にはこんなホテルが、と思うようなホテルでも飛行機代込みで予約できる。そもそも、こんなシステムがあることすら知らなかった。旅費で儲けようなどとは思っていなかったので、時々高級ホテルに泊まることもできる。これまで、もう60回以上出張しているが、(安価な)定額で、マイナスになったことは(殆ど)無い。こんなことも、自分で旅程を組んで、自分で予約するからこその楽しみだ。飛行機の場合、出発・到着の飛行場さえ同じであれば、どの飛行場から帰ってもツアーとして割引となる。いつも羽田から高松に飛ぶが、帰りは高松・伊丹・関西・広島・四国の各空港など、色々トライした。こんな「出張の楽しみ」があるなんで驚きだった。でも、四国の会社の従業員に聞けば、高価な時も安価な時もあって大変なのだと言っている。兎に角、最近の旅費はとても複雑、特に飛行機代の定価はあってないようなもの。曜日や祝祭日、イベントの有無などでいちいち料金が異なる。飛行機の機種も最適化されているので、意外に混雑感もある。JAL、ANA、LCCなど、航空会社の競争も激しい。乗る方の我々としては、今や安全で、時間通りで、そして安価であれば・・・という時代になってきた。これがたまにしか乗らなくなると、めったにないことだから少し位多めに払っても・・となるのかも知れないけれど。楽しい出張計画。
リタイアした後から、自分の日常をコントロールする意味もあって、朝はNHKの朝ドラを見て、ゴミの廃棄を担当する。それで朝が始まる。朝ドラの視聴率が安定して高いのは、当方と同じような団塊が沢山いるのだろう、と思う。「マッサン」のニッカウイスキーも面白かったが、今の「日清チキンラーメン」(まんぷくラーメン)も面白い。丁度、我々世代が受験生の頃の夜食として売れたという時代背景もある。昨日の新聞をみるとこのチキンラーメンが売り出して後、60年目で売り上げ記録を出したとか。恐るべし、「朝ドラ効果」である。そう言えば日本のウイスキーもマッサン以降、売れ続けて、今では年度末には売り切れてしまうとか。商品開発の話をしていても、新製品がどんなに売れても、寿命は30年と言われるのに、60年経って、売り上げ記録を出すなんて、やはり例外中の例外である。加えて朝ドラ効果、などという従来のマーケティングにはない売れ方もあることが分かってきた。さて、朝ドラも3月末で終わるが、今頃になって日清食品や、即席ラーメンの歴史をチェックしている。安藤百福という奇想天外な人生を送った人も興味深いし、ドラマに出てこないストーリーが沢山あるのも面白い。単純に「技術屋」として「開発」を考えるのも、「どうしたら売れるものを開発できるか」という見方で追うのも良い。技術開発、商品開発、そして家族を考えるファミリードラマという見方もある。多くを教えてくれるドラマである。
例月の様に月末に四国に出張していてその間に米朝会談が終わった。気になるものだからチョコチョコ、タブレットを開いてニュースをフォローしていた。飛行機が高松空港に着いた頃に「ドロー」発表。昼食会も、共同宣言もないままに終わった。単純に「平和へのステップ」と期待していた人ならともかく、少しでも北朝鮮の持つ(独裁の)危険性とこれまでの裏切りの歴史を知る人にとって見れば、「ホッとした」という辺りが本音だろう。トランプを信用しない当方にとっては、逆に「よくぞ踏ん張った」と見直している。米朝融和の様なドラスティックな変化は、彼らの様な特異な人でこそできるのかも知れないけれど、やはり「落としどころの合理性」は求められる。実際には裏で何が話し合われ、何故このような無駄なショーが演じられたのか分からないけれど、日本にとってみれば「安堵の結果」と言えるかも知れない。でもやはり、これからの世界情勢の動き、大国の保護主義の流れを見ると、日本の自主性はもっともっと求められることになっていくだろう。今回の出張の帰りには因島の安政柑畑に寄ってきた。守る会は一週間先に計画されているが、一足先に今年の様子を見てきた。瀬戸内海を望む畑には今年も大きな安政柑がたわわに実っていた。世の中が変わり、自分が年齢を経ていても、こうして美しい自然は別の世界を生きている。時代の変遷を思いながら、かご一杯分の穫り入れを楽しんだ。
政治とはこれほど「ショー」なのかと思わせる。トランプは名俳優なのだろう。でもそのショーの陰で、苦しむ人や、死んでいく人達も多い。口では「人々の為に」とは言えても、結局、誰かのための、もしくは「自分の為」の権力なのだろう。全く同じ時間に、自国アメリカでは元側近が徹底的にこき下ろしている。これ程の上下関係も珍しい。既に有罪になっている人の証言だから、宣誓してから証言したとしても余り意味がないのかも知れないけれど。一方、ハノイでは東アジアの小国の独裁者と笑顔で握手してショーを演じている。これで、支持率が上がるのだろうか。ただ、このショーが日本に与える影響は大きい。朝鮮半島がどうなるか、中国ロシアを含めた東アジアでの日本はどうなるのか。非常に心もとない。国会では、たまには各議員が「将来の日本のありかた」、「将来の世界と日本のあるべき姿」について意見を述べるような機会を作って欲しい。日韓関係、日中関係、沖縄問題、どれを取ってみても将来のあるべき姿に繋がる。関係ないように見えて、今日の米朝共同声明の内容は、近い将来の日本の方針に大きく影響しそうだから。
英国の将来が見えない。メイ首相は第二の「鉄の女」になれるのか。ここまで周囲からの支持が減っても頑張れるのはやはり、信じるところがあるからだろう。そうは言ってもEU離脱期限は刻々と迫っている。そもそも振り返れば、国民投票でEU離脱を決めたのは大英帝国最後の意地だったのではないか。サッチャーはユーロ採用を拒否し、独自の通貨制度を保った。そこにEU離脱の芽はあった。世界の盟主・大英帝国のプライドを捨てきれなかったのが、ついにEU離脱となった。メイ首相は何とかEUとの妥協案を探しているが、一方EU側は色んな価値観の集まり。例えば独仏が妥協したとしても、安易な妥協はEU離脱の雪崩現象を呼ぶ。そうそう容易ではない。おそらく、EUに残って欲しいという意見が減っているのだろう。そこに英国の衰退をみる。産業界、グローバリゼーションの反応も興味深い。世界金融を引っ張ったロンドンのザ・シティが衰退すればおそらくこの国は、ポルトガル、イタリアの様な歴史を辿ることになるのではないか。メイ首相が、長期的作戦で、最終的にEUに残る方法を探っているとすれば、これこそ「新しい鉄の女」になれるかも知れないけれど。現役の頃、何度か訪問した英国の印象は至る所で「風格」を感じる国だったが・・・英国史の分水嶺が近い。
技術コンサルなんて言いながら、こと天文・宇宙の話題になると、一気に昔話や童話の世界になる。3億km先の直径6mの場所におもちゃの様な装置を着陸させるなんて、現実の世界とは思えない。一昨日、国立技術博物館で「千の技術博」を見た。明治以降の技術革新を振り返った。中でも、昭和・平成の時代の変化に技術が果たした役割は大きいと思った。同時に、「変化は技術だけか」という疑問も大きくなった。この期間に人間の人間らしさの様な物が減っていないかと感じてそれを考えながら博物館を出た。そして今日のはやぶさ2の着陸成功である。これほど夢のある、逆に言うと直接的メリットの少ない革新はかえって素晴らしさを実感させる。もう一つの技術革新トピックス、免疫療法薬「キムリア」の承認。1回の投与に5000万円と言われると、本当にそんな技術(薬)の開発に意味があるのか、と疑ってしまう。技術革新は身近になるほど大きな問題を提起するのかも知れない。でも、はやぶさ2は単純に素晴らしい。来年末の無事帰還を祈りたい。
どこまでが真実の報道か分からないけれど、ここ数年政治不信に繋がるニュースが多い。平和で、豊かな証拠、などとのんびりしたことを言っていてはいけないようにも思える。トランプにしろ、BREXITにしろ、世界は意外に「本音の時代」に向かっているのかも知れない。本音の時代というと聞こえは良いが、一つ間違うと個人主義とも言える。「本音」が、他人への思いやりや、平等感を含めばよいけれど、自分だけが良ければ、になると寂しい時代に繋がる。安倍政権の運営もいよいよ「本音」が求められる。「誰にも良い顔」の政治が難しくなってきている。トランプほど「言いたい放題」は信頼できないが、それでも強い支持者にサポートされているのは、含まれる「本音」を武器にしているからだろう。政権も「あれもこれも全てやれというなら、これだけの人と金がかかるのだ」と言った弁解もすべきだろう。全て答えようとすれば絶対的に矛盾が大きくなる。一方ではどんどん財政破綻に向かっているのだから。いよいよ、将来を見据えた「財政再建党」のようなものが出てきて「ガマン」を求める時期ではないのか。おそらく政権党にはなり得なくても一定の支持は集める。野党も含め政治家が皆大衆(メディア)の顔色を窺いながら話していては、行く先は「衆愚政治」になってしまう。そんな心配をする昨今の国会中継。
毎年この季節になると「全国友の会」主催のコンサートのチケットが手に入る。今年も千葉で「仲道郁代」のピアノコンサート。クラシック音楽は趣味と言えるレベルではないが、嫌いではない。今回のコンサートも心地よかった。目を閉じ耳を澄ましているだけで世界が広がる。静かな曲、激しい曲、思い出のある曲、初めての曲・・・楽しかった。こんな時間も貴重である。この人の曲紹介の一言も良い。ベートーベンとショパンだったが、作曲の背景の解説。興味深くもあった。ベートーベンのピアノソナタ「月光」はスタートの第一楽章は誰でも聞いたことがあり、静かな曲の印象が強いが第三楽章の激しさに圧倒された。好みの曲になりそう。こんな歳になってピアノの素晴らしさに目覚める。もう理屈は要らない、心地よければ。そんな時間であった。CDを買おうかとネットを見ようとしたら、You-Tubeに沢山の曲が・・・当方の耳ならこれで十分か。なんて。ところでこの人、もう56歳だなんて、若々しく美しかった。これもピアノのせいか。
このニュースはショックだった。知り合いでも何でもないけれど、言わば東京オリンピックのスター中のスター、そんな人が病魔に襲われるとは、本当に運命とは計り知れない。でもだからこそ、「奇跡の復活」もあり得るだけに、やはりそれを見せて欲しい。普通の人なら、とにかく元気になって、で済むけれど、この天才の場合はもう一つ周りからの大きな期待が加わる。それを力にして欲しい。政治家の様に、「がっかりした」などというセリフは吐かないけれど、でもどうしても「天才の復活」を期待してしまう。これだけ新しい技術が発達してきている世の中、この人の復活のためなら、どんな「最新鋭」の技術であっても適用してほしい。国を挙げてでも・・・一人の若い女性と言ってしまえば、「まずは元気になって」が最大のエールなのだけれど。今は全国民からの応援を送りたい。違う話だけれど、マスコミには「そっとしてあげて」と言いたい。追っかけマンがあれこれ騒ぐのは見たくない。
典型的「団塊」を自認する当方だが、その歴史にこの人の影響は大きかった。「団塊の世代」の「団塊」は勿論、「巨人・大鵬・卵焼き」も正に我々の世代とともにあった。デビュー作の「油断!」は、日本の石油問題を先取り、その後「団塊の世代」で、我々世代が作り出す日本を予測し、その後も多くの近未来小説を書いた。時代小説も多く読んだ。もしかしたら司馬遼太郎の描く題材をサラリーマンの頭で読み解くといった読み方だったかも知れない。新刊が出るたびに本屋で手にしていた。「平成三十年」も早くから本棚にあったが、読んだのは平成30年になってから。おそらく当方自身の「読み方」が変わってきたのかも知れなかった。とにかく、この人の名が出ると、万博を思い、団塊を思い、一人称で歴史を捉えた気がする。善悪はともかく、自由主義経済の中で生き抜くには、「明るく」「楽しく」「言い聞かせて」生きるしかない、と教えてくれた。政治にかかわった時でも、こんな人もいていいな、と思った。今の経済官僚の中にもこの人の様な考えの人がいて欲しい。多分、そう思っているのは安倍首相を始めとする政治家たちかも知れない。また、「団塊」を育てた歴史が一つ終わった。
一週間近く前から、今日の雪は予告されていた。関東地方でも多くの地方で初雪は観測されていたが、当方は結局昨年末まで雪は見られず、今日の積雪は期待していた。今朝起きたら成程白い景色、これが初雪。でも、その後は一向に降り続かず、大したことはなかった。雪国の人に言わせれば許せないかも知れないけれど、やはり降雪も積雪も「楽しみ」。当方の様に子供の頃雪かきに追われて汗を流した人間でも(だからこそ)、やはり年に一度くらいの雪を待つ。この心騒ぐ気持ちは何だろう。雪を見るだけで、望郷の気持ちになり、思い出の景色を追う。積雪は大したことは無かったけれど、やはり今日は静か。雪の降る音を待った。この気持ちが分かってもらえるだろうか。「しんしんと雪が降る」、その音が聞こえる。勿論、木々の葉に積もった雪が落ち、屋根の雪が滑り・・色んな音がする。当方にとっては、その中に幼い自分の姿がある。やはり、何歳になっても懐かしい雪の季節。
暇に任せて初めてライブですべて観た米国一般教書演説。ニュースだけでは分からない面白さがあった。日本の首相の施政方針演説との違い、三権分立の在り方の違いも興味深い。トランプがあれだけ世界中から叩かれ続けても一定の支持率を保っているのも頷けた。保護主義は国民目線で聞くと支持されやすい。何が間違っているの、と訊きたくもなる。でも、米国は自由主義で何でも受け入れ、移民国家で偉大になり、世界を視野に置いたリーダーになった。今、急に「オーリタ!」と言われても世界は困る。そもそも米国自身が自分の為にもグローバリゼーションを進めてきたのではないか。急にアメリカファーストと言われても困る。でも、下院選挙で民主党に負けた影響は大きかった。昨日の演説でも「妥協・協力」という言葉が何度も出てきた。本当にそれが可能なら、信頼できる米国に戻るかも知れない。演説時の議員の立ったり(支持表明)、座ったりも面白い。これは日本の議会でもやったら良い。議員一人一人が演説内容への賛否を表明している。これを生中継すれば、議員も自分の考えをしっかり持たざるを得ない。政治は党略で行われるとしても支持者に自分の意見をきちんと伝えるには効果的だ。日本では行政府の長はしょっちゅう国会で答弁しているが米国大統領にとってはこの演説が年に一度の重要なものだ。総理大臣も常に国会で細かな事まで答弁しているのではなく、もっと行政のコントロールに専念すれば良い。そうすれば大臣たちにも自主性が出てくるだろう。面白かった一般教書演説。
奇妙なまでに暖かな立春。この辺りも20℃を指していて今朝の強風はもう春一番かと思わせた。昨夜、玄関に並べてあった豆まきを頼まれた。子供たちがいた頃は社宅時代でも豆をまいたものだが、ここの所、自分でまくのはご無沙汰だった。小さな桝に一杯煎り大豆を入れて、小さな声で「鬼は外、福は内」、外の庭にも、玄関にも、廊下にもトイレにも、自分の部屋にも。誰も聞いていないからなかなか声は大きくならない。「オニハソトー、フクハウチー」これでは効果も小さそう。自分の部屋でだけは、少しは大きな声で。これも歳を取るということか。幼いころの節分を思い出す。田舎の家で、大きな声で。玄関にはヒイラギの枝にイワシの頭をさしたものを飾って。雪の景色が似合う思い出である。久しぶりに楽しんだ「節分の豆まき」。食べてみたら、最近の豆は美味い。これは外にまくよりこれを肴に一杯飲んだ方が・・・
ついこの間、新年を迎えたというのに、もう2月。時々厳しい寒さが襲うが、こうしてまた春が来るのだろう。さて、2月になると確定申告の季節。大した収入は無いけれど、リタイア後すぐに「個人事業者」の登録をして、ちょっとした仕事を続けている。現役の頃は、若い時は収入が少なく所得税ゼロの時もあり、「早く所得税を払って社会への貢献を実感したい」などと思った頃もあった。現役後半の頃は当方にとってみればかなりの額の税金を払ったが、税理士に相談したこともない。払えることに誇りをもっていた。そしてリタイア。年金が主で収入が少なくなると、医療費控除だけでもお小遣いにはなる。自分で節税の努力をすることになった。これは意外に役に立つ。年に一度の家計の見直し、消費の傾向を捉える良い機会。還付金は毎年同じ位で旅行の費用にもならない位だが、自分の懐の見直しに良いと思っている。現役の時にもやっていれば、節税できたかもな、なんて思うがそんなことに使う時間は無かった。今は、これが2月のアルバイト。一年に一度、家計を見直している。ゴルフ代金位は自力で稼ぎたいと思うが、どうも我々夫婦は貯めることより遣うことばかり考えているようで、蓄えは減っていく。逆に、子供たちに遺すつもりも無いし、子供たちも「とにかく元気で生きろ」と言ってくれる。でも、家計を見直していると、怖くなるのは「人生100年時代」という言葉。もし本当に100歳まで生きることになったら、と心配になる。体力がなくなったら、金も使えなくなるだろう、なんて思っているのだが・・・ちょっと心配なのは昨年の医療費が大幅に伸びていた。100歳に向かっているのか・・・
先週は東京のOB会、一昨日は千葉のOB会、それぞれの新年会があった。60歳以上になっても働いている人も多く、「新人」はなかなか入ってこないが、とは言っても偶に入ってくる。自分自身がその立場になってよく分かるのだが、暇になるほど「話す相手が欲しい」。おそらくボケ防止にも最も効果的なのは「誰かと話すこと」。逆に言うと、一言も話さないで毎日を過ごすようになると当方も認知症になるのではと心配になってくる。OB会に積極的に出席しようとする人が多いのも頷ける。ただ、現役時のヒエラルキーを持ち込みたがる人がいるのは問題である。当方は「リタイアしたら同じ"人"」ということを原則にしている。でも、意外にそれが難しいようだ。確かに現役時代の仲間が立ててくれたりするとついつい甘えたりしそうになる。おそらく、OB会という組織を考えるとこれが最大の問題かも知れない。だからと言って自分の趣味を探して、1人だけで楽しむのもそうそう容易では無さそうだ。リタイアしたらもう誰も一緒、と定義するのは簡単だが、エチケットまで失ってはいけない。特に誰かが話している時に耳を貸さなくなる人が多いのはちょっと残念。確かに「みんな同じ」なのだが、だから勝手に大声を張り上げていて良い訳はない。アルコールが入るとなおさらだ。順番に立って話している人がいると、まずそれを聞かねば、と当方はいつも耳をそちらに向ける。それでも平気で話しかけてくる人もいる。この件は間違いなくOBになって増えている。なぜだろう?みんなキャリアたっぷりの社会人卒業生なのだが・・・おそらく、他の人がどう生きているかということより、とにかく今の自分を話したい、ということだろうか。70歳でも、80歳でもこの傾向は明白である。周りを見て学ばねば。
どうも目薬を入れるのは得意ではない。白内障手術の後の一番大変なのは目薬を入れ続けること。一回3〜4本、しかも5分おきというから、両目に1本さしてすぐにタイマーをON、ピーとなると次を両目にさす。朝から夕方の明るい内の3回は3本、就寝前は4本。ちゃんとやろうとすると、朝から寝るまで目薬ばかり注している感じがする。朝鏡をみると、手術から1週間経っているがまだ充血が残っている。なるほど手術をしたのだなと思い知る。ただ、やはりやっただけのことはあったようで、テレビやディスプレーの文字がクリアになっているし、視力も徐々に安定してきている様だ。新聞や、雑誌を読んでも長続きするようになってきた。でも目薬を入れるコントロールは実に悪い。やってもやっても同じところに注せない。まつ毛にかかってみたり、時には外れてみたり、自分でも呆れるくらい再現性がない。手が震えているわけではないので、「年齢のせいではないよな」と言い聞かせている。考えてみると眼とか耳とか小さい時から見えて当たり前、聞こえて当たり前と思っていた感覚も、実は年齢とともにちゃんと衰えてきているのだろう。目薬の入れ方が下手なのは、これまで必要がなかったわけで有難いことだった、と思わねばならない。次々と衰えが顕在化してくるが、さて次はどこの何の機能だろうか。ビクビクしながら、でも考えようによっては次々と新たな変化を見つけている訳で、それを楽しめば良い。チコちゃんによると時間を長く、有効に使うことは「トキメキを感じながら生きること」だとか。自分の体の変化を観察しながら生きるのもトキメイテ(?)過ごせばよいのかも知れないと思いなおしている。
アベノミクスの大きな目標の一つが「デフレ脱出・2%成長」であった。でもデフレ基調は一向に変わらないという。考えてみれば、当然とも言える。消費者の行動パターンはどんどん変わってきている。古くは百貨店からスーパーマーケット、問屋を通さない生産者からの調節購買。その際、品質は犠牲にしない。中間マージンの部分をカットして、「でも良いものを安く」買おうとする。それは決して悪いことではなく、「商売、流通の合理性を上げる」に他ならない。そして最近のネット販売。店頭や、カタログでしっかり検討した上で、最終的に買うのはネットで、しかも最も安価で買える方法を選ぶ。昔のように「安かろう、悪かろう」ではない。このトレンドが保たれれば、おそらく「良い品質のものを安価で購入」という合理性の高い消費が続き、そう簡単にインフレにはならないだろう。インフレ、企業の利益増、社員への還元(給料アップ)、購買力アップ、インフレという循環はそう容易ではない。金融政策のみでデフレを脱却などというのは今のITが進歩している経済では全く新たな理論がないと進まないように思える。「これからも人間が欲しがるようなものが出続けるか」「それを買うために一生懸命働いて給料を増やそうと思うか」、そのあたりの中身がクリアにならないと、アベノミクスの成功も誰もが認めるものにはならないだろう。戦後に貯めた貯金を皆が使い果たした時に新しい「人生観」「幸福感」が出てくるのではないだろうか。しばらくは「デフレを楽しむ」発想の方が良いのかも知れない。
ふとした拍子に時が経っていること、世の中が変わっていること、結果として自分が年老いていることを認識することがある。12月と1月と、久しぶりに「入院生活」をした。検査入院と、眼の手術なものだから、「生きるか死ぬか」の闘病ではなく、何となく呑気な入院。逆に、病院とか、医者、看護師などの世界を観察できた。驚いたのは「女性の世界」、特に今月の眼の手術など、前もっての検査から、入院、手術、その後の看護、退院に至るまで、全く男性に会わなかった。手術室の補助から執刀も全て女性。シャキシャキと優しく、素早い。「眼科は女医さんにピッタリなのかな」と思った。看護の世界も、窓口の精算も、考えてみると病院全体が女性の世界と思えた。ことほど左様に、世の中の色んな仕事、色んな職場が男女平等になっているのだろう。こりゃ、保育所も必要だわ」と思った。正に「世の移り変わり」を目の当たりにした。今が過渡期なのであれば、もっとビジョンが欲しい。「何が幸せなのか」「どう生きれば良いのか」そして「どう死ねば良いのか」まで関わってくる。順番に担当が代わる看護士さんだが、偶に個人的な話が弾むことがある。それが嬉しいのは、「マニュアルの世界」ではなく、人間として知り合おうとする心。どうも女性の方がその喜びをくれるケースが多い。今のトレンドは当然の方向を示しているのかも知れない。
何という小さい世界。新聞を読んでも、ニュースを観ても、大きなニュースは殆ど他国。でもその影響はもろに日本にやってきている。それほど地球は小さくなっている。米中の関係悪化が日本の産業に大きく影響し、輸出にじわっと効いてきた。見通しのつかない英国のBREXITもどうなることやら。おそらく在英日本企業も自社の事業だけでは明日が読めないだろう。日中・日ロ・日韓関係も経済を揺さぶっていて、今年の政治経済は誰一人として楽観視している人がいない。「世界」というマーケットを相手にするしかない日本はこれからどうなるのだろうか。ドラマを見るより、ワールドニュースを見ている方が余程迫力があって、自分の問題として降りかかってくる。そんな中なのに、国内でも今度は厚生省の統計データの問題。政府内の問題も次々と明るみにでる。これは、おそらくIT化と関係しているのだろう。誰でも情報発信可能な世の中になると、内部告発も増加していく。でも350億円を2000万人に再配布するために(一人平均1800円?)200億円近くの追加予算がいるらしい。何となく、「本当にやる必要あるの?」と思わせる上乗せ無駄使いが広がる。間違った人は罰して、上の人は責任を取って、でも現れた差額は「まとめて次の政策に回させてくださいと頼む」なんて政策はダメなのかな。うやむやにしようというのではなく、「オトシマエ」のつけ方に合理性が欲しい。誰が本当の被害者で、どれほどの被害を被っているのか・・・慌しく動いている世界の中で、「優先順位」は何なのか、それを皆で考えたい。どうも、引っかかってしまう。ついに今夜のニュースでは「コンビニで100円のコーヒーカップを買って、150円のカフェラテを入れた男を逮捕」。数十億円分の麻薬ルートを追っているニュースと同格。そういうものなのかな・・・
本日退院できた。両目とはいえ白内障手術でまさか、6泊7日にもなろうとは。でもそれ位丁寧にやって貰えたと思えば文句は言えない。多くの友人たちは「もっと早くやっておくべきだった」という位の効果を言っていたが、当方の場合確かに明るく、クリアにはなったけれど、もともとの乱視は治る訳ではなく、おそらく視力が安定して新しい眼鏡を作った時に本当の効果が見えるのだろう。ただ、ちょっと(これまでの)眼鏡を動かしてみるだけで確かに眼球に「何かが起こっている」ことだけは良く分かる。さて、こんな長期の入院で特に苦痛がある訳でもなく、結局暇つぶしはもっぱらテレビ。前半のトピックスは「稀勢の里引退」のニュース。大関になる前から注目し、大関になってからは、応援してきた。横綱になった時、「いつまでも横綱になれないでも強い大関」でいたままの方が良かったのでは、と思ったが、本当にそうなってしまった。未だ十分若いのに横綱ゆえに引退せざるを得ない。今でも頑張る琴奨菊や、昨日の十両の「安美錦vs.豊ノ島」の取り組みを見ていると、稀勢の里もあの時横綱にならなければ、もっともっと相撲を楽しめたのに、などと思ってしまった。何とも残念な終わり方だった。暇な時間を持て余す患者は朝から夜まで、ニュースとスポーツ漬け。でも、やはりこのニュースは人間の持つ「運」「宿命」「幸福」などを考えさせてくれた。これからの新しい世界での活躍を祈りたい。
今年の年賀状を見ても、昨年、白内障手術をしたとか、今年予定しているとか、多くの人たちが白内障手術を考えている。既に手術した人達は、概ね「もっと早くやっておけばよかった」とか「やって世界が変わった」とかとまで言う人もある。当方は「人間が年老いていくステップ」と言っていたのだが、とうとう手術することになった。もともとは緑内障の可能性があって行き始めた眼科だったが、結局、緑内障はそれほど進行せず、白内障の手術となった。白内障手術は我々世代では「やって当たり前」的な手術になっていて、多くの友人もやっている。ただ、そのやりかたには色々ある様で、ある人たちは「せいぜい片目20分、勿論日帰り手術」という人もあれば、当方の病院など、前もって内科検診、家族への説明、そして5日間入院の手術というくらい差がある。丁寧にやってくれる所の方が良いなと思って頼ってきた。本来生きるべき寿命を生きる、という意味ではする必要のない手術なのかも知れないけれど、よりよく読めるようになったり、ゴルフボールの行き先が見えるようになるのであれば、価値はある。明日から、入院して手術することにした。新しい医学にいつも疑問を呈している当方だが、目が良く見えるようになるのであれば、やはり頼りたい。意外に最も最新医学に頼っている一人なのかもしれない。
日韓関係が注目を集めているが、日本の世界戦略にとってみれば重要性・深刻度は大きく異なる。やはり、米国であり、次は中国。その後には、ロシアがあり、EUがある訳だが、米中がどうなるかは、韓国や北朝鮮とは比較にならない。その米中関係が心許ない。やはり、根本はトランプであり、中国の共産主義である。これは、小国・敗戦国の甘えだとは思うが、やはり米中には、世界を視野において欲しい。米国のナショナリズムは頂けない。中国の統治方針もぜひ欲しい。今の中国は共産党が支配する国とは思えない。開放政策で、多くのリッチマンを生んではいるが、彼らは中国を利用しているだけで、自国を豊かにしようという発想がない。何かことあれば、(世界の)どこに逃げれば良いか、そこにしか関心がない。そんな人達が中国の経済を支えているものだから、将来の中国を信じられない。偉大な中国が自由民主主義に統一されれば、(米国に代わって)世界をリードする国になり得ると当方は思っているのだが、どうも今の状態は疑問が多い。どんな政変がおこれば良いのか、どの国との協調がベストなのか分からないけれど、50年後の中国には期待したい。10億を超す今の中国人達が、個人主義ではなく、自由民主主義で一体になったら、これは日本も一緒になっていても良いと思う。そんな理想はあるけれど、今の中国や中国人達をみていると、まだまだ時間がかかるのかなと悲観的になる。でも、最近の中国人観光客の振る舞いは10年、20年前と比べて全く違う。欧米人が日本からの農協ツアーを見て眉をひそめた歴史を考えれば、我々も許容しなければならない。
現役時代、色んな所で多くの韓国人と知り合った。誰一人として、反日を示さなかったし、非常に友好的だった。彼らも本当に、メディアが伝えるような「子供の頃からの徹底した反日教育」を受けていたのだろうか。誰を思い出してもそんな気はしない。日本人に対する尊敬の眼差しの様なものは感じたことが偶にあったが、それが劣等感だったのだろうか。ただ、言えるのは当方の知る友人たちはいずれもいわば「知識人」であり、韓国の中では相当な上層部だった。今回の文大統領は、広く全国民層を重視し、指導層には厳しい。それが、即ち左寄りの政策となり、親北(これが平等政策につながるとは到底思えないが)や親中国政策になっている様だ。でも、民意獲得に反日政策が有効というのは何となく情けない。日本人の反韓意識は相当鬱積してきた。それを無視できる韓国ではないと思うのだが。良くはないと思うけれど、日本人にはまだ「日米韓」自由主義同盟意識があって、かつ全体としての優越感も残っている。それが、現状でも冷静さを保たせている。これが、逆転したり、日本が経済的に苦しくなったりするとおそらく大きなうねりになる。日韓政治家は感度を上げる必要がある。慰安婦問題、徴用工裁判、レーダー照射事件、竹島問題・・・多くの問題があって、逆に国内でもヘイトスピーチを始め差別問題がくすぶる。意外に一発触発の状態と言えるかも知れない。多くの親日友人達に「一声挙げてほしい」と願うのは余りに勝手だろいうか
以前にもあったが、確かに今年から増えてきたような気がする。丁度、団塊が70歳を突破したからだろうか。「今年で年賀の挨拶は終わりにしたい」というメッセージが増えてきた。確かに、もう終わりにしても死ぬまで会うことも無いかもな、と思う友人もいるが、当方はどうもストップする決心がつかない。何かの会で会ったらとか、町でばったり出会ったらと、思うから。勿論、生活が苦しくて年賀状代金が生活費を圧迫するような状態なら、少なくとも出すのは止めたら良い。当方など、2年続けて来なかったら出さない、3年続けて返事で来るのなら次は止める、なんて勝手なルールを作ってコントロールしている。嬉しいのも多い。挨拶に「年賀状だけの間柄になってしまいましたが」というのも決して悪くない。何らかの形で繋がっているというのは正に「絆」。年賀状はその意味で悪くない習慣だと思う。決して日本だけではない。当方には数人だが、大切に(こちらが勝手に)思っている海外の友人もいて、この人たちにはクリスマスカードと「我が家のAnnual Report」を送っている。彼らにもちゃんと送ってくれる人もいるし返事だけの人も、そして来なくなった人もいる。当方はそれで全く問題ないと思っている。でも、こちらが先に「もう70歳を超したから止めます」という積りはない。勿論、年賀状が買えなくなったり、書けなくなったりしたら、その時がストップだ。人間って、やっぱり一人では生きていけない。どんな時でも周りに誰か居て思いやれることが重要ではないのか。常にそう思っているから。元気でいるのならせめてそのことを年に一度知らせ合うのは、とっても人間的なのでは、と思っているのだが。
今年も大忙しの年末年始。家族を迎えるための大掃除を元旦まで続け、それでも大晦日の夜には近くのお寺に初もうで、除夜の鐘も撞いた。元旦には子供たちが家族で集まり、義妹夫妻も加わって総勢13人の新年会。例年のことだが、こうして集まることができるだけで喜び。2日は今年も全員で成田山に初参り。これも例年通り。好天に恵まれた正月だった。今日はもう、みんな帰ってしまって、夫婦2人のみ。まさに嵐の去った後の様。寝不足と飲み疲れでボーっとしている。3人の息子は全員40歳台、孫達も3人は小学生、1人保育園。家族を見ていると自分たちが高齢者になっているのも良くわかる。たった年に一度のパーティーだが、さていつまで続けられるか、次第に自信も無くなってくる。ここまでくればある種の達観か、自然に自然にと心する。「自然尊厳宣言証(リビングウイル)」に今年もサイン、個人としての危機管理、正月のルーティーンである。ようやくパソコンの前に座って今年を考えている。
徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い(2019年)
日付(19/12/30) あと1日
日付(19/12/27) 年末の慌ただしさ
日付(19/12/21) クリスマスカード
日付(19/12/18) PC教室終わる
日付(19/12/14) 大英帝国再び?
日付(19/12/10) 奈良学
日付(19/12/8) 中山競馬場
日付(19/12/4) 眼科にて
日付(19/12/1) AIって何?
日付(19/11/27) アトムが怒った?
日付(19/11/23) 日韓友好
日付(19/11/20) インク
日付(19/11/19) プリンター
日付(19/11/17) スポーツの秋
日付(19/11/14) 故郷は
日付(19/11/11) 誰のために生きるか
日付(19/11/9) 人生100年
日付(19/11/6) 勝手幹事
日付(19/11/3) 不思議なIOC決定
日付(19/10/31) どうなるトランプ?どうなる安倍政権?
日付(19/10/28) 最近の「政治」から
日付(19/10/25) 今度は豪雨
日付(19/10/21) 健康診断
日付(19/10/19) ラグビーを楽しむ
日付(19/10/16) 人間って冷酷?
日付(19/10/13) 台風19号
日付(19/10/10) リチウムイオン電池
日付(19/10/6) スポーツの秋
日付(19/10/3) 基礎技術力
日付(19/9/30) 西国三十三か所結願
日付(19/9/25) 突然の帰郷
日付(19/9/20) 昔の仲間と
日付(19/9/16) MGC
日付(19/9/14) 見通し
日付(19/9/11) 台風15号
日付(19/9/6) 暑さがぶり返して
日付(19/9/4) 高齢者講習
日付(19/9/1) 世界で何が?
日付(19/8/29) 自己主張
日付(19/8/26) インクジェットプリンタビジネスモデル
日付(19/8/23) 韓国、GSOMIA破棄
日付(19/8/20) 今年もパソコン教室
日付(19/8/17) 年金生活者は辛い
日付(19/8/14) お盆
日付(19/8/11) まるで現役の様に
日付(19/8/8) 仙台にて
日付(19/8/4) 輝く熟年
日付(19/8/1) アニメーションの世界
日付(19/7/29) 遂に来た真夏
日付(19/7/27) また一人
日付(19/7/22) 参院選挙終わる
日付(19/7/17) 九州日帰り出張
日付(19/7/14) どうなる?参議院選挙
日付(19/7/11) 日韓関係を考える
日付(19/7/8) 石川遼が優勝した
日付(19/7/7) 梅雨空
日付(19/7/5) 安政柑を守る会謝恩会
日付(19/7/2) 目が離せない世界
日付(19/6/30) G20の大阪で
日付(19/6/26) G20迫る
日付(19/6/23) OB会総会
日付(19/6/20) 24時間心電図再び
日付(19/6/17) ニュースの重み
日付(19/6/14) 「2000万円」問題
日付(19/6/10) 孫の運動会
日付(19/6/7) 今年も潮干狩
日付(19/6/5) メディアの責任
日付(19/6/2) 大学同期会
日付(19/5/28) トランプ帰国
日付(19/5/25) どうなる英国?
日付(19/5/22) トランプ人気
日付(19/5/19) 奥能登の旅
日付(19/5/16) 反省会
日付(19/5/14) カードを忘れて
日付(19/5/13) 原則論になると
日付(19/5/10) 次々と
日付(19/5/7) 人類も生き物
日付(19/5/5) 北朝鮮動く
日付(19/5/3) 令和3日目
日付(19/4/30) 平成最後の日
日付(19/4/29) ゴールデンウイーク
日付(19/4/25) スマートウオッチを楽しむ
日付(19/4/22) 高齢者ドライバー
日付(19/4/19) 「プログラミング」
日付(19/4/16) また先輩が逝って
日付(19/4/13) 韓国の人達は?
日付(19/4/11) これからどんな日本に?
日付(19/4/8) やはり大阪は
日付(19/4/6) 新元号「令和」
日付(19/4/3) 京の桜
日付(19/3/28) 4月を前に
日付(19/3/25) ゴルフの話
日付(19/3/22) 外交面の緊張
日付(19/3/19) モバイルパソコン
日付(19/3/16) 日本の財政
日付(19/3/12) 日韓関係
日付(19/3/9) 出張旅費
日付(19/3/6) チキンラーメン
日付(19/3/3) 第2回米朝会談終わる
日付(19/2/28) 第2回米朝会談
日付(19/2/25) BREXIT
日付(19/2/22) はやぶさ2、リュウグウへ
日付(19/2/19) 待たれる新党
日付(19/2/17) ピアノリサイタル
日付(19/2/14) 池江璃花子さんの白血病
日付(19/2/11) 堺屋太一逝く
日付(19/2/9) ようやくの雪
日付(19/2/6) トランプ一般教書演説
日付(19/2/4) 豆まき
日付(19/2/3) 確定申告準備
日付(19/1/31) OB会新年会
日付(19/1/28) 目薬
日付(19/1/26) デフレ脱却という目標
日付(19/1/23) 世の中が変わっているけれど
日付(19/1/21) 世界が慌し過ぎて
日付(19/1/20) 稀勢の里無念
日付(19/1/14) 白内障
日付(19/1/11) 中国は
日付(19/1/8) どうなる日韓関係
日付(19/1/5) 年賀状を受け取って
日付(19/1/3) 新しい朝を迎えて
過去の記事 : 2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
(趣味人倶楽部): 2010年以前
Copyright © 2010 Kobyのホームページ All rights
reserved.