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  徒然に ・・ 今日の出来事・今日の思い(2022年)

 

    日付(22/12/31) まさかの年末

年賀状にも今年は病との闘いの年だったと書いた。2月、8月には救急車のお世話になり、年末12月にはコロナにも感染した。大変な年だったと振り返っていたら最後の最後に家内が体調を崩し、29日に病院に連れて行き、結局2月の当方と同じパターンで即入院となった。軽い脳梗塞とのことでこれまた当方と同じ病気。当方は大腸の病気で入院した後で発症したので多分、対応が速く、結局後遺症もなく(おそらく)完治したが、彼女の場合は軽症すぎて(?)症状が出なかった模様。手足や口の症状が少しある。CTやMRIをみてもプロでないとわからない。だから逆に発見が遅かったか。まずは即入院できたがどこまで治るのか心配である。という訳で、急遽予期せぬ年越しとなった。少しは家族も集まるだろうと飲食の用意はタップリ。後は寝る場所を何とか、という矢先だった。やはり「いつまでも若くない」と思い知る年末である。今夜は一人で紅白を観た。こんなにゆっくりの紅白も初めてかも知れない。一人で迎える新年もおそらく米国駐在時の1年位か。余り覚えがない。夫婦共々一人でじっくりこれからを考えよというお告げなのかも知れない。

    日付(22/12/25) 最後の日曜、クリスマス、有馬記念

コロナ騒ぎであれやこれや、キャンセルメインにやっている内に何もせぬまま残すところ1週間になってしまった。昨日はいつものクリニックにコロナの報告と薬を貰いに。ドクター曰く「ラッキーでしたね。ワクチンをチャンと打っていて良かった。貴方のケースは典型的な重症化だったのに。」だって。やはり、ワクチンのお蔭だったのかと思い知った。そして今日は何と早くも今年最後の日曜。年賀状の準備など全くやっていなかったものだから大急ぎでやっつけ仕事。今年は喪中はがきの多いことに、驚いた。いつもこの時期に追加の年賀状を買いに走るのだが今日はそれもなし。喪中の人と共に「今年を最後に年賀状を止めます」の宣言の人もあったから。当方もいずれその宣言を、と思いながら、でも年賀状を送れるだけの健康と経済(だって63円だから)は保っていることを宣言したいから。今日一日のやっつけ仕事で何とかなった。その間に有馬記念も。タイトルホルダーとイクイノックスの本命で決まりと思っていたら、いつの間にか本命はイクイノックスに。その通りに優勝した。間近になってから馬券を買う人達の見る目に感心した。年末に走る名馬の姿は美しい。クリスマスも含めこれでお祭りも終わった。健康で年末を迎えられる喜びである。滋賀の孫娘がスマホのラインで送ってくれたバトン競技の動画をTV画面でみたいと言われ、今日はその対策にも右往左往。デジタル爺さんの格好をつけるのも大変。最後に何とかなって胸をなでおろした。後期高齢者の最後の日曜であった。

    日付(22/12/18) コロナ陽性者

陽性と言われ、ホンモノのコロナ感染者になってみて、多くの事を知った。これは大変な病である。当方のように殆ど自覚症状のない人も厄介であろう。陽性と分かったからには放っておく訳にはいかない。かと言って、診断だの療養だの入院だのなどと手間をかければかけるだけ医療現場は混乱する。当方など土曜の夜の「陽性の知らせ」以外、殆ど何もなかった。県のPCRセンターからの知らせが土曜の夜、そのまま一応隔離。翌日の診断、連絡も全てスマホのみ。市の保健所との会話は月曜になってから。結局、発症日は微熱の出た火曜となり、「木曜以降は外出も可」、「土曜までは十分気を付けて」とか。厚労省の「HER-SYS」とやらも登録のための電話番号がコロコロ変わって、結局IDももらえぬまま。今日には「自宅療養者フォローアップセンター」からのチェック電話も昨日のみで終わってしまった。血中酸素計も、食料差し入れも依頼もせぬままだった。厚労省、千葉県、市原市など、色んな窓口があって、担当者も多いようだが、患者の為に、健康状態のために、「さすが公的保険の充実した・・・」などとは到底思えなかった。これがしっかり発熱して、苦しかったりしたら、精神的に参るかも知れない。ニュースを見ていると相変わらず新規感染者も、死者も出続けている様で結局は「自己責任」という事なのだろうか。でも当方の症状がこんなに軽かったのはやはり「ワクチンのお蔭」なのだろう。4,5日隔離状態(?)を続けてみて一人暮らしや動けない人など、世の中には苦しんでいる人も多いだろうと思った。これからも続き得るこの種のパンデミックにどう人間は対処できるのか・・多くの問題を提起されている。まだ終わった訳ではないのに、コロナもウクライナもニュースにならなくなってきた。「人々の関心」なんて非情な物なのかも知れない。

    日付(22/12/18) 忘年会(その2)

先に書いた月曜のプチ忘年会、当方は翌朝微熱を感じたがその後は何もなかった。金曜には東京で次の忘年会があった。金曜になって月曜の会のメンバーから「抗原検査で陽性」とか、発熱しているなどのメールが入り、出席してはいけないかなと、体温を測り、抗原検査まで行ったが、陰性。とりあえず安心して楽しい会を過ごした。土曜の朝になって、金曜夜のメンバーに陽性がでたので気を付ける様にとメールが入り、午後に孫たちを預けに来る予定の息子が「心配だ」というので、家内と近くのPCRセンターにでかけた。目的は「無罪証明」だったが、夜センターからのメールで「陽性」が判明。(家内は陰性)そのまま「隔離(とはいっても自室へのとじこもりだが)生活」に入った。体温は依然として36℃。街にはこんな人がウロウロしているのだろうから、こりゃコロナは収まらない。今日は市のPC教室の日だったので急遽中止。迷惑をかけた。これから1週間、闘病(?)である。症状がないものだから息子など「抗体ができて良いんじゃない?」などと言っている。まだ始まったばかりなのに。でもやはり感染症という奴は怖い。目に見えなくて人から人へ・・厄介である。高齢者で、かつ既往症をもつ当方など2年前であれば、入院先を求めて右往左往していたことだろう。これも運命のなせる業、などと症状が無いが故ののんびりしたセリフを吐いている。世の中には生きるか死ぬかと闘っている人が沢山いるというのに。真剣に人生をいきていないことに対するアラームだと捉えるべきなのだろう。

    日付(22/12/14) 忘年会

やはり3年も経つと皆常識や、妥協点も変わってくるのか。最近街の人出も増え、外国人観光客も見かけるようになった。レストランや居酒屋にも徐々に客が戻ってきているらしい。そんな中、JR駅最寄りの居酒屋さんの今月末閉店のニュースが伝わってきた。40年前に千葉に赴任してきてから、一体ここで何度飲み会があったろうか。当然、数えることなどできない。確かにコロナになってからは大きく変わって、OB会の幹事会をたまに開くだけの機会にはなっていた。このニュースはぜひ仲間にも知らせなくては、とメール回覧。早速、2回ほど「懐かしむための忘年会」の予定が入った。それだけでなく、何となく今月は忘年会らしきものが続く。月曜も「プチ忘年会」と銘打って、単なるホルモン屋飲み会だが何年かぶりに集まった。やはりこんな機会を待っていた人達が多いのだなと口角泡を飛ばして喋りまくった。コロナに良い訳はないのだが・・今年は世の中全体、忘年会の計画も多いらしい。「やはりWeb会議では・・?」という声も多く聞こえるようだ。出勤したくて・・という人達も多い、とか。ま、出勤の話はベストな答えさえ出るのなら良いのだろうけれど、人材育成とか、次世代の教育とか考えると、「昔の方が良かった」という年寄りのセリフとなる。忘年会なんて、やはり重要だったのでは??なんて思っているけれど・・

    日付(22/12/7) 統一教会問題

安倍元首相銃撃事件からどんどん広がって、政治と宗教というやや歴史のタブー的な領域に入ってきた。銃撃容疑者にとってみればこれ程の成果は無いかも知れない。我々一般国民・有権者からみても、自民党の、野党の労組や公明党の創価学会に相当するサポーターとしてこの様な宗教団体が絡んでいるなど想定外であった。「日本遺族会」とか、「生長の家」などという大きな組織があることは昔から知ってはいたが、韓国の反日系宗教団体がこんな形で表面に出て来るとは驚きであった。現政権も低支持率回復のために新しい法律を制定せざるを得なくなってきた。政教分離の原則を保てるような良い立法を期待したい。でも、自民党の中に食い込んでいる集票マシンがこんなにあるとは。良い機会だからしっかり洗い直して欲しいものだ。中露朝の様な専制主義のメリットを見せつけられた時に、どんなに時間がかかると言っても民主主義や自由主義の有難さだけは失いたくないと思い知る事件である。でもな、ポピュリズムの弊害も目に余るし・・色々考えさせてくれる国会である。

    日付(22/12/2) W杯サッカースペイン戦

昨日から2日間の公民館主催PC教室があって、昨日が初日。今日は2日目だったが昨夜早い目に床に就き、今朝は4時に起きた。正直の所、まさかスペインに勝つなどとは思っていなかったがハイレベルの試合だろうと頑張って早起きした。(ドイツ戦同様)今回も前半はどうみてもスペインペース、「ハイレベルの好試合」からもやや劣っていた。ところが奇跡の再現。この試合もハーフでの選手交代と共に雰囲気が激変、正に日本ペースに早変わり。まさかまさかと思っている間に2-1の逆転勝ち。これには驚いたし、興奮もした。先日のコスタリカ戦の負けは何だったのか、今日の試合で言い方を変えられる。ドイツとスペインに勝ったのが奇跡なのではなく、コスタリカに負けたのが奇跡なのかも知れない。今回のW杯は「時代の変化」を感じさせる。これまでの勝者であった欧州の強者が次々と負けて予選落ちしている。これは偶然では無いのだろう。考えてみれば日本チームのメンバーだって主力の多くが欧州でプレーしている訳でしっかり「欧州慣れ」していてアジアの小国の奇跡ではなくなっている。この機会に日本のサッカー史を振り返る番組も多い。Jリーグが出来て以降、国内プロスポーツとしてのサッカー隆盛は驚くばかりである。昔を知る我々世代が「奇跡」なんて言っている間に実は日本サッカーは世界一流になっているのかも知れない。そう思わせるグループリーグ予選であった。真価は決勝トーナメントで分かる。ウクライナ戦争の解決も見えず戦争を戦っている一方、サッカーで社会が盛り上がる。何とも残酷な人間社会、とも言える。今朝のPC教室に行ったら、「えっ、起きて見て来られたのですが?お元気ですね?」だって、いえいえ、観たいから観られる、それがリタイアリなんですと。良い朝だった。

    日付(22/11/26) とうとう後期高齢者

高齢者になると「お誕生日おめでとう」なんて言ってもらっても全く喜べない。何がおめでたいの?とばかりに却って落ち込んでしまう。ただ、家族という視点で見渡せば、年長者が一歳歳を取れば、それは即ち子供や孫たちが一年「成長(?)」する。それが揃って「じいじ、お誕生日おめでとう」と電話をくれたり、ラインでスタンプを送ってくれたりする。それはそれで毎年の成長度合いを見せてくれて嬉しい。人間として生まれ生きていく中で、一つの充実感を感じないわけでは無い。ただ若い頃は我々サイドも何らかの向上の中に居た訳で、「明日・未来への希望」を抱いている中の一日であった。先週、免許更新に行った。先の自動車学校で高齢者認知機能・運転機能検査で貰った証明書故に、何とも速い更新手続き。免許センターに着いてから新免許を受け取って帰るまで1時間弱。イライラする暇もないくらいのスピードだった。ここで働く人達も皆さん、まるでロボット、機械と言った方が良いか。しっかりマニュアル通りでスイスイ進んでいく。「もめごと」の一つでも起こらないかと思うような無味乾燥さだった。ということはきっとこの更新手続きは近い将来、無人化・機械化され得るということ。もしかしたら自宅でPCに向かってインプットをすれば、AIが判定して合否が決まり。自分でプリントアウト(これも不要か?)したらおしまい、てなことになりそうだと思った。体重計のような機械を揃えれば身体機能検査も同時にやられて、運転可否が決められるかも知れない。自動運転の時代にどんな能力が求められるのか分からないが、この世界も大きく変わるだろう。先日の「80歳の壁」では後期高齢者を「幸齢者」と呼ぼうとあった。高齢者の方が安全運転だという説。免許証返上などもっての外、とある。そう言われれば確かに自覚のレベルも上がる。75歳に到達して「積極的に生きる」目標の重要性を改めて感じている誕生日である。

    日付(22/11/24) W杯ドイツ戦

日本チームの初戦がなぜ祝日だったのか。祝日の夜10時キックオフ。昨夜は視聴率も高かっただろう(40%)。前半を観ていて、「やはりな」、とか「もう寝ようか」などと思った人も多かったろう。それが後半になって、交代を含め陣営を立て直し、まるで別のチームになったような素晴らしい攻撃サッカー。その時点で驚いた。あとで振り返ればとられた1点はPKのみ。取った2点は共に完璧なゴール。素晴らしい勝ち方だった。前半最後のドイツの2点目になりかねないオフサイドが分岐点だったか。あれがゴールだったら負けていたかも知れないと思う。ハーフタイムの価値が非常に大きい試合だった。森保監督の決断をさせたのもあの時間帯だろう。スポーツの試合における流れの重要性も思い知った。今朝、目が覚めても興奮は残っていた。もしかしたらこの勝利で日本の社会のムードが変わるかも知れないとさえ思う。こういうと叱られるかもしれないがやはり「人間って闘いを好む、勝利を好む動物なのだ」と思い知った。おそらく企業でも学校でも今夕の酒場でもこの話題で持ちきりだろう。はるかカタールでの球蹴りの試合で限られた選手による試合かも知れないけれど、こうして国中を沸き立たせる効果がある。「どこでも何でも結局は人、そして人の心」。これを機に日本のムードが変わってくれると思いたい。

    日付(22/11/21) 年の瀬近し

今年も市のPC教室の講師の仕事が始まった。いつの間にか10年以上続けていることになる。この分野は技術革新が速いというのに、相変わらずマイクロソフトのオフィスをレビューしている。ハードの方はますます変化の一方でCPUなど小型化が進み過ぎて昔の箱がなくなった、という感じ。小中学校などPCルームに行っても個人持ちのタブレットを差し込んでPC学習をしている。ノートブックでも、見かけは同じでも昔は256(ニゴロ)だの512(ゴイチニ)だのとMB単位だったのが、今やGB(ギガバイト)は当然、いよいよTB(テラバイト)単位のメモリーが標準装備されるようになった。でも、アプリサイド、ユーザーサイドは進歩が遅く、相変わらずワードで書状を作ったり、写真を取り込んだり、エクセルでは住所録を作ったり、家計簿の計算をしたり。おそらく人間の生活ぶりもそうなのだろう。「できること」と「やっていること」や「やりたいこと」のギャップは拡がっているのかも知れない。「出来たらいいな」と思いつくことなど誰かが言えばすぐできる世の中である。本当にやりたいこと、「出来たら幸せでこのままでいたい」という時の過ごし方が世代ごとに、年齢ごとに違っていっているように思える。今日孫娘がまたもやコロナの「学級閉鎖」で預かることになった。PCを持参して宿題をしながら休憩時間にはYou-Tubeを楽しんでいる。聞いている音楽のテンポの速いことと言ったら、耳や頭が付いて行けない。一息ついてクラッシックピアノ番組に切り替えた。振り回されながらもうすぐ年の瀬である。

    日付(22/11/17) 古いのか?

人生を振り返ることの多い時期、季節である。自分が生きている間にこんなことまで起こるの?と思う事件も多い。その都度、己の「価値観」「幸福観」が変わってきていることを実感し、反省もすることが多い。例えば「働き方改革」。我々世代は長時間労働を(強要されるのではなく)することをそれ程悪だと思わなかった。特に研究開発など自分の思いついた実験などでは、何時間であろうと、何日間であろうと必要な時間をかけることなど当然だった。涙を流して観た「プロジェクトX」で紹介された創造的な人達には「徹夜で」「眠るのも忘れて」などという言葉がさも当然のごとく使われた。今はどうなのか知らないが、国会開催中の霞が関の役人だって、タクシーは24時間張り付いていたと聞いた。医者は?、自衛隊は?、警察は?、放送局は?等等、今でもどうしているのかと思う仕事は多い。自分自身がその労働の価値を認識しているのなら当然それが可能な形は残しておきたい、と思う。それに対する報酬や、それによる健康被害などあるとしてもあくまで付随する問題と捉えるべきだろう。現在提起されている、男女平等の問題、各種格差の問題など、同様に色んな考えがあり得る問題はまず考え方の多様性を大前提にしてその上での世論形成を諮りたい。人間が「何を幸福と考えるか」という所に立ち戻っての議論が重要に思える。イーロンマスク氏の様に大成功(?)した人でないと意見を意見として言えないのなら、これまたおかしな世の中である。1000年、2000年の歴史をみると「当然」は必ずしも「当然」ではない。「???」を胸にメディアに対している自分がいる。

    日付(22/11/12) 毎日を「プラス」に

秋晴れの好天が続き、一昨日は2か月ぶりのゴルフ。今年はゴルフが重い。2月からの病と、8月の病と2度も救急車に世話になったものだから、自分の回復度をゴルフのプレーで測りたい自分がいる。スケジュール表を見ながら、いついつのゴルフまでには毎日一万歩を歩き、打ちっぱなしにも何回か行って、などと思いながら結局その日が来て、何とか一日が終わって、ひたすらホッとしている。ゴルフのスコアなど全く関係ないのだが、そうは言ってもハーフのコンペになっていて、104人の参加者中85位。5位づつの飛び賞が当たって、お菓子を貰って喜んでいる。この一日はこれから予定している2度の仲間内のコンペの練習と位置付けていたのでそれも良かった。体の疲れもそれなりにあったが、昨日は朝から東京でAM、PM二つの仕事(?)をこなすことができた。これは嬉しい。先に読んだ「80歳の壁」によれば、理想的歳の取り方なのかも知れない。常に己を追っかけて来る「マイナス思考」と闘って、「笑みを忘れない」生活を続けたい、と考えるようにしている。健康診断ももういいや、と思えるようにもなってきた。後期高齢者までのカウントダウン。免許証の更新日も迫ってきた。和田先生は高齢者の運転は安全性が高いと仰る。免許証返納などしなくて良い、と説く。自動車事故死も決して高齢者の比率が高い訳ではないそうだ。やはり自分自身の頭と体とよく相談して納得しながら毎日を生きることがキーポイントの様だ。残念ながら「若返る」手段は無いのだけれど。

    日付(22/11/8) 「がん」との闘い

今月号の文芸春秋の特集は「世界最高のがん治療」。東大のウイルス療法、重粒子線や陽子線などの粒子線治療、そして各種がん毎の最先端治療法などいかにもがん先進国日本に恥じない記事が並ぶ。日本の医学界は感染症ワクチンなど、「儲からない医療」ではなく死因最高のがん治療に集中してきた。治療法も多岐に亙り、世界中の富裕層が「がん対策は日本」と言い始めているらしい。さて、この記事と並行して和田秀樹の「80歳の壁」を読んだ。こちらの方がずっと読後感が良い。この本は80歳以上を高齢者ではなく幸齢者と呼ぶ。いわば後期高齢者は平均健康年齢を突破できた「幸せ者」だと意識して、もっと自然に振る舞うべきではないかという説。がんとの闘病なども自然に任せた方が良いと説く。80歳以上で亡くなった人の剖検では殆ど多くのがんが見られるそうで、わざわざそれらを早期発見して副作用の大きな治療をしてもそのせいで亡くなってしまう、という。それよりも与えられた人生を「やりたいこと、やり残したこと」の追求に使うことを勧める。当方が常日頃思っている考えに近く、決して異端児ではないのだとホッとした。いざ自分の番が来たら悪あがきをするのかも知れないけれど、できるだけこうありたいと思った。80歳になる前に読んで心の整理をするのが良いだろう。生き方、死に方の話だが読後感は良かった。

    日付(22/11/6) アクアラインマラソン

今日は4年ぶりとか、久しぶりのアクアラインマラソン。15000人のランナーが木更津からアクアライン往復のコースを走った。三男が今回も挑戦すると昨日の夕方孫二人を預かって欲しいと頼まれ、喜んで預かり、今日は彼らを連れて応援に。前回と同じような場所に目をつけていて車で行ったが、やはり駐車に苦労。走っている本人から携帯に電話があった頃には未だ駐車場を探していた。丁度駐車できた時はまだ期待の場所までかなりの距離、大慌てでコースまでこちらも走った。今年は好天だったこともあって、本人の初期の予定よりかなりペースが速かった様だ。何とかコンタクトも取れて予定の場所で子供たちに父親の頑張る姿を見せることができた。おそらく記憶の中に大きく刻まれることだろう。流石に15000人ものランナーが走っていくと応援していても壮観だが、その内の一人を探すのも大変。お互いスマホを持っているからこその芸当である。我々夫婦は両方とも長距離を走るなど苦手だが、次男、三男はこうしてマラソンに挑戦したり、二男などトライアスロンに挑んだりしている。どんな形であれ、父親の挑戦する姿を子供たちに見せられるというのは良いなと思った。我々ジジババは昨夜から泊り込みでやってきた孫たちの相手をして久しぶりの交流を楽しんだ。そんなきっかけをくれるイベントも有難い。秋の青空とアクアラインに感謝である。

    日付(22/11/3) 文化の日

祝日「文化の日」を意識したことは何年も無かった。今年は近く(木更津市)に住む小5の孫がイベントに出るとのことで出かけた。市制80周年とかで"KISARAZU COLLECTION"と銘打って小中学生によるファッションショーを開催した。彼はその中でMC(司会者)を担当した。30人以上のモデル役が凝った衣装で表れるのを3人で紹介する。その中の最年少のMC。原稿はプロが作っていて読み上げるだけだが、それでも普段使わない単語も入っていてスムースに読むのは苦労である。「可愛いコスチュームで」「ランウエイを歩き」「ポーズを決め」「観客に投げキスをする」。そんな解説をすらすらとやっていた。最初はハラハラしたがそこは最近の子供、難なくこなして笑顔。いつの間にか頼もしさすら感じる成長ぶりである。こうしていつの間にか多くの人達と交流できるようになり、世界も拡がっていくのだろう。東京湾岸の海浜公園、夕方になると秋の夕陽に富士山が映え、横浜・東京も朱く染まって心地よい時間だった。改めて「人間の成長」について考えた。高齢者サイドは次世代の子供たちが平和の中で生きていけることを祈らずにはいられない。折しも朝から北朝鮮のミサイルでJアラートが流され、夕方にも再度・・・世界はますますキナクサイ。誰もが戦争に駆り出される世には「文化」の価値は消えてしまう。

    日付(22/10/30) 日本シリーズ

コロナ禍以降、各種スポーツが放送されると待ってましたとばかりTVにかじりつく。ところがプロ野球からは何となく離れていた。先日木更津で小学校の教師をしている息子からラインメールが入り、「今夜の先発ピッチャーは自分の勤務する小学校の卒業生だから応援を」と言ってきたものだからチャンネルを合わせ、珍しく気を入れてみた。ヤクルトの山下投手は昨年の新人ドラフト一位で入団したルーキー投手。シーズン中もそれ程出て来なかったのに後半に出始めて初勝利、何と日本シリーズ第5戦の先発。3回無失点と活躍した。最後はオリックスのサヨナラ勝ちだったが十分楽しめる試合だった。これで2勝2敗1分となり、昨夜は勝った方がリーチの第6戦。こうなると観ない訳にはいかない。昨日も好試合だった。オリックスの主砲吉田なんて名前も知らなかったが第5戦はサヨナラ本塁打。ヤクルトの山田・村上は知っていたが吉田は既に2ホームラン。その気になってみると連日観客を沸かせる試合をしている。今年の野球観戦と言えば朝のメジャーの大谷だけだったが、これはちょっと間違いだったかも知れない。今夜は第7戦。こうなったらヤクルトに勝ってもらって明日の最終戦を観たい。久しぶりに盛り上がっている日本シリーズである。

    日付(22/10/25) これぞネットショッピング

「働き方改革」とか、コロナ禍で自宅勤務が増えて、みんな家庭にパソコンをもちWiFiも配線をして当然のごとくディスプレーに向かって会議をしている。当方も3年前からアルバイトの打ち合わせも増え果ては飲み会迄ネットで顔を合わせながらウダウダ言っている。ZOOM飲み会は誰でも簡単にできるが、初めて入る人は大抵の場合、カメラ(画面)とマイク(声)でトラブルになる。「顔が写らないよ」とか「声が入らないよ」というのが第一回目の相場。一たび調整できれば後はいつでも問題なく継続できる。マイクはPCにも内蔵されているが、やはりヘッドセットを通しての方が雑音も無く指向性が良い。当方はずっと前から電話会議用に持っていたヘッドセットを引っ張り出して使っていた。ここにきて少し改良しようとネットで調べた。これにはビックリ。中国製ではあるが一応日本向け(アイリスオーヤマ)で550円。ワンコインである。ネット会議が始まった頃入手が難しかったのが信じられない。届いて開けてみるとちゃんとしているが、差し込みジャックが一体物。これ用のコネクターもネットで注文。660円成り。本体より高価(とはいえ安い)。今朝早速友人に頼んでZOOM会議。全く問題なくOK。この経過でまたまた驚いた。PCでオーダーした時点からステップごとに経過が届く。在庫確認、支払い受領、発送。最近は何と置配連絡まで(先ほど玄関前に置きました)というメールまで届く。確かに全てに関わる人達がスマホでインプットする訳で、それを繋げば注文者に状況が届く。高価なものならともかく、何とたった一本のコネクターまで。こりゃネットショッピングは革命だなと驚き入る。働き方も、流通も、連絡も・・・何もかもが便利に速くなっていく。消費者サイドが望む「便利さ」より事業者の効率の方がどんどん進んでいく。販売店に立ち寄ってウダウダ話を聞いて、「また今度来るよ」といったいい加減さは無くなっていく。いずれ物も分子や原子の集合体なので情報網にのってディスプレー内で組み立てられて注文したものがポロっと出て来るなんて・・・

    日付(22/10/20) プーチンは人間か

毎朝は朝ドラから始まる。今回は飛行機が舞台で楽しそう。その後ゴミ当番をして、8時からキャッチ(世界のニュース)を見る。このBSの番組は人気もあるようでいつの間にか地上波NHKでも10時から毎日流されるようになった。リタイア生活になって以降、毎日見ている。でもこのところ、この番組を見るのが苦しい。終わった後、毎日大溜息をついている。ビジネス経験から「グローバリゼーション」は人類にとって避けられない自然の流れだと今でも信じているし、それがあっての今の日本だと思っている。世界をフォローしていて、大統領とか、首相とかという人は、当然自国民の幸福を最優先すべきだし、していると思ってきた。核兵器とか化学兵器など大量殺りく兵器は使う前に相手に戦闘意欲を失わさせる効果があるからこその物だと信じているが、とにかくきな臭い。そもそも人命を大切にする気があれば一方的侵略などしてはならない筈だ。これまでのプーチンは冷酷なところはあっても「理性的」な人間だと思っていた。後世、全体を俯瞰してみれば決して間違ってなかった、と言われるような信念があるのかも知れない。ただ、今の状況はどう説明できるのだろうか。ウクライナを破壊して迄ロシアにしたいのか、自分で壊して自分で復興しようというのか。当方の(常識的)頭脳ではどうにも理解できない。誰かきちんと教えて欲しい。もう毎朝大溜息をつくのは終わりにしたい。でも他にも北朝鮮も、アフガニスタンも、ミャンマーも・・・多くの??が今日も続いている。

    日付(22/10/16) 先輩のお墓参り

現役時代にお世話になった先輩が5月に亡くなっていて、そのニュースさえ届かなかった。コロナのせいでもあるのだろうがご家族も遠慮されたのか元の勤務先の事務を通じて知ったのは6月を過ぎてからだった。友人や後輩達にも尋ねたが皆知らず、葬儀に列席した人もいなかった。そこで、特に世話になった人達に声をかけ墓参しようという事になり、今日漸く実現した。後輩の一人が奥様に連絡を取ってくれて友人たちに声をかけた。仕事上でお世話になった人は勿論、プライベートでも仲人をお願いした人。入社をアレンジしてもらった人など、大阪から来てくれた人も含め、10人近い人達が集まり、千葉の平和公園墓地にお参りした。平成時代に先輩がご両親を送られた様で、先祖代々の立派なお墓があった。清掃をし、供花をして、皆が順に御線香をあげ、手を合わせた。葬儀には参列できなかったが、改めて冥福を祈った。我々の人生の中で非常に重要な企業人としての生き方に大きな影響を与えて下さった先輩だった。こうしてちょこっと声をかけるだけで多くの(当時の)若者が集まってくるだけで、社会への貢献の証明であると言えよう。あの頃の習性の様に帰り途で百貨店のレストラン街に席を取り昼食をとった。現役時代の居酒屋飲み会を思いだしながら・・・話は弾んだ。こんな送り方、偲び方も悪くない。きっと先輩も喜んでおられるに相違ない。「次は君たちの番だよ。待っているから、それまでは精一杯生きろよ。」と導かれているように感じた。雨が予想されていたが青空も顔を出す好天だった。ちょっと酔って、後味の良い一日だった。

    日付(22/10/10) スマホ病

先週末金曜日、久しぶりの静岡への出張。朝から雨、どうみてもバーベキュー(BBQ)向けの天気ではない。ところが目的は静岡オフィスでの歓迎パーティー。工場内部でのBBQとなった。こんな日に限ってスマホの持参を忘れた。結局、遅くなって急遽藤枝駅前に泊ることになったものだから、スマホの無いのには参った。電話にも、予約にも、連絡にも、地図にも、帰りの電車にも。いつの間にかスマホが無くては不便でしょうがない。当方はPC派で長い間スマホよりPC/ポケットWiFi+ガラケーで過ごしてきて、スマホデビューは遅かった。でも、十分お世話になっている(毒されている)ことを実感した。この調子であれもこれもとスマホでやるようになると、この様にスマホを忘れたり、途中で充電が切れたりしたらどうなるのか、と思った。電車の中などで観察していると、若者の中には2台のスマホを同時に扱っている人達も意外に多い。おそらく仕事用と個人用を使い分けているのだろう。トラブルにならぬ様、ハンディバッテリーを繋いでいる人達も多い。こりゃ新入社員たちがキーボードが打てなかったりPC入力が出来なかったりするトラブルも頷ける。だって、オフィスに出社すらしないというのだから。一日、スマホなしで過ごしてみて良く分かった。あらゆる場所が仕事場であり、あらゆる場所でコンタクトするのが現代なのだ。オフィスも、机も不要である。さて、現場のある仕事をする人はどうすれば??でも、最近増えているTV番組で、田舎への「移住」とか、食料の「自給」とか、増えている。おそらくその促進にもデジタル化は効いているのだろう。確かに多くの仕事は山や海の近くでもこなせそう。いよいよ、工場の自動化と、オペレーションの自動化の段階か。もう、良いとか悪いとか言っている段階ではなさそうだ。

    日付(22/10/6) 何を信じれば良いのか

これだけ世界で色々のことが起こって、でもそれも我々の耳や目に入ってくる時には多くのスクリーンを通っている。プーチンや習近平、金正恩などに会ったことも無いのに、批判したり憎んだりしている。コロナだからという訳ではないが、ニュースソースは限られていて「もしかしたら間違った情報を信じ込ませられているのではないか」と疑心暗鬼になることが多い。だからこそか、何が真実なのかを知る手立てに飢えている。毎日、会社に行って情報交換をしたり、帰り途で飲み屋さんでウダウダ友人たちと話していた時もさほど今と情報の種類や確度が高かったとは思わないが、あの頃の方が「疑って困った」頻度は低かったように思う。それはおそらく同じような情報を得て、同じように感じる人達が周りに沢山いて、その人達と同じように思うことで安心していたのだろう。今は一人一人が、実に一人一人で新聞やTVの情報を取捨選択している。でも、自分の得た考えと同じ人がいることで「安心する」ステップに欠けているのかも知れない。だから不安が増大する。誰かと会話することがそれ程の価値(?)があったのだと思わなかった。確かに自由に考えられる我々は幸せなのかも知れない。全体主義、専制主義の中では何を考えても「従わねばならない」方針が出される訳で考えるプロセスは大きく異なる。世界の動きに対して何が出来るという訳ではないが、だからこそ「本当に起こっている事」を知りたい欲求を強く感じる今日この頃である。

    日付(22/10/1) 自動車免許更新準備

来月が誕生日で遂に後期高齢者。運転免許更新も当たっている。その準備で、今日は後期高齢者免許更新ステップとして「認知症検査」と「運転技能検査」を受講した。噂の認知症検査はかなり緊張したが、何しろ友人たちが色んな予備知識を入れてくれ、簡単な案内雑誌も購入し、ネットでのガイドでも予習していたので問題はなかった。4枚の絵で、計16の事象を覚えるのだが、確かに完璧にできれば認知症にはなれない。こればかり心配して臨んだが、実はもっと現実的な問題の方が大きくて、最初心配していた普通の「視力」はOKなのだが、「動体視力」とやらがまるでダメ。加えて夜間運転視力も問題ありそう。今年、色々悩んできた健康問題と関係あるのかも知れない。眼科との話し合いが必須である。自動車学校での試験で実技もあったがあらためて学校の車で、ルールに忠実に、と言われてもこれで良いのかと自信は余りない。合格書類は貰ってきたけれどいつまでもこのパターンで年齢と闘い続ける自信はない。これまた人生を考えるイベントであった。

    日付(22/9/27) 安倍元総理国葬

安倍元総理の国葬があった。銃弾に倒れてから今日まで多くのことがあった。単純に一国民として弔意を表するのは当然で黙祷でも花を捧げるのもやぶさかではない。ただ、「国葬」という形式には引っ掛かる。当方の生きてきた70年でどの総理が最も良かった(この定義が難しいが)かと問われると安倍総理にはならない。人物として好きだった(尊敬という意味もこめて)のは中曽根総理、日本国の歴史に残るであろうのは竹下総理(この人の決断が無ければ消費税制度は無かった訳で)。安倍総理のアベノミクスは具体的には何も残らなかった。ただ地球儀を俯瞰する日本外交という意味では良く顔を(日本国を)売ったと思う。そこまでは合格点だったが、後半のメディアとの闘いは頷けない。最後の最後に本人のせいではないが国民の意識を分断して去っていった。日本も他国に負けず分断されてしまった。今日の国葬は全て見ていた訳ではないが友人代表菅前総理の弔辞は心を打つものがあった。だからこそか、余計にか菅さんがやるべきは総理ではなかった。安倍総理の8年を誉めるのなら菅官房長官を誉める。あの弔辞を聞いて「適材適所」の重要性を思った。さて岸田総理はどのポジションが最も適しているのか・・・弔辞を聴きながら考えていた。

    日付(22/9/22) ネットで買い物

PC教室でインターネットの基礎を話して、いざネットに繋いだ後の使い方の話になる。最近のスマホの影響で子供や孫たちから教わって色んなアプリを使っている高齢者も増えている。「もうメールなんて使いません。全てLineで。」と仰る人も増えてきてラインでテレビ電話を使っている人もいる。1人暮らしの高齢者の安全確認にカメラの画像を利用している家族や自治体なども増えているらしい。さて、その次のステップが買い物。ネットバンキングにはまだまだ抵抗のある人が多いようだが、一度使うと癖になる人もあるようだ。当方が講座で紹介するのは「取扱説明書や部品の類」。我々の世代には壊れた機器を自分で直したい人達が意外に多い。例えばマニュアルを探すにはPC(やスマホ)の検索機能に機器の型番をインプットすれば大抵のマニュアルは出てくる。次は部品の類、これも意外に購入しやすい。当方はいくつも電気カミソリを持っているが毎日使うのは一つだけ。これもかなり古くなって肌触りが悪くなってきた。そこで型番と替刃とインプットするとチャンと現れる。Amazon.co.jpとか楽天市場、Yahoo.shopなどに入れて価格比較をする。古い型番などあるかないかも、その価格もまるでバラバラ。大抵は(部品は安価なものが多いので)最も安価なものを買ってみる。送料も配達もバラバラ。運が良いと翌日や翌々日には届くこともある。今回の剃刀の替刃は2日で届いた。内刃の交換も見よう見まねで簡単。一気に新品の剃り心地。「ヤッター!」と思う。昔なら次の新品を買っていたであろうから、SDGsにぴったりの購入だった。見つけるのが難しいものなどを調べるのは楽しい。今の若者たちはこのように何かあるとカチャカチャやっているのだろう。恐るべき「検索」である。高齢者もこれをやっている人とやっていない人達といつの間にか2極化していっているようだ。歳の取り方も難しい。

    日付(22/9/19) 敬老の日

毎年この日の統計値発表が怖い。先日の発表では100歳以上はもう9万人、その内89%は女性だとか。今年はコロナでかペースは落ちたようだがどんどん増えていく。確かに100歳以上で純金杯を配っていたのが銀杯になったり、キンさんギンさんが話題になったり、100歳の区切りも色んな話題になってきた。でもテレビで紹介される100歳以上の人はまだまだ「羨ましい」人生ではない。当然だがベッド生活であったり、生活も自分だけではままならない。そのシーンにいつも「生きている価値」を考えさせられる。科学技術の進歩と関係づけて語られるが、本当に「長生きは望ましいことなのか」。そりゃ美味しいものが食べられて、会いたい人に会えて、行きたい場所に行けて、学びたいことが学べて・・・自由に行動できれば良いけれど・・・多くの記事になっているように、「周りに迷惑を・・」が辛い。いづれはロボットや機械になるかも知れないがやはり誰かに、何かに助けてもらわなければ「死にたくても死ねない」。この問題は人間である限り、何歳になってもついて回る。決して解けない問題であるだけに、そこに「宗教」の出番もある。ようやく「金(カネ)」だけでは解決できず、「心」の問題になっていく。その流れが最も人間的で、それが「生きる」ということかも知れないけれど、心身の苦痛の根源なのだろう。その苦しみを乗り越えない限り本当の「安楽」は訪れないのだろう。お年寄りの歴史や貢献に感謝していた「敬老」の日だが、自分が当事者になるとやはり人間として生きる苦しみを考える日になってくる。年に一度の辛い日でもある。今夜も笑って一杯飲もうか・・・

    日付(22/9/16) 植物学?

今年のアルバイトで依頼されているのは最近の植物学関連の研究のフォロー。当方など全く知識は無い訳で新たに基本から学ばねばならない。取りついて驚いた。我々の持っている植物学のイメージではない。生化学とか分子生物学、そして遺伝学の分野である。DNAやRNAのタンパク配列解析、そして逆転写を用いて新たな性質を引き出すDNAを作り出す。人間や動物、医薬品などで世の中を動かしているミクロな技術が新しい植物でも応用されようとしている。資料をみても生物なら微生物から動物、植物まで同様の議論がなされている。植物の場合、そこに生育や栽培の環境条件のインパクトが大きい。DNAやRNAの構造が明確になったのは我々が学生の頃で、有名な二重らせん構造モデルが発表された(1953年)。その後本当にDNAを抽出して構造が解析できるようになったのは1977年頃の話で、今やDNA鑑定とか、遺伝子検査などいつの間にか身近になってきた。どんな場所でも育つイネとか、あっという間に育つ大豆とか・・・夢の様なことを考えている学者がいるのだと驚くやら、嬉しいやら。当方の様に化学の目で何かを捕えようとすると、同じ条件なら同じ答えになってくれないと許せない所があるが、どうも「生」の字が付くと「個性」が出るようで一気に納得しにくくなる。昔は畑に苗を植えて1年待つと結果が出るというノンビリした分野だったはずなのだが・・・今頃になってまた驚きの世界を知って興奮している。100年後はどんな世界になっているのだろうか・・・

    日付(22/9/12) 秋か

9月になって急に涼しくなって秋を思わせる。一昨日の夜は「中秋の名月」。ウオーキングしていたら真ん丸な月が昇ってきた。その気になって耳を澄ますとコオロギか?鈴虫か?分からないが秋の虫の声が聞こえる。この季節感は素晴らしい。今日は久しぶりのゴルフ、現役時代の同期が集まるコンペ。ロクに練習もせず、今年は病院のお世話にもなり・・・もうゴルフも終わりかななんて思いながらその一方、自然の中を歩くゴルフの楽しさも捨てがたい。コンペの成績はそっちのけで懲りずに出席している。でも、今日は暑かった。秋を味わうつもりだったが朝から汗ビッショリ、よくぞ18ホールに耐えられたと自分を誉める。これではいつまでも続けられないかも知れない。健康寿命を超えた同期生の仲間が汗まみれでゴルフをしているのも、幸せなことである。今日はサンザンのできでブービー賞。次回の幹事も当たってしまった。いよいよやめる訳にはいかない。思いだしたようにネットでバンカーショットを学び直す。これもスポーツの秋か・・・

    日付(22/9/7) フレイル近し

認知症症候群と言われるフレイル、今や色んな所で使用される言葉になった。ただ、厚生労働省などは認知症の様に「放っておくと進行するだけ」という病ではなく、「加齢とともに心身の活力(運動機能や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態であるが、一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態」と定義、「治る病気」であるとしている。当方も今年に入って、循環器系のみならず消化器系も患い、夏には震えやシビレといった症状迄経験して、いよいよ健康寿命に近づいたのかと自覚するようになったが、これは認知症が近づいたのではなく「治る」フレイルの手前だと思いたい。今や多くの団塊世代がコロナ副作用(?)もあって、フレイルに悩まされているらしい。どうも最も良い薬は「人と会う事」「笑う事」らしいが、その機会がますます減っている。現役の時は昼食時も、仕事の後も、必ずと言ってよいほど誰かと話し、一杯飲んでいた。それがなくなって10年以上が経ち、好きな酒を楽しむのも一人でが多い。やはり「あーだの、こーだの」は重要である。余計なことかも知れないが「ひとりもの」を心配する。今や周りには沢山の「ひとりもの」が溢れている。独身者は勿論、配偶者と別れた人も多い。我々だっていつかは・・・なので「ひとりもの対策」も考えておく必要がある。カップルだけが正解ではないのだろう。色んな仲間の中で飛び回っている高齢者も多い。やはり解決策は「人と会って笑う」ことの様だ。認知症は厭だが、まずその前に「フレイル対策」を考える必要がありそうだ。コロナ禍の中でもネット飲み会が続いてきた。これもフレイル対策にはなっているのかも知れない。PC教室の講座内容にも「ネット飲み会のやり方」を加えようか・・・求められていることも時代と共に・・・である。

    日付(22/9/2) 「私」という男の生涯

今年の2月1日に逝った石原慎太郎。当方は決して支持者という訳では無かったが、政治家の小説家、小説家の政治家として、また裕次郎の兄弟として注目はしていたし、興味もあった。その彼が「死」を意識し始めてから死後の出版を前提に書き残した自伝である。これだけ正直に「死が恐ろしい」と言い、「死を見つめて」書いた自伝で、やはり面白い。「読ませる」書き方が出来るのは内容が興味深いのみならず文章表現が巧みだからであろう。子供時代、家族、学生時代、小説家デビュー、海、ヨットレース、ダイビング、女性遍歴、政治家、選挙、青嵐会、都知事・・経歴を見るだけで心躍らせる何かがある。そして最後は「死」を見つめる。きっかけとなった「脳梗塞」は当方も軽症ではあったが今年経験したので、読むのに力が入った。政治家・都知事としてもおそらく歴史に残るだろう。多くの暴言(と周りが言っただけ?)、言いたい放題的な印象もあったが、流石に「信じる所」があってのことだったようで憎めない。先に読んだ曽野綾子との対談「死という最後の未来」とも矛盾なく、読後感も両書共何故か爽やかである。一つ一つの思い出をこのように表現できるのは小説家ならでは、か。でも、最終的に親しみを持てないのは、やはり「違った世界の人間」だから。恵まれた環境で裕福な暮らしで、やろうと思えば何でもできる環境で育ったエリート、であることは間違いない。本当に人々の為に生きる、というのはこの様な人達で、覚悟を決めた人でないとできないことなのかも知れない。これ位自分の意見をクリアに言える政治家が、今どれ位いるのだろうか?望んでしまう。

    日付(22/8/30) ワクチン4回目

4回目のワクチンを打ってきた。1回目、2回目が昨年の7月、3回目は去る3月。何とか感染せずに来ているのはやはりワクチンのお蔭かも知れない。とは思うものの、この間の参院選でも反ワクチンを主張する政党も人気を集めたり、ワクチン陰謀説などというのもあるらしい。確かに新規感染者数を世界や、日本や各自治体ごとにフォローしてみるとホントにワクチンの効果がでているのかな、と思う統計値も多い。おそらくワクチンは回らなかったり、マスクですら十分に供給できなかった国でも先進国と同じように感染者が増え、ピークを迎え、減少している。何があの波型を作り出しているのか分からないと思うことはあった。ビジネス的な見地で言えば、このワクチンビジネスは恐ろしいほどの需要リードのサプライチェーンだった。ビヨンテックのm-RNAタイプの発明・開発とモデルナ・ファイザーの世界への供給は人類史上に残る驚くべき成果だったと言えるだろう。中国製とかロシア製とかも初期の頃には話題になったが、さてどうなったのか。肝心かなめの日本製だって闇の中にある。技術を信じたい当方などは「早く打ちたい」一心で、最初の騒ぎに翻弄されたし、今回の4回目ですら接種券が届いたあと、予約は容易ではなかった。ふと思い出した2〜3週間前にネットを開いたら、偶然今日空きがあるのを見つけて予約した。今回も病院に行ったら3回目と同様、待ち時間なし。あっけなく終わった。自由平等民主主義の最たるものかも知れないが、日本の官庁はやると言えばやるのだ、と思う。ニュースを見る限り新規感染者は相変わらず出ているし、重傷者、死者も止まらない。でも、人々の関心は感染とは異なる方に動いている。「自己責任論」を言っても良い状態が作られたという事か。考えさせられるワクチン問題である。今夜痛くならなければ良いけれど・・・

    日付(22/8/27) 「寿命」のギャップ

最新の平均寿命や健康寿命のデータが話題になる。平均余命や年齢ごとのあと何年生きたいかというアンケート結果、などというものもある。最近の平均寿命のデータは男が81.5歳、女が87.6歳、こんなに男女格差がある。平等なのかな、と思ってしまう。健康寿命の方は男が72.7歳、女は75.4歳、男女差が少し減る。このデータを見て、驚いた。当方はもう健康寿命を突破しているのだ!これは喜ぶべきデータなのだろう。健康寿命は「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」という定義らしく、最近病院の世話になりがちな当方がどちらに入るのか知らないが、おそらく「健康」なのだろう。でもそう考えると確かに70歳を越したころから訃報も多いし、入院や闘病の話もよく耳にする。さて我々はその時の為に何を準備すべきなのか、何を考えながら生を貫くのか、疑問は多い。「笑って」「楽しく」「その時その時を満足して」「積極的に」・・・多くの言葉で語られるがやはり何かに満たされた感覚、満足感の様なものが最も重要なのかも知れない。だから「自己満足だが・・」という感覚が明日に命を繋げる。PC教室を続けていたら、今度はまた追跡調査のお手伝いの様な仕事が入った。この種の頭を使う「仕事」も、自己満足の為には有効である。年齢との闘いと共に年齢に応じた満足感を求める毎日である。やはり当方にとって重要なのは平均寿命ではなく健康寿命の方の様である。

    日付(22/8/22) 「スマートシニア」

この夏もPC教室の講師を依頼されている。IOTの世界の進歩は著しく、もう「講師」など面はゆい。それでもこれまでの経緯もあって、頼まれるとついつい引き受ける。ここ10年間位はマイクロソフトのWINDOWSのOFFICEの内容、ワードとエクセルの使い方の基本という話で繋いできたが、今年初めて「インターネットの基礎」というタイトルの講座を担当した。何しろ我々世代はこんな世界の「教育」など受けたことも無い訳で、いつの間にかスマホを操り、検索をし、メールをやり取りし、最近はZOOMで会議や飲み会迄やっている。その仲間に入りたいと思う人にどんな講座をすれば良いのか、引き受けてしまってから大いに悩んだ。結局は「自分でカチャカチャつついてください。何とかなりますから。」が結論なのだが、それでは講座にならない。ベースとなる常識から、と考えると、携帯電話と、大型電子計算機の歴史を理解するところから、ということになる。便利な各種アプリの紹介まで進めば受講生の眼も輝くのだが、そこまで引っ張っていくのは容易ではない。デジタル社会についていこうとする高齢者をスマートシニアというらしい。どうもこの動きに乗れる人とあきらめる人で二極化が決定的になりつつあるように感じる。これまでは「それも仕方ないな」と思っていたが、それではすまなくなって、ついていかないと人間が務まらなくなるのではないかとさえ感じるようになった。身分証明もできなければ、ワクチンも打てず、行政に物申すこともできない。いやはや「スマート」とは大変なことである。昨日久しぶりに息子の家族がやってきて、家庭のIT化についてさんざん聞かされた。「本当にそれが便利なのかな」、とか「小さなトラブルがあっても大事件だね」とか感じるが、世の中の大変化というのはこうして進んでいくのだろう。でもゲーム機大好きの孫がトランプ(カード)を出してきて、「爺ちゃん、大富豪やろう」という。この子たちの脳はもうデジタルとアナログの区別など何の意味もないのだろう。一緒に遊べる爺ちゃんであるためにも「スマートシニア」、「デジタル老人」の動きには何とか付いて行きたいものである。

    日付(22/8/17) 「癌もどき」理論

当方の病気治療に対する基本的考えに影響を与えたのは慶応大病院の近藤誠先生の「癌もどき」理論だった。その近藤先生が73歳で心不全で亡くなったとのこと。ご冥福を祈りたい。当方はどんな病気でも、どんなケガに対しても人間の自ら持つ「自己回復力」と言うのは非常に強く、医療とか治療とかは基本的にそれに伴う苦しみを抑えるためのものだと思っている。癌もどき理論は「癌には転移しない癌と転移する癌があるので、余りに早期発見・早期治療をするのは意味がない」というもので、癌検診に反対して医学界に大きな論争を呼び起こした。自分の人生を振り返ってもケガでも腹痛でも頭痛でも、色んな病気が「ひとりでに」治った。だから自覚のない病は(特に高齢になると)わざわざ見つけて治療をする必要はないのではないかと思っている。折しもこの度のトラブルで又もや病院にお世話になったが、多くの高齢者で溢れかえっている。当方も救急車のお世話にまでなったが、「苦しみの自覚はあった」訳で、許してもらいたい。この歳になると友人たちと会ってもまずは「病気自慢」から始まる。当方の恐れる「寝たきり患者」になるとその機会も無くなる。何とか病院にも自分で行けて自覚部分を説明して動ける体を保ちたい。この夏は特にそれを考えさせられる。

    日付(22/8/15) 目まぐるしかった夏休み

めったに会えないから、と今年の夏は滋賀に住む次男が伊豆高原の貸別荘を借りてくれてそこで落ち合うことになった。この猛暑の夏にしては珍しく台風8号が来襲。今回は時期が時期なので当方は新幹線で熱海まで。そこからレンタカーとした。なるほど台風が正面に。時々暴風雨の大雨。それでもちゃんと落ち会えて貸別荘へ。見つけるのは大変だがとりあえず綺麗な内装で、外(雨)での料理は無しのバーべキューを楽しんだ。久しぶりに子や孫との会話とお酒を楽しんだ。台風は正に伊豆半島に上陸。翌日は恐る恐る天城にドライブ。でもずっと雨だった。当方はもう一度伊豆高原に戻り、美味いものを食べたいとオーベルジュを予約。大変な雨の中をたどり着いた。美味しいシャンパンとワインで夕食を楽しんだ所までは期待通りだったが、さて温泉に入った後、当方の体調が悪化。前日の暴飲が効いたのか、以前経験したことはあったが手と体の震えとしびれの症状が出始め寝付けない。今回は上半身や口の周り迄ピリッ、ピリッと来るものだから3時前になって遂に救急車を呼んだ。乗り込む時は隊員が疑うほど無症状に近かったが、やはり病院に到着してからも震えに苦しんだ。ヒアリングと診断があって、点滴、血液検査、CTまでやって貰って朝がきた。特に大病の可能性もなさそうで、市原に帰ってから大きな病院で診てもらうことになった。痙攣防止薬が効いた様で我が家に帰り着いたらほぼ正常に戻った。昨夜はぐっすり眠れた。今朝は兎に角診てもらわなくては、と2月に入院した労災病院で長い時間を待った。いきさつを聞いてもらうのがメインで特に対処は無かった。昔の件を含め、やはりアルコール過剰摂取の作用だろうとのこと。注射もレントゲンもなかった。伊東でのCTのデータファイルで脳への問題がないと分かったようで、後はビタミン剤を処方されて帰ってきた。今の所、後遺症も無い様で一言で言えば「単なる酔っ払い症状」と言えるのかも知れない。でもあの痙攣時の不快さは耐えられないものだった。今回の件を大きな教訓として、「飲み過ぎない」よう努力しようと思う。飲酒は今でも人生の喜び・楽しみの一つであるのは変わらないので、「過ぎない」所にポイントを置いてコントロールを図りたい。大変な74歳のお盆だった。両親を含め先に逝った先輩たちからの警告だったのだろうと心している。

    日付(22/8/8) 旧統一教会

安倍元首相暗殺事件まで全く知らなかった旧統一教会の改名、今は世界平和統一家庭連合というらしい。その改名の経緯そのものも関心を集めている。事件以来、毎日のようにこの問題がメディアを賑わし、第三者的に見れば、「容疑者大成功」とまで見られるほど旧統一教会が非難の対象になっている。今日、文芸春秋の(もう)9月号が届いてまず読んだのは「安倍元首相暗殺と統一教会」というトップ記事であった。バラバラの情報でつかめていなかった事の流れを、かなりクリアに捉えることができた。当方の年代では70年代の大学紛争の時代、左派の全学連に対し、表に出ない右派の人達の対象に「原理研究会」があった。表向きは「勝共」であり、保守政治に繋がる右派だったが、「統一教会」に繋がることは聞いていた。キャンパスで目をつけられたか、声をかけられた記憶もある。当方の様な、田舎者ノンポリは狙い目だったのだろう。当方は貧乏学生で、家庭教師に多忙であったのでその種のサークル活動には関心は無かった。(ただ、全学連のビル封鎖の動きには敏感で、機動隊導入の日は研究室を守るための逆封鎖に走ったが・・・)素人受けするボランティアから入る原理研(CARPというらしい)に首を突っ込んでいたらどんな人生が待っていたかわからない。あれ以降も統一教会の拡大は続き、合同結婚式や、霊感商法などもあったが、当方などいつの間にか忘れていた。でも、今回の事件で、もっと大きな拡大を見せている。宗教問題でもあるだけに部外者は口を出しにくいのかも知れないが、これ程までの社会問題になっているとは思わなかった。そこに政治が絡んで集票マシンに変貌していたとは驚きである。これから政治の自浄作用が期待されるが、最も分からないのは、統一教会は主体は韓国であり、日本の戦争責任を問い、基本に「反日」を掲げていることである。なぜ憲法改正や純正保守を謳った岸・安倍家が入れ込んだのか・・・不思議である。この問題は殺人犯の裁判とは別に「政治の正しい進め方」の手法の一方向として議論されるべきだろう。

    日付(22/8/5) ペロシ台湾訪問と中国

遠く離れた東欧での出来事で情報の流れも少ないのか、「戦争」が進んでいるというのに最近ウクライナがニュースのトップに出なくなった。これはこれで怖いことで世界中の人間が「戦争状況慣れ」させられてしまったと言えるのかも知れない。今でも平然と人が人を殺すという状況があることを忘れてはいけないと思う。さて、今度の地球規模の事件としては、米国ペロシ下院議長の東アジア歴訪がある。特に一昨日の台湾訪問には驚いた。中国台頭に対する自由主義圏の恐れの時代である。昔なら「ノーマーク」的関心であり、「専制主義はいずれ自由民主主義の軍門に下る」と信じてきた我々は、「もしかしたらそうならないかも知れない」という恐れを感じ始めている。中国の経済、軍事面の伸張と、コロナ対策などの「危機対応能力」を見た時に、全体主義の力を感じることがあった。おそらく習近平の目標は自由主義圏に対抗できる社会形態の確立であり、そのための台湾統一なのだろう。あれだけの予告を無視されて、黙っている訳にはいかない、という意地を感じる。たった一人の政治家の台湾訪問にしては騒ぎ過ぎで、うまく国内の意思統一に使っているとは感じる。どの国にもその社会を統べる考えがあり、全世界が同一の価値観で統一できるとは思わない。中国の様な複雑な国にはそれなりの方法があるのだろう。でも、ここにきてロシアの侵攻、中国の示威活動、そして米国の圧力のかけ方、などを見ていると、「やっぱり力なのかな」と思わざるを得ない。小さな国は、どう自国を守るのか、その解が欲しい。台湾にも、香港にも頑張って欲しいし、日本もいかにして・・・ということを考え続けなくてはならない。何十年もそれは「金(マネー)」だったけれど・・・

    日付(22/8/1) 熱波

この夏の暑さは特別、と毎年書いている。35℃オーバーも大ニュースにならなくなってきた。「北は涼しい」「故郷の夏は涼しくて・・」なんて言うセリフは言えなくなってきている。当方の故郷、鳥取も今や毎日、全国最高気温を争っている。今日は38℃とか。もう体温オーバーである。体温計でコロナによる発熱が分からなくなる。鳥取でも山奥であったからか、夏になると縁側の雨戸を開け放ち、勿論障子も取り払って、夜は蚊帳を張って、中で風に当たっていた。今では故郷に訊くと、「まさか」と笑われる。山奥でも十分暑いようだ。これが人類が作り出した文明の成果だとしたら、やはり何か求める価値が間違っていたのかも知れない。今やニュースで「我慢しないで適宜冷房を使いましょう」と訴える。節電を訴えながらまだまだ地球を暖め続ける。何とも大きな矛盾である。ただ、人生を科学の中においてきた一人として、あきらめて反省ばかりでは悔いが残る。やはり現代の科学の矛盾を解くのも次の新しい科学であると信じたい。脱炭素も、新しい頑健な植物も、核燃料サイクルも・・人間の知恵で創り出した問題は、やはり人間の知恵で解決したい。歴史は元には戻れないのだから。

    日付(22/7/28) 自由と自律

第7波とか。新型コロナの新規感染者が止まらない。何と今や日本が先進国中で最も多いとか。入国者数を制限し、マスクを推奨し、国民はチャンと守っているようだが、果たして現代の科学は感染症には戦えないのだろうかと首を傾げる。そもそもどの国でもPCR検査が必要な人に全員成されているか、その出発点も怪しい。テレビを観ている限り欧米諸国は既にマスクは終わったとばかりなのに、感染者の急増はない。統計値に対する疑問も止まらない。日本も低年齢層の感染者が増えているとか、もしワクチンが無かったらもっともっと膨大な人数になっていたか、アフリカや未開発国の現状はどうなのか。疑問は止まらない。何年か後にこの時代がどう総括されるのか興味深い。「ゼロコロナ政策」の中国や北朝鮮(?)、ウクライナ戦争の当事者たち、コロナをどう意識しているのか。結局、疑問ばかりの中で我々の出来るのは多くの情報の中で何を信じ、どう自分の身を守るか。加えて、自分の人生をどうコントロールするか。じっと家に籠ってテレビばかりみていて、人生の終わりを待っているのも「時間がもったいない」。楽しみを作ってくれている「大谷翔平君」だって、コロナと闘っている訳で、我々も社会生活とのバランスを考えながら「自分を律しながら」の生き方を探していく必要があるのだろう。自由と自律を考える今日である。

    日付(22/7/24) 国葬の話

政治の話の最後は「リーダーシップ」と言われる。確かに民主主義においては最後は多数決でとは言うものの、半数は反対があるわけでそれを全体の意見として皆従いなさいというのは後味は決して良くはない。でも、やはり税金を使っての国としての葬儀、なんていうのはせめて民主主義で決めて欲しい。安倍元首相の評価は歴史が決めるであろうが、再登板初期の頃に「命をかけて」的政治は魅力的だったし、その価値は認めたい。でも後半の「モリ・カケ・サクラ」の頃の安倍政治は(特に個人の意向が映し出された頃は)歴史に残したいものではない。当方の感想など何の意味も無い訳だが、大抵の場合、国民の「平均的意見」を代表している。もしそうであれば、せめて当方が「フンフンなるほど」と最後シブシブでもウンと云うような落し所にして欲しい。吉田茂なら何となくわかる、佐藤栄作は?中曽根康弘は?竹下登は?と考えてみると歴史に残したい総理はいくらでもいる。佐藤の沖縄返還や中曽根・竹下の消費税導入などは、満場一致でない所に価値があった。安倍政治のアベノミクスはそれ程に評価されるか?気になる国葬である。

    日付(22/7/21) PC教室

PC講座の夏の部が一つ始まった。この種の仕事(?)を始めて10年以上経つが、この分野の中身の変遷の度合いは凄い。初めは、PCでWINDOWSのOFFICEのWORDやEXCELを使えない人に基本を勉強してもらうという講座だったが、ネットやスマホの時代になって、求められる知識が変わってきている。今回、初めて「インターネット」の講座を依頼された。いつの間にか誰でも使っているネットだが、我々世代は当然、ちゃんと習ったことなどない。見よう見まねで使っているのだが、その使い方を「教える」なんて本当に難しい。若者たちは自分たちで使いながら覚えるという技術を身に着けているが、我々はマニュアルを読んでから触る世代である。先日、小学校2年生の孫娘がコロナで学級閉鎖になり、一日預かった。彼女は(一人一台の)タブレットを持ってきて、我が家からリモート教室に入って担任の先生の授業を受け、ちゃんとこなしていた。これを見た時、まず、「高齢の先生」に同情を覚えるとともに、世の中の高齢者が苦戦していることが良く分かった。「我々は知らなくて、できなくて、当然なんだよ」と主張することは簡単だが、それをやると世代間ギャップはどんどん広がっていく。やはり高齢者サイドも後れを取らないよう、せめて孫世代のやっていることを理解はしたい。ネットの講座を始めて、本来こんな教育は誰が担当すべきなんだろうと考えた。歴史の中の大問題である。

    日付(22/7/17) 第7波?

コロナ新規感染者が急増で第7波と言われている。これまでの経過を見てか、政府としては政策としての行動制限はもうやらない様だ。でも、3連休はあり、子供たちの夏休みも近い。これからどんな動きになるのか全く読めない。先週末はクライアントの誘いで静岡に1泊で出役、該社の現状をレビューしてもらった。翌日は東京まで帰って現役時代の同僚のグリーのコンサート。3年ぶりの開催で、良かった。皆さん高齢者なのだが、コロナでたまったうっぷんを晴らすが如く、素晴らしいハーモニーを聞かせてもらった。発声だけでも健康や長寿に有効と聞くけれど、選曲もこれを?と思わせるほどロマンチックな曲、加えてプロのソプラノオペラ歌手との共演。しっかり聞かせてもらった。学生時代のグリークラブのメンバーが長い間のサラリーマン生活を終えて再びこうしてコンサートを開いている。(しかも舞台は東京オペラシティーコンサートホール)行って座っているだけでも価値がある。60〜80歳台主体の高齢者の男声合唱だが、流石に鍛えられていて羨ましかった。十分楽しんだ。今後も継続を祈る。70歳を超えると特に「きょうよう」(今日、用事がある)と「きょういく」(今日、行くところがある)で人生が変わるとつくづく思う。コロナと闘っているだけではどう考えてもつまらない。

    日付(22/7/13) これからの日本は?

コロナがあって、ウクライナ戦争があって、安倍元総理の銃撃事件があった。現代史を振り返る時のターニングポイントとなる出来事である。いずれも「これからの日本」を考える時の大きな条件となる。安倍元総理の逝去も現代の何が根本原因であるか、簡単そうに見えるがそうでもない。ここに及んで新興宗教の関与も取りざたされているが彼らが直接の原因では無さそうだ。ただ、それを含め、現代社会の在り方、価値観、日本人の生き甲斐が問われているのでは、とは感じる。安倍政権のやったことを全否定する気はないが、意外なほど表層的な印象があるのは「世界を飛び回った」感が強すぎて、何が成果だったのかが見えにくいからかも知れない。でも、見通せない暗さから、明るい何かを示そうとしたのは成果だったかも知れない。当方は自民党派閥の中では吉田茂・池田隼人・宮澤喜一など宏池会系の流れに心情的には近いと思うがそう考えれば現在の岸田首相にはこの機にステップアップして欲しい。参議院選挙の結果は個々の派閥勢力はともかく、この政権に託するしかない、という意思表示であった。反自民の勢力は弱く、立民・国民も散々だった。聞いたことも無かった参政党とか、てんでバラバラのNHK党などが政党として認められ声を挙げるなどと思うと、日本は(表面的には)平和なのだな、と思ってしまう。それが良い「平和」なのなら問題はないけれど。これからの日本が心配で仕方ない。

    日付(22/7/9) 安倍元総理銃撃で死去

世界中の人が常識としている「安全な国・日本」で、元総理が選挙運動中に「手製の銃」で撃たれて死去、という事件が起こった。昨日は一日中そのニュースばかり。何とか一命はとりとめて欲しいという願いも空しく、夕方に死去の報が入った。こんなテロが大衆の面前で起こることが信じられないが、間違いなく事実であった。我が国でもこの種の事件は無い訳ではないが、やはり珍しい。当方が真っ先に思いだすのは1960年の社会党浅沼稲次郎委員長の立会演説会での刺殺事件だった。中学時代の弁論大会の題材で使ったことを思いだした。公衆の前での政治家の銃撃は米国の歴史であるが、銃の保持が厳しく制御されている日本で、こんなに簡単に起こったことはやはりショックである。日本史であれ、世界史であれ、小説の中であれ、目立つリーダーがテロで殺される(た)事例は多いし、当方だって例えばプーチンの独裁に対し、「ゴルゴ13の登場が待たれる」などと書いてしまうことがあるのは、こうした反民主主義の短絡的解決を是認する気持ちがあるのだろう。でも昨日一日の動きでは頭には安倍政権の後半の許しがたい政治に対する反感はなかった。まずは「助かって欲しい」と思った。これは子供の頃から植え付けられた民主主義の証左だろう。これで明日の参議院選挙の結果が左右されるとは思わないが(もしかしたら自民党に有利に働く?)、今後の政局への影響は大きいだろう。根本対策として今詰めるべきはこれ程の殺傷能力のある銃を日本で容易に作ることができるという事実に対する検証だろう。米国の銃規制についてとやかく言える状態ではない。アベノミクスを打ち出したころの安倍首相を思いだしながら冥福を祈りたい。

    日付(22/7/7) 関数電卓

電卓を使うのも四則計算のみ、スマホの計算機で十分なのだがずっと使っていた電卓が壊れたので通販で新しいのを買いたくなった。調べてみてビックリ。若い頃カシオとシャープが電卓を売り出した。当時当方はまだ大学生。計算はタイガー計算機というメカニカル計算機だった。それと計算尺というものもあって、この二つが算盤の次のステップで、授業や卒論の計算の主役だった。そこに電卓が現れた。よく覚えているのは世話になった助手が海外に研究で留学することになり、「この種の電卓で、ルートができてメモリーが2個以上の物が出来れば10万円でも買って持って行きたい」と言っていた。それがいつの間にやら1000円でも買える玩具になった。今回、四則算だけの電卓を買おうと思ったら、何と昔憧れていた関数電卓がものすごく安価。微積分から3次元方程式が解けるなど559関数が可能で2000円以下。今何も関数が必要なわけではないが昔憧れた多機能電卓が余りに安価に入手できるものだからついつい買ってしまった。と同時にこの分野の変化の度合いに呆れてしまった。あの頃ちょっとした計算をするために高度な電卓が欲しくて仕方なかった。進歩の度に電卓を買い、それがPCになり・・・時代は変わってしまった。logとかlnとかを数表を使って計算していた、なんて言えばそれだけで旧人類であろう。安価で高度な関数電卓を前にしてタメ息をついている。

    日付(22/7/3) 戦争中なんだけれど

欧米の話だとは言っても、今回のウクライナ戦争は多くの面から「ひとごと」ではない。(元)大国ロシアによる「力による一方的な」侵略戦争であること。これをやられると「専守防衛」を宣言している日本としては、まず「攻められる」ところからスタートせざるを得ない。次は「安保同盟」の問題。日米安保が本当に抑止力になるのかどうか。最初から負けていると言われ、本当に(戦略)核を使うのではないかと早い段階から言われているプーチンもさすがに核兵器のボタンは押さない。「核」の脅威は世界中がよく認識していると思っている。だからこそ言えるのはもし中国による台湾侵攻(進攻?)が現実化したとしても、核戦争にはならない。裏返せば米国が日本を核戦力で守るというのは非常に考えにくい。おそらくそれは人類の守るべき最後の一線なのではないか。トランプからバイデンへの米国の動きは日米同盟の根本的危うさを見せてくれている。ウクライナ戦争が武力による闘いから、今やエネルギー源や食料危機の問題になっているのをみると、これが日本で起きたらどうなるのだろうと思ってしまう。でも、グローバリゼーションのお蔭で現在を築いた日本としては、ここで今更ナショナリズムに戻る術はない。この国はやはり「八方美人」路線を歩んでいくしかないと思う。仏のE.トッドという学者が「日本核武装」論を言っている。基本は「核戦争は起きない」ではあるが、戦争抑止をどうするかのポイントである。このところこの戦争に関わる本や記事を多く読んでいる。メディアの扱いはいつの間にか流れを作っているけれど、日本には日本の意見を形成していく正道が欲しい。折しも参議院選挙の真っ最中である。国の将来のあるべき姿を考えるまたとない機会と言えるのではないか。でも今の政党や候補者にどこまでそれを問い詰めている人達がいるのだろう。この件は暗澹たる気持ちにさせられる。

    日付(22/6/29) 映画「峠 最後のサムライ」

何年ぶりだろうか、映画を観に行った。司馬遼太郎の「峠」が映画化されたのは聞いていた。司馬ファン、河井ファンとしては無視できない。司馬遼太郎の維新の英雄の中で坂本龍馬が突出しているが、当方は倒幕派では花神の大村益次郎(技術屋武士)、佐幕派では河井継之助が好きでよく若い人達に紹介していた。河井は長岡では有名かも知れないが歴史上では目立たない。司馬遼太郎がスターに仕立て上げた感はある。予想通り映画化は難しく、感動を呼ぶシーンは少なかった。小説では家老になるまでもしっかり書かれていて氏素性も背景となっているが、映画では家老・河井としてスタートした。人間を描くにはやはり「経過」が必要である。役所広司もいつの間にか家老の俳優である。小説では越後の小藩がガトリング砲まで購入して独立まで考えると言ったあたりがポイントだがそのあたりは焦点が当たらず。でも戊辰戦争が結局会津戦争までやらざるを得なくなる流れは伺える。久しぶりの戦争物で楽しむというより同じ様な殺し合いが今正にウクライナで進行しているのだと思い、やや愕然とした。コロナで公開が遅れた映画らしいが、ロシアを待っていたか・・・

    日付(22/6/25) オダジマ逝く

現役時代は雑誌と言えばまず「日経ビジネス」だった。会社でも購入していて回覧対象だったが、なかなか落ち着いて読めず個人でも購読していた。コラムニストの小田島隆さんのコラムは何故か気になって愛読(とはいえないか)していた。世評というか、やや斜に構えた批評で面白おかしく、でも真剣ではあったようだった。リタイアしてから日経ビジネスは止めたが、ネットを通じて「ア・ピース・オブ警句」には目を通していた。数年前に脳梗塞で体調を崩していたのは知っていたが、それでもコラムは続いていた。それが6月24日に亡くなったらしい。65歳の若さだったようだ。例えばウクライナ戦争の様な世の中全体の関心事には、自分も一家言あるのに、当たり前のことは言えず、回りくどい言い方で、でも最後は言わざるを得ない、といった感じの恥じる「若さ」を持て余した感じの人だった。今日の新聞やメディアではかなり大きく取り上げられた。注目の意見代表だったのだろう。ファン(?)としては惜しまれる。本当はこの種の人が政治家になってくれれば少なくとも多くの人が「聞く耳」を育てるかも知れない。折しも参議院選挙が公示になった。ワクワクはしない。どうすれば投票率が70%を越すか?彼なら何を言うだろうか?冥福を祈りたい。

    日付(22/6/21) 画面の縦横比

クローズアップ現代でやっていたと思うが縦横比の話は面白かった。昔から「テレビの画面は何故横長なのか?」という疑問は感じていたが、考えてみれば写真もそうである。この番組では最近の写真のスマホ化とからめていた。確かにスマホは殆ど縦長の画面で用いられ、スマホで撮った写真も縦長の物が多い。番組の解説では縦長の方が詳細を捕え、集中感もあるとのこと。一方横長は(パロラマ写真で分かる様に)広がりとか開放感に繋がるようだ。あえて文化論に派生すると横長の方が「広い視野」につながり、縦長の方が「真理を突き詰める」的な感じなのかも知れない。今はディスプレーの高機能化も進んでいるので、テレビ番組でも縦長画面を横に並べたケースもよく見かける。パワーポイントのプレゼンでも縦長の方が良いのにと思ったことは何度もあった。こんな研究が進めば妥協案としてテレビもディスプレーも写真も書類も、正方形に収斂していくかも知れない。でも正方形に長方形を2枚入れるのは細長過ぎるかも・・なんて思っている。いやいや有機ELのディスプレーはどんな表面でも映し出せるとか・・この議論の行きつく先はスーパーマルチ画面のディスプレーかも。その次は3Dの「飛び出す画面」だろうし・・・この種の研究開発をしている人は沢山いるのだろう。

    日付(22/6/17) DVD「太平洋戦争」

昨年末だったか3男がDVDを一箱もってきて置いて帰った。先日義娘のお父さんが亡くなったがその家庭においてあったものとか。「何とでも処分して」と置いていった。太平洋戦争の記録のDVD全10巻、何れゆっくり観ようと思っていた。今回、自分が入院して人生を振り返り、ウクライナ戦争が進み、そして購入された本人が亡くなられ、これはこの機に見ておかなくては、と何となく思った。観始めたら止まらず、3日間で計10時間、集中した。戦後以降を「現代」と呼ぶなら、太平洋戦争は正に近代の終わりであるが、学校教育でちゃんと教わったという記憶がない。でも歴史教育という目でみれば本当にチャンと学ぶべき内容である。以前、「失敗の本質」という名著で、この戦争の大失敗部分を学んだが、今回は画像で歴史を追えた。こんな10時間は貴重である。時々戦争に行っていた先人を想い、故郷時代の自分を思い、そして今のウクライナ戦争の今後を考えた。「戦争なんてしてはならない」と当然のように口にしているけれど「平和の為の戦争」という矛盾をベースに今を考えると「自由と平等」と同じように突き詰めてくる何かがある。今の日本が立っている平和な時代がいかにあてにならないものなのかも思い知る。ここで再度復習して本当に良かった、と亡き親戚に改めて感謝した。(内容は趣味「太平洋戦争」に)

    日付(22/6/15) 半年ぶりのゴルフ

退院した後、散歩、食事、飲酒、旅行、仕事など順に元通りで大丈夫なことを確認してきた。唯一残っていたのがゴルフ、予定表上は2回あったのだが、都合がつかずキャンセルしてきた。1月にやって以来のことで何となく怖い感じもあった。何しろ、まるで練習場にも行かず準備というものをしないヘタゴルファーなのだが、あの自然の中をボールを追いつつ散歩するのは捨て難い。今回は、スタートの空振りは厭なので、珍しく打ちっぱなしにも行って一昨日ようやくコンペに出た。親会社の同期入社のコンペ、意外に続いている。(当然、)お爺さんばかりのコンペなのだが、とにかく皆さんゴルフ熱心、終わった途端に次回の予定を組むくらい。当方はただでさえHCマックスなのだが、今回は途中棄権だけはしたくないと「18H完走」を第一目標においた。途中空振りもあったが、とにかく楽しく18H完走。前半で少しでもクラっときたりしたら途中棄権もとまで心の準備はしていたので、梅雨の晴れ間の好天下、眩しいばかりの緑の中で少し汗をかきながらいっぱい叩いて満足だった。まだゴルフも付いて行けそうだ、と思った。コロナ対策には、やはり対話、スポーツ、そして一杯飲むことが重要だと思った。これで今年もちょっとした仕事が加わればいう事はない。先を見ながら生きていける。達成感すら感じた一日だった。

    日付(22/6/12) グローバリゼーション

こうして戦争が起こったりするとグローバリゼーションに対する風当たりが強い。とはいえ、今の日本に自給自足の生活をしろと言われても不可能である。令和2年の日本のカロリーベースの自給率は37%とか、到底国民が生きていける状態ではない。こうして世界の中で、安全・安心な国としていられるのはひとえに戦後の「グローバリゼーション」のお蔭であり、「不戦の誓い」のお蔭である。世界がどんなにナショナリズムに流れようと、この国は自分だけでは生きていけない。ウクライナ戦争もいよいよ食糧危機に繋がってきた。これをグローバリゼーションの弊害などという人達もいるようだが、経済面でのグローバリゼーションはとっくに世界を支配している。コロナ禍がスタートした時、期待していなかった支援金が配られた。懐に入れるのが心苦しく普段考えない「寄付」を思いつき、色々調べて、ユニセフやWFP(国連食糧計画)、国境なき医師団、それに故郷への納税などまさに自己満足の為だったが寄付をした。今回はTVを見ているだけでWFPに何かしたくなった。グローバリゼーションの恩恵に守られた日本人はこんな時こそ「何か」しなければ、と思う。世界平和の為になどと大風呂敷を広げるつもりは毛頭ないけれど何かできることはないかという気持ちにはなる。歳を経るに従い、発想がどんどん単純素朴になっていくように思うけれど。

    日付(22/6/8) 訃報の話

暗い話が多くなるのもやはり年齢のせいなのか、毎日のように親しかった人の訃報を知る。明日は親戚の送る会、今日は5月に亡くなったお世話になった元上司の訃報連絡。色んな幹事を引き受けているものだから昔を知っている人達には回覧する。メールの有難さで、Distribution-Listを使うと大人数にながすことが出来る。さて、5月に亡くなったのに何故1か月も耳に入らなかったのか、親しかっただけに不思議になる。コロナ以降、いわゆる「家族葬」が普通になり大きな葬儀は減ってきた。もしかするとそれよりも、亡くなる人が「葬儀不要」と言い残すケースも多いとか。加えて、孤独死も増えている様でこの場合は死亡確認にまで時間がかかる。色んな理由で葬儀は地味になっているようだ。加えて訃報の連絡も色んな制限があるようで、「個人情報保護」の理由で企業では訃報を流さないケースもあるとか。当方の様にOB会の会員には回覧しておこうと親切心で回しているのは単純すぎるのかも知れない。でも、生前親しくした人が亡くなってもいつまでも知らないままというのもそれはそれで寂しい。葬儀で久しぶりに会って、ちょっと杯を交わして思い出話をして送る、というのも先人たちの築いた良い風習だった、なんて言っているのはもう過去の人なのだろう。こんな話題になること自体が・・・

    日付(22/6/4) 血圧計

2月の入院はそもそもは消化器系の病気(大腸の憩室出血)だったが途中で軽い脳血栓を言われて驚いた。察するにすぐにそちらの点滴をやって貰ったが故に何事も無かったが、おそらく当方の命取りは循環器系病だと思っている。そこで重要なのは「血圧」。30代から高血圧と闘ってきた。最初は35歳の鎌倉だったが、最低血圧が100を越して薬を飲むようになった。薬を飲み続けているお蔭か、高い方で150前後、低い方は80前後でデータとして高血圧を意識することはない。今回の入院騒ぎで、退院後やはり血圧を測らねばと思い、まずネットでテルモのアームイン血圧計とやらを購入した。腕を通すだけの簡単なタイプなのだが、これが一向に測定値が安定しない。データを医者にもっていくが、医院の血圧計では「低血圧」を心配するような値しかでない。結局、自分の血圧が高いのか低いのかすら分からず、前回薬局でもう一つのカフを巻くタイプを購入した。これで測定すると安定した値は得られるのだが、果たして高血圧かどうかが判定ができない。血圧の測定値がこれほどいい加減なものだとは認識がなかった。以前から腕に巻くタイプとか、流行りのスマートウオッチとか、血圧が計れるものはいくつもあるのだが、どの値が正しいのかまるで分からない。結局、医院で計ってくれるものを正しいと信じるしかない。ただどうみても現在高血圧とは思えないので、気にしないでいこうと思うようになった。薬は飲んでいるし、定期的に医者に行くことにしたし・・・高齢者の医者通いにも面倒なことが多い。

    日付(22/5/31) テレビ買い替え

我が家のカラーテレビは当方の現役最後の頃に購入してもう12年が経った。途中一度映りが悪くなって修理に来てもらったことがあったが、ここ数か月前から右に5cm幅程度の色変わり筋が現れるようになり、その頻度が次第に増加してきた。12年前に購入した時は有名なディスプレー戦争の真っ只中で、液晶にプラズマが挑戦していた。何しろ新しいもの好きで、加えてこの時は当方の親会社がプラズマ陣営のプレーヤーの一角だったものだから、量販店で液晶画面と並べて比較しながら「やはりプラズマの方が綺麗」と判定し、大きい方が有利と42型を購入した。今ほど消費電力とか、価格にも敏感でなかったものだから良い買い物をした、と満足だった。ところが2010年代に入り液晶ディスプレーの評価がどんどん上がり、大型画面にも対応できるようになって、軍配は液晶に上がり、プラズマは特殊用途にのみに生き残ることになった。まるでビデオ戦争のベータとVHSの再現となった。そんなことを思い出しながら次のTVを選んだが、今回はどちらかというとコストパーフォーマンス。電気代は液晶で問題なく、ちょっと気にしたのは画面の綺麗さ。これも液晶の実績にはかなわない。有機ELのクリアさにも気は引かれたが、いとも簡単に液晶49型に決めた。応接間のテレビの居場所のサイズを計って行ったけれど、あえて55型までの大きさにチャレンジする気にはならなかった。何しろ今のプラズマで綺麗に見え続ければ何ら問題は無い訳で、これまた時の変遷を感じざるを得なかった。今や若者はテレビを観ない、とか。U-Tubeとかデジカメやスマホとのマッチングの方が重要なようだ。次回、孫達が来るときに、「爺ちゃん、なんで○○が付いていないの?」と言われるのが怖い。

    日付(22/5/28) OB会幹事会

このご時世なので、OB会などの活動も全くなし、何もしないという決定をするための幹事会も一昨年の9月が最後だった。一昨日、1年半ぶりに幹事が集まった。やはりこうしてフェーストウフェースで会って話すことの心地よさを味わった。当然、今回の結論も新年度の活動の休止だが、再開のタイミングが見えてきて、具体的スケジュールを仮定できる喜びはあった。幹事メンバーも何とか日々のやりがいを探しながらその日を待っている。悔しいのはやはり、我々も会員全員もちゃんと年齢を経ていることで、どうしても話題は病気や健康の話になってしまう。OB会が訃報の連絡網になってしまうのは余りに寂しい。メンバーと顔を合わせ、お互いの無事を喜び合う日が待ち遠しい。昨日、結果報告を会員にメールしたら、次々と受領の知らせと近況が届く。皆さんが、「つながり」を待っているのを実感する。今年の総会の延期は決めたけれど、来年は何とか、と祈る思いである。

    日付(22/5/24) 南房総ドライブ

まだそれほどの自信はないのだが、当方の快気祝い/その他の理由をつけて南房総のオーベルジュにドライブした。家内の妹家族3人の同行となって5人の旅行。考えてみればそんなことはここ3年、計画さえできなかった。入院して健康を意識したものだからコロナ何するものぞ、と言った勇気か。でもやはり運転は緊張した。軽症とは言え「脳梗塞」と診断され、左手に不自由を感じたり、リハビリを受けたりした訳で、チャンと運転できるかはかなりの関心事だった。とりあえず無事帰宅出来て、何となくホッとしている。まだまだ観光地は元には戻っていないようだが、経済を回すことも重要なのだろう。食べて、入浴して、少し歩いて、だけだったが、好天下のリハビリテーションだった。2週続けてのミニ旅行で、何とか体力が戻ってきたかと自覚している。次は頭の方で、調査の仕事も再開できるかどうか、7月にはPC教室も依頼がきている。予定表に何か入れて、その準備をしながら毎日を過ごすという生活に一歩ずつ戻っている。健康に感謝、である。

    日付(22/5/21) ウクライナ戦争を読む

メディアを追う限り先の見えない状況だが、今朝の新聞で講談社から「ウクライナの未来・プーチンの運命」という本が発行されているのを知り、ネットで電子版を購入。数時間で読んだ。このスピード感には呆れる。まるで新聞記事を読んでいるようなものだったが、世界の賢人12人(ハラリ、ファーガソン、チョムスキー、ブルーム、エルチャニノフ、ソローキン、メリデール、ピケティ、コーエン、フクヤマ、ソロス、ボルトン、ケーガン)のこの戦争に対する意見がリストアップされた。ちょっとインタビューに応えただけ的ないい加減なものもあるがそれぞれ面白かった。流石にプーチンは正しいという意見は無いが、ロシア史の中での位置付けは面白い。大国、米国の責任、東アジア・中国問題への拡大など考えさせられる意見が多い。プーチン自身の思想、行動の変遷なども理解の助けにはなる。根本的に知りたいのは「何故、今、こんな人・行動がでてきたのか?」なのだが、誰も必然性までは語れない。日本にいると現実問題として捉えられない戦争だが、毎日血が流れているのは事実なのだから・・・ゴルゴ13を期待してしまう。

    日付(22/5/18) 雪の大谷回廊再び

3月に病から明けて、とても雪景色を見たいと思った。春の雪景色と言えばと思いだしたのは立山・室堂の雪の大谷。そこで急遽ツアーを申し込んで一昨日・昨日の一泊二日でアルペンルートに行ってきた。今年は最高18mの壁とニュースで見たものだから12年前のリタイア後すぐに行ったツアーと比較するつもりであった。今回は逆回りでまず立山から室堂へ、夕方15mの大谷を歩いた、室堂に泊った翌日はアルペンルートで大町へ。あっという間の旅であった。これで今冬も雪景色を味わった。確かに回廊は高かったかも知れないが、いつの間にか除雪の道路幅が2倍になっていて迫力は12年前の方が強かったような気がする。でも、病明けの自然の中の旅は生きている実感を味わうには十分。何となく「明日も生きよう」と言う気にさせてくれた。自然の空気の中を歩くだけで精神的に救われる。蒼空と言うほどの天気では無かったが雨には降られず、立山連峰・後ろ立山連峰を満喫した。コロナのお蔭が流石に観光客は少なく、良い機会といえる度だった。時々スマホでニュースを見ながら今戦争のさなかにいる人達を思った。何とも矛盾である。

    日付(22/5/14) 笑っているのは

昔から、米国経済には戦争が欠かせない。世界のどこかで戦争をしていないと、経済は勿論、技術進歩さえ止まると言われる。これまでも中東を始めとして世界のどこかで戦争が続き、その裏では必ず米国軍需産業が動いている、と言われてきた。今回のウクライナ戦争はプーチンの戦争であり、米国はNATOの一員としての関りであるが、ただプーチンがここまで思い切った背景としてNATOやウクライナでの対露戦争準備の充実があったのは確からしい。「軍需」を準備していたのは本当なのだろう。その効果か、大国ロシアを向こうに回してウクライナの戦いぶりは凄い。この時点においても世界の世論を味方にし、米国やEUから強力な軍需品供給を受け、奮闘している。このままいくと戦争の長期化が見込まれ、泥沼化の様相が見える。こんな状況を作って誰が喜ぶのか、と考えた時、また「米国軍需産業」である。今ウクライナで消費されている弾薬類の相当部分は米国製であろうし、NATO各国から提供されているものもかなりは米国製であろう。朝鮮戦争時の日本の急発展(復興)と同様の経済伸張が生じる可能性がある。人類の生命が失われる時、往々にしてこの種の経済発展が起こり得る。おそらく日本でもこの混乱の中での一儲けを考えている多くの人達がいるのだろう。世界がロシアを責め立てる今、米国が笑っているように見えるのは穿った見方だろうか。

    日付(22/5/10) 今、グローバリゼーションを考える

当方の様に田舎の貧乏人出身の者には「グローバリゼーション」とか「新自由主義」は手放したくない価値であった。戦後の日本の驚異的復興も経済面の競争力も、おそらく日本人の自負もそのおかげだろう。当方もこうしてノンビリ(?)リタイア生活が出来ているのはその変化の中を生きた証と言えるのかも知れない。だから、「グローバリズムが現在の日本を作った」という歴史は大きな価値だと思っている。これがなければ、東南アジア、中東、中南米、アフリカの国々同様、まだ「食うにも困る」国であり続けただろう。そして今、グローバリゼーションへの風当たりが強い。米国も、中国も、ロシアも、おそらくEUも、まず「自分たちが一等賞」を目指し、そのための仲間つくり、グループ作りに励む。さて、日本はどうすれば良いのか、武器として使える資源はない、がむしゃらに働く手足・頭(人的資源)もない、今使えそうなのはこの70年で稼いできた金融財産。それもだんだん食いつぶされていく。安全保障は日米安保に頼り、ビジネスマーケットはグローバルに頼り、良い所どりで良い目をしてきたが、さて、これからどう世界と付き合うか、難しい時代になった。人口が増えないのであれば、再度江戸時代の鎖国に戻るか、それともあちこちに良い顔をして「八方美人」を許してもらうか、いずれにしても容易では無い時代になってきた。「経済力」だけでは平和は買えない、と思わせる昨今である。

    日付(22/5/6) ウイズコロナ

久しぶりにお声がかかって東京へ。昼食を取ったり話を聞いたり、帰りには銀座の百貨店で買い物。テレビでは見ていたが確かに「動いている」感はある。まだ電車は空いているように思うが、これは「働き方の変化」の結果だろうか。百貨店の食品売り場は懐かしく思うほどの人。食べ物への関心が高まっているとか、有名店には列ができている。「内食」志向は本物なのか。これらもみんなコロナによる変化の結果だろうか。人ごみの中を歩いているだけで、平和な日本の今を知る。最近はコロナを感じるより今起きている戦争の方を強く感じるようになった。ある意味、世界の不平等の典型で、国や地域の格差を感じざるを得ない。さて、我々一般の日本人は今、何を思い、何をすべきなのか。与えられた環境で精一杯生きるとは何をすることなのか、若者向けテレビドラマの中の台詞の様に感じる。「個人の無力感」を感じるが、それは即ち「できるだけ自分の人生を自分で生きる」ということか。コロナに振り回され、内向きになっている社会を「次世代の為にも、より明るく希望が持てる社会に」と考える。ウイズコロナの中に平和を入れて、「ピースウイズコロナ」と言える明日を目指したいものだと感じる。日本人の、だけでは駄目だと思うことが多い。久しぶりの「考える銀ブラ」。

    日付(22/5/2) ゴールデンウイーク

ゴールデンウイークの真っ只中。徐々に旅行客は増えているようではあるが、コロナ前とは違ったレベル、とか。こうして色んな習慣が「コロナを機に」変わっていくのだろう。コロナ、ウクライナ戦争、自分自身の体調変化(加齢)と、どれを取ってみても暗い変化である。何とかポジティブに時間を過ごそうと手を変え、品を替えトライしている。久しぶりに天皇賞を買ってみた。本命買いの素人競馬だが余りのド本命のみではOUTのみでINがない。そこで今回は本命2頭に面白そうな馬を4頭選び3連複を4枚買った。その内の1枚がズバリ。15倍の配当を手にした。また今後の資金に回せる。中継を観ながら、「イケイケ」と叫んではみても、やはり若い時には勝てない。「ヤッター」と思ってもそれで終わる。この体調ではこれからはやはりスポーツかなと思っているが散歩も今は8000歩レベル。1万歩に徐々に近づけている段階。今日は4か月ぶりにクラブを握ってみたがまるで燃えない。100発で沈んだ。こりゃ重症だわと思っている。こういう時は結局読書に戻る。今は磯田道史の「無私の日本人」を電子書籍で読んでいる。「無私」を考えている。良い機会なのかも知れない。さて、GWの後半、何か見つかるかどうか・・・

    日付(22/4/29) 車検終了

70歳を越してから運転を考える。何しろ高齢者の運転事故が続くから。まず免許証切り替え。これは2年前。そして昨年末のセカンドカー(軽自動車)の処分、そして今回の普通車の車検。何と13年目の車検である。勿論、ディーラーの新車売り込みの攻勢はあったが、相手は「廃車」、流石に向こうも車検で手を打った。例え近隣の買い物用とは言え、やはり事故は怖い。昨年からトランスミションだの(壊れかけていた)バックミラーだの交換して、今回は4本のラジアルタイヤを全交換。おかげで中古の軽自動車が購入できるほどの出費となった。ただ、夫婦の年齢や体力を元に戻すことはできない。注意しながら乗るしかない。これは悔しいが、視力迄悪くなるとなお一層で、当方のバスの利用はまたまた増えていく。問題なのは健康のバロメーターのゴルフ。これにも車は必須。運転を続けたいもう一つの理由である。現役の頃、開発に関わった車に使われる材料は何でも寿命10年を目指していた。10年の耐久テストなんて大変な作業だったが、今消費者サイドに立ってみればどんなものでも10年の耐久性なんてヘッチャラ(でなくてはならない)。日本製製品に対する信頼感は強い。次男の乗るランドクルーザーはもう20年に近いが、チャンと動いている。我々の生きた日本の築いた信頼性の中で生きていることを実感する。新品の素晴らしさも競争力かも知れないが、この種の耐久性が高いのは正に強力な技術力と言える。このカムリ、あと何年乗れるだろうか。

    日付(22/4/26) 消えたビッグイベント

1週間前、米国から結婚式の招待状が届いた。メールでのやりとりなども全くなく正に突然のできごと。現役の頃の友人で非常に親しくしてきた家族があって、そこの長男からであった。ホントのInvitation Cardのみで個人的メッセージは何も無し。ホンキかなと思いながら、でも付き合いが長いこともあって、招待してくれたことが嬉しく、早速両親(友人)にメールで確認、同時に、参加する場合のケーススタディに入った。場所はシカゴ近郊、友人の住むのはミネアポリス。久しぶりの海外旅行も悪くないとチケット料金を調べたり・・・でも6月の米国か、日本や米国のコロナの旅行制限はどうかな・・・等等。そうしている内に返事が届き、状況も分かってきた。こちらが行くと言えば先方は非常に喜んではくれそうだが・・・でもな、コロナと先日の入院と、今の円安と・・・次第に迷ってきた。彼らも「Invitationは気にしなくても結婚の挨拶状だと思って」と言ってきたものだから結局、パスさせてもらうことにした。あと半年後ならもっと積極的に検討したかもしれないけれど。でも、このおかげでパスポートが切れていることを確認し、日本や米国の政府の現在の観光旅行の制約などを調べて、やはりチョット遅らせて行くかという結論になった。現役の頃には海外出張など「もうゴメン」といった頻度の時期もあったのに、こうしてリタイアすると、ケーススタディだけで緊張した。もう一つは先の入院の影響。米国での運転など出来るかな、とこれも緊張のネタ。やはり年齢とも戦わねばならない様だ。結婚する若夫婦のことはそっちのけで久しぶりの机上の旅を楽しんだ。さて本当に彼らにもう一度会える日が来るのだろうか・・・

    日付(22/4/23) 大きな変動の中で

大きな自然災害の時でも社会政治問題の時でも世の中の大きな変動がある時、現代の特徴は何といっても「情報」の伝わり方である。「フェークニュース」と言う言葉が普通に使われるようになったがそれは「受け取る側に求められる判断能力」である。我々一般人にとって情報はあくまでGiven(与えられるもの)であって今やその数が無限にある。読むもの、観るもの、聞くもの・・その中から「本当の姿」を探す毎日である。昨日、久しぶりに大学時代からの友人と食事をした。彼が東京に出てくるとのことで連絡をくれた。いつもなら夕食でゆっくり飲むのだが、そこはコロナ禍の中の高齢者ということもあって、レストランでのランチとなった。真昼間からシャンパンやワインを楽しみながら食事と会話を楽しんだ。同じ時にウクライナではロシアの侵攻が進み、平和が崩れ、国連の価値に疑問符が付き、為替は大荒れ、遂に円は130円に近づこうとしている。それでも米国景気は過熱気味、日本の企業業績も好調に推移、庶民の景気感覚もフワッとしている。コロナで苦しい人もいるのは良く分かるのに一人一人は何とはなく「普通に暮らしている」。誰もが色んな情報を得て今後に対する不安を感じながら、でも平和に生きている。TVのニュースを見ながら誰もが「これが現実なの?」と思っている。ミャンマーでもアフガニスタンでも、スリランカでも、そして日本の周辺でも多くの変化が進んでいる。でも、それらの全てを知るのは情報から自分の脳へのインプット。何が真実で何が正しいのか誰かが教えてくれるわけでもない。今日ガソリンを入れた。170円/リットルを超えていたものが150円/リットル台になっている。これは目の前の現実、自分のフトコロへの影響である。さて、これから情報と現実の中で何が起こっていくのか「不可思議な時代」に生きていることを実感する。

    日付(22/4/18) 核武装

プーチンが核を使うのではないかという話が具体性をもって伝えられるようになった。当方が核に目覚めたのは一つは小学生の時、恩師の家で目にした「原爆の広島」の写真集。その後、原爆資料館を2回も訪れた。次は大学生で読んだ「渚にて」という小説(後で映画も観た)。この二つの印象は強烈であった。今、日本の核武装についても語られている。安倍元首相は「核共有」を議論すべきとの提案をしている。今月の文芸春秋ではエマニュエル・トッド氏が「日本核武装のすすめ」を投稿している。これを読んでいて急ぎ彼の「老人支配国家・日本の危機」を購入、読んでいる。これはなかなか示唆に富んだ本で核の問題より、人口問題からみた世界の将来と言った内容で、現在のコロナやウクライナ戦争の時代について考えさせられる点が多い。この人の発想も「核は使ったら人類は終わる」という「渚にて」的考えがベースであり、「使う為ではなく抑止力として持つべき」という意見で「米国が日本のために核を使うなどあり得ない」という立場での議論である。当方も、それは日米安保の限界点だと思っている。実際に使用されたら地球の終わりと覚悟をすべきだと思っていたが、ここにきて超小型核だとかより安全な(?)核だとかという現実核さえ話題になる様になってきている。以前にも書いた(20/8/24)が当方は「核爆弾製造能力抑止力」に予算をつけるべきだと思っている。現在の日本の技術陣の英知を絞って原材料から製造プロセスまで、Goと言われてから核弾頭完成までの具体的フローを作り世界に発表する。原材料だけは揃えて於いて部品も作らず中間品の在庫も持たず、ただ一たびGoと言われれば○○日で核弾頭を完成させる能力を常に整備しておいていつでもスタートできる体制を準備しておく。現在の核保有国でも議論になってから実際に発射ボタンが押されるまでに何日間かかるか?おそらくどの国でもそう容易ではないはずだから・・・日本は研究開発には力を入れて、○○日の短縮を図っていく。それを逐次世界に発表してその能力を示し続ける。そんな戦略は取れないだろうか。PossibilityとReality、Capabilityで世界の眼を見張らせることが出来たら・・・そんなことを夢見る。ただトッド氏の言うように「核の意味は抑止力」でないとこの議論は頓挫する。プーチンは今すぐにでも発射できるかも知れないのだから・・・第3次世界大戦は容易に地球の終わりをもたらす。

    日付(22/4/15) 実は視力も

体力が徐々に安定してきて、2月〜3月の入院の中身を振り返っている。消化器系(大腸出血)が直接の原因だったのに、入院してから循環器系(軽い脳梗塞)の病となった。入院中だからアクションも速く、結局因果関係も良く分からぬまま回復、退院となった。左手不自由もいつの間にか解消、今はほぼ元通り。良く分からないのが視力。左手に不自由を感じた頃から視力が不安定。右目と左目で大きな差がある。白内障の手術をした病院に行きはじめたが流石にすぐは分からない。左は黄斑変性で水が溜まっているせいで視力が落ちている。右は以前からチェックを続けている緑内障がやや進行しているとか、継続観察となっている。いずれも加齢症状の一部で、早くメガネを更新したいのだが左は薬で少しづつ良くなっているらしく、メガネはもう少し待ったら、とのこと。退院と共に歯医者にも行っている。これは入院とは関係なさそうだが、左上の修理歯がポロリ。まさかと思いながら通っている。いずれも一言でいえば老化現象の表面化、か。仕方ないなと思いながら医者通いは順調に増えている。

    日付(22/4/12) 久しぶりの飲み会

とにかく外出の機会は少ない。今年は特に医者ばかり。昨日、本当に久しぶりに昔の仲間が「昼飲み会」。ネット飲み会では我慢できず、「まんぼう」も終わったところで、妥協案は「昼」飲み会。のこのこ東京まで出かけた。姉ヶ崎駅で電車に乗って、しばらくスマホでピコピコ。その途中でマスクをしていないことに気づいて真っ青。ポケットにもバッグにもなく、周りをきょろきょろしたが誰も知らん顔。ただ100%マスクをしている。仕方が無いので千葉駅で途中下車、買い込んだ。改めて日本人の「一律性」に恐れ入った。確かに外国人が見たら気味悪いかも知れない。「ワクチン3回接種バッジ」でも良いのにとも思った。さて、東京では「厳選4人限定」、15時から2時間限定。始まると久しぶりに会うと話題も止まらない。個々の近況、共通の知人の最近の話題・・身近な所から始まって時々ウクライナ。あっと言う間の2時間だった。マスクの話題も一瞬で終わった。飲み会も「一律性」か。こうして社会を感じるとやはり、何かを失っているような気がする。自分が独自の人生を歩んでいるという「自信」か。もしかしたら「自分には広くて選びきれない程の可能性」があるという誇りか。何か失っているという感じがした。おそらく最大の理由は2月末の2週間の入院。やはり人生観が変わった?

    日付(22/4/9) 今年も安政柑

リタイアした翌年、ふとしたきっかけで知った因島の安政柑。リタイア仲間で収穫祭をしたり、「守る会」で味を広めたり、多くの仲間が出来たが2019年の打ち上げ会をもって収穫祭も終わった。そこにきての新型コロナ。有志による因島訪問もなくなったが、因島の有志の皆さんが継続して面倒を見て下さり、毎年味わっている。今年も懐かしい味が届いた。一個取り出してナイフを入れるとあの苦みを含む甘い、独特の柑橘の香りが広がる。同時に瀬戸内海を臨む安政柑畑からの風景が蘇る。今年の安政柑は懐かしい安政柑の味である。東京在住でオーナーの女性と久しぶりに話したら、(今は無人の)旧居に住みたいという東京の若夫婦が表れて、今交渉中だとか。自分では言えなかったけれど、そんな形になったら良いなと思っていた可能性である。あくまで「元守る会」の一員ではあるが、コロナが去って、新しいオーナーの下で「同窓会」が開けたら楽しいだろうな、と想像して楽しんでいる。「第二の人生」の成果の一つのように思えて・・・

    日付(22/4/6) 戦争のかたち

我々現代に生きる人間の常識とか知識と言うものがいつの間にか完全にリバイスされている。ドラマでも記事でも勿論ゲームでもフィクションとノンフィクションの垣根が無く、少々の残酷さにも「新鮮な」驚きはない。それどころか刺激に慣れていることが「生きてきた証」であり、「人間としての完成度(?)」を示しているようにさえ見える。今回のウクライナ戦争は日本でニュースを見ている限りさいとうたかおのゴルゴ13の世界と何ら変わらない。テレビのアナウンサーやコメンテーター、解説者の解説を聞いていても個人の意見や主張の様なものは見られない。放送と言うものの制限もあるのだろうが、みんな同じ画像を用い、同じコメントである。ただ、歴史の進み方、情報の流し方・流れ方は大きく変わっているように見える。プーチンのロシアとゼレンスキーのウクライナではDX(デジタルトランスフォーメーション)技術の使い方に差があるようだ。今までを見る限りそれを使って世界をウクライナ寄りの立場に誘導している。情報戦争の際たるものであろう。さて、問題はロシアではプーチンの支持率が8割以上を示しているというニュース。これはもう一つの真実を示しているようにも見えるが。本当に情報操作だろうか。戦争のかたちも大きく変わっている。ただ、突き詰めた所には人間の生死があって、ここは変わっていない。フェークであれ、何であれ、心は重い。

    日付(22/4/2) 加山雄三復活コンサート

NHKBSにチャンネルが合っていて、加山雄三のコンサートを観た。何と83歳、2年前に脳梗塞で倒れてからの復活コンサート。彼が大ブレークしたのは当方が大学生の時、勿論、歌や曲も懐かしいけれど、83歳になって脳梗塞から立ち直ってのコンサートには恐れ入った。先月「軽い」脳梗塞と診断されて左手が不自由な時期を過ごした当方にとってみれば他人事とは思えない。彼の努力と精神力に見入ってしまった。話し言葉は少し詰まっているが歌になった途端、何ら問題はない。声量もタップリ。いやはや驚異の復活劇であった。こりゃ病人風邪など吹かせていてはだめだなと思った。感謝の気持ちをもって、前を向いて、目標をもって、楽しく・・・心構えだけで人生は大きく変わる。再認識した。でもあの若い風貌だけは追いつけないな・・元気な80歳台が普通になるのだろう。恐れ入りました「永遠の若大将」。

    日付(22/3/30) 春が来て

三寒四温などと言っている内に、ちゃんと桜が咲いた。体力を元に戻そうと出来るだけ歩こうとしている。いつもの散歩コースに出ると、ついこの間は固い蕾だったのに、もう満開である。3月が去れば、ちゃんと4月である。この3か月は「健康を考える」季節だった。正月以降、健康を実感することが多く、病が来るのではと言う妙な予感があった。当方の部屋は2階で急な13階段を上る必要があるのだが、この正月から「この階段を転げ落ちて・・」などと予感していた。そんな事故ではなく、まさかの消化器系トラブルで驚いたが、こうして退院して毎日上がり降りしていると、何故か「1,2,3,4・・・」と13を数えるようになった。まずは手摺をつける必要があるのかも知れない。内科に行き、眼科に行き、歯科に行き、退院したと言っても外に出るのは病院ばかり、なるほど高齢者の医療費は問題である。早く自然の中や、歴史的遺産の中を歩きたいと思う。令和3年度のアルバイトが終わった。何とか間に合ってよかった。こうした「時間的区切り」も、「生きている」と実感させてくれる。脳が耐えられるのならどんな小さなことでも携わっていたいと思う。これは不要な「あがき」だろうか。昨年亡くなった瀬戸内寂聴とその秘書の対談集を読んだ。死ぬ前までこれだけ明るかったら、と妙に元気をもらった。おそらくそれも先日の入院のせいか。明るい今年の春である。

    日付(22/3/26) 日本人として

世界がどう動こうと、他国で何があろうと、おそらく平和な国、日本。今回のロシアーウクライナ戦争でつくづく感じる「日本の危うさ」。今、日本と同じような国はと尋ねられたら、どの国を挙げるだろうか。アメリカはあちこち派兵して、曲がりなりにも世界の中で軍事力を示している。カナダも米国圏で平和でいるようには思えるが軍隊も含め独自性は強い。韓国は?、台湾は?と訊かれるけれど、いずれも日本より独自性がありそうだ。第二次世界大戦後の日本国の歴史はやはり甘かったかと思う昨今である。プーチンの反乱の後、世界史には何が来るか。全く読めないけれど、不平等が続く限りはこの種の反乱は継続していくのだろう。ここへきての北朝鮮の示威行為はそれを感じさせる。米国でメディアが騒げばもっともっと大問題になるだろう。日米韓の結束の見直しを今こそ考えたい。日本も教育まで立ち返って、「国として」の将来方針を再確認すべき時なのだろう。

    日付(22/3/23) 新型コロナ3回目ワクチン

1,2回目のワクチンの時、電話やネットの申し込みにトライしてなかなか通じず、大変な思いをしたことが印象に残っていて、今回の3回目についてはかなり早くから気を入れて準備をした。2月23日に予約が取れて安心していたら、何と自分自身の健康を害し、入院することになった。家内だけは自分で行かせて、当方はキャンセル。退院してから改めてネットで申し込んだ。1,2回目がファイザーだったけれど、モデルナなら予約も容易で今日接種を受けた。市役所近くの会場に行ったが、混雑はなし。待ってましたとばかりに至れり尽くせり。短時間で終わった。今夜の時点では何もなく、「ホントに接種したのかな?」という感じ。海外のメーカーで、政府がオーダー掛けて、接種は自治体の計画で・・・それぞれの思惑もあって、早く進んだり、遅くなったり・・今や毎日4万人の新規感染者が出ても各種制約は解除されつつある。本当に不思議な「闘い」である。これからも新たな変異株が出て来ないとも限らない。どう対処するのかの基本方針もはっきりしない。子供たちの感染が主流になりつつあるというのに・・・もしかしてこのままウイズコロナの生活が決まっていくのだろうか。国産ワクチンも、経口薬品も、我が国の薬品会社は何をしているのかと思うけれど、「儲からない」のかな。大きな矛盾を感じている。科学技術の進展は・・・

    日付(22/3/19) 中国を考える

世界の動向を見ていると何と我々、日本は恵まれた環境にいるのかと思うと同時に、こんな状況が孫たちの時代にも続くのだろうかと心配になる。ウクライナ戦争の最中だが、中国の存在、動きが注目される。ロシアとどこまで協調するのか(できないとは思うけれど)、本当に台湾を一体化するのか(香港の歴史をみると・・)などなど多くを考えさせてくれる。文芸春秋の最新号(4月)に藤原正彦の「(驕れる中国とつきあう法)品格なき大国」というかなり長文の記事(論文)が出ていて興味深く読んだ。ここまで中国を直接的に批判したケースは珍しい。この人は新田次郎の息子の数学者でなかなかのキャラクターで対中感は徹底している、曰く、嘘つき、盗人、詭弁、謀略・・日本(人)と比較しながら言いたい放題である。文芸春秋は暗殺から防ぐ約束をしたのだろうかと心配になるほどである。そんな中国と何故付き合うの、と言いたくもなる。当方も決して親中では無いと思うがリタイアしてから訪問した中国は「やはり大きいし、深い」だった。この国を理解するのは一段広い視野を持たねばならないと思い、人民レベルでは将来は一緒に生活せざるを得なくなるのでは、と思った。何しろ10倍もの人口を抱え、大きな貧富の差の中に居る国である。甘っちょろい民主主義や自由主義ではマネージできないのは分かるような気がする。でも、面白い(痛快な)記事だった。

    日付(22/3/16) ウクライナの戦略

ゼレンスキー大統領が各国の議会で演説して世界を味方につけようと努力している。「劇場型戦争」の新たなパターンなのだろうか。それが成功していてプーチンはキエフ総攻撃をかけれないのか、そんなことなら最初からこんな戦争は仕掛けないのでは・・・などと思ってしまうのだが、当然だろうが我々が納得できるような政治・戦争ではないようだ。毎日、ニュースばかり見ているが、どうもそのソースも限られている様で「主張したいこと」「言いたいこと」に合わせたニュースフィルムがあるように思えてくる。ウクライナの悲惨さを示したい時はこのパターン、動けないロシアを見せたい時はこのパターン、と同じフィルムが各局で使われている。米国の報道記者が死亡したニュースもある。我々が見ているニュースは誰が報道しているものか、内実を知りたくなる。NATOも米国もウクライナをサポートはしても戦争には入りくないようで、これが続けばまだまだプーチンはごね続ける。どう収まるのかまるで先の見えない戦争である。一方だけの立場に立たず、双方の主張に耳を傾けて・・・なんて思ってはいるが、その個々の主張そのものが「選ばれている」。情報の取捨選択の難しさである。今はどう見てもウクライナが弱者でロシアが理不尽なのだろうけれど。

    日付(22/3/13) 友人を送って

入院している間に友人とか先輩の訃報や病気の情報が相次いだ。家内の友人から入ってきた昔の仲間の闘病情報は退院してすぐに奥様に電話して確認した。何と2年以上に亙る病との闘いとのことだった。それが9日に奥様から連絡、「今朝逝きました」との新たな訃報。驚いた。2年以上も闘病生活を続けていて、何も当方が知ったとたんに逝かなくても・・・と思った。鎌倉時代からの友人。色んな縁もあって同じ企業で働いた。共通の思い出も多い。今日、線香をあげに訪問した。ゼンマイが突然逆回転するが如く、色んな思い出や景色が蘇った。周りの人は知らないけれど、当方自身が先日までベッドの上で病を、生死を考えていた。どんな順番で、最後が訪れるのか、まるで分からない。やはり、「生かされている」のだろう。彼の元気な日々の写真を見ながら思い出を語った。「懐かしい」などという一言で済ませないシーンである。病院のベッドで聞いた救急車のサイレン、夜中のうめき声、どれもこれもが「生ある時は生きよ」という声であったように思う。彼の冥福をまず祈りたい。合掌。

    日付(22/3/10) プーチン大統領

入院生活だったので、今回のロシア・ウクライナ侵略・戦争についてはよくニュースをみた。劇場型戦争と言おうか、これからの戦争は皆そうなるというか、時々刻々と「戦争が実況される」。多くの殺りくが起こっていても第三者的に報じられる。「核」の使用さえも脅しに使われ、「もしかしたら」と思わせる。もう誰も「プーチンとは何者か、何を考えているのか」という解説さえできない。当方などプーチンは支持はしないが、稀有な世界のリーダーで冷静さを持ち冷徹でも方針に則れば何でもする、というタイプだと思っていた。でも今回はニュースが作られているのかどうか、「もう狂人に近い」。こんな「世界を敵に回すような」「何が勝利か分からない様な」戦争(殺し合い)をする人間だったのだろうか。どうも解せない。せめて落としどころはなるほどと思わせる戦略であって欲しい。トランプ大統領で鍛えられたが、例え大国のリーダーでも決して物事を俯瞰してみることができず、個人の感情を表面に出して武器にする人もいるのだと思い知ったが・・さて、プーチンの落とし前の付け方はどんな形なのだろうか。今回の戦争はそこに目が行ってしまう。見方に立てば「なるほど」と言えるポリシーは欲しいと思う。病気あけだから猶更か、心が重い毎日のニュースである。

    日付(22/3/7) 新しい日常

丁度丸半月の入院生活から日常生活に戻った。生死を彷徨うといったほどの感覚ではなかったけれど、流石にこの年齢になっての闘病は人生観にも影響する。今年の年賀状に「昨日と同じ今日」や「今日と同じ明日」を願うのではなく、やはりせめて「今日より何か新しい明日」を目指す日常を目指したいと改めて思った。そう考える程今の一分一秒を大切に生きねばと思う。たったこの半月の間に不幸なニュースもあった、知人が事故にあったり、先輩が亡くなったり、やはり動いている歴史である。今日もウオーキングを始めた。体がグラつくわけではないが、どこか動きが心もとない。やはり元に戻るには「時」が必要なのだろう。体はやはり「無理をせぬよう」指令を出して来る。これが自己制御なのだろう。ディスプレーに向かい「仕事らしき事」も再開した。キーボードタイプも心もとない。でも、何とか後れを取り戻したい。「意欲」が最高の薬なのかも知れない。病院で目にした多くの高齢者の姿を思いだしながら心をふるい立てている。

    日付(22/3/4) 憩室出血?

あっという間の2週間。今日退院して帰宅した。この新型コロナのご時世に救急車を煩わせ、大病院に入院して、正に不届きものである。2月19日の土曜の朝、普段通りに起床、ところがトイレに行くと鮮血の海、それが1時間に3度も続いた。流石に慌て医者に行くが最近期待したかかりつけ医は「血便」と聞いただけで「大病院へ行ってください」とチェックも無し。その後、中規模病院(駐車場なし)、近くの大病院(新患受け付けず、けんもほろろ)と回り、2つ目の中堅病院でようやく受け付けてもらえた。そこでまた2回出血、診断してもらった時は早や低血圧。これ以上動いてはダメと家族を呼ぶと同時に救急車で大病院へ。病名は「憩室出血」。憩室とは大腸内にできる嚢で、これが破れて出血するのだそうだ。聞いたことも無い器官だし、自覚症状も無かったが、おそらくこの日だけで10リットル以上の出血があったか。翌日からは、輸血の世話にまでなった。その後、腸からの出血は止まったが、今度は「軽い脳梗塞」を云われ、左手にまひの症状があらわれた。こちらとしては、「まな板上の鯉」、云われるままに点滴・投薬・リハビリ、10日目にしてようやく「重湯・おかゆ」にありつき、今日退院に至った。あっという間の2週間。ベッドの上で悶々とした。第三者的に見れば正に老い先短い老人の一人。何とも落ち込む姿だった。この時期に入院したお蔭で「医療看護」の最前線の姿を垣間見たし、そこで働く人々の神々しさも目に焼き付けた。人の生き方を改めて考え直し、己のこれからの生きるべき姿も再認識した。降ってわいた「予期せぬ2週間」、これからゆっくり振り返って修正すべきは修正して残された時を少しでも価値あるものにしたい。と心している。心配して頂いた方々にお礼を申し上げたい。

    日付(22/2/16) 政治とオリンピック

クーベルタンは今のオリンピックをどう見ているだろう。スポーツのレベルアップへの貢献は計り知れないとは思うけれど、逆に言えば「普通」の人にとってみれば特殊技能の「見世物」でしかない。スピードも技も次々と信じられないレベルに到達していく。メディアを通して観るのは子供の頃のサーカスを観る楽しみに近い。勿論、楽しいのだけれど。さて、もう一方の政治や経済との分離の問題。これも全く別の問題を提起する。余りにビッグビジネス故に、もうこれからは小さな国では開催不可能と言う。大国の国威発揚の場でしかない。もっとも酷いのは政治の影響。近年ロシアは国としては参加できず、ROCはロシアオリンピック委員会としての参加らしい。それが、プーチン大統領は云わば北京オリンピック開会式の主賓であった。女子フィギュアのワリエナの薬物問題では議論百出。これも「原則はどこへ」だろう。あちこちで見られる西側諸国対中露のもめごとの影響が見られる。今日にでもウクライナで、中東で、台湾で、北朝鮮で戦争が起きても不思議でない状況の中である。せめて「オリンピックの間だけは戦争はやらない」位は守って欲しいものだ。ただ、見世物で金儲けの手段まで成り下がるともうクーベルタンの出番では無いのかも知れない。

    日付(22/2/13) デュランティ

昨年はコロナ禍で無かったが、例年この時期にコンサートがある。今年は開催されて、久しぶりに音楽に酔った。千住真理子のバイオリンのソロコンサート。多分2度目である。この絶対覚えられないだろう言葉「デュランティ」が話題になったのはもう20年も前らしい。バイオリンの名器「ストラディバリウス」の中でもローマ法王の特注で製作され、後にフランス貴族「デュランティ家」の手にわたり約200年間、その後はスイスの大富豪の元で100年以上眠っていたそうだ。21世紀になって表に出たが、購入希望者は多く特に名器と言われ優先順位も千住真理子は3〜4番目だったとのことだが「名演奏家に演奏して欲しい」という希望から彼女の落札が決まったらしい。下世話な話題で云えば価格は数億円と言われる。さて、昨日のコンサート、最初の彼女の挨拶が流石だった。「生の音を聴くのは弦が醸し出す空気の振動を感じることです」とのこと。確かにスピーカーの振動ではなく、「揺動(こんな言葉、あるかな?)」と言った感じかも知れない。このバイオリンの為の編曲「蛍の光」も、テクニックの「チャルダッシュ」も素晴らしかった。デュランティのことも改めて知ったのは帰宅してから。いい加減な音楽ファンではある。でも、いつもの「分からなくても、良いものは良い」と言える至福の時間だった。チケット代は安かったけれど、こんなことで何億円も払えるのだろうか・・・とは正に凡人の発想。

    日付(22/2/10) 男子フィギュアスケート

これだけ騒がれると観戦しない訳にはいかない。男子フィギュアのフリー。丁度歯医者の予約をしていたけれど何とかフォローできた。結果としては大きな驚きも無く、ショートプログラムの結果のままで日本の鍵山・宇野が銀・銅メダルを取って終わったけれど、羽生をめぐる騒ぎは凄かった。これだけ世界の注目を浴びるだけでもう通常のスターではない。結果としては4位まで上昇してなおかつ、「初めての4回転アクセル」という技を歴史に残した。メダルは取れなかったというのにメディアの扱いは別格。この程度の騒ぎで終わって良かったと思ったのは当方だけだろうか。こうしてスポーツの世界の記録は「不可能が現実に」を繰り返していくのだろうか。陸上の100mで10秒の壁を切った時、マラソンで2時間10分を切った時、スポーツの世界で起こるエポックメーキングな出来事はずっと記憶に残る。でも、我々の子供や孫たちにとってみれば、もうそれは歴史の一部。おそらく彼らの記憶に残るのはその次の、その又次の何かが起こった時なのだろう。おそらくフィギュアでは5回転かも知れないし、100mなら9秒5の壁なのかも知れない。限界はどこにあるのだろう。素人のスポーツの到底届かないプロフェッショナルの記録は歴史の中で猛烈な戦いをしている。その種の感慨を覚えたのはやはり羽生選手の力だろうか。本当は、チャン選手や、鍵山・宇野の活躍が主題の筈だけれど・・・

    日付(22/2/7) SDGs

メディアの宣伝を見ても、官公庁のアピールを見ても、新聞のセミナーの広告をみても、やたら「SDGs」。先日孫たちがやってきて、「爺ちゃん、婆ちゃん、SDGsって知ってる?」だって。これはSustainable Development Goals、持続可能な開発目標。2015年に国連サミットで全会一致で採択された、2030年までにめざす目標らしい。17のゴールと169のターゲットからなる。凄いのは政府が関わるプロジェクトはどの省庁の、どんなものでも、「SDGsへの貢献は・・・」とある。小学校の教科書や、TVのコマーシャルに使われている間は文句は言わないが、大学の先生方が研究予算を目指す発案に「SDGs目標で云えば・・」とくると、どうしても首を傾げたくなる。一つのプロジェクトに関連するSDGsゴールをいくつか選んで、そのロゴをペタペタ貼って・・・確かに世界共通のロゴで見覚えがあるのもあるけれど、17もゴールがあって、いざ、どのゴールと関連するかと問われても???ばかり。1.世界から貧困をなくす、2.飢餓を終わらせ持続可能な農業を、3.全ての人に健康と福祉を、4.教育と生涯学習を、5.女性の能力強化、6.水と衛生の持続可能性、7.近代的エネルギーへのアクセス、8.全ての人にディーセントワークを、9.レジリエントなインフラ、イノベーションの推進・・・とにかく、本当に国連や政府が本気でやろうとしてるの?と思うようなカタカナも多いキャッチフレーズが並ぶ。日本政府や文科省はせめて日本の子供たち用にもう少しかみ砕いたら、と言いたくなる。例えば「福島原発の後始末」というだけで、一体いくつのロゴが並ぶのか、呆れてしまう。大の大人が集まってこんな議論をしているとすれば、ますます日本は遅れをとるな、と思ってしまう。子供たちはこの17のゴールや169のターゲットを丸暗記して点数を貰うのだろうか・・・

    日付(22/2/4) 政経分離とオリンピックと

北京オリンピックを前に国会で人権侵害に対する決議をしたとか。中国の名指しを避け、一般論としてという事らしい。さてこの種の曖昧さはいつまで通用するのだろうか。経済に於ける中国の重要性は言うに待たない。今や日本にとって最大の交易国であるが故に、対中貿易に問題があれば即、日本経済に影響することは目に見えている。政経分離は国際関係にとって避けては通れない。ただ、本当にいつまでもそれが言い続けられるか。例えばミャンマーを見てみよう。ちょうど一年前の軍事クーデターから、日本は先進国の中で最もあいまいな態度で引っ張ってきた。軍との密な関係もあると言ってきた。もしかしたらミャンマー問題のキープレイヤーになるのかも、と思わせた。だが、そうはいかず、もしかしたら最もあいまいで却って軍をサポートしている先進国になりかねない。これから対中関係をどうするのか、経済を置いておいて厳しい姿勢を取り続けられるのか。おそらくそれは不可能になって、何れもっと苦しい決断をせざるを得無くなる。自由民主主義を旗印にする国にならない限り交易が出来なくなる、と言ったように。今日は冬季オリンピックが北京で始まった。でも世界の多くの場所で、「北京オリンピック反対」ののろしが挙がっている。それは、何故か。オリンピックは政治の関わらないスポーツの祭典、であるべきなのだけれど・・・おそらくこの問題は今後の夏・冬のオリンピックがある度にもっと大きな問題として取り上げられるだろう。それは即ち、日本が(どんな政治体制の国であれ)経済第一の交易国としていつまでもやっていけるかを問われる機会という事でもある。避けて通れない問題となる。

    日付(22/2/1) 石原慎太郎逝く

今日のビッグニュースは石原慎太郎逝去だった。89歳、以前から云われていたすい臓がん。破天荒な人生からみれば長寿で、普通の死に方と言えるかも知れない。当方も若い時から気になっていた有名人の一人だった。勿論、スタートは芥川賞「太陽の季節」。そのまま小説家なら普通だが、裕次郎の兄貴であり、政治家に転身、しかも参議院、東京都知事、衆議院、息子達も華々しく、話題には事欠かなかった。いつも三島由紀夫と比較していたが、三島の「深淵」、石原の「表面」という感じだった。でもあれだけ、やりたい放題、言いたい放題で政治家と、文学者を並行できたのはやはり人並外れた「才能の塊」だったのだろう。今の政治家で、彼ほど好きな(これは??計算されつくした??)ことを言える人がいるだろうか。少なくとも「普通の政治家」の枠からは逸脱していた。それが、魅力にもなっていたのだろう。勿論、過去の「日本の男」を目指していた訳で、これからの政治や社会を引っ張っていく行く人では無かった訳だが、残念ながら当方もあの「強さ」には憧れていた。また時代の証人が一人消えた。そう思う夜である。

    日付(22/1/29) 巻き込み自殺

そもそもこんな言葉があるのかどうか知らないけれど、最近よく出てくる。自殺に賛成ではないけれど、やはり自殺は周りを巻き込んではダメだと思う。今回の猟銃による殺人事件など何に憤れば良いのかすら分からない。亡くなった訪問医が何故死なねばならなかったのか、まるで分らない。92歳の母親と66歳の息子の介護世帯。世の中の常識で云えば、とりあえず二人とも世の中のことが分かった親子で、猟銃所持が認められていた位なのだから異常な性格でもなかったことだろう。それが、母親が亡くなってから担当医を撃ち殺す、なんて考えられない。こんなことが2度と起こらない世の中にしたい、と言っても何を変えれば良いのだろうか。これからどんな知識人が、どんな解説をし、どんな対策を提案するのか、注視したい。京アニの火事も、先日の大阪のビル火災も、もう加害者を何とか理解したい、という気持ちは浮かばない。宗教家や、死刑反対論者などは我々の様な単純に怒っている普通の人々に対し、「まず、こうとらえなさい」といえる言葉があるのだろうか。何とも消え難い憤り感である。

    日付(22/1/27) 有識者や専門家

新聞やTVを見ていると、政府やメディアは「国民」の意見を代表する人として有識者会議を多用し、決定的意見の代表者として専門家の意見をうまく使う。果たして有識者とは誰か、専門家とは誰か、誰がどのように選ぶのか、余り話題にならない。時に政治の力を感じることもあるし、なんで?と不思議に思うこともある。大学の先生は本当に専門家だろうか、同じ分野を専門とする先生方でも(当然)異なる意見を言う人は多い。自分が大学生であった時、大学に残りたいと言っていた人達が本当にバランスの取れた「国民を代表できる」人達だったか。メディアによく顔を出している「有識者」が国民の意見を代表するに足る意見の持ち主なのか、そう一歩踏み込んで考えてみると疑問に思う所も多い。政治家となるとなおさらそうだが、この場合は自分たちが選ぶという責任は感じる。政党を含め「異なる意見の持ち主である」ことも分かり易い。さて、政府が多用する「専門家の意見をよく聞いて」は果たして誰の意見か。コロナの対策、福祉問題、外交政策、財務方針、どれを取ってもよって立つ有識者の顔が浮かぶ。それは決して「国民の代表的意見の表明者」ではないようにも思える。最終的に決定する選挙や投票は1票の差でも「多数決」で決まるのが民主主義なのだから仕方がない、と言ってしまえばそれだけである。でも、だからこそ我々は少数意見を含む色んな考えを聞く必要があるし、アジテーションに引きずられない努力をする必要がある。兎に角、どんな時でも「有識者」や「専門家」、そして声が大きい人達に引きずられることなく「??? Why?」と言える思考は保っていたいと思う。でも、最近の問題は何れもハイレベルで難しい。専門家なら「1もある2もある3もある、でも私はこんな理由から2が正しいと考える」といった意思表示をして欲しい。それが出来れば・・・

    日付(22/1/23) 防災

先週のトンガの大噴火には驚いた。気象庁も予測できなかった「空振」による津波。10000km先で被害をもたらした。地震による津波とは機構が違う様で、空気の振動で起こる津波らしい。まだまだ科学でも分かっていないことがいくらでもあるのだと思い知った。トンガでは島が消えてしまったとか、噴煙で国が月面の様になったとか、自然の恐ろしさを見せつけている。日本でもあちこちで地震が続いていて、「富士山噴火」も囁かれている。「富士山が噴火したら埋没する街や工場」などという記事もある。さて、人類はどこまで予測して防災対策をすべきなのだろうか。子供の頃「駿河湾東海大地震」の話はいつもされていた。3.11東北大震災の後は南海トラフ大地震。色んな予測が出てきては、各自治体が対策を取る。東北では延々と堤防が築かれ、高知県をドライブした時には、海岸べりに避難タワーが並んでいた。叱られるかも知れないが、この種のいつ起こるかも知れない自然災害の防災はどこまでやるべきなのか。特に、美しい自然の景観を犠牲にすることに何となく引っかかる。人間はいつかは死ぬし、死ななければならない、寿命も、病気も、おそらく自然災害による犠牲も、大きな意味での自然の流れの一つではなかろうか。世界のオミクロン対策を見ていても、「どこまでやるべきなのか」を考える機会は多い。ただ一つ、周りを巻き込むことはしてはいけないと思う。大阪のビル火災も、東大前の通り魔も、なぜと思わせる。やはりワクチンは打つべきだろう。話が飛び過ぎたか・・・

    日付(22/1/19) かかりつけ医

ワクチン1回目でなかなか予約が取れなくて困った頃、多くの友人たちが「かかりつけ医」を通して簡単に接種を受けていて、羨ましく思った。当方は東京に勤務していた頃、狭心症らしき症状で、結局ステント2本入れる手術を受けたのだが、それは財閥系の大病院であった。その後のフォローやリタイア後のチェックも結局その病院に頼り、定期検診と薬の処方のみの段階になっても、結局その病院から派遣される循環器系の医師に診てもらえるクリニックに通っていた。「そろそろ地域の「かかりつけ医」にしたいのですが」と頼んでも、「あなたの不整脈は放り出せる状態ではない」との理由で、2か月に1回そのクリニックに通い続けた。先日定期の検診に行ったところ、その大病院からの派遣が終わるとかで「どうしますか?」と尋ねられ、迷うことなく「近くにかかりつけ医を見つけます」と答え紹介状を書いてもらった。千葉に移ってきたころ産業医で来てくれていたお医者さんがいて、降圧剤の処方も含めお世話になった。その医者を尋ねた。もう世代替わりをしていて息子が院長先生。これまでのいきさつを話して、かかりつけ医になってもらった。大病院の様な設備が整っている訳でもなく、最新治療が受けられるわけではないが、先代同様「聞いてくれる」医者の様で安心した。「これからは元気に死にたいのです」と言ったら、「今の日本はそうは行かないのですよ」と諭された。何かあれば近くの病院に入院させるとのことだった。でもこれから定期的な薬の処方や、ちょっとした腹痛など、目指していたかかりつけ医にはなってもらえそうだ。妙な安心感を覚えた面談だった。

    日付(22/1/15) 「民意」の話

岸田首相の支持率が上がっているらしい。それほど指導力を発揮しているとは思えないし、支持されるような政策を示しているとも思えない。ころころ変わる10万円のバラまき方とか、一貫しないオミクロン対策とか、批判のネタは沢山あるのに「聞く耳」とか「柔軟性」などの「まじめそうな人間性」が受けているのだろうか。大きいのはメディアの態度であろう。安倍政権後半は勿論、菅政権は最初からメディアに叩かれ続けた。コロナも政治で抑えられるが如くに。でも、今回はメディアも困っている。コロナを抑えようとすればするほど景気を悪くしてしまうことが明白で、コロナとの共存と言う誰かが痛い目に会わざるを得ない状況だから「政治が悪い」という図式に乗らないからだろう。日米、日中、日韓などの外交関係もいよいよ正念場、これから信じる所を示さざるを得なくなる。池田勇人や大平正芳と言った「宏池会」政治の再現を考えていると言われているが果たして上手くいくか。我々世代、年金世代がマジョリティーになりつつある日本で「万民が受け入れる」政治が可能とも思えない。大きな分岐点はすぐそこ迄来ているように思える。「聞く耳」があるのなら「誰もが耳を傾ける話」が出来るようになるか、それが問われるだろう。「民意」とは誰の意見か。

    日付(22/1/12) インフレの予感

年金生活者としては全く期待しないがインフレの足音が聞こえる。米国は早くもインフレ対策を検討しているようだが日本でも原油価格の上昇、円安に伴う各種原材料価格の上昇に伴い値上げの話題が増えている。何しろ社会のお金は増えている。ただでさえ多かったのに、コロナ対策で色んなバラマキを続けた。困窮した人々を救うという正しいバラマキが「不公平」の壁の為に不要な人へもバラまいた。さて、あの100兆円になろうかと言う札束は、これから一体どこへ行くのか。今はじっとしているから使えない、だから銀行に眠っている。まず物の値段が上がるところから動き始めるだろう。売り上げが増え、利益が増え、給料も増えるという健全な形で経済が回ってくれれば良いけれど・・・2%どころか、一つ間違えばハイパーインフレの可能性がある。「経済が良くなったから年金も上げます」などと言う日が来るだろうか。おそらく弱者苦難の時代がやって来る予感がする。それまでに人生が終わるか・・・それとの闘いかも知れない。

    日付(22/1/9) 初仕事

この歳になっているというのに、何と新年早々出張があった。大阪でのインタビュー。6日の午後は降雪があって、7日の朝はハラハラ。凍った道路をスベル革靴でソロリソロリ、久しぶりのハラハラ通勤。駅に着いたら列車は遅延。30分以上早く家を出たというのに、予定の新幹線には乗れず、迷惑をかけた。他の先生方のインタビューは殆どネットインタビューだが、ぜひ来て下さいとまで言われて訪問した。80歳になろうという名誉教授だが、まだラボもあり、若い学生さんがいて、話し出したら止まらない。同席の若手の先生方もなかなか口が挟めないほど。こんなエネルギーの塊のような先生がいるんだなと驚いた。圧倒されたインタビューだった。折角の機会なのでそのまま大阪に居残って、友人と会って飲んだり、ご無沙汰の両親、兄夫婦の墓参りをしたり、良い機会を使わせてもらった。でもその間にオミクロン株の感染が急拡大。まだまだコロナ騒ぎは終わりそうにない。でも東京でも、大阪でも人流は多くなってきた。重症化や、死者が減ってきたこともあって、「ウイズコロナ」の在り方が浸透してきているのだろう。でも、やはり罹ったら・・・心配ではある。色々考えさせられながら、でも良い初仕事だった。何とか今年も乗り切りたいものだ。

    日付(22/1/4) 三が日

昨年に続き、全家族が集まれず、今年は遂に長男と3男の家族のみ。それも1日の夕方の一食。あっという間に正月が終わった。コロナがあろうとなかろうと、こうして老夫婦のみになっていくのだろう。そしてどちらかが欠ければ・・・。何とも淋しい話題である。年賀状が届く。今年を限りに止めます、という挨拶も増えてきている。こうして付き合いも、語り合う仲間も減っていくのだろう。やはり、後は「自分を楽しむ」しか無くなってくる。最近の朝ドラの展開に刺激されて、ルイ・アームストロングのトランペットを聞く。久しぶりに目が覚める。「今年は音楽かな」などと思いながら。その点、こうしてディスプレーの前に座っている時間が楽しくなる。昔の老人ではあり得なかった時間の経過だろう。次男と3男の家族がスキー場から動画を送ってくれた。孫たちが歓声をあげている。そうだ、2月からまた、PC教室の依頼があったな、この時間の過ごし方の有難さを広めるのも世の中に貢献することになるだろう、などと考えている、静かな三が日であった。

    日付(22/1/1) 新年を迎えて

こうしてまた新しい朝を迎えられて純粋に有難いと思う。所謂「社会的責任」は明らかに減っていって、いつこの世から消えても大した問題にはならなくなってきていることを実感はしているが、だからこそ、「生かされている間は精一杯生きなくては」とも思っている。シンプルに言えば周りに迷惑をかけないことも責任だろう。誰かが話しかけてくれればそれに答えることも責任だろう。世の中で起こっている事、変化していることを出来るだけ捕えて頭の中で消化していくことも人間としての責任なのかも知れない。登山の時代はとっくに終わって、今はゆっくり体力に合わせて、周りの景色を見ながら、「下山を楽しむ」時なのだと思う。一瞬一瞬を勿体ないほどの自由な自分の時間として味わいたいと思う。今年も年の初めのルーチンとして「自然尊厳宣言証(リビングウイル)」にサインして、今生きていることを実感した。今年もありのままを受け入れて行きたい。

 

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