明日香2

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 1回目の飛鳥旅行の第2日明日香で、「明日香」に収容できない分と、2回目のみに行ったところをまとめました。
 また、2回目の訪問での感想などを、次項にをまとめてみました。
[全般的な特長、感想など]
1. 甘樫の丘に登って周囲を見渡すと、これから廻る飛鳥が一望の下に見渡せます。この狭い場所に飛鳥京と藤原京と二つの都の跡があり、その後平城京へと都が移ります。
2. 奈良には春日神社や東大寺のように神社・仏閣が多いのに対し、飛鳥には石造物や古墳が沢山あります。
3. 方々で発掘が進んでいるようです。私有地が多いので、稲の刈り入れが終わる11月頃から始めて、田植えの始まる前の3月頃には終えて、元の田や畑に戻すそうです。従って「ここが発掘中の場所です」とガイドの方に教えていただかないと、我々他県の者には、場所すらわかりません。
4. そうやって地元の方々が気を使っているせいか、ほとんど俗化していません。道路も狭いままですから、連休などは渋滞で動きがとれないそうです。
5. 上の写真を、前頁のと比べて下さい。新聞記事などでもご存知のように、高松塚古墳は千年以上地下に埋まって、造られた頃の色や形が保たれていたものが、保存方法が不適切だったため、数十年でかびが生え、現在、解体工事の準備中です。
6. 前回の旅行の際、リーダーだったV Age Clubの森本氏のノーハウを、すべて利用させて貰いました。
 具体的には、ボランティア・ガイド(飛鳥観光協会)の委嘱、大型タクシーの利用、切符の買い方(まとめて予約し、個別に買いに行く)、ビジネス・ホテルの利用(費用が安く、夜は一人になれる)などです。

[参考図書]
 このホームページに載せた本だけを表示しました。飛鳥を直接取り上げたものは、最初の一冊だけです。
 「飛鳥 水の王朝」「漢字と日本人」「万葉の人びと」「漢字百話」「古事記講義」「古代日本の文字世界


高松塚古墳
11 高松塚古墳〔特別史蹟〕 明日香村平田

 わが国の壁画古墳としては最もすぐれたもの。昭和47年3月の発掘調査によって発見された。直径18m、高さ5mの小円墳で、右壁の表面に約5mmの漆喰が塗られ、その上に玄武、青竜、白虎、16人の男女群像などが、また天井には星宿図が極彩色に描かれている。この壁画は国宝で、その復原図が高松塚壁画館(月曜日休館)に展示されている。

岩屋山古墳
12 岩屋山古墳〔史蹟〕 明日香村越

 切石の技術を使った精巧な横穴式石室の古墳で、飛鳥の代表的古墳の一つ。7世紀前半のものと推定されている。吉備姫王の墓とも、巨勢雄柄宿禰の墓ともいう伝説があるが、誰を埋葬したかは不明。

丸山古墳
13 丸山古墳 橿原市五條野町

 飛鳥の古墳としては古い部類に入り、わが国でもトップクラスの前方後円墳。後円部の直径150m、高さ21m。前方部の幅210m、高さ15m。後円部にある石室は横穴式で、全長25m、現在その上段は御陵墓参考地として保存されている。現在前方部はこわされてない。

飛鳥坐神社
14 飛鳥坐(あすかにいます)神社

  甘樫丘(あまかしのおか)から東を見ると、街道の突き当たりに、こんもりした鳥形山(とりがたやま)と言われる丘がある。この森に鎮座するのが飛鳥坐神社である。
 主神は事代主命(ことしろぬしのみこと)の他三神である。
欽明天皇陵
15 欽明天皇陵

 この御陵は、現在は一重の濠しかないが、造られた当時は水を満々と湛えた二重の濠に囲まれた前方後円墳(長さ140m、前方部幅110m、後円部直径75m)であったらしい。
 欽明天皇は仏教を正式に受け取った天皇として知られている。

吉備姫王墓
16 吉備姫王墓(猿石)

 欽明天皇陵南西わきに一軒の人家があり、その背後に見える小さな森が吉備姫王墓(きびひめのはか)である。直径8mの円墳とも、一辺15mの方墳とも言われている。
 鉄柵に囲まれた内部に、南北に並んだ四体の石像が見られる。これらが、俗に言われる猿石である。

伝飛鳥板蓋宮跡
17 伝飛鳥板蓋宮跡 明日香村村岡

 皇極(こうぎょく)天皇(天智[てんじ]・天武[てんむ]天皇の母)が造営した宮で、建物の屋根は、茅(かや)や柿葺(こけらぶき)と違い板蓋(いたぶき)にしたために名付けられた。飛鳥板蓋宮推定地であるそのため「伝」や「伝承地」の名を付けているといわれている。

万葉文化館
18 万葉文化館 明日香村飛鳥

 酒船石の北に、県立万葉文化館があります。『万葉集』を中心とした古代文化に関する総合文化拠点として、国内外から多くの人たちが訪れ、楽しみ、学ぶことのできる機能と魅力を備えた「万葉文化館」は平成13年 9月15日(土)、明日香村に開館しました。

水落遺跡
19 水落遺跡 明日香村飛鳥

 小字(こあざ)ミゾオチを掘り進めると、一辺22・5mの四角く回(めぐ)らした石敷溝(いしじきこう)と建物跡がみつかった。これが『日本書紀』斉明(さいめい)6年(660)に「皇太子中大兄(なかのおおえ)が初めて漏刻(ろうこく 水時計)を作り、人々に時を知らしむ」という、水時計の場所すなわち水落遺跡である。

出典 「明日香」 浅田万葉社 発行

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[Last Updated 10/31/2005]