明日香



高松塚古墳

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 飛鳥旅行の第2日は明日香でした。地元のボランティア・ガイドに案内を依頼し、大型タクシーを使ったお陰で、非常に効率よく廻れました。
 特に甘樫丘は明日香の全体の地形、中でも大和三山を望むことができ、大和の地形を概観することができました。1日で廻るのはかなりの強行軍で、次の機会には地図を片手に自転車か徒歩で廻ってみたいと思います。
 それでも主なところは見ることができ、楽しい一日でした。
 

明日香コース
         
詳しくは地図を参照して下さい。

 なお1回目の飛鳥旅行の第2日明日香のうち、この頁に収容できない分と、2回目のみに行っ
た場所を、次の「明日香2」まとめました。また2回目の訪問での感想なども、追加してあります。

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橿原神宮
1 橿原神宮(かしはらじんぐう)

 神武天皇を祀る神社で、明治時代に創建された。今回われわれは橿原神宮前駅のビジネスホテルに泊まったので、次項から始まる訪問先とは別に朝食前に有志で訪ねた。
 玉砂利を引き詰めた道は広く、境内には樹木が茂り、朝食前の散歩には丁度良い距離であった。
 通勤を急ぐ人、犬と散歩に来ている人など三々五々の人出であった。

藤原宮跡
2 藤原宮(ふじわらきょう)跡〔特別史蹟〕橿原市高殿町

 周囲に市街地をもつ、わが国初の本格的都市計画によって建設された、半恒久的な宮城で、唐の首都長安を模倣したものとされている。当時は天皇が変わるたびに宮殿も転々としたが、壬申の乱後確立した律令国家体制を堅持するために永久的なものにしようという要求から、持統天皇(690〜697年)によって建設された。持統8年(694年)から平城遷都の和銅3年(710年)までの16年間、持統、文武、元明天皇の首都として栄えた。

甘樫丘
3 甘樫丘(あまかしのおか) 明日香村豊浦

 飛鳥寺(あすかでら)の西の方に見える小さな丘で、大和三山の間に藤原京、三輪山(みわやま)やら青垣の山々がつながり、西方には二上(にじょう)、葛城(かつらぎ)、金剛(こんごう)の山々、南に高取(たかとり)から吉野の連山が、東に多武峰(とうのみね)の山々、360度の展望ができる。

飛鳥資料館
4 国立飛鳥資料館 明日香村奥山

 須弥山石、石神像(石人像)をはじめ、明日香に関する諸資料が展示されている。
 御霊神社は妻恋神社の北側の道を西に向かった突き当たりにあり、上野から移されたものといわれている。
石舞台古墳
5 石舞台古墳〔特別史蹟〕 明日香村島の庄

 上部の封土が失われ、玄室の巨石が露出したもので、わが国最大級の石室をもつ方形墳。昭和8年の発掘調査で、上円下方の安定感と造形的な美しさをもつ墓陵であり、周囲に堤と空掘のある壮大なものと推定される。中でも天井部に使われている石は、長さ12.5m、幅17.9m、厚さ8.9m、重さ77トンもある巨石で、すぐれた巨右運搬技術で築造されたことを物語っている。また、この島の庄には蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓(桃原の墓)とする説もある。

酒船石
6 酒船石 明日香村岡

 表面に奇妙な彫刻がある長さ5.3m、幅2.27m、厚さ97cmの平な花崗岩で、かつて酒の醸造に使用されたという言いつたえから、この名称がついた。しかし、油や薬を作るための石との説もあり、はっきりしたことは不明。

亀形石造物
7 亀形石造物遺構 明日香村岡

 酒船石から北に約75m、高さ25m下がった所にある。石造物はいずれも花崗岩で実に精巧に出来ており、上の小判形水槽に貯った水が、下の亀の鼻の穴に流れ込み、円形にくり抜かれた甲羅部分に導かれるようになっている。亀のしっぼ部にも穴がくり抜かれ、水は石敷きのほぼ中央を北に延びる水路に流れるようになっている。斉明天皇の両槻宮「たぶれ心の溝」の遺構であろうといわれている。

飛鳥寺
8 飛鳥寺〔史蹟〕 明日香村飛鳥

 飛鳥時代最大の寺院で、現在は鳥形山安居院(あんごいん)と称している。この寺は蘇我馬子が発願し、推古天皇4年(596年)12月に完成した。

8' 入鹿の首塚 明日香村飛鳥
 高さ約1.2mの五輪塚で、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)、藤原鎌足(かまたり)によって蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺された日、入鹿の首をこの場所に埋めたと伝えられ、飛鳥寺(安居院)の西方、田の中にある。

鬼の俎
9 鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん) 明日香村野口・平田

 鬼の俎は長さ4.36m、幅2.33m、厚さ1m、巨大な花崗岩の石造遺物で、鬼の雪隠とともに、もともと古墳の一組の石室材であったといわれている。その昔、鬼が通行人をおそっては石の俎の上で料理し、石の雪隠で用便をしたという伝説から、この名称がついた。

天武・持続天皇陵
10 天武・持続天皇陵(檜隈大内陵; ひのくまおおうちのみささぎ) 明日香村野口

 壬申の乱(672年)の立役者で、古代律令国家体制を確立した天武天皇(673〜686年)と、その皇后であり、自ら皇位をついだ持続天皇(690〜697年)との夫婦合葬の陵。直径約50m、周囲219m、高さは6.36mの円墳(八角形ともいわれる)で、現在は頂上部だけが残っている。

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出典 「明日香」 浅田万葉社 発行

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[Last Updated 10/31/2005]