石舞台古墳


低い丘陵に巨石を積み上げた石舞台古墳。

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石舞台古墳(いしぶたいこふん)[狐が舞ったという]

 岡寺から南方へ15分、山際の周遊歩道を歩くと、低い丘陵に巨石を積み上げた石舞台古墳が現れる。飛鳥のシンボルとしてもあまりに有名である。現在は特別史跡に指定され、国営公園として保存・整備されている。
 この古墳は、江戸時代にはもう、今のように封土(ふうど)をはぎとられ、石室(せきしつ)が露出した姿であったという。昭和8年の発掘調査により、石室の全長19m、玄室(げんしつ)の長さ7.7m、幅3.6m、高さ4.7mの横穴式石室をもつ、7世紀初めの最大級の上円下方墳であることが判った。使われている石は全部で39個、総重量2,300トンである(天井に使われている石は、長さ13m、幅18m、厚さ9m、重量77トン)。これだけの石を、当時の土木技術で組み上げた素晴らしさには、ただ驚嘆するばかりである。羨道(せんどう)から石室に入ってみると、そこは、石棺(せつかん)も副葬品(ふくそうひん)も全て盗掘されてしまったのか、何もない静まりかえった空間である。強大な富と権力で造られたであろうこの石舞台に葬られた人物は、いったい誰であったのか、今のところ、この辺りは島ノ庄で、島宮跡と考えられており、この地の豪族・蘇我馬子(そがのうまこ)の墓であろうとする説が有力である。石舞台という名前のいわれについては二つの話が伝えられている。
 一つは、大きな石の上で狐が女に化けて舞いを見せた、という話。もう一つは、昔、田舎を巡(まわ)っていた旅芸人が、ここ、飛鳥島ノ庄にやってきて、舞台がなかったので、仕方なくこの石組みの上で芸を披露したという。それから後、村の人達は、この石組みを石舞台を呼ぶょうになったという話である。
 毎年、11月3日には、たくさんの明日香村の僧侶によって、盛大に慰霊祭が行われる。
(出典 「明日香」 (株)編集工房 あゆみ)

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[Last Updated 10/31/2005]