甘樫丘(あまかしのおか)


甘樫丘からは大和三山を始め明日香の全体像を見ることができる。

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甘樫丘(あまかしのおか)[盟神探湯(くがたち)も行われた]

 飛鳥寺(あすかでら)の西の方に見える小さな丘、豊浦(とゆら)寺の方から見ると東南、飛鳥川(あすかがわ)の西岸にそつて1km余りも続いている小高い丘で、明日香(あすか)の古きみやこは、山高(やまたか)み河とほじろし春の日は山し見かほし、秋の夜は河し清(きよ)けし……と展望をうたった所と言われ、標高148m余りだが、足もとに飛鳥の里のたたずまいと、その歴史が展(ひろ)がる。
 大和三山の間に藤原京、三輪山(みわやま)やら青垣の山々がつながり、西方には二上(にじょう)、葛城(かつらぎ)、金剛(こんごう)の山々、南に高取(たかとり)から吉野の連山が、東に多武峰(とうのみね)の山々、360度の展望ができる。
 丘に登る途中に、志貴皇子(しきのみこ)の万葉歌碑、『犬養孝(いぬかいたかし)書』
采女(うねめ)の袖(そで)ふきかえす明日香風(あすかかぜ) 都(みやこ)を遠(とお)みいたずらに吹く
がある。この歌碑あたりからは飛鳥寺、飛烏坐神社(あすかにいますじんじゃ)と村里が一望できる。神社の後方の丘陵は小原(おうはら)の里、八釣(やつり)の里そして、高家から多武峰の山になる。
 毎年、秋の月見のシーズンにはこの丘の上で月見会があり、多くの人たちが万葉と語り合う場になる。また、この頃が春と共に大和国原を眺める最高の時となる。
 丘の登り口に、まず、縁起のよい『ひょうたん』が目につく。そして、明日香の『土鈴(どれい)』も。
 飛鳥川の北側に雷(いかづち)の集落と雷丘(いかづちのおか)が目に入る。
 奈良遷都の後、飛鳥をしたって開いたという萩見の宴(うたげ)の歌「逝回(ユキフ)む岡」は、この雷丘とも言われる。

〔伝説〕
 甘樫岡には古くから「誓盟(くがたち)の神」のいます神奈備(かんなび)の山で、日本書紀の允恭(いんぎょう)天皇4年9月、「盟神探湯(くがたち)」 − 古代の裁判の一つで、「熱湯の中にある小石を取らせて、偽りのある者は火傷(やけど)をし、正しい者は火傷をしない − が行われた所と伝えている。
 これは、神聖な″しずめの山″があったと言う伝説だろう。
(出典 「明日香」 (株)編集工房 あゆみ)

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[Last Updated 10/31/2005]