飛鳥寺

釈迦如来坐像で丈六の巨像で洞内に安置されている。
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飛鳥寺(安居院[あんごいん]: 飛鳥大仏も安置された)
飛鳥寺は、蘇我馬子の発願により推古4年(596年)に完成した。百済(くだら)や高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)からたくさんの工人が来て工事にあたったという。
606年、鞍作鳥(くらつくりのとり)による丈六仏(じょうろくのほとけ)が完成し、金堂の戸を壊さずに堂内に安置したという。わが国最古の丈六の仏像である。そのお顔立ちは金堂の焼失や野晒(のざらし)により痛々しそうで、創建当時の原型はないと言われてきたが最近の研究によれば補修はされているものの、ほぼ本の姿のままであるという。(文化庁田辺鑑査官説)
今、安居院の場所が飛鳥寺伽藍(がらん)配置では中金堂(ちゆうこんどう)に位置し、東西の金堂とあわせて三金堂をもち、その中心に塔が威容を誇っていた。寺域(じいき)は東西200m、南北300mに達する大寺院である。塔の心礎(しんそ)からは古墳に埋葬される馬具・装身具・宝石などが出ており、古墳文化のなごりである。
蘇我入鹿(そがのいるか)首塚[鎌足も逃げ回った]
飛鳥寺安居院(あんごいん)の西の田んぼの中に、入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔がある。鎌倉時代に作られたものと伝えられている。
[伝説]
大和朝廷の大臣(おとど)として大変勢力のあった蘇我馬子(そがのうまこ)の孫に入鹿という人がいた。聖徳太子が死んだ後、蘇我氏や入鹿は我儘な振舞いが多くなり、人々の反感と憎しみを募らせた。
そこで、中臣鎌足(なかとみのかまたり)は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と相談して同志の人達と共に、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)の大極殿(だいきょくでん)で三韓(さんかん)からの使いが来たとき、天皇の前で入鹿の首を討ち取った。すると不思議なことに、討ち取られた入鹿の首が鎌足を追いかけてくるので、鎌足は「これは大変だ」と多武峰(とうのみね)へ逃げ登ったが追いかけてきた。
そこで鎌足を追いかけてあちらこちらへ飛び回った入鹿の首を供養するために、五輪塔が建てられたといわれている。
(出典 「明日香」 (株)編集工房 あゆみ)
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[Last Updated 10/31/2005]