白川静氏 「漢字百話」ほか

  目 次

1. 本との出会い      
2. 本の概要
3. 本の目次
4. 著者紹介
5. あとがき
6. 読後感
7. 文化の礎 喜びの日
8. 遅咲きのひと
9. 日本の進む道
10. 白川静さんを悼む
11. 本の紹介


白川 静著

中公新書

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1. 本との出会い
 私が白川先生のことを知ったのは、新聞で先生の漢字に関する業績の記事を読んだ時だと思います。
 本屋で白川先生の「漢字(岩波新書)」を見つけ、買い求めましたが暫く読まずにおりました。その内V Age Clubの「新書を読む会」で阿辻哲次著「部首のはなし(中公新書)」を採り上げました。どう考えても「漢字」の方を先に採り上げるべきなのですが、この本は漢字の生い立ちとその背景が中心で、日本語としての漢字に触れたいと思いました。そこで「部首のはなし」を読んだとき、巻末の既刊書に載っていた「漢字百話」を新たに買い求めて読んだ所、この方が適当と思い、採り上げることにしました。

2.本の概要(本のカバーより)
 三千年を超えるその歴史において、漢字が現代ほど痛ましい運命に直面している時代はないであろう。中国が字形を正す正字の学を捨て、わが国で訓よみを多く制限するのは、彼我の伝統に反する。また、両国の文字改革にみる漢字の意味体系の否定は、その字形学的知識の欠如に基づく。甲骨・金文に精通する著者が、このような現状認識から、漢字本来の造字法やその構造原理に即しつつ、漢字の基本的諸問題を考察し、今日的課題を問う。

3. 本の目次
T 記号の体系             1
 1 漢字と映像    2 文字と書契
 3 神話書記法   4 山頂の大鏡
 5 図象の体系   6 我 と 汝
 7 文とは何か    8 名と実体
 9 隠された祈り   10 聖化文字

U 象徴の方法             25
 11 象徴について  12 呪的方法
 13 攻撃と防禦    14 聖記号
 15 う け ひ      16 神のおとずれ
 17 左と右       18 余の効用
 19 神梯の儀礼    20 行為と象徴

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V 古代の宗教             47
 21 風と雲      22 鳥形霊
 23 蛇形の神    24 弾劾について
 25 殴つこと      26 族盟の方法
 27 道路の呪術  28 軍社の礼
 29 講和について  30 農耕の儀礼

W 霊の行方              71
 31 生と命      32 玉 衣
 33 み霊のふゆ   34 神招ぎ
 35 若と如      36 死喪の礼
 37 老残の人    38 親と子
 39 非命の死    40 久遠の世界

X 字形学の問題            95
 41 限定符      42会意字の構造
 43 手の用法    44足三態
 45 人の会意字  46かぶくもの
 47 文字系列    48形体素
 49 同形異字    50省略と重複

Y 字音と字義             119
 51 音素について 52 音の系列
 53 亦声について 54 転注説
 55 形声字と音   56 音義説
 57 語群の構成  58 単語家族
 59 鳴呼について 60 オノマトペ

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Z 漢字の歩み             143
 61 甲骨文と金文  62 ヒエラチック
 63 徒隷の字    64 『説文解字』
 65 字書『玉篇』   66 正字の学
 67 美の様式    68 文字学の退廃
 69 漢字の数    70 漢字の行方

[ 文字と思性             169
 71 孤立語と文字  72 文脈と品詞
 73 御と尤       74 訓話と弁証法
 75 反訓について  76 道と徳
 77 永遠の生     78 文字と世界観
 79 複合語      80 中国語と漢字

\ 国字としての漢字          193
 81 漢字の伝来   82 万葉仮名
 83 歌と表記      84 憶良の様式
 85 日本漢文     86 訓読法
 87 散文の形式   88 国語の文脈
 89 文語について  90 現代の文章

] 漢字の問題             217
 91 緑 の 札    92 音と訓
 93 字遊び      94 あて字
 95 翻訳について  96 訓読訳
 97 漢字教育法   98 新字表
 99 文字信号糸   100 漢字の将来

 あとがき                 242
 図版解説                247
 参考文献                250

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4. 著者紹介 白川 静(しらかわ・しずか)
1910(明治43)年に生まれる。1943年、立命館大学法文学部文学科卒。現在、同大学文学部特任教授。文博。専攻、中国文学(古代)。
 著書『稿本詩経研究』『甲骨文集』『金文集』『金文通釈』『漢字』『詩経』『金文の世界』『甲骨文の世界』『孔子伝』『中国の神話』『中国の古代文学』(T・U)『漢字の世界』(1・2)『初期万葉論』ほか

5. あとがき
 国字政策についての内閣告示が出されてから、すでに三十年になる。今では多数の刊行物がその告示に従っており、国字問題はいちおう安定した成果をみせているようである。いずれは固有名詞なども、すべて規格化されてゆくことであろう。配達区の便宜によって古来の地名が無雑作に改変されてゆくように、情報の機械化のために、文字も、したがってことばも改められる。選択の自由があって、そのなかですべての領域の活動がなされるのではない。選択の余地のない、最低限度のものが強制されているのである。おそらくことばの生活、文字の使用が行なわれて以来、はじめての変則的な事態であろう。しかもそれを変則と意識しないところに、現代の問題がある。
 中国でも革命以来、大胆な文字の簡体化が推進された。やがては常用文字のほとんどが、文字の本来の形義を失った、単なる記号と化するであろう。そして日中同文の誼を重んずる人たちは、やがてわが国の文字改革の不徹底を論じて、これに追随することを主張するかもしれない。
 しかし同じく漢字国といっても、わが国と中国とでは、事情は大いに異なるのである。中国には「カナ」も「かな」もなく、年齢や知能に応じた段階的学習の方法がない。おかあさんは「媽媽」であり、シーソーは「翹翹板」とか「橋橋(2字とも木偏でなく足偏)板」とかいう。中国における簡体字への要求は、切実を極めているのである。しかし常用の漢字をすべて簡体化しても、カナのような表音文字にはならない。形と意味とを失った無器用な符号が、累積するだけである。
 この両者に共通する基本的な考えかたは、漢字に字形的意味を認めないということである。それでわが国では多くの新字を作り、どの部分をどう改めたのか容易に判別しがたい整形美容的変改を行なった。これに反して中国が、表音化の原則を貫こうとしているのは、表音化への強い要求を示すものとして、それなりの意味をもっていよう。しかし単音節語という中国語の性質からいえば、それに最も適した漢字を何らかの方法で保存し活用するか、あるいはベトナムのように全面放棄するか、そのいずれかである。ただベトナムとちがって、他に例をみない多くの文化遺産を擁する中国としては、漢字の放棄は文化遺産そのものを廃絶することを意味していよう。もしそれを意図しているというならば、話はまた別である。
 私の漢字研究は、古代文化探求の一方法として試みてきたものであり、無文字時代の文化の集積体として、漢字の意味体系を考えるということであった。『漢字』や『漢字の世界』は、すべてその立場から一般書としてまとめたものである。政策問題に立ち入るつもりはないが、しかし漢字がこれほどのいたましい運命に直面しているときに、問題の扱いかたについて、ごく原則的な二、三のことにふれておきたいと思う。

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 漢字の伝統は、中国においては字形を正すという正字の学として、わが国においてはその訓義を通じて、漢字を国語化するという国語史の問題として存した。中国が正字を捨て、わが国で字の訓義的使用を多く廃するのは、それぞれの伝統の否定に連なることである。また両者の文字改革の志向が、いずれも漢字の意味体系性の否定から出発していることに、やはり大きな問題がある。事実はその否定というよりも、むしろ漢字の字形学的知識の不足が、これをもたらしたといえよう。字の構造的な意味が理解されれば、そこから簡体字・新字を作るとしても、おのずからその方法があるであろうし、また学習も容易となる。ともかくも、正しい字形の解釈学があってのことである。孔子のいう、「先づ名を正さんか」である。
 私はこの書の大部分を、漢字の構造原理の解説にあてた。漢字は意符としての形体素と、声符としての音素との、整然たる体系をもっている。文字の使用に、つねに語源的・字源的知識を必要とするわけではないが、ことばやその表記が何の意味体系をももたぬということはなく、それがなくては、文字は全くの符号となる。改革を加えるとしても、その体系のなかにおいてなすべきである。
 漢字は訓よみによって国語化され、その意味が把握され、語彙化される。音訓表においては、「おもう」「うたう」「かなしい」などの動詞・形容詞は、思・歌・悲のそれぞれ一字だけに限定されているが、国語のもつニュアンスはもっと多様である。字音としては懐・念・想・憶などの字もあるが、そのように「おもう」ことはできず、また唱・謡の字もあげられているが、音訓表では「唱う」ことも「謡う」こともできないのである。
 漢字は意味をもつ文字であるが、訓をもたない文字は記号化して、新しい造語力を失うおそれがある。音訓表には、「あやまる(誤)」はあるが、「あやまち(過)」はない。人に過のないものはないから、それは過失というべきであろう。この過は、近年に至ってようやく訂正された。
 いまの年輩の人たちは、総ルビつきの赤本などで、少年のときから多くの文字を自然に学びえたことを、懐かしく思い出すであろう。いまは、旺盛な吸収力をもつ若者たちが、とざされた言語生活のなかで、知ることを拒否されている。かれらは多くの語彙、ゆたかな表現のなかに、情感の高められる緊張の快さを知らない。もしいまの少年たちに書物ばなれの傾向があるとすれば、その一端は、この抑圧された文字環境にあるのではないかをおそれる。明治・大正期の詩人たちは、ことばの意味や音感はもとより、その用字の視覚的な印象、活字の大きさ、紙面での字の排列にまで心を配ったものである。文学や思想は、生活語のように言語過程としてあるものではない。字の形体は表現に関与し、またその美学をささえてきたものである。
 漢字は久しく文字論からも外され、敬遠あるいは無視されていたように思う。しかし文字としての漢字は、通時的表記として古今にわたる大量の文献をもち、独自のすぐれた条件をそなえている。特にそれを音訓両様に用いるわが国においては、国語の欠失面を補うもっとも好ましい文字であろう。
 この小さな書物では、漢字の文字論的問題にもなるべくふれることを試みたが、詳しく述べる余裕はなかった。ただ漢字の問題に関心をもたれる方々に、いくらか問題への視点を提供することができれはと思うのである。
     昭和53年4月                                            白川 静

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6. 読後感
 この本を読み終わった頃、先生の文化勲章の受賞を新聞で知りました。
 岩波新書の「漢字」巻末の著書に載っていた三冊の字書「字統」「字訓」「字通」は、私の住んでいる太田区の区立図書館には必ず揃えてあり、先生の研究成果の大きさにびっくりしました。これらは先生の研究の成果だと思いますが、その一端に触れて、先生の偉大さを理解したように思います。
 国字としての漢字(音と訓)や、かな(ひらがな、カタカナ)などは日本人の発明で、中国語以上の便利さをもたらし、特に熟語による造語能力(新語対応能力)は中国語を凌ぐものだと聞いています。また翻訳を不要にした漢文の利用は、日本文化の進歩に大いに役立ったのだと思います。

7. 文化の礎 喜びの日 白川 静さん(文化勲章) 「漢字の世界」後世に
 はにかんだような笑みを頬(ほお)に浮かべて、「たいへん、ありがたく存じております」と頭を下げた後、「重い責任を負うた。手放しでは喜べません」。
 中国古代文化、とりわけ漢字研究の泰斗である。福井市で生まれ、小学校を終えると大阪で代議士宅の住み込み書生に。そこで蔵書の漢籍に魅入られ、広大無辺な「漢字ワールド」に足を踏み入れた。
 中学教師を経て31歳で立命館大学の漢文学科に入学してからは学問ひと筋。中国の漢字の大古典「説文解字」を独自に解釈し直して注目されるなど、地道な研究は膨大な著書に結実した。
 中でも漢字の字源事典「字統」、語義と字義の対応を検証した古語辞典「字訓」、漢字の成り立ちや意味の展開を体系的にまとめた漢和辞典「字通」の「白川三部作」は漢字研究の金字塔だ。
 京都・桂の自宅で仕事に精を出す。
 「ひと区切りまであと四、五年です」。中断していた「漢字講話」を十月に再開、全国から聴講者が集う。
 使う漢字を制限する常用漢字を痛烈に批判して、「万事、あてがわれた簡便さで満足するのが習性になった」と嘆く。一代の碩学(せきがく)の現代への警鐘である。
(立命館大学名誉教授、94歳)
(出典 日本経済新聞 2004.10.29 夕刊)

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8. 遅咲きのひと 長距離ランナー 白川 静 ペース守り文字学究める
 文字学者、白川静(94)が字源の辞書『字統』(平凡社)を著したのは1984年、74歳のときである。
 そのころ、私は頭髪のことが気になり始めたこともあり『字統』で「禿(トク・はげ)」について調べたことがある。「禾(くわ)の実がおちたあとの、空虚となった部分の形。(中略)禾は華(はな)さいて秀となり、実って穆(ぼく)となり、その実が抜け落ちて禿となる」
 妙に納得して、他の字の成り立ちも推理小説を読むように読みふけった。よくこれだけ一人で調べ上げたものだな。以来、白川が気になる存在になった。
 その彼が昨年10月から国立京都国際会館で文字文化研究所主催の文字講話を再開するというので、10月10日と今年の1月16日、足を運んだ。両日とも、およそ六百人の聴衆に向かい、二時間立ちっぱなしで話す。
 会場に地声が響き、話がめっぽう面白い。中国の殷文化と日本の青銅器文化の同質性を指摘し、東アジア漢字文化圏構想へと発展する。『字統』の面白さとも共通するその底流には、恐るべきマイペースな生き方と、独自の研究の積み重ねがある。
 1910年、福井市の洋服店の二男として生まれる。小学校を卒業し、大阪へ働きに出る。政治家、広瀬徳蔵の法律事務所に三年半ほど住み込み、夜学に通う。仕事の合間に広瀬の書庫にある『唐詩選』『楚辞』『詩経』などを次々暗唱(あんしょう)する。これが一生の方向を定めたようだ。
 働きながら立命館大学専門部文学科(夜間部)で学ぶうちに中国古代の文字学に興味を持ち、33歳で同大学の漢文学科を卒業。学者の道を歩む。
 研究ぶりは高橋和巳著『わが解体』(河出文庫)でも紹介されている。「S教授の研究室は(中略)紛争の全期間中、(中略)それまでと全く同様、午後11時まで煌々(こうこう)と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けている」
 地道な研究は、60歳でベストセラーになった『漢字』(岩波新書)、も74歳から86歳にかけて著した『字統』と古語辞典『字訓』(平凡社)、用例集など盛り込んだ『字通』(同)の字書三部作などに結実。
 4月に95回目の誕生日を迎える今も京都の自宅で一人、毎日同じリズムで研究に励む。徹底したマイペースぶりだ。
−−一日の過ごし方は。
 「午前6時に起床、8時には執筆。昼食後、一時間ほど睡眠。午後二時から作業を開始。七時過ぎに夕食をとるまで、二度ほどお茶とコーヒーを飲む。午後九時就寝。日常の秩序が大切です」
−−仕事の計画は。
 「70代では十年計画。80代では五年計画。90代は三年計画を立て、ただ今『金文通釈(きんぶんつうしゃく)』九冊の改訂版などを刊行中。今後は三年間に『甲骨金文学論叢(こうこつきんぶんがくろんそう)』上下巻など六冊を刊行したい。その先は神様のおぼしめしをうかがってから決める」

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−−研究のエネルギーを支えているものは。
 「戦後60年の我が国の歩みには、主体的な国家の誇りに欠けるところがある。戦争やアジアを分裂に導いたことへの反省も十分でない。そうした歴史認識がエネルギーの根源にある」
 学生時代から30年ほど、仕事ぶりを眺めてきた編集者、西川照子は言う。「同じ生活リズムを守り、急停車も急発進もしない規則正しい走り方こそが前人未到の白川学を築き上げたのではないか」   =敬称略     (編集委員 足立則夫)

 しらかわ・しずか 1910年福井市生まれ。小学校卒業後、大阪の法律事務所に住み込みで働き始め、夜学に通う。43年立命館大卒。54年同大文学部教授。91年『字統』などの著作で菊池寛賞。04年、妻つるを亡くす。文化勲賞受賞。
(出典 日本経済新聞 2005.3.27)

9. 日本の進む道 白川静さんに聞く
  原点は歴史の中にある 平和理念、伝統に合致

「精神の粗密は言葉遣いに表れる。いまの日本人は思索がぞんざいに過ぎる」
 白川さんは4月に95歳を迎えた。その年齢で2時間近くを立ちっ放しで講演することもいとわないが、今年の夏はひどく暑さを感じる、と京都市内の自宅で語る。
 「気象が異常なのか、あるいは私が衰えたか。その両方か」
 年齢を経るごとに忙しさが増しているのも確かである。
 若くして中国や日本の古典に親しむ。深くて広い知識を足場にして、漢字の成り立ちを独自に追究、白川文字学を確立した。深奥に、東洋の精神がある。現代風に言えば、東アジアの精神風土である。
 「中国が文明の時代に入ったのは今から三千年以上も昔のことです。以来、近代化の時代にいたるまで、大規模な戦争がほとんどない平和な世界が東アジアでした」
 「つまり東アジアは秩序正しい礼節の世界だった。それが変調をきたしたのは近代になり、西欧による侵略があったためです。ヨーロッパは民族も多いし事情も複雑で、戦争に明け暮れた歴史がある。日本はそれをまねて中国を侵略した。東アジアの秩序を乱した。これは明らかな誤りです」
 「今の日本の外交も、大きな歴史の流れからみると外れているとしか言えません」

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「近代以降の日本の体質を知るには、大正期にさかのぼる必要がある」
 「日本の近代化は明治時代に開花し、大正期になってようやく世界に目が開くようになりました。大正デモクラシーに代表されるように、それは成長しつつあったが、軍部の台頭によって未成熟なままに終わってしまいました。台頭を許した裏には農村の疲弊、国全体の貧困があった。要するに日本は近代社会になりそこねたのです」
 白川さんの記憶に今も鮮明に残るのは1936年、軍の皇道派が起こしたクーデター 2・26事件である。
 「ラジオにかじりついて聞いていました。長い沈黙があって、『斎藤実暗殺』『高橋是清暗殺』とアナウンサーの声が流れ、何とも言えない気持ちになった。本当に大変な時代がきたと感じました」
 31年の柳条湖事件から第二次大戦ぼっ発に至るまでの間に何度か、和平を実現させる機会があったとみる。が、果たせず、むしろ拡大へと事態は推移した。
 「『戦争』と言わず、『事変』と称して宣戦布告もせずに既成事実を重ねる。政治の前面に出てくるのは近代戦のあり方も知らない軍人ばかり。傑物が多かった中国の知日派に対し、日本は人材が不足していたのです」
 「敗戦で日本は焦土と化した。まさに無一物からの再出発にもかかわらず、戦勝国を上回るほどの経済力を築いた。今更、(歴史認識の違いをことさら強調し)力まかせに、表面的に威張ってみせる必要などありません」

「平和主義に対して日本人の多くは無力感を持っているかもしれないが、あきらめてはいけない」
 「今の日本には、どこから出発するかという原点がない。明治維新の時は、神話的伝統を持つ天皇家を中心とした国家があった。今は天皇家も象徴と化した」
 文化や伝統は、長い歴史的なつながりの上に現在の姿がある。それを考慮せず、官僚のご都合主義でルールを押しつけるのは文化の否定に等しい。その観点から戦後の当用漢字を厳しく批判する。
 「うそを教育してはいけない。犬のつく字は十二、三あるけれど、『獣』や『献』のように点がついている字がある一方で、『臭』『突』のように本来は『犬』とすべきところを『大』で済ませている。あまりに思慮が足りない」
 文化はそんなものではない。練り上げられて完成するのが文化だ、と説く。
 「もともと我が国は、輸入したものを、そのまま採り入れるのではなくて、日本に合うように作り替えてきた。平仮名や片仮名が良い例です。漢字が生まれた中国よりずっと多様で豊かな文字文化があったのです」
 話のすそ野は茶の文化にも広がる。「お茶にしても、中国では薬として飲まれていたにすぎない。それを精神的なものに変え、朝鮮に伝わる古い蔵を利用して茶室をしっらえた。独自の伝統を創出するというより、様々なものを採り入れて消化し、組織し直す。日本的に完成させるところが日本の文化、伝統なのです」

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 「日本には、伝統を今に受け継くものがたくさんある。短歌や謡にしてもそうです。万葉集一つをとっても分かるでしょうが、実に多種多様な人々が創作している。同様の存在は、中国の『詩経』以外にありません。インドなどでは、歌謡は宗教と結びついています」
 「こうした日本の良さ、伝統を日本人自身が自覚しなさ過ぎる。歴史的な現実としてつい最近まで、つまり百数十年前まで漢字は東アジア共通の文化的基盤として機能していた。近い過去にとらわれて、本質が見えなくなっているのではないでしょうか」
 再びこの国の行方に話が及ぶ。気おされるようなエネルギーを感じた。
 「戦後六十年間、掲げてきた平和国家の理念は、まさに東アジアの伝統に合致します。移ろい、漂流する今の日本にとって、平和国家に徹するという意識を持つことが、新たな原点になる。無一物から出発して世界でアメリカに次ぐ経済力を築いたような国でも全体が一つの方向に向けて進む形にならないと、国民的力量を発揮できません。平和国家建設という理念をもっと確かなものにすることこそ、日本の進むべき道です」

 しらかわ・しずか 中国文学者。1910年福井市生まれ。弁護士事務所に勤めながら立命館夜学部に通い、中学教員に。54年文学部教授。中国漢代の「説文解字」を根本から批判、文字の成立過程を論考した「説文新義」が代表作。一般に知られる『字統』『字訓』『字通』の字書3部作は73歳で着手した。      (編集委員 松岡資明)
(出典 日本経済新聞 2005.8.10 夕刊)

11. 本の紹介
1 白川静 漢字の世界観

松岡正剛著 平凡社新書 2008年11月14日 初版発行
 白川静は、甲骨文、金文など漢字の始原を訪ね、「文字は神であった」という斬新な視点に基づき、『字統』『字訓』『字通』を初めとした多くの本を著した。その研究により文化功労者に選ばれ、文化勲章を受章している。
 だが膨大な著書の故もあり、その全体像は把握しにくいものだった。博覧強記の著者が巨知#註静に挑み、その見取り図を示した初の入門書。

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[Last updated  8/31/2010]