吉備姫王墓(猿石)


鉄柵に囲まれた内部に、四体の石像が見られ、これらが、猿石である。
 欽明天皇陵南西わきに一軒の人家があり、その背後に見える小さな森が吉備姫王墓(きびひめのはか)である。
 直径8mの円墳とも、一辺15mの方墳とも言われている。また、吉備姫とは欽明天皇の孫に当たる人物で、皇極(こうぎょく)天皇や孝徳(こうとく)天皇の母親である。
 天皇陵と同様の鳥居が見られ、鉄柵に囲まれた内部に、南北に並んだ四体の石像が見られる。これらが、俗に言われる猿石である。
 石像は、元禄15年(1702)10月5日に欽明天皇陵南側の水田より出土された。五体出土されたが、そのうちの一体は高取城への登り通にある一升坂(いっしようざか)という急な坂に置かれている。
 正面から見ると四体にしか見えないが、北側に回り、柵越しに真横から見ると七体に見える。つまり、三体が二面石(にめんせき)である。現在、地上に出ている高さは60cmぐらいであるが、地下にも60cmぐらいが埋まっていると言われている。石の材質は花崗岩であるが、当時の日本では凝灰岩(ぎょうかいがん)を使って石像を作っていることから、渡来人の作ったものだと言われている。檜前(ひのくま)の地は渡来人の居住していた地域と言われていることからも十分に考えられる。
(出典 「明日香」 (株)編集工房 あゆみ)

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[Last Updated 10/31/2005]