ヘルツェグ・ノヴィ/ぺラスト


■ヘルツェグ・ノヴィ
コトル発8:15のバス(2ユーロ)に乗り、9:20にヘルツェグ・ノヴィに到着した。バス停前は人が多いが、旧市街に下りていくと、思ったより観光客は少なかった。

1382年 ボスニアの君主 Tvrtko 1世により、現在の基礎ができた。1483年にトルコに占領された後、2世紀にわたり、その影響を受けるが、1687年にヴェネチア共和国がトルコを追い出した。1797年のヴェネチア共和国の滅亡の後は、オーストリア、ロシア、フランス、英国に配下となり、第一次世界大戦まで、オーストリー・ハンガリー帝国の中にあった。

下の左の写真は、Kanli Kula(Bloody Fortress)と言われる要塞です。

■ぺラスト
ここはコトル湾に浮かぶGospa od Škrpjela(Lady of the Rock)とSv.Djordje(St.Geroge)の二つの島が印象的です。現在は静かな漁船ですが、ヴェネチア時代には、1つの独立国と認められていました。

Sv.Djordje島は人工の島です。この島が出来た謂れはいろいろあります。2人の船乗りが小さな岩に助けられ、そこでイコンを発見し、その感謝を込め教会を建てたとか、船乗りたちが航海から無事戻るたびに岩を投げ込んでいったものがやがて島になったとか、私の持っているガイドブックには、Sv.Djordje島で1535年 ある日曜日のミサの最中に、ぺラストの住民がコトルのベネディクトの修道院長を殺す事件があり、その後、住民は自責の念からもうひとつの島 Gospa od Škrpjelaを作り出したのである。沈没した船の上に石を積み上げていき、島に教会を作ったと書いてある。(たぶん。私の英語の読解力が正しければ・・・・。)どれが正しいかわかりません。

Gospa od Škrpjela(上の写真真ん中)に船(3ユーロ)で行きました。教会の奥は展示室になっている。
帰りにSv.Djordjeに上陸はできませんでしたが、まわりをぐるっとまわってくれました。



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