いやいや、色々あった一年が終わる。別の見方をすれば、いつもはあることが色々となかった一年でもある。
まず、
風呂釜の故障で始まる。結局、大家から修理代金は請求されていないので、「内部に残った水が凍ったことによる破損」ではないのであろう。あの三週間、風呂で暖まれないのでアパートでは寒かったが、スーパー銭湯は温かかった。広い風呂が気持ちよくて、時々来てもいいなぁ、と思ったのを懐かしく思い出す。行ってないけど。
その後、
放送大学の試験を受けたり、
大阪へ遊びに行ったりと (今にして思えば) のんびりした日々を過ごしたが、春になって 14 年通った
派遣先との契約が終了したのはちょっとしたイベントだった。14 年よ、14 年。
さらに、
情報処理技術者試験を受けたり、自転車のレースで
南三陸町に行ったりと例年通りの生活をしてたものの――
帯状疱疹をやったのは例年通りではないが――5 月の末になって急転直下、
宮崎への転勤が決まり、バタバタと引っ越しをして、新しいプロジェクトがそれまでの 14 年とは勝手が違うので困惑しているうちに、長い夏が過ぎ、短い秋が終わって、今に至る。
宮崎は寒い。
今月中旬の大寒波は例外なのかもしれないが、最低気温が -1 度、最高が 7 度、という状況では旧式エアコンによる暖房はどうにも心もとない。そもそも、上にたまる特性のある暖かい空気を上から噴き出そう、という発想が間違っている。エアコン各社には猛省を求める。
ワンルームにいるのだが、玄関兼台所と居間の間に扉がない。夏は、人目が何となくなぁ
*1、と思ってレースのカーテンを下げていた。それだって、暖簾でいいんだけど見当たらなかったからそうしていた、というだけなのだが、11 月も下旬になったら寒いのなんのって。今では厚手の床まであるカーテンを下げている。
そんなわけだから、電気ストーブを追加購入し、秋田にいるのと変わらない厚着をしている。腑に落ちない。
一向に方言要素が出て来ないが。
方言がない、と言えば「
ザ・ラスト・ショット」。11 月に
国民文化祭というのが秋田であって、おそらくそれへの協賛だと思うのだが、
NHK 秋田放送局が作ったドラマ。11 月下旬に BS で放送された。秋田と言えば、ということでバスケットが取り上げられている。
かなり期待して見たのだが、一時間弱の間に秋田弁がほとんど出て来なかったので拍子抜け、まさに「
なしたど」って感じ。主人公が属する会社の秋田支店の人、というような感じの人のセリフがちょっとあったくらいで、メイン・サブふくめて標準語オンリー。秋田でプロやってる人が激高したときにちょっとそれっぽいイントネーションに聞こえないこともない、という感じはあったが、それだけ。
ということで、取り上げなかった。スポーツ立県というのはあるのかもしれないが、文化の方はよ、と思ったことであった。
民間は頑張ったようで、
前に、秋田の映画やればいいのに、と書いたが、秋田駅前の
シネマパレという映画館がそれをやった。確か、マニアックにしてディープなラインナップだったはずなんだが、どうも twitter アカウントを閉鎖してしまったようで具体的な名前がわからない。
宮崎方言に囲まれた生活にも慣れた。慣れ過ぎて方言を拾えなくなってきた、ということは前にも書いた。
でも、やっぱりイントネーションは独特である。初めて聞いたときには、津軽弁に似てる、なんて思ったが、今では違うと感じる。
宮崎方言に関する資料も入手しているので、そのうちに取り上げようと思ってはいる。
この暮れないし正月について言うと、飛行機の切符が取れなくて困った。いや、あるにはあるんだが、宮崎−秋田の乗継便は、あっという間に埋まってしまって、乗り継ぎってことにならない、時間が離れた便を自分で組み合わせるしかない状態。そうするかどうか悩んだのだが、会社にも顔を出さなければならないということもあり、仕事納めの前に帰り、仕事始めの後に戻ってくることでピークを外すことにした。
ということは、宮崎にいない期間が長い、ということになるのだが、ここの記事を書くのに必要な資料・辞書は基本的に宮崎に持ってきてあって秋田では書きにくい、という現実がある。それはほかのことにも言えて、ピアノはないし、HDD レコーダーをはじめとするオタク環境はないし、ということでちょっといろんな面で薄味な滞在になりそうな気がする。
まぁ、それでもあっちゅう間に終わっちゃうんだろうけどね。
*1
アパートの目の前がバス停。塀はあるが、覗けば覗ける。朝なんかごみを捨てようと適当な格好で外に出るとぎょっとすることがある。(↑)
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