Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第903夜

放送大学受験記



 放送大学の話。
 受講したのは、「初級簿記」と「日本語からたどる文化」。
 後者がここのホームページと関連あり。
 講師の一人、ダニエル・ロング氏は社会言語学者だが、小笠原の言語に詳しく、これまでにも論文や本を読んだりしたことがある。
 この科目でも、小笠原での知見がたびたび披露される。したがって、方言については全体にわたる、ということもできるのだが、それを一々取り上げていると紙幅がいくらあってもたりないので、取捨選択する。

 まずは、「タブー」の章。
 かつて「メクラウナギ」と呼ばれていた魚 (厳密には魚ではないが) の全国各地での呼び方 (方名というらしい) が紹介されている。
 ちなみに、愛媛で「ドロマキ」、隠岐で「ドロウチ」、島根で「ドロチ」「ヌル」、秋田で「アナゴ」。
 現在の標準和名は「ヌタウナギ」で、これは分泌される粘液から来ているようだが、「ヌル」なんかはそれだろう。「ドロ」系は泥の中に住んでいることが来たものであろう。下関では「ドロボウ」という言い方もあるようで、面白い。
 続いて、「方言」という単語自体が問題になりつつあることが紹介されている。マイナスのイメージがついてしまっているせいだろうが、そういう場合は「地域言語」などという表現を使ったりするそうだ。
 言語学者はニュートラルに「方言」という語を使っているのだが、その辺の感覚の違いはある、ということ。
 人々が温暖化対策に熱心にならないのは、「温室効果」という言葉がニュートラルもしくはプラスのイメージを持っているせいではないか、と父が言ってたのを思い出した。

「言語接触」の章は、そのものすばりである。
 パラオは戦前、植民地となっていた影響で日本語の語彙が入っている。例えば“osoi”という語があるそうだが、これは鈍いのでも遅刻しているのでなく、「夜遅く」という意味なのだそうだ。
 こういう例は幕末、開港直後の横浜でもあったそうで、「ヨコハマ・ダイアレクト」と呼ばれていたらしい。
 それにしても「ハウス アリマセン」が「ここは私の家ではない」という意味だ、とか解説されても納得できん。よくこれで意思疎通ができてたもんだと思う。

「アイデンティティ」も関係がある。
 90 年代のアメリカでの調査で、地元に対する意識 (親しみを感じるかどうか、人を雇うとき出身地域を意識するか、など) と、その人の発音との間には関係がある、という結果が紹介されている。この場合はテキサスだが、テキサスに対する意識と、テキサス風発音をするかどうかの間には相関があるらしい。

 最終章の「変化」では、方言に対する意識の変化が取り上げられている。カッコ書きで「方言の観光資源化」と書かれている。
 空港での観光客歓迎用の幕、土産物がそうだし、地域の施設の名称などもそうである。

 全体に興味深い項目が並んでいる。
 言語学プロパーの科目ではないので、人名・地名・食べ物・服装など取り上げる範囲は広い。また、「イノベーション」「ジョハリの窓*1」というような概念も紹介されている。

 最後に、傾向と対策。
 まず、に書いた中間試験だが、これは自宅で解いて郵送するので、時間はいくらでもかけられるし、参考資料は何を見てもいいわけだから、難関ではない。締切に間に合わせることだけに注意すればよい。
 期末の試験だが、学生向けのサイトで過去問が入手できるので、これを解いておくのは重要。情報処理技術者試験と違って、同じ問題が何度も出る、ということはないが、どんな感じのことが問われるのか、どういう感じのことが問われないのかもわかるので、それに沿って勉強していけばよい。
「初級簿記」は電卓の持ち込みが認められている。要綱では「必須」とある。
 普段、電卓が必要になる生活をしてないので百均で買ったのだが、ここで注意するべきは、小さい安物は使いづらい、ということである。ボタンが固いので、もう一方の手で押さえていなければならず不便。ぶっちゃけて言えば、一円単位の計算は要求されないので、暗算や筆算でも十分であろう。ただし、いろんなことが頭に入ってなくて考えないと回答できない、したがって時間がもったいない、という場合は (俺だ!) 持ってった方がよかろうと思う。
 はっきり言うが、簿記は暗記科目である。山ほどある勘定科目と、それぞれの貸方・借方の処理が頭に入ってないと解けない。
 今回、合格はしたのだが、試験にあたって決算は捨てた。何度読んでも頭に入ってこない。独学も含めると三度目だ、とに書いたが、俺はどうやら会計には向いてないらしい。
「日本語から〜」の方は、教科書もノートも持ち込み可である。ひょっとしたら、事前の勉強なしで、その場で教科書見ながらでも解答できるかもしれない。
 ただし、試験時間は 50 分しかない。問いの内容を全部、調べるにはちょっと短い。教科書を通読して、それぞれのキーワードがどの辺に出てくるかくらいは見えてないとつらいと思う。*2
 また、放送では言ったが教科書には載ってない、という内容も出題される。ということも考えると、徒手空拳で臨むのはギャンブルとなる。

 ということで、「日本語からたどる文化」のほうは専門分野で背景知識もあるからなんとかなったが、簿記は苦戦した。肝である決算を理解できなかったのだから、「簿記勉強しました」なんて人前で言えない。それでも習得したことになってしまう、というところが、やはり「試験」だなー、と思った。
 ちなみに、来年度は「言葉と発想」「英語の軌跡をたどる旅」を受講することにした。どちらも大学でやった分野なので、楽ができるはずだ、と思っている。




*1
 自己開示に関する考え方。自分が知っているかどうか、他人が知っているかどうかの組み合わせで四つの枠 (窓) ができる。これを言う。
自分が知っている自分が知らない
他人が知っている開放領域盲点領域
他人が知らない隠蔽領域未知領域
(
)

*2
 例えば、上記の「ジョハリの窓」は、目次欄にはあるが、索引に載ってない。 (
)





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