学校に通う


はじめに断わっておくが、私も前述したスイス人とイタリア人のように、ここでの生活は、バカンスが中心であった。日本人の多くは、ビザを取って来ており、3カ月以上滞在する予定の人たちばかりだった。この学校で知り合った人とマヨルカ島に行こうと考えていたプランもダメになった。欧米人の多くは、確かにバカンスに来ていた。物価が安いし、太陽がある。

私は、海から5分のところに住んでいながら、結局一度も泳がず、もっぱら近郊の街への観光に精を出していた。授業が終わるやいなやトレモリーノス、ミハスなどの観光地めぐりをしていた。泳がなかった理由のひとつにこちらでは、ワンピースの水着を着ている若い女の子がいないのである。みんなビキニなのである。ワンピースの水着を着ているのは、おばさんぐらいなのだそう。ちょうどバーゲン中で、3,000円ほど出せばビキニが買えたが、何せこちらの人とは胸のサイズが合わないことがわかっているので買うのをあきらめた。

"CENTR0 de ESTUDIOS de CASTELLANO"を選んだ理由は、マラガで一番古かったからであるが、実際見て 思ったのは、”古い”というより”ぼろい”っといった感じだった。2階建ての学校の1階は今は開かずの間になっている。2クラスしかなく、一時同室のRさんはプライベートレッスンだったらしい。

授業は9時から始まる。私は、入門を希望していたので、初級クラスだった。トニーという20代後半の女性が 先生だった。「スペイン語の経験は?」と聞かれ、「Nada(全くなし)」と答えた。日本でも少し勉強していたが、最初からやるほうが良かったので、そう答えておいた。クラスは日本人5人と、イギリス人2人全員女性のクラスだった。イギリス人2人もバカンス派だったように思う。しかし、宿題とかきちんとやっていたし、授業もまじめに受けていた。おとなしく、比較的日本人と似ていたように思う。 同じ大学の友達どうしで、スペイン語の他、イタリア語、フランス語を習っているらしい。 クラスのメンバーの語学レベルはバラバラだった。イギリス人たちは、命令形をやっていたし、一人の日本人はまだ始まったところだった。そんなレベルがバラバラなのに、トニーという先生は、うまくまとめていたと思う。授業はテキスト"Espanol 2000"を利用した。先生は、スペイン語だけで授業を進めるが、文法用語に慣れていないと、何言っているのかわからなくなる。11時に授業を中断し、歩いて5分くらいのEl canoというBARに行き、お茶タイムが始まり、上のクラスの生徒も交じっての雑談になる。やはりどうしても日本人どうしで、かたまってしまう。

1時間ほど休憩した後、また授業が始まる。今度は、テキストではなく、プリント、会話が中心となる。この時は、レベル関係なく同じ話題についてなので、話を聞いて置かなければならない。1時に授業が終わる。 月曜日から木曜日までがこのパターンで進む。

金曜日は、学校からのエクスクルーション(遠足)の日であった。私は、土曜日がエクスクルーションだと思っていたが・・・・。私がいた最初の金曜日は、セントロのPl. de la Marinaの前のマクドナルドに10時に集合し、近くのCafeへ。そこで、1時間ほどおしゃべりをした後、ジブラルファロ城、アルカサバを見学し、1時すぎに解散だった。

夏になると生徒の数が増えるため、他の学校と合同で、週末にバスに乗ってでかけるツアーもあった。 私は参加しなかったが、グラナダ3,800pts、ジブラルタル2,000ptsなどを募集していた。


学校の前の通り

学校から5分の海岸


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