マラガの中心地からバスで15分くらいのところのEl palo(11番のバスに乗る)にある語学学校
"CENTR0 de ESTUDIOS de CASTELLANO"という学校に通うことに決まっていました。そして、その学校が
手配してくれたアパートに2週間(結局延長し、3週間)住むことになっていました。マラガのバスターミナルについた時、インフォメーションで行き方を聞くと、
バスを乗り継がなければならないと言われたので、タクシー(1100pts)で行くことにした。 14時に学校に行くと連絡しておいたが、12時すぎには学校に着いてしまった。ドアは閉まっており、 庭の奥の家に行くようにドアに貼紙があったので、行く。おじさんが出てきた。この人がこの学校の 校長なのである。「14時の約束でしたね。少し早いですね。」と言われてしまったが、校長は、これから 私が住むことになっているアパートの持主に電話を入れてくれた。しかし、相手が出ないため、どうしょうもなく、「お腹がすいたので、昼食をとりにいってくる。14時にもう一度来る。」と言って近くを散歩しに行った。近くにスーパーはあるようである。
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彼女は、私より2日ほど前にこのアパートに引っ越してきて、マラガには、既に4カ月くらいいる人だった。 幸運にも彼女は、同じ学校の上のクラスの人で、いろんな話が聞けて、ラッキーだった。彼女は、はじめホームスティをしていたが、家の人が亡くなり、アパートに移り住むことになったらしい。
となりには、 スイス人の男性がいた。彼は違うスペイン語学学校(Al Andalus)の生徒だった。2週間近く彼の名前を知らなかったが、 ある事がきっかけで、彼の名前を知ることになる。私とRさんとの会話では、スイス人でずうっと通していたが、2週間たった日曜日に彼の名前を知ることになる。アパートの前で、私が、ある男性に声をかけられ、「3階のCの部屋にファブリカという女性がいるか?」というようなことをスペイン語で聞かれ(あまりスペイン語がわからないので想像である)、3FのCは私が住んでいたアパートの住所であるがそんな人はいなかったので、「そんな人知らない。」と答えたが、私は、また彼が きっとファブリカという女性にだまされて、うその住所を教えられたのかと同情していたが・・・・。1時間後その男性が、女性を連れてアパートに入ってきた時には、彼女がファブリカということがわかった。 どうやら 新しい住居人らしい。そしてその男性は、アパートの持ち主の息子だったらしい。かわいそうにアパートの前 で、少なくとも1時間以上待っていたよ。そこへスイス人が帰ってきたのである。彼は、「ぼく、フェリペ」っと言って自己紹介した。「えっ〜! フェリペなの?」っと私はびっくり。というのも10日以上前に郵便受けを覗いたら、フェリペ宛の手紙が2通あったが、まさか彼がフェリペだとは・・・・・。 このスイス人は、夜中遅くまで、遊んでいたが、常識のあるかわいいスイス人だった。ちょうどワールドカップサッカーがやっていた時期で、リビングにある1チャンネルしか映らないテレビ(元々白黒なのか、カラーテレビが壊れただけなのかわからないが)の調子が悪く、よくテレビを叩いていた。電化製品の調子が悪くなると叩いてみるという習慣はどこの国でも同じなのかと納得する。
ファブリカという女性は、イタリア人で、最初の夜、「夜はよくでかけてるのか?」といきなり聞かれ、私たちは、 「全く出かけていない。」と答えると、「じゃあ、勉強しているの?」と聞かれ、「それもしてない。」と いうと不思議がっていた。彼女は、遊びたくてしょがないタイプだった。スイス人もそうであるが、彼女もあきらかにバカンス派だった。私もビーチに行かないかとかいろいろ彼女に誘われた。
ほとんど自炊して過ごした。 |
けっこうリビングは広かった。 |