1999年(4tai,8tai)2000年(4tai)2001年(4tai,8tai)2002年(8tai)2003年(8tai)2004年(8tai)2005年(8tai)2006年(8tai)2007年(4tai,8tai)2008年(4tai,8tai)

ピースサプライ、総合24位、X-Fクラス10位!

2002 世界耐久選手権シリーズ第4戦 鈴鹿8時間耐久 第25回メモリアル大会


 2001の完走につづき、2002はクラス賞金GET。少しづつ進化中。
 第2ライダーは上村ジュニアから桧垣くんへ、第1ライダーは専属の大内田選手。エントリーカテゴリーはX-F、マシンはカワサキZX-9R。 

マシン カテゴリー 第1ライダー 第2ライダー エントリー
カワサキZX-9R X-フォーミュラー 大内田 実(36) 桧垣 誠(31) ピーズサプライ・アドバンテージ

公式リザルト
予選/B組/第1ライダー/1回目 B1st総合=16位 / X-F=5位 / 2'13.623 決勝/1時間経過 総合28位 / X-F=10位 / 26周
予選/B組/第2ライダー/1回目 B2nd総合=23位 / X-F=11位 / 2'16.289 決勝/2時間経過 総合31位 / X-F=11位 / 51周
予選/B組/第1ライダー/2回目 B1st総合=25位 / X-F=9位 / 2'15.560 決勝/3時間経過 総合43位 / X-F=19位 / 74周
予選/B組/第2ライダー/2回目 B2nd総合=22位 / X-F=10位 / 2'15.823 決勝/4時間経過 総合40位 / X-F=17位 / 99周
予選/B組/総合結果 B総合=17位 / X-F=5位 / 2'13.623 決勝/5時間経過 総合34位 / X-F=15位 / 125周
決勝グリッド 総合34位 / X-F=11位 決勝/6時間経過 総合33位 / X-F=14位 / 151周
- 決勝/7時間経過 総合26位 / X-F=11位 / 176周
- 決勝/8時間結果 総合24位 / X-F=10位 / 201周
<予選><決勝前夜>
 今年は新カテゴリー(SPなど)が追加、エントリー総数は80チーム強。カワサキワークスは不参加。そのせいでpitは10番と、若い番号が割り当てられた。フランス警察官チーム(Team22&tsukigi)といっしょ、隣の11番が阪神ライディングスクール。Team22はSPだがプロフェッショナル、8耐の常連だ。今回のSPは速い。特にSUZUKI-GSXR1000は市販状態で160ps、足回りの改造は可能。
 我がP's supply-ZX-9Rはエンジンをボアアップし、昨年よりややパワーアップ。X-Fエントリーだが、SPをストレートでパスするのは困難らしい。タイヤ交換システムは少しだけ進歩。チームスタッフはほぼ同じ。
 金曜の予選1回目で大内田選手が13秒台と、昨年より約2秒早い。これで予選通過は確定的。2回目はセットアップに費やされ、タイムは向上しなかった。スペシャルステージはなかった。
 一方桧垣くんも1999年4耐で既知。予選1回目、2回目と少しづつタイムアップ。
 オイラは、土曜夜に鈴鹿入り。エジやんから出発の催促が17:45、「じゃ、すぐでますわ」。17:55アジト出発、18:20のぞみに飛び乗り、20:11名古屋で近鉄(急行)、白子21:04。大内田夫妻の迎車で21:20、10番ピット着。土曜夜移動は快適、のぞみも近鉄とも空いている。
 パドック到着やいなや、早速、燃費に関する資料収集と事情聴取の結果、決勝はチーム初の60分交替に決定。(有力チームでは常識、オイラは前から70分交替が極めて有利と考えている。今年、ホンダワークスがコレを採用、タイヤの進歩、燃費の改善、ライダーの体力増強が必要だ。)
 P's supplyも昨年の「完走」から、step-upし、はじめて「順位」を狙い始めたことになる。
 土曜は24:00過ぎに解散。昨年は朝近くまで、残作業があった。宿泊も近所だが就寝は25:00を過ぎていた。
<決勝><朝>
 朝のフリー走行も大きなトラブルはなく、スタート時刻が近づくと、次第に気温が上がってきた。オイラの作業用には、小型モニター、無線とPC。モニターでは順位や前後の差、コース状況をチェック。無線はサインマンとのの交信用、PCでは事前シナリオにラップタイムを上書き入力する(暑いし長いし、結構大変、助手欲しいな)。スタート進行の合間を見て、桧垣くんのデジカメでキャンギャル撮影敢行。(後日公開予定)--
-----------(やっと2003/6/7公開)--------------別鯖上-
<決勝><スタート-1時間経過>
 AM11:30start、スタート位置は34番目(X-F=11番目)、丁度真ん中あたりになる。スタートライダーは大内田選手。
 1週目は42位とやや後退、2週目から2分17秒前後で安定。しわじわ順位を上げて行く。X-Fの7位から14位くらいまで混戦状態。
 PM12:25,pit-in-1回目:大内田→桧垣:pit作業は26秒、P'sとしては速いほう。
 大内田1回目は24周、55分28秒でpit-in、リアタイヤのみ交換で桧垣へ。26秒台は、
 桧垣2週目で1時間経過、順位は28位(X-F=10位)。
<決勝><1時間-2時間経過>
 桧垣のペースは大内田より約2秒以上遅い。フロントタイヤがNEWではないということもあるが、順位を下げた。同ピットのTeam22にも追い越され、これ以降、抜き返すことはできなかった。
 PM13:24,pit-in-2回目:桧垣→大内田:pit作業は35秒、前後タイヤ交換、やや遅い。
 大内田2周目に2時間経過、31位(X-F=11位)。
<決勝><2時間-3時間経過>
 大内田は1回目と変わらないペースで安定、ふたたびX-Fの6位から11位くらいまで混戦中へ。大内田2回目は26周の予定、かなり暑い。20周目あたりから、最終コーナーでの振られが大きいとサインマンから報告あり。一方、タイムはぴたりと安定し、23周目、24週目は同タイムという状況。しかし、残1周の通過待ちで帰ってこない。モニター映像で「テグナー」で黄旗を確認、ヤバイ。
 25週目(計74週目)のヘアピンで転倒。転倒の25週目は4分56秒、pitでの修復に5分45秒費やした。ダメージは重大ではないものの、約3周を失った。 転倒したヘアピンからpitへ戻る間に3時間経過、43位(X-F=19位)にまで落ちてしまった。
<決勝><3時間-4間時経過>
 PM14:31,pit-in-3回目:大内田→桧垣:pit作業は5分45秒、転倒修理
 桧垣2回目、これ以降彼は1周減算し25周に変更、桧垣は1回目より約1秒以上速いペースで追い上げるが、しかし順位はなかなか上がって行かない。賞金圏内のX-F10位とは3LAP近い差になってしまった。
 PM15:30,pit-in-4回目:桧垣→大内田:pit作業は1分7秒、サスペンションの調整追加あり。
 4時間経過、40位(X-F=17位)
<決勝><4時間-5時間経過>
 大内田3回目は、さらにペースを上げる。X-Fクラスからは脱落が殆どいない。淡々レースがつづく。もしかしたら賞金圏内に復活の可能性もある。桧垣への交替もnewタイヤに決定。
 5時間経過、34位(X-F=15位)、X-F10位と差=1周+2分15秒
<決勝><5時間-6時間経過>
 PM16:31,pit-in-5回目:大内田→桧垣:pit作業は1分7秒
 桧垣3回目も、さらにペースが上がる。10位とは同じペースだが、その前後とは接近しつつある。この時間は殆ど順位変動がない。
 6時間経過、33位(X-F=14位)、X-F10位と差=1周+2分10秒
<決勝><6時間-7時間経過>
 PM17:30,pit-in-6回目:桧垣→大内田:pit作業は32秒
 大内田のペースはほぼ同じなのに対し、大きくペースを落としたチームがあり、大内田4回目の終盤に13位、12位を抜いた。10位との差も無くなって、pitがやや盛り上がった。最後のpit作業は極めて重要になってきた。次の桧垣には状況を伝え、サインボードは総合からX-F順位に変えると伝える。
 7時間経過、26位(X-F=11位)、X-F10位と差=3秒
<決勝><7時間-8時間経過>
 PM18:31,pit-in-7回目:大内田→桧垣:pit作業は1分3秒
 最後のpitで予定外作業が発生、コースイン直後は再び10位に30秒近い差がついてしまう。致命的な差に思えた残45分、桧垣が大活躍。サインボードのX-F前後差に、プラスマイナスゼロを表示。
 西コースを中心に降雨、pit-inさせる基準タイムを話し合う程。数周で一旦上がり、再び降り、すぐ完全に上がった。この降雨夜間走行で桧垣の相対ペースは非常に速かった。一時はTOPグループと遜色ないタイムも記録し、数周で30秒詰め、10位を抜き去り、逆に30秒差を付けてしまった。最後の201週目は余裕でゴール。
 8時間経過、24位(X-F=10位)、X-F11位と差=35秒、201周
2002 P's Supply Lap Chart
総周
回数
周回数 第1Rider
大内田
周回数 第2Rider
桧垣
PIT作業等 乗車時間 累計時間 時刻 給油
(L)
燃費
(L/周)
<決勝><ゴール終了後>
 モニターでではクラス9位だったが、正式発表では10位ギリギリ。終わりの2時間くらいは、常時確認していたので、やや腑に落ちない。何はともあれ、けが人なし+賞金ゲット。しかも転倒1回からの復活。22時くらいまで、ピット内で水の掛け合い+ビールで騒いだ。「完走表彰式」で最後のビールを観客にぶちまけ終了。酒を求めて、市内の居酒屋へ移動。24時くらいまで、慰労会。
 例年、オーナーの林さんは直前の過労蓄積で、宴会場で早々に潰れてしまうことになっている。ある年などは、宴会駐車場の車から降りることすらできなかったこともある。しかし今回は意識明瞭。200周オーバーの201周という結果にえらく感激、興奮し気炎を吐いていた。
 オイラは当日は岡崎のエジヤン邸に宿泊、翌月曜12:00過ぎにアジト帰還。
<2003へ向けて>
 2001年初完走、2002年クラス賞金獲得。
 2003年の目標は、スペシャルステージ出場+クラス6位以内 or 総合15位 or 205周を達成しないとイケナイ雰囲気かな。

 スペシャルステージ出場には、マシンとライダーの能力を相当上げる必要がある。2分11秒中盤の実現は資金力如何か。
 決勝は、無駄な贅肉をはぎ取り、ミスをしない工夫につきる。
 pit作業。通常交替で1分以上のバッドマークが3回ある。ここで90秒は剥がせる。
 次には「たら、れば」だが、転倒。事前シナリオより455秒の損失。これら2つで計545秒=約4周近く前へ進めた計算になる。
 正式リザルトから約205周で同タイム付近の成績は、総合16位、同ピットのTeam22に相当する。X-Fだと6位以内である。事前シナリオも205周だった。
 さらに上位目指すには走行タイムそのものを削らなくてはならない。削りどころを探る為、2つの平均lapを表にしてみた。
 表1は通常走行の平均。桧垣1回目は突出して悪く、2回目、3回目と急速に向上している。4回目は夜間なので比較できないが、昼間なら17秒台に入ったと想像できる。決勝仕様での走行量が十分であれば、初回から17秒台で走れたかも・・・。桧垣の中間走行は92周だったので周あたり、1秒の短縮できれば合計92秒にもなる。
 表2はカナリ重要な、pit-in,pit-out周のタイム。この差は大きかった。桧垣が大内田に1秒落ち程度なら約40秒は削り落とせる。この2つで、更に1周増やせる。桧垣2回目は転倒修理後であり、同4回目はカナリ暗くなっていたが・・・。
 これ以上はベースマシンが1000にならんと、厳しいかな。

表1:PIT-in-out周を含まない平均タイム比較
- 大内田 備考 桧垣 備考 2人の差
1回目 2:17.21 - 2:19.93 F交換なし 2.72
2回目 2:17.75 - 2:18.79 F交換なし 1.04
3回目 2:16.72 - 2:18.17 - 1.44
4回目 2:17.61 - 2:25.10 夜間、降雨 -
合計 2:17.57 - 2:18.96 4回目除外 1.39

表2:PIT-in-out周の平均タイム比較
- 大内田 備考 桧垣 備考 2人の差
pit-out 2:33.67 1周目除外 2:41.53 - 7.86
pit-in 2:34.60 転倒除外 2:39.27 201周目除外 4.67

 80年から90年のピーク時の観客動員は15万から20万人。日本最大級のイベントで、金曜くらいからは、周辺で車の移動は困難だった。昨年は8万人ということだか、今年は更に少なくなった気がする。参加する側としては、随分楽だが、観客が多い方が8耐らしいかな・・・。
(記02/8/6)(修正02/8/14)



サイトのHOMEへ|DOURAKUMONOへ