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新世紀鈴鹿耐久 ピースサプライ完走!

21世紀最初の鈴鹿耐久オートバイレース

 4時間耐久は600ccクラスに変更になりました。4サイクルエンジンのみでもう、2サイクルはありません。
 WGPも2002シーズンから2サイクルは無くなってしまいます・・・。
 8時間は規則が大幅変更。ライダー3人体制での交替がOKになりました。第3ライダーは予備ではありません。
 開催時期も8月第1周へ移動。例年なら「梅雨明け」直後から「耐久ウィーク」。今回は「空梅雨」も重なり、盛夏本番にしっかり突入。例年よりやや暑さは強烈な印象でした。

 今年は毎度おなじみ、ピーズサプライの林さんチーム。運転手コンビも昨年と同じ。4時間はチームエジテツ系。こちらの組合せは毎年違います。

4時間 ヤマハYZF-R6 栗林 耕史 渡辺 幸夫 チームASウィング
8時間 カワサキZ9R(S-NK) 大内田 実 上村 芳範 ピーズサプライ

チームASウィング4時間予選結果:総合30番手
A組第1 栗林 耕史 2:27.247 予選組中23番手 本人ベスト更新
A組第2 渡辺 幸夫 2:21.133 予選組中 6番手 なかなか良いタイム

 会社終了後、帰宅は17:00。金曜夜の新幹線は混むので、昼休みに20:32発の「のぞみ」確保済み。名古屋乗り換えで「近鉄特急」22:20発にギリギリ、終着白子に23:00。「のぞみ」、「近鉄特急」とも隣が空席で快適快適。
 白子で30分も送迎のエジやん待ち、遅いぞぉ、ったく、急行でもおなじやないか。
 やがて宿へ。今回の宿はサーキットから結構遠く、海に近い、田圃の真ん中、民宿風でもあり、宴会場でもあり、やや不思議な宿泊施設。この数年エジやんは"いびき"が大きくなった。耳栓にて対策、就寝。 

 決勝スタートは8:30。6:30ごろサーキット入り。パドックが広くなり、ピットも増えていた。
 今回は大内田選手がデスクトップを持ち込んでくれたので持参はFDのみ。おきまりEXCEL計算始め、1時間くらいして大方できあがったところで、案の定電源抜けて作業はパーで、やりなおり。(ゴルァ)
 4時間はそんなに上位に行けそうにないし、完走目的とのこと。しかし第2渡辺の予選タイムはなかなか。トップの1秒落ち程度。しかし、スタートライダーにしていなかった。渡辺スタートだったら、最初の交替まで、5〜6位を走れる可能性もあって、おもしろかったのになぁ。が、直前の変更はできない。そこで、急遽なんと突飛な作戦が決まった。

 決勝スタート。1周でピットイン、給油なしで渡辺に交替。一旦50位に落ちるが、その後じわじわ上がっていく。19周(計20周)で栗林に交替、給油あり。ここで22位までもどしていた。
 当たり前の如く、燃費が正確にはわかっていなかったので、最も悪いケースを想定した周回数の設定をしてある。
 栗林の2回目は18周(計38周)、ここで30位。次の渡辺は20周(計58周)
 だいたい2人のアベレージは7秒くらい違う。渡辺が順位を上げて、栗林が何台かに抜かれる。これの繰り返しだがじわじわ順位は上がっていく。燃費も確証がとれて、特に何のトラブルもない。
 さて、ゴールまであと5周くらい。ただいま21位。上がってもあと1つ2つが関の山。感動のチェッカーはマシンオーナーの栗ちゃんにということに。順位が落ちても2つ3つ。20位だろうが30位だろうが大差ない。はい交替。ノン給油。
 最終結果は96周23位。トップは99周、中堅どころチームのペースは大体2分23秒から27秒くらい。4耐がF3だったころに近いカナ。予選落ちもあんまりないので、遅いチームはホントニ遅く2分30秒ペース。4耐ベテラン運転手の渡辺曰く、「600はストレートで休めんもんで、疲れますわ」。
 二人とも怪我しないで、よかったよかった。

4時間耐久ラップチャート(HTML版)

 さて、4耐終わるやいなや、後かたづけ撤収、8耐スタッフへ交替。
 チームエジテツ系からピーズサプライ系へ入れ替わる。一部は兼任。オイラも兼任。
 土曜の午後は8耐のスペシャルステージ(上位チームのみタイムアタック)、当チームは走行なし。明日の準備。

ピーズサプライ8時間予選結果:総合44番手(S-NK23番手)
A組第1 大内田 実 2:15.173 2回目組18位
A組第2 上村 芳範 2:17.677 1回目組20位

 4耐の本日にて帰宅組から、"パドックパス"を、エジヤンから"クアハウス"のタダ券入手。勝手に、ピットから避難決め込む。
 まずは、暑いので、"遊園地"のプールへ。日が傾いてからは、"クアハウス"の室内プールへ。ここで昼寝、快適快適。
 そろそろ18時、洗い場へ移動、混み始めてきた。とっとと身体洗って、マッサージへ。
 クアハウス内のマッサージコーナー。女性2人、オトコ2人。女性にあたりますよーに。しかし、兄ちゃんだった。残念無念。
 ま、オトコなら、がっちり揉んでいただきやしょう、と思ったが、ん、なんだ、なでているだけ、か?ん?
 ヘタクソもここまで来ると、がっくりくる。何度も注意したが、上手にできない様子。大ハズレ。
 45分も凝っている肩、背中をオトコに撫でられて、気持ちが悪い。終わって、落胆して精算しようとしたら、タダにしてくれた。料金とれないようなスタッフおくなよ!しっかり研修せんかい、ゴルァ。
 ここを出る19時頃には、クワハウス棟は入場制限中。

 さりげなくピットに戻る。そろそろ"交替練習"にならないかなと、思ったが、まだまだ。自分も多少PC作業開始。燃料容量や、タイヤ交換の時間を自分の目で確認しなくてはならない。その上で交替案を考える。
 今年は訳有ってガソリンタンクがでかい。燃料限界で走行すると70分以上走れそうだ。しかし、運転手的に無理らしい。60分でさえタイヤも人間も危ういらしい。その辺の若造ライダーが言うことならいざしれず、大内田とジュニアの言うことが一致しているので、さぞ運転がシンドイに違いない。50分程度の走行に決着。そうすると、今のはガソリンタンクが大きすぎる。決勝中は例外を除き満タン法で給油する。余分な容量が確実に■リットル分ある。コノママだといつも重りを積んで走るようなもの。タンクの極秘加工が実行。って、なんがかんだで、21:00頃やっと"交替練習"、何度かスタッフの配置かえたりして試行錯誤している内に、リアのアクスルシャフトのねじ山を破損。これはシャフトにグリスが少なかった、らしい。しかも、なんとスペアがない。いつもの事ながら、肝心なスペアパーツが少ない。無論このシャフトは、手作りもの。滅多に激怒しないハズの林さんがキレタ。暫くして、無言でいなくなった。その後はリア交換なしでの"練習"続行。林さんの動向を確認して、ピット本部解散。林さんは工場でリアアクスルを作っている。
 コンビニ経由にて宿についたは、24時をすぎたくらいか。途中の極秘昼寝が役にたった。オイラはまだ元気。寝床は宴会広間に10人弱、何組かに別れ、風呂。残余は小宴会。全て寝入ったのは2時は過ぎていたハズ。うつろながら、林さんがきたのかな、と思っていると朝になっていた。

 決勝は良い天気、すこぶる暑い。各自持ち場の準備が進む。ピットウォークタイムにキャンギャル偵察。ブラ無しとか、てーばっくとかなかなかスゲー衣装、露出競争。
 さて肝心の交替予定は7ピットイン、21周、22周(次から約23周毎)と言った塩梅。そろそろスタート進行、今年は女子高生17才コンビが傘持ち役。なにらやお目当ては2軒となりピットの"ガチンコ"らしい。なにやらようわからんが、ひとおおりスタート進行を説明、言葉が通じたのかさえよくわからん。

 定刻スタート。流石の大内田選手、2週目からキッチリ安定周回、順位もグリッドまんまに近い40位前後、順当に早くも14周目にトップに周遅れ。21週目、1回目の既定ピットイン、なんと、リアアクスルが抜けない、入らない。大幅タイムロス。次のジュニアは順調走行。ふたりのアベレージは殆ど同じ。リア交換の不安があるものの、順調に37位まで上がる。次の交替のリア交換はほぼ、すんなりと完了。
 淡々時間が過ぎる、灼熱のピット内。ピットロードはもっと辛い。今年はピーズにビックな装備が追加。ピットレーン(サインマン)とピット(オイラ)に通信設備追加。おかげで、ヘッドホンしたままで、状況把握しながら、トイレにも行ける。煙草も吸いに行ける。コレ助かったです。
 このまま何も起こらないかも、と、思ったらブラックフラッグ指示。カウルがバタ付いているらしい。最初はどこかのコーナーで提示があったらしい、オフシャルに確認。サインマンには"ホームストレートの黒旗とゼッケン"を確認するまでピットインさせないように忠告。ライダー自身の判断で自発的にピットインするかもしれない、大内田に交替準備指示。既に交替可能時間に入っている(休息規定:前回走行時間の3分2は休息を義務付ける)。で、次のストレート通過時にサインマンは黒旗確認、次の周にピットインのサイン(しかし、ピットインのサインを出した周には黒旗は引っ込められていたらしい)。
 予定より4周早いピットインすると、カウルなんかはずれちゃいない。黒旗も間違いという。ところが、リアアクスルが全く抜けない。5分以上のロス、主な原因は熱膨張、例年より数度暑いせいか。スプリントで問題はない、シャフトの追加工品。この直前がこのレースの最高順位35位。もうあとは、完走のみの目標。走行自体は順調なのに、次ピット作業も6分以上、その次も5分以上とドンドン遅れ出す。
 夕方、雲行きが若干あやしく、レインタイヤの準備されるが、雨はふらない。

 42位での137週目、コースで多重クラッシュ発生、ペースカーが入る。ピットインなし(この判断は要状況判断)。その後のピットインでは"冷えたシャフト"が用意され、かなり時間短縮。さて、この先順調かな。残り時間は70分強、後1回の交替でゴールだ。
 大変なことになった・・・、"ピーズサプライが完走するぞ!"。 

 監督エジやんにビール(1ケースしかない)の追加要請、するやいなや、そうは問屋がおろさない、ときたもんだ。
 上村ジュニア最後の走行になる4回目の10週目(計160週目)、サインマンから無線、"ストレート通過が遅い"、間もなくピットイン。大内田への交替は休息規定で不可。エンジントラブル、異音振動あり、調査やオイル給油の間にリア交換、給油は不要。6分以上停止して再走行。1周で再ピットし、状態改善やオイル消費量を再確認。アカン。
 完走周回周にはギリギリ、仮に1位が215周の場合(結果は217周)、75%は161周で、ぎりぎり状態。計算と協議も加え約12分間停止、もう1周してみよう。次ピットインは約3分半、更に、コースイン2周して戻ってきて、エンジン停止。
 計164週。
 残り約32分、完走扱い周回数のマージンはできた。しかし8耐というもの、チェッカーフラッグをくぐらなくては意味がなく、厳密な完走ではない。ここまで引き延ばしたのはジュニアの功績である。エンジンの異常を感じて、すぐにスロー走行にした。ピットインし、チームに委ねた。

 さてさて、感動のゴールへシナリオ策定。
 例年より開催が1週間遅い今年の8耐、19:00過ぎに本当のに夜になってしまう。そこへ、いまにも止まりそうなエンジンでコースインしなくてはならない。すっかり暗くなる前に、大内田に"壊れ具合"の確認目的で、1周の夜間走行を提案し、決行。賭けではある、本当に止まってしまうかもしれないが、無事に帰還(165週目終了)。ピット待機にて時間調整に入る。ピットには連続して1時間以上停止できない。
 残り、30分を切った。オフシャルにピットロード出口閉鎖タイミングを再確認してもらう。19時29分が目安、トップが最後の周と思われる周回に入り、コントロールラインを通過したら、閉鎖になる。

 26分30秒待った。いよいよ、ラスト周回に入るべく、トップが最終コーナーを下ってきた。
 これに併走するかの如く、ゆっくりコースイン・・・。

 8時間経過・・・、トップがチェッカーをくぐり、続々と続く。
 コース上の全てのマシンがゴールを通過。1台を除いて・・・。
 そして、大内田は8時間を完走した最後のライダーとして、場内アナウンスで紹介され、観客の拍手と歓声に迎えられた。

 完走最下位の52位(S-NK26位)、最後の166周目は5分46秒1を要した。
 
 とうとう、ピーズサプライが完走した。

8時間耐久ラップチャート(HTML版)

 ゴールと同時にピットのシャッターと締める。暫し、"ピット内ビール宴会"。ご近所は華々しく"水掛け"をやっている。危ないのでPCにはビニール架けて電源引っこ抜く。
 さんざん酔いがまわってきたころ、シャッターの外を除くと、観客がコース上に多数。当スタッフが調子に乗って、完走マシンを外へ出して、記念撮影に提供。ステッカーなどを配布し始めると、さらに人並みが膨らんで、ピーズサプライピット前は最多観客動員。
 さて慰労会の場所選定に暫く要し、やっと大移動。坊街道沿いの大きな居酒屋。当チーム関係者で20人以上いたかな(はっきり記憶なし)。すぐ隣ではホンダ系?WGP系?宴会も準備中。ノリック、岡田選手、伊藤選手、バロス選手などもろもろ。しっかり記念撮影している当チーム関係者あり。居酒屋にトップライダーがいたりするのが鈴鹿っぽい。林さんは例のごとく、既に意識喪失状態。ここを出たのは23時ごろか(不確か)。
 相変わらず、今日のレースで誰が優勝したのか、トップグループにどんなドラマがあったのか、殆ど知らなかった。

 完走した場合、当日中の帰京は困難。当日は岡崎の新築江島邸にごやっかい。翌日9時過ぎにJR岡崎から帰路につく。これが甘くなかった。
 窓口1つに数人が並んでいる。東京なら数分で済むハズだが、予想に反してこれが難関。各人複雑な経路を係と相談しながら購入している。1人に5分以上かかっている。待ち時間に"のぞみ"が1本いってシマタ。最悪。
 自分(東京行き)でさえ、も豊橋から、"こだま"か、名古屋へ戻って"のぞみ"、"ひかり"のどっちがいいのかわからない。ましてや皆さんは、函館とか、日本海方面をご相談している。多様な経路が存在し、割引などが絡んでいる。
 交通網は東京、大阪などを起点につくられているのだった。
 これなら、先ず、自販機券で名古屋へ向かうべきだった。
 思いの外、東京着は遅くなった。岡崎は遠い。

 8時間耐久はここ数年ですっかり様変わりした。
 最盛期は"世界耐久チーム"、"WGP系ワークス"や"スーパーバイク"連中が一枚上手なものだった。彼らのエントリーはめっきり少なくなり、"日本ローカル"レースになってきた。決してピーズのような参加型チームは例外ではない。

(記01/9/25 改01/9/27)


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