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     篠原まるよし風鈴


⑲         ガラスを吹くときあめ等を口に入れていますか?
      
 
              とんでもございません。ガムや飴、口の中に
             入れたまま吹きの作業はいたしません。

             PS、ホールズのPVのときも口の中は空です。



              なぜ、値段が違うのですか?

               (ガラスの形が同じものなのに価格が違うのはなぜ?)

              描いている手間や、難しさが価格に反映されてしまいます。
              それが手作りの難関です。
               ※シールを使った商品ではありません。ご了承ください。
                
              (以前、有名なデパートの偉い人に「理解できない」と電話があったときは
                    「理解できない商品を引っ込めてくれ。」と頭に来た事があります。

                             
                          製作している現場を知らないから
                          お客さんに説明が出来ないですね。。
         



          
夏は何をしているのですか?(驚いた質問です。)
            
              江戸風鈴を作っています。

             佐竹の工房では、販売も製作も
             最近では、製作体験も出来るようにしています。


            遊んでいるように見えたのでしょうか?


 
              冬は何をしているのですか?(⑰と同じ方の質問です。)

                江戸風鈴を作っています。

               オフシーズンのあいだに仕込まないとシーズンが来た時に
              沢山の注文に対応できません。
              ※篠原の江戸風鈴はすべて手作りです。


                         体験学習の下見にこられた先生の質問    2011.8.11



               質問のメールを送られるときにお願いがあります。
              
              質問をされる前に、ご自身の名前などを名乗って
              頂きたいです。
              
              お願いいたします。
              




                 室内型の卓上台は、綺麗に江戸風鈴を演出する為に
                考案されました。
                 風鈴の音がうるさい等の苦情の為に江戸風鈴を室内に下げるのでは無く、
                最近の住宅には軒先も無いし、窓を開けない生活だから室内に飾る
                良い方法は無いかと色々考えた結果です。
       




               江戸風鈴って、ガラスの部分を男の人が作り、女の人が絵を描いているのですか?


                そのような事はありません。

               まるよしの江戸風鈴は、ガラスも絵付けも まるよし(篠原正義)が
               やっています。
                確かにガラスを作るのは難しいし、立ち仕事で
               埃と汗にまみれますから
               女性には大変かも知れません。
               女性には、座り仕事の絵付けの方が向いてますね。
               でも、まるよしは両方やります。

                完成された風鈴は、まるよし製です。

               まるよし風鈴では糸付けや梱包・配送が女性の仕事に  
               なっています。出来た商品にとって、これも大変重要な仕事です。
                                             (現在のところ)

                  町田のOLさんにお答えしました。(勘違いされている方が非常に多いです。)




           Q     この仕事をやろうと思ったきっかけは何ですか?

                少し長くなりますがお答えいたします。
               私は、ガラス風鈴を製作している家の次男として昭和31年に
               生まれ、中学生ぐらいからガラス吹きを手伝わさました。
               中学生の頃は、少し反発があり、手伝うことが嫌でした。
               しかし、父も、母も一生懸命 この仕事をしていたので学校から帰ったら
               手伝いました。部活の無い日曜日も。
               そのお蔭で大学まで行けました。
               家の仕事を手伝う事は、家の繁栄につながり
               素晴らしい事です。学校を卒業したら違う仕事をしたかったのですが
               卒業して、会社に勤めて暫くすると自分の考えていた将来が見えなくなり
               リセットしようと会社を辞めました。(入社10ヶ月)
                当時、私の家(篠原風鈴本舗)は、兄が継ぎ大忙しだったので
               私も手伝いをする事にしました。30歳まで無給。お小遣いは、貰えました。
                              (お小遣いなのに、給料より沢山使ったような気がします。)
                朝早くから夜晩くまで、とにかく、よく働く家族です。(休日なしで)
               風鈴作りを続けている内にどんどん仕事の内容が変わって行きました。
               浅草「ほうづき市」のほうづき用の風鈴ばかりだったのが民芸品店の卸しが
               増え、暫くするとデパートで文化催事として職人展が始まりました。
                                   (色んなタイプを作る必要が出来ました。)
               この頃から家の商品を見直す時間が出来、生涯をこの仕事で行けたらと
               考えるようになりました。
                あまり儲からないけど、こつこつやれば何とか成るさ!!
               
                日本には、四季があり先輩たちが江戸風鈴(ガラス風鈴)を「夏の風物詩」と
               言われるまでにしてくれています。後は、自分の技術がどこまで行けるか?

               ある時、父の儀治がテレビの取材で
                 「風鈴公害に対抗して風鈴のイヤリングを作ろうと思っています。」(1984年4月頃)
               なんて言ってしまいました。
                私と兄(ゆたか)がお互いの顔を見て「どうする。」と言う状態でした。
               父の義治は、攻めの仕事を好むタイプです。
               今の技術ではそんな小さいもの到底無理だし、世間も風鈴を耳にぶら下げるなんて
               認めないだろうと思いました。

                人生とは、面白いものでその年の7月にオランダ・ロッテルダムのジャパンフェアに
               参加出展することが出来、そこで当時関東で一番腕の良い畳屋さん(長田さん)と合流し、
               お友達になりました。長田さんから面白い物が売れていると聞きました。
                畳の縁を1m色々な人が買っていくというのです。あくる日、会場で畳の縁を腰に
               巻いている若い女性を見てビックリ。
               デパートのウィンドウを見れば頭に箸が刺さってるし
               「すごいねーっ、いい物は何でもありかー。」
                
                1ヶ月間ロッテルダムでフェアに参加した後、日本に戻り
               8月の末に小さい風鈴を作りイヤリングとして加工しました。(足の親指ぐらい)
               9月のはじめにテレビの取材があり、そこで女性のアナウンサーが
                「新聞社に知り合いがいるから、これを紹介してあげる」と紹介してくれました。
               そして、9月に読売新聞の全国版に掲載され、
                   「何処で買えるの?」
                      沢山の質問が入りました。(3000通のはがきがきました。※返事も出しました。)
                   最初の頃のイヤリングは、少し大きめでやっと作った品物でした。
                 その時、電話で解説委員の方と色々話したのを今でも覚えています。
                 
                この頃から、江戸風鈴作りに少し自信が出てきたのです。
                この頃に、この家族でこの仕事をやろうと確信したと思います。



               PS, 今思えば、運も良かったですね。

                              ※佐竹工房に体験に来た中学生の皆さんにお答えしました。



         Q     江戸風鈴の音色はどのように選んだら良いのですか?

               江戸風鈴は、やさしい音色のものを選んでください。
               夏の暑い日に
               この音を聞きながら昼寝が出来るようなもの。
               
               
          Q     なぜ、佐竹工房と言うのですか?
 
                大江戸線 新御徒町駅をA2を出たところに
               佐竹商店街があります。
                その中に工房があります。
               そのまんまで佐竹工房です。

                江戸時代、秋田・佐竹藩の上屋敷があった所に
               明治時代に佐竹商店街が出来ました。
                佐竹は藩主の名前です。

                そのお屋敷の敷地内に竹やぶがありました。
               現在、町名として「佐竹」は残っていませんが
                竹藪だったところの               
               公園の名前で 竹町(たけちょう)公園 が存在します。
              
                ” たけまち” じゃなくて ”たけちょう” って言うのが粋でしょ。
              
 
                  石川県、Kさんの質問にお答えしました。




                2003.8月 以来このページを書いていませんでした。
               申し訳ありませんでした。

               質問が無かったのではなく、似たような質問が多かった為
               書くのを止めました。(本人には、お答えしています。)

               これからも、皆さんの質問に喜んで対応したいと思っています。
               
               



         Q     関東大震災や、第二次世界大戦の危機をどの様に乗り越え、
              生産を続けることが出来たのでしょうか?

             

               食べる事が第一のこの頃に平和産業としてのガラスの風鈴
              が生き残った理由ですよね?
               

               第二次大戦が終わる昭和20年頃まで、ガラスの風鈴を作っている
              ところは東京で5~6件ほど有りました。
              その頃、私の先祖達は、夏に近づくと風鈴作り(宙吹き)、
              冬に近づくとクリスマスボールをつくる班(宙吹き)と、
              型物で灰皿(昭和)やインクスタンド(昭和)、ランプのホヤ(大正時代)
              薬を入れるビン、オイルライターの燃料を入れるビン(戦後)、etc・・・
              宙吹きの班と型物の班でガラス製品を作っていました。

               実用品としての需要がガラス工場を助けました。
               オイルライターのビンは戦後たくさん製作され、だいぶ儲かったと
              父(儀治)が話していました。
               
               昭和30年頃からガラスの風鈴を専門に製作するように
              なります。プラスチックの需要でガラスビンが衰退したり、
              万年筆の需要でインクスタンドが要らなくなるなどした為。
               その後、ガラスの風鈴を江戸風鈴と名づけます。
              その頃には、篠原だけが江戸風鈴を製作していました。
              浅草のほうずき市や縁起物を扱う問屋さんに作ったものを
              卸していました。
               東京にガラスの風鈴が残った理由のひとつに「浅草のほうずき市」
              が欠かせません。
              
               お金を掛けずに売れる商品を作り出す技術を持っていたことと、
              大きなお祭りの復活があったからでしょうね。
              
              

              横浜市の Kさんからの質問にお答えしました。

   
          Q  江戸風鈴を製作している所は何軒ありますか? 
          
            私の知っている限りでは、篠原まるよし風鈴と
                                篠原風鈴本舗の2軒です。

                                         ※日本国内で。

                 ※相模原のTさん からの質問にお答えしました。




           Q  今後、何を目標にしていますか?

           まるよしは、独立して12年。
           真面目に風鈴を吹き始めて20年以上が経ちました。
           皆さんの心を感動させるような風鈴の音色を作り続けたい。

           最近、電子チューナーというものを手に入れることが出来ました。
           これを使って江戸風鈴の音階を正確に測り、パソコンに入力する。
           そして、静かな優しい曲を演奏してみたいです。
           新しい事には、労力を惜しまず積極的に挑戦したいです。

                 ※新宿  Sさん からの質問にお答えしました。




           Q  江戸風鈴の制作方法や、道具、材料、伝統など色々な面での
             今と昔の違いを、教えて下さい。

          お答えします。
           江戸時代の制作方法と今の製作方法は、殆ど一緒です。
          また、道具もこれといって変わりません。
           ガラスの材料が鉛ガラス(融点が低い)からソーダガラスになり、ガラスを溶かす
          燃料が石炭からコークスになり、ガスに変わりました。
           一番変わったのは、使われ方です。
          高級品で手に入らなかったガラスの風鈴が庶民の物になったわけです。
          家の中に吊るしていた珍品が軒先に吊るされ、ベランダなどになりました。
          最近、少し上等な風鈴が出てきて、また室内に飾られるようになりました。
          (外に吊るせない住宅事情がそうしています。)

            名称も「風琴」(ふうきん)から「風鈴」(ふうれい)→(ふうりん)、
          そして、篠原義治・私の父が「江戸風鈴」と変えました。

                  ※S・一穂さんからの質問です。



     Q1 何で風鈴と言うんですか?名前の由来を教えて下さい!!   

           風(かぜ)の鈴(すず)だからです。

          日本で最も古いのは銅で出来た風鈴です。
         一枚の銅版を叩いて丸く(私の製作した釣鐘型のような形もあったようです)
         するのです。
         形も鈴のように丸く、風を受けて音を出す。したがって「風鈴」です。
         ガラスで出来た細長い形の時は、風の琴でした。 「風琴」
         (琴のような音色に聞こえたのでしょう。)
         ガラスの風鈴が丸くなってから、琴のような音色が出なくなりました。 

                                 ※・・広行さんの質問にお答えしました。


 

    Q1 江戸風鈴には 江戸風鈴独特の絵柄や使われている絵柄の特徴等があるの
       でしょうか?
          
           その時代の流行の絵柄や縁起の良い絵、粋なものを描いていたようです。
          宝船と松を描いて、宝を待つとか・・・・。
          野菜のかぶと小判を描いて、家富と小判・・・・。
           また、絵柄の特徴は、丸い部分に内側から彩色するので
          制限があります。あまりゴチャゴチャには描けません。
         

    Q2 昔は 朱色の風鈴が殆どであったとのことですが、デザイン的な変遷や変
       化があるのでしょうか?
           
         当然です。
          色に関しては最近、また赤い風鈴をお求めの方が増えてきました。
          (白い花で地が赤。)

          私は、昔ながらのデザインに新しい物を取り込んでいかなければ、
           人が見向きもしない商品になると思い努力しています。
         
        ※同じデザインのものを作り続けて仕事が成り立つのであれば
                                   倒産する会社はありません。

         日本中で、 江戸風鈴を製作している所は、篠原風鈴本舗と篠原まるよし風鈴だけになりました。


    Q3 最近の江戸風鈴にはどのような絵柄のものが多いのでしょうか?

           夏の風物詩になってしまったので、夏らしい柄が多く売れています。
           
    Q4 色付けに使用されている絵の具にはどのような変遷があるのでしょうか?

           昔から、顔料を使っていて殆ど変わりません。
           顔料を溶くものは、特別な油脂です。

           ガラスに色を定着させるのは、大変です。
           昔の人は、ガラスに色をのせる工夫を沢山したと思います。
           
                ※昔の顔料と、今の顔料は少し成分が違います。

       ※ 八王子在住のお父さんからの質問にお答えしました。



    1.江戸風鈴を作っていて、何が大変ですか?

       形が曲がらないようにとか、良い音色が出るように神経を使います。
       また、溶けた硝子を型(かた)や箸(はし)を使わないで成型する事は、
       結構難しいです。
        ※江戸風鈴は、あまり ぶ厚くないので速いテンポで製作しないと
       溶けた硝子が硬くなってしまいます。硬くなってしまうと成型できません。
        (成型とは、形を整える事です。)

    2.江戸風鈴を作っているとお金持ちに成れますか?

       大金持ちには、成れません。
       小金持ちにも・・・・・・?

    3.後継者はいますか?
       
       息子達に期待をしています。
      少しずつお手伝いをしてくれます。


1、 いつ頃 、 ”江戸風鈴” と名づけたのですか? 
    
    昭和30年代になって、風鈴製作の第一人者「篠原 儀治」が、
    宙吹き(かたを使わず空中で形を整える技法)で
    作られたガラス風鈴を”江戸風鈴”と命名しました。

2、江戸風鈴には、 どんな特徴がありますか?

    大きさや音色がすべて違います。
     また、丸型の江戸風鈴は鳴り口(なりくち)の部分が
    ギザギザになっていて
    鳴り口と振り管(ふりくだ)が触れ合うだけで
    優しい音色がでます。

    絵付け、彩色は内側にしてあります。(手描きです。)

3、 どうやって使うのですか?
 
    江戸風鈴の振り管の糸に短冊を付けます。
    その短冊が風を受けて、鳴り口と振り管が
    触れ合って心地良い音色を出します。

     その江戸風鈴を軒先に吊るして楽しむ。
    ところが、最近の建物には
    アルミサッシの普及により軒が無くなりました。
     その結果、
    ベランダに吊るしたり、
    物干し竿に吊るしたり、
    また、隣近所に迷惑が掛からないように
    お部屋の中に、吊るして楽しむ人が増えています。
         
         鉄棒型の台に吊るして、室内で楽しむ。
   (夏にエアコンを使用する家庭が殆どです。窓を開けない生活
    の中で、誰が、外に吊るした風鈴の音を楽しみますか?)
    寂しい時代になりました。

    外を歩いていて、江戸風鈴の音色を聞くと
    気持ちが穏やかになり
    この町がとてもよい町に思えます。
    
   ※江戸時代に作られた風琴は、かなり高価で珍品でした。
   当然 、室内に吊るして眺めていました。
   (夏だけの物ではありませんでした。)


4、 江戸風鈴の良いところはどんなところですか?
  
    鳴り口のギザギザの効果で、優しい音色がでます。
           (ギザギザを作るのは大変です。)  
    内側に絵を描いているのでとても綺麗です。


  音の基本:昼寝が出来る音
     夏の暑い日に窓を全て開けきって
    江戸風鈴の優しい音色で昼寝をする。
    
   ※ 江戸風鈴の音色で昼寝が出来たら、最高ですね。

               *小学5年生の雪奈ちゃんからの質問にお答えしました。



  akikoさんからの質問
    今レポートを書いていて分からないことがあるので教えて下さい。
   1.商品として売れる風鈴を作れるようになるにはどのくらいかかりますか?
         
     10年ぐらいは、かかります。(ガラスを吹いて、絵を描くのですから・・・。
                                     個人差はありますよ。) 

   2.自分の工房を持てるようになるにはどのくらい修行をしないといけないんですか?
        
     基本的には、親方に仕事を伝授されるのですから、親方の OKが出るまでです。