神奈川県−
見てけーろ (10/22)−
冒頭からぶちかましてくれる。
「だべ」を使って怒られた子供がいる!
なぜいかんのか説明してくれ、親御さんよ。
千年の昔から、「
べぇべぇ」言葉は由緒正しい坂東の言葉なのに。
国井氏も、阿木氏には「
だんべ」は似合わない、などと余計なことを言う。本人が、よく使っていた、と言っているにもかかわらず。
本牧の漁師さん。
「
だんべ」「
ひゃっけー」には驚かないが、「
いぬい」には驚いた。これは「北西」のこと。「乾」「戌亥」である。
逆さ言葉も凄いと思うが。
「
ちっちゃかー」というのは「大きい」という意味である、とのこと。
「大きい」は「小さくない」と言うことができる。これはこのあたりでは「
ちっちゃくはねー」である。これが「
ちっちゃかねー」になるのはいいとして、こともあろうに語末の「
ねー」が脱落するのである。これはニュアンスどころではなく、きっちり否定の意味を担っている。それが落ちるのだから、混乱が生じるのは当たり前。
ということを言いたいらしいのだが、素材が悪く、段取りもなってないので、しばらくの間、何を言いたいのかわからなかった。
ところで、本牧って「埠頭」という単語しか浮かんでこないのだが、正しくはどのあたりを言うのだろう。広いの?
次に、外国語から入ってきた単語、というのが出てくる。ここのところ多い。港町だから海外との交流が盛んだったんですねぇ、と説明してくれる。
が、これは地域方言だろうか。港で働く人だけの言葉ではないのか。この番組でも、既に
岩手と
熊本の回に紹介されている。
Internet のサーチエンジンで「
ごすたん(後進:“go astern”)」を調べてみた。
港がある場所に点在している。どちらかと言えば、専門用語であろう。
「
せーう」という単語が紹介されている。「言う」という意味。秋田では「
へる」と言う。「へ」と「せ」が近い関係にあることは
前に述べた。
最後に「
おやげねぇ (かわいそう)」が紹介されているが、これは
宮城の回に出てきたな。
坂東から陸奥が近いことがわかる。
鎌倉ではかつて、この土地に特有の語尾である「
ね・さ・よ」を追放しようという運動が展開されたんだそうである。これを言ってしまったら「
ネサヨ人形」というのを作り、たまると焼いたらしい (がよくわからんな、どういうことなんだか)。ずばり「
ネサヨ人形」という
教育映画が作られた、というから恐れ入る。
東北や沖縄の「
方言札」ほど陰湿ではないが、方言を使ったら罰を与える、というやり口は一緒。
特筆するべきは、この運動が展開されたのが昭和 30 年代だ、ということである。東北の方言札は、戦前から昭和 20 年代がピークで、そのころには既に下火なのだ。
遅れてるなぁ、鎌倉。
秋田県 (追加)
さる人から、「
ふるさと秋田のことば」の文章は、他のに比べて甘いのじゃないか、という指摘があった。地元だからどうこう、というつもりはないので、弁解しておく。
まず、秋田の回の感想は、他県のように 3 回分をまとめるのではなく、独立させようと前から思っていた。感想だけでは足りないので、補足の分がそれなりの量になる。それで分散したということは言えないか。
話は変わるが「
批判」ということばの意味がわかってない人が多い。言葉で飯を食ってる人の中にも「非難」と混同している人が少なくない。
詳しくは辞書を引いて欲しい。「批判的精神」というのが単なる揚げ足取りではないことがわかる。
が、わかってない人の方が多いから、無用の反論を避けるため、上の文章なんて「感想」とか書いてあるわけである。
話を戻す。
この番組も 30 回を越えたところだが、傾向がわかったのである。ぶっちゃけた話、
学術的に切り込んじゃいかんのだ、ということだ。
別の回の感想について貰ったメールでわかったのだが、俺が面白いと思って取り上げた現象の中に「
あれはゲスト個人の癖で、広く使われているわけではない」というのがあるらしい。
学者はそんなことはするまいが、ゲストによっては、サービス過剰ということもあるわけだ。本人も嘘つこうと思って言っているわけではないのだろうが。
時間に制約があるからかもしれないが、説明が不完全だったり、前後が切られてたりして、結果的に嘘になってしまっていることもあるようだ。
そんなわけで、必ずしも正確な方言像を伝えていない。秋田の回に限ったことでもないが、一々取り上げていると小言爺ぃのようになってしまう。
ということで、最近は抑え気味である。
よく読めば、結構なこと書いてると思うんだけどねぇ。
前にも書いたが、ホームページにある文字化データはかなりマズいと思う。これは強調しておこう。
字幕の間違いが多いのもマズい。特に、濁点を落とす傾向がある。これはなぜだろうな。
三重県−
見てなー (11/5)−
聞くところによると、三重は東海なのか近畿なのか難しいところなのだそうだ。
小学校では近畿と習ったような気がするが、テレビなんかは名古屋圏らしい。全国規模の企業なんかだと、名古屋支店が管轄してたりすることもあるのだそうだ。
ところが、言葉の上では名古屋圏とは言いにくいらしい。「木曾三川」という言葉は初めて聞いたが、揖斐川・長良川・木曾川に遮られて、昔は交通が盛んではなかったとのこと。
さて、「
おーとっちょ」という表現が紹介される。「驚いた」ということらしいのだが、ゲストの鳥羽一郎氏は「
おとっちょー」である、と言う。
上にも書いたが文字化のミスじゃないんだろうか。
勿論、鳥羽氏が間違っている可能性もあるし、実は「おーとっちょー」が正しく、その時々、あるいは地域によって微妙に異なる、ということだったりするのかもしれないのだが。
「
へーはち」がゴキブリのことである、というのは
おとっちょー。忌み言葉だったりするのだろうか。
「伊勢の『な』言葉」ということで、語尾にやたらと「
な」がつく、ということが紹介される。2.5 秒に 1 回とかいう数字も出てくる。
それはそれとして、「
終戦後やってっさー」「
言うたんさ」と、「
さ」も頻繁に出てきていたような気がするのだが。これは関係ない? とりたてて特徴だ、というほどのことでもないのだろうか。
「あま」という単語は枕草子にも出てくるのだが、番組中のフリップで「白水郎」と書いてあるのが目に留まった。確かに、海女は白い服を着ていることが多い。でも、「郎」って男のことだよな。
『角川新版古語辞典 (1989)』を引くと「海人」「海士」「蜑」と書くことがわかる。そういえば、秋田の西目町には「海士剥」と書いて「あまはぎ」と読ませる場所がある。辞典には「和名」「阿万」「泉郎」という表記があることも書いてある。
漁師のことを指すこともあるようだが、潜るのはあくまでも女性らしいから、この辺で混乱が生じているのかもしれない。
で、驚いたのは、海女さんは畑仕事もする、ということである。半農半漁の町とは言え、そのパワーには敬服する。これで鉄砲をマスターすれば陸海空制覇である。
だもんだから女性は大変なんだが、年に三回だけ、漁をしなくていい日があるのだそうな。それが「
日待 (ひまち)」。
今日はエラく番組の段取りが悪い。説明がズタズタになっている。
なぜ、漁を休むのが「日待」という名前なんだ?
先の古語辞典によれば、前の晩から集まって日の出を待つ祭りがあり、それが「日待」なんだそうだが。
「上地」「北寺」「白峰」と珍しい名字が続いたのも印象にある。
最後、「
あばばい」が登場する。
鳥羽氏が東京でうっかり使ってしまい、回りに「
フランス語ですか?」とか言われて恥をかいた、とかいう話なんだが、そりゃ「フランス語ですか?」と言った方の人格を疑うべきであって、なんら恥ずかしいことではないと思うのだけどねぇ。
チャラチャラのアイドルならともかく、海洋演歌 (何それ) の鳥羽氏だからこそ、俺の故郷ではこういうんだ、と胸を張って欲しかった。