Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第192夜

ふるさと日本のことば (6) −高知、福井、岩手−



高知県−見とおせ (7/9)−

 いきなり柳ジョージの「酔うて候」とは驚いた。高知衆って酒呑みなのか。
 後半で、「まな板洗い」という語が紹介されていた。これは、大きな宴会が終わった後、片付けの女性達が残った料理を集めてやる宴会のことだそうな。女性だけの「あどふぎ」というわけだ。
 中村方式ってのが発生するのもむべなるかな。

 土佐と言えば「いごっそう」、その代表格とされる魚市場のおっさん達の話。内容は、誰が一番の酒呑みなのか、というたわいもない噂話なのだが、これがエラく面白い。なぜだ。開放的な気風によるものだろうか。
 なお、この「いごっそう」は、いたずら好きで言うことを聞かない子供などにも使うらしい。

 特徴的なのは、四つ仮名の使い分け。
 つまり、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の発音が違うのである。「富士 (ふじ)」と「藤 (ふぢ)」などが紹介されていた。
 驚いたのは、そこで登場したオバチャン達。
 「づ」は“du”だから「ドゥ」に近い発音となる。そこで「舌をちょっと (上あごに) つけて離すがぞね」と舌の位置まで解説してくれた。普通、こういう現象は体得しているものであって、なにがどう違うのかは説明できないものである。すごい。

 高知の言葉は、東部が土佐弁、西部が幡多 (はた) 弁とわかれるらしい。
 中島氏は、幡多弁の地域である中村に長く暮らしていたそうだが、土佐弁を「音を引く」と表現していた。
 例えば、現在の状況を示す「〜よる」を、土佐では「〜ゆー」と言う。「来よる」が「来ゆー」となるわけだが、この「」を言ったのである。
 幡多弁話者には、キツく感じられるのだそうだ。

 若者の「って言うか」がここでも使われているが、土佐弁特有の「よー」という語尾がつき、「って言うかよー」となる。仙台の「超いずい」と同じ、方言の底力を感じさせる現象である。

 心に残った表現、というのが毎回取り上げられる。
 今回は、願掛けに神社を探していて場所を尋ねたところ、「お首尾ように (首尾よく願いがかなうといいですね)」と言われた、という話。
 そういう発話をすること自体は、特に珍しいことではあるまい。
 が、「かなうといいですね」ではなく「お首尾ように」という表現、いつも耳にしているのとは異なる表現であったことで、言われたほうが改めて気づかされ、一層深い印象が残る、ということはある。
 今までは、こういう辛気臭い話は嫌いだったのだが、そういう観点から考えると、このような取り上げ方も意味のあることなのではないか、という気がした。
 つまり、これは方言の話題ではなく、人の気持ちに関わるエピソードなのだ、ということである。

 中島氏が実に楽しそうに話をしているのが印象に残った回であった。
 強い愛着が感じられる一方、独り善がりの解釈ではなく、梶尾氏に学術的な裏づけについて確認するなど、非常にバランスのとれた話し振りであった。
 この人、みちのくを舞台にした大河ドラマ『炎立つ』の脚本を書いた人で、俺にとってはなじみの名前なのだが、こういう人だったのか。
脚本家 中島 丈博
高知女子大 梶尾 直和
高知放送局 山路 忠生


福井県−見てんでのう (7/16)−

 俺も福井の言葉と言われてピンと来なかったのだが、冒頭のインタビューでも、よくわからんと言う東京の人にスキットを聞かせてみたら、「福島の言葉に似てる」「九州の言葉に似てる」と評価がバラバラ。
 なにせ、富山出身のアナウンサーが、福島から北関東の言葉に似ている、と思ったというのだからスゴい。

 語彙の面だが、「おちょきん」が「正座」であるという。『方言自慢(小学館文庫、川崎洋)』によれば、白河には「おじゃんこら」という語があるらしい。秋田の「おっちゃんこ」とかと同じ言葉だろうなぁ。「御座」なのかなぁ。

 イントネーションが独特。文末から 2 つ前の音が上がって降りた後、ちょっとだけ上がる。
 何かに似ていると思ったら、いわゆる「半疑問形」である。あそこまで極端には上がらないが。
 すかさず、加藤氏から、相手の反応を見ながら話を進める、という説明がついた。大当たり。
 若者言葉も、このイントネーションから逃れられない。「って言うか」も、
って言うか
 となる。
 それにしても「って言うか」は 2 週連続登場だ。

 次はアクセント。
 ここは無型アクセント地域なのであった。
 「あめ」という単語だけを聞かせて、「雨」なのか「飴」なのかあてさせる、というのをやっていた。ちょっと気の毒、と思いはしたが興味深く見た。
 さて、この無型アクセント地域。他にはどこにあるかというと、東北から北関東の太平洋側と、九州の佐賀から宮崎にかけて斜めに分布する。
 つまり、冒頭のインタビューで出た「福島の言葉に似てる」「九州の言葉に似てる」という印象は、これが理由なのである。
 なんとドラマティックな展開。見事な番組構成と言える。
 これは意外だったのだが、高年層にはアクセントを区別していた痕跡が見られるという。無型化したのは、ここ 100 年足らずの間、ということらしい。

 特に紹介はされなかったが、「おとましい (もったいない)」という俚言が聞こえた。
 これが名古屋でも使われていて、秋田の「いたましい」に音が似ている、という話は前にもした。分布状況が気になる。

 最近の女性は、自分が何かを言った後、感嘆したかのように下降調で「うーん」と言うことがある。「えぇ、そうなんですよ。うーん」という具合だが、ちょっと字面では伝えにくい。
 これ、俵氏も使っていた。
歌人 俵 万智
金沢大学 加藤 和夫
福井放送局 大木 浩司


岩手県−見てくなんしぇい (7/23)−

 岩手県は、かつて南部藩であった中北部、かつて仙台藩であった南部、海沿いに分かれる。北部が南部である。
 にも書いたが、固有名詞の「南部」と、南の方の「南部」とではアクセントが異なる。

 字幕で気になったのだが、濁点が落ちていることが多い。「牛」は「べご」であって、「べこ」ではない。画面では明らかに「べご」と発音しているのだが。
 こういうことはこれまでにもあった。スタッフの耳が悪いのか、何かの資料に邪魔されているのか、標準語の影響を受けた思い込みなのか…。

 「馬がおがる」という表現が出てくる。
 「おがる」というのは、「育つ」という意味なのだが、秋田の (正確には俺の) 語感では、「おがる」は植物に使う言葉である。「馬がおがる」には違和感を覚える。

 ゲストの高橋克彦氏。
 この番組に出るまで、「いやいや」に相当する「じゃじゃ」が俚言だとは思ってなかったそうな。時代小説の中で使ってもいるという。
 「ばっけ」もふきのとうの別名だと思っていたというから、全く、困った人だ *

 東和町の喫茶店が登場する。
 岩手に特有の「ねぇ」に相当する語尾「なはん」の実例として取り上げられたわけだが、この会話は、方言社会における文体の高い日常会話の典型例ではないか、と思う。
 全体の枠組みは共通語なのだが、「なはん」のような間投詞、イントネーションやアクセント、個々の単語など、いたるところに方言的要素が顔を出す。したがって、部外者の人間にとっては非常にわかりやすい会話となる。
 旅行者などにとっては親しみやすく好印象を抱くことが多いのだが、一方で、「岩手の言葉ってあんまり東京と変わらないのねぇ」という誤解を抱かせる、ある種の危険性も伴っている。
 まぁ、方言社会の実態であるとはいえるのだが、

 ユーモアというトピックがあった。
 海沿いの山田町では、船から海に落ちたりして濡れてしまうことを「たこつったたことった」と言うらしい。海のない中北部では「かっぱとる」と秋田と同じ言い方をする。
 他に、密造酒にかかわる作業を「おっほ」と言うそうだが、これはふくろうのことである。どちらも夜に忙しくなる。
 諺や、こういうたぐいの表現をたくさん取り上げてくれると楽しいのだが。

 全体を「やさしげ」でまとめようとしている。
 そんな筈は無いのだが。
 「なはん」の響きに引きずられすぎではないか。
作家 高橋 克彦
青山学院大学 本堂 寛
盛岡放送局 阪本 篤志




*
 と書くと、非難しているととられるかもしれないが、俺はファンである。愛情ゆえの表現であるとご理解いただきたい。ただ、その小説には心当たりが無い。
 小説やエッセイだけでなく、講演や対談などの話を聞いたことがあるが、この人、非常に気さくな人のようである。これも愛情ゆえの表現だが、はんかくさいところがある。とても、吉川英次文学賞や直木賞をとった大作家とは思えない。
 その吉川英次文学賞の対象作『火怨』は、みちのくに住まいするもの必読の書、と思う。みちのくは負けないのだ。(
)




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