Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第206夜

ふるさと日本のことば (9) −滋賀、山梨、島根−



滋賀県−見てみやんせ (10/1)−

 松居 一代、しゃべるしゃべる。その割に説明がたどたどしい。科学的でない、というべきか。愛郷心が前面に出てしまっている、ということなのであろうか。「どういう風に使うんですか」ってふられて「普通に」では答えになっていない。

 勿論、よそ者の俺には、滋賀の言葉がどんなものなのか、なんてわからない。去年、彦根には行ったのだが、米原からホテルまでタクシーで直行だったし、地元の人というと、その運転手くらいだなぁ。ま、普通の関西弁という印象。これはきっと、俺の耳が悪いのと、ちゃんとした知識がないせいだろう。
 が、ネイティブにとってもそういうものらしい。あんまり「これ!」というのがないみたいだ。
 という話を、最終的には、街道にはぐくまれた言葉、という方向に持っていく。
 京都から、若狭街道と中山道 (更には東海道) という街道が出ている。北の方 (松井氏が「湖北」と言っていたが) では、福井方面に繋がる北国街道が走っている。北国街道は京都には繋がっていないので、言葉遣いが異なる、というわけだ。
 ストレートに話をそこに持ってけば良かったのになぁ、と思う。これが柱だったと思うのだが、柱になっていない。
 若狭街道の福井側と、中山道の岐阜側とでも違うはず。それを紹介すれば厚みが出たのに。

 「とうもろこし」の件。
 これ、漢字で書くと「唐+唐土」でどっちも中国やん、って話は前にした。
 中山道と若狭街道沿いでは「なんば」、北国街道沿いでは「こうらい」というらしい。「南蛮」「高麗」でどっちも外国 (北国街道方面で「なんば」というと「唐辛子」をさすそうな)。
 日本人って、簡単に出所で片付けちゃうんだなぁ、と思った次第。最近は少ないのかな。「メリケン粉」あたりで止まってるかもしれない。これだって「粉」がついてるしな。

 「にごはち」の説明がよくわからんかった。
 2×5=8、ってことで、正確ではないけど大体 OK、ってことから、「ぼちぼち」くらいに相当するらしい。
 が、市 (いち) との関係が不明。
 “2”と“5”と“8”のつく日に市が立った、というのとどういう関係があるのかわからない。その関係で「にごはち」というフレーズが既にあって、そこに新たに意味を付け加えた、ということか?

 「きゃんす」もわからんかった。
 誰かが来ます、ということを表現する場合、次のようなルールがあるのだそうだ。
 来る 来ない
目上の人 きゃーる きゃーらん
同じ立場の人 きゃんす きゃんせん
 が、最近では、目上でも仲がよければ「きゃんす」を使う、ということらしい。
 それ自体は昔からあったのではないかと思うのだが。敬語云々より、目上・目下の区別がゆるくなってきた、ということなのだろうか。あるいは、昔は絶対敬語的特徴があった、ということなのか。
 それと、これは女性だけが使う言葉なのか? インフォーマントが女性ばかりだったのだが。

 「さよなら」に相当する「いんでこほん」だが、「いんでこうわい」というのが愛媛でもあった。

 秋田のときにもあったが、方言に詳しくない人やネイティブでない人には気づきにくい間違いや、説明不足な点が多い。ホームページの文字化にも相当の間違いがある。これはなんとかして欲しいもんである。
 せっかく専門家を引っ張り出してるんだから、最後に考証してもらえばいいのに。

女優 松居 一代
元 国研 地方研究員 熊谷 直考
大津放送局 伊奈 正高

山梨県−見ておくんなって (10/8)−

 山梨は、甲府盆地を中心とする国中 (くになか) と、東側で富士山に接する郡内 (ぐんない) にわかれる。
 全体としては、語気が荒い、という特徴があるのだそうだ。具体的には、「ぶったたく」の「ぶっ」のような接頭語が多い、「石っころ」のように撥音が多い。
 が、この番組でこういう表現を聞くことが多い。これが該当する方言って多いんじゃないのか? ひょっとしたら、特徴としてあげるのは問題なのではないか。

 語彙で記憶に残ったのは、「わにわにする」。いたずらする、ってことらしいが、「わにる」ってのを長野の人から聞いたことがある。
 「からかう」は面白い。「手間をかける」ということらしい。
 会社で、「あの顧客はどうしたかね」に「はい。今、一生懸命からかかってます」と答えて叱られた、というエピソードが紹介されていたが、ということは「からかう」は文体が高い場面でも使うことができる、ということか。
 あとは「けける」。自分の目線くらいの、比較的、高い場所にものを置くこと。こういう限定された単語が、いかにも方言らしくてよい。

 さて、「じゃん」。後で、神奈川でも出てくるが。
 山梨でも老若男女問わず使われる方言だそうだ。
 そればかりか、「じゃんは山梨の言葉である」とばかり、昭和 58 年に「いいじゃん節」という歌まで作られたという。
 しかるに若者達はどうか。
 インタビューの様子を見る限り、「使わない」と「使う」に分かれている。どうやら、後者は山梨の言葉だとは思っていない模様。完全に「東京のじゃん」に負けている。

 西端にある早川村の奈良田地区。
 山の中、交通が不便な地域にある。
 その結果、他の地域とは異なった言葉遣いがなされることになる。例えば、高知の回で紹介された四つ仮名。
 しかし今では、既に方言的ジェネレーション ギャップが生じているのだそうだ。残念ながら、ここの方言は消えていく運命にあるのだろう。
 それを意識してのことか、あるいは方言学的に興味深いからか、ここを取り上げている時間が割と長かったように思う。おかげで番組が格調高くなった。ときどき、こういうのがないとな。

 これまでの放送では、ゲストに大学の先生ではなく「○○弁を守る会」みたいなのが出てくると、「○○弁が好きなんですー」の合唱になって、見てるほうが困ってしまう、ということがあったのだが、今日は違った。小林氏の話にはかなり深くて広い知識が背景にあると見た。
 これで、難しい言葉を使わずに説明してくれれば完璧である。

 山梨の『街かど情報 TSURU』で、国井アナの講演会の様子がレポートされている。「わにわに」など取り上げたのだそうだ。
山岳写真家 白籏 史郎
山梨ことばの会 小林 是綱
甲府放送局  鈴木 健一

島根県−見てごしたい、見てやんさい (10/15)−

 冒頭、ゲストが紹介するエピソードが中々気がいている。
 松本氏が、島根の人が東京に行ってタクシーの運転手に外国人と間違われた話。
 田籠氏が、島根に来た当時、タクシーの運転手の話が全くわからなかった話。
 ちゃんと対称になっている。

 島根は、西側が石見 (いわみ)、東側が出雲である。隠岐は出雲側に入る。
 各語彙はともかく、あんまりはっきり違いが説明されていなかったな。

 島根といえば『砂の器』、と秋田衆は思ったりするのだが、松本氏曰く「あんまり東北弁に似てると思ったことはない」と肩透かしを食らわしてくれる。いーんだけどね。
 出雲はズーズー弁の地域。東北が大きな塊だとすると、飛び地のようになる。
 例えば、「しじみの味噌汁」が「すずむのみそする」になる。
 “\60”は「ろくじゅーえん」だが、「じ」が「」になって、「ろくずゅーえん」となる。
 東北のズーズー弁はこうはならないと思うのだが、どうだろう。特に後者。拗音は対象外じゃなのかなぁ。調べりゃ済む話だが。
 この後、洋服屋とその客の会話が紹介されるのだが、その客のほうの発話は、全く違和感がない。まるっきり秋田弁と言っていい。
 しかし、商売の話をするのに、最近の天気、家族の健康、いただき物のお礼 (去年のお中元まで持ち出す) と来て、やっと本題に入る、ってのは本当なんだろうか。このスピード重視の IT 革命の時代に。ま、一国の総理が乗り遅れてるくらいだから構わんのかもな。

 「ばんじまして」という言葉も前から気になっている。これ、挨拶の言葉なんだが、夕刻のみなのだそうだ。夜になってしまうと使えない。
 「お仕事、お疲れ様でしたに」相当する表現で、そのため家に帰るタイミング、つまり夕方にしか使えないというのもはあるようだが。
 夕方にしか使えない挨拶、募集中。

 浜田市で、方言番付を作った医者が紹介されている。
 広島のときにも医者が取り上げられていたが、痛みや辛さを示す俚言が理解できずに困っている医者は多いのである。
 面白いと思ったのは「だいしょう」。「少しは」ということらしい。「多少」という表現があることを考えれば納得。
 それより、この医者が使った「うちのナース」が気になる。
 若年層が「大きくなったらナースになりたい」というケースがある、という話は聞いたことがある。これだけならテレビの影響かと思うが、医者が使うとなると、別の事情か。

 もう一つ、松本氏の「使わないです」という表現。
 「使いません」じゃないのか。小説家でもそう?

作家 松本 侑子
島根大学 田籠 博
松江放送局 斎藤 政直




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