三砂ちづる『オニババ化する女たち』には、山姥メイクのガングロ少女は出てこない。サブタイトルにもあるように、身体論の女性版だ。

上の世代から「むりに結婚しなくてもいいよ」というメッセージを受け取り、しかも自分では相手を見つけられない人たちに向けて書かれた。よって、負け犬とか、すでに結婚し何人も子どものいる人、不妊に悩んでいる人などは対象外。

多くの女性が「自分の体を自分のものとしてうまく把握できていない、という漠然とした不安」(p20)をかかえている。そのまま年をとると、「社会のなかで適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、山に籠もるしかなくなり、オニババとなり、ときおり「エネルギー」の行き場を求めて、若い男を襲う」(p3)ようになる。そうならないように呼びかける本だ。何度もうなづき、ときには首をひねり、目を丸くしたりして読んだ。まことに忙しい本である。

主張の要点は、「早婚のすすめ」にある。
結婚において相手をこと細かく選ぶようでは、だめだと思います。誰かとともに暮らすことを第一にして、とにかく縁があった人と、誰とでもいいから結婚するというぐらいが、大事だと思います。(p184)
「誰とでもいいから」よりも「縁があった人」に力点を置けばいい。自分でこれは何かの縁だなと思えれば、迷わず踏み切ろう。「赤い糸」というのは、そのための思い込みの手段だ。もちろん早婚すなわち子どもなのだから、周囲の大人がDV野郎ではないか、飲む・打つ・買うで借金だらけだとかをチェックする必要はある。
結婚とか、子どもを産むとか、誰かと一緒に住むというのは、全部「思い通りにならないこと」を学ぶことなのです。それを学ぶ一番よい機会が結婚とか、子育てでしょう。(p184)
幸せは人の数だけある。「自分の子宮を中心にした生活」もそのひとつなのだろう。男にはできないので、武道でかまんするしかない。

母親の軸がないとしつけができない。母親がぶれないように成熟するには、「自分が人生や人間をどう見るか、というようなことを、それこそ子育てをしながら学ぶしかないわけ」(p222)だ。

三砂は疫学の専門家で、JICAなどで15年働いた経験がある。ブラジルの東北部では、助産所をつくるために奮闘した。そのときの体験から、
ブラジルでは子どもをせかしません。本当にじっと待っています。着替えが遅いとか、何かがスムーズにできない、とかそういうことでも、大人はずっと待つのです。(p223)
家族を「セクシュアルな関係を核にした、知恵の伝承機構」と定義する。夫婦仲がよく、家の中にエロスがあふれていれば、娘もお母さんみたいになりたいとあこがれるだろう。

次世代への知恵の伝承という観点からは、子どものいない人に「斜めの関係」をすすめている。たとえば、身内やよその子に負け犬のすばらしさを説いてもいいわけだ。それがいまをいきいきと生きるからだを育てることにつながれば、なおけっこう。

性を取りもどすには、こんな評論よりも小説の方が効果的だろう。もっと有効なのは若い芸能人のできちゃった婚かもしれない。スピリチュアルの氾濫よりも早婚ブームの方がましだ。巻末に参考文献が並んでいるが、山人の出産にまつわる映画として、萩原健一主演の「瀬降り物語」(1985)をおすすめしたい。

香山リカのように「結婚がこわい」人に寄り添うのもいいけど、あっけらかんと、早く結婚しちゃいなさい、というのもアリだと思う。
  • オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す 三砂ちづる 光文社 2004 光文社新書166 NDC495 \720+tax

(2007-10-07)