学ぶことでからだが育つ



 宮沢賢治にかぶれていた鳥山敏子が、シュタイナー教育に一歩近づいた。その到達点を次のように表現する。
(人生におけるつらい体験は)どんなにその人にとって受け入れがたく、つらく、苦しいものであっても、その人の魂はそれに取り組む力を内包している。それに取り組むことこそが、その人の人生の道の仕事。その仕事あってのその人なのだ。それに取り組んでいく過程すべてが道であり、それによって自分を表現し、生活し、文化をつくり点と地とつながり、自分の精神、魂を自由にしていくことを可能にしていく。
 賢治が法華経の教えを童話の世界に書き込んでいったのと同じように、鳥山も賢治が指し示した世界を「賢治の学校」やワークの中で実践しようとしている。

 日本に住むほとんどの人が学校教育を受けているので、1億総教育評論家になりうる。しかし鳥山は私とはくらべものにならないくらいに、真剣にしかも長い間考えつづけていて、思わずその発言に耳を傾けたくなる。
本当の学びは倫理観を育てます。何が本当の真理なのかを追究していくからだを育てます。お金をたくさんもうける人間を作るために学校があるわけではないことが、当然のようにからだで分かってきます。本来のお金は、人と人をつなぎ、人と自然をつなぐ役割を果たすものだということが分かってきます。
 つづけて子どもが望む教師像について語る。
子どもたちにとって本当の権威がある人とは、自分の体や魂が本当に欲しいもの、自分が目指したいものを持っている人ではないでしょうか。(中略)子どもたちそれぞれが、自分もほんとうはそんなふうに立って、生きていきたいと無意識に思うところに触れてこそ、生じてくるのではないでしょうか。そして、子どもたちの中の銀河の心に触れるきっかけを教師が与えてくれたとき、子どもたちの中に湧いてくる思いが、「畏敬」なのではないでしょうか。
 いまをいきいきと生きるからだを持っていれば、何を思考し、感じ、実践したいのかを自分で決めることができる。これこそが鳥山の持つ人間観であり、一番言いたかったことだと思う。
  • 親のしごと教師のしごと 賢治の学校の挑戦 鳥山敏子 宝蔵館 2000 NDC371.1 \1800+tax
(2000-12-23)
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