Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第536夜

Aha!



 先週の『方言は気持ちを伝える (真田信治)』が出たのは 1 月中旬、こちらの『変わる方言 動く標準語 (ちくま新書)』は 2 月中旬。ついこないだである。
 これは、著者の井上史雄氏がドイツでやった講義を文字化したものである。それをベースに手を入れているらしい。どうりで『日本語学』に連載してるエッセイにヨーロッパの話題が多いと思った。

 まずは方言のイメージの話題から。
「大阪弁」というと、会話が調子よくて楽しい、というプラス イメージがあるが、よく「お笑いの言葉」というように一緒くたにされてしまったり、もっとマイナスに振れれば、ガラの悪さというイメージだったりする。
 そのため、大阪の人は一般に大阪弁を隠さないといわれているが、女性の一部は隠そうとするらしい。細かい差がわからない人でも、それが「関西弁」であることは大抵わかるが、その「関西」には「京都」も含まれる。女性の美的イメージを考えた場合、京都と大阪とでどちらがプラスかは言うまでもない。この本では、京都弁をつかった化粧品の CM の話題も触れられているが、大阪弁の化粧品の CM は考えにくい (東北弁はもっと考えにくいが)。そんなわけで、関西弁話者だと思われると不利、と考える人がいるらしい。割と納得してしまう。そんなに数はいないのだが、俺の知っている大阪出身の女性は、その辺を気にしない人ばかりのようで、そういえばそうだな、と言えないのが辛いところだが。

 取り上げた NHK の調査がまとめられている。
 全く気づいてなかったのだが、この調査 (に限らず多くの調査で) で使われる「なまりが出ることは恥ずかしいことですか」という質問、これは一般論としての質問である。少なくとも、形の上では、「あなたは恥ずかしく感じますか」という質問ではない。相当にリンクしているとは思うのだが、本人の意識だと思って解釈するのは間違いだった。
 また、地元の方言が好きですか、という質問も曲者だ。嫌いだと思う人はそこには住んでいない可能性が非常に高い。だからちょっと割り引いて考えておく必要がある。逆に、嫌いだ、という反応については、その地域にかかわりのある人とくくったときには割り増しして考えなければならない、ということだ。
 都市周辺部の住人は、「埼玉都民」「千葉都民」などと言われるように、意識が都市にいってしまっている可能性が高い。好きで周辺に住んでいるのではない、と考えているかもしれない。それはそうだ、と思ったが、自分が前に書いた文章ではそういう解釈をしていなかった。迂闊。

 方言札について触れている。
 イギリスの植民地統治が、英語をしゃべらせるようにはしたが、母語の使用は禁止しなった。それとくらべて、日本では標準語をしゃべらせるために方言の使用を禁止した。つまり、バイリンガルの否定こそが問題で、それを「戦前の日本人の考え方」としているが、現在の日本人も大分、そういう考え方をしていると思う。他人のやり方、自分と違うやり方を認めない方向へ、ずいぶんと洒落にならないほど傾いている。
「正しい日本語」教の布教に熱心な人たちは、「正しくない」日本語を使う人について、時折「日本人とは思えない」「日本人とは認めない」などと過激なことを口にするが、多分、自分たちの言動がほかの人からどういう風に見えているか、ということは考えたことないだろうなぁ。

 方言産業地図、という言い方をしているが、いわゆる「方言グッズ」の数である。氏が集めたもので、全商品を網羅しているわけではないが、北東北・近畿・九州というピークがあるのはわかりやすいだろう。
 氏は、観光客の数、方言的特徴の程度のほかに、地元の人がそういう商品を作ろうと思うかどうかの違いも大きい、と述べている。
 それって、確かに方言に対する愛着もそうだろうけど、観光資源があんまりない、ってことかもしれない、とか言ったり。

 面白いグラフがある。
 さまざまな文献にある漢語の割合を次代別に並べたものである。当然、昔から現在に向けて上がっていくのだが、その中に、方言に関する文献を位置づけると、17〜19 世紀の辺りに来る。これは、新古の問題ではなく、方言の中に漢語が出てきにくい、ということを示している。
 このグラフも、方言を別にして、辞書の語彙全部を見るのと、使用頻度の高い単語だけで見るのとでは割合が変わり、後者では漢語の比率は低くなる。
 つまり、それも「外来語」だということを示しているのではないかと思うのだが、「正しい日本語」の人、そういう意識は持っているだろうか。

 というあたりで紙数が尽きた。
 勝手に書いてる文章だから長くなってもよさそうなものだが、いまだに、開設当初の「ダイヤルアップでもストレスを感じないホームページ」という方針を捨ててないので、この辺で。
 次回は、この本で取り上げている、国際関係と、目からウロコの統計手法について。




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