Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第167夜

好きやねん、大阪弁 (上)




 もう一ヶ月も前の話だが、年末年始で寄席演芸を見る機会が多かった。もともと好きな
.
方だし、寄席芸でないドタバタのお笑いはどうにも底が浅くてつきあいきれないため、ベ
.
テランの芸ばっかり見ていた。俺が一番好きなのは、いとしこいしに敬意を表しつつ、
.
ール阪神巨人である。

.
 というわけで、大阪弁づいている。
.
 に、『言語』誌の 1 月号が「『大阪語』論」という特集をしているという話をしたが、そ
.
れを筆頭に大阪弁に関する文章がいちどきに集まったので、それを混ぜ合わせて話を
.
してみようと思う。


 まず大阪という街の特質を整理しておこう。
.
 尾上圭介・葛西聖司・若一光司 3 氏の座談会「大阪のことば、大阪の文化」でも、佐藤
.
誠氏の「大阪弁の精神」でも、江戸の住民の半数が武士であったのに対して、大阪ではど
.
う多く見ても一割に届かなかったこと、男女比も、江戸で男 4: 女 1 であったのに(*1)、大
.
阪ではほぼ半々だったことを挙げている。どちらも、形式のみで理屈の通らないものを
.
許さない気風や、あけすけで精神的な垣根の低い気質を醸成する原因になったとされて
.
いる。
.
 更に俺の管見を付け加えれば、江戸にしろ、東京にしろ、その成立期に多数の人間が
.
流入している。人の流入だけなら都市の性格として当然のもので、大阪でも京都でも一緒
.
なのだが、流入してきた人間が権力を背負っているという点が異なる(*2)。これが自然で
.
率直な交流を妨げていたのではないか。
.
 更に、古くは京都に対して、近くは東京に対して、と常にナンバーツーであった。それゆ
.
えに生じる活力、という点にも留意したい。


 大阪が大都市である、と書いた。
.
 これは確かにその通りである。人口やら経済力やらを敢えて言うまでもない。
.
 ところが、『日本語学』誌 12 月号で井上史雄氏が、大阪弁を真似て使おうとしたら、
.
大阪の人に、気持ち悪いからやめてくれ、と言われたと書いている。氏はこれを、寛容
.
度の低さと見る。
.
 そう言えば、俺にも経験がある。色々と他地域の方言を使ってみたことがあるが、や
.
めてくれ、と言うのは大阪だけのような気がする。京都はどうだろう。
.
 大阪弁に誇りを持っているから間違いを看過できないのだという見方もできようが、他
.
者が溶け込もうとして行っている努力を認めないあたりは、田舎的性格と考えてもいいの
.
ではないか。
.
 なお、『言語』誌の座談会では若一氏が「大阪弁帝国主義」という表現を使っている。


 さて、大阪弁は一大勢力を持った方言である。子供も大人も使っているのであろう、と
.
我々は思う。が、そうではないらしい。
.
 真田信治氏の「変容する大阪ことば」で、幼児期には標準語でしゃべり、小学校中学年
.
あたりで急激に大阪弁に移行する実態が報告されている。
.
 これは、去年の、道路公団における大阪弁禁止令とならんでショッキングな話である。
.
 大阪弁だけではなく、秋田で幼児が「こっち来て」と秋田弁らしからぬ表現で親を呼ぶ、
.
という事例と考え合わせてみると、方言が第二言語として位置づけられているのではない
.
か、という指摘は重要であろう。


 長くなった。次回に続く。



*1:江戸とひな祭りについて→「子供の日()
.
*2:開幕時の既存住民について→「東京弁擁護論 (前)()




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第168夜「好きやねん、大阪弁 (下)」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp