Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第149夜

東京弁擁護論(前)




 テレビなどを見てると八百屋の名称として「三河屋」が使われることが多い。最近のド
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ラマは見てないが、ステロタイプとしては、八百屋といえば「三河屋」である。
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 これは何故かというと、家康が江戸に幕府を開いたときに、地元の三河から商人など
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多数の人間が入り込んだからである。家康が連れていったのだ、という話を聞いたよう
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な気もする。
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 ということで、江戸時代にあっては、単なるイメージだけでなく、実際に「三河屋」という
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店が多かった、というのが理由だ。
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 300 年後には東京として生まれ変わるこの町は、一時、世界一の人口を擁する大都会
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だったこともある (*1)。これは、江戸−東京に入ってくる人間の数が非常に多かったことを
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意味する。江戸も東京も、そういう人が作り上げてきた街である。
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 取り上げるのが何度目になるかもう忘れたが、「あさっての次の日」をなんと言うか調べ
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ると、大まかには、西日本が「しあさって」、東日本が「やのあさって」という配置なのに、
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東京の東半分だけは「しあさって」となる、という調査結果がある。 (*2)
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 他にもそういう傾向を示す現象は多いらしいのだが、これは、明治期に江戸が東京にな
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り、政府中枢の役人が薩摩・長州をはじめとする西日本からやってきて、それにともなっ
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て、西日本の習慣と言葉が入り込んだためである。東京の東半分、というのはそういう地
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域である。
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 言ってみれば、「やのあさって」は「三河屋」と同じパターンを辿ったわけである。


 東京弁は、それ以外の全国の方言から攻撃されることが多い。
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 その理由は、まず第一に、「標準語」と同一視されているからであろう。「いまのとこ
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ろ、『標準日本語』というものは存在しない
」ということを確認した上で話を進めると、
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「標準語」もしくは「全国共通語」が東京弁をベースにして成り立っているのは事実であ
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る。そのため、方言を撲滅しようとする勢力の尖兵と見られてしまうわけである。


 冷静に考えれば、この理由は、ちょっと濡れ衣っぽいとは言える。
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てやんでぇべらぼうめ」「入梅」「トーナス(カボチャ)」「カタス(片付ける)」など、東京で
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使われてはいるが、「標準語」「全国共通語」になっていない表現は山ほどある。 (*3)
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つまり、お互い様である。特に、俚言になってしまっただけでなく、意味まで変えられて
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しまった「入梅」なんぞは東日本共通語なんであるから (*4)、この辺では一致団結して
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もよさそうなものである。
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 どうやら「恐い」も同じようなパターンらしい。 (*2)
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 東日本共通語は「おっかない」だ。しかし、現在の語感では、「おっかない」は口語的
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表現である。全国共通語ではあっても、「標準語」たりえない。標準の座は、西日本起
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源の「恐い」にとられてしまった。
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 これは、「疲れた」という意味の「こわい」と衝突したためと考えられている。


 冒頭で、「三河屋」と「やのあさって」の例を挙げて、東京弁が西日本の影響を受けて
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いることを示したが、これは、明治よりも前の首都が近畿にあったことも理由である。つ
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まり、現代では東京から他の地域へ、という情報の流れができているが、ほんの数百年
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前までは京都がその中心であった。開幕やご一新というイベントがなくとも、京都・大坂
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から言葉が入ってきていたのである。
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 江戸は、世界的規模の大都市であったとは言え、行政首都に過ぎない、という言い方も
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できる。幕府の長は「征夷大将軍」であり (*5)、形式的には朝廷の出先機関でしかない。
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最終的には朝廷の許可や認可が必要だったのである。それに、大坂という経済首都もあっ
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た。近畿は単なる一地域ではなかったわけだ。
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 これが端的に現れているのが、敬語の成り立ちである。
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 井上史雄氏の『敬語はこわくない (講談社新書)』 (*6) によれば、現代日本語の敬語体系
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は西日本からの影響を大きく受けているそうである。
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 例えば丁寧の意味を表す助動詞の「ます」。
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 一般には、東日本の否定形は「行かない」「買わない」と「ない」で、西日本では「行かん」
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「買わん」と「」である。
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 このルールに則れば、東京で「ます」を否定するには「ませ+ない」と言わなければなら
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ない。が、実際には「ませ+」なのである。
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 何せ奈良−京都は千年を越える期間、日本の中心だったのである。まして、今でも「上
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品」というイメージで見られている地域、敬語の変化が西日本からやってくるのは故のな
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いことではない。


 後編に続く。




*1:『世界大百科事典(1992、平凡社)』によれば、1720 年頃には百万都市になって
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 いたそうである。また、開幕と同時に江戸の大開発が始まり、既存住民はほぼ江
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 戸から追い出された、ともある。
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*2:『日本の方言地図(中公新書 徳川宗賢編)』
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*3:『最新 一目でわかる全国方言一覧辞典(学研、1998、ISBN4-05-300299-0)』
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*4:*2 によれば、もともと梅雨になることを「入梅」と言っていたのだが、やがて「梅
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 雨」そのものを「入梅」と呼ぶようになった、とのことである。「変えられた」というよ
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 りは、戻ったというほうが正確か。
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*5:「征夷大将軍」というのは、「夷狄」を征伐するための全権司令官である。朝廷に
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 対しての「夷狄」と言えば、坂上田村麻呂を持ち出すまでもなく「蝦夷」のこと。本州と
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 北海道南部を既に制圧していた時代になぜ「征夷大将軍」なのというと、その時点で
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 は、武士に与えることのできる一番高いランクが「征夷大将軍」だったからである。
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*6:ISBN4-06-149450-3



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第150夜「東京弁擁護論(後)」

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