Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第150夜

東京弁擁護論(後)




 第二に、とは言いながら第一の理由と関連するのだが、首都の言葉である、という背
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景を持っているために、在京メディア、すなわち全国メディアを通じて、簡単に日本中に
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ばらまかれてしまう、ということもあるだろう。ただでさえ新しい表現は「言葉の乱れ」と
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して叩かれることが多いのである。渋谷で使われているからといって、直ちに日本全体
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の現象として扱われてしまっては、田舎者としては面白くない。翻って、他地域の言葉が
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全国メディアに載る機会の多寡、載ったとしても字幕を出されてしまう、というようなこと
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であっては納得もしにくかろう。


 とは言え、東京弁には罪はない。これも濡れ衣と言えるか。
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 悪いのは、首都にいるが為に、日本全国のことを把握している、東京のことは日本全国
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で通用すると勘違いしてしまっているメディア人の方である。
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 寧ろ住民の方は、首都であるがゆえに自分たちのローカルメディアがない、という悲哀
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を味わっているのだ。
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 例えば、ニュース番組などは、最初に全国ニュース、次に各地方別、最後に都道府県単
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位、という風に細分化されている。秋田で言えば、東京から全国の、仙台から東北の、秋
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田市から秋田県のニュースとなる。
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 東京は、関東甲信越というくくりなので、東京都のニュースの前に、新幹線でないと行け
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ない新潟や長野のニュースを聞かされることになるわけだ。(*1)
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 その一方で、MX テレビは苦戦しているそうだが。
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 逆に、田舎者側にも、標準語/全国共通語/東京弁を理解している、という勘違いがあ
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る、ということは指摘しておこう。


 方言擁護の人はよく「方言には古い言葉が残っている」と言う。
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 そんなのは当たり前である。言葉は地域的に時間的にも連続したものだ。東京弁だっ
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て、明治維新の時に一から作り上げたわけではない。昔の言葉遣いの痕跡は至る所に
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残っている。
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 使用例を聞いたことがないのだが、東京弁では「魚の鱗」のことを「コケラ」という。これ
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については「コケ」との関連が指摘されている (*2)。もちろん、「苔」とも関連がある。「
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」は、表面にうっすらついているものを指す単語であったと考えられているのである。
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 に取り上げた「トーナス」も、字で書けば「唐茄子」であり、海外から流入した作物で
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あることを忍ばせる。そもそも「カボチャ」だって「カンボジア」なのであり、「チョーセン (四
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国の一部)」「ナンキン (九州の一部)」「ナンバン (近畿〜瀬戸内)」などと並べてみれば、
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ちょっと賢くなったような気がしないか。


 秋田弁の中に京都弁の語彙が混じっていることがあるが、これは北前船の寄港地であ
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るためと考えられている。
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 これをもって「由緒ある表現」とする根拠とするのなら、西日本の語彙を吸収して成長し
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てきた東京弁や、待遇表現の豊富な京の表現を取り入れて作られた現代敬語にも正当
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性を認めねばなるまい。
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 尤も、この裏側には、方言が虐げられてきたという歴史的事実がある。劣ったものでな
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いことを強調すること事態は間違いではない。
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 方言について語ろうとする人が、どうしても「方言ナショナリズム」に偏りがちなのが要注
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意なのである。


 東京で生まれ育った人の中に、他地域を蔑視する人がいるのは事実だ。しかも、決して
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少なくはない。俺自身、在京時に付き合っていた女性に、ちょっと秋田訛りが出ただけで
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ちゃんとした言葉をしゃべりなさい」と言われたことがある。
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 東京弁に罪はない。問題は人なのである。善意の東京弁話者を徒に傷つけるようなこと
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は慎むべきである。


 なお、俺が彼女に反論したかどうかは永遠の秘密である。



*1:ま、これは新潟や長野の人にとっても同様か。
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  ところで、福島みたいに、県内に NHK の放送局が複数ある県ではどういう番組構成
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 になっているのだろう。
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*2:『日本の方言地図(中公新書 徳川宗賢編)』から



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第151夜「秋深し酒は静かに呑むべかりけり」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp