Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第168夜

好きやねん、大阪弁 (下)




 もう一つ、別の雑誌から。
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 バベルの『翻訳の世界』1 月号に、泉山真奈美氏の「アメリカン・アフリカン・スラン
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グは関西弁とノリが一緒や!」という文章がある。
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 内容は題の通りで、ラップミュージックなどで使われるスラングを日本語に訳す際、
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「標準語」で訳すよりも関西弁にした方が「ノリ」や「グルーブ」を伝えやすい、という
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ものである。
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 例えば、“What's up”という表現を取り上げている。これは、教科書的に訳せば「何
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が起こっているんだ?」であるが、この場合は日常的な挨拶で、ほとんど意味はない。
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「調子はどうだい?」と訳すことが多いが、堅すぎる。日本の高校生がそう言うとは思え
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ない。
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 そこで「まいど!」と訳してみるわけだ。
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 確かに堅さは取れる。が、大阪の高校生は日常的に「まいど!」と言うんだろうか。


 “I'm crazy for you.”を「好っきやねん」と訳すと合う、とも書いてある。
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 これと対立するのが、の座談会で出てくる、好きやねん」は、単なる告白ではなく、
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自分が好きである、ということを相手と一緒に確認する、というニュアンスを持っている

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という意見。あるいは、秘密を打ち明けているのだ、という意見。3 氏とも共通している。
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 よそ者の俺でも、「好っきゃ」と「好っきゃねん」を何度か舌先で転がしてみるとその雰
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囲気がわかる。「実はな」が先行する場合、「〜ねん」が後につくと据わりがよい。それ
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に「好っきゃねん」は独り言では使いにくいし、海に向かって叫びにくいような気がする。
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 泉山氏は、京都の人が「『好っきゃねん』には、好きで好きでたまらないという思いが
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ある」と言ったことを根拠としているが、「たまらない」を強調と解釈したのかもしれない。
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「たまらない」は寧ろ「どれくらい好きなのか」を描写する表現であろう。
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 あるいは「〜ねん」のニュアンスは京都と大阪で違うのか。


 確かに、“motherfucker”を「バカ野郎」としたのでは強烈さが伝わらない。「アホンダラ
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が近いのかもしれない。が、その感覚を共有できるのは、大阪弁話者だけである。前に、
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“DA・YO・NE”のスラングは方言である、というをしたことがあるが、それと似たような
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話だ。
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 エッセイとしては面白いと思うのだが、大阪弁の「エキゾチシズム」に寄りかかりすぎ
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ではないか、という気もするのである。


 『言語』誌で、水落潔氏が「東京の美意識と大阪の美意識」の中で書いているのだが、
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東京の痴漢防止ポスターが「チカンは犯罪行為です」、大阪では「チカンはアカン」だそ
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うだ。
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 大阪以外の人には不謹慎と感じられるだろうが、これが大阪弁の持つ特徴なのだと
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思われる。単に、「アカン」という語彙が東京弁にない、ということではない。あっても使
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わないだろう。
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 この辺が、大阪弁でラップを表現してみたいと思わせる魅力なのであろう。


 また座談会に戻るが、大阪弁は老成したことばである、という意見で一致を見ている。
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 都市で使われることばだが、京都弁や東京弁とは違って、確固とした階級制度が成立
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しなかった社会のことばでもあるから、異質なものと対等の関係を構築するのに使われ
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てきた。これを「錬磨」「老成」と表現している。
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 その結果、「青春を表現しにくい」のだそうだ。自己中心的な考え方とは相いれないも
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のがあるらしい。この辺は、部外者には実感しにくい。


 まとめの段になって、これからの大阪弁を考えるにあたって、大阪の人は、なまじ通じ
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るだけに大阪と他の地域という考え方に乏しく、ノスタルジーだけで語ってしまいがちだ
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と指摘されている。
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 同じことが他の地域についても言える。
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 勿論、秋田弁は秋田以外の地域では通じない。しかし、方言は撲滅されるべきものであ
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り、客観的に秋田弁と他方言の違いを検討する機会を与えられなかった。その結果、やは
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ノスタルジーでしか語れないのである。
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 改めて精査する時期に来ている、という意見には共感を覚える。


 長々と余所の方言について語ってしまった。無礼の段は平にご容赦。



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第169夜「好きやねん、大阪弁−番外編−」

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