Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第127夜
子供の日
聞くところによると、「子供」は「子ども」もしくは「こども」と書くのがトレンドであるら
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しい。確かに「供」は「供える」で人身御供を連想させるし、「お供」なんてことで付属
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物という解釈もできる。そんなわけであるらしい。
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そこまで考えたのかどうか、5 月 5 日 は「こどもの日」である。
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んなことを言うなら、「こどもの日」は、3/3 でも 5/5 でもない別の日にするべきで
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あろう。中途半端なことだ。
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サラリーマンとしては、祝日のない 6 月なんぞいいと思うのだが。ゴールデンウィー
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クから 1 ヶ月、お盆まで休みのない我々にとっては、6/6 あたりに祝祭日があると大
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変にうれしい。時の記念日も一緒に休日にしてくれるとなおうれしい。
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大体が、現代では「ども」は謙譲表現だ。小細工をするだけ無駄じゃなかろうか。
「おどごわらし/おなごわらし」という表現がある。それぞれ、「男の子」「女の子」で
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ある。
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俺だけの感覚かもしれないが、これがどうにも二次語という感じがしてしょうがないの
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である。つまり、二つ (以上) の単語を組み合わせて作った (間に合わせの単語) という
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感覚から逃れられない。こんな単語、日常的に使っとんのかいな、ほんまに、と思う。
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まぁ、いい年こいて独り者だからかもしれない。子供に関する感覚が希薄なんである。
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「おどごんこ/おなごんこ」「おどごっこ/おなごっこ」というのもある。
「きかねわらし」という表現の話は前にした。
その「わらし」。
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古語辞典によれば、「わらは」が元の形である。「わらべ」は「童部(わらはべ)」の変
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形だ。どこがどうなって「わらし」になったんだろう。
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「座敷童」ってのもあることだし、これは東北全体に使われる表現だと思うのだが。
これは「面白半分」で聞いた話なのだが、 由利方面では「桃の節句」を祝わない地域
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があるらしい。父に聞いたら「あぁそういうところもあるだろうなぁ」ということであった。
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酔ってるときに聞いたのが間違いだったのかもしれないが、なんでそうなるかはわから
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ない。
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聞くところによると、桃の節句・ひな祭りは江戸期に定着したものだそうで。曰く、その
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時代の都市の特性で、江戸には男は多いが女が少ない。そのため、結婚してくれた女
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性を大事にするようになった。その結果、女性も遊べる行事が定着した、という話で。
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であれば、女性も重要な労働力であって社会の一端を担っていた、しかも遊んでいる暇
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のない農村部においては「何を今更ひな祭りだか」という空気があったのかもしれない。
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ま、なぜ由利だけが、ってことで憶測の域を出ないが。
さて、子供と言えば幼児語。
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これがやはり、独り者としてはなかなか思いつかない。たくさんあるとは思うのだが。
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「おっちゃんこ」は「座る」。「おっちゃんこする」という風にサ変動詞である。
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「もんこくる」は、子供が中々寝ない (ふるあずぎ状態の) 時に使う脅し文句。「いづ
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までも おぎでれば もんこくるや」と言う風に使う。なんか得体の知れない妖怪だかオバ
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ケだかが来るよ、という意味である。
話は逸れるが、「例のなに」とか言う時に使う「件の」という表現。
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一説に、人身牛頭の怪物がいて、その話を直接にするのは憚られるので「くだんの」に
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「人牛」という字をあてた、と言うのだが、本当なんだろうか。
これは秋田弁ではないが、西日本には、仏壇に向かって手を合わせるときに「まんまん
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ちゃん、あん」と言う地域があるらしい。これは一体なんだろう。
俺は幼少のミギリ、「煙」を「けみり」と言っていたらしい。e-u-i と面倒な変化をする母音
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を e-i-i としていたわけで、「最小努力・最大効果」という言語生活における大原則を当時
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から実践していたのである。まぁ、栴檀は双葉より芳ばしというやつであろうか。
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