S
peak about
S
peech:
Shuno の方言千夜一夜
第49夜
境界線
「秋田弁って?」と聞かれて、答えに窮することがある。何故かと言えば、県境と方言の境界とは必ずしも一致しないからである。
話が大きくなるが、例えば、我々は一口に「中国語」というけれども、あの広い国土のこと、北と南とでは全く違う。それはもう方言どころの騒ぎではなくて、まったく別の言語と言った方がいいケースすらある。
自動車のことを「
汽車
」というという話を聞いたことがある人もいると思うが、それは北京での話で、アモイでは「
風車
」、沈陽では「
電車
」なのだそうだ。これでは、お互いの意思の疎通は難しかろう
*1
。
逆のケースでは、例えばドイツ語は、ドイツとオーストリアで公用語となっている。この 2 つのドイツ語が同じだと考えるのは無理があるだろう。方言レベルの違いがあるはずである。イギリス英語とアメリカ英語、オーストラリア英語の違いなら見当がつくか。
話を日本に戻すと、県境というのは、たかだか 100 年ちょっとの歴史しかないので、これの影響力は、行政が絡んでくる場合はともかく、下々のレベルでは案外と小さい。
*2
青森県が、津軽と南部の 2 つの地域からなる、という話を知っている人は多いと思う。同じように、秋田の由利・本荘
*3
とよばれる地域は古くは出羽藩に属していた。江戸時代、人の移動は厳しく制限されていたから、こちらの境界による影響の方が根強く残っている、というケースはよくある。
前置きが長くなってしまったが、方言について知識や理解のある人の中も、案外この点を見落としていて、県境を越えると言葉ががらっと変わってしまうと思っている人がいる。逆に、秋田県内では 1 種類の秋田弁が使われていると思っていたりすることもあるが。
たとえば、「
のぎ
」という単語。「暑い」という意味なのだが、これを「熱い」という意味で使 う地域がある。
「
のぎ
」は、「ぬくい」の転訛であると考えられるので、別に「暑い」の意味で使おうが、「熱 い」の意味で使おうが間違いではないのだが、少なくとも秋田市近辺では「暑い」という意味である。だから、「
この茶碗、のぎして持だいね
」と聞かされると、かなり違和感を覚える。
以前
、紹介した「
ねまる
」。漢字を当てれば「寝まる」で、「寝る」「座る」というような意味である。
これは妹に聞いた、
南秋
での話。
とある会がちょっと紛糾して緊張した場面になったとき、リーダー曰く「
まず、ねまれ
」。
南秋の人たちは、とりあえず深呼吸してまずは矛を収めるのだが、秋田市近辺の連中は何を言われているのかわからない。
なんで「寝る」のか?
この場合の「
ねまる
」は「
落ち着く
」である。
前回同様、古語辞典
*4
に登場してもらうと「
ねまる
」の項に「
くつろぐ
」という意味を発見することができる。これが「落ち着く」の元であろう。秋田市近辺では、このあたりの意味が失われている、ということである。
ちょっと深刻な話を 2 つ。
津軽では「恥ずかしい」を「
めぐせ
」という。一方で、南部では「
めぐせ
」は「
醜い
」という意味だそうだ。
取材に行ったTVマンが、「
そうめぐせがらねで
(そう恥ずかしがらないで)」と、南部で言っ たら、相手に冷たく無視された、という話が雑誌に載っていた。
*5
もう一つトラブル絡みの話。妹の亭主 (宮城出身) の経験談である。
彼らの結婚式に友達を呼ぼうと思って電話した。相手は福島県は中通り地方出身。
当の友人は何か用事があって、出席できないらしい。
で、義弟、「
あぁ、じゃ、なも無理しなくていいよ
」と言った。
この「
なも
」も
前
に登場したが、ここでは「何も無理しなくていいよ」ということである。
ところが、この友人、これを聞いて激怒したのだ。
なぜか。
どうやら、福島の中通り地方では、こういうケースでの「
なも
」は、
「おめーなんかどーでもいーんだよ」という含みを持つらしい
。
そりゃ怒るのも無理はない。
しかし、秋田と宮城での「
なも
」には
そういうニュアンスはない
のだ。
ちょっと前
に「方言ナショナリズム」なんて言葉を使ったけれども、それぞれが自分の地域 のルールとニュアンスに沿って言葉を使っている。方言復権を押し進めるには慎重さが必要である。
よく「ニュースを方言でやろう」というような話が出るが、その時にどの方言を使うのか。おそらくは県庁所在地の方言を使うことになるだろう。それは結果的に、そのつもりはなくとも、他の地域の方言を否定することになる。その提案は、例えば青森県や岩手県では通らないであろう、というのは想像に難くない (どこでも通らないような気がするが)。
だから、標準語 (
正しくは
共通語
だが
) を使うのは、ある意味で現実解なのである。
なんか、最近はアカデミックな話が続くな。
*1:
鈴木裕子「中国」 (『言語』1997 年 10 月号・特集「アジアの言語事情」) 大修館書店
北京で「南瓜」と呼ばれる野菜は、南昌で「北瓜」、揚州で「番瓜」、温州で「金瓜」となるらしい。
↑
*2:
聞くところによれば、ちょっとした買い物をしようとすると、大館の人は弘前に、田沢湖近辺の人は盛岡に、由利・本荘の人は酒田に行くという。東北自動車道とつながったおかげで、秋田市から仙台に買い物にいく、というのも珍しい話ではなくなった。
単に県都・秋田市の求心力が弱まっているという話ではない (と思う)。
↑
*3
秋田県の、日本海側・南部の地域を指す。
右の地図では、秋田市 (
赤
) の南側にある
黄色
の地域。
↑
*4:
『角川新版古語辞典』(1989) 角川書店
↑
*5:
木村いく介「番組表の裏側から」 (『北の街』1997 年 10 月号) 北の街社
なお、この方のお名前の「いく」は、「日」の下に「立」と書く字なのだが、漢字コード表にないので、勝手ながら平仮名表記とした。
↑
"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る
第50夜「
さしすせそ
」へ
shuno@sam.hi-ho.ne.jp