Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第24夜

あるがまま



 似ているけれども違う、という例はこれまでにも何度も挙げてきた。今回もそういう話。

きかね」あるいは「きがね」。
聞かない」の訛り、というか音便である。
 勿論、「聞かない」と等価なのでそういう使い方もされるのだが、「何を」聞かないのかが省略された使い方がある。
うぢのわらしだば、まず、きがねくてや」と言ったりする。
「うちの子供は、まぁ、『きかな』くてねぇ」ということだが。
 つまり、「(親などの) 言うことを」聞かないのである。
 標準語では、「きかん坊」が同じような使い方と考えられるが、「きかない子供」とは言わないであろう。
 この意味は、後に「子供」が続くときにしか適用されない。大人には使えない。あえて「きがね新入社員」と使ったとすれば、その社員は「子供みたいに、人の意見を聞きいれない、わがままな奴」というような評価で、陰で笑われている。
 子供専用の表現である。

ふむ」。
「踏む」だが。
 一時の勢いはないけれども、サッカーなんかで使われる。
ボールを踏む」と言ったら「ボールを蹴る」という意味である。
 通常、「踏む」といったら「足を上から下に移動させて力を加える」ことで、「足を水平方向に移動させる」場合は「蹴る」ということになるが、秋田弁では「踏む」が垂直・水平ともにカバーしている、ということになる。
 尤も、若い人は、「踏む」と「蹴る」を標準語と同じように使い分けているようである。

 最後は、ちょっと自信がないんだけれども、「行き会う」。
 勿論、「いぎあう」と訛るのだが。
 これは、今こうやって入力している仮名漢字変換ソフトの辞書にも登録されているし、どんな国語辞典にも収録されている。
 意味もそのままで「出くわす」である。特に使い分けの必要な単語でもないし、ニュアンスの違いもない。
 しかし
 俺は、この「行き会う」が使われているのを聞いたことがない
 秋田や津軽で、「いぎあう」を聞くことはある。
 しかし、他の地域で「行き会う」が使われている例を寡聞にして知らない。勿論、秋田・津軽で「いぎあう」ではなく「行き会う」が使われているのも聞いたことがない。
 根拠はそれだけなのだが、こういう形の方言というのもあるのではないか、と思うのである。
 通常、「方言」といえば、改まった場 * では使われないものなのだが、この「いぎあう」については、訛りがないだけで同じ単語が標準語にもあることから、そのまま使われるのではないか、という気がする。

 首都圏で生まれ育った人が、田舎について持つイメージには、大きく分けて 2 種類あると思う。
 つまり、「首都圏だけが特別で後はどこに行っても田舎だ」というパターンと、「規模の違いは多少あっても基本的にどこに行っても同じ」というパターンの 2 つである。どちらも実態からは離れている。
 方言についても同じような感じ方をしているのではないか。
 まるで外国語に接したかのような大袈裟な反応をする人と、なんだ大して変わらないじゃないか、という人。
 違うところははっきり違うのだが、基本的には一つの言語で、ゆっくり考えればわかるものなので、そういう風に感じてほしいものである。
 まぁ、平常心といいますか。




注:
 この「改まった場」のように、言葉づかいに特別の注意が払われることが当然、という状況を「文体が高い」という。「である体」とか「ですます調」といったような「文体」とは違うので注意が必要。(
)



音声サンプル(.WAV)

うぢのわらしだば、まず、きがねくてや(25KB)



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