本の紹介 日本語の奇跡
〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明

  目 次

1. 本との出会い
2. 概 要
3. 本の目次
4. 本の要点
5. あとがき
6. 著者紹介
7. 読後感


山口 謡司著

新潮新書
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1. 本との出会い
 私の所属しているV Age Clubの「新書を読む会」で、2008年1月にこの本が採り上げられました。中国から漢字が入ってきた後、わが国でカタカナとひらがなを発明し、さらに「アイウエオ」という50音表と「いろは」歌としてまとめた、書き言葉としての日本語の歴史をわかりやすく解説したものです。白川静さんの漢字に関する本や、漢字がわが国に導入された経緯を説明した二冊の本(「古代日本の文字世界」「古代日本 文字の来た道」)に続き、日本語の特徴を述べた良い本だと思ったので採り上げました。

2. 概 要
  「五十音図」に代表される論理的な〈カタカナ〉、いろは歌に代表される情緒的な〈ひらがな〉、そして中国から渡来した漢字。これらを巧みに組み合わせることで日本人は素晴らしい言葉の世界を創り上げてきました。空海、明覚(みょうがく)、藤原定家、行阿(ぎょうあ)、本居宣長、大槻文彦……先師先達のさまざまな労苦の積み重ねをわかりやすく紹介しながら、日本語誕生の物語をダイナミックに描いています。

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3. 本の目次
序 章 〈ひらがな〉と〈カタカナ〉  9
 優秀な語学的センス 先斗町も八重洲も 膠着語は文明と文明をつなぐ架け橋
 今は「あいうえお」だが 子音と母音が整然と システムと情緒
第一章 国家とは言葉である  21
 漢字伝来の年代は誤りだが 『論語』と『千字文』 呉音は最も古い漢字の読み方
 聖徳太子の時代になると 『十七条憲法』から『大宝律令』へ
 大伴家持は和歌も漢文も 顔氏一族の業績
第二章 淵源としてのサンスクリット語  38
 表音記号と表意記号 鳩摩羅什はパイリンガル
第三章 万葉仮名の独創性  44
 漢字の音を漢字で示すには 漢文風に読んでしまうと 「ささ」は「つぁつぁ」
 「借訓」と「借音」 『万葉集』だけではなく
第四章 『万葉集』が読めなくなってしまった  56
  漢詩は政治的教養 国風暗黒の時代の到来 遊びを超えた真剣勝負
  恋の歌は女性のためだけではない 言葉の意味すら
第五章 空海が唐で学んできたこと  71
  長安の文化を求めて 中国の役人も驚く語学レベル 模倣から「実」へ
  反骨・最澄の正論 陀羅尼と言霊信仰 中国語から日本語による理解へ
  大きな革命 菅原道真と遣唐使の廃止
第六章 〈いろは〉の誕生  93
  三つの母音が消えてしまった 朱点(ヲコト点)の登場 西大寺と日本語の深い関係
  色は匂へど 空海の作ではない
第七草 仮名はいかにして生まれたのか  104
  実名は伏せて 漢字を簡略化する 漢字の一部を利用する 仮名の「仮」とは
  姿だけは漢語 外来語を消化する過程で

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第八章 明覚、加賀で五十音図を発明す  116
 現存最古の五十音図は 日々研究に没頭 なぜ薬王院温泉寺に 五つの母音を決める
 法華経を読経するために
第九章 藤原定家と仮名遣い 132
 歌学者たちの考察 御子左家の一人として正統を問う 「れいぜん」が「れいぜい」に
 揺れる解釈をも含めて あの定家でも 言語は変化する 体言から用言へ
 「行」という考え方
第十章 さすが、宣長!  152
 五十音図の横の列 「ヰ、ヲ、ヱ」はどこに 国語学史上の一大発見
 現代の方法と変わらずに 復古神道
終章 素晴らしい日本語の世界  165
 消えた「いろは引き」 大槻文彦の自負 新しい精神 情緒よりシステムの構築
 「あ」から始まり「ん」で終わる 両輪で言語的バランスをとる

 あとがき  182

4. 本の要点
 この本の中心となるのは「第七草 仮名はいかにして生まれたのか」だと思います。日本人が発明したカタカナやひらがなについて、従来の漢字だけでは何が不便だったのか、また仏教との関係、さらにサンスクリット語である仏典が、中国ではどのように表示され、わが国に仏典が入ってきたときの音(おん)の表示方法が説明され、カタカナやひらがなとの類似性が説明されています。
 さらに「第八章 明覚、加賀で五十音図を発明す」ではカタカナがどのようにして五十音図にまとまって行ったかが説明されています。現在の日本語には五つの母音しかなく、子音の後には必ずこれら五つの母音が付くということも、考えてみると不思議なことだと思います。

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5. あとがき
 書き足りない……。稿を終えての思いはそれに尽きる。
「祖国とは国語」というシオランの言葉はすでに本文中にも引用したが、中国語、百済や高句麗の言語、サンスクリット語、そしてヨーロッパ諸国の言語などが、東の果てに浮かぶ小さな島に伝わることによって日本語が生まれ育まれたとすれば、我々は「世界」という「祖国」に生きているとも言えよう。してみれば、より広く、深く、世界の言語を日本人がどのように受け入れ、どのように消化して来たかなどについても書かなければならなかったと思う。
 また、日本語という世界について論じるなら、室町時代の禅僧たちの口語に関して、あるいは江戸時代の漢学者、国学者の日本語研究に関して、さらに詳しく段階を追って書くべきであった。
 例えば、本居宣長についても決して十分に彼の卓越した業績を述べ得てはいないし、宣長没後の門人である伴信友(1773〜1846)に関しては一言も触れていない。信友の『仮字本末(かなのもとすえ)』は、こうした日本語の歴史を書くためには必ず引くべき文献であっただろう。
 しかし、との思いもある。
 筆者がここで書きたかったことの淵源は、実は『仮字本末』に書かれた一文にある。その一文とは、本文中に記した『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の一篇に対して信友が寄せた「さて其(その)片仮字を習ふには五十音をぞ書いたりけむ。いろは歌を片仮字に書べきにあらず」である。
〈カタカナ〉と五十音図は吉備真備によって作られ、〈ひらがな〉といろは歌は空海によって作られた、と明治時代までは語られていた。言うまでもなく、いずれも伝説にすぎない。
 では、なぜこんな伝説が生まれたのか。そして、日本語を習得するための基礎として、五十音図といろは歌はどうして作られたのか。また、これらの音図や歌は、単なる日本語入門のための便宜上のものに過ぎなかったのかどうか。
 こうした問いには、日本語の文化の流れを読み取らなければとても答えることができない。本書では、多少なりともそれを論じることができたのではないかと思っている。
                                            *
 本書は「(アイウエオ)の誕生」というタイトルから出発した。編集をして下さった柴田光滋氏が筆者との雑談の最中に思いつかれたものである。
「これで行きましょう!」という氏の一言から本書の企画は始まった。
 それから一年。タイトルは最終的に「日本語の奇跡」となった。
 横道に逸れ、書きすぎて止まるところを知らず、柴田氏の修正によってようやくここまでたどり着いた。書き足りないとは思いつつ、氏の編集が、〈アイウエオ〉の何たるかを、筆者に教えてくれることになった。深謝の念をここに記したい。また、畏友山本かずしげの名も特に記してこの仕事への感謝を表すものである。
                                            *
 最後に、筆者が本書を書くに当たって参考にした書物について一言したい。恩師亀井考が編集委員となって編まれた『日本語の歴史』全七巻別巻一冊(平凡社ライブラリー)である。日本の古典から言語学に関する参考書まで丁寧に取り上げられているこの書物は、日本語の時代的変化とその本質を問うた名著である。
 師に接することは僅かであったが、「日本語」という言葉を聞くたびに、筆者の脳裏には師の研ぎ澄まされた精神と、甲高い声でわざと意地悪を言っておられたお茶目な姿が去来する。
 師、没して12年、恩謝の念堪えず−。
  2007年10月                山口 謡司

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4. 著者紹介
 山口 謡司(やまぐち ようじ) 1963(昭和38)年長崎県生まれ 大東文化大学文学部准教授 大東文化大学文学部卒業後、ケンブリッジ大学東洋学邦共同研究員などを経て、現職。著書に『漢字ル世界−食飲見聞録』など。

5. 読後感
 冒頭の「本との出会い」で挙げた3冊の本では抜けていた「ひらがな」「カタカナ」、更に「いろは歌」と「五十音図」について解説していて、勉強になりました。「ひらがな」と「カタカナ」は日本語が中国語と違うことから考えられ、大事な発明だったのだと思います。漢字を書き言葉として採用したために、多くの同音異字ができて不便な点もありますが、他方そのお陰で翻訳無しに中国の文献を読むことができ、わが国の建国時に、かなり短時間で中国の文化を採り入れられたのだと思います。
 また母音と子音を並べた「五十音図」は良くできていて感心しますが、発音そのものが整理されてきたことで納得できます。「いろは歌」も短歌に馴染む方法として貴重な存在であることも良く理解できます。

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[Last updated 2/29/2008]