明日香3

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 2014.9.30奈良の「ホテル日航奈良」でサブテクの関西・東海・北陸合同支部会があり、翌10.1に恒例のバスツアーがありました。行く先は安倍文殊院 (あべもんじゅいん)、談山(だんざん)神社、飛鳥寺の3ヶ所でした。
 9.30は夕方の支部会まで時間があったので、家内と甘樫丘(あまかしのおか)、石舞台古墳と岡寺に行きました。
 前の2回の飛鳥旅行ですでに載せてあるところは省略し、岡寺と談山神社を載せました。
 岡寺は石舞台古墳の北約8百米のところにあり、また談山神社から岡寺までは155号線で行くことができます。談山神社は飛鳥とはいえないと思いますが、藤原鎌足(かまたり)が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と蘇我入鹿(そがのいるか)誅殺(ちゅうさつ)の密談をした場所として、載せました。

21 岡寺

 この遺構の特徴は築地塀を用いないで、柱を3m間隔に立てた板塀でつくられており、奈良時代以前の宮殿の特徴をよく表している。東北隅には10m四方の井戸があり、宮廷の儀式に用いられたのだろう。 この寺は、草壁皇子(くさかべのおうじ)の岡宮(おかのみや)を義淵僧正(ぎえんそうじょう)がもらいうけて寺にしたものであるが、西国33ヵ所の第7番札所として知られており、大和地方の代表的な厄除け観音として信仰を集めている。
22 談山神社(だんざんじんじゃ)

 談山神社は藤原鎌足の墓所で、彼を祭神とする神社である。鎌足は現・高市郡明日香村で614年に生まれ、中臣(なかとみ)と称した。皇極(こうぎょく)4年(645)中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)を助けて、蘇我入鹿(そがのいるか)を飛鳥板蓋宮大極殿(あすかいたぶきのみやたいごくでん)で誅殺(ちゅうさつ)し、大化改新を断行する。死の直前、天智18年(669)に大織冠(たいしょくかん)内大臣という人臣最高の位と藤原の姓を授けられた。同年薨(こう)じ、摂津阿威山(せっつあいやま)に葬られるが、後、長子定慧(じょうえ)により多武峰に改葬された。

出典 「明日香」 浅田万葉社 発行

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[Last Updated 11/30/2014]