Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第214夜

『秋田のことば』(中)



 呼び方について。
「方言」という言葉には、撲滅を図った政府権力者のおかげでマイナス イメージが刷り込まれてしまっている。「地域語」と呼ぼうという向きもあるようだが、単なる言い換えの域を出ないような気がする。「アスティ」って単語を覚えている人いますか。まだ 10 年は経ってないはずですが。
 それより、こないだ調べて愕然としたのだが、「訛り」をやめるべきだろう。プラスのニュアンスがあるとは思っていなかったが、文字自体が明確に「間違い」という意味を持っている。「異なっている」ではなく「誤り」なのである。
 後書きに出てくるのだが、古くは、方言話者が話をすることを「さえずる」などと言ったりした。人間とすら見られていなかった、ということには純粋に怒りを覚える。

 さて、標準語はビジネス優先の言葉である、という表現がある。
 俺自身は、標準語の背景には東京弁があることと、東京弁話者は自分達が標準語を使っている、という意識をもっている、ということを考えると、標準語に感情をのせるのは難しい、というような意見にはちょっと全面賛成はしにくいと思っている。だからビジネス優先といわれると、うーんと唸ってしまうのだが、井上 史雄氏の『日本語の値段』に「ことばを手がかりに発言者の年齢・性別や社会階層がわかってしまう。論理的な主張にとっては余分な情報まで、読者に伝わってしまうのだ」と書いてあり、これにはやはり納得せざるをえない。
 なお、『日本語の値段』については、この項に続けて取り上げる予定である。

 「ガラガラ イエバ ヒト ワラウガラ コレガラ ガラガラ イワネァガラ (「から」が濁音化した「がら」を使うと笑われるから、これからは使わないよ)」というフレーズが出てくる。
 こういう、自分の方言を笑いの対象にしたフレーズは多い。関東にも「べえべえ言葉を やめたらべえ 鍋やつるべはどうするべえ」などというのがある。一々挙げないが、「ふるさと日本のことば」でもたくさん紹介されている。
 庶民のあっけらかんとした感覚を楽しんでもいいが、方言が蔑まれたり嘲笑されたりした事実があればこそのフレーズであることには留意したい。

 この本を読んでいて、俺が考えていたことが正しかったり、個人の癖ではなく普遍性のある現象なのかどうか疑っていたのが確認された、というのがたくさんある。
 まず「ほどんと」。音の転倒という現象があるらしい。
 次に、形容詞の独特な活用。に、秋田弁の形容詞は活用しないのではないか、という仮説をぶちあげたが、これが正しいことがわかった。
 仮説にまで至っていないのだが、「歩けるようになった」を「歩げるぐなった」というときの「」。「 (あげ) 」など、形容詞連用形の「」に似てるなぁ、と思っていたが、これも当たり。この「」が独立性を獲得して、動詞に接続するようになったものらしい。
 俺もなかなか捨てたもんじゃないな、と天狗になっているとしっぺ返しを食う。間違いも多々見つかる。
 例えば、人の在宅を確認する「居だがー」を現在完了と見たが、秋田弁の「」は現在の意味を担っている、のだそうだ。
 また、「行きましょう」の「いぐべし」。「べし」は古語に現れる「べし」だとばっかり思っていたが、そうだという証拠は無いのだそうである。
あべ」。「歩むべし」で納得していたのだが、「歩む」の古形で「歩ぶ」というのがあるらしい。そう言えば、マ行とバ行の音の類似については自分でも触れていたのだった。
 何より痛いのが、異様な生産力を有する「」という語尾。「うるうるで」「はかはかで」など、形容動詞と見ていたのだが、形容詞なんだそうである。

 新しい知見も山ほどある。
 直訳すると「やらないでいます」となる「やねでら」だが、これは現在未完了というテンスを指すらしい。確かに、標準語におきかえると、「やらないでいます」ではなくて、「やっていません」になる。別のテンスなのである、というのは興味深い。
 「じゃ」に相当する「せば/しぇば」という語がある。接続詞であると同時に、分かれるときに使う挨拶の言葉でで、ほぼ完全に「じゃ」と一致する。
 改まった場ではこれを標準語訳して「そうすれば」と言ったりするわけだが、こうなると挨拶としては使えない。が、秋田衆は「せば」だと思っているから、使ってしまう。
 こういうのを「擬似的標準語」と呼ぶのだそうだ。いわゆる「気づかない方言」の分野の話題である。
 これも全く気づかなかったのだが、「もんね」が「気づかない方言」であるという。
 例えば、ある場所への行き方を説明する場合、「まず、ここをこうやって行くんだもんね」などと言って説明したりする。それぞれの語は全国共通語の体系にもあり、ぼんやり聞いていると違和感もないが、よく考えてみると、全国共通語での「もんね」はこういう使い方はしない。自慢や強調の際に使うのであって、単なる叙述には使わないのである。*

 またまた、続く。
『秋田のことば』
秋田県教育委員会 編
無明舎出版 ISBN4-89554-246-2




*
 やや文体が高い。完全に対等、あるいは目下の人間には使わないことが多い。かと言って目上の人間には絶対に使えない。例えば、年齢も会社での在籍期間も同じ異性の同僚、というように微妙な距離がある関係。または、自分より年下の他人に道を教える、など。女性に多いか。「」は伸ばさない。




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