Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第215夜

『秋田のことば』(後)



 コラム。
 唯一分布唯一非分布という言葉が出てくる。
 前者は、他の地域には無いのにその地域にだけある現象、後者は、他の地域にはあるのにその地域にだけ無い現象である。
 そうしたデータが紹介されているのだが、まず、鹿角地区が突出していることがわかる。もともとが南部藩地域である。現在でも、秋田市よりも弘前市や盛岡市との関係が密だ。*1
 次に特異性を発揮するのが南秋地区。大きいくくりでは、秋田市・男鹿市・河辺郡などと中央方言を形作るのだが、県庁所在地である秋田市の変化が激しいため、結果的に独特の表現が観察されることになる。
 これなんか目から鱗が落ちる。すごく大事なことだ。だから、コラムはぜひとも目次にのせて、広く読まれるようにするべきだったと思うのである。

 まとめの「秋田のことばの現在・過去・未来」。
 方言とは関係ないが、言葉が通じないのは、話者の問題である、という言には大いに同感である。
 ネットワークの世界では、文字だけのコミュニケーションって難しいね、とよく言われる。それ自体は確かにその通りだと思うのだが、どうもそのことに甘えていやしないか、と感じざるを得ない状況に良く出くわす。
 文字だけのコミュニケーションを、作家や記者やライターなどはやってきたのである。不可能なはずは無い。これも、万人が気軽に参加できるメディアが突如出現したことによる弊害ということか。それにしても、耳が痛いことだ。
 同じく、テレビの普及によって、「言葉を気軽に受け止めるようになった」という指摘も当を得ていると思う。単純に量の問題でなく、受け止める側のスタンスが変わった、ということだ。
 確かに、日本語が不自由な日本人が大晦日の人気番組で司会をやってるようでは、半ば酔っ払って寝転がって蜜柑でもほうばってないことにはやってられん。

 ところで、この「秋田のことばの現在・過去・未来」は、伝統的方言に価値を置きすぎではないか、という気がする。
 前にも書いたが、方言は、多数の人間が情報交換に使用する共有財産、という言語の特徴を本質的に冒している。であれば、ある程度の淘汰はやむをえないのではないか。言葉の変化を止めるには、生活の変化を止めるしかない。それは不可能であろう。
 旧物廃語を認めるのであれば、モノをよりどころとしない言語現象の消滅をも認めざるを得まい。方言に限らず、伝統的な言語現象は文化として記録にとどめる必要があるが、逆に言えば、それしか処し方はないのではないか。極端な話、「電気ガスなしで、茅葺屋根で囲炉裏の生活をしましょう」と言うのに近い。どれだけ理に叶っていようが、地球にやさしかろうが、現在の社会においては金と手間がかかってしょうがないのである。

 後段で、標準語では表現しきれない感情や自然現象を表現するのに、方言を資源として活用するべき、という提言があるが、やや矛盾を感じる。資源としてみた瞬間に、それは単なるツールである。良いとか悪いとかいうのとは別の尺度を適用したことになるのではないか。
 今の若者達の言葉遣いが既にそれを志向しているのではないか、と思う。
 好き嫌いなどの情的判断をひとまず脇に置いて、使える状況では使い、使えない状況では使わない、とする彼らの姿勢*2は、二昔位前の、いかなる場合でも方言を使わない(逆に、いかなる場所で文字方言で押し通す)というスタンスに比べれば格段の進歩であろう。使える状況と使えない状況の判断、その最前線で発生する誤用なり、「気づかない方言」なりの現象が、逆に方言の生命に活力を与えることに繋がったりすることもあるのではないか、と思いつきで考える。

 さらに思いつきを並べるなら、方言イメージの問題は避けて通れないだろう。
 ここでいうのは、外部からのイメージではなく、内部から見たイメージ、つまり、現時点でその地域を支えている人たちの言動である。
 若干のステロタイプがまじっていることは認めざるを得ないが、外を見たり内を省みたりすることの無い閉鎖的な思考の人たちが使う方言が、方言の価値を貶めているということはないだろうか。ここは断言させてもらうが、間違いなくある。こちらを何とかするほうが早いのではないか、と考える。
 次代の使用者を獲得できなかった言語がすぐに滅びることは言うまでもない。あえて外部との交流を盛んにし、外を見たい人は、今後のフィードバックを期待しつつ、外に出してやり、逆に内に入りたい人は多少の違和感を覚悟の上で暖かく迎え入れ、人の定着を図ることによって活性化する方策を取るべきであろう。
 これは実話だが、よその地区から嫁にきて、すでに孫もいる年齢になった人に向かって、「まだ こごの人だって 感じさねな (まだここの地域の人だって感じがしないなぁ)」と言っているようではダメなんである。
 秋田弁を残したいのなら、ネイティブ・非ネイティブ問わず、魅力ある秋田衆を育てるべきだろう。

 思いつきにしちゃ、なかなかなだな。うん。
『秋田のことば』
秋田県教育委員会 編
無明舎出版 ISBN4-89554-246-2




*1
 この地区は青森・岩手・秋田の北東北三県の真中に位置するので、時折、その地域にまたがる組織の会合がもたれたりする。が、3 つの県庁所在地のうち、一番時間がかかるのが秋田市である。


*2
 2000/12/17 の
秋田魁新報でこの本を取り上げているのだが、使い分けている、という若者の談話が載っている。




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