Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第177夜
戸口で考える方言
日本人はノックの礼儀を勘違いしている、という話を聞くことがある。
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つまり、あれは「入りますよ」という一方的な合図ではなく、誰かが来ていることを知
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らせるだけのものだ、というのである。ノックしたら、中の人が「どうぞ」とかなんとか
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言うまで待っているのが本当らしい。
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これはおそらく、障子と襖で仕切った (つもりになっていた) 生活をしてきた我々には
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理解しにくいところなのであろう。
人の家に上がりこむときになんと言うか、というのも地域性あふれるところである。
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どこだか忘れたが「はいっとー」というところがあるらしい。
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これは「入るぞー」と言っているわけだから、日本流ノックどころの話ではない。許可
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を求めてすらいないのである。
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「あがっとー」というのもあるらしい。これも一緒。
東北では「いだがー」と言うことが多い。
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その主人が在宅かどうか聞いているわけだが、これはなんで「いた」と過去形なのか、
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という疑問が湧いた。湧いたのは随分と前だが、今までほったらかしにしておいた。
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東京なら「○○さん、いるかい」というところであろう。これは現在形だからわかる。
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何故、過去形?
今、気づいたが、「いだがー」だけなのである。「○○さん」と呼びかけない。
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勿論、ご隠居と二代目というように、主人格の人間が複数いて、どちらにもそれなりの
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数の客が来る、という場合なら指名して呼びかけることも多いだろうが、そうであっても
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呼びかけないことが少なくない。
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逆に、家の宿六と将棋ばっかりしている隣のオッサンという風に、相手が決まっていれ
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ば「いるかい?」だけで家人が察するので必要ない、というケースもあるだろう。いわゆ
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る下町を扱ったドラマなんかで見かけるような気がする。
話を戻す。
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結論から書こう。「いだがー」は過去形ではない。
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英語で言うところの現在完了形であると考えられる。つまり、前からいて、現在もいる、
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ということを指している。問題は、今いるかどうかなのだから、現在完了を使うのは意味
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がある。
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これで納得できないなら、こういう例えはどうだ。
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何かを探していて、やっと見つかった、という時に口を突いて出る言葉「あった、あった」。
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この「あった」は、昔あったことを指しているのではなく、現在そこにあることを指して
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いる。
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これと同じだ。
この辺は、文法用語で「アスペクト」と呼ばれる部分である。
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アスペクトというのは、「相」ということもあるが、進行中であるとか、完了しているとか、
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動詞が示す動作の状態を分類する概念である。言語によっては、繰り返されている、
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などのアスペクトもある。
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代表的なのは「〜ている」。進行中の現象を示すに決まっていると考えられがちだが、
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完了している場合もある。
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例えば、長時間、建物の中にいて、外に出た瞬間に雨だったことに気づいた場合、そ
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の時点では降っていなくとも「あ、雨が降ってる!」と言うことができる。また、何かが完
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成した状態を「できている」と言ったりする。日本語はこの辺が結構いい加減である。
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が、方言によってはこれが明確に分けられていることがある。
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九州に多いのだが、「〜とる」に完了の意味をもたせているところがある。例えば「雨
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が降っとる」というのは「おや、雨が降ったんだね」ということで、完了形なのである。
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上の例に対応する。
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こういう地域では、今まさに雨が降っている場合「雨が降りよる」と言う。進行中のも
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のと完了しているものの形式がはっきり分かれているのである。
標準語では「いる」「ある」がアスペクト的な形式をもっていない。過去形も完了形も
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「いた」「あった」としか言えない。「書いていた」「書いてある」と「いる」「ある」自体を使
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用するからであると思う。
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それが秋田弁にはある。「いであった」がまさにそうである。「あったった」という人
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もいる。*
これが、英語の活用形が最大で 4 種類に単純化されたような、全国共通語であるが
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故の単純化なのかどうかは知らない。調べればどっかに書いてあるとは思うのだが。
* 「いてる」など、大阪弁にもある。(↑)
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