ノルマンディーとブルターニュ(フランス)
      目 次

1. 概要
2. 第1日 成田空港−ルーアン 
3. 第2日 ルーアン−カブール 
4. 第3日 リジュー−カーン
5. 第4日 モンサンミッシェル
  サンマロ
6. 第5日 ディナン−レンヌ
7. 第6日 カルナック−ナント
8. 第7日 ナント
9. 第8日 ナント − パリ
10 第9日 パリ−東京  


ル・アーヴルの北西にエトルタがあ
ります。印象派の画家達が好んで
描きました。

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1. 概要
 0) 名称      「ノルマンデイからブルターニュヘの旅」
 1) 場所(目的地) ノルマンデイ、ブルターニュ、パリ
 2) 期間      2003.5.24〜6.2
 3) 参加者     SABTECH会員 43名
 4) 交通機関    航空機、観光バス、タクシー、更にパリではメトロ、バス
 5) 訪問地
  (1) ルーアン
  (2) エトルタ(海岸)
  (3) オンフルール(港町)
  (4) ドーヴィル
  (5) カブール(海岸のリゾート地)
  (6) リジュウ
  (7) カーン
  (8) ファレーズ(「林檎の礼拝堂」)
  (9) モンサンミッシェル(修道院)
  (10) サン・マロ(海岸のリゾート地)
  (11) ディナン(古い街)
  (12) レンヌ(ブルターニュ地方の首都)
  (13) カルナック(古代の巨石群)
  (14) ヴァンヌ
  (15) ナント(ロアール地方の首都)
  (16) パリ(フランスの首都)

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 6) 特徴
  (1) 全員がSABTECH会員なので、直ぐに打ち解けられました。
  (2) 同期参加者三名が画を描くので、スケッチができました。
  (3) ホテル・食事が高級でした。
 7) 印象に残ったこと
  (1) 天気に恵まれ、暑くて半袖ですみました。
  (2) 「林檎の礼拝堂」に行けました。
  (3) パリは1日だけでしたが、ゆったりと過ごせました。
  (4) ディナンは町中至る所が絵になる、美しい街でした。
 8) 旅行の概要
 この数年来、同期のSABTECHのメンバー二人(岡部氏、山本氏)と夫人同伴で食事をするようになり、留学時代に宿泊していたホテルの名にちなんでスフロー会と名づけました。昨年の会合の時、SABTECH主催の欧州旅行があるので、それに参加しようという提案が、経験者の岡部氏からありました。山本氏も昨年リタイアしたので、話は直ぐにまとまりました。
 旅行は「ノルマンデイからブルターニュヘの旅」で、期間は5月24日(土)〜31日(土)朝(7泊8日)で現地解散です。
 コースは具体的には次の通りです。
 ルーアン (1泊)→カブール (1泊)→カーン(l泊)→サンマロ (1泊)→レンヌ (1泊)→ナント(2泊)
 ナントでの解散以後、山本さんは続いて行われるイタリアの旅に参加し、岡本さんはパリに8日間宿泊、我々はパリに1日だけ滞在することにしました。
 参加者は夫婦が20組(40名)、単身が男2名、女1名の計43名で、これに事務局の林さん、旅行社のマキさん、ガクさんが加わり46名、更にガイドの飛田さんが現地で加わりました。
 何といっても良かったことは、みんながSABTECHのメンバーなので、初対面の人でも留学年や専門などを聞けば直ぐに打ち解けることです。またスフロー会の三人は皆画を描くので、声を掛け合って、何枚かの風景をスケッチすることができました。
 最後のパリでは余り予定を決めていなかったので、ゆったりとした時間の流れを楽しむことができました。

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2. 第1日 成田空港−ドゴール空港−ルーアン
 我が家は都営地下鉄浅草線の西の始発駅「西馬込」の近くにあります。この地下鉄は、上野-日暮里から成田に行く京成電鉄と相互乗り入れしており、1回程度の乗換で、しかも同じホームで乗り換えて、成田空港までゆくことができます。私のスーツケースは出発の前日に託送便で空港まで送ったので、家内の軽いスーツケースを一つ持って行けばすみます。集合時間は10時なので8時少し前に家を出ました。
 成田空港のエールフランス団体受付に行きましたが、SABTECHの団体らしい人は一人もいません。その内、SABTECHメンバーの横岡さん夫妻とお会いできたので、持ってきた荷物の見張りをお願いし、託送便を受取りに行きました。
 帰ってきてカウンタへの入り口のところにマキさん(旅行代理店エール・ヴォワイヤージュ社の女性社長で添乗員)が旗を持って立っているのに気が付きました。切符を受け取り、荷物の計量を済ませ、座席の指定を受けてボディーチェック、出国審査を済ませて待合室に行きました。先に来ていた岡部さんから小西さん(岡部さんの先輩)を紹介されました。また山本夫妻とも、会えました。
 やがて時間が来て航空機に乗り込みました。今回の旅行はすべてエールフランスを利用しました。フランス人のスチュアーデスは年輩の人が多いのに気が付きました。帰国後、数日してNMCの「歴史に学ぶ会」でのレポートする予定がありましたが、そこで使う「日本外交の過誤」を外交資料館で読み、コピーを依頼してありました。その資料が出発直前に届いたので持参し、機内で読むことができました。ほかに座席にあった雑誌にセーヌ河畔のベルシー公園の紹介が出ていましたが時間があれば行ってみたいと思いました。
 14時間ほど、現地時間の夕方5時頃、パリ郊外のシャルル・ドゴール空港に着きました。外は雨が降っていてどんよりとしていました。現地時間の夕方5時頃です。空港からバスに乗りルーアンに向かいます。地方(関西、四国、金沢、九州、北海道)からの参加者は、ドゴール空港で合流したましたが、集合場所が予定と違ったため、一緒になるのに時間がかかりました。やっと合流してから、直ぐに高速道路に入り、第1日目の宿泊地であるルーアンを目指しました。夏時間のため夜の10時頃まで外が明るく、車窓から周りの景色を見ることが出来ました。
 ルーアンのホテル(Mercure Centre)は市のシンボルであるノートルダム大聖堂の近くですが、そのあたりは道が狭いので、小雨の降る中、手前で降りて少し歩いて到着しました。
 部屋割り、明日の予定の伝達のあと各自の部屋に落ち着きました。高速道路の休憩所(日本で云えばパーキングエリア)売店で買ったサンドイッチを二人で食べて夕食としました。

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3. 第2日 ルーアン−カブール
 ルーアンはセーヌ河畔の町で、ノートルダム大聖堂は修理中ですが、モネの絵(オルセー美術館に4枚の連作があり、時間の移り変わりによって変わって行く色彩が微妙です。この絵はその他にも約10枚程度あります。小振りですが箱根のポーラ美術館にも1枚ありました)は、大聖堂前の観光協会の2階からスケッチしのことです。要所々々でガイドの飛田さんが説明をしてくれます。
 大時計通り[ノートルダム大聖堂とジャンヌダルク教会を結ぶ通り。途中でジャンヌダルク通り(ルーアン右岸駅と劇場を結ぶ通り)を横切る]で、途中の門に大時計があるので、この名が付いたようです。その先にあるジャンヌダルク教会[旧市場通り]では今日がジャンヌダルクの記念日とあって、前の広場には椅子が並べられ、教会ではコーラスの練習をしていました。
 絵はがきを買い、トイレで用事を済ませた後、バスに乗り込み、今日の第一の目的地であるエトルタに向かいました。
 エトルタは印象派の絵でも有名で、岡部、山本両氏と3人で、海岸に椅子を並べてスケッチしました。時間がないので一人ではスケッチしにくいですが三人で声をかけ合って描くことにしました。岡部さんは椅子を持って行かなかったので、道路脇にあるベンチに腰掛けていました。
 次の目的地はオンフルールで、セーヌ川の河口に掛かっているノルマンディー橋を渡って着きました。あらかじめ予約してあったレストランで昼食をとりました。2年前からメニューを選んだと云うだけあって立派な料理でした。オンフルールは昨年の旅行の際に観光したので、旧港のサンティチエンヌ河岸に陣取って、対岸のビルのスケッチをしました。カメラをバスの中に残してきたのが残念でした。数年前NHKテレビでやった安野光雅さんの描いた構図です。家内は皆なと一緒に、作曲家サティーの家やブータン美術館などを巡ったようです。
 ドービルのことは全く知りませんでしたが、海岸のリゾート地として有名な街のようです。海岸にはプランシュと呼ばれる簀の子を敷いた遊歩道があり、大通りに面して大きなホテル(ノルマンディー・バリエール)やカジノがあります。海岸を散歩した後、バスでカブールに向かいましたが、避暑地が海岸沿いに長く続いていました。
 カブールのホテルはグラン・ドテルといい、恐らく今回の旅行で一番良いホテルです。マルセルプルーストのサロンがありました。かれはここで執筆したそうです。ホテルへ到着後、海の彼方へ沈みゆく夕日を眺めながら、ホテルに隣接したレストランで岡部・山本夫妻と海の幸の夕食をとりました。

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4. 第3日 リジュー−カーン
 今日は、まずリジュー(Lisieux)にあるカルバドスの醸造所へ行きました。カルバドスとは林檎を原料とした蒸留酒で、葡萄酒のコニァックに相当します。蒸留窯や貯蔵用の大型の樽が並んでおり、清潔な感じでした。おみやげにミニボトル入りのカルバドスを買いました。
 昼過ぎにカーン(Caen)に着き、市内を観光しました。午後はオプションツアーとしてタピスリーで有名なバーユ行きがあるのですが、かってNHKテレビや、本で見ていた林檎の礼拝堂に行きたかったので、旅行社のガクさんに相談したところ、現地(ファレーズFalaise)の観光案内所と連絡を取ってくれました。「夕方4時半に教会で待っていれば鍵を開けてあげる」との事だったので、家内と二人でタクシーで行くことにしました。タクシーの運転手には旅行案内を見せて行く先を告げ、ファレーズめざして国道158号を南下しました。最初に着いた教会は本で知っている礼拝堂とは違うので、近くにあるほかの教会へ行ったところ、教会の前で観光協会の婦人に会いました。訊けば小さな息子を迎えに、来ていたとのこと、時間に遅れそうで困っていたといいます。そこで夫人の車に先導して貰い、そこから数キロメートルの所にある、目的の礼拝堂に着きました。
 本で見たとおりの林檎の木に囲まれた小さな礼拝堂で、色ガラスの瓦で葺かれた礼拝堂に入り、林檎の壁画を見ることができました。やっとあこがれの礼拝堂を訪れた人々の記帳を読み、我々も記帳して絵はがきを買い、写真を撮りました。ただ日常は鍵をかけてあり、我々のように希望すると入ることができ、また普段は礼拝には使っていないようでした。そうすると一家四人が10年も掛けてこういう芸術作品を作ることに意味があるのかという素朴な疑問が湧いてきました。帰りもタクシーで帰って少し待つと、バーユ行きの連中も帰ってきました。

5. 第4日 モンサンミッシェル−サンマロ
 モンサンミッシェルは昨年に続いて二回目です。ただ飛田さんの解説でゆっくり見られたこと、例によって岡部・山本氏と吉富先生さらには飛田さんも加わってのスケッチは良い想い出です。江ノ島のように細い道で陸地と繋がる島で、そこに巨大な修道院があり、かって使われていた建造物を見ることは楽しみです。スケッチをしたレストランで昼食に出るシードルは美味しいが、名物のオムレツは大味で大したことはありませんでした。また修道院からは少し離れているのと、島との間に道路が挟まって、海の向こうに修道院が見えるような構図ではないことが残念でした。
 サンマロ近くの海辺にPointe du Grouinという場所があり、岸近くの小島には、野鳥が群を成していました。
 サンマロには作家、政治家として有名なシャトーブリアンの生家があり、旧市街は城壁で囲まれています。海中の小島にはかっての刑務所があり、そのあたりを散策しました。
 サンマロのホテルは、たまたま昨年と同じGrand Hotel des Thermesで、タラソセラピー(海草を使った薬草健康法)で有名なようです。ただ二つの建物を2階の渡り廊下でつないだ構造なので、部屋からフロントへ出るときなど、エレベータの乗り方に注意が必要です。このホテルも目の前が海岸で、レストランで山本氏夫妻と夕食をとっていると、陽が海の彼方に沈み始め、給仕さん達がブラインドを揚げて、日没を良く眺められるようにしてくれました。生牡蠣(岩牡蠣?)や鯛のムニエルなどを堪能しました。

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6. 第5日 ディナン−レンヌ
 ディナンはランス川のほとりにある古い街です。城壁に囲まれ、町中至る所が絵になる街でもあります。時計台やディナン出身の14世紀の騎士ベルトラン・デュ・ゲクラン(Bertrand du Guesclin)の銅像が建っている公園もあります。サン・ソヴール教会は正面はロマネスク様式です。袖廊の東側には、ゲクランの心臓を収めた墓標があります。我々3人は教会の横でスケッチしました。二人は古い街並みを、私は窓の端に寄生しているピンクの花に惹かれて、教会を描きました。ジェルジュアル通りは、街の中心からランス川へ下るかなり長い目抜き通りで、両側には古い建物が並んでいます。ディナンはかっては交通の要所で、商業が盛んでした。港(川)には今ではヨットや観光船が発着しているようです。教会近くの画材店で太い油絵用の筆を買いました。
 レンヌはブルターニュへの玄関口であるとともに中心都市です。レンヌ美術館ではジョルジュ・ラ・トゥールの新生児を見ることができました。美術館で岡部夫妻と会ったので一緒に散歩するとともに、久しぶりに中華料理を食べました。

7. 第6日 カルナック−ヴァンヌ−ナント
 カルナックは先史時代の文化の中心地で、町の北には数キロメートルにわたって巨石が立ち並んでいます。メンヒル(直立した巨石)やドルメン(テーブル状の巨石)があります。
 レストラン・ラジミュー(ラ・トリニト・シュール・メール)での食事の時の会話では、吉富先生(福井県在住、金沢に六年おられた)と絵の趣味で共通点があり、毛利さんはENAに留学、ガクさんは北馬込(我が家の近く)に住み、白百合幼稚園(洗足教会付属)卒業、四宮先生(高松在住、奥さん[薫さん]もご主人と同時にフランス留学)とも知り合いになれました。またガクさんから携帯電話を借りて、兄に電話ができました(兄は私の渡仏前に、手術で入院していました)。
 ヴァンヌなどブルターニュでは、灰色の屋根に木組みや石造りの古い民家が目に付きます。兄弟などへのお土産を買いました。途中、立ち寄った海岸では海水浴客で賑わっていました。
 ナントは行政区分としてはロアールに属しますが、ブルターニュ地方の入口としての位置づけも兼ね備えています。明日もう一日ナントに滞在するので、観光は明日に廻すことにしました。

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8. 第7日 ナント
 ブルターニュ大公城、サン・ピエール大聖堂、美術館などを訪れました。ブルターニュ大公城はナントの勅令が発せられた場所として有名です。これは1598年にカトリックとプロテスタントの間に起こった宗教戦争を鎮圧するために、新教徒に対して信仰の自由を認めたもので、40年間にわたる宗教戦争の終結を見たものです。サン・ピエール大聖堂では後陣から見た建物をスケッチしました。美術館ではニース時代のマチス展をやっていました。
 ホテルの近くにギヤラリー(アーケード)があるというので行ってみました。1、2階に衣類、食器、家具、スポーツ用品などの店が並んでいます。トイレタリーの店に入り、石鹸などをおみやげに買いました。なかなか気の利いたものを並べています。
 夜はロアール河畔の気の利いたレストランでお別れパーティーがありました。UbiFrance(元のAstef[留学生受入機関])のDasset氏も、お招きしました。普段はスポーティーな格好で旅行していたメンバーも、この夜だけはおしゃれをして卓を囲みました。おいしいフランス料理と葡萄酒が進むのに従って、日仏の歌が飛び出しました。中でも四宮先生の阿波踊りは大したもので、特製の浴衣を着てテープのお囃子(はやし)に合わせて、会場を踊り廻りました。この夜はいつもの無邪気な先生の別の面を見た気がしました。

9. 第8日 ナント−パリ
 朝、殆どの人がナント空港発の航空機で、ドゴール空港に着きました。約半数の人が第2部のイタリア行きに乗り継ぐため、空港で別れ、我々はタクシーでサンジェルマン・デ・プレにあるホテル・マディソンに向かい、昼近くに着きました。ホテル斜め前にある有名なカフェ、レ・ドゥー・マゴで軽い昼食をとりました。サンジェルマン・デ・プレ教会を参観した後、地下鉄を乗り継いでマルモッタン美術館に行きました。美術館はブーローニュの森の近くにあり、印象派という名前の源(みなもと)となったモネの印象 日の出などの有名な絵を見ることができました。
 明日は日曜なので店が休みと聞き、一旦宿に戻った後にオペラ座の裏にあるデパート、ギャラリー・ラフアィエットで少し買い物をしましたが時間が足りなくなりました。岡部氏夫妻と彼のホテルで待ち合わせ、オペラ座近くのカフェー・ド・ラ・ペで一緒に食事をしました。食べているうちに激しい夕立がありましたが、夕食が終わった頃には止んでいました。素晴らしかった旅行の締めくくりに、立派なレストランでおいしい料理を食べることができました。

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10. 第9日 パリ東京
 朝一番でホテルの窓からサンジェルマン・デ・プレ教会をスケッチしました。また地下鉄を乗り継いで、ピカソ美術館に行きました。ピカソの絵が若いときから晩年まで非常に良く集めてありました。近くのカフェで軽い昼食を取り、ヴォージュ広場、サン・ポール村を歩いて廻りました。数年前、親友の小林夫妻と来たときに訪れた場所です。地下鉄リシュリュー・ドルウオー近くのパッサージュ(アーケード)にも行ってみましたが日曜で休みでした。オペラ界隈の土産物屋のみが開いており、後で買えないといけないので、おみやげにTシャツなどを買いました。夕方、佐々木さやかさん(留学に来ている友人のお嬢さん)と夕食する事になっていましたが、少し時間があったので、サンシュルピス教会を訪れました。
 近くのカフェで三人で夕食の後、タクシーで空港に向かいました。多少時間があったので、空港の売店で葡萄酒、チーズ、身の回りの品等の買い物をし、飛行機に乗り込みました。

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[Last Updated 10/31/2003]