タモリのTOKYO坂道美学入門

  目 次

1. まえおき
2. 概 要
3. 本の目次
4. まえがき
5. 内容(一部)
6. あとがき
7. 著者紹介
8. この本を読んで


文・写真 タモリ
発行所 株式会社講談社

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1.まえおき
 新聞の書評でこの本を知りました。読んでみて手始めに「本氷川坂」を歩いてみたところ、案内としても良くできていると思ったので採り上げました。テレビ番組の「ブラタモリ」でいろいろなコースに関心を持っていたので、著者には親近感を持っていました。
 こういう本は、実際に歩いてみて、コースがわかりやすく、過不足なく書かれていることが大事だと思います。

2. 概 要
 坂の好きなタモリが、港区を中心とする都心の37の坂について、1コース当たり4ページにわたって坂の所在地、特徴、由来などを中心に紹介しています。

3. 本の目次(坂の名前が青色[または紫色]でアンダーラインのある項目は、クリックするとその坂にジャンプします)
新訂版に寄せて──4
初版まえがき──4
 坂道の都、東京の魅力──4
 坂に佇む少年と傾斜の思想、平地の思想──6

[港区]
三分坂──16
霊南坂──20
南部坂──24
本氷川坂──28
道源寺坂──32
狸穴坂──36
鳥居坂──40
暗闇坂──44
狸坂──48
綱坂──52
青木坂──56
三光坂──60
桂坂──64
[文京区]
大給坂──70
湯立坂──74
福山坂──78
日無坂──82
鼠坂──86
善光寺坂──90
胸突坂──94
鐙坂──98
[目黒区]
相ノ坂──104
目切坂──110
別所坂──116
なべころ坂──122
行人坂──128
寺郷坂──132
[新宿区]
霞坂──138
梯子坂──144
新坂──148
鮫河橋坂──152
[大田区]
おいはぎ坂──160
桜坂──164
[荒川区]
富士見坂──170
[台東区]
三浦坂──174
[千代田区]
紀尾井坂──178
[渋谷区]
ネッコ坂──182

各区の坂道の地図──186
初版あとがき──188
(一部内容を追加した)

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4. まえがき
新訂版に寄せて
 初版の発売から、はやいものでもう7年になるという。表紙に使った目黒・相ノ坂の風景も、石垣上の木がなくなって、様変わりしてしまった。
 東京は変わっていくが、その間も時折、私のもとには愛好家からの坂道紹介が届く。なぜか添えられている坂写真に白黒が多いのが不思議だが、愛好家は増えているようで、この本も7年間の変化を反映させて版を改めることになった。ご時勢というべきか、そのうえ電子版もつくる。
 学会好みの坂風景があるうちに、続編を、と考えないこともないが、それはまた別の話。いまは坂道学会最初の成果をこれまで支えていただいた坂道愛好家諸氏に、感謝の意を表したい。
                                                                   2011年10月

[初版まえがき]
坂道の都、東京の魅力
 東京に初めて来て感じたのは、なんと坂の多い所だということだった。京浜東北線を境に西側は台地と谷の地形で当然それらをつなぐ道は坂道だ。東京、大阪、京都、名古屋を地図で見ると、緑か茶色一式で塗られており高低差がないように描かれている。これら大都市は東京を除いてほとんどが平地である。東京もそういうふうに描かれていたので当然平地だと思っていた。ところが実際来てみるとかなり高低差があり、しかも大都市のど真ん中に驚くような急傾斜の坂がいくっもあった。こんな大都市は東京だけだ。そして東京の坂は江戸時代からの名前、由緒がはっきりとしている。
 江戸の町は非常に計画的に造られている。大きく分けて現在の京浜東北線の東側は下町で、碁盤の目のように東西、南北の道が直交しており、主に町人の町だ。これに対して西側は山の手で、台地と谷の地形から成っており、尾根筋に東西の道その両側に大名屋敷そして谷にわずかに町人が住むという配置だ。大変に美しい町だったようで、当時ヨーロッパから来た外国人が、ベニスよりきれいな街だと感嘆している。下町の道は現在でもほとんどが江戸時代からの道だが、山の手は明治以降の開発で、江戸時代の道はなかなかわかりにくい。しかし坂道だけはそのまま残っており、まわりが変わっているだけだ。
 わずか180年ほど前までは、この坂道を武士や町人達が上り下りしていたと思うと、非常に興味深いものがある。江戸の山の手の道は何のためか微妙に湾曲していて、坂道もそうなっている。これがまた風情があってなかなかよろしい。ちなみに私の坂道鑑賞ポイントをあげると、
 @勾配の具合
 A湾曲のしかた
 Bまわりに江戸の風情をかもしだすものがある
 C名前に由来、由緒がある
となる。ちなみにこの事を過去、人に話をして興味を持ってくれたのは、たった一人だけだった。

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坂に佇む少年と傾斜の思想、平地の思想
 私か生まれ育った家は、街中のほうへ向かって下る長い坂の途中にあった。人は坂を上って家を訪れ、坂を下って去っていった。高校を卒業するまでその家ですごした。幼稚園に行く年齢になった時のこと。突然両親からその旨を告げられ、1人で幼稚園とはどういうものであるのか見学に行ってみた。園児達が「ギンギンギラギラ夕日が沈む」を両手を回転し、おゆうぎしている光景が目に人ってきた。なんだかそれがとても恥ずかしく、バカバカしく思えたので、家に帰って、どうしても行きたくないと両親に訴えた。当時はそれほど教育熱心ではなく、なんとか私の主張は認められたのである。一安心したが、その後すぐに後悔するはめになった。近所には同じ年の子どもはほとんどいなく、それら全員が幼稚園に通うことになった。残されたのは私1人だけ。遊び相手は誰一人もいない。毎日祖父母と食べる早い朝食を終えると気が遠くなるような時間が待っていた。
 当時、家の中心は大人達で、子供は家庭の片隅で生きなければならなかった。家庭の諸行事、運営方針、あるべき家族のすがた、マージャンの新しいルールなどは大人達で決定され、後日通告される。それどころか通告もされないことがほとんどだ。当然子供とのコミュニケーションなどない。何か食べたいかとか、今日学校で何かあったとか、最近ずいぶんと様子がよくなったねとか、マッカーサーもいかがのものかねえ、など聞かれたことがない。家にはひまな祖父母もいたが話し相手にもなってもらえなかった。もちろん昭和20年代には、ファミコン、その他ゲームなどはなく、朝食が終わると今日1日何をしようかと、くる日もくる日も途方に暮れていた。そこで何するわけでもなく、玄関を出たところの石垣にもたれかかり、終日坂道を上り下りする人をウォッチングすることになる。誰がどこの家の人かそのうち判別できるようになり、判らない人がいると後をつけて行ってどこの家の人か確認して、祖父母にその家族構成、関係を教えてもらう。このことについては祖母はていねいに、興味深く語ってくれた。そうして頭の中に近所の家とそこに住む人の地図を作った。くる日もくる日も、雨の日も、雪の日も少年は坂に立った。坂に佇む少年の名は徐々に広まっていった。やがて人々がやってきては少年に向かって合掌したり、問いかけたりしたが、少年は黙して語らなかった。少年は修行をしているようにも見え、また家を警備しているようにも見えた。フールオンザヒル。
 それから何年かたった、春まだ浅きある日、いつものように両足をそろえ、両手を前に組んで両目を軽く閉じ、いつもの場所に立ってしばらくした時、自転車のブレーキ音で現実に戻り、うっすらと目を開けると郵便屋さんが立っていた。「森田一義君は君か」と問われ、「そうです」と答えると封筒を渡された。祖母に開封してもらうと、それは小学校入学の通知だった。ついに終わったのだ。気の遠くなるような時間が続く日々が終わったのだ。来月からは小学校だ。学校生活は忙しい、よかった。それから私は団体の中に埋没する悦びを知り、以後、自己と対峙することも真摯に自己と向き合うこともありませんでした。
 以前いきつけの店で飲んでいた時、となりにいる人が某作家であることに気付いた。何とか話をしてみたいと思ったが、とっかかりなくとりあえず自己紹介して先生はどこにお住まいなんですがと質問すると、どこどこですと快く話してくれた。その場所は私がよく知っている所で、おまけに坂道だった。酔っぱらうとものすごく調子にのってしゃべりが生きてくる私は、こう先生に向かって真剣に話し始めた。人間の思考、思想は要約すると傾斜の思想と平地の思想に大別することができる。平地の思想のそれはハイデッガーである(余談だが最近バスにハイデッガーというのを発見したが、多分、床が高いバスのことではないがと思う)。
 キルケゴールはその著作の中でこう言っている。人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安であると。精神の不安、自由の不安をキルケゴールはこう説明している。高い断崖の上に立って下を見る時、自分はここから飛び降りると確実に死ぬと予想できる。飛び降りる、降りないかは自分の意志の自由による。だから自由とは不安であると。いっぽう、人間は平地では通常死をも選択できる自由に対する不安はない。崖の上では一歩踏み出すだけで確実に死ねる。これは位置エ本ルギーを人間が持ったためである。位置エネルギーとは平地では何でもない小石でも、30メートル位のところから落とせば、がなりの破壊力を持つことができる。つまり高さという位置がすでにエネルギーを持っているということだ。坂道に暮らす人、あるいは上る人、この位置エネルギーを無意識に感じているのであり、そういう人の思想は、自分の自由に対しての不安がいつも存在しているのである。
 これに対し、平地で暮らす人はシュバルツバルト(黒い森)と呼ばれる平地で思索しているハイデッガーの思想に代表され、その著書『存在と時間』にあるように平面な時間とその連続性の中に、存在とは何かを追究する思想になっていく(学生の頃、一度読んだことがあるが、あまりに難解なため、壁に投げつけてヒステリーをおこしたことがある。従ってその内容はなんにも理解していない)。先生のご本を読ませていただいて(1冊も読んだことがない)、どうも先生はキルケゴール型の思想をお持ちのようですがいかがでしょうかとたずねた。この時の様子をとなりでつぶさに観察していた人と後日会ったが、それはそれは見事であったそうである。それから2ヵ月ほど経たある日、マネージャーから、その作家の先生から傾斜について対談をしたいとの電話があったと聞き、顔がら火が出るほど恥ずがしくなり、何でもいいがら丁重にお断りしてくれと頼んだ。
 そんなことがあった半年ほど後、NHKでハイデッガーとヤスパースの書簡をもとに3夜連続で両者の思想、友情、決別の番組があり、たいへんおもしろくて全部見た。その最後、ナレーターがこう番組を終えた。「ハイデッガーはその主著『存在と時間』をシュバルツバルトの急斜面に立った家で思索し著した」と。これを見て一人で大笑いした。口は禍いのもとだが、屁理屈好きは止められない。
                                         2004年10月

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5. 内 容(一部)
「本氷川坂(もとひかわざか)」 [赤坂]
 南部坂を撮影しに行った折りに、その美しさに打たれた名坂がここです。
「厳重な警備で守られた謎の大邸宅を擁する緑坂
 氷川神社の西脇を、優雅に湾曲しながら上がっていく坂道です。」と紹介しています。また本氷川神社との関係も書いてあります。「坂の魅力は、氷川神社の木立と、緩急あわせた勾配のバランスの妙」との感想も付け加えています。坂を登り切った辺りの右側(氷川神社の向かい側)にある大邸宅は1頁位の写真にも載っていますが、日銀氷川寮の氷川分室のようです。
 次は市三(いちみ)坂と呼ばれる六本木通り(道の上を首都高が走っている)を越えた先の長垂(なだれ)坂を紹介しています。「この坂(本氷川坂)を過ぎて市三坂と呼ばれる六本木通りを渡ると、ホテルやさまざまな寺が立ち並ぶ高台に出ます。ここへ上がっていくのが名前が素晴らしい長垂(なだれ)坂。」
 また寄席(よせ)坂、丹波谷坂、不動坂、閻魔坂のことも載っています。
 坂道の実力判断としては次の通りです。
勾配 ★★★★
湾曲 ★★★★★
江戸情緒 ★★★★★
由緒 ★★★★
 また「このへんは大通りからちょっと入っただけのエリアなんですが、思いのほか静かで、緑深い一画なんです。」とエリアを紹介しています。
 次の2頁は今挙げた坂をふくんだ散歩ルートを紹介しています。「本氷川坂史跡お散歩ルート」です。
「大人の街である赤坂・六本木も、実は隠れた古坂の宝庫。
 いくつかの台地に、静かな墓所や寺社が広がっているのだ。
 勝海舟が愛した坂を歩いてみよう。」
 との説明が書かれています。ルートガイドとして
距離 約2,173メートル
時間 約30分
と書いてありますが、各観光スポットを見てまわると、2〜3倍の時間が必要なようです。坂と観光スポットとしては次に示すとおりで、各項目について数行の説明が載っています。
1. 勝海舟邸跡
2. 氷川神社の欅(けやき)の古木
3. 市三坂
4. 長垂坂
5. 善学寺
6. 不動院
7. 六本木駅
 最後にルートと坂や観光スポットを載せたルートマップが載っています。

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6. あとがき(初版あとがき)
 この本の出版には、日本坂道学会の「会長」が大きく関わっています(ちなみに私は副会長)。会長は元某出版社の重役であるとともに、大の坂道好きであり、しかも自分以外の世聞の人々も「坂好き」に違いないと考えているふしがある人です。

 何年か前、たまにいく銀座の酒場で飲んでいると、やけに大きな声で坂道についてとうとうと語っている人物がいました。会長でした。
 若い女性1人と部下らしき男性2人を相手に坂の話をしているのですが、話はかなりの長時聞におよび、聞いている3人は迷惑そうな顔になっていきました。はたから見ると、立場上やむなく聞いている、もっと楽しい酒が飲みたい、という雰囲気なんですが、会長にはまったく気にする様子がありません。
 聞こえてくる話は坂にまつわる歴史や、江戸、明治の人物についてのエピソードなど、若い3人はさておき、私には大好きなテーマばかりでした。
 狭い酒場の別の席で、いやでも話に聞き入ってしまうようになり、とうとうたまりかねて自分から会長の席の横に立って声をかけたんです。
「すみません、私も坂道好きなんですけど」
 会長はあっさり私にのりかえました。それはそれはにっこりと私のところに移ってきて、その後はおたがい心おきなく坂の話をしました。そもそもの連れだった若い男女3人はあきらかにほっとしたようでした。

 それからは、酒場で会うと坂の話をするようになり、語り合ううちにやがて日本坂道学会を発足させました。坂道の魅力のあれこれを話し合うすばらしい学会ですが、現在のところ会員数は2名のままです。

 その会長の尽力もあって、講談社の雑誌『TOKYO★I週聞』で、「TOKYO★坂道美学人門」を始めました。当初は1ページでスタートしましたが、編集部の意向で2ページに拡大しました。坂の写真を撮り続けて1年半近く連載し、ついに単行本として出版することになりました。

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7.
 著者紹介
タモリ 森田一義。 1945年福岡市生まれ。早稲田大学中退後、芸能活動を開始。 1982年よりフジテレビ系『笑っていいとも!』の司会を担当し、現在も番組司会の長寿記録を更新中。某出版社の元重役と設立した「日本坂道学会」の副会長を務める。

8. この本を読んで
 元々ウオーキングが好きなので、地元やウオーキングコースを載せてきました。たまたまこの本のことを知り手始めに「本氷川坂コース」を歩いてみてコースが気に入りました。都心のしかも坂を中心にしたコースは初めてです。これを機会に、この本に載っているコースを少しずつ歩いてみたいと思っています。ただ、この本については港区・文京区の坂道の地図が無かったり、目次の不備など、多少の不満が残ります。

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[Last updated 5/31/2013]