恋愛シミュレーション「ときめきメモリアル」が残した物
5.卒業したくて卒業した訳じゃない
卒業。旅立ちの詩のテーマであり、位置づけだ。コナミとしてはこれでときメモは終わりだよ、次は2だよと言う意志表示だったのだろう。そう言う意味での卒業なら、理解できないわけではない。
実際、今まで何度もときメモから離れる機会はあった。PS移植決定、SS版のシステム変更、アーケード他のキャラクターアイテム戦略、藤崎詩織CDデビュー、そう言うある意味の転機で、私は離れて行くつもりだった。
実際、PS版は買っていない。PS版が出た当時、PCE版とのシステムの違いに憤慨したのだ。ま、今でも気に入らないのだが。
そう言う機会で離れることはあっても、好きなまま離れるということは出来無い気がする。それが卒業なのだろうが、きらめき高校に戻ろうと思えば何時でも入学し直すことが出来る。
そして、卒業という以上、次があってしかるべきなのだ。多分。
よく卒業式で聞くことだが、「新しい生活への出発点」というのが卒業式のもう一つの側面なのであろう。ただ終わることが卒業ではない。次があっての卒業なのだ、と。
ではときメモはどうなのか。ときメモ2はキャラ一新するそうではないか。今のときめきキャラ、彼女たちのその後は、エンディングで語られる数行分しかない。これでは、新しい出発ではない。もちろんゲームというメディアである以上、そこまで望むのは贅沢であり、ときメモというのはシナリオのない物だから、それぞれがその後を想像すればいい。それだけのことだ。
それなら、卒業する時期も我々ユーザに選ばせて欲しい。メーカーが終わり、と言う事が無くとも、サポートが無くなることもあるわけだ。しかし、こうして5年間も同一のゲームが出続け、細部が再現されていくという物は特殊であり、他にはない。だからこそ、コナミは自分たちがケリを付けないと、このままずるずると行くと思ったのだろう。
ゲームというのは、メーカーの思惑はともあれ、作って市場に流れた時点でメーカーの手を離れ、後はユーザにゆだねられる。メーカーはそれ以上は干渉できなかったはずなのだ。いや、してはいけない、そう言うべきだろうか。
ともあれ、卒業は悲しい。しかし、その悲しみは「この時間は二度と戻らない」という悲しみなのだ。何時でも時間を戻すことの出来るときメモに、卒業は似合わない。悲しみも半減する。
コナミにはこれ以上ときメモ関係は作って欲しくない気もする。逆に、他のキャラクターのドラマも作って欲しい気もする。ドラマシリーズが12作を越え、早乙女好雄編が終わったとき、本当の卒業となるのではないだろうか。
私は、ときメモから卒業することはないだろう。いや、このすばらしいゲームから離れることは出来ない。離れてはいけないのだ。
ううむ、そのうちときメモのその後でも小説にしよっかな。別に何か考えがあるわけじゃないけど。
次は?
1.ときメモと他の「恋愛シミュレーションゲーム」との違い
2.ときメモの魅力
3.ドラマシリーズとは
4.サターン版ときメモは何故あんなに安いのか
6.これだけは言っておきたい
7.みつめてナイトはときメモ?
用語説明:ときめきスト(ときめきゃー、メモラー等ときめきファンの略称)達が使う(俺だけかも)特殊な用語の説明
なんか、何にもないなぁ。用語(笑)
ぷれいすてーしょんに帰る