地元のニュース番組や新聞を見られないので、見落とすんじゃないかと思ってたんだが、案の定、忘れていた。
ふと思い出して
去年の文章から
リンクをたどってみたら、今年の分が公表されていた。それはつまり URL が同じってことで、やっぱり過去分を見せるつもりはないらしい。平成 25 年度の報道発表資料、って
ページもあるのだが、そこにないことも確認した。なんでだろうね。
今年は 210 人、おととし 208、去年 214 だから、やっぱりここがいつものラインなんだろう。
年齢構成で言うと、60 代と 80 代が減って 70 代が増えている。地域では、能代が大幅増で、それ以外の複数の地域が少しずつ減っている感じ。
ここのところずっと応募者ゼロだった藤里町からついに一人参戦。少しずつ減っていた小坂町がついにゼロに。上小阿仁・大潟・東成瀬はずっとゼロのままである。
最優秀賞
反射ざい俺も付けるしオメだもな
(反射材俺も付けるからみんなも付けよう)
「
オメだ」は「お前たち」。訳が「みんな」になっているのはやっぱり役所だからか。
「
付けるし」の「し」がちょっと大阪弁っぽいな、とか思ったり。大阪の場合は「
〜から」と互換性があるが、この場合はどうだろう。単に字数の問題か。
訳の「付けよう」はなぁ。隠されているのは「
付けれ」なんじゃないかと思う。だとすると「付けなさい」じゃないかなぁ。
この「
オメだ」もそうなんだが、「反射ざい」とか、漢字と仮名の使い方が独特。
「付ける」は「着ける」が正しいんだと思う。
優秀賞
うるだぐな赤の次には青が来る
(急がない赤信号の次は青信号)
「
うるだぐ」は「慌てる」ってことで、意味が意味だけに、このイベントとはなじみがあるが、
2010、
2011 に連続登場している。「急がない」という訳はちょっとニュアンスが違うと思う。
「〜青が来る」が「〜青信号」になってるのは苦心の結果か。
方言とは違うが、この「急がない」のように、動詞の終止形は命令文として機能する、ということを覚えておくと日本語に対する見方が変わって面白いと思うよ。
うがった見方をすれば、青の次には赤が来るんだけどね。青が点滅したら走って渡れ、てな解釈も誘発しかねない。「明けない夜はない」「晴れない空はない」みたいな一句。
こういう逆転は、「だろう運転」という表現でも可能。
これは、「周囲が自分に都合のいいように動いてくれるだろうと思いながら運転してはいかん」ということで、「『だろう運転』はいけない」という言い方をするのだが、逆に、「周囲は自分の都合のいいようには動いてはくれないだろう」という考えだときりかえれば、「『だろう運転』でいこう」と言える。
より安全なのは、悲観的な見方の後者である。
佳作
被る丈(だけ)
飲ましぇだおめも罪かぶる
(浴びるほど酒を飲ませたあなたも罪被る)
今回の作品群の最大の疑問がこれ。
「
だけ」は「ほど」という意味である。たとえば、「死ぬほど」は「
死ぬだけ」あるいは「
死んたけ」となる。あるいは、「思う存分」が「
いいだけ/
いんだけ」などとなる。
この「
かぶるだけ」も、「酒をかぶるほど」「浴びるほど」ということなのはわかるが、「丈」という表記は合ってるのだろうか。
『旺文社漢和辞典 (1990)』には、「丈」は「助詞『だけ』の当て字」とある。え、そうだったの。じゃ、秋田弁の「だけ」と標準語の助詞「だけ」との関係は。
『日本語大辞典 (1990) 』を引いてみたら、最初の語義として「程度を示す」とあって驚く。「好きなだけあげる」という例文を見て、これと同じじゃん、と理解。つまり語自体は思いっきり標準語と同じなのだった。つまり、「
死ぬだけ」「
いいだけ」という組み合わせ自体が秋田弁的、ということなのである。
これも用字が不思議。最初は漢字なのに、後ろの「かぶる」が平仮名。
多分、先頭と最後を揃えてあるんだろうけど、標準語ではあんまり「被るほど飲む」という言い方はしないので、訳ではその妙味が失われてしまっている。
どっがらも車こねども赤はだめ
(どちらからも車は来ないが赤信号は待て)
二つ目の疑問。
秋田では「どっがら」とは言わねぇんじゃねぇかなぁ。「
どっから」じゃね? 「
どごがら」とは言うと思うが。
訳が「赤信号は待て」になっているが、正確に言えば「赤信号で渡ってはダメ」。
「どちらからも」も意訳かな。「どっからも」だから「どこからも」なんだが、普通の道は二方向、それで「どちらから」にしたのだろう。
というわけで、微妙に量が多いので、来週に続く。