「
平成26年度 交通安全作品コンクール」の、「あきた弁川柳」に借りた文章、後編。
佳作
慣れたきゃど油断さえねど晩げ時
(慣れた道でも油断はできない夜の時間)
この「
さえね」は秋田弁的。
「
されね」と言ったりすることもあるが、語自体は標準語にもある。可能の「れる・られる」である。五段やサ変の動詞につくが、「行かれる」という形で、「行くことができる」という意味を示す。
秋田弁ではこれを否定すると、「〜してはいけない」という意味になる。
「〜することができない」という意味にならないか、と言われると、ならなくはない。「行かれない」の「
行がいね」は、「行くことができない」「行ってはいけない」のどちらも示しそうだ。ただ、「
行がいね」が不可能を示す場合、「状況が許さないので行くことができない (例えば、道が通行止めになっているなど)」って感じがある。同じ「行くことができない」でもは「
行げね」はニュートラルで、状況による不可能でも、自分の事情による不可能でも使える。
「
晩げ」は、『語源探求』によると「晩気」だそうである。「
ばんげどぎ」というのは聞くが、「晩げ時」って書かれると違和感があるなぁ。
なんか、夕方ってニュアンスがあるような気がするんだけど、夜遅く出かけようとして「
どさ行ぐ、このばんげに」って怒られる、ということはありそうな気がする。
飲んだあどチャリンコだってこげば駄目
(酒を飲んだら自転車だって乗ればダメ)
この「
こげば駄目」も秋田弁的ではないだろうか。
同じ仮定形でも「ば」と「だら」にはニュアンスの違いがあり、標準語では「こいだら駄目」となる。訳が「乗ればダメ」となっているのは、原文に引きずられたか。
この訳だけど「飲んだ後」を「飲んだら」にする必要はあっただろうか。あと、「ダメ」とカタカナになってるのは何故。あれ、まさか訳は応募者がつけてたりするのかな。
原文だが、なんで「乗る」じゃなくて「こぐ」を選択したんだろう。字数の問題でもないようだしなぁ。
ここに「チャリンコ」って言葉が出てくるが微笑ましいというか、違和感があるというか。確かに、秋田弁に自転車の俚言形はないけども、この人、普段、「チャリンコ」って言ってるのかなぁ。「
じでんしゃ」じゃねぇのかな、って気がするけど。
そごあぶね横断歩道わだるべし
(そこは危ない横断歩道を渡りましょう)
「
べし」は、「適切である」ということではなく、訳の通り、勧誘。秋田弁の「行きましょう」である「
あべ」は短いから一語のように見えるが、どうやら「歩むべし」らしい。
このイベントについて書くといつも濁点のつけ方について一言あるんだが、今回思った。
ネイティブは、自分の発している音のどこに濁点が (標準語の発音に対して) ついてるか、明確に意識できてなかったりするんじゃないだろうか。
必ずしも聞き取り能力に問題がある、と言うことではなく、たとえば、秋田弁に「状況可能」と「能力可能」の区別がある、ということを、話している当人が気付いていなかったりするのと同じ感じで。
そもそも、どこに濁点がつくのか、ってのも明確なルールがないみたいだし。それとも、俺が知らないだけで、もう見つかってるのかな。
これはひょっとしたらいい研究項目かもよ>学生諸君
なんか、「アイテム系」のがなかったね。反射材位。去年はスマホとかあったのに。
「時事系」もない。飲酒運転幇助は最近でもないしなぁ。